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ジョン・レノンは女だった
サン・ラッサで犬が洗われている。入口のベルが鳴り主人が入ってくる。テレビには天気予報が流れ明日は雨なので洗濯物は中に干しましょうと女がアナウンスをする。犬は目を閉じたまま主人の匂いを嗅ぎつけ、興奮してテレビの音が聞こえなくなるくらいに吠え立てる。犬の方には近寄らず主人は真新しいゆりイスへと腰かける。ゴシップ誌を片手に犬の方をときおり見る。口の形だけで声には出さず犬の名前を呼んでいるのでよく見るとジョンと言っている。泡だらけの犬は絶対というものを信じている。ドライヤーで乾かされる頃になるとそのイスは消えている。見違えるようにきれいになった犬がリボンをつけて台の上に置かれている。 サン・ラッサの斜向かいにある小学校では運動会が開かれ、ミチルちゃんが母親と一緒に走っている。赤と白と青組でミチルちゃんは青いハチマキを巻き赤組のコースを走っている。足首は長細いひもで縛られ、私達もそんなときがあったなーと母親がレースの終わりに二位の旗の下でミチルちゃんとおしゃべりをしている。ミチルちゃんはそんなこと聞いてなくて、地面に生えている草を不思議そうな目で見つめている。あんたねーと母親が言うときだけ、ミチルちゃんがふりこのように首を動かすので、ミチルちゃんの目が青くなってそして黒くなった。ミチルちゃんの世界はこんな風に終わってしまうんだと思ってミチルちゃんは少し泣きそうになったけれど、耳元で母親が爆笑するのでミチルちゃんも嬉しくなってバカみたいに笑う。 小学校に行く道の途中にある飯塚書店には今年で不惑になる店主と黄色いオウムが住んでいる。この店に入り浸る不良がオウムに変な言葉を覚えさせるので店主の生え際の後退は年々早まってきている。不良がよく本を買うので店主は注意できずに困っているのだ。不良は本を買う→その本の中からオウムに覚えさせる言葉を選ぶ→不良が飯塚書店にくる→オウムの前でうんこ座り→オウムの言葉のボキャブラリーが一つ増える。そのくり返し。オウムは常連客の前でも覚えた言葉を湯水のように使うのでPTAから苦情がきてとうとう飯塚書店には客がこなくなる。やがてシャッターに白いはりがみが貼られ店主と黄色いオウムはこの町から消えている。それはもうずっと前のことで不良は今国語の先生をしている。 飯塚書店の跡地にはソバ屋が建ち、ソバのメニューはかけ、ざる、もりの三種類しかないものの、どれも値段が安くおいしかったのですぐに評判になった。だから昼になるとたくさんの客で賑わうこの店にいつもやってくる一人の男がいる。男はソバ屋の裏路地を静かに抜けて洋菓子店の坂をのぼりきったところにあるアパートに住んでいて、ソバ屋から数えると四軒隣にある私立高校で事務の仕事をしている。昼休みにソバ屋から帰ってきて余った時間でする男の日課は一曲しか入っていないiPodで何十年も前に作られた懐かしい音楽を聴くことだった。昼休みが終わるとイマジンと呟きながら男はまた給料の計算を始めた。 この男と同じ高校にはミチルちゃんというアダ名のとてもかわいい女の子がいる。彼女は陸上部の長距離をやっていて、足はあまり速くなくて、胸があって、勉強はそこそこできた。ただ国語とか英語とかがヘビと同じくらい苦手で忌み嫌っている。黒板にLuck comes to those who look for it.と書かれてここ必ずテストに出すよーって先生が言ったら時間がきて、なんだかなと思いながら窓の外を見ていると国語の先生っぽい人がグラウンドからこっちに向かって歩いて校舎のところで姿が消えてから前を向くよりも早くドアが開く音がしてさっきの人が入ってきて国語の授業を始める。つくえぜんぶさげてーって声がしてみんなそれに従ってイスと机をガラガラひきずって後ろに持っていく。急に自分のしまがなくなってみんなめいめいの場所に座りこむと、隙を見計らったように一冊の文庫本が手渡される。これは私の好きな本で、今日は時間の許す限りこの本を(私が)朗読したいと思います。とさっきの国語の先生っぽい人が言って、さっそく読みだす。