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violet
ダイニングテーブルに突っ伏して眠っていたわたしを起こしたのは、携帯の着信音だった。積まれた本、レポート用紙、ボールペンたちをどかして、携帯の液晶画面に触れる。布団以外で眠ると、ゆびさきまで冷えるし、身体中が凝ることも知っているのに、まだ月に一度はこんなことがある。お疲れ様です、と携帯のスピーカーから声がして、それが店長のものだと理解した途端、げんなりする。用件はすぐ済む、わたし今日は出られないんです、すみません。その一言で、店長は了解して、すぐに電話は切れた。目の前にあったマグカップに入っていた水を飲みほして、わたしは立ち上がる。とりあえず、バキバキ鳴る身体を湯船にひたして解凍しなければならないので浴室へ向かう。それから15分、お湯が貯まるまで、溜まっているメッセージを返し、返すことができないままのメッセージを読み返したりする。そして、給湯の終わりを告げるチャイムが聞こえて、わたしは棚から個装の入浴剤の一つを取り出した。半年ほど前、ギフトとして、ひとからもらったバスソルトの詰め合わせ、そのさいごのひとつ、violet の可憐な香り、とかかれた小袋を、わたしは手に取る。ほかに入浴剤もなく、しかたないのでこれを浴槽にまく。わたしはすみれという概念やイメージがきらい、もうぜんぶ一つの例外もなく嫌いだった。ただ、バキボキの身体を浸すのにしかたなく、捨てるほどではないと置いていたバスソルトをつかうだけのことで、これはちがうこと。わたしの意思とはかんけいないことだ。バラバラと粒を撒かれた浴槽ぜんたいがあわい紫になって、底は少し濃い。熱い湯をすくい、身体をかるく流して、わたしはゆぶねにはいる。浴槽から立ち上る香りはわたしを抱きしめて、蹴り上げて、すべてを包み隠して、(ともだち)にしてしまうように甘かった。violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。わたしは、12歳の終わりまで、熱狂てきに、すみれちゃんという同級生を慕っていた。(ように見えていただろう。)そして、そんなふうな女の子は他にも6人、多いときは8人くらいいた。そして、すみれちゃんといるには、とてもたくさんのがまんが必要とされることを、その全員が、知っていていた。もちろん比喩として、海の、急に深くなる場所、脚がすっと沈み込んでいく場所のぎりぎりへ、すみれちゃんは、わたしを追いやっていくようなそういうひとだった。週に一度あるお弁当の日、多くの場合、わたしのお弁当は、すみれちゃんからわたしのもとへ、ナゲットと、デザートのオレンジや苺を欠いた姿でもどってくる。わたしはどうしていいかわからずに、泣きそうになりながら、おどける。ガビョーン!と声をあげて、自分の頭を叩いて、痛がる。わたしのそんな姿を見て、すみれちゃんとそのともだち達はわらっている。ひょうきんもののように振る舞って、すみれちゃんのご機嫌とりのためのギャグをやり、そのことで先生からはよく叱られたし、「ほんと終わってる」と、すみれちゃんと、彼女の周りの子以外からは、わたしは相手にされなくなっていた。目が合ったこともないおとこのこに、文通を申し込んで、でもそれがいちばんすみれちゃんにウケることだと、ある日のわたしは思いつく。そのころのわたしの目は、写真で見ても、本当にくらい。黒くて暗い目をして、ランドセルを背負って、わたしにはそもそも、文通用の便箋に書くことが何もない。当時考えていたことなんて、みんなの、すみれちゃんへの忠誠が固ければかたいほど、すべてが、にんぎょうの踊りに見えること、そればかりだった。終わりがくる日はわからないけれど、ただ、誰も言い出せないだけで、これはすみれちゃんをめぐるおままごと、今日はわたしが犬のポチ、あしたのことはわからないけれど、すみれちゃんがずっとお姫様なことだけは決まっている。すみれちゃんのお気に入りはころころ変わる。わたしとだけ手を繋ぐ日、Aちゃんとしか話さずにみんなを無視する日、Bちゃんの悪口を本人に聞こえる様に言ったかと思うと、次の日にはBちゃんにべったりしている。