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行く年くる年
さだめなき世に 年古りて なにひとつ 新しくもない 年がまたくる 十二月 三十一日 午後十一時 五十九分 五十と 五秒 冬の雨が 雪にかはり 廃屋の時計が 目をさます ひとびとは美しい笑顔で 挨拶をかはし 除夜の鐘が遠ざかり 星がひとつ消える 行く年 くる年 どこへゆく そつちには なにもないぞ なにもなくても 止まりやすまいが 俺ももう お前さんを止める気は さらさらない のだが 年越し蕎麦の 残りづゆを啜つて 猫にあいさつ ――今年もよろしく と
行く年くる年 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1817.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 17
作成日時 2020-01-01
コメント日時 2020-01-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 5 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 7 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 5 | 0 |
総合ポイント | 17 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.5 | 2.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3.5 | 3.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2.5 | 2.5 |
総合 | 8.5 | 8.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ものすごく久し振りに詩が書けたので、人前に晒してみました。
0>なにひとつ >新しくもない >年がまたくる 新しい年だが、何一つ新しくない とても共感できます。
0なにひとつ新しくない年がはじまることに何の感慨もないのだけど除夜の鐘は聴こえるし年越し蕎麦は食べるんですよね。「今年もよろしくお願いします。」とはじめて心から思いました。あけましておめでとうございます。
0せいろん様、ご高覧有難うございます。 こういう達観したようなことを言うのを若い頃は嫌悪していましたが、年を取ってみると、これは達観でも何でもなくどうしようもない実感なのです。 Sunano Radio様、ご高覧有難うございます。あけましておめでとうございます。 今年もよろしくというのは不思議な言葉で、誰に言っているのか何をよろしくなのかちっとも分らないし、祈りなのか願いなのか何もはっきりしないのですが、これを口にするとともあれ物事が丸く収まり、何の期待も楽しみもなくても(あるいは不安しかなくても)また一年生きましょうという気分になれます。というわけで、私からも、今年もよろしくお願いします。
0なんでしょう、めっちゃいいです。 年越しに蕎麦をすすりながらゆく年くる年を見るのが好きなのですが、あの放送のなんとも言い難い重厚な面持ちを再現されているように思えます。 > さだめなき世に >年古りて この書き出しが魅力的に感じます。 中盤から出てくる「お前さん」が何者なのか若干悩みどころですが、「お前さん」なんて呼び方をするのは夫婦以外無いだろうな、とも。 夫ならば「お前」に「さん」は付けないだろうなとも思いますが、語り口調から男性なのかも、とも。 なんか全然まとまってない感じのコメントになってしまいましたが、ひとまず送信します。
0ふじりゅう様、ご高覧並びに凡庸な一筆書きに過分なお言葉有難うございます。 紅白が終わって午前0時を迎えるまでの静かで濃密な時間の感覚が、私も昔から好きです。あれには独特のもののあはれがありますね。 「お前さん」はこの作品の肝(こんな凡作にも肝はあるのです)なので、作者コメントは控えます。そこを読者にわかりやすく導く技が足りなかったのは、老化と元々の才能の乏しさゆえです(笑)
0おくればせながら あけましておめでとうございます。 私の年越しは、蕎麦をたべなかったあたりが 新しかったです。 この詩を拝読すると、以前は、なにかを止めておられたが 今は あるがままなのだ。というあたりが なにかを悟った僧のような風格のたたずまいだなあと感じました。 猫ちゃんがかわいいです。猫のような人に 私はなりたいです。 ことしも よろしくお願いします。 るるりら拝
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