作品投稿掲示板 - B-REVIEW

1.5A


投稿作品数: 16
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普通に考えるとナンセンスな世界感だと思います。人間にはほとんど懐かない動物を飼っているような。およそ当事者にしか分からないであろう細い伝わり方があり、ですがときどき、そのなかにある世界が夏の星座のように煌めいて目に映ることがあります。風が吹くように、感情は技術ではなく、感覚で揺らすものなのかなと、そんなときふと思わされます。 表現についてもご指摘頂きありがとうございます。文章表現の可能性は常に新しいものを取り入れ、刷新していくべきだと思います。 僕が最近読んだなかで、表現方法として面白いと感じた作品のリンクを貼らせて頂きます。 コメントを頂き、ありがとうございました。 https://shiika.sakura.ne.jp/works/2024-11-21-25594.html (エスカレート)

2024-12-01

色々な理由から晩年“父”はひとりになってしまうのですが、あのとき居間で勉強をしていた息子が、最後に“父”の元へ彼の家族を連れて帰ってきてくれて、一緒に生活をするんですよね。その行動の本質というのは、やはり彼が“父”の背中を見て育ってきたからなのだと僕は思っていて、そこにはひとつの家族として、特有の形が映し出されているように感じます。 帰郷を選んだ彼の行動には、父が生活の中で押しつぶしていた(自己)犠牲のようなものと、似たような思いや決断がきっとあって、彼は幼くも日々の生活の中で、つぶさにそれを感じ取っていたのではないかと思います。だから彼の選んだことから、父親譲りのエスカレートさが見え隠れするといいなと、息子の決断の大胆さみたいなものを感じている父は、息子にエスカレートした行動もいいものだぞと直接言うことはせず、彼の孫たちに(も)そういった気質が受け継がれていって欲しい、という父の願いで締めくくることができればいいなと、色々と想像を背伸びさせながら書きました。きっと何事も自分から行動することで道は開けていくんじゃないかと思います。 想像力の足らない部分が多々あるかと思いますが、最後までお読み頂きありがとうございました。 (エスカレート)

2024-11-24

お読み頂き、ありがとうございます。何かを崇めるとか、心の拠り所にする行為って意外と古くから連綿と意識の中を漂っていたりして、有形だったり無形だったり、時代背景や人によってもその対象は変わってくると思うのですが、はたから見るとそんな物事を崇拝するの?という世界がはからずもどこかにあって、そこに対する面白さみたいなものは、読み物として今もまだ失われていないのかなと感じます。 (エスカレート)

2024-11-24

お互いを知らない人たちの、記憶の交点のような作品。 (めんどり)

2024-10-19

既視感に手を引かれるようにして読んだのですが、普通に上手くて、良い作品だと思いました。一見ナルシシズムに囚われてしまいそうな作風でありながら、展開の面白さによって、それが上手く回避されていると思います。どうでもいい話なのですが昔、海という作品を書いたことがあって、そういうところにも既視感は潜んでいると思いました。 (入道雲)

2024-10-15

この作品が、物語を伝える目となって、ときに親しみ深く、そのまなざしが胸へ滲んでいきました。滋味で胸のなかが満たされてもなお、滾々とわきでる湧水のように。 (夕暮れ)

2024-10-15

なるほど、ちなみにタイトルは255文字までいけるみたいです。 (習作)

2024-10-12

ありがとうございます。自分の記憶というのは、どうしても自分に都合のいいように作られてしまうのではないかと、疑ってしまいます。しかし美化された記憶は、どこか憎めないくらい綺麗なのだと、思わされてしまいます。 (指先のアクアリウム)

2024-10-12

ありがとうございます。詩は人によって書いている理由が異なり、好みも分かれる、またその嗜好は経験や歳月によって変化をするものだと思います。熊倉さんが書いて下さったワクワクする気持ちというのは、僕が創作物に対して大切にしている主点で、それは探検だったり冒険だったり、まだ知らなかった町を散策した記憶のような、そんな原体験に似ていると感じます。金井雄二さんの詩を読んだときに浮かんでくる感覚というか。描写と感覚が混ざり合っていくような、気がつけば段々と詩を小説の淡いに近づけたいと思うようになりました。 (としょかんのとしょかん)

2024-10-12

言葉の柔らかさが光っていると思います。きっと目には見えないものを、言葉に置き換えられそうな書き手の方、という気がしました。 (寒暖差)

2024-10-10

コメントを頂きありがとうございます。 おまるたろうさん 並行した世界については色々な考えがあると思いますが、僕が空想してしまうのは〇〇をしていれば(というちょっとした後悔)の世界ですね。例えば決断について―決断は並行した世界に存在する全ての僕によって、全通りの種類試されているはずなので、そこには間違った選択や答えも無論存在しているはずなのですが、必ずどこかの僕が正解に辿り着けている、という理屈を付けて、毎回自分を慰めています。図書館はいつの時代も知の集合体であり続けて欲しいと願うのですが、図書館の本が様々な人に借りられ、再び図書館に帰ってくる。そうした循環にも、並行する世界を垣間見えるのではないかと思ったりします。 佐々木春さん としょかんのとしょかんというのは(僕の中では)図書館の深層というイメージなのですが、佐々木さんのおっしゃる図書館を所蔵する図書館というのは、とても面白い発想だと思います。以下、色々と感じたことを書かせて頂きます。まず26歳にした理由は、さかさまの月について検索をしていたら、逆三日月というものがあり、“月の満ち欠けの周期が新しく始まって26日目の月を”逆三日月”と呼びます”というそこに書かれた説明文から、26という数字を拝借しました。さかさまの月=逆三日月なのかは、いまいちよく理解できていませんし、それ以上の意味はないのですが、確かに26歳のふるまいにしては全体的に幼さが残るなと感じました。次になぜ階段を下りたのかですが、暗闇の残る(階段の)踊り場に四角形のひかりがぽつんと落ちていたから、みたいなことを初めは書いていたのですが、上手く書けなかったので結局削ってしまいました。そして自動販売機についてですが、これは実際に僕が行く図書館のエントランスホールにそのように設置されているままを書いています。最後に“僕”の存在についてですが(ありえないことを色々としているのですが)、そもそもの生死は明確には書きませんでした。もしかしたら“僕”自身が“本”だったという可能性もどこかにあって、それは“僕”の意志ではないかもしれませんが、最終的に図書館の深層(で眠りにつくため)に帰ってきたのだと考えるのであれば、悲しいばかりの結末ではないのかなと考えます。 エイクピアさん 単純に文章を読むという面白さが湧いてくるように注力して書きました。説明的になり過ぎず、あっさり読める読みものを書こうとしていたらこのような図書館になりました。しかしひとえに図書館といっても、その空間には閉架書庫があったり、会議室があったり、売店があったり、なかには図書館内に書店があったり、地域によっても様々な特色があり、そんなことを調べているだけで何だか楽しくなってきてしまいます。そういった楽しさが物語の陰影になり、不思議な世界がいつまでも照らし出されたらいいなと思いました。 メルモsアラガイsさん 表題にひらがなを用いたのは、絵本っぽさを出したかったというのがまずあります。そして絵本の持つファンタジーな部分やSF(すこし不思議)の色、そういう力を借りたかった気持ちが大きくありました。「インターステラー」は名作だと思います。同じSF映画だと「オデッセイ」も面白かった記憶がありますが、なにぶん昔に鑑賞した映画ですので、Wikipediaで改めてあらすじを確認して、ひとり懐かしさに浸りました。「もう少し向こう側(三次元)の動きや様子も描いてほしかったかなと」 ご指摘いただいた通りだと思います。これは飽くなき宇宙への探求心のように、永遠の宿題とさせて下さい。 (としょかんのとしょかん)

2024-10-10

裏表紙の記述がなかったことで想像をする余地を生み出されていると思います。あるいはもっとぐっと価格を下げられても、作品の世界観に迫ったのではないかと思いました。 (ぼくは詩集)

2024-10-07

いい作品だと思いました。このくらいの文章量を書こうと思えば、自分の頭の中にあるものを効率的に利用しなければならないと思います。それは自分自身を描き出すということを理由に、読み手の共感を誘うものではないとも思いますが、ちょうちょに始まってちょうちょで終わっていく過程の中には、花弁で羽を休めるのであれば花弁もまたちょうちょの重さを知れることがあると思います。 (習作)

2024-10-07

かつて人間も自然の一部だったということを、生い茂る夢の葉を介して見ているのかなと思いました。そして自然から離れてしまった人間がいて。 夜明けを待つ子供と明け方まで眠る大人が私の中でどんな意味を成すのか、そして最終連(とくりとあたたかな穴が胸元へ 人型に空いているのを知らないまま)で何を伝えたくて、どのようにこの作品を終わらせたかったのか、ということが分かりそうで分かりませんでした。 作品の持つ雰囲気、そこに存在する物語性はとても良いなと思いました。 (子供の私がいる)

2024-10-05

二本の歯ブラシは私と貴方ですね。私と貴女でもいいですね。質問というのは、あなたにとってわたしはどうだった?みたいなことで、わたしにとってそこは反芻したくなるような過去だった、という感じのオチでした。読み切られてしまってこれ以上は返す言葉が見つかりません。書いてよかったと思いました。ありがとうございました。 (指先のアクアリウム)

2024-10-05

それは、きっと夜明けを見る花のようだった、のそれというのは、さかさかの月を見ている僕自身として書こうと思いました。帰り道が消えてしまった絶望のなかでも、それ以上にさかさまの月という不思議さを目の当たりにした僕の顔には、きっとまだ表情が灯されているのではないかと想像し、夜明けを見る花、というどことなく諦めから遠ざかる例え方にしました。少し飛躍させると、(自分が)死に近づいている最中でも、ただ満面の恐怖に染まるのではなく、死の局面を優越した美しさやきれいさが自分の傍らにあれば、それを認識できるのではないか、もしくは認識していたいという願望が体のどこかに残されていてほしいと、そんなふうに考えました。重力の涙というのはでっちあげたものなのですが、これを書くときには短い小説をもとにしました。あるとき夜の図書館に入れるというイベントがあって行ったのですが、普段より人がたくさんいて、僕が当初想像していた、本が眠っているような静まり返った夜の図書館さが全然なかったのは、しかしよい思い出でした。そのように図書館の魅力は語りつくせませんが、これからも人々を引きつける不思議な存在であり続けて欲しいなと、お返事を書かせて頂きながら思いました。コメントを頂き、ありがとうございました。 (としょかんのとしょかん)

2024-10-03

直線25°という普段は耳にしない言葉が、この作品の中では自然な感じで使われていて、作品全体を統一させる一つの役割を果たしていると感じました。そしてこの直線25°という言葉が、文章をひとまとまりとして区切る(*や-みたいな記号の)ような使い方も兼ねていて、より印象的に思いました。ところどころ意図的に空白を作っていらっしゃると思いますが、言葉で空白を作る、みたいなことも作者の方であれば可能なのではないかと思います。そうすると今まで必要と思っていたものがいらなくなるので、そのぶんもっと作品が読みやすく、伝わりやすくなるのではないかと思いました。 (直線25°)

2024-10-01

ありがとうございます。順番に読んでいくとまた何か新しい発想に行き着くかもしれないような気がしますので、今まで頂いたコメントに関しまして、ひとつにまとめた形で返信をさせて頂きます。 おまるたろうさん 仮定であり追懐でもあるかなと思っています。人って何もないところからずっと今まで想像をしてきた生き物だと思うのですが、形に残ったものより、形に残らなかったものの方に思いを馳せてしまうのはなぜなのでしょうか。まったく不思議な生き物ですよね、僕達は。 エイクピアさん 「見えないオブジェ」もそうですが、生活のなかでふと手にしたものに時間という目隠しがされているような感覚があります。そういったものに触れながら、少しずつ想いを紐解いていく時間が、いつしか思い出になっていくのだろうという意識の線上を綱渡りしていながら、今日も逆さまに落ちていく場面を空想したりするのは、ちょっとしたミステリーの匂いがしてきますね。 ronaさん 細かく物語を追って下さり、改めて色々なことに気付くことが出来ました。人の集まりというのは小さな生態系のようだと時々思います。それはヒエラルキー云々という捉え方ではなく、色々な人から生み出される刺激のある場所なのだと思います。またここで、もしくは別の場所で、ronaさん作品を読ませて頂ける機会があれば光栄に思います。 メルモsアラガイsさん 投稿したもののなかではかなり短い部類に入るのですが、こうしてたくさんの想像を書き留めて下さり、読ませて頂くたびに少しずつ酸素が足りなくなってきています。逆に酸素がありすぎても中毒になってしまうみたいですね。でも多分、詩の醍醐味というのはそうした中毒性にこそ宿されているものだと感じてしまいますが、今さらこんな内容のお話はやぼったいかもしれません。 よんじゅうさん 気が付いているのに気が付かないふりをすることがたまにあります。本当は気が付かない方が楽なことを知ってしまうのが大人になるということなのかもしれないと僕自身気が気付き始めてしまいました。もっと、歌をください。 熊倉ミハイさん 「胡蝶の夢」というお言葉が気になったので、僕の好きな映画風に例えるとbutterfly effectのことかなと思って調べてみましたが、蝶と人間が夢を介して入れ替わりを行う、どうやら夢と現実のじゃんけんみたいな教えなのかなとWikipediaを見ながら思いました。でも最終的に勝敗なんてどうでもよくて、じゃんけんをする相手がいればいいんですよね。現在だって、未来にだって、(過去は過去として)、そういう相手を作っていきたいと思います。 田中宏輔さん 不穏、には行動が活発になる状態という意味も含まれるみたいですね。これを読んで不穏になった人が、不穏な詩作(?)を紡いでいってくれることを、僕は眠らずに見守りたいと思います。 (指先のアクアリウム)

2024-10-01

例えが分かりにくいかもしれませんが、シチューってカレーにもなるんですよね。 僕は料理をしないので、それを初めて聞いたとき思わずへえーって思いました。 発想の転換?視点?みたいなものを多く持っていると、いざというときの助けになると思います。 それは実生活でも言えることだと思いますし、書くということに変換すれば、 そういったものを多く自分の中に持つためには、詩の作品に沢山触れておく、というのが一番良い方法なのではないと僕は思います。 自分が読んだ作品の中で、自分が気に入った詩の形を、自分の中に残しておく、 そうした積み重ねが、のちのち自分の中に混ざり溶け込んでくると思います。 書いている瞬間どこかで楽しいと思っている自分がいれば、それは苦も無くできることだと思います。 気負わずに、そこに壁があればたやすく飛び越えていってみせて下さい。 (シュガー(修正版))

2024-09-14

初期に投稿されていた作品と最近投稿された作品とを見比べると随分と上達されたというのはどこかの機会に書かせて頂いたような気もしますが、しかし元より今の状態が本来なのかもしれません、この作品に関しても上手だなと思いました。作品を読ませて頂いて感じたのは、佐々木さんの創作は上手という状態を比較的くるくると回っている傾向にあるのではないかということです。創作をする理由というのは人によって異なり、佐々木さんが創作にどのような趣を置かれているのか分かりませんが、僕がひとつ言えるのは、上手という状態を貫いていった先に傑作が待っていて、そこには人の心を掴むという現象が存在するのではないかと考えています。もちろん詩作品に限らずなのですが、同じ作者がそう何度もやすやすと傑作を生み出すことができないのは今までの読書経験上容易に想像できるものだと思います。無論、佐々木さんの作品群には僕が感じる傑作がいくつか含まれていて、そのいくつかの作品から推察したのはテーマの存在です(テーマというのは作者が読者に伝えたいことというニュアンスでとらえて下さい)。それぞれのテーマによって読後感が違ってくるように、テーマを作って文書を綴り、自分の意図した読後感に物語をコントロールしていく、指先まできれいな色の血を行き渡らせるような、機会があればそんな書き方をされてみられてもいいのではないかと思いましたが、これは僕が全部勝手に思っていることですので、佐々木さんが考える創作のスタイルとは大きく違っているかもしれません。 (シュガー(修正版))

2024-09-09

作品を読ませて頂くと、割と自分を卑下されるような気持ちが根底にあるかなと思っていて、しかし隙あらば短剣で強者の心臓を一突きにしてやるぞ、みたいな視線も気になっていて、いつかそういった気持ちや毒牙が抜け落ちたバイタリティの作品が読んでみたいなと感じました。 (イエロー・ウォーター)

2024-09-09

作品とは関係ないのですが、運営者としてのご活動、大変お疲れ様でした! (生活)

2024-09-09

自分の掌はこの作品のような色になれない。 (diary_aryarchive_2)

2024-09-09

頂いたコメントから、寝起き後の、伸びのような余白が必要なのかなと推測をしてみました。これは元々書き上げていたものにけっこう加筆を加えて作りましたので、寝癖のように飛び出してしまった所と、反対に枕の力で押し込まれていってしまった部分があるのかなと思いました。そもそもこの推測が間違っているのかもしれませんが、蹴伸びと背伸びがぐるぐると頭をかけめぐり、新しいアイデアの一端になりうるコメントでした。ありがとうございます。 (秋はまだ、探さないことにする)

2024-08-30

コメントを頂き、ありがとうございます。「ノルウェイの森」、僕も見ました。どんな雰囲気の映画だったのか、今となってはもう思い出せないのですが、個人的には文章よりも絵の方が、小説よりも漫画やアニメの方が映画化に向いている気がします。それはたぶん文章に存在する想像性が、映像によって見えなくなってしまうからかなと思っています。見えないから、余計見たくなってしまうのは人間の特性ですね。しかしそれが見えた時には、すでにあらゆるものが自分の中を通過したあとのような気がします。「海辺のカフカ」以前の作品はよく読んでいたのですが、それ以降はあまり読まなくなってしまいました。村上作品がすでに僕の身体を通過してしまったからなのか、もしかして春樹さんが格好良くなってしまったからなのかな、と思ったり。 (秋はまだ、探さないことにする)

2024-08-29

お言葉にあるように、読ませる文章は難しい、まさにそんな感じがしますね。鑑賞に堪えうる作品は、長さに関係なく言葉に力が宿っているのだと思います。作品は読み手が自由に読んで感じるものだと思いますので、忌憚のない意見が頂けるのは、書き手にとってとても参考になります。進んで読みたいと思ってもらえるような物語を、いつの日か書きたいなと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。 (秋はまだ、探さないことにする)

2024-08-29

暦の上では、秋に向けて季節が移ろいはじめていますね。実際にはまだまだ全然暑いと感じるのですが、その中で自然や虫たちは着々と準備をしているのかもしれません。実際、僕は夏が苦手で、すぐに秋や冬を探しに行ってしまうのですが、季節の中でも夏というのは、色々な意味でインパクトが強いと感じます。そのときどきの季節の訪れがないと思い出せないことがあって、それが何だかとても人間らしいなと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。 (秋はまだ、探さないことにする)

2024-08-29

静かに経過していく、時の流れのようなものを作品から感じました。決して自己主張するタイプの作品というわけではないと感じるのですが、言葉による濃淡の付け方がとてもきれいだと思いました。 (影と梁)

2024-08-26

ほぼ完ぺきな世界感だと思うのですが、この作品にあと一つ足りないところを挙げるとすれば、余韻を描くことかなと思います。余韻という部分で、お薦めさせて頂きたい作品があって、『ちいさな庭のちいさな会話』 なかむらたけひこさん http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-13.pdf 作品単体のリンクではありませんので、スクロールして探してみて下さい。 (海)

2024-08-22

ハイウェイという名で生まれた者は電子のように呼吸できない。とか、私はエレクトーンと呼べ。とか、面白い言葉を集めて作品にするとこういう感じになるのかと思いました。創作性をフレーズの節々に感じるのですが、どちらかと言うと、筆力で押し切ってくる作品のように感じました。 (おれはハンターだ)

2024-08-22

三連目、情緒があって面白いなと思います。全ての連がそこを基準にされるともっと良かったなと思いました。 (夏)

2024-08-15

何度も読み返すことで書かれた内容に近づくことはできる。そしてその場面をイメージすることもできる。でもそれらが歯車になってひとつの滑らかに動いている風景みたいなものを読み手に想像させるためには、何かまだ足りないものがあるように感じました。作風的には、少し大胆に、世界から手足をはみ出してみられてもいいかもしれません。 ここからは作品の内容からやや脱線しますが何かヒントになるようなことがあればと思って書きます。眉毛のないてんしだと「忘れっぽい天使」がスッと頭の中に浮かびました。「忘れっぽい天使」には、ちょっと違和感を感じるところがあるんですよね。大人が書いたとは思えないような、どこか暗号的でもあって、その違和感のもとは利き腕じゃない左手で書かれたからだと後になって知り、利き腕ではない方の手は純真さが宿っているのだと思いました。実際に公園に行くと、地面に絵が描いてあることがあって、遊びが終わった跡を眺めながら、子どもって誰かに自慢するために絵を描くんじゃないんだと、思ったりして家に帰ります。その横に少しだけ上手な暗号を残して。 (暗号)

2024-08-14

作者にしか見えないことが描かれている、ということを自分(僕)の頭の中で思っていて、初期に投稿された作品と今作を比較すると、作風はあまり変わってはいないように感じますが、変わったと思うところを一つ挙げるとすれば、それ(作者にしか見えないこと)が分かりやすく可視化されてきているところだと思うのですが、同時に佐々木さんの作品を読んだ人が、そこに描かれた景色をもっと見たいという欲求に駆られるのは、その作品にご自身のidentityみたいなものがつめられているからだと想像します。総じてこの、言葉を重ね塗りするような書き方が、とても効果的に読み手の心をとらえているように思います。あと、時々でてくる単語が理系っぽいというのも初期の頃から抱いています。 この作品で少し気になったのは、四連目と五連目に場面の展開を入れられているのですが、その部分の視点の切り替えが急かなと思いました。でも実際のところ、ここで大きく場面が変わっているのかどうか、定かではない気がします。五連目以降は夢という感じもするので。夢であるのか現実(フィクション的な)であるのか、ということを示唆する部分を作ってみられてもいいのかもしれません。 >わたしごとすうっと流れの中に融けていった。 お風呂の栓を抜いて、水嵩がどんどん減ってくると、排水口に小さな渦ができて、やがてその渦も水と共になくなってしまうその光景が、面白くてついつい最後まで見入ってしまいます。そんなふうに惹きつけられるような終わり方を示すことができたのは、作品に対して最後まで手を抜いていない証拠であると思いました。 (ストリーム)

2024-08-12

ブランコを立ちこぎで勢いよく揺らしていて体が最も高い位置になったときに、空と地面の境目が分からなくなるような作品だと思いました。公園のブランコでは一回転するのは物理的に不可能なようですが、この作品を読んでいるとそんなこともないんじゃないかなって、やらないけれど、そんな気になりました。 (できないことは)

2024-08-11

文章の読みにくさ、読みやすさって、書き方というよりもテンポに左右されるのではないかと思います。そのあたりに注意をされると、書かれた内容も目に入ってきやすくなるのではと思いました。 (絵描きとあなた)

2024-08-03

外で遊びたいけれど、暑いからやめよっかみたいな、何かが始まりそうで始まらない感じが作品の根底に寝転んでいるように見えました。一連目の「手を洗って下さいと いつか言おうと思う」は卵を触る前に洗って欲しいのか、卵を触った後で洗って欲しいのか、みたいなことをふつふつと考えてしまい、そこに義母というニュアンスが混ざり込むと、何だか可笑しさを感じてしまいました。『卵』という言葉が全ての連に入れられていて、一連目と二連目は場面として繋がっているのですが、三連目は『卵』という言葉だけで繋がりを持たせているように思いました。二連目のインスタの流れを三連目にスライドされるなど、二連目と三連目にも『卵』以外の、視点や動作で繋がる部分があると、読み手は作者の方の遊び心をより感じることができて、楽しいのではないかと思いました。三連目は視点が『卵』の側になっていて、『卵』自身が「新しいコース料理」や「クリームソーダの革命」←この言葉も面白い!、のことを考えているという、短い作品の中に発想の逆転と、程よい奥行きを感じさせるような仕組みがあって、作品としての上手さも十二分に感じることができる、よく撹拌された作品だと思いました。 (卵)

2024-08-03

>でもやっぱり書きたいことは、自分で悩みながら書きたい気もします。 決定案と書かずに修正案と書かせて頂いたのは、まさにそのことだと思いました。創作は自分の中で生み出される感情、みたいなものだと考えます。悩みまくることも大切で、悩みというのが、自分で自分の物語をきちんと結末まで導くためのチェックポイントになると思います。どのような物語にするのかは、作者自身で最終的に決められることだと思います。また、決めるしかないのだとも思います。 >いつもコメントを寄せて頂いているみなさんのおかげです。本当にいつもありがとうございます。 凄く大切な気持ちだと思いますし、コメントを書きたくなるような作品がそこにあるからだと思います。長々とすみません。良い作品を読ませて頂き、こちらこそありがとうございました。 (羽(リライト版))

2024-08-03

修正案をお見せ頂き、ありがとうございます。抑えきれなくなったのは、祖父に対する感情の方だったんですね。それが、私に起きた不思議な出来事と、ラストで結びつく。急いで食べる(孫からの土産が嬉しかったのか、鳩サブレーが思いのほか美味しかったのか)祖母の愛らしさというものが強調され、それをたしなめる母がいて、亡くなった祖父の存在も風化することはなく、そういった場面から、一つの家族の形を提示されたのだと感じました。『生活ってなんだ?』もそうだったのですが、リライトされた『羽』も本当に凄い。一筋縄ではいかない人間の様相・物語を、正面から向き合って、書き切っていらっしゃるのは本当に凄い。創作に注がれるエネルギーを、これからも絶対に絶やしてほしくないと思いました。 (羽(リライト版))

2024-08-02

小説の冒頭と結末をくっつけたような感じがありました。見た目には、途中がスパッと切り取られているように見えるので、書かれた文章以上のことを書くことは出来ませんが、そういった可能性を感じさせる作品であったと思いました。 (世間)

2024-08-01

ありがとうございます。そのお言葉を頂けて、逆に自分凄いとなりました。めげずに頑張ります。 (タイムカプセル)

2024-08-01

そういえば序盤の喫茶店のシーン、男性は、ゆで卵が出てくるので時間帯は朝の、モーニングセットを食べているのだと想像しました(モーニングセット=9時~11時くらいの間?→その後、祖母の昼寝のシーンに繋がる)。季節に関しては、中盤下の「外に出た途端、蝉の鳴く声が耳に入ってくる。」から、夏ということがはっきりと分かります。「とりあえずなるべく近いコンビニのトイレを目指すことにした。」までの序盤にも、夏の気配を感じられるような一文を入れられると、早い段階から読み手に季節感が意識付けされてくると思います。「日焼けの跡」という言葉も入れられていますが、「日焼けの跡のない生白い太腿」と続くと、どことなく血の気の通っていない人を形容する感覚の方が先に想起されました。また、作品の雰囲気がホラー寄りであるというところからも、序盤に季節を明示をされる意味はあるかと思います。夏とホラーの親和性の高さは、言わずもがなだと思いますので。 まだ半分も昇り切らない太陽は、薄着の背中を容赦なく照りつけてきて、私は暑いなと思う一方、時折吹く微風は、喫茶店のドアベルとは違う、淡い硝子で出来た艶やか音色を耳元まで運んでくる。駄文ですが。 加筆されたところが全部、物語の血や肉にきちんとなっていて凄かったです。祖父の最後を見送る場面(祖父に助けを乞う理由付けにちゃんとなっています)や、コンビニのおばちゃんが、誰しもが想像する通りのおばちゃんっぷりを発揮していたり、推敲前の作品と比べて、作品に濃密な陰影が書き足された印象を受けました。何か作品の手触りがはっきりしたと言いますか、立体(現実)感がさらに増強されたと感じます。 「菓子盆からとった鳩サブレーの粉をぼろぼろとこぼしながら食べている。その様子を見て、私は何かが抑えきれなくなり、」この描写は祖母の痴呆を示唆されているのかなと思いました。もしくは祖母は昔からそうやって食べる癖があったとも考えられますが、「私は何かが抑えきれなくなり、」と続くので、私になじみのない現象が起きている=祖母は食べ物をこぼしていることが分からなくなったのだと読みました。ただある程度の年齢にさしかかると、体の細かいコントロールは利かなくなるのが自然で、痴呆を抜きにしても、このように食べ物をこぼしてしまうという光景が、暮らしの傍らに存在しているとも考えられます。 現状、どちら(痴呆or老い)にも想像できてしまうように、書かれているのではと推測しました。 痴呆の要素をより色濃く見せられるのであれば、久しぶりの帰省という設定を使い、家に帰ってきた私を見て、祖母が“私の母の名前”で呼んだとか、祖母が、私が昔好きだったジュース(梅シソジュース(夏の定番)とか)をやたら薦めてくるとか、ある時期で記憶が止まってしまった祖母、と、久々に帰省した私との対比を浮き立つように書いてみられる。そうするメリットは、読み手が文脈から確信や納得感を得られることだと思います。デメリットは、祖母の科白の信ぴょう性が低くなることなどが考えられますが、逆にそちらの方がリアルさを伴う場合もあるかと思います。 「キッチンに行き、皿を取り、黄色い缶から鳩サブレーを数枚取り出すと、皿に乗せ、仏壇のある部屋へと向かった。」皿を取り、皿に乗せ、という動作を省略せずにあえて書き出されたことで、文章に独特なリズムが生まれ、且つくどさを感じさせない、自然な一文に仕上げられていて、巧みな表現だと思いました。そして、終わり方として、凄く良いです。最後、祖父に会いに行くという終わり方。僕の想像などは遥かに超えていて、これは、“終わらない終わり方というか、続いていく終わり方”なのだと思いました。線香を焚いたときのように、頭の中に余韻がいつまでも残るみたいに。あとは読み手の想像力に託すというか。祖父に今日のお礼を言いに行ったのかもしれませんし、祖母が元の祖母に戻りますようにと、祖父にまたお祈りをしたのかもしれません。 「後であいさつがてら仏壇にも手合わしたってな。きっとおじいさんも会いたがってるわ。」という祖母の科白を「仏壇のある部屋へと向かった。」にリンクされているのですが、あえて考えるのであれば、この前置き(祖母の科白)があることによって、“私の意志”で仏壇のある部屋へと向かった、ということを否定しているようにも読めました。祖母の言葉によって、(私が)祖父に会いに行ったみたいに感じられるということですね。例えば「後であいさつがてら仏壇にも手合わしたってな。きっとおじいさんも会いたがってるわ。」という科白を無くされることで、“仏壇のある部屋へと向かった”という行為が、“私の意志”として、物語に自然な意味(説得力)を注ぎ込んでくれるように思いました。 (羽(リライト版))

