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遊びに行くよ
しずかな鐘がひびく、 涼しい洞より のそり 実感が起き出るも 贅沢な螺旋階段 とうに撓みきり 風の端であかるく終わる 翼に捕えられた心地よさが じゅわ 口腔に広がるあいだ 展かれた感情は馬車にあずけ こがね色の話を足の裏で理解する なめらかで、あけすけで ふんわり精密 曇った街 幼稚な手土産を恥じながら 灯のつづく列の終わりへと 遊びに行くよ
遊びに行くよ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1136.0
お気に入り数: 2
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-06
コメント日時 2023-09-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
作者の方が見ている景色、これが読んでも見えてこなくて、でもこの詩の中には悲しさがあるのに、それを明るさで隠しているような印象を受けました。表題にもありますが、遊びに行くよというポップな着地がとても好きです。
0おはようございます。私は元音響屋でして、その声、ボーカルでいいですけれど、その、音が全然響かない、壁の前で録る、なんてことをしていて、デッドで録る、とか言ってましたけれど、詩全体の、フックが、ありますけれど、その、伸びやかな、煌びやかなメロディーみたいなものがない、という意味で、響いてくる声色の、その響きが、デッドなんじゃないか、と思いましたね。それが、いいか、悪いかはわからないですけれど、好き嫌いを選ぶ感じで、僕は好きですけれど。特に好きなのは、 >ふんわり精密 曇った街 >幼稚な手土産を恥じながら なんですけれど、さりげなく、フックとして、一番わっとくる、きたパートですね。
0はじめまして。 どこか飄々とした感じの詩ですね。 閉じ籠っていたところを抜け出して、一種の解放感を味わっている様子の表現が独特で、面白いと思います。 「風の端であかるく終わる」 「じゅわ 口腔に広がるあいだ」 「こがね色の話を足の裏で理解する」 「なめらかで、あけすけで ふんわり精密 曇った街」 といった表現が巧みだと感じました。 でも「曇った街」とは何でしょう。 リアルの街か、それともネット上のヴァーチャルなものか? そしてその後の「幼稚な手土産」とは? 世の中の認識、ユーモアのセンス、それとも詩の出来映え? 色々な受け取りかたができそうです。
0コメント大変ありがたいです。 言われてみると確かに映像にしづらい部分はあり、そこが広がり、響きを損ねているのかなと思えてきました。もうすこし空間を意識してみたいなと思います。 悲しさを明るさで隠す、全体的雰囲気は確かに伝わっていたようでよかったです。ただ自分としては隠しているつもりなく開き直りににた明るい諦めが近いのかなと思ってます。 ポップさはかなり意識しております 個人的な作業を人々と共有するための普遍的な輝きがそれだと思っていてそのために詩作が私にとって飽きることのない遊びになっているのです。私も気に入っている着地なので嬉しいです。
0おはようございますコメント大変有り難いです 響きがデッド、ふうむと唸ってしまいました。言われてみると消えていくような感じがありますね、そしてそれは同時に私の好むところなのだと感じました。ただそれは煌びやかなメロディも作れるようになってはじめて生きるものなのかなとも思うので今客観的に見られてとても良かったです。
1煌びやかなメロディー、殺し文句、キラー・フレーズってところだと思いますけれど、それが作れるようになって~、はわからないですね。すいません、人の詩の道の行き方は、僕は推せないところがありますね。メロディー頼みになって、そればっかりになっちゃう気もしないでもないですね。こつこつこのスタイルで積んでいった方がいいような。保守的ですね。すいません。
