曇天 娘は帰って来ない
朝方の六時を過ぎているというのに
「もちろん娘は過保護が必要な年じゃない」
「お父さん?お父さんが今でもNo.1よ。でもね私は自由が欲しいの」
自由 甚だ定義が曖昧な言葉
曇天 私は自由そのものが結果的に個人の自由を奪った事例をよく知っている
迸る血 逆流する体液 無限の時間
60年間虚偽の論文を書いていた心理学者は言う
人間は本来集団でしか行動出来ない種族であって個体を著しく尊重した自由という概念は、種存続のためには危うい特性を持っている。しかし文明が繁栄するにつれて、個々人の安全が確保された結果、自由を尊ぶ風潮が生まれた。私はこれを「自由の誤謬」と呼ぶ
雨が降り始めた 曇り空 まだ朝陽は見えない 娘未だ帰宅せず
「お父さん?私は自由が好きなの。何事にもフラットで縛られない考え方、生き方が。お父さんにはお父さんの気質があるから私のことをわかって、なんてワガママは言わないけれど」
「私は何も言わないよ。反論も否定もしない。ただぼんやりとした疑念があるだけだ」
「そう言うお父さんはいつでもNo.1よ」
時計は七時半を回った 不意に娘からのLINE
「今日はこのまま会社に直行します。心配しないで。私は元気でやってるから」
沈黙 形容し難い徒労感 私はコーヒーを淹れてほとんど眠れなかった心を落ち着かせる
「私は自由が好きなの」
「個性が大切にされないなんて考えられない」
「今の時代だってまだ保守的」
私は娘の言葉を思い返しながら、カフェインが喉を刺激するのを感じる ふと壁に貼り付けた幼い頃の娘の古写真が目に入る 開け放った窓からは穏やかな風が吹き込む
「私はお前が好きだよ。奔放なところも、進歩的なところも。ただ…」
そこまで回想して私は思考を閉ざした 今やもうそれが無意味なやり取りに思えたからだ 古写真の向こうでは娘が笑っている それは無垢に 無邪気に
私はそっとセピアに染まった写真に手を伸ばす
「お父さん?大切なのは自分がどうしたいかよ。そう思わない?」
娘が凛とした面持ちで言い切った 瑞々しい光が差し込む
その瞬間 私は娘が永遠に自分の手から離れていくのを感じた 風は私の胸を優しく涼やかにさせる カップのコーヒーはいつの間にか空になっていた
「寂しい?お父さん」
「それはもちろん」
「ひとときのさよならだよ。ほんのひとときの」
「ああ また会える日まで」
風 曇天は去り 陽の光が雲の隙間から覗き始めている
作品データ
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作成日時 2020-09-16
コメント日時 2020-09-18
#現代詩
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2024/11/21 23時28分50秒現在
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なんだか昔の自分を思い出しました。父親の感覚はわからないけれど、寂しい父とはこういうものなのかなと思ったり。 父は娘が人生の一部でそれでもいつかは離れないといけないなどしみじみとしました。
0くおんさん、コメントありがとうございます!昔の自分を。くおんさん奔放だったのですね。この詩は別れ、離別の詩でありながら和解の詩でもあるのです。お互いの価値観を共有し認め合い、しばし離れるという。この父娘はまた出会うでしょう。その時二人がさらに幸せになっていることを願ってやみません。
0素敵な父と娘だなあと、思いました。 漠然とイメージしたのは、昔の映画紹介で観たことのある小津映画のように 美しい所作と言葉の人々のいる世界を イメージしました。 心理学者の「私はこれを「自由の誤謬」と呼ぶ」なんて 言葉を反芻している お父さんの ゆれぐあいが、私には うつくしかったです。
1るるさん、コメントありがとうございます!小津映画を思い出しましたか。そういう一面もあるかもしれないです。この詩の父娘は理想化されていて、ある意味ステレオタイプなんです。もっと厚みを持たせてリアリティを追求することも出来たと思うのですが、ここは僕の心の安定を取りました。父と娘の和解。美しいミュージカルやオペラのようにそれが描けていれば幸いです。
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