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Z世代はエモになれなかったようです笑
Z世代ってなんだろうね?って聞いて “マジンガーZ” って返ってくるのが私たちの愛です オレンジ色の肉球を突き詰めていくと きっと全部ロボットになるから 愛してるよ、 ちゅっ 私は言います 私は言っています 私は言いました 沈黙して私の頭を撫でています そっと、耳たぶを揉まれるのは気持ちがいいです ところで、Z世代ってなんなんでしょうね? 知りません 知ろうともしません だって大人たちは、きっと私たちの敵なのです エモになれなかったから Z世代は自死を選んだんです かわいそ でも、私はちゃんと動機を知らないで言っています 本当は、私もZ世代らしいけど 私は、何ひとつ バスケットゴリラってゲーム知っていますか? バスケの動画です 黒いユニフォームのチームと白いユニフォームのチームが入り乱れてボールをパスし合うんですけど その途中ゴリラが横切るんです はい、ゴリラ ウホウホの、ゴリラですよ 以前ゴリラの詩を投稿していらっしゃっていましたよね? その、ゴリラです その動画を見る前に、私たちはあらかじめ白のチームのパス回数を数えろって言われています するとね、 ゴリラ、見えないんですよ あんなにはっきりウホウホしているのに、ゴリラは見えません ボールに集中してて、意識から追い出されてしまうんですね いつも私たちはそういうことをしていて、そりゃトトロも見えなくなってしまうわけです バイアス、ってやつですね 私たちはみんな認知バイアスがあるんだそうです 目の前のものの機能を決めつけたり、見えなくなったり、気づいていることを気づいてないことにしたり 気づいてたはずなんですよね、大人も 私も、大人ではあるんですけれど なんだかピンと来なくて Z世代の子どもたちも Z世代の大人たちも ピンと来ていないのかもです 普通にジュースを飲んで、時々ストロングゼロを飲んで、私はほろ酔いしか飲めませんけれど、なんとなく普通に生きていて そしてエモになれなかったんです 評定は比較的秀やAが多くても、若者たちはみんなエモにはなれなくて バズったら、少しだけ許される気がしていて でも、Z世代は自死しました だって、エモになれなかったから エモになれなかったものは、たくさんあります 私のセーター、多分エモになれないです バスケットゴリラも、きっとそう 靴下? 無理でしょ 髪の毛の上に顎を乗せられています ぐりぐりされて気持ちいいです 顎の骨は、うーんどうかなぁ……。 歯間ブラシも、エモになれなかったし 私の歯をきれいと言ってくれたのもひとりだけでした ギターヒーローになりたいって、誰か言うんです スレンダーマンはエモになれなかったし 八尺様もくねくねもそう 都市伝説になってしまったのは、どうしようもなくバイアスがかかっていたからで 機能も、違和感も、全部間違って覚えられていた ファフロスキースで降ってくるのは、そういう子達なんですきっと 降りしきる度に、白いチームがボールをパスしあっています だから、Z世代は自死したんです 息もできなくて、セピア色になり損ねて 雨が降っているのを、切り取りたかったのに なんだか今日の空は汚らしいです ひとりも、外に出れない日もあって 閑散とした街並みはきっとエモいんだと思います 私はね、私なりに愛していますし 私なりに愛をしていますから、きっと大丈夫なんですけど でも、死んだ人は帰ってきませんよ バスケットゴリラにされてしまったんです、みんな 心霊写真とか、酷い話ですよ ずっとそこにいるのに、いないことにして 見えないゴリラだったんです、誰もが だから騒ぎ立てるころには、ファフロスキースは止まなくなっていて Z世代はとっくに自死していたんですよ 視認性の悪い、人たちがいます 悪いっていうか、低い 白いチームのパスに気を取られて、目に入らない人たちがいます もちもちの肉球とか、ふわふわの尻尾とか、そんなこと誰も話してあげなかったじゃないですか 結局、かわいそうなんですね 劣化版って、よく言われますよ 突き詰めていないから、ロボットにもなれなかったんですね きっとエモになれないから、ロボットになりたかったはずなのに クリームソーダとか、フィルムカメラとか きっとみんなエモいからで だからファフロスキースにはならなかった 都市伝説になった人や、注意力テストになった人たちを、視認できなかったくせに もう、 待ってよ 腰に回される手は、指が細いです 爪を綺麗に切ってくれるから、少しだけこそばゆい 肉球を緩めたみたいに、指の腹が暖かい 愛してるよ、ちゅ 私は言っています 私は言われています バスケットゴリラは言われていません だからZ世代は、とっくに自死していたのです ところで、Z世代ってなんだろうね 結局そこに帰結して “マジンガーZ” ……うん、それでいいよね
