こんばんは
あのね
子供の頃に欲しかったものはなあに?
僕はね、一番欲しかったものは天女の羽衣だよ
水あみする天女の透けた羽衣が木の枝にかかっているのを
どうしても盗みたいと思ったよ
最近飛ぶ夢を見た?
底辺をのたうつように
操縦がうまくいかない夢を見るばかりで悔しいよ
子供の頃にはぐんぐんと飛んで
万能感の極みだったのに
それ以外では尻尾がほしかった
野生に誇りを感じていたし
原始人か、乞食に憧れがあったから
空き地で基地をつくって火遊びで味噌汁を作ったよ
野良犬が空き地で猫を追いかけて食べちゃったのを見たよ
後は石臼が欲しかった
ゴロゴロ粉を挽いてお団子ができる魔法よ
火打ち石も拾って大事にしてたよ
雪の記憶は特別だな
雪だるまを愛してかまくらを造るのではなく
雪合戦で玉に石を仕込む子が嫌いだった
一面の真っ白の雪景色に柿が燃えて灯っていたよ
あのね
僕は君に綺麗な話がしたいんだよ
作品データ
コメント数 : 15
P V 数 : 536.9
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-01
コメント日時 2024-06-02
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/21 21時44分48秒現在
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案外こういう詩が読みたかったりする。案外と、自分でもびっくりするくらい。 ありがとう、夜がやさしくなった。
0こんばんは!ナイトキャップになれて幸いです。お休みなさい!
0おもしろかった。
0わーい。おもしろいなんて嬉しいです。コメントありがとうございます!
0読後感がとても良かったです。 特に最後の行、『あのね 僕は君に綺麗な話“が”した“い”んだよ』の、“が”と“い”の言葉の選択。 作中で描かれた言葉(話)では、「僕」が話したかった綺麗さというものをまだ十分に表現しきれていない、君に「僕」の本当に綺麗だと思う話を、もっと語ってあげたいんだというふうにも読めました。割と負のイメージも作中に挿入されているので、そういった話で相手を惹きつけるかように、自分(僕)を見て欲しいという、相手(君)を介した自己承認欲求を表現されているようにもみえました。 最後の行を少しだけ変えてみると、 例えば“が”を“を”にして“い”を抜き取ると、 『あのね 僕は君に綺麗な話をしたんだよ』 となり、相手に確認を求めているだけとなってしまって、それはどこか有り体にも感じられてしまいます。たかが一円ではないですが、たかが一字(数文字)の持っている役割というのは、大きいように思います。 下記は、「僕」の口調に違和感を感じたところです。 ゴロゴロ粉を挽いてお団子ができる魔法“よ” 雪の記憶は特別“だな” 「僕」という第一人称が、同一人物(同一年齢?)だった場合に感じる違和感でした。「僕」がそう意味ではなく、汎用的な使い方をされていることもあるかと思います。その場合は、いらぬ忠告だったと聞き流してやって下さい。
0「僕」がそういう意味ではなく、でした。
0子供のころ遊んだドラクエでは、「みずのはごろも」というのが、すごく重宝しました。 味噌汁作ったエピソード、素敵ですね。僕は、遊びで、料理を作ったことはなかったです。 やっぱり、男の子と女の子には、少し違いが出ますね。どちらにしろ、子供が遊ぶことは、 仲良く遊ぶことは、当然大切で、協調性とかの教育ですね。みんながそれぞれ力を尽くして、 何かを生み出し分け合えるのは、もう大人になりかかっていると言えるでしょう。 昔は何も問題がなかったかのような気もしますが、不幸の影は、夜になりかかるにつれて、 忍び寄ってくるその気配を、誰も振り払うことができなかった。そんなことを知っているから、 天女というような存在を思ったりするのですね。大人になっても一生思春期、 何かまだやり終えていないことがあると、心臓の鼓動に正直にならないといけないでしょう。 まだ何か聞こえる、まだ何か見える、まだ何か感覚している、まだ何か匂う、まだ何かを味わっている。 我々はどこへ行くべきなのかと、超越的な物語の教えるところによって、考えてしまいますが、 この世以外のどこかへ行ってしまうには、まだ早いという予感もします。未来が見えたら、 いいのですが、全感覚を開放したら、何か見えるのかもしれないと思います。色んな物を、 推察する力を出せば、生きて行く道において、究めようとすることが、現実において 現実ならざるものの感覚を、身に受けて、今日の空はやや曇っているという現実からも、 あらゆる真理を導き出せるような感覚に囚われます。今この瞬間が、私に開示しようと していること、それは、成長してからでないと、分からないことでしょう。あらゆるものが、 思い、惑って死んでいきますが、その人生とは、存在という美しいものだと、常識的に 知られるべき事かなと思います。僕は、子供を育てたことがないので、今の子は 大丈夫かなと心配になります。悪い道にはまっても、生き抜ける力があれば、何とかなるでしょうが、 その子自身の本当に望んでいることを、しているのだろうかと、心配になります。 湖湖さんの、天女になりたいという思いが、伝わってくるような気がしました。 詩は真実を表すべきものであり、一つのごまかしもあってはいけないと思います。
1大袈裟なことがなく、よい詩だと思いました。ありがとうございましたり
0>一面の真っ白の雪景色に柿が燃えて灯っていたよ 雪のなかに柿って、最後の最後に大人がひょこっと顔を出てきたようなおかしみが。 やりますね。
0コメントありがとうございます! 子供時代は幸せで美しかった、欲しいものも優美で伸びやかだった、という愛惜があります。 僕、という人称には複雑な気持ちがあって、性を排除することで清潔にしたい、もしくは、若い女性が性を嫌って人称するときにも、透明感の演出にも使う気がします。もういい年なので、(笑)僕、じゃあないかな、という気持ちもあるんですが、使ってみました。腹が立った時に男言葉を使ったりもするんですよ。読んで頂いて嬉しいです。ありがとう。
1黒髪さん、こんばんは! そうですね、教育からわけあい、尊重し合うことを子供が学ぶのは大事ですね。やはり、多くの本を読み。谷川俊太郎さんが、なにか詩のなかで、それでもなお子供は世界の希望、と書いていました。グローバルスタンダードなことといったら、家族愛や友愛と信心、恋愛、詩にするのは真実の輝きがあって人の命や人生に共感を揺さぶる善でありたい、そう思っています。子供の頃の純粋さや素直さは大人が失いがちな美徳です。いつまでも子供時代を自由に振り返りそのエッセンスを取り戻したい。因みに私は中二で転校していじめられる前までは部活少女で家庭もまだ乱れておらず、幸せな文学少女で元気で有名な子供だったんですよ。ふふふ。
0大袈裟じゃないとのおほめに預かり嬉しいです。古典に影響を受けているので大時代的な嗚呼、やらおお、なんて感じになるときがあるんです。(笑)コメントありがとうございます!
1とても微笑ましい詩で、好きです。 魔法から些細な日常まで、色々なことを不思議に思い、憧れを持てる子供の心、いいですね、いろいろ思い出しました
0コメントありがとうございます! そうですか?大人の印象ですか。私は子供の頃から食い意地が張っていたので。それに柿はほんとに白の世界に唯一という感じで目立つんです。
0ありがとうございます!嬉しい感想をくださる。子供のように時にはありたいし、子供を可愛がり社会で育てる気持ちを持っていたいです。
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