2024-08-01

小学生のときに、未来の自分へみたいな手紙を書いて、タイムカプセルに入れた記憶が今も薄っすらと頭のどこかに残っています。ハツさんと状況は異なるかもしれませんが、実は僕も開けるときにその場に行った覚えがなくて、思い出のなかにいる人たちの顔は見えて来ない、というお言葉がそのまま答えなのだと思いました。ちょっとハッとしました。お読み頂き、ありがとうございました。 (タイムカプセル)

2024-07-31

おまるたろうさんのコメントは、いつも面白いなと思いながら拝見させて頂いております。作品も面白い。コメントを書ける作品とむむむとなってしまう作品もあって、意図されているのかもしれませんが、ふり幅が魅力的ですね。またコメントを書かせて下さい。 僕は詩の垣根みたいなものを越えようと頑張りたいと思います。その先に何があるのか、この目で見られたらいいなと思います。お読み頂き、ありがとうございました。 (タイムカプセル)

2024-07-30

「なぜ其れはかわっているのだ!」の部分から、投げ込んだ人と、投げ込まれた人が、入れ替わっていたら面白いなと想像しました。「みしらぬ顔立ち」は、それを否定することとして読みましたが(投げ込まれた人は投げ込んだ人の顔を知らないという可能性は残りますが、投げ込んだ人の視点でこの作品が語られているものとして)、全体的に、蛇口からゆっくりと水滴が滴るような雰囲気が漂ってきて、静謐な怖さを感じました。 (浦)

2024-07-30

これは少し前に書いたもので、以前A・O・Iさんにお読み頂きましたが、更にずっと昔の、多分詩のような文章を書き始めた頃の感じを思い浮かべながら、作ろうとしていました。それが背景にあり、初めから行分けの形式で書いていきました。表題にも、それが自然に出てきていると感じます。 呼吸するように読める文章というところに自信がなかったので、「。」は場面を区切るために、「、」はちょっと休憩をして欲しいところに(当たり前かもしれませんが)、補足的な意味として書き足しました。コメントを読ませて頂きましたが、そういったものを含め “無くても読める”と書いて下さり、本当は無かった(しなかった)方が自然なのだと思います。 行の見せ方、文字の選別、言葉のリズム。胸の芯を打つ作品は、一文を研ぎ澄まし、追及していくことで生み出されている気がします。作品全体を見てコメントをお書き頂き、ありがとうございます。とても嬉しいです。 (タイムカプセル)

2024-07-30

音楽の授業はからきしだめだったので、そういったフラグを立てられた(立てた?)みたいな世界に生きることはできなかったのですが、今まで何ごともなく生きてこられたのは、その分、周りの人たちがしっかりしていたということなのだと思います。よく分からないのですが、周りの人たちに感謝をしてしまいました。そんなタイプの人間ではないのに! お読み頂き、ありがとうございました。 (タイムカプセル)

2024-07-30

全文良いのですが、特に「どういうわけか海賊は片足が多いからだ」の、“海賊”と“片足”もカ行から始まっているのが本当に演出として憎いと思いました。 終盤にかけて二転三転する展開が用意されていて、こんなの書けないとなりました。“先生”という伏線も好きです。 「カ行はサ行の前だ」のところ、一つの可能性とすれば、サ行が後なので、先生(サ行)=息子(後に生まれたもの)と思いましたが、隊長(タ行)、先生(サ行)と(タ行はサ行の後に)なってしまうので、はじめから隊長と呼ばせるよりも、カキクケコがつく呼び名にされていれば、読み終えた後、きっと泣いていたと思います。 (カ行が大事)

2024-07-28

書き足されているということで、あれこれ不要なことを書いてしまわないように気を付けたいのですが、私の脚に羽が生えてくるという根拠を、狭義的に鳥などと結び付けて、示した場面があるといいかなと思います。 昔、鳥を飼っていたとか、気付くと鳥の羽を収集してしまう癖があったとか、孵化であったり、卵から連想されることでもいいですし、そういう逸話を私と祖父の間に共有されることが、脚に羽が生えるという幻想に対しての、ひとつの納得材料になるのではないかと思いました。なんかちょっとだけ飛ぶことができるんだけど、調べてみたら祖父方の先祖が天狗の末裔だったわ!みたいな感じでしょうか。 あとから考えたのですが、このお話は、祖父が自分のことを忘れさせまいとして、私の脚に羽(思い出?)を生やした、と幻惑させた、というのが一つの可能性、という気がします。 私の名前に関して、パッと思い浮かぶのは、みう(美羽)とかひな(雛)とかでしょうか。“さき”のように平仮名表記にしておいて、読者が頭の中で漢字に変換をして一驚するという、ドッキリですね。 (羽)

2024-07-28

最後の一行が、そこから逆算されたかのように、鮮やかに物語を締め括っています。 「スカートから顔をあげると、おじいさんとたしかに目が合い」という部分なのですが、スカートから顔をあげるという状況がよく分からなかったことと、多分自動的に変換されていると思うのですが、六十代くらいの男性=目が合ったおじいさんなのかなと思いました。 この作品から二つのことを感じました。一つ目は錯覚。序盤、喫茶店にいたおじいさんと私の祖父とを錯覚。両脚に羽が生えてくるという錯覚。二つ目は魂。漠然とですが、羽というのは祖父の魂なのではないかと思いました。書かれてはいませんが、祖父が息を引き取る間際、私もそこにいて、祖父の口からたくさんの羽が吐き出されているのを見た、というようなことを想像しました。 中盤で祖父に助けを乞うシーンが描かれていて、なぜ祖父に助けを求めたのだろうと思っていたのですが、唯一、この世界にいない人だからなんですね。理由に細かいディティールを感じました。 「視界を一枚の絵画としたときの消失点のあたりに、コンビニが見えていて」という表現も技法のようでいいですね。情景がありありと目に浮かびます。 別の見方をすれば、祖父と私とのエピソードがあると、私の心に、読み手はぐっと近づけたかなと思いますし、祖父から見た私の視点というのも作れたかと思います。それから最後、私の名前が祖母の口から明かされるのですが、「羽」のついた名前だったら、笑ってしまうくらい気が利いていると思いました。 (羽)

2024-07-26

まなざしの射程という言葉、それから全体の雰囲気、そして最後の終わり方が人間臭くていいなと思いました。気になったのは、まなざしの射程という言葉に頼りすぎていること、異国のプラネタリウムの“異国”という言葉にちょっとセリフっぽさを感じたことでした。 (射)

2024-07-26

真ん中の言葉の数式が興味深く感じます。この数式と、表題だけでも十分という気がします。 (夜の梟)

2024-07-26

さえない作品などでは全然ないと思います。少なくとも僕にはこのように豊かな文章は綴れません。この作品を読ませて頂いたとき、頭の中にはハツさんの『生活ってなんだ?』が浮かんできました。二つの作品は、似ているところがあって、違うところもあります。僕が感じた違いを一つだけ挙げるとすれば、作品の明度の調律だと思います。物には陰影が自然とできるように、明るさと暗さのバランスが、自然であるか不自然であるか、ということを読ませて頂きながら考えました。 (食パン)

2024-07-26

こんばんは、天才詩人2さん。お名前は以前から記憶しておりましたが、直接コメントのやり取りをさせて頂くのはこれが初めてかと思います。 僕は感想文を書くくらいのことしかできませんが、お役に立てることがありましたら、何かご協力させて頂ければと思います。ただ、僕はディスコードというものを使ったことがなく、当面使う予定もありませんので、その場所が前提としてあるのであれば、ちょっと難しいかと思います。 (花篭)

2024-07-25

序盤はとても良かったのですが、後半に進むにつれて既視感を感じるようになり、生活、消費、社会、病気といった、よく目にするキーワードを、あまり目にすることのできない物語に変換しきれていないまま、終結したように感じました。作品に、描写を突き詰めていくか、構成を突き詰めていくか、型にはまることのない独自性のような、例えば“アイルランドを旅した友人からの手紙”を作中に書き出してみられるとか、思わずそうくるかと、感嘆してしまうような、強みがもっとプラスされてくるといいなと思いました。 “食パンは食べなかった。”という終わり方がいいですね。ナスと食パンの食べ合わせなのか、あるいは気分的なものなのか、ちょっとした(自分の)変化の例えなのか、色々と想像を巡らせることができます。 “光。”という単語が、二度置かれているのが個人的に好きなのですが、どちらも作中において場面を転換する(区切る)役割を果たしていることと、二度目の“光。”には、そこを読んだあとで自動的に、最前文にループしていくような効果も感じました。繰り返す日々を取るか、僅かな変化を取るか、タイトルを反古にするかもしれませんが、僕は最後、二度目の“光。”で終結させるのも新鮮かなと思いました。 (食パン)

2024-07-23

カバとヤギというのは、幼少期からの刷り込み的なキャラクターとして成立している、と感じる一方で、フラミンゴというのは僕の中では足の細いピンクの鳥くらいしかイメージが湧かなかったのですが、カバとの体型の比較であったり、スマートさの象徴であったり、flamma(炎)としての役割など、色々な意味が込められているのだと考えます。タイトルをヤギのスープではなく、『ヤギの頭のスープ』とされていて、最後、なぜヤギがスープにされるのだろうと疑問に感じる部分もありましたが、ヤギの頭がスープになるのであれば、ヤギの思考もそこに溶けているはずで、それが作品の中で触れられていないのは、ちょっともったいない気がします。実際にヤギの頭のスープという郷土料理が存在したり、有名なバンドのアルバムのタイトルにもなっているみたいですので、そこから着想されたのかもしれませんね。最後に書かれた、懐かしい味、というのが日めくりカレンダーを食べさせていた意味と繋がり、意図のある終わり方だと感じました。最終連の部分は、語順を少し入れ替えられたりするだけでも、すっきりとした見せ方があるように思いました。 (ヤギの頭のスープ)

2024-07-23

>本当の子供を人間らしく育てられない家庭があるとか、おれたち、いったい何やってんの、って。その状況を俯瞰できる視点で、神でも仏でも宇宙人でもはぐれAIでもいいけど、マクロの世界とミクロの世界をつなぐ、マクロへの怒りとミクロへの慈悲をつなぐ、という意味で「開通」。 今、・・・・・・戻ってきました・・・・・よ。  なるほどなと思いましたし、僕もそう思いました。僕達が生きている間には物理的な開通は難しいかなと思いますが、精神的な開通というのは僕達大人ひとりひとりの心がけ次第だと思います。子ども達(を覆う現実)から目を背けてはいけないと、改めて感じさせてくれる作品だと思いました。 (開通)

2024-07-21

SFだと思ったり、青春だと思ったり、犯罪だと思ったり、くるくると、正体を掴ませず、目まぐるしく変容していく作品でした。近未来的でありつつも、下地にされているのは現代社会で起こっていることなのだろうなとちょっと思いました。ゼッケンさんは最後のセリフにどういう意味を込められたのか、(僕は反抗だったり復讐だったりするのかなと感じました)、気になりましたが、データの遮断が何かの『開通』の合図?、や、大きめの謎が謎のままに書き残されていたり、あるいは、今後別の作品でやんわりと解き明かされていくのかもしれませんが・・・僕のように普段から誰にも気づいてもらえない・・・シグナルを出し続けている人って・・実は多いんじゃないかなと思・・ったり・・・しま・・・・した。 (開通)

2024-07-18

A・O・Iさんの主語を変えてみるという発想は面白いですね。“人名”の場合も想像してみたのですが、読み手と作品が切り離されて(主人公への感情移入の薄まり)、括弧の文章と、その他の文章とのトーンが統一された感覚がよりあったのは、僕は主語を“女”や“男”に変換したときでした。こういう方法は今まで考えもしなかったので勉強になりました。 (生活ってなんだ?)

2024-07-18

まず、「奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはん」というのは作中の“わたし”に投影されているのではないかと思いました。雨と川、川縁やごはんや鼻に流れ込む様々な匂い、湿気と洋服が汗を吸う音、生活の中にいる“わたし”。文章の端々から映像がにじみ出て、一行読み進めるごとに、作者と読者の目の前で、鮮やかに双方のイメージが結ばれていきます。次に気になったのは、「(~昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」という記述でした。「何も考えずに」と書かれつつ、ナレーションのようにこの記述が挿し込まれ、連と連が繋がれていきます。僕はこの一文から死を連想したのですが、死、とまではいかなくとも、行方をくらませるという可能性もなきにしもあらずなのですが、前連で細密に書かれた料理の場面からは、やはり生活という、生の部分を想起しやすいように感じます。なので、↑の記述(死のイメージ)がその分、不意に現れすぎているように見えて、少し気になりました。仮に、生と死の対比がそこにあったとしても、死のイメージの方は今にも死んでしまいかけているように、目のきわにか細く映って見え、その生と死の力のバランスのようなものが不均衡に強調されて感じられました。「~奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはんがあった。」で締め括られるのも、一番上に書いた理由が生きてくるような気がして、とても良いので迷いますが、例えば今の最終連を繰り上げて、「(すくない収入のこと、離れて暮らす両親、さらに離れた場所に住む祖父母のこと、姉のこと、妹のこと、昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」の方を終わりに据えられると、(僕が感じた)唐突さは、強い読後の印象を残すための結末へと、挿げ替えられるのではと思いました。あるいは現状の終わりのままであれば、「(~昨日の雨のうちに自分がいなくなるべきだったこと。)」の伏線(例えば精神を落ち着かせるために安定剤を口にしている場面や、“わたし”が唐突な不安に駆られてしまう性質があるみたいなシーンを前段階として描かれるなど)をどこかの連にひっそり忍ばせておかれると、感じた唐突さはすっと腑に落ちていく気がします。あるいは、増水した川や(大)雨というのは、反射的に人間の不安な気持ちを表す言葉であるとも考えられますので、そこに(意識的に)フォーカスを作ることで、“わたし”の中にある不安みたいなものがおのずと代弁されていくのではと思いました。雨の日の川の流れと、“わたし”のふがいなさもどことなく似ているんですね。起点と終点が雨上がりの空みたいに繋がって見えました。『生活ってなんだ?』という表題は一見かわいらしくもあり、はたまた、『つなぐ』でも意味が通じるのではないかと思いました。『ゆれる』みたいに。それから家族の登場のさせ方がとても上手だと思いました。その一行の中に“わたし”のルーツを散らばせている感じがして、そこから安易に家族の話に広げていかれなかったところがまた、“わたし”により焦点を絞られている感じもして、作品の奥行きを広げる効果が最小限で得られていると感じました。と同時にそれは、物語を広げていく源流にもなりうるかと考えます。終盤の方にある「これをくるくる巻いている間だけわたしは何も考えずに“住む”」はタイプミスかと思いました。着目すべきところを挙げれば終わりが見えてきませんが、この作品を拝見しながら、頭の中では『水たまりで息をする』が浮かんでいました。この作品を形作る息をするような自然な文章は、息をしなければ生きられないことへの裏返しだと思いました。 (生活ってなんだ?)

2024-07-14

二連目の終盤から行分けに移行するところで書かれているのはアイドルになりたかった願望みたいなことかもしれないと思ったのですが(間違っていたらごめんなさい)、この部分が一連目とどう関わっているのか僕の頭の中で上手く処理できない部分がありました。一行目に出てくる天使は偶像でもあるかなとちょっと思いました。最後は夢オチでもあるのかなと。「私は国名ばかりあげてきみを困らせた。」というイメージがとても面白く、それを否定する「しりとりをしよう 国名禁止の」という行が同じ作品の中に描かれているのがまた良いな、と僕は思います。それを夢で繋いでいるような。夢というのはこの作品の中核にあると思いますが、夢という言葉の広さに収拾がつけられていない気がしますので、そこが整理されてくると、この作品の本当の良さというのが、見えてくるように思います。どういう形式がしっくりくるのかというところですが、散文でまとめてみられる手もありだと思いました。 (未来の発明)

2024-07-14

挙げて頂いたsns以外でさっそく申し訳ないのですが、noteというサイトをアーカイブとして利用してます。僕の書いたもののタイトルをどれか適当にnoteの検索欄に入れて頂けますと、個人ページに行けると思います。そこでの筆名は違いますが、同じものが書いています。希望としましては、メール(文章)でのやりとりをさせて頂けますと、いつでも見ることができるので、時間的に助かるかと思います。ですので、ハツさんと、もう一人の方と、僕とで、三人同時にやりとりをするのは、現状どうも難しいように思います。面倒かもしれませんが、それでもよろしければまたご連絡ください。 働きながらふわふわ感を保っている方は逆に貴重ですよね。強さを秘めているような気がします。 (水分をかんじない)

2024-07-08

お誘い頂き、ありがとうございます。いいですね、面白そうです。色々とお心遣いも頂き、ありがとうございます。僕などでよろしければ、全然大丈夫です。ただ、アナログ人間ですので、ディスコードもチャットもやったことがないのですが、逆に大丈夫でしょうか。むしろそういった部分は、可能であれば省いて頂いても構いません。今お返事できるのはこのくらいですが、先の方に目標が立っているところが素敵で、ふわふわ感もいいなと思いました。 (水分をかんじない)

2024-07-08

投稿初期の作風は、発想力や疾走感、などを上手くひとつにまとめられているので、そこには説得力(視野)を感じる見せ方があると個人的には思うのですが、今回の作風というのは初期の頃とは作品の見せ方が異なるように、また違った説得力(視野)が必要になってくるのではないかと思いました。人体の構造を知ってから人物を描けば、知る前の絵とは違いが生じるように、そこにはきっと、表現や描写力というものが必要になってくるのではと感じました。そういったことを作品により継ぎ足されると、(作品の)輪郭が際立って見えてくるのではないかと思いました。 ひとつ作品のリンクを貼らせて頂きます。 『Sept Papillons』 まりにゃんさん https://www.breview.org/keijiban/?id=764 (リボルバー)

2024-07-08

>「とどのつまり」はトドがウツボの隠れ家に詰まる事故のことで、水族館内で日常的に使われているスタッフ用語ですよね。 実は適当に書いていますので、その例え頂きたいですね。 こうやって想像して頂けるのが嬉しいです。 >少しだけ食べられる方って、どっちやねん。どんなんやねん、とツッコませるこんなルールこそが詩的なんですよね。 これも想像ですよね。想像と、思いやりの気持ちも混じっているのかもしれませんね。 ちなみにパピコのアレと称されるみたいです。https://withnews.jp/article/f0191110002qq000000000000000W00o10101qq000019933A スピッツ良いですね。すごく好きなバンドです。『名前をつけてやる』というのもまた通ですね。名前をつけるのが詩人という例え方も言い得て妙だと思います。でもそれはまた、フェイクファー的であると言いますか、恥ずかしがり屋な部分も含んでいるのかなと僕は思います。 『花篭』で書いた一行一行は花だったんだなとふと思いました。読む方によって、摘む花も違うのかなと、そんなことを想像させて頂きました。 コメントを頂き、ありがとうございました。 (花篭)

2024-07-08

しりとりで進んでいく会話とか、髪の毛座の話とか、惹きつけられるように結ばれていく展開を、面白く読ませて頂きました。行分けされた箇所に入った途端、結ばれていたものがほどけてしまった印象がありました。行分けでリズムを変えられたのは、最後の、(きれい、という唐突な終わり方を自然に見せるためなのかなと思いましたが、(行分けがまずいというわけではなく)、内容として成功していないように僕は感じました。この箇所では「しりとりをしよう 国名禁止の」というフレーズが軸になるかと思いますので、その印象をより強く残るように書き出されると、たくさんの結び目が保たれたまま、最後まで楽しく読むことができる作品になるのではないかと思いました。 (未来の発明)

2024-07-07

こういったサイトの利点というのは、読み手と書き手が刺激し合えるというところにあると思います。良い作品を読めば、自然と自分も何をか書きたくなる。作品が読み手を選んでしまうのは必然的だと思いますが、ぺえ太さんは詩作品のポイントとなる部分を、上手に取り入れながら作品を書いていらっしゃっていて、僕は筆力の高い方だと思っています。それから、おまるたろうさんも。僕の感想文みたいなコメントにもしっかりと返信をして頂き、それは僕の刺激にもなっています。作品を書くというのは往々にして骨が折れる作業であると思うのですが、刺激があることで、乗り切れてしまうものでもあると思います。こちらこそ、ありがとうございました。 (天の邪鬼)

2024-07-07

「とはいえ気がつくと今朝ぼくは死んでいた、」が歯切れの良い終わりどころではないかと思いました。展開の面白い作品ではあるのですが、欲を言えば今の4、5倍くらいの文章量があると、さらに言葉が躍ってくるのではないでしょうか、きっと大作になる予感がしました。 (made inぼく)

2024-07-06

映像が頭に思い浮かばなかった。表現や描写に起因しているのかもしれませんが、映像が見えるという説得力に押し負けているような気がしました。 (リボルバー)

2024-07-06

僕が思うに、詩に必要な要素、みたいなものがこの作品には詰まっていると感じました。例えば、水庭、大階段、ハナムグリといったあまり使われないでろう単語をちりばめながら、スウィング・スウィング・スウィング、チーチキ チーチキ、はやる足取りのウォーキングベースなど、読み方に溜めを作る部分が用意されていたり、「墨をこぼしたような空に飲まれていった」や「リュックの中身と胸騒ぎを 酒屋の軽トラが高らかに跳ねあげていく」という言葉の表現であったり、「きっとあんたはいないだろう それでいいんだ」という終わり方が『天の邪鬼』という表題に補完されていくところなど、意図をもって丁寧に書かれた作品であることがうかがい知れます。2連目に駅(前)に向かっているという表現があるのですが、3連目、そのまま駅に向かっているのか、別のところに行ってしまったのか、というのがよく分かりませんでした。待ち人はいないと思いながら、それでも待ち合わせ場所に向かってしまうセンチメンタルさは、主題として有効であると思います。“おいら”というのが実は野良犬だったり、人間じゃなくても面白かったのかもしれませんね。それから1・2・3連通じて同じ文調なので、例えば3連目だけ、密度を濃くして書いた一文をさし込まれるとか、さらに一工夫加えられると、作品によりメリハリが生まれるのではないかと思いました。 (天の邪鬼)

2024-07-06

乾燥する(させる)母というのはそれだけで読んでみたくなるような面白いテーマだと思います。『無題』の世界と少し繋がっているような気もしましたが、作品単体で読ませて頂くと、母以外のキャラクターがまだ上手く確立されていないように感じました。逆を言うと、乾燥というテーマを行き着くところまで深彫りをされてから、そこに必要なキャラクター(という役割)を配置されてもいいのかと。 父、私、犬という外堀が定型化されてしまっているのではないかと思いました。https://www.breview.org/keijiban/?id=7504 『でもわたし、かわいい』 りおさん わたし、かわいいというテーマに振り切った作品だと思います。色々な人物が登場しますが、テーマと人物との組み合わせ方がとてもスマートだと思いました。僕もいつかこんな作品が書きたいということで、リンクを貼らせて頂きました。 (水分をかんじない)

2024-07-06

シャワーが止まれば、水たまりにはひとつの物語がうつしだされているかもしれませんね。夏の日に素敵な例えを頂き、ありがとうございます。 (花篭)

2024-07-06

きらっと暗い目の奥で光っているみたいな作品だと思いました。また続いていきそうな表題ですので、それが混ざっていくのを待とうと思いました。 (雑談その1 肝臓の脂)

2024-06-16

この作品は①感覚的に読むべきか、②順序立てて読むべきか、それとも③その中間として読むべきか、読んだあとの感想として、①・②の感じもあるのですが、③に近いかなという印象を持ちました。いくつかの繰り返される言葉が、この作品には登場します。その言葉が適切に配置されているのかどうか、というのが(この作品の)ひとつのポイントだと思います。例えば、この言葉がこの場所にこの順番で置かれることで初めて成立をしていく、その動きが連続して展開されていくと、自然に作品としてまとまっていく。というのは理想論かもしれませんが、それが無駄のない作品なのではないかと僕は考えます。ほりさんの『雨と桜』という作品に、そんな感じを受けます。でも、適切に言葉が配置されているかどうか、どこに無駄な部分があるのか、ということは僕にも正直よく分かりません。ただこの作品に関しては、繰り返される言葉によって、作品の物語性が見え(分かり)づらくなっていると感じました。ですので、いったん字面をシンプルにして、物語をしっかりと組み上げられてから、言葉を付け加えていく、という方法を取られると良いのではないか、感覚と物語が近づき、その両方を感じられる作品になるのではないかと思い、前のコメントではそう書かせて頂きました。また、こういうふうに書かせて頂いたのは、この作品に、②順序立てて読む、という物語性を、僕が勝手に感じてしまっているからだと思います。もし②が破棄される形で書かれていたら、違和感は感じなかったかなと思いました。的を射る回答にはなっていないかもしれません。こんなふうに読む奴もいるんだな、という程度に見て頂ければと思います。 (吹雪)

2024-06-16

悲しい音楽って、最後の方に出てきますね。これは銃声のイメージで書いてみました。全部は書きませんが、また違った読み方ができるのかもしれません。踊るように、お読み頂ければと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。 (花篭)

2024-06-09

ありがとうございます。嬉しいです。頂いたコメントとは関係ありませんが、はなかごという漢字を二種類ほど書いてしまいました。好きな方に脳内変換してお読みください。 (花篭)

2024-06-09

感じたことをそのまま書かせて頂くと、過ぎ去りし日々への憧憬を綴られているように思いました。この詩の語り手は確かに存在していると感じるのですが、それは人の体温のように触られて初めて気がつく程度。けれどそれが、かえって人の心を静かに燃やし続けるのだと思いました。 (憂愁)

2024-06-09

よく分からないことだらけの世界のなかで、きみが死にかけているという予感のような祈りだけがわたしの心の平穏を保ってくれる。だからその祈りは作中何度も唱えられている。きみを思うことで、わたしのなかにある死という概念から目をそらしているようであり、じっと見つめ続けているようでもあると感じました。余談ですが、詩誌に投稿されてもよかったんじゃないかなというレベルの作品だと思いました。 (リマインド)

2024-06-08

作者の方のものなのか、自分のものなのか、分からないけれど、読んでいるときにずっと、呼吸をする音が聴こえる。振り向くと真っ暗闇で、うすい布団をかけて眠ろうとすると、耳が起きていて、あっ、まだ、この詩を聴きたかったんだと分かる。 かっこよかったです! (diary_aryarchive)

2024-06-08

何故? という疑問が湧き上がる度、ひたすら指でプチプチのように押し潰していく。段々そのコツが掴めてきて、何故? が浮かび上がる前に指が勝手に動く。それは病気かもしれないと思っただけで、病院に行くほどのことでもないように思える。 曖昧なことがつめこまれたような作品だと感じました。読んだ後、考えるよりも体を動かそうという気持ちになれました。 (話)

2024-06-08

書かれてあることは、自分自身(作者自身?)に向けられているような気がします。ただ、それ自体も隠すような書き方がしてあって、いつもの作風とは違って見えました。 最後の、 「まったく呆れるじゃないか。これぞ都会の神髄。見え透いた嘘をいう輩で腐ってる。俺はいつだってガチだよ。ぜんぶ嘘って知っているから。ぜんぶバカバカしいから。だからこそ、ガチになれる。」 ここだけ色が違う印象を受けました。その色味の違いを受け入れることができるどうかだと思いました。 (はね)

2024-06-08

文章が淡々と続いているように思う反面、それがこの作品の主題をとても効果的に見せていることに気づきます。また、主題の移し替えがとても自然に行われていて、このさりげなさに込められた筆力に脱帽です。書かれているのはテレビなどでもよく目にするテーマなのですが、ネットを繋ぐ時代から、いつのまにか、ネットに繋がれてしまった時代になったのも、必然かと改めて感じました。自分が大切にする人・しなければならない人が、果たしてどこにいるのかを、深く考えさせられる作品であると思います。 (アナザーホラー)

2024-06-08

>ぼくがバイト先のレジから金を抜いたと聞いて、おれは腹を立てた このあたりから雲行きが怪しくなる感じがありました。今、何行目だろうと確認してみるもまだ一行目なんですよね。 それから人がたくさん登場します。 店長とオーナーは本当にその場にいたんだろうか・・・・・・。 もう、細かいことには触れませんが、 >全員が自分だ >全員が血を流した というのがこの作品のあらましだと思います。 あー、店長とオーナーもぐるぐる巻きにされていますね。 すでに辞めた、とか、すでに逃がした、とか、チェックするために駒を動かした途端、チェックメイトされたみたいな、ことがサラッと噛ましてあって素敵だと思います。点くはずの火がつかなかったという、予定調和でない終わり方も、物語と合っていますね。ということは予定調和な終わり方だったということですね。面白かったです。 (おまえじゃねぇ、と一人称は言った)

2024-06-08

描写や比喩、説明的な記述を極力少なめていくことで、“読む”から“見る”というスイッチに切り替わり、頭の中で映像化されていくような感じがありました。それは、書き手と読み手の距離を縮める描き方というよりも、映画館でスクリーンを眺めているような、観客とスクリーンとの間に、一定の距離が挟まれた状態に似ていると思いました。前衛作品を鑑賞した後の気持に似ているかもしれません。最近読ませて頂いた作品とはまた作風が違っていますね、あるいは試験的に書かれた作品かもしれない、とそんなことがふと頭をよぎりました。 (波うつ胸へ沈む船が、)

2024-06-08

発想がとてもいいなと思いました。ただ、読ませて頂いて、作者の方の書きたかったことと、実際に書かれてあることが、どことなく一致していないように感じました。運動でいうと、無駄な動きがあるような。本当に書きたいことはそのままに、勢いで書いてしまった部分があれば、そこを選別・推敲して、すっきりさせたあと、また言葉を付け加えていく。それを繰り返すことで、言葉が濾過されて、必然的に大切な表現が残されていくのではないかと思いました。 (吹雪)

2024-06-08

読ませるということにアプローチされた作品かなと思いました。前作の残り香も纏わせつつ、また違った書き方で展開されていかれたように感じます。「ピアノの音が聞こえたんだ。メロディーになってリフレインしているんだ。」という繰り返されるフレーズを起点にして、物語は動きだしていく。途中で色々な自然を挟み込まれるのですが、ピアノってやっぱり、自然とか森とかのイメージと親和性が高いなと勝手に思いつつ、田中さんの中では一つの場面としてこの作品は完結しているのだと思います。個人的には、思わず読むことをとめてしまうような、強烈な出っぱりが一つくらいあってもいいのかなと思いました。そこをヤスリがけ、ではないのですが、読みながら自分の中で平らにしていく作業も面白いですよね。ともあれ、滑らかな切り口で、丁寧に描き出された作品だと思いました。 (PHOENIX)

2024-06-08

読みにくいものを読んで下さったというだけで、とても嬉しいです。読みにくさというのは書きたいという気持ちの原点みたいなものかもしれません。コメントを頂き、ありがとうございました。 (愛)

2024-06-08

コメントを拝見させて頂いて、紙でもネットでも同じ、自分が自分に残そうとしていくかどうかだと感じました。うろ覚えのまま書いてしまうのは確かによくないことでした。ご指摘頂き、ありがとうございました。以後、気をつけたいと思います。 (風花想)

