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室内
低気圧が近付いてゐる午後。 少年が鉛筆を削つてゐる。 室内に、新しい芯の匂ひが満ちる。 「隆、下りてらつしやい」 と、羊羹を切り終へた母の声が階下から聞こえる。 隆が階段を下りて行く音が段々と遠くなる。 亡くなつた姉が部屋の奥から出てきて、机に無造作に置かれた隆のランドセルを開け、物差しを引つ張り出して二、三度、刀を振るやうに物差しを上下させてから、物差しを机の上に置き、かへつて行つた。 芯の匂ひが、室内にうつすらと残つてゐる。
室内 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1632.1
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 30
作成日時 2019-03-05
コメント日時 2019-03-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 11 | 11 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 6 | 6 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 6 | 6 |
総合ポイント | 30 | 30 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.8 | 1 |
前衛性 | 0.2 | 0 |
可読性 | 1 | 0.5 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0.2 | 0 |
構成 | 1 | 0.5 |
総合 | 5 | 3.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
二カ月ぶりに作品がかけたので人前に曝してみることにしました。 出来栄えを云々するレベルにはありませんので、忌憚なきご批評を頂けると有難いです。
0作者名を読まずに一行目から 読んで、嗚呼 良いなあと 思っていたら石村さんでした。全体の詩文への感想としては、絶句でした。 わたしは 弟を亡くしている ひとりの姉なのですが……。 弟の名前が たまたま「隆」なのですわ。絶句は、しょうがないです。いたこだと感じてしまったら感想なんてかけません。でも、わたしだけは この詩を忘れないことでしょう。
0あ、イシムラさん発見。こんばんは。 「詩と散文詩と小説の違いが分からない」のですが、ショート・ストーリー風でなんかいいなあ、と思いました。これだけ短い中で情景や登場人物の背景を思い浮かべることが出来るのは、情報が圧縮されているからだろうか、とか。詩は情報を究極まで圧縮して、小説はわりと全体的にさらさらしているのかな、なんて考えさせられました。 イシムラさんの作品は、ロマンチックに見えて意外とホラーな要素がありますよね。 削りたての鉛筆のにおいが香ってくるようです。 小さいころ、いろいろ不思議なことがありました。このようなことが私にもあったのかなと、ふと、懐かしいように思います。
0るる姐さん 何で「隆」なのか、自分でも全然わからないのですが、お母さんがそう呼んでいるのが「隆」という文字込みで聞こえたので、そう書いただけなのです。 この作品世界では弟が生きていて、姉さんがあちらにいますが、視点を変えれば姉さんがこっちにいて、あっちにいる隆に会いに行ったのかもしれません。 勝手に妄想が膨らみ、るる姐さんが室内で物差しを振り下ろしているイメージが脳裏を離れません。どういうわけか、非常にしっくりと来るイメージです。
0修子さん、発見されました。こんにちは。 ご感想有難うございます。小生の作品にコメント貰ったのは随分久しぶりのような気がしますので、嬉しかったです。 「ふしぎなこと」は、我々が日々気付かない振りをしているだけで、いつでも起きていると思います。 そういうものを詩で突き付けるのが好きです。人生は書割一枚剥がせば底知れぬホラーですから(笑)
0ishimuratoshi58 さん、初めまして。こんにちは。 静かでいい詩ですね。 >人生は書割一枚剥がせば底知れぬホラーですから(笑) 僕も全くその通りだと思います。 書割一枚でかろうじて成り立っているのが「この世のかたち」というものですが、ときには書割に隠された部分を覗いて帰ってくる冒険が必要なのですね。 いい詩ですから、遠慮なく気になった点をいくつか。 >物差しを上下させてから、物差しを机の上に置き、 「物差し」は1回でよくないですか? >芯の匂ひが、室内にうつすらと残つてゐる。 「うつすらと」という散文的な定型が全体の美質を損なっていると思います。 それから、作者のコメントは現代仮名遣いですから、作品をあえて歴史的仮名遣いにするのはあざといかな、と思いました。でも、この詩の歴史的仮名遣いは正確なものでした(上から目線のようですが、よくみる不正確な仮名遣いには引っかかりを感じていましたので)。
