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道へ
それぞれのはじまりについて、わたしはなにもしらないが、はじける泡の生じるさまを眺めるくらいはしていたはずだ (星々の獣道)にたって、草木の靡くのに耳をすませていたのだったか、蜜蜂や蝶の描くおぼつかない風の起こりを嗅いだのだったか、いずれにしてもこまかな粒のその内側へ、封じられた声を辿って虹はたなびき、いや、蛹や繭が雨露のあたたかさに揺すられたのか やがて櫻の葉のふちに指をそわせ、蟬が啼くのにくすぐられた胸に、桃や枇杷の種を宿す 鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ 狸を見たか はたして陽炎が産毛に抱かれる日に かれらの瞳は走ったか 笹笛をさずけて
道へ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2030.2
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 29
作成日時 2017-09-01
コメント日時 2017-09-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 6 | 6 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 8 | 8 |
音韻 | 7 | 7 |
構成 | 3 | 3 |
総合ポイント | 29 | 29 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 4 | 4 |
音韻 | 3.5 | 3.5 |
構成 | 1.5 | 1.5 |
総合 | 14.5 | 14.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さま ご返信ありがとうございます。 この夏、ともだちにこどもが産まれました。子育てはたいへんかもしれないけれど、それだけ意義のある仕事ですし、生まれたばかりのその子もきっと、いろいろなよろこびや悲しみ、怒りなどを感じていくのでしょう。それでも世界はとてもあざやかです。さまざまな光景と出会いつつ、おとなになっていくのだとおもいます。そんな彼らに捧げる詩を書きました。 括弧内の詩句は引用です。身近な自然や人工物とふれあいながら、一歩ずつ、はてしない地平をきりひらいていくだろう。彼らの住む土地には、狸がいるだろうな、と、ふとおもったのでした。 これからもよろしくお願いします。
0かなりの筆力ですね。 文章に色気があり、柔らかさがあり、母性も感じます。そしてジブリを感じさせる情感でした。 俺みたいなおっさんには書けないなぁ。
0本文25字揃えなのですが、パソコンのブラウザでみると崩れちゃいますね……。ちょっと残念。
0文章がただひたすら美しすぎます。言葉が生み出す色彩だけで頭のなかがいっぱいになってしまい、私の脳内で容量不足発生、肝心の詩の内容をイメージしようとするときに、例えば古いパソコンで動画がカクカクしてしまうような独特の感覚になってしまって全体をうまくイメージできない、でもひたすら美しい。そんな不思議な体験をしています(断片的な映像は浮かぶのですが、それぞれがどうしても繋がって行ってくれない)。どちらにせよ何度読み返しても言葉とリズムの美しさに目と脳がくらみます。 「鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ」はこの一文だけでもものすごく味わいがあってとても好きです。暗唱したいくらいです。
05or6さま、survofさま ご感想、ありがとうございます。 こういう書きかたがうけいれていただけるのかどうか、不安でした。だからとてもうれしいです。自分だけ作風がちょっと頭でっかちなのじゃないか、と憂鬱になったりもしますが……。
0>自分だけ作風がちょっと頭でっかちなのじゃないか、と憂鬱になったりもしますが……。 いや、そんなことはないと思います、どちらかというと読み手としての私の問題かなと...。というのは自分は小説読むときなんかも基本的に頭の中で映像化・音声化してからでないと読めないので読む速度が遅いですし(論理的文章だとまた違うのですが)、意味を理解するのにとても時間がかかるタイプなんです。ただ、友人のなかには自分の倍くらいのスピードで読んでも自分以上に中身を理解している人などもいるので、そうした人それぞれの特性の違いも関係しているのかな、と感じました。文章を読むのが速い人に話を聞くと必ずしも文章を映像化・音声化しているわけではなかったりして驚いたことがあります。
0まりにゃんさんへ ハンドルネームが似ていて(笑) 拝読する前から親近感を覚えてしまいました。 25字揃えだった、とのこと・・・ワードでインデントをかけて行末をそろえる方が多いと思いますが(まりにゃんさんのやり方については判りませんが)ちょっと面倒ですが、「改行」で人為的に文字数を揃えれば、うまく貼り込めるのではないか・・・と思います。 (星々の獣道)は、どなたの詩篇からの引用句でしょうか・・・(不勉強ですみません)星が、哺乳動物のように葉陰をかすめて行き過ぎるようなイメージがありますね。 〈草木の靡く〉という触覚に〈耳をすませ〉る。触れて来る気配を、聴く。〈蜜蜂や蝶の描くおぼつかない風の起こり〉を、肌で感じ取るものを、嗅ぐ。ある種の共感覚、と言えばよいのでしょうか。音のイメージ、触覚のイメージ、匂いのイメージを、セロファンを重ねるように重ね合わせていくような、不思議な空間が立ち上がって来る気がしました。 