少焉 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

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パパの日曜日

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喘息の少年の世界

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

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羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

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少焉    

ここに それとなく すくなくとも つめたいから  まのあたりにして もがいている。やおら、さまざま かみさまはきえさりやすい。あかるいひに、さくばん   日陰の子雀が舞い上がるまでのあいま、口噤む。   能面はこんなふうにして翌日の時期を衝動的に開け閉て、   また俯向いた庇を置き、南の空へ。   複数の胸の、ギヤマンのことに死ぬほどの霹靂をほとばしる。   昼過の中り傍らに忍び込み しゃがれては褪色する不可知の朱に   腰を落とすと無条件にあたる 行き場を埋もれいると、目まぐるしく        演舞を失う      意思下に生じる          radiata   尽くされるまで蝕されていくのを、司るは精霊、棒の先楔の先、   誰の目にも触れず息を殺し、ますぐな濫觴の気配である、   悦に歪む饒舌は 午睡も貪り恥ぢめる 未来が咲いている。  枯らさずに絶やさずに手をかける  花と私が  そっと   遠く爛れた砂地泥濘に、      しがみついたもの        いくらナミノオト、永遠に、        小花が浮いているあたりで、      雨上がりに、      小さな水辺に、         深い空が底に描いている      おおきなものの元で、         足を踏み入れた朝日が         出口もなくわらっているという、      今でも    上から下へすっと落ちた華の含んだ、    後ろ向きに酔いしれた大輪を眇めた、    うつくしい、こんな月夜。さかのぼり         近く踏みしめる群青の場で殺されました         それら蜃気楼の羽音散らした溘焉の祀り ナメる。   特に雨水自棄酒の濁声のさやに安ら嵩    昴を砕いては、惜しむべき表象の結氷が、   じんわりとくだを巻き 反吐を架く つまり   振り出しの風鈴の、ときの うれい、とLynxの   舌は靑ざらく 武装した策士であろうと静けさ、   部屋外に取り巻いて。 憧れ/畏まり、   一欠が大分 煤けた習慣の、痛ましく白い苹果の   上塗りした復讐心が、もう目真苦しいのだ。



少焉 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 30
P V 数 : 2665.2
お気に入り数: 0
投票数   : 4
ポイント数 : 0

作成日時 2023-10-01
コメント日時 2023-10-16
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/11/23現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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閲覧指数:2665.2
2024/11/23 17時10分08秒現在
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    作品に書かれた推薦文

少焉 コメントセクション

コメント数(30)
1.5A
作品へ
(2023-10-01)

わからない、わからなすぎて何度も読んでいるのだけれど、殺気めいたものがひとつの気配として残っていて、言葉はとぐろを巻き読む者を静かに威嚇する、武士のような振る舞いのある作品だと思いました。続けて思ったのは、文章の作り方が普通の日本人のそれとは異なっている感じ、独特なリズムを踏み締められていて、そこも大変に興味深かったです。

0
田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2023-10-01)

こんにちは。 むずかしい漢字の選択と独特のニュアンス?でひらかれる、ひらがなの印象。 それがダウナー系にならず、光り豊かなフォルムとして立ちあがっていると思われます。 まあ、精読が必要なのですけれど・・・ そのネタバレになっちゃうんですけれど、私が殺されてしまうじゃないですか。 それは全体のテキストの引き締めになっていていいんですけれど えっ?じゃあ、これ、冒頭に戻って 話者=私 じゃないのか? とか思ったんですよね。 まあ詩ですので、その 話者=私 が殺されてしまっても、語りはつづく それも全然アリだと思うのですよ。 そうすると、死者の言、を聞いている、読んでいることになるのか? と、色々、思考が飛びつつ、やはりとんでもない作品ということで 今日はここまで、といった塩梅です。

0
田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2023-10-01)

反吐を架く 印象的です。

0
A・O・I
1.5Aさんへ
(2023-10-02)

名詞に頼りたくはないなと思って見えないモノを感じられる咆哮を探っています。ことば意味から離脱し文字だけの余韻の可能性みたいなものですね。 1.5Aさま、およみくださりありがとうございます。わからないものを探りわかるところを >武装した策士 = >武士のような振る舞いのある作品 としてなにかしらひっかかり感じ取ったのでしょうか? この詩はどの言葉の意味が主軸に思えてしまうのか、読み手さま、それぞれだろうなと書いたものです。それでも、 近く踏みしめる群青の場で殺されました それら蜃気楼の羽音散らした溘焉の祀り  =ここに それとなく すくなくとも つめたいから    まのあたりにして もがいている。やおら、さまざま   かみさまはきえさりやすい。あかるいひに、さくばん この2つは同じ意味を置いています。 私にもこの詩は解説することは難しいのですが、ですからこうして詩として置かれるのだと思っています。わかるみえるところがあると、引きづられてしまって。理解の追いつかないところがないがしろになる。詩はそういった言葉の優劣ではないとおもっています。が言葉はやさしいもので受け容れ方、手の取り方、眼差しあいなのだとおもいますから、それぞれ読手なりの詩となり抱くことができるのだと思っています。 まあ、難しいですがね 詩の内容ではないところでコメント返し長々とすいません、わかる分からないに関わらず、こんな妙な詩に、こめんといただきましたこと、感謝します。ついでに私普通の日本人です笑 