何か彼女の気に障ることをすれば、すみれちゃんは、おままごとの登場人物全員に命じて、わたしを無視する。そして、その理不尽は、誰の上にも何の前触れもなく訪れるものだった。でも、真夏の坂道、学校の帰り道、まだわたしの背丈はとてもちいさくて、初めて出会ったあの子は、膝を赤黒く擦りむいたわたしへ、しろい絆創膏をさしだしているのに、何がこうもわたし(たち)をおかしくさせたのか。 先程よりは少し軽くなった身体を湯からあげて、髪を洗って、身体を洗い、最後に湯を抜く。かさを減らしていく紫色の湯を見ていると、わたしの記憶もこうやって少なくなればいいのにと思う。小学生のころ、文通をしようとわたしから、もちかけられた男の子は、こっそりとそれに応じてくれていた。彼からくる手紙の大体は、図鑑に書いてある星座の解説が写してあるだけだったけれど、彼とは大人になっても友人を続けていた。最後に会った日、「小学生のころのきみ、変だったよね。いつもおどけてた。おもしろかったけどね」。わたしはあの頃の癖で、とっさに笑って返したりけれど、それから言い訳をつけてすぐに帰って、わたしは彼に連絡を返さなくなった、返せなくなった。あの頃の文通と根っこは同じで、わたしには自己開示をする勇気がない。あれはすみれちゃんのためだけにやっていた、しかしそれは本意ではなかったと言えばいい。深刻さはあの頃とは全くちがって、それを口にしたところで、痛い思いもしないし、仲間外れにもされない。けれど、わたしにはどうしても言えない。十年近くの時が流れても、わたしはそれを言葉にできない。わたしはわたしのことなのに話せない。おそらくわたしは、死ぬまで誰にも話さず、あの頃のあらゆる感情を墓場まで持っていくだろう。当時の彼との文通でわたしがもらったものも、わたしから書くものも、すみれちゃんはすべてを読んでいた。すみれちゃんと彼女の部屋で、ふたりで隠れて文通の返事を考える時わたしはいつも上の空で、真夏の坂道に、絆創膏を差し出してくれたすみれちゃんのことばかり思い出していた。彼女へのトラウマを抱えたまま23歳になってしまったわたしと、可能ならば消えてほしい記憶たち。わたしは本当にどうしようもないきもちになって、おおきなため息をつく。そして、残りの人生では、すみれちゃんのことだけは考えない様にしなければ、と念じているところに、浴槽から立ち上がる甘い香りが、(ともだち)のように身体にひっついてくるのだった。
violet ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 570.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-17
コメント日時 2024-03-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは★ 作品を拝読させて頂きました。 全体的に見て女子グループのドロドロした人間関係をダイレクトに表現している作品だと感じました。 主人公は子供の頃に友達関係で苦い思い出があったのかな?(泣) 表向きは友達だけど、その実態は自分にとって都合のいいコマ。主人公はそれに早く気づいていれば嫌な思いをし続けないで済んだのかなて感じました。 小中学校での女子グループでよくある(?)表向きは仲良しだけど、裏ではリーダー格の言う事を聞かされているようなパターンが上手く表現されていると思います。 "かさを減らしていく紫色の湯を見ていると、わたしの記憶もこうやって少なくなればいいのにと思う。" この表現が特に印象に残りました(. ❛ ᴗ ❛.)
1田代ひなのさん、コメントありがとうございます!色々と感じ取ってくださってありがたいです。 > "かさを減らしていく紫色の湯を見ていると、わたしの記憶もこうやって少なくなればいいのにと思う。" この表現が特に印象に残りました(. ❛ ᴗ ❛.) 印象に残ったフレーズも教えてもらえて嬉しいです。コメントありがとうございました!
