鐘は
明くる日に鳴る、
尊厳が、燃え爛れた日、
赤く沈む、
夕を埋めた
歴史と、
一面の焼跡の許に産まれた、
名も無い、手という手は
ケロイドの空へ
翳され、
掴もうと延ばされた
あらゆる、
人の容
皆異なる、ゆめを風へと託つ
それを命運などと、かたづけるな
煤の雨、或は
罅割れた、モルタルの壁に
焼き付いては、
日常は
醜いだろうか
忙殺と、喧噪の、
戻ることなき雑踏を差す、町
いつか焦土となる、
それでも
抒情は平和の上に
降り積もる
群衆
としての営みを、
ささやかな祷りの様に、
その日
少年は
夏蝶を、
虫取り網から逃して
広野の向う、棲家の有る町へ
噴き上がる、灰色の雲を見た
白い、紙を燃やしたかのような
燃え滓が降って来て
帰るべき時、所を喪った
受話器の、妹の声は再び帰っては来なかった
誰もが当たり前だと思っていた、明日を集めて
綴じた、一人一人、誰しらずとも名前のある、営みのあとを遺した画帖を、
受話器の此方、或る兄妹の死は、象徴とされ
骨の砂は、荘厳にも、戦没者慰霊碑へと纏めて国葬をされる
安寧、被昇天、冥福
など、その綺麗事に、あの日の焼けた町を、
私たちは直ぐに忘れてしまうから
歴史
その忘却に
死水を汲む、
燃え爛れて夕は泛ぶ、
かばねをさがして
海鳴りの哀しみは
今日も燃え落ちた、夕は、ただ、ただ濡ちて
深くより、呼べば帰れるか
青々と葉は茂り、理由も無く花は去っても
夏蝶の、忘られぬ
翅は、現に番う
刺繍の縦糸へ
綾を象るわたしたちが、
繋ぐべきこと
繋ぐべきではないこと
それはあさまだきに霞みもやらず
打つ
鐘の音
かえらない
ふたつの喉で
作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 2705.5
お気に入り数: 3
投票数 : 3
ポイント数 : 4
作成日時 2022-03-01
コメント日時 2022-03-09
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 4 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
閲覧指数:2705.5
2024/11/21 18時00分06秒現在
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この詩、相当にいい詩なのではなかろうか。一読して気づくのは、鷹枕可さんのこれまでの作品と比べて、明らかに可読性、読みやすさに優れているという所。鷹枕可さんの作品は、総じて自身の芸を極めるための絶対非妥協の装いを持っている、と僕個人は認識しているが、この詩が分かりやすく、読みやすい体裁を取っているのは、この詩のモチーフへ向けた筆者様の、ある種の誠実さと敬虔さが理由だろう。モチーフとして想起されるものは、この緊急時絞られてはくるけれど、僕が間違っている可能性もあるし、正解だったとしても僕はそのことについては何も言及しない。鷹枕可さんが読み手のもとへ「降りてくる」決め手となった敬虔さこそ、この詩を名作たらしめたと思う。読み込めばもっと良さが、あるいは違った角度での欠如にも気づいたかもしれない。しかし現時点で書けるのはここまでということ。ご容赦願いたい。
0閲覧を賜りまして、心より、在り難く存じます。 所詮実体験ではないと言われましたならば、その通りなのでございますが。 われわれから、われわれより若く、幼い世代へと、戦争と謂うものの実際を、孰れの様にことづてとして遺し得るか。その結果と、過程の只中に有りまして、本作は、甚く難産でございました。 而して今、そしてもう一日、あと一日へ。溢れ出る凡ゆる災禍の中にも、唯一つ遺された希望として伝えなければならない、記憶が在りますならば。かの年、かの日の現実を、と思い乍ら、 記述させて頂きました次第でございます。 叙情、叙事とは、斯くも難航を窮めるものかと。悩み抜きつつ、悩み已まない侭で、居ります。 なぜ、人は人を殺め、略奪されれば略奪の応酬を是とするのか。凡そ答えなき問いを、直視しつつ。
1>それを命運などと、かたづけるな 理解しがたい不幸を経験する時、運命だと割り切ろうとする。たしかに不条理な事柄にはそれを不条理なままに受け入れざる得ない現実はある。しかし、誰かが誰かの命令で誰かを殺すということは不条理でも運命でもないということ。それをよく表現されている。
