作品投稿掲示板 - B-REVIEW

澤あづさ


投稿作品数: 14
総コメント数: 298
今月は3作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
2016年文学極道創造大賞ならびに年間最優秀作品賞。B-REVIEW創始者たちの同期の非詩人読解家。あこがれの読詩人はドーキンスと赤毛のアン。物は読まないと書かない。

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作者さまごきげんよう。とにかく推薦文は、こんなテキトーな代物であっても、出さないよりはましなのです。なにもかも自己主張のためとはいえ、作者様のなんらかのお役にも立てば、それに越したことはもちろんありません。特にA・O・Iさんのようなフォルマリストと、わたしのようなテクスト至上主義者は、しばしば相互に奇想天外な異物ですから、劇物級の刺戟になりえましょう。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10511 ↑このコメ欄をごらんいただけたのなら、A・O・Iさんのメタ詩とハート泥棒メッタメタ詩がどれほど違うか、すっかりご理解いただけたと思います。ここでいうフォルマリズムはそういうことです。他人のフォルムに満足できる書き手はフォルマリストになりません、あなたがたは本質的に孤独です。しかし孤独な表現者同士の、共有を目指さない交流も、それはそれでよいものだとわたしは思いますね。 (匿名投稿『わたくしはそこよりうえにある』鑑賞一例)

2024-11-11

A・O・Iさんごきげんよう。わたしはいま某の匿名投稿の鑑賞一例を、7聯から17聯まですっ飛ばさざるをえないほどに多忙です。そんなテキトーな代物であっても、投票期限内に投げないよりはましであるのが推薦文なのでして、そんな諸事情とは関係なく、長い長い長い咀嚼は続いてゆくのでした。さて『葉舟』評のお話です。 >これからも詩的な読解を殺さずに行っていきたいとおもいます(むしろそれしかできないのですが!) 記事にも書きましたが、A・O・Iさんの読解のなによりすばらしい点は、ご自身の詩才が反映しているところです。おそらくこのコメントにも、同じ詩才が顕現しているのです。詩作であれ読解であれ、やるからにはよりよいものを目指したいという意欲が、A・O・Iさんは図抜けていますね。 >今見るとどうも誤読すぎるなあ(_ _;)とかなり感じるのですが、 おりしも先日「誤読とはなんだね」問題を、尊敬する評者と話し合う機会に恵まれ、自分の読解の無自覚な構造について再考しているところです。ネット詩では(詩誌でも同人でも同じだと思うが)めったにないそのような機会に恵まれたのも、突き詰めればあの合評のおかげなのでして、ますますあの神回に感謝せねばなりません。 >この作品「葉舟」はとても複雑で巧妙であります、これから先何度読んでも色褪せない素晴らしいものだとおもいました。 あらためてそのような評価を伺えて幸甚です。詩評の果たすべき最大の役割は当然、目利きですからね。どこの権威の入落選も関係なく、わたしの記憶に残ったからには傑作と、ひとりでも多くの読者様に訴求できるよう精進したいものです。 (拙評「匿名投稿『葉舟』読解一例」改作報告)

2024-11-10

題名をググったとたん、フランチェスカという黄バラに目を奪われました。これはすてきな色ですね。黄バラのろくでもない花言葉を耽美に塗り替えるにふさわしい。よくもまあこんなうってつけの題名を選んだものだと(下記解釈のうえで)感服しました。 自傷を思わせる不穏な詩ですが、まったく陰惨でなく、さりとて軽薄でもなく、描写に(自傷という解釈のうえでは)充分な説得力があり、すばらしい抒情です。ツカミがよすぎて相対的にオチが軽くみえましたが、この投げやりに自傷をやめた感(という解釈)、わたしは大好きですね。 (フランチェスカイエロー)

2024-10-28

【題名について、難しく考えなかった結果いだいた感想】煽りとハラスメントの匂いがして気持ち悪い。精神病患者を含む不特定多数の赤の他人が難しく考えすぎているかもしれないことの、なにをなぜ問いたいのかさっぱりわからない。言うまでもなく、自分が難しく考えたくないからといって、他者の難しい考えを弾圧するのは無意味だ。弾圧した程度で人間の思考が止まるわけのないことを、とっくに歴史が証明している。 それはそれとして詩はすてきだった。わたしは夜盲症で猫アレルギーで非詩人だから、猫を月下に積み上げることはできないが、そんな理由で他人の営為を嘲弄するほど馬鹿ではない。 (皆んな難しく考え過ぎじゃないですか?)

2024-10-28

戦争も戦争式の愛し方であって、一人前の男同士なら認め合えるのかもしれません(うちの夫や弟は無理だと思う)が、亡妻が存命だったらたまったもんじゃないだろうなと思いました。「夫なら戦争に送り出してもいいが息子は無理」というのが世の母親の本音であるらしいのに、夫は自分をだしにして息子を虐げ、息子はタココに殉じて火星へ逝ってしまった。女は三界に家なしとは、言いえて妙な妄言です。男になら家を持てるという迷妄(聖書でいうと創世記2:24「人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」)こそが、少なくともこの詩中では、戦争の根源であるように感じられました。 読後3分くらいの咀嚼でそうした粗雑な一感想を持ちましたが、初見はやや散漫な印象でした。こまかいとこまで気がききすぎてて情報過多なのと、冒頭と結末が容易には結びつかなかったのと、そもそも冒頭が若干寒く感じたのが理由です。寒く思う者も思わない者も、悪印象のゆえ立ち去る者も立ち止まる者もいる、すべて読者の自由ですので、作者様もぜひ書きたいように書かれるべきです。まあとにかく、おもしろく拝見しました。 (火星へ。愛を込めて)

2024-10-27

アンデルセン『赤い靴』の嗜虐性を、極端に強調した引喩のように読まれました。不謹慎な女を罰して遊びたがるヒステリックな世間が、「妖精」の態度に透けてみえます。語り手は被虐に苦しむどころか、罰される自分に酔っているようにみえます。絵に描いたような共依存が、「脇腹に食い込んだメリーゴーランド」に、特に強く感じられます。いろんな意味で「片腹痛い」という印象を受けました。 描写はもっと凝縮できると思いますが、作者様には作者様の意図がおありなのでしょう。わたしは上記の解釈でおもしろく拝見しましたので、一票おいていきます。 (遊園地)

2024-10-27

臨死体験を法悦と呼ぶ人は多いが、法悦と法執は紙一重だと思いますね。A・O・Iさんの読解込みで一票。 (或る男)

2024-10-27

●報告と予告● 上記『葉舟』評の件を運営に問い合わせた結果、「改訂報告のために2本めの推薦文を出してよい」とのご回答を得ました。記事の誤記などを修正したうえで、あさって水曜日に投稿する予定です。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-21

●6月分推薦文改訂(といっても完全新作)公開のお知らせ 拙文「投射、複合(complex)。田邊容『葉舟』」 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html ・上記批評対象『葉舟』  https://www.breview.org/keijiban/?id=13059 ・上記初稿(6月分推薦文)  https://www.breview.org/keijiban/?id=13139 ここでこの難産を、もろもろ派手に語る予定だったが。作者様がお越しのコメ欄で、ぜんぜん関係ない話をべらべら開陳するのは、さすがに(作者様がたのお気持ちの問題でなく)わたしの美学に反する。ちょいと運営に問い合わせてまいりますね。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-20

作者様ごきげんよう、お目に留まって幸甚です。拙評が作者様の向上の足しになれば、それに越したことはもちろんありません。本当に。 いつのだったか運営のツイキャスで、鯖詰さん推しのあやめさんが、かわいいお声で鯖詰さんの魅力を熱弁なさってまして。即刻全作拝見し「なるほどこれがあやめさんの推し……!」と感服しいまに至ります。わたしはテクスト至上主義の暴徒で、ふだん「作品だけ残して作者は消えろ」となかば本気で呪っている関係上、作者様には塩対応ですがそういう次第です。ぜひ以後もご躍進くださいませ! (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-20

スーさんふたたびようこそ。 ( ・∀・)つ目 とりあえず、前レスの不足部分を詳述しますが、 >紙飛行機をくしゃくしゃにする。 >そうして、その紙飛行機だった紙を開くと >紙飛行機の折ったときについた深い折り目目の線とくしゃくしゃの細かい線がたくさん入っていて、紙も手も顔もそれは老齢期のしわの入った皮膚に似たものに見えてきます。ヨネさんの顔や手がすこしみえてくるようですね。笑 >たくさんのしわが入った折り紙はちぎれやすく、紙ふぶきになりやすい。 まじなんだよこの着眼…………。わたしは非詩人なので「なるほどこれが詩才なるもの」くらいしか言えることがない。これがもはや評でなく、詩であることはあきらかである。 ↓以下、茶飲み話↓ >「真に束縛され搾取されてきたのは男性だが、名目上の男性優位を死守するために、女性が大きな犠牲を払ってきたのも事実だ。」 >まさにこの文章にやられた気がします。 わたしは父も祖父も自殺で失っているので、家父長制の真の家畜が男性である件について、熱弁してたら日が暮れてしまう。やむなく割愛するとして、 >「逃避」「抵抗」「旅立ち」 そういや拙評「紙飛行機の紙ふぶきは、門出と追放の両義的な象徴」と、どこかに書いたつもりでいたが。どうやら書いて消して書き足すのを失念したまま投稿してしまったもよう。 この文脈のこの流れにその説明は(作者本人の執筆の)興を削ぐので、よほど書きたくなかったんでしょう。これが集約という読解法の陥穽ですが、陥穽おおいにけっこうですわ。スーさんが書くことを、わたしが書く必要はないからね、これは本当に大事なことですよ。 ↓以下、愚痴↓ 詩は多義だ決定不可能だとほざくばかりで、一読者の一読解を示そうとしないテクスト論が、わたしは大嫌いだ。たとえば「この詩は世界の懐胎を描いている」とか、意味がよくわからないからほかの詩にも使いまわせそうな、どうでもよすぎる構造や、詩は頭でなく知性でなく魂から腸から云々の、それこそ頭でっかちきわまりない詭弁にばかりたわけていて、その詩の多義性や決定不可能性を、実証できるわけねーだろうよ。 ひとつの詩を多くの読者が自分の視座からおおいに語る。これ以外に、その詩の多義複線を実証する手段はなく、ネット詩はその最適な実験場であるはずだった。はずだった! ↓以下、急に深刻に↓ 批評というのは、どれほど妥当な読解に基づく客観的な作品評であっても、評者の主張が先に立ちます。語弊を恐れず言えば、評者にとって批評対象は「持論を説明するための話材」でしかない。もちろん、論評に足る作品でなければ、採りようがないのは大前提としてね。 だからネット詩は、批評の場でなくてもいい、作者と評者でなく詩人同志が語り合ったっていいと思うんだな。スーさんのコメや、わたしの大好物の返詩カルチャーのような、「批評でない読解」がもっと盛り上がってもいいんじゃないかなあ、ひとまず以上! (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-20

ご高覧ありがとうございます。高作(そのコメはもはや評ではない、詩だ!)拝見して猛省しましたが、今回は集約をキメるより、余韻のなんたるかを本気で熱弁したうえで、ここぞとばかりに散種(デリダ)を説明するべきでした。散種とはなにかって、そうこれですよ。 >場面ごとの紙飛行機は非なるものだけど似てるもの 拙評はこれがわかるように書けてないから失格だ。いずれ例によって書き直さんといけませんね。またもコメ欄大量引用で。 そのように再読と再考を繰り返すことで「長い余韻」を実証できるのだから、苦でも恥でもあるわけがない。 * はたして批評対象コメ欄ですが、 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=13500 タバコ屋豆知識は、小ネタすし詰め系評者として見過ごせない開陳ですね。現代詩評の急務はなにをおいても「鑑賞資料」だと、わたしは確信している。 それにしても、今回いらん集約キメたせいでわたしが失念したコンビニの混雑とか時間帯とか、スーさんはA・O・Iさんとまたも着眼の気が合ってるなあと感服しました。 * 【私信】上で予告した『葉舟』評改訂に、スーさんとA・O・Iさんしか入っていない項目を設け、その独創性を絶賛しております。お返詩万歳。被引用感謝。 今週中に必ず脱稿する『葉舟』評改訂を、このコメ欄で宣伝しますことを、ふたたび先立ってお詫び申し上げます。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-14

ご高覧ありがとうございます。拙評は基本、小ネタのすし詰めですが、今回は批評対象の余韻を全力で訴えましたので、肝腎なところにあやまたず立ち止まっていただけて重畳です。ところで、週8日労働とは、なんの幻覚かな??? >爺婆ポエムって理由もなく論外にされがちな気がしますが、鯖缶さんの感性はSNS以降のもので、本質的には可能性の作品でしょう。 そうですね。作者様はたびたび話題をさらってきた書き手で、すでに抜群の安定感ですが、この作品に限っては玄人の目に留まりにくいと思います。スタイルが玄人目には陳腐ですからね。第一印象の悪さは、詩の訴求においては、ほとんど致命傷です。 そういう看過されやすい作品の真価を掘り当てるのが、テクスト論の醍醐味ですから、今回はわたしも自分の読解に満足しています。 【私信】上で予告している前回推薦文改訂に、おまるたろうさんのコメントも引用しております。助かったぜ中上健次。被引用感謝。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-11

●予告とお詫び● 本当はここで、前回推薦文改訂正書版の公開をお知らせし宣伝したかった(※代表に相談のうえご快諾をいただきました)のですが。 ●前回推薦文批評対象『葉舟』 https://www.breview.org/keijiban/?id=13059 ●拙文「投射、複合(complex)。田邊容『葉舟』」(準備中) https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html きのう唐突に新解を思いついてしまい、本文を全文書き直すことにしたので、記事はいまだ準備中です。三連休明けには脱稿する予定で、その際にお知らせのため再びこの記事を上げることを、どうかお許しください。批評対象コメ欄に寄せられたみなさまの読解をたくさん引用しているため、この記事だけは宣伝したいのです。計画性がなくてほんとごめんなさい。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-10

アラガイさんごきげんよう。本当にお互い様といえるのか、ご自分の言動を客観視なさっていますか? たとえばここ半年の炎上スレにおける、ご自分と澤あづさのコメント数に、どれほどの大差があるかとかね。 atsuchan69さんとのお話は、運営のDiscordで終わりました。アラガイさんも同じように、「テイムラーさんのDiscordでの発言についてのお話」を、Discordでなさったらいかがでしょう? あなたの発言に語弊がなければ、わたしがこうして解説する必要もありませんでした。 わたしは前頭葉が弱めでして、見知らぬ赤の他人からオバケきな粉呼ばわりされた程度のことでも傷ついてしまいますが、脳の限界や視覚障碍をかかえながらも努力するつもりです。自分のお気持ち表明にばかり夢中で、他人の感情に配慮できず、反省どころか謝罪すらできない人間にはなりたくないものですね。お互いに。 では、これ以上の個人的な(テイムラーさんの投稿作品と関係ない)お話がもしありましたら、 運営のDiscordか、 Xの @adzwsa か、 弊ブログ文極考のコメ欄にでも私信をくださいませ。 ●ごらんでしたら、運営のみなさまへ サーバー修復おつかれさまでした。迅速なお仕事に感謝します。 (直線25°)

2024-10-03

【念のため補註】 オバサン叩きとテイムラーさんは、もちろんなんの関係もない。テイムラーさんは自律できるし自省できるが、ミソジニストのみなさんはどうなんでしょうねと言いたかった。 (直線25°)

2024-10-03

Discordの現場みましたが、たしかにあの「穢多」は最悪でしたね。あれほど反社会的で非人道的な差別語を、なんの思慮も正当性もなく軽々と使用し、善意の第三者に強く諌められても撤回しなかった。まったくテイムラーさんらしからぬ汚言だった。だから反省した結果、発言の削除に至ったのでは? ところで、先月このサイトの一部スレで大流行したオバサン叩きは、卑怯な陰口ではないのかな? どなたともしれない特定個人への攻撃が、しまいには全中高年女性への差別にすり代わってたよね。ミソジニストたちが総出で調子こいて、一部スレを便乗蔑視で埋め尽くして。罵倒の末路の典型を絵に描いたような地獄だった。 ↓以下、下記サイトに寄稿した拙文より引用。 https://gshinjigen.exblog.jp/30283875/ 「文学極道のもうひとつ大きな特徴に、読者優位の罵倒上等という過激なポリシーがある。教養人にしか愛好されない高踏的な作品でなく、広く読まれるものを目指すために、読者の率直な感想をあえて甘受しようというものだ。この方針は、詩への言及のハードルを下げて合評を大いに盛り上げた一方、悪罵や妄言の横行を許して多くの問題を起こしもした。刺戟的な論争ばかりが、愛され熟読されもした。」 「刺戟への欲求は、エスカレートし否認される。アルコール依存症患者が酒量を増やし続けるように、破滅するまで自分の問題を否認し続けるように。文学極道の一部の罵倒も、明白に病的だった。どんな失言でも甘受されてしまう環境が、罵倒を助長し増長させたことは疑いない。その記録も文学極道の、貴重な負の遺産であろう。正負の両面から記録される価値が、文学極道にはあると信じている。」 (直線25°)

2024-10-03

聯想も小気味よくたいへん潔いメタフィクション(私見)ですが、消化不良な印象を拭えません。冒頭の蚊→文(私見)も回収されないこんなチョロQでは、うんこのように流されて終わり読者になにも残さないまま終わってしまうように思います。そういうクソポエムでいいんだよってご意見ももちろんあるでしょうが、わたしはもっと残便感がほしい。消化不良と批判しながら残便感を要求とは、われながら自家撞着だが、カタルシスだけでは詩は成り立たないと思うのです。 ついでに個人的にはリズムが悪いように思いましたが、むしろわたしの音感が悪いのかもしれません。なににせよ、作者様の詩才はよくわかりました。 (チョロ松Q太郎)

2024-10-02

出典を明示しない引き歌は、「作者と読者が同じ教養を共有している」という前提で発展した貴族文化です。作者も読者も中流以下であることが大前提の現代文学には、基本的には適しません。賢治はともかく最果タヒなんて、現代日本の不景気で多忙でほかにすべきもしたいことも山ほどある大衆には、一切知られていないとみなすのが無難でしょう。読者の知識を試したいだけのクイズポエム、ただの下品な成金趣味で終わらないなにかが要されます。 それでこの作品ですが、惜しいと思いますね。「直線25°」というアイディアは、引き歌のフォルムとして目を引くもので、現代詩らしい「ただならぬ雰囲気」を醸してはいますが、引喩がそのアイディアに見合うほどおもしろくない。内容以前の「結局なにがしたかったのか」がみえる前に詩が終わってしまう。フォルムの作り込みが足りないと思います。 現代日本の大衆を相手取るつもりがおありなら、貴族趣味から降りましょう。アイディアに見合うフォルム/スタイルを、ぜひ練り上げてほしいです。以上、文極レベルの一方的な酷評失礼。(わたしの酷評は期待の表明ですから、もちろん一票おいていきますよ。) (直線25°)

2024-10-02

冒頭の伏線がうまいこと回収されていて、文体も流麗で洒脱ですが、聯想がなめらかでなく伝わりが悪いように感じました。とはいえその伝わりの悪さには、読者側の問題もあると思います。クズではまったくありませんので、筆は折らないでください。 (ジップロックコンテナ)

2024-09-18

紙飛行機はふつう、だれかに飛ばされない限り飛びません。タバコ屋のヨネさんが紙飛行機になって飛んだときは、きっと爺様に飛ばされたのでしょう。ヨネさんを捨てたくせに追いかけてきたのですね爺様は。だからそのばかばかしい爺様が、死ぬ間際ヨネさんに飛ばされようと紙飛行機になったとき、きっとヨネさんは爺様を捨てられなかったのでしょう。 ありふれた寓喩のようでいて余韻が深い。文体も酔える、時と場合によっては泣ける。よい詩です。 (紙、ふぶき。)

2024-09-17

わたしはA・O・Iさんの返信が無礼だとはまったく思いません。お役に立ったなら幸いですし、わたしのほうも批評の需要の調査ができ有益でした。どうか萎縮なさいませんように。今後もよろしくお願いします。 (あとで考える。←いま考えろ!)

2024-08-18

A・O・Iさんへ横。 >「ヘッダー部分に最低でも一つ暗示を入れてください。」←これの意味がわかりません。 「ヘッダー」は見出しすなわち作品題名、あるいはタイトルリスト(画面上部の「読む」を押すと出てくる記事一覧のページ)の表示内容すなわち作品冒頭ですね。作者様の主張はいざしらず、ウェブにおいて「作品の題名と冒頭」が訴求の要であるのは言うまでもありません。実際わたしもビーレビのタイトルリストで惹かれなかった詩はまず読みません。ネット詩は文学とか芸術とかいう以前にウェブ文書ですからね、理念以前の単なる現実として。 一般のウェブ文書では「題名とツカミと目次だけで内容が八割わかるようにしろ」とよく言われます。詩にもツカミは有用だと思いますが、A・O・Iさんのような作風におけるツカミとはなにか考えますとなかなか難題ですね。個人的に、 https://www.breview.org/keijiban/?id=11160 https://www.breview.org/keijiban/?id=13022 ↑この2作は冒頭のツカミが最高だと思います。ご参考までに。 (あとで考える。←いま考えろ!)

