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習作
一体どこをどうやって歩いてきたのだろう。右手にも左手にも何か乾いた血の跡のようなものが付いていて、それなのに自分には傷も痛みもない。家が何処かは覚えている。名前も覚えている。友達?最初からいなかったような気がする。今朝の最低気温まで思い出せるのに、この血の臭いはなんだ。どうしても分からなくて、怖くて歩くことを止められない。熊と素手で戦って生き残ってしまったのかもしれない。どこかの親も知らぬ処女のリストカッターを抱いたのかもしれない。とばっちりで人を殺してきた帰り道のような気はしなかったし、それほど自分が罪深い生き物だという自覚もなかった。ここはどこだ?まあ多分地球のどこかではある。それから、日本だろう。最後の記憶がない。消えよう、と誰かが言ったような気がして、でもそれは単なる気のせいのような感じがして、独語だという可能性もあった。今履いているスニーカーをどこで買ったかまで思い出し、スニーカーを履いたということは恐らく逃げるか追うか、とにかく歩く必要性を感じたのだということ、おしゃれで選んだ訳ではないことを考えた。どうしてこんなに穏やかな気持ちでいるのだろう。家に帰りたいとは思わなかった。音楽のように風の流れが見え、人がさざめき、光が踊っている。世界は今じぶんのものだ、と確信し、同時に、誰かが同じことを思って笑っている、そう感じた。世界はトップダウンでは動かない。俺が世界であり、世界は無数にあり、世界が世界を構成していく。なぜいまそんなことを?交差点のすべてに名前を付けた人を思う。特に意味のない考えの中に、本当に必要な意味が表れては砂浜に書いたさよならのように波に浚われる。記憶がなくなること、なくなったことを思い出すこと、そして記憶を思い出さなかった間に何が起きたか。駅が近いし、スマホは携帯している。特に何の問題もない。どこかで臭いを消さなければならないかもしれないが、罪を犯したわけでなければ誰の気に留まろうと関係はない。昼頃で近辺は普通のビル街だということさえ分れば、特に問題なかった。段々朦朧とした意識がはっきりしてくるが、記憶は戻らない。だれか、なにか、ころした、あるいは、きずつけた、もしくは、すくおうとした、のか。やっぱり動物園を逃げ出した熊から子供を助けようとして素手で皮膚をぶち破り内臓を引っ張り出したのかもしれない。それでいいような気がしてきた。秋にちょうちょが飛び交うことを初めて知った。 消える時は一緒に消えよう、と約束した子がいた。その子の方では誰一人自分の道連れにしたいなどとは思っていなかったようだった。それでも俺は(私は)(僕は)(ーーは)一緒にいたかった。その先に道がないということを言語化することができず、その子は暗闇に突っ立っている電信柱みたいに孤独な生き物だった。孤独であることは特に悪いと思わない。痛みや苦しみを感じないのであれば、それはもはや幸福と言ってもいいのではないだろうか。人と関わることで生まれた罪の概念に悩まされず、気まぐれな鳥の羽ばたきとその歌の意味だけを考えて前を向いていられるのだ。そうあるべきだと書き直してもいい。文士が存在する意味が無くなるほど本気でそう思う日がある。言葉とはすべて孤独の出来損ないである。その子にとって自分の(俺の)存在は何であったのか、知ることはきっと出来ないだろう。当人同士にも分からないのだから。共にいようと考えた理由が理解できずに、世代をひとつ消費するのかもしれない。死が解決する問題なのかもしれない。そうであればどんなにいいか。世界から消えることはその子の夢だった。星にさえできない世界の法則を破ること。その子は沈黙していた。自分の願いがさほど深くも重くもないことを感じ取って、静かに空を雲が流れていくのを眺めるように、生きていた。それは願いであって、叶わぬ夢であって、だから許されるのだ。明日死ぬかもしれないが、決して死ぬと決まった訳ではない、猶予のある人間だけが許される遊び。人間は人間の世界でだけ暮らすようになって長いから、たとえ間違っていようと、意味がなかろうと、浅ましかろうと愚かしかろうと、何を考えたって大抵は死なないのである。その子も分かっていた。静かに静かに祈っていた。自分が見た夢よりも大きな馬鹿をやらかすことができない、自分の本当の小ささが救われるように。