0
1.5A
A・O・Iさんへ
(2023-10-03)

丁寧な解説を頂きありがとうございます。詩に対する筆者の方のお考えと、「少焉」という詩の持つ魅力は同義のように映りました。コメントを読ませて頂くと、この詩がなぜ・どのような意図で書かれたのか、一例として「この2つは同じ意味を置いています。」と助言を頂きましたが、それすらも恐らく交わることのない巨大な渦として、僕の思考を覆い尽くすばかりです。前のコメントでわからなくて何度も読みましたと書かせて頂きましたが、それは読む度に新しい水に浸れることでもあり、この詩にはそういった湧水のような、源流が備わっている感覚があります。また、一文に着目すれば、その一文の背後には見えない幾つかの言葉がにじみ出ているような、一文から次の一文へ、飛び移るように選ばれた言葉(一文)が、読み手の視線で汚されることもありながら、しかし複数の視点から焦点を見出す力を保っていると感じました。それは筆者の方の考えられる読み手のための空白なのかなと思いました。多くの方に読んで頂きたい詩であると僕は思います。 日本の方かなと思ったのは、外国語を日本語に訳したような独特の間合いを全体に感じたことと、普段目にすることのない漢字や表現が散りばめられていて、それが詩の動きとして新鮮に目に見えたことが、起因しています。僕の勉強不足も含まれます。 >武装した策士 = 武士のような振る舞いのある作品 >としてなにかしらひっかかり感じ取ったのでしょうか? 表層的な読み方しかできず恥ずかしいかぎりですが、仰る通りです。

0
A・O・I
1.5Aさんへ
(2023-10-03)

詩のなかにもジャンルが様々あることはご存知だと思いますが、わたしのようなものは、言葉の意味を一番に読んでしまう方からすれば、ぱっと見意味わからんそっ閉じ、でしかないのですよね。わかりそうな文を置くけど意味は通ってないみたいなものを書くので、実際、雑に下手に見える、自分でも曖昧とよんで逃げ続けていたように思います、ですから脱却したいとおもってもがいていますけど、詩は難しいなと日々思っています。なのでこうして分析していただき、お話できて嬉しく思います。わたしナナシで出してますけど、詩もコメントもクセツヨツヨなのでね。まあ興味ありましたら探してみてくださいませ。では

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1.5A
A・O・Iさんへ
(2023-10-03)

筆者の方の詩に対する向き合い、考え方、そういった意識の一片を見せて頂いた気がします。詩は確かに難しいですね。僕の考える難しさと、また違った種類のものを抱えていらっしゃるかと思いますが、それは思考する先にしか宿らないもの(難しさ)であることは、体現できるのだと思います。筆者の方、そしてこういった詩に再び出会えますよう、身をゆだねていきたいと思います。こちらこそ、ありがとうございました。

1
エルク
作品へ
(2023-10-05)

たとえば花のような生命力の象徴を置き、 日陰や砂地泥濘、反吐に泛べている。 そういえば蓮は泥にうつくしく咲きますね。 かみさまはきえさりやすい。 民間信仰、フォークロア、信仰が失われる理由はさまざまですけど、 他宗教に弾圧駆逐されたり、単純に、都市部の経済的発展、嫌世感、人の意識の変遷で古い神が忘れ去られていく。 演舞を失う      意思下に生じる ここを読む限りでは後者かな、時代の流れによって信仰が薄れ、科学が 原始的宗教を恥じさせる。 俯向いた庇を置き、南の空へ。 南無は帰依を意味する言葉で、「南の空へ」向くことで、 失われつつある信仰を嘆いているようにも思える。 おおきなものの元で、 憧れ/畏まり、 もがいている。 上塗りした復讐心が、もう目真苦しいのだ。 じわじわと蝕まれていくような葛藤が垣間見えますね。

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A・O・I
田中恭平 newさんへ
(2023-10-06)

>それら蜃気楼の羽音散らした溘焉の祀り (自分が望む遠くて近い視界に耳障りな光が落ちる、はたと亡くすその思いばかりがみせるものだ。) =「かみさまはきえさりやすい。あかるいひに、さくばん」 →ありもしない未来の途を無駄に考えすぎてしまう。やはりそんなかんじでしょう。 田中様、お読みくださりありがとうございます。田中様はこの詩を読み、[私が『殺されたのだと』]、文字通り主軸となされたようですが、そうするとひとつの解釈としてその考えを持って通していくこともできると思うのですが、まあものがたりの断片として、掻い摘み補完するようなもので、一体どんなストーリーが叶うのだろうかと私自身、(まあ悩んでますよね、今。なので現実としてもがいても私だけでは出口がないものですから、)すこしかんがえました。確かに一つ選択するごとにされなかった方は殺されるのだと思います。誰かのせいにしたり、縋ってみたり、まあ詩の内側だけでもなにか光明めいたものがいないかと、自分でこたえを導いてないか読み解こうとするのですが、やはり書いてあることは、うらみつらみかっとうぐらいなものですわ。わらっちゃうけど、あまり真面目に思ってもしょーもないので、なるようにしかならんな、たぶんね。書かされるようにしか書けんな、とまあ抜け出したいものです。なんの話ししてるのか謎になりましたねまた。苦笑