2024-08-17

●ご閲覧のみなさまへ これにて澤あづさは当コメント欄を撤収し、改訂正書版の制作に入ります。改訂正書版は運営による6月選評の公開以降に公開し、この記事で告知いたします。その告知に際し、一度だけこの記事を上げさせていただきます旨、投稿者のみなさまにご海容いただきたくお願い申し上げます。 ●運営のかたへ 上記の告知行為に運営上の問題がありましたらお知らせください。 ●本稿にご意見をくださったみなさまへ 批評対象『葉舟』のコメント欄も含めて、みなさまの読解はすべて拝見いたしました。受けた感化を改訂に活かすのみならず、参考文献として紹介もさせていただきます旨、よしなにご了承くださいませ。みなさまと『葉舟』の読解をご一緒できた奇蹟を、おわすなら神に感謝いたします。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-15

言われてみればたしかに、福音書はともかく2コリが新旧どっちかなんて、とっさに答えられる日本人は信者か研究者だけでしょうね。改訂版では出典を「新約聖書(新共同訳)コリント人への手紙第二4:6-7」のように表記します。ご指摘ありがとうございます。 信仰は超自我の礎であり、社会の倫理法令はもちろん、個人の人格からも切り離せません。『葉舟』にはそのゆえ起こる葛藤が暗示されていますので、この葛藤を要因とする社会問題も垣間見えるでしょう。本稿はそこまで踏み込みませんが、聖書信仰を熟慮する契機になりましたら幸甚です。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-15

「罪」のヘブライ語の原義は「的はずれ」ですから、「神の意志に沿わない」でも誤訳ではないと思いますよ。もっともわたしがその定義を聞いたのは、キリスト教三大異端のひとつと名高いエホバの証人の集会ですが。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-14

語り手の信仰というのは、下地(舞台設定?)より人物像(キャラ)に属する事柄だと思うのですが、そういう話を持ち出すとまたもあの悪夢・詩と小説の違いうんぬんが再燃しそうですね。応援ありがとうございますっ (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-14

A・O・Iさんようこそ、芋虫に愛憎は感じない派でしょうか。女の子の足の指が芋虫みたいって、わたしはかわいいと思いこんでいたが、まじめに絵面を想像したらちょうグロいですよ。さて、 >土を起点においているのだとしたら、骨も肉も、芋虫も、循環にあたるものなので、兄にとっては生命として自然に思われることで。その循環自体が愚かであると、言っているのではないかと、私は感じます。 生命の循環というのは仏教思想、あるいは自然科学の常識ですね。しかし聖書信仰において、人の命は永遠であり循環しません(ちなみに人以外の動物は永遠ではありません)。語り手が聖書信仰の家庭に育っていることが作中に明示されている以上、その明示に沿うのが妥当とわたしは考えます。 聖書において「土」は人の材料です。「肉」は「霊」のいわば器であり「罪」の源です。「罪」とは神の意志に沿わないということですので、「愚か」とほぼ同義です。以上を踏まえると、下記引用部の印象が、だいぶかたまるのではないかと。 >>振り向くと、かなはもう半ばべそをかいていた。足を止め待つ。待つ姿を見、口元をひきむすんで、肉と骨にまとわれた一歩。すべて愚かに思えた。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-14

上の返信もスパムーチョさんに宛てていますが、改めてご高覧ありがとうございす。『葉舟』コメ欄での読解はつぶさに拝見しており、大いに驚かされていますが、もっとも衝撃を受けたのは妹への「芋虫呼ばわり」に悪意を感じるという点です。言われてみればたしかに、女の子の足に対し奉って芋虫はないですよ。なぜこれが愛情表現だとわたしは思いこんでいたんだろう。自分のデリカシーのなさに仰天しました。 ちなみに、説明不足のうえ伝わりが悪すぎたと反省しましたが、本稿が注目しているのは旧約聖書でなく「聖書信仰」です。現に新約聖書も併読を推奨しております。キリスト教は土着の文化を否定し破壊する宗教ですから、たとえばA・O・Iさんのご指摘にあった七夕も、語り手の家庭では異教の祭として禁止されている可能性がある。題名の『葉舟』には、そうした事情が暗示されているように思いますね。 参考までに、終聯の「器」について、併読推奨し忘れた新約聖書の記述を貼っておきます。 「「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」 ※新共同訳聖書 コリント人への手紙4:6-7 https://www.wordproject.org/bibles/jp/47/4.htm#0 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-14

※以下一部、スパムーチョさんへの返信も兼ねます。 『葉舟』のコメ欄、すでに作者様がご登場であるにもかかわらず、ますます読解が盛り上がるとは奇跡的な事態ですね。さすが田邊容さんのご恩徳です。テクスト論が盛り上がるのに作者様のご歓迎が不可欠なんて、無念なまでの矛盾ですがやむを得ません。 わたしは読解が自由だとは思わない。唯一の正解がないからといって、当否がないわけはないし、是非や巧拙が問題にならないわけもない。今回こうして多くの読解を拝見でき、学びの機会に恵まれたことを、本当に幸せに思います。 (余談ですがわたしの批評は、文脈を読まない印象論者に、アクロバティックとたびたび揶揄されます。本稿が妥当性を真摯に追求しており、奇を衒っていないことは、文脈を考証できるかたには理解されると信じております。) おまるたろうさんもスパムーチョさんも、失礼ながら、わたと同様にネット詩の鬼子とお見受けします。今後、生きてるだけで発狂されるような艱難があるかもしれませんが、強く生きていきましょう! (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-14

>わたしのホームは美術なんですけど、あっちの業界は、おっしゃるような電波だけで構成されてますよ...とりあえず、藝大関係者とだけは関わってはいけない(真顔) ……………………。 以前SNSで文極投稿者の藝大生(だったと思う)をフォローしてたとき、TLにうんこの写真が連打され閉口した記憶がありますけど。まさかおまるたろうさんの別名義では!(濡れ衣であってほしい) >「葉舟」ですが、読み手たちのハードな意見が集まってきている 批評対象のコメ欄が賑わうのは、推薦者として至上の栄誉です。投票結果は確定しましたから、6月の選評のトップ(最多投票数)を『葉舟』が飾るはずですが、まさかこの盛り上がりが無視されるってことはないでしょう。運営のどなたがどんな選評を出すのか楽しみです。万が一またも去年のアレみたいなのを…………(以下自粛) ●以下、まじめに『葉舟』の話 >読んですぐにおもったのが、中上健次に似てるなという点でした。この作家もど真ん中の「父殺し」の系譜の作家です。 >たしか「地の果て 至上の時」だったか、重機やシァベルに囲まれて、主人公が、ほとんど崇拝的な、ほとんど自我から逸した状態で主観を述べている場面がある。そこで、「土方より清い存在はない」という真理告白をする。ここらへん似てるな、と思ったですね。 中上健次はノーマークでしたが、そんな武者小路実篤みたいな思想の作品もあるのですね。『葉舟』のコメ欄でスパムーチョさんがどしょっぱなから「百姓」ぶっぱなしてらしたのも、その「土方」の影響だったりするんだろうか。 終聯の「土にならないものに目をくれてはならない、行って、行って、知らないと言え」を説明できる文脈が創世記しか思いつかないというのが、拙評の現状ですが、もっとクリティカルな材があれば乗り換えたい。ユングのカイン・コンプレックスのせいで父殺しの説明が面倒になるし、ある特定のカルト宗教が……。 >6連目はじめですが、いったい、なにか言いたいのかよくわからなかった。 批評の課題を頂戴できてうれしく思います。そこは、母と妹についてどういう前提を仮定するかで、意味がまったく変わってしまう部分ですね。 >>大事にしたらないかんぞ、父が言った。わかっていることだった。だから信じもした。だがあんたが、信じていたなら、どこに言うことがいった? ここに限らず『葉舟』には、主語目的語を削ることで意味を二重にしている文章が多いわけですが。ふつうに考えれば「大事にしたらないかんぞ」の目的語は妹ですよね。兄が妹を邪険にするから父がそれを諌める、父が息子の理性を信じていたなら諌める必要などなかったはずだ、と。 しかしたとえばその父が、聖書信仰の家庭にあるまじき不倫男で、語り手の実母と離婚したあと浮気相手の継母と結婚し妹が産まれたんだとしたら? この「家庭に関する叙述が思わせぶりすぎて混乱する」点が、わたしの思う『葉舟』の最大の難点です。これは作者様の解決するべき課題なのかもしれませんし、詩人同士で議論する価値もあるかもしれませんね。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-12

上記のおすすめはこれです。リンチが扱われてたかは失念しました(!)が、映画の話は出てきます。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E8%AA%AD%E3%82%81-%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF/dp/4314010363 しかしAmazonのレビューではあまり評判よくないですね。もっとよいラカン入門書がおすすめされてますけど、たぶんわたしにはそれも無理だしいいわジジェクで。 これはまったく個人的な経験に基づく私見ですが、ジジェクのやばさについては、引用者のやばさと混同されてる部分も大きいような気がするのですよね。わたしが文極に偽フェミニズムを投稿した際、悔い改めろと粘着してきた電波オブザ電波も、ジジェクを引用してましたからね。やつはその後たしか痴漢を礼賛する詩を投稿して、文極を出禁になったはずです。電波に引用されたらどこのだれのなにだろうが電波にしかならない、他人のふり見てわがふり直さねば。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-12

この機会におまるたろうさんへ。atsuchan69さんのスレで話題沸騰のラカンですが、本人より弟子のジジェクの解説がおすすめです。わたしもラカンは無理ですわ。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-12

>父=神というのは聖書ではよく知られている喩えですが、フロイトの場合はボクから言わせるとスペクターもしくはショッカーなので、こうした解釈はやはり【label】貼りかと、、 そうまさにレッテル貼りです。レッテルだとわかっているのに貼ってしまうからコンプレックスなのです。たとえば聖書は天才の論理と名高いが、論理が自身の正しさを保証しないことは、聖書信仰が生んだ多くの罪(原義は「的はずれ」)を例示するまでもなくあきらかでしょう。罪とは誤謬、誤謬は人間性です。心理学はその人間性を相手取る学問です。 誤謬を恐れるなら読解はするべきでないということになりますね。現に多くの現代詩評が、読解恐怖症に陥っています。知的に見せかけるために内容への言及を避けるので、ほかのどの作品(あるいは作者)にも指摘できるような空疎な話しかできない。そんなことだから現代詩もその批評も「別に難しいことを語っているわけではないのに、意味がまったくわからない」と言われるのですよ。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148255824 ↑わたしはこのチエリアンを心の師として、「読みさえすれば意味だけは確実にわかる批評」すなわち読解を志しているのでした。 ところでフロイトの古典心理学は、現代人の経験則や日本人の宗教観からみれば、到底理解できない暴論に違いありません。それでたとえばエディプス・コンプレックスに関しては、ハイデガー等の影響を受けた現代的な解釈がなされています。大人気ガタリの『アンチ・オイディプス』がオイディプスへの関心を深めたので再評価も進んだのでしょう。批判の重要性のよく分かる事例です。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-12

ご再訪ありがとうございます。拙評の理解しがたい点について、信頼する評者からご指摘をいただけるのは、本当にありがたいことです。つまりなにもかも本稿が、もろもろ無駄すぎる配慮により心理学的な説明を忌避したのが悪いとはいえ、読者様のお言葉を引き出すのも批評の役割。このご再訪も大きな成功といえましょう。妥当な論評でさえあれば批判も大歓迎しますので、なん度でもご再訪くださいませ。 * すでに述べた通り「父殺し」は、フロイトのエディプス・コンプレックスの現代的な解釈です。この文脈における「父」は「神=法」の寓意です、キリスト教の神が「父」と定義されることから生じた寓喩です。すなわち『葉舟』における父殺しは、語り手が神を信じられず葛藤している点に、もっとも色濃く表出しています。 語り手が神を信じないのは、亡母を死から救わなかったから、「自分から母を奪ったから」ですね。この「自分から母を奪う者」が、父殺しの文脈では「父」に擬えられます。『ハムレット』の叔父がその一例とみなされていますので、『葉舟』の妹も同様にみなしえます。 母はすでに亡く妹は母を知らないとわかっているのに、妹が自分から母を奪っているという逆恨み(妹さえいなければ母を取り戻せるという誤謬)をやめられない。この矛盾が心理学ではコンプレックス(複合)と呼ばれます。『葉舟』の文脈を埋め尽くす両義的な修辞と両価的な吐露は、まさにコンプレックス、「日に透く葉の裏表のよう」な複合の象りです。 * 以上は言うまでもなくわたし個人の読解であり、作品の問題でも作者様の責任でもありません。それへの苦情をこのコメ欄に書き込んでいただけるのは、わたしにとり大変ありがたいことであるのはもちろんのこと、作者様にも望ましいことであろうと考えます。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-12

ご高覧ありがとうございます、過分も過分の賛辞を賜り恐縮です。 >何処が、具体的に何に繋がって在らせられるか まさにそれを示すのが目的の構成でしたので安堵しました。冒頭にもっとも難解な部分を置くことには不安もありましたが、『葉舟』の読者になりうる人はそもそも限られているのだから、批評もその限られた読者の高い要求水準に応えるべきでしょう。批評なるひとつの文学を目指し精進いたします。 ところで旧約聖書。むかしは海外文学の必須教養だったのが、最近は旧約自体をラノベ感覚で楽しむ人も増えているようです。たとえばわたしの偏好する中世のアーサリアンには「サムソンの力とソロモンの智慧とアブサロムの美貌を併せ持つ騎士」といった賛辞が頻出しますが、最近はウェブの「聖書のイケメン特集」みたいな記事で、エサウの名を見かけたりするのですよ。政教分離の威光に感服しますね。そりゃヤコブよりエサウのほうがいいに決まってますよ現代的な感覚では。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-11

ご高覧ありがとうございます。本稿が鑑賞の資料として役立ったうえに、カイン考の契機にまで成り上がったようで幸甚です。わたしもまさかカインとアベルなんてものが、最後の最後で唐突に表出する(そうみなさないと終聯の説明がつかない)とは思いませんでした。この可読性マイナスの挑戦的すぎる芸術性、わたし大好物です。 しかしatsuchan69さんの読解を拝見し、いま悟ったことがあります。わたしの読解の核心はあくまで父殺し(フロイトのエディプス・コンプレックスの現代的な解釈)であって、ユングのカイン・コンプレックス等とは一切関係がない旨を、改訂版では明瞭にせねばならん。もろもろ無駄な配慮から心理学の用語を忌避したため、修辞が一貫性を欠いたようです。人様の修辞を評する前に、自分の修辞をどうにかしないといけませんね。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-11

ご高覧ありがとうございます、ご参考に足りたようで幸甚です。作者の匿名様は、A・O・Iさんがおっしゃってた通り文体一目瞭然ですが、わたしが昨年かいた推薦文の作者様と同一人物ですね。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-70.html ↑本稿もこのような改訂正書版を外部に出す予定ですので、有用だった部分や理解できなかった部分を教えていただけると助かります。父殺しの件も男性性の件も、もろもろの配慮からかなりぼかしましたが、需要があるなら思い切った詳述を検討したい。 (たとえば、語り手の家庭の宗教をある特定のカルト宗教と仮定すると、読解が真っ黒に染まってしまうのです。その真っ黒なのと特定の宗教を、安易に結びつけたら差別です。宗教を核心とする作品の論評には、そういう難しさがありますね。) それにしても、 >全編ねじれた詩的言語で書かれてて、読みが、どうしてもテクスチャーの方にひっぱられがちで、 テクスチャー、気になりますよねえ、詩の神だって細部に宿りますからね。まさに「日に透く葉の裏表のように」(初聯)両義的な修辞がこれでもかと陳列されているのの、題名を含む一切を無視したまま父殺しうんぬんなど、やはり無理があるといま悟りました。粛々と改訂を検討します。 わたしがビーレビで出す推薦文は、特権投票のためのほぼ下書きです。需要を供給できるよう精進したく存じますので、ぜひ今後もよろしくご指南くださいませ。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-11

おりしもきょう自ブログのコメ欄に好きなおにぎりの具について書きましたが、通知の返信がどこにあるのかもはやわかりませんよこのカオスは。そのうえわたしは10日までに推薦文を仕上げねばならず多忙です。とりあえず所見のみ。 アラガイさんの田中宏輔さんへの意見そのものには、大きな誤解があると思いますし、わたし自身は賛成しません。いっぽう単なる客観的事実として、田中さんの文極でのふるまいに関するアラガイさんの指摘は、おおむね事実に即しています。田中さんは詩壇にも名の通った詩人なので、文極では調子こいたやからにからまれやすかった。それら粘着への反応が過剰になることや、粘着に過敏になるあまり粘着でない人を誤解することがままあった。つまり過去に問題行動があったのは事実ですが、ケムリさんやいかいかさんのような罵倒家とは違いますから安心してください。またアラガイさんは田中さんの敵ではありません、むしろ愛読者ですからこれも安心してください。 ソースはあるので11日以降なら出せますけど、出す必要あるのですかね、田中さんご本人がアラガイさんを糺弾しているわけでもないのに? うちのマストはおかかと刻んだベビーチーズの焼きおにぎりです! (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

ご本人の詩作を存じているとすさまじい説得力ですね。わたしも谷川の詩より田中さんの詩のほうが好きですが、「あざとい」という評言が苦手な点で、テイムラーさんにも共感できているかもしれない。てかテイムラーさんもメンタル強いなうらやましい。 自作をだれかに嫌われるということは、べつのだれかに好かれる可能性があるということ。わたしはメンタル最弱ですが、万事それで納得できるような気が最近しています。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

この機に乗じて、鳥さんのお作に対する田中宏輔さんの名評を貼っていきます。わたしが文極でもっとも度肝を抜かれ、感服した評のひとつです。 ●鳥さん『犬』 http://bungoku.jp/ebbs/20131111_978_7133p ●田中宏輔さんの評 http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=384;uniqid=20131111_978_7133p#20131122_152_7133r 「俳句や短歌を見飽きた手法と呼ぶひとがいるかもしれない。しかし、ぼくはそういうタイプの書き手ではありません。この(橋と雨の)2文字に限定された厳しさに、作品が引き締められているのを感じます。たしかにこの手法は、いままでにありましたが、ぼくには才能が感じられます。まあ、才能を感じる感じないは、読み手側の問題でもあると思います。イマージュが喚起されるかどうか、それは、読み手の知識と経験に大いに依存するものですからね。ぼくはたいへん刺激されました。」 詩にせよ評にせよ、作品で示すしかない。わかる人にはわかるように作るだけだ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

ご返信ありがとうございます。おりしも「湯煙さんってケムリ論かいてる最中には打ちにくい筆名だなー」と思ってたところで、よい情報を得られて重畳です。2016年の文極は、大改革期にビーレビの揺籃期も重なってカオスでしたね。 高作『記憶を作る』は逸品です。ぜひビーレビでも読まれてほしいです。 ※再掲:http://bungoku.jp/ebbs/20200911_882_12106p 浅井康浩さんの評、個人的には苦手(※詩は好き)なのですが、湯煙さんのお作のなかでは輝いてみえました。引用の活きている作品は本当に好ましい。 谷川俊太郎の件にはわたしも驚きました。ダーザイン氏とその追従者の声が大きすぎて見誤っていたけれど、文極ではアンチダーザインのほうがむしろ主流だったようですね。実に文極らしい実態です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

…………その最強メンタル、すさんだおばちゃんにも会得できたらいいのに………… (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=13098 以下、上記スレでいただいた返信への返信です。 >!そうだ。どちらかといえばアポフェニー精神病理学の分野ですね。ポスモ?ポストモダン。現代思想ですか。ローティだな。 なんというおしゃれな返し。わたしなら絶対デリダを繰り出すであろう文脈だがローティ、ローティね、かしこさが5あがった。 分裂の発祥はガタリですが、以前ガタリの名を見ただけで発狂する者に粘着され迷惑したので、今回「ポスモ」にしたのでした。しかしアラガイさんからもろもろ学びましたので、以後再び「ガタリ」に戻すつもりです。ありがとうございました。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-06

>精神病理学なんてコメントしたら作者様に於かれましては何やらぬ怪訝な思いをされるかも知れない。はやく書いて置けばよかった。澤さんもおっしゃっておられるように、これは作品から得られるテクストを基に介した読み手の情報というだけの話しなので、どうぞ作品と作者ご本人とを切り離してお読みくだされば本望でございます。 書き忘れてたコンプラをアラガイさんが完璧に書いてくれてた。お手数おかけしました。これ以上の返信は作品と関係ない話になりますので、雑談スレに書き込みますね。 (リボルバー)