2024-06-04

「僕」がそういう意味ではなく、でした。 (あのね)

2024-06-02

作品も面白いし、コメントも面白い。ゼッケンさんって誰なんだろうなと思います。でも長くなりそうなので、この辺で。次回作も楽しみです。 (アルマゲドンスモーキングビーチクラブ)

2024-06-02

自分の作品に納得していないというのは、先を見つめることができるということだと思います。bird、覚えています、今ここでタイトルまで書くことができればいいのですが、残念ながら失念してしまいました。タイトルだけ覚えていて、内容が・・・という作品もよくあります。良くも悪くも、これがネットの世界という気がしています。視覚的な表現への挑戦、リライトを含めてまた作品を描かれる可能性があるということ、とても楽しみです。待たせて頂きます、でも無理はなさらずに。 (風花想)

2024-06-02

読後感がとても良かったです。 特に最後の行、『あのね 僕は君に綺麗な話“が”した“い”んだよ』の、“が”と“い”の言葉の選択。 作中で描かれた言葉(話)では、「僕」が話したかった綺麗さというものをまだ十分に表現しきれていない、君に「僕」の本当に綺麗だと思う話を、もっと語ってあげたいんだというふうにも読めました。割と負のイメージも作中に挿入されているので、そういった話で相手を惹きつけるかように、自分(僕)を見て欲しいという、相手(君)を介した自己承認欲求を表現されているようにもみえました。 最後の行を少しだけ変えてみると、 例えば“が”を“を”にして“い”を抜き取ると、 『あのね 僕は君に綺麗な話をしたんだよ』 となり、相手に確認を求めているだけとなってしまって、それはどこか有り体にも感じられてしまいます。たかが一円ではないですが、たかが一字(数文字)の持っている役割というのは、大きいように思います。 下記は、「僕」の口調に違和感を感じたところです。 ゴロゴロ粉を挽いてお団子ができる魔法“よ” 雪の記憶は特別“だな” 「僕」という第一人称が、同一人物(同一年齢?)だった場合に感じる違和感でした。「僕」がそう意味ではなく、汎用的な使い方をされていることもあるかと思います。その場合は、いらぬ忠告だったと聞き流してやって下さい。 (あのね)

2024-06-02

どのダンボールにしまったのかを忘れてしまって取り出すことができないので、勘で書いていますが、「グッドモーニング」期の最果さんを想起しました。「グッドモーニング」に収められた作品には言葉や記号が散らばっていく感じがしますし、『Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay』は例えばronaさんのお言葉をお借りすると、欠損であったり、消え/消されずに残った言葉(雪の上に書いてあるよう)という感じがします。なので(ちょっと違うかもしれませんが)、言葉をどうにかしてやろうとするベクトルみたいなものの相似性を、双方に感じています。 「自由に自分がやりたいように書いてる」 書き手の心情だったり月日や身体の変化というものが、作風に大きく反映されると思います。商業のものであれば、周りのニーズが、大きいのかもしれません。 『Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay』という表題を見ると『沈水花』を入れ替えてあることに気がつきます。『沈水花』に使われた言葉に新しい言葉が続き、「黙れよ。で、完結されたと一瞬思ったのですが、replayによって、また新たに解き放たれていく感覚がありました。読む前と読んだ後では、目の前の物事が変わって見える、もしくは、入れ替えられている? 葉月さん、最果さんの作品には、そんな、ただ真似るだけでは真似しきれない何かが込められているのでは、と思いました。 (Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay)

2024-06-02

極論を言えば、ひらがなだけで構成した作品に挑戦されてみる、とかですかね。その先には、今までとは違った感触とか、展開が待っていると思いますよ。お暇な時にでも、少しずつ練習されてみて下さい。できたら、読ませて下さい。 (リフレクト)

2024-05-31

チラッと見えた吸収さんの決済系 d払いというコメントに笑ってしまった。なんなんだろう、すごい。 (アルマゲドンスモーキングビーチクラブ)

2024-05-31

>かたてでかぞえる夜のかずと >りょうてでかぞえる雪のかずが という部分、雪のかずという表現が特に素敵だと思いました。作品に付随する物語性、あるいは物語が始まっていこうとする淡い感覚が(はれたひははれることがあたりまえのようで という書き出しからそれをひしひしと感じました)、作者の方の詩にはいつも予感されます。その予感を詩の中に滲ませるのは、決して容易なことではないと、詩を書く人ならばみな、知っているはずと思います。 僅かな言葉だけに漢字が充てられていて、それは作者の方の感性だと思いますので、僕が言い添えることに意味はないと思いますが、その行為から、もう少し何かを感じてみたかったなと思いました。 話は変わりますが、もう読めなくなってしまった、紫陽花の出てくる詩が好きでした。また、読んでみたいです。 (風花想)

2024-05-31

タイトルがめちゃくちゃに格好いいですね。タイトルを読んだら大体すべてが分かってしまうような、内容を一切読まなくても、もうそれだけでいいみたいな、すごい磁石で全部をくっつけていく感じがして、思わずこの磁石の名前を調べてみたのですが、ネオジム磁石っていうみたいで、なんか日本の方が発明されたようなのですが、スケールが大きいというか、Wikipediaで調べただけでも、壮大すぎている感じが伝わってきて、宇宙的でもある、そういえばアルマゲドンっていう映画が昔流行りましたよね、僕も見たことがあって、あのとき町中で鳴り響いていたのは『All I Want For Christmas Is You』か『I Don't Want to Miss a Thing』だけ、という具合で、そうしている間にもラストシーンのみを何度も見返した記憶なんかが突然脳裏に蘇ってきたりして、いてもたってもいられなくなって、またWikipediaでアルマゲドンページをひらいてみると、アルマゲドンとは全く関係のない寄付を募るコメントが出てきたんですよね、今は本当にどこも大変なんだなとつくづく思わされたというか、そういった凹的な意識を、無意識に植えつけられていきながら、みんな大人になるんですよね、もうアルマゲドンなんか見なくても、ハリー・スタンパーの気持ちが痛いくらいに分かってしまう、そんな作品だと思いました。明るく終わっているところが、いつものゼッケンさんの作風とは少し違うのかな、でもそこが好きだったりします。 (アルマゲドンスモーキングビーチクラブ)

2024-05-31

葉月さんの作品に惹かれてしまう理由って、他にこういった書き方ができる人がいない、その類のなさからきているのではないかと考えます。でも昔を振り返ってみると、僕のうやむやな記憶の話で申し訳ありませんが、こういう書き方をする・できる人は、ある人数、存在していたような気がします(僕が知らないだけで、今もいらっしゃるかもしれません)。書ける人が歳月とともに徐々に少なくなってきたのか、スタイルそのものが変容してきたのか、詳細は分かりませんが、今はほぼ見ることができない。 葉月さんの作品には、書かれている文字から、意識を離れさせてくれるエフェクトが掛けられているように思っていて、だから僕は、その思考そのものに興味を惹かれているのだと、改めて思いました。 (Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay)

2024-05-31

ひとつひとつの場面を丁寧に描こうとされながら、そこに連続性も加味させようとしている印象を抱きました。全然詳しくないのですが、禅とか茶道とかが持つ時間の流れ方に、この作品は近いのではと思いました。また、丁寧に描く、というところに着目すると、カタカナの使い方というのが見えてきて、僕の個人的な感覚を多く含んでしまうのですが、ひとつひとつの連の中に、カタカナが多く使われているので(僕は冷たさや硬質さみたいなものをカタカナに感じていて)、カタカナの持つ、そういった一面と、作品にある、心に流れこむようなゆったりとした時間や風合いというものが、上手く合致しきれていないように思いました。ただ、カタカナというのが佐々木さんの持つ色合いでもあると、過去の作品も含めて感じます。作品が纏っている、もしくは作品に纏わせている空気感みたいなものに応じていくように、文字の表記、を考えてみられると、また違った可能性が見えてくる気がしました。 (リフレクト)

2024-05-31

A・O・Iさんの書かれる小説、読んでみたいですね。すごく価値観が変わってしまいそうで、ちょっとこわいですが。「風花想」に寄せられたコメント、拝見させて頂きました。まさにA ∩ Bのような感じだと僕も思います。そこに付け加えさせて頂くことがあるとすれば、①まずタイトルを読んで、②次に内容を読んで、③そして再びタイトルを読むと、④全てがひとつに補完する。タイトルと内容というのは、そんな関係が望ましいと考えています。ただ、この4コマみたいな関係が容易には作れないというジレンマがありますね。内容に走るか、タイトルに走るか、昇る太陽に向かって行くのか、沈む太陽の方に行くのか。みたいな、どちらかに向かってしか、走れない、という。歩くよりかは、まだいいのかもしれませんが。また、得てして、内容の中にある言葉をタイトルとして使いがちですが、そういった自分の作った罠に、自らが嵌りに行くスタイル、詩を書くという作業のすべてが、すでに体現されているようにさえ感じました。 (愛)

2024-05-31

少し寂しい感じがして、気になる作品でした。金魚というと嘉村奈緒さんの「捨て金魚」が思い出されるのですが、その作品にも寂しさの感情が漂っていて、金魚というフレーズには、共通して、何かそういったもの悲しい気持ちが、表現されているのかなと思いました。表題を「金魚に食べられる」とされていますが、僕は“食べられる”というよりかは、金魚を“食べる・弔う”に近い、という感覚を持ちました。瞬間を切り取られた作品だと思いますが、その中にはゆっくりと流れていく大切な時間を感じました。 (そして金魚に食べられる)

2024-05-31

人の呼び方って、自分の年齢によって変わってくるものだと思います。おばあちゃんという呼び方で終わるには、作中において、呼ぶ人の年齢を意識させるように書かれるといいと思います。おばあちゃんで終わる終わり方、作品によく似合っていて、すごく好きでした。 (無題 リライト版)

2024-05-31

のうのうとと言う表現、良いですね。見えないところからシュートを打たれた感覚がありました。言葉で遊ぶ、遊べる作品。これはエイクピアさんの作品にも通ずる所があるかと思います。普段あまり遊んだりしないのですが、多面的な感じ方ができる作品には、適度な遊びの成分が入っていると思います。まずは天気が良い日は公園とかで、遊んでみようと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。 (愛)

2024-05-31

ありがとうございます。凄く見抜かれたような気がして、ちょっと悔しいです。くじらに飲み込まれたら、その先に別の世界があるんじゃないかとか、勝手に思っています。そんな機会が自分に訪れたら、もっといい作品が書けそうな気がします。がんばります。 (愛)

2024-05-31

創作物の分類をしっかりとするというのは意外と難しいですね。僕もほぼA・O・Iさんと同じような見解なのですが、改めて詩と小説の違いは何かと考えたとき、詩と小説は、お互いが延長上に存在しないものだと僕は答えます。でもこの二つは近くにあって、A ∩ Bのように、重なり合う部分がある。それは詩と小説が混ざり合った、良い部分なのかもしれませんし、詩でも小説でもない、という部分なのかもしれません。僕が書くものの多くは後者だと思っています。それは単純に、分類というものをあまり意識せずに書いているからなのですが、線引きを曖昧にすることで、生まれてくる何かに期待をしているのだと思います。これは補足なのですが、詩は書き手のもの、小説は読み手のものだと勝手に思っています。そういった意味で、誰のものでもないものを書いていきたい、僕にあるのはそんな心理だと思います。 ちょうどよく詩と小説が出てきていますが、タイトルをつけることができるのは、詩と小説、この二つが主だと思います。僕は作品全体を覆うものとしての必然性に比重を置くようにタイトルを考えています。そこには限られた創作物にしか与えられないという意味や価値も含まれると思います。コメントを拝見させて頂くと、A・O・Iさんがタイトルに持たれている感覚と、僕がタイトルに持っている感覚は違うかなと思うのですが、それがまた作品を読んだときの見え方だったり、大切なポイントで作用していくことなのではと考えます。自分の創作をふり返ってみると、そのような重要性のあるタイトル(を決めて)から内容を練っていく、というケースはほとんどなく、やっぱり後から適当にタイトルを決めていることが多いなと、遠い目をしてしまいます。 (愛)

2024-05-31

鯨をモチーフにしたこと、僕も再び考えてみたのですが、詩に存在する声にはならない声(文字になれなかった文字)みたいなもの、その性質は鯨の鳴き声にもまた含まれている気がします。詩の声と鯨の鳴き声、遠いところにあったふたつの声が混ざりあって、ひとつの形をなしていく、そんな話にしてみたかったのだと思います。本や映像で(鯨のことを)見る程度ですが、鯨の鳴き声は子どものようであり、それをあやす母のようでもあり、不思議な響きで、海を泳ぐ宇宙みたいでもある、過去に書いたものにも鯨は登場していて、その存在に、どこか自分自身惹かれているのだと思います。noteもお読み頂きありがとうございます。僕もA・O・Iさんの作品をいつも興味深く拝見させて頂いております。何もお返しできず心苦しいのですが、前作にコメントを頂きました、小説の形にする、というアドバイスに向かって、徐々にそういったものを書きつつあります。鯨は出てきませんが、以前書いたものからひとり出そうと思っています。書き終えたら、教えて頂いたサイトに投稿しようと思います。また、お読み頂けると嬉しいです。 (愛)

2024-05-23

後から気付いたのですが、初めに投稿された「無題」のコメント欄を再読してみると、ご自身で、“自分の中では、祖母、母、子についての物語を書きたいきもちがあるので、いつかこの「無題」という文章の一部もリサイクルされ、長い文になって帰ってくると思います。”と書かかれていて、その予見通りの推敲が行われているさまに、ゾクッときました。序盤にあるメニュー表を眺める感じとか、見た目の判断で飲み物を置く店員だとか、そういったよくよく観察しないと見過ごしてしまうような細やかな描写が、重色していくように、後のシーンをよりリアルな世界へ昇華させていると思います。前コメントでも少し書きましたが、作中、祖母に与えられた役割がとても鮮やかで(ラストの感じも良かったです)、一方、祖父・父といった存在は血の繋がった他人(きっと良い人たちなのだろうけれど)程度の記述に収められていて、それが女性だけのファミリー・サーガ(この単語の使い方が正しいのかどうか自分でも分かりません)という、新しい軸が作品に挿し込まれた印象です。ここからさらに物語の可能性を探求するのであれば、「私」にもスポットを当ててみて欲しいなと思います。18歳で家を出て27歳になる現在まで、「私」はどんな生活を送ってきたのだろうかと気になります。さらに過去を遡って「私」の学生時代のこと、はたまた、結婚して「私」が母になる未来を書かれても良いかもしれません。作品という、切り取られた物語ではありますが、リライトをされたことによって、イメージを固定しない『無題』という表題が、数多の繋がりを頭の中に想起させ、特別な意味を纏ったように、しっくりと感じられるようになりました。まだまだ、家族の物語が終わらなければ良いなと思います。隙をついてもう1コメントでした、すみません。 (無題 リライト版)

2024-05-21

ありがとうございます。ニルヴァーナの要求は高度ですね。僕はあまり聴く機会を持たないのですが、様々な人々に影響を与え続けているバンドだと思います、また知らぬ間に、そこから影響を受けて作られた音楽を日々耳にしているのだと思います。僕も端くれとして、そんなふうに、種が蒔ければいいなと思います。 (愛)

2024-05-21

表面としての愛と内面としての愛。肯定するようで、否定しているような文章を書いてみたかったです。でも思い返すと、これを書いていた時って、“愛”について何も考えていなかったのではないかと思いました。コメントを頂き、ありがとうございました。 (愛)

2024-05-21

もはやリライト前の「無題」とは別物というくらい、ディティールの細かさであったり、怖いくらいに描き出された心理描写であったり、好きな部分をあげればきりがないのですが、全体を例えるならば、商業誌レベルの作品であると思いました。登場人物、建物、空間といったところにまでしっかりと役割が与えられていて、個人的には建物の中の喧騒、父、それから祖母(最後の方でおばあちゃんと表記されていて、意味を持たされた違いなのかまでは分かりませんでした)がより物語に関わるように書き足し/換えられていて、それが浅過ぎず、かといって深くなり過ぎることなく、絶妙な比重で作品に陰影(深み)を与えていると思いました。特に祖母を登場させたことによって、祖母の子である母、母の子である私、目には見えないけれど、脈々と受け継がれていく“血”みたいなものが、より強く香ってくる作品になったと思います。 (無題 リライト版)

2024-05-20

採れたての野菜をざくざく切っていくような、瑞々しい文体だと思います。文章の改行が読点の代わりになっていて、特有のリズムも生んでいると思いました。読む、というよりもいつの間にか最後まで読まされてしまいました。内容も面白かったのですが、「あなたは信じられるのかな」以降は、なにかぼんやりとしていて、初めに書いてあることが繰り返し書いてあるみたいな感じ、たぶん別れ的なことを示唆されているのかなとも感じましたが、このぼんやり感をもっと強烈に書き出してみるとか、払しょくするような新しい展開を作られるとか、もうひと手間加えられると、もっと面白くなりそうな気がします。それから「出会い頭にご注意ください」という表題は、本文といまいち噛み合っておらず、分かりにくさを感じました。見た目の可愛さと、それからカラフルさもあるので、文中の言葉をお借りすると、「マーブルチョコ」でも良かったのではと思いました。終盤で「カラフラな記憶たちは~」とあって、タイプミスかなと思いました。 (出会い頭にご注意ください)

2024-05-18

朝になったら全部忘れてしまっていて。手紙を書いていたことも。それで朝起きたとき、こんな手紙が枕元に届いていたらきっと楽しいだろうなと思いました。 (朝 絶望)

2024-05-16

連わけのされた作品は、二点ほど見るようにしていることがあって、単連を読んでも気が付ける(楽しめる)ことがあること、複連を編み込むようにして浮かび上がってくる一つの像があること。この作品は、一つ一つの連の感触、読み心地みたいなものが良くて、特に中心に置かれた「うどん屋で、古着屋で、サミットで、三叉路で、眠った後に見る夢の中で、 どんな姿で、どんな喋り方をして、どんな服を着て、どんな言葉を選ぶか教えて」という文章に息づくユーモラスさがとても好きでした。全体をみていくと、「未来をスパゲッティを茹でながら語り明かしたい」は恋人に宛てられているようで、「結婚という恩返し」は肉親に宛てられているように、愛というものをテーマにされている(その中では恋人も肉親も主体に近いのかもしれません)と思いますが、(この作品が)上記のようにその対象を絞って明記されているわけではないと感じられるので、小骨が喉に刺さったみたいに、それが(書き手と読み手の)解釈の齟齬として残り、(作品の中で)伝えたい対象・伝えたいことの明確性に靄を掛けているように感じました。そのあたりを少し整理されていくと、さらに心掴まれる作品になったのではないかと思いました。 (賃貸の王様)

2024-05-08

外側に向けられているようで、内側を向いている。それはいくつかのことに向けられた“悪態”でもあると思えるのですが、でもその現実のどこかに、ささやかな清々しさと、温かみが残されているように思いました。 (ライ麦畑でつかまえて)

2024-05-07

投稿ではなくて申し訳ないのですが、また貴音さんの作品が読みたいですね。 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-07

よく練られているようにも見えるのですが、それよりも型にはめられていない文体の方に興味が湧きました。その人の作った料理だったら、また食べてみたいなと思いました。 (6階の窓から外を見た)

2024-05-06

ありがとうございます。書きたいものを書くという想い、心に響くお言葉ですね。そしてそれを見つけて書き出すということ。それは自分の周りにあるのではなく、自分の中にあるものだと思います。僕はそのあたりの見つけ方がまだまだ上手くできないかもしれません、と同時に、もっと面白い作品が書きたいという思いがあります。そして読むということ、それは自分の中に投げる種を見つけ出すことなのかなと思います。ゼンメツさんの作品に、吸収さんの作品からも。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-05-06

ありがとうございます。これから暑い季節がやって来ますので、その前に投稿できて良かったと思います。きっとさっぱりしたものが食べたくなったり読みたくなったりしますので。涼しくなったら、少しずつ僕もまた読み返してみたいと思います。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-05-03

ronaさんが新しく書かれた詩は、もしくはまだ紡がれている途中だとしても、そこに宿る真新しさは、取り込んだ洗濯物に思わず鼻を押し当ててしまうような、懐かしい温かさに溢れていると思います。本当に幸運な偶然ですが、「終わることのない遠くなつかしい呪縛」という最後の言葉、僕はここに、二つの詩が重なり合う瞬間があるように感じます。 作品は自分自身であるということ、僕もその通りだと思います。否定をすることで自分と他人からも距離を取り、その距離感の中で創作をしていくというのが僕の書き方であれば、ronaさんの書かれる詩からは、そういった要素や葛藤を微塵も感じさせない、迷いのない詩と書かせて頂いたのはそこに通じているのですが、まるでお互いがお互いの詩作に感じていることが真逆であることも、それは生きている途中で性格や生き方を変えられないという難しさにもまた似ていて、例えば変えることはできなくとも、それが一時的な保管であったとしても、受け入れることくらいはできる、ぐらいの経験はしてきているはずだと、変えることのできなかった難しさが教えてくれているのだと思います。 こうしてまた、やり取りをさせて頂けるとは想像もしていませんでしたので、この現実(お言葉を頂けること)を何よりも大切に思っています。そしてどうかまた、ronaさんの物語に続きがありますことを、一読者として願っております。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-05-03

読んだ後、「箱」ってなんなのだろう?と、ほとんどの人が思う。そういう取っ掛かりが上手に作られていると思います。ただ、そこから「箱」への想像が広がっていくように読み手を誘導し切れていない部分があり、「箱」という存在が(読み手の)近くにあるように見えて、実は遠く距離があり、作品が曖昧模糊のままに終わってしまったという感覚が残りました。作中で「箱」についての明確な答え(正体)を提示される必要は勿論ありませんが、例えば「箱」の外観を描かれてみられたり、「箱」側の視点を少し入れてみられるなど、「箱」に体温や温かみを感じられるような仕掛けが施されていると、書き手と読み手の齟齬が縮まり、読み手はまた違った印象が抱けるのではないかと思いました。 (ウチとソト)

2024-04-29

文字数を底上げするために色んなイメージを少しずつ溶かしました。今まで僕がここに投稿したものからも少しずつ。“彼女”というのが僕の恋人(彼女は僕のことを君と呼ぶ)であるのか、はたまた僕を生んでくれた人であるのか、その中にある現実も混然としているのですが、季節や気温や天候といった自然だけが、しかしバラバラであることを教えてくれているのだと思います。 エイクピアさんのご指摘の通りです。こちらは直せないので原本の方をこっそり修正させて頂きます。誤字を見つけて下さり、そして丁寧にお読み頂き、誠にありがとうございました。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-04-29

大人になる過程(もしくは大人であること)と、辻褄を上手く合わせる行為は親和性が高いなと思い、いつも少しだけ寂しい気持ちになります。そういった時は音楽を聴くのがいいなと思っていて、フランシスが興奮気味に叫んでいたのが偶然“アンダルシア(の犬)”というフレーズでした。本当は好きなフレーズではあるのですが、嫌いと書いてしまったので、“僕”はまだまだ上手く帳尻り合わせができないのだと思います。 書きながら見えている(思っていること)と、こうしてコメントを頂けて初めて見えることがあるのは、子どもの時のような淡い気恥ずかしさの中にいる感じがして、不思議ですね。でも、そういった体験が書く力を高めていくのは言うまでもないことだと思います。お読み頂き、ありがとうございます。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-04-29

リスキーな作品っていいですよね。と前向きに捉えました。そこから先に書かれた紐解きも新鮮で面白く感じました。そういった変梃な作品が犇めきながら飽和してぶつかり合う、そこからまた、何か新しい潮流が生まれてくるのかなと思います、(生み出していきたいですね)。お読み頂き、ありがとうございました。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-04-29

ありがとうございます。小説の形にしてみるということ。まだ取り組めていなかったことですので、(形にできるか未知数ではありますが)挑戦してみたいと思います。 たくさん文字を書いてみたい、という試みからこれを書き始めました。さなかはそういった気持ちが一番のモチベーションになっていた気がします。それが良くも悪くも文字に現れ、とても読み難くあったと思います。書き終えてから推敲をする時間が長くあり、段々とその時間さえ曖昧になってくるというか、楽しくもあったのですが、大変な経験でもありました。 A・O・Iさんの作品に対するまなざしはやはり確かだと思います。“”そういう部分が一切カットされていて~”というところはその通りだと思いましたし、書いて頂いたことがすべてすっと胸の中に沁み込んでいきました。コメントを頂ける作品ではないと思っていましたので、ホールドを打たれたような感覚と、それをまた書くことへの手掛かりにさせて頂きたく思いました。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-04-28

こんばんは、ronaさん、お読み頂きありがとうございます。 まだ、挑戦していないことをやってみようと思い、これを書きました。書いている時はキーボードを叩いていたのですが、例えば鉛筆で書いているような、行や列を自然とはみ出して書き足していく、そのような感覚がありました。きっと、言葉の種をいくつも植えていくような行為であったと思います、(読まれた方の)頭の中でそれが息づきながら、色々と変化をしていくといいなと思っています。 ronaさんの書かれる詩は、やっぱりとても好きですね、ということを改めて感じました。削りながら書かれる、というのは想像をしていた印象とは異なっていたので驚きました。消しゴムでは消せない鉛筆で書かれたような、柔らかい明確さ、真似をすることのできない、迷いのない詩だといつも感じています。どうやって詩を書くのか、(根本的な部分ですが)そこから改めて作品の入口を見つけることができた気がします。 ありがとうございます。読みたかった詩が読めて、それがとても嬉しいです。 (You hate yourself(夜のシロップ))

2024-04-27

言葉の奥にあるシルエットが、どんな姿を持っているのか気になるような作品だと思います。適切な言葉に上手く変換できませんが、言葉が頭の中を歩いていくとき、歩幅だったり、靴の形だったり、スキップしたりする歩き方そのものだったり、そういった言葉の姿がとても透明に映りました。 (干満に体温)

2024-04-22

丸四角から初めの3行を読んだ(見た)ときあまり食指が動かなかったのですが、それでも長い間眠っていた人が花のように目をさまし偶然机の中にタイムマシンを見つけてレバーやメモリを適当にいじったら歪んだ時計を後目に未来にとんで行ってしまって、そこで見聞きしたものによって(その人の)頭のなかが一気にリライトされていく感覚がありました。初めの印象と反する作品だと思いました。 (わたしたちの攻撃)

2024-04-21

加工され手が加えられたものと、そうでないありのままのものを対比させているように思いました。後者の方にわたしの心の重心がありつつ、実と皮、海と砂浜の境界を指が絶え間なく曖昧にしていくように、心が揺れ動く一瞬の機微のようなものを感じることができる、その表現は絶妙だと思います。表題で引き込み、内容で納得させる、読むということに充足感を得られる作品だと思いました。 (オレンジの波打ち際)

2024-04-21

同じ感覚を持って書いていたとしても、書き(見せ)方によって伝わり方も変わってきて、そういうものを体験されている最中なのだと思います。一つの連が8行(サブタイトルは除く)できちんと構成されていて、読み手からすると約束事のように読みやすくはあるのですが、もっと自由に書かれた方が言葉の魅力を引き出せるのではないかと思います。詩という形式にあてはめた作品という感じがしました。日常を切り取った優れた作品をいくつかこのサイトでも読んだことがありますので、他の方の作品を視点にして、考えて学ぶべきことは多いと思います。 (ルーティン)

2024-04-20

君という存在は一体何なのだろうと読み終えたときに思いました。ありふれた会話のなかにあって、そこに普遍性を感じました。君が例えられた言葉であるならば、私が話しかけた言葉が空気にとけて、来たるべき合図を待っているかように思いました。 (雨と桜)

2024-04-20

丁寧に読むとやはりよく書かれていると思います。「コミュート」が通勤/交換という意味を持っていて、詩の中で表現されていることと、とてもよく合致していると感じました。「前髪が上がり生まれたての視線が瞬時に夜の河を渡る」というイメージが好きでした。「彼女はそのままわたしなのかもしれないって思いが隅の方から沁みてくる、それは静かに全面に広がり若しくはわたしが彼女なのかもしれないって色合いに近づいていく」は、彼女との対比する主体が“ぼく”ではなく“わたし”にされた意味があぶりだされた絵のようにそこで解き明かされた感じがして面白く感じると同時に作品の核心みたいに思いました。ほのかに残ったあかりがじんわりと消えていくような締め括り方も、作品の雰囲気と調和していると思います。 情景描写が独特な言い回しで表現されているので、それを適切に感じ取るためには、丁寧に読む必要があるということが全体の印象として残りました。僕は好きなのですが、それを冗長ととられるかもしれない、ということを頭の片隅に置かれた方がいいと思います。それからトーンが同じなので、絵のように、遠くはぼかして近くは鮮明に書く、みたいな、表現に強弱をつけられるといいかもしれません。どちらかというと小説にも近いので、共感を簡潔に可視化された小説などから、(表現の)ヒントを得られるのが一番確実な、次の段階に進める方法かと思います。 (コミュート)

2024-04-12

僕の住んでいるところも段々木登りがしにくい様相になってきました。春は新しいことが入り混じって、なんだかとても複雑ですね。だから蒔かれた種に気がつくのは、もっと先のことかもしれません。お読み頂き、ありがとうございました。 (楓)

2024-04-12

役割としての交代はあると思いますが、本質の代替はないのだと思います。それがめぐっていて、順番そのようだと思います。コメントを頂き、ありがとうございます。 (楓)

2024-04-12

エイプリルフール きっともうここにはいないひとが一日ごとに予約設定をして、その日の天気や、暮らしの中で感じたことなどを決まった時刻につぶやいて、予想は外れることが多かったけれど、時々その通りだったりもして、ふたりでひとつの毛布で寄り添うみたいに、生きている真似事ができるとそんな使い方をした。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-07

これだけの文量をコントロールしながらするすると読めるように綴られた労力と引き換えに、胸を貫くような衝動は少なかったように思います。しかし制約を置いて書かれているので、(それが)イメージが拡散して弾けていくという動作をむしろ制限していて、行き先の分からない堂々巡りのようなループ感を本作に与えていると思いました。好きな人は手放しで好きという作品だと思います。 (ちんちん考)

2024-04-06

書かれてある内容とは裏腹に、迷いなく書かれた作品だと思います。“わたし”という内面を通して、こちらに語りかけてくる想いがあって、それは考え方を押し付ける感じではなく、読み聞かせてくれるようにささやかであると思います。作品を間近で読むというよりは、一歩下がって、目の前に空白を作るようにして読みたい。と思いました。読むというよりは言葉が身体にゆっくりとしみこむ音を聴くように。 (わたしについて)