ときどきエッチな言葉とか表現が出てきて、なんとなく教室が気まずくなるけれど全体的(相対的?)に悪くなくて、ミチルちゃんは眠らずに一日でその本を読みきった。もうこれは本物の国語の先生だよとみんなやミチルちゃんは思って、その人を好きになってしまった。 レノンちゃんは洋菓子店の坂をくだると最初に見えてくる古びた団地の一番端っこにふたりで住んでいる。そこからお母さんの運転する自転車にまたがって駒竹幼稚園に颯爽とやってくる。敷地の外でお母さんと別れたらタッタッタッタッと走って行って園の入口を思いっきり強く開けるから外にいる先生にさっき注意されたけれど中に入り紫組の教室の戸をやっぱり勢いよく開けたあとで元気に挨拶をする。にいむら先生は笑いながらレノンちゃんに挨拶を返し、開けっ放しの戸を静かにそっと元に戻す。お友達が嬉しそうにレノンちゃんの手をひいてみんなのところに連れていく。レノンちゃんは黄色い帽子を犬の刺繍が入ったかばんにしまって、ずり落ちたズボンのままイスに座った。さあ、今日も一日元気に過ごしましょうと言っているにいむら先生がさようならの挨拶をして、またタッタッタッタッとかけてお母さんのところへ戻る。お母さんはレノンちゃんをぎゅっと抱っこして後ろの席に座らせる。レノン、今日ゆうしょくは何がいい?カレー。力強い一歩が踏み出され、自転車は息を吹き返したように加速する。 国語の先生とミチルちゃんは結婚をして、ミチルちゃんは高校を辞める。別の高校に異動させられた国語の先生のためにミチルちゃんは毎日温かい料理を作る。二人の住む狭い部屋にはオウムがいて、ミチルちゃんたちはかわるがわる愛の言葉を教える。ミチルちゃんは拾ってきたゆりイスに揺られて、大きくなったお腹を優しくなでている。昨日病院に行ったら先生がいやー元気な女の子ですよと言ってきたのでちょっとなんで勝手に性別教えるのよと思ったがそんなの関係なくて名前はもう決まっている。
ジョン・レノンは女だった ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 905.9
お気に入り数: 4
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2024-01-27
コメント日時 2024-02-02
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
解像度の高い、スーパーリアリズム的文体にて記述をなされた、物語‐半叙事詩であると感受を致しました。 只、批評の言葉に迷って仕舞いますのは、物語表現の付帯する恣意性と、その恣意に企図される処の歴史的文脈に、自身の主義思想が拒否反応を示しており。 客観的判断が下せそうではない、と謂う問題がございまして。 名文である事には相違無いのでございますけれども。 苦しい、立場でございます。
0私は表面的な解釈しかできませんが、イマジンで歌われていることが実現できた世界を描写していると捉えました。将来の不安も、隠された事実もない、ただ様々な「今」を表現することで、歌詞にあるような「今日のために生きる人」を書き手は見せてくれていると思いました。
0ジョンレノンのうたとか半生とかしってたらもっと補完できるものなのかな? それとも取って付けたような誰でも知る名にTitleにすることによって混乱と想像を生もうとしてるのだろうか。世代をこえた物語を絡め一連ごとにより頑丈にほろけるぐらいのチカラで書き上げている。興味をそそられると還元する、その絶妙なラインを攻めているなーとおもった。わかるわからないの差し引きが理屈ではない所、感性で書かれ行われていると見た。こういうの上手くないとできないんだけど、いっぽ違えば熱量だけのイミフとして読み飛ばされるものだとも思う。わたしもこれ1.5Aさんのものだから読もうと思えたけど、名無しで出されたらコメント出さなかったと思う。なんていうか挑戦的な作品だなとおもしろく思い、コメントします。中身には触れずもうしわけないが、これはそれぞれが読解することを楽しめるものだと感じるので!
