作品投稿掲示板 - B-REVIEW

るる


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みなも

2022-08-01

小鬼たべらこ

2022-01-08

いちじく

2021-10-25

足の ゆび

2021-07-31

桃太郎の神殿

2021-05-26

もえろ

2021-03-16

2020-10-07

いちにく

2020-09-13

すこし

2020-08-25

2020-08-05

2020-07-09

おとずれ

2020-06-08

鋳掛屋

2020-03-16

ワインと共に

2020-01-28

蒼穹

2019-11-15

猫族の村会議

2019-10-27

古い月の粉

2019-08-19

ぬくい

2019-07-25

めるふぇん

2019-07-03

稼働域フェチ

2019-05-07

すべてのことは、水に 流されて いっちゃうんだなあ。と、おもいます。 水が 豊富にある国に 住んでいるので、実感として そう感じるなあ。て、おもいました。 (陽)

2024-08-01

おはようございます。昨日は、夏至だったようです。1年で一番 お天道様がながく いらしたみたい。そんな日から 今日は 第一日め。   そんな日に、あたらしい交流の場を つくってくださって ありがとうございます。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-22

投票わすれてました。 (ONE)

2023-03-31

わたしに与えられた窓は、ひとつ。 その たった一つに、映し出せれる世界において、悪魔という妄想にまどわされることなく、激しく穏やかに、待っているだけではなく どんどん窓から 広がる世界に 触れたいと、おもいました。 全然関係ないことをいうようですが、私は 最近、韓国語の学習に はまってます。 韓国の数字は、日本語にも 漢数字と固有の数字がある点は 同じです。 韓国での『1』は、(はな)という響きを持ちます。 人、ひとりに あたえられた窓が、たった ひとつだとすると それは、まるで、花のようです。 花は、咲くときには 迷いがないかのように咲くからです。 素敵な詩を 読ませていただけたと、おもいました。ありがとうございます。 (ONE)

2023-03-31

わたし は、たったいま、詩的交流を ひさびさに しはじめたところです。 そういえば、詩を書けば 誰かから返信があるものだと 期待するものでしたね。 コメントを書けば、コメントの返信がある可能性も、生じますよね。そうでした。そうでした。 ただ、私の経験の話をします。言語化が 難しい心境のなか 詩のコミュニケーションの場に参加するとですね。 いただいたコメントへの、返信も 当然 難しいです。 あきらめないで、詩での 交流を お続けになっていただきたいなあ。と、感じました。 (コメントみない?)

2023-03-26

ふと 私も 派手な靴紐にしてみようかなあ。と、おもいました。 題名は、オールドスクール。古い学校かしら。それなのになぜか 作者は、なんとなく お若いかたのような きがします。 見栄で 靴紐を 派手にするとか、 そんな こころいきが あるんですね。 私には 新鮮でした。 私自身の心は、それくらい、ゆるゆるなのです。だから、心を ひきしめるために、靴紐を 派手にしてみようとおもいました。 ファッションに、無理や、見栄は たぶん 大事だろうし、 私も 頑張ろうて おもいました。 ( オールドスクール)

2023-03-26

おはようございます。今朝、おふとんを干しにベランダに出ると カマキリがいました。 カマキリは、なぜか 何日も同じところにいることがあるので 棒で ベランダから追い出しました。 あと、つい先日に 私も赤い月を見ました。月食で赤かったのです。なので 一読者である 私(るる)にとっては、とても今を感じました。 しかし、劇画や蝸牛の戦車とか 古いハンカチーフという言いまわしが、 なんとはなしに 昭和の匂いがするとも思いました。昭和の戦いのことも 匂わせておられるなと思いました。 匂わせておられる。と、書いたのは 随所に 読者に思考を判然とさせないようにしておられる気がしたからです。 >なんて美しい花蟷螂 はなかまきり、という生き物を私は図鑑でみたことがあります。図鑑の はなかまきりは、花に擬態する淡いピンク色の生き物でした。その生き物の美しさは、おそらく目を見張るようなものであろうなあと思える姿をしていました。 >おまえはわたしを首飾る ↑ この詩句の意味は、読者によって 様々な意味付けが可能だと思いました。 私の場合は、この箇所を どのように読んだかは あえて書きません。ですが、 なかなか魅入られた作品を拝読することができました。 ありがとうございます。 (蟷螂(かまきり)と私)

2022-11-11

題名と最初の数行で、stereotype2085さんがときおりモチーフに選ばれることのある近未来ディストピアな世界がくりひろげられる作品だろうなあ。と、思いながら拝読いたしました。最後まで拝読すると、すべてのことが終わっても 愛がはじまるという希望の詩でした。 現実の世界では 原子力発電に関わる施設が戦争のターゲットになっていた報道があったりしています。広島で育った私には、それらのニュースに対して、悲しさの度を越え 怒りとしかいいようがない感情をおぼえています。原爆は、大勢の人々が亡くなっただけではなく、生き残った人々にも遺伝子の異常などの 深刻な健康被害も ひきおこさせたりしました。そのせいで、被爆された方々の中には 求愛をあきらめた方々も たくさんいらっしゃっるようです。 >僕らは最後の戦争の終わりを知る。 >それは世界の終わりでもなく、破綻でもなかった。 >ただ静かに横たわり、波打ち際で揺れる、始まりの予感。 ↑ いままで さまざまな地域で 戦いを最後にするための戦いが無数に行われてきました。 いままでの戦いでは 世界は終わりではありませんでした。破綻した地域があっても、世界が破綻したわけではなかった。この詩は おそらく未来の話だと思いました。未来の最後の戦争が いつなのか分かりませんが、それでも 求愛が どこかで行われるような未来が あるというなら、なかなか素敵で良いイメージだなあと思いました。 >神が自死した午前0時を過ぎたあと、 >独裁者も銃を取り、臨終の褥に横たわる。 ↑ すべての人はいつか臨終を迎えるのが普通です。そして この詩の独裁者の場合は、定刻に死を迎えたのですね。つまり、だれかの意志で 独裁者に死が もたらされたということでしょうね。  その独裁者の手に 核のボタンはあるのかないのか、ボタンは押されたのか押されなかったのかが 私は どうも 気になります。 神は死なないから神のような気がするので、この詩の神様とは 独裁者のことを意味する気がしました。この独裁者の場合は、自ら死んだのかもしれません。 神は死ぬけれど、愛は 死なない。それが、この詩で表現されたかったことかもしれません。 私は 八月には、戦争に関する詩を書くということを ずっと以前から心に決めていた私のですが、現在の世相があまりにも酷いので、詩作が 遅々としてすすんでいませんでした。この詩のおかげさまで、私の詩作の題名だけは うかびました。私が私の詩を完成できるかどうかは分かりません。しかし、「そうだ私も 詩を書こう」と 想わせていただくことができました。この詩が読めてよかったです。ありがとうございます。 (終わりの始まり)

2022-08-11

正直に告白させていただきますと、私は 私の書いた文章のすべてを 覚えているわけではないのです。ただ、かつて私は、人類が人魚であったという奇説をとなえていた人類学者の話を書いたことがあります。女性の人類学者でした。その方の意見では、人の肌がほかの猿より 体毛が少ないのは、海洋性哺乳類がすべすべの肌であるのと同じ理由だとうう意見でした。陸より水での生活を選んだことがあるからである。と、いうものでした。人の頭部にのみ髪があるのは、頭だけを水面に出す生活の時期があったため。 検索すれば、その学者さんのお名前に たどりとくはずですが、私自身の過去の文章がどこに書いたを忘れてしまっているだめ。調べたところで、私の文章と 照合できないので、やめておきます。 私の文章を多く読んでいただかないと 書けないコメントを頂戴して感激しています。ほんとうに、ありがとうございます。 (みなも)

2022-08-03

納得していただけるものが書けてよかったです。(ちがうか) (みなも)

2022-08-03

おもいがけず 素敵な歌を頂戴することができました。ありがとうございます。 その歌をうけて 私も なにやら浮かびましたので、お返事は歌でさせていただきます。    みなもの あと どれみふあみ空 そらごらん じょうずな あなたのことばから 異形のこえたちよ うまれてごらん あなたのこえと うたってごらん 秋を招く ほそい ゆびさき とんぼの羽根のよう てまねきしながら 宙に うかびながら とどまっている 水音は琴のよう ひるがえる尾鰭はしぶきのよう あしあとに みずのあと つまさきから おともなく へんげする (みなも)

2022-08-03

眼前に うつくしく波に揺れる髪や 水の揺らぎが浮かびました。 まるで人魚姫のように美しいと感じました。そして、表題も 素晴らしいです。 読ませていただけて、一読者の私まで 人魚のような気になりました。 (水犀)

2022-08-01

こんにちは  すべてが 造り物ぽいんですね。 造り物っぽい世界観の中での話とはいえ 眼球に針を刺すイメージが 読んでいて痛かったです。 (新生)

2022-07-24

わたしも 中学のときに放送部でした。そして、嫌なことがあると放送室で曲をかけて歌っていたのですが、ある日。爆音で全校生徒のみなさんに 音痴を放送してしまったことがあります。 あのときのことは 忘れられません。高木ブーさんは ドリフの中で 微妙な位置だった気がします。たぶん、「元祖 高木ブー伝説」という曲は その微妙さを唄いあげてるんでしょうね。けれど、いまもウクレレを弾いておられる高木ブーさんは ほんとにすごいです。コロナ渦のはじめのころ 人々をウクレレで癒す番組で演奏しておられました。長さんのことも触れておられました。わたしは いまも うっかり恥ずかしいようなへまをするのですが、高木ブーさんのように 自分の調べを演奏するかのような時間をもてるようにしたいと 思いました。ありがとうございます。 (ON AIR)

2022-07-24

詩形が美しいです。 六行の偶数行からなる この詩は、すべての行は 必ず 相反する語があり、 二行一組で構成されています。 もしかしたら デスコミュニケーションのほとんどの原因は、【人の悪意を善意】と考えてしまったことか【人の善意を悪意】と考えてしまうことによるものかもしれません。善意で悪意でもない関心と無関心の 空洞感が 個人的には たまりません。 じつは私の場合は、最終の二行にある【ゆうずうむげ】の【げ】を 初読では 読むことができませんでした。ちょっと恥ずかしい。けれど、「むげ」と検索で読めて気が付いたのですが、「むげ」と言えば、そういえば、仏教に無碍の一道という言葉があります。この詩には 仏教的な「無」がある気がします。 そう考えると、題名も なにかの教えを示しているかのようです。 この詩は まるで仏教の風を回す扇風機です。偶数行が、偶数枚の扇風機の羽根のように 風を運んでくれているかのようです。 この詩が 読めてよかったです。うつくしい詩でした。ありがとうございます。 (やってはいけないこと)

2022-07-01

こんにちは 毎日、酷い映像を目にしますね。マリウポリの映像をみると 胸が痛くなります。どうぞ、どうぞ 戦火が終わりますように。 さて、詩を読んだ感想を書かせていただきます。 詩の前半くらいまでを読んでいるときに、レイチェル カーソン,の「沈黙の春」という本の冒頭部分を思い出しました。よかったら 検索してみてください。この本は、春だというのに生き物の気配が無くなった世界の描写で始まっていて、感動ものです。この本の場合は、農薬の危険性を訴えています。そして、この本の場合は、現実の社会において 農薬はいけないという考え方を定着させました。(えらそうに言うてますけど、冒頭しか読んだことないです。) この本の中でも 鳥が鳴いていないことが描写されているのですが、そういう意味では この詩と似ています。  さて、実際のマリウポリでは ほんとうに鳥が鳴いてないのでしょうか?花が すこしも 本当に、ないのでしょうか? わたしは 広島の人なのですが、広島では 原爆のあとに 植物が芽吹いたり花を咲かせたりしました。そのことが、人々にとって ことのほか鮮やかだったそうです。そして、とても励まさせたりもしたそうです。 マリウポリの映像は、破壊された噴煙の様子ばかりですよね。花なんて、すこしも花が咲いてないかのようです。ですが、私は 咲いていて ほしいです。スミレくらいはあるかもしれない気がします。画面にはないけれど、咲いていてほしいです。 現地の方が「プーチンに罰を」と おっしゃるのも お気持ちはとてもよく解るのてすが、ものごとには順番がある気がします。 他人事のように聞こえるかもしれませんが、わたしの場合は、罰よりも前に、まずは プーチンさんには、早まるようなことだけは してほしくないです。 たとえば、核のボタンを、押してほしくないです。原爆もコワいですが、科学兵器も恐いです。それは、やめてほしい。そんなものを、落としてしまったら、その罰をうけるのは プーチンさんではないです。現地の方々だけでもないです。その周辺の国(場合によっては、ロシア)の子々孫々の方々も です。ほんとうに 他の生き物も ひっくるめて、本当に沈黙してしまいます。 どうぞ どうぞ 戦火がおさまりますように。 つい長文になりました。失礼しました。 (春のない街マリウポリ)

2022-04-07

ご批評ありがとうございました。残念ながら 私の読解力には問題があるのかもしれません。せっかく いただいたコメントの意味が 二点ほど 解りませんでした。 一つは、口語の調べが雑という感覚が 私には、よくわかりませんでした。 文語調の調べに難がある場合は わかりやすいのですが、この詩の口語部分は 話し言葉ですが 話し言葉の調子が雑だったのですね。ラップのように 韻を踏めば回避だきたのかしらと あれこれ考えてはみたのですが、わかりませんでした。 もう一つは、過去作との比較です。どうやら この作品は、過去作との比較すると不出来だったのですね。ここだけの話ですが、三浦果実さんが私の作品を お気に召したことがあるということを 今、初めて認識しました。私の作品は、三浦果実さんにとって どのような作品の書き手なのでしょうか?それがわからずにいるので、せっかくいただいたコメントも、ほぼ 意味が解らなかった。と、いうが正直な気持ちです。 コメントの意味を呑み込むことができずに申し訳ないです。しかし、おかげ様で元気はいただきました。なんやわかららんが、自由に書くしかないという気持ちになっているところです。 ここからが勝負のような気がしてきました。コメントを励ましの言葉として受け取らせていただきます。ありがとうございました。     (蜜の匂いが焼けている)

2022-04-02

この詩の気に入ってくださった点を具体的な書いていただき嬉しく思います。ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』を存じ上げないのですが、 わたしの書いたことから すぐれた作家の方の世界を広げていただけて光栄に感じています。ありがとうございました。 (蜜の匂いが焼けている)

2022-04-02

毒々しいモノを書いたとは、自分でも思っています。 関係ない話を ひとつさせてください。 トムとジェリーというアメリカアニメの中に、ジェリーを皿の中に眠るようにうながして、トムがとてもやさしく生地のような おとんをかけて そのふちをやさしく手で押すシーンが、私は忘れられません。おちこんだ日は、主人に パイ包みと言われながら おふとんをかけてもらうことにしているほどです。(なにを言ってるのかわかりませんよね。失礼しました。言いたかっただけです。毒々しいのを書いた反動だと思ってください。) (蜜の匂いが焼けている)

2022-03-31

随所に戦争を想起するように ことばを えらびました。 「羽音の蜂起」の箇所は、書こうか書かずに置こうかと ずいぶん 迷いましたが、 結局は、蜂起という言葉も 挿入してみました。 だから、コメントを嬉しく思いました。ありがとうございます。 (蜜の匂いが焼けている)

2022-03-31

私の技巧云々は、ことばによる工作が すこしはできているようなので安心しました。それよりも お父様の耳に蜂が入ったことで鼓膜が破れておしまいになったのです。 じつは、先日 私の耳に蜂が入りかけました。羽音から おそらく蜂のサイズ感でした。その経験をそのまま ことばにしてみました。耳朶の形を昆虫が 見誤る例が、私の経験の他にもあることを知り、驚いています。昆虫の目は 人間の見ることのできない波長の色も識別できるそうです。なので、お父様と私は花に類似した波長の色彩を放つ耳なのかもしれません。 わけのわからないお返事になってしまいましたが、あの耳穴ゲリラ事件の体験が一人だけでなくて、有難いような申し訳ないような気持ちになりつつ、鷹枕可さんのことが 以前よりも身近な方のように思えています。コメントをありがとうございます。 (蜜の匂いが焼けている)

2022-03-31

前作の「老猫よ 」も 拝読いたしました。前作の老猫のかすかだがたしかな息遣いとともに古色を帯びた風景に魅入れておりました。すると、この作品では どうやら あの猫は しずかに息をひきとったのですね。丹念な筆致で書いておられて 私の胸を打ちました。 (今朝、愛猫が死んだ)

2022-03-26

トロとは 吐露のことかもしれないと 思いながら、拝読しました。 (旅)

2022-03-23

つづきを 楽しみにしています。 (無題)

2022-03-23

すみません。苦言になります。 聞き取りたかったです。音楽の音に声が書き消されて わからなかった箇所がありました。 言葉をぼやかす効果だったりしますか? わたしの場合は、最後まで 耐えてでも がんばって聞くことは できなかったです。 (敢えて彼に名前を付けるのはどうだろう)

2022-03-22

まっすぐなお気持ちが 詩文から まっすぐに こちらに届いてくる感じがします。 ただ わたしには、冒頭の一文がよくわからなかったです。 (ONE LEVEL AND TWO VERTICALS)

2022-03-22

おはようございます。と、書き始めようとしましたが、この詩には どうやら たくさんのこどもたちの挨拶がありますね。おや、どうもどうも この『こども』という詩の 子供達は、天真爛漫であるかのように明朗な挨拶をしているけれど、けして 天衣無縫ではないようです。 地元民しか遊んではいけないテリトリーがあったり、なにやら巨大な船に乗る決心をしようとすることになるが、いままでは ちょい悪な遊びしかしてきてはいない。そして、たいていの比喩は海洋船でイメージされているが、最後には 西に倒れる列車にのっている。 個人的には、この詩の表題はむしろ『おとな』と、名づけるべきで 『こども』とは、大人を子供あつかいする仕組みを 批評しているのではないかと感じました。 余談になりますが、私の父と その父は、造船を生業としてました。軍需産業で有名な企業でした。 わたしは、こわいことを こわいとも言える こどもがいてほしいと おもいました。 舵取りは、おとなではなく、そんなこどもの意思の くめる大人であってほしいとも おもいました。 わたしは、そんな大人を 目指します。決意が できたのが、感謝です。ありがとうございます。 (こども)

2022-03-20

初めてこの詩を読んだときの印象は、ピカソのゲルニカみたいだと思いました。 単に戦争を連想したと言っているのではないです。ゲルニカの絵はパーツ パーツのそれぞれのインパクトが強く、一部分だけを見ても 迫力があります。この詩も 鮮烈な表現が多くて唖然といたしました。言葉をなくすって、ヤツでした。 そうはいっても、なにかコメントを書きたいと思いました。わたしには、無理です。 では、詩では どうだろう。 詩であるなら、もしかしたら支離滅裂になってしまったとしても るるさんの詩だから、しょうがないと 思ってくださるかもしれないです。 という訳で お返事の代わりに詩を書きましたので、よろしくです。 ******************* 「それでも土が、開眼する」 現在ではウクライナに属している地方で生まれたパウル・ツェランが 活字にしようとしたのも 誰でもないものの薔薇だったという そして今、 かの地の中心地を死守しようとする普段着の人々 過去のことではないが未来のことでもなく、いま 活字にしようとする人々によって 自らの腑に落ちることばを 自らの内面を解剖し 生々しく鼓動する感情のひとつひとつの匂いを嗅ぐ アクエリアス どうぞ 清浄をください こころの血も分析しつくした血漿に 健やかに酸素を運ぶヘモグロビンを泳がせてください 原爆の生みの父親オッペンハイマーは、 後悔していたのだと かの人に伝えてください リトルボーイとよばれた爆弾の弟だかを かの人が 産み落とさないよう  誰か、誰か 伝えてください そこのお父さん そこのあなた、なにか喋ってください そこのお母さんも YouTube先生も 嗚呼、誰か  だれのものでもない薔薇の名前を呼ぶ声がする (風は、失明した)

2022-03-19

おはようございます。 わたしは、広島在住で 広島で教育を受けて育った者です。教育においても 生活をしていても 被爆者の方のお話を聞く機会が、ほかの地域の方よりも 多い地域に住んでいます。 >一面の焼跡の許に産まれた、 >名も無い、手という手は >ケロイドの空へ >翳され、 >掴もうと延ばされた >あらゆる、 >人の容 >皆異なる、ゆめを風へと託つ ↑この詩表現で示しておられることを 私は実体験をお持ちの方の様々な方々のお話で聞いてきました。 >受話器の此方、或る兄妹の死は、象徴とされ >骨の砂は、荘厳にも、戦没者慰霊碑へと纏めて国葬をされる ↑この詩表現を拝読して、私の親友の話を思いました。その子は、現在では平和公園敷地内となった場所に 自分の家があった子です。すべてのモノが焼き尽くされた後に、人々は自力で家を建てましたが、それらは撤去され、綺麗に更地となった後に、平和の象徴である公園をつくるために すべてが 取り壊されて、慰霊のための緑の公園や たくさんの碑がおかれました。  どの碑や平和を促すためのどの建物の周りにも、焦土になった前と後の どちらにも ほんとうは人々の家屋がありました。 そのすべてが漂白されて、緑が植えられ、想起すれば身がすくむようなことは想起しないようにして、世界の人々に考えてもらいやすいように立派で綺麗なモノがおかれています。しかし、 そして、今は。かつてないほどの大きな声で、核の恐怖をもって 人々は脅されています。 >いつか焦土となる わたしは、広島で育つにあたって 次に 戦争で核が使用されるとしたら、そのときは地球がないだろうと 言われて育ちました。 わたしは、戦争で核が使用されないことを 祈らずにはいられません。 (ふたつの鐘がなるころは)

2022-03-09

星が みているから ひとりではないと いう視座は、 肩を落として ガッカリと 背中をまるめてすごしている人に、ふと 顔をあげさせ、 自分に たちかえさせてくれる視座だなあ。と、おもいました。 (すたあ)

2022-03-09

●作者様へ わたしは、一月の投稿月の期間中に、本作品を 良いとは思わなかったことは 既に書いたので 月間賞該当作品をあらためて語るというこのスレッドには なにも書かずにおこうとおもっていたのですが、作者様に一点だけ 作者様に言い忘れていたことがあるので、言います。  ご承知のとおり、私の場合は この作品投稿の該当月には、このドラマの女性だけに 感情移入をして憤慨して読んだことは、既に ご存知のとおりです。 読者に対して書かれた美しい言葉の箇所を、みうらさんのような方が やたら絶賛しておられ、それがまた 私の首を大きく傾げる理由になったりもました。 私の場合は この女性の気持ちは 大丈夫かしらと 思わずにはいられなかったんです。話し手が 記述している温かい感懐を、はたして その女性に とどけたのだろうか。と、そんなことが 私の場合は やたら気になりました。 この詩の世界はコミニケションではなく、デスコミュニケーションな様子だと、私の場合は感じて うすら寒いと、感じたわけです。もっと正直にいうなら、つまり、セクハラだと感じました。 そんなことをあらためて書かなくても、この詩のことを 私が嫌いなのは、バレバレです。ただ、私は言い忘れてたことがありました。私が この詩に なぜか魅入られたのも事実なんです。それは、お伝えしてませんでした。私は、また おりをみて この詩を読み返してみようと思います。 一月の月間賞 おめでとうございました。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-04

糸電話が主題であるところに、魅力を感じました。 糸電話には糸のはりかたや 長さが 大切だけれど、そもそもが ふたりっきりで 声を かけあうし、糸電話をしましようという 了解がないと できないので、普通の電話やスマホより 親密なところが 糸電話って、いいですね。 最後の連では、糸電話を捨てたり 直接 かかわりあうのかもしれないという終わり方ですね。糸電話みたいな関係の 切なさを 書いておられるのだけど、距離の はかりかたを 吟味している ふたりって、セクシーだと おもいました。 (距離感)

2022-03-04

「今日も 貴女が 歌っています」の1行に 注目してくださり ありがとうございます。 とてもかわいい声の方でした。同じ声を思い浮かべる方が書き込みをくださって、嬉しいです。ああこんなふうに 彼女は、みんなの心に住んでいるのですね。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-03-03

体調が お悪い中、私の返事を読んでいただいただけでなく、返事まで書いてくださり ありがとうございます。おかげさまで 田中修子さんのことを より深くおもうことができました。なによりお体を大切になさってください。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-03-03

ありがとうございます。さくらさんの ことばが腑に落ちて、血肉になるのを感じました。 そうですね。さくらさんの思い出となり、既に 彼女は私の中で生きています。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-03-03

あ。三重より、たくさん みたいです。 (病的な愛)

2022-03-02

三重投稿に なってるみたいです。 コメントは、ひとつのところに あつめませんか? ここに、書くというのは、どうでしょうか? (病的な愛)

2022-03-02

おはようございます。 返信が遅くなり大変失礼しています。 頂いたコメントを 何度も何度も読み返させていただいているうちに、こんなにも時間が経過してしまいました。 わたしは、田中修子さんのことが好きです。それは修子さんという詩人が好きだというより、田中修子さんという人間が好きです。彼女はツイキャスというリアルタイムでの音声での交流を しておられました。私は、彼女の声が好きです。そして、彼女の佇まい全体が、好きだったのです。 テキストから感じられる彼女は、確かに 血が逆さに滴るような詩を多くお書きになる方でした。しかし、ツイキャスでは 視聴者の掲示した題名に 即興詩 を その場で音声にて 届けることが おできになる方でもありました。ある夜のことです。私は 「無花果」と課題を出させていただきました。そのときに 私にむけて 即興で作ってくださった詩は、とても 素晴らしいものでした。私は、たくさん詩を書いてきましたが、あの晩の田中修子さんの詩を超えるものを書いたことはありません。 さて、私の田中修子さんの思い出話は これくらいにしておきます。室町さんが私にくださったコメントで 私がもっとも読み返した箇所について、お話をさせてください。 「稲妻のような衝撃というのは 人間は死ぬのだなという当たり前のことが 身に迫ってきたからです。」という箇所が、ソレです。 わたしくしごとを書かせて頂くなら、私には 一年のうちに家族を三人亡くした年があります。それぞれ違う死因で亡くなりました。それは、稲妻のような衝撃という表現が、とても あてはまる心境でした。とくに、年下である弟の死を乗り越えるのは とても難しく感じました。そして、田中修子さんも 私にとっては 年下の方でした。 私は、自分でも自覚はしていませんでしたが、死期には年功序列だという錯覚をもっていたようです。それで、私は 年下の方が亡くなると、心が張り裂けるように痛いのかもしれまん。 私は、年を重ねるたびに 年齢も重ねます。しかし、私より年下の修子さんは 永遠に、わかくてあいらしくて 私にとって 愛おしい声質のままです。 彼女は先に逝かれました。私も いつかは 必ず 死にます。人は、それぞれが違う時期に違うタイミングで死を迎えます。 そして、これからも 心の近しい人が亡くなると 深いショックを受けることでしよう。しかし、心を近くしている者同士は、その心が近ければ近いほど、決して 同時期には 亡くなっては いけません。 私は、家族を一年のうちに三人亡くしたことがありますが、私は 生きています。私は、近しい人を三人亡くしても、私まで死んだのではないのですから、亡くなった方を 思うことができます。そして、かれらは 私の中で 生きているのです。 心が近しい者同志は 決して 同時期に亡くなってはならない。これと同じ理由から、私は かなり昔から 戦争反対の立場をとっているところです。 (『幻肢』(田中修子さんに捧ぐ))

2022-03-02

依存だと思うなら、それは たいせつな メッセージ。やすんでください。 (ネット依存してる私は死ね)

2022-02-21

黒髪さん おはようございます。 花はなぜかしらきれいである 詩はどうしてもきれいになる という詩文に触れたとき、わたしは  このようなことを お書きになれる方がいらっしゃるのだから 詩を書き続けても良いと、私は私に 許可を出すことができました。 自分を失くして自分だけを思うようなことは続かない ということをお書きになる方が ここに、いらっしゃるのだから わたしも 自分だけではないことを想うことを目指せば良いと、思えました。 ありがとうございます。 (モノと心)

2022-02-02

こんにちは「涙ぐむ28の夜 」という題名に 感じるものがありましたのでコメントを書かせていただきます。「 涙ぐむ28の夜 」とは、おそらく28歳という年齢のことだろうと解釈しました。 すこしだけ 私自身の話をします。 わたしには、すこしかわった あだ名で呼ばれたことがあります。 「おばちゃん」と小学校のころに呼ばれていました。理由は、よくわかってはいないです。ただ、年を重ねて二十代の後半くらいになると、子どもの頃に私のことを「おばちゃん」と言っていた友達たちは、だれひとりとして私のことを「 おばちゃん 」とは言わなくなりました。 その理由は、分かります。仲の良い友人に対して「 おばちゃん 」と呼んだりすると、自分が傷ついてしまう年齢、それが 二十代の後半くらいだからだと思います。 友人や兄弟姉妹に子どもがいてもおかしくはない年齢において 「おばちゃん」とか「おばさん」とかの言葉は、ぐさぐさと 胸にきてしまう、だから 私の友人たちは、 二十代の後半くらいになると、私を子どもの頃の 呼び名では呼ばなくなったんです。 せっかく、この詩が拝読できたので、この筆者の楽子さんに あらたな おばさんのイメージを追加していただけないかと思いコメントをしています。 その 有形であるはずの 細身から太みまでさまざまある伸びやかさという名の 単純化されたシルエットの中で ここの箇所を読んで思ったのですが、この単純化されたシルエットの中にいる人物は中高年女性ですよね。わかりますとも。しかし、年齢が中高年ではない 年少の私(るる)も、たまに おばさんのイメージの中に いれていただけたらなあ。と、思います。 そしたら、涙をぬぐう たすけになるきがします。楽子さんの詩は なんだか好きです、次回作を楽しみにしてます。ではまた。 (涙ぐむ28の夜)

2022-01-26

お答えします。 わたしは、女性です。ネット詩歴もあります。おばさんといえる年齢です。そして、「下手くそ」と、言われたことも多数あります。こちらが礼をつくしているのに先方から「負け惜しみか」と言う態度でマウンテングをとられた経験も、そこそこ あります。かなり酷しい 評をよせられたことも、多数です。 しかし、そのようなセリフを私にくれた人々は、自身の詩作品を担保に発言しておられました。だから、私は真剣に「ご意見参考になります。」だとかの御礼を書いたことも しばしばです。 貴方の場合は、どうでしょうか?ハンドルもなく、ご自身の詩作品を担保にするでもなく、年配の女性詩人たちの群像を、その身体の悲しさも ふまえてお書きになっておられます。あなたになにがわかるのでしょう。 あなたは彼女たちに興味はないが、彼女たちには 夢がある。そこは、そのとおりです。ですが 「ありがとうございます」 なんて いってるよ。どうも謎だね。と いわんばかりです。ざわざわとする読後感でした。 このあたりが、なにやら バカにされている感じがしております。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-22

わたしの個人的意見ですが、この文と同様なことを 私も思いました。この文はある種の人の『人間性を貶める文』であると、思いました。 このサイトは、詩だけを 掲載する場所ではないので 詩である必要はないのは筆者様の仰る通りです。 私は、私の言葉で この文が、なぜ『人間性を貶める文である』ことを お話することも 可能です。ですが、筆者の気持ちを傾聴しようと される姿勢が すばらしいと 感じたので、なにも申しません。YUMENOKENZIさんの作品を 楽しみにさせていただきます。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-19

三浦果実さん こんにちは。 私が この作品を読んで気になったなのは、三点です。 ひとつは、ディアハンター。なぜ カタカナの言葉なのだろう。 もうひとつは、ディアハンターという言葉と東南アジアの島国との組み合わせです。東南アジアの中で英語圏の侵略にあったことのある国の話が この詩なんだろうな。でも私は 不勉強なので、この国が 具体的にどのような名前の国かがビンとこず、自分の無知にびっくりしました。たぶん 日本は かつて その国にとって良からぬことをした歴史があるんじやあないかしら。そんな気が します。この詩は 全体的に乾いていて、言葉がするすると 流れていきます。 けれど、この二点よりもっと 気になったのは、そこではないです。最近の三浦さんの作品に「無題」のものが多いことが、一番 気になりました。ストーリーティナ―三浦さんは お喋りが上手な方。だけど、読者がもう一度 三浦さんの詩を読みかえすための題名を 記そうとしておられない。なんでです? そこが残念です。できることなら、もうすこしだけ読者に親切にしていただきたいです。 (無題)

2022-01-17

理解していただけないコメントを 私は書いてしまった気がするので つけくわえます。 スカラベのように 尊いと いう意味のことを 書きましたが、スカラベを みみずと 読みかえて いただいたほうが 良いかも しれません。 わたしの昨年は、家族の 下のことで いろんな思いを いだきました。そんな私には この詩は、尊いものだったんです。 (肛門のリアリティ)

2022-01-16

「昆虫のような眼差し」に、グットきました。なんだか、エジプトのフンコロガシ(スカラベ)みたいで 尊いです。 (肛門のリアリティ)

2022-01-16

こんにちは 私はこの作品を読んで まず思ったのは 私(るる)には、「怒り」という感情は できることであるならば、ないほうが良いという思い込みがあったのだな。と、気づかされました。 何度も繰り返して書いておられる「怒りあれ」という言葉は、読んでいるうちにikariはhikariに 響きが似たところがあるなあとも ちょっと想いました。 「君だけの怒り」とあるので この作品で言っておらせる怒りとは 誰かに分かってもらえるようなことや 誰かと共通な敵を持つとかいうような感情のことではなく、自分が自分に抱いている理想であるために足りていない点に対する怒りなのだろうな。と思いました。それならば、その人らしさを追求するための情熱の火となるはずです。それが、 この詩でいうところの「君だけの怒り」なんだろうなあ。なるほどなあ。と思いました。 わたしも この詩でいうところの、私だけの怒りをしっかり持って、生活したいです。 (怒りあれ)

2022-01-15

布団は宇宙船。名言ですね。 ただの 本当にみた 夢を書いてみました。夢落ち、て 言葉があるけれど 夢上り だったりします。 (ただの、一点。)

2022-01-14

こんにちは はじめて 読んでいるときに「キリンと一緒に食事をしてね」という文に出会ったときは 麒麟が想像の中で浮かんだのですが、ゴキブリにキャーとかいっている人がでてきたあたりから、とても愛らしい たぶん首のながいキリンさんのキリンの言葉の世界につつまれました。 わたしも 金の王様や キリンさんや、この恋人同志さんに キリンの言葉で一日のお礼が言いたいです。 どうぞ私のかわりに キリンの言葉で お伝えください。「おかげですてきな 一日になりました。ありがとうございます。」ちなみに、私は るるりらとも申します。(ハンドルを変えました) (あなたとキリンとパノラマ屋敷)

2022-01-13

悪にも善にもなることができると 考えてみました。 野草て、毒にも薬にもなるそうです。七草粥を食べる風習て、日本の風習だけど すこし西欧の魔女に イメージが似ている気もします。魔女裁判をするような方は このサイトにはいなさそうで嬉しいです。 (小鬼たべらこ)

2022-01-13

仏を想像する時には、なんだか救われる感じがします。 オニは その逆なのでしようかね。私も じぶんをうしなって激怒した ひとをみたことがあります。なにもかも壊す覚悟のようなものにとりつかれて おられる感じでした。わたしがであったのも 鬼だったと感じます。 もしかしたら じぶんをうしなわないと 仏に出会えるのでしょうか じぶんをうしなったときに、なってしまうのが鬼なのかもしれません。 (小鬼たべらこ)

2022-01-13

仏を想像する時には、なんだか救われる感じがします。 オニは その逆なのでしようかね。私も じぶんをうしなって激怒した ひとをみたことがあります。なにもかも壊す覚悟のようなものにとりつかれて おられる感じでした。わたしがであったのも 鬼だったと感じます。 もしかしたら じぶんをうしなわないと 仏に出会えるのでしょうか じぶんをうしなったときに、なってしまうのが鬼なのかもしれません。 (小鬼たべらこ)

2022-01-13

率直な感想を書かせていただきます。この詩の冒頭にあるやりとりを、私が女性だからか もしれませんが、とても嫌な やりとりだと感じました。Twitterというものは 年齢を明らかにしないで不特定多数の方と やりとりのできるツールであるのに、実際には会ったこともない方に「その時に曲げられる、老いはじめた背中たちの総観」などと 根拠なく 身体を想像されてしまうことは、私にも あり得ることであるだけに、とても嫌なことを言う人だ。と思いました。しかし、下記の文章は 美しいです。 毎日の料理や洗濯の境を穿って、その窪みを彼女たちの龕にし、それに熱烈な跪拝をする修道女へと変身する時があることが分かった。  私にも龕を持っているかもしれない。 そして それは修道女の慎ましくも聖なるものなのかもしれないと そのように思え 励まされた思いがしています。 そして、わたしは言いたいです。 「この詩文のようなモノは、女性という生き物が 好きだから書いているのですか?」 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-11

この作品は どうやら外界と家族の関係が 二項対立になっているみたいですね。 この作品の父親らしい話し手は 息子たち一人一人の独自の考えてを持たせようとはしない。そして、兄弟同志では和することを願っている。どこかで聞いたことのある話だと思いました。そして、ああ この家族の構造は カルトと似ているなあ。と、個人的には思いました。 (かくれんぼ)

2022-01-11

コメントではないことを書きます。同じ題名の投稿を、拝見しました。 コメントを お書きになりたい方は、このコメント欄に お書きになることを、オススメします。 (線のうえ)

2022-01-10

コメント欄に、コメントではないことを書く失礼を お許しください。二十投稿だと お見受けしました。 コメントされる方は、現在の閲覧者の多めのほうに もうひとつの作品に 書くと 、良いきがします。 賛同のかたは、あちらに コメントをお書きください。 (線のうえ)

2022-01-10

点子ちゃんは、「ぬこ」ちゃんかもしれません。あれ?もしかして猫かもしれないと、いう 意味だったのかなあ。 「ね」と「ぬ」は、似ています。どちらも、ふたつの線でできています。 どちらも、二匹の黒猫の尻尾が もつれあってるような形です。 コメントをありがとうございます。 (しっぽで お月様を 感じながら)

2021-10-22

藤さんのコメントは ふたつの点で嬉しかったです。 ひとつは、夜な夜な、むやむや、ふみふみです。考えてみたら、三つのう(ふみふみ)は、踏み踏みだろうという推測が容易いでしょうが、(むやむや)は、漢字にあてはめ難いですね。ネタバレになりますが、(うやむや)も候補にあったのですが、(むやむや)を選んでよかったです。他の方のコメントに(夢や夢や)という漢字をあててくださっているのをみて、あー、謎の感動を持ちました。 もうひとつは、「もしかしたら違う生き物」と、いうコメントが楽しかったです。たいていの読者のみなさんには、尻尾がおありではないはずです。もしかしたら違う生き物と、思われたということは、もしかしたら同じ生き物かもしれないと お感じになられた気配を感じました。 どんな生き物と、違うのでしょう。もしくは、同じなのでしょう。 わたしは、この詩を書いているときに、尾骶骨あたりに感覚器官をもっているつもりで月を感じようとしてました。 そのような視座は、もしかしたら妖精や魔物と 通じているかもしれません。好評ありがとうございます。 (しっぽで お月様を 感じながら)

2021-10-22

点子ちゃんは、年齢不詳です。 可愛いとは、いったい なになのでしょうね。 むかし、道を歩いていると、『花屋はどこですか?』と、きかれて『あー。あの可愛いお店は、……』と、こたえると『外国暮らしがながくて、日本語を忘れているんですが、可愛いて、ちいさいという意味であってますか?』と、言われました。 なにが、いいたいかと いうと、可愛いとは、ちいさい。て、意味もありますね。 ひたすら、可愛くありたい人には、首を傾げても 無理はないです。 わたしは、そのあの。かわいいです、あは (しっぽで お月様を 感じながら)

2021-10-22

夢や夢や なるほど、夢は、『む』と、読みますものね。すてきな解釈を、ありがとうございます。 (しっぽで お月様を 感じながら)

2021-10-22

なぜ湯煙さんが、わたしに(なぜこの詩を投稿したのか)を、ちょっと寒さを感じる朝日に、ツキを感じながら考えると、お湯を湧かす湯気が、猫のしっぽのように まるで いきもののよいに、ゆれているのを 感じました。お読みいただきありがとうございます。 (しっぽで お月様を 感じながら)

2021-10-22

この詩にでてくる男性は、明治時代をイメージしてます。明治時代といえば、わたしの場合は 祖父が明治生まれでした。仁丹という謎の種のようなお菓子を、よくもらいました。 この詩の おひげの紳士は、仁丹て名前のパッケージに描かれていた紳士を参考にしました。無表情だけど、私は 彼を思うと、やさしい気持ちになります。 (【点子と あの方】作・点子)

2021-10-22

案外、汽車を愛でていたのかもしれませんね。夏目漱石の【吾輩は猫である】と、【草枕】を参考にしました。この汽車は、漱石の時代をイメージししました。 (【点子が、ゆく】 作・点子)

2021-10-22

私にとって この詩は、正直いうと すっきりはっきり「解つた」とは言えない詩です。わからないから惹きつけられ。それが、私にとってのこの詩です。 この詩は 読む人によって いろいろに受け取れる可読性がある詩だからだと思います。 ちなみに、わたしの場合は、この詩はどんなイメージの作品か言いますと、この詩でいうところの花とは、希望という言葉が近い気がします。 希望を失うと、希望になるようなような要因を みいだせなくなる。そして、絶望した人の傍に寄り添う人も きっと居るでょうが、それは憐憫。悲しさの共有。つらいことは 全く変化をしない。そして、 「いつもごめんなさい」と「いつも ありがとう」という言葉が交互に とつとつと生まれてくる感じがする。 こんな読み方をした私にとって、結語は とても素敵でした。 >結語の死んでいく、生まれていく、いつまでも、 っと死&死。そして死でしたのに さいごの 【生まれていく、】が、私には温かく感じられ、そして、ジンときました。 (花)

2021-10-02

百均さん。お返事がたいへん遅くなり失礼しています。 なんども百均さんのコメントを読み そのたびに 嬉しい気持ちでいっぱいになります。 この話は、口述で さまざまな人に 喋ってきた話なのです。浮遊者が二人いると書いたのは、私の実力でもなんでもなく、私からしたら ただの報告として そうだったんですよ。ということではあるのですが、私のドキドキのような感情が 百均さんに伝わったことが よく分かりました。とても嬉しいです。 喋っているうちに、浮遊を体験した当事者でない人は、この話を聞いたら霊と捉えることを知り、表現上では そこを取り入れたりしました。お婆ちゃんは、自身が死んだかとほんとうに思ったらしく、ほんとうに怖かったようです。案外と、このような理由で死を迎えた方は いらっしゃるのではないかと 個人的には思っています。 できるかぎりの言葉をつくして この詩を評してくださって、身にあまる喜びです。お婆ちゃんも喜んでいると思います。身を超越して、お礼を申し上げます。ありがとうございました。これからも 百均さんのご活躍を楽しみにしています。 (【百物語】視る)

2021-09-30

あら 朗読をしてくださったのですか?それは お聞きしたかったです。読んでくださってありがとうございます。 お婆ちゃんは このあと 二十年は生きました。自分でも何を書いているか、よく分からないのですが、 へんな話だと 思います。変な話ですよね。 (【百物語】視る)

2021-09-27

私は、他人から聞いた変な話は どんなに まことしやかであっても、信じないことにしている。けれど、もし自分自身が見てしまったことは、どんなに変なことでも 信じるしかない。 ↑これは、いらなかったかもしれません。ご指摘ありがとうございます。実は、この話。自分でも信じてよいものかどうか 迷うのですが、本当の話しかしていないと 感じていて、自分でも 謎であることは、前置きに書かずにいられなかったです。 (【百物語】視る)

2021-09-27

きょこちさん お父さまの大切なお話をしてくださって ありがとうございます。 おもえば、私は この詩に於いて 自分の話を まるで書いてませんでした。 自分が欠落した詩でした。もっと 父に笑顔になってもらえるものを書くべきでした。 ふかい気づきをいただきました。ありがとうございます。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-09-27

きょこちさん コメントありがとうございます。亡くなられた方々へ、残された者が思う気持ち、私は それを書いたつもりです。 私自身も父を亡くしています。この詩のキヨコさんは お父様を亡くされました。 私も父のことは、よく思い出します。私もこの方も 父親のことが好きです。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-09-25

匂いは、体験した方でないと 解らないことかも しれません。 この詩のモデルの方は、見ていたのではなく その匂いを嗅いでいたのかもしれません。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-09-25

夏村木さんコメントありがとうございます。火垂るの墓は、私も見たのですが おっしゃっているようなことが あの作品で言われていたかは、記憶にないです。けれど、廣嶋の原爆の場合は 相生橋という 美しい名前の橋が投下の目印となっていたという話は、私も聞いたことがあります。 日本の国土はほとんどが山で、人が集まる場所のほとんどに川があります。広島の場合だと、現在の市のマークが川をモチーフとしているくらいです。当然 橋もたくさんあります。原爆が落ちたのは たくさんある三角州の中でも その中心にある三角州でした。海までは かなりの距離がある場所でしたが、投下直後は 海が見えたようです。つまり、たくさんの建物がすべて焼き尽くされ、海が見えるようになっていました。そんなに燃えたのですから、爆弾による爆風と その後の二次災害の火事で かなりの灼熱であったことでしょう。 水を求めて 多くの人が川に 逃げようとした聞いています。かなりの火傷を負った人が急に水に飛び込むと、身体がかなりの打撃を受けます。川に飛び込んだせいで、すぐに亡くなったという方も多かったとも聞いています。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-09-25

"橋の欄干から”身を乗り出”"すに、注目していただきありがとうございます。 この詩には、モデルとなった方が 実際におられまして、"橋の欄干から”身を乗り出”"す動作を実際にしておられた姿が なぜだか とても印象に残っていたものですから、書かせていただきました。私も欄干から身を乗り出すことはありますが、通常であれば 魚つりの人が居るとか 鳥や魚を見つけたときですが、そのときは なにかが それらとは違っていました。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-09-25

こんばんは。今日 とある目的のために列車にのりました。ハプニングがあり 目的が 果たせずに 帰路に向かう道すがら 本作品を読みました。秋の虫が すずしそうに鳴いてました。 物事が段取り良く進むと それはそれで 良いのでしょうが、できもしないさことに猛進するより、虫の声がきけたし、今日の私は うまくはいかなかったが、よかった。と、思えました。この詩のおかげです。ありがとうございます。 (憧れという名の列車)

2021-09-22

こんにちは わたしは、この詩を読んで 私には元来は 仲が良いのに なかたがいをしている友人を 思いました。そして、連絡をとってみようとおもおもいました。へんな線引きは、マイナスだと思ったからです。 ありがとうございます。 それと、四連目のところで ちょっと私と すこし感覚の違いをかんじました。 コップの水を海は、私にとっては斬新でした。私にとっては 私達の身体にながれる水分が、海のイメージでした。(塩分とか、さまざまな菌とかです。) 海かあ。と、思ったのです。 海だと思うと、元気でますね。 読めてよかったです。ありがとうございます。 (海と言う、空と言う)

2021-09-17

ご助言ありがとうございます。先人の詩は 少しづつ読み深めていこうと思っています。 貴方と私との会話に齟齬が生じているのは、貴方と私とでは 重点を置いている点が違うことからきていると思います。 貴方は、良い詩を書くには どのようにしたら良いかを語っておられます。そして、戦争というものは先人の詩人から学べと、私に助言をしておられます。  それに対して、私は良い詩を書こうとしてはいません。私は、リアルに出会っている戦争体験者の方と どのように接したいかを 書いています。それが解りたいために私がいままでにしてきたことは、読書ではありませんでした。より多くの普通の人々(詩人でもなんでもない人という意味の人)の証言を聞こうとしたり、資料館に足を運んだりというリアルに則したことを 見聞したいと思って行動してきました。それもこれも現実に生きておられる方とのコミニケションのための見聞と比べて、詩作のための勉強は 私にとっての優先順位が 低いかったのが、私の現実です。現実を打破するために、書いているので、「好きなように書きたいことを書く」といういう言葉を発するに至りました。そして、いまも ひとつの私自身の精神的節目を得たという点で、私は この拙詩を書いてよかったと 今も思っています。  しかし、これからは、すこしつづ 先人の詩人たちの描いてこられた戦争の詩も読み深めていきます。ご助言ありがとうございました。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-17

コメントありがとうございました。 広島の現在は、大雨後か 大雨中なのかの 瀬戸際にあるため。返信を しばらくしない失礼をお許しください。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-15

丁寧な返信を ありがとうございます。 自分が体験したことない出来事を、つまり他者の体験を 自分のことのように「感じる」ことは、できません。だから、人様の体験を語るときは、注意が必要だというご意見に 私も 全くそのとおりであると思います。 私は、この詩で 作中の話し手が 戦争でお父さまを亡くされた方のお気持ちを おもんばかろうとしている詩を書きました。話し手は、原爆が投下される前の廣島は 経験のない者にとって【架空】であると、私は言わせています。つまり、私も 廣島でおきたことは嘘にしか感じられない。と、詩文の中で すでに語らせているわけです。 私は、この詩の中で 戦争の実相について なにひとつ語っていません。{たとえば、爆撃でやけどを負った痛みであるとか、子供を失う痛みや悲しみとかを}書いていないのは、そのような体験をしたのない私には、「感じる」ことが、できないことだからです。 では、人は 自分の経験のない事柄からくる他人の痛みの激しさを ほんとうに解ることはないのでしょうか?私は、人は 他人を分かろうとする唯一の動物であると信じます。 たとえば、事故や災害で たいへんお辛い境遇を体験をされた方が、PTSDとも思える反応をしめしておいでの場合があるとします。その場合には 他者にでも、ああそれほどまでに 深い傷を負われたのだなあと、おもんばかることができるではありませんか?心理カウンセラーでもなんでもなくとも、ふと ああ この方には 本当に深い心の傷がおありだと、感じることは あります。 私事となりますが、私は ある年に 一年のうちに三人(弟、父それと祖父)の血縁者を亡くした年がありました。そして、その頃にも戦争に関わる詩を書きました。簡単に内容を申せば<家族が同時に三人亡くなるということは、戦争だ。戦争とは、これが 世界規模で おこるということなのだ>という内容でした。そのときも 悩みました。戦争を知らないのに、自分でも生意気だと思ったからです。 この詩のいたらなさについても、これから ゆっくり 自身の胸のうちに 時間をかけて、悩んでいこうと思います。 たいへん参考になるご意見を いただきました。ありがとうございます。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-12

詩には書いていませんが、当事者の方の心の傷の深さを、おもいがけず 感じ取ることが私にはありました。 そしてそれは、私にとって 受け入れがたいことでした。 ですから、この詩の なにげない風景を描けたことは、私には じつは嬉しいことなんです。 平和とか書かなくてはとかの意味でなく、今を生きるためには 過去は今の土台であるので、 必要なことのような気がしています。ありがとうございます。今という視点を得ることができました。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-10

廣島を架空の街と言い切ってしまうのは、大胆だったかもしれません。 廣島には原爆が原因で、町名ごと消滅した町もあります。 繁華街の路地に、ちいさま碑があり 現在ではとても賑わっている場所に小学校があって、大勢亡くなったことを悼む碑が置かれていて はっとすることもあります。まるで、ぢかう景色があったに違いないのですが、想像するのに苦心するほど 現在の様子と開きがあることがあるのです。それでも それでも想いを馳せればかえってくるのかもしれません。ユーモラスなタイトルと言っていただいて ちょっとほっとしました。ありがとうございます。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-10

わたしも この詩は、よくあるシーンをとらえた平凡な詩であると思います。 しかし、通用しないとは どうのような意味でしょうか? この詩が、どのようなステージに通用しないと おっしゃっているのか わかりかねます。 私も人様の詩と比べて、この詩が優れているとは思いませんが、私は この詩で人様と優秀さを競うつもりはありません。実際の話、ビーレビ杯も不参加の作品として上げさせていただいております。 お目汚しだったようですね。失礼しています。しかし、私は 書きたいから書いたにすぎません。 ありふれたモチーフやありふれた書き方であったとしても 私は、書きたいと思うことを書きたいように書き続けていこうと 思っております。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-10

私は、ある年から 毎年 八月には原爆に対する詩を書こうと決めています。 どんな形であれ、戦争について考える時間を持とうと決めたからです。 広島は川の街で、市のマークも川がモチーフです。橋も数多くあります。 元安橋は そのひとつで、中心地にある橋です。読んでいただきありがとうございます。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-10

おはようございます。 まず、動画のセンスが好きです。内容については、 ふと、思ったのですが……。大人って だれかの考え抜いた結論を ただ ひたすら聞くということは とても苦手です。 首相だって、今年の平和式典で色々な人々が一所懸命に考えてくれていた台本を そのまま ただひたすら読むということが できませんでした。 私だって、いろんな人が一所懸命に考えてくれてた確実なダイエット方法ですら そのまま ただひたすら実行するということができません。 ただ 戦争ともなれば、大人であろうと子どもであろうと 一瞬で死に至るわけで。←これ以上の最悪はないわけで。 >たとえこの地球が、 >無残な 最後に終わっても >絶対に >うだうだ言わないからね うだうだ言わないもなにも、地球が終わっていたら 誰も居なくなっているでしょうし、 それは大人子ども関係なく すべての命もなくなっていることになる可能性もありますから、そうなると、どこかのだれかが文句を言える口も ないかもしれないわけで、 そのような最悪から、逃れるためには、やっぱり直観力と創造力ですよね。 この動画の音楽と画像で みんなの歌かなにかで取り上げてもらえるような曲になれば良いのになあ。と、思いました。 (Children's Summit  - ぼくらの決心 -)

2021-08-07

毎年八月には ヒロシマについて書こうとしてきたのです。 毎年、脳裏にまず浮かんでいたのは、この詩で描きたかった なにげないシーンのことでした。 今年は、 この詩の場に居合わせたような感覚を得たといっていただけて嬉しいです。 ありがとうございました。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-07

八月六日に広島で開かれた式典で、毎年 小学生がスピーチをするのですが、今年は 「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」 という言葉がありました。思い出すことが、帰ってきてくれること。 小学生で挨拶をすることとなった子も、一所懸命に考えて その言葉を選んだのだと思います。AB さんのいっておられることと同じで、はっとしました。ありがとうございます。 (覆水も お盆には かえりますか?)