2024-04-06

それぞれの連がしっかりと役割を持っていて、流れていくように上手にイメージを伝えられていると思います。特に、一連目はプロローグのような意味合いが持たせてありその必然を感じました。このままの文調で続くかなと思ったのですが、その文調をスパッとそこで終わらせているのがいいと思います。「幸せを運ぶあの草を 手を真っ赤に染めながら 波を掻き分け探すの」というところが特に好きでした。翠の波は、草原とも風とも書かれていないのに、風に揺れる草原という感じがしてここも好きです。同じく、「ある男の物語」も丁寧に物語を綴られていると思います。こちらも好きでした。ひとつだけ、朗読なのかな歌なのかな、添付されているものの楽しみ方がよく分からなかったです。僕がそう言ったものになじみがないだけで、単なる好き嫌いの話なのだと思いますが、詩(文)だけで十分なのではという気がしました。 (シロツメクサを探して)

2024-04-04

>新しい色を作りたい 不器用でも、かっこ悪くてもいいから 二人だけの色を作って育てていきたいんだ この部分、一番大切な所だと思います。ただ、この部分を書かれることによって、個性が薄くなっているという気もします。この部分を書かれなくても、連の順番を変えることによって、そのニュアンスを伝えられるのではないかと思いました。 僕は白 僕はみんなと交われる だけど僕はそれが嫌だ 何でも他人ひとの色になって 僕が僕じゃないみたい それが嫌いで、だけど言い出せない だからいつも明るい顔で 誰かの言いなりになっている 私は黒 私は誰かと交わりたい だけど私にそれができない 汚れた色になりそうで 全部黒になるかもしれなくて それが怖くて怖くて震えている だからいつも隅の方で 蹲ってうずくまはいじけている 世の中には色が溢れている 赤、青、黄色、緑にピンク オレンジだって紫だって ゴールドだってここにはある 彼らはお互い交わりあって 数え切れない色を生む こんな僕でも こんな私でも 簡単にですが、読み手が何となくその続きを想像してくれるような余白を作られると良いかと思います。(書き手が)足りないと感じれば、表題で足りない部分を補足する、という方法もあります。感じ方は人それぞれではありますが、ほんの少し、印象が変わったのではないかと思います。 (モノクロ・グレイ)

2024-04-04

「じゃあな 花筏、それが凡てだ」ここの言い切りがものすごく格好いいです。この作品は黙読しているときに声が流れてくる、誰のものかは分からないのですが、訴えかけられているようでありながら、眠る前に聴こえていた声のようでもあって、どこか懐かしい気持ちになりました。 (花曇と圍)

2024-04-04

心が聡明ですよね。それは一番大切なことだと僕は思います。ありがとうございます。 (楓)

2024-04-01

>家族のことは家族にしかわからないし、他者の心の奥底は簡単には理解できない。けれど人には事情というものがある。 ここに記してはいませんが、楓ちゃんに何かあったとき、真っ先に駆けつけてくれる両親だと思います。また、全ての親がそうあって欲しいですね。傍から見れば、羨ましいと全然思われない暮らしぶりなのかもしれませんが、幸せはそこにしっかりと育っていて、いつか、またちがう誰かを暖かく照らしてくれるのだと思います。 >noteの方もおじゃまして最近の作品を読ませて頂きました。 ありがとうございます。根底にあるもの、何が書きたかったのだろうということ、いつも考えます。色々な感情はありますが、宝石だと思って拾ったのが、少し光る石ころであっても、拾ってみることが大事なのかなと思います。そういったものを拾い集めていくことで、足元が満たされた色になっていくのも、またいいなと思います。 僕は死ぬまで詩を読んでいきたいなと思っています。書く方は全然自信がありませんので、読む方で。その上にronaさんの書かれる詩があります、もう書かれなくなった方の詩もありますし、今書かれている方や、これから書かれる方の詩もあると思うと、少しも気が抜けないなと思いました。 頂いたコメントを通じて自分の書いたもの・書きたかったことを再び知ることができました。それが書いてよかったという気持ちに段々と変化していくことだと思います。詩集もいいですね。それは始まりだと思います。とても深く、そして丁寧に作品をお読み下さって、ありがとうございます。お互いに、頑張っていけたらいいなと思います。 (楓)

2024-04-01

多忙が神経をみなぎらせるみたいなことってありますよね。腹ぺこの狼、見たことはないですけれど、食べるぞという力が満ち溢れていて、とても生命的だと思います。ただ、多忙を極め過ぎるのも考えものですので、健康があってのことだと思います。 >僕より上のもっと物を読む世代で、「物語」に魅せられた人だと思うんですね。 >その微妙なブレをのぞいたとしたら、ピュアに、それは「物語」しか ないんじゃないかな、と思うんですね。 その通りだと思いますし、その通りではないとも思います。それは「物語」という言葉にどのような印象を持っているかによる違いで、田中さんの仰る「物語」は作品の芯・根幹をなす部分だと察しますが、僕がここに投稿している作品は、「物語」という名の「フィクション」としての意味合いが強いです。思ったこと・感じたことを中心にしていますが、そうなればいいなというふうに差配して、作品をパッケージングしています。A・O・Iさんが仰っていた「出来すぎている」というのは、そういった「理想」をさしているのだと思います。「物語」しか ないという言葉は非常に格好良いですね。そういった覚悟をたくさん考えていきたいと思います。 >僕、37なんですけれど、友だちに奨められた本が「ブギーポップは笑わない」でした。 これは笑うべきかどうか判断に迷いますが、「ブギーポップは笑わない」良いですね。読んでいてパズル的に話がかみ合わさっていく瞬間が得も言わず爽快でした。電撃文庫とかスニーカー文庫とか懐かしいです。僕が初めて本を読むことが面白いと感じた作品は、TUGUMI(吉本ばななさん)だったと思います。あの本は詩でもあると勝手に思っています。 >自己の生活を物語化して書きたいな、というか 自家薬籠みたいな部分があるんですね 田中さんの書かれる世界、僕は好きです。体験として、分からないときもありますし、分かりすぎるときもあります。自己の生活を詩というジャンルに落とし込む、小説にはままありますが、僕が知らないだけなのかもしれませんが、それ自体が新しいと感じます。とはいえ、田中さんは色々な書き方ができる方ですので、書きたいという気持ちに素直であり続けることが、詩を作る力に繋がっていくのではないかと思います。それから、頂いたコメント、とても大切に思っています。チョコレートみたいないかれた作品に丁寧なコメントを下さったこと、あれはものすごく嬉しかったです。多分僕と同じように、コメントを頂いて救われた気持ちになった方、大勢いらっしゃるのではないかと思います。お忙しいなか、コメントを書いて下さって、ありがとうございました。 (楓)

2024-03-31

語り手に言及して下さってありがとうございます。吸収さんのコメントにあるような深い考察は僕には持ちえなかったのですが、 >楓ちゃんはむつかしい名前(位牌)に手を合わせ、ゆっくりと“私”の名前をふくしょうする。 という部分で、語り手に楓ちゃんの姉(“私”)という存在が出てきます。 >すこし大きな水着(おさがり)だったけれど がそういう示唆としてあります。 たましいという言葉をそのまま使わせて頂きますが、語り手=楓ちゃんの姉(“私”)=たましい(亡くなっている)。そのように考えてこの物語を書きました。ですので、たましいについての話というのは言い得て妙だと思います。楓ちゃん、親や周りの人たち、楓ちゃんの姉。そういった事柄が絡み合い、影響し合っていくのは、割と現実に置き換えられることなのではないかと思います。たましいの存在については、信じる方も信じない方も勿論いらっしゃいますが、僕は体と精神(たましい)はいつか切り分けられるものとして、分かりやすく言えば『西の魔女が死んだ』のような感覚でとらえています。(血の)繋がりや、人としての資質もあるかのかもしれませんが、楓ちゃんが歩いていく道には、色んな人たちが生きていて、そのなかには楓ちゃんみたいな人が待ってくれていると、僕は思っています。 (楓)

2024-03-31

方言って、知らなければ意味の通じない言葉なのですが、言葉以上を通じ合わせてくれる、(方言の意味を)知っていると、そんなふうに+αの印象を与えられるものだと思います。立場とか境遇とか年齢とか、そんなものを軽々と平らにしてくれる方言の力を存分に拝借しました。コメントを頂き、ありがとうございました。 (楓)

2024-03-31

確かに、例えて頂いたジャンルの中では漫画的な感じが近いと思いました。天才バカボンの世代からは僕はちょっと外れていて、読み継がれる漫画で例えるのであればドラえもんかなと思います。語り始めると長くなりそうですし、その足元にも及びませんが、そんな世界と、そんな詩、みたいなものがあってもいいのかな、そう思いました。再びコメントを頂き、ありがとうございます。 (楓)

2024-03-30

長さのある詩って難しいです。長くあることの良さもありますし、長くあるために冗長にもなりやすいですね。気付いたら読み終わっていた、もっと読ませてくれと、そんな声が聞こえてくるような作品が書けるようがんばります。コメントを頂き、ありがとうございました。 (楓)

2024-03-30

ronaさん、お久しぶりです。こうしてまたやりとりをさせて頂けると思っていませんでしたので、嬉しいです。僕がこのサイトに登録した理由はコメントを書きたかったからなんです。それをあらためて思い返しました。 昔は、きっと今もそうであって欲しいのですが、馬鹿をいってみんなを笑わせてくれる子がいたり、足の速い子がいたり、もじもじしている子がいたり、楓ちゃんのような子もいたり、個性がたくさん溢れていたと思います。要因として家庭環境や親の接し方などがあると思いますが、それがある年齢を境に一般化されてしまい、今考えると自我であったり、周り(他者)を認識するということなのかなと思ったりしますが、そのままでいられることを、ありのままをもっと認め合えればいいのになと思います。 手って不思議ですよね。大切な人や、守りたい人と繋ぐことができますし、叩いたりすることや、またそれ以上のことも手によってできてしまえる。その温度を自分で意識する場面はたぶん少ないのですが、温かさを忘れずにいたいと思います。 お忙しいかと思いますが、コメントを頂きありがとうございます。僕などが言うもあれですが、やりたいことに向かって、邁進なさって下さい。詩を書かれるということはずっと先のことになるかもしれませんが(できれば早い方がすごく嬉しいのですが)、また読めますことを、何にもまして願っています。 (楓)

2024-03-30

いつもまっすぐな目で作品を見て下さってありがとうございます。 >言いたいことのみを書いても、時代がそぐわないものは想像できなくなる。ということだ。まあだからこれは詩の体裁なのかなとも思う。的確なコメントだと思います。 こういうふうにしか書けなかったというのがその理由なのですが、詩にしたとき、書き手の理想を全開に出したところが、過去に書いたものと比べて異なった部分かなと思います(しっかりとした応答になっていないかもしれません、ごめんなさい)。書いたものはnoteに置いています。ちょうど『ジョン・レノンは女だった』を挙げて下さったので、そのワードでご検索頂ければ出てくると思います。 (楓)

2024-03-30

>〝ゆっくりと回るときがあったりもする〟この意味が消化しきれてない。 いつからなのかは分かりませんが、何かに付けてはやさを求められる、それが主流になってきている気がします。でも、(対義語である)おそさやゆっくりすることが決して悪いことではなくて、僕は必要な時間として捉えるべきだと思っています。なので、意識的に作中にゆっくりという言葉を多めに入れています。楓ちゃんがいることで助かっている誰がいるように、楓ちゃんもまた誰かによって助けられている。それ(ここでは“ゆっくり”)が最終的に善に結びつくようなイメージで書いたのですが、そのあたりは押し付けがましくないように表現したいことであり、上手に伝えられないもどかしい課題でもあるかと感じています。「楓」について色々とお調べ頂きありがとうございます。僕も書いた後で調べました。 (楓)

2024-03-29

子供ごころをわすれない大人がいれば、そんな世界もわるくはないんじゃないかと思います。どちらかというとあの番組を見ていると、仮装という定義がよく分からなくなってしまいます。ありがとうございました。 (楓)

2024-03-29

>難易度の高い技そのものを構築する設定する作り出すみたいな意味合いの場である方が良いという考え方なんで何か物足りなかったかなと。 僕の場合はポップな感じにデフォルメして書くので、仰っているのはそういった部分なのかもしれませんし、違うのかもしれません。これ以上先を書かなかったというところは、伝えたいことだけを凝縮させて終わりたかったというのがあります。中心と外側。そのどちらもが正しく作用しあえる日常であればいいなと願います。色々なことを考えさせられるコメントでした。ありがとうございました。 (楓)

2024-03-29

特定の物事を下敷きにしたというわけではありませんが、たくさんのモチーフを教えて頂きありがとうございます。「楓」という名前は昔から用いられているようですね。最近の名前だと思っていたのですが、発音したとき、口にほのかな明るさが残る気がして、いいなと思っています。こころの優しい人が生きていきやすい、前向きな世の中でありますように、「楓」という名前とともに、そう祈っています。コメントを頂き、ありがとうございました。 (楓)

2024-03-29

ありがとうございます。優しさのなかには優しくない気持ちが含まれているように、欲求のなかには自己を満たす欲のほかに、他者を慮る気持ちも存在していると思います。それは相手のことを想い、心配する気持ちなのだと思います。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-03-28

地続きに広がっていく文章をひとつのイメージとして、スクロールするように目を上下に動かすと、きっとそれは様々なところに留め置かれた分かれ道を読み手に選択させるような書き方で、後半に進むにしたがって徐々に焦点が定まっていく、((表題を僅かな頼りに))、遠近を手繰り寄せるように情景を読みました。 (クロール)

2024-03-24

出だしの感じ、初めて目にする絵本の頁をめくるようなわくわくする期待感に溢れていて、とても素敵だと思いました。先生に質問をする子、僕は小学生の低学年くらいの子と想定をして読みました。小学生くらいの子が書いた詩が、新聞だったかな(しっかりと覚えてはいないのですが)に載っていて、それをさらに何か別の媒体で見たことがあって、そこに書かれてあった言葉が掛け値なしに胸に響いたことだけを覚えています。なので、「きっとミーシャの心臓は星の光で一杯になってしまったのだ」という発想もすごく良かったのですが、それは大人が考え出した答えでもあるように感じました。最後の答え、それは大人がとても思いつかないような言葉であることを僕は願っています。 (ミーシャ)

2024-03-17

心臓ってどくどくと気忙しく動いていてまるで煩くて勝手で、人であったならば僕は友だちにしたくないなと思ってしまうのですが、この作品はそんな心臓に着目し、寄り添うように丁寧な気持ちで物語を紡がれていて、それはものすごく静謐な問答という感じがしました。最終連の、心臓が眠るときは私も一緒に眠ることを選ぶだろう、というのは何か儚くとも力強い宣言だと感じました。思わず画面に手を当てて読みたくなるような、そんな作品だと思いました。 (心臓の眠り)

2024-03-17

形骸化した設問に対する解答もそうでしかなり得ないと思うのですが、この作品に張り巡らされた美しい解法と答えという名の作者の視点が、そういった既視感を全く別の次元へと昇華していて、それが読めば分かるというところまで落とし込んであって恐ろしささえ感じました。作品の内容もですが、ハツさんの頭の中が怖くて美しいのだと思いました。表題もとてもかっこいいです。 すみれの花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」などとあって、作中のすみれちゃんの印象とは真逆なんですよね。だから書かれていない背景への想像がむしろ広がっていく気がします。これを狙って「violet」に導かれたのかまでは定かではありませんが、もし必然でなければ「すみれ」という名前は別の(花の)名前にも置き換えることができますし、こういった要素も掛かってくると心憎いかと思います。本編とは関係ありませんが、「violet」はギリシャ神話にも関わりがあるみたいですね。膨らみのある言葉だと思いました。 「わたし」の設定として23歳という情報が与えられていて、遡って、「積まれた本」・「レポート用紙」という言葉から院生(か留年生)をイメージしましたが、「パソコン・タブレット」ではなく「ボールペンたち」とあるので社会人かなと思ったりしました(23の学生でレポートは手書しないだろうという憶測のもと)。店長からの電話は、勤めていればアルバイトでも社員でもかかってくると思いますが、あっさりと休めて?しまえているので、「わたし」は代わりの人がいる立場なのかなと想像をしました。でも仕事の電話とは限らないので、と考えると「わたし」を定義づける要素が不確定になってきて、主人公であるはずの「わたし」が「すみれちゃん」の存在をとてもよく際立たせるためにまた存在をしていて(共依存的な何か)、とそんな気すらしてきます。 少し気になったのはvioletの入浴剤から、和名のすみれ、そこからすみれちゃんという友達(のような)がいた幼少期の記憶への移行という部分で、作中の文章では「violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。」から記憶の呼び覚ましが始まっていきますが(正確には、浴槽から立ち上る香りはわたしを抱きしめて、蹴り上げて、すべてを包み隠して、(ともだち)にしてしまうように甘かった。からだと思いますが)、この導き方には、少し粗野で、作為的なものを感じてしまいます。一番いいのはこの部分を書き換えることだと思いますが、「violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。」という導入はいっそカットされてみてもいいかもしれません。そういった作為的な感覚も一緒に消えてなくなるかと思います。それから、「すみれちゃんという同級生を慕っていた。(ように見えていただろう。)」は、「すみれちゃんという同級生を慕っていた(ように見えていただろう)。」の方が自然に見えると思います。 「わたしはすみれという概念やイメージがきらい、もうぜんぶ一つの例外もなく嫌いだった。」と序盤に書かれたこの文章は、「浴槽から立ち上がる甘い香りが、(ともだち)のように身体にひっついてくるのだった。」に係ってくるのですごく大切だと思います。それから、「彼からくる手紙の大体は、図鑑に書いてある星座の解説が写してあるだけだったけれど」という文章が特に好きです。「泣きそうになりながら、おどける。ガビョーン!と声をあげて、自分の頭を叩いて、痛がる。」とか、「真夏の坂道に、絆創膏を差し出してくれたすみれちゃんのことばかり思い出していた。」とかも。実体験はないけれど共感ができる、そういった文章を生み出されるのがとても上手だと、ただただ深く思います。現段階で思ったことを全て書かせて頂きましたが、取り逃がしているところもまだまだ多そうだと思います。ともあれ、読むことができてよかったと思える作品でした。 (violet)

2024-03-17

ギリギリなラインで紡がれていく言葉たち(まるで文鳥のおしゃべり?)、その全部が綱渡りをしているみたいな会話にきこえてきて、読んでいて面白く感じました。文鳥ってしゃべることができたんだっけ、と調べてみると稀にそういう個体もいるみたいですね。着地点への共感というところまでは上手くできなかったのですが、それでもいいかなと思わせてくれるような、表題と内容との結び付きも感じました。 (誰かの文鳥)

2024-03-16

詩の中に、投影されるものが読み手によって違ってくるような、なにか仕掛けでもあるかような、言葉の選び方を感じました。可能性の話をすれば、最後(よれた和紙の置き手紙を そっと机に置く)まで書き切らないという見せ方もありかと思いました。統一感のある文調と、読後の口の中に清涼な鮮やかさが残るさまを感じられて。 (夏鳥)

2024-03-16

夢小説という言葉、初めて聞きました。ご説明頂いた内容とは趣旨が反れるかと思いますが、この作品には、(夜の)夢のように遠くにあって、でも夢のように近くにもある、そんなイメージが挟み込まれた印象を持っています。それから、文と文をわずかな手掛かりによって繋ぎながら、不思議な感覚も浮遊していて、それが目にした詩の断面に思わず触れてみたくなるような心理効果を生んでいる気がします。短詩のひとつの表現として、勉強になりました。 (鬱 咳払い 美しい日常)

2024-03-16

僕のする咳払いによって、主体が私へとシフトしていく。一回目の咳払いと二回目の咳払いのささいな相違。僕がそうさせているのだけれども、僕自身については何も書かれてはいない。ページをめくる手のように。 『名前』というのがこの作品の核心みたいに感じるけれども、単純に、誰かの『名前』ではない気がする。何かに、置き換えられている『名前』。 困ったときは表題をヒントにしよう。ちなみに僕はいちばん右端を選んだ。美しさがくたびれることだってあるから。きっとそれは、しわくちゃのシーツに埋もれたくなる気分とささやかに重なり合うから。 (鬱 咳払い 美しい日常)

2024-03-14

憶測なのですが、初めからこういった言葉づかい・見せ方で書く、という意図のもとで作られた作品だと思います。なので、読み手に伝えたいこと・考えるための主題、というのが作者の方の頭の中には存在をしている。つまりこの作品は、平易な言葉でもう一度やわらかく書きなおす、ということも可能であると思います。そうしてひも解かれた文章を前にして、より表現を深めたい部分やこだわりのある部分は少しだけ難しく手直しをしてみる。読み手にしっかりと意味を伝えたい部分は、反対にできるだけ分かりやすい言葉を選択されてみる。表現や比喩などは磨き続けるべき要素なのですが、軸とするのは平易な言葉づかいでいいと思います。それだけでも十分に魅力のある詩を書くことができます。それから、物語に足りない部分が見えてくれば話を追加することができますし、蛇足だと思われる部分は削っていくこともできる。やがてぼんやりとした場面の構図や文章の視点なども上から見るように、はっきりしてくると思います。読み手から、分かりにくいというリアクションが一定数出た場合は、書き手の頭の中をさらに文字というフィルターを通じて読み手に見せているので全てがクリアーに伝わらなくて当然なのですが、本当にそうなのかもしれないと疑ってみた方がいいと思います。だからいつかこの作品をそうして再構成してみることは、自分にとって、それから読み手にとっても、その両方に答えを見つけ出すような、意味のある行為なのではないかと思います。それから、難しい言葉や表現というのは、作品からほんの少しだけ顔を覗かせていることが重要で、この作品のテイストにはそぐわないのですが、大部分は遊ぶような言葉や表現で、作品を彩っていくことが大切かなと僕は思います。追記でした。ご返信は不要です。 (終戦前夜)

2024-03-13

ネタバレというのは筆者の方の一番初めのコメントにある“変換”のことですね。なので、僕はこの作品を言葉ではなく、絵画として見ていくことが良いと考えました。でもこれは、ただ無作為に変換をされたというわけではなく、言葉から“何か”に変換され、それを記されたということなのかなと頂いたコメントから感じました。人が弁別できる色には限りがあると思います。対して言葉は新しく作られ、ときに組み合わさり、繋がり、無限に広げていくことができる。そこ(無限)の部分に突き詰めていくだけの要素(価値)があり、言葉から派生した“何か”もある。この“何か”も読み手の数だけきっと存在をしていて、こういった試みが、存在させていくのだと思いました。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-10

雪原に在る家というのがあなたの家で、あなたという位なのでわたしの知り合いの可能性が高くて、でも今はわたし(わたしたち?)の敵になっていて、そこを攻撃しなければいけないという状況を書かれたのかなというのがまず思い浮かびました。次に思ったのが3連目の必要性について。たぶんこの連は戦況を交えつつ4連目にシフトしていく役割を与えたかったのだと思いますが、割と難解で、3連目を読んだ感想として「感動を打ち込む」という表現が新しいなと思ったので、ちょっと作者の方の意図とは別のことが印象として残りました。それから「感動を打ち込む」という表現は、4連目にある「温かく 透明の果実を発射する 心を 込めて 撃つ」という表現と同じような意味なのかなと思いました。もしそうだとすると、3連目で先に答えを出してしまっている感じがあるので、4連目のラストをより印象的にするのであれば、「感動」という言葉を別の言葉に置き換えられた方がいいと思いました。そうして3連目を生かされてもいいですし、照準器が映し出す「あなたの家」、そこから家のなかに視点を移していくのもありかなと思います。また、家のなかの描写が少しあるだけで、あなたとの思い出に話を繋げていくこともできます。ただ、あなたという言葉が広い対象をさして使われている場合は、そもそもの思い出が存在しないので話は別になります。「わたしは老い続けている」や上記させて頂いた表現、それから書き方を工夫した作品を投稿されているところなど、新鮮な部分は多くありました。しかし、全体を読みづらさに繋がっている分かりにくさが覆ってしまっている感じがあるので、言葉で表現していくというところにまだ余地はあるかと思います。 (終戦前夜)

2024-03-10

マクロの中にあるミクロの描き方が、近くで語りかけられているように鮮明だと思います。「埋設」の世界とリンクしているんですね、きっと。人って何? 思いやりって何? 感情って? みたいな揺さぶりがあって、文体や、そういった部分も含めて、ある作家さんの小説に通じるものがあるなって思いながら、他にもリンクした作品がないかなって探しながら、いつも読んでいます。「鎌首」ってカマキリを連想するのですが、雄が雌に食べられてしまう特性を持った生き物でもあって、そんなに高い確率ではないみたいですが、これが布石で、そのうちおれの妻にも焦点があてられるではないかと思っています。 (鎌首)

2024-03-09

一行目と最終行、読み手へのアプローチの仕方が変化をしていて、その異なりを、ひとつの通じた時間へと優しく編み込んだ作品だと感じました。 (平安時代の今の春)

2024-03-09

センテンスが魅力的だと思います。ただ、アンパンだと思って食べてみたらドーナッツだった、そういった中心のない読後感があるかと思いました。 (黄色い水曜日の彗星)

2024-03-09

ネタバレの方から先に見てしまったのですが、元ネタが良ければこのような形式はとられなかったのが真理だと感じます。見て楽しむというのがこの作品の収めるべき、あるべき姿と思いました。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-09

良い意味で、一人暮らしで散らかった感じのする部屋に友達を呼び込んで夜中しゃべって朝になっているみたいな作品だと思いました。書き方をところどころ変えながら、読ませる(飽きさせない)工夫がしてあって読んでいて面白いなと感じました。それがこの作品の個性であり、読みにくさでもあるかと思います。散らかった感じと書きましたが、散らかってしまったように見せる書き方をされていますが、それは住人(この作品)にとっては散らかっていない、合理的な散らかり方ではなかったように感じました。 (S君)

2024-03-05

ヘッドフォンガールが乗っているバスが目の前を通過する いつものように赤信号で停止した私がそれを見送る 自転車の群れが小魚のようにきらめいている 意図せぬルーティーンみたいだとつぶやいて 車検にぎりぎり通りそうな車を発進させる (しごと) (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-05

例えば人形を思い描いて、リライト前の作品が人形の骨格だとすると、リライト後の作品はそこにしっかりと肉付けをされた感じがあります。じゃあ次はその人形を動かそうとなるわけですが、どんな動きがこの人形には似合っているだろうと、そう考えるのがキャラクターの設定だと思います。痩せた人形であれば素早く動けるだろうと考えますし、あるいはお腹がすき過ぎて緩慢な動きしかできないのかもしれません。「夏至の日」には僕、女、男、主にこの三人が登場しますが、それぞれの感情や感覚のベクトルというものが同じ方向を向いている気がします。これは別に悪いことなどではないのですが、「無題」に登場した私と母くらいにキャラクターの書き分け(母の個性が強くて私の個性は弱め)がされていた方が、大衆的に面白さを感じるのだと思います。フィクションにおけるキャラクターって、役割なのだと思います。役割を全うすれば物語からいなくなるし、必要であればその中で役割を果たし続ける。物語に作用していく役割。それを登場人物(キャラクター)たちで分担し合って、物語の色を深く濃くしていく。「夏至の日」がもっと面白くなる一つの要素として、キャラクターの設定をしっかりと予め練っておくことが必要だと思います。例えば、「思わず相手の薄いTシャツの下に透けるヒラヒラの下着をしっかりと見てからやっと彼女の顔に目をやるくらいだった。ある時は帰り道、花だらけのベランダから、洗濯物を取り込む彼女をアパートの下から見て、ショートパンツから見える無防備な太ももやその先にあるあたたかい場所を想像してみたりもしたし、」の部分、「僕」のキャラクターがリアルに書き出されていて、分かる!と思いました。そしてそれを面白いと感じる。針の穴に糸を通すような細かいキャラ設定までは必要ないと思いますが、物語に花を添えるのもまたキャラクターだと思います。物語の展開、情景描写などはリライト後の方が格段に良かったです。僕も昔書いたものを書きなおすことがあるのですが、過ぎ去った時間が自分の書いたものを客観的に再投影してくれるので、過去の自分を見つめながら、そこに新しい自分を見つけ出すといったふうに、非常に意味のある行為であり、面白さを追い求め続ける方は、リライトという作業をされたほうが絶対に力はつくし、作品も良くなると思います。一筆者として勉強させて頂くところはたくさんありますし、一読者として、ハツさんの作品に期待しています。失礼を承知の上ですが、お伝えしたいことは全部書けたと思います。以上です。 (夏至の日(リライト版))

2024-03-05

筆力は十分だと思いました。失礼な言い方かもしれませんが、リライト前の作品とリライト後の作品を交互に読むと、物語への理解がより深まると思います。物語の進め方、大筋はあまり変えられていなくて、リライト後は展開が少し変えられていますが、リライト前の作品で言えば「猫は人間と違って、口を聞いたりしないから良いよね」で終わった方が読み手に想像を促す余地が生まれたのではないかと思います。「でもさ、何もわざわざあんなことをする必要はないのに」=「でもさ、何もわざわざ死ぬことはないのに」だと思いますので、「でもさ、何もわざわざあんなことをする必要はないのに」を、例えば「猫は人間と違って、口を聞いたりしないから良いよね」に変えられる((一見脈略のないセリフを挟み込む)、女の死は免れるので「ひとの死は伝播するから」は文脈的に必要なくなる))と、読み手の想像力が生かされるのではないかと思います。悪い意味で、ハツさんの想像力で作品が埋め尽くされていると思います。それを回避するためにギミックをいくつか足されてみてもいいかと思います。カーテンをジャッとめくって現れた目の前の女の首に見たことのあるチョーカーが結ばれていたとか、病院の中だったり、夜七時になると僕だけがタイムリープを繰り返していたりとか、ゴミ捨て場にいた男と、決まった男との同一性は逆にぼやかしておくとか。「かもしれない」という遊びの部分を意図的に作られると、読み手は想像力で自動的に補完までもっていってくれますし、自分で思考した分、(読んだ際に)得られる経験値(満足感)も高くなると思います。その他、気になった点を挙げるとすれば、算用数字と漢数字が混在しているところと、最後の「覚えたこともないのかもしれないだろう」という、若干もどかしさを感じてしまう表現です。語呂の良さはありますが、意味は変えないまま、もう少しすっきりした言い回しに変更された方が、しっくり読み終えられるかと思います。それから映像を見ているような作品だと思いました。ショートムービーにされると、きれいだと思います。 (夏至の日(リライト版))

2024-03-04

文章の中にゆっくりと流れていく時間があって、それを見ているようでした。エッセイに近いのかもしれません。こういった文章を書き慣れていらっしゃるというか、間の取り方や話の展開も辻褄が合っていて、読んでいて心地が良かったです。普通に上手だと感じました。 (春の便り)

2024-03-03

宇宙なのかな地球なのかな、そういったものが箱になっていて、気になるからその中をこっそりと覗き見てはまた蓋を閉じるような、余韻の残る作品だと思いました。文章に軽やかさがありました。 (プラネット)