1形骸化した設問に対する解答もそうでしかなり得ないと思うのですが、この作品に張り巡らされた美しい解法と答えという名の作者の視点が、そういった既視感を全く別の次元へと昇華していて、それが読めば分かるというところまで落とし込んであって恐ろしささえ感じました。作品の内容もですが、ハツさんの頭の中が怖くて美しいのだと思いました。表題もとてもかっこいいです。 すみれの花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」などとあって、作中のすみれちゃんの印象とは真逆なんですよね。だから書かれていない背景への想像がむしろ広がっていく気がします。これを狙って「violet」に導かれたのかまでは定かではありませんが、もし必然でなければ「すみれ」という名前は別の(花の)名前にも置き換えることができますし、こういった要素も掛かってくると心憎いかと思います。本編とは関係ありませんが、「violet」はギリシャ神話にも関わりがあるみたいですね。膨らみのある言葉だと思いました。 「わたし」の設定として23歳という情報が与えられていて、遡って、「積まれた本」・「レポート用紙」という言葉から院生(か留年生)をイメージしましたが、「パソコン・タブレット」ではなく「ボールペンたち」とあるので社会人かなと思ったりしました(23の学生でレポートは手書しないだろうという憶測のもと)。店長からの電話は、勤めていればアルバイトでも社員でもかかってくると思いますが、あっさりと休めて?しまえているので、「わたし」は代わりの人がいる立場なのかなと想像をしました。でも仕事の電話とは限らないので、と考えると「わたし」を定義づける要素が不確定になってきて、主人公であるはずの「わたし」が「すみれちゃん」の存在をとてもよく際立たせるためにまた存在をしていて(共依存的な何か)、とそんな気すらしてきます。 少し気になったのはvioletの入浴剤から、和名のすみれ、そこからすみれちゃんという友達(のような)がいた幼少期の記憶への移行という部分で、作中の文章では「violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。」から記憶の呼び覚ましが始まっていきますが(正確には、浴槽から立ち上る香りはわたしを抱きしめて、蹴り上げて、すべてを包み隠して、(ともだち)にしてしまうように甘かった。からだと思いますが)、この導き方には、少し粗野で、作為的なものを感じてしまいます。一番いいのはこの部分を書き換えることだと思いますが、「violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。」という導入はいっそカットされてみてもいいかもしれません。そういった作為的な感覚も一緒に消えてなくなるかと思います。それから、「すみれちゃんという同級生を慕っていた。(ように見えていただろう。)」は、「すみれちゃんという同級生を慕っていた(ように見えていただろう)。」の方が自然に見えると思います。 「わたしはすみれという概念やイメージがきらい、もうぜんぶ一つの例外もなく嫌いだった。」と序盤に書かれたこの文章は、「浴槽から立ち上がる甘い香りが、(ともだち)のように身体にひっついてくるのだった。」に係ってくるのですごく大切だと思います。それから、「彼からくる手紙の大体は、図鑑に書いてある星座の解説が写してあるだけだったけれど」という文章が特に好きです。「泣きそうになりながら、おどける。ガビョーン!と声をあげて、自分の頭を叩いて、痛がる。」とか、「真夏の坂道に、絆創膏を差し出してくれたすみれちゃんのことばかり思い出していた。」とかも。実体験はないけれど共感ができる、そういった文章を生み出されるのがとても上手だと、ただただ深く思います。現段階で思ったことを全て書かせて頂きましたが、取り逃がしているところもまだまだ多そうだと思います。ともあれ、読むことができてよかったと思える作品でした。
1カポーティみたいな感じだけど タイトルは軽くて内容は重い このサイトは書き換えアリだったかな?ハツさんが良ければちょっと書き換えてみたいけども
0ざっと読んでみると少女たちの友情ごっこ、いつまでも引きずるトラウマとして書かれているように思う。導入のアルバイト?を断るシーンからも都合の良いヒトになりたくないという意味を感じます。ただこれはわたしの深読みかもしれませんが。二人で行う文通のシーンでスミレちゃんのことばかり考えていたわたしがいたり、甘い香りが(ともだち)のようにいまでも身体にひっついたり、する。その言葉の運び方が、スミレちゃんを独占したい、ともだちの枠を超えた恋だったのかなと見えるのですね。〝ありとあらゆる感情〟を墓場まで持っていくという強い意志は、そうすると自分でも理解しきれてない感情を表に出すことができない状態なのかなと思いました。ついでに1,5Aさんも触れていたように花言葉を深く検索してみたら、紫のスミレの花言葉は「貞節」「愛」だそうです。いろんな解釈ができそうな作品でしたが、個人的には続きが気になりました。素敵な作品をありがとうございます!
