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それぞれに川は流れている
すべての川は流れている すべての故郷の川は流れている 耳を傾けるならその川の流れを 聴くことができるだろう 乾ききった風と砂しか入らない 窓からせせらぎが流れてくる 台所の床をひたしてあなたの こめかみに触れてひたひた 今日の夕飯は肉じゃがを作ろうか それともあなたが今、耳を傾けている その川からすくいあげる故郷を 皿に盛ってくれるだろうか もう帰ることのできない はずの故郷の川の中州の 茂みに潜んでいる沼狸は どんな瞳をしていたのか 深夜の排水パイプを流れる音 あれはぼくの故郷のせせらぎ
それぞれに川は流れている ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2936.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 34
作成日時 2020-02-09
コメント日時 2020-03-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 13 | 6 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 6 | 4 |
音韻 | 5 | 4 |
構成 | 7 | 4 |
総合ポイント | 34 | 18 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 0 |
音韻 | 0.8 | 0 |
構成 | 1.2 | 0.5 |
総合 | 5.7 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
思い出は 暗渠化されども 清く流る (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668 先日、スーパーマーケットの駐車場の側溝に ご年配の方々のひとだかりができていました。「なんですか?」と聞くと、その溝は どうやら小川に続いているらしくて「メダカがいるんだよ。で、とってるのさ」と言っておられました。かつて川だった部分が地下のパイプを通るようになっても、人の心の思い出という名前の川には、いきいきとした思い出が いつまでも棲んでいてくれると いいなあ。って、思いを 返詩として書かせていただきました。
0ps本作品では、排水とあるので下水を扱うべきところ 上水にしちゃいました。この詩の哀しみは 私にはうまく表現できませんでしたが、すてきだと思いました。
0るるりら様 人の心の思い出という川、まさにその通りだと思います。 故郷といえば室生犀星の有名な詩がありますね。 >ふるさとは遠きにありて思ふもの >そして悲しくうたふもの >よしや >うらぶれて異土の乞食となるとても >帰るところにあるまじや いま、コメントを書きながらこの詩文の変奏を書いてたのかもしれないと思いました。
0こんばんは。語り(の奥)に流れがあります。「あなた」を前に思う想いはやがて流れ、沼狸のいた中州の記憶も流れていきます。それらの流れがもう、ひとつの川で、または川であるかのような音楽のようです。
0何故川はなくなったのだろうというルーツを調べたりしながら読みました。人がたくさん住むようになって、生活排水の問題、埋め立てなければならない事情、様々ありますが、この詩を見ていると、川はなくなったわけではなく、私たちの近くで生きているのだということを感じました。 「ひたひた」という表現が、肉じゃがを作るときの水の分量の「ひたひた」にもかかっている気がして、好きです。 川だけでなく、時の流れ、人の流れ、耳を澄ましてみることで感じることができる。その音が聞けるのは自分次第なのだということを改めて気づかされました。
0藤 一紀 様 川という川の流れやせせらぎが聴こえたとしたら良かったです。
0つつみ 様 誰もが自分の中に川や平原、自由となる侵されない場所を持っていると思います。そこを豊かにするかしないかは自分次第なのかな。聴こえない音もそこにいるなら聴こえてくるもので、それが詩を書くことかもしれないし歌うことや踊ることかもしれない。表現が違うだけで。なんだか肉じゃが、が食べたくなってきました。
0私もひたひたの部分と、肉じゃがを煮るイメージの想起に、心地よさを覚えました。この作品に、言葉のノイズのような音が聴こえると思えました。体感する詩みたいです。
0良かったです。肉じゃがの話が出てくるのが、この詩が教科書的な詩になるのを回避させている。最後の排水パイプの締めも物悲しく良かったです。
0ミナト螢 様 体感する詩、と言うのはかなり嬉しいです。ひたひた、という言葉が肉じゃがの料理する様子や川の流れのイメージと上手く重ねられたようですね。
0stereotype2085 様 肉じゃが、好評ですねぇ。ありがとうございます。教科書的な詩、恐らくありふれたものという意味で使われていると思うのですがよくよく考えてみると曖昧な言葉ですね。奇抜さや拙さを独創性と言いたくない凡人たる僕としては、そのありふれたレベルに先ずは足をかけなければなりません。肉じゃが、でありふれたものでなくなったとすれば、その先にも進める足腰が出来てきたのでしょうかね。
1AB 様 リバー・ランズ・スルー・イット、を思い出しました。あれはいい映画でした。A River Runs Through It、と副題つけたらまたいい味が出たかもしれないですね。淀川のへりで酒を飲んだこともあったなぁ。この詩を読んで皆んなが思い浮かべる川の風景が様々にあることが何かひどく嬉しく思えてしまいます。
0二連目と三連目の生活感の直結した描写を視る視線が優しいもので良いなぁと思いました。 水質汚染が叫ばれなくなった今も、やはり失いつつあるものに対して人は気持ちを抱くものだなぁとも。 ノスタルジックに溢れた詩でありました。
0自分の中の思い出、自然、聖域。そういったものがよく表現されているなあと感じました。
0夜野 群青 様 そうですね。失いつつある、或いは帰ることのない場所へのノスタルジーはありますね。隔てられた距離が故郷をうむ。 kagerou 様 ありがとうございます。
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