1
湯煙
作品へ
(2023-10-06)

かみさまはきえさりやすい。 これはいきなりシビレました。

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atsuchan69
作品へ
(2023-10-07)

( ;∀;) ボクが好きだった詩人に、現フォでは既に作品が削除されてしまっている某女性(?)詩人がいる。この作品を書いたのが誰であるかは多くの読者にとっては謎だとしても、ボクはこのような詩を書くのはおそらくこの人しかいないと考えている。まず、冒頭から「ここに それとなく すくなくとも つめたいから」とあるように、これはボクたちが普段使っている日本語ではない。「かみさまはきえさりやすい」とも書いているが、記述されている修辞はすべて揮発性のことばであり、読解されることじたいが無意味であると断言してしまって良いと思う。語彙と語彙の関係は日本語ではふつう膠着しているのだが、彼女(?)の作品はこの関係を意図的に外してしまっている。  >日陰の子雀が舞い上がるまでのあいま、口噤む。  >能面はこんなふうにして翌日の時期を衝動的に開け閉て、  >また俯向いた庇を置き、南の空へ。  >複数の胸の、ギヤマンのことに死ぬほどの霹靂をほとばしる。 日陰にいた小雀が舞い上がるまでのあいま、誰かが口を噤む。(じゃあ、子雀が舞い上がったら誰かが話しはじめるのだろうか?)   (暗転) 能面が置いてあり、どんな風かわからないが、ともかく「こんなふうにして」翌日の時期(明日?)を衝動的に開け閉て また(どういう意味か分からない)俯向いた庇を置き、とにかく南の空へ(誰が?)。 ここでまたよくわからない「複数の胸の」ギヤマン(ガラス細工の器?)のことに死ぬほどの霹靂(急に雷が激しく鳴ること)をほとばしる。 ( `ー´)ノ つまり、延々このような読解されることを拒否した語彙と語彙を読みつづけてゆけるのは、読者による勝手な誤読と的を外した推測によるもので、ここにある記述はたぶん作者がどうしても書き残したい想いや情景などではまったくない。かつ、「ヒガンバナ」とか「放射状の」とかを具体的に書けばよいところを「radiata」としたり、細い流れと書かずに濫觴(らんしょう)と書いてみたり、ぽっくり逝くさまを意味する溘焉(こうえん)という非日常のことばを使ってみたり、「安らかさ」の接尾辞である「+さ」から量をあらわす「嵩」への強引な転換の末の「安ら嵩」という謎の語彙の創作、おおやまねこと書かずに「Lynx」と記述するゴルフメーカーへの林檎磨き(ごますり)等(笑)、読者を煙に巻く仕掛けは満載だ。 ( ;∀;) それでもこれだけヤリタイ放題をしつつ全体の流れと静かな(抒情詩らしい)ムードを操作する手腕は素晴らしいとしか言いようがなく、誤読し的を外した推測をつづけてゆく自分自身にはただただ笑うしかない。読者は揮発性のことばにイメージを共鳴させ、語彙と語彙の関係を意図的に外した意味と意味を勝手に PPAP し、巨大なペンパイナッポーアッポーペンのワケワカメな合体像にそれぞれの感動を覚えるのだろうが、これぞボクが好きだった詩人、◇●か●△●こさんの健気で可憐な【金箔】である。――あ、彼女じゃなかったらゴメン。どうかお許しを、、

1
A・O・I
エルクさんへ
(2023-10-08)

>かみさまはきえさりやすい ここは実在?の神様でもいいですし、私だけの神様でもよいのですが、 エルク様はどうやら、かみさま自体にスポットを当てたのですね。  かみさまということばに、すでに絶対的な意味と形を見せることが、本来思った意味を脱ぎ去っても、まあ狙ってもおりましたから。なかなか深く考察いただいてとても作者として嬉しく思います。 >民間信仰、フォークロア、信仰が失われる理由はさまざまですけど、他宗教に弾圧駆逐されたり、単純に、都市部の経済的発展、嫌世感、人の意識の変遷で古い神が忘れ去られていく  このエルク様の解釈、でいえば、ひとつのモノを中心に語り継がれ消し去られるような信仰とやらは、実際は、小さな塊でしかなく、私がおもうに、憧れ妄信へ、畏まり平伏へ。抗えぬ服従でも。弾圧でも。結局何処にも転べずにもがいているような、そのうちおもいのいきどころもすでになく、転落するような、恨みが復讐心に陥るなんて、目まぐるしく狂った情みたいな。厨二病的な――なんてね、ちょっとしたエモに愛憎のすがたは、さまざま解いてしまえば、いくらでもその切り口で、おもしろくもなりましょうね。私達は過去を想像しているだけでしょうから、いくら史実になぞらえたとしても、姿も形も名も知らぬ者の、モノの崩れ行く姿の模造妄想の切り貼りでしかないと。 ん? また収集付かないな、ズレてないかこれ?? すいません。的確なコメント返しができなくて(;´д`)トホホ… まあ実際現実では神頼みでもしたいぐらいなのですよね。こたえを道筋を決められてしまいたのですが、もがいて、いますよね。そういうことをつらつら書いたわけですけど、現実なんてまったくエモくもないですわぁ(*_*;ワア エルク様、なにかしら有意義であったと思っていただけたら、作者として幸いです。拙く捻れたコメント返しですがこれにて失礼します。 およみくださりありがとうございます。