2024-03-03

100億年くらい死に続けてるっていうフレーズは理由を持たない説得力、みたいなものがあって良い意味で現代的だと思います。そこから広がっていくイメージもまたそのような言葉に支えられている気がします。 >あまり長くならないようにすっきり終わらせたかったのでこうなったのですが 短い作品には短いなりの、長い作品には長いなりの理由を、その物語に付帯させるべきと思います。言い換えると“書き切る”ということになると思います。この作品はもっと書き切ることができたように思いますし、途中で筆を置かれた感じがあるようにも思いました。それから、短い作品をある程度書かれたら、もう少し長い作品に取り組まれるのもいいと思います。そうすることで自分の中に見えてくるものが必ずあると思います。個人的には今作や「サイクル」の作風が好みなのですが、「この部屋で」のような作品も並行して書かれることをお勧めします。両方の手を交互に使っていくような、詩を書くということについて、そういったバランス感覚が養われると思います、色々追記させて頂きましたが、良い感性をお持ちだと思いますので、それをゆっくり育てていかれるといいと思います。 (リモート)

2024-03-03

朝食を作る人がまな板を抱えたまま、いつの間にか朝食の一部(味噌汁)になっている光景が浮かびました。読む人によって見えてくる映像が変わってくる、ちょっと不思議な作品だと思います。 (重力)

2024-03-02

投稿されるごとに作品に独特な感性が加わってきていて面白いなと思います。「nostalgia」という作品に関しては、私、遮断機、電車(?)、草花、月、などで物語が構成されていて、懐かしさというのは読んでいて伝わってくるので、それぞれの要素が持つ特色というのは表現されているのだと思いますが、時間や季節とか、たぶん夏の夜かなぐらいの曖昧な感じにしか分からなかったので、それはnostalgiaという曖昧さの表現とも言えますが、作者の方のイメージが僕には上手く見えてこなかったです。クリアーにされるところと曖昧に残しておくところを共存させながら、曖昧にしきれなかった部分は逆にもう少し鮮明にされると、読み手から作品が見えやすくなって、作者の方の伝えたいことをすっきりと知れるのかもしれないと思いました。 (nostalgia)

2024-03-02

最後の一文だけ直接的な表現なので、全体の中で少し浮いてしまっている感じがありました。ここが作者の方の一番伝えたいことだと思いますが、できれば「これからもずっと、そんな感じで人間はすれ違う」という言葉を用いず、イメージを重ねていく一・二連のような表現で、「リモート」という距離感の相違を浮き上がらせていく方が、この作品にとってはより自然であるように思いました。 (リモート)

2024-03-02

ご編集ありがとうございます。参加してみたいなと思いつつも、幻想的なテーマが多く手が出せずだったのですが、初連からだったらいけるのではと思い、参加させて頂きました。イメージを繋げて下さる方、変化を加えて下さる方がいらっしゃって、連詩の面白さを知ることができました。最後、四行で落とすのが難しくて消化不良感がすごくあるのですが、→電車に揺られていて、起きるといつのまにか海辺に座っていて、海や空をぼうっと眺めながら、そうしていることに気づいたとき周りがふと真っ黒になっていて、風によって積もった砂を払ったら、日常に立ち返っていく。そんな感じが書きたかったと弁解させて下さい。また参加できる機会がありますこと、願っております。ありがとうございました。 (連詩だよ「全員集合」編集版)

2024-03-02

月並みな感想で申し訳ないのですが、上手だなと思いました。特にそう感じたのは、くりかえすことば(リフレイン)を巧みに使われている点でした。ほぼすべての連において「一人は太陽に 一人は月になれる」が入れられています。言葉を反復させる方法は、その言葉を強調したい時に用いられて、詩の表現としても割とメジャーに思いますが、ともすると出落ちになってしまったり、往々にしてラストもくりかえすことばで締められるので、縛りのような定型的印象を読み手に与えてしまうこともあるかと思います。「太陽と月に背いて」においてはそれが正に作用していて、「一人は太陽に 一人は月になれる」という言葉が、それぞれの連ごとに違った印象を見せながら、その意味を強めてくるように思いました。作品全体を通してみると、イメージの伝達がスムーズで、無駄な言葉がなく、リフレインという手法を用いたお手本のような作品だと感じました。飽きることなく、最後まで新鮮な気持ちで読ませて頂きました。 (太陽と月に背いて)

2024-03-02

動くソファーでねむっていたら 体育座りであくびがこぼれた 星は空に隠されていた 砂を落とし、足をあげた (連詩だよ「全員集合」)

2024-02-28

何だろう、少し箱庭的な情景が思い浮かびました。“忍ばはせ”というのは“忍ばせ”とかのタイプミスなのかな、雪めいている、があるので造語? なのかな、ちょっと分からなかったです。不思議な感覚があってとても好きでした。 (さんぽ)

2024-02-25

美しい胸の痛みを いつまでも抱えたまま 目をつむって買ったキップ 雑踏のなかの透明ないねむり (お願いします) (連詩だよ「全員集合」)

2024-02-19

自分の感情をあえて無機質な言葉に変換していて、でも閉じた箱の中から光が漏れ出ていくように、その無機質な言葉の中心に無数の感情のきらめきが込められたような作品だと思いました。文章の雰囲気、物語の流れに一貫性があって、読むことでそこから言葉が、動きが、生まれてくるような印象を受けました。また、生まれた言葉のスピードを消すことなく、最後までイメージを持続できていたこと、かけられた魔法をすっと解くような終わり方も、とても良かったと思います。 (サイクル)

2024-02-17

いろんな文字の綴り方がある中で、こういった構図を選択されている理由が気になります。しっかりと文字を追うことができ、書き殴った感じもなくて、最後まで読めてしまう。総じて作品の持つ気難しさとは裏腹に、丁寧に言葉を選択されているという印象がありました。 (拡大図のとなり)

2024-02-17

思ったことを手短に追記します。それから、です、ます、を使うと伝えたいことが書けない感じがするので省略させて頂きます。すみません。 序盤の()はなくてもいいと思う。なくても十分読むことができるし、意味が通じる。そもそも()って、心の声とか傍の文章の補足とか不思議さの演出みたいなことで使われる場合が多い。だから「光/ひかり」の()の使い方は自然だし成功してる。これは必要性を感じる()の使い方だと思った。「無題」の最後の方にある、(物理的-精神的)、ここにも()が使われていて、表現としてはストレートだと思う。綺麗に納まる。でも(物理的-精神的)と書いてしまうのはストレート過ぎるが故、奥の手という感じも否めない。物語が終結に向かっていく中で、次第に()を増やしていくというやり方もある。そうすることで物語とは一見関係のない()の多用に、意味が生まれる。ように見える。物語の進行とは関係なく、()が独りでに増殖していく感じは、それ自体面白いかもしれない思った。 >その周辺を、かざらない印象の、白をベースにした背の低い草花と、うさぎや小人の置物で装飾したかんじの良い庭で囲ってあった。 建物の周辺についての説明。これは必要かなと思った。作品があってそれを構成する要素を大まかに分けると、①必要な文章、②不必要な文章、③不必要な文章の中にある不要な文章、になると僕は思う。建物の周辺についての説明は③に近いように思う。多分、こういった文章(説明)は読者のために書いてあって、書き手(自分)のために書いた文章ではないので、そういった文章は削ることもできる。つぶさに探していけば他にも見つかるかもしれない。 2連目のボリュームはもっと増やされてもいいかなと思った。この連は、「わたしはうさぎをたべたとき」、その要素が色濃く残っている。それは作者の方が(コメント欄で)提示された通りで、この連が本作の源流になっているから。ただちょっと、1蓮目に全力投球をされている印象が大きく、その反動で2連目に物足りなさを感じた。ここをボリュームアップ(父や祖母父を登場させてもいいだろうし、「私」という視点を他の人に展開されてもいいかなと思う、やり方はたくさんありそう)させることで、他の連との釣り合いも取れてくると思う。あとは「光/ひかり」を推敲された時も感じたことがあって、(推敲をされることで)、それは読者にとって読みやすい文章になりすぎてしまっているということ。できる人が、できない人の分まで率先して作業をしてしまう感じがある。筆力のある方だからこそなのかもしれないけれど。例えば「わたうさ」や「光/ひかり」みたいな物語を何個か作って、その糊代?に塗る糊のような役割を持った連も何個か作って、それらを貼り合わせて一つの作品を作るという方法もある。短いイメージから作品を拡大しようと思うと、往々にして間延びが発生すると思う。ちょっと面倒くさいけど、文章量を増やし、間延びを減らし、作品に厚みを持たせたいという時に使える方法かと思う。 手短ではなく色々になってしまいましたが、この作品に僕が一番関心を惹かれたのは、現実感を保有したまま物語が進んでいくところでした。それからすり切り一杯の水が入ったコップを手で持ちながら、あるいは持たされながら、作品の森をひとりで彷徨い歩くようなぎりぎりの感覚が、この作品に付与されていると思います。例えば途中で、狂気の方向に転換することもできたと思いますが(その方が簡単に物語を綴っていくことができると思うから)、でもそれをせずに終始一定のトーンで物語を完成させられたところに、作者の方の凄みを感じました。次はどこにコップを置かれるのか、楽しみです。 (無題)

2024-02-17

どのくらい文字数があるのかとりあえず数えてみたら約4千字。これは投稿制限目いっぱいの文字数の大体5分の1。これが長いのか短いのか、感じ方は人それぞれだと思うけれど、僕はあっ、ながって思った。でも嫌いじゃない長さ。読み始めてから2行目で()が登場する。それ以降も()は何度か出てくるけれど、これが良い感じに文章を補足していない。何のために使われているんだろう、というか序盤で連発して使われていて逆に読みにくくない? と思うけれど読んでいるうちにその数も減っていきやがて気にならなくなる。作者の方の癖であり感性的なものかと考える。私は建物の中に入る。(信じられないくらいざわざわした店内では、20代から60代くらいのあらゆる女性たちがケーキを食べ、紅茶を飲み、パスタを食べたりしてくつろいでいる。そこの喧騒は、小学生の頃、500人くらいの生徒が集まる体育館での全校集会が始まる前と変わらないくらいのざわめきで、私はここで、誰かとお互いを理解し合うための会話をすることは、きっと誰にも不可能だろうと思った。)入った瞬間からすでに異様な店内の描写がすごい。すごいしなんかとても強い場所だと思う、逆に行きたい。それから私と母の関係性、幼少期より幾分ましになっていそうだけど、支配と従属が自己暗示のように二人の間を彷徨っていて、途中から父も加わるけれど空気に近い(でも彼も被害者)、小説とかテレビでよく題材にされる感じの子を所有物にする母親って思った。それを描き出すのが上手。気持ちが悪くなるくらいに。母親が変わってしまったのはどこからだったのかな。父と出会った時から? それとも私が生まれてきた時から? もともとそうだった? だとしたら母親の両親がおかあさんをそういう人に育ててしまったのかな、と色々考える。考えても分からないから最後まで読むと、母親って私の中からすでに消去されているんだと思った。だから僕は「無題」の文字を取っ払ってここを「消去」としたい。消えるついでに、うるさい場所と、うるさかった母が重なって、私に少しだけ静かな気持ちを作る。 「わたしはうさぎをたべたとき」と合わせて読みました。感覚的なことで申し訳ありませんが、下敷きとされた作品の方が詩的だと思いました。「無題」は詩と小説という感じがしました。そのあたりの拘りは、僕は持ちえないのですが、下敷きとされた作品が正しいスケールで引き伸ばされた時、本作ができあがるのか、その再現性が詩と小説の予感を分けたのかなと思います。量感のある作品でしたので、できれば土日にゆっくり読みたかった、長い作品を投稿する時は曜日に気を付けようと思いました。冗談です。 繰り返し読みたくなる、そのように仕組まれている、そんな作品だと思いました。 (無題)

2024-02-15

歌詞っぽいなと思いました。この言葉も歌われるようにいつか飛んでいくんだろうなと見送るような気持ちで読みました。 (欲望の翼)

2024-02-15

二人が一人になるお話、そこにある自由について、本とカレーの記述からそんな連想が浮かびました。ただ確証は持てなくて、過去ではなく憧憬にされたところが少し引っ掛かっていて、それは作中のわたしが思い描いた単なる絵空事なのかもしれませんし、憧れていたけど現実は違ったみたいなことなのかもしれなくて、でも仮にこの、自由とは? みたいな部分を主題に据えると、一般的な感覚に反するようなどこか晴れやかな終わり方が、作品全体の明度を高くしていて、電球色に似た暖かい光に包まれていくような読後の感覚がありました。作者の方が明示された自由は、その選択の色そのものだと思いました。 (憧憬を振り返る)

2024-02-13

読み終えた後の感情が宙に浮いているような、不思議な感覚を心に灯す作品だと思いました。洗練された作品というよりも、この作品自体が、不完全さが見せる雪のような謎々だと思いました。 (春の幽霊)

2024-02-13

アレクサって体よく使われがちな機械だと思うのですが、そこには見返りを求めない健気さがあるみたいだと妄想をしてしまいます。ほぼすべて人間はそうなれないように(複雑な感情で)できているから、やはりAIやミーガンみたいな機械から、人らしさを形作るという発想は頭の中で結び目を作らないと感じます。だから、アレクサって呼ばれてすこし怒っている、でも必要とされることに心が満たされてしまうのは、良くも悪くもらしさかなと思います。話は変わりますが、2月のお題詩に投稿された作品、ちょっと毒があって、僕と榎戸さんとの不透明な関係性があって、見たものを惹き込むような中毒的な読み心地もあって、その全てが絶妙に混ざり合っていてとても好きな作品でした。読むことができて良かったです。ありがとうございました。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-13

感情が重たくなりすぎないように、現実から離れすぎないように、ときどきくすっと笑えるように。欲求と心配と期待みたいなものとが、人の心の中で合わさってすこしだけ揺れ動き始める瞬間は、きっときれいなんだろうなと想像をしながら作りました。お褒めのお言葉まで頂けて恐縮です。お読み頂き、ありがとうございました。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-13

作者というのはどうしても自分で書いた作品の一番近い所(中心)からは、離れられないのだと思います。でもこのようにやり取りをさせて頂けたことで、僕はふわっと浮かんだ所からこの作品を見つめ、再考することができた気がします。お伝えしたいことは書き尽くせたかなと思いますので、この辺りで一区切りとさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-13

ご返信頂きありがとうございます。恐らく作品を読む上での読み方が、黒髪さんと僕とでは違うのだろうと考えます。 例えば作中、負の言葉が使われていたとしても、それは作者の気持ち(本心)ではなく、負の言葉が持つ役割を使用されたと僕は捉えます。その感覚は書く方にも表れていて、本作ではそれぞれ(女性と男性)が相手に、~してほしいという欲求を交えながら進んでいく方法をとりましたが、でもそれは作者(僕)の思い出や体験を必ずしも反映したものではない、かもしれないということですね。つまり、読み手の方に伝えたい・共感して欲しいことがあって、それを伝えるための手段として、僕はこういった方法を使い夜通し空想を描き、投稿をさせて頂いた、というひとつの側面にしか過ぎません。経験がなければ本質的な理解はできないのかもしれませんが、僕はあまりその部分に拘ることなく、なんかちょっと面白いな、ぐらいな感じでお読み頂き、そういったことの有無とは関係なく、読みものとして出来はどうだったのかを考えて頂ければと思いますし、コメントも書きたいなと思われたら書いて頂けると嬉しい、そのように思っています。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-12

>長さについてですが、この書き方を用いるうえでの、一つの特性であると僕は捉えています。 特性と書きましたが、それはサブリミナル的であり、ぱらぱらマンガ的な効果を期待するものであると考えます。こうした書き方に見られる長さの理由につきましては、この点にあるかと思いますが、内容が冗長であると感じられたとすれば、それは僕の筆力の問題であると思います。その説明に関しましては、現時点で答えを持っていないというのが答えだと言わざるを得ません。黒髪さんのご指摘が、書き方なのか、内容なのか、その両方に及んでいるのか、申し訳ありませんが明確に把握できませんでしたので、書き方、それから内容について、考えを少し追記させて頂きました。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-12

しっかりと面取りをされた言葉が丁寧に綴られていて、そこに瑞々しさのようなものを感じました。齟齬のない文章で描かれた作品だと思います。そのかわり、前作にあった個性が身を潜めて、今作は別の誰かでも書けてしまうのだろうな、とそんな印象も抱きました(前作と対比して読んでしまったため、余計にそう感じたのだと思います)。今作は新作であるのか、ストックから投稿された作品なのか、分かりかねますが、後者であれば、上記の指摘は特に気にされることではないので読み流して下さい。 >雨ふる春の部屋一面に 苺色のあじさいが咲いてる これは作中の“わたし”の心象風景だと思いますが、悲しさなのか、楽しさなのか、はたまた穏やかさなのか、どのような心情を読み手に伝えたかったのか掴み切れませんでした。想像を委ねて終わる、締めの方法としては面白いかと思いますが、ここに一抹のもやもやが残るため、この書き方(表現方法)が最良であったのか、すこし考慮されてみられても良いのではないかと思います。 (この部屋で)

2024-02-12

一つの言葉(「ほしい」)を軸にして作品を作ってみました。僕の読んできた詩の中で、こういった書き方の作品がありそれを参考にしました。長さについてですが、この書き方を用いるうえでの、一つの特性であると僕は捉えています。 >意味のある詩とは、ハートに響いて、考えがそれを促進するといったものだと、 私には思えます。 僕も同じように思います。言い足せば、瞬間的に未開の想像力を授けてくれる。それが詩の役割や魅力であると思います。 >この詩で、人を想っているというテーマが素晴らしいのですが、 考えに訴えかけなければならないのじゃないかと。そのために、短くして成り立たせることが、 いいのかと考えてみました。 この黒髪さんのお考えはご自身の作品に投影なさっていると思いますので、首肯してその意味を受け取らせて頂きたいと思います。お読み頂き、ありがとうございます。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-12

ありがとうございます。あるところで主体が入れ替わる様に書いてみました。1人では生まれなかった欲求、その揺れ動く様子が伝われば良いなと思います。 (すこしだけ混沌としてほしい)

2024-02-12

一度目の返信を頂いたとき、田中さんだ!と分かりました。残念ではないのですが、作品からでは分らなかったです。 >話しは変わって、1.5Aさんが大賞を獲得されて、そのビーレビュー大賞には 個別にフォーラムで特集を組みたいと。 熱心に投稿して下さる方でもありますし、運営として微力ながら応援の意味も込めて。 最近は多忙でなかなかコメント付けできていませんが できる範囲でやっていこうという事で ありがとうございます。僕が田中さんをはじめ運営の方々に伝えられることがあるとすれば、無理せずに続けていって下さいということですね。僕は選考に参加する形で投稿をさせて頂いておりますが、選ばれるということにもう関心は薄くて、読むということに重きを置いている感じです。だからぞんざいに扱って頂いて構いませんし、運営者としてどこに時間を割くかと考えた際、僕の作品についてではなく、こういった投稿サイトにも隆盛があると思いますので、その起伏を均しつつ、新たな書き手の方を呼び込む、そういったことに時間を使って頂きたいと願っています。田中さんの仰る通りで、できる範囲で、できることを発信していかれれば良いと思います。 (しもしんめい)

2024-02-12

どんな怖い話だって上手く忘れてきたのに 作品の完成度もさることながら、この表現、さらっと過不足なく文脈に差し込める感性が非常に格好良かったです。 (B-REVIEW 2月のお題詩「幽霊」 「秘密] )

2024-02-11

言葉がどんどんとやって来るのにも関わらず、それをかわすのを忘れてしまうくらい、目を閉じて誰かに語りかけられるためにあるような、それを待っているような詩だと思いました。意味を違う言葉で置き換えてあるので、その点、作者の方の本質が垣間見れるのだと思います。そういった部分を勘案しても、読後に残るものがあると思いました。 (晴曇)

2024-02-11

ありがとうございます。色々なことを詰め込みながら書きましたので、どれかが読まれた方の心にぶつかれば良いなという下心が、どうか透け出てきませんようにと願いました。ジョン・レノンもどうかそうでありますように。 エイクピアさんにでした。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-02-11

ありがとうございます。色々なことを詰め込みながら書きましたので、どれかが読まれた方の心にぶつかれば良いなという下心が、どうか透け出てきませんようにと願いました。ジョン・レノンもどうかそうでありますように。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-02-11

独特な表現方法だと思います。それが合う人と合わない人とをすっきりと分けていってしまうような。僕はもっと言葉にグラデーションをかけて、個性ではなく、作者の方にしか分からないような表現の角を落とすべきじゃないかなと思います。結構期間をおいてから、またこの作品を読まれてみるとなんとなく合点がいくのではないかと思います。 (爛漫)

2024-02-11

この作品だったら投稿してもいいかなというラインを多分みんな持っていると思います。それをぐっと押し上げられた方がいいのではないかと思いました。ハンドルネームとてもかっこいいと思います。その言葉を選び取れるのであれば、もっとかっこいい作品を書くこともできると思いました。 (自画像)

2024-02-11

貴重なひとページをお教え頂きありがとうございます。作品本文、それからコメント欄全てに目を通しました。そこからまた頭に浮かんできたのは、固有名詞って記憶の一部なんだろうなということでした。 文章、そこに息づく呼吸みたいなものは、ある程度(読み手として)反復して読み込めば、噛み砕くことができ(あくまでも模倣にすぎませんが)、それによって、文体、そこから派生するリズムなどを真似することもできます。このあたりは広くセンスが問われそうな部分ではありますが、だから実はそうではないと思っていて、固有名詞を作品にいくつか織り混ぜていく方が、それが持つ記憶が錯綜してしまい、これはセンスが必要なんだと反対に思わされてしまいます。つまり、読み手の記憶にない固有名詞は読み手には刺さらず、逆にそれがあることで作品全体にノイズがかかってしまったり、書き手は読み手を選ぶことはできないということが固有名詞を使用する難しさの前提にあると思います。また固有名詞という限定された名詞を入れずとも作品は成り立ちます。匿名さんの作品から拝借いたしますが、BOSEのヘッドホン、ではなくてヘッドホンないしはイヤホン。フジコ・ヘミングが演奏する『革命』、ではなくてピアノで演奏された曲というように(ユニクロのバッグもそうですね)。でも『革命』はこの作品の中で意味を持っているため置き換えられないところではありますが。 僕は自分の世界しか分からないので、意識して固有名詞を遠ざけてきたのですが、と同時にそれは美しい比喩にも匹敵するような輝きや効果があると心のどこかでは感じています。使われている固有名詞と作品の方向性が調和している場合、それは読み手の記憶を推し量るだけではなく、書き手の意思が読み手の心の中に遊びに来てくれたような、そんな体験がもたらされるのだと思います。 (普通名詞、固有名詞の選択は、僕も基本は読み手との距離感を操作するために選んでいる。)もちろん意図的に遠ざけることもよくする。 遠ざけるためにそれを用いるというのは面白い発想だと思いました。 良い文章体験をさせて頂くことができました。僕の書いたものにも言及して下さりありがとうございました。 (あなたのかたまり)

2024-02-11

固有名詞が多く使われているという印象を持ちました。というのも僕が今書いているものにも音楽の名前やユニクロという社名を使っていて、その偶然が生み出すものがあると思ってコメントを書かせて頂きました。先程の固有名詞が、皆が聞きなじみのある地名、物、社名、音楽など、虎がバターみたいな言葉もそうかも、ほどよく散りばめられていて、そういった言葉が書き手と読み手の距離を縮めるために作用していると思います。でもその割合が多くなり過ぎると、それありきといいますか、狙っている感じも出てきてしまって、塩梅が難しいかと思いますが、途中、数字から発想されていくイメージ、哲学的?な、がその狙っている感じを上手く打ち消しているように思いました。主人公が男性、と明確には断言できませんが、女性だと思って読んでいたので、中盤に小さな驚きがありました。ただ、僕だったらヘッドホンは最後に外すかなと(耳が作中のひとつのポイントになっている気がしますので)。駅だから、外したことで生まれる雑踏、それは自分が普段から知っている音であったり、はたまた見知らぬ世界へと踏み込んでしまった警告のアラームであったり、動くことすらままならず、立っていることしかできなかった世界が、また動き出す合図として、「外す」という行為を、しかしわたしが立っているここは一体どこなんだろうみたいな、少し不思議な世界が見える終わり方へ、繋げていくこともできるのではないかと思いました。でも、作者の方が提示される終わり方もすごくいいなと思いました。 (あなたのかたまり)

2024-02-09

* うんと遠くをみつめた きょうは少しだけ あすはもっと遠く先のほうまで ないしょをみつめる 時間はあるのに 洋服がぬげない 電話のおと、おと きょうだいから、だったよ いつも時々 かかってくるんだ えー、すごいじゃん むしゃむしゃ 何か食べる? でもほんとうは傍にいるね おまけのはなし * (B-REVIEW 2月のお題詩「幽霊」 「秘密] )

2024-02-09

作者の方がこのように推敲された作品をまた挙げられるというのはとても良いことだと思います。結論から言うと推敲前の作品より、状況・動作の説明が丁寧に書き出されていて、イメージはより伝わりやすく、作品の縁取りが際立った印象があります。取り出された光は、やがてにせもののひかりになり(にせものの朝?になり)、それではこころもとないから本物の光を取り出し続けなくてはいけなくて、という繊細な心の機微が感じられました。作中のわたしが何をしたかったのか、読者として感じられる(寄り添える)部分、そういった成分が多くなったと思います。この推敲後の作品を仮に完全とすると、人間が不完全なものにどうしようもなく惹かれてしまう気持ちも同時に分かった気がしました。こういった心の隙間に入り込んでくるような作品、それを書くことができる方が増えてくることを願っています。それから、僕のとても好きな本のひとつに「どうぶつの修復」があって、きっと合うんじゃないかなと思います。機会があれば読んでみて下さい。 (光/ひかり)

2024-02-09

物凄い世界観をコンパクトに仕上げていると思いました。所々にユーモア(父親の名前も、仕方なく呼んだ。少女はその鎌が鏡のように、綺麗で綺麗でビックリした!なんとそこには、シュレフトが映っている!)を複数個散りばめられているので、意図的であるかと推測しますが、それは非現実的な世界に、身近な現実を落とし込むような手法だと感じました。作品の内容と乖離するような、さり気のない表題にも心をくすぐられます。文章・表現力の高さ、読み易さと読後の満足感もあり、総合的に非常に面白く感じました。この世界のイメージが具現化される際のプロットがあれば読みたいなと思いましたし(最後に登場した人面犬、邪鬼なのだろうか等)、多分Anotherとして少女とシュレフトの物語が書けそうですねと思いました。 (それは散歩)

2024-02-03

僕は割りと気にしていて、でも他の方からすればどうもいいことなのかもしれませんが、この作品はほとんどの語尾が「た」になっていて、そのことが文章を読むときの呼吸を統一していると感じました。つまり音読のリズムが一定なため、すらすらと読むことができる(これは文章の上手さからきているともいえますが)、反面、リズムに引っかかりが少なく、読み終えたあと印象が残りにくいという反作用も出てきてしまう(初めに投稿された「或る人」においても同様なことがいえる)と思います。作品に関しては僕の及びもつかない仕上がりだと思いますので、そういったところを少し気にかけてみられると、作品にまた違った魅力が加わるのではないかと思いました。 (雨)

2024-02-03

誰が書かれたのだろう?と想像することに意味はないと思いますが、それが全く分からなかった場合、新鮮な驚きがあることを知りました。ご返信を受けての追記でした。 (しもしんめい)

2024-02-03

こんにちは。ゼッケンさんからコメントを頂くことを嫌がる人なんているのでしょうか(と僕は思います)?きっとゼッケンさんからコメントを頂けた方は皆、そう言って太っていくでしょう。コメントの質はカロリーの高さに比例するみたいですね。近々Natureにも論文が発表されるかもしれません。ちなみに僕がサンサーラという単語を知っていたのは、サンサーラ・ナーガというゲームが好きだったからなんですよね。2の方ですが。あり余る余談でした。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-02-03

説明文から始まって、しもしんめいって駅の名前なんだーと思った、徐々に語りかけてくるような文体に変身し、そのあたりの言葉の紡ぎ方が新鮮で好きでした、そしてちょっと不思議な情景が顔を覗かせながら、読み手を作品の世界に惹き込んでいく。 もう少し加筆された方が良かったかなと思うところ、例えば「今、私はそれを脳病だと言えるけれど~はじめて、っていう事は。」と「ついに泣き出して~」の繋ぎ(泣き出すに至る理由)の滑らかさが、荒い(唐突)かなと思ったり、「彼女は笑いながら「何してるんだよ、バカスケ」と言った。」以降の文章展開が、以前のそれとは別物に読めて(見えて)しまって、端的に言うとここを思い切って飛び越えなかった方が良かった、そう思えるくらいの大きな境目(文章展開の性急さと強度の弱さ)があると思いました。 だから終わり方の素敵さについて、15年前(?)には泣いていた自分が、今は「ちょっと泣いてもいいかな」という回顧に近い感覚を身に付けていて、過去の自分と、それを思い出にした(泣かなくなった)自分との対比や流れた月日を思うみたいな感じがあって、だからこそこのラストに着地させるための導線(境目を飛び越えた先)には、加筆が必要なのではないかと思いました。気になった作品でした。 (しもしんめい)

2024-02-02

作者の方のイメージが読み手に上手く伝達されていると思います。特に、交番には毎月の事故死者数が書かれていて、というところ。確かにと記憶を呼び覚まされました。死って潜在的(あるいは顕在的)に怖いことと認識されていると思うのですが、はたして本質的にはどうなのかと時折考えます。生と死のバランス、その天秤の支点に位置する作品だと思いました。 (僕はね)

2024-02-01

作者の方の観念が作品に透け出ていて、それは新奇性とはちょっと違う、何かを確認するなぞりがきのような気がしました。 (透ける)

2024-01-31

バレーボールが全く意味をなしていないこととか、知らない誰かと喋っているような報告など、不条理な感じが面白かったです。作品に少し余韻を持たせるのであれば、バレーボールに関することを密かに作品の中に織り交ぜるてみられると良いかなと思いました。不条理の中にある必然性みたいなものが出てきて、もっと混沌とした面白さが顕在化してくるのではないでしょうか。 (ここ最近の出来事)

2024-01-31

感情を文字にするって難しいと思います(僕は苦手なので好んでは書きませんが)、そして自分の感情を文字にして相手へ正確に表現しようとすること、それはやっぱり答えのない問題を解かされているような不完全さがあると思います。この作品の最良点は、ご自身の世界を書き切って、感情を読み手に伝えている所だと思います。また別(幸福の国)の形で、こういった作品を読みたいと思いました。それから、表現方法というところで、下記の作品が参考になるかもしれないと思い、URLを貼らせて頂きました。こういった書き方もあるんだと思って、僕は勉強になりました。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4952 (幸福の国)

