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おまえじゃねぇ、と一人称は言った
ぼくがバイト先のレジから金を抜いたと聞いて、おれは腹を立てた 恥を知れ ぼくは俯き、わたしが代わりに口を挟む しかし、ぼくはやってない わたしの事務的な口調はおれに事態のやっかいさを告げている 店長はぼくにレジから抜いた5万円を返せと言っているが 濡れ衣だ、店長が抜いてオーナーにばれたのをぼくに押しつけている だったら、オーナーにそう言え 実はすでに言った、しかし、オーナーも店長が犯人だということを分かっている 知った上で店長の言うことを信じているふりをしている さっさと辞めろ、そんな店 実はすでに辞めた、わたしは肩をすくめてみせる だったら、何の問題がある? 問題だよね? ぼくはさっと顔を上げ、きつい眼差しでおれを睨む おれってぼくだろ、自分の事だろ、知らないふりはできないよね ぼくが珍しくおれに食ってかかる ぼくを殴ろうと振り上げたおれの拳骨をわたしが横から止める おれが殴るとぼくの癇癪に口実を与える おれは拳を下げる 下げた拳でおれは次にその店長とオーナーを殴るのか? いや、他人を殴ったりしない、わたしが言う、はずだ はず? そう。殴るかもしれない どっちだ? 実はすでに殴った わたしがおれに向かって指を二本立てて見せる (あちきでありんす)&(せっしゃでござる) ぼくはおれに必死にすがりつく あちきとせっしゃが殴ったんだよ、オーナーと店長をひとりずつ呼び出して 不意打ちで荷造りテープでぐるぐる巻きにして、いままさに、 事務所に放火するところだ おひさしぶる、ぶるぶるふるえとる おれの出番はもうないでござる、ひっこめ おれはあちきの頬をぶん殴った。あちきの華奢な身体が吹っ飛んだ 同時にせっしゃも吹っ飛び、わたしもぼくもおれも吹っ飛んだ 全員が自分だ、しかし、殴ったのはおれだ、おれが主体だ 次はあちきとせっしゃが主体を取った、あちきがおれを後ろから羽交い絞めにしたすきに、 せっしゃがナイフをおれの太ももに突き立てる 全員が血を流した 流血しながらわたしはやれやれと首を振り、ぼくはこんなはずじゃなかったのにと不貞腐れる おれはあちきの手を嚙みちぎって振りほどくと、せっしゃの頸に噛みちぎられた手で渾身のチョップを叩き込む 全員の頸が折れて全員の頭部ががくんと垂れた 全員の傾いた視界の中でぼくはわめく、どうすんの、これ、こんなにしちゃってさ、ぼくたちはどうやって逃げるの? 責任を取れ。まず、店長とオーナーを逃がす、それから 実はすでに逃がした 火をつけるんでありんす ガソリンの香り ライターは一度目は着火しなかった
おまえじゃねぇ、と一人称は言った ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 985.8
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-03
コメント日時 2024-07-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>ガソリンの香り ライターは一度目は着火しなかった ということは二度目は着火したんでしょうね。複数の一人称を(不)自由に行き来する様が痛快でよかったです。ライトレスですみません、面白かったです。
0埼玉の裏の首都、蕨のドラックストアでバイトしたときに、同じような経験をしたので、とくにオチのところでは、涙腺が崩壊しっぱなしでした。 お前、レジから金抜いただろって... ねえ? これやられた人間は、もうやることは店に火つけるくらいしか残ってない。
1>ぼくがバイト先のレジから金を抜いたと聞いて、おれは腹を立てた このあたりから雲行きが怪しくなる感じがありました。今、何行目だろうと確認してみるもまだ一行目なんですよね。 それから人がたくさん登場します。 店長とオーナーは本当にその場にいたんだろうか・・・・・・。 もう、細かいことには触れませんが、 >全員が自分だ >全員が血を流した というのがこの作品のあらましだと思います。 あー、店長とオーナーもぐるぐる巻きにされていますね。 すでに辞めた、とか、すでに逃がした、とか、チェックするために駒を動かした途端、チェックメイトされたみたいな、ことがサラッと噛ましてあって素敵だと思います。点くはずの火がつかなかったという、予定調和でない終わり方も、物語と合っていますね。ということは予定調和な終わり方だったということですね。面白かったです。
0>二度目は着火したんでしょうね。 ハツさんたらせっかちなんだから。3度目以降の可能性もある。ゼッケンです、こんにちは。 お若いの、そう急ぎなさんな。一度目が駄目なら二度目はもっとダメね、経験上。 そんな経験則に縛られているから私は成長がないのかもしれませんが。 ちがう、私だって成長してないわけじゃない、周りがもっと早く成長しているだけ。 あ、周りのせいにしちゃった。やっぱ、ダメなんだ、私。 >痛快でよかったです。 ならば、よし!