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A・O・I
田中宏輔さんへ
(2023-10-08)

こんな反吐なんてろくでもねえの、書かされてしまうもんで掃き出すだけなんですが、ここに置いちゃってるので架くにしてみました。お読みくださりありがとうございます。

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葉月二兎
葉月二兎
作品へ
(2023-10-10)

初めまして。。なのか、定かでない(方が多い)けど、はじめまして。 気になっている作品なので、ようやく何かちゃんとしたことを書こうと思いましたが、 どの切り口がいいかなーと、あれこれ考えています。久々に。 後々で何か書くかもですが、印象として、肩凝ってるなーって思います。 バランスというか。。マッピングが固い感じ。例えれば、水は流れているけど、鉱泉。 取り止めもないメモ書き程度になってますね。すみません。

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A・O・I
湯煙さんへ
(2023-10-10)

お読みいただきありがとうございます。気に入っていただけたなら幸いです(^^♪

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A・O・I
atsuchan69さんへ
(2023-10-12)

ひとつひとつの あえて ずらしたところ、言い当てられちゃって、なんかすごいなーと思いました。あと盛大に誰かと勘違いされてる、が、むしろそのひとの作品が読みたいですね、もう読めないのでしょうかすごく興味あります、まあ当然その方のあしもとにも及ばないけど。なんかその方に向けての熱烈な感想だったので自分が言うのもなんか申し訳ないですが。夢を壊すようですが、えー、どうもこんにちは作者のA・O・Iです。あのあえてのひっかかりはさ、そのまま前後を含んで読ませたところで意味不明だから、もうワザとひっかかるようにしてるというか。かんがえるところじゃありませんよという、深読みせんでええからと、違和感すぎるかたちに目立つように置いて。意味ありげな言葉になってしまうところを、あえて、にほんごからから外したり、難しい漢字に置き換えてる、そんな感じです。まあいつもなんですけど私やりたい放題書いてるんです、可読性は全く考えてないです、詩に正解はないと思っています、誤読もまたありません、読み手様の自由にお考えください。 熱烈なコメントありがとうございます、受け取っていいのかなこれ(;^ω^)わたしは◇●か●△●こさんじゃないからな、ほんとこちらこそ勘違いさせちゃって申し訳ないなと思う次第です。atsuchan69様、お読みくださりありがとうございます。

1
鳴海幸子
作品へ
(2023-10-12)

最後の三連に引き込まれました。 そこで、冒頭から読み返してみて気付いたのですが、この詩には主語、あるいは動作主を意味する語が極端に少ないですね。初連から第二連までのところでも、「かみさまは」「小雀が」「腰を」などが候補だと解釈できそうですが、ともかく少ない。その一方で、「それとなく」「すくなくとも」「やおら」「さまざま」などの動作を修飾する句がとても多い。このことから、この作品は、「動作」そのものを比較的詳細に描くことで何か表現をしようとしている、といった書き方をされている作品なのかと思いました。 ところで、最後の三連は上のようなルールから逸脱しているように思えます。動作主を表す語と思えるものは、「結氷が」「風鈴の」「Lynxの舌」「武装した策士」「苹果(りんご)」……はっきりと動作主だと断定できるものはないかもしれません。しかし、「自棄酒(やけざけ)の濁声(だみごえ)」は、人の気配を強く感じさせるものだし、「風鈴」は、動いて音を鳴らすという動作と強く結びついた名詞だし、「武装」という動作をするのはおそらく人だろう、というように、明確に「何が動いているのか」が分かりやすい書き方が選択されているように思います。 この詩の序盤から終盤にわたる、書き方の変化が良いな、と思いました。 最後に、もうひとつ、この詩の(あるいは作者さんの)書き方で私に印象的に思えるのは、詩句のインテンド(字下げ)が多用されていることです。そのなかには、作者の意図が明確に読み取れないものもあります。 >演舞を失う >意思下に生じる >radiata という部分は、それほどに強調するほど周辺の文との対比が著しいものだとは思えず、謎です。 また、ラスト三連の >滑(ナメ)る。 >つまり >憧れ/畏まり、 というのも、後続する文章との関連性が、私には読み取れません。 こういうインテンドの使い方には、視覚的な面白さや、読むときの切れ目の意識の他に何か意図があるのか(というか、なにか意図がありそうな感じがするので、それがなにか)気になりました。 以上、なんだか、あんまりテクストの意味を読み込んでいなくて、とってつけたような書き方で申し訳ないのですが、感想です。

1
atsuchan69
作品へ
(2023-10-12)

いやあ、◇●か●△●こさんじゃなくても凄いの読めて光栄です。これはまるで「皆殺しの天使」や「忘れられた人々」のルイス・ブニュエルを思わせる才能だと感じました。意味不明、誤読への誘い、ガンガンやるべしです。天国ではダリやブルトンもあなたを絶賛していると思います! 脱帽です。

0
片々
片々
作品へ
(2023-10-12)

