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涙ぐむ28の夜
おばさん、と書いたら おばさん、と響いた 私はこの無形の居場所を、世界、と呼ぶ つまるところ 見失っているのだった 自分を おばさんは おばさんの顔をして 君の話によく出てくるね おばさんは とてもおばさんで 私は君の話を聴きながら おばさんの姿を想像している その 有形であるはずの 細身から太みまでさまざまある伸びやかさという名の 単純化されたシルエットの中で おばさん、は おばさんの心を持って けれど おばさん あなたは おばさん以外の何も持たず おばさん あなたは、おばさん以外の何処にもいない そして、 いつも、いる、いつも 居すぎるほどに だから、私が もうやめてくださいと懇願したとしても おばさん、と書けば おばさん、と響く
涙ぐむ28の夜 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1239.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 2
作成日時 2022-01-20
コメント日時 2022-01-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
いいと思う。以前から上手い書き手の作者さんだなあと学ぶところの多い方だけれども、どんな切り口(主題)でも書けてしまう。その要素はいわゆる強いフレーズを作れてしまうことにあるのかと思う。前作にもあったけれども、 今作はもちろん、 > おばさん、と書いたら >おばさん、と響いた にそれをみる。この二行のフレーズ、並列にせず、一行目にはブランクを入れている。この効果は、「この言は意識して云ってます」と読み手に補足として伝わる。印象論でしかないけれども、もしも並列であった場合、詩句に寄り過ぎて自分語りな感が強まる。ポエミーではなく、ささやき感を成立させている。
0いいと思う。以前から上手い書き手の作者さんだなあと学ぶところの多い方だけれども、どんな切り口(主題)でも書けてしまう。その要素はいわゆる強いフレーズを作れてしまうことにあるのかと思う。前作にもあったけれども、 今作はもちろん、 > おばさん、と書いたら >おばさん、と響いた にそれをみる。この二行のフレーズ、並列にせず、一行目にはブランクを入れている。この効果は、「この言は意識して云ってます」と読み手に補足として伝わる。印象論でしかないけれども、もしも並列であった場合、詩句に寄り過ぎて自分語りな感が強まる。ポエミーではなく、ささやき感を成立させている。
0わたしは、辻征夫作品の、おばさんが一番好きなのですが、楽子様は、どんな、おばさんが、好きですか?
0単なるおばさんに対する執着とは違う、「おばさん」フリークでもない目論見があると思いました。 「おばさんは おばさんの顔をして」 ここには取り付く島もない、中身のない詩想を見る事も可能ですが、極めて公平な観念、まさにおばんさはおばんさんでしかないと言う様な、清潔な発想を見る事もできます。それは最後の 「おばさん、と書けば おばさん、と響く」 にも言えますし、中ほどの 「おばさん あなたは おばさん以外の何も持たず」 や、おばさんの心など頻出するので、清潔な感じと共に、具体的な何かを蔵しているような、示唆しているような感じがしました。
0こんにちは「涙ぐむ28の夜 」という題名に 感じるものがありましたのでコメントを書かせていただきます。「 涙ぐむ28の夜 」とは、おそらく28歳という年齢のことだろうと解釈しました。 すこしだけ 私自身の話をします。 わたしには、すこしかわった あだ名で呼ばれたことがあります。 「おばちゃん」と小学校のころに呼ばれていました。理由は、よくわかってはいないです。ただ、年を重ねて二十代の後半くらいになると、子どもの頃に私のことを「おばちゃん」と言っていた友達たちは、だれひとりとして私のことを「 おばちゃん 」とは言わなくなりました。 その理由は、分かります。仲の良い友人に対して「 おばちゃん 」と呼んだりすると、自分が傷ついてしまう年齢、それが 二十代の後半くらいだからだと思います。 友人や兄弟姉妹に子どもがいてもおかしくはない年齢において 「おばちゃん」とか「おばさん」とかの言葉は、ぐさぐさと 胸にきてしまう、だから 私の友人たちは、 二十代の後半くらいになると、私を子どもの頃の 呼び名では呼ばなくなったんです。 せっかく、この詩が拝読できたので、この筆者の楽子さんに あらたな おばさんのイメージを追加していただけないかと思いコメントをしています。 その 有形であるはずの 細身から太みまでさまざまある伸びやかさという名の 単純化されたシルエットの中で ここの箇所を読んで思ったのですが、この単純化されたシルエットの中にいる人物は中高年女性ですよね。わかりますとも。しかし、年齢が中高年ではない 年少の私(るる)も、たまに おばさんのイメージの中に いれていただけたらなあ。と、思います。 そしたら、涙をぬぐう たすけになるきがします。楽子さんの詩は なんだか好きです、次回作を楽しみにしてます。ではまた。
0この詩はhttps://www.breview.org/keijiban/index.php?id=8751Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん に触発された部分があるので、独力ではなく、 その詩に手を引かれ出てきた部分がありますね。 ちなみにご指摘の箇所は、 この詩をかく時に一番悩んだ部分でした。
0おばさん、を描いた詩でこれだ!というものはないのですが、 おじさんを描いた短歌で好きなのは永井裕さんの短歌ですね あとは別におばさんとかはないんですが、たつみさんの短歌も好きですね
0おばさん、は ときに、 群衆、とほぼ置き換え可能な言葉だと思っています ときに、私は そこにアイデンティティーを含ませたいのですが、 そんな現実の前で、おばさん、は、 おばさん、になってしまうのです
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