1素敵なご返信ありがとうございます。 >個人的な作業を人々と共有するための普遍的な輝きがそれだと思っていてそのために詩作が私にとって飽きることのない遊びになっているのです。 >明るい諦めが近いのかなと思ってます。 >言われてみると確かに映像にしづらい部分はあり、 言及させて頂きたい箇所を抜粋致しました。 詩がポップであること、とても大切だと思います。詩は、食料がない時代にそれでも食べてきたことや、贅沢なことはできなくても、みんながそこいるだけで幸せになれた心とか、でも僕はその時代をジャンプして生まれてきた人間なので、受けてきた教育に縋った価値観なのですが、そういった心を裏紙にして、綴られて行く先に見えてくる小さな願い事であったり、お言葉を拝借すると、遊び心であると思います。この詩に景色が見えてこないと書かせて頂き、それについて理由を考えてみましたが、この詩の本質は語りにあると思っています。一見、景色や想像を連ねて書いてあるように見えますが、でもそれ(景色)がはっきりと見えてこなかったというのは、そもそも僕の視点が異なっていたということ、明るい諦めという気持ちを、語り言葉で、話し言葉で、伝えていらっしゃたのではないかと考えました。これは感じ方に責任があり、反対にこの詩を読ませて頂いた後、僕の中には物足りないという気持ちがひとつも残らなかったということ、これがその証明をしてくれるのだと思います。
1コメント本当に有り難いです 閉じこもっているところからの解放感、というこの詩のテーマをずばりと掴んでくださって目から少し鱗が落ちました。気持ちよく泳いでいたらふと岸に辿り着いたような充実感です。自然となにか求めるものを形作っている、そのことを早い段階で気づき作品をより自分のものにしていきたいなと思いました。 曇った街、は晴れた街よりも精密に見えます。単純に眩しいとよく見えないだけですが、それで終わらせたくないので意味を詩の中で成長させました。やはり実感、ナマの感覚は伝わりやすいのですね、参考になります。 幼稚な手土産、は世界はなにも足さなくて美しいという考えが滲んだものかもしれません。いわばこの世界の肯定、つまり明るい諦めです。
0微妙だと思うんです。体言止めが良い味になっているようにも、体言止めが無意識に使われていて稚拙な表現でもあり、いや良い表情にもなっているような。でも体言止めの箇所と相乗効果で良い味の「じゅわ」とあったり。えええ?めっちゃ書き慣れてる書き手かよってなりました。なんか、次作も読みたくさせるポテンシャルを強く感じました。
2ガソリン代さん、アイラー聞いてるならば、ジャズファン、さいていでも音楽ファンでしょう。 なるほどね。僕は目の詩人さん、耳の詩人さん、両方の詩人さんみたいなこと聞いたこと ありますけれどね。二度、読みかえして、両方の詩人さんかな、と思いました。強いですね!
1「ふんわり精密」これがすごい好みの感じで、もうそこだけが好きで他の部分は正直よくわからない。 ふんわり精密、そんな馬鹿な! 私って最近Youtubeショートばっか見てるんですよね。なんだろう、サラリーマンって会社で長時間集中して仕事する必要があるんだけど、そういうことしてる人って小休止が好きになるんだよね。小休止が好きな人ってSNSで一瞬の快楽を追いがちになって、だから暇になったときもずっとYoutubeショート見てるんですよね。 以下の動画です。 https://youtube.com/shorts/4OQIfDbouOs?feature=share この大工さん、怒ったら絶対むっちゃくちゃ怖い人だと思うんですよ。でも仕事はちゃんとするみたいな、なんだろう職人気質を感じますよね。この職人さんのおっしゃる「きちっと」っていう、これ以上に精密なものがこの世界にあるのかとすら思えてくる。 ふんわり精密。常識を覆す。
0一連目と二連目、「のそり」「じゅわ」という擬音を起点にして展開している書き方に好感を覚えました。三連目の >なめらかで、あけすけで >ふんわり精密 曇った街 というのも、それに連なる表現に一見みえますが、違った感触がします。これはどういう表現なのでしょう。 手掛かりになると思うのは、一連目、二連目における語り手の「冷めた」感じ方にあると思います。「のそり」「じゅわ」という知覚経験によって沸き起こるロマン派的な感動を、この語り手はあえて自分の外部に逃がしています。一方で、第三連の最後でこの語り手ははじめて「遊びに行くよ」という自発的な欲求に従うことをします。 このようにも解釈できるかもしれません。語り手のこの境地は、あるいは、これから死に行く人の情感なのかもしれません。余計な感情を自ら殺しながらも、これから死ぬのだということだけは強く意識して、自ら死を受け入れる態度といった感じです。 第三連目「なめらかで、あけすけで/ふんわり」という曖昧な単語のひらがなの感触は、この語り手が受け入れるものとして適当に思え、また、この三連目とそれまでの連の対比は、よい効果を生んでいると感じました。
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