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ひまわりのまわりを
どこかへ 笑われながら消えた君 駅の濁流に疲弊しても 兼六園の水鏡で耳を洗っても みんなに追われて逃げ惑っても 晴天を仰げば まだ醒めない 夏風にささくれを刺激されながら 自我の花びらを ぷつん と摘んで わたしの名を刻み 手放し 失せてゆく 君のほほえみだけじゃもの足りない ひなたぼっこが好きだった君 どうして優雅な 水晶のような瞳 一輪のひまわりがこうべを垂れるように そっと風に 吹かれていた どんな本を読んでも見つからない かつてのきみで歪んだ血液を濾過することば 消えそうで ぎりぎりぶら下げたプシュケー 財布の奥で ボロきれのようになったラブレターに さいごの体液が残っているよ どんぐりをポッケに集めて取り出して並べて嬉しそうだったきみ 枯葉をばさばさ鳴らしながらわたしもいた 真っ白な紙に 無言で描かれた油絵 まこときれいなきみの油絵に つま先が震えた 理想のきみもまた 秋の、暮れなずむ 誰にも描写されない 一輪のひまわり ニコニコと 太陽と見つめあっていた ちぎって捨てた どこかへ 笑われながら消えた君 晴天仰げば まだあの時のきみ 自我の花びらを摘み取って 夏風に乗せてどこまでも まだほほえみの向こう側を知らない ぽかぽか日向ぼっこばかりしてた君 目を開けるとわたしはひまわりになっていて 首をうろうろさせながら きみを探していた どこかへ 笑われながら消えた君 どこかへ 笑われつつも ひとつのかたまり抱えて消えた君 髪の毛を引き抜いてもまだ醒めない 君の唇は余りに固かった冷たかった ずっと醒めない … 未だ醒めてない 自我の花束を笑顔で さよならの手紙代わりに供えさせて まだ愛してるの向こう側を知らない 君を殺したのにまだ醒めない 変わらないままのきみを探してる 愛してるの向こう側を知りたかった わたしは牢獄の中でこうべを垂れて 首をうろうろさせて きみを探してる えいえんに わたしを探していてほしい 無限の時間の中で
ひまわりのまわりを ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 3158.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 32
作成日時 2019-06-18
コメント日時 2019-07-11
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 9 | 8 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 11 | 7 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 6 | 4 |
総合ポイント | 32 | 25 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.8 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.8 | 0 |
エンタメ | 0.4 | 0 |
技巧 | 2.2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1.2 | 2 |
総合 | 6.4 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは 兼六園に私は行ったことがないなりに憧れがあります。しかし、 題名は「ひまわりのまわりを 」いい題名だけれども 兼六園のイメージではないな どうなるのだろと読み進めてみると、「どんぐりをポッケに」「枯葉の油絵」ということは秋の思い出。アルバムのようなとりとめのなさですね。 失った恋の思い出のつれづれでしょうか。 個人的には、春と冬の思い出がないところが 切なかったです。
0有り体な話で、詰らないポエムになりがちなモチーフを、表現の様態において 読ませる作品になってると思いました。 ふじりゅう作品の匂いも十分にある。(文体がある。) 楽しめる作品だと思いました。
0るるりらさん、ありがとうございます! あくまで風景描写のセンターに持ってきているのはひまわりであり、その他の要素は補完的な役割しか果たさないように構成してあります。例えば兼六園のパートも、役割としては湖に映る木々や自然の音に癒された、というだけであり、主人公の心理を動かすまでには至っていません。 ただひまわりは別です。太陽と見つめあって幸せまっしぐらなひまわりをむしり取った主人公。太陽を奪われたひまわりのように、顔をウロウロさせながら「きみ」を探す主人公。ひまわりは主人公と相対する存在として、非常に重要な存在であるからこそタイトルになっています。 ただ、アルバムと仰るのは的確です。秋の表現は唯一の過去の話であり、暮れる秋の情景ときみを(きみ から君 への移り変わりを)ダブらせるために使用しています。 確かに、春と夏も入れれば良かったかもしれませんね。 失った恋、といいますか、勝手に主人公が失わせただけの作品です 笑
0尾田さん、ありがとうございます! 今回も割とありがち、といいますか私の作品に、奇抜な発想はまず無いです 笑 発想がかなり凡庸であることは自覚しておりますので、言葉の組み合わせや表現で魅せるのが私の方針であり、目指しているところです。 ふじりゅう作品という定義付けは、私としてはありがたく思います。自分の作品が定期的に人の目に留まるようにならないと「ふじりゅう作品」のパターンは多くの人には刷り込まれないだろうと考えますので、お言葉ありがたく頂戴いたします。
0仲程さん、ありがとうございます! ストーリーは久しぶりに、異常者を書いたので好みが分かれるとは思いますね。 フレーズに特徴は持たせましたが、仰る通り、そこへの持っていき方にも伏線を張るよう心がけました。例を挙げるとすれば、ひまわりに勝手に妬んで千切る場面を持ってきた後、太陽を失ったひまわりに主人公を擬態させることによる効果も狙っています。 コメントありがとうございました!
