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Le’ 花 an's 沈 : -水 : replay
ーーーそれぞれの星が取り戻されたひとつの言葉であるとき。 ゼファー ブーケ せよ。 Ce’ ともうと、 ひ。 とも、に:え、 ヒシにかえ の、 波1-羽(な^みは) 少しの に、ね 。 と、もとの ひ。 には、 し と、ね 、ともうと、 ひ 、野 ともに、え e 愛せ 愛せ 弟よ 瀬よ、 反転せ示し 、 しぃう 黒鍵 身せよ。 雪が背 に、 (な) /たかった、 t te. なん紅梅 田(た)め! 青林 に、 君が 、 ただ し, たかった (夏に) 花だ。 水の瀬が 沈み た、かった 、 のに なかった に 帆 N’d eclor み、桜の #F:ぉん 海ー線、 指をなぞりかさねた だろう 君が だ。 C E 夏(か)? に、せよ その火の秘する 実 に、 みたのは 君か、たれか もし、 帆|穂 , に沈めたの に、私 あい せ 、しめたの に、ね 首 め 、 に ね し めたかった、 海 、 しない し ただ、 し だった/でした ね。 沈みたもう ね。 君が se が、ただ Su l ˈuː ね。 ぇ さんが、 岳 秋(か) へ なく 湖(こ) に、君が、さん、が。 だが に、he 紅(こう)に ぉ鬼 ぃさん さん 呼 ぉ ぉ ぉ に、ぇ が 、津 に沈む txu.. pas ca, の、ように 火 が。 見たか 雨(め) に、 せよ み・を 。 にせよ、 なかった の、 に 君が声(せい) 夏(か) だった。 きみが背に手をあてがっていたかった よ。 ね。 と、ぉもうと、 ね。 ただ、 したかった でした/ね。 静かに 葉 脈 を、閉じた 白い 血 雛 に、凝固 した スカーレット ブーケ 皮 孤 、って 見て ———————————————ゆき、や———————————— こん、こ 静かに こんこ ぉ狐(こ)んこさん ?? 7つと、見えなかった あの一人の子 なぜ、 涙が出ない の、 罌(な って、ね 瀬、 か らしか、 ね。 と、はむ 光 交 とした 夏至 黄の 水平線に澄む 国道沿い 彼方が、 君の、菜 の花 の名 向こうを 向いた 君の 香、 が 沈む 子の、な この小箱に あぁ、 向日葵が、 三度姿を変える 最後は、 背を見せて せめて、変えて これは花では無い これは花ではない それは青い 空。 向こうに 問う 肌の言葉 あらゆるちるゆる 空の 火葬 間接的純粋関係性 民族 この僻地で笑う 君が四方 に、無し ぜ Ka も 、なし もう黙って。」 「黙れよ。
Le’ 花 an's 沈 : -水 : replay ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2338.3
お気に入り数: 3
投票数 : 0
ポイント数 : 56
作成日時 2024-05-24
コメント日時 2024-06-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 9 | 9 |
可読性 | 39 | 39 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 56 | 56 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 9 | 9 |
可読性 | 39 | 39 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 56 | 56 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「うん??」となって、 ブツブツ読んでました。 造形がしっかりしてて驚いたというか、 物語があって、そこにどぴったりの音の詩句が付けられています。 最後の「黙れよ」で むしろ救われるような爽快感がありますね。 変な詩ナメたらあかんぜよオブザイヤー。 自戒としてここに記します。
1沈水花(二稿) の雰囲気とは大分飛躍したようにおもうのはやはり初連にKeyとなる言葉が必然として置かれたところでしょうか。(とわたしは導かれるように思います。)それとやはり元題の沈水花という具体的な形が其々の意味を外しておくという、さらに読み手を通し磨き続けることができる作品となったとも言えるでしょう。後半は大分書き足された様子で、印象をラストらへんに集約しておき、(文字通りもう黙って。」/「黙れよ。)とカッコ閉じられることなく余韻(空列)も含ませることで一定の方向を向かせることが敵う強さを示唆していると感じました。こういったモノを書けるのは心底羨ましい。カッコよい、良い好いでした