0連同士のつながりにはあまり頓着せず、時系列をばらばらに読み取れるように心がけました。様々な歴史や思想を飛び越えて大がかりなことを書こうとしたわけではありませんが、それは人が持っている大切なものを、また違う誰かが引き継いでいくような、サンサーラ的な物語を書いてみたいと思ったからなのですが、きっと少しだけ成功して、大部分はしかし課題として僕の中に残されていったのだと思います。お読み頂きありがとうございました。
1ありがとうございます。昔に作られたもの、それは今を生きている人からすれば既にそこにあったものでもあると思うのですが、こんにちの技法・材料をもってしても敵わないと思わせてくれるものは確かに存在していて、それを作った人と意見を交換したり、話を聞いてみたりということができないのは当たり前のことなのですが、僕たちは生きている限り、ではそこを目指すのか、はたまた今や未来を目指していくのか、は人によって違ってくると思います。違う世界(昔と今)が並行して、またそういった偉人の創作を身近で垣間見ることができたり、糸電話で会話できたらいいのになと思いました。
0「ジョン・レノンは女だった」というタイトルから内容を練っていきました。僕の中では実在したジョン・レノンをこの詩に直接投影しているわけではなく、このタイトルでなければこの詩は書けていなかったのですが、タイトルを分解して出てきた3つの単語(ジョン、レノン、女)を、詩の中で育むという感覚が一番近いと考えています。いっぽ違えば熱量だけのイミフとして読み飛ばされるものだとも思う。このコメント、とても好きだと思いました。熱量、それから初期衝動みたいな気持ちは創作をする上で欠かすことのできない要素だと思っています。(心の中ではみんなのストライクゾーンにも投げてみたいと息巻いています)。でも上手くは放れませんが、自分はこうなんだという感情を書きとめ続けることでしか、発展した創作に届かないのではないかと密かに思っています。方向性は結果として後からついてくるものだとささやかに星に願います。コメントを頂きありがとうございました。
1>二人の住む狭い部屋にはオウムがいて、ミチルちゃんたちはかわるがわる愛の言葉を教える。 一部を抜くとしたら、ここがすごく好きです。全体も面白くてすらすら読めました。この作中の人物が引で見ると繋がってる感じすごくおもしろいです。神の視点から見たら世界ってこうなんだなと思いました。第三者視点であることの必然性があり、良かったです。
0>いっぽ違えば熱量だけのイミフとして読み飛ばされるものだとも思う。 これさ今月の自分にブーメランしてるんですよね。いっこは名無しだけどまあみごとにスッコケたので、自分的には納得したものであるからいいですけどね。 んでさ、この作品挑戦的で全然わるくなくて、ただ作品タイトルが強すぎるから、それが吉と出るか凶と出るか、そんな風に思いました。いっそ作中の名前を極力なくしてしまったほうが、疑問を更に深め、使っただけ?てきな不信感をとっぱらい、素直に入り込めたのかもしれないけど。Titleから内容を練ったことを考えると、やはり捨てるという選択肢には結びつかない。私もよくそういうことがあって、ここは使いたいと思っていることって大抵じゃまになってたりするので、難しいですよね。まあ熱量は大事です、創作は伝えるためではなく衝動がかたちになるもの、パッションですから。まあいつもいつも良くお書きになると、上手いなと、また楽しみにしております(^^♪
0良く書けていると思う 試みとして良いと感じた リンカネーションていう事なのかな 切り貼りして 違和感みたいなものを演出しているのかなぁ しかし脳が補完して少し変な感じの物語に仕立てているというか フォークボールをイメージしたな つまり何故フォークボールを投げるのかと言う問題 それは打者を空振りさせて三振を取るためというか 文学において打者と言うか 打ち取る相手を意識する事は大事ではあると思うので ただ打ったり投げたりではなく 野球をやるという意識を感じたな 詩を書く人はやはり 打ちっぱなし投げっぱなしみたいな 独りよがりの自慰的な作品が多いけど この作品はルールを覚えて野球したいゲームしたいなみたいな意気込みを感じたな フォークボールとしてのキレはイマイチとは思ったけど、結局はそこをイメージするまでの事とも思うので そう言う意味で言えばとても成功している気がします 文極でも年間の何かに食い込めるぐらいの作品だと思いました 海軍 中将