1ご批評を賜り、心より嬉しく存じます。 何時も、自身でも明文化の覚束無い、記述の必然性、意図を。巧みに洞察をして下さり、その観察-読解力の鋭さを。尊敬をさせて頂いて居ります。
0詩において、言葉は嘆きの為に使われるのであろうか? 「詩人にとって、言葉は凶器になることも出来る。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。」 とは寺山修司の言葉である。 彼がどのようなつもりでそのように思ったのかは知らないが、 単に人の心を深く掴む”様な”という比喩的な意味で語ったのであれば、そのような言葉にはやはり私は興味がない。 詩において、言葉は正しく「物質的」であるべきだと私は思う。 詩的操作によって、言葉は”鉄のナイフ”となり、”鉛の銃弾”となり得る。 そのような感覚が、もしかしたらあなたになら伝わるのかもしれないと思ってコメントをさせていただいた。 正直に言えば消去法的に、他にはコメントに値する作品が見つからなかった。 話を戻すが、だとすれば、詩を書く者に、嘆きや同情の暇はあるのだろうか? 言葉の詩的役割とは、悲惨さを描き、人々の”心情”に語り掛けるものではない。 それは兵士の持つナイフや銃と並んで、実質的な物質として相手に”肉体”を打ち砕く物となるはずだ。 あなたには伝わるか? 伝われなければ結構。 変人の寝言だとでも思って聞き流してくれ給え。
0とても興味深い問いを賜り、嬉しく存じます。 藝術は、兵器なのか。 例えば、ラヴェルの「ボレロ」は武器足りうるのか。 私は、彼の穏やかな抒情が好きでございます。彼の音楽の底流には、繊細で情感に溢れた格調が流れている、と、私には感ぜられます。余り、武器には向いてはいない、と言えるでしょう。 では、ペンデレツキの音楽は如何でしょうか、私には、彼の激甚な憤懣や恐怖が感ぜられ、その音楽もとても好みでございます。主観ではございますが、彼の音楽は武器足り得る、とも感ぜられます。 詩、創作の話に戻しましょう。 われわれには、揺るがせない、生来の傾向というものがございます。 情緒に優しく訴える、様な、つまり共感の方向へ向ってしか創作を成立し得ない方もいらっしゃれば、 私の様に。暗く蟠った情念を、コールタールとして塗り潰す、方法しか、創作として成立させ得ない方も、いらっしゃいます。 そして、その両方を意識的に使役、駆使し得る、方も居られます。 私事で恐縮ではございますが、私は、幾つかの投稿サイトにて、事実上の出入禁止を言い渡されて居ります。 原因は、自身の創作態度にございまして、簡潔に申して仕舞いますなら、「緩やか且つ、生温い共感等を、藝術とは認めない」と言う、創作への意志、批判姿勢が仇となり、 著しく。集団の調和を乱す者として、事実上の追放を必定、決定されました次第でございます。 その様な経緯を。実体験として抱える者の発言として傾聴して頂きたいのでございますが。 理想としての藝術を追求すれば孤独となる、而してその経験経緯に則れば、孤独は自分自身を以て唯一の武器たらしめる事をも翻って証明している、とも言い得るものとも、存じます。 個々人の差異こそあれ、斯様な原則に基づき導出し得る結論と致しましては。 絶対的なる孤独、苦々しき特異点である事に由って、人は。精神と謂う、実在の虚構の畔に、一つの重力と斥力を具有し、想像という揚力さえも復、その諸腕に孕み得る、と謂った処でございましょうか。 理解も共感も頂く事は叶わないでしょうが、表現とは。形而上に於ける、或る固有の意義への殺害、暴力である、と、私は考えて居りますことも、附け加えさせて頂きます。 勿論、穏やかな、夢と戯る様な、もの淋しさをも掴みたくも存じますが。
1>「緩やか且つ、生温い共感等を、藝術とは認めない」と言う、創作への意志、批判姿勢が仇となり、 >著しく。集団の調和を乱す者として、事実上の追放を必定、決定されました次第でございます。 それだけが重要だ。右も左も、上も下も関係ない。必要なのはエネルギーのみ。 そのような人間を探している。 そのような人間を集める場所が必要だ。 反発する人間同士を衝突させれば、そこでは核融合反応によって莫大なエネルギーが生じる。 或いは同じ波長の人間同士が居合わせれば、そこでのエネルギーは共鳴によって増幅する。 基本的な物理学だ。 あなたのような人間は他に見たことはないか?居場所を知っているか? あなたの好き嫌いは別として、理想の芸術を追求して孤立した人間を。