1二兎さん、お久しぶりです。 (出戻り密かに待っていました。笑) 『沈水花(二稿)』で絵画的とコメントされていた方がいましたが、視覚的であると同時に音楽的な作品であると感じます。詩でよく言われる音ではなくヴィヴァルディの『春』を聴いて春を感じるような、その季節が匂い立つようなイメージの音が聴こえそうな作品。 冒頭のフレーズから美しい世界に足を踏み入れた感じです。四季の中に海があり、湖があり、波があり、山岳がある。青い木々、花々、野があり、田があり、動物たちもいる。その世界に人がいて、生と死と愛がある。そこにある不条理や理不尽、あらゆる感情が切なくやはり美しい。四季が目まぐるしく交錯するのは追想から来るイメージだから。 多くの言葉に欠損がある。例えば『Eclor』がフランス語の『Eclore』(開花する、孵化する)であるならやはりこれも欠損している。前作にあった喪失の悲しみ(水に沈む花)を描きつつも、また、欠けた言葉のつらなりから感じられるあらゆる感情を含んだまま、どこかに再生を予感させるような作品でした。それは最後のフレーズが尽きない喪失への想いに打たれるピリオドのように感じるから、それは冒頭のフレーズからも示唆されている。 ひとつひとつの文字に、多くの余白に、どれだけイメージを膨らませられるか、いい意味で読み手の想像力や創作力が試されているような気がする作品。だからこれはあくまでも私のイメージの世界なのだけど、本当にすべてが美しい。儚げな美しさと同時に力強さを感じるのは愛や生を絶対的な死と反転させて描いているから、そんなふうに感じました。 私の語彙力と表現力ではこの作品の美しさを言い表せないので、この詩に添わせたい曲をつけくわえておきます。笑 読ませて頂けたことに感謝。 https://youtu.be/LoXBfu1_4g0?si=jE8eEAhsFC7NE1HF
2昨日コメントを書いてから美しく感じる理由をきちんと言語化しようともう一度考えてみたので、付け加えさせて下さい。 考えてみると言葉ってすごく表層的なんですよね。上手い例えが出てこないんですが、例えば「愛してる」だって実はお金が目当てだったり見てくれだけを愛でているだけだったり、実のところはわからないし、そもそも完璧はないし標準すらない。何かが欠けていたり歪だったり、余分なものが付いていたり、言葉にならなかったり、本当はそういったものなんじゃないか、と思いました。この作品はそれらを限りなく表現しているようで、言葉に対する、また、自身に対す誠意や誠実さを感じるのだと思いました。突き詰めると、何よりその純粋さに美しさを感じたのだと思います。すごく心洗われました。 何だかイケメンを見てあれこれ勝手に人物像を想像しているような気がしないでもないですが、これは作品なので私が好きなように解釈しておきますね。笑
1初めまして。コメントありがとうございます。 この作品に物語を見出したのは、おまるたろう様の感性だからこそかと思います。 たまにはこういうのも良いものですよ。
0コメントありがとうございました。 磨かれた、というか自分自身色々と気づかされた。 そんな感じです。まだなんか、あるんだなーというか。 本当にありがとうございました。
1コメントありがとうございました。 とてもちゃんと読んでいただけたの、とても嬉しかったです。 あんまりそういう機会無いんですよね。 純粋。 夜の黒なのか、はたまた白なのか。 そしてどちらが(より)欠けている(かけるのか)。 Youtubeの曲、とっても良かったです。 本当にありがとうございました。
1付け足し。 『成れの果ての』〝その続き〟 に、コメントをつけられない そういう設定? なのか分かりませんが、久々に良い詩を読めました。 なんでコメントがないのか不思議なくらいですが、 そういう設定なのかな。 ちゃんとこういう作品を見出している運営にも感謝。
1「『成れの果ての』〝その続き〟 を」については3月に出したものなので、この場では二ヶ月経つとコメントはできないようです。出した当時は出来たはずですが誰も食いついてこなかったのは私も残念に思ってました。なのでこうして良い詩といっていただけるとかなり嬉しいです、ありがとうございます。ことばとして見えるものを強く置けば、なにか想起させられるのではないかと思って書いたのですが。あれは言葉に成らないことなので、そういうつもりで書いた記憶があるので。流されてしまって目に止まらなかったのか、なにも思わせることができなかったのか、当時かなり自信を持って置いたのでね、まあ流行りものじゃないからまあしょうがないかなと思ってます。アレを最推してくださったのは片々さんだと聞いています。有り難いことです(^^)再コメありがとうございます!