2024-07-06

>内面的な描写を強く意識すればこの詩は夢と現実を乖離分裂させてみているのかも知れない。悪夢から逃れたという願望で。ロシアンルーレットの弾を外したい。タイトル「リボルバー」とは、つまり運、運命を指す意味なんだ。 わたしは詩に絶望ばかり求めてしまうたちなので、そんな発想ぜんぜんなかった。人様の読解最高。 ※註※ アラガイさんのおかげで重要なコンプラを思い出したので註記しますが、上で述べた乖離とか分裂とかいうのは、病理ではなくポスモの概念です。 (リボルバー)

2024-07-05

乖離(同一性拡散)や分裂(統合不全)の強く匂う寓喩、自害や失血を思わせる選語。いかにも病的で不穏な印象を受けました。(この印象が作者にとって不本意な誤読であるなら、その不本意を回避できるよう改訂することをおすすめします) 病的で不穏な表現への言及は、品性を問われるので憚られます。特に乖離や分裂は過当競争の話材なので、要求水準も跳ね上がります。評価を得るには不利な作風ですが、論評に充分に値するよい作品だと思いました。寓喩が独善的でなく、スタイルが洗練されていて、可読性と芸術性が両立しています。特に「わたしはいつもコピー用紙で/空をあおく、あおく、磨く。」のくだりは圧巻の描写です。 (リボルバー)

2024-07-05

高校国語に田村隆一とは驚きですね。おばちゃんが乙女のころの高校国語に、漢詩以外の詩などあったろうか。大学入試の設問もずいぶん様変わりしたんだろうなあ。 ダーザイン氏の偏好について、上記以上のことには理解が及んでいませんので、詮索しないでおきますね。上記でわたしが紹介したかったのは、谷川が文極で創設者(いわば権威)の偏好など関係なく評価されていた事実、そして谷川の詩から生まれた文極の詩です。どなたかのなにかしらの参考になれば重畳です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

ごきげんよう文極警察です。 (谷川俊太郎、いま国語の資料集にしか載ってないのですね。おばちゃんが乙女のころは、中一国語の教科書が谷川からはじまってましたけど) >文学極道ではどんな話題でも名前は出ていなかったし、ここでもあまり谷川俊太郎が引き合いに出されることは見たことが最近までなかったけれど……。 文極の掲示板で「谷川俊太郎」を検索してみたところ、もちろん評判は上々でした。出てくる話題のほとんどが、アラガイさんのような具体的な賛辞、あるいは熱心な引用です。わずかですが「初期はよかったけど最近は……」といった半批判もありました。 ただ、創設者ダーザイン氏は谷川を忌み嫌っていたそうです。理由はよくわからないというか、わたしの理解の及ぶ領域ではありませんが、作者が気に入らないので作品を読む必要はないと思っていた様子です。 では文極より「谷川俊太郎を引用している作品」をお送りします。 (敬称略、年月日順、○は随想) ○鳥『詩に関する私の原初の記憶について』 http://bungoku.jp/ebbs/20130611_111_6919p ●ヌヌ対『治癒/息ル』 http://bungoku.jp/ebbs/20161107_601_9248p ●霜田明『残寒の詩』 http://bungoku.jp/ebbs/20180409_393_10371p ●完備『dotakyan』 http://bungoku.jp/ebbs/20181201_934_10927p ○湯煙『記憶を作る』 http://bungoku.jp/ebbs/20200911_882_12106p …………あれ、湯煙さんと鳥さんて同一人物なんだ。 ↓文極警察ブログ https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-category-11.html (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

AIは前衛的な詩に好意的だが解釈には慎重である旨を、二兎さんの詩のコメ欄で、atsuchan69さんが検証してらっしゃいますね。 https://www.breview.org/keijiban/?id=12881 どうやら読解の視座は、情報が少なく偏っていないと得られない。ゆえに二兎さんのようにスタイルを尊重し、散種(≒差延)的に臨まないと、誠実な品にならない(誠実とはもちろん、作者でなく作品に対して)。ちなみにわたしの信条上、読詩は作者への詮索ではありません。一読者の自己一表現の一完結です。ご指名ありがとう。 (Triumviratus ; A・O・I ; et Deux)

2024-06-23

話がきみとぼくに終始し自己完結するような展開が、むかしセカイ系と揶揄されていたと思いますが、そのきみぼくセカイ系を破壊せしめる第三者が神/父=世間です。セカイならぬ世間にあって、人は個別の名を要する。きみと呼んでもだれのことだかわからず、だれにも振り返ってもらえませんからね。そうした世智に反して詩歌、あるいは愛というやつは、どこのだれだかわからないため客観的には非実在も同然である「きみ」を、ひたすら主観的に呼び続けるのだ。 つまり、作中の「きみ」は、父親である語り手のまだ小さなお子さんなんじゃないかと思いました。お子さんがかわいすぎて父性が迷走しまくったあげく、よく眠れそうでなによりです。 (3分の1がない世界で)

2024-06-23

「 いろんな夢(イマージュ)に飽きて、ぼくは煙をあげて遊ぶ。 」 この引用と冒頭から登場のタバコは実際たまげましたね。わたしはイマージュとひたすら戯れたい、読解に筋を通さないと気がすまないという悪癖女ですが、その限界を見せつけられたあげく、上のおまるたろうさんにまで訓誡された気分です。もちろん反省はしないのですけど。 * で、この批評を拝見したことにより、たったいま開眼した読解の断片ですが。この批評対象は「貧血で血の気が失せ、血の通わない人形のようになり、自分が自分の人形劇で踊らされている」ようにみえますね。 「ト書きで始まり 心に映るようすなのだ」などの詩句から、なにを言っても芝居がかり本音が形にならないといった心情が窺える。「溶血作用」「錆色」「発赤」などの詩句が、貧血の諸症状を思わせる。その情景の核心が「鉄」にある。 「 ここまでの詩句で質量を持つものは2つしかない。 「灰」、そして「鉄」  (中略) そのため、「鉄」が文字通りここまでの詩句の重心となり、 (同じ4行目の)「手のなる」ハンドクラップの軽さと対比する形で 一気に詩句を読み進めさせる。 」 この「鉄」、赤血球とスティールブルーの掛詞(?)。これをもって批評対象の全詩句に、自分なりには悪癖の筋を通せるような気がしてきました。人様の批評最高。 (Triumviratus ; A・O・I ; et Deux)

2024-06-23

ああテイムラーさんはハルキストなんですね。でしたら『窯変源氏物語』は、貴重な時間を費やす価値がないかもしれません。美文といってもラノベに近いタイプですから、ハルキストには向きませんし。そのうえ訳書研究書にもなりませんからね。 春樹について、テイムラーさんと論点を共有できているか不安ですが、わたしの周辺には「内容が軽薄だから嫌い」という人が多いですね。でも春樹ほど日本語のうまい存命作家なんてめったにいないし、詩人なら散文詩の手本として、ぜひ見習うべきだと思いますよ。 自分の好きなものを他人に否定されたからといって、嘆く必要はありません。だれかを持ち上げるために、ほかのだれかを貶す必要もありません。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-22

澤あづさの名は文極以外のどこにもありませんし、そもそも詩人ではないのですが、そんなのまでもアレなんですからネット詩の風は冷たいですよ。しかしおっしゃる通り、その境遇を楽しむこともできるでしょう。おまるたろうさんもぜひ、歩く抑圧よばわりにくじけずご躍進ください。 スレも上がらなくなりましたし、今回の件はこれにて最終便といたします。機会がありましたらまたお声がけくださいね。 ※最後に執念深く追記しますが、もし例の批評に着手なさることがありましたら、ご一報いただけますと幸いです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-22

橋本治の美文といえば、個人的には『窯変源氏物語』です。訳書研究書としては使い物になりませんが、間違いなく美文ですし演出もあざやかでおもしろいですよ。ちと心理描写がくどすぎる(つまり原作の思想を尊重してない)ので、好みも評価も分かれるでしょうけど。 ご興味がわいたら試し読みは、11巻冒頭の「雲隠」がおすすめです。紫式部日記に基づく式部の語りで、今年の大河とはまったく異なる解釈が得られます(伊周が源氏のモデルだとか、式部も定子に憧れていて少納言に嫉妬していたとか)。雲隠が気に入ったら7巻(玉鬘七帖)、7巻も気に入ったら通読を検討がよろしいかと。高いので図書館でどうぞ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

いやはや貫之の件は失礼しましたが、おまるたろうさんが人麻呂を再考するきっかけになったのなら、間違った甲斐があったというものです。わたしは趣味で詩評をしているのに、最近の評論を追えておらず、貫之の六歌仙への罵倒などを援用している始末ですので、最近の論客について教えていただけるのは助かります。 おまるたろうさんも衒学的とか、生きてるだけで抑圧的とか、心外きわまりない罵倒を浴びやすいタイプかもしれませんが。お互い強く生きていきましょう! (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

話が噛み合わず嫌がらせに聞こえてしまっていたら申し訳ない。安倍なつみの写真集の話は、万太郎さんのナンパクラブ等の釣りへのエアリプで、おまるたろうさんの作品の話ではありません。 (ついでだから安倍なつみの件を詳述しておきます。その写真集は、あいだみつをのような著名人から盗作したにもかかわらず、制作関係者がだれもみつをの詩を知らなかったから、出版に至ってしまったわけです。これが大衆詩の現実で、現代詩を笑えないと述べたかった。みつをは書が売れたから詩も注目されただけ。安倍なつみの写真集は当然、写真がなければだれも買わない。) わたしは自身が主として引用のコラージュで詩作していた人間ですし、ポス構の奴隷ですから、著作権を侵害しない範疇の引用を否定するつもりは毛頭ありません。そして申し訳ありません、上で「ネット詩人どいつもこいつも李白や人麻呂をまじめに読んだとは思えないと詩誌に書かせていただいた」と述べたかもしれませんが、人麻呂じゃなかった貫之だった。 最後に、わたしがナンパクラブに釣られたせいで、おまるたろうさんの文脈をまともに読めなかったことを、改めてお詫びします。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

そういえばゼロ年代、某アイドルが写真集に自作と称してゴーストライターの詩を載せたら、ほとんどが盗作だった(みつをの盗作もあった)という事件があった。示唆が深い。 * わたしは昨年亡くなったクンデラやマッカーシーの奴隷でして、文学を年代で分類することには、どうもまだ合点がいきません。そんなおばちゃんの当てにならない予見ですが、高校生の会話が詩と化すような民主主義社会は、相当なディストピアなんじゃないでしょうか。そのような社会では、全政治家の全演説も進次郎構文と化すような気がひしひしとします。 それというのも、かつて詩歌は政治的な教養でした。漢詩は科挙の必須課目でしたし、近代以前の欧州にも韻文を嗜まない官僚はいませんでした。いま大河でやってる平安時代の貴族社会でも、詠進が出世を左右することがざらにありました。 仮にいまそのような、詩が政治的な権威をもつ社会が到来したとします。野心家は、天皇に詠進したってなんの利益もありませんから、国の主権者たる大衆に訴求するでしょう。それの普及した社会では、ポップスが国語の教材として児童生徒に強要されるでしょう。高校生たちはポップスを、芸術も教養でもなく「アジテーションの技術」として学ぶことになります。どう考えたって超衆愚ディストピアですわ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

若人がわざわざ詩をやる理由、わたしが文極とその周縁で見聞きした限りで、もっとも腑に落ちたのはこれでしたね。 「うんこと同じで、たまるから出さざるをえない」 あとよくわかりませんがアラガイさんに、外国語の詩について所見を述べろと言われたような気がするので、下記のひとりごとをおいていきますね。 *以下。ひとりごと* ダーザイン氏の基礎教養を文極で掘ってきた。 http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?p=4396#4396 http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?p=4399#4399 これだけは言いたいので引用しておくぞ。 「飯吉光男[原文ママ]さんあたりが何か良い総論を書いていませんか? ツェラン翻訳もツェラン論もとても良かった。中村朝子の文才の欠片もない酷い翻訳にはびっくりした。」 中村訳は訳書というより研究書で、原詩に当たる際には重宝する。ただ訳詩に原題が載っていないので、原詩に当たろうにも探すのが一苦労だ。ツェランの原詩は全作ネットで無料で読める。読んで本当によかった。特にデリダの批評と併読したものは、デリダのレトリカルすぎるフランス語と相まって二重の異次元を堪能できた。わたしはフランシス・ジャムの名を田中宏輔さんの全行引用詩ではじめて知ったほどのあほである。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

すでに述べた通り、テイムラーさんの趣味はしぶいですよ。詩には若いうちしか発露しない才能があると思いますが、テイムラーさんはそういうタイプの書き手ではないってだけ。まったくもって若人です。 (以下、おまるたろうさんへの返信も兼ねます) 結論からいうと、罵倒家をみてあんなふうにはなりたくないと決意するのは、完璧に正しい選択ですね。「完璧に絶対に」です。テイムラーさんも、今後どこのだれからどんな説得を受けようとも、これだけは譲らないでください。罵倒は非物質の覚醒剤だと思って嫌悪してください。 例の記事にも書きましたが、ダーザイン氏とケムリさんの衝動的な悪罵については、かれらが発達障碍や双極性障碍を公言していた以上、それを度外視して私見を述べるのが難しい部分もあります。障碍者だからといって侮辱や名誉毀損が免責される道理はもちろんないのですけど、文極に限ればそれがルールの娯楽でしたし。わたしは発達障碍を、統合失調症と同じく才能と考えており、現代詩(ポストモダン)がその才能の活きる場であってほしいと願ってもいますから。 ただ罵倒ごっこを娯楽として嗜んで、耽溺し依存に至るとどんなことになるか、とっくに実証されていますからね。話は冒頭に戻ります。 * ところで、誤解があるようなので追記しておきますが、ダーザイン氏が指揮を執っていた初期の文極は、ぜんぜん荒れていませんでしたよ。あの檄文のせいで結果的に、葉月二兎さんのようなハイクラスの書き手しか寄りつけなかったようです。ダーザイン氏の手を離れてから、徐々にひずみが出てくるのですが、その後も(運営が機能していなかった最末期を除けば)決して不幸ではなかったと思います。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

ネット詩人どいつもこいつも李白や人麻呂をまじめに読んだとは思えないって、わたしも詩誌に書かせていただいたことありますよ。文極で一番デカイ賞とったから来た寄稿依頼です。つまり、詩壇のほうからみると、文極は反詩壇ではなかったのでしょう。 ダーザイン氏と問題意識を共有など、ほとんどの投稿者はしていなかったと思います。文極より活発なサイトがなかったから文極を選んだ人がほとんどでしょう。物議を醸し場を活性化するために、あの檄文が有用だった、身も蓋もなくいえば炎上商法ですね。 だからテイムラーさんの反感は正しいのです。したり顔の冷笑系よりずっと好ましいです。熱くなれる人とはこうして話ができますけど、安全圏で冷笑していたい人たちにはなにを言っても、なにも言わなくてもすべて無駄。ビーレビにも熱い若人がいてなによりです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

知らないことを教えてくれる人がいるので、ネットはやはり便利ですね。広末灰皿うんこ事件も「ネットで死ぬ覚悟があるんか?」も、いまはじめて知りました。東京で生活したことがないせいか、わたしは世代という南関東限定の話に、よほど関心を持たず生きてきたようです。渋谷とか混んでてくさい以外なんの印象もない。 それにしても、死ぬ覚悟はよい合言葉です。違法薬物の代用品としてストゼロや某饅頭小山某に依存するのが、危険でないわけないのですよね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

(えええええっと、おまるたろうさんはスルースキル安泰と勝手に見込んでお声がけさせていただきましたが、万が一タコが無理でしたら申し訳ありません。苦情は運営か、アラガイさんにお願いします。) 信奉するものがないと人間は動けないのが現実ではありますが、特にアンチという行為は、公開処刑の見物と大差ない娯楽ですからね。その信奉が本当に自分の意志なのか、よくよく考える必要がありそうです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17

おまるたろうさんへ https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-75.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-76.html 上記の弊ブログ記事に関して頂戴したご指摘の件です。すでに述べた通り、このブログ記事は、まさにご指摘の件に思うところがあり制作したものです。 わたし自身はケムリさんの詩にも詩論にも詩評にも賛成しませんし、その他の言動を擁護するつもりもありません。かれは罵倒上等の弊害を実証したと考えたから、忖度ぬきで批判しているわけですが、一方で、かれの詩が後進を牽引したことを知っています。文極でケムリさんの慕われた理由が、詩才であって罵倒でなかったことだけは、心ある人に知られてほしいのです。感傷的なおばちゃんの単なる自己満足ですが。 今後おまるたろうさんが文極を論評に値するとお考えになり、文極考ないしケムリ論に着手なさることがありましたら、ぜひわたしにご一報ください。是が非でも拝見したいです。周囲の目もありますので念のために、わたしが拝見したいのはあくまで文極のケムリさんの詩ないし詩評を対象とする論評であって、その他の事柄ではないことを申し添えます。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-16

お察しくださりありがとうございます。上の弊ブログ記事は、まさにその件に思うところがあり制作したものです。もうスレ違いも甚だしいし、ちょうど掲示板に交流スペースが爆誕したようなので、返信の続きはそちらに書き込みます。ご一読いただけましたら幸いです。 テイムラー隆一さんにはスレ汚し失礼しました。ビーレビのみなさまが文極の茶番に不用意な理解を示す必要はまったくありません。むしろあの轍を踏まないでいただきたいと切に願います。 (早朝列車で)

2024-06-16

文極が若人たち(おまるたろうさんは推測)に検索までされていて、おばちゃんうれしいです。そうここは反文極ですよ。詳しい話はここの元運営の渡辺八畳さんがまとめてますよ。 https://note.com/8jo/n/neb21adc7c5d9#287e5b91-a734-4cf7-b475-62ee6477745c テイムラーさんと同じ20歳のころ、文極でたとえばケムリさんは、 「僕にとって、詩はアルコールやマリファナと同義です。酔うためのもの、快楽を得るためだけのものです。社会性や人間性や、あるいは抒情などと言ったものは、僕には価値のあるものとは思えないんですよ。」 http://bungoku.jp/ebbs/20050717_869_312r こんなことを平然とほざいてたわけですが、これは世代より界隈の問題でしょうね。田村隆一より大麻のほうがカッコイイと思ってる20歳、令和にもざらにいるでしょう。同様に文極にも、大麻より田村隆一のほうがカッコイイと思ってた書き手が、もちろんざらにいたのでした。 20歳のころのケムリさんや、文極でケムリさんに感化されてた当時20歳前後の書き手たちと比較すると、テイムラーさんの趣味がしぶいのは確かです。しぶいとはつまり、若さが不利になるということです。このお作のような特にしぶい描写を磨くには、詩より俳句や小説のほうがよい手本になると思いますね。現代詩には詩以外の素養が重要です。以上、おばちゃんのとってつけでした。 (早朝列車で)

2024-06-16

横槍失礼します。思いがけずダーザイン氏のお話を傍聴できて、とてもうれしく思いました。わたしが文極を知ったころ、ダーザイン氏はもう不在でしたので、かれの人柄を知る機会に恵まれなかったのですが、憎めない人であったらしい旨は聞き及んでいます。かなり素っ頓狂なエピソードも伺いましたが、どなたのお話からも愛が感じられました。羊飼いさんのお話も同様です。ありがとうございました。 (早朝列車で)

2024-06-15

なるほどなるほど拙文をご覧いただけたのですね。話が早く助かります。ちょうどいま弊ブログで文極考しております、この隙に宣伝させてくださいませ。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-75.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-76.html 文極警察はリンクを貼る係でして、逮捕はしませんので怖がらないでくださいね。だいたいここはビーレビ、反文極サイトですよ。創設メンバーなみの文極批判が盛り上がってもいいはずだ、もちろん罵倒は論外として。妥当な論評の範疇でね。 (早朝列車で)

2024-06-15

こんにちは文極警察です。 http://bungoku.jp/column.html?page=2;num=10#01 ↑上記はダーザイン氏が文極黄金期に出した檄文です。批評対象をこれに限れば、テイムラー隆一さんの印象論は妥当と思われますが、かれはたぶん反知性主義者ではありません。筆名どおりのハイデガーやサルトルを偏好する、実存主義者であったと思われます。(わたしはポス構の奴隷なのでよくわからない) ところで筆名から察するに、テイムラー隆一さんは田村隆一がお好きなんでしょうか。さしもの文極も田村隆一を否定するほどアホではなかったのでご安心ください。わたしなど田村隆一も現代詩手帖も文極で知った始末で、あれでも啓蒙に役立っていたのですよ。 ビーレビで文極が、特に若い書き手に、妥当な範囲で忌憚なく批判されるのはすばらしいことですね。以上、文極警察でした。 (早朝列車で)