0そうですね。私の知る限りに於きましては。 彼等の肩書は自称リベラリストであり、悪の枢軸であり、カルト教祖であり、ポピュリストであり、 合衆国アメリカの歴代大統領であり、凍死したホームレス生活者の襤褸襤褸の革靴であり。 そのやんごとなき御尊顔は屡々、天国や刑務所、精神病院に在らせられます。それらを指して人は絶滅収容所「地球」と呼びます。
0いつもより読みやすかったです。
0ありがとうございます。 深尾様も、異なる立場に於いて、表現と奮闘していらっしゃられる様に、覗えます。 一緒に、頑張りましょう。
0おはようございます。 わたしは、広島在住で 広島で教育を受けて育った者です。教育においても 生活をしていても 被爆者の方のお話を聞く機会が、ほかの地域の方よりも 多い地域に住んでいます。 >一面の焼跡の許に産まれた、 >名も無い、手という手は >ケロイドの空へ >翳され、 >掴もうと延ばされた >あらゆる、 >人の容 >皆異なる、ゆめを風へと託つ ↑この詩表現で示しておられることを 私は実体験をお持ちの方の様々な方々のお話で聞いてきました。 >受話器の此方、或る兄妹の死は、象徴とされ >骨の砂は、荘厳にも、戦没者慰霊碑へと纏めて国葬をされる ↑この詩表現を拝読して、私の親友の話を思いました。その子は、現在では平和公園敷地内となった場所に 自分の家があった子です。すべてのモノが焼き尽くされた後に、人々は自力で家を建てましたが、それらは撤去され、綺麗に更地となった後に、平和の象徴である公園をつくるために すべてが 取り壊されて、慰霊のための緑の公園や たくさんの碑がおかれました。 どの碑や平和を促すためのどの建物の周りにも、焦土になった前と後の どちらにも ほんとうは人々の家屋がありました。 そのすべてが漂白されて、緑が植えられ、想起すれば身がすくむようなことは想起しないようにして、世界の人々に考えてもらいやすいように立派で綺麗なモノがおかれています。しかし、 そして、今は。かつてないほどの大きな声で、核の恐怖をもって 人々は脅されています。 >いつか焦土となる わたしは、広島で育つにあたって 次に 戦争で核が使用されるとしたら、そのときは地球がないだろうと 言われて育ちました。 わたしは、戦争で核が使用されないことを 祈らずにはいられません。
1ご講評、及び、とても貴重、な実体験のことづてをご教授賜り、嬉しく、否、名状し難い感情の込み上げる様な、心地が、致します。 私も、「核の冬」を教育に拠って、伝えられた世代の者でございます。 広島平和記念資料館には、修学旅行の折、足を運ばせて頂きました。 凡その同級生は、大袈裟な見世物とでも思ったのでしょう、笑いながら。其処を通り抜けてゆきましたが。 展示物、熔解した懐中時計や、襤褸襤褸の軍服、火傷、或は黒焦げの。多くの、亡骸や、生存者の方々の記録写真を目にするにつけ、何故かしら、涙が止まらなくなって仕舞い、 同級生達に甚く笑われました事を、今も鮮明に覚えております。 所詮、実際の体験を経てもいない、様な者が。広島、長崎を思わしめる作物を、果して書いても良いものであろうか。 逡巡しながらも、恐らくは偶発的に。作品と呼び得るものを仕立て拵えることの叶いましたものが、今作であると、存じます。 これは、 私と謂う作者ではなく、 亡くなられた、或は被曝しながらも生き延びられた、全ての、失われた生活と、その方々の遣る方なき、思いの丈を、写し取りたく、認めさせて頂きました、無銘の作品であると、 思っております。 稍、話は逸れますが、私の父方の祖父、祖母は、満州からの引き揚げの体験を、致しております。 祖母は、三人の幼い子供を喪い、祖父は、ソビエトに捕虜として連行され、抑留地の極寒を生き凌いで帰還を赦されました。 自宅には、今もその、三人の子供の戒名を記した、位牌がございます。 何処まで追求しようとも、当事者ではない、自身の言葉を、作品足らしめる事に附きまして、今でも足りないことばかりと、存じますが。 被曝経験の、語り部を為されてあられた方々の、物語に由ります、夥大な影響にも助けられまして、漸く作品の姿と成りました事も、付記致したく、存じます。 綺麗事ではなく。再び、核兵器や、大量殺戮兵器の使役される事の無き様に、と。私も復、願い已みません。 声を上げ、伝えて下さりまして、允に、ありがとうございました。 願わくば、これからの広島、長崎と。私達にも、真清水るる様にも。その先へと語り継がれて行く、未来が等しく在る様に。切に望みつつ、筆を一度、置かせて頂きます。
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