11.5Aさん、こんにちは!コメントありがとうございます。 >少し気になったのはvioletの入浴剤から、和名のすみれ、そこからすみれちゃんという友達(のような)がいた幼少期の記憶への移行という部分で、作中の文章では「violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。」 この箇所は自分で読んでいてもあきらかに作為的でなおしたくて何度か挑んでいたのですが、無い方がすっきり話に入っていけるきも確かにしますね。自力でこの部分を変えるのは今のところ厳しいので、一度カットして、様子を見てまた適切な言葉が見つかったら書き足してみます! >読むことができてよかったと思える作品でした。 こちらこそ読んでいただいて丁寧なコメントまでありがとうございます。上記引用の他に書いていただいた色々もとてもおもしろくというか読ませていただきました。ありがとうございます。
1A・O・Iさん、こんにちは!コメントありがとうございます。 >ありとあらゆる感情〟を墓場まで持っていくという強い意志は、そうすると自分でも理解しきれてない感情を表に出すことができない状態なのかなと思いました。 すみれちゃんへの感情に何年経っても名前を与えきれない"わたし"の内面の混乱を描きたくて書いたので、上記の様に読んでいただいたのは嬉しいことです。ありがとうございます。人間の誰かへの感情は、限りなく球に近い多面的なものなのかもと思って書きました。(球に近い多面形というほど上手くは書ききれませんでしたが、) >素敵な作品をありがとうございます! こちらこそ、読んでいただいてコメントまでいただきありがとうございます。励みになります。ありがとうございました!
1吸収さん、こんにちは!コメントありがとうございます。私は大丈夫ですよ〜!特にマナーガイドには書かれていない気がします。
0ダイニングテーブルに突っ伏して眠っていたわたしを起こしたのは、携帯の着信音。 店長から。 わたし今日は出られないんです、すみません。 で、店長は了解して、すぐに電話は切れた。嫌いなひと。 目の前にあったマグカップに入っていた水を 暫くジッと見つめていて、少し飲んで浴室へ向かう。 それから15分、お湯が貯まるまで、溜まっているメッセージを返し、返すことができないままのメッセージを読み返したりする。そして、給湯の終わりを告げるチャイムが聞こえて、わたしは棚から個装の入浴剤の一つを取り出した。ギフトとして、もらったバスソルトの詰め合わせ、そのさいごのひとつ、violet の可憐な香り。 わたしは手に取る。ほかに入浴剤もなく、しかたないのでこれを浴槽にまく。わたしはすみれという概念やイメージがきらい、もうぜんぶ一つの例外もなく嫌いだった。ただ、これは貰い物の余ったバスソルトを使うと言う話し、わたしの意思とはかんけい無く そう、なんと言うか不都合な出会いの様なもの。バラバラと粒を撒かれた浴槽ぜんたいがあわい紫になって、底は少し濃い。熱い湯をすくい、身体をかるく流して、わたしはゆぶねにはいる。浴槽から立ち上る香りはわたしを抱きしめて、蹴り上げて、すべてを包み隠して、(ともだち)にしてしまうように甘かった。violet、すみれちゃん。すみれちゃんは、わたしのすべてだった。わたしは、12歳の終わりまで、熱狂てきに、すみれちゃんという同級生を慕っていた。(ように見えていただろう。)そして、そんなふうな女の子は他にも6人、多いときは8人くらいいた。そして、すみれちゃんといるには、とてもたくさんのがまんが必要とされることを、その全員が、知っていていた。もちろん比喩として、海の、急に深くなる場所、脚がすっと沈み込んでいく場所のぎりぎりへ、すみれちゃんは、わたしを追いやっていくようなそういうひとだった。週に一度あるお弁当の日、多くの場合、わたしのお弁当は、すみれちゃんからわたしのもとへ、ナゲットと、デザートのオレンジや苺を欠いた姿でもどってくる。わたしはどうしていいかわからずに、泣きそうになりながら、おどける。ガビョーン!と声をあげて、自分の頭を叩いて、痛がる。わたしのそんな姿を見て、すみれちゃんとそのともだち達はわらっている。