〈はじける泡〉という、何かがふつふつと沸き立って、生まれて来るようなイメージ。 〈こまかな粒〉という、卵や種のような、原初的なイメージ。 その粒の〈その内側へ、封じられた声を辿って虹はたなびき〉 この部分は、たしかに観念的、抽象的とも言えそうですが・・・原初的な粒子から何かが生まれ出て来る、その瞬間を映した動画を、逆再生しているような、不思議な感覚がありました。そのすぐ後に〈蛹や繭〉という、具体的になにかが生まれて来る、その直前の姿が描かれる。この〈蛹や繭〉は、その直前に記された〈蜜蜂や蝶〉の生まれる直前の、姿でもある・・・ここでも、想像力によって映像が逆回しされているような、時間を遡行していくような感覚を覚えます。 それから一行アケがあって、葉桜の季節が過ぎ、蝉が命の限りに鳴き交わした夏を経て、桃や枇杷の実が、種(リルケ風に言えば、死の種でもある、わけですが)を胚胎しつつ、官能的な実りの季節を迎える。ここは、実際の時間軸に添って時間が流れていきますね。 反転していた時間、ゼロに向かって流れていた時間が、〈はじまり〉を迎えて、今度は折り返していく。 鶯の早春、遠花火の晩夏・・・〈幻想は波のうえでだけ舞う〉この幻想は、過去の景を、今の夢想の中に呼び覚ます、そんな幻想、なのでしょう。時の流れの中に戯れる、想像力が呼び覚ます記憶。〈波〉は、時(の記憶)の揺らぎでもあるように思われました。 〈乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ〉この一行も、不思議な質感を残していきますね。一人一人、読む人によって、受け止め方は異なるような気がしますが・・・私は、いささか感傷的に読ませていただきました。一人一人の記憶(が綴られていく、いのちの書物)そのページが風に煽られるたびに、過去の記憶がランダムに現れ、涙を誘う・・・というような。そんな甘ったるい、センチメンタリズムからは離れたところで記された一行のようにも思われるのですが・・・濡れる、紙片(詩篇と音が同じ)という言葉が喚起するのは、たとえば「落葉松」を濡らす雨、心を濡らす雨、余白が既に残り少なくなった、『わたしの一生の物語』をめくって過去を次々、幻燈のように映し出す風の気配・・・といったイメージに繋がっていく。これは、私の勝手な「誤読」かもしれません。(レスを拝見して、これからを生きる子供たちのために、その未来を言祝ぐために綴られた作品、であることを知りました。)でも、暗喩的な多義性を背後に蓄えた一行であるがゆえに、自由に解釈することが許されるだろう、と思う次第です。 最後の連、なんとなく唐突感があって、でも、里山の風情があって・・・5or6さんが「ジブリ」をあげていますけれども・・・まさにトトロの世界ですね。瞳が走る、という躍動感、笹笛・・・レスで拝読して、なるほど、と納得したのですが・・・イメージだけ、謎めいた形で、このように示されるのもまた、面白いと思いました。
0まりもさま コメントありがとうございます。 わたしはまだ生まれてひと月半しか経ってはいないその子にあったことはないのですが……、こう書くと陳腐きわまりないかもしれないけれども、自然の摂理というか、秩序というか、そういう時空間のなかでくりかえされる営みというものの、それなりには多様でまぶしげなひとつひとつにおもいをはせて、とでもいいましょうか、きっとその子や友人夫婦も、その大きくあたたかで謎の多い世界を旅しつづけるのでしょう。おなじ世界に住んでいるわけだけれども、きっとわたしとは違うものを見たり、聴いたりするはずです。わたしはそのことにことさら驚喜するのです。
0こんにちは。まりにゃんさん 一連目で、あらゆる事象について、分からない、知らないことばかりだけれど、 自分が認識できたところだけは、語れると 述べているようにみえます。 そして、星々の獣道という暗喩の場で 詩的なイメージを喚起させて、ひとつひとつ、確認しながら、世界を眺めていこうとしているのでしょうか。 そもそも、「星々の獣道」というのは、凄い暗喩で、僕なりにイメージするに、 私だけの、私の主観的な視線という意味としてイメージできるかもしれません。 その道に立って、そこから見る、事象の姿を、繊細な暗喩のイメージで 語っているのでしょうか。 事象に対して、あたたかな目線がイメージとして伝わってきます。 そして、 「鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ」 ここは、イメージとして,やや不安定な波乱を含んだ感じがして、アクセントのようになって、美しいと思いました。語りが人生についてなら、そういう部分も,勿論ある訳ですね。 全体として, 比喩が美しく、イメージの連続性が、とても、心地よく、 時に、視覚的、聴覚的、臭覚的と多様に広がっていきます。 事象(自然を中心に)を語っていますが、人生を語っているように、 多義的に読める詩です。 飛躍していえば、「産毛に抱かれる日」は出産をイメージできます。 とても、美しい詩だと思いました。
0うつくしい詩文ですね。レスを拝見していますと、お友達の出産が きっかけだとのこと。 わたしも 身近な人が 出産を控えているのですが、命のはじまりに こころを寄せることは さまざまな生き物(狸とか 星々の獣道とか)への やさしみに通じるのだなあと、感じました。 詩とは なんであるかに この詩を読むと はっとさせられました。ありがとうございます。
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