2021-08-07

おはようございます。現在8時21分で、ご投稿されたのが19分前です。 今日は、広島は 76年前に 原爆が投下された日です。おもわず、原爆を思いましたが 現在も いたるところで 存在する 闇を、思わせていただきました。 (無明)

2021-08-06

蛹が、イモムシの状態の肉体をどろどろにとかして 完全に違う体になることは 存じ上げていました。 きくところによると、日本でも ヨーロッパでも 蝶々は、死の象徴として言い伝えられても いることを、今 思い出しました。 そして、この詩の おこころの自由さに、いま やっときがつきました。失礼しました。 (老いるということ)

2021-08-05

こんにちは。 この作品は、私の読解力に問題があるだけかもしれませんが この詩に描かれている事柄が、私には つかみにくかったです。 一連目で、分かったのは この詩は親子の対話だということ。 話し手のお母さまが おっしゃるには「人は、老いると、つまり 感覚をとざすようになったとき 蝶の蛹のようになる。」と おっしゃっているのだろうな。と思いました。 二連目がわかりませんでした。 畑を耕したり、食事の用意をしたりしておられるのは、お母さまだろうか?話し手だろうか?と私の場合は、そこがよくわからなかったです。お母さまが畑を耕したり食事をつくっておられるなら、お母さまは 体が自由にできのだから さほど老いてはおられないことになります。 それを踏まえて一連目を読み直すと、お母さまは いまはまだ さぼどは老いてはいないけれど、いずれ老いたら蛹のように動けなくなってしまうということかもしれません。 けれど、話し手が畑をして帰ってきたのであって お母さまがお体が不自由でらっしゃるとしたら、お母さまの一連目の言葉は、「こんなふうに寝たきりで 感覚は閉ざしてしまっているけれど、この状態って蛹なのよ」と言っておられることになりそうです。 最後の連は、とても美しいです。 けれど、とても若い方が、肉体労働をした一日の最後に 蝶のように 最後の連みたいに情景を思い浮かべても、安眠がえられる気がします。 ごめんなさい。この詩は、老いることとは どういうことかを書いておられるのでしたね。 老いるということは、幻惑の世界から もう帰ってこないかもしれないということですよね。 誤解をおそれずに 思ったままを書かせていただくと、レム睡眠の森だと、毎朝 ちゃんと帰ってこれそうで とても健康的でお元気に 感じまシタ。 それで、違和感を、感じまシタ。   (老いるということ)

2021-08-05

懐かしいという感情は、なになのだろうと ちょうど思っていたところなので興味深く読ませていただきました。 すべての人が 未来には死に至るのですから、時系列でいえば、未来の逆である過去を思うという懐かしいという感情は、そういわれてみれば 死ぬことに逆行しようとする感情のことなのかもしれないなあ。と、妙に 感心してしまいました。 (命)

2021-08-03

こんにちは  拝読させていただいて、私は「五体不満足」を書かれた乙武さんのお母さまのお話を思い出しました。手足のない我が子を 出産後に初めて見た 乙武さんのお母さまは、「なんて可愛い子なの」と言ったそうです。そして 私が聞いた話は、親が 我が子を無条件で可愛いと表現できる親であるなら、その子は ぐれない。という お話でした。 親には我が子を愛しほしい。なぜなら 子にとっての親は 絶対的な存在なのだから。けれど、子の立場から親をみたときに、親は子に対して なにかしらの条件をつけて愛しているようにしかみえないようなことが 世の中に たくさんあるのかもしれない。私の場合は、そのようなことを想わせていたたきました。 題名も、胸につきささってくる感じがしましした。 (だれのせいですか)

2021-08-02

ささやかな詩を かいてみました。 含蓄と、いっていただいて光栄です。すこし、地についたような作品が 書けたら良いなあ。と、思っていましたので、嬉しいです。ありがとうございます。 (足の ゆび)

2021-08-02

ささ (足の ゆび)

2021-08-02

つづき。(スマホ調子が悪くて、送信になった) 妖怪の 語り。だと、おもいました。これは、納涼だと感じました。 (電脳空間のはないちもんめ)

2021-07-29

狐の面などの和風ティストと 電脳空間の組み合わせから、サマーウォーズという映画を思い出しました。あの映画では、電脳空間とリアルは 古民家に住む家人々を介して がっつりと結びついていました。この詩の場合は、電脳空間によって構築された巨大な世界に読者を誘おうとする話し手を感じました。 その様子は、まるで 悪い妖怪のたかり (電脳空間のはないちもんめ)

2021-07-29

七夕に限らず、日本の行事は 太陽暦より太陰暦のほうが良いということを書いておられる本が手元にあるのですが、けれど 最近の天候は太陰暦でカバーできるものなのか わかんないです。今年の太陰暦の七夕に、晴れたら 天空のおふたりが おデイトなので、ちゃんと 見守ってあげようと思っています。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-26

yamabitoさん、わたしのこの作風って 斬新な作風だったのですね。むかしから伝わる話をモチーフにしていたので、私自身は斬新なつまりは まったくなかったです。人は自分のことは客観視できないということかもしれません。じつは、織姫さんに対するアイディアの一案として、織姫さんが編んでいる織物は 地球の緯度が縦糸で経度が横糸という案も思いついていたのですが、斬新すぎると思ったので その案は止めました。 実はですね。うちあけたいことがあります。yamabitoさん。あのですね。私は ネット詩の世界では yamabitoさんと、かなりの顔みしりだと思います。じつは、わたしって 現フォでは るるりらと名乗ってきました。これからもよろしくお願いします。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-26

ありのまんまな感じで書いてみました。 星座になっている方々のお話をすると 雲に手をのばすような心地がします。 とどかぬものにおもいをはせるのも、たまには いいかもしれないですね。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-26

呪い。でしたか。 うわあ。私の集中力、問題あります。それが、わかってよかったです。ありがとうございます。 (蛙の心臓)

2021-07-23

最終連が しびれました。 ただ はずかしながらイロイの意味をしらないものですから、 わたしは この詩を 味わいつくすことができずにいます。 (蛙の心臓)

2021-07-22

百均さん!百均さんのコメントが熱いです。とても嬉しいです。ありがとうございます。獣もきっと心というものがあるんだと思います。食欲とか性欲とか睡眠欲とか縄張り欲とか、様々な欲がないはずはないです。美女と野獣の獣とか 狼男という獣は、人間の我が産み出した獣さんたちだったりするメルヘンですが、日常に於いても 人間が「こいつら獣だ!」と口にするとき、「こいつら我欲の塊だ!」ということと、同じ意味のような気がしますね。(笑) 百均さん、百均さんたら「シンプルなネンに一回の出会い。」と書いておられる。う~む。年とは書かずに、ネンと書いておられる。渋いっ!そこは、はやり ひとつの念かもしれないです。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

すみません。↑の書き込み、コピーミス。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

課題で書いた作品でして、最後は「のように」で 終わるという課題でした。短冊式の終わりの書き方の「ように。」ではなく、なにかの比喩で終わろうとは決めていたものの、じつは しばらくの間は なにも浮かびませんでした。そして、ああ七夕だから そのままにしよう。  男女の姿を想起していただけば ええやん♪という 単純さで書いてみました。た。もともと七夕には多くの方々にとって豊かな豊かなイメージがありますので、だいぶ 助けられた気がしています。絵画的という評がとくに嬉しかったです。正直いうともあまり絵画的であろうとは思ってなかったです。しかし、じつは私はスランプだったのですが 絵画のつもりで書けば また なにか描けるのかもしれないです。良いヒントになりました。ありがとうございます。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

課題で書いた作品でして、最後は「のように」で 終わるというのが、課題でした。短冊式の終わりの書き方の「ように。」ではなく、なにかの比喩で終わろうとは決めていたものの、じつは しばらくの間は なにも浮かびませんでした。そして、ああ七夕だから そのままにしよう。  男女の姿を想起していただけば ええやん♪という 単純さで書いてみました。た。もともと七夕には多くの方々にとって豊かな豊かなイメージがありますので、だいぶ 助けられた気がしています。絵画的という評がとくに嬉しかったです。正直いうともあまり絵画的であろうとは思ってなかったです。しかし、じつは私はスランプだったのですが 絵画のつもりで書けば また なにか描けるのかもしれないです。良いヒントになりました。ありがとうございます。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

思いがけない方から コメントをいただきました。感激です。尾田さんは、牛飼いを生業にしておられるのですか?素晴らしいです。  私は昔、畜産協会てところで事務のパートをしたことがあります。なので、クーラーの効いた部屋で 牛飼いの方々のお話のアンケート用紙をとりまとめたりしたことがあります。別件では花田植え祭に参加したこともあります。一口に牛飼いと言いましても、食肉、乳牛、祭のための神様のお使いような牛とか 色々ありますよね。いずれにせよ、牛さんたちの あの黒目がちな 奥行きのある あの瞳のことが、 脳裏に浮かんでいるところです。牛さんたちの環境も技術という意味では、すべての牛さんに番号が振られていたり、生殖なども なかなか きっちりとした管理システムが存在したりしますよね。ですが、それらではないところに大切な事があると感じます。大切なことは言語化が難しいです。学校教育とかは 言葉で表現できることばかりだから限界があるかもしれません。じゃあどうすんのか?と考えてみたら、たとえば 夜空を見上げたりするの?か なあ?やはり言葉にするのは難しいです。  もしも この詩が すこしでも そのなにか大切な機微に触れることができているのなら、ああ この詩を書いて本当に よかったです。詩の時間は、やはり大切ですね。ありがとうございます。良い気づきが いただけました。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

是非、8月14日に空をみあげましょう。読む音楽とは ウキウキしてしまう評をありがとうございます。右派アナーキストさんにはいつも良い刺激をしただいています。今回のこのコメントを拝見して、なんだか かき氷みたいな詩だと言われた気がして嬉しいです。実は、私がいままで書いてきた作品の中には、汚い言葉を書くつもりで書いた詩も ギラギラした言葉のつもりで書いた詩も拙詩群の中(当社比)には、あるような気がして 遠い目になってしまいました。そして、おもわず自分にこの場をお借りして 気合をいれさせていただきます。手は腰っ、チェスト―! (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

羽田さん 投稿したすぐに、コメントをくださって嬉しいです。 七夕って 好きな年中行事のひとつです。 毎年七夕のしつらえをしていたのですが、今年はしてませんでした。 既成のイメージのまんまで書きたかったので、いただいた言葉が嬉しいです。 ありがとうございます。 (【2021年遅れた七夕企画】星霜日和)

2021-07-19

サイコーなのだ! (それでいいのだなのだ。)

2021-07-19

そういえば  リアル牽牛さんが ここ ビーレビにいいらっしゃったんだわ。と、思いました。わたしは なんで七夕って、牛飼いさんと 身分の高い織物職人さんの話なんだろかと思うんです。牛飼いさんには なにやら特別に尊い意味があるじゃあないかと 思っているところです。動物、数が多しといえども、牛は家畜として飼える 数少ない種です。たから、天帝の相手として設置されているのかなあ、といった具合にです。 運ばれていく牛たちの日々が 幸せなものでありますように すごいなあと 思いました。人々の日々が幸せなものでありますように。ってことで、人の世は 回っているのですが、牛追いさんであるなら 牛たちの日々の幸せを祈る。 この詩は 私からしたら、ここのところがスゴイです。 天帝ほどの人の娘さんの相手役が牛飼いさんなのも、もしかしたら そこに秘密があるかもしれないです。 (【2021遅れた七夕企画】 牛運び)

2021-07-15

気分が悪くなる文言が多数あるため、多くの部分を 読み飛ばした雑感になります。 糞掃衣。と、いう言葉を思いだしました。仏教の初期に 出家した方々の衣は、糞尿のように捨てられる布をパッチワークして衣としていた。それが、袈裟の原型だそうです。 糞でくるまれたこの作品は、あらゆるものを並列に並べて、みな 救おうとしているのだろうなあ。と、感じました。 (うんこうんこうんここうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ)

2021-07-14

個人的には、シルバニアファミリー王国を 思いました。 こどもたちは、無銭でも 王様になれるのですが、大人は そうないかないなあ。と、思いました。 (王国)

2021-07-14

初々しくて素敵です。どこかのだれが『 恋をすると皆、詩人になる』て、いってました。検索してらプラトンも『愛に触れると、誰でも詩人になる』という意味のことを、言ってるようです。 私は、人が 詩を書きたくなるときって、愛に触れるか 愛に触れようとしている場合と、 愛に背を向けている場合があると 思うのですが。 愛に触れようとしている詩には、光があるなー。と、思いました。私も、愛のある詩をかきたくなりました。 (詩)

2021-07-11

 私も ハオルシアの一種を 一鉢だけ持っています。前に 一回枯らしてしまって、この鉢は 二鉢めです。2回目なので、育てるための動画もたくさんみました。すると、どうやら 前回の鉢も再生が可能だったようです。そして、多肉を育てている人の多くは 自分の鉢のことを「この子」という呼び方をしているらしいです。この子と呼んでしまうのは、私にも わかる気がしてます。 この子たちは、ほかの植物とは 違って、家の中で育てるものだから情がわきやすいでです。ところが この詩では、 ただただ オトコはだまって 枯れていく オトコなんですね。人生の悲哀を、ハオルシアに感じて そして その再生を 見出しておられる。そうかあ。そうなんですねぇ。勇気がでました。ありがとうございます。その視座が素敵です。 (ハオルシア・シンビフォルミス)

2021-07-09

なないろさんが、おうまれになって  この詩を お書きになって、そして わたしが 生まれれてよかったです。 たまたま なんですけど、今日て 私の 誕生日だったりして。 だからって ふつうの日と なにも変わらないんですけど、紫陽花を お部屋にかざろうと思いました。 (わたしなりに)

2021-07-09

つけくわえです。   わたしは、このサイトで【し】という題名の詩を書いたことが あります。 私が、死を【し】と表現したのは、ひらがな表記は 詩表現だという意識からでした。 よって、本作品は 私からしたら 詩の言葉を活用した作品ということになります。 詩の言葉を使う人が詩人でないとするならば、この詩人さんは どうなるのかなあ。と、思いました。 (詩のための言葉を使うやつは詩人じゃないんだ)

2021-07-01

真ん中あたりで脱字が発生しました。 ×生と死と自分の話が詩の始めであった可能性も めません。 〇生と死と自分の話が詩の始めであった可能性も 否めません。 (詩のための言葉を使うやつは詩人じゃないんだ)

2021-07-01

おはようございます。この詩は 特定の詩人に対する詩に向き合う姿勢を批判した文として拝見しました。かくゆう私も一時期ではありますが、生と死と自分の話しか詩にしてなかった時期があります。クローズした心持ちで、死と向き合っていたのですから 他者からしたら 批判のお気持ちを持つ読者の気持ちは、今までは 私にも 理解はできます。 しかし、「詩」という漢字が 言編に【寺】という文字であることからもわかるように、詩の原初の向き合い方として 生と死と自分の話が詩の始めであった可能性も めません。ですから、「せいとしと自分の話ばっかり」である人は、詩人である。という見方も 存在できます。  私の場合は、「きみはせいとしと自分の話ばっかりだね」という詩文に対して、異議を 表明して置こうと思います。  せいとしと自分の話ばかりをしている方を批判する方を、詩人ではないとは思いません。しかし、せいとしと自分の話ばかりをしているかのようにみえる方は、詩人です。 (詩のための言葉を使うやつは詩人じゃないんだ)

2021-07-01

太古といまがつながっているのです。個人的には、田中宏輔さんに別ハンドルだった時代にコメントをいただいて かなりの年月が経っておりましてて、大昔と いまは つながっているなあ。と、いう感慨に うっとりしているところです。コメントありがとうございます。 (桃太郎の神殿)

2021-06-07

羽田恭さんへ 現在の私は 新生児が家に居る生活に入っているのですが、 引用していただいた箇所のみを、現在の私自身が 読み返すと、なにやら とても励まされます。ゴミとして出すものが 普段とは段違いに多い中 そうか わたしは この環境を神殿と仮定しようとしたのだな。ということを思い出したからです。 新生児のいる暮らしは おおざっぱに言えば、似ていますね。 肉牛さんだろうと 人であろうと 基本的な部分は 全く同じでですし。 そのことを ついつい忘れがちです。牛さんも起死回生を経ているのかもしれませんね。 (桃太郎の神殿)

2021-06-07

これは、文学極道かどこかで 拝見したことがあるきがさします。(勘違いならすみません。)そのときの私の感想はモールス信号のように 感じました。 (●●●●●● ● ●●●● ●●●●)

2021-06-05

農業労働への 驚きに満ちていて 魅力的でした。 私の場合は、二連めで 解釈に つまずきました。サラブレッドです。 競走馬としての 由緒正しい血筋が、農業になんの関係があるのかなあ。と、私の場合は 思ったのです。 競うことが大事なのではなく 大地土壌、基盤のことを 表現しておられるのかもしれないと 感じた途端に。いいなあ。と、思いました。 (手に土・口に蝿)

2021-05-31

暗唱してしまいました。 そらんじて、ある日 突然 この詩を、脳内再生すれば たいていの 悩みは、なくなると思いました。 (俺は人生において悩みが一個もねえんだ)

2021-05-29

過分な お言葉を ありがとうございます。 この詩は、私の書いてきたなかでも もっとも 一生懸命に書きました。(イッショウケンメイは、一所が正しいらしいけれど、ここは『生』) 桃太郎のお話なのですから、当然、鬼は 外せません。私も 真っ先に、鬼を思いました。しかし、やわやわな桃から出てきたばかりの子を思いなごら昔話の鬼のイメージを思うと、鬼の数が味方の数より多すぎです。そこで、味方の数を増やすことにしました。 書いていた時は、さまざな立場の人に共通する敵が、鬼のイメージでした。しかし、類さんに 言われてはじめてきがついたのですが、様々な人にとっての鬼ではなく、たった一人の人に とっての鬼とは、何だろう。 この詩には、本筋とは関係ない私自身が 普段に 気にしていることを ちらほらと 書いています。 向きあうべきなのに、気がついてないふりを してきた鬼が、わたしには居ます。 類さんが、この詩に 向き合ってくださった おかげで そのことに きがつきました。ありがとうございます。 (桃太郎の神殿)

2021-05-29

あ。沙一さん 作品へのコメントという欄がありました。 ****************** 以下の文章は、美雪さんあてです。 *************************************** 美雪さんはこのように書いておられますね。 「こんにちは。 返信をして下さったようですね。 うーん。どのような内容なのか、興味深いです。(笑うところですよ。)」 ↑ 申し訳ありませんが、笑えません。他の参加者のみなさんには コメントが見えています。 あなはは最低限のやりとりが おできになってません。であるならば、その問題を解決する努力をするべきだということに 気が付いてほしいです。ここが御覧になれないのならば、Twitterなどで質問してみるとかの方法もあるはずです。ここでのコメントが見れないのに ここで話をしている私も、バカな人です。 お伝えしたいことがあり「詩人たちの小部屋(ペンネームは『美雪さん』)」というサイトに入会し、「美雪」および「美雪さん」で、検索をかけましたが、ヒットしませんでした。「note(小野里美雪)」はありました。しかし、メール機能を探しましたが、よくわかりませんでした。 あなたが、このサイトで コメントが読むことが おできにならないなら 私には あなたと、交流する意志がありません。 (桃太郎の神殿)

2021-05-28

 生まれていないものを ことばでは あらわせない  まだ 名付けてられていないなら 君は、神に近い その箇所は、そう感じたから そう書いてみただけの 自動筆記みたいな箇所なので、 人様に こうやって 鏡のように ぬきだしていただくと、変な話ですが 感動しちゃいました。感動してくださっている沙一さんに感動してしまったんです。お言葉が、まぶしいです。ありがとうございます。 ************************************ 追伸なのですが、美雪さんという方が コメントを閲覧しない状況で 返信をくれています。おそらく、返信があった通知があるため返信をしておられると予測してます。 すみませんが、通知がいかない方法で 返信のみを行いたいため、沙一さんあてのコメント欄で 美雪さんへの書き込みを させてください。 (桃太郎の神殿)

2021-05-28

美雪さん、初めて何かをするのって どきどきですよね。わかります。 私も 『先生』だなんて言われたのは、初めてなので どきどきしています。 「人選ミス」とのことだけど、私は好きな詩にコメントを書いただけですよ。私は、詩を読むときは、短詩が好きな傾向に あります。なので 短詩のほうが 長詩よりも コメントを たくさん書いてきた気はします。美雪さんと どなたかと比べて、美雪さんを 私が選んだということでは、ないんですよ。だから、そんなに緊張なさらないでくださいな。 栗羊羹と ふぅちゃんかあ。 羊羹を食べたいときには 栗が入っていた方が良いけれど、麩菓が食べたいときには 羊羹は食べたくないです。だから、私の場合は 羊羹と麩菓子は比べられないなあ。どっちも美味しいな。だけど、嬉しいです、ありがとうございます(テレるよお)。    それにしても、コメント欄の開き方が分からないのですか?それは、残念ですね。 作品を開いたときに、上のほうに 【作品本文】【ポイント】【コメント】という三つのボタンがあるはずです。そのうちの【コメント】を選べば、みなさんのコメントが読めるはずですよ。ぜひ、もういちど コメントが読めるように そのへんを 触ってみてくださいね。 (桃太郎の神殿)

2021-05-27

神殿の六時の箇所は、実は 私が保育園の時のお遊戯のセリフだったりします。 なんの物語のセリフだったのかも 忘れているのですが、たぶんなんとなく、ごんべさんのあかちゃんが風邪をひいたりするお歌の時のお遊戯だった気がしています。幼児の私の 脳天のかなりの部分を使って、このセリフを覚えて全力で演技したんじゃあないかしら。自分でも謎なのですが、突然 幼いころの自分の 超ゴキゲンな感じを思い出したのです。 なんだかわかりませんが、六時のニュースて事で、この詩に採用してみました。 この箇所の惹かれてくださる方がいらっしゃって、とても嬉しいです。ありがとうございます。 (桃太郎の神殿)

2021-05-27

詩のやりとりの 楽しみは、 書き手の書いた言葉から 読者は 書き手の考えていることと 違うことを 受けとることがある。 他人て、色々なんだなあ。と、知ることも 詩の楽しみだと思ってます。(つまり、これから私が書くことに私は 自信がないです。) わたしは、この詩の (たいよう)とは 希望を意味すると、感じました。 (たいようのあかちゃん)

2021-05-26

ある意味、ハードボイルドですね。 自分が、ゆで卵なのか。 それとも ゆで卵を 無垢な存在として、 自分という人間の手のひらのなかで 弾ませているのが、自分なのか。 たぶん 両方とも 自分なんだろうなあ。って、思いました。 (ゆで卵)

2021-05-26

こんにちは。  冒頭の箇所が、好きです。 ニゲラの花言葉のひとつに、たしか「霧の中の恋」という言葉があったな。と、思いました。ニゲラを 降った後などに見ると、花の周りに水滴を宙に 留まらせたままのように咲くからだと思われます。本作品を読んで私がニゲラに対して あらためて思ったのは、そういえば ニゲラの花の姿は ニューロンだなと……。ニゲラは、まるでニューロン(脳内で記憶などの情報のやりとりに使われている神経細胞)のようだな。と、思いました。 この詩って、恋で 全神経が 燃えそうですね。 どんどん 燃えちゃうんだろうなあ。脳内でもエネルギーが バチバチ燃えちゃうんだろうな。 いいなあ。って、思っちゃいました。 (ニゲラとパンオショコラ)

2021-05-18

ここ最近の私自身が 一連目のような状況でした。 やっと 二連目のような 心持ちになってきたところです。 書くしかないという思いに なってきたところです。 この詩には 覚悟という潔さがあり、清々しく 救われる思いで拝読いたしました。 (自供、告白)

2021-05-01

(自供、告白)

2021-05-01

いつになく ミイラを 拾って、近くのコンビニかどこかのトイレにかけ込み、トイレットペーパーを もらってきたんでしょうね。 古代エジプトの死生感が いきいきとしているペーソスが たまりません。 ところで、れたすたれすさんて方を現フォで 存じ上げているのでしが、あの れたすたれすさんでしょうか? この感性は、あの れたすたれすさんですよね。 わたしは、るるりらです。お名前を拝見して、わくわくしているところです。 (ミイラカンス)

2021-04-28

おはようございます。 本作品は、ひらがなが降っている世界を描いておられるのですね。 しかし、私が感じたのは 異国を感じました。ナムサラム?は、私にとってはインドぽいです。 かきつばたも、カタカナですね。 かきつばたという名前の和菓子があると聞いたことがあります。エリザベス女王に さしあげたことのある和菓子と きいてます。和歌を元に名付けられた和菓子と、聞きました。 そんなこんなで、わたしは 異国情緒を感じました。 (〈ひらがな〉の降る朝)

2021-04-27

読者にとっての この作品は、まるで ロールハッシャテストのようです。 わたしの場合は、初読では なんらかの困難(障害とか老いとか)の親が 親ならば子供を扶養するべきであるという考えと、実際との違いに葛藤している詩と読みました。 けれど、今朝 読み返してみましたら 妖怪が、不特定多数の子供の手をあれこれ考えをめぐらせて 交流する子を決めようとしている詩に 思えてきています。 (手)

2021-04-27

左手を膝に晩飯を食べ ってところが、好きです。 ネイルが はじめてだから、 なんとなく 違和感があって それとなく下に置いてるんだろうな。かわいーです。 (色香)

2021-04-26

イッツ クール。これこそ クール。と、思いました。 冥途の一本道が開けてきてかまわないあたり、クール 明度の一筋も見つけられないのかい?と、どこかのだれかに言っているあたりが、クールです。 この詩のクールが寒いっ。……にはならない理由は、たぶん この詩が、秋田の【なまはげ】と、【ハーメルンの笛吹き男】が融合しているかのようだからかもししれません。 「冥土への一本道が見えても 別に構わない」といいつつ ご両親が まずはその道を先に歩いて行くのだろうと思っておられるからかもしれません。伝統的な年功序列という思想に 包まれ守られているから、この詩は 寒くはないのかもしれません。 この詩で「死神にとおりゃんせ」といっておられるけれど、いやいや結構 死神さんとディスタンスを ちゃんと とりつつ、歩いておられる感じがしました。わたしは この詩を読んで微笑ました。 (死神通りゃんせ)

2021-04-24

まるで炭酸水の揮発性のある 出来事。その場の空気ごと わすれられない。そんな出来事って ありますね。 いいわあ。 (飲みたいのは)

2021-04-24

つけくわえ いろいろ書いたけど わたしは、この詩が好きです。 とくに 最後の二行。つまりは、 赤道線上に 自分がいるというのって、超俯瞰。好きです。 (地球にひとりぼっち)

2021-04-23

こんにちは もしも 自分自身のことを、他人の劣化版コピーとしか 思えないとしたら、悲しいことだなあ。と、思いました。 もしも 自分と赤道を結ぶ 真っ直ぐな直線があるとしたら そのまま 突き進めば、南極北極を 通過したあとで、その矢印は自分の背中を しめすでしょうね。 それは、地球に 誰もいなくても、誰かがいても 変わらないです。 誰かに 保証されなくたって、たったひとりだとしても、それで いいんじやあないかしら? そんなことを おもいました。 (地球にひとりぼっち)

2021-04-23

ガイドラインを参考に書かせていただいてました。しかし、運営さんに確認したところ ガイドラインの変更がなされてないとのことでした。 失礼いたしました。 (自称詩人たちへの詩論)

2021-04-23

おはようございます。 ここビーレビのガイドラインによりますと、ここでの投稿数は各自 1ヶ月に二作品とあります。 運営の方に ご意見を うかがいたいです。 (自称詩人たちへの詩論)

2021-04-22

情景が、沁みてきました。 句点などの 配置も 作者の 呼吸を感じました。 すこし 首を傾げたのは、スマホという表現のある連です。2001年には、スマホはなかったので、メイとは タイムトラベラーかもしれないなー。とか、思いました。 (2001年。)

2021-04-19

同じ表題で書かれた もうひとつの作品は、いい感じの 青さでした。 しかし、作者は おそらく シャイな人なのだろうな。と、思いました。 前作はご自身の等身大の言葉ではない。青くさい。と、ご判断された気がします。 詩作してまーす。と いう手触りを、同じ表題の詩で 書かずにはいられない方なのですね。大人 って、大人しくは ないんですね。 (⌇)

2021-04-19

誤字あります。 ×私は この作品を 読んで、この方な ○私は この作品を読んで、この方は 失礼しました。 (ユグ)

2021-04-18

私は この作品を 読んで、この方な 言葉で 言葉で表現できることを越えようとしておられると感じました。 (ユグ)

2021-04-18

(寒空にUFO)

2021-04-16

「くれ」という語ではじまる連と「こい」ではじまる連で構成されている点が おもしろかったです。 題名だけ読んだのでは、意味が解らないところを ねらっておられるんだと思いました。でも、私なら 題名を「恋慕」にするなあと。ちょっと 思いました。 (くれこい)

2021-04-16

拝読しました。正直に申し上げて 努力はしたのですが、私には 難解な作品でした。 ドームがある世界で その外側には太陽があるが、誰も 太陽を信じていないということからSFとして 読み進めてみると、  >壊れたガラケー >君は空になったカップヌードルの箱 ↑ いや、現代でした。 この詩に たれこめているのは「閉塞感」だと感じます。 やはり コロナ渦が影響しているのでしょうか? 題名は、「花を待つエロイカ 」エロイカは、ナポレオンを尊敬してベートーヴェンが作曲したのがエロイカ。 君の口から ついて出たという言葉 「花になれ」 地面が渇こうとも 陽が射さずとも 咲き誇る そんな「花になれ」という言葉。 この言葉に誘発されて、これから 英雄が出現してくる。 そんな物語を想いました。 出でよ英雄! では、また。 (花を待つエロイカ)

2021-04-13

なんとなく わたし自身の高校生の頃を思い出しました。 シャーという音をたてて 制服きた生徒たちが 自転車で坂道を飛んでくみたいに降りてゆく感じがしました、(私の通ったガッコはそんな地形だっただけですが……) 群青という色味もいいですね。私の脳は 高校生になってしまっているので、校歌の中にあった「白亜」という色味と同列の硬い色名に しびれました。 超個人的な思い出を語っちゃっいましたね。恥ずかしいコメントを書いてしまってますが、 峯岸くん、いいなー。 爽やかさん ですね。 (〰︎)

2021-04-12

最終行が とても おそろしかったです。 頭の中の電車が舌打ちしてます。 俺がなぜお前に 理解できる表情をしていると思うのか 俺の口は そもそも 舌打ちできる構造になっていない と、電車は 通り過ぎたあとで思っているかもしれません。 (頭の中の蛙)

2021-04-06

感想ありがとうございます。この詩に、静かなのに迫力を感じていただけたのですね。 私自身は、ガンガンにカエルが鳴いている感じを書いたつもりだったです。 コメントを拝見して、芭蕉を思い出しました。  静けさや岩にしみいる蝉の声 ガンガンに鳴いているはずであるのに、静かに感じておられるところが 芭蕉だなあと思いました。 (井の中の蛙なんて嘘)

2021-04-06

べんもうさんに 気に入っていただけて嬉しいです。 “海を脱したカエルが 海をしらないはずがない” は、私が海を思い浮かべるとき なぜだか とても懐かしい気持ちになるので、このようなことを書いてみました。  この詩は 私が見た変な夢を ヒントに書きました。 それは、ある大きなお寺で 大勢が読経しているのを聞いた夜に見た夢でした。読経をしている人々が 全員がカエルだという へんな夢なのです。ただの夢なのですが、なぜか記憶に残る夢でして、私の潜在意識ったら なぜカエルが人と似ていると感じているのだろうか?と いうことをベースに書きました。 (井の中の蛙なんて嘘)

2021-04-06

まいりました。わたしの負けです。 なにに負けたかと いいますと、題名です。 この作品は、おとなのふりという書き手の方の書かれた【ねね】という作品なのですね。 ねねという方の書いた【おとなのふり】なのではないかと、なんども 題名欄と作者欄を読み返しました。その結果、つぎのページをめくることがしばらくできませんでした。 やっと 詩と作者を理解して本文を読むと、なかなか みくびれない作品ですね。 ただの紙切れは なぞの何かがあるようです。そのページは、たった一ページで ガリバー旅行記のガリバーのように 小人になってしまったかのような巨人になってしまったかもような不便さを感じさせてしまうんですね。そのような作品に出会いたくて、詩を読んでいる私がいます。まいりました。      いつか、わたしも 読者を変容させるかのような作品を書きたいです。そのときの題名は【るる】にしようと思いました。この詩が読めてよかったです。ありがとうございます。 (ねね)

2021-04-03

草間彌生さんからは、まちがいなく 水玉の柄がでているにちがいないです。 (出る)

2021-04-01

【萌】という字は、眺めているだけで 美しい文字ですね。 草冠に明るいですもの。まるで、太陽の反照を草の中に蓄えていることを表現しているかのような文字ではないですか?そんなことを、コメントを拝読して想いました。 季節は、この詩を書いたころより季節も暖かいほうに ずいぶん 進んでいます。おかげで、太陽は地球上の生命を育む光源という文字列が 本作品を書いた時期よりも 高い位置から光の矢となって降りてきてくれています。 しみじみしてしまいます。生かされているのですね。嬉しいです。ありがとうございます。 (もえろ)

2021-04-01

テンポに着目していただき嬉しいです。 正直にいうなら、一連~四連までは リズムを かなり意識していました。 各連の二行目と三行目が後韻にしたりしてます。でも、五連目で 私ね。壊れたんです。 にもかかわらず「7連あたりまでのテンポがすごくいい。」と言っていただくと、私の中で喝采が沸き起こりました。パチパチと燃える音を聴く気分です。ほんとうに嬉しい評がいただけました。ありがとうございます。 (もえろ)

2021-04-01

感想ありがとうございます。成り上がるのも 楽しいかもしれません。 詩を書いてだいぶ時間がたった 今の私は、いのちって がんばらなくとも 自然に もえるものなのかもしれない。と、すこし冷静になっているところです。いや、いけません。燃えましょう! 自分でもえましょう。自分以外の他のなにかに燃やされないように、できるかぎり自家発電で いっちゃいのしょう。チェストお!をお! (もえろ)

2021-04-01

一部は、オンザロックなのかもしれないと、おもいました。 わたしのコメントについて、ふかく考えないでほしいです。 (ふかくかんがえない為のうた)

2021-03-30

個人的には、二連目が好きです。 >老人が指差す、そこが境目だと >フロンティアがあったと、かつての >開拓地を指したのか、そんな車が >あったのだと言いたかったのか 老人の「フロンティアがあった」という言葉に対して その言葉の意味を老人に聞かずに、しずかにただただ 話を聞きながら 朽ちつつある枠をみている感じが、好きです。この姿勢がたぶん 傾聴てことなのだろうなあ。と、思いました。 開拓者の 線が縁に かわりゆき   木漏れ日落ちて なお大地あり (なんちゃって) (寂びる)

2021-03-18

「なんくるないさ」は、沖縄に行ったことすらない私も良く使う言葉です。しかし、私自身の使っている「なんくるないさ」と、この詩のニュアンスは どこか違う気がしたので ちょっと調べてみました。  この詩のように「なんとかなるさ」という意味で使われることが多いかもしれません。けれど、本来は「まくとぅそーけーなんくるないさ」の定型句を構成する言葉で、人として「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」「なんくるないさ=何とかなるさ」つまり、「挫(くじ)けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味でつかわれていた言葉なんだそうです。  ABさんのコメントは もしかしたら そのようなことを書いておられるのかもしれないと感じました。 (自殺)

2021-03-18

2019-10-25にも 「でたらめ」という表題で書かれており、前のものと あわせて なんどか拝読したい作品だなあと 思いました。 (でたらめ)

2021-03-17

男女のどちらが先に死んでもおかしくはない状況の物語が 目に浮かびました。たとえば、老い夫妻の物語。たとえば、事故かにかで死を伴う危機を脱出系の映画とかが目に浮かびました。しかし、そうではなく未曾有の災害や コロナ渦での対話などでも この詩のような心の交流が様々な場所で行われているのかもしれません。 私は とりあえず 笑顔の練習を始めることにしました。この詩を書いてくれて、ありがとうございます。 (なぐさめ)

2021-03-17

最後のたいあげる、は誤字なですよ。 ですよ。というか、人様に教えていただくまでは 誤字だと気が付いてなかったです。水から揚げられた、と響き合ってましたか?それは、うれしいです。得した気分です、おかげさまで、アゲアゲな気分になりました。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-03-16

をお! なにが、をお!かと言いますと、「バレエでいう つま先立ち」を 思ってくださって嬉しいです。他の方へのお返事にも書いたのですが、るるべの箇所って 一遍の詩も手元に生まれてない段階で、唯一 浮かんだフレーズなんです。そして、「バレエでいう つま先立ち」も 真っ白な状態のときに 思い描いていました。おしゃまさんな女の子を描いていただけて 嬉しいです。死臭も感じていただけて 私の耳の中に潮騒が ざぶんざぶんときました。素敵な感想をありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-03-16

stさん おひさしぶりです。 おっしゃる通り この詩のようなものは、父の単車で潮干狩りに行ったときのことを書いてみました。 ほぼほぼ意味不明な言葉の羅列かもしれませんが、おしゃべりな子の お喋りは 大人にとって わけのわからないことが多いです。大人は おおらかにかまえて、 こどもが ごきげんかどうかだけ つかんで次の行動を起こせばよいのだと思います。ですから この詩文も 読者のみなさんが自由に読んでいただいて、そして 大切なのは この子が ゴキゲンであることさえ 伝われば、書き手の私としては 成功したのです。ありがとうございます。私は、今 とても 嬉しいです。 詳細について書いていただきましたので、すこしだけ 詩の細かい事柄についても 触れさせていただきます。 【べるるとるるべ】を 自由に捉えてくださって、嬉しいです。 実は、私にしては長い時間、詩が書けませんでした。ただ書けない間に【べるるとるるべ】という謎の文字列だけが浮かびまして、何日か 冷蔵庫に貼っていました。その何日間かのかなりの間は、鳥を想像していたことが あります。それは、私の別のハンドルが るるりらであるせいがあります。るるりらは、瑠璃色の鳥のイメージでした。だから、かなりの時間は【べるるとるるべ】は鳥でした。けれど、何日も言葉を放置しているうちに、私自身の中でも 【べるるとるるべ】の意味が 崩壊してしまいました。読者の中には、単車の音だと言ってくださっている方もいらっしゃいます。それも また正解です。そして、冷蔵庫に貼ってあった 【べるるとるるべ】の意味は、その他の意味を感じて 眺めていた時期もあります。詩を書く人として崩壊しており 謎の時間を楽しんでいたので、みなさんも自由に【べるるとるるべ】って何だろう。【ピーチクルパーティクル】って何?と 思っていただけたので、私はとても 嬉しいです。 >幽霊船の匂いがして みんな まだ いきている 夏?の浜辺へゆくと、なにか腐ったような匂いがして くることがありますよね。しかし、貝たちはみんな 砂の中でまだ生きている- ↑なんで、おわかりになったのだろう。どなたも おわかりにはならないだろうと 思っていました。 夏の海辺では、なにかが腐ったような匂いがすることがあります。子どものころは、腐った匂いなのだとも知りませんでした。けれど、あれは死臭なんですよね。祖父が日本画を趣味にしていたのですが、日本画の胡粉という画材も 似た匂いがします。貝を砕いたものが胡粉の元なのですが、なるほど海辺でしていたあの匂いは、なにか生き物の死の匂いなのだなあと 思いました。けれど、自然界では 死はなにかに生かされていて、生と死の境界なんて ないのだなあ。と、子供心に思ったことがあります。それと、父や祖父は 造船業をしていました。私にまつわるその他の祖先も、海で生きてきた人が多くいます。そんなかんだで、幽霊船って、私にとっては なんだか生きている感じがするんです。 なにかのおりに繰り返し思い出していた出来事を元に書いたのですが、書いているうちに朝焼けのことを思い出せたことは、奇跡のような気がしているところです。おもわず、目頭が熱くなってきてきました。 お読みいただき あたたかい心をかけてくださり ありがとうございました。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-03-09

最後の行が 私には魅力的でした。 春とすれ違いに  小さな雪の子は 冬を閉じていく この作品自体は、私にとって 正直に申し上げて、聞いたことのある お話というだけのお話でした。幼児期を思い出し懐かしい気持ちになりました。けれど、「雪の子は 冬を閉じる」この箇所は なにやら 新鮮に響きました。こどものころに聞いた話とは なにかが違う。そう感じました。表現が大人っぽいのです。詩編全体と ここだけ トーンが違う気がします。 意味は もちろん解るのでする生涯を閉じるとか 人生の幕を閉じるという表現もありますし。個人的には 季節を 「閉じる」という表現に違和感に似た印象を持ちました。「冬を閉じる」という表現は、「夜の帳が下りる」という美しい表現に どこか似ているところもある気もします。違和感を感じたものの 魅力的な詩表現だとも思いました。 (雪の子)

2021-03-03

幽霊船、鬼子母神そして「貝掘り鬼ぃ!」という この詩の 三大まがまがしさの箇所をエイクピアの印象に残って 私としては、してやったりと 思いました。(てへ) けれど、その三か所より 髪が草原になるほうがミラクルだと私は思います。 死んだ人が船に乗っているとされているのが幽霊船ですが、この詩では生きているし。 鬼子母神は むかしたくさんの子供を殺したのに神となったと崇められているのが鬼子母神ですが、まあ そういう話はあることだし 問題が無いといえば無いです。 ですが、髪が草原になる。というのは 謎ですよね。 謎なんですが、謎なんですよね。(なんのこっちゃ) この詩の とおさんなら 髪が草原問題なんて聞き流すんです。単車を走らせたり 必死で貝を掘ったりしながら そんなことには気にとめない。ですが、私は 髪が草原になるミラクルに私は気にとめてくださるどなかかに 出会いたかったんです。良いところにに気をとめていださいました。嬉しいです。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-03-02

この詩を楽しんでいただけたようで 嬉しいです。私の最高傑作だと コメントを拝読して想いました。(私自身のためにも こんなことは いうべきではないのでしょうが、それくらいコメントが嬉しかったです。)ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-03-02

ひとつづつの言葉が、 磨かれた勾玉の映り込のような言葉が すこしづつ歪んだ言葉を伴って描かれていて、光や類似した形の表出のしかたが まるで夢の中にいるように まばゆくて美しいと感じました。 (たまゆら)

2021-02-25

拝読して なんだか 私も 春にやたらと 笑える日があったけど、太陽さんの くすぐりだったんだなあ。て おもいました。 (立春の日に)

2021-02-21

「る」は、いつもより 多めに回してみました♪ 「たいあげる」は、うけを狙ったんじゃあなかったんですが、楽しんでいただけてよかったです。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-21

エモいと言っていただいて 嬉しいです。 感情を叫ぶみたいに 描きたかったから、そういう意味では 書けたのかもしれないですね。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-21

ほんとうに、ありがとうございます。というのは、るるりらさん(真清水本人)という書き手の書く詩が わからなくなってきていたのです。ごく最近に 現代詩フォーラムの私信にて、「ほんとうに、るるりらさんですか?」というご質問を受けました。多くの作品を担保に るるりらを名乗っている場所が現フオです。そこの私信欄に於いて その質問を受けることは、私にとって 結構な とまどいでした。しかし 考えてみたら、るるりらさんの作品の傾向を わたし自身は 客観視した経験が無いのです。どうしたらよいものか、分からないまま とりあえず新作を書いてみたのが 本作品なのです。 「パウル・クレーのいうところの「造形」が、るるりらである。」←そうなのですか?これは、私自身が 私の作品を知るうえで とても大きなヒントになりそうです。 パウル・クレーといえば、私の尊敬するとある詩人の方か ハンドルを示す画像に使っておられたことがあります。パウル・クレーについて 私は不勉強なのですが それでも なんの前置きもなく画像を見た時に、それがクレーであると直感できた自分が 妙に 嬉しかったです。 今回、ざっと 検索にひっかかるだけのパウル・クレー作品を見てみたのですが、私にクレーに対して親和性があるのは 子どもの頃に クレーの絵の真似をして遊んでいたことがあるのを思い出しました。適当な線を書いて 生じた形に色を塗っていだけなのですが、幼い頃の私は その落書きを「げいじゅつだ。」と、ご満悦だったのです。祖父が日本画を描くことを趣味としていたこともあり 線と色で現すことに対する憧れもありました。つまり、こどものころの私は クレーと お友達でした。  実は私も「物事との軋轢を書く、問題提起型、社会詩に近いものを書」いているつもりのこともあるのですよ。けれど、よくよく考えてみると 私の詩作品の場合は 人間関係の軋轢を解決しようという意志のベクトルが無いかもしれません。軋轢を書くにしても、軋轢があるよね~(以上、おわり。)社会の醜い面を描こうとするとしても、醜いものを醜いままに書こうとしているだけということが 私の作品にはある気がします。 パウル・クレーの『造形ノート』という本は すこし入手が難しいようですが、もうすこしパウル・クレーについて勉強をしてみます。このたびは、貴重なご意見をありがとうございました。パウル・クレーののいう『造形』とは 何であるかについて すこし勉強をしてみます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-18

