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前庭で砂が踊る日に
前庭に鯨が打ち上げられて 砂が、チョウ砂が舞い上がれば 世界は揺れて空と大地は ぐわぁんぐわぁんと回転しながら 遠ざかったり近づいたり もしチョウ砂が黄砂のように 気流に乗るなら、あの港をぬけて 沖へ沖へと耳は運ばれて大海を 泳ぐ魚たちの仲間入りができるだろうか セミとザトウを獲っていた親戚から もらった耳石は片方しかなかったので 鯨になり損なってしまった そしてチョウ砂が舞う日は 三つの耳石が共鳴りをして 僕は前庭器官でダンスする 壁と天井と床を掴むように ひとり踊る聴砂が舞う日に ベランダから身を乗り出して 海を懐かしむ打ち上げられた鯨の耳
前庭で砂が踊る日に ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1976.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 25
作成日時 2019-07-18
コメント日時 2019-07-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 25 | 25 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 5 | 5 |
総合 | 25 | 25 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
前庭に鯨が打ち上げられる、というシュールな印象のする描写からより一層遊び心の多彩な面白味のある描写に移っていく。個人的には書き慣れた詩人さんの書く小品という感覚も持ちました。その中でぐわぁんぐわぁんなどの擬音が僕としてはとても効果を発揮しているなと思いました。
0おはようございます。最後の二行は懐かしむのも(貝殻でなく)鯨の耳だけにメランコリックな感じより、時間的にもずっと遠く、空間的に広範囲にまで及んでいるように感じます。《ベランダから//身を乗り出して》とのギャップがよいですね。 鯨の正体が未だに判明していないのですが、いろいろ見てみたらザトウクジラは知っていましたが、セミクジラというのがいたのですね。ひげクジラ、歯クジラなんてのもありました。知らなかった。ついでに前庭器官や耳石もあって聴覚、平衡感覚に関係しているのだとか。耳石はヒトの場合聴砂と呼ぶそうで。 私はなんとなくあのテレビの砂嵐みたいな音とか耳を机に当てた時にきこえる血液の音(ゴーという)や、耳鳴りのようなものを思い浮かべていたのですが、なんだかわからないけど鯨みたいななにかしらが平衡感覚に関わるところに打ち上げられたらグワングワンもするだろうて、と思ったのでした。これはまたはげしい眩暈だろうと。 聴砂を蝶や黄砂に見立てて、遠方を望ませるというのも良いなあと感じました。 調べなかったら、ここまで読むこともできたかどうか。言葉を知ることの面白さを再確認できた作品でもありますが、それは調査というほどではありません。
0stereotype2085 様 自分としてはあまり書かないタイプの作品なのですが、こういうシュールなのは結構好きです。かなり発想が先行した作品ですがなかなか面白く仕上がったのではないかと。擬音てなかなか難しいですよね。詩句のイメージと合わすか、思い切って外してフックのようにするか。 コメントありがとうございます。
0藤 一紀 様 なるほど、調査、というほどではなかったが調べて読んで頂いた訳ですね 笑 耳石や聴砂、タイトルを目眩としていたら解り易かったかもしれないですね。鯨は、鯨は何で出てきたんでしょうか。自分でも解らない、ところがあります。シュルレアリスムなんてのはこういうものなんですかね。実験作でもあったので、楽しんで読んでいただき嬉しく思います。ありがとうございます。
0初読では、正直いうと 全く ピンときませんでした。激しく誤読をしたんです。どんな誤読かというと、海辺に邸宅があって庭の前の部分に鯨がうちあげられて、さあたいへん。どしょうがでてきてこんにちは。……ならぬ、蝶蝶が砂のように舞い上がり、さあたいへん。泳ぐ魚もでてきて、こんにちはをするのかあ!と、いうような誤読です。 ですが、「聴砂」も「耳石」も同じ働きをするモノなんですね。前庭も耳の器官をしめしているんですね。学生時代には知ってたはずですが、まるで忘れていました。勉強になりましたので、拙詩を 書かせていただきました。 【カタツムリは語る】byるるりら 巨大なカタツムリがある 殻の内側は、海である 塩水で満たされた母なる海である 海には 鯨が住んでいたが ある日、一頭の鯨が 浜に打ち上げられてしまった 悲しい声で 鯨が鳴いている 海は 激しく搔き乱れ 飛沫が叫ぶ 海が鯨に 言いたいことがあるのだ 「帰っておいで 丘に行ってはいけないよ」 そして、 叱りつけるように荒れ狂う 「眩暈がするほど悲しいよ」 「おまえは海を忘れようとしては ダメなんだよ」 海は嘆く 鯨が泣いているから海も嘆く カタツムリが海だなんて、なんの話をしてるかって? 君の耳の中の物語さ 生気のない乾いた顔をしてる君の 物語さ わたしたちは、両の耳に ひとつづつ ふたつの海をもっている 耳をすませば 海の歌が聞こえるだろう 鯨の声だって たまに きこえるもんさ 海は たまに 時化る。 海は たまに とおい。でも ちかい。 かなしいときは しずかに 水平線を想うと いい。 わたしたちは、うみだ だから きっと 大いなるものを生み出せるにちがいないのさ わたしたちは、ふたつの海をもっているせいなのか なにかと比べずにはいられない けれど きっとそれだって 海へと続く道を知るために ふたつの海をもっているのさ ともだちが鯨の耳石をもっているそうだ だけど それは、片方の耳石だけなんだってさ まるで シンデレラの靴のようで 心臓が波打つ
0るるりら 様 やはり解りにくい作品ですね。タイトルに一考の余地が。 返詩、嬉しいです!何時もながらコメントで終わらせるのはもったいない……。 なんとなく子どもたちに読み聞かせ出来そうな、メルヘンを感じます。蝸牛?、耳と言えばそっちが思い浮かびますね。海、鯨、と意味が気持ちよく響いていいなぁ。ありがとうございます。
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