0タカンタさん、ありがとうございます! アドバイス頂き恐縮です。ただ、私としては疑問に思う点と、狙いから外れた点がございますので、素直に受け入れられないレスになってしまう事をお許しください。 詩的表現。これは極めて難しいテーマです。タカンタさんの仰るところによると、難解な言葉こそが詩的表現であり、即ち詩の求めるところであると解釈できますね。しかしながら、遠慮なく申し上げますと上記の定義には疑問が残ります。 では、難解な言葉を使用しない、言わば子供でも知っているような言葉を取り上げた詩は総じて駄作でしょうか。これはもちろん、様々意見がございます。ただ、私としてはそうではないのでは、と考えるところです。むしろ、凡庸な言葉を奇跡的に繋ぎ合わせて見事な作品を作り上げることは可能でしょう。 ただ、誤解して頂きたくないのは、晴天、という言葉の是非を肯定する発言ではございません。単純に、晴天という言葉がこの詩において正解か、と問われれば、NOでしょう。指摘されまして、私ももっといい言葉があったのでは、と思い至りました。 2つ目です。うーむ、詩に相応しい言葉。こちらも単純に、「この詩に」相応しい言葉であるかと問われれば、タカンタさんの視点ではNOであったのかと思われます。私も、不協和音的に入れた言葉(プラス伏線)でしたので、伏線と認識されなかった、また効果的に働いている言葉ではなかったのかもしれません。それは悔しくもありますが、向上心にも繋がります。 3.ですね。マジですか、伝わりませんでしたか。一応日本語として成立していますし(現代詩の中には、日本語として成立していないような文章にも良作がある)、前後の文の繋がり的には充分何を描写したいか伝えられると考えたのですが、不十分でしたか。ご教授願いたいです。 4.仰る通りです。今見返してみれば、比喩としては極めて凡庸。なんか上から目線なようですが、鋭い所に目を付けられています。こちらは文句なく修正対象でしょう。 転じて。 詩を、こうだ、と定義するのは大枠に留める主義ですので、小さな点まで定義されているタカンタさんのご指摘に相反する部分もございます。しかしそれは、詩人のそれぞれが持っている、詩に対する情熱のぶつかり合いのようなものでしょう。私は否定しませんし、むしろ当然だなと感じました。貴重なアドバイス痛み入ります。更なる良作に、よろしければご期待下さい。
0どこかへ笑われながら… とても切ない表現ですが、現実味がありますよね。いいですね! ふじりゅうさんは簡単に上手い表現をしている気がするのですが、私にはとても無理で敵わないなあ、と感じます。(競っているわけでもないのにすみません。) 沢山の言葉の中で私達は選んでいる訳ですけれど、ふじりゅうさんはそこにふじりゅうさんらしさが出ていて、いつも申し上げているのですが、優しい性格が滲み出ていて…そこが私は一番の魅力だと思いますよ。 やっぱり、本性とかいうのは文面から伝わってくることって、あると思うんです。 拙い感想すみません。 次回作期待してます!!
0>真っ白な紙に 無言で描かれた油絵 >まこときれいなきみの油絵に つま先が震えた ここが印象的でした。つま先の震え実際の体験なのか、詩的な比喩なのか、その両方が綯い交ぜになっているのかと思いました。詩全体で言うと、可読性の勝った詩だと思いました。
0せいろんさん、ありがとうございます! ストーリー的には、せいろんさんのスタイルをパクってみた作品です 笑 異常者を書いています。 分かります。ビーレビで上手い作品を見ると、憧れと、悔しさが入り交じったなんとも言えぬ心境になります。その対象が、自分である事は恐悦至極です。 実のところを言いますと、全く簡単には出来ていません 笑 本作も最初作ったものとはほとんど言葉や表現を入れ替えています。確かに上手い人は(私がそうだとはとても思いませんし、恐れ多いですが)簡単に詩を作っている印象を自分も持っていますが、実際は極めて細かく推敲し、苦心して詩を捻り出しているのだろうな、と思います。自分も、本作はめちゃくちゃ苦労しました。 優しさですか、意外です。本作は優しさの欠片もない、自己中の塊みたいな人間が主人公なので、そこに優しさを見つけ出されたとは予想外でした。僕の本性が出たのですかね 笑 自分の作品に特徴が出てきているようで良かったです。がんばります!
0エイクピアさん、ありがとうございます! 仰る通り、詩的表現と実際の表現を織り交ぜています。実際つま先も震えましたが、あえてつま先という末端を震わせることで、全身が震える様子を、特に芯が大きな衝撃を受けて震えている様子を逆説的に示しています。 可読性。鋭いです。 可読性、これは一長一短と考えています。私が目指しているところは、詩人だけが読んで面白い詩ではなく、詩人でない、全く普通の人も読んで面白い詩を目指しています。その意味では、可読性が勝るのは仕方ないかな、と考えています。 しかし、可読性が勝るということは、詩に深みがない、読み解く楽しさの放棄に繋がるような気がしています。恐らくエイクピアさんの仰りたいところは、その詩としての深み、重厚さの欠如を示しているのでしょう。 それはもっともであり、私の詩の致命的な弱点だと考えています。なんか軽すぎるんですよね。可読性を捨てるつもりは正直ありませんが、それに厚みを併せ持った詩を目指して頑張っていきたいです。
0主人公の心が崩壊してる感じに、胸が苦しくなりました。 まだ愛してるの向こう側を知らない。 という言葉。 この詩何度も読みました。
0なつさん、ありがとうございます! 何度もお読み頂いたとのこと、非常に嬉しく思います。 愛してるの向こう側。愛してると言ったのは主人公ですが、愛してると伝えたのは彼を殺した後、初めて囁いたのかもしれませんし、もしくは伝えていないのかもしれません。しかし、何にしても彼と愛し「合った」段階までは到達しておらず、一方的な愛のままに終わっております。そんな狂った愛を、お楽しみ頂けたようで嬉しく思います。
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