幽霊船の匂いの箇所は、私自身が この作品の中でもっとも好きな箇所です。この箇所以外は ところてんしきに出てきたのですが、幽霊船の匂いをおもいついたときは 詩に心臓が生まれた感じがしました。この箇所のことを、生と死の揺籃といっていただいたことで 私にとってこの詩でのやりとりが得難い宝物になりました。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-18

私がもし誰かに「顔に書いてある」って言われたり「冷や汗かく」と言われたら 私は不機嫌になるだろうなあ。と、思いました。けれど普通は不機嫌なテンションて いつまでも 続くことはないです。時間が経過したら よくないテンションはなくなる。だから、確かに「少女の悩み」って言い得て妙だなあ。思いました。 先日、【虹色カルテ】というドラマを見ていたら 登場人物の顔に 虹色で【虹色カルテ】という文字が  かぶせられていました。それで ふと、おもったのですが ドラマの演出上で顔に文字を入れた人は、だれかに誰かに「顔に書いてある」って言われたことのある人かもしれません。 不機嫌な感情なんて ながくは続かないです、けれど 起きたこと自体が なにかのやくにたつ日がくるかもしれないなあと 思いました。 (少女の悩み)

2021-02-16

羨望の思いで 胸がいっぱいになりました。 というのは、私の母も 緑内障だからです。 私も実母を 励ます立場ですから、私の生活は 母との関係を いかによくするかが 私の人生の鍵となることでしょう。 ですが、この詩に表現しておられるような 美で母を表現することなど いまの私には できていないです。 私には もうひとり母がいます。義理母は 広島の人です。だから、 この詩に感じられるような慈愛を 私自身が持つことがとても大切な気がしました。 嘘でもいいから 創作でも いいから 私も 母達の生きざまに美を見つけたいです。 この詩の爪の垢を煎じて飲みたいです。 おかげで ひとりの人としての理想を持つことができました。 「慈」をテーマにして 生活してみようと思います。指針がみつかりました。ありがとうございます。 (蝶を食むユディト)

2021-02-15

正解です。これは、潮干狩りを描いてます。わかっていただけて 嬉しいです。良い詩といっていただくと 次回も なんか書ける気がしてきました。ありがとうございます。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-15

やまなし だと いっていただいて 嬉しいです。 そういえば、とても影響を受けていると思います。 それから たいあげる、は平らげる。に するべきでした。ゴルと同時に このサイトに投稿したので せっかく 間違いを指摘していただいたのに 訂正できませんでした。 もっと 謙虚にそして あせらず 行動できるようになります。これからも 応援をよろしくお願いします。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-15

幾星霜を 生きてこられた お父様の言葉は 重いのであろうなあ。と、思いました。 そして、5 5個のカーブとあるので、作者は55年の年月を 通して、お父様を 思っておられるのかもしれないと、思いました。 (クロソイド曲線)

2021-02-15

はじめまして  詩を書くと、その詩が他者に どのように届いたかがきになるものですよね。わたしが この詩から受け取ったイメージを 試しに書かせていただこうと思います。間違っていたらご愛敬です。ゆるしてくださいね。 この詩は 高尚な感じがしたのです。ですが、私は あえて俗っぼいイメージで 私が受け取ったイメージを説明しますね。 わたしは。ジブリの映画「おもいでぽろぽろ」を 思い出しました。「おもいでぽろぽろ」は、人生の分岐点にいる女性が ベニバナの産地で農業体験をすることで、自分の子供時代の自分と出会い自分を振り返り 人生を好転させていく物語です。なぜか 私の場合は、この映画の主人公と 本作品の女性のイメージが重なりました。薄紅色という色味も私に映画を想起させた理由のひとつかもしれません。 本作品は25年間も、いつわりの感情がある。本当の感情がある。と、私に 訴えかけてきました。その本当の感情とは どうやら やわらかで はかなげで 純で あたたかで、愛らしい子供みたいです。 詩文の最後は、四つの愛で 終わってますね。四つの愛とは 何でしょうか?私の場合は 倫理の時間かなにかで習ったことが頭をよぎりました。古代ギリシアでは、愛が四つに分類されていたと習ったような気がするなあと、漠然と 思いました。 人は自立するときに、なにかを捨てなければいけないこともあろうと 思います。私の場合は この詩作品を 映画「おもいでほろぽろ」に古代ギリシアの愛の分類の世界観を足したモノとして読んだので、大丈夫だと感じました。 もし、私の この読みが あたらずとも遠からずであるとするならば、 ご自身や ご自身の記憶にある少女のような熱い思いの力だけに頼るのではなく、全くの他者との関わりを あたためていけぱ大丈夫だと 感じました。 選ぼうとしている愛以外の他の愛も 時間が経てば きっと 再構築がきっとできるはずだと 個人的には思いました。 もし、「おもいでぽろぽろ」を まだ 観ておられないなら 是非一度、映画を借りるなどして観てみてください。 (薄紅色の贋作)

2021-02-14

沁みるなあ。と、感じました。 「意味不明」が 意味のわからないことばの ひとつに はいってくるあたりも 混乱と真摯な感じがして、わかる!と、感じました。(わたしのコメントも意味不明かも) (すべてのことには意味がある)

2021-02-13

ご時世のせいで、まるで 透明な檻にかこまれているかのような暮らしです。だから思うのですが、透明な動物とは 私達 人間のことかもしれないなと、感じました。 (透明動物園)

2020-12-28

これは、宮澤賢治の〔雨ニモマケズ〕のオマージュですね。賢治の場合は、子供の頃に家が浄土真宗で のちに 日蓮宗の信仰を深めたと聞いています。 私は なんとなくなのですが、浄土真宗と日蓮宗って 一神教めいたところがあって、キリスト教に似ているなあと 思ったことがあります。 本作品を読んで、ほんとうに 浄土真宗も日蓮宗も キリスト教と似ているんだなあと感じ入りました。さまざま事柄に対する色々な苦しい気持ちは、誰ニモ分カラズなのかもしれませんが、オマージュすることは 賢治に共感する人々ならば きっと解るだろうと、逆説的に言っておられる気がして、興味深く拝読しました。 心の叫びが はっきりと解る気がしました。(なんとなくです。) (誰ニモ分カラズ)

2020-10-20

こんにちは 時折、難しい表現をしておられ 読み応えのある作品だなあと、まずは 思いました。 正直、作者さまが 読者に届けられた世界を ちゃんと私が受け取った自信が 私にはありません。ですが、せっかくなので 私が どのように この作品を受け取らせていただいたかを お話してみたいです。 ずばり、白雪姫を連想しました。 主人公は、どこかの国の王の娘(なれ(受け継ぐ者))。この詩の舞台では 主人公の消息は わからずにいる段階です。その方は、風光明媚な黒い森に住んでおられ 銀山を掘る人たちと共に暮らしています。 (長雨は,時折見せる夏の太陽の欠片が見せる晴れ間とともに災害河川の一部となりて山を遡上する)ここは、王権を失っている白雪姫が 人々と共に災害なども経験しながら、王権を再び得ることを 大自然が望んでいる。……と、いうふうに 勝手に読ませていただきました。 解読という、たのしい時間をいただきました。ありがとうございます。 (秋)

2020-10-20

こんにちは きっと 長田弘「あらゆる詠嘆は意味がない」と、いう作品を知っている人と まるで知らない人とでは この詩で感じ取れる感慨に差がでるのであろうな。と、思いました。 私の場合は、元となった作品を知らないため 悔しいという思いがいたしました。 (構成-長田弘「あらゆる詠嘆は意味がない」から)

2020-10-19

こんにちは 題名が読めませんでした。なんと読むのですか?と伺うのは、野暮な気がしています。だから、お答えにならなくても 良いのですが、私がなんて読んだかというと、「ごめん」と 最初は 見えました。その後、「ユ”(うめき声) 〆(絞)めてしまいソ」と 私には読めました。そして、簡単には分かってほしくない内容であるという意味にも とれました。 そして、最終連まで読んで 題名に ひるがえってみると >腕に刻まれた傷は >誰に対する >言葉だったの? 言葉にすることができたら  もしかしたら 終わらなかった命なのではないか?という思いを感じさせていただきました。 私の近しい人にも 自傷癖がある人がおられます。その人の場合は自傷が、誰に対する 行為であったかという話を 私にしてくれたことがあります。具体的に人の名をそのような形で聞くのは、とても重い気持ちにさせられるものです。ですが、私は この詩を読んで 私の近しい人の場合は、やっと 言語化が おできになったのだなあと 思うことができました。ありがとうございます。 (ユ”〆ソ)

2020-10-14

このような作品が お作りになれる 人間関係の豊かさが、まばゆいと 感じました。 (かみさまぼくはいきてゆくのがこわい)

2020-10-12

クラップが何を意味するかと思ったら、手を叩くことです。 実は、うろおぼえでした。こども向け英語番組で オトマトペみたいに感じられたのだけをおぼえてして、ほかの人が カタカナでどう表記しているか検索して、「クラップ」としました。 鬼には、魂の意味もあるらしいですね。だから、鬼ということばを スゴイという意味の形容詞的に使うこともあるのは、間違えではないという話を聞いたことがあります。そもそも 魂という漢字の中にも 「鬼」が居ますし♪ この詩のようなモノのことを「なかなかない作品です。」といっていただけて、驚きました。stereotypeさんと サトウハチローさんの「ちいさい秋みつけた」などの要素が混じってます。 ほんとうは、stereotypeさんの詩を 手遊び唄のようにしたくて思考錯誤したのですが、独自な世界が描かれたと言っていただけたので、嬉しいです。ありがとうございます。 (鬼)

2020-10-12

手を打つ身体が消えて、手を打つ動作と音だけが残ってるような感じがして、面白いなあと思いました。 体が消えて、動作と音が残るような 残響は、こわいですよね。 レスを読んで 能かなにか そのようなものを 見直したくなりました。ありがとうございます。 (鬼)

2020-10-12

おはようございます。 先に、この作品に評を書いたあとでのコメントとなる失礼をおゆるしください。 私は、かなり本作品に魅了されました。しかし、あまりにも私の創作力を刺激するため まずは 私の詩作をしないことには、なにもコメントができなかったのです。いまは、とりあえず 私の詩への変換は終えたので、ようやく この詩を冷静に読むことができます。 さて、本題に入ります。 この作品で私が一番好きであった箇所は、 >快は快のままで >代わる代わる現れる >影法師と交わる >君が君でいられるまで という箇所でした。たった一つ数える間に、 幽霊が老いさらばえ、他者の滋養となり、嬉しそうに消えてゆくのです。これは、無数に自然発生する悪しき思いを滅却するメソットの詩だと お見受けしました。 悪しき思いを滅却しつつ、僕も「僕は幾億も生まれて」とあるので 僕という存在も不安定です。もしかしたら 僕も幽霊のように地に足のついていない存在であるのかもしれません。 今の私が必要としていた詩でした。それで 何度も読み返しました。 「鬼さんこちら 手の鳴る方へへ」が 異常な量の連呼。 すると、私の場合は、私の中でゲシュタルト崩壊がおきました。 一分先のミライ 干からびては潤う 君の体は絞られ 僕の前で枯渇する 一分先のアシタ 最初に 私は、この詩は「無数に自然発生する悪しき思いを滅却するメソットの詩だと お見受けしました。」と書きました。その根拠は 一分という時間のくくりが 心を安定する自己暗示のためのくくりであるような気がしたからです。 そうなのですが、私には、ゲシュタルト崩壊がおきました。 一分先のミライ。そこが、ひつわけした未来。と、いうイメージに変化しました。 一つのパン生地を 小分けにして たくさんのパンが生まれるがごとく、君も僕もうまれてくるそんなイメージを 私の場合は持ちました。 どうしても この詩を るる風にしたくなったのですが、詩作しているうちに この詩の結句は >君が君でいられるまで であるのに、私(るる)が崩壊しそうになりました。(滝汗)わたしは、わたしでいたかったため くりかえし 本作品を読み、詩作をし、そして現在は 崩壊しました。(笑) …長文レスになり失礼してます。ご清聴ありがとうございます。 (手の鳴る亡霊)

2020-10-11

こんにちは  この詩は、耽美であると感じました。愛するモノが 他の愛するモノを ねらって ぼろぼろにしている様子を、時に残酷なほど冷たい生き物と言いながら その自由な様子を、読書をしているというだけでなく、生きたプリズムとまで 言って 愛でている。これが 耽美でなくて 何でしょうか? 本は あわれな残骸になっているはずです。しかも その本は、わたしのお気に入りの本であると、あります。なかなか、倒錯してますね。いけない恋の話を聞いているような気までしてきました。(笑) 全体的に喜びに満ちた筆致が、ここちよかったです。この作品の中で もっとも私が好きだった箇所は、「生きたプリズム「」です。リズムなら あたりまえすぎたところだったかもしれませんが、プリズムです。ただの光でもなく、様々な色に分散した光がプリズムですよね。光のことを表していながら、音楽的な表現だと思いました。うつくしいです。 なんだか こちらまで幸せになりました。 ありがとうございます。 (読書する小鳥)

2020-10-10

めっちゃ うけました。 わらいました。感想など 書けないです。力作だというのに(( ´艸`)) (20201005通告書 (徒然なるままの妄想白書))

2020-10-06

こんにちは。楽しく拝読いたしました。 私は、ヘーベルハウスのCMが好きなのですが、キリンやゾウを起用して 日常生活の中に 人間より大きな生き物が存在するというだけで十分楽しいのに、この作品のように 物語があると、楽しいですね。 告白なのですが、題名の「きりんのかそう」ですが、読み終わるまでは、キリンの火葬だとおもってしまってました。えぐい終わりにならなくて ほっとしているところです。ろくろっくびの火葬くらいの怖ろしい話になったら、どうしようかと 思いました。(汗) 動物園に行けば、きりんには 出会えるので、ついつい キリンといえば、どのようなフェルムか解ってしまうのが、通常の固定概念だとは思いはするのですが、本作品のように曖昧でよく分からないほうが 世界が ゆたかなものだなあ、楽しいなあと思いました。 ちょっと思い出したのは。私の場合は 江戸時代の画家、伊藤若冲の作品に 鯨と白いゾウが描かれているのを思い出しました。ゾウを見たことのない画家の描いた、ゾウが曖昧で イイ感じなのです。 ↓つまり、わたしは 最後のこの行が 大好きです。 >首と頭の長さは、だいたい、同じらしいよ) かおなしか! と、つっこみをいれたくなったりして  楽しい読み物が読めました。ありがとうございます。 (きりんのかそう)

2020-09-19

素敵な父と娘だなあと、思いました。 漠然とイメージしたのは、昔の映画紹介で観たことのある小津映画のように 美しい所作と言葉の人々のいる世界を イメージしました。 心理学者の「私はこれを「自由の誤謬」と呼ぶ」なんて 言葉を反芻している お父さんの ゆれぐあいが、私には うつくしかったです。 (Daughter)

2020-09-18

おはようございます。 私の感覚では、現代人の多くが生と死の関係が 身近ではないのかと感じている気がしています。たとえば、人の死が近づけば 病院に行くでしょうし、人は他の生き物を食してはいますが その死に立ち会う人は稀です。 ですから死と立ち会うことで感じるであろう「お前のせいだ」と、責められるような気持ちの経験も 現代人の場合は 少ない経験のはずです。 わたしにしても、そうです。私は 弟を亡くしているのですが、母が かなり長い年月「私のせいだ」と言っておりました。私の近親者の死を例にするまでもなく、現代人が 死と立ち会うのは 多くの場合は近親者の場合だけです。 けれど、この詩は ちがいますね。 >死んだものが 目の前にひしめいていた (と、あるので 死が、そこらじゅうにあるのでしょうね) >誰かの顔が >蛞蝓と蛆に覆われている >声が聞こえる(と、あるので 死から かなりの時間が経過しても 死体が虫がたかる場所にあることとを 示していますよね。) これは、戦争体験者の方々のお話と 同じであると感じました。 畜産に関わってこられた方の言葉は 違うなあと思いました。 残念ではすまないようなことがらも うけとめてきた方々によって支えられているのだなあと 思いました。 私にも ささやかな残念に思うことが いくつもあるのですが、 せめて、私のとっての残念なことがらを 適切に うけとめたいと 思えました。 ありがとうございます。 (目を開けた)

2020-09-14

おはようございます。 「すたすた」という題名も 楽しいです。この作品を読んで あたまに浮かんだのは、ディズニー映画の「アナと雪の女王2」で オラフ(魔法で生まれた行き雪だるま)が歌っていた 「おとなになったら」と、いう曲です。 よかったら、聞いてみてください。たのしい曲です。うまくいえませんが、すたすたって感じが 私は してきます。 (すたすた)

2020-09-14

なんだこりぁかあ。と、いえば 志村けんさんも晩年の作品となってしまった ドラマなどで、まじめな役柄に とりくんでおられますし、 すいません。私も うまくいえません。(( ´艸`)) お読みいただうえにいた 私のキャラクターにまで 思いを馳せてくださって 嬉しいです。ありがとうございます。 (すこし)

2020-09-12

そうなんです。夏の感覚が描きたかった。時間すら止まる夏です。 ああ 深く読んでくださって感謝です。ありがとうございます。 (すこし)

2020-09-12

狂牛病が日本で騒ぎになっていた頃に、畜産協会という場所でパートタイマ―して働いていました。大切に関わっていた生き物たちを殺処分する お気持ちは、やりばがない ご様子に 言葉もありませんでした。 あのようなことが、人であることは 残念ながら ありました。あまり 考えたくはないのですが  それでも伝えようとされている方に であったので、書かせていただいたしだいです。 (すこし)

2020-09-12

会話形式でお返事を書きたいので、引用させていただきますね。 「この後半の詩を読んでテーマ性ががっつりと伝わった&詩の前半がすごく引き締まった!と思うのですが、 一方で前半の詩の独特の間や、死が無限に引き伸ばされていった結果現実に浸食していくような、ある種のホラー感は減った気がしております。」 おっしゃる通りだと、思います。正直いうと、前半が 私の創作物です。 後半は 事実の裏打ちがあるのだという メッセージを 書き加えたかっただけのことですから。 「なんにせよとても素晴らしい詩でした!」 (投票し忘れましたが、8月ベストです!) まあ、八月のベストだなんて 恐縮です。 ただ、わたしは この作品で 優劣を他の作品と競う気持ちがなかったため ビーレビ杯には不参加の意志を表明させていただいてましたので、まさか そんなお言葉をいただけるとは 夢にも思っていませんでした。うわあ、おどろいた。あわわわわわ。 とっても 嬉しいです。ありがとうございます。 (すこし)

2020-09-12

詩でコメントを書いてみたくなりました。 「沙羅双樹in the soy sauce」のパクリで題名は「こんな沙羅双樹de inde sky (デ インデスカイ)」 ********************* 「こんな沙羅双樹de inde sky 」 祇園精舎の鐘の音  勝者に必死で頭さげ stereoさんの顔を見上げ 「あんな兄ちゃん  おごれる人も久しからず、ねぇ1000円軍資金おごってyo^」 年金の入る日には とんかつに醤油かけ パチンコに行く時だけが 目が輝く そんな婆さんに おごってyo^」 そんなんで いん death か Money to die 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色は白く 花が終わると実をつける その実の様子は まるで 婆様が子供の頃に見た パチンコ台のチューリップ だから いいんです  勝利の日は目が、婆沙羅 敗北の日は 芥川の羅生門  家に帰ると ステレオないし音楽は無い 人の気配も無い だけど パチンコ屋さんには、stereoさん 居る! ハレルヤ キングにモンクのひとつでも 言ってやる! (沙羅双樹in the soy sauce)

2020-09-04

今度は「く」ですか!はーい。「く」に句でかえしてくださってありがとうごさいます。 書いていく くの一気分で るる参上 (く)

2020-09-01

>繊細な感受性がどうかそのままで前に進みますように。 前にすすもうと思います。応援ありがとうございます。 (く)

2020-09-01

くのいち。は、おもいうかんでなかったのですが、「女」と言う漢字が分解された漢字だと私も聞いたことがあります。くノ一。忍者が考えた とんちですね。ふと、きになって 女と漢字そのものの成り立ち検索したら ひざまずいた女性の形からきてたので、いがいと この詩にあっていて おどろきました。 (く)

2020-09-01

お読みいただき うまいだなんて、過分なお言葉までありがとうございます。 選んでいただいたフレーズの熱に共感していただけて 嬉しいです。 (く)

2020-09-01

お読みいただきコメントまで ありがとうございます。 お読みいただいた通りです。グランドの木の下に人々が埋まっているて ことです。 この詩は、グランドから骨がでてきたことを ご存知の方のお話をうかがっているときに、私の脳裏に浮かんだことを 文字にしたものです。 実際のお話は、「グランドからでてきた。」としか うかがいませんでした。 わたし自身は、お話をうかがっている間 植物の根が見えた気がしたので このような詩にしてみました。 その根は、桜かも しれません。 (すこし)

2020-09-01

リュウグウノツカイみたいな ドレープ感のカーテンが目に浮かびました。 そのあと 竜宮からの使いという言葉が しるはずのない前に住んでいた人のことと重なり やわらかなここちにさせていただけました。ありがとうございます (リュウグウノツカイ)

2020-09-01

おもしろかったです。これは、真っ赤な用紙に白字で印刷して、バレンタインデーに使用させていただきます。 なんというか、ご苦労様でした。 ありがとうございます。はやく、二月が来ないかしら。 (好き好き 大好き 愛してる)

2020-08-31

こんにちは 詩作品を投稿する楽しみの一つに、様々な人が 様々な感想をいただけることだとおもっているので、私も 勝手な感想を寄せさせていただきます。 私の場合は、本作品をよんで 田口ランディの「被爆のマリア」というオムニバス形式の短編小説を読み返したくなりました。 長崎のキリスト教会が被爆したことを モチーフに書かれた小説だからと いうのと、 題名の なんだか アホっぽい感じ いっちゃってる感じが、田口ランディの「被爆のマリア」を 私に思い起こさせたからです。もし お暇でしたら、読んでみてください。 わたしは、掃除して その本を見つけて 再読するつもりです。ぺこり。 (にじいろ、もぐもぐ)

2020-08-26

コンコンという音が随所に使用されていることにより 淡々とした音楽を聴いているかのような感覚になりました。 読者のひとりである 私なんかは、コンコンと音を立てているエヤコンのよく効いている部屋で、ときどき 理由のわからない咳をしながら 本作品を読みました。 世間は、今、コロナ渦で 多くの人が閉塞感と向き合っています。 この状況で読む本作品に、妙なシンパシーを 私は感じました。 いつまでとは考えず、 わたしも この詩のように 扉を叩こうと思いました。ありがとうございます。 (昏々)

2020-08-19

おはようございます。 右手は、はたらきすぎで かわいそうかも しれないなあ。と、思いました。 慈愛を感じます。 (手首)

2020-08-13

心の体積を測るメモリが ないことを、 書いておられるけれど、メモリーは あるんだろうなあ。きっと……。って、 おもいました。 (メモリのない世界)

2020-08-06

実(じつ)のある言葉に出会えました。 排泄物って、からだの内側にあるときは 汚くも臭くもないから 秘めていても 恥ずかしくも なんともないんですが、ひとたび 外に出ると「クッソー」ですね。 便の詩といえば、他には 濱口國雄の「便所掃除」や 一時期に流行った「便所の神様」が ありますが、あれと この詩の違うのは、ご自身のモノとして 実直にむきあっておられる点だなあと、なにかこう ……心うたれました。 ごまかしが、ない。 心意気が、いただけた気がします。 ありがとうございます。 (糞便)

2020-08-06

ボードレールの詩のことは、まったく念頭にありませんでした。 ボードレールさんはフランス人なので、その鳥のことを日本語ではアホ―という語感で呼んでいることは、ボードレールさんは たぶん ご存知ないような気がします。でも、ここでは「アホ」であるが大切でした。(汗) ボードレールの詩が読んでみたくなりました。コメント ありがとうございます。 (つぎつぎに潤う)

2020-08-05

「優しさで溢れた絵本のようです。」 絵本のようだというお言葉は、私にとって 最高の賛辞です。 ずっといぜんから 絵本の書ける人でありたいとおもいつづけていたことが この詩に 現われているとしたら、こんな嬉しいことはないです。 ミミカキグサもレッドロビンも植物なんですよ。 幼児に聞かせるつもりではなかったのですが、もっと 幼児に 聞かせるつもりで 描きたくなりました。 さいごの「窓烏」は「窓硝子」の言葉遊びです。こてこてで どこかで聞いたことのあるような遊びです。 「アホー」のことも好意的に読んでいただいて 小躍りしてしまいそうでした。 全力な前向きになれなかったんです。まだちょっとね。そうね体が湿っている感じでした。けど前を向こう。……みたいな感じでしたね。たしかに! この詩のあと「バカー」っていうのがでてくる詩のようなものが うかんだのですが、 なにが詩で なにが詩であるかが、さっぱり分からなくなったので しばらく黙ってました。 でも、寄り添っていただけたので 元気になってまいりました。おかげ様です。 ほんとうに ありがとうございました。 (つぎつぎに潤う)

2020-08-05

ゴメンナサイ。誤操作デス。 (つぎつぎに潤う)

2020-07-31

素朴な質問をさせてください。 動画は、Satakenさんの作品ですか? (カエルの誤ち)

2020-07-27

おはようございます。 まず、題名が面白いですね。「語るな」と「語るな」。おんなじやん。(笑) わたしは詩のようなことを書くことを 歯磨きのようにしてきましたが、 「語るな」と、わたしの脳は私に指令を出すので、ソレに 従っていました。 詩なんて書こうともしない日々を 何日か過ごしていますと、詩どころか ネットすら ほとんどしない友人から電話がありました。その人は、コロナ鬱になったので、快癒のためには友人と話をすると良いと聞いて電話をしてきたのです。 言葉をすこしも選ぼうとしない話を、何日か しばらく聞いていました。 そして、わたしは詩を書いてきてよかったと思いました。良い詩か書けるとか書けないという問題ではなく、すくなくとも 少し伝わればという願いをもって 言葉と向き合う時間を持つことが 私にはできていたからです。 私は この詩を読んで、苦杯がなんだあ。薬は苦いものだからこそ 言葉を選ぼうとしなくちゃなあ。と、勇気が湧いてきました。ありがとうございます。 (語るなと語るな)

2020-07-27

具体的に し が動き出していて面白かったという評をありがとうございます。 そういえば、もしかすると 詩は ほかの芸術より いままさに うごきだしているという表現に向いているかもしれません。 コメントから きづきまで いただけました。ありがとうございます。 (し)

2020-07-18

はじめまして入間にご縁のある方なのでしょうか?私は、入間に 思い出あります。 地名をみるだけで胸のあたりが温かくなるような 思い出です。 だから、なんだか。「読ませていただきました!」とおっしゃっいただいて、温かになりました。  『し』は死か詩かはままたそれ以外か。ですか?むむむ  それ以外のふくらみも あったような なかったような。ありがとうございました。 (し)

2020-07-18

わお。返詩として川柳なんて おつですね。 私も さらに つづけさせて良いかしら? 詩して詩化バネ ひろうものあり 意味は、私の詩作品をバネ(飛躍の道具)として ひろいあげてくたさり ありがとうございます。という意味を込めてみました。( ´艸`)   (し)

2020-07-18

”し”の飛沫が見えたようでした。見えないものが見えたと言っていただけただなんて、作者冥利につきます。ありがとうございます。 (し)

2020-07-18

嬉しい評をありがとうございます。情景は、雨の日におもいついたので かんじたままを 言葉にしただけだったのです。そこのところを情景も悪くないと いっていただいたので、雨の日も良いものだとおもえてきました。ありがとうございます。 (し)

2020-07-18

だんだんと自然に大切な話。音楽のような うつくしいコメントありがとうございます。 すこし関係ない話をします。だんだんという 言葉をありがとうという意味で使用する地域があるらしいですね。感謝がふえていくようで うれしかったです。 (し)

2020-07-18

>人間には色々なしがらみがあって、それは 人を強くも弱くもする。 同種間の関係だけて生きていることが多いのは、人間くらいのような気がします。 他の多くの生き物にも 他の生き物との関係性はあって、それは その生き物を強くも弱くもするけれど、人間だけが 同種である人間のことを中心に思い悩んでいるなあ。と、思いました。 私も ときには、虫のように 逃げたくなるなります。逃げるべき時には うまく逃げたいです。鳥のよう飛びたいときも 想像の翼や飛行機に実際に乗れるなら乗って、ときには自由に なるべきときらなろうと思いました。 この作品を読んで、私は 他の生き物に 生き方を 見習いたいなあ。と感じました。  人間関係は、わたしを 弱くもするし強くもする。人間はイメージの力で 弱くもなるし強くもなる。他の生き物を じっくり 見てみたくなりました。必要なくらいに弱くそして、必要なくらいは強くありたいです。 読ませていただけて よかったです。ありがとうございます。 (人間)

2020-06-15

こんにちは 「化生」とは、現実ではない場所でまどろんでいる生を描いておられるのかもしれないと感じました。 死の世界のように時間の経過が おかしい世界でしょうか? 冒頭の「コンクリートの溶けた匂い」が 私の場合は イメージしにくかったです。私の経験では アスファルトの溶けた匂いは嗅いだことがあるのですが、コンクリートの溶けた匂いは 私の経験の中には無い匂いだからです。 「化生」だから 経験することのすくない匂いがあるのだろうかと、作品に 惹きこまれました。 (化生)

2020-06-04

なぞめいている作品だと感じました。おうちゃくでも良いから ドロリ感の半端ないコーンクリームに、なにかを行うらしいですね。しかし、なにをどうするのかを読者に ゆだねられていて、空想力を かきたてられました。 わたしならプールくらいあるコーンクリームの鍋の中で泳ぎたいと思いました。 (コーンクリーム)

2020-06-04

なにがあって こんな劇的な感情を経験されたのだろうかと ほほえましい気持ちで拝読しました。 (僕もやさしくなれた)

2020-05-08

Twitterで拝見したことのあるのですが、#アカウント名の最初をぽにすると可愛くなるの【ぽ村利勝】は、ここで 読むと、あいらしいです。 〇ぽ村さん仮説:  リーディングA=《作者》がテキストに記した意図に沿った表現・再創造の行為。  リーディングB=《言葉という生き物》の表出衝動の媒体となる。自己の肉体を媒介として言葉の創造本能を実現させる行為。  Aは近・現代詩(テキストの詩)の朗読・朗誦  Bは古代詩・神話(日本では和歌や祝詞)→《言霊》と人間の交信・交流 〇ぽるりら仮設  リーディングA=人間同志のコミュニケーション  リーディングB=人としての種を超えた行為 若しくは、人として以前の雄たけび ぽるりら(私のこと)は、人間と人との違いについて思うのです。人間って 字面が三密ぽいな、と 思うのであります。   Aが足りてないと コロナさわぎで人々は感じているところではありますけども  もしかしたら、コロナはBを取り戻すために発生したのかもしれない。ふと、そんな気がいたしました。   (某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉)

2020-05-08

《艶やか》はムリみたいだし清楚系サラダのようなドレスで行こう 世界一優しいうたを聴いて寝たえほんとおもちゃが散らばった部屋 それぞれが孤独を抱えたバス停で同じ眼をした少年をみた 個人的には、この三種が好きでした。清楚系サラダが特に好きです。 (はずしわすれた風鈴が鳴る)

2020-05-01

貝殻を耳に当てると潮騒のような音が聞こえると、いいますものね。 おばあさんのすることを なにか滑稽な感じにとらえつつ おばあさんのことをわかろうとするがわからない 感じとかが 良いなあと、感じました。 (いそのちしお)

2020-05-01

>また、あなたはあなたの好きな男を愛して良い。 母親が女であることは、子にとって うけいれがたい 気持ちの悪いことであるのが普通で、そんな中、好きな男を愛して良い。と、詩文の中で宣言しておられる言葉から、葛藤の中から 光をみようとする お気持ちが伝わりました。 (かあさん)

2020-05-01

最初の連が 胸にささりました。 私の母は ほぼ全盲に近い人であるからです。 この作品の表現にあるように、私と母の交流も すれ違いが多くあります。 しかし、 りゅうせんけいとは うつくしいことは お互いに感受できるはずだと、思いました。 りゅうせんけいのうつくさは、目で 感じられる類のものなだけではなく、流動的な 風のながれ水の流れであるからです。 わたしは、この作品に 生活の貴重なヒントをいただきました。ありがとうございます。 (盲目の詩)

2020-04-26

「効率化を目指した経済が停滞してます。したがって、コロナ騒ぎの今は効率のご時世ではありません。実際には、いまは、非効率バンザイの時期です。そもそも、効率一辺倒の世の中が正しいとは限らない。だから非行に走る率も高いでしょう。でも、言葉は想像力は、飛行します。飛躍の根源もきっと、言葉。なんくるないさ。あきらめずに、言葉の泉で遊ぶさ。」 ←この詩文のような対話のお返事です。 ビーレビで選考を行うのは、できるだけ読むのに 有効だと感じています。良いモノを良いというために有効だと、私は感じています。良いものは良いという。多くの人々の良いものを良いと認める動作が いつしかワクチンにも つながるのではないのでしょうか?わたしは、そのように思いました。 by 真清水るる (はやくワクチンをください。)

2020-04-17

返信が遅れて申し訳ありません。 湯煙さまへ 江戸時代などは、けっこう 様々な職種があったようです。 冒頭は、書き方を失敗してしまいました。これにめげずに またチャレンジしていきます。 ありがとうございました。 ミリウェイズ さまへ 最初の書き方は、わざとでは ありません。やらかしてしまったのです。 恥ずかしくて穴があったらはいりたいです。ご指摘ありがとうございます。 (鋳掛屋)

2020-04-16

こんにちは  世の中を見渡してみたら、人々の心はコンピュータ制御されているものにばかりに向かっているように思えますね。けれど、この詩の心は生に視線が向かっていて魅力を感じました。 羽のはえない蝉とか、どれほどの人が 発想できただろう。 すくなくとも私の場合は この作品を読んで初めて、羽根のない蝉を想像しました。そして、世の中にスマホというものがあるので ついうっかり、羽のない蝉は異常なのかどうかを検索してしまいしまいました。(答は、書きません。) バグって、コンピュータ制御されたものに囲まれているエンドユーザ―にとって、どうしようもない我慢するしかないものですよね。わたしなんて、ついうっかり、最悪のバグを調べてしまいました。(死傷者のでるようなバグです。) >脳みそのないひとが生まれたとして、果たしてそれは死んでるんでしょうか? >ただのバグ、なんて気もする、んです。 ガーンと、頭を叩き割られた感じがしました。脳みその分量が少ない方は実際に、いらっしゃいますよね。そのような方々は、死んでいるんでょうか?と、この詩は問うている。ガーン。と、わたしの場合はなりました。率直すぎる そのような疑問を私の場合は、書けないです。すごいです。そして、その後の行を読違いをおこしてしまいました。 バグがハグに見えたんです。 なんだか、 ただのハグが、必要な気がしました。ありがとうござました。 (バグ)

2020-04-16

全行が体言止めになっており 小気味よいです。スパイスで〆ているのも、、良い効果だと思いました。 (人生の割合)

2020-04-16

私は、むかしは 心中もの話がどうも共感することができない人だったのです。ですが、この作品を読んで 情が沁みる感じがしました。武蔵の絵とかのせいもあるかもしれません。武蔵の絵を、知らなかったのですが、なんともいえないですね。この詩はなんともいえないです。烏がいてくれたから、私にも読めたのかもしれません。あと、心中で どうして こころの中と書くのでしょうか。烏に聞いてみたいです。 (春風に吹かれてる)

2020-04-16

トビラ様へ 運営の真清水るるです。 いつも当サイトのご利用ありがとうございます。当サイトは、投稿者の作品が読まれること、他人の詩を読むこと、そして そういったプロセスを経て ユーザーの皆様が自身の作品の向上に努めることのできる場所を目指しております。  トビラ様の今回の コメントは、作品以外のことを多く書いておられるようにお見受けします。当サイトの目的をご理解していただき 作品に関係ないコメントは ひかえていただきますようお願いいたします。 (笹)

2020-04-04

おはようございます。この詩文を拝読して、私は 高村光太郎の「道程」を思い出しました。 それは、なぜだろう? >わたしは雨の隣にいる そして >隣というとてもとおい場所にしか >わたしの相槌は届かないようだ しかも >友と連れ立って歩く この冒頭の箇所で、雨は友であり 友は雨であり わたしには、この詩の相槌は雨のようにも思えたので 大自然に抱かれているような慈雨と言っても良いような遥かなものと一体化したかのような気がしました。 だから私は、昔に学校で習った高村光太郎の「道程」を思い出したのかもしれません。 たしか教科書には 短文の作品しか掲載されていませんでしたが、プリントで渡された「道程」の詩は長文詩でした。その超文詩を思い出しました。 おかげさまで、詩の隣という とてもとおい場所が いとおしくなりました。ありがとうございます。 (彼方まで)

2020-03-30

stereotype2085 さんの作品を読むと、仮想空間であれ現実空間であれ ひとりで存在しているわけではないと、私には思えるのです。それは、よく話手の近景や 詩の背景である社会が浮かびます。 stereotype2085さんのツイキャスで いつだったか。「るるりら(私の別ハンドル)さんの父様はどのような方でしたか?」と話かけていただいて、ナイスボイスのせいか ときおり その質問を 自身に投げかけてみることがあります。だから、stereotype2085 さんのお父さまのお話を伺いたいと思っていました。 この詩を拝読し、お父さまの面影を感じられるようなのですが、不思議なことに わたしは 私の父を想いました。 父を想うと 波の音が聞こえます。わたしは私のことばで「父の形見からは 波の音が聞こえる。 」という詩が書きたいです。拝読できてよかったです。ありがとうございます。 (the father)

2020-03-29

残念ながら、わたしのパソコンではエラーで動画の再生ができない状況です。 (菩提樹の下で)

2020-03-29

なぜか、童謡【おぼろ月夜】(冒頭は「菜の花畠に入日薄れ……」)を 思い出しました。それは、この作品には 風景描写が ふんだんにあるからからしれません。千のあどけないまなざしは(美しい童子、新緑の服の少女は) 田中の小道を巡る人(by童謡【おぼろ月夜】)みたいに行き来しているので、私は 【おぼろ月夜】を連想したのかもしれません。 この作品の中では 僕だけが立ち止まり、かなしみを見ている。そして、僕と同様に 愁いのある牧神(架空の親友)にお酒を贈っている。 わたしの場合は、この麗日に童謡【おぼろ月夜】を贈ります。風景に溶け込み一体となるかのような感情に酔いました。 (麗日)

2020-03-20

(鋳掛屋)

2020-03-16

宇宙飛行士がなんらかの理由で死亡し、その彼を検死のための解剖を 描いた作品として拝読しました。 個人的には グロテスクという感覚について考えさせられる作品でした。 ホルモン治療の跡があったりすることや、遺体が生前に語っていた年齢が実年齢より かなり若かったりすることが、どのようなグロテスクであるか? 宇宙という場所との関係があるのかないのか。 遺体とあまり向き合う経験のない人にとっての グロテスクは、うろんな手つきでスプーンでスプーンでもって、血の流れている遺体が ここに、ある。と、いうことが グロテスクであるはずですが、グロテスクは 知性と興味の方向性で変わる。そのことが、私にとっては興味深かったです。 (宇宙飛行士の解剖)

2020-03-13

しらす。残酷ですよね。 題名の意味が 最後の行でやっとわかりました。 いっきに 食べちゃう。  ああ 生きてたんだよなあ、と 実感する瞬間ありますよね。 あるなああるある。って うなずきました。 (底のシラス)

2020-03-11

過去にこのビーレビに投稿しておられた【 秘法(第一巻) 】 の結語のことを、私は この詩を読んで思い出しました。 >「光あれ」と >二度と云つてはならない。 宗教に依るな。刹那を見つめろ。 今を生きて、刹那を捉えてよう。と、諭された気がしました。 しゅわしゅわあと ふつふつと、湧き上がるボエジィを 私も描きたいなあと、書きたいぞ。と、思いました。 (レモンサワー)

2020-03-11

魅力的な詩だと思いました。「魅」という文字は、魔の匂いがするという意味があると聞いたことがあるので、魅力的です。 ただ、残念に思った点があります。この作品は画像のみによる投稿だという点が残念でした。下側の色が黒い色を選択されているため、私の画面では 詩の最後が読み取れませんでした。日本語の詩の特徴のひとつに最後に重きをおくことがよくあるので、残念でした。 私は なぜ この詩に惹かれたのだろうか?それは、なぜ 私は赤に惹かれたのかの問いに似ています。(つまり、なぜ惹かれたのか、私自身 よくわからない(汗)。ただ昨日の夢の中で「赤あ」と、だれかが言っていて、私は、この詩にコメントを付けとこうと思いました。この詩は本能に触れたのかも) 赤といえば、村山槐多という詩人がいました。彼は絵を描く詩人で、赤に固執した絵を描く人でした。ガランスという高価な赤の絵の具(ガランス)で絵を描く快感を、遺しています。よかったら検索してみてください。案外、恒常的に眠い人さんのお気に召すかもしれません。 (崩れる詩)

2020-03-09

雨樋の ドラムロールの 煽りよう て、行が 楽しかったです。 ゲリラ雷雨のような情景が目に浮かびました。 カンナは夏の花ですから、題名から 察して、花盛りの時期に ひきちぎられるように散る花に ご自分を照らし合わしておられるんだろうなあ。 はじけてしまいたい思い 感じました。 はっちゃけてしまいましょお 踊るのを促すドラムロールの音が 聞こえてますよ! (夏の雨の詩)

2020-03-07

おはようございます。この作品の作者は、夢の島という島のことを ご存知なのかしら?と、おもいながら 拝読しました。コメント欄を拝読して、あー。御存じだわ。と、思いました。 すこしだけ もう すこしだけ 塩が効いていたら、良い塩梅だったのではないかなあ。と、感じます。 (夢の島)

2020-03-07

この詩は、男女で 飼われるような生き方(なにかに依存した生き方)をしたいかしたくないか?という話をしている詩だと思いました。 私は ハムスターを飼ったことがあるのですが、ハムスターには環境を選べないので そのような気がしたのかもしれません。 (ハムスターになりたい)

2020-03-04

手触りを 感じているよ 射る言葉に (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (ill)

2020-03-03

瞼とじ 彩生(いろどりしょう)ずは 我のみぞ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。雪の中に身を置いた気分で書いてみました。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (雪と夜が┣泥┳なず┫む)

2020-03-03

夢見てる ゆめゆめそんなと 思うけど (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (雑踏)

2020-03-03

そらの青 ひと飲みにして ひととなる (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (青の飲み物)

2020-03-03

躓きを ひるがえせるぜ 猫ならば (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (Beautiful)

2020-03-03

若いけど なし(無し、梨)にはしないで 林檎だよ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (愚か)

2020-03-03

こんにちは この作品は、ドラマ性が高い作品ですね。このドラマは、2012年には まだ、日の当たる場所にいた人物がいて、その人は薬物依存に陥っている状況からの脱却しようとしている人物。そして、この作品は その人への応援メッセージの詩作品として読みました。 あわれもない女性が隣にいたりする状況とか、リアルですね。話し手は、ドラマの映像をみながら作中人物へ声をかけているかのような詩の構成になっているなあと 思いました。 stereotype2085 さんは音楽にお詳しいと聞いたことがあったので、 2012年のなにかしらの出来事とは、なんとなく なにかコンサートかなにかがあったんじゃあないかなあという気が、個人的には しました。 私の想像だと、このドラマは 芸術的才能がある人物が自身の感覚の拡張への欲求から破綻してしまった物語だと思ったのです。ですが、それは深読みかもしれませんね 私がこの作品で好きだった言葉がありました。 >もう君には関係ないからね。君は自由だ。 という箇所が好きです。過去というダークな出来事しかいない すべてのことは >もう君には関係ないからね。 そして、 >君は自由だ。 未来と過去を比べると、だれだって過去はイメージする材料が たくさんあります。切り捨てるべき悪習を切り放すための物語や 言葉が、今の私には 必要だったからかもしれません。だから>君は自由だ。が、好きです。 もう一つは、愛猫が かわいかったです。猫ちゃんが、家でまっているということは 荒んだ暮らしをしている この人には、どうやら帰る場所があるみたい。 未来が見えにくいときって、そういう温かい場所があるって、大事なんだろうなあと思いました。 遠ざかる 過去から猫を すくいだせ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (Beautiful)

2020-02-29

拝読いたしました。 (あなたは「おばちゃん」になれるか)

2020-02-28

僭越ながら、反論をさせていただきます。 異論は二点です。 まず、一点めは「昭和の或る時期に生まれた人が おばちゃん」か?  arielさんは、令和二年の現在において「おばちゃん」とは、昭和の或る時期に生まれ、まっとうに生きてきた女性に限定されるなどとは、詩文の中で書いておられないです。 >予定より20年早く >今日から私はおばちゃんになる と、書いておられますので ご自分のイメージの中に漠然とある おばちゃんと よぱれる年齢には20年は早いけれど、おばちゃんとなることにした。と、あります。 それは、つまり arielさんは ご自分の親世代より年を重ねておられるくらいの世代の方々のことを 「おばちゃん」となんとはなしに感じ取っておられるのだと、私の場合はとらえました。 実際に、「おば」と発音し「叔母、とか伯母」と表記する親戚は、当事者にとって親世代の方々くらいのことが多いですし、 >予定より20年早く >今日から私はおばちゃんになる のは、日本語として自然です。親子ほどの年齢差をイメージされているんだと思いました。     ですが、南雲さんは、 arielさんは昭和の或る時期に生まれ、まっとうに生きてきた女性に限定されるのが「おばちゃん」であると言っておられます。 それは、努力でなれるものではありません。昭和のある時期に生まれない限りは、無理です。そのようなことをarielさんは 一言も書いておられません。なぜなら、昭和に生まれることは、努力でなれるものではないからだと 思われます。 二点めは、「まとも」「まっとう」とは なにか?です。 南雲さんによれば、【まっとう】とは、男女でこのようなケースがあるそうです。 ●母、主婦、独身女性、働く女性、ママさんなんとか、キャリア女性、自立した女性、パートのおばさん、等々であろう。これらが【まっとう】と見なされる女性の生き方をあらわす言葉。 ●世間的に【まっとう】と見なされる生き方をあらわすのは、夫と父ぐらいであろう。 ↑ これらは、偏見です。世間ではなく、南雲さんが これらの人々を まっとうとみなしているだけです。    いうまでもにいことですが、世間は 多種多様な不特定多数の人々によって構成させています。妻、母、主婦、独身女性、夫、父、独身男性。これらはすべて立場を示す言葉ですが、世間の人々というものは、それぞれの立場に対して、【まっとう】であるとか【まともでない】かを言うものです。 例をあげると、    まともな妻、まともでない妻。まともな父、まともでない父。というように、様々に勝手な評価をくだすのが世間です。 ですから、 【妻】であるだけで まっとうとは 世間の人々はあまり言わないです。南雲さんがそのような感じておられるに過ぎないと、私の場合は感じました。 さいごに、本作品の引用をさせていただきます。 >相手の目 >この目線の高さを保つことを >皆でゴールとしよう わたしも、本作品のように 目の高さを水平に保つことを 目指したいものです。 (あなたは「おばちゃん」になれるか)

2020-02-27

菩薩ならば 爪で自灯明を 説くのかも (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 写真と題名だけでの投稿なのですね。斬新です。 (観音菩薩にキスしたら)

2020-02-27

面白い作品ですね。 ゴキブリ三億年の歴史のなかには、あの姿に極似なまま1メートルの巨体の種類が生息していたことがあったそうです。そのころ、私たちの祖先は小動物だったので、ゴキブリに喰われる恐怖と戦っていたとしたらなあ。と、つい想像を盛ってしまいました。(汗) そうです。ゴキブリの一瞬のすきをつき、自分にとっての最良のシチュエーションを 自在にセレクトをする 私たちの祖先。 私たちの祖先て、ゴキブリに 似てるなあ。って、思ってしまいました。 だから、私たちは羽あるものに 憧れることがあるんでしょうか? イヤ。わたしたちが、ゴキブリには、あこがれてるはずは、ないですよねえ。あれれ? ごきげんな 天使の羽が 油ぎる ※雛祭り イベントやって、ます。詳しくは、フォーラムをご覧ください。 (ゴキブリメンタル)

2020-02-27

>ひとつとして散らすことなく蜜を食み 去ってゆく この観察眼に驚きました。ヒヨドリはスズメよりは大きな鳥なので、花びらくらいは ちらしてしまいそうなものを、丁寧に食している 鳥の幸せそうな様子が 手にとるように感じられました。 やさしみの視線だと思います。うつくしいです。 元来、詩の役割は おのずと美しい自然を 詩を読む人に取り戻させる役割りもあったのだなあと たちどまりました。ためいきがでました。 (ヒヨドリ)

2020-02-26

まさに、いま 現在のわたしの心境のような 言葉が、この詩であると 感じました。 ただ、結語が 腑におちませんでした。 (詩はいつも死の傍に)

2020-02-26

とても おおきな景色を感じさせていただけた詩でした。地平をどこまでも歩いた気分になりました。そして ひろびろと清涼で明るい朝を わたしの心にいただきました。ありがとうござます。草雲雀(くさひばり)とは、のコオロギの一種なのですね。検索かけて 虫の鳴き声を聞いてみたりしました。日本人に生まれてよかったと しみじみしました。ありがとうございます。 さやうなら いとけなき声 草雲雀 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (北に向かつて歩く一日)

2020-02-25

時間は 現在をつきづきと過去へと送り込んでいくものなので、時間に追われて暮らすと せかさされているかのように感じられます。しかし、私も 時間を先んじて追いかけたいです。しかし、先んじたつもりの事象は すぐに過去となるものですね。 私は この詩から、階段と登りのエスカレーターの並んでいる場所で どちらが早く植えり階にたどりつけるかを競争するときの感じを思い出しました。 先んじたつもりで、階段を地道にあるいていたら、隣で登りのエスカレーターで ただ立っているだけの人に追い抜いてしまう あの感じを思い出しました。 時なんてね いつの日にかは 超越だ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (私と時間)