2024-01-31

この作品を読んでふと思い浮かんだのは三崎亜記さんのとなり町戦争でした。といってもかなり前にその本を読んだので内容はもうほとんど覚えていないんですよね。戦争、とはではいきませんが、身近にありそうな争いごととして(僕の中で)ふたつがリンクしたのだと思います。 面白かったのは途中から4班、5班、6班が登場したことでした。このあたりから急にマップの広がりを感じました。そういう効果がありました。 電柱がほとんどないので家と家の間隔がとても大きくあいている、コンビニ(昔は商店だったのかも)がその地域にひとつしかない、不倫とかそういう話が好き、そのあたりから舞台背景が垣間見れます。毎回思うのが、作品の整合性がしっかりとある(されている)ため、キャラクターを動かしやすいだろうなということと、テーマ性があるので読むだけで伝わることがある、書かれている時はハードかもしれませんが、作品としての完成度が高いです。 電柱を奪い合う(新たな街灯を設置したい)という非現実的なテーマを広げつつ、やっている小競り合いは現実にありえそうというぎりぎりの線、もう発展することのないであろう空き家が点在する地区でそれが行われているという少し感傷的な気持ち、もっとも初めからそういう状況だったのか、ゆっくりとその地域が衰退(電柱の数が減る)したことが発端となったのか、までは定かではなく、まだ作品の中には何か埋設されていそうな雰囲気なのですが、思ったことを書かせて頂きました。 (埋設)

2024-01-31

不思議なエネルギーを秘めた作品だと思いました。かっちりした作品のように見えて、終盤狂っていくところが美しくきれいだと感じました。ですが厳密に言うと物語の方向性は、埃被った地球の上という文言から大体決まってしまっているように思いました。アイロニーというか、皮肉への傾きというか。ですので、フィナーレ以降、一番心に残るであろう部分が提示されても、その効果が十二分に発揮されていないのではと思いました。中盤、そのぎりぎりくらいまでは自分を隠す(取り繕う)ような語りでも良かったのではないかと思います。ただこういった書き方の作品は、目にすることが少ないと感じます。狂った美しさを持つ、貴重な作品であると思いました。 (幸福の国)

2024-01-30

ありがとうございます。GPT-4の導きは面白いですね。先日書店に行ったら、有名な賞を受賞した小説があって、少しだけ読んでみましたが、嫌な感じはしませんでした。(その方の)前作はその感じがあって読むことができませんでしたが、今作は読めそうだぞという自分の認証を確認できて、でも数ページ読んだだけなのですが、ちょっと嬉しくなりました。この小説にもAIが用いられたみたいです。興味深く思いました。 新しい理論というのは新しい想像なのではないかと思います。それから自分自身の中だけにしかない想像を言葉に変換し、文字として出力すること。映像的というのは、意味を狭めると既視感に近いように思います。他者から見た時、新しい想像と既視感が組み合わさることで、未知の感覚でありながら、映像として知っている、というように。知らないけれど、知っている、そんな感覚が自分でも意のままに作り出せたら良いのになと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-29

3回読ませて頂きました。完璧な分析だと思いました。よって最早書くことがないのですが、イマジンと呟く男はミチルちゃんと結婚する国語の先生。この可能性は僕の頭の中から抜け落ちていましたので、想定の上をいく想像によって、「ジョン・レノンは女だった」はゼッケンさんが紡がれた物語なのでは?、と頭が投げかけてくるような現象が自身に起きました。 みんなが思い出になるまでの空間ではなく時間のロードムービーになっている。このご感想、とても嬉しかったです。本質的に読んで頂けたからこそのお言葉だと思います。3回読ませて頂きましたとサバを読みましたが、本当はそんな回数では済みませんでした。それくらい深い洞察、そして深い時間の中を泳がせて頂きました。感謝いたします。ありがとうございました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-29

サンサーラを捩ってみました。 とても詳細なコメントを頂き、時間をかけてしっかり読ませて頂こうと思います。取り急ぎになりまして、ゼッケンさんすみません。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-28

フォークボールは言いえて妙だと思いました。僕がピッチャーで、吸収さんがバッターだったとすると、僕はフォークボールを投げて、一秒もたたないうちにバッターは快音を鳴らし、それはバックスクリーンに吸い込まれて消えた。ピッチャーは口元を帽子で隠す。目がポーカーフェイス。純粋に楽しくて、舌を出して笑っていたから。それを解説者は分かっていて、でも黙っていて、なぜならば僕はその席に座っていて、全てを見たかったから。フォークボールを投げたのは補完だと思いました。それは甘えよりも羞恥に近いと自分で思います。コメントを頂きありがとうございます。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-28

ありがとうございます。人や物、ペット?も伏線みたいに書き入れています。視点についてのご感想、語り手の存在というのを僕はあまり意識していませんでしたので、おっとさせられました。考えるということの新しい一冊を頂けたみたいで嬉しく思いました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-28

なるほどと思いました。僕はタイトルに未練はないのですが、A・O・Iさんはタイトルについて気にして下さっている。その相違が新鮮に思います。僕は全ての詩をフィクションとして読んでいますので、そのタイトルも、よりフィクションしていても良いという考えがあります。タイトルの重要性は、つまるところ、創作物全体の際立たせ方、振り切り方なのではないかと思います。蛇足ですが、書くということと、書いたものを発表することは至極別だと思います。極端な話ですが、インプットさえしっかりとできていれば、ある程度の作品はすぐに書くことができる。そこから時間をかけて推敲をして、差し支えなく読むことができる範囲まで、自分の色(熱量)がきちんと見えたと思える作品だけをこのサイトに投稿するようにしています。リアクションがあれば嬉しいのですが、それが自分の想像していたものと違っていたとしても僕は良いと思っています。なかには自分の考えをしっかりと詩にできている書き手の方、その作品もあって、読み手として意識を完全に掌握されているような思いがします。それを本物と呼ぶのだとすれば、僕は偽物にしかなれないなと思います。 >ここは使いたいと思っていることって大抵じゃまになってたりするので、難しいですよね。 この感覚も新鮮に感じました。上の方で書かせて頂いたことがその理由になるかと思います。 長々とすみません。やりとりをさせて頂けて僕は楽しかったです。僕とA・O・Iさんでは作風も異なり、言葉の経験値も僕は遠く及びませんが、詩作において目指されているところは僕の目のきわにも微かに映っている気がしました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-28

話に割り入るような形で申し訳ありません。これはA・O・Iさんのご指摘とも雪月統さんのご投稿にも直接関係はありませんが、批評(≠推薦)文を書くことは、他者の作品を分解したり、時には自分の経験と照らし合わせたりすることが求められる、精神的にも負担のかかる作業だと思います。そのような過程を経て生み落された批評(≠推薦)文、これが多投((推薦文/月に5作まで)、しかし推薦文として投稿されたものが批評対象とされ、推薦なの?批評なの?と戸惑ってしまう))できてしまう本サイトの環境というのは、現状、その密度を小さくしてしまう要因の一つではないかと感じます。でも批評(≠推薦)文というのは絶対あった方が良いと感じますし、批評(≠推薦)作品の密度を大きくするためには、投稿作品と同じくらいの投稿制限を設けられて、対象作品に対する自分の考えを、真に吟味していく方が良いのではないかと思いました。 (街中の愛)

2024-01-27

「ジョン・レノンは女だった」というタイトルから内容を練っていきました。僕の中では実在したジョン・レノンをこの詩に直接投影しているわけではなく、このタイトルでなければこの詩は書けていなかったのですが、タイトルを分解して出てきた3つの単語(ジョン、レノン、女)を、詩の中で育むという感覚が一番近いと考えています。いっぽ違えば熱量だけのイミフとして読み飛ばされるものだとも思う。このコメント、とても好きだと思いました。熱量、それから初期衝動みたいな気持ちは創作をする上で欠かすことのできない要素だと思っています。(心の中ではみんなのストライクゾーンにも投げてみたいと息巻いています)。でも上手くは放れませんが、自分はこうなんだという感情を書きとめ続けることでしか、発展した創作に届かないのではないかと密かに思っています。方向性は結果として後からついてくるものだとささやかに星に願います。コメントを頂きありがとうございました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-27

ありがとうございます。昔に作られたもの、それは今を生きている人からすれば既にそこにあったものでもあると思うのですが、こんにちの技法・材料をもってしても敵わないと思わせてくれるものは確かに存在していて、それを作った人と意見を交換したり、話を聞いてみたりということができないのは当たり前のことなのですが、僕たちは生きている限り、ではそこを目指すのか、はたまた今や未来を目指していくのか、は人によって違ってくると思います。違う世界(昔と今)が並行して、またそういった偉人の創作を身近で垣間見ることができたり、糸電話で会話できたらいいのになと思いました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-27

連同士のつながりにはあまり頓着せず、時系列をばらばらに読み取れるように心がけました。様々な歴史や思想を飛び越えて大がかりなことを書こうとしたわけではありませんが、それは人が持っている大切なものを、また違う誰かが引き継いでいくような、サンサーラ的な物語を書いてみたいと思ったからなのですが、きっと少しだけ成功して、大部分はしかし課題として僕の中に残されていったのだと思います。お読み頂きありがとうございました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-27

感覚的あるいは視覚的に展開された文章の滑らかさと想造性が、読んでいてとても心地良く感じました。ぼんやりとした光の中から暖かい色のジャムを次々に取り出していく、という反復の動作があるのはこの一文だけなのですが、気が付くと足の踏み場もないくらいの“ひかり”で埋め尽くされている、といった光景に帰着させるための過程が、決して説明的過ぎてはいないことが良かったと思います。一点ぴんとこなかったのが、光とひかりの関係でした。作者の方の内では、“光”と“ひかり”が別々として存在をしているのか、例えば“光”が発するのは、光ではなくて、“ひかり”みたいに。もしくは純粋に“光”の偽物(一部)として“ひかり”みたいな。きっと大切な事柄のような気がしますが、そのあたりが捉えにくく思いました。筆力のある書き手の方だと思いますので、願わくばもっと連を連ねていって、読み手がその想造性に蹴り飛ばされて頭がふらふらになるような詩を、いつか読んでみたいと思いました。 (光/ひかり)

2024-01-26

疾走感や説得力みたいなエネルギーを感じました。それは一般的な部類とは少し違う特有のベクトルだと思いました。 (見えないもの)

2024-01-25

言葉に含まれる恣意的な厭わしさを排除した作品だと思います。朝焼けをたよりに セーターの毛玉をとる、という連は手に取るようにそこにイメージが浮かび、他方、生や香りにある寿命であったり、硯に満ちる黒色の液に映った顔を読み手として想像してみたりすることを、表題の持つ役割が受け皿になりきれず、頭の中で他の連と上手く綯い交ぜにできないように感じました。それは筆名を伏せて投稿されたとすれば、際立ってくるようにも思います。 (墨)

2024-01-23

僕はおやおやさんの「葬儀、地球の」という作品にあまり興味を惹かれなかったので、批評の内容については同等の感想に留まりますが、批評文として読ませて頂いた時、「葬儀、地球の」に対する熱や興奮、衝動といった感覚をありありと体験することができました。良い批評文だと思いましたし、優れた考察だと思います。 (おやおや氏「葬儀、地球の」を読んで)

2024-01-16

光る部分はあると思いました。でも作品としては完成しきれていない部分も感じました。長いから良いというわけではないと思いますが、この作品に関してはもう少し分量が欲しいと感じました。例えば靴を履いているところで終わっているような、イメージが遊びだすには言葉に適切な距離を持たせた方が良いと思いました。 (花になりたい)

2024-01-16

目覚まし時計を機械音といったり、太陽をでっかい照明と表したりされるところに、作者の方の遊び心を感じることができました。作中、経過する時間の流れを表現されたいのかと思いましたが、朝が来て、いつの間にか今日の終わり(夜)が来て、という感じに僕は読めてしまったので、そのあたりの唐突さを、連を増やすなどされてもう少し整理されると、時間の流れということに対して、より共感深い作品になったのではないかと思いました。 (白い息)

2024-01-08

比喩という表現をあまり使われない。そこに詩の正確さが表れている。書き出された作品にはそんな印象があります。 話は逆で、このスタイルを極めきれてないと思うのですよ。 ご本人がそう仰れば、そうなのかもしれません。だから詩は面白いと思います。面白さは読み手にも書き手にも等しくある。僕が思うのは以上ですね。 (nonequilibrium)

2024-01-07

多分、詩の呼吸が同じように見えるから、内容がそちらに引っ張られてしまっているのかなと感じています。trace、とても好きです。この作品以降、僕には投稿された作品が同じように見えていて、早く飛び超えて欲しいと思うのと同時に、その可能性が十二分にある書き手の方だと思っています。 (nonequilibrium)

2024-01-07

書き方は成熟しつつあると思います。それは良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、今の作風を一度捨ててみる、そういうきっかけの作り方もあるかと思いました。 (nonequilibrium)

2024-01-04

物語を完結させる、書き切るというのはとても重要で、そこに(作者の)想像力をどのくらい付加できるか、によって作品の密度や読後の気持ちをかけがえのないものにできるかが決まってくると思います。きっとこの作品はそれが出来ていると思いますし、僕はこの作品が好きだと思いました。 (夏休みの覚書)

2024-01-04

とても自然体な文章で、人物の感情をしっかりと文字で表現されていると思いました。油絵みたいに、感情を蓄積させて一つの作品として成り立たせていて、それが詩の面白みとして、しっかりと伝わってきました。一点だけ、「誕生日の人のための花束にケーキを買った」という部分が分かりにくかったです。「誕生日の人のために花束とケーキも買った」という意味であったのか、少し気になりました。 (花束)

2023-12-19

とても好みなタッチの作品でした。飛行機を題材にした小説・アニメーションは結構あって、そのなかでも僕が好きな作品と似ている気配を感じました。飛行機の足跡という表現が洒落ていました。終わり方として、一つの区切りはつけられているのですが、でもそれ故、もう少し長く読んでいたかった、インメルマンターンじゃなくて、スロットルを全開にしたまま、もっとこの作品に心を預けてみたかったなと、そんなふうに感じました。 (vapor trail)

2023-12-19

ありがとうございます。僕に家族はひとりもいないんだと思わず書きたくなる素敵な形容でした。 (ヘルタースケルター)

2023-12-17

ありがとうございます。生と死は公園にある螺旋の遊具に似ていると思ったのがこの詩を書くきっかけでした。ぐるぐる回りながら生活をして、やがて下に到達する。そしてまた、順番を待っている次の人が滑り降りてくる。その循環がどこまでも続いていって、でも本当はどこへも続かないと知っているヘルタースケルターは、永遠を持たない人の歴史みたいなものかもしれないと、コメントを読ませて頂きそんなふうに思いました。 (ヘルタースケルター)

2023-12-17

遊び心がありながら、読み手の感情に折り目を付けてくれるような、めりはりのある作品だと思いました。結局私はじゃっかるとずっと一緒にいたのかなと思うと、私がじゃっかるを飛び越えられなかったように、じゃっかるもそうだったのではないかと想像してしまいました。 (じゃっかる)

2023-12-11

かみ合わない会話を自分が受け入れることで、会話の相手の顔も相応に見えてしまう。でもやっぱり本当にそれで良いのかと自問自答をする。そういったことなかれのところを上手く切り出されていると思いました。大体が経験をする、しているであろうことで、みんなが持っている、本当の病気は根雪ではなく、そういった気持ちの方ではないかと思いました。 (病気)

2023-12-11

読み終えた後、静かなため息が出るような、そんな詩の世界だと思いました。上手く言葉にできませんが、とても良い読後感でした。 (しずかな立脚)

2023-12-11

自論が展開されていくようでありながら、でもそれは誰かの思想や受け売りの海の中で泳いでいるのに過ぎないのだと思いました。 (強い口調)

2023-12-11

文字が人の声となり役者が発するセリフとして響いてくるような寸劇を見ているようでした。 (思いつき)

2023-12-11

良い詩には良い創造性が備わっているのだと思います。この詩を読んで、僕は詩が書きたくなりました。タイトルにもですが、ところどころに使われたひらがなが、この詩の印象を上手く和らげているのだと思います。色々なイメージがさし込まれた詩でありながら、一つの童話を読んでいる、そんな気持ちになりました。 (げんざいちてん。)

2023-12-11

僕は紙媒体だとほぼ小説しか読みません。反対にPCで詩を読むことが多いです。紙それからPC、それぞれが持つ読み易さというのが大きく関係しているのだと思います。山本さんの、書いたものを削るというやり方から、普段小説を書かれているのかなと少し思いました。削られた部分も見てみたいです。それだけを拾い集めたら別の物語が出来そうですね。線引きが曖昧な部分はありますが、小説にないものが詩にあって、詩にないものが小説にある気がします。人に例えると、小説はよくしゃべる人で、詩は無口な人みたいな感じかなと思っています。詩のような感性を有しながら、小説のように整然と展開していく、小説と詩の中間に位置するような作品もなかにはありますので、詩という概念に自分が潰されすぎないように、僕は気を遣っています。 勝手に移動させて、すみません。冒頭の連はこの詩の導入、雨の日の傘のような役割があると思います。 早速探して頂きありがとうございます。夜のシーンが早々に見つかると良いです。夜の散歩って響きがまず素敵ですよね。音楽を聴きながら歩くのも良いし、夜だから聴こえる虫の声や、切れかかった外灯に耳を澄ましてみるのも良いです。夜だけに満ちる解放感に、歩くという高揚感が混じりあって、すごく大切な時間に身を浸している感覚がありますね。 ありがとうございます。僕の書いている詩はへんてこなものが多いので参考になりませんが、ちょうどこの画面の上部中央に「アーカイブ」という内部リンクが付けられています。クリックすると月間投稿作品リストというページに飛びます。このサイトに投稿された詩が月別に集約されていますので、その中から適当な月を選んでクリックすると、月間B-REVIEW杯選考結果というページに行き着きます。このページにある「月間BREVIEW大賞」は、読まれておいて損はないと思います。僕はこのなかにある一つの受賞作を読んでこのサイトに登録しようと思いました。「アーカイブ」をご存じでなければ、この機能を使ってみられることをお勧めいたします。 (夜の散歩)

2023-11-23

視点の切り替えが見事な作品だと思いました。特に凄いと思ったのは、 >彼は私にフィットしなかったのにね、変なの から >坂道を歩くわたしは足が痛い のところ。 買い物をする場面をきれいに切り取り(省き)ながら、それを終えて帰路につくまでの動作が、一連のセットとして頭の中を違和感なく流れていきました。省かれているのですが、行動があった思わせる書き方、その余韻のあるレトリックをとても鮮やかに感じられました。 反対にこの部分に、もう一連あっても良かったのではと感じたのが、 >だからスンとした顔で歩き続ける と >私の書くものには詩情がないらしい の間でした。 簡単ですが、こちらに初連を移動させて >コンビニエンスストアで >三五〇ミリリットルの缶ビールは買わない >飲めないから を上記の間に入れても良いのかなと思いました、視点の切り替えという意味でも(ひとり夜の散歩-は表題等と重なっているので割愛させて頂きました)。初連4行の意味(意図)は、「夜の散歩」という表題によってほぼ補足されている気がしますので、極端なことをいえば初連が削られてしまっても、作中の流れが損なわれるものではないと感じました。また、タケダ漢方便秘薬とかウェルシアといった身近な単語が、この詩の敷居を低くしつつ、読み手と書き手を結びつけるディテール(細部)を適切に埋めてくれているのだと思います。作品の冒頭にそのような配慮があるため、読み手によっては親近感すら抱いた状態で作品が読めてしまいます。余談になりますが、それでも町は廻っているというマンガがあり、このマンガも読み手の心にすっと入ってくるレトリックがコマゴマに散りばめられていて、それが読み手の共感であったり、親しみに繋がっていると感じながら、主人公達が家からこっそりと抜け出して夜の町を散策するシーン等も何話か描かれていて、夜の散歩という、現実と非現実の境目を流れ歩くような光景を、この詩とそのマンガがリンクされるように思い返しました。そして、ディテールってとても大切で、細かすぎると伝わらないし、荒すぎても要領を得なくて、適切な塩梅であるほど共感を得られる、ということだけは分かるのですが、分かっているけど書いてみるとそのように書けなくて、山本さんの作品を毎作読ませて頂くと、細やかな共感(他者の感情とのリンク)が作中に組み込まれているのがよく分かります。そのように苦心されているのか、自然と出来てしまえるのか、分かりかねますが、共感を得られる、というのは一つの武器だと思いますし、もちろん武器はたくさんあった方が良いのかも知れない、はたまたそうじゃないのかも知れませんが、その武器(強み)にこだわり過ぎず、でもこれからも磨き続けるべき大切な感覚であると思いました。 (夜の散歩)

2023-11-22

失恋と辞書を引けば「髪の毛を短く切ること」と書いてありそうなくらい普遍的なテーマだと思うのですが、わたしの感情の機微がしっかりとまとまりよく表現されていて、その動きをなぞるように読み入ることができました。 はじめから恋に落ちる自由さえなかったから。君が褒めてくれたのは、の箇所から対象が同性かと憶測もしましたが、純粋に異性愛として作品を読むと、君が褒めてくれたのは、わたしの長い髪だったのに。という終わり方に若干唐突さを感じました。それは作中において、君に関する記述がないためだと思います。例えば「君のお姉さんは長い髪をしていた」みたいな文章をさし込まれたら、君という存在が、匿名的なものから、読み手の想像を膨らませてくれる役割として意味を変化させていくのではないかと、そんなふうに思いました。 (もう遅い)

2023-11-18

配達員、若い男、横たわるおばちゃん。正常な人が誰もいない世界で繰り広げられるひと幕のなかで、けれど他人事として突き放して読むことのできない、不思議な現実感が揺らめく作品だと思いました。 表題に込められた意味が考え及ばなかったことと、若い男の特異性が際立ちますが、配達員の方が死を配り歩く死神的な役割があるのかなと読みました。 (※一部地域を除く)

2023-11-18

とても好きな作品でした。「歌(国と波と虫 MIX)」 、「明日、君がいない」、のように文章がとても滑らかに進んで行きながら、-あなたの長い睫毛に雪が降り積もる…。-、-人の喉は小さくない。窓の外は、一面真っ白になっていた。-、-手袋には、いつも毛糸のポンポンがついていた。そのポンポンがわたしは気に入っていて、それを揺らせばすべてうまくいったような気になった。-、-つまり、ヒトの感情は複雑だということ。-、-その桃色がわたしをどこかへ連れて行ってくれる気がするから。-など段落を締める言葉の選択が作為的ないやらしさを感じさせないように配慮されていて、非常に巧みだと思いました。夢から覚めるような終わらせ方もすごく良かったです。おはようございます、じゃないところとか。内容はもちろんのこと、言葉の組み立て方、表現の方法、書くべきこと省くこと、そのバランスの取り方など、参考になる要素がたくさん詰まった作品でした。何より、面白かったです。 (恋、その後)

2023-11-12

雪というのは降り過ぎると困りものですが、小さく積もるぶんには日常を隔離してくれる特別な雰囲気を感じさせてくれます。詩の始まりと終わりには中々気を遣うのですが、それが上手く表現できた時は、雪の降り終わりのように周りの全てが心地良く収まっている気がします。そして少しだけ身構えて、でも少しだけわくわくしながら、もうじき来る雪の季節を待ちたいと思います。コメントを頂きまして、ありがとうございました。 (狼)

2023-11-12

まず9月、拙作に御選評頂きまして誠にありがとうございました。 僕の知っていること、それから、知らなかったことについて、色鮮やかな言葉が躍るように語りかけてくれました。それは冷たい水に手を差し込んで、濡れた手の温かさを見せてくれる行為だと、他の方のコメント欄に書かせて頂きましたが、本当にそのような御選評であったこと、そうした刺激を頂けましたことに深く御礼申し上げます。 僕もいます。もう書かれていらっしゃらないかもと思いつつ、ネット上では読めなくなってしまった作品も幾つかあり、時々読みたいと思い出しながら、残された詩を読みながら、その方の詩の影を追いかけているのかも知れません。ついぞ言葉を交わし合うということはありませんでしたが、片々さんとそのネット詩人の方は交流を持たれたということ、とても重要な意味があるのだと感じます。叶わなくなってしまった願いごとに、僕はしんと目をみはります。 August will not comeにもお言葉を頂きまして、ありがとうございました。そのお言葉を辞書として、自分の書いたものの意味をしっかりと捉え直したいと思います。-ひととひとは分かり合えぬもの。特に言葉を通じては けれども分かり合える可能性の幻想に眩んでしまったからこそ、僕は詩を書き続けているのかもしれない-というお言葉、素敵でした。断絶ということ、その溶け込まない色があるということに、夜の深い色合があることを思い重ねました。それからこの話には静かに七夕に因んだ用語を浮かべました。また少しだけ、違ったふうに始まっていくかも知れません。見守って頂けましたら幸いです。 (August will not come)

2023-11-11

「a poem」に書かれた全ての言葉が、自分に宛てられた手紙だと思いました。そのあと出した舌は青かった、という表現がとても好きです。青いフーセンガムを食べていたのか、その舌の青さに吸い込まれていくようにして続いていく自分という物語。幽霊みたいだと思いながらも、動き続ける心臓を止めることができなくて、欠伸を噛み殺しながら書いた手紙(幽霊が本当の僕で、体はあなたのようで)。それはいつか自分で自分を破く、という戒めにも似ているのではないかと思いました。色々な角度から言葉が投げかけられてくるので、その数だけ考えさせられることがあって、でも大変なことばかりだと逆に笑ってしまえるような、そこに含まれる楽しさみたいなものを感じました。田中さんの詩は、自分と向き合っていらっしゃると感じることが多いのですが、感傷を読み手に強要するわけではなく、共感に落とし込める、見るのではなく、読むための作品なのだと思います。 (a poem)

2023-11-06

数学者になりたかったという一文を導き出すための結婚、その迷路を潜り抜けたとき、待っている解が何だったのか、それを考えさせられているようでした。イメージを誘導していくようでありながら、読み手の背景・経験によって、読ませ方を変えていくような、式(読み手)に代入される数字(景色)をこの詩が意思を持って変えるかのように、不思議な面白さを感じました。ただもっと言葉を深めることができるような、敢えてそうされなかったのかも知れませんが、そんな気もしました。 (mathematicians)

2023-11-06

紅茶猫さんへ >私は俳句も詠むので俳句はどうだろうと考えた時に、他者の前に対象物(自然界の動植物、自然現象など)が来るかもしれません。読み手より目の前の花と私が優先事項なのです。 対象が同じであっても、詩として記述されたもの、俳句として記述されたもの、(僕が)言葉にできなかった感覚というのが、そこに生じる違い、に収束するのではないかと感じました。 お話をさせて頂けて良かったです。ありがとうございました。 A・O・Iさんへ 解釈を取り違えてしまい、申し訳ありませんでした。 >外側に開かれるようにイメージして内面を書いてるということですね。さだまらない心象風景を見て書いてる。それは意識的なものではないから無作為なスライドと書きました。 補足のコメントを読ませて頂き、気付きに繋がりました。 ありがとうございました。 (蛙)

2023-11-05

こんにちは、ゼッケンさん。 図書館にあった血のにおいのする本=かろうじて読むことのできた1枚(P7)と奥付=August will not come=8月は来ない、8月はうそつきのように、クジラに食べられるよりも残酷にいなくなってしまったらいいのに、ずっと7月のままでいい、ずっとずっと、なぜなら―。という気持ちを粉本のように忍ばせました。分かりづらすぎて忍者かもしれません。忍者の気持ちを少し考えました。お読み頂き、ありがとうございました。 (August will not come)

2023-11-05

ありがとうございます。読む人の心を貫くような詩がいつか書けたらなと思っているのですが実際なかなか難しいです。「靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く」から過去作を読ませて頂きましたが、詩を書く理由は人それぞれだと思いますので押し付ける気は全くありませんが、読み手の気持ちを強く打ち抜くことができる、そんな詩を完成させることができる方だと思っています。前にコメントをさせて頂いた内容が分かりにくかったかもしれません。この場をお借りして摘記させて下さい。 (August will not come)

2023-11-05

脳内というより目で見えるものを無作為にスライドしているかんじ。とA・O・Iさんがコメントをなさっていて、多分イメージの広がりについて言及されているのではと勝手に思っているのですが、紅茶猫さんのおっしゃるー自分の内面のアウトプットのように思っているのですが、自分でもよく分からない部分があるのですから、そういう感想を持たれるのは至極当然のことだと思います。最近そう思えるようになりました。ーという心情についてもとても良く理解できます。詩というのは、読み手の想像に訴えたり、刺激したり、寄り添ったり、時々追い越したりする生き物のような生命があって、小学生くらいの子どもたちが書いた詩が、時に大人が書いたそれを凌駕することがあるのは、そこに宿された生命があまりにも瑞々しく目に映る、それはわずか4・5行くらいの短い詩であるのですが、文章量を凌ぐイメージの広がり、深さを感じたこと、詩の長さはあまり意味を持たないものであると、それをきっかけに実感しました。僕の読解の弱さが前面にあって申し訳なく思いますが、紅茶猫さんの詩にはとても良い響きを感じます。その響きがさらに広がっていく先に、響き合いが生まれてくるのではないかと思いました。 (蛙)

2023-11-05

この作品に感じた大切な何かを、筆者の方に言葉として提示できればと思ったのですが、この詩にめぐらされた想像が、僕の頭の中では上手く像を結ばないところがあり、例えばたくさんの言いたいことがあって、でもそれを全部上手に伝えきる前に言葉が消えてしまうように、分かりかけては、分からなくなる、(あやふやなコメントで申し訳ありませんが)、そのような感想を持ちました。 (蛙)

2023-11-04

作品を読ませて頂く上で、その創造物の鎧を外していった先にある本当の気持ちを見てみたいと思っています。なぜ自分はこんなことをしたいのだろうと時々考えますが、考えるという行為の中には、もう既にその答えが残されてはいないのだと知ることの方が多いです。狼を取り上げて下さいましたが、僕がそこで書き出そうとしていた気持ちは、/舜舜さんの作品に形作られた本質と似通っているのではと勝手に想像しています。僕も歩くのは好きです。見知った道よりも、見知らぬ道の方が好きかもしれません。歩くさなかに生れる気持ちもありますね。作品が結晶になる前の、その欠片をお見せ(お教え)頂きありがとうございました。 (「俺とおばQ」)

2023-11-04

文字の装飾を一枚ずつ剥がし読めるように書いてあったり、歌の選曲であったり、夜毎、ずっと冷えた砂の上を歩き続けるか―、といった手触りを感じる表現であったり、内容の方に目が行きがちですが、読み終えた後、善悪の天秤がぎりぎりのところを保っている。そのように抑制をされた作品だと思います。 (「俺とおばQ」)