どの作品だったか、多分同じ作者による物だと思われる作品に少し冷たいレスを入れてしまったと思う。 今回、この作品を読んでもやはり同じような感想を抱いてしまった。 以下、とても偉そうな物言いになる事を、予め謝罪しておきたい。 また指摘の具体的な例を挙げていない事に関しても、ご寛恕願いたい。 きっと作者は言葉に対してとても繊細で、特にその意味性に強く惹かれているのだと思う。そうした、言葉に対するフェティッシュはとても好ましいのだと思う。 しかし、とても曖昧な言い方になるが、作品全体を漂う抒情やその視野に関しては、どこか既視感のある陳腐化された概念としての「満たされなさ」を硬質な言葉で糊塗しているように感じてしまうのだ 運動として形式的に関係させられた言葉は確かに興味深い。しかしそれをある種、特殊なものとして見せようとする演出が、うまくいっていないと思う。 それが前回、他の作品で僕がいった「曖昧さ」、つまりパースペクティブが確立されていない言語装置(壊れた機械)であるように思えて、残念になる 作者の感性はとても素晴らしいものがあると思うし、この表現方法も、とても興味深いものだ。 ただ、荒削りで強引な選語と言語に淫しきれない作者自身の感傷が作品として純化出来ていないようにどうしても思えてしまう。 モダニズム、例えば瀧口修造や棚夏針手だったり、似たような形式(あくまで似たような形式というだけで、目指されているものは全く違うと思うが)のひとつの現代的な達成として榎本櫻湖の第三詩集『Rontgen、それは沈める植木鉢』がある。 もし気が向いたらお読みになられることをお勧めして、上記失礼な物言いの謝罪の代としたい。

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定足
定足
作品へ
(2023-10-13)

❤︎

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狂詩人
狂詩人
作品へ
(2023-10-13)

好きですよ、この作品。とても。ただ一つだけ批評めいたことを言うとすれば、行ごと、あるいは連ごとの詩的炸裂には天性のそれを感じるのだけれども、その統一というのか、連続性というのか、まあそんなものは切って切って断裂させてゆくのだということなのかもしれないけれど、ともあれ一つの詩を成り立たせるための基調、通奏低音のようなものが少し見えずらい、というのはあるかもしれませんね。たとえば詩集の中に置かれた一篇として読まれるなら、全く異なる相貌を見せてくれそうな気がします。いやはやしかし、この作品、好きですよ。とても。

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A・O・I
葉月二兎さんへ
(2023-10-14)

この詩は何度組み替えても納得できなかったので、こう、ほんと見た目ごっつごつの配置しただけみたいなものになった。結局そういう挑戦というかたちになってしまったんだけど。 >バランスというか マッピングが固い感じ。例えれば、水は流れているけど、鉱泉。 うーんこのコメントの意味がまたいろんな含みを帯びるので自分の何処にどう当てはめるか悩みました。コメントの中にまでこういったことば選びが巧みであるのが、さすが脱帽です。ただ葉月二兎さまが外観の指摘をマッピングなどとは簡単に言わないと思うのです、ざっとおもったのが見た目でしたが……中身くっついてないところ、わかるように書かれていないということ。この詩の形ですよね、とてもなだらかではない。意味も通らない。パッと見て変に思う、かたち。読もうとしても飲み込めない言葉が並ばっていきますから、そこも突っかかる。何処を読んでも何を思っても見えてこない それにしたって、そう書いたらいいのにあの、ぶつ切りの体裁を強く敷く感じ、ですよねなんかすいません(;^ω^) 多分すべてが絡んで、マッピングや鉱泉と例えられたのかなと、勝手に推測しました。見当違いでしたら申し訳ない、じぶんはまだまだだなーとまあ何処も目指してませんが、もっと若いうちに詩をはじめたかったなと、自分のショボさを痛感するばかりですが。まあ日々たのしく精進、ですかね~。 そういえば沈水花(初稿)のコメント返しに書かれていた、星のたとえ。詩への触れ方について、とても万人にわかりやすく感銘を受けました。葉月二兎さま、コメントありがとうございました。以上、作者A・O・Iでした。

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A・O・I
鳴海幸子さんへ
(2023-10-14)

>演舞を失う/意思下に生じる/radiata  の部分は、端材のときに  >目まぐるしく演技を行う、意思の下に生じる、境。 と書いてありましたね。多分その気持がその形でぽつんと置かれたままになったのかと思います。  鳴海幸子様、お読みくださりありがとうございます。  この詩は、だから極端にある、ところと、妙にない、ところが引っ付いて固まってしまったものだけど。  さいしょの三連のひらがなと  らすとの三連、滑る/つまり/憧れ  ここはかなり並び替え馴染ませるようにいろいろ、連も行間も組んだのですがどう試しても納得できなかった、言うことを聞いてくれなかった、そんなかんじです。  なんだろうな、ただ意味ありげなふうにしかうつらない、なら。そう見せたいわけでもない、と。なにか明確にしたいわけでもなかったのだと、思う。ただ、これ以上動かせないと判断した、なのでこれで完成なのです。  こいつも初稿まともな文面をおいて、そこからバラして新たに構築したわけですが、最近行っている詩作の方向として、あれやこれという、物や事の描写に頼らずに、書けないものかなと〜考えているが、どうだろうなあ、なかなかうまい形には躾けられませんよね  自分としてもこれがどういう意味をもちなぜここに置かれるのか、それを知りたい、多分式があって、意味があるからなにかしらここで終わる、それを直感で書いてるフシがあるので、解き明かせたら面白いですけど、その瞬間飽きるでしょうから、そしたらまた新しい方向を探っていくのかなと思っています。  コメント返しになってるかなこれ、私にもわからない、それしか言いようがないですね。申し訳ないがそんな感じです。