2020-02-25

あれ? ふりがなのつもりでした。ごめんなさい。 (クロカンスキー)

2020-02-25

拝読していると筋肉の律動が伝わってくる感じがしました。まるで歩く回遊魚のように 休みなく歩くしかほかに生き方がないかのようだと感じました。 パスカング 歩く回遊魚と ┣他人┳ひと┫は云う (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (クロカンスキー)

2020-02-25

花澤様 運営の真清水と申します。 私が、ためしに、ポイントを前衛に1ポイントを付与してみましたら、付与できました。 いまいちど 、前衛のボタンを押してみてくださいませ。 ポイントについて、説明させていただきます。 ポイントは 他者の作品と相対的に評価するためのものではなく、該当作品への絶対評価です。 ポイントは、読者の評価表現方法の 一つです。しかし、他の作品より優れものものであるという評価ではありません。 他の作品より優れていることを評価する方法が他にありますので、ご案内いたします。 ビーレビ杯と称してだれでも 毎月5作品を優秀作品として 推挙できますので、是非 推挙をしてさしあげてくださいませ。 (魂魄)

2020-02-16

ariel 様へ そうなんですよお。なんでやねん、という怒りをぶちまけてくださいます方との関わりが リアルに つづいてたんです。死による喪失感は だれしも口述しやすい事柄ではなくてですね。当然隠すことになるんですが、「悲しみを隠していたから 怒りの人にばかり出会っ」ちゃいました。 (内側から湧き出る)悲しみは、その悲哀こそ 生きるための知恵の泉の水に成りえるのかもしれないです。DAKARAこそ、どんどん泣いたり、身体を動かしたりして、汗にして蒸散させたり、いろいろと巡らせて行こうとあらためて思うことができました。ありがとうございます。 ( DAKARADA)

2020-02-16

こんにちは 魂魄って、死者のたましいのことをイメージしますよね。でもたしか、「魂」も「魄」も、どちらも日本語では、一字だけで独立させて記述しても「たましい」と読むんだったと思います。検索にかけてみたら、「中国において本来は,人間の体内のエネルギーである気を司るのが魂,形体を司るのが魄と呼ばれていた。」とありました。つまり、魂魄という言葉は もともと生きている人間を対象としていた言葉が魂魄だったようですよ。 この詩は死者の目線の詩のようですが、生きている人の魂と魄で考えるなら 人間の体の中のエネルギーは、 「さいしょから なにも なかった。」というより 最初は、エネルギーは あまりなかったんだと思います。赤ん坊の体がとても ちいさい状況からだんだんと大きくなるように「魂」も「魄」も徐々に エネルギーは増えるもんなんじゃあないかしら? 死者目線でこの詩を書いておられるのはわかるんですが、 生きているから詩が書けておられるだしなあ。むむむって思いました。 ぜったいに すくってやる。って書いておられるけど、それは、今ですよお。 (魂魄)

2020-02-16

よくぞ。生き方を改革なさいました。 うっかり しゃれこうべになったら しゃれにならないところだったと思います。 水を得た 魚になれるさ これからは(働き方骸骨) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (五七五でコメントをつけさせていただいております。) コメント (働き方骸骨)

2020-02-16

こんにちは 救急車で ある人の手を握って「死ぬな」を連呼した経験が 私にはあります。 あれから何年も経ったある日に、その人が 何度死のうとしたけど、本当に意識が飛んだのは あのときだったと言われました。 私の場合は、あのときからというもの  内心では(生きて)って言葉を 思ってはいるけれど、発音できなくなりました。「来てよ」とか「会おうよ」としか言えないです。「来てよ」とか「会おうよ」とか「これ美味しいね」とか さまざまな言葉かけのぜんぶが 「生きていてね。」と、同じ意味だなと思っています。 生きていて   生きるの飽きても    生きていて (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (生きていていいんだ)

2020-02-14

ps本作品では、排水とあるので下水を扱うべきところ 上水にしちゃいました。この詩の哀しみは 私にはうまく表現できませんでしたが、すてきだと思いました。 (それぞれに川は流れている)

2020-02-13

思い出は 暗渠化されども 清く流る  (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 先日、スーパーマーケットの駐車場の側溝に  ご年配の方々のひとだかりができていました。「なんですか?」と聞くと、その溝は どうやら小川に続いているらしくて「メダカがいるんだよ。で、とってるのさ」と言っておられました。かつて川だった部分が地下のパイプを通るようになっても、人の心の思い出という名前の川には、いきいきとした思い出が いつまでも棲んでいてくれると いいなあ。って、思いを 返詩として書かせていただきました。 (それぞれに川は流れている)

2020-02-13

おばちゃんは あめちゃんあげて がっははは  (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 実は、わたしは、小学生のときのあだなが「おばちゃん」だったんです。だから私の場合は他人から「おばちゃん」と言われるのには かなり慣れているんです。けれど、この詩みたいに、自分から自分は「おばちゃん」だ。と、胸をはるのとは、だいぶ違うもんですね。 この詩のいう「おばちゃん」に 私もなりたいです。どうしたらなれるんだろ? それで、ふと思ったのですが。大阪のおばちゃんみたいに 飴ちゃんを だれにでもあげられるように準備しているような人だと、おばちやん的な「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が、実践できる気がしたのですよ。 たのしい詩ですね。 (おばちゃん)

2020-02-13

我は海  木遣り遠のく      年の瀬に 僭越ながら、五七五で句のようなものを書かせていただく失礼をお許しください。 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 「私もとうとう海となるのだ 」といフレーズを 真清水が海となる境涯の来る日を想像し、この詩文に想いを重ねさせていただきました。  お写真も詩文も スルメのように噛めば噛むほど味わいがありました。潮の匂いまで感じてしまったほどです。これは、海に生息する小さな生き物も 真摯な目で掬いとるように描写しておられるせいかもしれません。   こくろ。  こくろ。 ↑さりげなく置かれている このオノマトペ (と、呼んで良いかわかりませんが)も秀逸です。波音に包み込まれているかのような気持ちにもさせていただきました。 海に何度も訪れたくなるように、この詩も 何度 拝読しても別の心をいただける予感がいたします。この作品に出会うことができて、私は とても 幸せです。ありがとうございます。 (落雁)

2020-02-11

やまだくんは、書かれてないですね。失礼。 (ぼくたなか)

2020-02-10

昨日は 財布に明日が 入ってたよね (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 そういえば、お財布に明日が入ってないことって よくあることかもなのかもしれません。ドンマイ (書かれなかった日記)

2020-02-10

ひとつしか 地球はないこと わすれてた (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 たなかくんとやまだくんによろしくです。 (ぼくたなか)

2020-02-10

罠を買う 震える唇 うつくしい (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 うつくしい絵が浮かびました。そして、その後に 詩編の漢字になぜか目が止まりました。それを抜き出して 並べると、この詩の体が現れてきた気がしています。いかがかしら? (夜を売る少女)

2020-02-10

福田マスオに 海藻利権は おまかせあれ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 今日、2/9は ふぐの産地下関では、福の言葉にかけて ふくの日です。 本作品は、たもつさんの「増えろワカメ 」にインスパイヤされてお書きになったものでしょうし、ここはひとつ いつもはフグ田さんなのでしょうが、福田マスオさんに花を持たせてみました。 マスオさんは、海山商事勤務ですし、きっと 増え続けるワカメちゃんとも上手くやっていくことで賞。 (わかめ)

2020-02-09

こんにちは まず、この詩の最後の言葉が好きです。 「幸せになる為に これからも生きていく」ポジティブで さわやかで良いです。背筋がしゃんとする思いがいたしました。おそらく作者が表現されたのは、前向きな生き方をしたいという思いですよね。 私にとって mimiさんの出現は、まるで春のおとずれのようでしたよ。春は新しく明るい光の季節ですが、春野菜には 苦味があります。本作品の話し手は、わたし(真清水るる)と同世代かもしれないと 思いました。(もう少しで初老を迎えようとしているよ)とあるからです。そして、わたしも諦めないで温かい気持ちを持ちながら、あらたに出会う人々を信じて生きていたいという思いを持っているので、この作品の話者は私の同志です。 けれど、コメント欄では苦味もありますね。それも含めて 春のような作品だと私は思いました。 本作品は、前述したように わたしにとって とても共感したいというは意欲に駆られる作品です。しかし、残念ながら 共感ができずに首をひねった箇所が、あります。他の方のご意見と重複しますが、その箇所は四連目です。ありのままであることの大切さを描いておられますよね。 >生きてきてこれは絶対って言える > 絶対って言葉は大嫌いだったけど >人は怖くないし裏切らないって気がついた ↑ここなのです。私(真清水るる)が、わからなかった箇所は。 今 現在の私の話なのですが、私は、絶対という言葉が嫌いなんです。 ところが、この詩文では、大嫌いな言葉が覆っているではないですか?できれば、私も その心情の変化を 本作品を通して体験させていただきたかったです。 「人は、絶対に怖くない。」「人の気持ちを動かすのは金品じゃない 」と、絶対だと、心の底から言いきれることができたら、それはとても素晴らしいです。「人が人の心を動かす」と思えることも、ほんとうに 素晴らしいです。 ですが、なぜ そのような奇特な心情になれるのかが、拝読していて 私には解かりませんでした。 思うに、この詩に共感できない人がいらっしゃる理由の一つは、「人」という言葉自体が持っている言葉のサイズ感に問題があるのではありませんか?人という言葉には 大義と狭義があると思うのです。 「人は怖くないし裏切らないって気がついた 」という言葉だと、真清水の場合は 共感できないのです。テレビをつけたら 人間の恐ろしい面がすぐに次々と映し出されてきますよね。それなのに、「絶対に人は怖くない」と思いこむことは、恐ろしくないですか? しかし、もしこれが「この人は、怖くないし裏切らないって気がついた」という意味であったらどうでしょうか?一人のとある人物に対して、この方は怖くない。裏切らない。と芯から思える方に出会えたら、これ以上の宝はないと思うのですよ。 この詩にもし人ってほんとうに信用できるなあ。温かいなあと思えるような エピソードが描かれていたから、 もっと説得力のある良い作品になったのではないでしょうか? 人間の悩みは、人間関係につきると思います。だから、この詩のテーマはとても大事な点に着目しておられます。 「ありのまま」という言葉がありますので、この詩は人生の往路を進むアナと雪の女王のような気がいたしました。 この詩の話者は、「ありのまま」と「少しも寒くないわ」を、mimiさん独自の天衣無縫スタイルで のびやかに唄っておられ、私は好感を持ちました。 弱らずに 齢(よわい)重ねて 鎧なし (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (セカンド・ライフ)

2020-02-06

椿落 重ねる思いに 音もなし (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。はじめてのご投稿で、このような謎のコメントを受け取られたら驚かれているかもしれませんが、下記のイベントです。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (椿)

2020-02-05

せいろんさん この詩の わたし自身の評価は、低いです。BAKARAむしろ 嬉しかったです。 ありがとうございました。 ( DAKARADA)

2020-02-05

蕪城一花様 運営の真清水るると申します。 本サイトは、マナーガイドラインとして◇ ビーレビ3ヶ条を軸に掲げて運営がなされております。 https://www.breview.org/forum_blog/guideline_and_rules 「二 ここは芸術家たらんとする人々が、作品投稿、コメントによる合評のプロセスを通して、「詩作及び文章を書くことの喜びを大いに味わって頂ける」場所である。」 よって、「詩なんか書いてる暇があったら口のきき方から練習して来い」といったような 詩を創作する人を愚弄する文言は、お控えいただけますよう お願いいたします。 (カロンに口づけ)

2020-02-04

喫茶去とは 「飲み物をどうぞ」の意味だけど 店を去る (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。ps「喫茶去」って言葉は、禅の言葉です。おもてなしの心のことです。この詩は、おもてなしの心のない店をイメージしました。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (喫茶店)

2020-02-04

おとなしい 大人になるのは つまらんよ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。ps子どものような笑顔の大人になりたいです。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668  (大人に)

2020-02-04

椅子ひとつ 虚空に置きて 座する人 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (永遠の定義)

2020-02-04

せいろん さんへ 全角英語と半角英語が混ざっているのを おもしろがってくださってありがとうございます。やっぱり おもしろかったかあ。って、思いました。うふ あのお「またヒット作を連発してください!!」ですか? もしかして、ぱっとしない作品群て、もしかして わたしらしくなかったですかね。やっぱりそうかあ。わたしが一人でそう思っているのかと おもいましたあ。わっはは。 言うて、せいろんさんは、ホームラン うてる方ですよお。さあ 打っていこー! ( DAKARADA)

2020-02-04

「義憤心を持ち続けるタイプの、覚醒。」とは、なんと 素晴らしい表現をしていただけたことでしょう。この詩と言えるのかどうかが不明な駄文の事を、そんな風に書いていただけるなんて 思いもよりませんでした。 書いてよかったです。 黒髪さんは 核心に触れておられて、驚きます。 この文章は、一言でいうと ピリオドが心の中に現れた気がしたことを 印として ここに置いておこうとした文章です。 「ヒロシマの核」に触れていただくなんて、有難うございます。私は「ヒロシマ」とは記していないにも かかわらず、黒髪さんには おわかりになったのですね。 私は、廣島がヒロシマとなった時代のことを知らない世代なのです。しかし、確かに、ここのところ 廣島をご存知の方との交流で 言語化しにくい感情を持つことが、頻発しておりました。 そんな中のある日、わたしは 焼け焦げたベットの夢をみたんですよ。そして、そのベットのことを その夢の中で、私の弟の名前で呼んでました。私は弟を亡くしてまして、死因は熱中症であり核は死因とは関係してないのですが、私の弟は原発で働いていたこともある人でした。だから、弟は核と無関係ではないです。夢の中で私が見た 焼け焦げたベッドのことを、わたしは 覚えておきたいと思い書いたのが、この文(詩かも)です。 かなしんでいたいです。ヒロシマのかなしみのことを 感じていたいです。けれど、私はヒロシマとなった頃の世代ではありません。けれど、そうです。そのとおりです。焼け焦げたベットは、それでも そのことを感じていた。 今、生きておられる方々は、私の周りもいらっしゃる方々は75年の前の傷を いまも 持っておられます。その痛みを理解することは、できません。しかし、わたしにも 「義憤心を持ち続けるタイプの、覚醒。」は、ある。私の心の中にもある ひとつのピリオド。が、ある。そのことを、書いたのだなあと 感じているところです。黒髪さんのおかげです。  【隔たりが透明であるならば、それは孤独を緩和する】 【壁に隔てられているよりも。言葉で、壁を作らないでみる】 そんなことを わたしは私の身体をもって、実行してみます。黒髪さんのコメントは、私の杖になります。おかげ様で歩いて行けます。ありがとうございます。 ( DAKARADA)

2020-02-04

猫と行くさ 全部が嘘さ 嘘の光さ(字余り) (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。(字余りになりましたが)) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (誰が為に)

2020-02-04

時間軸 メビウスの輪へ 接合す (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (約束)

2020-02-04

フリガナ ふりがなを入れたつもりが 失敗しました。紅で(くれないで) (ダンスダンスダンス)

2020-02-04

放課後よ 暮れないでくれ ┣紅┳で┫ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。アネモネには赤色の花もあることに かけました。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (ダンスダンスダンス)

2020-02-04

忘れてた リップサービスと 燃ゆる思い (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 (よく失くす物)

2020-02-04

ふりむくな 笑顔の君は すてきだよ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 コメント (あの日)

2020-02-04

年末は煩悩の数の短詩。一月は政策。二月も楽しみです。 (スーパー政策)

2020-01-30

おはようございます。(とは、いっても たまたま寝てないのですが) プールのような未来。枠のある自由を想うと、 果てのない自由を想うより 今日の私にとっては自由を感じ取ることができました。 今は、目を覚ましています。天使をイメージしていたところに この詩に巡り合いました。これは奇跡です。ありがとうございます。 (未来)

2020-01-29

●奥間空さま あしのゆびの ひとさしゆびは ひとのことなんて ゆびささんゆび あしのくすりゆびは くすりなんてぬれないゆび このところを きにいっていただけて嬉しいです。 日常にある違和を見つけたので ご紹介したくなったのですよ。 共感していただけて嬉しいです。ありがとうございます。 ●右肩ヒサシ さま あの短さは たしかに ちょっと可愛らしいですよね。 皮はほかの箇所より ごっつくて、 たしかに どこかふてぶてしいです。でも、詩にしてあげてみました。 日の目に あたった気がします。ありがとうございます。 (ひとささんゆびたち)

2020-01-28

こんにちは わたしは、オオカミについて考えるのが 結構好きなのです。ですから、オオカミが比喩として使われていて、ふるえる思いでした。 オオカミは、日本の場合は絶滅したとも言われていますよね。 この詩には、オオカミのほかに 「黒電話」というあまり使用されなくなった道具もでてきます。懐古主義的な叙情ですね。いつだったか災害のときにこうし携帯が使えない場合に、今の人々が ダイヤル式の公衆電話を使用することができるのかというルポをやっていました。ダイヤルの仕方を知らない人が多いらしいですよ。このような世の中にあって、黒電話の叙情のの解る方は もっともっと すくないはずです。オオカミも 解るようで解らない動物です。これらの分かり難いモノを用いて表現しておられるあたりに ふじりゅうさんって、攻めておられるなあと感じました。 >若草色の吐息が溢れている ↑こことか、綺麗ですね。 初読のときは、言葉に酔いすぎではないかと思いました。けれど、 みずみずしい色を吐息に感じるなんて 素敵だと しみじみ思い始めているところです。 若草色、うっとりいたしました。このふたりは ふるびない恋愛を生きているのかもしれないなあと思いました。 (遠吠えは汽笛を掻き消すほどに)

2020-01-24

火花を前にして なにが言えましょう。 絵も拝見しました。炎が様々な心を まきあげていると感じました。 コラボの方に、「なにもいえなくなった人がいる」と、お伝えください。 (あまりに情熱的で静かだから)

2020-01-24

短い個人的な感想となりますが、いままで拝読してきた南雲 作品の中で、一番 好きです。 (火がついたのは一度だけであった、サンキュー)

2020-01-24

わたしが提出した お題なのに、いまごろになって返信させてくださいね。 【わたしも、ここに居ます。 】by るるりら編   あけおめ 旧暦は二十五日   ことよろ こちらこそよろ   ころころ  頃合いは春節だ   ひらがな 漢字の国の中国   そろそろ 日本に来るらし   ひらかな で歓迎しようか   かのえの 你们 好にいはお   ねずみの 年なんですね鼠   ぞろぞろ 気もそぞろがち   こうしん してるけど風邪   りせっと してよねたのむ   はっしん 発疹きをつけて      わたしも      、ここに      居ます。        都合よく     会釈して      発信する     二〇二〇      鼠の年 (わたしは、ここに居ます。)

2020-01-24

この詩を元ネタにどなたか映画を撮ると良いのにと、思いました。 まず、画面の中で、女優さんがベットに寝ている映像が映し出されていて  薄暗い部屋の中で この詩の全文が 女優さん自身の声のアフレコで入ってるんです。 そして、 全文読み終わったころに、朝がきた場面にかわってカーテンなんか、バサッとあけて 主人公がはちゃめちゃなことをしでかす。……という映画の冒頭を妄想しました。 私の 妄想も 許されるはず きっと許される なんちゃってね。というか、こんなコメントを書いてよかったですか? コメント (許される日)

2020-01-24

面白いことを考えられましたね。。他の方も書いておられるけれど、たしかに ツッコミたくなります。 まず、言葉をキーボードで入力するときに、目を閉じて適当に打ち込んだだけでは このようなランダムな言葉は、出てこない気がするのです。ローマ字入力モードだの かな入力モードの範囲で 表現されてしまう気がするんです。だから、この詩って ランダムに表記するための工夫がされている気がします。ときどき まともな単語が入っているじゃあないですか?それは、AIの予測変換かしら?いい感じに いけそうな感じのする表現ですね。 いや、普通に なん回もやっているうちには、シェイクスピアの一文が バーンとでてきたりしませんかね。ブラインドタッチなんかのできる人もいるので、可能だと おもうんですよ。 でも、キー配列を覚えている人ができても 面白くないですよね。 たとえば、お猿さんに適当に、キーボードを叩いて もらったとします。すると、偶然に 画面に【To be, or not to be】なんて言葉が、ババ―ンと画面に でてきたりしないかなー。 でてくること、あると思います。 シェイクスピアって、膨大な文章量が残っているし、劇作家だから 短文も多いので、何万回も適当にやっていたら、なにかの台詞がヒットしそうな気がします。なんだかよくわからないとこが、この詩の良いところだなあ。 わくわくします。楽しかったです。 ***** 追伸。↑のようなコメントを考えていたら、コメント欄に「無限の猿定理」ってあるらしい。 うん、あると 思います!なあんだ、わたしの言っていることと おんなじだわあ。わっはは (目をつむって右手の人差し指でキーボードを叩き、シェイクスピアを打ち出すまでの実験詩 実験No.4873)

2020-01-24

題名は、「燃える花びらは巨大な井戸に落ちる」で あってますでしようか? すべての人に盲点というものがあるのだそうです。人の目の構造には見えない点があるそうです。本人は、とても正しいことだと思っている事柄。それは、本能的に正しい。しかし、きっと そこには盲点がある。見えていない事柄があっても、本人には きがつくことが、できないんだと思います。 人は見ようとしたものしか見えない。だから なにも見ようとしない人には なにもかもが見えない。だから、しらずしらずのうちに閉じてしまった幾万幾億もの閉ざされた扉って、実際にあるんだろうなと 思わせていただけました。 灯を持つ人にしか、見えないことがあるのだと思います。なにせ、その人の周りだけは明るいでしょうから。 灯を持つ人を失った獣たちは、路頭に迷うかもしれません。 人々は燃える花びらのように 巨大な穴に落ちてしもうかもしれません。 そして、それでも きっと、這い上がると思いました。 というか、這い上がることはできる気がします。 人には盲点があるけれど、 盲点があるのがわかっている人が灯を掲げていたという事実だけは理解できたなら、 それだけを頼りに、(私は、) 人間だもの 這い上がろるぞ。(って、思いました。) 上手く言えませんが、勇気をいただけました。ありがとうございます。 (Burning petals fall into the huge well)

2020-01-23

シュールな作品だと思いました。 冒頭の 夕暮れに >海のかなたにある黒点は >鯨ですか 太陽ですか >しぶきをあげて沈んでいく の部分で、海のかなたに見える黒い点は ししぶきをあげて沈んでいるそうなので、そりゃあ ファイナルアンサーは「鯨」だろうなあと 冒頭を読む限りでは 思いました。 太陽の黒点は、肉眼では見えないのだから、海のかなたもかなた地上が見えるはずはないという概念を超越したかなたになら、太陽の黒点はあるはずです。 六畳の部屋で こころおだやかに太陽の黒点を想うとき、きっと太陽の黒点は見えるはず。 目を瞑れば、あざやかな空間に まるで共鳴のように、自分の心の焦点が見える気がしました。私の脳裏にも鯨と黒点が並列にみえてきたから この詩は不思議でした。 (黒点)

2020-01-23

エロティシズムを感じました。冒頭で、官能的権力という強い言葉で読者を殴打しておられるのに、私の感想ときたら「エロティシズムを感じました。」なんという素直すぎる感想ともいえないコメントは、なんなんだ。と、自分でも思うのですが エロティシズムを感じました。 この詩で私が好きだったのは、話者の視点です。権力者の視点ではなく、権利に 身を委ねたかった話者の視点で書かれているところが、好きです。歴史上の本当に権利を持った人々の場合ならば、自分達の権力をライオンや薔薇といった 見るからに美しいものとして 掲げてきたのでずか、この詩の権力はセクシィです。そして、グロい。 この詩は、権力を客観的に捉えているところがクールで、惹かれました。中心人物の背中に蜘蛛の彫り物も まがまがしいですね。彫り物の視点も闇を感じます。闇と同時に、グロいものに惹かれる人間の実相を魅せつけられた気がします。 (権力の背中で嗅ぐ匂い)

2020-01-22

こんばんわ。 昨年は、災害が おおくありました。 知人の地域も 台風で 大変だったようです。昨年に かぎらず、近年は災害被災地の多さには 驚いています。 もしかしたら、被災をされて 悲しい置き物で書かれておられるかしら。と、思いました。もし、深読みのしすぎでしたら すみません。 いずれにせよ。大切な方を亡くされた方にとって、言葉が杖となり、力となることを、祈らずには いられません。 (草々)

2020-01-21

おくればせながら あけましておめでとうございます。 私の年越しは、蕎麦をたべなかったあたりが 新しかったです。 この詩を拝読すると、以前は、なにかを止めておられたが 今は あるがままなのだ。というあたりが なにかを悟った僧のような風格のたたずまいだなあと感じました。 猫ちゃんがかわいいです。猫のような人に 私はなりたいです。 ことしも よろしくお願いします。                るるりら拝 (行く年くる年)

2020-01-21

誤字および、敬称がぬけており、すみません。かなり いっちゃってる内容ではありますが、2019に夢うつつ?さんが やりたかった事柄と、達成した項目にチェックが入っている。と、書きました。失礼しました。 (2019 今年やりたいこと)

2020-01-21

はじめまして、私はラウシェンバーグについてけして詳しくないので、作者名を検索にかけたところ、何枚かの作品は観たことがあると認識できました。観たことがあると言っても、芸術系のテレビ番組で観たことがある程度の読者です。私が観たのは、様々なものを、コラージュして一つの作品にしているという印象の作品でした。 前置きが長くなりました。本作品で重要なのは 宗教のようですね。 >煩悩を花に秘めて >雑念を幾何学に封じて ↑この部分は 曼荼羅を前にしているかのような心境になりました。 >妖艶は石膏に ↑この部分では、ローマギリシアあたりの石膏像が浮かびました ラウシェンバーグの絵は、様々な物のコラボでできあがっていることを想うと、 この詩も、東洋的なものと西洋的なものが意図的に組み合わせてあるということでしょうか? そして、一月という一年のはじまりにふさわしく 人々の思いが未来にむかっていることを示しておられる気がしました。未来に向かって進むではなく、流る。と、表現しておられるところで、なんとなく 行く川の流れは絶えずして元の水にあらず。と、いう言葉を想いました。 流れの先は、同じ海に行きつくような、そのようなイメージを持ちました。しかし、ラウシェンバーグは生前いつも今を切り取ろうとしていた芸術家だと聞いているので、この詩が描いているのも 行く先ではなく、今 現在。という瞬間のことを表現しておられるのかもしれないなあと、分からないなりに 鑑賞させていただきました。 (詩 絵画ラウシェンバーグ「寺院」より)

2020-01-21

×ヒバネス 〇ハピネス (9090年のハッピネス)

2020-01-21

こんにちは 私は、stereotype2085さんの描かれるデストピアのファンです。 ですが、この9090年kの場合は、デストピアではなかったなと思いました。ヒバネスを感じました。この世界観は、ざっくり四捨五入すると西暦一万年ごろの世界ですね。でも、2020年と そっくりなところが、今の人類にとってほほえましいです。 工場跡地があって、蒸気機関が遺物になっていて、そしてAIがあって、雇用とか賃金という概念があるところが、2020年と そっくりです。9090年にもなっても 人間は絶滅もせずに、愛とかを語っている。そして、人々の不平不満は2020年と同じようなところが皮肉がきいてて良いなあと思いました。 とってもハピネスだなあと思いました。 個人的には、 >外にはもう歓びを求めず、体内で感じる歓喜を求めることだけが9090年の幸せ。 ↑ 個人的には、この部分のお話を盛りたくなりました。体内の歓喜が 私の妄想欲を掻き立てているところです。 (9090年のハッピネス)

2020-01-21

箇条書きのチェックリストで構成されていて 面白かったです。2019に夢うつつ?やりたかった事柄のうと、達成した項目にチェックが入っているという意味だと 私は捉えました。 2020年の私からの提案としては、すべての項目を題名にして詩を書いてみてはどうだろうかと、思いました。 (2019 今年やりたいこと)

2020-01-21

海外生活の長かった友人の話を、させていただきました。単文なのに、主語が 分かりにくくて、すみません。(礼) (なし)

2020-01-15

こんにちは カタカナを 忘れた ら、日本人ならば かなり 呆けた顔になるだろうなあと、おもいつつ。合わせて すすきの原っぱ を、おもいました。 唖然とするしかない感じがします。 まと外れな、コメントになるかもしれませんが、海外生活が長い方が日本でくらすにあたって、ひながなを忘れてて 弱ったと言っておられました。 具体的にいうと「し」の文字のカーブは どちらに まがるのかを、忘れてて 愕然としたらしいです。もし、カタカナを本当に忘れたら、 とても 基本的な部分を 忘れてる心境になるだろうなあ。と、遠い目になりました。 (なし)

2020-01-15

phantomだから、実在しない幻のことだろうから。この詩は、きっと 有り得ないと思えているけれど、あなたに振り向いてほしいという詩ですよね。 「夢うつつ」という言葉もありますよね。「夢」って、現実ではないことを普通は言う。 「うつつ」って現実のことを示す。そして、「夢うつつ」だと 現実とは思えない 現実のことですよね。 言霊ってものを信じてみると、案外 運がひらける気がしました。 この詩の場合は、夢が現実になっていない詩ですよね。自分の詩の中で 自分の言葉のことを陳腐な表現とか、チープとか そのような卑下を書いてしまうと、言葉にひっぱられて 夢は現実になっていかない気がしないでもないです。 だから、夢を現実にしたいならば、まず あまり自分を卑下をなさらないほうが良いと思いました。 (phantom)

2020-01-14

おはようございます。 「真っていうのは、自然のままってあう意味らしいぞ」という問いかけを、わたしも 自身に問いかけながら、動いてみたいと 思いました。アナ雪のテーマソングのさびである「ありのまま~すこしも寒くないわ」を、思いました。自分らしくって、まずは 動いてみないことにはわからないです。やる気がでてきました。ありがとうございます。 (心真)

2020-01-13

他人より秀でていたい気持ちは、 誰にも邪魔されない境地を味わいたいってことなんですね。 冗談で 「列車でだれよりも先に目的地につきたいならば、一番最初の車両にのれば良い」と、言った人がいたのを 思い出しました。 ドアが開くまで降りることはできないし、一番先頭の車両はたいていは プラットホームの出入り口から一番 遠いんですけど。一番って、なぜだか一番良いですよね。 一番って感覚のもつ 感覚って、不思議だなあと思いました。 (自由について)

2020-01-10

砂取船が 良いなあと思いました。 父が造船業だったので、海を見ながら 様々な船を教えてくれて、砂取船のこともおしえてくれたことをちらと 思い出して、遠い目になりました。海辺で砂のことを想うと、潮騒も聞こえており なんともいえない感慨になったものです。 >岸辺で美しい円錐となる 個人的にはなんですが なんとはなしに砂時計の砂が円錐になっていることを想起しました。 (メメント・モリ)

2020-01-08

私自身の身近に居てくれている障碍を持つ人や、私のごく身近にも居る自死念慮に囚われがちな病を持つ人のことを想いました。「ありがとう」の言葉こそが ひかりであり、にもかかわらず 「ありがとう」という光は 有ることが難しい。「ありがとう」とは、有難いという言葉が語源だとも聞いたことがあります。 実際の話。わたしは、すぐに 闇の深さに取り込まれそうで怖くなる傾向があります。 私も、この詩ように淡々と「ありがとう」という光を心に留め置くことのできる人になりたいと、思わせていただけました。 ありがとうございます。 (光)

2020-01-07

おはようございます。 憤りに囚われているときって、セオリーに囚われているときなのかもしれないなーと、ふと 我にかえりました。 自己流のセオリーの囚われから 離れることができる瞬間さえあれば、 あーあの時は 自然ではない方程式の中でループしてたんだなあ、と 思うことができるはずです。 私は、失敗の多い人間なので 今も恥ずかしいことばかりを経験している 真っ最中なのです。失敗すると心臓のあたりが、どくどくと熱い感じがしますし、この煮える心拍数の上がる感じが長時間になっちやうと、憎しみを育てることになりそうです。それって、怖い話です。 年末に、ファム ファタルという言葉が気になったことがありました。妖艶な悪女を描いた芸術です。その一つであるギュスターヴ モローという画家が描いたサロメである「出現」という絵に とくに惹かれました。生首が浮いているくらいですから 不自然 極まりない絵なのです。豪奢な衣装をまとった美女が 光の中に浮かぶ生首を指さしている絵なのです。欲の塊のような絵なんです。 人の心って、突発的に不自然な生首のような血みどろな思いを出現させてしまうことがあるような気がします。 しかし、「欲」という目には見えないものを可視化させてみせてくれているモローの「出現」が絵画として制作された過程には、モローの欲を超えたものを望む心がある気がします。 あらゆる優れた芸術には、欲を超えたものを望む心を育む力がある気がします。 そして、黒髪さんの詩には、黒髪さんご自身が 良くあろうとする葛藤のなかでの希望がいつもある気がして、この詩もまた素敵だなあと 思いました。そんなかんだで、今年もよろしくお願いします。      byるるりら (欲について)

2020-01-06

まず 目についたのは、常用漢字が多く使用されている作品だということでした。内容は、毒針に刺されて 徐々に命を奪われていく耽美さを表現しておられて、ちょっと痺れました。 しかし、昔の書籍がそうであったように、ルビがあったら また別の味わいがあったのではないでしようか? ビーレビの作品投稿欄を開くと、画面の下のほうに、ふりがなのつけ方があります。 ※ふりがな:┣ ┳ ┫で囲みます。 例:現代詩の朗読 ポエトリーリーディング ┣現代詩の朗読┳ポエトリーリーディング┫ (-KILLER-B->)

2019-12-24

クリスマスイブに この詩が拝読できてよかったです。 詩でしかできないことが触れられている「そんな一瞬を写真でしか切り取れない」ことにたいする思いを 拝読すると、 やはり詩でないとだめだわという意識しました。 髪が伸びた 音なんて聞こえない といった表現に、時間の流れを感じました。 時に対する思い。この時期は、このような感慨が胸に沁みます。 (独り、ほの赤い雪の上に)

2019-12-24

なんだか、こねこみたいに あいらしい女性が 目に浮かびました。 (這う詩)

2019-12-23

深海の生き物って、未知の生き物という感じがして 惹かれます。いいですね。 深く潜る生き物、そして 生きている化石と言われているシーラカンスは、コーノさんにとって悲しさの権化なかあ。と思いながら読みました。 全体的に私の好みの世界が描かれているから、私は この詩はイイ感じの詩として読んだのですよ。 ただ、ついていくことができなかった箇所もあります。 この詩は、シーラカンスのように 孤独でも 堂々としていろ!って詩ですよね(あってますよね) >彼の、目を細めている姿こそ 魚って、まぶたがないです。古代魚も無いんじゃあないかしら 目を細めているということは、擬人法ですよね(あってますか?) シーラカンスのように 堂々としているべきだという詩に思えるのでずが、拝読して得たお魚のイメージが、ディズニー映画のお魚みたいにウインクとかも できちゃいいそうな感じがしました。 あと、もうひとつ素朴な疑問があるのです。シーラカンスって 寂しいんでしょうか?シーラカンスって群れることはないんですか?なんとなくなのですが、シーラカンスって群れていそうな気が私は します。 だって遥か昔から あの形のシーラカンスです。シーラカンスにはシーラカンスが代々うけついできた理想郷が海底のどこかにありそうなもんだと、私には思えてるんです。 ほんとうに孤独だったら、とおに絶滅してる気がするんですよ。 シーラカンスが好きなもので、つい辛口評になりましたが、なかなか魅力的な視点をお持ちですね。 (シーラカンスの詩)

2019-12-23

おはようございます。量子もつれによる量子力学について全くの不勉強なのですが、渡辺さんへのコメントを拝読すると、合気道のようだと思いました。 合気道が他の格闘技と違うのは、相手の力に対して 相手の気を利用するという話を思い出したのです。合気道では、相手に力を加えられたら、はむかうのではなく。まるで介護するがごとくに相手と同じ力加減とタイミングで 舞を舞うように、なったく同じ動作を行う。すると、相手が加えてきた攻撃の力が 相手に加えられることがある。……みたいな話を聞いたことがあるのを なぜか、思い出しました。 相手と自分のと関係は敵ではなくて、同一な気が廻っているみたいな イメージを持ちました。うまくいえませんが、知的な刺激をいただけました。ありがとうございます。 (量子の彼方)

2019-12-20

自分の殻を破るのは、他人からみたら簡単に思えても本人にとっては、なかなか大変ですよね。 この詩を読んでいると 【啐啄同時】という言葉を思い出しました。禅の言葉です。 雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から音を立てることが「啐」で、そのとき同時に親鳥が外から殻をついばんで破ることを「啄」。ふたつあわせて【啐啄】。【啐啄同時】の意味は、雛が殻の内側から破るのと、同時に親鳥が外側からつつくのが、丁度良いタイミングと力加減で行われると、殻が破れる。このことから、良い指導者と 物事を教わるのに理想的な関係を表現した言葉が、【啐啄同時】だと、聴いています。 自然界のリアルな卵って、外からの衝撃には強くて内側からの衝撃に 弱くできているのだそうです。だから雛の力のほうが先に啐いて【啐啄同時】が起こる。本作品とは、リアル卵は、構造が逆になってますね。 人間の心の殻って、内側が強く外からの力に弱い感じが たしかに、……します。 自然界の卵の逆の力。人間の心の殻の場合は、リアル卵とは違って 外からの圧力のほうが あっさり殻を破れそうな気が……、たしかに します。 ここは、ひとつ。 あきらめず、どんどんSOSを発信しましょう!外に聞こえるように叫ばないと あかんかもしれませんね。もっと声を大にしましょう。「だれかあ、私の殻を破ってくれぇ!」もっともっと、叫びましょう。 そのうち、いつかきっと だれかが殻は破ってくれます。 実は、わたしも殻を破りたいです。わたしは 自分の殻を破ることをあきらめません。 わたしの殻の破り方を知っている方は、どしどし 殻の破り方の方法論を教えてもらいたいなあ。なぁんてことを想いました。 殻を、是非。やぶりましょう!わたしも あきらめませんよ。ちぇすとお! (私と卵)

2019-12-18

スマホのちいさな画面で、最初にみたときは、人影らしきラインが 人影ではなく、家系図のラインに 見えたんです。 人影と、気づくと 何やら せまってくる感じがしました。作者には 面影が うかんでいそうな感じが肉迫して、せまってくる感じが、しました。 (家族がいた)

2019-12-18

この雨という小さな海がどこから落ちてきたのかを私は知らない この夜という巨大な影がどこから落ちてきたのかを私は知らない 私のいちばん大きな痛みを私は知らない 私のいちばん悲痛な叫びを私は聞かない おはようございます。↑この四行を、暗記したいくらいに うつくしく思いました。 生きるために嘘は、つくが必要なことがあるのは、一読者の私にも こころあたりがあることです。なので、詩文が他人事としてではなく、自分の事として響いてきました。 全体の詩文は慈雨に満ちています。四行の強度に負けることなく、すべての詩句を 牽引し、さらに 高めている。 とても立ち上がれない心情がひしひしと伝わりました。しかし、それでは終わらず、それでも 一歩を振り出す姿に、私は勇気をいただけました。 珠玉の作品を 読むことができました。ありがとうございます。 (知らない、でも知っている)

2019-12-17

おもしろかったです。怪談て お題で だされたひとつひとつが、おもしろかったです。 夜中に百の題名の物語を語るて、遊びがありますが、解答のひとつひとつに ストーリーをつけたくなります。 (詩をリードファイター、自由律電脳仮試合)

2019-12-14

おはようございます。 かたほとり。って、文語的ですね。口語文体で書く人の多くは、「ほとり」どまりの書き方をされるんじゃあないかしら?言葉に強度を与えたいというお気持ちの現れのようにおもえます。作中の少年にも気骨を与えている気がします。  母恵夢というお菓子の名前を 私が初めて知ったときは、結構な衝撃だったです。 ふじりゅうさんにとっても衝撃だったのでしょうか? あのお菓子って、やわらかな味ですよね。母恵夢って名前の企業さんにとって母性とは、菓子に例えるとこんな感じだということなんだと、納得できるような しみじみさがある味だと、私も思います。 >貴方は奇跡的な人だった >ボクも奇跡的な人草の一本でしたか 母恵夢というお菓子の名前がでているので、ここでいう貴方は、母として読みました。 自分に生を与えた人は奇跡。けれど、 >ボクも奇跡的な人草の一本でしたか ↑ ここは、死の匂いがします。 人草って、人間は、一本一本、草なのだということでしょうか?。 草という語には、さりげない生き物のイメージなだけに、 僕って奇跡的な草でしたか?との問いは、複雑ですね。混沌や葛藤を感じました。 そして、前を向いて走りだす。その行動こそが、救いになっていると思えました。 チェストお! コメント (揺らめく川のかたほとり)

2019-12-14

わたしは、葡萄を庭で育てているのですが、まさしく このような感じなので ほっくりといたしました。 (葡萄葉)

2019-12-13

×今月のほうひとつの作品【また明日】 〇今月のもうひとつの作品 誤字訂正いたします。 (DELETE。)

2019-12-13

stereotype2085 さんの詩の世界に溺れ死んでしまったので、今日の私の世界は、またも終わりました。私も 今日も めでたく、ご愁傷さまになりました。ありがとうございます。 この詩の最後は「君の声を、言葉を。」というように 君の声や笑顔を求めていますが、読者自身の発語を 声を 誘発する作品であると、私は感じました。 この詩を読むことで、私は、なにか、なになんだかは、うまくいえませんが、なにかが言いたくなる。 この詩は、読点【、】あろう箇所が、句点【。】でしめされており、【。】から【。】までの文章量が、実際に朗読をおこなったとして おそらく適切な文章量で区切られていますね。これは、つまり。この詩文の骨をレントゲンのような心で透かせてみれば、今月のほうひとつの作品と 本作品は、おなじことが おっしゃりたかったのだと、私は感じました。おわりからやさしみのしとねでとけてまた、めざめる……みたいな……。 >僕らの人生を全削除です。なのにたかぶるのは詩情。上々なテンションで落下。容態は悪化。 ↑ ここなんて、発音したい!です。ラップですか? けれど、この詩は、人生を終えるかのように一日をささやきながらクローズさせる今月のほうひとつの作品【また明日】のように、おわることから結ばれようとしている。てそのように、たかぶる詩情だと思いました。全作【また明日】は朗読ありきの作品でしたが、この作品もまた 朗読であるべき作品だと個人的には思いました。 (DELETE。)

2019-12-13

>紅や緑のすり切れたマフラーが、 >香りのように揺れているよ。 この二行が 魅力的です。 最後の連で 説明的になってしまったと感じました。 読者も 詩に込められた 音や響きを読者の中でふくらませたいのに 作者の 背中が邪魔して、音や響きが 途絶えてしまっている感じがしました。 よって、わたしの個人的な意見ではありますが、最後の二行は 不必要だと思いました。 (幻)

2019-12-11

こんにちは  わたしと親しくしている人の中にも、鬱で自傷癖のある方がおられます。ですので、ご病気の方を心配するお気持ちは 分かりました。 ただですね。 「生きていてよかったと思える日を待とう」と言われても、あまりなぐさめはならない気がします。 それよりも、 「生きててよかったと思える日を 僕(私)はずっと待っているよ」というような姿勢のほうが、苦しんでおられる方かせ必要としておられることのような気がします。 私のこの意見は  まるで人生相談のような書き方になってしまっていまいました。がしかし、詩としての実際も だれかを変えようとする言葉よりも、ご自分の姿勢を示す言葉のほうが、言葉に主体性が加わり、言葉の説得力に繋がる気がしましたので、書かせていただきました。 (殺られて終わりか〜死にたいあなたに何も知らない僕の言葉〜)

2019-12-11

日本語の詩で 大切な箇所は最終行であり。この詩で表現したいことも最終行なのでしょうが……。最後の行の次に大切なのは、冒頭連だと思います。 冒頭連で読者に もしかしたら、この詩のストーリーは 夢落ちの物語かもしれないと 思わせるのは、読者の読書意欲をそぐので やめたほうが良いと 感じました。 >夢で という一語で、かなり損をしておられると思います。 (死が二人を分つ頃)

2019-12-11

インパクトのある作品ですね。鼻がとくに 際立って書かれていてます。鼻という漢字は バカボンのパパみたいな形をした文字だと思ったことがあるのですが、鼻 鼻 鼻。って どうしたものだろうかと 立ち止まりました。No BaCKだの ONE WAYだの そして、YES WE CANに 前衛でありたいという願いと勢いを感じました。鼻は顔の前にしかついてませんので、前に進むのみだという勢いにも 想え、なかなかの刺激をうけました。 (遡及Ⅰ)

2019-12-10

アニヤンスタジオ 様 感無量なのは、私のほうです。 ほんとうに楽しい時間をいただきました。 ほかのみなさんも ぜひ 詩にとどまらせず あたらしいチャレンジをおそれずにやってみてほしいです。 わたしの詩の出来は、ともかく 経験したことのない心境になりました。ありがとうございます。 (フロントガラスと携帯電話)

2019-12-10

おはようございます。この「おののとぺ」という作品は、オノマトペ部分を除いた漢字一文字の部分が本質で、それらの漢字を抽出すると すべて暴力的行為を示していますね。最後の「私は言葉に殺され続け」に至るところので読んだ時点で私が感じたのは、まるで カフカの作品である【変身】の主人公のザムザさんからのお便りのようだと感じました。 ただし、最後の一行に至る直前で感じていたことは、ザムザとは違います。私が台所で ふつうに聞いている生活音と同じだと、私の場合は感じていました。 人とは、攻撃的な言葉に人は殺されつづけるもので、そして栄養を摂取するための言葉に生かされつづけるのかもしれないです。 (おのまとぺ)

2019-12-08

●ヒロムさんへ わたしも遠距離の人を想ったことがあるので、距離を縮めたい気持ちは、よく分かりました。ですが、首をかしげたのは↓の箇所です。 次の人が 来てしまう前に 早く 近くに来てよ ↑ こういうセリフは、詩という形にしても意味をなさないです。言葉というものは、常に ベクトルが 大切だと思います。 詩になる言葉とは、詩の作者と詩の読者に投げかけるべき言葉でできている言葉だと思います。 ですが、この箇所は 特定の人物に電話かメールで知らせるべきことです。 このような文の終わり方を選択をされるのならば、これは詩にすべきではないと感じました。これは、詩の読者に届ける言葉ではなくてメールで先方に届けるべき言葉です。詩に逃げることで、人生に逃げられはしないかと心配になりました。 ●/舜舜 さんへ 物事の美醜は、人によって どのような基準をもっているか様々です。なので、/舜舜さんにとって この詩の改行が汚くとも、他の人にとっては、汚くはない可能性があります。 せっかくの/舜舜 さんのご意見ですから、/舜舜 さんのご意見は/舜舜 さんのご意見として 人々に尊重されるために、主語を/舜舜 さんの個人的な御意見であることを 明確に 示されたほうが良いと 感じました。これでは、読者のみんなを代弁しているように 感じます。  ちなみに、わたしの場合は、改行自体には なにも感じませんでした。わたしは、この詩と似た感じの改行を 谷川俊太郎氏に見たことがあります。たとえば、谷川俊太郎「家族」という詩 (お姉さん という書き出しの詩)も、 一行の文字数がこの詩と似たような感じです。そして、一行とか二行とか場合によって三行で改行がなされています。谷川俊太郎氏の詩を/舜舜 さんが御覧になったら やはり、改行が汚いという感想をもたれる気がします。 ですが、私の場合は、この詩の改行についても 谷川の詩についても改行については、別に なにも感じませんでした。 思ったより長文になり恥ずかしいのですが、いつも/舜舜 さんのコメントを楽しみにしています。 (遠くへ行きたい)

2019-12-06

最後の連に いく前の ため。が、最高です。 いい ですねー。 沁みます。 (秋影)

2019-12-04

私が この詩を読んで感じたのは、五感で感じたことを 感じたままに書くことの凄さです。 >玄関を出ると死んだ金魚のにおいがしたのでまたどこかで夏が終わったんだと思う。 この一文だけで、わたしのオツムの場合は 衝撃を受けます。夏の終わりは死んだ金魚の匂いなのですよ。この一文に、はっとしてしまうのは 私だけなのでしようか? 金魚の死んだ匂いだなんて、金魚をとても 近くに感じてなくては感じられない匂いです。それを そこはかとなく、遠くに嗅ぎ取っている。そのことに、だれも驚かないのですか?わたしは 驚きます。  作者は、「私は 鋭敏な性質なんです。……。」なあんてことは けっして言わない。むしろ 詩文全体を覆っているのは倦怠感。睡眠の足りてない話者は アンニュイな態度で 目に映るものを感じたままに拾い上げているかのように見える。玄関を出ると外の空気には 夏の終わりを感じたはずであるのに、そのすぐあとに つづく文は、ピカピカの廊下。……ということは。話し手は 半分は起きているが、半分は寝ている感覚なのでしょうね。 現実感のあるものが、様々に列挙されているのですが、この話し手は そうやって現実を拾っていかないと 現実感がなくなってしまうかのようで あやういです。いたいけな不安定感のまま もとめているものは、↓ >扉を開くと洋梨のにおいが立つのでお帰りと言われた気がした。 この箇所にも どなたも驚かないんですかね。私は、驚きました。 鮭が自分の川を 匂いで 嗅ぎ分けて遡上するかのように、故郷や居場所を匂いで嗅ぎ分けようとする人のなま(生)の心が、この詩にはあるように思えて、私には 驚きでした。洋梨がお帰りなんですよ。驚くわ。拝読していて、わたしの場合は 部屋をいっしょに体現しているかのように そそられました。(そそられるっていうのも、へんな表現ですが、ほかに言い方が思い浮かばない。) この詩は、常に五感が開いていて 私にとっては とても驚きでした。読ませていただけて、嬉しいです。ありがとうございました。 (Goldfish scooping)

