部屋の奥。地球儀にはヒビ。
外套は暗く、くすんでいる。
転がった帽子には土埃が。
今でも子供たちの耳には
頂きを指し示す父の声が聴こえる。
手に馴染んだはずのゲーム機は手放され
昨日描かれたマンガも、もう触れられはしない。
ヒラと飛ぶつがいの蝶にも
一点を見つめる彼らは
もはや興味を持つことがない。
音楽は単音を奏で
歌は失われる。
新聞では汚れた手の行く先が報じられ
道化は側溝に蹴り落とされている。
娘、息子たちからは
甘いシフォンが取り上げられ
貞淑になれなかった女には雨、雨、雨。
耳を突くのは娼婦の笑い声で
打ち寄せる波の前に
人々は言葉もない。
いつか追いかけた夢に今も惑い
祭りの残り香に身をまかせ
足の置き場さえ見失う瞬間。
波打ち際。
トランクを傍らにして
地平線をぼんやりと眺める男たちを、彼らを。
作り
残し
育て
駆り立てたのは一人の父だった。
笑顔を見せる
父の形見からは
波の音が、聴こえる。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1824.1
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 10
作成日時 2020-03-29
コメント日時 2020-03-31
#現代詩
#画像
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 4 | 4 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 10 | 10 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1.3 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1.3 | 1 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0.3 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3.3 | 2 |
閲覧指数:1824.1
2024/11/21 23時30分05秒現在
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stereotype2085 さんの作品を読むと、仮想空間であれ現実空間であれ ひとりで存在しているわけではないと、私には思えるのです。それは、よく話手の近景や 詩の背景である社会が浮かびます。 stereotype2085さんのツイキャスで いつだったか。「るるりら(私の別ハンドル)さんの父様はどのような方でしたか?」と話かけていただいて、ナイスボイスのせいか ときおり その質問を 自身に投げかけてみることがあります。だから、stereotype2085 さんのお父さまのお話を伺いたいと思っていました。 この詩を拝読し、お父さまの面影を感じられるようなのですが、不思議なことに わたしは 私の父を想いました。 父を想うと 波の音が聞こえます。わたしは私のことばで「父の形見からは 波の音が聞こえる。 」という詩が書きたいです。拝読できてよかったです。ありがとうございます。
0ハードボイルドな詩ですね!人生から父親=理想以外を消し去った結果、甘さや楽しみは一切ない世界が広がっているのに、亡き父親の存在により完璧に寂しくはならない。ただハードボイルドなだけではなくて、微かにソフトなところに味があります。添付写真も海なのか空(頂き)なのか、あえて分からないもの良いですね。
0何事も上に向かう力と下に向かう力があって、それはヨーロッパだと神というものに向かうのだと聴いた事がある。もっと俗に言うとより富を、より良い生活を、一旗上げてやるみたいなものでもあると思う。本文の頂きを指し示す父の声、というのを読んだときキリスト教の神を思い浮かべた。もちろん作中の父とはまぎれもなく作中主体の縁者としての父であるのだが、同時に象徴や道標としての存在感を強く感じた。まぁ、多くの息子にとってはライバルであり、道標なのだが。 >波打ち際。 >トランクを傍らにして >地平線をぼんやりと眺める男たちを、>彼らを。 >作り >残し >育て >駆り立てたのは一人の父だった。 この連の存在がこの詩を書き手だけの詩ではなく読み手をして父とは、と深く思いを馳せるものにしていると思います。そういう意味では、いつか追いかけた夢に今も惑い、の四連目(この節回しはステレオさんの作品には度々あらわれるように思う)は無い方が今作の場合、より深く叙情を駆り立てる風景を創り出すと感じた。つまり、風景に少しだけ書き手の自我がひとつまみ余分に塗られてしまったのだと思います。 などと、書いたのですがこれは見事な詩だと思います。タイトルも簡潔にして象徴的で、あ、カッコいいわ、となりました。本来ならここだけ書けばいいのについ、素晴らしいだけに気になるところをあげつらうのは僕の悪いところかもしれない。
0るるりらさん、コメントありがとうございます。返信遅れました。この詩は「ユディト」というコラージュ画像に一言二言、詩めいたものを添付した作品を作ろうとして挫折(なぜなら余りに憂うつな内容だったから)、その後に作り上げたものです。この詩におけるfatherは二つの意味がありまして、父権としての父、宗教的価値観における父(神)としての意味と、一人の人間、身近な縁者としての父の意味があります。この詩が上手くいったのは一人の人間としての父について言及する最後の段、まさに「父の形見からは 波の音が聴こえる」に因るところが大きいと思います。ここでは父権としての父ではなく、多くの読み手にとっての父が描かれているからです。ここに父権としての父に、一個人としての、人間としての父も踏みにじられた、彼もまた犠牲者だった、そんな感慨が含まれています。その意味ではるるさんがご自身のお父様を思い描いたのはとても自然なことだと思います。この段でただの悲劇ではない何か、詩情を出すことが出来たのでは、と。るるさんの描く父君、「波の音が、聴こえてくる」の詩もぜひ読んでみたいと思いました。それでは長文失礼しました。
0arielさん、コメントありがとうございます。ハードボイルド。骨太で一切妥協がない男の世界とでもいった意味と解釈しましたが、そういう一面もあると思います。 >亡き父親の存在により完璧に寂しくはならない というのはとても鋭いご指摘で、この詩において一番重要、大切な部分である最後の段(父の形見からは 波の音が)で、この詩は個人的な父に翻弄された話者の物語になるのを回避出来ているのです。一個人としての父も憐れむべき存在だったとの意味合いがなければ、この詩は一層洗練されたものにならなかったでしょう。とにかくも好意的なコメントありがとうございました。
0↑ 失礼、ただいまのはarielさんへの返信でした。
0帆場さん、コメントありがとうございます。この詩における父は、るるりらさんへの返信にも書いたように、二つの意味合いがあります。宗教的価値観における父(神)と、一個人の縁者としての父。二つ。ですから帆場さんがキリスト教的価値観の父(神)を思い起こしたのは正解でもあるのです。再三言及しますが、最後の段。自分の、個人的な存在としての父を、一人の哀しげで寂しげな男、人間として描かなければこの詩は危うく失敗するところだったでしょう。父もまた父権に駆り立てられた一つの犠牲者だった、という俯瞰、視点がこの詩を良いものにしていると思います。一点、「今も夢に惑い」の段が風景に個人的感情が色塗りされたのではとのご指摘。ううむ、鋭いなという印象です。この辺りの描写は手癖でも書いてしまった感もあるので、もう一ひねり、帆場さん言うところの風景の描写に徹した方が良かったかな、と思います。最後に画像は空を撮ったものを上下逆さにして加工したものです。これも意味合いを持たせようと思えば語れるのですが、長くなりすぎるのでまた。それでは失礼します。
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