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A・O・I
片々さんへ
(2023-10-15)

 まず読んで頂いたことに感謝を。  片片さまがいう偉そうな物言いの件ですがまったく気にしておりません。それほど真摯であると私は受け取りましたから思ったことを書いていただいて大丈夫です。私自身の詩の側面、読み手の受け取り方がわかりますので、コメントはすべてそれぞれの思いとしてとても面白く見ています。さて、詩とはなんだ? と研いたときに、それぞれのかたちが見えてくると思うのですが。まあ片片さまのコメントをよみますと、片片さまにある詩の感性と私のものが違うだけだと思うのですが。まだまだ詩作においては、ひよっこなのでね。皆様の一言一言が、とても考えさせられます。  コメントありがとうございます。作者AOIです。  えー、指摘箇所について自分に照らし合わせまじまじ考えました。  難しいことなんて考えてないんですよね……直感で書いてるので。そして自分に嘘も付けないので、やはり教養のない陳腐で浅はかな自分が現せているなら、その詩が私のモノだと強く言えるんです。だからまず上手くなりたいというのは自分の中での話です。万人に好まれるようなものを書こうと思ってない。完璧なものを作ろうと思ってない。たしかに傍からみて違和感も欠陥もある それはわかってやってます。だからさ、これはたしかにわざとだ。そういう片片様のいう『壊れた機械』(←この表現いいっすね!)に仕上げたいと詩作しているのだろう。  まあぶっちゃけていえばバレてしまうものなのかなといったおもい、それを今。直そうとは思わないな。生活も性格ももうポンコツだからさ、どうしたってにじみ出るしむしろそれを隠さなくてもいい、がんばって背伸びしなくていいこの、詩作にであえたことを、感謝しているんですよね。なのでもうしわけない、こんなに指摘していただいたのに、期待に添えないだろうな。  まあ心に留め置きましたね。今はこう思ってやってるけど、私飽きやすいのでね。きっとそのうち詩作の方向が変わる時が来る。それでもきっと片片様の期待するようなものにならないでしょうが。どうおもわれるかもご自由にでしかないです。ああ決して詩をナメているわけではありません。まあ詩作の形ってそれぞれだからとしか思ってない、んで、このポンコツぶりが知れるかなと思って、いつだってぐっだぐだに長々と書いてしまう詩もコメントも、つくろわずに、あらわに、ですけど(;´д`)トホホ…  けれど詩を深く知ろうと思わないまま、ここまで好き勝手に書いてきたことは事実ですね。  ですからおすすめしてくださった榎本櫻湖も名前程度は存知ています。そういう方向があることもしっています、まあ詩ではないでしょうが、このかたの陰茎譚を読んでかなり驚かされましたね。まあネット上にあるものは目を引いたら喰らっている、私はそのていどの雑魚です。自分は詩集とかあまり興味無いです。金も時間も裕福ではないので、買うという行為がまず吟味されますから。言い方はよくないと思うのですがタダで拝見できるところから、本当にほしいという衝動でしか、うごかないので。フォローしている方の詩集を何冊か持っていますが。あとははじめの頃に買ったタヒ氏の詩集何冊かと中原中也様の全詩集ですかね。詩集って中身見れないじゃないですか。詩誌も普通に売ってない。予約して買うほどではない。  こうして詩というものがすきになるまえに。たいして詩にふれないうちに、自分が詩を書くことが日課みたいなものになってしまった、詩を書くのが必要だから書かされてる。詩を書くことがオモシロイでだけで、ただ、それだけなのでしょう。  またひとりがたりしちゃった気がしますね。まあこれをみてオモシロwとおもうひとがいると思うんで、コメント返しとして、さらしておきます。あっ今月もう1篇出してるんですけど、『みたされたすべてが真直ぐだった』あれもまた違う感じにしてるつもりなので暇つぶしにでもお読みください。ってまあもう読んだあとでスルーされてるとはおもいますけど。まあ同じ感想を抱かれるのだろうな。手癖だからさ結局。コメント一個もついてないしwまあほんとむずかしいね、詩って。とても奥深く飽きないものです。今はね。

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片々
片々
A・O・Iさんへ
(2023-10-16)