2019-12-02

×あるゆる火のような場所 〇あらゆる ほんとうに失礼しました。 (フロントガラスと携帯電話)

2019-12-02

×そして、さいには一遍の詩も詩作なっておりました 〇そして、ついには一遍の詩も詩作なっておりました 失礼しました。 (蒼穹)

2019-11-28

おはようございます。 この妙な詩のような書きものを丁寧に 読み解いてくださってありがとうございます。自己で解説すると、私が描きたかったのは、真っ青な闇です。実際には 書けなかったと感じていて、作者として恥入り コメントのお礼もできずにいまた。 老人というものは、干し葡萄のように 人生を凝縮させます。そして、味や苦みを深めるものなのかもしれません。お若かったころには まるみを帯びた考え方をしておられても、童女のように率直すぎるような言動になられたり、少年のように暴力的になることがあります。 わたしは、おさない子のように 満身の力で、人をなぐる老女の方を、目撃したことがあります。その方の行動が ときおり私の思考力を つきおり奪うのです。 そして、さいには一遍の詩も詩作なっておりました。それで 困惑を困惑のまま文字にすることを思い立ちまして、この詩ともいえないものができました。 「いかれてると思った老女が、今は違って見える。彼女は秋に馴染んだ。」 といってくださって 私は、すくわれました。 これで、また 詩作のできる私になることでしょう。ほんとうに ありがとうございました。 (蒼穹)

2019-11-28

おはようございます。 わたしは、廃墟を妄想するのが もともと好きなので、この詩の世界観も好きです。 人類が形成してきた文明による建造物が壊れて、植物が肥大し 都市であった場所が廃墟とたり、みどりで覆われた世界。人間関係の泥沼が 一切ない世界。澄んだ大気。思想的な水。この詩の世界に溺れることができて、しばし 幸せでした。 ありがとうございます。わたしは この詩の絵が描きたくなりました。(というか、昔から 妄想していた絵が この詩の世界観と符合してて、私は むかしから この詩の絵が描きたいと思っていた気がしてます。) (少女独白~詩飾り小説の欠片~)

2019-11-26

おはようございます。 真人間とは、はたして何だろうかと 自分の心に問うてみたくなりました。 私事の話をすこしだけします。わたしの母は目が悪いので、私は子供のころに たまに、道を目を閉じて歩いていました。すると、やはり  身体は目を閉じた外側で歩いているような感覚だったです。田舎に住んでいたので 田んぼに足を踏み入れてしまう。 母は耳も不自由になってきているので知覚することに難があるので、普通の人がサングラスをして耳栓をしている状態ですから、傍にいる私は 透明人間の心境になることが 日常茶飯事です。 見えたり聞こえなかったりすると、差が確認できないので 自身の輪郭がつかみにくくなります。自身が無いと感じるというのは不安なものです。そして、自身を他者と明確に大きな差をつけられると これまた不安になるものです。 心とは、なんなのしょうか? おおくの人は 他人と比べることで 自分の心がどうであるかを知り、喜んだり悲しんだりします。 禅などでは無にして 水平な境地を得るのだと聞いたことがあります。 ひとと くらべさえしなければ、おおくの苦しみはないはずですね。 目を閉じて人と くらべないことで 得られる 学びがあるでしょうし、見えない人も くらべない心を得ることができたら 平安を得られるに ちがいないと思いました。 他人と比べない心。それが、もしかしたら 真人間の心なのかもしれないです。 (物質の真実)

2019-11-26

こどものころに、鉄を鍛えている様子をみたことがあることを ありありと 思い出しました。 そのときに、「鉄は熱いうちにたたけ」という言葉をおそわりました。一撃一撃の連呼は、そのまま動作が眼前に現れるように感じられました。読んでいて、なんだか やるきのでる詩でした。 (真剣)

2019-11-26

おはようございます。親が子供を想う気持ちには形がないのに 子どもは 見る見る成長していく。詩作は 形のない想いを詩として可視化してくれるので 成長の思いを 記すのに最適なのが詩だなあと、思いました。 (背中)

2019-11-26

×死のモチーフが ただただ並べてある光景に、なにを感じるのは 人それぞれとのことでした。 〇死のモチーフが ただただ並べてある光景に、なにを感じる【かは】 ……。 訂正でした。 (数え唄)

2019-11-20

計三千二百八十の「死」 一日で発生する日本人の「死」の数 -------------- 死を3280個ならべても それは 多いか少ないかは なにかと基準しだいなので 3280という数に なにも感じ入ることはできませんでした。どんな数字でも、その数字の大小は なにか比較する別の数字がないと 数は大きいかどうかを 私は決められないです。 コメント欄に 死の数の重さを説明しておられますが、私の場合は この作品に死の重さを感じませんでした。 素直に感想を書かせていただくと、わたしには千鳥格子の模様のように見えました。イギリスにも千鳥格子に似た模様があります。これは死が図案化されたものであるのに、私ったら イギリスや日本において めでたいとされる図案に似てると感じたのです。私自身の変態ぶりに、 さすがに おどろきました。 めでたく感じる自分を恥ずかしく感じたので、漢字は象形であることを思い出しまして、調べてみました。左の形は 白骨を示し死体を示し、左の形は ひざまずく人を示しているようです。 すると、この死が もし もともとの古い文字で書かれていたとしたら、三千二百八十の倍以上の計測の不可能な人数の人々を表現していることとなりそうです。(滝汗) むかしの文字でいうところの死は、孤独な文字では なかったんですねえ。 そういえば、ヨーコ オノが、表現のひとつとして 棺桶を ただただならべてヒロシマを表現しておられるのを観たことがあります。そのときも、無機質な死のモチーフが ただただ並べてある光景に、なにを感じるのは 人それぞれとのことでした。 私の場合は、棺桶が並べてある光景を観て、死を無機質な表現であればあるほど、それらは実際の死では ない。と 強く感じました。死とは こんなものではないと、思ったんです。そして、このたびも このような死の文字の羅列によって、感じたのことは、この作品でいう死と 実際の死は 大きく違うと 感じました。この気づきは、私にとって 貴重な体験でした。大切にしようと思います。ありがとうございます。 (数え唄)

2019-11-20

おはようございます。 私は、パン屋&喫茶の店で 働いていた経験のある読者なのですが、 パン屋で働いていた当時に、この詩のようなことを考えたことがあります。 こちらの誠意と お客さまの心が響き合っていて、この詩は すてきです。 けれど、実際には この詩のようではありませんでした。 パン(この詩ではパンケーキだけども)を提供する者が丁寧だったり立派なパンだったら、お客さんの反応も それに比例して 喜んでいただけるとは限らなかったです。  ランチタイムに、「パンをご自由にお取りください」というブースがあって お客さんに パンを差し上げていました。すると、形くずれていても、妙に よろんでいただけたりしました。商品は ちゃんとしているのに、大食いのご家族が よこせとばかりに あらいざらいお食べになって、しかも お持ち帰りになられたり。 誠意には誠意をもって接する。思いやりの乏しさには 思いのない態度がかえってくる。それが 心ある世界のはずです。だから、私はこの詩の世界を うつくしいと思いました。 誠意をかけられたら、私も誠意で応えたいものです。わたしは この詩を、大人の童話として拝読しました。ありがとうございます。心が洗われました。 (あげる。)

2019-11-20

>裏返しと輪切りだけの 真紅のトポロジー この詩句が この詩を総括しているような気がします。 音が まず、良くて。 炸裂した赤い音で、科学的な視点や童謡をも いっしょくたんに、ぶちまけられている感じが 私には気持ちよかったです。 生き物の多くは ただの袋で、人類は毒を学習して いきのびてきた。そして、この詩は それらを あらいがっさい ぶちまけている。わたしには、そのように感じられました。 (ザクロ祭り)

2019-11-19

うまく言えないので、詩っぽく コメントを書いてみます。 【みんな君を愛していたよ。(すこし いとしのエリー風味)】 なきたいこともあった かなしいこともあった よりそう気持ちで笑ってたよね むしろそれはマグリットのゴルゴンダ そこかしこで 君が あふれている 艶のある男に  矢継ぎ早に思い出あふれて  満天の星はめぐる そうさ みんなは 君を愛していた やっぱり それはマグリットの「無限の感謝」 わらってもっと ナイスガイ 無邪気に空を飛べ うたってもっと けいせい 期待しているからね こらからも よろしく (まぼろしの浮船)

2019-11-19

わたし自身にも 悲しい顔で私を見ている人のことが 頭からどうしても離れずにいるので、 私だけではないのだなあと、この詩を読んでほっとするやら、はっとするやら致しました。 はっとすると言ったのは、 「橋を架けようとするのはやめて」 という言葉に はっとしたのです。敵性距離を私自身が図っているところだったので、立ち止まることができた気がします。ありがとうございます。 人にはそれぞれ敵性距離というものが あるはずなのですが、 そこのところが一番、難しいです。  (人とヒト)

2019-11-18

精妙で、ひんやりとした空気がただよっており コメントなんてすると野暮になるのが怖いのですが、一読に値する詩を拝読できました。 (細める目)

2019-11-18

主観での感想となりますが、禅問答のような詩作品であると思いました。 無の境地を得たときに 初めて開眼するというような 禅的なものを書いておられるように思いました。 私事となりますが、家族に全盲への道を進んでいる者がいます。その者は耳も不自由なのですが。 光を失った瞳に本物の光が宿ると良いなあ。耳が聞こえなくなることで 本当の音が聞こえると 良いなあとも思いました。 全体的に、禅の思想を感じました。禅には「無」に向かう姿勢があるからです。ですが、最後の行だけは 禅とは 全く 違う思想ですね。 最後の行のせいで、 私の場合は 本作品は、私には受け入れられない作品だと感じました。 最後の行を読んだとたんに、世界の起源というような大きな示唆が なにがどうして 網膜であるのかなんて 私には 考える必要が無いと思えてしまいました。けれど、作者は読者に 世界の起源がなぜ網膜なのか考えてほしかったのではないでしょうか? 失礼ながら 凄い言葉をならべて ご自分で酔いしれておられるだけなのではという気までしてしまいました。 つい正直に つらつら書かせていただきましたが、失礼のほど どうぞ おゆるしくださいませ (「世界の起源」は本当に網膜的だったか?)

2019-11-15

タルトタタンは 私の大好物ですのに、 こんな タップダンスみたいな詩を読むと、たまんないです。 (タルト)

2019-11-15

こんにちは わしゃわしゃ闊歩する秋ど真ん中 ここが、いいです。ここだけで 詩として完成しているとすら 思いました。 (どうしようもない幸福感)

2019-11-15

すみません。送信してしまいました。 平成にも「いまは、個性の時代です。」と、いう人たちが たくさんいた気がします。 レイワは、これからですが、やっぱり 個性の時代なのかも しれません。 すくなくとも、3つの時代には 個性の時代ていう人たちが居ました。 明治よりまえには、もしかしたら 言う人はいなかったかもしれません。 社会の部品という言い方も、明治より前は、いわなかったんじやあないかと、私の祖父は明治の人なんで 思います。 部品なんて、機械が 主流じやあないと、ない 発想ですよね。機械に囲まれてるから、レイワの人の 多くが、(自分たちて 部品じやあないのかなあ)て、思うのは、つづきそうです。 生きてるぞお。って 叫びたくなりました。わたしは、生きてるぞお。と、いい つづけることから、はじめます。 きっと、うかばれるはずです。(きっぱり) (社会の部品)

2019-11-14

こんにちは。 私は、昭和生まれなんですが、小学校の先生なんかは「これからは、個性の時代です。」って いってた気がします。 平成の時代は、 (社会の部品)

2019-11-14

文字の唇が、真っ赤に薔薇を咥えて 情熱のフラメンコを 踊って、激しい恋を語ってると 感じました。 (炎の髪飾り)

2019-11-14

この詩を 最初に読んだとき、私にも おぼえがあるなあ。と、思いました。 精神分析で有名なフロイトは、人が愛する対象は 成長の過程で「自分→同性→異性」に変わっていくと定義しています。 私の場合も 子供のころに 大好きな同性女子がいました。この詩は こどもの話言葉のように書かれているので、わたしにも 経験があるなあ。と思ったわけです。 世の中の多くの人も 異性愛が すべてではないことを しってはいるのが、今の 世の中だと 思う。 けれど、この詩を なぜ書きたいと 思われたのかしら❓️。そこが、大切だったんではないかと 感じました。 もし、もうすこし読者に共感をしてもらいたいと 思っておられるなら、 同性愛に対する偏見があると感じた事が表現されていたら、読者にも それは嫌だわと、感じさせる なにかが 書かれていると、共感をえやすかったんじやあないかなあ。と、思いました。 (トマトとにんじん)

2019-11-13

こんにちは バックトゥザフューチャーという昔の映画を、思い出しました。バックトゥザフューチャーは、デロリアンという タイムマシーンを搭載した車で 未来や過去を行き来する物語でした。そして、その時代時代によって 服装や科学の進歩が違っていました。この作品も、「メール」や「古馬車」が一つの作品の中に混在しているので、バックトゥザフューチャーを思い出したのです。   あともうひとつ、手漕ぎボートのようだとも思いました。この詩は近未来の主人公が過去を回想しながら、未来を想っているという物語であると読みました。手漕ぎボートは 行き先を背にして 元居た場所の方向を見ながら前に進みます。あんな感じで 昔を思い出しながら、爆音の中をゆっくりと かいくぐっていく手漕ぎボートのような筆致だなあとも感じました。 この作品のあらすじが 私には分かりにくかったので、確認しても良いですか? メールのやり取りが行われることが可能な程度に ごく近い未来に生きているの主人公の家が、爆撃で損壊している。そこで、女の子の生まれて育つ、その子は 主人公の娘。その娘の成長を気にかけてくれたこともある友人は、今はメールのやり取りは難しい事態に身を置いており、出兵の前の日に 便箋で手紙をよこしてくれたが、現在は出兵して七か月である。 という あらすじで、あってますか? つまり、私は 近未来の戦争をこの詩は 描いていると読みました。 この作品が きちんと読めている自信がないうえに、私の読みですと、これは未来の戦いの話ですから、この未来の戦いが本当に勝利なのかどうか、 よく 私にはよく解らないのですが、それでも私は 以下の詩句が とても好きです。(以下引用) 立ち消えて     人死して尚    両親も僕も    植えた種の  行き先を。 決してはばめはしない。 もし誰かが街の外れで気が狂ったとしても。 それでも陽は人を照らし、また僕に陰をも作るだろう。(引用 終) 余談となりますが、バックトゥザフューチャーという映画は できるだけ未来に本当に起こりそうな事柄を集めたらしく、映画の当時では 架空だったことが、現在では本当になっていることが、多々あります。たとえば、主人公を 子どもの頃から いつもいじめていたビフは、当時から すでに有名人だったトランプをモデルにしたみたいです。当時はなかったトランプタワーに似たモノが 映画の場面の中にありました。SF的要素のある作品は、たとえそれが エンタメ性が高くとも あなどれないことがあることを バックトゥザフューチャーは教えてくれています。そうは、言っても この作品のように 過去に経験した世界大戦みたいなことがおこることを 思うと、私は おそろしいわあ。けれど、 どのような事が起きようとも、たとえば誰かが街の外れで気が狂ったとしても。 それでも陽は人を照らし、また僕に陰をも作るだろうと思うと、絶望の底を眺めるような達観は、良いですね。 引用させていただいた箇所。とても気に入りました。読めて よかったです。ありがとうごさいます。 (みらいノ旋律)

2019-11-11

竜野欠伸様へ おひさしぶりです。そらみれど、って音は、そうなんですよ。音階なんです。 そして、「空見れど」なのです。おきづきでしたか。嬉しいです。 ついでにいうと、音階をあわせて尻尾が上下してるような うごきのつもりも すこし あったりします。 さすがだなんて、この詩の場合は アホなことも言ってみたい気持ちで書いたので、恐縮です。  それはそうと、こちらで また竜野欠伸さんの詩も読ませていただけますね。楽しみにしています。読んでいただきコメントまで ありがとうございます。  (猫族の村会議)

2019-11-11

嬉しさのあまり、全身に すごい 勢いで、血がめぐっていそうで 愛らしいなあ。って 思いました。 (1.5秒)

2019-11-09

×「花」という曲の一部がけ書き加えさせていただきます。 〇「花」という曲の一部だけを 書き加えさせていただきます。 失礼しました。 (ひとのかたち)

2019-11-09

この作品の第一印象は、 >花が、わっ、と、咲いて、いた という 開け放たれた情景が 拝読していて 気持ちが良かったという印象でした。 今朝になって読み直していると、なぜか 私の頭は 夏川りみさんの「花」という曲を自動再生していました。 なぜ私は「花」という曲を思い出したのだろう。それは、きっと 夏川りみさんの「花」も 本作品も 痛みを否定していない。 痛覚が痛覚のまま ことばになっている点で 私は 同質の大切ななにかを感じたのです。 一般に 長所として列挙する 履歴書などに書き込めるような事柄は、それらは 表層でしかなく、人は それぞれ 多種多様な痛みを持っていますが、その人の痛みで形づくられている姿こそが ほんとうの意味で、その人の ひととなりであると思うと、すると、私も私の個性的な悩みや痛みと 向き合う勇気になるなと、感じました。「花」という曲の一部がけ書き加えさせていただきます。    泣きなさい 笑いなさい    いついつまでも いついつまでも    花をつかもうよ           (夏川りみ  花より) (ひとのかたち)

2019-11-09

古色豊かな本作品。わたしには、たいへん魅力的でした。 ここでいう魅力というのは、魑魅魍魎を近くに感じる 面白さです。文字通り魅入らました。 落語に死出の船賃は六文。と、ありますが 現代においても 六文を紙に印刷して 棺にいれる宗派の葬儀の仕方があり驚いたことがあります。この詩の、小判3つ分のお握り。この詩の世界観の貨幣価値は 私には分からないのですが、妙なリアリティがあり、私には楽しかった。 >六道中 >四道体現 という断言も、小気味よいです。 天道 人間道 修羅道 畜生道 餓鬼道 地獄道 この6つが、六道ですから きっと天道と人間道以外は経験済みだと言い切っておられるんですよね。絶望も視野に入れた暗いロールプレイング感が たまりません。 亀役者に猫役者 土蜘蛛退治 ↑なんとなく浮世絵を想いました。検索にかけてみると、歌川国芳などの浮世絵師が描いた 猫の顔をした人間や亀の姿で顔は人間の絵がヒットしました。私の中にも人間でない人間に対するシンパシィは、むかしの日本人にもあったことを再認識し、嬉しく感じました。たとえるなら、地獄の油で灯す灯を得たような おもいがしているところです。拝読できて 嬉しゅうございました。ありがとうございます。 (行燈を灯す、)

2019-11-08

st様 ああ、ありがとうございます。最近、さまざまなサイトで お名前を拝見しています。 うれしいなあ。これからも こちらのサイトでもよろしくお願いします。 (猫族の村会議)

2019-11-07

ころね様 ころね様曰く「かわいい。」 るるの心の声(え?わたしが?) もふもふもふもふしてみました。ありがとうございます。 (猫族の村会議)

2019-11-07

星空そとば様 寝ているように見える猫の尻尾が おなじリズムで揺れている様子は、見たことあるのです。 それを生かしてみました。ありがとうございます。 (猫族の村会議)

2019-11-07

絡刻様 そうですよねぇ。わたしの家の玄関で 地域の猫のボスらしい黒猫ちゃんがよく寝てます。猫同士でよくあつまってもいるのですが、恋の季節に 凄い声で、それは恋なんですかあ ほんまですか。と、尋ねたくなるような声をだしていますが、会話みたいな鳴き方は、あまり聞きません。 やはり。かれらは 尻尾で話をしているのだと思われますです。はい。コメントありがとうございます。 (猫族の村会議)

2019-11-07

/舜舜 様 あいらしい猫ちゃんのお話。読んでいて にゃんとも楽しかったです。この詩は、夏に山間にある喫茶店で まったりしていたときに 山を見ると、木の葉が全部 真っ白い部分があったんです。調べてみると、またたびの木でした。 私は そのとき まったりとくつろいでいたものですから、まるで 私に 尻尾があるかのような妄想をしたのです。 言葉じゃなくて もふっとした 尻尾で 相槌をしあって、どぅむどぃむって 尻尾のあげおろしだけで すべてが解るみたいな気分だったんですよお。だから。 尻尾あるんですよ。わたしって (きっぱり) (猫族の村会議)

2019-11-07

エイクピア様へ お返事が遅れてしまいましたが、嬉しいコメントをいただけました。コメントを初めて読んだときは、うろこのロックンロー。イエーイ。と、おもったのですが  いま、コメントを読み返すと うろこが鍵となっていると読めていて 釘付けになりました。 コメント自体が 詩になっておられると感じます。ありがとうございました。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-11-07

これだけは 書き添えさせていただこうと思います。 わたしは、ころねさんが、セリフを コピーしているとは 最初から思ってないので安心してくださいね。 ヒットラーの演説を分析したドキュメント番組を テレビで観たことがありまして、この詩と似ていることを言ってるなと、感じたんです。 この詩は とても分かりやすいストーリーなのにもかかわらず、現実にも人々は この詩のようなことに 陥っていくのだと思うと、ほんと 怖いですね。 ちなみに、ナチスのイメージカラーと言ったのは、私の主観です。ナチスが掲げた旗である鍵十字と、ナチスの軍服の色調が黒に赤なので 私のナチスのイメージは、黒赤なんです。 それから、ころねさんは、けっして バカなんかじゃないです。わたしは 人間の負の面の本質が この分かりやすい作品に描かれていることに、言葉がないです。この詩は、ときどき読み返したい作品です。良い作品を拝読できました。ありがとうございます。 (魔獣)

2019-11-07

この詩で私が連想したのは、ヒットラーです。  ヒットラーの演説を分析した人によると、ヒットラーが「平和」という言葉を発するたびに、戦争へと政局が 激しく傾いていったようです。そして、これも実際の話ですが、ヒットラーは演説で「ドイツ国民を愛している」と、連呼していました。おまけに、「なにものかによって 心身と財産がうばられないように戦え」と 人気がそれほどでもない時期には、敵を名指しせずに演説したそうです。そのうちに 人々の心を掌握すると、具体的にユダヤの人々という迫害対象を より明確に演説したと聞きます。しかも、ナチスが イメージカラーにした色は、なぜか この詩と同じく 黒と赤でした。黒いヒツジとは ヒットラーであるいう気がして ぞっと致しました。 (魔獣)

2019-11-06

六花。冬の詩ですねぇ。日本語は、繊細ですね。六花だなんて、日本人に生まれてよかったと思えるほど美しい言葉だと思いました。しかも、この詩は冒頭二行が 五と七音で構成されており、六花という言葉を うまく引きたてていると感じました。 六花の化身が白日夢を浮遊するあたりも、とても夢夢しくて 私は好きです。 それにしても この詩には 情景や時間を表現するための 重複をイメージする表現が多いですね。 「高く高く」「いくつもの」とか おおきな世界をイメージさせようとしておられる。 すこし、きになったのは 最終行です。 日暮れ時って、そりぁ午後だと思います。「午後」って言葉は、個人的には、ないほうが良かった気がしました。 日本語の文て、最後のほうが大切なことが良くあるだけに。 最後は、もっと きりっと、しめると 素敵だったんじゃあないだろうかな。と、個人的には感じました。 (風花の日)

2019-11-06

のっのっのっ  ……という表現が なんとも あじがありますね。「のっ」の数が増えているところが また 良いです。車の窓からの視線というのも、軽妙な感じがします。「あれじゃあいつかのどこかの誰かさんだ」←さっぱり わからないですけど?だからこそ なんだか そうねぇ。わたしが出会った誰かさん(藤さんの知りようのない人)を猫に例えて、拝読して 勝手に ほんわかとなりました。 (車の窓から)

2019-11-06

学生時代に芥川龍之介の【羅生門】のなかに、【頭身の毛も太る 】という表現があったのを 思い出しました。たしか、身の毛がよだつという意味だと習いましたが、あまりの恐怖に 頭の毛が全部さかだっているような感じがしました。【羅生門】のお話では、老婆のなけなしの着ている服を剥ぎ取ってしまうお話でした。 この詩では、なぜだか  主人公は、人の皮膚を剥ぎ取り、しかも喰らっています。地獄の沙汰ですね。けれど、古代文明のひとつであるアステカでは、シペ・トテックとよばれる行為があったのですね。 本作品は、人間とは 何であるかを おもわずにはいられませんでした。 (かわはぎ)

2019-11-02

「世界は見方を変えれば、こんなにも美しくなる。」って なにか 大きな神のような視点がある。ってことを 詩として表現しようとされていることが、まず 凄いです。 スゴイのですが、この詩は難しかったです。それこそ 蜘蛛の巣がどう絡み合っているかを見るみたいに、ややこしい。 さっぱり分からないと思いました。ですが、それでも 魅力があったので どうにか読んでみました。 これから言うのは、ただの一読者である るるりらの場合の解釈です。 まず、「ぼく」も「わたし」も「僕」も「女の子」も すべて 全部で たったひとりの人の心の中に棲んでいる人々として書かれているようだと理解してみました。 >その女の子はくものすではなかった。一人の、かわいい女の子だった。わたしは死んでいった何万人もの人を思い出す。くものすにはあちらこちらに穴が開いている。私は隣に座っていた男の子と女の子をころし、死んでいった私たちをよみがえらせる。 全部がひとりの人と捉えると、人間の細胞は 次々に実際に死んでいるらしいことを ふと思い出しました。 骨のような固い部分ですら どんどん死んでどんどん蘇っているかのように別の細胞が生まれて身体を構築している。だったら、心の深くに入っていけば、私の心の中でも 無数のこどもたちのような 初々しい存在が、私の中で常に死んで 常に生まれていることを繰り返しているに違いないことを想いました。だから、なんとなくなんですが、この詩に書かれていることは、真実であると 私は感じました。 ただ、 >私は隣に座っていた男の子と女の子をころし ↑ このフレーズは狂気です。殺すって、私には とてもフィクションなことでして、さあて困ったぞ。この詩は、よくわかんない詩世界であるなあと思いました。 実際の蜘蛛の巣は、薄汚く感じられることもある一方、光を受けて とても美しく見えることもあります。 隣に座っていた男の子と女の子をころしたさきに、ガラスが砕けるような きわめて美しい陶酔の世界を表現しておられるようです。 これって こわくて、 わたしは こわいばっかりでした。 ですが、私は思いました。わたしの身体は 細胞レベルでいうなら実際に次々に死んでいているのは もう言いましたが、不摂生なんかしたときには 数多くの私を殺しているという見方もあるかもしれない。と、思ったんです。 細胞と考えると、ほんとに おびただしい数の私は 死んでいまして。死んでいるのに私は 今、ここに居て、この詩を読んでいます。この詩には膨大に量の光が表現されている。ほら いままさに、 るるりらからも、光が あふれだしてます―― 以上。勝手な解釈でした。ご清聴ありがとうございます。 (蜘蛛の巣)

2019-10-31

遠藤ヒツジ様 再度のコメント ありがとうございます。 なんというか、ときめきました。どきどきします。 わたしは「君」では 書きづらいといいましたが、 だからこそ 遠藤様のことを 私の心の中だけでは、ヒツジの君と呼ばせていただきます。 是非是非 これからも 読んでいただけると幸いです。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-10-30

おはようございます。 興味深い試みをされている作品だと思います。 この詩を読んだ読者は それぞれの頭の中にある いままで聞いてきた様々な音を再生させようとすることでしょう。私もそののひとりです。 さまざまな音の重なりに 耳をすますことで 開けてくる世界がある気がします。そういえば、坂本龍一の最新アルバムは 坂本龍一が 収音機能が優れているスマホで 様々な場所のノイズを 収音した作品を出したという話を思い出しました。 この詩の題名は「レイ」ですが、「零」のことである気がします。しかし、なにもないところに立ち返ろうとするとき いきいきとした様々な音が重なりあっていることに きがつく。わたしは この詩で、そのことに 気が付きました。この詩は、零だと思いましたが、麗かもしれないです。 (レイ)

2019-10-30

こんにちは 個人的には、この作品は 面白かったです。この詩は音楽であるとのことでしたが、いやいや音楽にも色々あります。組み立てが ちゃんとしている音楽が大半の音楽です。  私が この作品を評するなら「生演奏のジャズ」か もしくは「井上陽水的音楽」だと思いました。ジャズが他の音楽と違うのは、時間の芸術である側面が より強いことです。その場かぎりの時間を共有する演奏、それがジャズです。秋の虫のように、はちゃめちゃでルールもないように思える点もジャズっぽいです。井上陽水の「アジアの純真」とかテキストで読むと 意味不明です。でも、あの曲の勢いは 素敵です。そして、この作品にも 勢いは あります。 ところが、ジャズは (もしくはアジアの純真は)テキストになってしまうと、良さが発揮されにくいです。なぜなら 瞬間瞬間を彩る芸術は、テキストに向かないからです。テキスト(文字文章)は、記録に残そうという性質があります。 この詩は、もっとライブ感のある表現方法のほうが向いていると思いました。 たとえば、この作品が手書きの文字で書かれた作品であったら また ちがってたかもしれません。 もし、この詩が 勢いのある文字で書かれていたとしたら、たとえば「バカバカバカンス」書かれていたら うっかり「心力」が書かれていると感じる人だっていたかもしれません。(先日、バカという言葉が題にある本の手書きポップの文字が、心力に見えたんです。あは) コメント欄を拝見していますと、なかなか 手厳しいご意見もあるようですね。 まみさんは、このサイトには自由が乏しいという意味のことを書いてもおられますね。 どうぞ、安心してください。 この作品は、時間の刹那の芸術です。もして、良い結果も悪い結果も 結局のところ なにもかも 過ぎ去っていきます。 すべての人の心はすべて移ろいやすいです。そして、このサイト自体も 変化ばかりしています。だから、大丈夫です。 わたしは、この詩の自由さが好きです。自由とは変化するものです。 がしかし、厳しい言葉は印象に残りやすいです。 考えてみてください。文字芸術は 印象を未来に残そうとする芸術です。したがって、つらい言葉や厳しい言葉を受けた人は、すぐれた詩作品を書けるようになる素質を持ったのです。だから、安心してください。  詩の世界を 音楽を楽しむように楽しむことが、まみさんには できます。 >お菓子箱に思い出を詰め込んで >忘れたりはしないわ >It’s OK see you Again (バカバカバカンス)

2019-10-29

survofさんが この詩からイメージしてなにか別の作品を書いてみたい衝動に かられたと書いておられますが、私も 漠然と 詩のイメージが浮かんでいるところです。 とても喚起力のある作品ですね。コメント欄を拝見していましたら 読者がどのように受け取るのかを期待されているような気がしましたので、自由に思いついたことを 書かせていただきます。 12人という数から 時間を図るモノを想起しました。時計とか、カレンダーとかです。 単位といえば、むかしエジプトのファラオの腕の長さを基準に ピラミッドを作ったそうです。それがフィートという単位の元となったと聞いています。ピラミッドを造った人々は ファラオの身体の大きさを意識しながら 建造物をつくったということになります。さぞ、ファラオと共にある感覚だったことでしょう。 私は この詩を読んで、時間の観念にも  ファラオの腕のような感覚を あてはめることができると感じました。人間の感覚に即した区切りとして12という数が あるのかもしれません。すると、おなじ顔をした12人の人が わたしたちの意識の隣に 常に存在していることとなるなあと、思ったのです。 実際の話、私達は単位という名のファンタジーの中で、生きているような気が してきました。 (鈍行列車)

2019-10-28

さきほど 私の住む地域で レースのカーテンのような粉糠雨がふりました。 大気に波のある光景を見ていると、あ こんな風な詩を ビーレビで読んだ気がするなあと思って、探してみました。見つけました。この詩です。 音楽は、唄やリズムは、言葉では超えられない世界へと いざなってくれます。 しかし、言葉を超えた世界があることを知らせてくれるのは やはり言葉。 この詩にある呼吸のような強弱のある波は  なにがどうしたからという屁理屈を、越させてくれる風みたいに 私には思えました。 この詩は超越へのドアみたいな詩だと思います。   この詩を読むと、なにか素敵なことに出会える気がしてきました。 (ソナチネ)

2019-10-25

なるほどお わたくし 自身の 読解力の低さを 知りました。ご両親の事情は そうでしたか。失礼しました。なぜ、わからなかったのだろう。あー謙虚にならなければ。感謝です。ありがとうございました。 (父親が手術をします)

2019-10-23

こんにちは 毎年、なぜか水仙と ニラを間違えて食して ニュースになる方がおられますよね。 家庭菜園の恐怖です。個人的には 人間って他の生き物よりは、毒を喰らう種の生き物だと思ってます。 たまたまテレビをつけてたら 芭蕉がこんなモノをのこしているようです。  あら何ともなや   きのふは過ぎて    ふくと汁  この句の意味は、前の日に 毒のあることで有名な生き物であるフグを食べたので、逝っちゃうかもと思ったが、なんともないやんか。(るるりらの意訳です。(笑)) この詩の結末も たぶん 芭蕉のように けろっと朝になると目が覚めるのでしようね。人間て変な生き物ですよねえ。毒に対しての憧れが ほんとうのほんとうには人間にはあると思うんですよお。だから そこんところを 詩で責めるのは、アリです。 夾竹桃以外のモチーフを探してみられてはいかがでしようか?夾竹桃を食べるのは なかなか難しいですよ。硬くてごっついから食べれそうな箇所があまりない植物だからです。この木の枝で肉を串刺して焼いたせいで惨事が過去には おきてますが、この木を食べるつもりのなかった惨事でした。 毒についてもうすこし 調べてみてから書くと、もっともっと 楽しめる作品になるのではないかなあと 個人的には感じました。 (赤い都市での眠り)

2019-10-23

この詩を読んでいると 童心に戻れるきがしました。なぜだろ、子供って全身全霊で考えるぢゃあないですか?この詩を読むと脳のいろんな箇所が使うことになっているからかもしれません。私の場合は、なぜか 折り紙の所作を思い出したんです。 ●だってほら 折り紙ってまず 四角いですよね。 {かごめ歌 考察用資料} ←千代紙のように色彩も綺麗です。キトラ古墳にもある方位をしめす神獣も素敵。 ●そして、手の中に納まるサイズでの遊びですよね。 {『スマートフォンは持っているけどSNSは苦手だよ?』} ●四角い紙の角と角をあわせて線を引くように折りますよね。 {『この世に時間なんて物はないのさ、人が作った物差しだからね。小さな分子が動いた軌跡を上書きしてきた今があるだけ。それでも人は架空の線を紙に引き、くるくる巻けば時間が元に戻るんだって信じて疑わないんだよ。時間に囚われたがるのは本能なのかもしれないね、僕も彼女もさ』} ●折り紙の作品が出来上がると、何に見立てて いかにそのモノに近づいたかを確認しますよね。そのあとに、紙を また ただの一枚の紙であったことを 確認したくなることがありますよね。たわいのないものであることを 再確認したくなる衝動を持つことがある。 {『外から聞こえるマントラリズム』つくってあそぼお つくつくほうし なんちゃって。 ●そして、やはりたくさんの見せ場が この詩にはあるなあと思いました。 とくに、さりげにおかれた 自作いろは唄は 私も やったことありますが、なかなかの手間なんじゃあないかしら。うまくできてますね。 とにもかくにも とても 楽しく拝見しました。長文コメントを失礼しました。 さいごに、この詩を読んで思い出した曲があるので 聞いてください。わたしは、この詩にこの曲に通じるものを感じたんですよ。 ↓↓↓折り紙↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=-58ggbnyeYQ (部屋に仕掛けた定点カメラ)

2019-10-23

おはようございます。 この作品を書いてくださって、有難うございます。 わたしにとって、この作品は 私のために書かれたものにしか思えないのです。 はじめて この詩を読んだとき、この詩を書き写したいという衝動にかられました。 滋味深い食べ物を 良く噛んで食べるように、私に必要な薬効が この詩にはあるのです。 まず、わたしは まず6Bの鉛筆で 【冷凍の魚の眼 【あらゆる瞳は神の灯火のように美しい と、書いてみました。沁みます。力を入れずとも濃く太い文字になる6Bの詩句。 すべての方に この文字の薬効が働くとは思いません。わたしの母は目に病があるため、 実際に冷凍の魚や 煮魚のような目の色をしているので、私には特別の効き目がありました。この2行に出会えたことを、私は私の心に刻みます。 【戦争の記憶 】は、私自身も逃げずにテーマにして 考えたい事柄です。カオスとの対話は 骨が折れる作業です。なにしろ骨を消失するような事実との対話ですから。6Bで書いていると 鉛筆の芯も折れました。 けれど、そのあとに なだらかに続く詩句の 素晴らしさは いったいなんなんだろう。 【ああ全体が打ち上げられた花火のような空だなあ 年末に大合唱される第九のように、スゴイです。すごいです。ほんと、すごい。どっかーんです。ありがとうございました。また、書き写します。(深礼) (犬死にしたくない)

2019-10-23

誤字訂正 ×こらから 大変な手術をするという日に 〇これから 失礼しました。 (父親が手術をします)

2019-10-23

父親が手術をします 詩作品は作者と作品の主人公が同一人物であるとは限らないのものですが、この作品は、ちさとさんの心の中にある言語化しにくい苦しみを なんとか表現してみようとしておられる作品として拝見しました。 おそらく ちさとさんは 父親がお二人いらっしゃる境遇の方だと読み取りました。 個人的には、最後の連が 気になります。 >だけど嫌いだった父親が今日 >大変な手術をします >僕は幸せな家族の絵が最後まで描けませんでした こらから 大変な手術をするという日に(育ての お父さまが まだ亡くなってはいない時点で、僕(たぶん ちさとさん)の人生においての家族の絵が もう終わっている。この寂しさは、この詩文で昇華しきれているとは 私には思えませんでした。 参考になるかどうかわかりませんが、 父母の関係の希薄さをかかえつつ 卓越した卓越した詩や文章を書くようになった方といえば、室生 犀星がいます。 わたし自身が彼らのことに詳しいわけではありませんが、私の尊敬する とあるネット詩人さんが 室生 犀星を敬愛しておられます。室生 犀星は詩だけでなく 読みやすい小説なども書いています。彼の言葉は 父母に対する違和感から発せられているかもしれません。もしかしたら、ちさとさんの琴線に触れるものもあるような予感がしましたので 室生 犀星を紹介させていただきました。 (父親が手術をします)

2019-10-23

こんにちは 中島みゆきは、【あの娘】という曲の中で 「よくある名前をつけた子は 忘れられづらいというけれど…」と歌いました。ふじりゅうさんの作品には ときおり人の名前が登場しますね。ちなみに、るるりらの本名にも 「ゆき」がつきます。 本作品は、ユキちゃんが 脳みそを不法投棄する物語ですね。ユキちゃんは、なぜ 脳を捨てる。それは、おそらく 自由のためだと思われます。けれど、星条旗は はたして自由の象徴なのか。星条旗が はためく中、★を消す。星条旗における★の意味を想いました。そして、次に 北を消すことの意味を想いました。 脳を捨てた ゆきちゃんならどのように 捉えるのかを聞いてみたくなりました。「わかんな~い」というのでしょうか?  どうやら今日は、日本の歴史において重要な儀式が とりおこなわれたようですが、この詩と そのことが関係あるのかないのかは、私は 存じ上げません。ただ、天皇が移動されることを行幸と書いて「みゆき」と申します。ユキという名前は 天皇と相性の良い名前であると私は思うのです。そして、わたしは「ゆき」のつく名前を祖父につけられたらしいです。(関係ない話を失礼しました)   詩文には、桜好きの多いこの国の写真がでてきますね。日本という国のことを距離をおいて眺めたいという現れだと思いました。この詩は、全体的に厭世的な印象でした。それでも 脳を捨てた ゆきちゃんと この物語の話し手に、そして桜の美しいこの国の人々に 幸おおかれと、祈らずにはいられません。 この詩は本日は拝読するのと 後日読むのは印象が違う気がしています。本日、拝読できてよかったです。ありがとうございました。  (深々と礼) (そしてユキは脳みそを捨てた)

2019-10-22

●遠藤ヒツジ 様へ はじめまして もしかしして、ビーレビ初参加コメントに私を 選んでくださいましたか?それだけで まず 感激です。しかも、非常に秀作との 光栄な評価をありがとうございます。とくに、「詩の原点を見せられる気持ち」との評に 身が引き締まる思いです。 難点についてですが、拙い指摘だなんてとんでもないです。ご指摘は、最終前二連の「るるる」という箇所が不必要では?とのご指摘と、題では「君」・作中では「あなた」に統一感が無いとのご指摘ですね。 どちらもその通りだと思います。ただし、「るるる」は、どなたかが仰ることは予想していましたが このようにしました。「君&あなた」は、きがつきませんでした。 「るるる」とは、なんぞや。この詩は わりと分かりやすい詩表現で書かれていると思うのです。この「るるる」だけは 意味不明ですよね? このところ「る」の文字について思索していたのです。形が美しい。私の名前を変えることがあっても この美しい すこし尖がりのある簡易渦巻型の ひらがなにしよう。と、おもっておりました。すべての根源へともぐる「る」の記号。そして「流転、類似、」と渾身の説明をしてみましたが、お分かりになられましたか?わかんないでしょ? わかんないと思います。 実は、ソコが狙いなんです。この詩は、分かりやすいのに分からないんです。(笑)  童女の話のように、わからない部分があるって部分を、 私は入れたかったんです。わからないがわかる…みたいな……。そういうふうに、人と人とか ふかいところで 触れ合うことができたら、最高だと思うのですが、いかがでしようか? なお、「君」「あなた」は、うっかりしました。この詩の表題は他人様が課題としただされたものんです。君という表現を 私はあまりしない性分であるため 「君」であると なにも 書けなかったかもしれません。目から鱗でした。 とても細部まで読み込んでくださって、感謝しています。とても嬉しくコメントを拝読いたしました。ありがとうございました。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-10-21

●仲程様へ タイトルは、ゴルのままです。詩文は ゴルに投稿したものとは、すこし違います。 「かなりいい、じわりときます。」と、ゴルをご存知の中程さんに言っていただけたので、もうもう私は もうほんとうに 嬉しいです。しかし、鱗が痛いの だけがひっかかってしまいましたか。そこは、ゴルに当初投稿した際には、なかった部分です。今の私は、「鱗が痛いの 」を、入れたかったのです。 なぜなら 恋のように書きたかったんです。嬉恥ずかしい恋のアノ 胸があつく痛い感じにも似た感じを、入れたかったのです。ところが、(>_<) イタイ感じになったかもしれません。残念。  でも、まあ……失敗を恐れず 入れなくても良いこともいれたことを 後悔しないでおこうと思っているところです。感想ありがとうございました。 (ホッチキスでとめただけの簡単な詩集、でもそれを君は本と呼んで)

2019-10-21

こんにちは 不思議な読書体験をさせていただきました。 と、いうのは……。私がこの詩を拝読した直後の感想が、眼前に海を見たときの感慨と似ていたのです。波がつぎづきに押し寄せてくるあの海。なにかを リズムカルに運んでくるというあの海を見ているような感慨でした。 どうしてだろう。なぜ 海を私は感じたのだろう。考えてみました。 冒頭の連は四行ですが、他の行は二行づつで成り立っており、それが 私に波を想起させたのかもしれません。 この詩には波があると思ってしまうと、さらに ミラクルなことに きがつきました。 ①歩きながら拾う貝殻の色 ②いつもより綺麗に映る鏡だ ①プリズムみたいに反射する笑顔 ②海に流して君に届けたいな ①閉じ込めていた気持ちを呼んだの ②目覚まし時計じゃ足りない音だよ ①曇らせてまた晴れ渡る空が ②光を音符に分けるとしたら ①指を切った日の熱を忘れずに ②痛みを抱えて会いに行けるんだ これは輪唱に できるできるかもしれません。 ①の後に どの②を選んでも ひとつの波として成立するような気がします。と、いうことは 童謡のかえるの合唱(かえるの歌)のようにカノンを奏でることも可能かもしれません。 複数の人々が この詩をずらして朗読するかえるの合唱(かえるの歌)のようながりを得られる気がして、私にとって 興味深い作品した。拝読できて 嬉しいです。ありがとうございます。 (感情回路)

2019-10-17

コメントに詩文中の語彙を用いて、ひと昔前の女子高生でもないのに もうしわけないんですけど ヤバいって言葉が なんども 浮かびました。ほんと。 まず、最初に 血とミルクの類似をさらっと書いておられるところで、ヤバし 惹きつけられました。その後も 血とミルクの飛沫が交互に押し寄せる感じが、狂気でした。狂気と言えるほど 生と死が甘くて辛い。そして、世界は分からないもので満ちていて、この詩は戦っている。そのように感じました。 (重力をミルクに漬けて)

2019-10-04

石川啄木の「ココアのひと匙」という詩のことを思い出しました。 啄木の場合はココアとテロリストが出てくるのに対して、この詩は コーヒーと戦いです。しかし、苦さや甘さという舌の感覚で「力」という口述しがたいものを表現しているという点では 啄木の「ココアのひと匙」と似ているので、思い出しました。 どちらの詩も、人の心の芯を突いておられると感じます。 また本作品の場合はコーヒーのことを珈琲とは言わず、「漆黒」とされたところにもセンスを感じました。  漆の黒は、艶やかで美しい色です。けれど、漆には 毒があります。漆の色は、毒を有益なものに変えるという匠がないと生じない深さを持った色であることを想いました。 単純ではないことの核心を 短い言葉で読者に感じさせるのは、あまりあることではありません。この詩は、ソコに成功しておられる。この詩は、素晴らしい作品です。 (漆黒を)

2019-09-28

すいません。コピーしてしまっていました。 (一滴の雫をたんとください)

2019-09-26

苦しみにある人を 近づけ 快楽にある人を 遠ざける ここだけ とりあげれば、天使的ですね。 味覚が腐ったおかげで の くだりは、皮膚が腐ったおかげ の ほうが、良いような きがしました。 天使的であることとは、悪魔的であることと、ある意味では似ていると、思いました。これは、目が覚める思いです。 あと、重箱のすみを つつくようで、申し訳ないのですが、 味覚が腐るて、イメージが 難しいのです。 皮膚が腐るなどのほうが良いような気がしました。 (一滴の雫をたんとください)

2019-09-26

はじめまして、私は シューの中にクリームを注入するという作業を仕事としていた時期のある読者です。社会的な含みのことをシュークリームに例えるという視点が素晴らしいです。魅力的な着眼をしておられるなあと、想いました。文章の全体も なかなか、納得性のある内容でした。  ただ、すこしだけ残念に感じた点があります。この物語の語り手のキャラクターや 登場人物のキャラクターが、もうすこし 引き立つ書き方があったのではないでしょうか? おもうに、第一連の文章に 問題があるように感じます。 第一連では、宗教を教える人の言っていた神様のシュークリームの例えから始まっています。シュークリームの教えはリアリティがあます。そして、{神様のシュークリーム}と、いう商品名も、キャッチィで 商品として 普通にあってもおかしくないと感じました。それに ひきかえ、語り手の提案した商品名って、商品名としてふさわしいの長さの言葉ではではないですよね。そんなことを やぶからぼうに店長に言う店員って、かなり性格悪くないですか?この書き方では、私の個人的な意見ですが、語り手に共感がもてなかったです。そして、それに対して店長が、「とても良い名前だね、本当にその通りだ。それはもちろん遵守しなければいけないことだけど、云々」って、有り得ないと思います。だって、商品名のプレートに書けない長さの名前は、まず つけないです。だから、普通の店の店長ならば「いや、君。寿限無じゃないだらね」などと言った内容の台詞で 店員を たしなめるのが普通ではないんでしょうか?  もしも この詩が、店長が新興宗教のようなモノにはまっているキャラクター設定が示されていたものだとします。店員より先に「{神様のシュークリーム}って名前にしようと思うのだが、どう思うか?」と尋ねたあとで、店員である語り手が 例の長くて嫌味な商品名を提案したとしたら、お話の流れが 私にもスムーズに理解ができるのです。  もしそうだとしたら、語り手の性格は悪くはなくて、この店には なにかしらの問題があるようだ。私も感じたはずだと、思うんですよ。 私は、この詩で表現したかった内容自体には、魅力を感じました。しかし、物語の冒頭には 若干の難を感じたのが素直な感想です。長文のコメントになり失礼しました。 (神様のシュークリームのはなし)

2019-09-26

ひとつ からだ ひとつで みてみよう こころ ひとつで うごいてみよう みはてぬ 夢は ひとつではない らいめいのように スターターが銃を撃つ いま すぐに行けと だれかが急かす げんこつを 天に突き んんーんと のびをする ざしたまま すべてを吸い込む いま わたしは生まれた。すべてを見るため聴くためだけに、生まれた。 **** 追伸。突然ですが、詩でお返事を記してみました。くろかみさんの詩作品の中にある >過去があり未来もある >現実はどこにある と、いう箇所が わたしのために書かれているかのように 想えて、わたしの現在を詩として掲示したいという衝動に駆られましたので、書かせていただきました。くろかみさんの作品の、最後の行が  やさしく示唆してくださっている終わりを想うにつけ、だからこそ、わたしは私の手で私の「ひとつ」を書いてみたくなったのです。 ちなみに、わたしの詩のようなモノの各行のはじめの文字を繋げると、 >過去があり未来もある >現実はどこにある への回答であることが 浮きあがってくるようにしてあります。(* ´艸`) (一つ)

