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TO THE MOTHER LAND
髪を小ぎれいにカットした葛城は、待ち合わせ場所である都内の小さなカフェに現れた。その風貌はバンド時代の先鋭的なイメージとは程遠く、有能なビジネスパーソンを思わせた。金髪だった髪も黒色に戻した彼は穏やかな表情で、2002年から2007年というごく短い期間に活動した、自らのバンド「BOY'S MIND IN THE SYMPHONY」を振り返る。 「僕らは野心的なバンドだったけど、決して野蛮ではなかった。それは『LOVE CALL』にも象徴されていたはずだ」 彼はバンドで唯一チャートの一位を獲得した、5thシングル「LOVE CALL」を引き合いに出し、彼らの立ち位置を明らかにする。「LOVE CALL」では男女間のピュアな恋愛が歌われ、そこには葛城の言う通り野蛮さはない。彼らの転機となったのは楽曲そのものではなく、ひとえに外野での騒動にあった。それはメンバーの一人、ドラマーの實吉充が傷害事件を起こしたことに始まる。實吉逮捕により一斉にバンド叩きが行われる中、ヴォ―カルの葛城は弁明もせず謝罪もせず、徹底して無関心を貫いた。そのことでバンドへの不信感が高まり、葛城は事務所とも衝突することとなる。 「充が捕まった時、僕を奇人扱いしたり、卑怯者扱いする人がたくさんいたけど、僕は無関心を通した。僕に出来るのは良い音楽を作ること。それだけだったからね」 だが、そんな葛城の姿勢が災いし、事務所は音源の配信停止や、バンドの無期限活動停止などを提案する。テレビ等のマスメディアとの接触もなく、ネット上でも自己発信をしない葛城に、ついにはファンも業を煮やす。ファンの間で葛城の表舞台での説明を求める署名活動が行われたのだ。 「裏切られた? それはない。ファンの心理はもっともなものだったから。その頃には僕はベースの片桐ともバンドのスタンスでもめていた。それで僕はアイデアを一つ事務所に出したんだ。あと一枚アルバムを作って解散させてくれってね」 行き先を決めたあとの葛城の行動は早かった。メディア。特にSNSを使って、これまでの「ぞんざい」と形容された態度に謝意を表し、アルバムの制作に取り掛かることへの許しを求めたのだ。結果事務所と世間、そしてファンは實吉脱退後の彼らを歓待することとなる。 だがラストアルバム「終演」は、沈痛で重々しいサウンドがベースになり、かつて「LOVE CALL」と歌ったバンドの軽快さは失われていた。さらにアルバム終盤を飾る「TO THE MOTHERLAND」は、一部のファンからは落胆でもって迎えられる。ここにその歌詞を掲載するのは決して間違いではないだろう。 「TO THE MOTHER LAND」 宴のあと。 あの眩しいホールの光も消えていく。 旅人はそれぞれの鞄を手にして、消失行きの列車に乗りこんだ。 僕らは見届けるだけ。みんなが離れて行って、僕らのどんな悪口を言うかを。 好みの女性はそれはいた。 いい体をした女性も。 彼女たちは誘惑して僕らを手招いたけれど これは秘密だよ。僕らはそんなものもう大切じゃなかった。 割れた地球儀を抱えて、僕らはホームにうずくまる。 僕らが戻るのは、仲間と血肉を分け合った場所。 僕らは見送るだけだ。人々が後悔を胸に立ち去るのを。 才能ある男女、恵まれた資産家。それはいたさ。 彼らは僕らに群がり、手招いて声をかけたけれど これは秘密だよ。僕らはそんなものもう必要じゃなかった。 破れた古地図を胸に、僕らはホームで膝を抱える。 僕らが戻るのは、仲間と骨身を合わせた場所。 僕らは何も手に入れず、何も手放さずマザーランドへ帰る。 泣き声と歓声に包まれて、左手の古傷を抱えたまま。 これは秘密だよ。僕らはあの帆船に乗って、マザーランドへ帰る。 言いそびれたのは、ただ「ありがとう」という言葉だけ。 「あの曲で歌いたかったものは、元々ナイーブだった僕らが、派手な生活に倦んで、かつていた心理的な故郷に帰るというもの。僕はあの曲でファンを悪く言ったつもりはないし、言うつもりもなかった。だけどそう捉えた人たちもいたみたいだね」 そう話す葛城の目は寂しげだが悲しみはない。葛城はコーヒーを口にする。 「僕は僕なりの方法で、ファンに感謝と別れを伝えたかった。それが誤解されたとしても悔いはない。あるのはただ『THE MOTHER LAND』。それだけだよ」 二時間を超えるインタヴューの中で、葛城が幾度か口にしたのは「感謝」という言葉だった。彼は今では絵画を嗜み、個展をも開催している。 「再結成? それはないだろうね。今はとても恵まれた環境で創作出来ている。だから当時の熱狂にも歓喜にも、そして騒々しさにも余り興味がない。今は出来るだけ静かにしたいんだ」 彼は今後クリエイター支援の枠組みを作るつもりだという。「それはまだ内緒。全容は秘密だよ?」と葛城は「TO THE MOTHER LAND」の歌詞に引っ掛けると笑ってカフェをあとにした。その後ろ姿を見送り、私は筆者個人としては、バンド最高傑作だと思っている「終演」のジャケットアート。そこに映る割れた地球儀を抱える青年の姿に、あの冬に起きたバンドの落日を重ね合わせた。私がタブレットを閉じて、カフェを出た街路には、新緑を照らす夏の眩しい陽射しが降り注いでいた。 2019年5月26日 stereotype2085
TO THE MOTHER LAND ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1822.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 150
作成日時 2019-05-27