まずもって誠実なお返事頂いた事、感謝です 僕もざっくばらんとお話しましょうか まず誤解のないように伝えたいのは、僕はあなたの詩が好きだということ。 んで、詩集とか本とか読まなくても「言葉」に対してはこれからも深く考えていって欲しいこと。 言葉で言葉を洗う、そしてついでに言ってしまえば、自分をも洗い出そうとする、そういった詩作にはとても共感できます。そうそう。誰に理解されなくてもいい。それでも書きたいんだ、という気持ちが、なによりも一番大切なものです。 意味を殺そうとしても消そうとしても、意味は消えない。むしろ意味だけになっていく。サドのいう「圧倒的マッスによる無」を目指したとしても、なかなか達成するのは難しい。 なーんて自己に問いかけながら詩を書き続けていると自分の欠損なんかも気づいてきます。えらそーな言い方だけど、真摯に自分の詩と向き合ってると、ほんと霧が晴れたようにいきなり実感する瞬間がある。それから本を読み出してもいいと思います。 実は僕もこういう形式(もちろんコンセプトは違うと思いますが)、人から分からないと言われる詩を書いていました。投稿していた詩誌からは、「お前はウチ向きじゃねえ!」みたいな揶揄をたくさん頂いたり…… 修辞に修辞を重ね、また意味に意味を衝突させ、ルビを含む手法でもって、自身の感覚というか感情と言うかを探ろうとした。けど、実は誰も分からないと思っていたその感覚、言語に対する取り組みがまだまだ浅いものだと思い知る出会いがあったのです。 多分、これから詩を書いていれば、そんな経験もたくさんなさるでしょう。 「こわれた機械」と書きました。多分、ご返信を読むと、やはりその意図と意味は伝わっていなかったようです。こんな風に僕たちは言葉を介して分かりあう事は本来できません。できないけど、言われた事をなんとなくの情報として掴み、咀嚼し、経験として蓄えて次の詩作に持ち込む。そうしてやっと少しずつ見えてくる地平があるように思います やっぱり偉そうだ…… ごめんなさいね あなたには僕と同じような匂いを感じました だから、お互い頑張っていこうね、って思っています 最後にもう一度いいます 僕はあなたの詩のファンです。 これからも、あなたの詩を読ませてくださいね では! (教えて頂いた御作にも感想をつけさせて頂きます。ちょっとお時間をくださいねー)

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A・O・I
定足さんへ
(2023-10-16)

ᵃʳⁱᵍᵃᵗᵒ~(˘͈ᵕ ˘͈♡)ஐ:*

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A・O・I
狂詩人さんへ
(2023-10-16)

そうですね。この詩はひとつのまとまりをもって読ませるものではないので、見たままの思いでしかないので。根底になにかあるとして書いている段階で見えなくなっちゃいました。そのなかで読み手様がなにか片鱗でもこうして引っかかることがかなうのだから、不思議なことでありがたいことです。んー、詩集に入れるときは一連1頁でしょうかね。何処でどうきるのかも見せ所でしょうね。きっとまた違った詩になってくれると思います。狂詩人さまお読みくださりコメントありがとうございます。

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A・O・I
片々さんへ
(2023-10-22)