2019-09-26

え?題名、好きですよ。 内容も、好きです。好きだということが言いたかったので、言わせせていただきました。 読ませていただきこちらこそ ありがとうございました。 (宇宙の臍)

2019-09-26

その後も次々と 転校生がきて、みんな手を空にかざして「々」という文字を指で書いていることでしよう。 (onaji)

2019-09-25

こんにちは たまたまテレビをつけた番組で大島真弓という女優さんが 癌のことを『「がん」だなんて言ういからいけないと思うの、「かん」って言えば良いのよ。気持ちが大事よ。」と言っておられるのを、つい いましがた聞きました。それで、本作品のコメントを書いてみようと思い立ちました。 ●本作品「猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩」について。  本作品に初めて目を通した時に、私は聴覚が刺激されたんです。海苔の缶の中でも 円筒型の缶を開けるポンという音が聞こえたんです。 本作品「猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩」は、「癌」という言葉の持つ重さを、手の中に納めることのできるサイズ感の事に比喩しようとしておられて 猫のような やわらかさを感じました。癌のことは、ただの缶だと思うとよいのかもしれません。 ●おまけの『かぐや姫壱夜』について。 この おまけ作品。好きです。細部に 魅力的な罠がしかけたられた 知的なお化け屋敷みたいで大好きです。個人的には ルルという登場人物がいるってだけで、何度も読み返したくなります。また読みたいと思っていますので、感想は短めに この作品が好きです。とだけ報告させていただきますね。よし、また読ませていただきますね。ではでは (猫が書いた詩、わたしが運ぶ詩 (おまけ付き))

2019-09-25

おはようございます。 まず、題名に惹かれました。宇宙の臍。題名になかなかの気概を感じます。宇宙なんていうものの臍だなんて、広大さで《世界の中心で愛を叫ぶ》を、はるかに超えています。しかし広大なだけではなく とても極小な臍を示している。宇宙という開放空間での話のようでもあると同時に、とてもinに入ってくる感じが常に しました。  まず、臍の蠕動とは すごいです。生物の臍が蠕動するのは、普通に考えるならば まだ胎盤や胎児がお腹の中にいて臍が 臍というよりも、栄養などを運搬するパイプであった頃が 臍が蠕動していた頃だと思うのです。だから、すごい。宇宙の臍という題名が、そもそもが ブラックホールを想起します。なにもかも吸い込み、なにかを吐き出しているとも言われているブラックホールです。母体が胎児に栄養などを供給するように 臍は蠕動しているんですよね。 エネルギーを供給している臍を探している。すごいです。宇宙ですし壮大なレボリューションではないですか! >宇宙のヘソが蠕動するとき >世から交換した桜が君の肺を咲いてしまう ここなんか、エネルギー変換が すごい。でも、なんだか 分かり難い表現方法をとっておられる。咲いてしまう。と、あるので 咲いてはいけないらしい。うわ。inに入ってくるわあ。 様々な箇所において、通常の使われ方を翻して使用しておられますね。分かるような分からないような 言葉のよじれが随所にあります。「太陽の抜け殻」とか、どういうことかしらと思っていたら、「私、逃げたくなった」と書かれているので きっとこの詩の話手は 太陽的であろうとして、太陽的ではない得体のしれない死に誘うようなモノと戦っている。と、読めたました。けなげな感じが、いいです。 >あなたの毒は私の血にさらりと溶けて羽を生やす >私、逃げたくなった ↑ここなんか、いいわあ。さきほどまで すっかりinに入ったので 外に出ようい欲求が生まれたんですね。太陽的になろうとしている。 「あなたにあいたいのです」 詩の冒頭部では わからなかったのですが、この詩って恋愛詩だったのですか?《宇宙の中心で愛を叫ぶ》ですね。(笑)  かわいいぢゃあないですか? かわいいんですけど、難解でした。緑色の彼女とか、今も 謎です。 かわいくないよね。(笑) インに入る。を 連呼してしまいしまたが、陰から なんとか出ようとしていているような気もさせていただけた作品でした。 (宇宙の臍)

2019-09-25

●ふじりゅうさんへ 点Pは、すこしだけ意識しました。がちがちな数学的発想でもなかったのですが、数学の図形は、一つの枠組みをただたどることで形は形成されますよね。 人々がだれそれのチャーミングポイントを言うときも、もしかしたら ひとつの枠組みで言うのかもしれません。たとえば、「彼女の笑い えくぼが チャーミングポイントだ」という誉め言葉や「あひる口が可愛い」とかいう誉め言葉も、枠にあてはめて該当したら誉めているのかもしれません。 それに対して、ポイントを指摘せずに 「彼女の全部が可愛い」という誉め言葉があったとする。すると、漠然としています。そして、可愛いと言っておけば良いという枠に該当しいるから誉めているだけと 受け取られることもあることでしょう。 ポイントをつかもうするのと、ポイントなんて考えないのとを比較して、 どちらが女子にとって有効かというと、なにかポイントを見つけるほうが 笑顔が継続する可能性が高いのは、別の良い点も見つけやすくなるという利点があるからかもしれません。女子は、ささいな好ましい点を探しては、旅をするものなんです。なんちゃってね。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-24

●エイクピアさんへ 人は、物にとって 物なのかもしれません。もしかすると 人とは、けものにとって のけもの、なのかもしれません。流線形であるなら水圧や風圧をうまく にがして動きやすくなるかもしれません。知識が自在に自由に動かせることに憧れます。そのようなことを願うのは、人だからかもしれません。 この詩を書いた後 正直、精神的に不安定になせさせるを得ない日常に、突入してしまい返信が遅れ 申し訳ないです。 ですが、この詩を書いたのは、私の中にある点を 未来にある点と結び付けたかったからでした。この返信が そのことを思い出させてくださいました。ありがとうございます。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-24

●藤 一紀 様 引力という通常の力は、別の違う力について描いた該当の箇所だけが詩だと思ってました。なので、分かっていただけて 嬉しいです。ありがとうございました。 (Mはman。そして、Wはwacko。)

2019-09-24

●舞浜 様へ 「人を殺したことがある」というショッキングな告白が宙に浮いてしまっていましたでしようか?別段、宙に浮かせるが狙いではありませんでした。もう少し、読み解くなにかを書くへきでした。 じつは実話なのです。悪気のない言葉が それも宗教的な人を救うためにこの世にある概念であるにも関わらず、コミュニケーション不足な関係の中で語られた場合は、死へと いざなうことがあるというお話が、コレで ございました。 川のこちらとあちら、自分が居ると信じているのはどちらなのか、ぐらぐらする感覚を味わっていただけて嬉しいです。私はそのような気持ちで描いたからです。 祖母は仏教を深く信じている人でした。祖母が亡くなって何年もたったころに、仏教の教えの中に、浄土に行く大きな船があるという教えがある事を知り、とても驚いたことがあります。わたしは、全く仏教に傾斜してしていない時期(ただの夢ではありますが)に、そのような船をみたことがあるからです。 ただし、有難い船の話で 命を落とされた方が実際におられることを想うと、私の心は動揺します。どう考えて良いのか 今でも分かりません。ただ、常識。つまり、常に意識にのぼっている善悪は なにかの拍子に ひっくりかえることがあります。それでも、自身を みうしなわないでいたいならば、だれかに 自分の思いが届くことを信じているしかない。そして、なにかしら行動するしかない。今回の場合は、詩作として掲示したことは良いことであった。と、下さっているコメントで感じました。だれかに伝えたいと願ううちは、なんとかなる。のです。わたしは、この詩を書いてよかったです。読んでいただいて ありがとうございます。  このたびは、このような人に普通は発言しないでいたことを、はじめて文字に おこしてみました。私は、人々が法に触れているという意味での人殺しは もちろんしたことはありません。しかし、本音では 私は人を殺したことがある。と、思ってきました。このような告白は、どう考えても 唐突でしたね。もっと説明を要します。しかし、私は 何しろ初めての告白でしたので このような稚拙な告白となりました。 おかげ様で、長年の悪を 吐き出せました。お目よごし 失礼しました。 (Mはman。そして、Wはwacko。)

2019-09-24

おはようございます。 この詩を読む時間帯は、朝が 一番良いと感じました。 夜が明けたなあと、感じながら 読むと、身体が浄化します。 冒頭では >頭では全く違うこと >考えていた と、あるので きっと 自身の闇を見つめて闇が闇を増殖し膨れ上がり ドツボにはまるようなことを 考えていたのだろうなあ。と、思いました。私も よくやる思考だわ。それって。と、思いました。 世間では、よく光ある発想をしなさい。だの明るい方を向きなさい。ポジィティブに考えなさいだのというようなアドバイスが 古今東西の唄やお説教が語り掛けてくるのですが、実際の暗闇ドツボにどっぶりの時って、そんなの簡単ではありません。  ですが、ふと 自分が努力するのではなく、お日様のほうが私を見ていたなあ。と、気が付いたとき as soon as 世開けですよね。 あ。あれ?最後の行の字を良く見ると、「 世が開け 」たんですね。夜が明けるがごとく心境が書かれていると 最初はおもったんですが、もっと この詩は広いです。 鎖国の終わった日本のように 様々な事柄が変化することが期待できそうです。 さわやかな言葉が 読めました。ビバ 幕開け! 良い日にします。ありがとうございました。 (お日様は私を見てた)

2019-09-19

わたしは、この作品に恩を感じています。とはいえ初めて読んだときは あまり良い印象をもちませんでした。 わたしが この詩を初めて読んだ時、感情というものがなくなってしまう瀬戸際に私はいました。私の中で善悪の大どんでん返しが起きていたのです。私の母は、全盲目指して暗く厳しい状況に向かってすすんでいます。耳も、よく聞こえていない。日々、コミュニケーションが難しくなっているので、遠方にいらっしゃる名眼科医との誉れ高い病院への旅先で 私はこの詩を読みました。  医師は、けして良くはない結果を やんわりと伝え。母は けして悪くはないと理解したようです。そして 旅先の様々な人々は とても親切でしたが、 母は あきらかに おかしい ハプニングを色々としでかしてくれたので、厳しい状況を想い知った旅でした。 帰途についてからも、母と私の状況は 当然、厳しいです。以前から 毎日毎日、一メートルも 離れていないのに「おらんのか」と言われてきました。いままでの私は毎日毎日、一言の声かけも 六回くらいはしてました。小さな声から だんだんボリュームをあげて喋るような毎日でした。わたしとしては、それが最善だと思っていました。しかし、旅から帰ってきたある日、耳の不自由なはずの母の前に 普通においた食器の音が「暴力的だ」と罵られました。そのとき わたしは 発狂し、大声をあげ 人ではない獣のような声をあげました。とても轟音でした。声が枯れましたし。でも、その声は、母には聞こえず。すやすやと母は寝たのです。 天使の日々は無為だった。 天使の日々は徒労だった。 天使の日々は無駄だった。 この箇所が まししく私自身のことのようだと感じました。私にとっての善が無駄だったんです。なにもかも辞めたくなりました。夕方になると、意味のない大声を 遠吠えるかのように発することが 二日間ほど続きました。喉は常に痛い状況なので、声がでなくなりました。すべての会話が とても小声になりました。私の思考力は低下しました。友達との約束を記憶できてないことが複数あった。孤立傾向です。 そして、この詩を 再び読みかえしたとき、私は、なんと ちょっと笑えたんです。 >軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。2019年の大晦日には、宇宙の隅で方舟が燃え上がる。降り注ぐ火花を仰ぎ見ている黒豹。 宇宙的視点なのに、デジタルに世界が終わるんです。んなわけなんぢゃん。すこし笑えました。そうでしょ?ほんとうの物事って、デジタルみたいには終わりはしないもんでしょ?ある日突然 発火するような出来事があったとしても すべてが終わることはないんです。それって、笑えるではないですか? この作品は、記号で編纂されています。たとえば、【ラファエロ】。彼は、宗教画を多く描いた画家でした。宗教画というものは、様々な約束事のモチーフによって宗教を伝えるために描かれています。宗教がこの世にない時代でも きっと、世の中にできわくすべての事柄は 善と悪という二項対立にありわけて考えてしまうものであったことでしょう。それってカオスすぎて問題解決が困難です。だから、記号化です。ラファエロの描く善と悪は、明確で記号的。個々の人々がそれぞれの立場で、善と悪を当てはめるために 記号的表現がなされています。仮に善悪にふりわけることが人には必要だからだと思います。しかし、世の中は 実際には割り切れないことばかりです。人間は不器用な生き物なんだと思います。人とは一応は二項対立をしないと 身動きがとれない生き物。だから宗教では 一応は、しばしば二項を対立させるのだと思います。 しかし、現実では すばらしいと思える事柄だって、ある日突然に みすぼらしいへと 裏返る。この詩のような年末で世界が終わるどころか、ひとりの人間の心の内側では 秒単位で世界かが終わったかのような心境に陥ることは ある。しららずしらずに善悪を決めていた。それに 私は気が付きました。 この詩には大嘘があります。世界が終わったかもように思うことって、どう考えても大嘘ぢゃん。と、感じたとき。わたしは笑えた。すると変化が起きたんです。喉は変な声を出したせいで痛い状況でしたので声はでなくなってました。すべての会話は とても小声になった。でも すこし笑えると感じたら すこし穏やかになれたんです。すると、不思議なことに 母は わたしの言いたいことが理解できる傾向が現れはじめています。小声なのに なぜか母の耳に聞き取れるらしい。 ありがとうございます。なんか やってけそうなんです。 ※追伸。みなさまへ 私は私の身においてしかこの詩を読みませんでした。みなさまの文章も読まなかったわけではありません。ですが、お礼を言わせていただきますこと どうぞお許しくださいませ。 (ラファエロ)

2019-09-17

こんにちは。初読の印象は、親和性感じました。 わたしは、よく 「愛は、このごろ いつも百均でかえる」と、いう意味不明な自作の鼻歌をうたっていることがあります。そんなかんだで、わたしと 感覚の似ておられる点を おもちの方だなあと、おもいました。 わたしの鼻歌は 冒頭に紹介したフレーズしかなかったのですが、缶詰は わたしの鼻歌のバージョンアップに 役立てるな。鼻歌のクオリティをあげることができるなと、勝手なことを おもいました。 最近 アイって 具象的すぎて ポアンッとした 言葉ですよね。 この詩は、詩ではなく 歌としてリズムに意識をおいて書くと、さらに おもしろいんではないどろうかなと、おもいました。 詩は、記録される媒体だけど 歌は、時間の芸術なので この詩の内容に ふさわしいような予感がしました。 (アイの缶詰)

2019-09-15

●みうら氏のコメントをお読みのみなさまへ みうら氏は、私のツイッターを読んだので、このような謎コメントを書いておられるのです。みうら氏にしてみれば、るるりらは なにやら理由は定かではないが るるりらは傷ついていると 感じてくださっています。 ●みうら様へ その映画のことは なにも知らないのだけど、 彼氏が自分以外の人とデートしているときに、影で初めて泣いたのだという理解で良いですか?人前で泣くのは 私も苦手だな。その女子は 一世一代の演技力で最後まで泣かなかったんだと解ります。そして、一人で泣いた後のことを想像しました。 ひとりで泣いたあとに、街中で 彼氏と元彼女がデートをしているところに 出くわしたら、演技力をさらに磨いて 泣いたことなんて 無い。てな感じのふりをすることでしょう。 わたしは、泣いたことがあることを告白してしまったのでした。演技は気概をもっていきていくのには必要です。しかし、詩とは演技から生まれる何かではないと考えています。詩に嘘があることは しばしばですが、嘘によって真実に触れることをしようとするのが詩であると、私は思ってます。 わたしは演技はできないです。けれど、演技なんて 詩を書く人には、必要のないのだと思ってます。だから あれは アレで良いのだと思ってます。 日常生活で だれかが私のチャームポイントをみつけてくれた頃に帰ってきます。そのときは、みうらさんは 詩を読むことを続けていてください。では また。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-12

千才森 万葉様 この詩の産毛まで 撫でてくださっているかのようなコメントを ありがとうございます。やさしみのやさしみは 万葉さんの読み方によって 私に沁みてきました。 芯のところも ちゃんと 汲みとってくださっており感謝です。 そうです。嫌なことがあり、むしゃくしゃして言葉遊びと連想ゲームをしていたら、人に優しくしている人を見つけて心が穏やかになり、また先へと進めるようになった。そんな詩です。 チャームポイントって、他者を惹き付ける点であって、他人が居ないと教えてもらえない。自分じゃなかなか気が付かないものなのですかね。それは きがつきませんでした。 実は、この詩を書いた直後に 日常生活において、私のキャパでは手に負えないことにでくわしてしまいました。それで、ネットの友人全てに対してネット落ちを宣言した所でした。けれど、チャームポイントは ひとりきりになれば、けして みつからない物である可能性が高いですね。闇雲にチャームポイントを探すつもりでしたが、貴重なヒントをいただけました。ありがとうございます。 (ciao ちゃあみんぐ)

2019-09-12

ほほえましいなあと、ほっこりしました。 うちにも ミントオイルあります。オイルと書こうとして 自動変換が「老いる」になるくらいに  老いは わたしにも切実なだけに、癒されました。 (母のこと)

2019-09-10

良い調子で 人生をさらりと 唄っておられますね。浴衣で おどりの輪に はいりたくなりましたよ、よよいの よい。 (『Little Eggs Dodo it’s 飛べぬのろまの 歌うたい』)

2019-09-09

安達祐実みたいに 可愛らしく言いますが、「あまーーーーい!」。 (╹◡╹)×(╹◡╹)=無限大 好きな作品です。 ((╹◡╹))

2019-09-09

こんにちは、八咫烏を連想しました。カラスって、現代では ゴミあさりなどで迷惑がられていますが、神格化されている逸話のある生き物ですよね。 ≫お前の脊柱は決してバラバラになったりしないから、 ↑ ここが、好きでした。神ってます。生き物の脊柱は生きている間は そうそうバラバラにはならないはずですが、生きている限り いつかはきっと終わりがくるはずですが、【決して】バラバラにならない。だなんて、神を想いました。そして、 音楽性を可視化させたかのような表現が 随所にあるのも不思議で美しいと感じました。 「風景は作るもの。空の色もまた」 ↑ 風の色 雲の影すら 俯瞰できる 神々しい視座だと、感じました。 題名がまた、にくいですね。 なんとも いえない良さを感じているところです。 (逃げ水)

2019-09-05

こんにちは  カーテンを開けるといえば、私の場合は 荒井由実の「やさしさに 包まれたなら」という曲を思い出しました。その曲では、カーテンを開けて 新鮮な空気や光を部屋に取り込むと、やさしさに包まれるというのが、「やさしさに 包まれたなら」なのです。この詩においても カーテンを開けるという具体的な所作のある詩は良いなあと思いました。 話はすこし変わるのですが、わたしの知人に 長年ひきこもりを経験した人がいます。その人は朝夕が逆の暮らしをしているので 部屋の入口を固く閉ざしている人です。 世の中には まったく部屋からでようとしない生き方の方がいることを、私の場合は この詩で連想しました。 カーテンを 開けるという 一見、さりげない所作ですが、この詩がもし 高層マンションの窓のカーテンを 開けるときの心境を書いておられるなら、そのあとにつづく事象は 言うのも苦しい事象がある可能性を 私は思いました。それは、心の冷え冷えとする事象だと いわざるを得ません。 そんなことを考えてしまった私は、つい 荒井由実の「やさしさに 包まれたなら」という曲のような やさしさに つつまれてほしいなと 個人的には おもったのです。 (カーテンを開けたら)

2019-09-05

おはようございます。 抽象度の 高い作品に、思いました。 ひとつひとつの語が、うつくしいので なんとなく ダイヤモンドのブリリアントカットのような眩惑的世界を 描こうとされている気がしました。 しかし、正直もうしあげて 理解できませんでした。 (訪問者)

2019-08-29

はじめまして とつぜんですが、甘めのコメントをつけるつもりです。 それは、わたしのとても個人的な理由からです。 わたしの使用しているハンドルと同じ音を 詩の中に発見してしまいました。 素晴らしい! でもごめんなさい。ほんとうに個人的な理由からの、絶賛でしたね。 メロディがあるような気がします。 題名は、「あめねこ」と読むのでしょうか?「あまねこ」でも良い感じですね。 猫で書いておられる点も、私にとっては ツボでした。 わたし自身への自己愛から なんの欠点もみつかりません。そこのところがかえって もうしわけないです。 けれど、良いわあ。と、思いました。人間、素直が大事かと思いましてコメントさせていただきました。(深礼) (雨猫)

2019-08-28

「黒猫はやはりただの猫ではない。」という学説(あえて、学説と呼びます)は、正しい。 イグノーベル賞受賞研究で猫がそもそも液体であるという論拠を参照する点において、わたしの住む地域にも黒猫家族が住みついていて撫でるとなにやら ただものではない感が漂うという点において、やはり他の猫よりも毛並みがいいという点において、体がやわらかく撫でると異様に手に馴染むという点において、「黒猫はやはりただの猫ではない。」という学説は正しい。 宇佐見踏繁氏によって 水たまりからの派生が報告されているが、他の地域である私の地域猫もただものではない感をかもしだしているということは小川や暗渠においても猫が発生していると考えられる。 道理で、街頭の少ない夜道を歩いていると 草などの茂っているところよりも小川や水たまりの場所のほうが黒さが際立っいる。しかも、すこしの光で水は猫の瞳のように輝くのである……なんちゃってね。 私は結局何が言いたいかというと、この作品が大好きだということが言いたいのです。終わり方なんて しびれます。わさわさ猫が発生するのですね。うわわわわわわわ。 わたしの住む地域の地域猫さんも黒猫なんですが、ある日突然 黒猫家族が現れました。 この作品のまんまな感じです。朝からゴキゲンな作品に出会えました。嬉しいです。ありがとうございます。 ≫みるみるうちに黒猫が一匹すっかり水たまりから姿を現した。それに続いて二匹三匹と次々に同じ色の頭が出た。 三匹の猫はあっという間に平気なふうに寝静まった街に消えていった。 キャーあ (黒猫の発生)

2019-08-22

つけくわえ 誤字は 絶対 撲滅します。 真っ白な気持ちです。ごめんなさい。 (古い月の粉 )

2019-08-21

藤 一紀 さんへ たしかに、「言葉」から意味や音を剥奪して図像化し、言葉というモノをつかったデザインをしています。実は、内容もなにかしらあるにはあるんなあ。と、読者に思っていただけたのなら 私としては成功です。 アイディアの一環として、ほかに「赤・青・黒」もやろうかしらと、ちらっと思っていました。音だの深い意味だのを剥奪するなら、他の色でもアリのはずだと おもったんですよ。 ただ、字ずらが 面白いのは、「白」になです。字の面構えが 一番、この形式には向いている気がしまして、四色の案は廃案になったといういきさつがあります。「面白い」という言葉は おもしろいです。物事を白紙にするような笑いのことをいうのかもしれません。 (古い月の粉 )

2019-08-21

渡辺八畳@祝儀敷 さんへ たしかに この作品のように行の終点を揃えようとすると、サイトによっては このようにいかないケースも多々あるようです。他のサイトでこのようなことをしようとしたことがあります。投稿前画面で確認して、成功すると思っていたのに ダメだったことがあります。すくなくとも私の場合は、私の環境と ビーレビのシステムは相性が良いようです。みなさんも一度は試してみられると、表現の幅の一つに成りえる気がしますね。 (古い月の粉 )

2019-08-21

ふじりゅうさんに面白がっていただいて 作者冥利につきます。 文字の繰り返しで視覚効果をねらった箇所のことを ある種水墨画といっていただいて ああ 視覚効果部分を筆で表現できたら もっと おもしろかったかもしれないなどと さらに妙な妄想をする贅沢時間を頂けきました。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-21

おはようございます。先日 十数年ほどひきこもりだった友人と会話をしました。 まさしく、その人は「誰にも相談しない子供は自分が助けを待っているとは気づかないでいる」……状態だと診断を受けたことのある人です。 わたしがささいなことに感じていることが、その方にとっては ささいなことでなかったりします。 この詩を拝読していると冒頭では「青に染まった空とも/ 人とも向き合わず /」とあるのですが、私の場合は その方と重なりました。中盤では「空のある私は/物的な答えをどのように扱ってでも//自分の苦しみから答えを出すことをしたくないから/」 と、「空」は 向き合っていないものから 空とは在るものとへの変化をしていることが 私には、励ましに思えて 美しく感じました。日本語って不思議ですね。 「みずから 」という言葉を思い出しました。「自ら」です。 「おのずと」という言葉と同じ漢字だなあと「自ずと」って書くなあ。空と似てるなあ。と、思ったのです。 自分でなんとかしようとしようとするのと 自然になんとかなるのは、この詩でいうところの「空」の二つの表現に似ているような気がします。そして、なんだか なんとなくなんですが、ひきこもりの私の友人と それとなく「空」を感じつつ触れ合えたらなあと励まされたのです。ありがとうございます。 (空に願う)

2019-08-21

おはようございます。 かっこいい作品ですね。高速で北極星の周りを星々が回っているみたいに言葉が回っている感じがしました。キリコの形而上宇宙という絵画自体が、 ひとつの恋愛詩のような気がしました。あまりにかっこいいです。映画が一本つくれそうなくらいに道具立てがたくさんですね。つい真似をしたくなりました。 ***************** 【メタフィジカ】 僕はこの混じりあうカオスで 君を見つけた まぶたとじめれば 幻惑の メタフィジカ ムービング・ウォークで止まったまま遠ざかる君しか ムーン・ウォークで後ろむきに進む僕にしか さようなら なんて いえないけれど 既成概念の崩壊したナポレオンとオフェーリアの悲恋 自動小銃が経を読んでいるかのような殺戮の機関銃トークをくぐりぬけ 廃墟と同意語の近代都市に きみだけを想う 睫毛ににじむ雫 息をするように、ふるえながら光る 君に出会えたことの歓び まさに「イシ」 風に煽られる新聞紙  君にまとわり はがれていく ラジオからもれている笑い声 残響音が海になる ビーナスが波間から現れる 姿態を人差し指でさししめす まさに「イシ」 (「残響」。)

2019-08-20

ふじりゅう さんへ おはようございます。 「白」が本来の漢字と違うところがあります。 たとえば、 白い胡粉は貝殻の粉だから螺鈿秘密の伸び白 白粉を湯で溶かせば海の死匂がしていたに白 伸びしろは、「白」では 間違えですし 死匂がしていたにしろ は「白」であるはずはないです。 面白がってくださって、ありがとうございます。こどもなので 率直な高評価が嬉しいです。新しい方のコメントを読んで 大半の方が不理解しかないかもしれないと思いましたが、発見がありました。不理解な感じに 懐かしさを覚えたのです。 祖父が日本画が描く人でして、その隣に何時間も座って見続けていた幼いころの私を客観視することができた気がします。何時間も四角の紙のすみずみまで凝視して白を塗る姿は不思議で おさない私にとっては楽しいものでした。 すこし成長したころに私はノートの隅々まで迷路を描く遊びに興じたりしました。 ノートの隅々まで書くということが単純に なぜか楽しかったのは、祖父の日本画の手法で紙の端にも注視するという目の動きを真似ていたののだと今、合点がいきました。 そして、創作した迷路ばかりのノートを他人にみせても すこしも面白くない評価しか得られなかったんです。懐かしい感じがして、はじめてきがつきました。 評価されない楽しい世界を持っているということは、やはり楽しいことです。そして案外 大切なことのような気もします。これが、私の 今日の発見です。ご清聴、ありがとうございました。 (古い月の粉 )

2019-08-20

こちらのサイトでは はじめまして もしも私に詩とはなんであるかを尋ねられたら返事に困ります。 しかし、この世に詩というものがあるのは、詩でしかできないことがあるからだと思うのです。絵でもなく音楽でもなくアニメ や 動画でもなく、身体感覚の発露ともうしますか。詩にしかできないことが、この詩に感じました。だから、私は この作品を まるで自身の痣を しげしげとみるように 見つめてしまいました。魅力ある作品でした。読めてよかったです。 (青痣)

2019-08-19

お読みいただき 批評ありがとうございます。 ほとんど 駄洒落です。 失礼しました。 (古い月の粉 )

2019-08-19

エイクピア さんへ 田圃まで登場人物のようで不思議な感覚は、すごいですね。読者の方の想像力は計り知れず、嬉しい悲鳴をあげているところです。 妹の輪郭はぼやけています。でもその輪郭などを回復させるのは読者ではないかとは、なんと ありがたい読書様でしょうか?実は、わたしも もはや 読者の立場になっておりまして、毎日 妹のイメージがちがって思えているところです。ありがたい評でした。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

まりも さんへ おひさしぶりです。とてもとても嬉しいです。 はい、ぬ から始まる、組もの。です。 「ぬし」のところは、私自身の自己評価として、一番 閃いた感があったのです。ですが、不評なのかもしれないという思いもありました。しかし、まりもさんに指摘をいただいたので 宝物になりました。ありがとうございます。 まりもさん好きな詩人さんは、伊東静雄のことだという理解であってますでしようか?水に流されたり海で溺れた少年たちが、しゃっぱになる、という伝承を織り込んだ詩を書いておられるのですね。しゃっぱって たぶんシャコのことですよね。あれは、美味しいです。泥の中に生きることを念頭に置いて リアルに描くという意味で、しゃっぱという選択は素晴らしい選択だと思いました。透明っていうのが良いですね。判然としてないところが この手の作品にむいています。 イセエビの幼生にガラスエビと呼ばれている時期があり やはり透明なのですが、成長するとあのような豪奢な身体を得るので この種の物語としては不適切なのですが、この手の話に成体が透明である生き物を示しておられる点が、その方は素晴らしいです。勉強になります。好奇心がかきたてられました。教えてくださって、ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

こうだたけみ さんへ ≫るるりらさんの作品のよいところは、読んでいるうちに「私もやってみたい!」という気持ちになるところだと思っています。作品自体にエネルギーが溢れていて、「よーし、まっけないぞ~」ってなります(^^) ありがとうごいます。 読者の方が「私もやってみたい」とお思いになるとしたら こんな嬉しいことはないです。 ただ、わたしは誤字ばかりしていて やからしていることが多いのも事実でして、 アドバイスは欲しいのですが、「俺もやかしてみたい」と思わせていたら、どうしようかとまじめに頭をかかえています。でも、こうださんの応援をいただいたので、ちゃんと 褒めていただいたことを力にさせていただこうと思えました。ありがとうございます。 コメント (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

たこ吉 さんへ たこ吉さん、現代詩フォーラムの書き換えスレッドではお世話になりました。忘れるはずがないではありませんか。あのスレでは たこ吉 さんと私が詩のラリーを繰り返したではないですか。けれど、あのスレでは会話はなく ただひたすら たこ吉さんの提出された言葉を るるりら流に変更させていただいてました。あのスレのルールは基本的には対話をしない事でした。対話もせずに、人様の詩を粉々にして良いだなんて、ルールとはいえ ええんやろかと どきどきしながら やらせていただいてました。ここでようやく 人として対話ができました。ああ よかったあ。ビーレビありがとう。           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回 めっちゃ面白いですか?ありがとうございます。でも 白白白白で囲っちゃうヤツのことは ごめんなさい、私はあの作品のことを忘れていました。だから、アレがこんな風に進化を遂げたわけではないんですよ。白で囲んだヤツは 正直 わたしとしては、不完全燃焼でした。せっかく たこ吉さんとお話をさせていただけたし、あの作品を推敲して、私自身が もうすこし満足できる形にして 投稿します。 アノ詩でやりたかった目標としては、 たこ吉さんが、油彩の絵の具が乾くまでを詩にしておられたので 私の場合は日本画材が乾くまでを詩にしたかった。そして、たこ吉さんの作品には「白」がたくさんあった作品だったのを受けて、わたしは白を増量したかったのです。けれど、読み直すと 私は私がしたかったことは まるで、できてはいないです。あれは、私としては納得できないなーい。たこ吉さんが ビーレビにきておられるので、白で囲んだアレを もうすこし書き直して すくなくとも私が満足する形にして提出しますね。よかったら閲覧してくださいね。 あ。そーだ。 本作品で気に入ってくださった箇所にも白を入れられなくはないですかも。            白白白白           回回回回          田田田田         田田田田        回回回回       白白白白 こうすると、またべつの意味あいが……。追加されたかもしれません。 ともかく、ようこそ ビーレビにおこしくださいました。お話ができて嬉しかったです。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

yamabito さんへ をお。進化だなんて太刀打ちできないだなんて凄みだなんて、めっそうもないです。山人さんはご存知のないことだろうと思うのですが、私は山人さんのお書きになるたくさんの詩のうち わたしは変身を描いた作品群が好きです。主人公が様々な姿に変わっていく詩編をなんどか拝読したことがあり、なんども読み返しているのですが、感想が上手く書けないため 返信コメントという形ではしてはきませんでしたが、私は山人さんに憧れてきました。変身を描いた山人作品も好きなのですが、自然や主人公が存在する場所の描写も山人作品には 学ぶことが多いです。あまりにも大ファンですので現代詩フォーラムの批評祭で絶賛させていただいたこともありました。この作品を書くにあたっても すこし山人さんのことも思い出していました。変化する生き物を魚ではなく、山人さんに似せて 山女(おさかなのなまえ)にする案も浮かんだほどです。イメージを固まらせるのは ちがうという気がしたので、止めたのです。 だから、ほんとうに 太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。 黙読しているにもかかわらず朗読しているような不思議な現象を体験を経験をされただなんて、ほんとうのほんとうに 嬉しすぎて 私は もう わけがわかりません。いや、なんともうしますか、本作品は 前作品でいただいたコメントをパッチワークしているだけなのですよ。わたしがひとりで書いたのではないですし、太刀打ちできないだなんて めっそうもないことです。でも嬉しかったです。ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-19

×日本画の手法りひとつに 〇日本がの手法の ひとつ (古い月の粉 )

2019-08-19

この作品は、現代詩フォーラムの書き換え連詩スレッドという参加者が書いた作品を自分風に書き換える連詩を続けるスレにおいて、たこ吉さんの詩句にある言葉のあとに私が書いたものを、改訂したものです。 他人の作品を自分風に書き換える連詩スレは↓こちらです。 https://po-m.com/forum/thres.php?did=196983&did2=190 なお、この作品にすこし難しい画材に関わる語があるので注釈を添えます。 ※膠  にかわと読みます。胡粉という顔料をのばすのに使用します。 ※螺鈿 らでん。貝の内側は虹色に輝きますが、螺鈿細工は貝の輝きを利用した細工です。日本画の手法りひとつに 紙一面に胡粉を重ねて塗った上にはじめて絵を描くという手法があります。胡粉がコーティングされた紙に描かれた作品は見る角度によって細かな光の粒子が宿ります。さながら螺鈿細工のようです。 (古い月の粉 )

2019-08-19

●鹿又 夏実 さんへ こんにちは。 視覚的な部分や、聴覚的な部分。書いていて 楽しかったです。 稲妻が稲を妊娠させるという、ちょっとセクシーな詩でもあります。(赤面) 天と田をむすぶ路を言葉で表現する つもりで書いた してます。 遊び心を理解してくださって嬉しいです。ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-10

藤 一紀さんへのコメントに人名の誤りがありました。 ×柳田邦夫 〇柳田国男 失礼しました。 今月の目標は、誤字を しないようにする。で、ございます。きをつけます。ぺこり。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-10

こんにちは まず、蕣の文字を知りませんでしたので検索にかけましたら 「あさがお」であるとか「むくげ」であるといった結果がでました。 まるで花姿が違う花なのに、なぜ 同じ漢字なのだろうかと思ったのですが、 「あさがお」も「むくげ」も一日花。つまり 花時期が一日のお花であり、キキョウの花も「あさがお」と呼んでいたという説もあるようです。びっくりしました。つまりは、刹那に咲く花を「あさがお」と呼んでいたとは 検索をかけるまでは知りませんでした。 繊細であることを 硝子の心臓であるということがあるように、短命な花になぞらえた心境は、いたいけな印象を受けました。跛行〔はこう〕は、足をひきずって歩くことだから、色々な身体の不具合を抱えておられる詩なのでしょうか?貝がらという季節。と、いう表現が美しいです。貝殻の季節とは、夏をイメージしました。けれど、選挙カーとあるので選挙の季節でもあり、貝殻とは貨幣になったことも物であることを ちらと勝手に思いました。 園芸の本を買って この世を どうにかする。どうにかするつもりなんでしょう?というのは なんだか愛らしい皮肉のような気がします。わたしは、「ルピナスさん」という絵本をお勧めしたいです。たくさんの美しいものを見てきた主人公の女性が、晩年になって たくさんの花を植えつづけて 世の中を美しくしてしつづける物語なのですが、花で この世は変わると、個人的には思える物語でした。もしよかったらお読みいただけたらなあと思いました。「ルピナスさん」バーバラ・クーニー/作 八木田宜子/脚本 それにしても、最後の連は 簡単ではない読書体験でした。生きることの たましいの継承の手触りがとても繊細で それこそ 一日花のように儚くて それでいて実を感じさせる筆致であると感じます。もうすこし繰り返して拝読したいです。 それと、蕣の文字がしれてよかったです。あさがおやむくげを見たときに刹那を 想えそうな気がいたします。 (呼吸癖)

2019-08-10

引用箇所にコピー間違いがおきました。失礼しました。 (球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》)

2019-08-10

 おはようございます。まず、題名を目にしたときに、宮沢賢治が書いたもののなかで生前に唯一刊行され、現在でこそ多くの人に読まれている詩「春の修羅」の詩文「「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」 を本作の題名である「球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》 」で思い出しました。 詩友とともに、「春と修羅」について 学びの場を持った経験があるからなのですが、賢治の作品が評価されたのは 亡くなってかなりの時間が経過してからであり、私達が学ばさせていただいて ああだこうだと勝手な解釈をする時間は とても有意義で楽しい時間だったものの……。ですが、もし 賢治が今の時代を生きており詩の投稿サイトに投稿して「春と修羅」クラスの難解な詩を私はリアルに閲覧したら、私は 故人である宮沢賢治と同じ様に ああだこうだと好き勝手な解釈を言えるだろうかなあと 思いました。それで、感想が書けない時間が過ぎてました。素敵だなあ。と、言ってもいいのかなあ~。と、詩を眺めておりました。(眺めるというのは、読むに至らないという意味です風景を観るのと変わらない心境という意味です。) けれど、掲示板なのだから コメントがつかないのはおかしいという、ごもっともなコメントを読んで、勇気を出して 私も書いてみようと思い立ちました。正直、ロールハッシャテストのようなことしか言えないと思われます。この詩が意味することは まるでわかってないなりに書くと、コメントした者の姿を表現することになりそうです。だから、最初に謝罪しておきます。自分(るるりら)のただの感想しか語れないことになることに間違いなさそうです。ぜったい、わかってないです。 ****************************************** 堰堤の素地を縫う夭き母より※堰むの素地を若い母親よりも 父性、愛尽きる迄わが児を啜り喰らう   子どもへの虐待が書かれているような気がしました。しかし、   鬼子母神のイメージも持ちました。若いころは、子供を食らう神を連想しました。   愛が尽きて狂気となり子をすすると書かれているのですが、この詩句は   冒頭に書かれた詩句なので、鬼子母神のように後で 慈愛が表出してくるのだろうと   推測したわけです。      しかし、この詩句のあとででてくるのは、なかなかの修羅でした。   ユディトが嬉々と抜剣そを振り下ろしてます。幼稚な母にそそのかされた少女が   首をかっきっているのでしょうか?でも位の高い少女の行った惨殺ならば、   群衆は静かに花をたむけて屍を踏み続けるしかないのでしょうか?   街は死の匂いがたちこめて、権力者は 絢爛豪華に美しく着飾るのかもしれません。   そして、自由。アポロンは 英雄のイメージ。   精緻な仕組みを整えることができれば、人々には太陽のしたのような明るさを   不吉な日蝕現象を冷静に 判断し、生きぬく知恵の縦糸と横糸を整えるがごとく   生き方が きっとある。 と、この詩は 語りかけてきました。それで、漠然と なんどとはなく 本作品を眺めていたのです。 いいなあと思う楽しい時間でした。ありがとうございます。    (球壜燈、単性磁極に拠る分節《わたしのピラマティスティーテ》)

2019-08-10

タカンタさんへ 8月7日の最初の私の書き込みにて、このコメント欄では 本作品以外の話は、一切 受け入れないことを、私は 宣言しています。わたしの詩作全般への ご意見でしたら、本作品以外の話に 該当しますので 遠慮いたします。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

タカンタさんへ わたしへのアドレスをしないとのこと。了解いたしました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

タカンタさんへ 日本語の詩のあらゆる詩誌や、日本語で運営されている あらゆる詩サイトにおいて、日本語のおできにならないかたのために 英訳可能な 表現をする責任を もとめている場所は、ひとつとして ありません。ですから、英訳可能かどうかを 作者は考える必要はありません。 とくに、本作品の場合は ビーレビ以外の場所に転載する意思が、いまのところ作者である私にはありません。前作のコメント欄に おおくの アイデアをこのビーレビでいただいたので、ビーレビだけの閲覧を希望しています。よって、英訳可能かどうかを考えなければならない責任など、ありません。 また、蒼穹などの例をあげておられますが、本作品は身体感覚を重要視した作品なので、そのような種類の言葉は使用しません。その程度の語彙は私にもありますので、そのような親切は不要に願います。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-08

明日、読み直しますが ご指摘の箇所も 書き方に 甘さがあったかもしれません。 しずかな枝の影が畔になる それは、理想郷の地図を示しています。地図だから、縮尺は現実と差があるのです。水路の有りようや道が、樹木と同じである街を表現してます。 個人情報は、生まれは 広島ではないけれど。わたしは ほぼりゅうさん広島の人です。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●左部右人 さんへ 「なめんなよという思いが溶けて 全身が 舌のように みみずのように泥を なめる 」 この2文が、本当に素晴らしい。っていってくださって、ありがとうございます。 みみずってね。ほんとうに全身で味を知覚するらしいです。この土、超おいしい。とか、 あわわ。塩水ぽーい、とか、みずずは知覚しているのかもしれません。 だけど、「私はるるりらさんの作品を先入観なしにはもう読めない。」って、どういうことでしょう。こわいです。先入観ですか。えー。この作品て、二度目に挑んでまして そりぁだんだん 想像は膨らんでもきますよ。いつもは、こんなの書かないのにぃ。えー。どうしよう。まいったなあ。 書かれるべくして書かれた作品というか、この詩って、パッチワークなキルト作品なんですけどねぇ~。でも、本当に、好きな詩といってくださって、心から嬉しかったです。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●沙一 さんへ 回 回  齒 ぬへへへ うふふ。いいでしょう。いいでしよう 必殺、旧字体の技。みつけたとき、もう 嬉しくてね。なんか、かわいくないですか?ちゃんと、びっくりしてるでしょ。でしょ。 そういえば白米のことを舎利(仏の遺骨の意)と呼びますねぇ。 ぶっしゃり塔。子どものとき山の頂にあった仏舎利塔で、弟が大泣きしてました。「えーこの中、骨がはいってるのお」いやー。論理的に考えて お釈迦様の骨は 世界中にばらまかれてはいない気がするですけどねえ。思えば、死とはなにかを初めて考えたのは、私の場合は仏舎利塔でした。 すてきな顔アイディア。ありがとうございます。当分、ご機嫌です。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●タカンタ さんへ こんにちは。タカンタ さんが私にくださったアドバイスは、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスでした。どこが、理解できなかったかを、後で、申し上げるつもりです。 まず、感謝している点を書きます。タカンタ さんにいただいた指摘の中で、自分では気がつかなった この詩の弱点に きがつくことができた点です。魚になるというアプローチ方法が 書き方として甘かったです。なぜ作者は魚にしたかったかを読者に感じていただくほどの描写に 本作品は 欠けていました。反省です。  タカンタ さんから、魚ではなく もっと悪しきモノであったほうが良かったというご意見でしたね。タカンタ さんの獲得しておられる集団に対する感覚と照らしあわせると、魚という牧歌的イメージでは そぐわないとのことでした。私自身は、魚という設定が気に入っております。ですが、作品は、人の目にさらした時点で、作者の手を離れております。タカンタ さんが ご自身で この詩をより良い形を模索してくださって、こうならばもっと良いのにと思索していただけて、嬉しいです。  タカンタ さんのご意見である「架空の物語であるが故に真実味が必要」というご意見には 私は賛成です。架空だからこそ、現実を見据えて真実とはなにかを踏まえる姿勢が作者にあるならば、詩は求心力を持ちえます。  あたりまえのことですが、お合いしたことのないタカンタさんと私とでは 生きている間に見てきた現実が違うと部分と、共通の部分があります。 この詩を書くにあたって、私が見てきた現実の世界でどこに焦点をあてたかったかをお話しておこうと思います。 私は、広島に住んでいる書き手です。数年前に私の住んでいる地域にほど近い場所で、大雨による大きな災害が起きたことがあります。被災地では、泥の妙な匂いが立ち込めていました。そして、ご近所の方やご家族の方が行方不明になると、たとえ死亡している可能性のほうが高いとしか思えぬ時間が経過しても なおも、「否、帰ってこれるに違いない」との思いを数多くの方が異口同音に おっしゃってました。わたしが、本作品で やりたかったのは、帰ってこない人が 実は平穏な暮らしをしている。帰ってこれないのには事情がある。別の生き物になってしまったからだ。暮らしぶり事体は 人間だったころとあまりかわらないという ささやかな お魚の設定の物語を書きたかったのです。 ご指摘は、「村人の迷信を語る個所が不自然な印象を与えます。」とのことでした。この文の最初に、正直に申し上げて 私にとって内容の分かりにくいアドバイスであると申し上げてますよね。タカンタ さんは ときどき、他の人々とは違う言葉、単語を独自の解釈で用いて、他者である他の人々は、その言葉は そのようには使わないために齟齬が生じておられることが多々あるようにお見受けしました。わたしは、村人の迷信を語る箇所は、描いていなんです。と、いうと どのように思われるでしょうか? 迷信という言葉は、昔の人々が論理的ではないことを頑なに信じていることを言います。「鰯の頭は信心から」とか、「夜に口笛を吹くと蛇が出る」が迷信です。私の詩で、行方不明の人が魚になったという噂がでてきます。あれは、迷信とは言わないです。ですが、タカンタ さんの指摘である もっと怖い生き物であるはずであるというご意見は深い洞察でいらっしゃいます。私の詩の世界に生きている人々には、深い恨み辛みの感情が きっとあるはずだと、タカンタ さんは感じられていないと言えないご指摘でした。それだけ 私の詩の世界に深く入ろうとしてくださったことに感謝します。 ただ、わたしとしては おろそしい生き物には、いたいけな少女には なってほしくないんです。なぜなら、わたしは 「ぬくい(おだやかな あたたかい ここちよい)世界が描きたいという思いで、この詩を書いています。だから、魚という選択を私はしているのです。この詩の冒頭くらいに、実は妹だけじゃなく、話し手も魚に変化したかもしれないという付箋を仕込んでいます。「泥魚の人」という表現なんですが、妹の話は登場してない時点で、魚がでてきています。つまり、村人だって話し手だって、みんな魚になった可能性があるという設定で私は書いたつもりでした。 でも、魚でない もっと悪い生き物の話も魅力ありますね。たとえば 龍とか蛇とかに変化したという噂がたっている話も魅力的かもしれませんね。溺れ死にそうな人の気持ちを 想像してみたのですが、もし 状況がすこしも改善されてないというのに、なぜかエラで呼吸できたとしたら、すごい変化に自分は龍になったんじゃあないかしら。とか、大蛇になったんじゃあないかしら?っていう万能感覚を得たかもしれません。死にかける経験をした人々は お辛い暮らしでしょうから、万能感覚のある生き物への変身願望があっても リアルティがあると思いました。 ただ、行方不明の方の帰りの待っているご家族のことを想うと、わたしの場合は、やっぱり お魚でいてほしいんです。ささやかな生き物に変化していてほしいです。少女の愛らしさが すこしでものこっている姿で、居てほしいです。だから、改編はできそうもありません。貴重なご意見ありがとうございました。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

●survof さんへ いうまでもないことですが、この作品には同じ題名の作品があり、これは改訂版です。 改訂前の作品も、褒めていただけた冒頭箇所は 前回のままです。 本作品は、冒頭箇所の勢いを そこなわずに、最後まで 読者を詩の世界に引っ張ることを目標として書きました。なので、 「個人的にはこちらのバージョンのほうが断然好きです。」と言っていただけて、おもわず ガッツポーズになりました。「よっしゃあ」で、ございました。他の方にも様々なアドバイスを頂戴したのですが、survofさんの前回のアドバイスは詩に対する情熱の導火線に発火が起きました。おかげで楽しい詩作の時間を得ることができました。ありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

◎みまさまへ 最初に、私は 二個のお詫びと ひとつの抗議があります。 ①お詫びのひとつは、誤字を発見してしまいました。【ぬぐ】 のところに誤字があります。 ×その男は おもわず 来ている ○その男は おもわず 着ている ②もうひとつは、わたしの本作品と関係ない話が 本スレット内で行われました。本作品と関係ない話は以後 一切 受け入れません。ただ 一言だけ言わせていただきます。その書き込みが行われた日付は、昨日の八月六日でした。広島の原爆の日です。私は広島の人ですので 荒ぶる反応はしたくない日でございました。このだけは、もうしあげておきます。アインシュタイン、彼は、大変 功績のある方です。ただ、負のことにも関与しています。原爆の日に彼のことを私は、けして誉めません。反論のご意見は 当然あるでしょうが、わたしは この件については 全く受け付けませんので、 あしからず。 ③抗議について書きます。わたしにコメントをくださった方に対して、タカンタ さんが 「歯の浮くようなお世辞は止めましょう。あまりにも見苦しい。」と書かれました。このサイトは 作品を賞賛するライトレスを奨励しているサイトです。短文で誉めることは このサイトの倫理に かなっています。そのようなご発言は控えていただけますようお願いします。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-07