0生者は死者になるのではなく、思い出になるだけ。ゼッケンです、1.5Aさん、こんにちは。 1連目で上の命題が提示された後、どこにでもありそうでどこにもない町のどこにでもありそうでどこにもない日常が描写されていく。1連目、ゆり椅子に座る主人、ジョンという犬。2連目、母親とミチルちゃん。3連目、飯塚書店の店主とオウム、いまは国語の先生になった、オウムに変な言葉を教える不良。4連目、イマジンと呟く高校事務の男。5連目、高校生になったミチルちゃんというあだ名の女の子、国語の先生っぽい人。6連目、レノンちゃんとお母さん。7連目、国語の先生と結婚してゆり椅子に座るミチルちゃん、国語の先生とミチルちゃんに愛の言葉を教えられるオウム。名前が決まってる女の子。 意図して直接は辻褄が合わないように書かれているけど、書かれていないことを想像するように書かれているわけですが、ドラマツルギーというかドラマの都合からすると1連目の主人と7連目のミチルちゃんはゆり椅子つながりで同一人物。次にミチルちゃんつながりで2連目のミチルちゃん=5連目のミチルちゃんというあだ名の女のコ(2連目のミチルちゃんも本名だとは言ってない)=7連目のミチルちゃん。 オウムに言葉を教えるつながりで3連目の不良は7連目の国語の先生、PTAの苦情と教室が気まずくなるで3連目の不良は5連目の国語の先生っぽい人(=ミチルちゃんにとっては国語の先生)。同じ高校つながりで4連目のイマジンと呟く高校事務の男と国語の先生っぽい人は同一人物とするのは短絡すぎるが、その他の状況証拠「ジョン・レノンは女だった」というタイトルがあるので、イマジンと呟く男はミチルちゃんと結婚する国語の先生。だから、事務職の男が勝手に教室で小説を朗読したという、じつにドラマチックな展開を読者に想像させる。3連目の不良=4連目のイマジンと呟く男=5連目の国語の先生(っぽい人)=7連目のミチルちゃんと結婚した国語の先生。 というわけで、イマジンと呟く男を国語の先生と呼ぶミチルちゃんの子の名前はレノンちゃんで、6連目のレノンちゃんの母親はミチルちゃん。全部、つながった? レノンちゃんは医者が教えたように女の子。1連目のジョンという名の犬の思い出はリボンをつけているのだから女の子。タイトルはジョン(と)レノンは女の子だった。 各連の冒頭では町の地図が描かれていくが、これはロードムービーですよ、という読者へのお知らせ。距離的にはごく狭い範囲のご近所ロードムービーですが、ミチルちゃんと国語の先生の人生が綴られて、最後(1連目)はレノンちゃん視点の思い出なのかな、みんなが思い出になるまでの空間ではなく時間のロードムービーになっている。登場人物のつながりと場面のつながりを辿る際の迂回路はまさに思考の旅路でもある。 サン・ラッサって何ですか?
0なるほどと思いました。僕はタイトルに未練はないのですが、A・O・Iさんはタイトルについて気にして下さっている。その相違が新鮮に思います。僕は全ての詩をフィクションとして読んでいますので、そのタイトルも、よりフィクションしていても良いという考えがあります。タイトルの重要性は、つまるところ、創作物全体の際立たせ方、振り切り方なのではないかと思います。蛇足ですが、書くということと、書いたものを発表することは至極別だと思います。極端な話ですが、インプットさえしっかりとできていれば、ある程度の作品はすぐに書くことができる。そこから時間をかけて推敲をして、差し支えなく読むことができる範囲まで、自分の色(熱量)がきちんと見えたと思える作品だけをこのサイトに投稿するようにしています。リアクションがあれば嬉しいのですが、それが自分の想像していたものと違っていたとしても僕は良いと思っています。なかには自分の考えをしっかりと詩にできている書き手の方、その作品もあって、読み手として意識を完全に掌握されているような思いがします。それを本物と呼ぶのだとすれば、僕は偽物にしかなれないなと思います。 >ここは使いたいと思っていることって大抵じゃまになってたりするので、難しいですよね。 この感覚も新鮮に感じました。上の方で書かせて頂いたことがその理由になるかと思います。 長々とすみません。やりとりをさせて頂けて僕は楽しかったです。僕とA・O・Iさんでは作風も異なり、言葉の経験値も僕は遠く及びませんが、詩作において目指されているところは僕の目のきわにも微かに映っている気がしました。
1ありがとうございます。人や物、ペット?も伏線みたいに書き入れています。視点についてのご感想、語り手の存在というのを僕はあまり意識していませんでしたので、おっとさせられました。考えるということの新しい一冊を頂けたみたいで嬉しく思いました。
0フォークボールは言いえて妙だと思いました。僕がピッチャーで、吸収さんがバッターだったとすると、僕はフォークボールを投げて、一秒もたたないうちにバッターは快音を鳴らし、それはバックスクリーンに吸い込まれて消えた。ピッチャーは口元を帽子で隠す。目がポーカーフェイス。純粋に楽しくて、舌を出して笑っていたから。それを解説者は分かっていて、でも黙っていて、なぜならば僕はその席に座っていて、全てを見たかったから。フォークボールを投げたのは補完だと思いました。それは甘えよりも羞恥に近いと自分で思います。コメントを頂きありがとうございます。
1サンサーラを捩ってみました。 とても詳細なコメントを頂き、時間をかけてしっかり読ませて頂こうと思います。取り急ぎになりまして、ゼッケンさんすみません。