0おれがおまえでおまえがおれで。ゼッケンです、おまるさん、こんにちは。 ねー? これやられたら人格がさ、ややこしくなるわけです、同志よ。 で、同志とか言われるのも嫌いなんです。分かるよ、とかも。 他者にとって何者でもない私なんかのことよりもっと分かってほしいことがあるとか言い出す始末、です。 あと、 >埼玉の裏の首都、蕨 埼玉に表も裏も首都はない。
1>今、何行目だろうと確認してみるもまだ一行目なんですよね。 飽きるの早! 最近、文体にスピード感の導入を実験している1.5Aさん、こんにちは。ゼッケンです。速度を出すのに跳躍は有効ですね。動物ってやっぱり速いものに注意を向ける習性があるもん。危ないから。 >もう、細かいことには触れませんが、 そうそう、触れるべき細かいことなんか、この作品にはありゃしません。 >チェックするために駒を動かした途端、チェックメイトされたみたいな、 そう、先回りされる快感。最近、速度を重視している1.5Aさんがここに注目したのはさもありなん。先回りも速さを感じるでしょ? >予定調和でない終わり方も、物語と合っていますね。ということは予定調和な終わり方だったということですね。 ぐ。すでに先回りされている。1.5Aさんは一度見た技をすぐに自分もできるようになるあれか、あの最強の能力か? これの出どころって何だろう? 私の場合、北斗の拳のケンシロウがそうだったけど。 >面白かったです。 こら、最後に「面白かった」とつければ許すほど私はチョロくないことはない。許す。チョロい。
1面白い詩です。 一人称が分けて使われ、自分の中の人格たちの葛藤(?)がありますが、一人称は「一人」だから一人称なわけで、これほど一人称が多用されると三人称視点の作品に見えてくる。本当の「自己」は黙ったままじっと傍観している。 行動を起こす身体に「自己」があるのだろうか。1.5Aさんの指摘にもあるように、先回りする、本能に従って既に行動してしまっている身体が真に主導権を握っているのではないか。 「実はすでに殴った」、「全員が自分だ、しかし、殴ったのはおれだ、おれが主体だ」 という所からも、やはり行動的なことが重要で、この行の後に精神内で一人称たちが行動力を競うように殴り合う(殺し合う)。 正当化と言うと陳腐かもですが、どの人格が、面が、思考が、現「実」の行動をしたのか、本当はそんなことしたくなかったのに理由をつけないとやってられない。でも選べない。「店長とオーナー」もその理由(人格)の中に居そうですが、逃がしてますね。 人間味が溢れていて面白いです。
0>身体が真に主導権を握っているのではないか。 地元じゃ負け知らず。ミハイさんの名前の由来が未だ敗れずと言われてもいまなら信じちゃうかもしれないな。ゼッケンです、いや、ちがうんだろうけど、ミハイさん、こんにちは。ここまで読まれちゃうかなって感じです。古畑任三郎にトリックをすべて見破られていよいよ自白する犯人の心境とはこのようなものか。運動準備電位ってのがあって、 これ→https://ja.wikipedia.org/wiki/ベンジャミン・リベット で、私たちの意思決定の体験は行動を決定した脳によって提供されている。あなたが決めましたよ、と脳はいちいち念を押してくる。こういう脳を持ったことが長期的な関係に基づく社会性行動を可能にしているんだと私は思っている。 だけどね、ミハイさん、私は脳じゃないです。脳と脳の間に存在する現象です。