Z世代はエモになれなかったようです笑 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1463.4
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-09-02
コメント日時 2023-10-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
先ずは、大作をお仕上げになられて、さぞかし大変であったことでございましょう。お疲れ様でございました。 肝心の内容でございますが。 何でしょう、途轍もなく重要な事をおっしゃっているのですけれども、 見えないゴリラとか、心霊写真等。巧みな言い回しの裏に切実な問題が隠れていらっしゃることを理解を致しました。 世代論の話を、個人的にさせて頂きます。 私の世代は、所謂氷河期世代。酒鬼薔薇聖斗やバスジャック事件(ご存じないかも知れませんが)、山上徹也被告の世代に当たります。 透明な存在、という言葉が使われ始めましたのは、多分この世代からであると思われます。 自死するか、テロルに走るか。人によりけりではございましょうが、私の存在の皮膚感覚は、その様な気性にあると、感じ取っております。 さて、ここで問題なのは。例え暴力という形でございましても、私の世代には外部に発信しようという意識が許されていた、否、許されないから犯行に走ったのかもしれませんが。 それが作者様の属する世代、Z世代では、「ロボット」か、「エモ(此方には、なれないと記述されていらっしゃいますが)」、の二者択一を迫られると仰られる。そしてその前者は多分透明、見えない存在なのでございましょう。 とても、残酷な話です。私達の世代の責任をまざまざと垣間見ました様な心地が致しまして、謝る以外に術はございません。 もうしわけございません。私達の世代の問題を繰り越してしまいまして。 何か、途方も無い力で捻じ曲げられてしまった人間精神、そして社会の在り様への、底深い問題提起が記されていらっしゃる様で、思わずレスポンスをさせて頂きました次第でございます。 而して、問題を語ることに拠って解決、とはいかぬかもしれませんが、少なくともディスカッションの契機は産まれる訳でございますから。 とても貴重な貢献を為さって下さいましたことに、ただただ、感謝の念を抱かずにはいられません。 ありがとうございました。 最後に、先ずは何より、没個性からの脱却こそを(それが「だれもなれなかったエモ」に分類されると致しましても、ロボットには殻は破れませんでしょうから)。 この作品を仕上げになられました時点にて、既に作者様は没個性ではない、とは言えましょうが。 操縦されなければ動けぬ「マジンガーZ」では余りにも、悲し過ぎます。 以上、長々と。見当外れな感想めいた駄文を、失礼致しました。
0血の温かさみたいなものが人間性で、エモなのかもしれないなと思いました。以前に買った、『人間とは何か』というマーク・トウェィンの本の漫画版で、人間とは機械である、ということが言われていました。だからこそ訓練が大切である、といういかにもアメリカらしい話が書いてありました。EMOTIONと論理は、二つの大きな人間の考え方の方法なのですし、EMOTIONがあるから論理を超えられるということだと思います。バスケットゴリラも無視される、そんなことを群集でも日常でも繰り返している、悲しいですが、真に見る目を持ち得たら、ほっとする瞬間が増えるのかもしれないなとかそんなことを考えました。人に流されない自我が大切だと思います。詩を感じる心は自分しか持ちえないので。