2024-06-14

懇請をご諒承いただけたことは承知した。拙評への的はずれに過分な評価も、虚報には違いないが、この場に限ってはありがたく思う。わたしの目標は高説の通りの「読める詩評」だからだ。現代詩評には意味のわからない、そもそも意味をなしていない怪文が氾濫している。それらを「詩が詩人にしか読まれていない状況」の大きな要因とみなすので、わたしは読解に拘泥している。わたしの読解が才能であるのは事実だと思う。ないほうがましなたぐいの才能だけれど。 その哀れな才能を、室町礼にここまで嘲弄され害されている以上、わたしがここで作品評を書くことは不可能だ。かれの評者への加害は評者ひとりに留まらず、批評対象の著作者にまで及ぶからだ。そのようにして合評が破壊されることを疎んじて、花緒さんをはじめとする創設メンバーが、文学極道を離れB-REVIEWを創設した事実を、運営陣にはどうか忘れないでほしい。 室町礼も黙って詩を書いてさえいればすばらしい書き手なのに、あなたとfiorina氏の賛辞は(両名とも室町礼に劣らないすばらしい書き手なのに)かれを詩に向かわせず、かれの理不尽な暴力ばかり引き出している。この批評対象の著作者であるもじゃお氏が、この批評対象のコメント欄で、かれから詩を引き出したのとは対照的だ。もじゃお氏とともにあなたがたが、かれを詩へ向かわせることを期待する。以降この記事には返信しない。 (才能&スウィート)

2023-09-24

fiorina氏にも通知しておく。懇請の内容は上の田中恭平氏へのと同じなので割愛するが、ついでなので附記する。澤あづさは心理学部卒で、しかも専攻は認知だ。文学など学んだことはない。視覚障碍が進んだので、近年は読書すらできていない。 (才能&スウィート)

2023-09-23

田中恭平氏とfiorina氏はなにを宣っているんだ?  https://www.breview.org/keijiban/?id=11476 ↑この拙評のどこにアカデミズムが出てくるんだ。わたしの読解は高校国語に則っている、詩評は娯楽を志している。娯楽には上記で扱った程度の雑学も当然含まれるだろう。 あなたがたは自分の興味のない娯楽がすべてアカデミズムに見えるようだが、誤認を正してくれ。理解できないなら「澤あづさの詩評は反現代詩だし反アカデミズムだ」これだけ覚えてくれ。虚報は迷惑だ。拙評を読みもせずに、拙評への妄言を垂れ流すのをやめてくれ。 (才能&スウィート)

2023-09-23

>わたしが澤あづさ氏の批評に首をかしげるのはフロイトの精神分析学やデリダだ、ラカンだのと名前や用語を出してもそういうのは詩の解説としては単なる幻想的なひとつの虚構(論理)にすぎないと考えているわけです。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11534 ↑あなたがこの駄評のコメ欄に卑劣にも隠蔽して病的な侮辱を浴びせた拙評の本文には、フロイトもデリダも一字も出てこないけどね。ましてラカンて、わたしラカン嫌いなんだけど。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11476 ↑なぜ上の駄評にこのURLを貼らなかった。読者を批評対象にアクセスさせてれば、あの駄票に悪意以外のなにもないことが、「作品を読まずに作品表を読んでも意味がない」とわきまえているまともな人間には伝わったろうに。 ●参考:拙文「B-REVIEW第8期運営への意見書」内「追記目次」(もはやメイン) https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-71.html#POSTSCRIPT ↑あなた自閉じゃなかったの。自分の病名くらい覚えてよ。 なぜ虚報ばかり流布して、わたしの風評を害し続けるんだ。どれほどわたしを侮辱すれば気がすむんだ、わたしを自殺に追い込むまで満足できないか? そのうえこの卑劣漢を、この田中という運営参加者が。ひたすら擁護し持ち上げて二次加害を助長する。あらためてなんなんだ8期運営は。この卑劣漢が野放しで、なぜ花緒さんが追放なんだ。どいつもこいつも理解できない。人をここまで嘲弄する権利が、なぜ自分にあると思い込めるんだろう。 (才能&スウィート)

2023-09-22

上記のような錯綜が目に見えているので、わたしは先般いかいかさんに「このような状況下で有意義な話ができるとは思えない」と述べました。フォーラムも機能が低すぎて難しいと思うので、批判者にはそれぞれ自サイトから個別の意見書を提出させたらどうでしょう。意見陳述のハードルをそこまで上げれば、人の話に文句をつけたいだけの者のほとんどを排除できるでしょうし、話が円滑になるのではないでしょうか。 (第8期運営方針)

2023-09-09

そういう批判は名指しでしたらどうか。不特定多数に当てはまるあいまいな詭弁の説教は、馬鹿を喜ばせて無用な対立と暴力を煽るだけだ。 本当に、こうしたいやがらせに(名をさらしている本人はさておき)ハートで便乗しているのがだれなのか、知る権利を与えてほしい。このコメ欄やあのコメ欄を見渡すと、この匿名のハートがいかなる暴力の装置であるかよくわかる。 * この件により、上でわたしがゼンメツさんに返信している内容に語弊が生じてしまったので、強調しておく。 上の澤あづさのコメントは「8期の方針に、曲解の許容を強要する文言があること」を批判している。それがガイドラインに觝触するなどという低レベルな話はしていない。その強要が国民の権利を侵害すると述べている。 これにかかるゼンメツさんの意嚮は、初代運営でも検討された。結果「作者に不当な忍耐を敷いてレッサーに曲解を推奨したところで、読解への忌避を軽減することはできない」と結論された。上記のガイドラインへの言及は、この事実の報告にすぎない。 (第8期運営方針)

2023-09-09

※この書き込みは宣言通り下げています。 >弱点を捨てず、理責めで武装せずに >一生懸命やるってさ >とても人間くさくてって嫌いになれそうにないな。 きみはほんとに詩人だなあ。つくづくわたしとは生態が違う。こんなの聞かされたら泣いてしまう、異界の生物なので理解不能は許してほしい。ばかでごめんな。わたしにだってビーレビへの愛着があるから、頭じゃなく心から、レッドカード処分者が運営なんて冗談じゃないと思ってるんだよ。でも、いかいかさんがビーレビの表舞台に戻る手段は、たぶん運営就任しかない。運営を降りたら単なるレッドカード処分者だから戻ってこられるわけがない。これを考えるとやっぱり、ゼンメツさんをはじめ8期のみなさんに、どうにかふんばってほしいと思ってしまう。ずるくていやなやつだよな。自分のせいでいかいかさんに及ぶ危害に堪えられない。ゼンメツさんの態度が信じられないよ、こんなことしていかいかさんを批判にさらすのがこの人怖くないんだろうかって、つまりわたしは慕ってる人をちっとも信じてないんだ。ただ一方的に慕ってるってずるい立ち位置に慣れすぎた。いまさら両思いを目指すのはおそろしくて無理だけど、自分なりになけなしの勇気を振り絞りたい。ありがと。 (第8期運営方針)

2023-09-09

※この書き込みは宣言通り下げています。 なるほど曲解の許容について、ゼンメツさんの意嚮は理解しました。もちろん納得しますし共感します。わたし自身もネット詩デビュー当時は、読解の披露にずいぶんひるんでいましたし、難解そうな見ための作品が敬遠されることへの懸念から、コメント請負のイベントをいかいかさんとご一緒したりもしてきました。(ちなみにそのイベントで、いかいかさんが問題を起こしたことは一度もありません。) だからビーレビには「ライトレス推奨」があるのです。これもビーレビの揺籃期のブレストで、わたしの意見を花緒さんがくみ上げてくださった結果だったと思います。率直に言って「ゼンメツさんに思いつく程度のこと」を、ビーレビのガイドラインが考慮していないわけがありません。その制作に、澤あづさと百均さんという、読解拘泥二大巨塔みたいな連中が立ち会ったのですからね。 わたし個人は、作者の反応が気に病まれてしまう程度の読解などは、憚って当然と思っています。そもそもテクスト至上主義ですから、読解は作者のいないところで披露したいのが本音です。コメ欄はライトレスで、読解未満は推薦文(は「批評」に変わったのかな?)で、合評を踏まえて自サイトへというのが、個人的にはもっとも快適ですね。推薦文の投稿システムはビーレビをビーレビたらしめる圧倒的な美点だと思いますので、絶対になくしてほしくありません。 * 一方ビーレビの魂すなわち「文極でできなかった合評の実現、批評に報いたいという強い意志」ですが、これに関する意見は、先般いかいかさんに申し上げた通り、再開されたらフォーラムに陳述したく思います。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11576 あの総評が(運営の総意には違いないとしても)いかいかさんの文責であって、ゼンメツさんのご本心でない以上、ゼンメツさんへの意見は性急でしょう。この場では、いかいかさんとコーリャさんへ意見に留めます。 いかいかさんがああいう人であることはよく存じており、そのうえでわたし個人はいかいかさん個人に心酔していますが、こんな信条を銓衡に持ち込まれては困ります。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11601 返す返すもこんな信条には「だったら銓衡なんかしなきゃいいだろ」以外に評言がありません。ましてやビーレビはコントラさんの創設ですよ。腐っても創設メンバーであるコーリャさんが、いかいかさんに毒されてコントラさんとの友誼を忘れ果てたと判断したので、わたしの愛想は尽きました。自分がまさにその経緯であったがゆえの同族嫌悪です。 コーリャさんがわたし同様、花緒さんに殴られて目をさますことを切望していましたが、当面コーリャさんは死んだものと思うことにします。可能な限り早く生き返ってくれとお伝えください。 (第8期運営方針)

2023-09-09

ゼンメツさんがここでの対応に適しているとは、わたしにも思われませんが、運営にほかの適任者がいるとも思えません。花緒さんの苛烈な物言いを、方針上どうしても許容できないのであれば、わたしにあたう限りの敬意をもって「わたしの知るビーレビの根幹的な理念」を説明させていただきたく思います。特に花緒さんがまさに「作品を開く」ために取り組んだ「返詩カルチャー支持」について、わたし自身も学び直す必要を感じています。 わたしがあなたがたを「ビーレビの根幹思想を根絶やしにした」と批判するのは、一度断絶した文化の復興がきわめて困難であることを、歴史に学んでいるからです。三浦さんのうわ言よろしくビーレビをここで終えたいのではない、次世代へ渡すおつもりなのであれば、7年絶やされなかったビーレビの魂を継いでください。ビーレビの揺籃期を現場で見ていた評者として、平伏して願います。 先日までのわたしの批判には、いかいかさんを悪く言いたくないがために、あなたに泥をかぶせていた側面を否めません。この卑劣を看過してくださった温情に感謝はしますが、そのような判断は正しくないと指摘しておきます。以後わたしをひいきなさらないよう、いかいかさんにもお伝えください。わたしの言及はかれに害をなしますから、以後はかれのいかなる投稿にも返信しません。以後ここへの書き込みは、8期の方針を尊重して下げます。 (第8期運営方針)

2023-09-08

上の室町礼の発言に、澤あづさに関する曲解が二点あるので指摘する。 ※この投稿は自身の良心に従い下げる。 ※この発言を室町礼宛にしない理由は下記。 ●拙文「B-REVIEWで罵倒を罵倒したら、わたしだけ実質出禁くらった話」 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-69.html ① >澤あずさ氏のような方にだけはいかいかがこそっと出てきて反応しながら 昨日の花緒さんの記事でのことを述べているのだろうが、 https://www.breview.org/keijiban/?id=11576 いかいかさんは同じ日に、蛾兆ボルカさんにも回答している。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11614 いかいかさんと蛾兆ボルカさんは犬猿の仲と知られているが、上記記事コメ欄はそうとは見えないだろう。相互にマナーガイドラインを遵守しているからだ。室町礼にも蛾兆さんのような節度があれば返信が来るのではないか。以上のことは、上でゼンメツさんが「俺たちはきちんとマナーを守って対話する姿勢を取る相手の意見は当然に汲み取っている」と述べていることから推察した。 ※ゼンメツさんの言動の是非と当否について、わたしはここで言及しない。ゼンメツさんの対応がまずいことは明白だが、批判者の態度もまた明白に非常識だからだ。特仁川路さんの活動に対する元同僚の差し出は、詭弁があたかもDV元夫であって不審にすぎる。自重されるよう切に願う。 ② >なに? 「作品を開いていく」 >それっておまえ単にいかいかの例の下手な(それこそ既存の欧米翼賛体制的日本文学的な) >返詩や >澤あずさ氏の分析的手法偏重の(それこそ既存の欧米翼賛体制的日本文学的な) >この二人の、いつもの営為への >たんなる融通でしかあらへんやないか。いや悪いとはいわんでそのおもねりも。 さも澤あづさがこの方針から利益を得ているかのように吹聴しているが、事実無根だ。別所で再三述べている通り、澤あづさはこの記事の方針に失望している。理由は記事の下記引用部に集中している。 >一言コメントなどのライトレスはもちろん。返詩、読解、超曲解、長文で骨太な批評を行うのも、もうこれからは当然に有りです。何度も同じようなことを言いますが、常識的な目線で見て、悪意を感じさせるようなものは無しです。 >これより先、作者は「他者が自作品を開こう」と試みる行為を尊重し、受け入れてください。 この文言は「読解」と「超曲解」を同レベルの行為とみなしている。そのうえでいずれも許容するよう投稿者に強い、すなわち誤読の指摘や曲解への反論を牽制している。この方針は、B-REVIEWの論敵であった往年の文学極道よりなお悪い。文学極道で「読者優位」をもっとも過激に提唱したケムリ三代目代表ですら、ここまでの非常識は唱えなかった。 わたしはまさに室町礼が「欧米翼賛体制的日本文学的」と曲解するところの人文科学徒であるから、持論を過信せず向上に努める、そのために合評を求めている。拙評を曲解されれば当然指摘するし、必要があれば反論もする。この反論は表現の自由、国民の権利である。8期運営の方針は国民の権利である批評を牽制しており、不健全であるから迎合できない。以上、この主張の示しとして、室町礼の曲解に対する反論を試みた。 (第8期運営方針)

2023-09-08

こちらこそごめん、自分がターゲットにされてると思って返信したわけじゃない。自分の身上が事例として適切だから出した。わたしに認められるべき人格は、ほかのどなたにも同様に認められるべきだと言いたかった。「暴力」はデリダのキータームであって人道上の罪悪ではない。キリスト教でいう原罪、仏教でいう煩悩に近いと諒承されたい。ミドル脂臭や永谷園の松茸をむやみに嫌うのもここでいう暴力だ、わたしは自分の暴力をあたう限り自覚したいと願う。嗅覚は過敏じゃないよ、苦手な匂いを嫌ってるだけの暴力だよ。 お互いこの場は離れるのが上策だろうけど、上述の公開予定ブログは見に来てくれよな! そうだな公開は10日にしよう。推薦文投稿からちょうど1ヶ月できりがいいし、そのころにはこの地獄も落ち着いてると信じたい。 * あとこれあなたとまったく関係ない話なので申し訳ないけど、話の流れ的に書くべきところなので書かせてもらうと、いかいかさんの話はここでしてもなんら問題ないと思うのよね。わたしも以前はかれに危害を及ぼしたくない一心で憚ってた、その結果かれへの危害を回避できたかったらできなかった。開き直ってなん度でも繰り返す。 わたしはいかいかさんの弟子ではない。わたしが一方的に慕ってるだけで、かれはわたしを師事してやったとすら思ってない。その証拠の一端として、わたしはかれの批判に同調しないし、かれの銓衡に追従もしない。例の『花鉢』はその顕著な一例だな。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11320 だから10日公開のブログは見に来てくれよな! 約束だぞ! (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-09-01

わたしはきみに、いかいかさんのどの作品が推しなのか尋ねているのだ。推しのアイドルの歌について語れない者にドルオタとは呼べない、いかいかおたくも同様。さあ選びたまえ。 http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%a2%82%a9%82%a2%82%a9 http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%c8%82%dc%82%a6%82%f0%82%bd%82%d7%82%bd%82%c8%82%dc%82%a6 ちなみにわたしはテクスト至上主義者。作家への無関心が、バルト超えてデリダの水準に至っている。吉増剛造だろうが最果タヒだろうが作者には死んでもらう、これを読者の復権という。 * ところでリアルのわたしは、進行性の難病をもつ視覚障碍者だ。去年まで4年間ネット詩から消えてたが、その理由も病気の進行で読書が困難になったから。同じ理由でいまは出版物への寄稿も断ってる。当然ネット詩人にリアルで会ったことはないし今後会うつもりもない、物理的に不可能だ。夫の介助なしには道を歩くこともままならず、その夫に詩のことを内緒にしてる。 わたしの生活が障碍に抑圧されてることは間違いないが、ネットの無責任な論客には、障碍者様やら理解ある彼くんやらと揶揄されるかもね。きみの主張も同様の言葉遊びにすぎない。「ネットでえらそうなこと言ってるやつほどリアルはみじめ」という結論が先にある、相手に人格を認めていないから勝手なことが言える。対面では言えないことをネットでは言えてしまうというきみの主張を、いまきみ自身が実践してるわけだが、その暴力を自覚してるのかな。 永谷園の松茸のお吸い物は、匂いがきつくて苦手だ。どうしても夫が欲しいというときはスープボウルで出す、椀や釉薬のかかってないカップで出すと匂いが3年くらい取れなくなるような気がする。炊き込みご飯なんて冗談じゃない、土鍋に匂いが染みついて3年くらい取れなくなったら困る。この嗅覚が母譲りなのか、女はたいていこんなもんなのか、もちろんわたしは知らない。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-09-01

●急にマジレス >それはそうと、コーリャさんはビーの創設メンバーだったの。それは知らんかったです。 そうつまり8期運営には、創設メンバー5名中2名の意思が関わってるのよ。関わってるからなんだということはもちろんないよ、ないけど「ビーレビが創設されたそもそもの動機」の2/5が、8期運営には含まれてるのよ。 だからわたしは事情説明にコーリャさんを指名してるんだ。花緒さんの言い分も理解できるが、わたし個人はほかのどなたより、現に7年ビーレビを現場で支えた三浦さんの肩を持ちたい。これが三浦さんの到達であるなら、なんとしても成功してほしい。それが花緒さんのいう「ネット詩が好きなだけでビーレビが嫌いな集団」にすぎないのか否か、コーリャさん以外に説明できる人はいない。頼むからさっさと説明っつうか説得してくれ。ビーレビの揺籃期を現場で見ていた人間として、平伏してお願いする。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-31

うんこ朗読を人妻に塗りたくってなにになる! 夫の尻は渡さない! いかいかさんの非下劣(ノ・∀・)ノ=●ウンコー!! http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%a2%82%a9%82%a2%82%a9#a31 ところで69ちゃんはいかいかさんのどれが推しなの。わたしは上記がぶっちぎりで好きだな。なんかもう泣きたくなってきた。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-31

SNSで「AIが書いた吉増剛造風の詩」を見たことがあるが、やつこそはシュールドキュメンタリーの巨匠であった。詩評もシュールドキュメンタリーでかまわないならAIで十分だな。 ミドルエイジコーリャちゃんは、実際けっこうな天才詩人だ。 http://bungoku.jp/monthly/?name=Kolya だが30代後半から40代前半の男は、自分がいま人生で一番くさいことを自覚しろ。 ところでコーリャちゃんがビーレビの創設メンバーだってこと周知されてるのかな。未読のよい子は、渡辺八畳さんのビーレビ史を精読しておこうね。 html https://note.com/8jo/n/neb21adc7c5d9 pdf http://geijutushinjigen.web.fc2.com/70watanabe.pdf 所載 https://gshinjigen.exblog.jp/30283875/ 69ちゃんの(ノ・∀・)ノ=●ウンコー!! http://bungoku.jp/ebbs/20060417_146_1174p 惜しくも日間最低お下劣ポエムには至らなかった。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-31

うんこ投げて不意に思い出したから、文極のフォーラムから掘ってきたぞ。蛾兆ボルカさんと田中宏輔さんの劇的な応酬。文極のエリートクラブぶりを思い知らされる逸品だ。 ●以下、伝説の出禁新人ペスト氏の、代表立候補トピより抜萃 http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?t=920 泥棒さん「(ペストさんが代表になるなら)月間最低劣ポエムをガッツリやってほしいです。」 蛾兆ボルカさん「月間最低劣賞は、ポリシーから削除したほうが良いと思います。」 田中宏輔さん「月間最低お下劣ポエムは削除したらあかんね。貴重な詩的遊戯材料なのだから。」 蛾兆ボルカさん「田中さんが代表になるなら、逆に年間お下劣ポエム賞の設立もいいかもしれません。正直、パンツ事件の詩に勝つのは困難だろうけど、(後略)」 ●重要参考:田中宏輔さん「火だるまパンツ事件。」 http://bungoku.jp/monthly/?name=%93c%92%86%8dG%95%e3#a108 早くどこかに帰りたい。脅迫通りうんこ投げ続けてやるからな。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-31

