わたしは雨の隣にいる
湿った雲に覆われた街から
とおい親戚などを気にかけてみる
隣というとてもとおい場所にしか
わたしの相槌は届かないようだ
友と連れ立って歩く
彼方へつづくと思われた道も
彼方までという決まりごとだった
もう一度だけ名前を逆さまに呼ばれたい
歯痒い響きにわたしは
何度も立ち止まる
友よ、もう呼んでくれるな
わたしは歩くことで
遁れようとしているのかもしれない
友の影から また、回想される記憶から
街の駅まで
連れ立って歩いたこと
わたしの隣には誰もいない
彼方までつづく友の影は
足元から伸びるわたし自身の影
湿った雲から雨が降る
空へひらいた傘のなかでわたしは
しんでしまった生き物のように冷たく
傘を打つ雨音へ澄まされる耳
隣にいるはずの友へ手渡される手紙
わたしはどうしようもなく相槌をうつ
うん、そうだね、なるほど、そうだったんだ。
わたしが思い詰めるほど
彼方までの道は決まりごとを破る
隣というとてもとおい場所へ
わたしの影は伸びている
そこに友はいないけれど
傘で遮れた視線の先に
わたしの一歩前を歩く友の足がある
彼方へつづく道
わたしは雨の隣にいる
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 1376.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
作成日時 2020-03-28
コメント日時 2020-03-30
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0.5 | 0.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1.5 | 1.5 |
閲覧指数:1376.0
2024/11/21 22時57分55秒現在
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最初の一行目から、引きつけられました。今日、私の街は雨です。
0好きなんです。こういうタイトル、表現。特に隣というとおい場所にしか私の「相槌」は届かないという描き方が。筆者様もそれを意識しているのか「相槌」が軸になっているように感じました。所々読んでいて気が逸れる部分がありましたが、全体として非常に品良く仕上がっていたと思います。
0コメントありがとうございます こちらは明日、雨の予報です。
0コメントありがとうございます 「相槌」を意識してみました。 精進します。
0おはようございます。この詩文を拝読して、私は 高村光太郎の「道程」を思い出しました。 それは、なぜだろう? >わたしは雨の隣にいる そして >隣というとてもとおい場所にしか >わたしの相槌は届かないようだ しかも >友と連れ立って歩く この冒頭の箇所で、雨は友であり 友は雨であり わたしには、この詩の相槌は雨のようにも思えたので 大自然に抱かれているような慈雨と言っても良いような遥かなものと一体化したかのような気がしました。 だから私は、昔に学校で習った高村光太郎の「道程」を思い出したのかもしれません。 たしか教科書には 短文の作品しか掲載されていませんでしたが、プリントで渡された「道程」の詩は長文詩でした。その超文詩を思い出しました。 おかげさまで、詩の隣という とてもとおい場所が いとおしくなりました。ありがとうございます。
0何か曰く言い難い良さを感じました。とおい親戚、わたしの隣には誰もいない、わたしはどうしようもなく相槌をうつなど印象的なフレーズが有り、「わたしが思い詰めるほど/彼方までの道は決まりごとを破る」の二行は決定的にいいと思いました。
0コメントありがとうございます。 詩の隣 いいですね いつも詩に傾いていたいです
0コメントありがとうございます。 褒めていただきありがとうございます。 精進します。
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