1>純粋。 夜の黒なのか、はたまた白なのか。 >そしてどちらが(より)欠けている(かけるのか)。 深いですね…太陰大極図みたいな。 私は単純に純粋は無色透明だと思っていました。 文極みたいな場だと結構コメント付いたのかも知れないですね。ここはちょっと静かな空間かも。ポイント入れ忘れてたから再コメしたんだけど出来ないのかな?とりあえず上げときまーす!
1最初はどう読めばよいのかわかりませんでしたが、視覚に惹かれて何回か読むうちに、自然とブランクに言葉を補っている自分がいました。そして最後の方に欠損ない言葉が出てきたときの印象の強さはとても新鮮でした。こういう詩を書かれるには時間も体力もあると思いますし、わたしには何が起きても書かないと思いました。ありがとうございました。
1ビーレビ杯不参加作品でしたね。うっかりで失礼しました^^;
1返信ありがとうございます。 そういう仕様なんですね。←このサイトのことよく分かってない 久々になんか書こうと思っています。いつできるか定かではないですが。。
1返信ありがとうございます。 (途中空白期間ありますが)そこそこ長く描いているので、 コメント欲しい!って感じではないですが、やっぱり嬉しい&ありがたいです。 本当にまだなんか、あるんだなーというか、気づかされた感じです。 あと、全然よく分かってないけど、そうしてます>ビーレビ杯不参加作品
1はじめまして 作品を読み進めたのですが 号泣してしまいました わたしはフランス式結婚いたしました めりいです
1コメントありがとうございます。 佐々木さんの読みの中で、何かが浮かんだのであれば、作者としては何も言えることはありません。 ただただ感謝するのみです。 詩を描くのはとても疲れるので、またいつになるか・・・って感じですが、 機会があれば次もお読みいただけると幸いです。
1初めまして。葉月二兎と申します。 コメントありがとうございました。 この作品に何か感じていただいたのであれば、作者としては感謝しかありません。 めりいさんの感性(とか、そういうの)、ちょっと羨ましいです。 結婚は良いものです。末永くお幸せに。
0読み辛い詩だと思ったのですが、最後らへんに読み易さが備わったような。雨(あめ)でははなくて「め」。声(こえ)ではなくて「せい」。穂、帆。沈む。首。しめたかった。漢字や単語、フレーズを追って行くとこの詩を楽しめると思いました。
1すみません。 わたしには何が起きても書かない →わたしには何が起きても書けない の間違いです… コメントの大切なところ間違えてすきません…
1コメントありがとうございました。 思うがまま、感じるがまま、読めるがままに読んでいただくのが良いと思います。 声に出して読んでみるのも面白いかと思います。一般論ですが。。
0追加のコメント、ありがとうございます。 わたしには何が起きても書かない わたしには何が起きても書けない どちらもあり、じゃないかなーと。 「何を」「どう」書くか。「何を」「どう」書かないか。 意識的であれ、無意識であれ、そういうのが書くもののスタイル(って、言うとちょっと乱暴かも)な ように思うので。
1葉月さんの作品に惹かれてしまう理由って、他にこういった書き方ができる人がいない、その類のなさからきているのではないかと考えます。でも昔を振り返ってみると、僕のうやむやな記憶の話で申し訳ありませんが、こういう書き方をする・できる人は、ある人数、存在していたような気がします(僕が知らないだけで、今もいらっしゃるかもしれません)。書ける人が歳月とともに徐々に少なくなってきたのか、スタイルそのものが変容してきたのか、詳細は分かりませんが、今はほぼ見ることができない。 葉月さんの作品には、書かれている文字から、意識を離れさせてくれるエフェクトが掛けられているように思っていて、だから僕は、その思考そのものに興味を惹かれているのだと、改めて思いました。