0イマジナリーと新しい論理の創造について、GPT-4に聞きました。 「イメージとメタファーの使用: 詩におけるイメージやメタファーの使用は、複雑な概念や感情を視覚的かつ感覚的に表現します。このような表現は、論理的思考や概念の理解に新しい次元を加えることがあります。」 1.5Aさんの詩は、映像的イメージの関わり合わせ方によって、新しい論理を生み出そうとされているのかと、思ったのです。
0創作方法や、創作についての考え方が違う方と、対等に、その違いを知りたのしめる、こうしておはなしできることがこの場における理想だと思っています。その違いを知ることが自分の創作をより深く覗くことであり相手は相手なりの考えを尊重し自分自身に取り込まれて、自分の創作をよりよく強くさせるのだと思います。まあ創作に間違えはないですから、じぶんを信じて行くしかないですね(^^♪ おはなしできてよかったです。ありがとうございます
13回読ませて頂きました。完璧な分析だと思いました。よって最早書くことがないのですが、イマジンと呟く男はミチルちゃんと結婚する国語の先生。この可能性は僕の頭の中から抜け落ちていましたので、想定の上をいく想像によって、「ジョン・レノンは女だった」はゼッケンさんが紡がれた物語なのでは?、と頭が投げかけてくるような現象が自身に起きました。 みんなが思い出になるまでの空間ではなく時間のロードムービーになっている。このご感想、とても嬉しかったです。本質的に読んで頂けたからこそのお言葉だと思います。3回読ませて頂きましたとサバを読みましたが、本当はそんな回数では済みませんでした。それくらい深い洞察、そして深い時間の中を泳がせて頂きました。感謝いたします。ありがとうございました。
0ありがとうございます。GPT-4の導きは面白いですね。先日書店に行ったら、有名な賞を受賞した小説があって、少しだけ読んでみましたが、嫌な感じはしませんでした。(その方の)前作はその感じがあって読むことができませんでしたが、今作は読めそうだぞという自分の認証を確認できて、でも数ページ読んだだけなのですが、ちょっと嬉しくなりました。この小説にもAIが用いられたみたいです。興味深く思いました。 新しい理論というのは新しい想像なのではないかと思います。それから自分自身の中だけにしかない想像を言葉に変換し、文字として出力すること。映像的というのは、意味を狭めると既視感に近いように思います。他者から見た時、新しい想像と既視感が組み合わさることで、未知の感覚でありながら、映像として知っている、というように。知らないけれど、知っている、そんな感覚が自分でも意のままに作り出せたら良いのになと思います。コメントを頂き、ありがとうございました。
1サンサーラ。検索すると輪廻転生とある。ていうか、上の方で1.5Aさんがサンサーラ言うとる。さらに、さかさんに至ってはイマジンの歌詞を引き合いに出して、この詩は「今日のために生きる人」を書いていると本質を一言に凝縮してる。ちょっと、というか、かなり恥ずかしいんですけど、わたし。他の人の話を聞かずにひとりよがりの妄想を嬉々として書き連ねる狂人ゼッケン。まったく盛大。August will not comeでやらかしたってのに、懲りてない。まあ、ずっと懲りないんだと思う。いや、1.5Aさんが嫌じゃなければだけど。
0こんにちは。ゼッケンさんからコメントを頂くことを嫌がる人なんているのでしょうか(と僕は思います)?きっとゼッケンさんからコメントを頂けた方は皆、そう言って太っていくでしょう。コメントの質はカロリーの高さに比例するみたいですね。近々Natureにも論文が発表されるかもしれません。ちなみに僕がサンサーラという単語を知っていたのは、サンサーラ・ナーガというゲームが好きだったからなんですよね。2の方ですが。あり余る余談でした。
0タイトルも印象的なのですが、矢張りミチルちゃんにレノンちゃんが印象的で、サンラッサと言う地名も印象的でした。実在の地名だそうで、調べる勇気が湧きますし、もしかしたらこの詩のジョンレノンは同姓同名の別人で、ミュージシャンのジョンレノンとは何の繋がりもないのかも知れませんが、矢張り著名なジョンレノンを意識させられてこの詩を読んで見ました。
0ありがとうございます。色々なことを詰め込みながら書きましたので、どれかが読まれた方の心にぶつかれば良いなという下心が、どうか透け出てきませんようにと願いました。ジョン・レノンもどうかそうでありますように。
0ありがとうございます。色々なことを詰め込みながら書きましたので、どれかが読まれた方の心にぶつかれば良いなという下心が、どうか透け出てきませんようにと願いました。ジョン・レノンもどうかそうでありますように。 エイクピアさんにでした。
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