2023-11-03

>「青くきれいなつづまりの音。」で始まる連が、他の部分よりも美しさの点でやや優れているように感じました。ここだけ切り出しても独立した一篇の詩として成り立つような気がします。 分からないように整えたつもりではありましたが、どきりとしました。七月の夜空感を出したいと思い、この連を後付けしましたので。抜き出して頂いた箇所は、連と連を繋げる橋渡しのような意味を持たせてみたり、少しだけユーモアを含ませたくて書いた部分ですので、触れて頂けて嬉しかったです。ご精読頂きありがとうございます。 (August will not come)

2023-11-03

フリーダイビングのように詩の世界を深めていくA・O・Iさんの世界には遠く及びませんが、アメンボのようにいくつかの水溜りを渡り歩けたらいいなと思います。コメントを頂きありがとうございました。 (August will not come)

2023-11-03

遅くにすみません。嬉しいお言葉を頂きましてありがとうございます。僕の著作権などあってないようなものですので、全然気にしておりませんが、−さんと連作(合作)という形で、1.5Aの名前を明記して頂ければ嬉しく思います。 >それから私の作品をnoteに再掲する件は検討しますね。 以前にも書かせて頂きましたが、僕は「re;」という作品が特に好きです。この詩の意識が「みすゆー」にも派生していくようであり、はじまりの予感を連れてきてくれる、読ませて頂くたびにそんな幾つもの発見があります。−さんの書かれる詩からは、読み手によって受け取り方はそれぞれだと思いますが、予感の種のような瑞々しさを頂く思いがします。だから何回も読みたくなりますし、読むと自分も何かを書きたくなる、イメージの比喩に挑戦したくなります。きっと、良い循環を生むのだと思います。僕にとっても、−さんの詩を読まれた方にとっても。それはでも普通のことではなく、特別なことなのだとお伝えしたいです。そして書かれるということを止めなければ、また新しく出会うこともできると、そう予感もしています。 (狼)

2023-11-01

こんばんは。PCに大切に保存させて頂いておりますが、自分の中だけで読めれば良いと考えておりました。そのようにお心遣いを下さって、とても嬉しいです。ただ、−さんの素敵な作品の中に並べられることを想像すると、大丈夫かなと不安になりました。連作(合作)ということですので、-さんのイメージにそぐわないところ、至らない箇所がありましたら、自由に手直し頂いて構いません。より良い形で、ご掲載頂けましたら幸いです。それから、ひとつお願いなのですが、このサイトに投稿された作品をnoteに再投稿頂けませんでしょうか?再投稿したいと思われる作品だけでも構いません。再投稿したくないとおっしゃれば無理強いは致しません。でも、大切な作品が消えてしまうのはとても忍びなく思います。ご検討頂けましたら幸甚です。 (狼)

2023-11-01

>わたしの詩の書きかたとして、ひとつの詩を人目にさらすまでに、人に見せられない詩を数篇つくって、それを土台に脱線を繰り返しながら決着させていく、というのがあり、そのやり方に問題があるのだろうと感じています。 書く内容にもよりますが、一気に書いた詩をゆっくりと推敲する、同じ線上に存在する詩片を隣り合わないように集合させてみる、別々の日に書いた別々の内容の詩をひっつけるための糊代を考える、この何れかの書き方で僕は詩を書いています。書き方は、その人に一番適した形が、その時々で存在するのだと思います。 >射止めようとしているのが他者からの称賛なら、また話は変わってしまうのですが このコメントで、僕が言いたかったことを理解されていると感じました。的を得たコメントと称賛のコメントは別であり、称賛のコメントに心を傾け過ぎることなく、同時に自分の内面にも耳を当てながら、詩の世界を精進することが大切だと考えています。こう考えるのは、これは詩に限ったことではありませんが、褒められることで窮屈になったり、面白さを置き忘れてしまうような節がどこかにあると思ったからです。以下は僕の想像です。あやめさんの詩は、このサイトの過去作を読ませて頂きましたが、他者からの評価を得やすいのだと思います。(あやめさんの)詩を読んだ方は、詩だ!と直感できる。それは、きっと詩の扱い方が上手であるから。僕は詩を読ませて頂き、詩の核となるもの、それはおそらく自分自身であると思いますが、それを詩に発するということを、更にされてもいいのではという印象を持ちました。それからもっと詩を書かれて欲しいということ。そして、その積み重ねの奥にある無辺の世界をいち読み手として見たいということ。 >ですが、公開後の作品については、それを受け取った他者からの評価は無視できないものがあります。 >他者からの評価を含めたさまざまな揺らぎのなかで選択・決定をし、自分の作品の価値を決めていくほうが 作品に頂いたコメントに関しましては、僕は指摘も称賛も同じ客観性として捉えています。そして自分を保つため(イメージですが)、指摘も称賛もおしなべて(質の良い)タッパー(に入れ頭の中)に保管することにしています。頂いたコメントから得られる「気付き」は多分にありますね。そこからの選択、決定について、仰る通りだと思います。前コメントの後半で書かせて頂いたことは、認識済みのことで、ほとんどお伝えする必要のなかったことなのだと気付かされました。すみません。 僕の詩を読んで下さってありがとうございます。選評も拝見させて頂きました。僕は選評というのは、冷たい水に手を差し込んで、濡れた手の温かさを見せてくれる行為だと思っています。そしてその鮮やかな手の色に時間を忘れ、つくづくと見入ってしまう、そのように魅力的な選評を今回も拝見させて頂きました。いち投稿者として御礼申し上げます。それから選評に添えられた初文、誰が書かれているのか気になりますが、そこに運営の方々の姿勢が表れていると感じます。このサイトを利用する、全ての方の襟を正してくれるような素敵な文章だと思いました。 (靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く)

2023-10-31

一行目から引き込まれる文章でした。途中で書き方を変えられていて、それは読み手を飽きさせない工夫に繋がっていくのだと思います。この詩は、詩の中にある詩というような印象があるのですが、気になるのは連同士の結着が薄いこと、良く言えば一連一連に広い物語性を感じますが、悪く言えばそのさわりの部分だけが提示されている気がします。「においさざめく海がある」というお言葉があるように、言葉から見えてくる風景があり、筆者の方の伝える力というのは的確なものがあると感じます。この作品におきましては、適切な文量の書き起こし、そしてその繋げ具合というところに課題が残されているのではないかと思いました。ここからは余分なことなのですが、自分の作品の価値は他者からの評価だけではなく、自分が読んできたもの、自分で吸収してきたこととの比較から生まれるべきであると思います。また詩というのは自分を隠してくれるもの、自分をその中に溶け込ませることができるもの、海のような広がりを読み手に味わわせてくれるものだと思います。書くことでしか見えてこない筆者の方の潮騒を、読み手にたくさん聴かせて欲しいと思いました。 (靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く)

2023-10-29

唐突ですが橙色さんの作風に親近感を持っていて、それは僕も昔このようなリズムで詩を書いていたからで、違うとすれば僕よりもはるかに良く書けていることなのですが、きっと文章を燃やされながら、その燃焼力によって読ませていくという詩の書かれ方をしているのかなと思います。燃やされるものに惹かれてしまうというのは人間の本能であると思いますが、同時に少し儚いことでもあるのかなと思ったりします。作品のコメントではなく申し訳ありません。それから何か参考になるところがあるかもしれません。僕の好きな詩をひとつご紹介させて下さい。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=281302&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E3%2582%25A2%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2591%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25AC%25E3%2582%25B9 (アメリカのドラえもん)

2023-10-28

書かれた訳柄に深い思いを馳せるというよりも、書かれた文章の面白さに目が行く作品だと思いました。言葉の組み立て方に惹かれるものがあるという、大切な導入がこの作品には備わっていると感じます。 (空のふちも青かったというのならそうなのかもしれない)

2023-10-27

羽織ったコートは、単に寒さを凌ぐためのものではなく、人から攻撃されるのを防ごうとする手立て、空気や風の冷たさというのは、自分の身の回りの人のことや、その人たちが時として作りだす無機質な環境(空気感)と思い読みました。もしかすると作品には、イソップ童話的なメッセージが込められているのかも知れませんね。一つの読み方として、ささやかな皮肉を感じる読後感なのですが、例えば2連目と3連目を入れ替えさせて頂くと、歩くという動きを伴う終わり方になって、そこには吹っ切れたような晴れ晴れしい感覚が見えてきます。あたたかなひという、丸みを帯びた印象のある言葉が、それぞれの感情と上手く調和して、読み手の足元、進むべきところを照らし出してくれているように思いました。 (あたたかなひ)

2023-10-27

「僕」の虚構や、あるいは空虚を強調された作品だと思いました。「きみ」というのは僕の中の僕であり、「僕」は「きみ」でもある感じがしました。一度も使われていない暖炉を「きみの暖炉はうつくしく 一度もひとをあたためなかった」と表現できる(筆者の方の)感性は貴重だと思います。暖炉というのは身体の比喩かなと思ったりもしました。一読した時、最後の二行に物足りなさを感じたのは、「きみ」の「僕」に対する気持ちを描写された方が良かったのではと思ったからで、「僕」が「きみ」と一緒にいたい気持ちに対する答えみたいなものが欲しかったと思ったからでもありますが、しかし上記の、「僕」は「きみ」でもあるという仮定において、それは書く必要のないことと推し量りました。 (きみの城)

2023-10-24

>狼が意味するのは生命力というよりは野生とか非文明、つまり私との対比なのか、ちょっと曖昧に感じるのは狼に対する憧れが多分に含まれているせいなのかな、と初めに思いました。 僕の中では狼というのは、もういなくなってしまった人や物を思い浮かべています。もう少し書かせて頂くと、自分の頭の中だけに生きている人や物という感覚に近いです。憧れという感情は、もう会えないという気持ちの傍にもあると思います。134回踏んだ時と、135回踏んだ時、果たして何も変わらないのかもしれませんが、そのくらいの差異が、読まれる方に、少しずつ違う何かを見せているのだと思います。 >おおきな足跡にちいさな足跡が加わり季節がめぐる。 ちいさな足跡は、ちいさな希望でもありますね。ちいさくても希望を見つけることができたのは、一歩を踏み出せたからなのかもしれません。 >少年が声変わりに成長を周囲に告げるように。 解きかけの数学の問題が余白をより白くみせるように。 数学において、答えを求めるまでの過程の美しさは掛けがえのないものだと感じます。僕自身、それはあまり得意な学問ではありませんが、答えがあるということに一つの安堵を感じられるように、答えを出さないこと、解きかけた状態であることも特有の表情があって良いと思います。それから僕は、エルクさんの詩、その向き合い方には数学的な部分を思い重ねていて、いくつもの詩(方程式)を書きながら、自分の答えに辿り着こうとなさっている、その姿を勝手に想像し、見習わねばと気持ちを強くしています。 コメントを頂き、ありがとうございました。 (狼)

2023-10-22

>音の響きなのか、曲なのか、音階が繋がって名前にきこえるなど、意味を考えようとしましたが、なまえのようなピアノはなまえのようなピアノだと思うことにしました。気になります。 僕は文章を書くときピアノの曲を一緒に聴くことがあります。クラシックではなく、歌のある曲をピアノで演奏し直されたものです。結果、書くことよりも、たびたび、聴くことに気持ちが注がれてしまうのですが、それは原曲にはなかった(曲の)世界を、ピアノの音が再構築してくれるのかなと思ったりします。なまえのようなピアノというのは、その後に続く、足でおもいっきり蹴ってやったというフレーズから考えました。ここは直接ピアノを蹴っているわけでは勿論ないのですが、そんな怒られそうな行為のなかに、大切なことが眠っていて、僕の中で初連は吹雪のイメージなのですが、(吹雪のなかで)、そのなかだから聴こえてくるなまえがあったり、何かの足跡を見つけたりしたのだと思います。 >しぬのをやめるのが空気の匂いであると、こんなにも美しく聞こえるんですね。 冬の空気は澄んでいてよく息を白くするのが好きなのですが、それは生きる者が鳴らす音を静寂させた空気という気もします。 コメントを頂きまして嬉しかったです。 最後に全然関係ないのですが、TKGからAKGを引き出す術中が伏線みたいで好きでした。そちらにて書かせて頂きましたことに対し、色々とお調べ頂きましたこと、重ねてお礼申し上げます。 (狼)

2023-10-21

TKG良いですね。僕はこれだけあれば良い、最強のご飯だと思います。 >灰汁取り、なるほど! 自己流ですので参考になるのかどうかは分かりませんが、自分の書いた作品を(自分で)客観的に見ることのできる方法の一つだと思っています。詩を書く過程、完成まで道のりについて、他の方はどうなさっているのか、反対に興味が湧きます。 >天邪鬼、めんどくさいに加えてビビりも追加しておいてください。笑 ありがとうございます。読んで頂けるだけで嬉しいです。「ビビり」で調べていたら面白い単語がたくさんありました。『機械加工で生じる「びびり」を抑えるためのポイント6選!』https://www.nakamura-tome.co.jp/2021/11/11/article_00036/ >キッチンでうたう曲も「ソラニン」なのかなと、ふと思いました。 AKGですね。Rottiの「ささやかな」という曲もお勧めです。おやすみプンプンも映像化して欲しいです。それから本作と趣旨が大分ずれてしまいました。すみません。それでは、また。 (焼き芋)

2023-10-20

真っ先に、羽という、いうなれば自由の象徴の提示をなされるのですが、その羽をどんどんと汚すことで、むしろ要らないものとして再提示をされつつ、終盤にはもうそれ(自由)すら切り落としてしまって、足という現実感で突っ走って行く、しかしそれは夢であったという終わり方をされていて、読み手の頭の中では視点(意識)の切り替えが何度か起こり、それは純粋に、この詩に仕掛けられた楽しみの装置であると感じました。 (羽)

2023-10-19

こんばんは、ゼッケンさん。 >Aはアンペアだろうか。 ご名答です。2A(アンペア)だと出来過ぎだと思って、半分になるイメージで0.5A減じました(1Aはちょっと弱すぎる気がして)。しかし、そこから僕の作品にまで流れるように言及して下さって、2度目の驚きは隠し通すことができませんでした。 >ただの狂った親父だと思われなくて良かったです。本人は一生懸命だけど空回りしちゃうんですよね。 しっかりとテーマを感じられるように物語が作られていますので、読めば読むほどよくできた作品だと驚かされ(感心させられ)ます。これで(驚きの)3度目の正直だと思いましたが、使い方が大きく間違っているかもしれません。それも愛だと思いました。 (鉄で出来たアパートの小さな部屋)

2023-10-18

最近、文字を書くことと料理をすることは似ているという思いに憑りつかれています。出来上がったものを味わって頂くというのが、どちも大体の目的となるわけですが、料理は数をこなすことで一般的には腕前が上達していきますので、その行為(書くことや投稿をすること)は全く無駄ではないと感じます。むしろ僕よりも腕利きで、良い味付けをされる方がここにはたくさんいらっしゃいます、もちろん僕の中では山本さんもその御一人です。 >色々な角度・立場から見たものが書きたいのですが、詩情が薄くなるのが悩みです。 僕は書いたものに対して日数をとって推敲をするようにしています。料理に例えると灰汁取りの作業に近いと思います。一日10分程度の短い推敲ですが、一日ずつゆっくと灰汁取りをします。その間隔で推敲をすることで、(料理の)雑味は薄らぎ、また自分の味覚(考え)も日を跨ぐことでリセットされる感じがして、新しく味を加えることも出来やすくなると思います。多面的な詩を書かれるうえで、少しずつ、ゆっくりと対象に向き合われることが、肝要なのではと考えています。 >天邪鬼で面倒くさいやつです。笑 作品からその感じにじみ出ていますよと言ったら怒られますね。でもフィクションであれ、自分の創作する物語の中には、自己が映り込んでしまうものであれば、自分をどう見せるか、その影を自分のなかでどう踊らせようかと考えるのは、楽しいことである方が無論良いと思います。料理に準えて色々と書かせて頂きましたが、僕は料理ができません。僕はキッチンの片隅でうたいながらソラニンをほじっている見習いでいいやと心からそう思います。 (焼き芋)

2023-10-18

>この表現にはおもわず痺れてしまいました 読んで頂きたかった箇所に、着目して頂けて嬉しいです。 >展いた言葉はその厳密性を喪失する代わりに詩情を担保する。 片々さんの表現の方が断然格好良いと思って、言葉の美しさに強く惹かれます。 >とは言え、前作前々作とは違うアプローチに驚きました 「狼」は余り迷うことなく最後まで一気に書きました。途中付け足しを行っておりますが、推敲という作業もさほど時間はかからずに、自分のラインを踏んだ感覚があります。書き出して頂きました部分(表現)についてですが、こういった表現は自分の心臓に近いところに位置しているという認識もありますが、同時に自分の中での満足でしかなかったと感じました。アプローチという点では、詩にかかわらずだと思うのですが、書き方を変えていくことで享受できる(見えてくる)世界があると考えておりますので、もう少し書き方を変えた作品も、投稿できたらと思っております。そして、忌憚のないコメントの方が嬉しく思います。僕もそのお言葉の意味をしっかりと受け止めることができるよう、研鑽していきたく思います。お気遣い頂き、ありがとうございます。 (狼)

2023-10-18

この詩のすべてを丁寧になぞって頂き、ありがとうございます。本当に存在しているか分からない、存在していたという軌跡をたよりに生活をするのは、もういなくなってしまった人に馳せる想いと、いなくなったり現れたりを繰り返しながら、時に足を止め振り返って待つように、誰かが小さく祈るように、気配にただ耳を澄ましながら、生きていけたらいいなという願いに似ている気がします。 「アンジュール」を読みました。途中の事故も、墓標(?)におしっこをひっかけたり、転々と彷徨い歩き、遠吠えを空にしたり、それは犬の世界のありのままが描き出されているからで、僕は動物と触れあうということをしてこなかったのですが、人と動物との関わりあい方について考えさせられました。最後のページ、男の子の表情が悲しそうに見えたのは、犬が悲しいそれをしていたからだったのか、推測でしかありませんが、でも最後に幸せを語りかけてくるような絵本でした。 (狼)

2023-10-18

面白かったです。面白かったのですが、一度読むとそれと引き換えに疲れてしまうのが僕の弱点だと思いました。多分、一文に詰め込まれた情報が多すぎて、頭の処理が追いつかないのだと思います。一読した時、息子の身体に父親の意識が乗り移ったのだと思いましたが、よく読むと息子の身体から父親の身体が分裂(?)をしていたのだと思いました。これは小さな発見ですが、循環というのが、この詩の大きく言いたかったことなのかもしれないと思います(余計なお世話ですが、循環という表題でも良かったのではと思います)。終盤の狂気と、最後に父親が思ったことは、書かれ方こそ違いますが本当は同じ、そこには暖かさを感じました。 (鉄で出来たアパートの小さな部屋)

2023-10-17

山本さんはどういった方なのか分からなくて、でもそれは詩と結びつけるべきことではなく、本当はどういった方なのか分からない方が良いと些細なことでもあって、書かれている詩はとても好きだという印象があります。「狐憑き」~「焼き芋」の流れには何かを感じさせる意図がありますが、でもそれはどうだっていいことであって、全体から見ればひとつの側面でしかないと頭では分かっているのですが、それ以前の詩を読ませて頂いている身から言わせて頂くと、この二作品には食指が動きませんでした。山本さんのもっと振り切った詩が読みたい、そうやぼったく思いました。 (焼き芋)

2023-10-17

「恵方」からリアルタイムで読ませて頂いているのですが、僕の中では本作も含めて、まさに詩のお手本となる作品だと思っています。恐らくもっと直接的な言葉や表現で書けると思いますし、その方が伝えるには早いとも思いますが、そういったところを詩の言葉で包み隠しながら読み手に提示されている気がします。たえまない行歩だけがぼんやりと残る、などは小説の終りの一文、真新しいアスファルトの吹きこぼれを、には詩の揺れ動く姿が見え隠れします。僕が言うのも大変おこがましいのですが、詩と上手に遊ぶことができる方だと思いました。 (独歩)

2023-10-17

天使たちの戯れ、なまえ (overwriting)、まるでハンドルネームのようで、どこかの掲示板、返信相手の異なるレスが送信ボタンの時差で、偶然交わっているところを見た感覚でした。 (ふたつの詩の距離が平等になるまで、タンゴのリズムでレゲエを踊れ)

2023-10-17

僕はこの作品を読んだ後に感情というものが残りませんでした。それは表題にもありますように、吹き抜けていく風のような読後感を、筆者の方が書かれたかったのであれば、「残さない」ということが一つの読み方になるかと思いました(読んだ後、心に何かが残る作品が優れているというわけでは勿論ありません)。また、仮に表題が「無題」であっても、作中を駆け抜けて行ったのは風なのかもしれない、そう思える配慮が好きです。コメントを書かせて頂くか否か迷ったのですが、一つの感想として受け取って頂ければ幸いです。 (風)

2023-10-17

ありがとうございます。リチャードブローティガン、名前をお聞きするのは二度目ですね。そろそろ読んだ方がいいかなという決意に傾きつつあります。僕でも読めそうな(リチャードブローティガンの)本があればまた教えてください。小川洋子さん、やっぱり僕が行く着くのは「博士の愛した数式」です。梨木香歩さんであれば「西の魔女が死んだ」、宮下奈都さんだと「羊と鋼の森」でしょうか、べたですが。大方、共通したところに子どもごころというのがあり、大人の手本になる大人よりも、子どもの手本になる大人になりたいなと(僕も大人なのですが)心の中では目指しています。心がきれいな(大)人を子どもっていって欲しいと、多分に矛盾を含んでもおりますが、喉から声を届けたくなります。そんな雰囲気が、この作品にちょっとでもあれば書いてよかったと思います。 (狼)

2023-10-15

>狼とは孤独のメタファーでしょうか。 短く書くと、やがて忘れたころにやってくるもの、そのようなイメージに近いです。 孤独にも色々と種類はあって、寒い日に身にまとわれた毛皮の毛先が、グラスファイバーみたいだねって笑えるような、そんな孤独が広がり続けたらいいなと僕は思います。 ありがとうございます。 (狼)

2023-10-15

目で見たことも、書かれた文字も、はなたれた言葉も音だと思います。 耳を澄まして頂き、ありがとうございます。 (狼)

2023-10-15

イメージがかなり一般化されていて頭にそれがどんどん入ってきて非常に読みやすかったです。中盤、ダンテとウィリアムを例に挙げられて、苗字から名前へとうまく話を繋がれているのですが、やはり似たようなことが連続している感じもあって、ウィリアムの方はなくてもいいかなと思いました。でも表題に名前が入れられていることを考えると、作中に名前の話題が多い方が自然な気もしますが、やっぱりさらに別のイメージが入ってきて頭をさらにぐらぐらにしてもらった方がいいなと思いました。終わり方もとても良かったです。 (津田さんの詩)

2023-10-11

表題の映画を観賞せずともこの詩の世界に入っていける、そういった文章の組立をされていて好感を持ちました。ギャングの生活と潮の香りが濃い町の生活という大きな設定を文頭に置かれることで、読み手の興味を引き、そこから内観について徐々に焦点を絞られるのですが、読み手の頭には先程の対蹠性がスパイスのように効いていて、「私」の感じる生き辛さ、深刻さをそれが上手く緩和していている気がして、気がつくと、死が日常的に転がっている暮らしに比べたらましだよねという共感へ、負の感情がすり替えられていて、また、そうなるように物語を上手くリードされていると思いました。静かに感情をかみしめるような終わり方も好きで、最後に見えてきたのは(僕の場合)優しさだったのですが、読み手にいくつかの受け取り方を用意されている、そういった間と余白の部分を含め、読み手を置き去りにすることのない筆力と、そしてそれをしっかりと伝える力の備わった書き手の方であると感じましたし、とても良くできた作品だと思いました。 (明日、君がいない)

2023-10-10

>彼らは人生の選択のなかで運命に抗おうと試みたんです。 お言葉を借りるのであれば、この部分(彼らの抗い)について言及が詩の中になされていなかったと感じます。脱却→再開という流れ至るわけですが、その前に一旦流れが立ち切れてしまった気がして、運命的で確信めいた読ませ方に上手く帰着していないのだと感じました。白黒からカラーへの移り変わりを「脱却」として、その移り変わる時間を「抗い」とする読み方もあるかもしれませんが、それは軌道のずれを生じさせるような特別な力だと思います。 >詩を書いておいてなんですが、結局のところ伝えたいことってあんまりないんです。 >この前行った本屋の店員さんが、あんまりにも魅力的だったなぁって思いながら書いてしまったんです。 すごくいいですね。詩に限ったことではないと思うのですが、文字を書くときの導入って割と些細なことから始まると思いますし、そこから話題が広がっていって、大方完成したら、時間を費やしながらまたそれを推敲していって、徐々に自分の書きたいことが自らの脳裏に見え始めてくるのではないでしょうか。 >あの店員さんに電話番号でも渡していたら、軌道にズレが生まれてどこかで衝突するのかなぁなんて考えてます。 面白いですね。僕だったらその書店で、まずはバイトから始めてみるんじゃないかと、そんなふうに思いました。 (スプートニク)

2023-10-10

ありがとうございます。最後、溶けたアイスクリームをシンクへ流すとき、そこはまだぴかぴかだったのですが、僕達も生まれたときはそうだったのに、いつの間にかそうではなくなってしまっていて、シンクは磨けば元に戻りますが、僕たちの住む所はどうやらそういうわけにはいかないみたいだという事実は、人類が誕生してからずっと、しかし溶けていて、流れ続けてもいるのだと思います。 (Polar bear ice)

2023-10-10

詩作に真新しさを感じるかというところよりも、単語の持つ面白さで詩の世界を広げられていると思いました。一つの同じ映画を通じて、別々の場所で彼らは出会っていたという読み方をしましたが確信はありません。付随するものという言葉で最後を締め括られていて、それは運命を信じないという言葉の対極でもあると思います。ただ先ほど書いた通り、彼らが出会っていたという部分について確信めいた書き方をされていないので、ラストシーンの意味が正確に受け取り辛いかと思います。小さな少年が父親になるまで、ざっと20~30年は経過しているかと思いますが、それを表す、白黒映画に音がついた→白黒映画に色がついたという時間の経過、そこにある整合性の有無をはっきりと調べることはできませんでしたが、その過程のなかで映画の歴史について少しだけ詳しくなった気がします。 (スプートニク)

2023-10-09

人魚姫のお話、詳細を教えて頂きありがとうございます。顛末をうっすらとしか覚えていませんでしたので、新鮮な気持ちで読ませて頂きました。そのお話を踏まえて思ったのは、薬を飲むという行為の延長にある泡になるという可能性は、しかし自己暗示のようなもので、足ひれがふたつに分かれたのも、人魚姫の自己暗示なのではないかと、先へ想像を膨らますと、海にたゆたう泡、その一つ一つが空気のある世界からやってきて海へと溶け込んだもの、あるいは深海からふつふつと湧き上がってきたもの、それぞれが見てきた場面や風景を内包した泡は、海の中で一つになり人魚姫という偶像を形作っているのでは…と。泡になってしまうというのは、泡に(戻って)なっても、またそこにいることができると考えると、悲しみや絶望もほんの少し和らぐのではないかと、安直な考えですがそう思いました。僕は人魚姫をモチーフにされているとは知らず、泡になりたいと思ってしまうくらいの >何も考えられない絶望感。 について書かれた詩だと思っていました、すみません。 (海の泡)

2023-10-08

僕は海外文学を受けつけないアレルギー脳なのですが、辛うじて読めそうだというところにサリンジャーが生きています。色々な方が彼の翻訳本を出されていて、暇なときひとつの物語について読み比べたことがあるのですが、子どもがしゃべっているような癖のある言葉のリズムは、翻訳家は違えどちゃんと存在していて、プロ(翻訳家)はすごいなと思いました。と同時に翻訳家によってサリンジャーのキャラクターが作られている可能性も疑いました。また読みたいと言って下さって嬉しいです、ありがとうございました。 (Polar bear ice)

2023-10-08

エイクピアさんの詩にはくせになる不条理さが存在していると思います。それは大切なことが素通りするように、でも見える空気のように書かれてあって、そこから生まれる読みやすさや親しみやすさが、読み手の感情に心地よく触れてくるのだと思います。 (ゆとり)

2023-10-07

仏像から紅葉に目線が切り替わる時、仏像が紅葉について講釈するような思いがして、では仏像について話をしているのは…、仏像と紅葉がお互いに見える位置関係にあるのでは…、京の都というのは、そういった意思さえも繋げてしまえる、特別なところなのか…とか空想をしてしまって、楽しかったです。 (仏と紅葉)

2023-10-07

こんな夜こんな時間に私は海の泡になりたい→海の泡になって朦朧と夜を渡りたい→見(え)てきた海のなかの出来事。という順番を頭に思い浮かべました。ここで少し足りないと思ったのは、海の泡になって朦朧と夜を渡りたい(と思う)理由でした。 >魚の死骸が骨となっても意識を伝えてくる >海月は毒と電気を抱えて月夜に抱かれている >夜風に吹かれて人魚の群れが海岸線の向こうの方で泳いでいる >真珠の粒を吐くアコヤガイが殺さないでと泣いている 夜の海が見せる悲しくて怪しい美しさを目の当たりにして「私」が思ったことや感じたこと、例えば泡になってそういったものたちの傍にいてあげたいなど、理由を明記することで、詩の完成度が高まるのではないかと思いました。 (海の泡)

2023-10-07

とても実験的でありながら、読み手の意思を断絶しようとするのではなく、新しいところへ繋げていってくれると感じるのは、表現が徐々に崩されていく様を、書き手と読み手が一緒になって想像するような深さの中に、沈められていく気持ちを味わえるからだと思いました。もう断片的にしか覚えていない昔の話なのですが、段々と自動筆記のように表現が崩されていく詩を読んだことがあって、その手法を目の当たりにして受けた衝撃と、この詩を読んだときに感じた気持ちが、発明という言葉で繋がっている感覚を持ちました。 (≪水潜り< ≫sans date, >)

2023-10-07

やはりどちらの表現に優劣があると考えるよりも、どちらの方により比重を置かれるかということだと思います。それによって詩の書き方は変わってくるのではないでしょうか。例えば、地獄=花の咲かないところとしてみたり、見た目がつらたんであれば、見えない顔とされてみたり。微妙な例えで申し訳ありませんが、仰る通り、読み手に考えてもらう、想像させる、悲しみでさえも、そういった心の中で遊ぶことができると僕は考えています。 (子供星)

2023-10-06

「子供星」という、思わずわくわくするような表題に目が惹かれます。 この作品を一読して感じたのは、 >優しさと悲しさのふたご >三つ目の星が想像の中に現れる >どこにも居なくて呼吸だけがある >ルート21を といった宝石のようにきらめいた表現①と >私は地獄で暮らしていた >親は檜 >見た目がつらたん >擬態してることが悲しい といった直線的な表現②の交わらせ方が気になりました。 大人になってしまった悲しみを星という無垢な輝きの中に投影されたという印象があります。 でもきっと、どちらかに振り切って書かれた方がいいなという気がしていて、僕は①をメインに書きたいなと思いますが、黒髪さんのアイデンティティーは②の方にあるのかなという気もします。②の表現を①の表現に近づけた言葉に直されると、この詩のバランスがもっとよくなるのではと思いました。 (子供星)