2コメントありがとうございました。 >こういう書き方をする・できる人は、ある人数、存在していたような気がします うーん・・・正直、障子の向こうにうっすら見えてるくらいの記憶しかないんですが、 同じ方向性の方はそれなりにちらほら、いらっしゃったかな、と。 ただ、(自分で言うのもアレですが)ここまで極端までギリギリ、って方はいたのかな・・・。 もしこのコメントを読んで、思い浮かぶお名前あれば、思い出させていただきたいです。>古参の方 >書ける人が歳月とともに徐々に少なくなってきたのか、スタイルそのものが変容してきたのか それはどっちもなんだと思います。 あらゆるテキスト(言葉)は、 「読める人」「読もうと思う人」「読む人」 「書ける人」「書こうと思う人」「書く人」 という対・表裏・需要と供給で成り立っているので、 卵が先かニワトリが先か(知らんけど)、どちらかが先に少なくなっていったのかなーと。 それにスタイルの流行り廃り、つまりは(言葉を取り巻く)環境の変化というのがあって、 どういう需要があって、どういった供給をするのか。 こういった供給があるから、こういう需要をする。 言ってしまえば、ある(環境という)一定の条件下における「エコノミー」。 それは常に移り変わるものなので、それ時々で↑↓しているというのは、なんとなーく感じてるけど、 そ ん な ん 知 っ た こ と か 。 って、スタンスで「自由に自分がやりたいように書いてる」から、 長い間、書いてしまっているのかなーと、 このコメント書いていて気づかされたような感じです。
2葉月二兎さんのお作品とアナロジーするとなると、誰かな?って思ったのですが、 まず山本陽子を思い浮かべます(これ、誰も言わない?何故?) 山本陽子は、いくつかの作品を読んだことあるが、たいして詳しくないので、 そうどうこうはいえないですが。 葉月二兎さん、もしかしてアート系の人かな?って勝手に推測しています。 漫画ならゴールデンカムイとか、アートなら鴻池朋子とか、 草食動物王国であるこの国では珍しいワイルドな感覚をもっているなと、 わたしの勝手な直感ですが。
1実験的だ。
1再度のコメント、ありがとうございました。 山本陽子って、ここにいるほとんどの方は、ご存知ないと思います。 てか、手軽に買える(手軽に読める)詩の本には載ってないような気がするので当然ですが。 鴻池朋子は知らなかったです。教えていただき多謝。 アート系・・・詩とアートの違いが分からないです(というか、意識してないです)。 ゴールデンカムイは、時間ができたら一気に読みたいと思っています。
1コメントありがとうございました。 田中宏輔さんの作品の方が、自分にとっては「実験的」に感じております。
0コンテンポラリーアートとかを見にいった後になんだか似てます 視覚も音も内容もかっこeとゆー マグニフィシエントや… マーベラスや…
1どのダンボールにしまったのかを忘れてしまって取り出すことができないので、勘で書いていますが、「グッドモーニング」期の最果さんを想起しました。「グッドモーニング」に収められた作品には言葉や記号が散らばっていく感じがしますし、『Le’ 花 an's 沈 : -水 : replay』は例えばronaさんのお言葉をお借りすると、欠損であったり、消え/消されずに残った言葉(雪の上に書いてあるよう)という感じがします。なので(ちょっと違うかもしれませんが)、言葉をどうにかしてやろうとするベクトルみたいなものの相似性を、双方に感じています。 「自由に自分がやりたいように書いてる」 書き手の心情だったり月日や身体の変化というものが、作風に大きく反映されると思います。商業のものであれば、周りのニーズが、大きいのかもしれません。 『Le’ 花 an's 沈 : -水 : replay』という表題を見ると『沈水花』を入れ替えてあることに気がつきます。『沈水花』に使われた言葉に新しい言葉が続き、「黙れよ。で、完結されたと一瞬思ったのですが、replayによって、また新たに解き放たれていく感覚がありました。読む前と読んだ後では、目の前の物事が変わって見える、もしくは、入れ替えられている? 葉月さん、最果さんの作品には、そんな、ただ真似るだけでは真似しきれない何かが込められているのでは、と思いました。