救われたらどうなるのか、そこまで理解出来ていたら、きっと消えようとは言わなかった。まだ俺達は若かった。巣の中で餌を待っている、兄弟のようだった。飛んだ事等ないのだけれど、いつか飛ぶしかない事は分かっている。消えよう。お互いの綿埃みたいな産毛に包まれて幸福を感じる日もなくはない。だが、それもきれいさっぱり忘れなければならない日が来る。 「私、ペンギンよりトラが好き、トラよりペンギンの方が賢いと思う、それから、フラミンゴは食べ物のせいで朱くなるって知ってる。でもあなたには何も教えたくない。私から何かを教わるなんて、恥ずかしいって思ってるでしょ?喋るたびにうんざりって顔して話を遮る理由も分かってる、どうして一緒にいるの?金?愛?腐れ縁?どれでもいいけど、嘘吐くのやめなよ。死んでよ、って言ってる訳じゃないんだからさ。ただ、雨が降る日に傘を持って出てくみたいに、紅茶が冷める前に飲んだ方が美味しい、と思うみたいに、当たり前に本当のことが言えるようになりなよ。面白くない話を聞いた時に笑うのもやめた方がいいんじゃない?色んな意味で。詰まらないなら詰まらない、面白いなら面白い。一人で生きていきたいんだったらそうするべきだと思うんだ。すべての誤魔化しとおふざけと、悪い冗談と皮肉にさようならして、まっとうに人間を人間扱いできるようになりなよ。それがいつかあなたの人生を幸せにすると思う。気が触れたみたいにお喋りで、だから普段から何も喋らなくても伝わっちゃうのに、それでも言ってるのよ。無駄なことだと思いながらね。ありがたくはないわ。でも特に迷惑でもないでしょ。台風が来て去って行くだけ。後には瓦礫が散乱して、カンカン照りになって、それからまた季節が巡って来る。四季のある国に生まれて良かったと思う。四季のない国に生まれれば、昼夜の移り変わりに耳を澄ましただけだと思うけどね。動物の話なんかするんじゃなかった。人間が人間以外のものを動物と呼ぶしかないのだって、間違ってると思うんだけど、何が間違ってるのか上手く伝えられない。それは誰か他人の為じゃなくて、人間自体のためにね。ペンギンもトラもフラミンゴも別になんだとも思わないけど、飾ってるってことはもしかしたらまだ言葉にならないだけの、何か特別な感情があるのかもしれない。でもそれについて考える時間を作ったりできないのよ。忙しいというか、したことがない。あなたを見てて思う気持ちもそれに似てる。私にとってあなたが何の意味を持つのか全然分からないのに、気が付いたら隣にいて、理由が分からない限り別れたら後悔するって分かるの。誰か神様みたいな人がこの問題を解いてくれたらいいけど、多分それだって私の答えではないって思っちゃって、それに次の問題が起きた時も他人に頼るしかなくなるから、こんなことずっと言ってるんだと思う。そうするしかなかったからだよ、全部ね」 見知らぬ女の子たちが私を見て畏敬の念を隠さない時、私は生き延びたのだ、と感じる。地獄のような時代があり、その真っただ中に置かれ、生き残るためにならなんでもした。それが若いということだった。周囲を見れば皆私が何故そんなに悲しんでいるのか分からない、という顔をしていた。私自身、自分の悲しみが何処から湧いてきたものか、というより、私自身が悲しんでいるかどうかさえ定かではなかった。楽しんでいるつもりだった。夢を見ているつもりだった。嬉しいという感情が、幸せだという実感が、全く無いにも関わらず。無いからこそそうあるべきだったのかもしれない。私は仕事の一環として家庭に産まれた働き手の一人だった。今でこそそんな風に子供を産むことは間違っている、という考え方もされるが、当時から今に至るまで、貧しさというものが世の中から払拭された試しはないのだ。私の両親は特に貧しかった。まず貧しいという言葉の定義から始めよう。たとえばここに百円がある。母はその百円で利子を返すつもりで千円を借り、その千円でギャンブルをしている。今もだ。貧しさとは、そういうことなんだと思う。兄弟は自分の学費を争い、それはつまり巣で暮らしていた同じ鳥の雛が餌欲しさにお互いを蹴り落とすのと同じことをした。父は子育てをしなかった。子供と目も合わさず、会話をせず、子供を怒鳴り殴り付け、小遣いもろくに与えない。結局何の為に結婚を?死んだ今になっても分からない。私は世間に顔向けが出来ない。そんな家庭に産まれた事自体が恥ずかしくて。彼らから学び、彼らに従い、彼らと同じ過ちを繰り返す運命にある事を悟っている。幸福にはなれない。