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雪と夜が泥む
昼に冷たい雪のかけらが白く無際限に降っていた 夜には闇の破片が降っている 心臓は脈打ち 目はキリンのようにつぶらだ 肌に冷たい 瞼を閉じても心は開いたまま 大きい八人家族のような温かい心だ 雪の粒同士のような孤独は消えた 一筋の紛れもない生命の姿がある もう一度元に戻すのだ 身体と心に絡みつく固まった蜘蛛の巣を破れ 絡みついて見えないこの世界の全てのありさまをひとつづつ得るのだ 私は分断されてはなくなる 未来を隠すベールを少しずつはぐ 心に泥んだ雪と夜だから消えては惜しいけど 勇気のなさを踏み越えて
雪と夜が泥む ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2690.3
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 19
作成日時 2020-02-19
コメント日時 2020-03-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 7 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 4 | 0 |
総合ポイント | 19 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.8 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1.3 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.8 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合 | 4.8 | 1.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
降りしきる 雪夜の中で 破れ出で (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668
0羽田恭さん 五七五のコメントを、ありがとうございます。 雪と夜の景色を、美しく言葉にしていただき、私の詩にも、美しく添えてくださったような気持になり ました。破れ出でるという言葉で、確かな方向を、思い起こさせてもらえました。感謝です。
0>一筋の紛れもない生命の姿がある 心打たれる詩でした。この一行が全体の支点でありながら他の詩句と互いに支えあっていると感じます。言葉にうまく出来ない、ですが素晴らしいです。考えがまとまるようであればまたコメントさせて頂きます。
0こんにちは。 読んでいると短い文章の中に読み手が拾わなければならない語句が多く散らばっていて、伝えたい、云いたいことが散在しているように感じます。 もっと削ってよい部分がある気がします。
0生命は、考えたいところなのです。熱かったり、ほっとしたりと、様々に思えます。 詩句の形にすることで、言葉にも現実にも、敬意を示すことが、出来るものだと思います。 忘れないでいたい、理解をしたいということです。 とりあえずのところを、お伝えくださり、ありがとうございます。
0こんにちは。 伝えたい、云いたいことが散在しているということ、僕の詩で、ずっと、また特に最近、 考えていたところでした。 しっかりとした構想の上に、あるいは、言いたいことをはっきりとさせて、 書いていくのが、良いのだろうと、思います。 削って完成できるなら、その方がいいのだと思います。 指摘していただき、考えることができました。ありがとうございます。
0>肌に冷たい 肌は、でしょうか。 >ひとつづつ 「ひとつずつ」ではないだろうか、と。 えらく大仰な比喩が用いられていますが、逆にそれが内容をぼかしてしまっているように感じます。何か伝えたいものがあるのであれば、ある程度それに直結した比喩が欲しい気がしました。
0「雪が肌に冷たい」と書いた方が良かったですね。 「ずつ」と「づつ」は大目に見れば両方OKなのですが、この詩では統一されていないので、 問題がありますね。 確かに大仰な比喩だと思います。スマートに伝えるべきことを伝えるために、適切な比喩を、 探って書いていきたいと思います。 良いアドバイスをいただき、ありがとうございました。
0すみません、ずつ、もづつ、もどちらでも正解だったのですね。申し訳ございません。
0黒髪さんは才能と努力の両輪で、一定のクオリティを保った作品を投稿し続けている。ではこの作品はどうだろう。文体、詩の流れが一言で言うなら強張っている。詩の実力を自分自身確信していながら「恐れ」を感じる。 それを克服した時、黒髪さんの作品は大きな飛躍を見せるだろうと思う。 蛇足だが蒼天の拳で「お前には怯えた獣の匂いがする」というセリフがあるのだが、黒髪さんにも怯えが見え隠れする。怯えを乗り越えた時、大化けするだろうと思う。
0恐れは常に感じています。他人への恐れや自分への恐れは、建設的なものではありません。 周りに対して、悪い雰囲気を伝え、作り出すものです。詩を書いて、それを発表するのであれば、 何らかの建設的な寄与こそを、安心の上に、作り出さねばなりません。活動の公共的な面を 見るならば、それは、私的な側面であるにしろ何にしろ、自らを省みたうえで、自分が望まないことを、 していてはいけないと思うのです。だから、怯えを、いつまでもしていては、良いことはなくなって しまいます。だから、強張った言葉を、解放するのが正しいと思います。正しく拳を伝承する ためには、自らの力を、持ち直さなければならないでしょう。そうしたうえで、自らに 終始するだけの詩を超えて、自らの力を、意味あるものとしてぶつける活動、それが 詩プラットフォームであると、僕は思うので、それを正しく実現したいと思うのです。 コメントをありがとうございます。 口もとから花や宝石がこぼれるような、人間になるような気持でいたい、というのが、 夢見る所ではあります。
0瞼とじ 彩生(いろどりしょう)ずは 我のみぞ (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。雪の中に身を置いた気分で書いてみました。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668
0彩は、面白いですね。そんなことを思ったことも、余りありませんでした。 白黒の景色に全て変換してしまうかのようなことは、本を読んだりしていると、 そういう世界だったと気づきます。だから、彩は、大切にしたいです。 ありがとうございました。
0黒髪さんの詩が、とても好きです。 好きとしか言葉にできない自分が悲しいです、、。
0コメントをありがとうございます。 僕の詩を好きであると言ってもらえて、嬉しいです。詩を好きになること、その人に、悪いことだけが あるはずはない、と思います。好きでないということの、 意味というものも、もちろんあるわけですが、僕が僕自身の詩を好きであると思ってみたら、 と提案されている気持ちにもなります。言葉と人、そしてそれを含んでいる大きな世界を、 もっと好きになれたら、という気持ちがします。
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