(ノ・∀・)ノ=●ウンコー!! (ノ・∀・)ノ=ω チソコー!! ※チソコの視認性が悪かったので半角スペース入れた。 【酷評】タワマン文学文体でありながら哀愁が漂わないとは嘆かわしい。悠長な自慢にばかり明け暮れるのは専業主婦の作法だ。男なら残債を直視しろ。by シュールドキュメンタリーの巨匠。 そういや例の道場に通ってたころ、師範に提出した詩がぜんぶなぜか黄色かった。書く詩のことごとくが気づいてみると黄ばんでいた、あのイカ墨現象をいまだ解明できていない。あのころに帰りたい。脅迫通りうんこ投げ続けてやるぞ。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-31

●やるかたない憤懣を唐突に69ちゃんにぶつける。 (ノ・∀・)ノ=●ウンコー!! (ノ・∀・)ノ=ωチソコー!! こんな事態はもう堪えられない。ミドル脂臭コーリャちゃんが事情説明に降臨するまで、69ちゃんをうんこまみれにし続けてやるぞ。これは脅迫だ。わたしは本気だからな。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-30

順不同で、まっ先にお詫びからはじめます。 >さて、私は運営にこの場で質問をしていますが、一切の返答がなく、返事しようとする姿勢も見受けられません。しりゅう/コーリャに至っては、わたしが誹謗中傷を受ける流れになってから、この場に一切登場していません。 >そういった状況の中で、「なぜ、運営サイドは対話を受ける姿勢があるのに、貴方は対話を求めないのか」という澤さんの問いはあまりにもズレていて、アンフェアであるように感じますよ。解せませんね。 これは本当に申し訳ない。この期に及んでコーリャさんが出てこないことに、わたしもひどく落胆しています。この点については花緒さんの心情をいよいよ理解したと思っています。 わたしは運営のDiscordを見ておらず、なんの情報も持っていないので想像しかできませんが、ともすると運営は、SNSや動画配信で報告や説明をすませたつもりになっているのかもしれませんね。かえすがえすも、まともな社会人の仕事ではありません。 >わざわざレッドカード処分者を運営に据えて、ガイドラインを破壊している乗っ取り連中を私は非難しています。 その非難は至極まっとうだと思っています。当のレッドカード処分者を個人的には慕っているわたしですら、この招聘には納得できていません。慕っている人の立場を悪くしたくない一心で、事態を可能な限り好意的に曲解するよう努めてきましたが、もう限界です。なにせなんの説明もなく、曲解しようにもその元本がないのですから。 * その他の事柄について、喧嘩を売りたい意図はありません。「わたしはそんな話をしていないし、三浦さんの人間関係等の話に関与したくない」ということです。なにせ無関係なので、理解に及ばないのは自明とご諒承ください。最低限の脳みそも備えておらず申し訳ないが、それが他者というものです。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-30

再度ありがとうございます、もちろん花緒さんから排斥されたとは思っていません。仮にそのご意嚮があったとしても応じません。わたしにはそのような抵抗ができますが、できない人がビーレビの圧倒的多勢を占めている事実を、よくよく考えるつもりです。 念のため詳述すると、わたしがしばらく引っ込む理由は、筋を通せない自分の言動に疲弊したから、そして詩評に専心するからです。自分が推薦文で7月大賞に押し上げたはずの作品を、運営の越権で無効にされてしまったので、当該推薦文を書き直し意趣返しするのです。わたしは現運営に対する不満のすべてをそのような形で解決できますが、それが自分だけのいわば特異体質であることを、よくよくわきまえるつもりです。 >三浦さんはいきなりサーバーとの契約を切りこのサイトを潰してしまう、という嫌がらせができる立場にいるというだけです。オーナーシップは誰にもないのですよ。 だれにもないオーナーシップなるもの、すなわち行使されえない権利という観念に、わたしは関心を持てません。事実サイトには意思決定機関として運営が置かれ、閉鎖や次期運営任命を含む管理全権を掌握している、一般ユーザーには選挙権すら与えられない。この民主的でない制度を制定したのは、花緒さんをはじめとする初期運営ではないのですか?  たとえばガイドライン上には、一度発行されたカードを無効にする権利が存在しません。これはビーレビが「みんなのもの」でない証拠なのではありませんか。運営者は特定個人の排斥をだれの意見を聞かずに独断できる、その判断は合理的な理由を失ったのちも未来永劫尊重され続けなければならない。これが「みんなのもの」であるサイトのありかたですか? ビーレビが事実として「みんなのもの」でないから、いま「過去の運営が発行したカードを現運営が覆したこと」が問題になっているのだと、わたしは理解しています。その断行についてさっさとコーリャさんから説明されたいと切望しています。三浦さんでなくコーリャさんから、現に事実としてビーレビの全権を掌握している人からです。 かれはクラッキングの犯人とすら対話したいと、この記事の動画で述べているので、花緒さんからの申し入れにも当然応じると思われますが、花緒さんにそのご意嚮はないのですか? (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-30

ご多忙でしょうに説明の労を取らせてしまって申し訳ない。花緒さんの出資は現場で見ていましたし記憶しています、その立場で「私物」という語を用いたのは軽率でした。撤回のうえお詫びし、貴重な情報の提供に感謝します。 わたしがその文脈で述べたかったのは、「現在サイトの意思を決定できるのは、サイトオーナーである三浦さんだけ」ということです。サイトオーナーが変われば当然、わたしはその新オーナーをサイトの意思決定者とみなします。三浦さんご本人も委譲を望んでらっしゃるんじゃないでしょうか。わたしはかれの友人ではないので、ただの想像ですが。 >おれが契約者だから、俺が運営の座についたから、みたいな理由で、何もかも自分の思い通りにできるなんて思うのは筋が通らない 念のため強調しますが、「サイトの意思決定権はサイトオーナーにある」というのは、わたし個人の私見であって、三浦さんの発言ではありません。かれはサイトの閉鎖も含む管理の全権を運営に委譲する旨を、再三にわたり発言しています。いま余力がなく根拠を提示できませんが、必要があれば探して提示します。 * 苛烈な批判にさらされ大勢のアクティヴユーザーを手放すことになると承知で、三浦さんが8期運営を選択したこと自体に、わたし個人は意見がありません。受けたお誘いを断った身ですから、干渉しないのは道義的に当然と考えています。まっ正直を申せば、いかいかさんを捨て駒のようにしか扱えないのなら解放してあげてほしいが、これはご本人の意志すら無視した私情ですから、意見する権利がありません。自分の矛盾がそろそろ堪えがたいので、しばらくサイトを離れて頭を冷やし、自分の活動に専心するつもりです。 現状わたしの言動は、花緒さんが別所で指摘なさった「ネット詩が好きなのであってビーレビが好きなのではない人間」よりなおたちが悪い。「いかいかさんが好きなだけでネット詩が好きなわけですらない人間」にしか、自分の目にも映りません。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=11557 上記での花緒さんのコメントを拝見し、この判断に至れたことは僥倖でした。花緒さんにはいわれもないことでしょうが、感謝します。 批評対象を探すためにサイトの閲覧は続けますので、わたしの問題発言に対するご助言は、引き続きありがたく拝聴します。重ねてご指摘ありがとうございました。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-29

>「この記事をトップに上げないよう細工したんだとしたら、それは特に大きな落ち度と指摘せざるをえない」ということについては、(中略) 良い意味で解釈するなら埋没されそうな投稿作品をアゲルためにもしていたと思う。 >いちおう、ここは詩のサイトであって公共性も考えると(常識のない人にかぎって常識を持ち出すのだけど)、常識的にここの論争ばっかしトップにあがるのはやっぱヘン。 たしかにそれはそうだし、いま思ったけど、ここを見てるかもしれないクラッキングの犯人をむやみに刺戟しないようにって配慮もあるのかもね。サイトトップからアクセスできるんだから、隠蔽したいわけじゃないのは明白だ。その軽率な発言は反省し撤回する。ご指摘ありがとう。 >これって前の運営がボクの投稿の際にはよくやってたし それはフォーラムの話じゃなくて? あのフォーラムは一覧性がいかれてて、挙動不審がデフォなのよ。いまも6期運営の退任挨拶とか一覧に出てないけど、ただの仕様なんじゃないかな。 >律法がガチガチの解釈だったのに対して新約の律法は「愛」という曖昧な解釈のうちにすでに形骸となったガチガチなルールじたいをすべて沈めてしまった。 わたしもきのうまでそう思ってたんだけどな。やはり現状を客観的に見据えると、声のデカイやつが声のデカイやつと張り合えるようになっただけだ。声をあげられない繊細な詩人が我慢を強いられるシステムにはなんの代わり映えもなく、ビーレビはその繊細な詩人が主役だったはずなんだよなって、69ちゃんもレスしてたクヮンさんの記事の、花緒さんのレスとかクヮンさんのレスレスとかみてつくづく考えたのよ。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=11557 三浦さんがこれを承知で8期を選択したことに、改めて震撼する。わたしが三浦さんだったら、いかいかさんを運営に招くなんてできたわけがない、慕ってる人をこんな批判の矢面にだれが立たせられる? つまり8期運営は、上のkuu133とかいうまぬけな捨て垢が主張してるような代物じゃないんだ。69ちゃんの冗談ほどアレな代物じゃないにしても、きっとね。 わたしもちと疲れた。ブログに引っ込みひとりちまちま詩評を書こうと思う。ちなみに上で述べた69ちゃんを引用する記事、月末は間に合いそうになく来月頭になりそう。よかったら見に来てくれよな! (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-29

ビーレビが(著作権は別として)三浦さんの私物であることは疑いないし、わたしは現運営をまだ支持しているが、現運営に落ち度がないとは思わないな。この記事をトップに上げないよう細工したんだとしたら、それは特に大きな落ち度と指摘せざるをえない。このコメントはその確認のために投稿する。 ついでに指摘しておくと、わたしがいま確認している現運営の活動のうちで、もっとも非常識なものは、6期運営下の投稿であった7月分の銓衡方法を、告知なしに変更したことだ。 https://www.breview.org/forum_blog/archives/3151 変更自体には賛成する。投票制は作者の人気投票に堕しかねない、特に推薦文の特権5票は無効にしたほうがよい(推薦文投稿者の受益は、批評対象に個人賞を贈呈できるだけで十分だ)とわたしも思っていた。ただそれを告知なしに変更し、就任以前の過去投稿作にまで権限を振るうのは、さすがにまともな社会人のすることではない。 さらについでに言うと、銓衡のためにレッドカードを反故にしてまで選者を招聘したのなら、その決断には(あくまで決断それ自体に限ってだが)共感する。わたし個人は上記の評価に同調しないし、自分がよいと思った作品をみずから批評する、ユーザーのそうした行動を喚起するのにも、銓衡はそれなりに有用だ。上で室町礼が述べている通り「書ける」と自負する者しか取れない行動ではあるが、自負しないユーザーは、前運営下でも推薦文投稿はおろか一般投票すらろくにしていなかったようだし、配慮の必要があるとは思えない。投票が十分に機能していないなかで、推薦文の影響力が大きくなりすぎる問題を、解決するほうが重要だ。これはその影響力を実際に振るっていた者の意見だから、一定程度の説得力があると思う。 ただいずれにせよ、それを告知なしに断行したことには問題がある。選者の招聘の理由や、今後ほかの出禁者をどう扱うのかも含めて、ぜひ代表から説明されたい。動画や音声でなく書面でされたい、批評に引用しやすいようにね。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-29

ああ4レス費やしてやっと理解したぞタコちゃん。きみがほざいてるの下記①だろ。 ①Twitter(当時)澤あづさ 2022年12月21日 「わたしに粘着してる罵倒家が、わたしのRTをもとに詩を書くというきもい趣味を始めたので、夫とデート先で食べたネモフィラ&コキアソフトを載せておく。このネタであした詩を書いたらやつは本物だが、もちろん期待していない。」 https://twitter.com/adzwsa/status/1605549311982325763 ②粘着罵倒家が上記を引用してる記事(コメ欄) https://www.breview.org/keijiban/?id=10406 ③粘着罵倒家が②を理由にイエローカードに処された件 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2570 ④粘着罵倒家がその後、澤あづさとは無関係な別件でオレンジカードに処された件 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2712 ➄タコちゃんが④に憤慨して、6期運営の退陣を求めた記事。記事の最後でなぜか、④と関係な澤あづさを、今回と同レベルの虚報で糺弾し脅迫している。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10681 さしもの非詩人読解家にも、きみほど非常識で無責任な人間の要求を解読するのはすこぶる困難だ。①がビーレビでなく、②が澤あづさの著作でなく、③も澤あづさの判断でなく、④に澤あづさが関係なく、➄がきみ自身の著作であることをよく考えてからものを言え。 上記の通り、ゼンメツさんへの無茶振りについては反省したぞ。ご指摘ありがとう。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

おいタコちゃん。きみの物言いがやはり怪しすぎどうにも気持ち悪いので、自分のアカウントを精査してきたけどな。わたしが夫の話題を出したコメント、上のを含めて3つしかなかったぞ。そりゃそうだ身バレを恐れて控えてきたんだから。 ①2023-08-15「夫の盆休みが終わるまで、記事執筆にかかれそうになく残念です。」 https://www.breview.org/keijiban/?id=11476 ②2023-08-23(ラブポエムの詩句) https://www.breview.org/keijiban/?id=11540 ③2023-08-23「代わりにうちの恋しい夫の愛らしい腹肉を半分差し上げるからさ! 」 https://www.breview.org/keijiban/?id=11520(このスレ) この3つしか夫の話をしてない人間のどこが「ことあらば必ず旦那をほのめか」してるの。タコちゃんはそのほのめかしをどこでどれほど読んだの。わたしのSNSやブログをストーキングし、数多くもない夫の話題を収集し、そればっかり眺めて悶々としてたの?  そもそもタコちゃんは、その他称ほのめかしになんの問題があると言いたいのかな。推しのカノジョの匂わせに堪えられない乙女心とか? それもはやうちの夫のストーカーじゃん。事ここに至ってわたしが「お手柔らかに」できるわけねーだろ、せいぜい身辺に気をつけろ。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

いや待てよ。あまりにあからさまなストーキングだったので、仰天しうっかり見過ごしたが、 >ことあらば必ず旦那をほのめかす。 >よほどこわもてのお方なのだろうね。 >お手柔らかにお願いしますよ。 これはどういう要求だよ。ビーレビで既婚者はラブポエム書くなって? 結婚できないかわいそうなぼくちゃんに配慮しろって? そんなばかな。 それともゼンメツさんへの無茶振りがすぎるってこと? それはたしかにそうだな、猛省する。ご指摘ありがとう。 ●ふたたび運営さんへ SNSもいいねで名誉毀損が成立するようなこのご時世、こういう非人道的な人格攻撃をだれが支持しているのか把握することは、自衛のために重要です。投票とハートのアカウント開示、ぜひご検討を。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

わたしがいつ「ことあらば必ず旦那をほのめか」したんだろう。ネット詩歴10年で書いたラブポエム、たぶんゼンメツさんのスレので3本めだぞ。ちな文極には1本もない。1本はメビなのでサイトごと消えてる。1本は身内の遊びでブログに公開したがすぐ隠した。だって身バレやだし。 SNSやブログと勘違いしてない? わたしのSNSをストーキングしてるの? ちなみにSNSでも、夫の話の頻度けっこう低いと思うけど、夫の話しか見えないの? なら完全に精神疾患だけど、病識ないのかな。 ●みてたら運営さんへ 投票もハートもだれが入れてるのかわかるようにしてよ。こういうのやああいうのにだれがハート打ってるのか、知る権利くらい与えてほしい。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

>実はゼンメツはあやめさんの他にも友人がいるんです…… そっそれは失礼しました。もはやいっそどさくさにまぎれて、あやめさんに「この機会に澤あづさの心配してください」とお伝えください。どうぞご友人と仲睦まじく。 >ところでこうなったら自ら軽率に返詩しまくっていこうと思います。 拝見しました。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11520 お返詩お願いします。できればご指導もお願いします。くれなかったらヌッコロすぞ。 やーーーもう説明なにもかもすっ飛ばして「くたばってほしい」くらいしか評言も出ないような機転ですねゼンメツさんは。その客あしらいの能力、十分の一でいいからわたしに譲ってほしい。代わりにうちの恋しい夫の愛らしい腹肉を半分差し上げるからさ! (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

芸大は美術と音楽しかないと思い込んでましたが、文芸学科なんてあるんですね。知人に文学部のゼロ年代学科みたいなのを出たという人がいましたが、文芸もまったく多様です。その多様性のなかでも、現代詩は生き残れないのか、まあ当然だろう(!) >出来るだけ人の失礼にならないように過ごしていきたいですね。 まったく。(本心オブザ本心) さっそく運営のゼンメツさんが返詩の手本を見せてくれるそうですので、あとは現場でお会いしましょう! (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

>そうしたらもうオチバだ。おまえはオチバと呼ばれる。そうやってすべてが一緒くたになっていく。それは切り離された部位の名前で、過去へと剥がれ落ちた皮膚の欠片たちだ。どいつもこいつもいつまでも浮かれていて、どういう訳だかふいに探したくなる。 あらすじはここに集約できるとして、かつ説明は蛇足としてですね。話の長さといいネタの多さといい、どう見ても盛りすぎだが、文脈が鞏固で削れそうな部分が見つからない。こんな改善しにくい欠陥はめったにお目にかかりません。さすがポエムスターの列挙とはいえ、無用なほどエモい部分くらいは削れるのでは。 選語がポエムで中身は思想というのは、たぶんどちらが好きな人にも読まれないので、どちらかに振り切るほうが無難だと思うのですが。訴求など関係なく書きたいものがあるのなら、どうぞこのままお突っ走りください。個人的には『Wheel of F F F FFFF For tune』好きです。 http://bungoku.jp/monthly/?name=%83%5b%83%93%83%81%83c#b04 * 長い 遅漏よりは早漏のほうが ずっとましだ これでBBA受けすると思ってる 素人BBA童貞は、母胎回帰を忌み嫌う 罵倒家にすら読解が劣る おめでたいBBAは、寝てるGGIの 腹に頭を埋め居眠りする 顔より頭がよりよいのだった 横っ腹に片耳 アンチブルーエンハンサー。たしか皇居の北の丸公園で、心臓のような、つまり見たことのない赤い花を見た。見せたくてきみを呼び止めるまえに、遮光眼鏡を外すとただの蘇芳だった。血の気が褪せた痕跡を、埋め立てる作り物じみて青いひかり。紫という色の生まれかたを知る。見せられない視野を、色眼鏡がふたたび見透かす。 父から遺伝した難病と、それを苦にして父が自殺したことを、知ったからといってきみと別れられなかった。きみはわたしの夫になるために、継ぐはずだった生家と絶縁しなければならなかった。眼科医に作らされた遮光眼鏡は、執拗に青を欠かす。黄砂の青空をみどりに見せかけ、日陰の露草のひかりを否認し。街路の百日紅に、どす黒い血縁を通わせ。あの日以来、わたしだけの蘇芳色が、わたしの断ったきみの未来にしか見えない。 道ばたの胡瓜草が、たいてい橙色に見えるのはなぜだろう。枯れ色が透けているのか。この水色とかいう虚偽が、ほんとうは紫なのか。 (ブルーエンハンサー)

2023-08-26

…………わたしがぶっ叩きたくなるような追記なのか………… 通常運転が生き地獄なのは間違いありませんが、いよいよ解脱に達しそうです。いかいかさんがここにいる限りは、ほかの罵倒家全員喜んで許容する。だってお互い様だからね。三浦さんの話がいまやっと見えた、あの言行一致に心底敬服する。 ご友人はあやめさんですかね。あやめさんのご心配は胸が痛みますね。痛んだおかげで「そうだった返詩に関しては、思いっきりハードル下げたい意嚮なんだった」と思い出しました。正気とともに推し活に帰ることにします。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-25

>「気合い入ったテクスト論者」というワードに負けない姿勢でありたいな、と思います。 つまり、蛇蝎と忌み嫌われることに躊躇がないのですね。わたしは特にとんでもない蛇蝎ですが、その同類とみなされてかまわないのですね? なんという逸材だろう。 ところでもじゃおさんは芸大卒なんですね。詩を学んだということは音楽科でしょうか。わたしはミューズとディオニュソスに見放されているので、楽才はすこぶる妬ましい。もちろん画才も妬ましい、そもそも詩才が妬ましい。ぜひご遠慮なくマウントをお取りください。 >良い意味で「返詩にマウントを取られない程の詩」は、生きているうちに書けるようになるか怪しいと思っています。芸大で当時現役の詩人の教授とお勉強しておりましたので、私個人の尺度では、上記のような詩が書ける人はすでに日本の詩壇を背負って立っているかと思われます。 いやいやいやいや日本の詩壇を背負って立つような人が、ネット詩にマウント取りに来ると思いますか? わたしのいう「返詩にマウント取られる程度」は、そうした現実に立脚できていない精神状態、俗にいう被害妄想です。いちおう心理学部卒だからか、修辞がややこしく申し訳ない。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-25

