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蒼穹
止る泊る留まる まるまるっと留まる 飛ぶ跳ぶ翔ぶ ぶっぶっぶっとぶ 老女が寝ていた人を なぐっている かなしいかおしたまま とぶ げんこつ 破裂する思いを まきちらす 老女は少女のこころで なぐっている あれは 老女の娘が家出した家を見つけた日 出ていけといったら娘は出て行った 老女にあんな力があったのか 玄関を壊れんばかりに たたきつけ 人ではない声をはりあげて 老女は少女のこころで なぐった 永遠に なぐっていたかった 娘をとりもどすと 娘をかくまった家の者を呪った のろいのろわれて戦争のころのように ふるえて 娘は 母にだきしめられたことがないと嘆く 止る泊る留まる まるまるっと留まる 飛ぶ跳ぶ翔ぶ ぶっぶっぶっとぶのは 枯れ葉 いろとりどりの落ち葉が 少女のこころのままの老女に ふりつもる
蒼穹 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1637.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 14
作成日時 2019-11-15
コメント日時 2019-11-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 1 |
前衛性 | 3 | 1 |
可読性 | 4 | 0 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 3 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 14 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0.8 | 0.5 |
前衛性 | 0.8 | 1 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0.8 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3.5 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
大人ってなに?って幼女に質問されたらどう答えたらいいだろう。そんなことをこの作品を読んでから考えた、少女のこころのままの老女を、「大人」について自分の持つイメージと照らし合わせ、ヒントを探る。 大人=心身ともに成熟した人間 違うと感じた。 とどまるか、とぶか、の人の心、 大人とはそんな者だろうとさえ思えてきた。 >ぶっぶっぶっとぶ 音に乗って読み始めると、 >永遠に なぐっていたかった と、ここらで音が留まった しかしまた 詩の終わりに向けて音が鳴る。 はじめ、遠目に引いてみて、いかれてると思った老女が、今は違って見える。彼女は秋に馴染んだ。
0おはようございます。 この妙な詩のような書きものを丁寧に 読み解いてくださってありがとうございます。自己で解説すると、私が描きたかったのは、真っ青な闇です。実際には 書けなかったと感じていて、作者として恥入り コメントのお礼もできずにいまた。 老人というものは、干し葡萄のように 人生を凝縮させます。そして、味や苦みを深めるものなのかもしれません。お若かったころには まるみを帯びた考え方をしておられても、童女のように率直すぎるような言動になられたり、少年のように暴力的になることがあります。 わたしは、おさない子のように 満身の力で、人をなぐる老女の方を、目撃したことがあります。その方の行動が ときおり私の思考力を つきおり奪うのです。 そして、さいには一遍の詩も詩作なっておりました。それで 困惑を困惑のまま文字にすることを思い立ちまして、この詩ともいえないものができました。 「いかれてると思った老女が、今は違って見える。彼女は秋に馴染んだ。」 といってくださって 私は、すくわれました。 これで、また 詩作のできる私になることでしょう。ほんとうに ありがとうございました。
0×そして、さいには一遍の詩も詩作なっておりました 〇そして、ついには一遍の詩も詩作なっておりました 失礼しました。
0少女の心とは多様な解釈を許すようで、この詩を予断の許さない物にしていると思いました。老女が少女の心で。この詩の冒頭部分と、最後の部分ではないですが、なぐるも殴る殴る殴るぐるぐる(仲間と?)と言った感じのフレーズが思い浮かび、殴るでは漢字が単一で詰まらないかと思いましたが、これはこれで多様な解釈を許すような気がしました。
0お邪魔します。 どう言いましょうか、どうしようもない、やるせない気持ちになります。 コメントを読ませてもらってから読み返して、「そうか、広がっていたのは真っ青な闇だったのか。だからどうにもできないのか」と、更にやるせない気持ちに。 老人が時に子供のようになるのは、私も知っています。対応を学んでいないとどうして良いのかわからなくなる。しかも老人の対応なんて、いざ老人が目の前に現れないとなかなか学ぶ機会も無く、学ぼうとする気も起きず。とは言え、実際そういう事態になってからでは、学ぶ時間も取りにくいですし。少子高齢化の社会ですから、高校あたりで老人に対する接し方を学ぶ授業があってもいいのかなと思いました。 などと、つらつら考えたくなるほど、やるせない気持ちに。 誰も悪くなければ、幸せであると言えるのか。老女は悪くないんですよね。きっと。幼子の行いを悪行とは言えないように。でも、幸せではないのはきっと手法を間違っているから。手の形を間違っているから。 そうそう、老人と話す時は正面からしっかりと目を合わせると良いそうですね。そういう所も、子供と一緒なのかもしれません。 なんだか作品の批評から離れてしまい、更に暗いコメントになってしまいました。ご容赦下さい。 枯れ葉がね、印象的でした。いつまでも印象に残っています。
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