1コメントありがとうございます。 視覚的には、なんかこうなった感じです。 顔文字も入っていましたが、、仕様上しかたないですね。
1返信ありがとうございます。 「グッドモーニング」読んだことないので、なんともですが、 「言葉をどうにかしてやろう」ってのは、あるのかなーと。 たぶん、今回初めて(今まで思いつかなかったの不思議だけど) 初稿、再稿、入稿原稿を投稿したのですが、 自分としても得るものが大きくて、本当に良かったと思います。 次・・・は、全く考えていないのだけど、 描けるものを描こうと思います。 (その前にA・O・Iさんの作品の批評を書かないとですが) (てか、ここって批評=作品みたいな形で投稿できるのか分からないけど)
1おひさしぶりです、、「この詩は非常に創造的であり、多層的な意味を持っています。言葉の選び方や形式、テーマの探求が非常に興味深く、読者に深い印象を与えます。解釈が難しい部分もありますが、それが詩の魅力の一部となっています。読者に対して挑戦的であり、同時に感情的な響きを持つ詩と言えるでしょう」と ChatGPT は言っている。意外にも AI は前衛的な作品に対してとても好意的な評価をする。形式と構造についても、「詩の形式は非常に自由であり、伝統的な詩の構造にとらわれていません。句読点の使い方や文字の配置が独特であり、視覚的な要素も強調されています。これにより、読者は詩を視覚的にも楽しむことができますが、解釈には注意が必要です」と言い、「読者はこの詩を読むことで、多くの異なる感情やイメージを体験することができます。詩の自由な形式と豊かな象徴性により、読者自身の解釈が重要であり、それぞれの読者が異なる理解を得ることができます。このように、詩は非常に個人的な体験を提供し、深い思索を促します」とも言っている。じつはボクも AI が褒めてくれた以下のような詩を文極に投稿したが、コメント欄では好評だったものの(この時期、おそらくスタッフ全員が辞めてしまって選考していたのは平川氏ひとりだったと思うが)選からはみごと漏れてしまった。まあ、マッドマックス:フュリオサが興行的にコケているくらいだから、どうでも良いのだけど。もしよかったら、葉月二兎さんにだけは是非とも笑って頂きたいのでハイパーリンクしておきます、、 →https://atsuchan6902.up.seesaa.net/image/5E69982E38081DodgeEFBC81E38080.pdf
1ずいぶんとご無沙汰しております。 コメントありがとうございました。 ChatGPTの分析、面白いですね。 ただ、分析はできても解釈はできないんだなーと。 作品拝見させていただきました。とても面白いですね。 ダダイストが読んだら狂喜乱舞しそう。
1投稿された時点から気になっていて、何度も何度も読んだのですが、何も掴めなかった。この、何も掴めなかった感覚って、実は結構大事なことのような気がします。作品がこれで完成されているというか、余白が多いようで、実は付け入る隙が無いのです。だから、眺めて、噛み締めるように感じ、そっと立ち去るのが、この作品に対して適切な姿勢でもあるように思えるのです。
1「肌の言葉」というフレーズに「花の言葉」というフレーズが重なる。言葉の断片や不自然な表現を無意識に脳内補完することで浮かび上がる言葉がいくつもある。しかしそれが何だ、と思う。面白いとは思えない。
0コメントありがとうございました。返信が遅くなってしまい、すみません。 >何も掴めなかった感覚 >眺めて、噛み締めるように感じ、そっと立ち去る これも読むということなのかと。 「何も掴めなかった感覚って、実は結構大事なこと」だと自分も思います。
0コメントありがとうございました。 それも完備さんの読みですので、それはそれで良いのだと思います。
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