常に誰かが私達を助け、そして助けた事に対しての見返りを求められる。自分で稼いで蓄えた金で生活をしていくという当たり前の約束が果たせないのだ。仕方がない。生まれ付いた境遇というのはそういうものだ。私は私だけが救われようなどとは思えない。この地獄で生き、地獄で死んでいく。せめても、あなたにこの気持ちが分かるのであれば、人間として生きようとしてきたことは無駄ではなかったと思っていいかもしれない。人は肉を食ってだけ生きている訳ではないから。いつだって神様を必要とし、神様になる必要に駆られている。つまり私は…。 死ぬかもしれないなぁ、とぼんやり考えていた。クーラーの効いた部屋で、ポテトチップスを食べながら、WOWOWを観ている時に。家族は大嫌いだった。私の頭が良いとか言って、虐めてくるから。彼らは私が虐められていると思っていることも知らない。本当に、本当に私は頭が良かったのかもしれない。でも勉強が出来なくなった。誰かの為に働くことが出来なかった。だから学校に行くのを止めた。誰も何も教えてくれなかった。教える時はただ単に自分の仕事を肩代わりさせる為にだった。働けばお金が入って来る。そんな当たり前のことさえ、意識的にやっている訳ではなかった。なんとなく、言いつけ通りに、子供は産まない、結婚はしない、恋人は作らない、友達とは関わらない、借金は嫌い、ギャンブルは悪、大人だからといってまともなことをしているとは限らない…死ぬかもしれないなぁ。セックスの話をするのは嫌いじゃなかったけど、私の見た目を見てそんな気を起こす猛者はそうそういなかったし、そもそもセックスする相手って、鼻で嗅ぎ分けるぐらいに本能が決めるものだ。無理してやろうとしてやったことに意味がないとは言わないけど、相手は選んだ方がいい。そして誠実さとは生まれ持って備わっているもので、良心はその子の経験から来る。さぼてんのとんかつ美味しいよね。キャベツ太郎とコーンポタージュスナックもいつかセブンイレブンから消える日が来るのかな。もう来たのかな。ウクライナで戦争が起きたんだってね。誰も何も学ぼうとしないね。学んでいる人はまるで空の雲の上に浮かぶ城でずっと下界を眺めているだけみたいに縁がない。別にいいけど。子供の頃遊んだあのマンションも、とんでもない失敗しかなかった学校とかいう環境も、しぶしぶ言いつけに従っているだけだった職場も、全部爆撃されたかもしれないんだなぁ。谷川俊太郎なら、それをあながち悪いことだと書かなかったかもしれない。だって、僕達だって。それらをすこぶる憎んでいたもの。爆破されればいいのに、って何処かで思う日が絶対無かったとは言えないもの。どこか誰か他人がやったと思ったら腹が立つかもしれないけど、その、腹が立つことさえ、出来なかったんだもの。あれのせいで泣くことさえ許されなかったんだもの。正しさって何だろうね。時々よく分からなくなるんだ。死にたいなぁ、って言ってる人って、きっと凄く幸せなんだと思うよ、変な意味じゃなくて。その檻の外で、日差しに焼かれながら水も飲めずに死んでいく私からすれば。死にたいんじゃなくて、死ぬんだもん。 病院に行く前は大抵こうやって文章を打つ練習をしていた。病院で話すべきことを書いているつもりだったのかもしれない。でも病院の人は何も聞いてくれない。これは一体何なの?朝ごはん食べてきたの?夜寝てるの?なんでスマホを手放さないの?分かんないけど薬出しとけばいいかな!それぐらい軽い。僕達がはまった深みについて、想像することすら出来ないのだろう。この文章だって、何一つ意味のない、自己満足に見えるのだろう。刻々と時間が過ぎていく。絵を描くのも好きだったが、それはコンテストに出すものではなくて、自分の病状を把握するためのものだった。僕は僕がいる場所に関わる全てのものが病んでいる事をよく判っていた。悲しいぐらい知っていた。それでも嘘を吐いたつもりはない。僕自身もその深みにいることは間違いなかった。僕は叫びたかったのかもしれない。こんな所にいたくない、こんなことをするのは間違っている、こんなことを願うのは本心じゃない、本当はもっと違うことがしたい!だから何がしたいのかを具体的に把握できるようになりたかった。夢を見る力さえなく、望んでいることが何か言葉に出来ず、祈っても何も救われないことを知っていて、それでも前を向いて歩く自分が好きだった。あなたを呼んでいる声だけが私の声だった。それが壁の落書きであっても。