本作品に 関係のない話を、わたしの作品欄でしないでください。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-06

コメントを書いたつもりで なにも書かないで送信してしまいました。 失礼しました。個人的には、とても好きな詩です。 自傷気味に笑う感じから 都会でのひとり暮らしを連想しました。 話手は、「笑っちゃうでしょう」とか「困っちゃいましたね」といいながら「おやすみなさい、またあとで。」と言っているのですが、SNSで盛れるだけもって映える写真をつくりこんで載せてしまう人々とは対極にいる人の息遣いが感じられて好きでした。 真っ黒のカーテンの部屋で 電気もつけずに冷蔵庫を開けると 背徳感ただよう元生鮮食料品なんかが、だめ~な感じで 前衛芸術感をかもしだしているような気がして、フフフ。と、なりました。 (あるいはそれは)

2019-08-06

●羽田恭 さんへ そうなんですよ。桃源郷のような世界に迷い込んでしまったのです。 諸星大二郎の短編、こわいけど興味深いです。 蓮華の花は、つまり はっきりいって浄土も、イメージしましたあ。 羽田恭 さんの作品を拝読したところ、どうも仏教思想に傾斜しておられるみたいですね。わたしは仏教について あまり詳しくはないんです。けれど、本作品のベースにはさせていただいています。お坊さんの衣装である袈裟は、田んぼをイメージしたパッチワークが元になっているときいたこがあります。それと、お釈迦さまのお父さまのお名前は日本語では、「浄飯王」という文字が当てられていると聞いています。なんとも福々しいお名前でしょうか?釈迦族の方々って、なんとなくお米にご縁のありそうな方であるという点で、妙に親近感を感じたことが 私にはあるのです。そこで、わたしも米が最高だと感じているいうことを 作品が書いてみたくなったのが、本作品でございます。合掌。 (ぬくい)

2019-08-05

●survof さんへ 出だしの >ぬかったわ >ふるぼこではないか >ぼっこぼこではないか >荒廃した この さもしい自分は >一体どうしたら いいんだ。 は最高でしたか?ほんとうに?でも この一連目の緊張感が最後まで持続してくれたら本当に最高だったんですか。 そっかあ、やってみます。できるかしら?むむむ。 改訂版の冒頭で ご意見を反映させてみようと思います。 貴重なご意見をありがとうございます。 (ぬくい)

2019-08-05

●沙一 さんへ 稲妻の伝承、私も興味深いですか?ですよね。ですよね。そうですよねぇ。 わたしは むしろ そこをもっと、描きたくなりました。 回回 田田 ↑雷にびっくりして、まんまるくした目と、むきだしになった歯ですか? たしかに、みえますね。うわっ それは取り入れたいです。よろしかったら改訂版も書きましたのでお読みいただけると嬉しいです。 (ぬくい)

2019-08-05

●紅茶猫 さんへ 「陽炎より手が出て握り飯摑む」高野ムツオ この句は素晴らしいですね。こちらはあの世から死者が手を出してくるわけですね。凄いです。陽炎とは美しい自然現象ですよね。でも、わたしはカゲロウのことも想起しました。わたしも子供の頃は田んぼに家の周りを取り囲まれているような場所に住んでいたことがあります。カエルの卵のゲル状のものは なつかしいです。そういえば、わたしも タピオカは苦手です。でもイクラが好物だから、タピオカを私が苦手な理由はカエルのせいではないかもしれないです。大人になって、花田植えという伝統行事を体験したことがあります。愛らしい衣装に花笠をかぶって 牛と一緒に田植えをする行事です。ほんとうに若い少女たちが「むりぃ~泥がきもちわるすぎ~」と叫んでましたが、わたしは 育ちが素朴なので平然としてしてました。 実は、本作品は書き直しを行いました。おじいちゃんを誉めていただいたのですが、改訂版には おじぃさんはでてきません。そのかわり「カゲロウより手が出て握り飯掴む」イメージで書き直してみました。成虫になってカゲロウとなった状態だと口がなくなることからイメージした改訂稿です。よろしかったら、そちらも 読んでいただければ嬉しいです。 (ぬくい)

2019-08-05

●仲程 さんへ すてきな詩をいただきました。 若い穂のイメージをもっと詩にこめたくなりましたので、 本作品は改訂いたします。改訂稿には仲程さんのお書きくださって詩のイメージがうまく反映できればと思っています。 (ぬくい)

2019-08-05

●玄関の人 さんへ えーと、「病葉堆積」といいますと、下記のサイトに投稿した作品を読んでくださったんでしようか?http://golconda.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6005917#12814820 私としては 「病葉堆積」のことは すっかり忘れてまして読みなおしました。たしかに、年寄りっぽい((´∀`))ケラケラ。そして 本作品ともどこか似ている気も自分でもします。病葉堆積の冒頭の詩句は、大河ドラマで知った唄を参考にしています。古典ですから 年寄り感が漂うこと半端ないです。実際、わたしは年といえば年なんですよ。でも、小学校の頃のあだ名が「おばば」でして、転校しても「おばちゃん」だののあだ名がつくことあったんで、性根が 婆さんなのかもしれません。反動で、とても幼い感じの詩も たまに書きたくなります。まあ、だからその年齢は ゆるちて。 雷についてですが、よほど稲妻と書こうとも思いました。稲の稔りに稲妻が影響しているという伝承と、あと科学的根拠も発表されたことがあり、感動したことがあるんですよ。 蓮華草はねえ。こどものとき すごく 咲くのを楽しみにしてました。あたり一面が 蓮華の花の咲く地域で暮らしていたことがあるんです。日本人には そういう人が多いはずですが、蓮華の思い出がある人々は、ある程度の年齢を重ねている傾向があるんですよねぇ。(遠い目)まあ、だからその年齢は ゆるちて。 きがついてなかったのですが、もしかしたら わたし自身が、申し訳ないような気遣いしたいお年頃かもしれないですね。ええ塩梅の塩加減の評がいただけました。ありがとうございました。 (ぬくい)

2019-07-30

●黒バラ さんへ さて、一体だれが亡くなっているのでしょうか? とりあえず、お話の中ではっきりしているのは、おじいさんには もう会えなくなった。 主人公も逃げていったから 作者である私は読者の方々に主人公を合わすつもりはない。ってことは 言わせていただきますね。 現実の人間って、必ず 死にますよね。たとえお話でもドキュメントとして書くときは 劇中では生きていても、いずれは死ぬ。でも、この話は 生死がある世界観なのかどうかも曖昧に書きました。じゃあ一体なにが描きたかったかについてなのですが……。 黒バラ さんが「優しい作品でした。」と、うけとっていただけたので 私としては大満足です。 作品は書いてしまったあとは、読者のものですから。もう黒バラ さんの願い通り、 この主人公にはまだ人生が続いていて、また一から出直せるきっかけになっています。 読んでいただき 深く詩の中に入ってくださって、ありがとうございます。 (ぬくい)

2019-07-30

●エイクピア さんへ 抒情性、構成などがあると思っていただけて嬉しいです。謎は分からないから謎なんです。唐突過ぎて分かり辛かったですか?世の中の大抵のことは、さも わかるかのようにように示されているものですが、でも実際の自然な事柄は ほんとうのほんとうには分からないことのほうが多いです。 蓮華は田に鋤き込んで肥料とする。そうですよね。そういう意味で書きました。でも、謎でしょ?時系列が間違えていますよね。お爺さんの家の跡に蓮華が生え始めるんだよ。米は蓮華の花の後に苗を植えるもんだろ?って思いますよねえ。時系列も壊れている真実の世界って エイクピア さんは信じますか? (ぬくい)

2019-07-30

●藤 一紀 さんへ これってずるかったですかあ笑。ずるいといえば、シャ乱Q 『ズルい女』を歌う つんく♂さんを思い出してしまいました。たぶん おきにめしたんですね。ありがとうございます。でも、藤 一紀 さんも ずるいですよ。案山子って言い得て妙だとおもったんです。でも、回回×4だと案山子というのが わたしは謎でした。依り代って言葉は、素敵ですよね。すべて稲穂は神様の依り代(よりしろ)という考えがあるとは聞いてます。わたしは、重要な事柄に※つけてるのを見かけると、わい お米のマークだあ、と わたしは幸せになる簡単な人なんですよ。ずるいでしょ。(笑) (ぬくい)

2019-07-30

シリーズ「フィラデルフィアの夜に」のすべてを評することは、私には難しく。 フィラデルフィア・ワイヤーマンを元に書かれたものであるという予備知識のみでの感想を 書かせていただきます。 書き方は、ちがうのですが わたしも声を出せる、それだけで力を得る詩を 七月の鯛一作に書いたところでした。私の作品も 発語が難しい身体を持つ者が発語する話でした。  澄んだ声を朗々と出すことへの憧れという意味で、共鳴にも似た思いを持ちました。 街へ、人の前へ向かう力が 声にはあると感じます。 音声は 人の鼓膜を震わせるので、魂をも直接的に揺らすように感じるから 私は声に憧れるのかもしれません。音声は消え入るものであるからこそ 憧れるのかもしれません。いかなる音声も永遠ではないです。けれど、針金や詩に 人の願いのこもったとき 音声を超越するように 私は感じました。わたしは、この詩が好きです。 (フィラデルフィアの夜に Ⅹ)

2019-07-30

一貫して、横顔が うつくしい詩編で、ため息がでます。 半島、半年。の半分な感じ。そして、主人公が消息だけは伝えている横顔。 未明、小火。のほのぐらさ。やがて 主人公が秘めた思いは業火となって燃え盛るのでしょうか。映画のオープニングのような詩句だと感じ入りました。 (半島の青)

2019-07-25

今月の一番 はじめに本作品を拝見しました。けれど、今日までなにも書けずにいました。でも、私は よくアーカイブスを利用するので、アーカイブスだと一番上にある本作品を なんどとなく読んでいます。 まず、「清い」って感じました。この世界が好きで好きで好きすぎ。そして、ご自分を放り投げる。と、書いておられる。ここが私がコメントできずにいた理由になった箇所です。 世界に対しての憎悪からの自暴自棄になる話なら、よくきく話なのです。でもこの詩の場合は、世界に対する賞賛から ご自分を放り投げる。という境地です。わたしにはコメントが難しかった。本当は、思いついてたことはあるにはあるのです。いうと おばさん臭いと言われそうで 言わずにいたことなんです。今日は、勇気をだして ソレを書きますね。 禅の言葉に【放下着(ほうけじゃく)】という言葉があることを 思い出しました。 放下は「投げ捨てる」「放り投げる」の意味で、着は強調を意味し、放下着で「捨ててしまいなさい」という意味だと、禅の言葉を集めた小冊子で読んだことがあります。 あれやこれや考えず 捨ててしまいなさい。って禅は言うてるみたいですよ。 この詩は、自死の願望を書いておられるのかしら。どうなのかしら。そうではなく、 なにかと比べてお辛いなら、いっそ 比べることを 全部 ほうりなげておしまいになれたら良いのになあ、と 感じたのです。 失礼がありましたら、ごめんなさいです。 (この世界が大好き)

2019-07-25

●せいろんさんへ 興味をもって読んでいただきありがとうございます。 次回作ですか? なにか 書けると良いなあとは おもっています。 応援をありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-25

●田中修子さんへ  この詩から ふくいくを連想していただけたなんて、びっくりです。嬉しいです。なぜなら、これは お魚ぽいお話なので、香という評は予想してなかったです。  ふくいくという言葉は、メディアなんかで耳にしたとき 気持ちの良い響きだなあと思っていた気がします。漢字では「馥郁」と書くみたいですね。我が家の庭に百合がさいててなかなか良い香りなのですが、なにか いつもより 別の香しさがありました。ふとみると、一輪のクチナシの花が咲いてた。どうりで香に、ひとことでいえないような ふくよかさをあるはずだと思いました。いただいたコメントの意外性が楽しいです。  さらに関係ない話になるかもですが、わたしは下関というフグの産地で生まれました。 怒らせると まんまるになるアノお魚です。アレを、ご当地では「ふく」と言います。福本来なら 濁音の「ふぐ」のはずなのに「ふく」と 言ってます。こうしてみると、「ふ」って音は、やっぱり、いい音ですよね。本作品の題名は、{ めるふぇん }。「ふ」にしてよかったなあ。(笑) 素敵なコメントでした。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-25

初読では、正直いうと 全く ピンときませんでした。激しく誤読をしたんです。どんな誤読かというと、海辺に邸宅があって庭の前の部分に鯨がうちあげられて、さあたいへん。どしょうがでてきてこんにちは。……ならぬ、蝶蝶が砂のように舞い上がり、さあたいへん。泳ぐ魚もでてきて、こんにちはをするのかあ!と、いうような誤読です。 ですが、「聴砂」も「耳石」も同じ働きをするモノなんですね。前庭も耳の器官をしめしているんですね。学生時代には知ってたはずですが、まるで忘れていました。勉強になりましたので、拙詩を 書かせていただきました。 【カタツムリは語る】byるるりら 巨大なカタツムリがある 殻の内側は、海である 塩水で満たされた母なる海である 海には 鯨が住んでいたが ある日、一頭の鯨が 浜に打ち上げられてしまった 悲しい声で 鯨が鳴いている 海は 激しく搔き乱れ 飛沫が叫ぶ 海が鯨に 言いたいことがあるのだ 「帰っておいで 丘に行ってはいけないよ」 そして、 叱りつけるように荒れ狂う 「眩暈がするほど悲しいよ」 「おまえは海を忘れようとしては ダメなんだよ」 海は嘆く 鯨が泣いているから海も嘆く カタツムリが海だなんて、なんの話をしてるかって? 君の耳の中の物語さ 生気のない乾いた顔をしてる君の 物語さ わたしたちは、両の耳に ひとつづつ ふたつの海をもっている 耳をすませば 海の歌が聞こえるだろう 鯨の声だって たまに きこえるもんさ 海は たまに 時化る。 海は たまに とおい。でも ちかい。 かなしいときは しずかに 水平線を想うと いい。 わたしたちは、うみだ だから きっと 大いなるものを生み出せるにちがいないのさ わたしたちは、ふたつの海をもっているせいなのか なにかと比べずにはいられない けれど きっとそれだって 海へと続く道を知るために ふたつの海をもっているのさ ともだちが鯨の耳石をもっているそうだ  だけど それは、片方の耳石だけなんだってさ   まるで シンデレラの靴のようで 心臓が波打つ   (前庭で砂が踊る日に)

2019-07-24

田中修子作品のファンの私は、他の作品などと つい照らし合わせてしまいます。 はじめて、田中修子さんの作品をお読みになる方と 私とでは 同じ感想ではない気がします。 でもまあ、深く考えずに おもったことを想ったままに 書いてみようと思います。  一番、考えさせられたのは 女性の生き方についてです。一休というサイケなお坊様は 女性の生き方のことを 「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶(かかあ)としぼんで婆と散りゆく」と、言ったそうです。一休さんの時代では、花みたいに綺麗なのが娘時代、そして結婚して家に入ると ふつうは、嫁の務めみたいなことを家父長制のもとで一通りこなした時代を経験し、そのうち女性は なんとはなしにぐんぐんと鼻が高くなってきて意気揚々となってくる。そして、そのあとで、静かに しぼんでお婆さんになるというのが普通だったのでしょう。    ですが、この詩の「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「あなた」は 一休時代の女性像とは違う。 この詩のこの「あなた」だけじゃなく今の時代の女性は、娘→嫁→嬶→婆とは違う。 いつの時点で〈女王たる聖女>の身分を確立するか 決まってないです。場合によっては娘の時代から 鼻高々な嬶で、嬶→婆への移行だけを気にしていることも、あるにはある気がします。また実年齢が「老」であっても、実年齢を超越して娘としての花を咲かし続けようとしている。それは、それで良いのでしょうけど、なにか 大切なことを 見落としているかもしれないなと思いました。 この詩の場合は、「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」の「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言している。他者に対する思い遣りが欠けてるんじゃあないですか?と訴えている。……のだと私は読みました。 圧力をかけてくる政治力<書記長>や<王の器>に対して反旗というか、強い批評を行っている詩が本作品だとして読みました。 偉い人々は、<ナイフとフォークでビフテキを食べ〉ながらふんぞりかえって、<平和>や〈戦争〉の回避を言ってる。でも、偉そうな人々って、ほんとうのほんとうに子どもや老人のことを考えているのかあ!と。 この国のことを 麗しい国だという人もいるが、「老人そして小さな子を見落とし続け」るならば、〈水のはる国がない>に等しいではないか!と。かつての「小さな子」が、成長して 詩で抗議を発言しているのだとして 本作品を読みました。 政治力みたいなものを もたずに、金の夕焼けや 翡翠に 海の音を しずかに感じることのできる生き方が、ある。 「老人そして小さな子を見落とし続けたあなた」のかつての「小さな子」には、ある。 レモンの香のような生き方が、かつての「小さな子」には、ある。んだと……作者は気がつたんだと思いました。素晴らしい気づきです。 本作品は、【蠅】だのという 嫌悪を感じさせる題名です。しかし この詩は私には、淡々とした生き方への賛歌だと私は感じました。 極端な感情は、異常に映ることがあります。たとえば極端な哀しみ表現が内心では笑っているようにみえたりすることがあります。極端に笑いすぎた生き方は、まるで泣いているかのように見えることがあります。あれって、極端ってモンは どこかが破綻しるてことなんじゃあないかしら。 政治的な大きな力 激烈なコールは、苛烈です。大事だから大声なんでしょうが。けれど、大声は、とても 大切なことを見落とすケースがある。大きな力なんかよりも、もっと 大切なことがある。 それは、口にしたとたんに ウソになってしまいがちな「愛」とか「思い遣り」とか……かもしれないです。 (蠅)

2019-07-22

朗読の練習テキストとして優れているので、利用させていただきました。 声色の工夫だのという朗読という点で読むと、なかなか良い作品でした。 コメント欄に実際に記者会見の対処がまずくて 会社をたたんだ会社の名がありますね。その実例の会社って、その後その会社をたたんでいますよね。もしも、該当の方がこのコメント欄を読んだら「人生に起こり得る全てには必ず終わりはあるもんだとは言うものの、お話の世界には賞味期限って ないのかよ」と、嫌なお気持ちになる予感がします。 いまもこんなところで話題にされてしまわれていて、お気の毒です。 本作品の話し手の場合は「ご想像におまかせします。」としか言わない。心の中には 雀がめちゃめちゃのメタに盛んに鳴いている。シュールですね。こんな強靭なスルースキルの人って、現実には そーそー居ない気がします。でも、文芸の中には居る。文芸を愛するのも人間味。人生で なにか失敗をするのも人間味。 ふと、とあるCMの台詞が、頭をよぎりました。「そこに 愛は、あるんか? 」by大地真央 いろいろ考えさせらた作品でした。本作品を朗読の練習に使用しましたので、現実に会社をたたまれた例の会社の方にはなんだか申し訳ないです。ですので、 そっと 祈っとこうと思います。 よかったら、ふじりゅうさんも御唱和ください。 「どうぞ みなさんに幸ありますように」(深々と礼) (謝罪会見)

2019-07-18

●蛾兆ボルカさんへ 過分なお言葉をいただき 恐縮しています。大野一雄で検索をかけ いくつかの動画をみました。 なかでも、もっとも印象に残ったのは、車椅子になってからの彼の踊りでした。車椅子でおどっておられるということは、もっとも年齢を重ねられた時点での踊りだと思われます。私は彼の精神に心を奪われ 感が極まり涙がでました。 そして、目を閉じても彼のしぐさや表情が、わたしの胸に宿ってくるのを ずっと感じつづけています。彼の踊りは、命の礼讃が死のぎりぎりのところで 瞬いているようで 眩しいです。人の心を隔てるさまざなもの(国のよる文化や思考の違い、男女の別。年齢など)を超越した踊りをまえに文字通り「絶句」するしかない。 添付しておられるリンク先も もちろん、拝読したのですが、まだ 胸がつまっています。私の感じたものを、うまく言語化できません。また、言葉なんて超えている方のことを、なんとか言語化しようとする方のいとなみが これまた 美しいです。   私としては、蛾兆ボルカさんが 私に かけてくださつた言葉や情報に なんとか こたえようとはしているのです。  たとえば、たまたま「能」の考え方に触れていて、能の有名な本の中に ごく稀に老の花が咲くことがあると能の考え方が記されていることなども踏まえて、お礼を言わせていただこうとか 考えてははいたのです。ですが、こうやって そのまま言葉にしています。ですが、なんか違う。言葉にしきれないと感じている私が居るばかりなのです。  しかも このわたしが、この素晴らしい方々の言葉に例えられているということが、なんとも もったいなく どうしたら良いか分からなくなるのです。もったいないにもほどがあるのです。ですが、得難い目標となる方と出会わせていただきました。大野一雄。凄い方です。 感謝のあまり、蛾兆さんにお礼すらいいそびれてしまいそうな勢いです。 それでは、あんまりです。もうしわけがたちません。言わせてください。 言葉にできない大きなものを いただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●藤 一紀 さんへ ありがとうございます。とくに、 特に最終連を、きらきらとみずみずしく、健康的で、つられて笑顔になってしまうといっていただけて嬉しいです。 この詩を書いたあと、肉体改造を本気で行いたくなっています。 泳ぎつかれたあとの 笑いみたいなものを体で体験したくなったんです。 いつも最後の行みたいな心境でいたいです。 ほんとうに この詩をきっかけに私の人生が変わります。ガハハハッ ほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-16

●タカンタさんへ この詩に必要なのは、技巧とのことでしたね。私は、技巧についての本を読んだり考えたりすることが苦手です。論理思考が苦手だからです。ですが、ご指摘を受けたので、レトリックの本を手にとってみました。たまたま開いたページには、人を傷つけるために発せられた言葉のレトリックの豊富さに驚く。と、説かれていました。そういえば詐欺犯罪者も言葉の技術という意味では、凄いものがあります。こんなことを踏まえると、技巧という意味で自身を改めるまえに、忘れてはならないことがあることに気が付きます。それは、自分はどんな人でありたいかです。  私は「純」でありたいです。技巧を追求しすぎると、「純」からは 離れてしまうことがあります。だから、注意がです。  さて、本題の本作品についてですが、技巧や独創性が伸ばせるとお考えのご様子ですね。言うのは簡単です。しかし、もっともっとを追求しても、物事が良くなるとは限りません。すくなくとも私の場合は、私にとっての技巧を 駆使することで失敗したケースや、より独創的であろうと目指した結果に 失敗したケースが、多々あるのです。  そうかと思うと、私自身にとっては独創性などといったものを、まったく追求したつもりがないにも関わらず「なんて独創的なんだ」と喜んでいただいたりすることも 稀にあるのです。  ひとつ独創性を追及し失敗した例を紹介させていただきましょう。人魚ネタです。独創性を追求して、失敗した例です。わたしは 上半身が魚で下半身が人の人魚という作品を書いたことがあります。自分では斬新であると思いました。ところが、世界は広いのです。んなことを考えていた人は他にもいることを知ることとなりました。しかも、エロい表現を苦手とする私だからかでしょうか?その自作詩を自分で読み返そうとすると、あまりにも辛いのです。私はその作品を自分の手で抹殺しました。わたしの場合は、私にとってはノーマルな発想の程度にしておかないと 私は詩を書きたくなくなる日が来てしまう嫌な予感がします。ごめんない。私は、超絶技巧を感じさせる詩よりも ふつうを目指します。独創性や技術性の高みをめざしても、わたしは成功しないんです。 それから「どうしてもアンデルセンを思い浮かべる人が多いので、それを連想させるべきか、否か、難しい主題です。」についてですが、なんだか、ハムレットの「to To be or not to be」みたいですね。堂々めぐりな詰問で なかなか劇場チックなイカスご意見でした。しかし、ごめんなさい。当の私は あんまり悩んでないんです。  なぜなら、私が どのような作品を書いたとしても かならず一定数の方が、人魚という語からアンデルセンを連想をされるはずだからです。たとえ、上半身が魚で下半身が人という人魚という妙な人魚を書いたとしても、「アンデルセンの人魚とは違うのね。」と、アンデルセンを想う人は 必ずいらっしゃることでしょう。それほど アンデルセンの人魚姫はスタンダードな作品です。 私はアンデルセン作品も好きです。なので、どなたかが私の作品のことをアンデルセンに似ているね。と言う方がいらしたら光栄に思います。ですが、やっぱり アンデルセンはアンデルセン。わたしのは わたしの人魚です。読者のみなさんには、比較する自由があります。しかし、わたしに とっては 比較されようがされまいが、どちらでも 良いです。そうでも おもわないことには、人魚なんて そもそもが、書けないのです。ご意見、ありがとうございました。 (めるふぇん)

2019-07-16

ビーフストロガノフに芸術性はあるに違いないです。 喉元をすぎたあとも カップにかすかにのこるスープに すこしゆらいで現れる虹色 一口つづ口に運ぶほどに体中にみなぎるエナジー おいしい料理をつくることのできる方は 芸術を超えた美ですとも。 御馳走様でした。おいしい詩でございました。 (ビーフストロガノフに芸術性はあるのか)

2019-07-12

コメントが月をまたいでしまったのですが、 わたしは ときどき この詩の最後の行のことを想うのです。 ビブラートかけられた悲しさ すごい一行であると感じます オブラートに他者や境遇など先の見えないトンネルのよう だって ビブラートかけられただから受動的なのですね。 ビブラートを能動的に楽器や自分の声などに効かせることができたら きっと もっと 開放的になれる気がしました。 トンネルの中から脱して、黒髪さんは もっともっと素敵に羽ばたくことの おできになる方だと 私は、感じています。 (目に見えない)

2019-07-12

●左部右人 さんへ 「めるふぇん」という言葉には求心力があったみたいで、嬉しいです。 先行する文献がでてきても オリジナルだと言い張るつもりです。でもまあ、そうはいうものの、この語感は だれがどうみても オリジナル性はあまり感じさせてないですよね。でもね。どなたかが先行しておられたら、その方は 実は人魚なんですよ。(キッパリ) 「真っ白な靴下」は、わたしのお気に入り箇所です。その部分も踏まえたうえで、どつぼと、いってくださって 嬉しいです。泳ぎだしたいほどです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●st さん まあ童話ですか?この作品は 童話の一部ではないのですよ。正直いうと、これで完結のつもりではありました。しかし、もうすこし ながい文章量にしたら 紙芝居とか絵本とか、おっしゃっている賞に応募することもできなくはないのかもしれないですね。 子供たちが喜ぶようなものを是非書いてみたいです。こどもたちが実際に わたしの作品で笑うときの気持ちって、どんな感じなのかと思うと わくわくします。 アンデルセン童話賞(?)は、たぶん 今年も開催されるはずだと思っています。 人魚といえば、アンデルセンなのに この作品を提出できたら、わたしは私のハートの強さを 友人に自慢できそうです。ハードルが高いのですが やってみようかなあ。 予定は未定にして決定ではありませんが、もうすこし この世界観を広げて童話作品といえる分量にしてみようと思います。やる気をいただきました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

●あん さんへ 読み直してくださったのですね。ありがとうございます。 気にいってくださって 嬉しいです。あんさんは どんな声で読んでくださったのだろう。夢をみるような気持ちで コメントを拝見しました。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-12

最後のほうで緋色の百合とは、なんて 書いてしまいました。きめつけはよくなかったです。 ×緋色の百合とは 〇緋色の百合で思いあたるのは に、訂正します。失礼しました。 (星辰)

2019-07-11

おはようございます。 音階は 神聖で特別な数である7音を基準としてつくられているという話をキリスト教の方の文章で読んだことがあります。この作品に於いては 様々な神聖さが満ち溢れているのですが、音もまた 神聖なのですね。 この作品に出てくる【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは どのような聖典なのかなと思いながら拝読しました。うつくしいですね。 そして、題名の【辰砂】を 何度もリフレインをしておられるのですね。 【辰砂】を存じ上げなかったので 検索してもると 日本の神社などで見かける「朱」の原材料でした。 辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物だとのこと。赤色系は血の色でもあるので 様々な宗教で生命力を表す色として重宝されているという記述がありました。日本でも鳥居など朱色に彩られているのは、生命を示す色だから神聖さを喚起するのかもしれません。 わたしには日本的な色な感じられる神社のあの朱色を想いながら 本作品を拝読すると、より味わい深いものがありました。 とくに↓この部分に 色味が炸裂している気がします。 >どうしたって数えなきゃならない >命があって >もう何カウントしたかわからない >僕の手には罪が刻まれていて >だからって、投げ出さない >命のレプリカなんてないから >せめてひこばえを育むんだ 「ひこばえ」、素敵ですね。わたしは山道入り口に住んでいるので 切り株の脇から ひこばえが育っているのを、よく見ます。【聖典から産み落ちた星雲】の聖典とは、おそらく輪廻カルマといった考え方を軸にしいる聖典なのだろうなあと思いました。 緋百合も、素敵です。 緋色の百合とは、今の季節に 私の住んでいる地域では「忘れ草」がいたるところに咲いています。 鮮やかな朱色をしており、和歌に「忘れ草」と詠まれている花で、嫌なことを忘れさせると言われている花で、英名は"daylily"は一日花。夕焼けの色のようでもあり しかも一日でしぼんでしまう花なので、いろんなことを いい具合に「わすれそう」な花だなあと 眺めている今日この頃です。 朝から、とても うつくしい詩文を拝読できました。ありがとうございます。 (星辰)

2019-07-11

はじめまして、感想でもなく批評でもなく解釈になることを目指して、書かせていただきます。 まず、全体的な字ずらが漢字が多いのが印象的でした。それで感じたのは、この詩は読むのではなく 声に出して詠うべきなのではないかと感じました。 まるで能を舞う人のように腰を据えた形で腹式呼吸で全力で声を地に這わすように詠うのが、この詩を読むときの作法のような気がしました。(もちろん、なんとなくです。)どーーーみーーーのーーーー どーーーみーーーのーーーー。と、低音を効かせて読みたくなりました。 しまった。これでは解釈ではありません。印象になってしまいました。気をとりなおして、解釈を書かせていただきます。あらかじめ申しますが、どのように私に この詩が映ったかを 素直に書いてみます。かなりの確率で作者様の意図とは、大幅に外れているという 妙な自信があるのですが、できたら ご笑納いただきたいです。 まず、私には とても豪儀な貸衣装を身に纏った人が見えます。 その人は厚化粧で完璧に造りこんでいる状態ですが、化粧の最後のしあげに 口紅をひくのですが、唇に黒い色の色彩を のせています。悪い奴をきどるような効果が、黒い口紅で表現できるはずです。話し手は、毒を吐きたいんだと感じました。 やあやあやあやあ戯れ軽蔑  (聴衆に向かって「さあお立合い軽蔑するがいいよ」と挑発している) 表面肌だけ触れ合っては  (あなたがたは、深く知り合おうともせず、表面だけで触れ合っているだけだ) どぷりと泳いだ目がみゆる  (だから闇の沼に沈んでいるかのような目をしている) 笑った嗤った私の蟲  (笑えよ。嗤えばいいじゃないか。わたしの本性をみせてあげるよ) 嘲笑った咲った誰ぞの滑稽 (嘲り笑えばいい。かぶいてやる。咲いているかのように。滑稽上等だ) 耳の龍笛 髪の琴 (耳を貫く龍笛の音 髪すら琴のように調べを奏でる) 歯垢はわらった桃源郷 (ちらと歯をみせて笑ってみせる 汚れた歯だか桃源郷を詠おう) 舞い散れ百合よ 赤黄赤 (百合が咲き乱れているかのように踊ろうぞ 色鮮やかに赤黄赤) 落ちた種の名 唯嫉妬 (綺麗ごとではない心のままに まきちらした心の種は 嫉妬の種) 咲いた蓮子を踏み躙る (私は狂うように咲いてては おのれで思いを蹂躙する) と、いうふうに解釈しました。書いていて、絶対間違えているという妙な自負があります。そんな悪文をアップする私は、解釈を求めておられるようだから、だったら 単純に やってみようとしただけなんで、どうぞ悪く思わないでくださいね。 解釈する際に、難しいと感じた箇所も ついでに書かせていただきます。 個人的には百合の花が舞うという表現が、百合らしくない気がしました。 理由としては、花は花の種類によって落ちるとか散るとか色々、表現があるのですが、 舞うは、梅が散るときに使用する表現だった気がしているからです。 あと、蓮子って なんでしょうか? 私は、知らないので 解釈するにも どうしたものかなと 思いました。 (歪熟れ面)

2019-07-10

こんにちは 不思議な作品ですね。題名が「帰宅遊泳」という世界観なのだから、不思議なのだろうなと読み進めると、結構 リアルな息づかいが感じられて 冒頭でいきなり息を呑みました。 > 窒息という言葉は、視線がズレを起こした車輌の繋ぎ目の隙間で産まれたそうだ。 なんて書いてあるのですもの、身体が大きくゆれて 電車の連列部分みたいに首が ガクつと うごいたりして、【ガシヤズゴン】とかいうような音をたてる列車の中に居るような気がしました。 息を呑むとき、意識は どっかに逝ってる感じは 確かに するものだなあと、変な感慨になりました。 息を呑むといえば、息を呑むほどの うつくしい人にであったりしたときの あの恍惚感は、具体的に表現しておられて 新鮮な気がしました。息を呑む、あの感じは、地上十二メートルくらいの夕景なのですね。結構な高さです。けど、恍惚感を リアルに可視化しておらる数字だと感じ、なぜか納得してしまいました。 (帰宅遊泳)

2019-07-10

こんにちは わたしがこの詩から受けたイメージは黄泉の国で 魑魅魍魎となって 様々な霊が混然一体になろうとしたり、 一体化することを拒みながら 彷徨っている様々な霊というイメージを 得ました。 全体的に古い時代の霊ばかりなのですが、 なぜか「試験管」と「フラスコ」だけが 妙に近代的です。 そこからなぜか 私は、勝手な妄想をいだいたので、ご紹介してみます。 この詩にでてくる様々な人々よりも 実はもっとも重要な人物は、現代人であり。 その人物は試験管を片手に様々な実験を行っています。 過去の遺物からDNAを検出して、掛け合わそうとしているふとどきの現代人が この詩の中には存在しているというのが、わたしの勝手な読みです。自由な読みをしてしまいました。失礼してしまったかもしれません。そのときは、ごめんなさい。 (皇居正門の真下で)

2019-07-08

●仲程さんへ めるはぁん  めるひぇん めるふぇん めるへん めるほぉん 羊水の中の物語の本は もっていまして 写真付きだったりします。 けれど、いろんないきものは どこかにていているというミラクルのことを最初に教えてくれたのは、わたしの場合は めるもちゃんでした。 (めるふぇん)

2019-07-08

●石村利勝 さんへ そうです。たいていの場合は、わたしは はしりすぎて すってんころんと転んでいることが普通なのです。誉められすぎて、こわくなっていたところです。 でも、石村さんがおっしゃるのだから けっこう 成功しているのですね。そうなのですか。  とくに「簡潔さと純良さに達しています。」とは、びっくりしています。わたしは純良なのか! あ。あれ?。もう滑りこけはじめてます。どうしましょうか?じつは、もうやらかしてしまった感があります。 今後とも ご指導ご鞭撻のほど よろしくおねがいします。 (めるふぇん)

2019-07-08

●トビラさんへ なかなか刺激的なコメントをありがとうございます。誤表記を教えてくださり、まずは ありがとうございます。 >朝日が燦々とあがると 「朝日が燦々と上ると(のぼる)」という意味です。 辞書と照らし合わせた結果。のぼる。と読むのが、正しいです。 ご指摘ありがとうございした。 誤表記の指摘は嬉しかったです。簡単にお礼が申せて安心だったからです。しかし、トビラさんと私が描きたかった世界とは、おおくの箇所で齟齬が生じていると感じています。そのせいで、トビラさんが言っておられることが 私には あまり良くわかりませんでした。 まず、わたしは人魚を描こうとしています。しかし、トビラさんは人魚とは一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚だと解釈をしておられます。むろん、詩作品を発表した後は、作品は作者の手を離れて読者のモノとなりますから、一歳から二歳くらいの人間の比喩が人魚でもかまわないはずなのです。  しかし、人間の比喩として捉えていただくにしても、詩文にある事柄をクリアーできる人物群像にしていただきたかったです。具体的に言うと、私のこの詩の人魚たちは 白い靴下を履くという【しきたり】をクリアできないといけません。気分次第で脱いでしまう年齢の子には難しいです。そして、海辺にある丘にのぼらないといけないのです。しきたりが守れるという集団行動が行える程度の知恵と、海辺の丘はのぼれるという筋力もないと この詩の群像のうちの ひとりにはなれません。それさえできれば、ステレオタイプな人魚のイメージである大人の女性の姿を想像していただいても わたしとしては かまわないし、お相撲さんのような方々が マワシではなく、白い靴下という【しきたり】を守っているという図だとしても、わたしとしてはかまいませんでした。  なぜ、靴下が必要かというと 魚から人の変化する際の程度が 人魚の個人で現れそうだと思いました。人魚たちが変化の度合いを競って 喧嘩とかをしてほしくなかったんです。それと、人のなりかけの人魚の群れに 人間として生まれ育った生粋の人間が もし、まじっていたとしも なんとなく その場に なじんでほしかったんです。  トビラさんのご意見で、私が首を傾げた箇所は、もうすこしあります。トビラさんは「大人と言われる齢になった僕らも、日々、めるふぇんを失っていく。誰にとっても避けようがなく。そういうことを表現している。」と書いておられるのですが、わたし自身は年齢のことを一切 書いておりません。わたし自身は、年齢を重ねるとメルヘンが減ると思ったことがないからです。    また私の造語である「めるふぇん」という表現のニュアンスも、どうも私の意図したことと違うことをトビラさんはとらえておられる気がします。  私の言う「めるふぇん」というのは、私の造語です。人魚たちの声が人間には そのように聞こえると書きました。たとえば、ウグイスは「ホーホケキョ」と鳴きます。人間には「ホーホケキョ」を連呼しているようにしか聞こえないのですが、ウグイス同志では違う意味があるはずです。たとえば「ねぇ、君。デートしない」とか「天敵がくるよ。急いで逃げよう」とか 様々なことを伝達している可能性があるのですが、人間の耳には「ホ~法華経(仏教の経典のことを鳥が叫んでいる)」と、聞こえるのと 私の「めるふぇん」という音の響きは似たところがあるのです。 トビラさんのお考えに共感できた箇所もありました。 「あぶく言葉だって、思い出せなくなっているだけで、心の中に眠っていて、水かきだって、もう二度と張らないわけじゃない。 」という箇所です。わたしは、この詩を書いた直後にプールに泳ぎに行ってみました。水に触れたくなったのです。水の中に入ってみると、すべての音は 響き方が実際に変わります。水の影響で くぐもった響きになります。耳に水がはいったので、結構長い間 通常ではない聞こえ方が実際になりました。 水からあがってすぐの人間の耳にとっては、あらゆる物音が いがいと ほんとうに あぶくのような響きのように実際に聞こえるものだなと思いました。海や川を知らない方だって、胎児の頃には水分に包まれていました。 わたしたちは、ほんとうに海から来たので母体は似非海だという説があります。地球上の動物といわれる種の生き物のすべてが胎生の時期は 魚の形状をしています。ヒレだってエラだって、すべての生き物の胎生の時期にはあります。けれど、ほかの生き物は忘れてしまってます。人間だけが、昔を懐かしんだり。様々な分析から昔の状態を構築する能力を獲得していると私は感じます。イメージの力こそが人の力です。イメージ力が、老いても衰えないことは よくあることです。  わたしの本作品で、魚から人に変化する様子に共感してくださったのは、人間にだけは魚だったころという途方のない時間のことすら、懐かしむ能力があるせいだと、わたし自身は感じています。 わたしは、本作品で 一番したかったのは、人魚が魚から人になる瞬間を描くことでした ですが、トビラさんには私が「現世の垢にまみれている(まみれていく)。それを甘受している。」ということを描いていると感じられたようですね。残念です。私は、そのようなことを読者の方々に想わせるような表記を、していません。 人になった人魚が やっぱ魚のほうがいいや。と、海に帰っていくという別の物語もアリです。それはそれでとても魅力的な物語だと思います。わたしは、この詩を投稿した直後に 私が実際に水に触れたくなったので、プールに行きました。つまり、私だって海に帰りたくなったんです。鯨やイルカは、実際に 一度は陸にあがったが、海の生活を選んだといわれています。人間だって、帰りたければ帰れば良いのです。空想の力で帰るのも素敵ですね。 ただ、わたしが本作品で、一番 やりたかったのは。新しい知らない環境を体験して、しかも自身の体が大きく変化するのは きっと妙な気分だろうなということと。それは、結構 笑けるに違いない。ってことを、読者の方々と共有したかったのです。 (めるふぇん)

2019-07-08

●survof さんへ 身体感覚を感じさせる文章に わたしは憧れてきました。だから、人肌に触れるような繊細な温度感を伴って身体に浸透していくようだという評は、夢ではないかしらと おもえるほどです。 宮沢賢治の「やまなし」は、細部をわすれかけていたので 読み直してみました。水と光の揺らぐ感触が伝わる世界は 人魚の故郷と通じるものがあり興味深く読みました。検索で朗読を検索したら 知り合いが朗読をしていました。わたしは その方がなんとかぷかぷの蟹座であることを知っていました。わたしも蟹座でして。わたしは今、おもいがけず宮沢賢治の「やまなし」の二匹の蟹の子供のようにはしゃいでいるところです。 それから おかげ様で、私は自身の最大の弱点に きがつくことができました。それは、わたしはロジカルに物事を考えるのが苦手であるという点です。 論理は苦手なのです。論理から自由になったというより、論理的に考えるのは得意ではありません。しかし 論理的でないことで、ときには安心感をあたえる文にもなることを知りました。これは、わたしには希望です。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●羽衣なつの さんへ 過分なお褒めをいただき恐縮です。この詩を投稿した直後に、道を歩いているときに なんとなく、小学校のときの友達同士で相談をして 私が代表になって教師に嘘をつこうという話になったのを思い出していました。なぜ 突然ウソをついたことを思い出したのかコメントを拝読して、理由が分かりました。日頃は、断言めいた詩文をあまり書いたことなんてなかった私なのに、この詩文ではなぜか迷いのない断言的な詩文を書いているのです。 なぜ この書き方を選択したのかは、自分でもよくわかりません。けれど、よい効果が得られたようですね。コメントをいただいた おかげで羽衣なつのさんの心に届く詩が書けたことがよく分かりました。とても嬉しいです。ちょっとした奇跡を感じます。ありがとうございます。 ただ最後の行だけは、どうなのでしょうか? たまたま書けただけですよ。でもとても嬉しいです。投稿してよかったです。ほんとうにほんとうに、ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●南雲 安晴 さんへ  >人魚のゆびさきは 笹船のように水をはじきます 『笹舟』にるるりらさんの想像力を感じます。 昨日は、七夕でした。『笹舟』は おもむきのある舟ですよね。七月七日のうちにありがとうございますが、いいたかったな。そこに 着目してくださって嬉しかったですよ。 >滑舌の良いことばを急に喋れるようになり、変な感じがして みんな笑います  ここに、人魚みんなの心情の力強さを感じます。 ↑ おおらかな感じに書いたつもりでしたので、力強さという評は 嬉しいです。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

●蛾兆ボルカ さんへ あっと!蛾兆ボルカ さんのコメントをとてもひさびさにいただけしまた。とりあえず、とても嬉しいです。人魚といえば アンデルセンの人魚姫をまず思い浮かべるものですよね。あれは、悲劇でした。そして、悲劇といえば ギリシアの三大悲劇の条件は 失敗から始まると、どこかのだれかが言ってました。蛾兆さんは おもいがけず、コメントを書いたほうが良いとお思いになったのですね。嬉しいなあ。ああ私のは、ええそうですとも悲劇ではないです。そうです 喜びの詩ですとも。 あと、音素がとても良いです。だなんて、きゃあ。嬉しい。しかも先行する名作「一つのメルヘン」あれを読んだのはたしか学生時代の教科書でした。なにやらとても しずかですずやかな心境になったものです。 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、 今迄流れてもいなかった川床に、水は さらさらと、さらさらと流れているのでありました…… すばらしすぎて、評することなんて 私にはできないほどの うつくしい変化です。ちいさな小川が私の胸のうちに生じた気がします。ありがとうございます。批評の準備ができてないとおっしゃっていたので、もし よろしければ、またコメントをくださいませ。ありがとうございます。 (めるふぇん)

2019-07-08

あ。もうすこし 正直にいいます。 わたしの駄作詩「そらおそろしい」が、駄作であると いうことの 証明になるはずです。そんなの、わたしも つかれるし、もう おしまいにしたいです。したがって、「永遠に癒えない傷」の件は、もう やめさせて いただきたいです。 (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

こんにちは さぞ お疲れになったに違いないと 簡単に想像できるほどの文章量ですね。 ただ 私には分かりにくい文章でした。 そもそも なぜ この英文詩が話題になっているかというと、南雲さんが わたしの拙詩「そらおそろしい」に対する批評に この作品を紹介をしておられたからでしたね。 南雲さんのご発言によりますと、この作品には わたしの拙詩【そらおそろしい】にはない、「永遠に癒えない傷」がある。とのことでした。「永遠に癒えない傷」とは具体的になんであるかを知るには、この英詩を読むしか方法がなかったのです。 しかし、残念ながら、南雲さんのこの文章で 「永遠に癒えない傷」とは、具体的に どのようなものなのかを、わたしが うかがい知ることはできませんでした。 推測するに、どうも 南雲さんが記号や文法の説明に終始しておられる連に、「永遠に癒えない傷」が書かれていると 考えています。つまり、沈没船にたどりついて話手がみたであろう おぞましい光景のことです。 わたし自身が そのシーンをうけて感じたことを 私の詩としてアップしていますので、自作の拙詩から引用しますね。たとえば 沈没した船を探るのであれば >船室の蓋をあけたら >まばゆい光を放ち >生きている姿で現れるのだ >蓋が開かないかぎり だれも彼らの姿を見ることがない >蓋が開くと ほんの僅かな瞬間 生前の笑みを浮かべ 亡骸と化すのだ といったような おぞましい光景もあり得ると思うのです。上記のようなことを るるりらに想像させた箇所を、なぜか 南雲さんは お書きにはならなかった。 沈没船とは 社会の比喩というふうにおっしゃっているので、「永遠に癒えない傷」とはまるで沈没船のように 破綻した「社会」というのが、南雲さんのご意見なのでしょうか。「社会」といわれてしまうと、さらに具体性に欠けてしまったなと私は感じます。 話は変わりますが。 わたしには、 南雲さんに 相当ひどいことを申し上げた自覚があります。すみません。なので、もし お答えになるのがお辛いようでしたら、「永遠に癒えない傷」とは 具体的になんであるかという問いについての 回答をお書きにならなくとも、私自身は かまわないと思っています。 すばらしい詩編を おしえくださり こころから お礼を申し上げます。 ありがとうございました。(深礼) (『Diving into the Wreck』との対決)

2019-07-04

「でもすぐに色あせるのよ」という言葉とともに 色褪せることのなくなった鮮やかな思い出を想わせていただけました。人とは不思議で 愛おしい存在だなあとしみじみさせていただけました。ありがとうございます。 (石畳の道)

2019-07-02

わたしの拙詩「そらおそろしい」との比較は、論考の品格をおとしかねないです。 ほんとアホらしいです。きっと そんなことは、きがついておられることでしょう。 南雲さんの論考、たのしみですね。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

返信ありがとうございます。私の「白い神話」は、ご指摘の通りです。「Diving into the wreck」からのインスピレーションです。黒髪さんとsurvofさんと あと白石かず子氏の訳文を 読み比べから感じたことを、わたしは拙詩に興しました。 わたしは「Diving into the wreck」で、まず最初に思い浮かんだのは「どん底なら 穴を掘れ」という言葉だったですよ。これは、解剖学者で「バカの壁」で知られている養老先生が なんかのインタビューでイタリアの諺だといっておられた言葉です。よく人を励ますときに、「どん底というものがあるから いくところまでいったら あとは浮上するだけだから大丈夫だ」という励まし方ならば聞いたことがあるのですが、「どん底にたどりついたら もっと 掘る」とは、不思議ですよね。意味を私に聞かないでくださいね。でも、わたしは本作品(「Diving into the wreck」)のようなことかもしれないと感じました。 沈没した船を探索するというのは どん底をようとする人の態度です。ですがこの詩は、底が見えたと思うやいなや、さらに、この詩は もっと深みに(幻想の海に)潜っていくのです。 わたしも どん底を掘ってみようとと思いました。できるだけ実直に自身を掘り下げてみようとおもい書いたのが、「白い神話」です。厳しくストレートなリズム感が似ていると言っていただけて嬉しいです。一気に書いてはみたものの、なにを書いていることやらと私自身は思ってます。正直いうと、読み返す勇気すら いまはないのです。ですが、たしかに123123…と、カウントを とっていました。(笑) (「Diving into the wreck」)は、よくできた詩です。詩の主人公は、道具であるヒレを装着して、海の底の深みに潜ってゆく物語なのですが、道具の扱い一つをとってみてもなんとも おぼつかない手つきです。潜水することに慣れた人なら フィンとか自在でしように、この詩はそうではない。おぼつかない。 ほんとうに沈没船を探索するのでしたらチームを組むのが普通でしように、この詩はたったひとりで もぐっていくのです。 確かな筆致でかかれたファンタジーは、人を傷つけません。現実との距離を読者に、ちゃんと感じさせて書かれているからです。読者は、たった独りきりで詩に向き合いますが、読者はファンタジックに死臭の中を泳ぐことができるのです。この詩にはそのような仕組みがちゃんとあると私は分析します。 ですが、わたしの作品は違います。自身の中に潜っただけです。わたしの心の中になんて、だれも もぐれはしないと書いてあるだけです。 さて、南雲氏が、「Diving into the wreck」)と格闘しておられるそうですよね。楽しみですね。もし ご都合があうようでしたら コメントをして 是非、さしあげてくださいね。 私は、どうしたら良いのか分からぬままに関連の記事内で爆走してしまった感があります。 これから南雲氏がこれからアップしようとされている文がどのようなものか 私が知るべくもないのですが。楽しみですよね。でも、私としては、本当の本当に もうそろそろ 私の言葉はすくめを心がけて対処させていただくつもりでいます。 勝ち負けだなんて言って心配をおかけしてしまいました。すみません。でも、ついこの間、私は凄すぎるお三方のタイプの違う詩人と比べて劣っているとの指摘を私が受けていることはご存知でしょ?ほんとだねぇ。るるりらさんは すっかり負けてるねーーって、いっしょに笑ってくださいませよ。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-07-01