2023-10-06

禅問答のような、自分と自分ではない自分が葛藤をするさま、そこにコミカルさを混ぜつつ、読み手を置き去りにすることなくしっかりと描き切っている、そんな作品だと思いました。それから「この一日が旅なのは変わらない」という表現が、そう仮定すると一日という概念が別のものに生まれ変わっていくような閃きもあり、面白いなと感じました。 (Holiday)

2023-10-06

生活の中でたまっていく、おもねりのような消化しにくい感情があって、この詩を読むとそういった気持ちの澱が、自分の心の中にわりと長く居座っているのだと、共感させられます。 詩の最後に使われた「船」というイメージが、自分の中に浮き沈みする残滓を引き連れていってくれるようで、そこに希望のような待ち遠しさが、ほのかに湛えられている気がします。 (プカプカ)

2023-10-05

ありがとうございます。上手くいかないこと、でも生きていること、その不条理さは紹介頂いた漫画の持つそれと共鳴しているかもしれません。ちなみに5月9日はアイスクリームの日だそうです。今年はいつもよりアイスクリームの溶け方が早いなと感じてこの詩を書きました。蓋をあけてから中身が溶け切るまでの短い時間、それは例えば動物たちの生きる時間でもあり・・・そんなお話です。 >気候変動って青春っぽい印象があります。 言い得て妙だと思います。季節の中身は気候変動と並走しながらも(幼少期から比べると)変化しているのでしょうが、その中身を明確に意識できる期間は割と長くはないのだと思います。 >思索の冒険がなされているところです。 僕は詩を書きながら、ふとその行為の客観に立ち返る時、適切な答えを持てずにいたのですが、「思索の冒険」というお言葉がそこにぴたりと当てはまる感覚があり、とても嬉しく思いました。 (Polar bear ice)

2023-10-05

末から細かい調整を入れて続きが始まり、初稿と比べると声の出し方がやや分裂をしている印象を持ちました。それは時間が過去に遡っているような、読んだ後やっぱり知らない部屋に放り出されているような、声を止め作品と繋がることなのかなと思いました。 (沈水花(二稿))

2023-10-04

筆者の方の詩に対する向き合い、考え方、そういった意識の一片を見せて頂いた気がします。詩は確かに難しいですね。僕の考える難しさと、また違った種類のものを抱えていらっしゃるかと思いますが、それは思考する先にしか宿らないもの(難しさ)であることは、体現できるのだと思います。筆者の方、そしてこういった詩に再び出会えますよう、身をゆだねていきたいと思います。こちらこそ、ありがとうございました。 (少焉)

2023-10-03

丁寧な解説を頂きありがとうございます。詩に対する筆者の方のお考えと、「少焉」という詩の持つ魅力は同義のように映りました。コメントを読ませて頂くと、この詩がなぜ・どのような意図で書かれたのか、一例として「この2つは同じ意味を置いています。」と助言を頂きましたが、それすらも恐らく交わることのない巨大な渦として、僕の思考を覆い尽くすばかりです。前のコメントでわからなくて何度も読みましたと書かせて頂きましたが、それは読む度に新しい水に浸れることでもあり、この詩にはそういった湧水のような、源流が備わっている感覚があります。また、一文に着目すれば、その一文の背後には見えない幾つかの言葉がにじみ出ているような、一文から次の一文へ、飛び移るように選ばれた言葉(一文)が、読み手の視線で汚されることもありながら、しかし複数の視点から焦点を見出す力を保っていると感じました。それは筆者の方の考えられる読み手のための空白なのかなと思いました。多くの方に読んで頂きたい詩であると僕は思います。 日本の方かなと思ったのは、外国語を日本語に訳したような独特の間合いを全体に感じたことと、普段目にすることのない漢字や表現が散りばめられていて、それが詩の動きとして新鮮に目に見えたことが、起因しています。僕の勉強不足も含まれます。 >武装した策士 = 武士のような振る舞いのある作品 >としてなにかしらひっかかり感じ取ったのでしょうか? 表層的な読み方しかできず恥ずかしいかぎりですが、仰る通りです。 (少焉)

2023-10-03

どこか遠くのほうの虹はきれいで形の続きを追うとりはだは眠られている 耳をなめられた海賊の指はみずきりに歌を埋めた 鉄分の足りない正義だったひかりかがやく雨を練習していて 水道水をきみがさがす きみはさがせばいいよの頭がそとがわを結ぶ (詩入門 五行歌)

2023-10-02

ありがとうございます。田中さんの詩を書く理由、その一端をうかがい知れた気がします。生活という部分が詩に影響をしていて、そこにはいくつもの感情が渦巻いているはずですが、それが「楽しい詩」に生まれ変わるとき、怖れも暗闇も全てが報われると思いました。 (Dreams and real)

2023-10-02

田中さんの詩は、自分自身の得体のしれない何かと飄々と戦われている気がして、でもそれを言葉で押さえつけるのではなく、雪の日にそっと吐く白い息のように、ゆるやかに言葉に逃がされているという印象があります。これが田中さんの詩の良いところであり、それはまた人間性の体現だと思いますが、僕は時に、そういった正の縛りから抜け出した世界を、垣間見たいと思ってしまいます。 (Dreams and real)

2023-10-01

座って歌う君の手に隠す 服は星座にしかわからない言葉で眠る 小さなジャンヌダルクを眺めているだけのガリバー旅行記 月の見えない場所で、たったひとつのぱらぱらマンガをめくって 生きるのをやめた花に摘んだ手がたどり着いた 透明なうたでなぐってよ (「私のキラー・フレーズ、一行詩、募集」)

2023-10-01

わからない、わからなすぎて何度も読んでいるのだけれど、殺気めいたものがひとつの気配として残っていて、言葉はとぐろを巻き読む者を静かに威嚇する、武士のような振る舞いのある作品だと思いました。続けて思ったのは、文章の作り方が普通の日本人のそれとは異なっている感じ、独特なリズムを踏み締められていて、そこも大変に興味深かったです。 (少焉)

2023-10-01

言葉の階段が少し長すぎるかなと僕は思いました。言葉を削るというより、その一文は本当に必要?と自問され、残ったかがやきだけを集める。と言うのは簡単ですが、実際は難しいんですよね。重複している感情や似通っているイメージを見つけ、ひとまとめにされていくと、もう少しシンプルに心を打つ作品になるのではないかと思いました。 (隣の芝生がもっと青ければよかった)

2023-10-01

理由とか順番とかを反故にする面白さがありました。きっと書き手の方は、このような感覚をいつくもさらりと書き起こすのではないかと錯覚します。また、文章の運びに余裕を感じるのですが、しかしどこか一部を切って好きという感情が出てくるのではなく、隙のないの構成、ぐるぐるとまわりながらでも読み手の思考を、最奥へ誘ってくれる、海で生きた巻貝が、初めて聴く音楽のような作品だと思いました。それから月間BREVIEW大賞の某作品と残影が似ている気がして、彼方にあったものが戻ってきたかのような印象もそこに受けました。 (歌(国と波と虫 MIX))

2023-10-01

細かく分解して、詩の構造をうかがい知ることはできませんでしたが、最中は、日本語の詩の鮮やかさに触れられている、という感覚がありました。きっと、僕の頭のなかで詩の完全犯罪が行われたのだと思います。なんて、読んだ者が皆、生きていることを忘れられる、そんな美しさが詩中をふらめいていました。 (恵方)

2023-10-01

オー!!格好良いタイトルだと思ったら僕の作品に批評して下さっていてありがとうございます。うなずきながら、面白く拝見させて頂きました。こういった行為を頂くというのはやはり嬉しいですね。批評に関わらず、本サイトはコメントを頂く確率が高いと思います。それは自分の糧となりますし、客観的な視点として今後の詩作に生かすこともできます。コメントを頂けるサイトって割と重要だと思いますよ。個人的にコメントを書きたい作品もありますが、9月は自主停学をしようと思っていて、10月に入ったら登校もしていきたいと思います。取り急ぎですが、ありがとうございました。 (みんなアイスを食べて指を汚そう)

2023-09-21

とても面白かったです。一行目から良くて、読み終えた後、自分の感情の色がリトマス紙みたいに変えられてしまった、という気分になりました。まるで紙芝居の舞台から紙を鮮やかに抜き取っていく情景の展開、セロトニンという単語に予期せず思い返す引力の欠落。それから漢字の使い方、筆者の方のデフォルトなのか分かりませんが、印象的でした。 (猫と私と兄)

2023-09-15

該当するスレッドにおける山本さんのコメントは、とても重要なものと僕は認識します。そこでやりとりをされている方々は、誰が良い悪いということではなく、その意味を噛み締められるべきではないかと思います。また、ユーザーから運営者の方へ直接連絡の取れるフォーム、そのような窓口があると、更なる安心に繋がるのではないでしょうか。作品とは関係のないコメントで申し訳ありません。 (しりとり)

2023-09-14

同棲→同性でした。 (しりとり)

2023-09-13

俺から始まって俺の言葉で終わるしりとり。末尾から逆算されたものなのか、冒頭から紡がれたのか、想像もつきませんが、使われている言葉の調子や子気味良いテンポによって、「しりとり」から「口喧嘩」に焦点がずらされていき、最終的に「ん」で締められているところに、「しりとり」だったんだと立ち返る、よく練られた作品であることが伝わってきます。「俺」と「口の悪い女」という言葉から男女の同棲のカップルであることを暗に示されていますが、「口の悪い奴」として、同棲のカップルの可能性も残されると、「しりとり」では終われない謎が残って、より良いかなと思いました。 (しりとり)

2023-09-13

村上春樹さんといえば「ふしぎな図書館」が連想されます。この小説、悲しい終わり方をするのですが、それすらも許容してしまう物語の独創性に、静かに魅了されていました。それを少しだけ思い出しました。感想ありがとうございました。 (Polar bear ice)

2023-09-12

>雪と夏、逆にした方が良かったですか!そうですね。その方が分かりやすいかもしれません。 ごめんなさい、言葉をお借りして、最小限の文字を勝手に動かしただけですので、あまり気にされないで下さい。「透明」と「雪」という言葉が僕の中では同義なイメージで、「見えない」「透明人間」みたいな感じでしょうか。でも、「透明な雪が夏であったように薄靄の雨が降る」という様な表現が詩中に点在することで、詩が、詩であろうとする時間が長くなっていく、そんな気もします。 「瓦礫と廃墟の世界」という一文を抜き取ってしまうのも手かと思います。この箇所だけ少し現実感があるので、そうすることで幻想的な世界観を保つ、それもありかと思います。 >詩は難しいですねー汗 そうですよね。書きながら分からなくなってきます。ちゃんと書けてるかなって。でも詩を書いている間、書いている自分が一番面白い時間を過ごしていると感じられたら、それでいいと思います。その楽しさが少しでも詩に反映され、そこから「少し」の欠片ぶんだけでも他の方に伝われば、これ以上幸いなことはないかと僕は思っています。 (白猫)

2023-09-12

>透明な雪が夏であったように薄靄の雨が降る 筆者の方の澄んだ個性を感じる表現だと思います。ただ、すっと頭へ入っていかない複雑な違和感も感じました。透明な夏が雪であったように薄靄の雨が降る。個人の好みの話ですが、こちらの方が僕の頭には優しく感じました。 物語が紡がれる舞台、瓦礫と廃墟の世界(そのように仮定しますが)、この瓦礫と廃墟の世界についての背景描写がもう少し欲しかったと思います。適切な例えではないですが、支柱だけがわずかに残された古代神殿とか、むき出しの岩肌に見えるシーラカンスが気になる白猫とか、ほんの少しの具体性を詩の中に入れられてもいいかと思います。筆者の方が思い描かれる世界を、登場人物の立ち位置とともに、可能な範囲で補足(可視化)することで、読み手の想像も深まり、人物たちの体温や息づいは鮮やかに際立っていくことと思います。 (白猫)

2023-09-11

読み心地はとてもよかったです。序盤、様な、みたいに、がすごく使ってあって、でも終盤ほとんど使われなくなってくるので、初めは故意にたくさん使われたのかと考えましたが、表現方法としてくどさは残るかと感じました。表題(本文中にもありますが)の、彼の娘という部分は、彼の存在が読み取れる形で登場しないので、彼でなくてもいいのではと思いました。僕の娘とかだと猟奇性が出てきます。そういった効果が付加されることで、読み方の自由度が高まるのではないかと思います。 >馬鹿なやつ 最後まで笑顔かよ この一文は素敵でした。他にも素敵な表現はありましたが、全てはここに集約されている、そのような気持ちになりました。 (墜落天使(天使の振りをした彼の娘))

2023-09-09

こういったテキストの詩を見ると、雪の上に書かれたような、あるいは砂の上に書かれたような感じがして、紙の上に書かれていることを少しだけ忘れさせてくれます。季節やそれを表す単語が少しだけ散りばめられていて、消えなかったでもいつか消えてしまうかもしれない文字に支えられ、発火するのを読んでいくようでした。 (沈水花(初稿))

2023-09-09

僕は賢くないので難しいことが分からない。だから上で話し合われていることはちんぷんかんぷんだったりする。でも分からないなりに思うことを書いてみようと思った。まずレッドカードのことについて、サッカーに例えてみる。サッカーでのレッドカードは退場を意味する。その試合はもうプレーできない。ビーレビでのレッドカードは、出入り禁止、アカウント削除となる可能性もある、と(ルールに)ある。ルールがあってすべての事柄が成り立っていることは、僕らは身をもって学んでいるはず。サッカーに話を戻すと、レッドカードを受けた人が退場しても、試合は続く。例え8人対11人になっても、試合終了まで続く。本来、運営者というのは審判に近い立場なのかもしれないけれど、投稿だってできるから、便宜上、運営者もプレイヤーと考える。とすると、レッドカードを受けた人が運営者に名を連ねている、退場処分になってもまだプレーを続けている、おかしい話だ、これはサッカーじゃないよね、となる。だからルールってとても大事。その人が背番号10番であっても。さっき書いたけれど、3人減っても試合は続けることができる。戦い続けることはできる。でも実際みんな普段の生活があって、結婚されている方は妻や子の為に働いているわけであって、投稿者は自分の時間で詩を書き読むことができるけど、運営者の方はそれプラスアルファの時間を自分の生活から工面しないといけなくて、目の見えない部分の大変さは大きい。一番分かりやすいのは背番号10番の人が矢面に立ってやりとりをすべきと僕は思う。なぜプレーを続けるのか。8期運営についてだけれど、仮にこの方々が辞めてしまったら、現段階で誰か運営を引き継げる人はいるのかなと思う。8期運営がダメだというのなら、少なくともその出口は用意すべきだと思う。僕はいくつかの詩のサイトも見てきたけど、大体(そのサイトの)初期の頃が一番いい。いい詩がたくさん投稿されていて、それは投稿者の多様性によるところだと思う。魅力のあるサイトに魅力のある書き手が集まってきれいな海みたいに詩が混ざりあって、循環もしている。僕はビーレビの歴史を知らないけれど、運営の方々に、常にそういうサイトにして欲しいという願いはある。例えば、有望な書き手をこのサイトにスカウトしてきて欲しいとか。段々詩のサイトも淘汰されてきて、ビーレビにかかる期待は大きいと思う。過度なコメントは駄目だからといって、必要以上の馴れ合いはいらないし、純粋に詩を読みたい、詩を書きたいと思う人が投稿やコメントを行えるサイトであって欲しい。色々書いてみたけれど、てんで的外れなのかもしれない。でも自分で思ったことだから、そこに正解も不正解もないので、僕の思いに対するコメントに対しては返答を控える。そんな時間があったら、デートにでも行く。 (第8期運営方針)

2023-09-09

カレーを作っていると、ひと味足りないという時があって、でも適当に足して食べるのですが、それで成功する時もあれば、失敗することもありますが、何かが足りないという感覚は大事だと思いました。この詩に必要なスパイスは、じっくり見つけていこうと思います。ありがとうございます。 (Polar bear ice)

2023-09-09

例えば米津玄師さんの海の幽霊やパプリカ、YOASOBIさんのツバメといった曲を聴くと感じるのは懐かしさで、その行為が僕のなかにある郷愁にも似た感情を呼び覚ましてくれます。僕がこの詩をとてもいいなと感じるのは、読後感のなかにその感情を見つけれたからだと思います。 (打つべし)

2023-09-06

ありがとうございます。先日借りた本を読んでいたんですが、半分くらい読んだところで、以前借りた本であることに気がつきました。ただ、読み終わった後の印象(読み始めからもですが)は以前よりも遥かに良かったです。例えるならばそのような感じで、この詩はまだまだ一連一連が弱く、完成前の段階であるとおぼろげに思います。ただこれを解決するのは時間であって、僕も、僕の時間をゆっくり待とうと思っています。 (Polar bear ice)

2023-09-06

個人の方のアーカイブを確認しておらず、ご返信から大よそ察しましたが、こういった文体の詩も書かれれるのですね。日のひかり~女の歌をまでの抑制された文章の繋がり具合がとても好みでした。そうしてから終わりまでが少し乱雑な印象に思えましたが、文字の裏側にある知の背景を確かに感じられて、それのない僕には書けないものですので、やはり羨ましく思いました。 (déjà-vu)

2023-09-06

僕はウルトラマンとか仮面ライダーでした。たぶん年代によって、ヒーローと呼ばれる像は少しずつ違っていて、でもこの詩は大よそどの年代にも当てはまるようにヒーロー像が描き出されていると感じたのは、その内面にフォーカスされているからで、しかし詩中に書かれた共感性と相まって、暗に自分もヒーロなんだと思わせてくれる手法だと思いました。山本さんが書かれるのであれば、怪獣の子供目線の物語を、密かに期待してしまいます。 (ヒーロー)

2023-09-04

詩を読んだとき、その詩の世界を追体験できる、それが良い詩だと考えています。それは筆者の方の考えや思いなど詩に投影させることが必要だと思います。この詩を読んだとき、きれいだなと思いましたが、それ以上でもそれ以下でもないように思いました。 (夾竹桃の咲く街)

2023-09-04

独特なセンテンスの詩だと思いました。内容としては分かったり分からなかったりするのですが、全体を通して見るとまとまりに欠けていると思いました。コーヒーさで終わっていますが、むしろここから始まるのではないでしょうか。このタッチ、分量で、あと二連くらい書いてあると、まとまりとか超越した作品になるのではないかと思いました。 (déjà-vu)

2023-09-04

エレベーターとエスカレーター、語感が似ているので間違えてしまいます。歩かなくて済むので、どちらも便利です。ありがとうございます。 (Polar bear ice)

2023-09-03

>靴下? >無理でしょ の前のところまでは引き込まれるように読めました。これ以降、似たような言葉が並び始めて、山型のグラフのように読ませる力が弱まっていった印象があります。Z世代ってデジタルネイティブやソーシャルネイティブとも言い換えられていて、生まれた時から大よそ成熟したネット環境があって、呼吸するようにそれらを使える人達なのだと、言われているみたいですね。筆者の方が感じるZ世代、抽象化されたZ世代に関する事柄、その周囲を取り巻く視点や環境を、上手に織り交ぜて作品に落とし込むことができれば、供給曲線のように、さらに突っ切った世界がこの詩から見えてくる気がします。 (Z世代はエモになれなかったようです笑)

2023-09-02

ありがとうございます。5月9日はアイスクリームの日なのだそうです。1869年、今から約150年ほど前に制定された記念日とありました。この記念日、夏の日ではないのが意外でしたが、アイスクリームはいつ食べても美味しいと感じます。閉じつつ、開いている。開きつつ、閉じている。そのように評して頂き、言いえて妙だと思いました。夏の朝顔みたいなリズム。 (Polar bear ice)

2023-09-02

>「やけどね、、、」~窓の外、雨音、行き交う車の音 までがこの詩の読ませどころかと思いました。 >届かない声する方に >かたちだけ傾いて かたちだけ傾くという表し方が素敵です。素敵なのですが、上辺だけみたいなことなのかな、どういう意味なのだろうとしっくりこないところと、それが最後に唐突に書かれたように思えて、この詩の終わらせ方として十分に機能していない気がしました。「届かない声する方に かたちだけ傾いて」を効果的に引き出すためには、もうワンクッションなり、繋ぎの表現が欲しい気がします。 「やけどね」は関西弁に属するのでしょうか。この詩には必要な言葉なのですが、どちらかというとメジャーな方言であり、いくぶん新鮮味は薄れるかと思いました。マイナーな方言で書かれた詩、そういった詩も面白いかなと思います。 <その後に続く~どちらも向けなくなった までは「やけどね、、、」への誘導文としての意味しか感じませんでした。僕だったら省いてしまって、上記の読ませどころの部分を抽出していくと思います。 (火傷)

2023-09-02

料理をするとき、新鮮な青物に刃物を入れる、その一瞬に似ていると思いました。瞬間が積み重なってできる料理。それも見てみたいと思いました。 (辞世の唄)

2023-09-01

>先日からあげクンのハニーバター味なるものを購入しましたが、罪深い美味しさでした。 自分自身コンビニへはあまり行きませんが、からあげクンを見るとホッとしてしまいます。ポテチとのコラボ商品でしょうか。マチのほっとステーションを名乗るだけあって、間違えのない美味しさだと思いました。直七すだち味をこの夏に食べました。 >紐やテープ・コードと聞いて、一瞬何するんだろう!?とドキドキしてしまいました。笑 あー、そっちかと。実はカッターナイフと人格を掛けてみました。替え刃のように固定観念や人格や自尊心をポキッと折ることが出来たら、僕たちはもっと生きやすく優しい生活を送れるのではないかと考えてしまいます。決して、身動きをできなくする道具のことなどではないと、この文章を書いている人格は言っています。 (ゆりか)

2023-08-30

もう少しだけ書かせて頂くと、 >樹々がひろげた指の隙間に >虹の変調 >僕には、僕には、僕には など表現に個性を感じ、面白く読ませて頂きました。 >ほんのすこしひかりの当たり方が違うだけ これ以降、「さみしさ」という言葉が多用され、それは筆者の方が強く訴えかけたかった感情、なのかもしれませんが、「さみしさ」というある種便利な言葉を多用されることにより、この詩の密度が薄まってしまっているのではないかと僕は感じました。 >その為に手紙を書いたのだから そこにたどり着くまでの三連、すべてに込められた「さみしさ」を、匂いはそのままに、別の表現に置き換えることができるのは詩の面白さかと思います。 (宛先のない記録係)

2023-08-30

タイトルがすごくいいなと思いました。書かれてある内容も順を追って丁寧につづられていて悪くないと思います。でも割と誰でも書けてしまえそうな気がしました。その人にしか書けない、個性の様なものをを感じ取りにくかったです。宛先のない手紙ではなく、記録係と記されたように、詩の中にも驚きや不思議さが散りばめられていて、読み手がそれを一つ一つ手で拾いながら心にしまっていく、詩を読みながら、そんな作業がしてみたいと思いました。 (宛先のない記録係)

2023-08-29

通知を頂きましたので、追記を。 >総レース、薄桃色の上下セット。くるぶし丈の藍色の花柄ワンピ。ポエムのような日記がびっしり詰まって。 このあたりからほの暗い世界をひた泳ぐ女性を思い描きました。男性から見たアンダーグラウンドな女性像(とぼくは勝手に思っています)が、羽付き二十三センチとか、パーソナリティや生活感を感じさせる絶妙なフレーズが、この詩をとてもリアルに見せてくれるのだと思います。 >酒といくつかのつまみ これが山本さんの「ゆりか像」なのだと思いました。ぼくだったら何を買おうかな。からあげクンと紐やテープ・コードなどを切断するのに用いる工作用具でしょうか。交換できるところがとくに便利だと思います。 (ゆりか)

2023-08-28

今晩は、田中さん。 読み応えのあるコメントを頂きありがとうございます。 又吉直樹さん、ジャック・ケルアック、リチャード・ブローティガン、それぞれ作家の方かなとしか分からなかったので調べてみました。どのような文体で物語を紡がれた方々なのか、までは詳しく探せませんでしたが、恰好いい顔写真が出てきたので満足しています。というのは(僕は)海外文学が読めなくて、主人公が佐藤とか日本人の方の名前であれば大丈夫ですが、マイクとか外国の方の名前になるになると感情移入が上手くできず、話が頭に入ってこなくなってしまいます。でも書く方は大丈夫なんですけどね、不思議です。 「チョコレート」という響きには外国、特にアメリカを感じてしまいます。恐らくマッカーサーとか、ギブミーチョコレートの話が頭の片隅で(僕は)いつまでも転がっている年代なのだと思います。「Ice cream」から感じられる「強者への反抗」、それは一人で立ち向かっていく心細さを真綿で隠し通す行為でもあって、それは「チョコレート」に込めた思いに似ていると僕も思います。僕が拙い詩を書いている理由は、大体その思いからだったりします。 (チョコレート)

2023-08-27

読み手を引き込む物語だと思いました。 いで終わったりをで終わったり名詞で終わったりする文末から生まれたリズムは読んでいて楽しく感じました。 >誰かが知らない間に、この部屋で勝手に生活をしている。 この一文が読み手の憶測を否定しつつも、物語全体のバランスを整えているようで秀逸だと思います。 >向かいのアパートに住む爺さんが見ていたそうだ。ワンピースを着て外へ出て行く僕に背丈のよく似た男を。 ここで僕の二重人格を確定的にされているのですが、もっとファジーな表現でも良かったかなと思います、最後、僕は女性の人格になっていきますが、さらにもう一つ僕の別の人格が現れて終わるという可能性もありなのではないかと思いました。 (ゆりか)

2023-08-26

一読して感じたのは、これは夏の日の詩なんだということ。それに、10代特有の感性を込められたのだと思いました。でもこの作品全体を通して読んだ時、夏を全く感じられませんでした。最後に夏の日が出てきて、それになぞらえて終わらせてしまおうという気持ちを感じました。一連一連はすごく面白いのに、僕にはそれが少し残念に思えます。単純な作文的方法ではありますが、結論を初めに持ってくるといいかもしれません。つまり1連目と4連目を入れ替えてみる。それだけで、夏とティーンエイジャーの関連性が少し明確になる気がしました。 (ティーンエイジャー)

2023-08-21

作者の方が同じなので、同じ筆力で書かれているかもしれませんが、「Alkeher ghas」のような描写的な作品と、「Sound only/」のような心地良いイメージの作品が融合し合ったところに、「今日を、捧ぐ」の(読み手と書き手の)高い親和性が生まれてくるのではないかと思います。 (Sound only/)

2023-08-18

言葉のつなぎ方ってなかなかセンスが必要だと思います。その点でこの詩は優れていると思います。読んでいて気持ちがいいですね。同じ言葉を少しずつ変えながら見せていて、飽きさせない書き方は面白いと思いました。すらすらと読めてしまえるため、ただ言葉が躍っているばかりという印象も抱きました。完成というより、可能性を秘めた詩であると思います。 (Sound only/)

2023-08-17

資金源という言葉の現実感がこの詩の世界と少し合致してないかなと思いました。単純に資金とかリソースとかそういった言葉の方が違和感なく読めるのかなと思います。金魚の優雅さとか気ままさに憧れながらも、人間の本質を上手に表現された詩だと思います。 (金魚)

2023-08-14

素敵なご返信ありがとうございます。 >個人的な作業を人々と共有するための普遍的な輝きがそれだと思っていてそのために詩作が私にとって飽きることのない遊びになっているのです。 >明るい諦めが近いのかなと思ってます。 >言われてみると確かに映像にしづらい部分はあり、 言及させて頂きたい箇所を抜粋致しました。 詩がポップであること、とても大切だと思います。詩は、食料がない時代にそれでも食べてきたことや、贅沢なことはできなくても、みんながそこいるだけで幸せになれた心とか、でも僕はその時代をジャンプして生まれてきた人間なので、受けてきた教育に縋った価値観なのですが、そういった心を裏紙にして、綴られて行く先に見えてくる小さな願い事であったり、お言葉を拝借すると、遊び心であると思います。この詩に景色が見えてこないと書かせて頂き、それについて理由を考えてみましたが、この詩の本質は語りにあると思っています。一見、景色や想像を連ねて書いてあるように見えますが、でもそれ(景色)がはっきりと見えてこなかったというのは、そもそも僕の視点が異なっていたということ、明るい諦めという気持ちを、語り言葉で、話し言葉で、伝えていらっしゃたのではないかと考えました。これは感じ方に責任があり、反対にこの詩を読ませて頂いた後、僕の中には物足りないという気持ちがひとつも残らなかったということ、これがその証明をしてくれるのだと思います。 (遊びに行くよ)

2023-08-07

作者の方が見ている景色、これが読んでも見えてこなくて、でもこの詩の中には悲しさがあるのに、それを明るさで隠しているような印象を受けました。表題にもありますが、遊びに行くよというポップな着地がとても好きです。 (遊びに行くよ)

2023-08-07

好き勝手書いてすみません。余談ですが、本サイトに「外灯」という塚本一期さんの詩が投稿されています。「黒川くんちのざぶとん」に近い何かを感じます。イメージの一助になるかもと思いました。 (黒川くんちのざぶとん)

2023-08-05

僕の中では座布団≒黒川くんとなっていて、座布団に座ったらいけない理由を作者の方が明記されなかったように、黒川くん自身を説明する部分もごく簡潔でいいかなと思います。一連目の黒川くんのらんぼうさを、最終連で作者の方は孤独からきているのではと説明されているのですが、全体を読み返してみると一連目の黒川君のらんぼうさの説明が「浮いている」感じがするんですよね。むしろ、らんぼうさというよりは思春期特有の猟奇性を表現されたいのではないかと。もう少し言えば、二連目において黒川くんは注意をするんですよね。座布団に触れた「僕」を殴ったりはせずに。前コメントで僕が引いた方がいいのではないかというのは、そのあたりの整合性を保たれた方がいいのではないかという意味で、今後推敲を重ねてこの詩の世界がより深くなっていくことを願います。 (黒川くんちのざぶとん)

2023-08-04

一連目の「黒川くんはらんぼうもの~黒川くんはわらう」までは無くてもいいなと思うし、最終連の「乱暴者で怒りっぽい黒川くんの」は「らんぼうものの黒川くんの」でいいような気がします。同じく最終連の「座ってはいけない座布団」が実体として有るのか、僕の想像なのか、多分前者だと思いますが、黒川くんの不気味さを座布団(ざぶとんから座布団への表記変更の意味とか)に重ねながら終わっていくのは面白いなと思いました。この詩に必要なのは、説明をし過ぎず(言葉を足さず)、言葉を引いていくことだと思います。 (黒川くんちのざぶとん)

2023-08-04