>ちなみにこれは今回澤さんに叩かれているポエムスターのアンサーとしての見方もできるかなと。ていうかあれはみうらくんさんの書いた記事内での切り取りかたが悪い! 僕がまた仕事が終わったあとに追記する! たしかによく見ると三浦さんのせいですね、一次資料にも当たらず失礼しました。なにせ出典が明記されてなかったので、ますます三浦さんのせいですね。追記なさったら確認のうえ、暴言を反省しますのでご連絡ください。 ちなみに上記には「ゼンメツさんもわたしの他称恋愛感情に巻き込まれ、しこたま迷惑なすったはずだがお忘れなんだろうか」という含みがあるのですけど、おおむね伝わっておれば幸甚です。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-24

こんな乱雑な列挙を散漫に見せない文章力は大したものだが、脱線部分のせいで評価を渋られると思われる。わたしも渋る。以降は政治と宗教と野球の話をやめ、本題に集中することをおすすめする。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-24

しかし、運営発足2日にして内紛が原因のサイトダウン、1週間にして罵倒家どもの趣味の脅迫の泥沼とは、やるね8期運営。批評は派手な煽りを含めないと芸にならないんだから、罵倒家(当然わたしもそのひとり)を恨まないでくれよな。だれがどこでどれほど澤あづさをぶっ叩いてくれても、もちろんわたしは一向にかまわない。 ●スターポエム批判の続き https://note.com/breviewofficial/n/n581b900ca1b8 マウント取りの蛇蝎と名高い返詩も読解も、もじゃおさんのおっしゃるように「あたりまえのこと」だ。詩や詳述の形で書かれた感想文にすぎず、本質は一言コメントと変わらない。そんなことに愛がどうとか、愛だからしかたないとかさ、DV野郎みたいなエモーションは不要なんだよ。 自分もしてた愚行だから言うんだが、合評を恋愛に喩えるのは馬鹿のやることだ。ただの暴力なのに、さも作者のためを思ってるみたいな体裁を取ったら、作者がその暴力から逃げられなくなる。無責任な野次馬にも暴力が波及してしまう。作者にその迷惑を拒否する気概があればいいが、なかったら? 相手の好意をどうしても断れない繊細な詩人だったらどうするんだ? ネット詩評は現況、もちろんビーレビのこの現況でも、ポス構か仏教にでもすがらなければやってられない苦行で、永遠に改善などされない。なぜならこれが人間の真相だから。内紛が原因のクラッキングでサイトダウンなんて異常事態を、わざわざ呼び覚ますのが詩情だからだ。読めないなら読まないほうがいいに決まってるものを読むなんて悪趣味の、ハードルを下げる必要はない。クソ評者は殴られるべきだ。これは愛だから受け容れろと作者に迫るDV野郎は、特に入念に。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-24

ところで69ちゃんは、ここでわたしと会話する気があるのか? きみもあの経歴なら「過去のもめごとを合評に持ち込む」のが愚行であることがわかるはずだ。わたしもこう見えて遺恨は引きずらない。いま恨んでいるのはすべて現在進行中の事案である。 そこでさっそく言うが、『花鉢』のきみのコメ大変よかった。あのコメ欄で一番よい。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11320 だからきみも知ってる拙ブログの月末公開予定記事に、100%好意的に(つまり単に重要資料として)引用することにした。引用は国民の権利なので報告する義理などないのを、わざわざ説明までしてやったぞ。その蛇蝎ポエムはださいから本気を出せ。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-24

同志よ! もじゃおさんの思想を一言にまとめると「気合い入ったテクスト論者」になりそうです。ネット詩にそれ以上の蛇蝎はありません、ありがとうテクスト至上主義者です。 酷評がムカつかないのは本気出してない証拠だと思うので、正直はけっこうなことですね。ちなみにわたしは某所で、酷評されるたび反論し、頭が冷えると反省し、酷評をもとに作品を改訂することを繰り返してましたよ。選者にはその改訂がえらい不評でしたけど、わたしは合評の手本を見せてやったつもりなので心外です。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-24

●三浦さんの記事から引っ張ってきた返詩檄文 https://note.com/breviewofficial/n/n581b900ca1b8 この駄文(特にスターポエム)はお花畑ですね。いかにも他作を愛したことも自作を愛されたこともない雑魚の虚妄です。わたしは以前この駄文に酷似した標榜で、返詩と読解を実践していたわけだが、それでたとえばいかいかさんがどういう迷惑を被ったか、ご本人に確認してねーのかポエムスターゼンメツは。なんのためにいかいかさんを招聘したんだクソ運営が。 返詩読解など愛読詩の実践は、ほとんど人格陶冶です。マウント取りの蛇蝎と忌み嫌われることを承知し、ときには敬服する詩人に危害を及ぼすことも覚悟しなければならない。まあつまるところ、返詩する側もされる側も、無責任な傍観者たちも「返詩にマウント取られる程度の詩を書かなければよい」これで話は終わりなんだが。 その当然の理窟に収まれないのが人間で、詩人は人間の極致たるべきなのであって。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-23

>というわけで、烏合の衆の代表はお断りします^ ^ >当たり前の事に特別な名前をつけると途端に胡散臭くなったり、敵を作ることも有るでしょう。 なるほどなるほどなるほど。いろんな意味で完璧に真理です、さっそく烏合の衆は棄却しましょう! その大役にはもじゃおさんの(特に上のコメの)ような堂々たる人格が不可欠なので、三浦さんではつとまりません。もじゃおさんを代表に得られないなら、烏合の衆自体が雲散霧消です。以降はあくまで個人として、わたしの愚考をご指南くださいませ。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-23

もじゃおさんには返詩という文化を完全にご理解いただけたようでうれしい限りです。ここでさっそくもじゃおさんにハイレベルな返詩を投げつけ、マウント取れればかっこいいのですけど、わたしにはもちろん無理でむしろわたし(非詩人)に返詩してほしい。これでは話が先に進みません。 そこでもじゃおさん、わたしと一緒に、返詩のための烏合の衆を結成しませんか。なにをどう活動すればよいのか、正直よくわからないが、ひとまず結成することが重要です。なにせ返詩は蛇蝎のごとく忌み嫌われており、ふつうだれもしないのだから、われわれが返詩を愛する平和な人間であることをアピールしない限りは来るものも来ません。 わたしは非詩人で大役がつとまりません(肝腎の返詩もできないので、返詩に並ぶ蛇蝎である読解で代用しなければなりません)ので、詩人であるもじゃおさんに代表就任してほしい。よろしくご検討ください。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-23

ご返信と重要な疑義をありがとうございます。いやはやはやはやまったくもって重要です。 >想定されている返詩については理解できました。 >なぜ嫌われるのか、嫌うのかという点はよく分かりませんでした。 そうですね、わたしもそれまっっっっったく理解できてないのですけど、一部の批判者から聞いた話では、本詩の作者に対するマウント取りに見えるみたいですよ。なんでそう見えるんでしょうね、返詩にマウント取られる程度の詩しか書いてないから?  もじゃおさんはその程度の詩を書いてらっしゃらないようでなによりです。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-22

もじゃおさんはじめまして、ご賛同いただきうれしく思います。以後その提案への疑問は(わたしにしか返答しようがないと思いますので)澤あづさ宛てにお願いします。 ビーレビで返詩は禁止されていません。「合意のない批評行為としての返詩は、蛇蝎のごとく忌み嫌われるのでふつうしない」というだけのことです。語弊のある表現で申し訳ありません。 「合意のない批評行為としての返詩」については、実例を挙げない限り説明ができませんので、やむなく人様のお作を紹介します。上記でわたしが想定しているのはこの推薦文です。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11499 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-22

●評価(結論) 着眼がよく深い余韻のある魅力的な詩ですが、散文が洗練されていないために魅力が活きていません。散文を基礎からやり直す(手本は現代詩より小説がおすすめ)か、行わけ詩に振り切るかすれば、よりよい詩が書けると思います。詩才は充分に感じます、難点は文章それ自体です。 ●読解(評価の前提) 題名と散文部分の匂わせを総合的に嗅ぎ取ると、「語り手は19歳で死んだも同然で、まだ人に戻れていない」というようなことが感得されます。初聯1段では帰るべき場所が焼き払われ、語り手の罪悪感(スカーレット)が示唆される。2段では母胎に回帰し、再び人へ至るための進化の過程をたどる。2聯で陸地に産み落とされるが、人の姿に至っていない。印象は文字通りの「人非人」。 3-4聯の行わけ部分は、語り手の「祈りの水底」(初連2段冒頭)の抒情。人非人の語り手が封印している本心のようなものが、人格の表層へ浮上することなく心の奥底に沈んだまま、「永遠に続く/退屈な音楽」に涵養されています。この感想は詩形から直感的に得られたもので、合理的な根拠はありません。 「退屈な音楽」は、かつて聴いた子守唄か、心音か、いずれにせよ語り手の人格の核心にある「もう変わりようのないもの」。その音楽が「永遠に続く」という修辞は、この本心のようなものが、ずっと沈んだままもう浮上しないのであろうこと、すなわちすでに失われていることを予感させます。 ●特に好きなところ 後半の行分け詩は全文大変よい。特に3聯は簡浄素朴でよく響きます。 >浮き袋には空気ではなく >幸せが満たされている 本物のシーラカンスの浮き袋につまっているのは脂肪(蓄積されたエネルギー)ですが、ここでは「幸せ」と呼ばれています。「幸せ」が重いから「祈りの水底」から浮上できないという、どシンプルな描写に虚を衝かれました。幸せは活力だが、幸せだからどこにも行きたくない(活力なのに活かせない)という撞着も、「幸せ」の重みを深めています(へんな日本語だけど)。 ●よくないところ 前述の通り、散文が洗練されておらず読みにくいです。前半の描写が散漫であり、伏線として機能しているようにはみえず、選語の必然性を感じられないのが特に残念です。密度や精度は低くなさそうですが、読みにくすぎて行間まで読む気になれませんでした。 訴求の要の冒頭がこれでは、せっかくのすばらしい後半まで読み通してもらえないかもしれません。以降はぜひ冒頭に注力してください。構成は上手です、難点はとにかく文章それ自体です。 ──────── 以上「向上のためのアドバイス」でした。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11520 どうかクソバイスになりませんように。 (生き延びるために十九から音楽を食べている)

2023-08-22

さっそくのご返信と唐突な決意表明をありがとうございます。名指しのご言及はありがたく思いますし、クソインテリがクソである件にも同意しますし、文学極道への執念にも共感をおぼえます。また「下手な詩」という謎の概念への拘泥にも、詳細不明ながら一方的な好感を持ちました。三浦さんの定義はさておきわたしが思うに、巧拙というのは、優劣以前の問題であり、適切な鍛錬によって向上可能であるからです。 ※ちなみに福まるさんの詩にはコメントしたことがあります。すなわち無価値と思っていません。 ※きょこちさんの詩は存じません。拝見したこと自体ありません。 ※三浦さんの本日投稿作は拝読しました。のちほどレスに伺い、巧拙について説明します。 もっとも以下の話は、話題に乗れず残念ですが、「下手な詩」とは関係がありません。作品の巧拙とも優劣とも関係なく「向上心がない人へのアドバイスは、徒労であるし迷惑でもある」というのが、わたしの今回の主張です。 * 望まれないアドバイスすなわちクソバイスが迷惑であることは論を俟ちません。そもそもネット詩において「向上心がない人」とは、つまりまともな一般人であって、批判すべき落ち度がありません。それにあえて非常識にもクソバイスするとなると、無責任な絶賛や罵倒とは桁違いの労力を要しますから、徒労で終えたくはありません。 そのゆえわたしは基本的に「よいと思った作品にしかコメントしない」。これはあくまで自分のためにすることですので、相手の反応を気にせずにすむのです。(この説明には具体例が不可欠ですが、話が長くなりますので割愛します。)ビーレビには投票という贈賄制度がありますので、特に推薦文には「多少デタラメなこと言っても5票入れとけば文句は出るまい」という甘えも生じます。 そういうぬるい状況下で「よいと思わない作品の作者に、向上のためと自分では思っているものの、クソバイスになる蓋然性の大変高いコメントをする」のは、並大抵の苦役ではありません。そこでこの営為を円滑にする方法として、以下2点の試みを提案します。いずれもわたしが過去に実体験し、実際に成果を挙げたものです。 ①コメントの依頼と請負の制度を作る。 ②批評行為としての返詩を解禁する。 ①は投稿者に「みずから評価を請う」という行動を取らせることで、向上心を明示させる制度です。この程度の行動も起こせない者に向上の見込みはありませんので、芸の鍛錬としても有用でしょう。投稿者の向上心の有無を可視化すれば、評者の側は「向上心のない人へのアドバイスという徒労」を完全回避できます。わたしもメビウスリングではこれを利用して、よいと思わない作品の向上心ある作者に、頻繁に言及していました。 ②はわたし個人の拘泥です。わたし自身が自作に対するこれを掲示板で募り続け、他者のアイディアを自作に取り込み続けた結果、文学極道で創造大賞まで獲ったのでおすすめしたいだけです。創作界隈に存外多い「読まないと書けない」タイプの人には、覿面の効果を発揮すると思いますし、三浦さんにも向くんじゃないかと予感しています。とにかくいっぺんやってみてほしいんですよ、やってみないと適性があるかないかもわからないので。 ②は個人レベルでも実践できますが、①の実践は環境が整わないと難しいので、運営者のスレに書き込みました。個人的には②に関心を寄せる方が一名でも出るよう祈っております。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-21

運営のみなさまにお見舞いを申し上げ、また遅ればせながらお詫びと感謝を申し上げます。 わたしは記事の件で自分のコメントが消えた際に、当該コメントがサイトダウンの一因なのではないかと杞憂し、再投稿をひどく躊躇したために、用いるべきでない手段を用いて問い合わせをおこないました。発足早々の被害でご心痛も深かろうみなさまを、個人の杞憂で煩わせたことを申し訳なく思い、迅速なご対応と格別のご配慮を本当にありがたく思っております。今回用いた手段は二度と用いません。 ●昨夜のスペースでの報告について 昨夜のスペースでの放送(冒頭と山場のみ拝聴)の山場で三浦さんから、澤あづさが「よいと思った作品にしかコメントしない」旨をご指摘いただきました。わたしにも「評者がよいと思った作品にしかコメントしないのでは合評が機能しない」こと自体への反論はありません。 にもかかわらずわたしが「よいと思った作品にしかコメントしない」ことには、もちろん理由がありますので、議論の場があれば意見と提案を出します。わたし自身に疑義自体への反論がないので、不毛な論争にはならないと思います。以上のことは、この場をお借りして個人的に、三浦さんへ申し上げるものです。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-20

※昨朝の消えたコメントの再投稿※ ええー(・3・)お返詩読みたかったなー。 (・3・)仰天するほど批評対象に似てないとはいえ、ちょう好みの出だしなのになー。 なんだよこのくそサイト(ほめてる)合意のない批評行為としての返詩は、およそどこでも蛇蝎のごとく忌み嫌われるというのに。ネット詩史上最高にわたし好みだ。滅亡の日までこの調子でいてくれ。 ●批評対象の批評対象の読解について >僕はCeremonyさんが推薦した対象作をかいつまんで、こう読んだ。 >作中話者は(おそらく)老年介護施設で働いている。 >話者は《私は若い》というがいずれ被介護者のようになることを、そこにたどり着いてしまうことを認識している。 >推薦対象作は難解な詩ではない。とても分かりやすく開かれ、叙述性の高い、情報伝達に力点を置いた文体である(加えて情報伝達以上のものを達成している良い作品であると思う)。 いやいやいやいやそんな読解が並大抵のわけねーだろ。高校国語の範疇はるかに超えてるし常人には無理ですよ。現にわたしは介護施設や認知症など想像にも及ばなかった。正直、この推薦文に刺戟されるまで、意味を取れすらしなかった。批評対象のほうに脳天かちわられてたせいもある。 で、いま、やっと読解の切り口を見つけたので、記念に書いときますね。 * >すべての輝きが大いに極まるところで >そう、生がふと溢れきってしまう https://www.breview.org/keijiban/?id=11384 個人的にはこの2行に全内容を集約できるように思いました。映画みたいにクライマックスで人生終えてしまいたい衝動、結婚式の当日にウェディングドレスで自殺する花嫁のような心境だが、この語り手にとってのクライマックスが、そういう劇場型とはまったく無縁というところにおもしろみを感じます。 冒頭の「闘いつづけることを受け容れる」は、自分の人生にクライマックスはもう来ないという諦念のようにみえますが、そう言いつつも次のクライマックスが「山積みになったレシート」とかでわりと簡単に来ているもよう。来るたびここで人生終えたい衝動に駆られ、生き延びるたび次のクライマックスがわりと簡単に来る、そのように「闘いつづけ」ている。この主意(というのはわたしの読解の核心という意味で、作者のお気持ちなど知ったことでない)が、平坦で冗長な筆致とよく合っています。文章の密度が低く「すべての輝きが大いに極まるところ」が客観的な輝きを放っていないのは残念ですけど。 よくできた芸術的な詩ですね。わたしは抑揚も凝縮も展開もない平坦な詩が苦手なので、この推薦文に刺戟されるまで意味を取れすらしなかったが、それはわたしの問題であって作者の責任ではない。 ●批評対象への評価について …………や…………なんだろ、この違和感…………。 批評対象のアレな部分を、見なかったことにしてさしあげて八方丸く収まりましょうって、全力で説得されてる感満載なんだが……そのアレな部分にしびれてるわたしの性格が悪すぎるんだろうか…………。 >素直にご自身がこの作品で受けた感動を、自分の身体から表れる言葉に翻訳しなおしたのだ。 >難しく考えることなどないのだ。(僕は難しく考えるのが好きなので考えるけど) もちろんこの主張には(それがネット詩で蛇蝎のごとく忌み嫌われていることを重々承知のうえで)全面的に賛同します。 (・3・)お返詩読みたかったなー。 (『私たちもこのロスト・ハイウェイの先を急ぐ』におけるCeremony氏の「よい旅」)

2023-08-18

※このコメはsageます、返信不要です。 本日ここで報告できる進捗はないのですが、昼にサイトが落ちたようで、けさ打ったコメがすべて消えているので、試し打ちを兼ねて。 笑えたポイントが実際に推し活であってなによりでしたが、上の推し活は、なにせシヴァの祭の大麻饅頭みたいな詩を読んだ直後に書いたので、右肩さんの浄瑠璃世界だけ題名が抜けるなど不手際がありました。右肩さんのの題名は『本当の蝶はこの世に四匹しかいない』です。 http://bungoku.jp/monthly/?name=Migikata#b01 そのシヴァの祭の大麻饅頭みたいな詩ですが、けさ再コメしに行った(そして消えたのでいま様子みてる)ら、奇遇にも田中さんのコメの直後でした。その田中さんのコメに、わたしハート打ったのですけど、消えてしまって残念です。以上、日記。 ところで、 >以前、ドゥルーズが心理学をファッション化しているという指摘があり >まあ、フロイトな方はそうだろうと最近、腑に落ちて反省しているのですけれど 『アンチ・オイディプス』の話でしたら、心理学でなく精神分析学ですし、ガタリの著作であってドゥルーズは編集者にすぎません。ガタリのオリジナル版も出版されています。そのガタリがファッションであるという指摘は、まあ事実といえるでしょうが、「ガタリと違ってフロイトはファッションでない」という意見がもしあるとしたら、わたしはそれには賛成しかねます。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-17