1こんばんは。 エモの語源にたぶん、私たち、ゆとり世代からそのちょっと上に流行した エモーショナル・ロックがあると思うんですね。 その、細かく言うと、メロディーの綺麗なパンク・ロックから 更に情緒を伴った、ギター主体のロックといいますか。 その情緒を指して「エモいね」って言ってたと思うんですけれど、多分。 認知バイアスのはなしがあるじゃないですか その、エモーショナル・ロックはまあ一応戦っていたわけですよね。 それがZ世代になるとどうやら「戦うな」になった。 しかし、その個人が世間を生き抜くにしていつか「戦う」瞬間は変わらず どんだけ保護や保障に恵まれてもいつか「エモくなる」瞬間を 孕んでいるのではないか?私はそういう認識をしていますけれど その、今、僕は郊外に住んでいますが、高校に通っている人とか みんな雨の日は、車で送って貰える、になってるんですね。 その雨の中をガーって自転車飛ばして ずぶぬれになって帰る、ふるえながら、それが「エモ」だと思うんですよ。 しかし、この作品、いろいろ学習になりました。
0ヒーローでした。
0>靴下? >無理でしょ の前のところまでは引き込まれるように読めました。これ以降、似たような言葉が並び始めて、山型のグラフのように読ませる力が弱まっていった印象があります。Z世代ってデジタルネイティブやソーシャルネイティブとも言い換えられていて、生まれた時から大よそ成熟したネット環境があって、呼吸するようにそれらを使える人達なのだと、言われているみたいですね。筆者の方が感じるZ世代、抽象化されたZ世代に関する事柄、その周囲を取り巻く視点や環境を、上手に織り交ぜて作品に落とし込むことができれば、供給曲線のように、さらに突っ切った世界がこの詩から見えてくる気がします。
0どうも真面目な話を「議論」「会話」のフォーマットですると薄っぺらくなりがちなので、ある種の一方的さを持つ「詩」以外のところでは恥ずかしいのですが、せっかく鷹枕可さんが真摯な感想をくれるとともに生々しい世代の感覚についてお話ししてくれたのでしどろもどろながら私も色々話してみようと思います。 私は世間的には一応Z世代にかするようなのですが、上からの「Z世代は〜」という規定の圧、そして同世代間での価値観の圧みたいなものに、息苦しさとも怒りとも違う、ピンとこなさがあります。「なんだかなぁ」と思うし、同時に「Z世代Z世代って言ってバラエティとかで低い解像度で分析しやがって、ムカつくな」とも思う。でも、それで何かするかっていうと、多分私は暴れることはできないし、人を傷つけることもできない。革命やろうぜって言われても、正直キツいわ〜ってなると思います。だから多分怒り未満の「ムカつき」でしかなくて、私たちは案外平気で、でもやっぱり全く飲み下せてるわけでもない。というより平気じゃないのに平気な気がしてしまって、なんとも言えないモニョモニョした感情になってしまっている。お気持ち表明なんて言葉もネットじゃよく見られますが、理性(あるいは理性ごっこ)を重視して感情を蔑視する流れはいつからか結構あって、この「でも、でもさぁ」が言い辛い。感情を伝えるにはあれこれと屁理屈や論理を捏ねて、正論と倫理に寄りかかった形になってしまう。その流れにもまた「ムカつく」んですが、やっぱり「ムカつく」だけで何か行動を起こすのは無理っぽいんですね。「怒り」まで行ってくれないと。で、その「怒りに行く」がどうしようもなくやりづらい。前述のお気持ちへの圧もそうですし、なんとなく怒ったり中指を立てるよりも笑ったり茶化したりする方がクールじゃんって同世代の空気は感じる。そして上の世代?の人たちからはそういう態度が〜ってまた分析される。風通しが悪いわけじゃないんだけど、何を掴むにも空虚感があるし、いちいち気まずい。そんなことを考えるよりも、エモいウェブ漫画とかアニメを見てエモさを語ってる方がまぁまだ楽しい。でも、やっぱり。みたいなのがある。そんな中で、自分が「エモい何か」になれたら、何かあるかもしれない、みたいな期待感と焦燥感は、私にもあるし、多分他の人にもあると思います。エモい側に行きたい、みたいな。これはあくまで肌感覚の話ですけども。 そういうのひっくるめて、エモになりたいし、本当ななることが必須なわけではないエモい何かに「なれなかった私たち」という自認がある。そしてその辺のことに関しては、どこの専門家もわかったふうに分析するけど、全部全部バイアスまみれで、「そうじゃないんだよ、いやそうじゃないって叫ぶほどのことでもないけど、一応、そうじゃないんだよ」と呟きたくなるような一方的なものだったりする。