どれ程醜く汚くて浅ましくて狂っていても。生きるとはきっとそういうことではないのだとしても。死ぬつもりはなかったが、いつか死ぬであろうことは考えていた。そして朝起きることも出来ず、夜眠ることもできず、日がな一日誰にも通じない言葉を手繰り寄せようと必死だった。母のカレーが好きだった。でも母のやっていることは間違っている。そんなどうでもいい矛盾。当たり前の苦しさ、ありきたりの悩み、普通の暮らし。しかし誰にも癒やせない私だけの苦痛。どこまで歩いていけば、好きだけでなく、成功することが出来るのだろう。相変わらずだよ、何もかも。ある人は私を凄いと言って憚らないし、私自身はそうでもないと思っているし、罵られることも貶められることも日常だ。病院に行きたい。治らない病だ。分かっているから行かなければならない。いつか私が彼らの苗床になるように。そして彼らが新しい世界を見る。私の潰れた目の代わり、生い茂った森のような言葉の迷路を抜けて。 多分、殺したのは私自身という何かだろう。血の臭いがするとすれば、それは私が常に心の中で私の手首を切っていたから。最近じゃスーパーの店員ですらそれとなく手首を確かめる。私も現実に手首を切ろうとしたことは何度もあるが、皮一枚切ることが出来なかった。なまくらの包丁だったからではない。そうするべきではない、と私の中の"神"が云ったからだ。そう、まだ生きるべきである。お前はこの地獄を生き残るだろう。その時、傷はお前にとっての罪の証にしかならない。分かっていたわけではない。教わったわけでもない。だから"神"だと言っているだろう。そろそろ希望を見出せるようなことを一つでいいから書いてみたいんだが、なかなか思い付かないな。あなたは明日も生きるだろうに、ここまで読んだ時間の無駄を後悔するだろうか。人が不意に死ぬ時、何かが間違っているから死んだのだ、とは余りに残酷で私にも言えない。でも、それが真実なのかもしれない。子供はいつも本当の事を言ってしまう、人は間違えるとまだ知らないでいられるから。意味のあることを言えたら良かったのに、なかなか詩人に出逢えないし、そもそも詩人とは何かを助けたり救ったりする神様ではない。死神の鎌を持っている。会わない方がいいから会わないのだと思う。怖いし。地下鉄の入り口に潜り込んで階下へと降りながら、私は心の中の井戸について考える。いつか流した血で満たされた、涸れない井戸。それを持っている事は恐らくとんでもない不幸だ。呪われている。げらげら笑いながらその国の主であるという事実に慄いて、深く溜息を吐く。この世にはまだ知らない事が多過ぎて、私の命や力はそれに対して余りに小さくて、それでも諦めるには世界は美し過ぎる。ああ、良かった、と言いながらあなたのことを思い出したい。私があなたにしてきたことが間違っていなかったと信じたい。生まれたことについて、正否などないと思いたい。長々と書いてきたが、結局、あなたは好きと嫌いだけで人を判断して、苺のクレープを食べながら楽しく生きていくのだろう。それでいい。私が望むのはただ、そういう暮らしが誰にも脅かされない日々を、少しでも多くの人が送ること。ちょうちょは魂の喩えなんだってさ。だから秋にはちょうちょが飛ぶ。意味は、無い。まだ、たぶん。
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習作 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 831.8
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-10-06
コメント日時 2024-10-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
当たり前に本当のことが言えるようになりなよ。本文中にあるこの言葉が刺さりました。この文量でなくては伝えきれないことが刻々と書き表されていました。習作 とされているこの作品に作者はtitleをつける必要があるとおもった、けどそれはきっと作中の話者の中で、ちょうちょが結ばれたときなのだとおもった。良い作品です。title、あるといいですね。見つかるといいですね
0とりあえず前半読んで。 ちょっととりとめないですけどね。 こういう文章、俺も10代の頃、いっぱい書いてたなーと懐かしくなりました。 またあとでコメントします...