●悲報 気忙しすぎて、ネット詩のための時間をまったく取れません。夫の盆休みが終わるまで、記事執筆にかかれそうになく残念です。 >ごめんなさい、笑ってしまいました。 笑えたポイントがわたしの趣味のネット詩推し活であったら幸甚ですが、今回の記事にゼンメツさんと右肩さんを拝借する計画は頓挫しました。別のコメ欄で芦野夕狩さんのお名前を見かけ、そういやかれにも列挙の説明にうってつけの作例があることを思い出してしまい、きりがないので別の記事に全員まとめて拝借することにしたからです。 趣旨からしてネット詩推し活である記事に、別のネット詩推し活を3本も放り込んだら、もはやなにがしたいのか理解不能ですからね。批評は主意を明瞭にしなければなりません。これは列挙という話術にも言えることです。趣味のネット詩推し活はこの場でやることにします。 ●ご質問への返答のふりして趣味のネット詩推し活 >作品「花鉢」にしろ、ボルカ様の作品にしろ >なぜ私たちは「死の匂い」周辺をグルグルと周回しているのか? >これって本当にふしぎなことじゃありませんか? これは実に重要な提議ですが、いま依存性物質みたいな詩を読んだせいで脳みそ麻痺してるので保留して、ひとまず客観的な事実を整理します。 わたしの新読解において『花鉢』の死の匂いは、乙姫の玉手箱から湧いた水烟であって、客観的な事実ではありません。また『青い空の下だと銀色の車は青い』(以下略して「青車」)に死の匂いを嗅ぎ取る読者も限られるでしょう。青車は構造(文脈からは読み取れない背景)を読まなければ読解できませんし、その構造の読解可能性も一義単線ではありません。難解とはいえ確固たる文脈のある『花鉢』とは、作りがまったく違います。 『花鉢』に真に匂わされているのは失恋ですよ。恋情ほど凝縮に適した題は歴史上ありません。ゼンメツさんのアレも、匂わせが失恋であればこその、プラチナクラスの超高密度です。 ▼ゼンメツさん(無題) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2010 この作品の末尾一文「ほんとね、さっさと死にたいです。」は、ビーレビでも文極でも大した物議を醸したのですが、匂わせはすなわち黙秘です。「死」の字を使って実際の死を匂わすということは、原理上(作者のお気持ちのお察しなど低レベルなスピリチュアルとは関係なく)ありえません。この作品に指摘できる原理は、当然『花鉢』にも指摘できます。 では真なる死の匂わせがどういう事態か考えるのには、芦野夕狩さんのアレが大変有用です。 ▼芦野夕狩さん「ある朝冬の車道にて」 http://bungoku.jp/monthly/?name=%88%b0%96%ec%20%97%5b%8e%eb#a07 この作品は、通勤ラッシュの停車中に車道で死んだ犬だかタヌキだかを見たという具体的な状況を、一見意味不明なほど徹底的に黙秘しています。その黙秘の理由にこそ作品の核心があります。作者のお気持ちのお察しなど低レベルなスピリチュアルにかまけている限り、その核心には永遠に到達できません。 そしてもちろん詩は、みっちみちの抒情を列挙したうえで核心を黙秘しさえすれば、それでよいというものではない。下記の右肩さんの浄瑠璃世界&常世神(※私見)のように、ゆるい列挙を踏まえて軽やかに展開する非抒情詩も、大層よいものです。 ▼右肩さんの浄瑠璃世界&常世神 http://bungoku.jp/monthly/?name=Migikata#b01 この紺碧の浄瑠璃世界と、青車のスミレ色の浄瑠璃世界の違いが、非抒情と抒情の違いを浮き彫りにしているように個人的には思います。以上、趣味の雑なネット詩推し活でした。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-15

●朗報 批評対象のコメ欄も(投票期限切れだというのに)田中さんのおかげで盛り上がっている渦中ですが、予告のブログ記事に、蛾兆ボルカさんの貴重な読解も引用させていただくことになりました。記事本文の誤読を正すため、必要不可欠の引用です。 ご閲覧のかたのためいちおう説明しますと、蛾兆ボルカさんとは、下記のわたし史上最高傑作ネット詩評の批評対象著作者です。 ・拙文「飛躍、構造主義。蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』」 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-67.html ※ビーレビの本年4月分推薦文の改訂版です。 ※これを執筆するきっかけをくださったのも田中さんです。 奇しくも今作のは技術論が上記の対ですので、題名もおそろいで「列挙、構造主義。」と銘打つ予定です。技術論の作例には上記に引いた塚本邦雄に加え啄木と漱石を挙げるので、ネット詩代表として、ゼンメツさんのと右肩さんのも拝借しましょうかね、両名とも塚本や漱石と並べるにふさわしい書き手です。ひとりで勝手に大変盛り上がってまいりました。 評者同士の合評の成果がここまで発展するという理想が、田中さんのおかげで二度もかなったこと、そしてわたしの知る限り、田中さん以外の人がこの理想を叶えたためしの一度もないことは、ビーレビの全参加者に周知されるべきでしょう。 ●お褒めにあずかり光栄な話。 >山の女神に彼女をダブらせないと、後半に流れている妙なエロス、って >説明がつかないんですよ。 >その山の神が女である記述はあるけれども、そこに至る伏線を、伏線と思わず、読み流しちゃった。 ご安心ください(?)、わたしの「読解以前」も、みずから凝視したはずのその伏線の真相を盛大に読み飛ばし、華麗に誤読しております。このコメ欄で田中さんに刺戟されなければ、気づけなかった誤読ですよ。 こうして誤読とその是正を積み重ね、評者は(マジレスすると是正に努められる者だけが)大きくなるのですよ! ●以下、作品についてはブログに書くので、唐突に深刻な余談。 批評も読解も自由ですが、妥当でなければなりません。文学以前の国語の問題です。そして国語は作者のお気持ちのお察しではありえません、「妥当に書かれていない文章が妥当に読まれるわけがない」という事実を度外視した愚見など論外です。作者が書けていないのか評者が読めていないのか、見極められないままの合評が、向上の糧になる道理はありません。 現にビーレビでの合評は、賛否を問わず一律に、信用に値しないという前提でやり取りされていますよね。評言(特に読解)の当否が問題視されないということは、はなから期待も信用もされていないということですよ。合評の場では、批評こそ批評されるべきなのに。詩への批判が自由であるなら、批評への批判だって自由でなければならないだろうにね。 ネット詩で罵倒や暴論が一種の求心力を発揮してしまうのは、批評が機能していないからでしょう。その原因を根源まで突き詰めれば、「詩は自由に読んでよい」という、評者にばかり都合のよすぎる曲解の横行に行き着くでしょう。最近そんなことを考える機会がありましたので、わたしは今後、ネット詩評の怠惰な風潮に抗するつもりです。このコメ欄で実践している通り「自分の誤読を正すよう努める」ことからその抗戦をはじめます。以上、長い余談でした。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-13

突然ですが、田中さんの上の再レスの読解詳述に刺戟されたおかげでいま、わたしの脳内でこの詩の読解が完成しました。本文で述べた「読解以前」に、けっこうな誤読が含まれていることも判明しました。眠気と戦いながら30分で推薦できるような作品ではなかったですね。猛省します。 ブログにはこの合評の記録を添えて、正式の「読解」を公開するつもりです。お盆は忙しないので時間がかかるかもしれませんが、完成したらこのコメ欄で記事を紹介させていただきますね。刺戟的な合評とあたたかいご声援に、心より感謝申し上げます。 ※純文学の話は要領を得ませんので返信不要です、暑気で脳みそ溶けててすみません。この話題については大江の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』がおすすめです。未読でご関心とご余力がおありでしたら、ぜひ。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-12

お褒めにあずかり光栄です。本稿は諸事情により、ゆうべ眠気と戦いながら30分で書きなぐった誤記まみれではありますが、最近「求心力を発揮しうる詩評」ということを考える機会があったので、その成果が反映しているかもしれません。 たとえば批評対象の短所を隠してひたすら絶賛してるだけのステマじみた評に、説得力が出るわけないとかの一般常識をですね、いまさら意識しはじめたのですよ。この話はおっぱじめると、終わりが見えないレベルで長くかつ濃くなるので、とりあえず遠慮しときますけども。 特にイントロの件が三浦さんのお目に留まったのは、まったくすこぶる光栄なことです。これは文極名物「読めないやつは書けない」の境地へ至るのにたぶん必要な布石です。たぶんね。よかったらぜひ詩作でご実践ください。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-11

貴重な読解披露をありがとうございます。ネット詩が決定的に欠かしている「評者と評者の合評」の機会に恵まれたことを、心からうれしく思います。 このような貴重なコメントをいただけるとわかっておれば、評文をもっと練ったのですが、もはや取り返しはつきませんので、ブログで書き直すことをさっそく決意しました(その記事には田中さんの読解を引用させていただくつもりです)。推薦文はこのような使用が最高ですね、田中さんのような有益な評者に恵まれなければ、実践不可能な僥倖ですけど。 >その、ズバリ書きますけれど、一連目、難解ですよね、>焚き火をやるのかと訊かれたから >これね、僕は、おれの、家族か誰かに言われたのだと解釈したのです。 >そうすると、これ、言いますけれど「おれの焼身自殺」だと解釈しました。 ええもちろん、そのように解釈できると思います。文中に「最後の2聯には大きな解釈の幅があるが、本稿はそこに踏み込まない」と書いたその「解釈の幅」がまさに田中さんのその読解です。「焚き火」に注目した場合にはむしろ、そのようにしか読解しようがないとすら思います!  ただこれもご指摘いただいた通り、わたしは二聯以降の「雨」の伏線を凝視していましたので、語り手が実際に焼身自殺したという解釈には至りようがありませんでした。「焚き火」以外になんの鍵句もなく、その「焚き火」が綿密に描写されているわけでもない、そんな脆弱な伏線がこの濃密な「雨」の伏線に埋もれておっても、整合性が取れないので注目に値しない。有り体にいいますと、仮に「焚き火」が焼身自殺を意図して書かれたものであるなら、作者が自分の意図を書ききれていない(描写が不充分である)と判断した次第です。 そのことは作品コメ欄ですでに指摘しましたし、本稿で考慮する必要を感じませんでした。読解は作者のお気持ちのお察しではありませんし、批評は作者のための作文添削ではないからです。これが本稿の判断ですが、それはそれとしてもちろん、田中さんの読解は妥当にして有益、きわめて純文学的と思います! ●ところで純文学の話 「純文学的」という用語は「芸術的」と並んで語弊が多かろうに、軽率に用いて申し訳ありません。川端が純文学的でないなど、もちろんわたしは考えていません。 ただ詩は言語芸術の極致ですので、それを小説で実践するのは、川端大江レベルの作家であっても不可能でしょう。小説にとって重要なストーリーやキャラクターを犠牲にしない限り、言語芸術の極致は目指せないからです。(まあストーリーを一顧だにしない芸術的な小説家も、特にポスモにはざらにいますけど。) たとえばこの詩が「芸術性のためにストーリーを犠牲にしている」という見解は、田中さんにも、われわれの読解(わたしのは読解以前ですが)の相違からご理解いただけると思います。 (田邊容『花鉢』読解以前)

2023-08-11

「それが守られる限り」とは、具体的にはどういうことですか? たとえば氏は以前、 https://www.breview.org/keijiban/?id=10356 上記拙文にわたしが用いたシクロフスキーの異化について、 https://www.breview.org/keijiban/?id=10479 https://www.breview.org/keijiban/?id=10375 この通り人様の作品コメント欄に出張ってまで、執拗に中傷し続けました。わたしはこうした風評加害の一切を、いまに至るまですべて見過ごしてさしあげました。 以後、氏にこうした風評加害があり、わたしにこの場でその被害を公表する必要が生じた場合、どのような形をとればよろしいのでしょう。上記のような例示すらも、かれを不快にするという理由で、越権行為とみなされ罰されるのでしょうか? いかなる決定であれ従います(ゆえに以後、この件に関する返信はいたしません)ので、ぜひご退任のまえに方針を示し、次期運営に引き継いでいただきたく思います。せっかく取った言質を来月覆されては、室町氏がさぞお困りになるでしょうからね。 ●記事主様へ くだらない話でコメ欄をひどく汚してしまって申し訳ない。こちらこそお心遣いに感謝します。 (からっぽえむ)

2023-07-11

>このサイトに投稿されているどれほどひどい詩でもじつは音声にのせるのせかたがうまければ逆にとてつもなくいい朗読になる。声というのはそれほど凄いものなんです。それをあまりにも舐めているし。あまりにふざけているとおもう。 それは批評も同じですね。口のうまいやつがやれば家電の取説だって芸術的な批評対象になる、なんの落ち度もない善人だって悪人にでっちあげられる。室町氏の上のアジビラにハート入ってるのがそのいい例でしょ。 こんなふわっふわの浅薄な根拠で、人様の営為を舐め腐っていられるんだから、自称批評家やその取り巻きってほんと楽だよなあ。うらやましいよそのおめでたい脳みそが。 (からっぽえむ)

2023-07-11

朗読に不案内で巧拙はわかりません(こんな声を出せるうえにこんなふうに録れるってだけでスゴイとしか思えない)が、読解の一表現として興味深く拝聴しました。ちなみにわたしもこの被推薦作品、リアルタイムで推薦文を書いたほど好きです。 高作の朗読は、自分の黙読とリズムがまったく違っていて驚きました。特に「いつまでも。いつまでも。いつまでも。いつまで? いつまでも。」のところ、作品解釈が大きく異なるらしいことがよくわかります。自分と異なる解釈であっても納得できる、充分な説得力のある表現だと思います。あえていうと、音源がYouTubeなら、推薦文の機能を有効活用できたはずなので、なおよかったと思いました。 (からっぽえむ)

2023-07-10

パリ万博には気づきませんでしたが、陶磁器でアイスクリームを出すキッチンカーが出ていたんでしょうか。そんなわけあるまいと思いつつも念のためググったら、資生堂の創業者がパリ万博の帰路のアメリカで出会ったソーダファウンテンの話が出てきました。興味深い話で得しました。 その件も含めて、作者様の自作解題にも関心はあります(わたしはテクスト至上主義者ですが、それは作家を顧みないという意味ではありません)が、わたしは次期運営のDiscordを存じません。そもそもDiscord自体が不心得です。(てかそのDiscordで、一般参加者にはなにができるのでしょう。次期運営の紹介も兼ねて、大々的に告知していただけると助かります。) そうした事情でその解題を聴きに伺うことはしませんが、解題に関心があることをお伝えしておきたく再レスしました。以後ぜひご躍進ください。 (デモプレイ)

2023-07-09

こんな高密度の失恋は久しぶりに見ました。お姉はおれの花鉢に収まらない高嶺の花だった、というような雰囲気が、「山の神は女」を筆頭とする印象的な選語と強烈な飛躍でこれでもかというほど醸成されていて、こまかいとこまで一言一句みごとな凝縮で最高です。全文よすぎて、どこがどうよいとか、説明するのも困難なくらいです。 ただ抒情が走りすぎて、場面の描写が不充分かもしれません。語り手の具体的な状況をつかみにくいので(それでも鑑賞に支障はありませんが)臨場感については研鑽の余地があるように思われました。 (花鉢)

2023-07-08

>ボンネットの中を覗く必要はない >彼女は確かにそう言った >つまり物事の本質を見ることに対して >必ずしもその構造を理解する必要が VR彼女にこれを言わせる自虐的なセンスを筆頭に、伏線回収がとてもうまい。欠点は描写の起伏が乏しいため初見のツカミが弱そう(※個人的には好みです)ということくらいで、ほぼ完璧な仕上がりですね。銃で胸を撃たれているのにアイスクリームを気にする、キッチンカーで買ったアイクスクリームが陶磁器に入っているなど、仮想現実の矛盾を示唆する不自然な描写が、絶妙にさりげなく絵面も美しくてよい。特に下記の没入感エモい。 >手を離れた風船広場で女の子が歌い出す >手から離れた風船が空に落ちてゆく >青空に次々と落ちてゆく >ラジオの放送が聞こえてくる >まだ聞こえる事を確認する 正直吸収さんの筆力なめてましたが、以後に大いに期待します。 (デモプレイ)

2023-07-07

清き一票ありがとうございます。文極推し活大歓迎です。 >この推薦文を読んだ時に頭をよぎったのは一条さんのスロープタウンだったな そのご感想は想定外でしたが、すこぶる的確ですね。そうつまりこのヒヒョーは、どこからどう見たって与太話です。与太話がさまになったら詩評は一人前とつねづね考えているものの、一条さんの水準には、四皇上位では足元にも及びません。 ●趣味の文極推し活 2011年のミラクルな年間最優秀作品賞受賞作3作 ・一条さん「スロープタウン」 http://bungoku.jp/monthly/?name=%88%ea%8f%f0#a55 ・田中宏輔さん「The Wasteless Land.」 http://bungoku.jp/monthly/?name=%93c%92%86%8dG%95%e3#a20 ・泉ムジさん「青空のある朝に」 http://bungoku.jp/monthly/?name=%90%f2%83%80%83W#a18 ●拙文「文学極道年間各賞全15回 受賞者・選評等一覧」読んでね。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-61.html (たけだたもつ『明滅』半反解釈)

2023-07-06

水を涙の比喩と当て込んで拝見しました。雨に呼び覚まされた古傷の痛みが多角的に描写され、カタルシスとストレスが絶妙に入り混じって、すばらしく詩的です。前半2段は理窟ぬきで美しく、4段は文字通り起承転結な聯想がおみごと。「幾千のナイフ」など一見陳腐な表現も、飛躍をあざやかに見せるのに奏功しています。そこはかとなく漂う自傷の匂いも、個人的にはこの作品にふさわしい含みだと思います。失恋か死別の抒情と思って読むと伝わりがよいけれども、ごく個人的には、もっと根本的な孤独を感受しました。以上、わたしはテクスト至上主義者で、作者の意図を一顧だにしません。 (梅雨前線)

2023-07-06

ティアラが偽名で称号で、本名がエリザベスというのは感慨深い話ですね。いうまでもなくエリザベスは、ヴィクトリアに並ぶ英国女王の代名詞。ティアラとあだ名されるにもっともふさわしい名のように思われますが、実のところ英王室のティアラは既婚婦人のパリュールにすぎず、女王や王女の身位を示すわけではありません。逆に妃の身位を示すわけでもありません、たとえば故ダイアナ妃が結婚式で召したティアラは、王家のものではなくご実家の所蔵品でした。畢竟エリザベスがティアラでもって示せる身分は「既婚女性」以外ないという事実を踏まえると、作中で「絶対神にとっての神様」が「とっとと死ねティアラにすべてを捧げろ」と言われる顛末にも、深みが出るように思われました。わたしは神を凡夫の所知障にすぎないと信仰しております。 さて作品の評価ですが、話が雑すぎてフィクションなのかノンフィクションなのかすらわからないし、フィクションとノンフィクションのどちらであるにせよ半端だと思います。分裂気質はまがうかたなき才能とわたしは確信していますが、ただ幻聴を書きつけただけでは身辺雑記にすぎず、芸がありません。才能があっても芸がなければ文芸にはなりません。 (とはいえ個人的にはおもしろく拝見しましたので、一票おいていきます) (ティアラが偽名で称号で)

2023-07-03

いつも不思議に思うんですが、この評文のように「意味がわかるかわからないか」ばかり気にしているみなさんは、詩を読むとき情景を想像しないんでしょうか。詩でも小説でも文芸は、場面を想像しながら読む(臨場感を得て追体験する)ものと、わたしはたしか小学校の国語の授業で習いました。 特にこの批評対象は、冒頭どしょっぱなに「人形の青い目から青い模様の蝶が羽化する」というディープインパクトをぶっこんでいる。その鳥瞰図ならぬ蝶瞰図「まったくの青開/碧く開けた瞳(孔)」この頽廃的昂揚感。もはや浄瑠璃世界、失明に限りなく近いミッドナイトブルーヒャッホウ!とかさ。感じるのが先だと思うんですよね考えるよりも。 感じ入らなければ詩境なんて、見えるわけないじゃないですか臨場してないんだから。ましてや意味など、わかろうがわかるまいがどうでもよい、感じ入れたらその時点でその鑑賞は大成功なんじゃないですか。だって美術も音楽も素人の鑑賞はそんなモンでしょ、詩は美術や音楽と同様の芸術であるべきなんでしょビーレビ創成期の理想では。(ちなみにわたし自身の持論は違いますよ。) 映像美をやりたいなら映像をやればよい、特にこういう幻想は漫画やアニメのほうが向いてるといった意見もあるでしょうけど、その意見は「芸術としての詩」という理想を全否定するに等しいと思うのですよ。(繰り返しますが、わたし自身は、その理想とまったく無縁なのですよ。)この詩境をこの文章と同じほどエモいアニメに仕立てるのにいくらかかるか考えれば、その金をかけずにこれほどのエモさを表現しただけでも充分、この詩には価値があるとわたしは考えます。 (わからない)

2023-06-22

ONE PIECEは存じていますが、ナミやロビンの髪が短かったころのしか読んでいないため、ランクがAからA+だとは想像がつきませんでした。大層な名前のわりに、ランクはずいぶん低いんですね。ご教示ありがとうございました。 (body)

2023-06-18

わたしが問いたいのは「この場で完結できない評言、ナンパのごとき軽薄な態度は、作者に無礼ではないか」ということでしたが、ご理解いただけないようですのでけっこうです。ご返信ありがとうございました。 (body)

2023-06-18

吸収さんへ、名指しの横槍を失礼します。わたしも以前吸収さんに「四皇(上位)」と評されたことがあり、意味がわかっておりません。ここでご説明いただけませんか。 評文につねに記載なさってることについて「ここでは説明できない、聞きたければ裏に来い」って、さすがに筋が通らないでしょう、ここで説明できないことをなぜここに書くんですか。そもそも「裏」とはなんでしょう、一時期大紛糾した学校裏サイトのビーレビ版ですか? (body)