見えないゴリラのことなんかネタバラシされるまで気付きもせずにボールの数を数えている。というのはしつこいようですがあくまで私の肌感覚として、あります。 そこら辺を踏まえて、鷹枕可さんの世代の話を聞けたのはすごく嬉しいし、他の世代の空気感というものに、指先だけでも触れられたのなら何か変わるのかもなと思います。お互いに。大きなものは、社会かもしれないし、意外と我々の内部から発せられてるものかもしれないけれど、それによってねじ曲げれて、にっちもさっちも行かなくなってしまったことは必ずあると思うので、それに抗うのか、ぬるっと隙間を抜けていくのか、今の私にはわかりませんけれど世代を問わずそれぞれの人がそれぞれの空気感に触れ合って、ちゃんとバイアス少なめで色々言えればもっと良いんじゃないかなと思う。それは楽天的に過ぎるかもしれませんが。 色々とつらつら言いましたけれど、こう言った私と私の世代の肌感覚に関する一連の話は実は全く的外れで、自分のムカつきを全く正確に言語化できてない可能性もあるし、だから詩が必要なんだよな、とも、やっぱりエモになれない私は思います。 あとバスケットゴリラは多分YouTubeとかで見れるので興味があったら見てみてください。一回ゴリラがいるってネタバレされたら多分普通に見えちゃいますけど、ネタバレなしだとマジで見えないんですよ、アレ。
1エモ、エモってなんなんでしょうね。あるいは黒髪さんの言うように「血の温かさみたいなもの」「人間性」なのかもしれないですし、別の何かかもしれない。私にとってはもっと遠い憧れのような何かにも思えます。 ただ、どうであれ「真に見る目」を持って見過ごされたものをちゃんと見なくちゃいけないし、そこに流れてる血のことを知らなくちゃいけない、そうする事で、私たちは確かに「ほっと」できるのかもなぁと思います。
1エモーショナル・ロックとかの音楽用語から徐々に若者言葉やオタク用語へと変遷していった「エモい」ですけど、私がちょうど高校から大学あたりの頃にかけて現代の用法になってきたような記憶があります。今だと切なくて情感のある絵や、レトロでおしゃれなもの、切ない恋愛なんかにも「エモい」は使われますよね。 その上で、なんとなく「エモ」は遠いもの(過去方向か未来方向かは別にして)であるように思っていて、同時に、その概念があまりに身近すぎて結構縛られる部分もあるように思っています。雨の日に自転車で突っ走る、という経験は私もありますが、当時エモいなぁと思ったことはなかったので、多分本当にエモい瞬間には誰もエモを意識してないんでしょうね。
0はい、きっと誰かの
0終盤で前半に使った言葉を再回収したくなるのはある種悪癖なのかなと言う自覚はあって、確かに読み手側からすると退屈させてしまうよな、というのは大いに反省する部分でした。もう一歩、いや二歩三歩、と突き抜けられれば良いんですが……
0しょーじき現ビーレビ内では屈指の天才と思ってるし、読んでて嫉妬することも多いんだけど、毎回なんでこんな長いんだろ。いやこの作品は短いほうかもしれない。実際短いと思ったくらいだ。でも十分長い。いやしかし確固たる必要性を感じて書いているのかもしれない。同じ言葉によるレイヤード等、使われるレトリックもかなり好みなんだけどそれでもやっぱり長い。松本圭二の散文も同じ言葉を繰り返すけど、松本圭二の詩は最後まで長いとか思わないんだよなあ。そこに何があるのか俺にも掴めてはいない。素直に言って嫉妬しそうなのであんまり成長して欲しくはないがもしかすると感がある。
0屈指の天才かどーかは知らんがぷらす天才だったらこの名を継いでほしいが かなりいいライティングだね また読みにくると思う ウホホ クソコメでごめん ふと思ったけどもっとスキルセットがありそうなので 一発抜きの芸ではないマジスイングでいくと
0途中で送信されてしまった まあマジスイングでいくと皆に評価されがち工場かもしれない 一回やってみたらどうか と思いました
0苦手なんですよね….短くまとめるの……あと月3つの投稿だからやっぱりどうしても気張っちゃって、そうすると長くなってしまうと言うのがあります。でも、あれですね…一回短い作品にチャレンジしてみるのはありかもしれない。やってみます。
0褒めてくれて嬉しいです。あとごめんなさい、後半何言ってるかよくわかりませんでした。
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