1不思議な詩だなと思いました。 文章はとても読みやすいと感じます。 しかし、タイトルと文章をパズルのピースのように合わせようとすると、できそうなのにできない。 何をどうしてもあわなくてだんだんイラっとしてしまう。 このタイトルからも匂いたつ「いらだち」は何なのかなといまもって謎ですが、書きながら考えております。 店長やオーナーはどちらかといえば「一人称」を統べる側の存在なのかもなぁと私と同じ考えを持つ仲間はたくさんいるでしょう。 そこから先にわたしはこの詩に蛸のような姿を見ました。 それは僕や私といった多頭の「一人称」の触手をたどってゆくと店長やオーナーである「頭」を持つ蛸にたどりつく。という風なものです。 それはぼくやおれ(触手)の行動が認知されたときの現実は、意思決定権をもつオーナーや店長(頭)にとっては限りなく過去に近いものだという表現にもみてとれそうです。 それが作品では 「実はすでに…」という切り出しで時制を表現されていると思うと、え、すごいじゃん。なんかこの詩すっごくね!?誰かに宣伝したいのですが、共感を得ない感想の1つかもしれません。 さらに孤独死も辞さずに感想を続けると 意思を持った多頭の私たちが鏡の中の鏡に映る人物のようにラインダンスを行う姿を眺めることができます。 腕を上げれば、鏡の中の鏡にいる自分達がいっせいに腕を上げるといったように とっくみあいの全員自分の喧嘩がおこなわれています。 最後のシーンはまるで集団焼心自殺のようにも考えさせられるようでした。 オーナーと店長を逃がした後にリセットのためにみんなで死ぬ。 そうして傷つくのはいつも「一人称」を得たぼくやおれたちだけ。 それがタイトルから匂ういらだちかしらとも考えることはできそうな気も致します。 大変面白い詩でございました。
0>タイトルからも匂いたつ「いらだち」は何なのかなといまもって謎ですが、書きながら考えております。 読んでもらった上に考えてももらっている。幸せな作品だなあ、って。スパムーチョさん、こんにちは、ゼッケンです。作品を読んで作品にコメントをしてもらえるのってありがたいことだなあ、としみじみ思える今日この頃よね。ハツさん、おまるさん、1.5Aさん、ミハイさんにも改めて、なんつーのか、ありがとう。 >店長やオーナーはどちらかといえば「一人称」を統べる側の存在なのかもなぁ その観点から見ると、これは一人称による反逆ですね。スパムーチョさんの解釈の方が面白い。 >なんかこの詩すっごくね!?誰かに宣伝したいのですが、共感を得ない感想の1つかもしれません。 あっさりと我に返らないで。宣伝していいんですよ。もちろん、しなくてもよいですが。 >そうして傷つくのはいつも「一人称」を得たぼくやおれたちだけ。 >それがタイトルから匂ういらだちかしら そうそう、当の理不尽は逃げてしまってね。だから理不尽なんだけど。一人称というのは自意識の普遍化であって、誰でもが同じ一人称を使って私を私と呼べる。だから、「一人称を得たぼくやおれ」たちは、他人にも一人称的自我の存在を予感する。んでもって、一人称にはいろいろなしがらみが多くなって、ままならない場所に自分を追い込みもします。そういうときに「おまえじゃねぇ」って言いたくなる感じでしょうか。これは自分のことを客観的に二人称で呼ぶなということか、それとも他の一人称に向かってここで主体なのは自分だということを主張しているのか、それとも全然別の意味だったのか、忘れちゃった。
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