コメント日時 2019-05-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 16 | 16 |
前衛性 | 23 | 23 |
可読性 | 25 | 25 |
エンタメ | 24 | 24 |
技巧 | 21 | 21 |
音韻 | 13 | 13 |
構成 | 28 | 28 |
総合ポイント | 150 | 150 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 4 | 3 |
前衛性 | 5.8 | 3.5 |
可読性 | 6.3 | 4.5 |
エンタメ | 6 | 5 |
技巧 | 5.3 | 3 |
音韻 | 3.3 | 3 |
構成 | 7 | 4 |
総合 | 37.5 | 26 |
※自作品にはポイントを入れられません。
拝読しました。チャートの一位を獲得できたようなグループが、引退後に話をするという設定の作品のようですね。本作品内にメタに組み込まれている「TO THE MOTHER LAND」という曲は、フレディ・マーキュリーの生前最後の歌声だと言われている「マザー・ラヴ」という曲と、母体回帰をテーマとしているという点と、恋愛や華々しい競争に嫌気がさしていることを歌っている点で 似ているなあと思いました。 フレディとちがって、作品中の彼の場合は 今後クリエイター支援の枠組みを作るつもりとあるので、この作品の場合は終焉ではなく※詩遊園づくりの詩な感じがして、イイ感じだなあと 思うのです。 (※詩遊園というのは終焉と書こうとしたら タイプミス&変な変換がおきました。いい得て妙なきがしたので、コメントの表現に採用しました。)
0るるりらさん、コメントありがとうございます! 「MOTHER LOVE」拝聴しました。体内回帰願望や世辞に嫌気が差しているという点は「TO THE MOTHER LAND」は本当に似ていますね。だがしかしフレディの楽曲は生前彼が残した最後の曲ということもあって絶望や悲嘆、痛みに満ちています。一方「BOY'S MIND…」のヴォーカリストであり、恐らく歌詞も担当していたであろう葛城君は内向性や、彼が元から持っていたモラトリアムな要素、あるいは少年性といったものに回帰していて、歌詞の向こうにあるのは魂や肉体的な意味での死ではない。彼はもう一度蘇生するためにあくまで一時的に故郷へ帰るということを選んだという印象で、そこが違うかなとも思います。現にるるりらさんもご指摘のように彼は音楽とは違う発展的分野で活動して、もしくはしようとしているのですから。ちなみにこの「BOY'S MIND…」というグループは架空のバンドとして、小説家になろうにて5枚のアルバムを出した体裁で、全楽曲の詩を載せています。今観ると未成熟な点も多いのですが、バンドが何らかの理由で世辞を疎み、母なる場所へ帰るというコンセプトはしっかり守られており、興味深いものになっています。ちなみになろう版での「BOY'S MIND…」のラストアルバムのタイトルは「終演」ではなく、「詩人の終わり」でした。こちらのタイトルもどこか痛烈な悲劇性と開放感があって僕自身とても気に入っています。最後に詩遊園とはなかなかに素敵なフレーズではないですか、詩人が詩で遊び、悠遠の安らぎを得る場所のようで。とても気に入ってしまいました。タイプミス&変換ミスから起こるミラクル、面白味に興を見い出しました。
0拝見しました。 良いですね。物語として面白く読みました。 第三者の視点ながら、葛城の心情の輪郭がぼんやり見える構成となっている点が素晴らしいと思います。 歌詞を掲載することで、葛城のリアルな心情を読者に捉えさせる構成になっていますし、散文のみの構成より、一層詩情を引き出させていると思いました。
0stereotype2085氏が聞き取り記事にした形なのですね。ひとつのバンドの終わりと回帰しての再生を思わせる、起きた出来事は外から見ると不祥事からの解散なわけですが、葛城氏の内面が鮮やかに描かれていてナイーブな爽やかさが心地よくもある作品だと思いました。 こういう作品を読むと詩と散文の境目をいつも考えてしまうのですが、素敵な作品の仕上がりの前には些細なことですね。
0ふじりゅうさん、コメントありがとうございます! 散文自体も詩的な要素を含む文章になっているので、歌詞を含めたこの詩は「メタ詩」と一言では片づけるには惜しいくらいの、良い出来ではなかったかと思っています。葛城の心情を掴み取れるのは、インタヴューへの回答と、歌詞、そして筆者の推測の三つですが、それらが絶妙に交じり合うこの詩は、ふじりゅうさんが仰る通りなかなかの構成だったのではないかとも。手前味噌みたいなことばかり書いてしまいましたが、以前から構想のあったこの作品を満足行く形で公表出来たのは本当に良かったです。
0帆場さんコメントありがとうございます! 僕は音楽雑誌やミュージシャンのインタヴュー記事を読むのが多い時期もあったので、何とかその時に身に着けたスキル、素養のようなものを反映させた作品を書きたいと思っていました。この詩は思った以上に良く出来たのではと僕自身とても満足しています。詩と散文の境い目。とても興味深いテーマですね。僕も文極などでこれは詩なのかと思う衝撃と違和感の伴った作品に数多く出会いましたが、今ではそれも緩和されました。詩の定義はビーレビの紹介文に書かれているようにやはりフレキシブル(柔軟)に変化していくものなのでしょう。とにかくもそのような思索でさえ、帆場さんが些細なことと思える作品が作れて良かったです。
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