(これ自体をスルーしてくださっても構いません、くそ長2,700字あります) コメコメ返しありがとうございます。  あなたのことがすごーくきになるので、あなたの作品が読みたいと思った。  >修辞に修辞を重ね、また意味に意味を衝突させ、ルビを含む手法でもって、自身の感覚というか感情と言うかを探ろうとした。  このように自己分析し、書かれている詩、とても興味があります、私はあなたのことをコメントぐらいでしかわかりませんから、詩作に対し共感されても(??)でしかないのだが、さまざまなコメントをお見ていても的確でこんなに書ける読めるお方に「僕はあなたの詩のファンです」など言われてしまっては、嬉しくないわけありません(^^♪  さて。えー、わたしの詩は現実にいて詩を書いている私自身が詩に投影するだけのものだ。けれどあなたはそれを技工という、好い作品と思ってくださっている。私自身の欠陥 性格 生き方、そんなものが詰まってる詩、それを作風として考えてくださっている。とてもありがたい、ありがたすぎる。゚(゚´Д`゚)゚。  ただ、わかりあえることはない、というのはけっきょくこういうこと。これ以上の言葉の本来の意味の難解さがあるだろうか。けれどそれぞれがそれぞれの詩作をし、互いの詩作について否定することなく敬意を持って、その差、コンセプトや詩の式のようなものを、そういった詩作における譲れないものを語り合えることこそが、本来の 詩を感じる ことにもつながるような気がいたします。  私はまだ作品として私自身をショウカしきれてないだけの素人だ。だからいまのところ変えることは考えることができない、聞き入れられない。ほんとうにもうしわけない。こんなに考えてくれているのに、自分自身の頑固さ、誰かに頼ったり委ねたり寄り添ったりそういうことができない。自分が捨てられない…ありがたいな、とてもこの出会いに感謝する、本当に指摘として素晴らしい、適切であるとど素人にもわかる。うまいのだろうな、ほらこうやって語彙力ポンコツなので単純に感じいることしかできない。  正直これも返そうかどうか迷った。これは自分がなっとくするためのわがままな文だ。またどっかで怒られてしまうかな、偉そうだって何をいうかって。まあその人それぞれの思い考え方があるから、自分語で語れば語るほどズレていくものなのかもしれません。どこまで譲歩できるのか、身勝手だけではなくやさしくなれるのか、なのかもしれません。  はじめのコメント返しであえて指摘に対して詳細な返答を避けたこと、それによってどうやらだいぶ誤解されたようだ。いや多分私は貴方の言う事の少しも理解できないと思う。わかった、などと簡単に言えやしない。私は何も知らないまま、詩を書いているのだから。だから触れなかった。  たとえばあなたが引き合いに出した  >サドのいう「圧倒的マッスによる無」  これがなんだかわからない、検索したが出てこない。もうこういうところから教養の差がでる、みえてしまう。わからないことは検索しまくるのだが、これはっ完敗だっ。そういうのがありありと分かっていたから、逃げたんだな私は。  だからまあいろいろ考えてあなたが欲しているこたえに合っているかわからないけど、私なりに答えていきたいと思う。  すでにつまらなく愚痴くさくゴミ正直に長いからスイマセン。  私は自分の詩を技巧として書いていないからだ。詩に対して全くど素人、わからないものを技巧などと言えるわけもない。はいそうですね、ときくのは簡単、だけど譲れないんだなーアホだからさ。適当に合わせることもしたくないな、そういうの現実でうんざりするほどやってるからさ。いまもこれもさ、思ったことがうまく言葉に現れない。また誤解を生むだけだろうな。  っていうか理解なんでできないっしょ、ほんと。むずかしいよ、言葉は。  ただ経験ばかりの浅はかな想像で、偶然いいように手繰り寄せてここまでなんとか来た気がします。多分正しいのだろう間違っちゃいないのだろうけど。なんて自分を信じきれない。それがすべての曖昧に繋がっている気もします。いま、ことばという伝える行為という柵を、考えずに詩作していると、いまだ信じたい、ただそのところにいます。  >きっと作者は言葉に対してとても繊細で、特にその意味性に強く惹かれているのだと思う。そうした、言葉に対するフェティッシュはとても好ましいのだと思う。  わたしはこんなにもひねくれ者なのにそう見えるのならありがたいこと。私はね、言葉に意味性に惹かれているのではなく、むしろ嫌悪している恨んでいる。本来の意味も姿も形も時間も空間も断ち切りたいと思っている。特殊なものに見せようと思ってない。別に浮いたもんを書きたいわけでもない。そうなってしまうからこれがわたしなのだろうと、書き連ねていくことで自分を認識していく、今はまだそれだけでしかない現状です。  >しかし、とても曖昧な言い方になるが、作品全体を漂う抒情やその視野に関しては、どこか既視感のある陳腐化された概念としての「満たされなさ」を硬質な言葉で糊塗しているように感じてしまうのだ  だからこうして、詩作の技巧ではなく、じぶんのこと、をしっかり言われるとあゝやはりそう見えるということ、と納得するしかない。私はそう受け取って納得に至れる。大変な言葉のズレでしょうこれって。まあ自分としての詩から、作品としての詩へ。自分で探すしかない。だからこめんとひとつひとつこれが私だと思って、ありがたく聞いています。  >ただ、荒削りで強引な選語と言語に淫しきれない作者自身の感傷が作品として純化出来ていないようにどうしても思えてしまう。  強引な選語については、先程も書いたように本来の意味も姿も形も時間も空間も断ち切りたいと思っている。だけどやっぱり教養も語彙もねえ、詩歴も浅い、なんとなく生きてきて歳を重ねただけですから、弱いでしょう、だから酔い淫することもかなわない。力尽きてしまうのかな、結局付け焼き刃みたいなもんね。自分の書きたいように叩きつけてる現状なので。  過大評価なんですよ、みなさん、ありがたいことにほんとうに。私が美味しいと思うもんが、読みてには、美味いのか上手いのか巧いのか美いのかはそれぞれだろうから、ただ自分でも満足しているわけでもないので、常々違う方向にシフトしていくことは確かです。じぶんでもどうなるか、たのしみにしているところです、この気持ちは忘れたくないですね。わたしはそうやって今、詩作をしています(行き詰まってますけどいま。そんなルーティンを繰り返しています) 片片さま、長々と失礼いたしました。

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片々
片々
A・O・Iさんへ
(2023-10-23)

素敵かつご丁寧なご返信、ありがとうございます! 僕も、いまは自分が為したい事(言語の面白さ、謎)を追求するために詩を書いている側面があるので(つまりは自分のため!) おっしゃる事にとても共感します 言葉は言葉のディスクールを持っているので、「本来の意味も姿も形も時間も空間も断ち切りたい」という挑戦はとても困難だと思います。でも、僕もそこに惹かれちゃっているんですよね。惹かれてるから、しょうがない。自分の道を行くしかない 過大評価でも評価は評価です。評価される事に意味はないかも知れませんし、他者の評価によって自我が形成されている側面もありますので、過大評価は成長のチャンス! なーんて僕は考えていました サド云々は「マルキ・ド・サドという作家が提案した、圧倒的な数量の描写を重ねる事で、情報量としては膨大なものになるが、それを受け取る側にとってその情報は情報としての価値を徐々に失い最終的には無と同等になる」という事を引用しました そうそう、とても拙い感想ですが「みたされたすべてが真直ぐだった」にもコメントを付けさせて頂きました。 ある意味、とても分かりやすくて、あの作品を読んだ体験はとても貴重なものとなりました これからも作者さまの書いた作品を楽しみにしています

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エイクピア
作品へ
(2023-11-09)

シンタックスを意識させられた詩でした。最初の三行が平仮名だけで始まり、脈絡がないようで、緊急事態を告げるために頭が混乱しているのだと思いました。少し普通の文章が復活するのですが、4行目以降、始めるではなくて恥ぢめるなど独特な表現にふと立ち止まりました。意識下に生じていたのは果たしてこの詩の言葉だけだったのか、背後関係を探りたくなるような詩でした。

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