はじめまして 私は 読解力にあまり自信のない読み手でして、おまけに コメントの書き方にも問題があるのかもしれません。ですから、話を半分にして読んでください。 まず、とっても魅力を感じたのは、一行目です。 とても 心に残る鮮烈な言葉ですね。わたしだったら 一行詩として提出して あとは読者に自由に想像していただくことを選択するかもしれないと思えるほど、素敵です。 ただ、全体的に わたしらには理解するのが難しいと感じました。もっとも、理解されれば良い詩というわけではありません。ただ 一読者のるるりらとしては、すこしはわかる部分があると もうすこし詩に冒頭できるものですから、なぜ わたしには この詩が難しいのであろうかと 考えてみます。 まず第一に、人称代名詞や人物を表す言葉が多いですね。 わたしには解り難かったです。「ぼく」「彼らを撃った」「少女」「きみ」の、関係です。 >かつてある少女が北の国に住んでいた >少女はぼくを愛し、ぼくはきみを愛した >きみは今どこにいるのだろうか 「少女」と「きみ」は 同一人物だろうか?それとも三角関係だろうか? 「彼らを撃った」の彼らって どんな人々だろうか?どうしてうったかといえば「月曜日が嫌いだったから」 いろいろ謎しかなくて、そもそも「どうしてそんなことをしたの」というからには  なにをしたかくらいは イメージできないと詩の中に入り込めなかったのです。それには最初の一行がなにを比喩しているのかが分からないと 私には無理でした。 空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく 飛行機かもしれない。矢かもしれない。 はたまた ほんとうに簪かもしれない。そこから よく分からなくて、 でも「空を白銀のかんざしが通りすぎてゆく」という詩句が とても好きです。 つっきっている感じが 強い印象として残りました。 (あるなんでもない日)

2019-06-27

霞が秋波を送る という箇所のクールビューティー加減に しびれました。 (霧と靄と霞…………キリとモヤとカスミ)

2019-06-26

前回、「泣きそうになった」ので、日をあらためて書きたいと いいました。それで、ふたたびコメントを書かせていただきます。 実は、個人的に自分をさらけだしすぎて しまったなと感じてしまっている出来事がありました。その直後に この詩を読んだものですから、「泣きそうになった」のです。 けちけちせず こころの中にあるものは だしてしまったけれど、それはそれで いいんだよ。と、諭された気がしたのです。そして ついでに 涙が でてしまいそうになったわけです。 >ドルフィンフィッシュ >見せてやるぜ わたしは この箇所を体現したいです。苦境を逆転させてやるぜ。と詩文は私を鼓舞してくれました。わたしにとって ドルフィンフィッシュとは、ドルフィンキックを想起するものであり、とてもリアルな表現に思えたからです。難しいとしか思えなかったはずのことを、すいすいと 難なくこなす能力の体得をイメージしました。 冒頭においては、 >あらゆる行為を禁じられ >私は北極に立っているかのように感じた と、あるのでネガティブな心を起点に描いておられるのでしょうが、読み返してみると ちがって思えるのです。  北極とは地球の軸であり、この詩には地球規模の風が渦巻いているように感じました。 この詩には壮大な軸がある。当然、関わる人は居る。そして、すごいのは 関わりつつも別れることをも想定内に入れている。この大きさに 私はすくわれました。 わたしも、美しいなら美しいというだけのことから初めてみたいです。御覧のように、今もこの詩の感想を上手くは言えてないのですが、何かを始めたいです。 たとえば、プールにいってドルフィンフィッシュになったつもりで実際に泳いでからなら、もっとこの詩が沁みる気がします。あきらめずに、すいすいと泳ぐように生きたいと思わせていただけました。ありがとうございます。 この詩にであえて よかったです。 (ある日特別)

2019-06-23

大事なことは割と勝手に行われてる。ほんとにそうです。 人々が大事だと騒いでいることは、そうでもないのかもしれません。 身体を点検したくなりました。 (気づいたこと)

2019-06-20

こんにちは 兼六園に私は行ったことがないなりに憧れがあります。しかし、 題名は「ひまわりのまわりを 」いい題名だけれども 兼六園のイメージではないな どうなるのだろと読み進めてみると、「どんぐりをポッケに」「枯葉の油絵」ということは秋の思い出。アルバムのようなとりとめのなさですね。 失った恋の思い出のつれづれでしょうか。 個人的には、春と冬の思い出がないところが 切なかったです。 (ひまわりのまわりを)

2019-06-20

はじめまして、ちいさい人への目線が、なんだか大人が持つであろう人格より 素晴らしいなにかを見い出しておられて素敵です。 先生に怒られてトイレに閉じ込められる。のくだりは かわいそうですね。  幼児とい題名で先生だから、幼稚園保育園とか託児所でししようが、嫌な先生ですね。 詩の中の話だというのに、やめてあげてほしいと 思いました。 拝読していて もっとも想像が楽しかったのは、最終連でした。 精霊が慰め、アドバイスを与える。でもその頃には、聖霊たちの言葉は君の耳には届かない。 ちいさい人は ときどき妙に醒めた目をしていたりすることがありますね。どこか覚醒しつづけている感じがよく出ていて、最終連をなんどか繰り返し読み返しました。 先生にトイレで閉じ込められるくだりは、かわいそうでした。詩の中のお話だというのに、理不尽な目にあわせないでほしいなと 思いました。 (幼児)

2019-06-20

わたしの詩に心をかけてくださってありがとうございます。 新潟山形において 強い地震が あったようですね。原発はどうであるかという報道が、まず報じられました。東北の大震災の石碑や わたしの住んでいる広島の土砂崩れ地域にも地名などに 昔の方のチチ忠告はあったのですが なかなか生かすことができずに後になって嘆くのですよね。まずは 新潟山形の方々の生活が安定されることを願ってやみません。 (太陽と原発と八時十五分に寄せて 二編)

2019-06-19

翻訳して海外の詩文を自身の語学力で読み解くことがおできになる方は、わたしからみたら みなさんが賢者です。わたしが太刀打ちができるはずない。だから勝ち負けではないと皆様に思っていただけるような雰囲気づくりをしておきたいです。(るるりら以外の方ははじめから、勝ち負けだとは思ってらっしゃらないのでしょうが、赤面)  日本以外の言語圏の方の言葉って直訳だけでは 理解が難しいことも多々あるのでしょうね?ちょっと聞きかじっただけなんですが、たとえば ドイツにはDrachenfutterという言葉があって、直訳したら「龍のえさ」だそうです。日本で龍といえば、やまたのおろち。その餌は お酒ですよね。でもドイツのDrachenfutterという 言葉は、退治するための餌ではないようです。例えば夫が悪いふるまいを妻に許してもらいために贈るプレゼントなんかを「Drachenfutter」というのだとか。火を吐く龍のような女性は やすやすと手がつけられないことでしょう。さぞ 細心の心の配り方が必要なのでしょう。「Drachenfutter」、なんか良いですね。おもいやり感じます。 脳天に炎がたちあがっていた私ですが、ぜひ 素敵なDrachenfutterを頂戴したいものです。(こら。と、いう誰かの声が聞こえたような……。) さて、わたしの批評ならぬ 「おひょ~」をもうすこし書き加えておきたいです。私が、脳天から火を出したせいで、触れることができなかった事柄があるのです。それは、「男と女の人魚問題」です。  人魚は、女とは限らない。これは、おひょ~度が、満点です。さっそく、ばかなりに掘り下げていくことにします。 男神の例に出会うのはあんがい簡単でした。検索で得た知識です。男神の人魚オアンネスという神がいるようです。バビロニアで崇拝されていた神です。後にノアの箱舟の話にでてくるノア家は、オアンネスの家族のことではないかという説があるそうです。それでノアの箱舟が描かれている宗教画には、人魚が描かれていることがあるという記事をネットで見つけました。 そうすると、冒頭の「本」とは、聖書か御伽噺かというと、 聖書もしくは古い伝承のニュアンスがあるのだなと、感じているところです。 初心にもどって、海に対する印象を考えると、海とは 私たち哺乳類の祖である魚類の棲まう場所です。私たちは、きっと海から来たのです。 この詩は、私達の深層心理にある共通項に いかに触れるか。死臭のするような歴史の繰り返しが私達の歴史です。しかし この詩は、そのような人間の 業の深さを さらにかいくぐり、深く深く潜ったその先に、到達せんとする詩だと思いました。 ほりさげて現れるのは、生をもつもの根源に触れようとしている。男とか女とかを超越したカオスから わたしたちはやってきたはずです。この詩を道案内にすれば 読者はカオスを 心に持つことができるかもしれません。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-19

はじめまして ただ詩を拝読するよりも、まずプロフィールを拝見してから拝読すると、視野が広がるような思いをいただきました。  プロフィールをお変えにならないとも限らないので、せっかくなので転載させていただきます。 プロフィール: ここは標高1300mの山奥。僕はここで今、山を開拓し、一年中快適に住めるティピーを作るために活動しています。ここではその様子や、感じたことを呟いていきます。 さまざまな人が、この詩と同じことを考えて見聞きしているように思うのです。 たとえば、動植物の生態を観察から知ろうとする人も 同じ クエスチョンを持つと思います。たとえぱ、最初の人類も きっと 同じ疑問をもったことがあるような気がするし、一休禅師なんかは「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」と言ったと聞いてます。この当たり前を、なんでやねんと 率直に言える人は凄いと思うのです。それが、 山を開拓しておられる方がこの詩を書いておられると思うと、なんというか、 頭の中や 肺のある胸が 涼しくなるような思いがしました。   (my earth)

2019-06-17

こんにちは はじめましてでしょうか? わたしは ここ最近「○○詩」と題した詩を書くのがマイブームなのですが、 この詩作品からうけた印象を、端的に表すとすると「歴詩」であるなと 思いました。歴史ではありません。歴詩です。  なぜかというと、まず 拝読していると一本の裸木が心の中に凛とそびえたっててくるのですが、そのあと まるで木のような人物像が うかびあがってきて、両者はまるで鏡の前で 座禅をする人のように思えました。「座禅詩」とも考えかのですが、「座」という漢字は 漢字の中に人の文字がふたつですが、人ではなく木という文字を入れ替えてみたのです。すると…… 「歴」であるなと おもったわけです。 大木のような歴史を 積み重ねたいものですね。 そんなことを想わせていただきました。背筋がのびました。読めてよかったです。 (等しく立って)

2019-06-17

●南雲 安晴 さんへ  謝罪を受け取りました。お書きになっていること すべて承知しました。   ●鈴木 海飛 さんへ 「るるりらさんの作品んを経たあとの 南雲さんの悩みという面が強い気がしますね。私にはそんな感じだよ。」 そうでしょうね。南雲さんには気の毒なことをしました。南雲さん、ごめんなさいね。出血大サービスをイタイ意味で おこないました。  鈴木 海飛 さんのコメントで有難かったのは、 「そらおそろしい」自体に むきあってくれたことです。 私自身もそうだから自業自得なのですが、この批評スレで 「そらおそろしい」に語られている割合は とても少ないので、貴重です。本編では好意的な評もあるのにお礼も言えていないので、嬉しいついでに お礼を書いておきます。本編で誉めてくださった みなさま ありがとうございます。 この詩について発言できて嬉しいです。海飛 さん、塩味がうすすぎましたか?塩味は人によって好みが分かれるだけでなく その人の体調にもよりますし、難しいですね。 わたしは人様にいわれて自身の詩を改訂することが たまに あります。この詩も変えたものも提出しています。しかし↓の箇所は変える気の全くない箇所です。この文言は わたしの脳内でいつでも生の状態でとりだせる貴重な声なんです。 >おまえんちの家の前の空き地に >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ この箇所のことを、南雲 安晴さんによって本編で二度の指摘を受けました。 二度目は お気に召すような形に書き換えを行いました。そして、でもやっぱり 「なまくび」という不快な語はあるのでした。南雲さんからしたら お嫌いな語をなんども読むはめとなりました。そして「なまくび」という語のことを「もはや消耗品。」という批判を 受けたのかもしれません。  わたしは、身内の死をたてつづけに 経験したことがあります。気が狂いそうでした。でも、私の脳には 私に自身に危機がきたら危機を脱出する機構があるのです。機構がオンになると、 >むかし なまくびが ならべられとったんど >じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ というフレーズがオートマチックに脳内で再生されるのです。そしてミラクルがおきるのです。私の脳内が瞬時に とても若くなるのです。そして、いつも危機を脱出する私がいるのでした。 今回はどうやら、脳内で 若返りスイッチの連打が起きました。 こどもになりました。すると、泣くもんです。悲しがるのはしょうがないことです。 みなさまを大人と見込んで お願いします。わたしのことを、ゆるしてやってくださいませ。おぎゃあと るるりらが うまれちまったねぇくらいのハピネスだと どうぞ受け止めてやってください。 わたしは、フォーラムで 私をかわいそうに思うなら このスレ以外のスレに 善を投入してほしいという みっともない呼びかけをしているところです。 だからもう このスレは、当分  南雲さん以外は書かないでほしいです。このスレは彼のスレですから わたしは彼にスレの主導権をお返しします。(深々と礼) (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-16

生涯をかけた問いなのだろうなと、 おもいました。 ただ、論理的に考えて 死んだら なにも 確認できないはずですから、この問いは けして 解決されることは、なさそうです。 (喜ぶ人も悲しむ人も)

2019-06-14

もちろんです。わたしも、是非 南雲さんのお話がうかがいたいです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

南雲 安晴様、おはようございます。まず 最初に素晴らしい詩編の紹介をしてい ただいたことについて もういちどお礼を申します。『Diving into the Wreck』を教えてくださり ありがとうございます。南雲様が 詩編について私が快諾しておられるという理解で、さらに 該当の詩編について読解を深めることを続けるつもりです。 それから、やっと 対話の檀上にあがっていただけ しかも 謝罪をしておられます。 さぞ 勇気をお出しになったことでしょう。ありがとうございます。おかげさまで 気持ちの整理が かなりつきました。 さて、「作品の中に永久に癒えない傷があること」というご発言についてですが、わたしは わたしの持っている言葉の全咀嚼力を使って、理解しようとし、そして こういうことではないかと思える自作品を このビーレビにアップいたしました。それが今月にアップした二作品(正確には四作品)です。 南雲様は「作品の中に永久に癒えない傷があること」という事を含有する投稿作品に出会いそうな予感がしています。と、書いておられます。つまりは、 わたしが今月にアップした二作品(正確には四作品)は、南雲様の考えておられる「作品の中に永久に癒えない傷」は、含有していないということですね。了解しました。つまり、わたしの理解力では あなたの言う「作品の中に永久に癒えない傷」は理解できませんでした。 ところで、「作品の中に永久に癒えない傷があること」という言葉について、わたし以外の方も疑問がもっておられることは、理解されておられますね。 つまり、渡辺八畳@祝儀敷 氏の下記のような指摘のことです。 「(前文略)「永久に癒えない傷」なんちゅう抽象すぎる表現に逃げているのが致命的。なによそれ? ってなる。批評ならば具体的に示さねば。」『「文学」って何?(第2回)』という南雲様への指摘のことです。 自由である場のすべてには、【ノーコメント】という選択の権利が 必ず必要だと私は思っています。けれど、あなたは『「文学」って何?(第3回)』で、その答をいずれ書くおつもりがあるとのことでした。 そのお話の相手は、私というより、渡辺八畳@祝儀敷 氏には 届く言葉で 説明をされるべきではありませんか?  もし、ほんとうに 答を書くおつもりがあるのでしたら、私がスレ主である こちらのスレではなく、南雲様の『「文学」って何?』のシリーズの中で お答えいただきますようお願いいたします。 理由は、このスレは『Diving into the Wreck』に対しての批評ならぬ おひょーを追及したスレだからです。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-14

×そうでにい順番 〇そうでない順番 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●帆場蔵人様 わお。うん。あら。そーですか。いえね。「帆場蔵人」というハンドルについてなのですが、なんだその めちゃめちゃ私ごのみのハンドルって何?って、わたしは前から 思ってました。ここだけの話、初めてお名前をみかけたときは、ペーパークラフトの帆掛け船を購入したし。でも ホーバークラフト(?ほうばくろうど?)だから ペーパーは違うんですけどね(笑) 年功序列で人が死んでいく、というのは 正確にいうと、年功序列で人が死んでいくことをそうでにい順番で死んでいくことよりは、望んでいるケースが多い。と言ったほうが正確かもしれません。わたしの祖母は乳飲み子を大勢亡くしてますし、年功序列で人が死んでいくはずはないのですが、でも 「あんたは まだ若いんだから大丈夫よ。なんぼでも やりなおしがきくわよ」とかいう励ましとかを聞くことがあるのですが、正直。 それって、なんの保証もない話だよね。と、思うのです。おもうのですよーーーーー。 ねー。(遠い目) お読みいただいたううえに、 ご自身のことも教えてくださって ありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●竜野欠伸様 長渕剛さんて、リリックと楽曲と脚本の著作者なんですか?長渕剛さんて喋りの上手い方という印象は わたしにもありました。ぶっちゃけこの詩のスタイルって、変ですよね。 なぜ二編編纂にしてるんだ。しかも なぜ次の投稿作品も二編編纂にしてるんだという点は、つっこみどころですよね。 そうなんです。できることなら しゃべくりながら自作品をおりまぜるというのが、やりたかった。息切れをおこしたため とりあえず、二編編纂×二作品という形にしたのです。二編にはしてはいるが、一遍の作品だと言えなくはないというチョイスにしてます。 たしかに、もう少しねせると更に風合いも醸し出される感触に、舌鼓が打てたのかもしれませんね。 実はね自分でも すこし そんな気がしています。 するどき指摘をありがとうございます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

●survof 様 詳細に読んでいただきありがとうございます。おおむねsurvof 様にとっては この詩の中に入りやすい詩文であったようで、嬉しいです。残念だったのは 中間部分ですね。送信三十秒後に、やらかしてしまったと、頭を垂れてしまったのがご指摘の箇所です。 「白から生じ白へ消える」についての洞察が また興味深く拝読しました。 パソコン画面と照らし合わせて読んでおられるのは、私にとっては新鮮な読解でした。 大自然を見渡せば、言われてみれば あまりありませんね。生き物は萎れたり腐敗したりしますし。けれど、四季は冬から数えるなら 冬の雪景色から来冬の雪景色までのサイクルで区切ろうとおもえば、白から白かもしれません。 結婚のことを人生のスタートとして白で演出することがありますが、死に装束も白いことがあり宗教概念のゆるい日本ですが、色彩の中でも白は宗教色を感じるのは私だけでしょうか?そういえば、日本の色彩名では「赤い・青い・白い・黒い」の四つだけが形容詞だという指摘を読んだことがあります。その話というのは、この四つは ほかの色とは違って、色の質を示していたという話でした。 赤=明るい色 青=ぼんやりとした色 白=はっきりした色 黒=暗い色 白は、はっきりくっきりした なにかしらの祭事に区切るために、用いられてきたのかもしれません。それにしても、「どう考えても神話的ではないか」に込められた悔しさ。感じててただけて嬉しいです。ありがとうごさいます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-13

なぜか なきそうに なりました。 言語化できたら 報告させていただきます。 そのまえに、ひとことだけ。 よかったです。 (ある日特別)

2019-06-13

鍵となる冒頭箇所の三種の神器について 書き漏れがありました。 該当の作品は、冒頭箇所において「本」と「カメラ」と「ナイフ」が出てきます。わたしは、それを 鏡と刀と玉と 似ていると発言しています。失礼しました。 (Adrienne Rich作『Diving into the Wreck』を読んで)

2019-06-12

お線香の けむりを みてるみたいに ほわほわしてますね (しぜん)

2019-06-10

余計なことって たいて してしまってから きがつきますよね 加圧ガードルに にたものに 王子様用 タイツがあります。 ぜひ はいてみましょう。 (よけいなことに)

2019-06-10

こんにちは わたしの初恋さんは、たまたま水泳部男子で、しかも あだなが たくくんだったから、勝手に 胸きゅんでした。 包帯で 泳ぐなら、古式泳法でないと無理だから、クロールには 勝てそうもないですね。 あかいながれ なぞですね。オームなら攻撃色でしたっけ ミイラなら血がにじんでいたのかなあ。そのあたり もうすこし、書き込んでほしかったです。 (ミイラ男は泳げない)

2019-06-10

こんにちは さまざまな 読み方が可能な詩篇として 拝読しました。ひとつには 透明は 霧や雨と同じく 虹と 同じ性質があるから透明なビニール傘でも虹のように見える可能性。もうひとつは、題名から忘れ物紛失物を集めて販売している場所の色とりどりの傘です。 短詩には 短詩の面白さがありますね。これくらいの分量なら、ツイッター詩として成立しそうです。わたしのやってるツイッター詩のグループは たまたま 明日のお題目が「傘」みたいなので 投稿してみられたら良いのになー。と、思いました。 (忘れ傘)

2019-06-10

ちなみに四(^-^)vというの vは、一ブイ 指で三をつくると 二ブイ 鈍い 指で四をつくると 指の谷間が三つだから ミブルイ 指で五をつくると 四ブイ 渋いです。 言葉ではないでし どなたにも わからないことを いれてみました。 失礼しました。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

渡辺さん 誤読でも なんでも 良いでは? 彼自身は、このスレに書きこみをしないと言ったっきりです。 書きたければ、書けば 良いのですが、誤解があるとしても 誤解のままで 良いというのが、彼の判断であるならば、ここに 最終的に対処するのは、常に わたしって ことになります。しょうがありませんでしょ。 わたしたちは自身のいたらなさを 詫びつつ 議論をしてきました。 彼は、ご自分のいたらなさが きにくわないなら、カードを出せば良いと 私に言ってます。 わたしは、そんなこと いちども いうつもりは ありませんでした。 だから、問題は なにもないです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

連発で投稿しましたが、こちらを 先に読んでほしいので、あげます。 (白い神話に寄せて 二編)

2019-06-10

できたら もう このスレは、サゲ方向の反応に なると いいなあと、個人的には おもっているところです。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

渡辺さん「永久に癒えない傷」て、謎ですね。なんでしょうね。 永遠に癒えないならば、とうぜん わたしの致命傷になり得る傷のはずですよね。まじ死なんと、嘘なんじやあないのかな? それを 晒せと、書いてあると 私は読めるなと 思いました。 むかしの話ですが、人様に見せもせず「永遠を凝視する眼球」と題して、なん年も同じテーマで書いてた時期が、私にはあります。親しい人に、きちがいじみてるって言われました。だから、そこそこの傷が、わたしにも ないわけでは、ないです。 でも 私は、そんな傷は癒えちゃいました。 永遠に癒えない傷を人間が得た場合は、ふつうは死にますよ。そんな あたりまえが おわかりにならないほどに、文学への憧れで思考が沸騰しておられたんじやあないかしらと私は感じています。 いま、じつは【永遠に癒えない傷】を モチーフにした自作詩を 書きあげました。でも 投稿するかしないかで 迷ってる段階です。 いまは、投稿をせずに とりあえず ほかのかたがたへのコメントなどを するつもりです。 このスレへコメントしてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-10

了解させていただいて おります。 該当作品に出会えて よかったです。ほんとうに (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-09

×馬頭 〇罵倒 誤字でした。失礼しました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

鈴木 海飛 様 わたしらしからぬ発言をしてしまいました。 あなたにはいつも「喧嘩よえーな」と言われてきましたね。 すげえ弱いのですが、めずらしく馬頭の言葉を探しました。 男性がいちばん 傷つく言葉だと聞いたことのある言葉を吐いたものの 使いなれてなくて、一晩中 胸が痛くなりました。衛生兵とは、言い得て妙だと思います。 この批評文には 神の庭との比較が書かれていますよね。 「神の庭」については、あなたがお書きになった批評のほうに私の意見を書きこみをしているので、アドレスをここに 貼らせてもらいますね。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=3409 ありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

survof 様 論理的に物事を話きることのできにくい私のために 心をくだいてくださり とても感謝しています。 正直、ほんとうに 心おれそうなが心境でございました。ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

まず 最初に このスレッドに来ないと言い放ったことについて お詫びするとともに、本批評で紹介していただいたアドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という作品を 英語力のない私も読むことができました。 白石かずこ氏の翻訳を 心ある詩友が見せてくれたのと、わざわざ わたしのために 御自身で翻訳を手がけてくださった黒髪氏に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。 さて、アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】という詩編は、素晴らしいものでした。私は、夏に子供らと無人島で生活してみようという企画物の体験をしたことが何度かあり 海に潜ることで得られる体現経験があることもあり わたしにとって記憶を喚起させてくれる作品でした。 ざっくり内容を紹介させていただくと、神話とカメラとナイフをもった話者が、たったひとりで沈没した船の中に入り 様々なものを持ち帰るドラマが描かれている作品でしたが、描写の美しさ正確さ詩情。心が洗われるとは このことをいうのだと思います。 しかしながら、南雲氏が なぜ わたしの批評を行うにあたって、詩編にわたしの詩編とは一切の類似点のない アドリエンヌ リッチの【瓦礫の中へ飛び込む】を紹介する気になったのか いまも不思議です。ですが、もう追及は いたしません。 とても素晴らしい詩編を 紹介していただきました。わたしの宝が増えました。ありがとうございます。 本題である私の詩作品への批評についてですが、そこは やはり受け入れられません。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』を批評対象とした拙論において提出した「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」は 私にとって 良い作品の条件ではないことは、前に言ったとおりです。 芦野 夕狩氏の作品『神の庭』にたいするわたしの感想を書き添えさせていただくなら、あの作品は 女性の話者という形をとりながらも 男性目線の詩であると私は感じました。 わたしの感覚では女性が もし書いたのであれば、あのような表現にはならないという点がいくつかあるため。あの作品のようであれという批評態度そのものが 私には受け入れがたかったのでございます。 ですが、南雲様に たいへん失礼な物言いがあったことを こころから謝罪します。 もうしわけありませんでした。とても素晴らしい詩編を教えてくださり ありがとうございます。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-07

ティンパニは、 ぶあゎん ぱんぱん ぱん に、訂正します。ねぼけて、脳内で ドラがなりました。m(_ _)m。 (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

【へいらっしゃい】るるりら作 へいらっしゃい らしゃい らしゃああい 近所の魚屋に楽器が売られていてなにが悪い ちよいとみとくれよ こちとら海軍御用達の看板を磨いて ぴっかぴか こいつはまた活きのいい六絃琴(※ギター)じゃないか ちょいと失礼、ろくげんきんでうたいましょ  げんきんないないなぞ きにすんな おかみのためなら だいじょうぶ かんこんきんこん 三角鉄(※トライアングル) ちょいとお前さん、いいがたいしてるじやねえか これなんかどうだ 妖怪的四弦(※バス)で 大入道さまのご登場 ばしゃゃゃゃゃゃゃん  しゃんしゃんしや あ これか いきなりの大きな音で さすがに驚いたか? 半円鍋型ぎゅう縛り高低自在太鼓(※ティンパニー)っていうのさ 兄さん も ならしたいだろ?な?どう?買うてよ (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-07

筆者の文学論は、賛成しません。 ただし、恒久的傷を描いた作品を わたしの過去作品には あります。 おとこだ おんなだと いうことは、 恒久的傷ではありません。 死んでも 亡くならないものが、わたしに とっての 恒久だからです。 お邪魔いたしました。つかれましたので、いご 書きこみを、遠慮いたします。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

おはようございます。 生理的に無理である点がありますので、はっきり申し上げておきます。南雲様にとって 女性、男性、何性、こういった観点は 本作品の批評の眼目ではまったくないにもかかわず、わたしが「女性」という語を発するとき、南雲さんの鈴とやらが鳴るとかいう意味不明な告白は、迷惑であると はっきり申しあげておきます。 わたしが 性別で扱われることを 嫌がっているにもかかわらず、わたしの発する「女性」という語に 南雲様の鈴が鳴っていると思うと、気持ちが悪くてしょうがありません。さらに もうしあげましよう。迷惑です。 ちなみに、わたしが「女性」を名乗るとき 男性の心をゆらしたいなどという考えはありません。むしろ同性の方に もし女性用車両があるならば、わたしも その車両に乗るよというメッセージでしか ありません。 なお 本作品については、本作品欄にて 南雲さんにとっての難点のある作品であることは、すでに頂戴しております。そして、わたしは ご意見を謙虚に受け取り、できるかぎり ご期待にそえることを願っての別作品も すでに 本作品の投稿欄にてアップしています。 こういった私の善処を 無駄にして、善処する前の作品を 本作品が文学ではないと発言しなければならない理由は 何ですか? 鈴がリンとなったからですよね。鈴は煤にしてください。おねがいいたします。最後に あらためてもうしあげます。迷惑です。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-06

拙詩そらおそろしいを 批評対象作品として お選びいただき ありがとうございます。 本批評文には、女流詩人の優れた作品の紹介もしていただきました。おそらく、わたしだけではなく おおくの方にとって意味のある批評なのかもしれません。 しかし、残念ながら 現在私のパソコンはユーチューブへの接続が不安定であるのと、わたしは英語の語学力には問題があるため、南雲さんが紹介してくださったアドリエンヌ・リッチ氏の 『Diving into the Wreck』を拝読することが 現在の私には難しいです。しょうがないので 彼女の生い立ちを検索しました。 ゛ 引用開始★1951年の最初の詩集『世界の変容』は、形而上詩人の伝統に沿った端正なもので高い評価を得たが、1960年代以後、ウィメンズ・リブ運動に加わり、作品の主題も、ヴェトナム戦争、人種問題、女性解放などになった。1971年、『廃墟への跳躍』で全米図書賞受賞。ニューヨーク大学教授を務めた。少女時代に兄弟から受けた性的虐待を描いた詩は最も衝撃的で、その女性論エッセイの「強制的異性愛とレズビアン存在」で「レズビアン連続体」「強制的異性愛」という概念を示し、フェミニズム批評に影響を与えた(『血、パン、詩』所収)。しかしリッチの概念は、女に育てられた結果、男は自然に愛着の相手を別の女に移行させられるのに対し、女はむしろ女同士の絆に移行するほうが自然で、愛着の対象を男に変えることには無理が伴うと論じている。★引用終わり どうやら 彼女は、女性としての立場から書く著名で優れた詩人であるようですね。そして私は たしかにビーレビ上でコメントするとき、自分が女性であるという「立場の表明」をおこなうことがあります。ですが、わたしは とりたてて女性詩を書いきたという自覚はあまりありません。ご批評してくださっている「拙詩そらおそろしい」は特に、女性詩とカテゴライズできる作品ではないです。理由は、話者にしても女性とも男性ともいえない思春期にも達していない人物を話者として私は選んでおります。   南雲さんの御説では、「文学」の条件の一つ、「作品の中に永久に癒えない傷があること」ださうですが、 あきらかに 小学生ではない書き手が 小学生時代の物語を語るとき、年齢を経た作者には癒えていない傷があるとは、お考えにはならないのですね?  わたしには卓越した日本語表現能力の所有者であると言っていただいて、お恥ずかしいかぎりです。しかし、わたしが手に入れなければならないもの、それは消耗品に終わらないもっと深い耐久性のある「傷」なのですか? まさかアドリエンヌ・リッチ氏が獲得しておられる傷を 私が保有したほうが良いとおっしゃっておられますか?ご指摘の夕狩作品の登場人物が持っている傷を、まさか 私がもったほうが良いと おっしゃってますか? わたしは、女性として名乗って作品を挙げてはいますが、女性特有の詩の数は少ない書き手です。いくら文芸にとって傷が有効であるとしても、わたしは作品づくりのために 癒えない傷を獲得する気は まったくありません。女性としての傷なら なおさら獲得するつもりはありません。ですが、わたしとて人間ですから無傷でもありませんよ。いままで詩として表出していない傷ならばあります。それを出せというのが 本批評なのかもしれませんね。考えててはみますね。  アドリエンヌ・リッチ氏の詩の中でも薦めてくださっている作品を読みもしないで書き込みを行っている失礼をお許しください。 貴重なご意見をありがとうございました。 (「文学」って何?(第3回)(るるりら氏『そらおそろしい』を読む))

2019-06-05

コメントありがとうございます。普通は可動域ですよね。 稼働で連想するのは 稼働中とか稼働率とか稼働人数とかですよね。 稼働で範囲を示すなら、稼働領域なら いうこともあるかもしれませんね。 稼働は働くだから 脳のいろんな箇所を通過させた思考があるのでしょうが 可動は動くだから 頭を使っているかもしれないけど 筋肉を動かす箇所だけを使用してる感じがします。 いいたかったのは、頭でっかちにならないぞ!ということが表現したかったのですが、いやいやどうして、結構 あたまでっかちな詩です。 (稼働域フェチ)

2019-06-03

このお魚屋さんは 昔は、海軍御用達の店だったてことは きっと戦争中は 庶民が食べることのできない良い魚を用意していることを誇りにしておられる感じですね。 魚屋のおじいさんが素敵です。息子が弾いていたギターをきっかけに始めたギターが 結構、 達者になってるなんて魅力的な おじいさんですね。 魚屋さんを辞めたわけではないので 漁連の競りにも きっと参加してて、新鮮な魚が手にはいるんでしょうね。おいしそう。けど、懸命に魚を売る気なんて、ない。あぶらを売るためみたいにギターが置かれていて 「魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ」と言い切る粋な自由さが いいです。 我が家にもギターが何本か あるのですが弦の部分が 魚の背みたいに等間隔だし 絵的にも 魚とギターって すこし 似ているところもある気がします。 魚屋というと 声の商売って気が個人的にはしているところも、音楽との相性も良い気がしました。それで つい勝手に 二次創作的な妄想もしました。 一般常識から考えて、魚屋ではギターは売られてはいないけれど、個人的には 魚が売られている。海軍御用達の店だったころに 洋楽器もあつかっていて「へい らっしゃいらっしゃい〇〇弦(敵性語)だよ 」みたいなかんじの 無茶な妄想もしました。 この詩は、日常の中のしゃれた会話って感じがして良いです。つい妄想がふくらみすぎて もっとリアルに楽器屋にしてしまいそうになった わたしの脳内が はずかしいです。(けど、おしらせしてみました。) (魚屋でギター売っちゃ悪いのかよ)

2019-06-03

ぶっはは はっは。ひぃ。 うけました。 ガシッ❗️ (稼働域フェチ)

2019-05-31

はじめまして 拝読していて なにか新しい社会に飛び込んだときの自分を想いました。 たとえば、学校に入学したとき 新社会人になったときの気持ちです。 そのような時は、自分をしっかり持つことと 我儘の境界についての具合をいつも気にしていたような気がします。 なんやかやいうて、 >やはり自己を 中心にしないと 生きられない部分も ありますよね。チェスト―! きばってくださいませ。 拝読していて、なんだか私も もすこし 私自身の我儘と協調の堺を探ってみる勇気をいただけました。 (裏切り)

2019-05-29

わたしはこの詩が好きです。詩はその詩がどこを目指しているかと、読者がなにを欲しているかで評価が分かれるものでしょうが、短詩に希望を見出しがちな私には この詩は たまらないものがありました。 こちらの作品は短詩であり一見 すらすらと読める。しかし 私の心に、まっすぐに心になにかしら降りてくるものがありました。日々を急いで、実を見失いがちなのではないかかと 私を立ち止まらせてもくれました。 特に、 >亀は変化と進歩の >本当の意味を知っている この箇所に 惹かれました。 そういえば、浦島太郎が乗ったのも亀でした。昔話では、さまざまな変化のいきつく先にある玉手箱を開けると、真実がつきつけられたのでした。 亀は万年 鶴は千年。と、昔の人はいっていたそうですね。亀山神社だのと亀を祀ったところもあるようです。亀という生き物は、変化への洞察に導くのに ふさわしい生き物のようです。 >花は季節を待ち という行も好きです。この詩の鍵は、「時間」だと個人的には思っているからです。 「待」 あれ?「時」も「待」も 詩に 字形がにてますよね。びっくりしませんか? こんな風に なにかと意味を探したくなるのは私だけでしょうか? さまざまな方向から 人は意味を見つけ出そうとする。 けれど、本当の意味を知るのは 人ではなく亀だというところが この詩の一番深いところかもしれません。もしも、曖昧や理不尽な出来事に発狂しそうになったら、わたしは この詩の【本当の意味を知るのは 人ではなく亀だ】ということを 思い出せたらなあと 祈るような気持ちになりました。 (庭園にて)

2019-05-28

ふじりゅうさま、コメントありがとうございます。正直もうしあげて、どなたもなにもコメントを書いてはくださらないのだと すっかりあきらめていたところでした。コメントが書きにくい作品であったと思います。 静と動のカドウが好きだというのが本作品です。だから それで どうしたのかが 無い作品なのですが、オリジナリティー溢れる作品として好感をもっていただけて嬉しいです。 この詩をとりあげていただけたので 今週は、……そうだな。 プールにいってみたり 自身の身体の可動域を広げてみようと思います。ありがとうございました。うれしかったです。 (稼働域フェチ)

2019-05-27

拝読しました。チャートの一位を獲得できたようなグループが、引退後に話をするという設定の作品のようですね。本作品内にメタに組み込まれている「TO THE MOTHER LAND」という曲は、フレディ・マーキュリーの生前最後の歌声だと言われている「マザー・ラヴ」という曲と、母体回帰をテーマとしているという点と、恋愛や華々しい競争に嫌気がさしていることを歌っている点で 似ているなあと思いました。 フレディとちがって、作品中の彼の場合は 今後クリエイター支援の枠組みを作るつもりとあるので、この作品の場合は終焉ではなく※詩遊園づくりの詩な感じがして、イイ感じだなあと 思うのです。 (※詩遊園というのは終焉と書こうとしたら タイプミス&変な変換がおきました。いい得て妙なきがしたので、コメントの表現に採用しました。) (TO THE MOTHER LAND)

2019-05-27

広島に きまっとるし。 (現代お好み焼き概論)

2019-05-21

ちいさい人の行動を見ていると、ときどき 虚空を ぼーっとみつめて、あきらかに なにかが見えているとしか思えないかのような様子のときがあることを想いました。 夏実さんは、その不思議ななにかのことを「かぜさん」と呼んでいる気がします。ちいさい人の世界をうつくしくいいあてている素敵な表現だなと思いました。それから えまちゃんというお名前が 個人的には結構 すきです。エマ・ワトソン。 エマ・ストーン くらいしかおもいうかばないけれど、たまたまおもいつく ふたりの幼いころの美人な感じで この詩を読んでしまいました。 (えまちゃんと風)

2019-05-17

いえいえ ピノキオの例があります。あの童話では たしか リンゴを食したあとで、しばらくしてから リンゴの芯なども 食するのです。 (腐った林檎)

2019-05-13

まちがえて、送信しとしまいました。 なんと いうか 「なんくるないさー」と。お伝えしたいです。 (おいらの話)

2019-05-13

(おいらの話)

2019-05-13

(腐った林檎)

2019-05-13

きっと 歌詞なのだと おもわれます。 歌って いただきたいです。 (人見知り)

2019-05-13

形式美を感じました。うつくしすぎて なにも考えたくなりました。そして、スマホを 高速でスクロールしましたところ 「或るひと」と「つの……」の間に、白い線の現れることを わたしは目撃しました。ほかの 皆様も ためしてみてほしいという お知らせをさせていただきます。 ちなみに、わたしには その謎の白線は、未来への滑走路に おもえました。どなたかに わたしの妄想を可視化させた動画を つくっていただきたいものです。 (終り)

2019-05-13

生が、ななめにしてありますね。 なるほど。 逝で終わる言葉えらびは、可能ですね。 わたしは、単に 詩の形が四角が うつくしいとおもっただけだったのですが、四角にすると、生がななめ配列であることも きわだつはずだとは思います。 (きるという時)

2019-05-13

今日を語るのは、愛とおなじことを語っているのもしれないな。と、おもいました。なにげないことと、うつろいやすいところが ……です。 (今日)

2019-05-12

どうしたんすか 緊張だけが つたわりました。 (無名)

2019-05-12

なにげに おかれた 星が るうるう、という表現に出会えて嬉しいです。ありがとう。 (湖歩行)

2019-05-12

さいごが六文字だったとしても 問題ないのでは?と、おもいました。 (きるという時)

2019-05-12

さいごに、すくわれる感じも すてきです。 (魚座)

2019-05-12

本作品は、拙詩【そらおそろしい】に於いて 南雲安晴氏にいただいたコメントを 参考に 書かせていただきました。 (くだる)

2019-05-08

こうださん 拝聴しました。こうださんの元の作品をなんどか聞いて、音声を妄想しながら書いたので、超うれしい。冒頭から、そーそー そんな感じ、イメージのとおりだ。とおもいながら聞いて「かくしてんね」で、よすぎで 爆笑しました。結語も、、、(以下略) ともかく、ありがとうございました。今日は エンドレスで本作品と私のを 聞きたおすことでしょう。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

丁寧な返信。ありがとうございました。 (砂場均し)

2019-04-24

はじめまして わたしは、管理人ではなく 一般参加者なのですが、ひとこと。 こちらのサイトでは、1ヶ月の投稿は 二作品。と いうルールで あります。ですから、どれか ひとつが削除対象になってしまいます。もうすぐ四月ですし、春さんのほうで 来月投稿にしたい作品を選ばれると良いですよ。 (ずっとそこに)

2019-03-31

改訂後の詩が 拝読できて よかったです。 二行めの 「血よ」は、改訂前では ひらがなであったので、「血」である可能性と「ちよ」という名前である可能性があるとして、拝読しておりました。漢字だと千代さんの物語としても、想像をしていた訳です。 改訂されたことで、世界観が 明確に かんじられるようになりました。 「しおさがして 」の部分も改訂前後で、かなり印象が違いますね。当初の作品では、潮を 想定して拝読しました。寒流と暖流が混じり会うかのような 大きな潮流を 顕微鏡の中に観ていると、作者は 表現しておられると 最初は 思いました。 (imaginary)

2019-03-30

★仲程さまへ すごく好みな作品です。と、言っていただけて 嬉しいです。ありがとうございます。 「確かに共鳴しましたボタン」みたいなものを何度も激押しまくっている光景を妄想して 楽しくなってしまいました。ありがとうございます。 語りてが後半、向こうの人になってるのが判らないままで終えたらどうだろうなんでしょうね。グリコのおまけというのは、たしか 即興詩サイト ゴルコンダ仮でだされたお題だったのです。出題されて何分もしないうちに、ものすごいスピード感で書き上げたのです。そういえば。中盤ぐらいまではそういえば書いているつもりはなかったのです。だから最後まで、死者であるかどうかが判然としない描き方もあったのかもしれません。ただ わたしには それは難しい書き方です。そっかあ もうひとつの世界かあ。それも ありですねぇ。 ★ishimuratoshi58さまへ しみたんかね。ほうね。そりあぁ えかった。ありがとう。 広島弁は 私がネイティブで喋れるから書いたんかもしれん。 標準語ゆうんは、どこにもない うその言葉なんじゃろうか。生と死のきわにある言葉って ある気がする。宮澤賢治も 「あめゆとてきて 」とか 書いて、もっとも大事な部分は、標準語では 書いてんなかったね。 詩人ゆうんは いなげな生き物で、ほんまのところで息だか粋だか生きだかしてて ほんま やねこいよね。方言といえば、東京で 電車にのっとったら 「いなげ」って大きな看板が でとった。いなげ屋さんという店があるから東京の人には普通なのに、広島人だけは笑う。すくなくとも わたしは、笑ろうた。  方言で かくことで 現れる 沁みる感じもある反面。なんもかんも書いても その方言以外の人には どうもこうも通じないこともある。 言葉って、やねこいね。どうも言葉 ひとつひとつに、謎の射程ってもんがあるみたい。 ほんまの詩は、謎の射程を 超越するかもしれなんね。あ 旧かなづかいって、超えるヒントがありそうじゃね。石村ワールド たのしみにしてます。ぺこりん。 ★ 黒髪さまへ はい。随分と前のこととなりました。よくわかんないのですが、バカなのか 自分で読むと、なんだか 泣ける。文章中に、「泣く」という言葉の頻度が 醜いほどなんですが、わたしは それでも、私自身が読むと 泣けてしまうのでした。 その完成しているさまを、美しい声で聴く。をお なんいう 麗しい表現でしようか。 今、我が家のちかくで 「ほうほけきょ」と鳥が鳴いているのですが、昔の人は 鳥の鳴き声も 法と華を聞いたらしいです。完成しているさまを、美しい声で聴く。とは、まさしく そんな感じをイメージしました。ありがとうございます。 動画の添付も ありがとうございます。いいですねえ。 (グリコのおまけ)

2019-03-14

この詩のような文章は、過去にかいたものです。話者に 、「きちがいじみた詩とかいうもの、」と、わたしは言わせましたが、詩への昇華活動は けして きちがいじみたことであるとは、現在のわたしは思ってないことを、追記させていただいておきます。 (グリコのおまけ)

2019-03-06

作者名を読まずに一行目から 読んで、嗚呼 良いなあと 思っていたら石村さんでした。全体の詩文への感想としては、絶句でした。 わたしは 弟を亡くしている ひとりの姉なのですが……。 弟の名前が たまたま「隆」なのですわ。絶句は、しょうがないです。いたこだと感じてしまったら感想なんてかけません。でも、わたしだけは この詩を忘れないことでしょう。 (室内)

2019-03-06

まど みちおの「くまさん」という詩を想いました。たんぼぼと 熊がでてくるというそれだけの類似点なので すこし言うのが はばかれたのですが、きにさわったらごめんなさい。でも わたしは、数おおい詩人のなかで まどさんは別格中の別格です。黒髪さんは もしかしたら、今を生きている まどさんなのかもしれない。 良いタンポポも悪いタンポポの部分では 谷山浩子さんの「たんぽぽ食べて」という不思議な曲を思い出しました。タンポポには、良いタンポポも悪いタンポポも ないきがするのですが、萌え出る様々な事象の比喩に タンポポをもってこられるあたりは、なんだか あいくるしいですね。 (タンポポ小景)

2019-03-06

おはようございます。感じたままに感想を書かせていただきます。 へぇ そんな読み方をする人もいるんだな程度に 受け取っていただければ嬉しいです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ この第一連目は、わたしにとって衝撃でした。わたしは、生来の花好きだからです。 ガーデナーは いかに咲かすかに心を尽くすし、人々は その人の花をどう咲かすかに苦心します。だからこそ、人は苦しむ。人の場合は、咲いたら咲いたで ほかの人の花のほうが立派だのと 比べて、落ち込んだりする不思議な生き物です。咲いているかのようにみえても幸せとは、限らない様子です。 植物を じっとみておりますと、花を咲かしているときと 葉を茂らせているときだけのときと どちらからが幸せか 感知しないで咲いているようです。うん。別に 花を咲かしていない植物も幸せそうに お日様を探している様子です。人は、人としての花が咲いてないと、苦しむのです。 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ と、思っているかのような植物のような心を、私の場合は 思いました。 先日、「あん」という映画がテレビ放送されて、わたしは 本作品を再読したいという思いになったのです。映画では、服役経験という罪や後悔を背負った中年男性が、樹木希林さん演じる 餡づくりのうまいお婆さん(樹木希林さん演者)にであい、餡のできあがる工程でじっと餡を見ついる姿と 寄り添うことで、心がほどけてゆく話なのですが。 なかでも 心に残ったセリフが、この詩を私に思い出させてくれたのです。記憶を頼りに書くので間違えるているかもですが、映画内の言葉を 書きますね。 「もし 私達は、この世を観るためために 聞くためだけに、生まれてきたとしたら、何かになれないとしても、生きる意味があんのよ」 ふるえる心でものを見、モノを聞く。うつくしい音楽が世の中に溢れていますが、自身が 音を発せられなくても、良いものは良いとしっかりと聞くことのできる境地に広がる地平が この詩には ひらけている。 私には、そのように感じられました。 (罪)

2019-02-22

丁寧に読んでいただいて どのように感謝をあらわせばよいか、よくわからないのですが、ありかとうございます。 自己啓発というほどではないのですが、たしかに 自制と自発でした。 次回は もっと はっちゃけたいです。指だけでなく 全身で書いたなと おもわせる詩が書きたいものだと思わせていただけました。ありがとうございます。 (B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評)

2019-02-20

こんにちは 私は不勉強で、 本作品の月清という人物を存じません。 親鸞聖人が亡くなったあとの時代に、教えが世間に間違って伝わっていることを嘆いて 正すために書かれた書物の引用がありますので、親鸞聖人に関係する方でしょうか?それとも エクスペリアさんが 書いておられる人物が、本作品の月清という人物でしょうか? 本作品の観賞のために、教えていただけると幸甚です。 (【哲学の道散策】※)

2018-12-31

作り方

2020-02-26

底のシラス

2020-03-10

麗日

2020-03-16

あなた2

2020-07-01

きいて

2020-07-01

紫陽花

2020-08-08

不在

2020-09-12

たまゆら

2021-02-22

ねね

2021-04-02

左腕

2021-02-17

ミイラカンス

2021-04-28

青の時代

2021-05-05

循環の地図

2021-08-05