ひょうきんもののように振る舞って、すみれちゃんのご機嫌とりのためのギャグをやり、そのことで先生からはよく叱られたし、「ほんと終わってる」と、すみれちゃんと、彼女の周りの子以外からは、わたしは相手にされなくなっていた。 私はそうして深い海の中のふうけいを想像する。 私は窮屈さを感じながら 目が合ったこともないおとこのこに、文通を申し込んで、でもそれがいちばんすみれちゃんにウケることだと、ある日のわたしは思いつく。そのころのわたしの目は、写真で見ても、本当にくらい、深海で生きる魚の如く黒くて暗い目をして。わたしにはそもそも、文通用の便箋に書くことが何もない。当時考えていたことなんて、みんなの、すみれちゃんへの忠誠が固ければかたいほど、すべてが、にんぎょうの踊りに見えること、そればかりだった。終わりがくる日はわからないけれど、ただ、誰も言い出せないだけで、これはすみれちゃんをめぐるおままごと、今日はわたしが犬のポチ、あしたのことはわからないけれど、すみれちゃんがずっとお姫様なことだけは決まっている。 繰り返す繰り返し繰り返す繰り返し すみれちゃんのお気に入りはころころ変わる。わたしとだけ手を繋ぐ日、Aちゃんとしか話さずにみんなを無視する日、Bちゃんの悪口を本人に聞こえる様に言ったかと思うと、次の日にはBちゃんにべったりしている。何か彼女の気に障ることをすれば、すみれちゃんは、おままごとの登場人物全員に命じて、わたしを無視する。そして、その理不尽は、誰の上にも何の前触れもなく訪れるものだった。でも、真夏の坂道、学校の帰り道、まだわたしの背丈はとてもちいさくて、初めて出会ったあの子は、膝を赤黒く擦りむいたわたしへ、しろい絆創膏をさしだしているのに、何がこうもわたし(たち)をおかしくさせたのか。 Count Your Blessings 身体を湯からあげて、髪を洗って、身体を洗い、最後に湯を抜く。かさを減らしていく紫色の湯を見ていると、わたしの記憶もこうやって少なくなればいいのにと思う。小学生のころ、文通をしようとわたしから、もちかけられた男の子は、こっそりとそれに応じてくれていた。彼からくる手紙の大体は、図鑑に書いてある星座の解説が写してあるだけだったけれど、彼とは大人になっても友人を続けていた。最後に会った日、「小学生のころのきみ、変だったよね。いつもおどけてた。おもしろかったけどね」。わたしはあの頃の癖で、とっさに笑って返したりけれど、それから言い訳をつけてすぐに帰って、わたしは彼に連絡を返さなくなった、返せなくなった。 髪から落ちる雫 深くて暗い あの頃の文通と根っこは同じで、わたしには自己開示をする勇気がない。あれはすみれちゃんのためだけにやっていた、しかしそれは本意ではなかったと言えばいい。深刻さはあの頃とは全くちがって、それを口にしたところで、痛い思いもしないし、仲間外れにもされない。けれど、わたしにはどうしても言えない。十年近くの時が流れても、わたしはそれを言葉にできない。わたしはわたしのことなのに話せない。おそらくわたしは、死ぬまで誰にも話さず、あの頃のあらゆる感情を墓場まで持っていくだろう。当時の彼との文通でわたしがもらったものも、わたしから書くものも、すみれちゃんはすべてを読んでいた。 わたしは わたしは わたしは すみれちゃんと彼女の部屋で、ふたりで隠れて文通の返事を考える時わたしはいつも上の空で、真夏の坂道に、絆創膏を差し出してくれたすみれちゃんのことばかり思い出していた。彼女へのトラウマを抱えたまま23歳になってしまったわたしと、可能ならば消えてほしい記憶たち。わたしは本当にどうしようもないきもちになって、おおきなため息をつく。そして、残りの人生では、すみれちゃんのことだけは考えない様にしなければ、と念じているところに、浴槽から立ち上がる甘い香りが、(ともだち)のように身体にひっついてくるのだった。
1読ませていただきました!海や雫などとにかく水のイメージがマシマシになってて、他の書き足していただいた箇所も詩に寄せるならこうなるのかと勉強になりました。そう思うと、私は本当に詩を知らなさすぎるんだな〜、今更なことですが。書いてくださってありがとうございました。今後の参考にします!
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