0題名をつけるとしたら 「なぞる」とかかなぁ 多分この作品で書かれている「私」は上手くなぞれていないと思ってるというか トレース出来ていない 色んな意味で だけどひたすらになぞり続けているというか それぞれの過程も見つめている 多分そんな作業が好きと言うか落ち着くみたいな部分があるのかもしれない トレースと言えばピカソの逸話を思い出すけど。 私は如何なりたいのかわかっていないというか。自分をぐるぐると巡ることそれは意味がないと周りから思われている現状を壊す事が 本当に私がしたいと思っている事なのか? 私は自分をぐるぐると巡ることを意味がないと周りから思われる事をもしかすればその世界こそが自分が望んでいる事なのかもしれない、私はいまこの瞬間こそが正に時よ止まれと願っているのではないのという不安というか迷いというか。 自分には才能があるのかもしれない しかしもし才能があったとしてもその才能に対しての責任が取れるのだろうか? かつての私は才能を奮ったのかもしれない そして酷い目に遭ったのかもしれない 文明が兵器を創り出したように 私は堂々と巡りをしている それは結果なのだろうか?それとも? みたいな事を思ったな しかしこれは簡単で歳をとれば勝手に答えが見たかったりする バグがバグであり続けることの意味もある日突然理解できる、そしてなぞり続けた日々は終わり、巻き続けたネジは私を世界に奏で始めるのかもしれません、上手くいけば みたいな感想を思いました。
0いい作品だと思いました。このくらいの文章量を書こうと思えば、自分の頭の中にあるものを効率的に利用しなければならないと思います。それは自分自身を描き出すということを理由に、読み手の共感を誘うものではないとも思いますが、ちょうちょに始まってちょうちょで終わっていく過程の中には、花弁で羽を休めるのであれば花弁もまたちょうちょの重さを知れることがあると思います。
0さあ~と一~二度眼を通したのですが、長いので読み切れているのか自信はありません。ただ内容的には自分を見据えてよく書かれている。その書き上げた集中力には高く評価もできると思います。 書かれてある内容は自我への欲求でもあり、つまり自己としての再確認を語らしめる。ときには己が代理人として、または姿見を変えて、客観的に自己を振り返る。見つめ直してみる。というのは私小説作家のみならず創作家としての醍醐味で、特にドストエフスキーや夏目漱石などはその点優れた書き手だと思います。この独白調子におかれる散文体の中にも、特に「 ~ 」の中の記述などはそうした創作意図も伺えてきますが、さて、どうでしょうね。長い構成を考えればもう少し省かれる部分はあってもよさそうにも感じます。 詩人で思想家の吉本隆明は芸術の根本を成す要素として、一に韻律、二に選択、三に転換、四番目には喩だと評している。このことは何処かで何方かも書いてましたが、ともすれば単調に成りやすい長い散文体の書きもの。扱いは容易いが実は読ませるには非常に難しく、この吉本が言う要素には気を使うべきかな、と私も納得しています。 現にこのように吐露的な、というか常に(俺)を主体にして独白調子の構成で書き込まれている書き手の方を知っていますが、その方は自分の小節(こぶし)のように我が物とされておられて、その一本調子な韻律の中にも巧みな表現が組み合わされているので、最後まで苦にならずに読めきれるのです。 そういう意味では、この作品は先に挙げた一~四までの各要素がどれも中途半端に読めてきて、読み切る前に眼が離れていきそうにもなる。習作。そのあたりが課題だと私は感じましたが。
0>母のカレーが好きだった。でも母のやっていることは間違っている。そんなどうでもいい矛盾 この部分がもっとも詩的だった。
0「習作」と言うタイトルに惹かれます。堕落形態を書いた詩ではないと思います。散文詩なのでしょう。これまでのプロセス、、我々はどこからきて、どこへ行くのだろうか、と言う哲学的な問いが具体的な衣をまとって、詩作されていると思いました。
0「レタス」とかどうでしょう。読んでくださって有難うございます。
0十代の頃はパソコンを使っても人に話しかけられないシャイでした。今ではごらんのとおり。あんまり変わっていません。有難うございます。
0ネジ、巻き過ぎちゃって壊した感じです。バグの語源って、本当にコンピューターの中に蛾が詰まってしまったことが発端らしいのです。私の頭の中にも何か本来あるべきでないものが入っているのでしょう。歳を取っても変わらないと思います、実は心当たりがあるので。有難うございます。
0二万字が限度ってどれぐらいの文量なのかなって思ったのがきっかけで。ちょうちょあたりで飽きちゃってます。三時間半くらいだったので、絵を描いたりゲームしたりするより集中力が続きませんでしたね。有難うございます。
1名文を読むと頭がすっきりします。その感覚に個人的に到達するまでって、多分一生かかっても無理なんだろうな、という諦めの気持ちしかありません。小学生くらいの頃の私が今の自分の文章を読んだら感動するかもしれませんが…。後はもう、好みですね。無理して読むほどのことはありませんが、読んでも別に嫌じゃないかなくらいの所でいいです。有難うございます。
0きっと万物に通じる一文だからです。母は間違っているが、そのカレーで育った。いや、通じたところで意味はないのですが。有難うございます。
0昨今の「堕落」はもはや流行でしかありませんからね。好きでやっていいことではないと思います。好きじゃないなら前向きに生きるべきですし。余談ですが。有難うございます。
0なるほど、ちなみにタイトルは255文字までいけるみたいです。
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