0右肩ヒサシ様、ご高覧並びに懇切な批評を有難うございます。 また、精確なご指摘を頂いたことにも感謝致します。 >「物差し」は1回でよくないですか? 仰る通りです。投稿後に気付き、手稿は既に修正しました。 >「うつすらと」という散文的な定型が全体の美質を損なっている これも全くその通り。拙いの一言です。 省ければよいのでしょうが、「うつすらと」がないと作品の完結感がない。ではその言葉の代わりに何を置こうかと考え始めれば詩が理屈に堕し、作品そのものが詩として死にます。この行よりもずっと前のどこかで、言葉の行く先の選び方を間違えていたのだと思います。推敲、書き直しは失敗作の上に死物を重ねるだけですから、これはこのまま失敗作として受け容れるのみです。 仮名遣いへのご感想について。そういう印象を持たれることは無理からぬことと思いますが、私にとってはコメントで現代仮名遣いを使う方が実は不自然で「あざとい」行為です。詳しくは、以前にも同様のご質問を受けてお答えしていますので、もしご関心があればそちらをご一読頂ければと思います。(拙作 https://www.breview.org/keijiban/?id=2783 のコメント欄に、該当する記述があります。)
0>低気圧が近付いてゐる午後。 少年が鉛筆を削つてゐる。 室内に、新しい芯の匂ひが満ちる。 この三行は説明でもなく事実の描写でもなく、書き手のイメージを言葉で世界をつくるように記されてみえます。ここにこれから起きることの予感を感じて、また最初に戻り読み返して次を読みました。 亡くなった姉があらわれ、その挙動がかかれますがそれが具体的に弟に何か影響を与えるようなことが書かれているわけではないのに、ぼくたちが認識していないだけで日常にはそんなことが起きている。芯の匂ひ、が細くでも確かにそれらを繋いでいると感じいりました。色々と書きましたが、詩がここにあると数日間、初めて読んでから悶々としながら、ようやく拙いですがコメントが書けました。
0帆場さん、コメント有難うございます。 私もよくやるんで自戒を籠めて言うのですが、読んだはじからペロペロっと書かれた感想や批評や解説というのは、褒め言葉であっても書き手にはあんまり嬉しいもんじゃないですよね。 一読して言葉にし難い何かを覚え、それでも何か言葉にせずにはいられず――という自問の末に書かれた感想を貰うというのは、書き手にとっては最高の栄誉でしょう。自分の作品が自分ではない誰かの人生の時間の中に間違いなく存在した、という証ですから。 今回はそのようなご感想を拙作に頂いたものと勝手に受け取らせて頂き(笑)重ねて感謝申し上げます。励みに致します。
0ishimuratoshi58さん、また失礼します。 リンク先、拝読致しました。あのようにきちんとした考えを持たれて書かれているのならば、皮肉でも何でもなく僕が申し上げるようなことはありません。歴史的仮名遣いそのもの成り立ちが非常に曖昧なこと。語義や文法が後付けの便法であること。にも関わらず、それらが動かしがたい正しさとして振る舞うことへの疑問は、僕も同じように感じています。 ただちょっと考えが違うところは、個人の着想やフィーリングがそれらへ同等に対置されうるかというと、それもなんだかなぁ、と思ってしまっている点です。言葉は借り物。自分の癖のついた刀を持って戦うより、そこらに落ちている棒きれや鉄パイプみたいな言葉をひっつかんで飛び出していく、そんなのが僕の好むスタイルのようです。 見当違いのことを申し上げているようなら、失礼しました。
0右肩さん、わざわざリンク先まできちんと目を通して下さり有難うございます。 文藝の世界はフリースタイル、フリールールの競技場。それぞれが己の信じるスタイルと磨き抜いた技で作品を世に問えばいいわけですから、お互いこれと決めた道を行きましょう。結果として面白い作品が出来上がれば、何だっていいんです(笑)
0蔀 県様、ご高覧並びに過分のお言葉、有難うございます。 こういうお言葉を頂戴すると天高く舞い上がってしまう単細胞なので、天高く舞い上がることにします(笑) 評価や選考の対象としてではなく、純粋に読むために読んで下さる方がいらっしゃるというのは何よりの励みになります。お言葉に重ねて感謝致します。
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