2023-06-18

逆十字はペトロ(※カナは新共同訳)の磔刑台で、元来は謙虚の象徴だったはずが、近年の大衆娯楽(特にヘビメタ等)では、なぜか悪魔崇拝のシンボルと誤解されていますね。このことと、後述するウグイスの縄張り宣言「法法華経」(変成男子の女人成仏で有名)、そして眠剤マイスリーの列挙に、どういう脈絡を見いだすかで、印象が大きく変わりそうです。 個人的には昇天も堕落もできない、いわゆる宙吊り(エポケー)の雰囲気が、眠気の身体感覚とからんでよく出ているように思われました。まさかマイスリーの副作用の夢遊症で、高層マンションの屋上から落下したなんてオチじゃないだろうと思いたい気持ちもあります。 「語り手が眠剤によってこんな夢を見るのがなぜなのか」はよくわかりません。読者に読解させたい意嚮が作者にあるだとしたら、情報不足だと思いますので再考を要するでしょう。しかし作者の意図や意嚮とは関係なく、作品には充分な雰囲気があり下記のディープインパクトもありますので、秀逸だと思います。 >ウグイスが季節を外れて >空に絡まるとき >どうやって解(ほど)けば良いのだろう >痺れて、逆さまになる祈り、 「季節を外れて」の指示内容は明瞭でないが、鳴鳥の話なのでホーホケキョ(縄張りの宣言)の聞かれない時期だと仮定すると、ウグイスは「だれの縄張りでもない中空に絡まっている」ことになります。縄張りの空に絡まるというのも相当なインパクトであるのが、あろうことか縄張りですらない中空に絡まっているというのだから、とんでもないディープインパクトです。作者の意図はわかりませんし、興味もありません。 (body)

2023-06-18

●結論。 >メビリンでの勉強会みたいの今もどこかでやっていたら、参加したいです。 新運営のかたからそういうお話を伺えるのは朗報ですね。メビも多様でおもしろいサイトでしたが、規制が厳しすぎて文芸の話には適しませんでした。勉強会にはビーレビのほうが向いていると思います。青空文庫限定で蛾兆ボルカさん司会の読書会などがビーレビで催されたら、わたしもぜひぜひ参加したいです。 ●独言。 しかしわたしは上のレスで新運営を、雑魚の寄り合い呼ばわりしたはずだが、あやめさんまでドMであったとは知らなんだ。たしかにわたしは詩愛が深い、つまりその愛が煩悩であるため、作者からみると愛されないほうがましである。そのへん誤解を招かないよう最近は「作者は死んだものとする」と看板にでかでか掲げているわけだが、それにしても。 いま不意に不安になったが、まさかコーリャ35歳に「作者の死」が通じないってこたーないだろうな。 (成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)

2023-06-14

ドM(←イニシャル)の褒め殺しを食らっている。どうやら死亡フラグが立ったようだ。実際問題、詩と死は隣り合わせですよ。北欧神話の詩神の極楽など、昇天したやつ全員で朝から晩まで殺し合っては生き返ることを、ラグナロクまで延々と繰り返すんですからね。それが死んでまで得るべき至福であると、北欧の詩的な男は本気で信仰していたのだ。文極残党の捨て身に似た非日常感。そんなのにマウントなんて、取られようがないと思うんだけどなあ。 (成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)

2023-06-14

(この書き込みははげちゃびんなのでsageる) 結論からいうと、わたしにとって文極は終わってない。むしろいまから始まるのですよ、口惜しくもサ終したからやっと語れるのですよ。あなたにわたしのこの意嚮を尊重する気があるのかないのか、理解不能なので説明してくださる? (以下、肝腎なところが理解不能なあまり、文言が悪意に満ちあふれる) わたしの苦情の目的は保身であって、ほかのどなたも知ったことでない。特定の亡霊を煽るついでに、文極残党への差別などを煽動されてはかなわないから釘を差しただけだ。(まあその目的はこの言動で自損したから、まったくどうでもいいんだけど。) あなたにとってわたしの損益は、よほどどうでもいいことのようで。ずいぶんなめられたもんだなあ。上のコメントでもあなたは、わたしの文極での賞歴(額面だけはあなたの大好きなケムリ三代目代表より上なんだぜ!)にも、わたし自身の制作にも、わたしがケムリ三代目代表の詩の魅力をさっぱりわかってない事実にすらも、微塵も敬意を払ってないわけだが。 もちろんそれは、表にさえ出さなきゃなんの問題もない。だれがだれを見下そうが、人の内心はまったく自由だ。でもそれでいて「もう上手くなくていいんだ。もう美しくなくていい。ただそのままであればいいんだ。」(投稿本文より引用)って詐欺にしかみえないんだけど。 * ところで異様に難しい漢字ってどれだろ。まさか凡夫の穢土か、凡夫も穢土も知らず人様に成仏を命じてんのか。あづにゃんポス構にしか信心ないけど、きさまに仏罰がくだりますように! (成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)

2023-06-13

丸一日経ったが作者はレスレスをよこさず、ドMの変態がフォローにもなってないフォローを入れに来たのみ。つまりこの投稿こそは、文極の成仏させがたき伝統芸能と解釈してかまわないんだな。腐っても創設メンバーのこの醜態、B-REVIEWの黒歴史としてわたしの脳裡に刻まれたぞ。 こんなふざけた煽り、煽り返しのひとつやふたつを食らわねばオチもつくまい。これで文極の「愛ある罵倒」のオマージュとか、特定の亡霊への厨二病的ラブレターとかのつもりなら、誤爆もいいとこだ。戒めとして親切に本物の文極偏愛を見せてさしあげたのを、粘着呼ばわりとは心外だが、マニア受けはそう悪い気もしない。 読解したらマウント取り、返詩したら承認欲求、文極の賞歴をプロフに載せたら日本の病巣。うんざりだそんな雑魚は、そんなモンにマウント取られる程度の書き手が雑魚でなくなんなんだ。で、なんですって、雑魚の寄り合いの新運営は文極ネタを排除の方向ですって? なら現代詩手帖も詩と思想もユリイカもぜんぶ排除だね。手帖はよくて文極はだめなんて差別だもんねえ、せいぜいコンプラをご遵守くださいな。 (成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)

2023-06-13

【投票コメ】あらゆる意味で「人形浄瑠璃」という印象。耽美的で頽廃的でいいですね。ごく個人的に4聯だけ下手に見えましたが、ほかはすこぶる魅力的だと思います。 (四方山話)

2023-06-12

わたしは生きているので亡霊ではありませんが、文極では詩書きとしてもトップクラスの評価を得た人間で、それを誇りに思っていますから、B-REVIEWでは仮想敵として吊るし上げられるべき悪霊の筆頭でありましょう。読解とかお返詩とか、マウント取りにしか見えないという理由で蛇蝎のごとく忌み嫌われる陋習を、ひたすら偏好しますしね。 しかし悪霊だからといって、ほかの悪霊に同調するわけではありませんで、十把一絡げにされては困る旨を主張しておきます。作者がこのレスにレスレスしなかった場合、それは文極の悪霊どもが煽動に頻用してきた伝統芸能にほかならないから、この駄文は一切の信用を失う。 * たとえばわたしは投稿前のROM専時代から、伝説のケムリ元三代目代表(読者優位の罵倒上等を知的乱取りと呼んでいた人)が気に入らなかった。かれがわたしの好きな詩を罵倒するうえに、わたしにはかれの詩の魅力がさっぱりわからないという二重苦があったためだ。だからといってかれの為政に異義を申し立てようとも、自作がかれに評価されたときそれを拒否したいとも思わなかった。理由を端的に言うと、どうでもいいことだからだな結局。 仮想敵のただの対立項にみずから成り下がるなど、自分は暗愚のきわみですと公言して回るようなもの。この駄文もその例に洩れない。B-REVIEWも仮想敵なしには結束できそうにない、戦争を起こす人間の強弁から逃れられそうにない。これがドーパミンの奴隷たる凡夫の穢土なのでどうしようもないくらいの感想しか、わたしはポス構に汚染されてるから思いつかないな。もちろん文極でよくみかけた実存的ナントカなど、理解できたためしがない。ああ、ついでに最後に。 >俺のほうが書けるから強いし賢いっていうのは小学生の頃に俺はポケモンがお前より強いだから俺のほうがえらいとか言ってマウントを取ってくる飯原くんと同じ論理である。それは詭弁である。 そういうのは詭弁じゃなく強弁というの。この駄文がやってるのと同種の誤謬なの。 (成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)

2023-06-12

>生まれるということはみずからなのか受け身なのか 「生まれる」という語は、英語では受け身(be born)としか解釈されませんが、日本語の文法では自発と区別のつかない場合がありますね。 たとえば親がわが子に思う「生まれてくれてありがとう」、この「生まれる」は受け身です。対して同じく親が思う「自分はこの子に会うために生まれてきた」、この「生まれる」はどうでしょう。これを受け身と呼ぶのは、肌感覚ではかなりの違和感があるように思います。 自信のない多くの親は、わが子がみずから親を選んで生まれてきたなどとは思わないでしょう。反抗期のわが子に「生んでくれなんて頼んでない」などと言われたら、きっととてもつらい思いをするでしょう。そんなとき「自分はこの子に会うために、みずから生まれてきた」という思いを噛みしめるのかもしれません。わが子もいつか愛する人に出会い、愛しいわが子を儲けたときに、この思いを共有してくれるはずだと祈るかもしれません。 考えてみると「(子が母から)生まれる」ことと「(父がわが子を女に)生まれる」ことは似ています。父親は出産の主体になりえないので、わが子の誕生に客体としてしか関与できません。この詩が「おまえ」をまったくの他人事として語る客観性には、父親のそのような客体性が反映しているように思われました。 * 以上の印象を踏まえて思うにこの詩は、視座(語りの立場)を欠いているために、せっかくのよい着眼を活かしきれていません。正体不明の語り手が「おまえ」の人生を全知し一方的に語る、神の視点の二人称文体、それもこの淡々では、語り手の「おまえ」に対する思い入れのほどを図りようがありません。語り手の上から目線に正当性を感じられないので、説得力を欠いてみえる次第です。 語り手を父親「おまえ」を息子と断定できるような表現があれば、行間をはるかに読みやすくなり、深みが増すと思います。あえてそれを設定しないことによって生じる利益が、わたしには思いつきませんでした。ご参考に足れば幸いです。 (現在詩)

2023-06-10

こひもさんのお目に留まり光栄です。コメ欄でもこの観点はわたしの独壇場でしたので、澤あづさならではの味が活きるよう、あえて減圧蒸溜で仕上げた軽口のヒヒョーでございます。 この被推薦作品は(わたしの批評対象はぜんぶそうですが)大変な傑物で、常圧蒸留すれば別物に化けることはわかっておりますので、機が熟したらそちらにも挑みたいですね。 (ほば『しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど』減圧蒸留)

2023-06-10

三浦さんが表敬から解放されて、本当になさりたいことを模索なさるのは、その結果がわたしの需要に合おうが合うまいが関係なく喜ばしいことです。皮肉でなく本心です。 三浦さんは、新運営各位のなさりたいことを、可能な限り支援なさりたいご意嚮なのでしょうか。実をいえばわたしにも、叶うならビーレビにぜひ通したい要望がありましたから、お声がけに感謝しています。だから残念にも思いますが、お手伝いはできません。理由はビーレビの創設をお手伝いできなかったのと同じで、合議制の銓衡を受任したくないから。そのうえほかに請け負える仕事がないからです。 通したかった要望については、わたしがお願いするまでもなさそうで、チャンスを逃すことに憂いはありません。新運営のみなさまのご躍進を、心よりお祈り申し上げます。 (次期運営についての提案)

2023-06-09

>放流され遡上して喰われて、また放流する ああドラえもんのコジツケールみたいに、鮭と酒を掛けたのね。つまり火炎瓶は、刺戟の足りないおじさんたちの、文字通りのスピリッツというわけだ。その情景はボトルレターを時化た海へ放流する行為にも重なる。まさにしけしけのしけしけのしけしけ。他人任せにもならず神頼みすらできてない自己陶酔の煽動。自律もできなきゃ他力本願も悟れない凡夫どもの輪廻。これぞ抒情の奴隷。 これは傑作なんじゃないですか。ものすごくうまいこと言えてると思いますよ。初見では「これ火炎瓶じゃなくて自爆テロだろ、修辞失敗してね?」と思ったけど、その誘爆も実際に大成功してると思いますね。以上、コメ欄考慮投票コメ。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-29

本稿が誘発する話題は非常にセンシティヴで、ビーレビに適さないと判断しましたので、この記事での返信はこれで終了いたします。田中さんをはじめ心あるかたとは、別所で個人的な交流を続けられたら幸甚です。 ●以下、置き土産の余談。 わたしは父を保険金目当ての自殺で失った経験から、現今日本でジェンダーロールに苦しめられているのは、むしろ男性だと思っていますが。多くの男性を実際に苦しめている男性性という幻想の、対照として捏造された虚妄が女性性だと実感しており、ほとんど信用していません。 たとえば赤毛のアンには、アン以外の女性がたくさん出てきますよね。マリラもダイアナもアンのような女性ではない、アンのような女の子はほかにいないというのが作品の重要な前提であるのに、そのアンを女性性の象徴のように捉えてしまうのは錯誤です。ジェンダーロールに導かれた錯誤です。 で、痴漢常習の多くは精神疾患ですが、その大きな病因にもジェンダーロールがあるわけです。前述の通りビーレビはこうした話題に適さないので、ここでこれ以上は述べません。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-22

誤解があるようですので附記します。上の「そうした感想には議論の余地も、討論の価値もありません。」というのは、わたしにその感想を押しつけないでくださいという意味です。本稿の主張もまた表現の自由の範疇にあり、議論の余地がありませんので。 男性が痴漢被害を軽視してしまうのはしかたない、女性は自身の痴漢被害より別れた恋人への未練を重視するべきである、わたしがそうした気持ち悪い偏見に賛同しないことは、本稿を読めばわかるはずです。にもかかわらずその迷惑な偏見をここに書き込み、無用な対立を煽ることに、なんの意義があるのでしょう。 以前そのような感想を客観的に「ハラスメント」と指摘した際、とんでもない難癖で粘着されたので、あえて主観的に「気持ち悪い迷惑な煽り」と、今回に限り表現しておきます。(当然ルールに抵触するでしょうから、以後は慎みます。) (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-22

コメントありがとうございます。まず私見を強調しますが、被推薦作品『trace』の作中に、語り手を女性と断定できる客観的な根拠はありません。その理由のひとつには、田中さんのおっしゃる通り、痴漢の標的がシス女性とは限らないこともあります。 根拠がないのにこの語り手を女性と断ずる読解の背景には、その読者が縛されているジェンダーロールがあるはずです。これについては別の推薦文で扱ったので(そしてこのことは、田中さんがマシューにお持ちのご感想とも無関係ではないと思うので)以下に自著から引用します。 ──────── ●拙文「ゼンメツ『飛べない』読解一例」より (前略)なにせこの作中には、語り手の性別を確定しうるような情報が、よくよく見ればひとつもないのだ。それを無理やり想定する必要も、よくよく考えればまったくないのだった。 にもかかわらずわたしが、語り手の性別を決定したい、語り手の性別が宙吊りのままではその立場を読解できないなどと考えるのは、おそらく自他が未分化だから。他者の身体を自身の延長物のようにしか認められていないから、自分が沿うジェンダーロールの型に他者まではめたがる。それはわたしがジェンダーに縛られ、依存していることの証左でもあろう。   https://www.breview.org/keijiban/?id=10356#head ──────── これを踏まえてわたしが主張したいのは、今回被推薦作品『trace』の文中から語り手の心情を汲み取ろうとする企ては、どうやっても下衆の勘繰りにしかならないということです。女性は別れた恋人への未練を引きずると思い込んでいる人は、痴漢被害を無視して恋バナばかり詮索するでしょう。逆に女性は別れた恋人をすぐ忘れると思い込んでいる人は、「彼」を語り手の元カレとみなさないかもしれません。 そうした感想には議論の余地も、討論の価値もありません。田中さんのおっしゃる通り、読者自身の内心を語り手に投影しているだけで、根拠も再現性もないからです。トビラさんの感想文をわたしが承りかねた理由は以上です。ああした下品で無責任な勘繰りには、関与したくないのですが、乗りかかった船ですので今回は言及しました。 * ところでわたしのあこがれの読詩人たる赤毛のアンですが、昨年末書いた好評の批評でも扱いましたので、ご関心があればご覧ください。 ●拙文『異化、漱石『夢十夜』第一夜より』内「異化すなわち赤毛のアン」 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-57.html#ANNE (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-21

コメントありがとうございます。本稿は投票投稿のための書きなぐりでして、できが非常に悪いのですが、連続体という概念が黒髪さんの鑑賞に一助を添えたのなら光栄です。 仏教において愛は煩悩、すなわち凡夫を一切皆苦の穢土に留まらせる力にほかなりますまい、愛着を去れば生きる理由もなくなるわけですから。現実的にみても愛着は大きな問題を内包していますが、それを美しいと感じる心があるから、われわれは生きていられるのでしょう。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-20

そのご感想が本稿の内容を踏まえているとは、本稿の筆者であるわたしには思えないのですよね。上のコメントでは「主眼を置く」の意味が曲解されていますが、そのような点からしても、筆者への誠意が感じられません。より率直に申しますと、なめられているとしか思えず、返答に困っている次第です。 たしかに本稿はなめられる程度の代物です。そんなものを20分で書きなぐって投げたわたしがもちろん悪い。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-19

以下、物言いが冷たいかもしれませんが、悪意はありませんのでご寛恕ください。このところ語弊について考えるところが多く、お茶を濁さないよう努めております。 * 「きみ」と「痴漢」と「知らない人」と「彼」のいずれに主眼を置いても、読解は不充分であるというのが、本稿の主張です。これには根拠が(論述できていないので大問題なのだが)ありますので、ご反論はそれを踏まえていただきたく思います。 トビラさんは本稿あるいは筆者の認識のどこがどう悪いと主張なさりたいのでしょう。わたしは拙文の向上を切望しておりますので、本稿へのご意見は賛否ともありがたく賜ります。しかし『trace』のご感想は、『trace』のコメ欄かご自分の推薦文に書かれるのが、やはり適切なのではないでしょうか。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-19

コメントありがとうございます。痴漢被害を語るのに「他人からみれば」という論点を持ち込むのは、二次加害に近いような的はずれにもみえますが、このPTSDには離人感が出やすいので無関係ではありません。この詩はその離人感を、2聯以降のスペクトラム(連続体)の列挙が象徴する通り、理性でみずから否定しているというのが、本稿の書けていない論旨です。 ニュートンのスペクトルでもゲーテの色相環でも、色の順番は決まっており動かせませんが、多色の比喩についての返答は、上で田中恭平さんのコメントに返信した内容で足りるでしょうか。 (再掲ここから) わたしはテクスト至上主義者で、作品評に際し作者の意図を一顧だにしません。したがって本稿は「書き手の切実さ」を一切考慮していませんが、「詩は多義的である、という先入観によって/大切なものを見落としてしまう可能性」は強く強く強く意識しています。 多義的であることとと多角的であることは、わたしの評言では異なる概念でして、ぶっちゃけ多義性のほうには関心がありません。その詩にどれほどの読解可能性があろうと、自分がそのときひとりで読める筋はつねに唯一無二と腹を括り、論点とともに観点をひとつに絞ることを旨としています。 (再掲ここまで) (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-19

お返事が遅れてごめんなさい、ただいまブログ版に添付する画像の選択等に手間取っております。こういう一見無駄な手間も読解の深化には役立つのでして、今度こそ自信作が完成しそうな予感。はたして、 >このイントロ(中略)実は書き手がいちばん訴えたいことだったりするのかな そういう事情もあり、あのイントロは消しようがないと再認したので、形を変えて残すことにしました。ブログは序文で論旨を明瞭にし、附記で特筆すべき修辞(血の池地獄と浄瑠璃世界の対照!)を詳解もするので、語弊はだいぶ消えるでしょう。 なにせあの前提は、被推薦作品の魅力を説明するうえでも重要です。つまり、あの沈痛な詩境にあって、浮いてるどころの話でない白パン赤リボンのディープインパクト。あんな奇想(私見)を宇宙の公理とばかりに飄飄と語るあたりが、わたしの思うこの作者の真骨頂なので。 >(読解を)自分の言葉で書ける方が >またハードルが高い それは詩人と読詩人の、いわば生態の違いですね。ちなみにわたしのいう読詩人の鑑は、ドーキンスと赤毛のアンです。 わたしにミューズや辯才天はほほえまない。そこでアラクネや織女星に、テクストすなわち引用の織物の才を乞うのでした。話が『蜘蛛の糸』につながってよかった。田中さんはぜひ楽神の加護でもって、300点を叩き出してください。 * 改訂中の推薦文がトップに上がり続けるのは好ましくないので、以降の返信は下げます。拙文へのほかのご意見、また近代偏好に関するお話などありましたら、近日公開予定のブログ記事へお寄せいただけますと幸いです。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-17

清き投票と的確なご指摘ありがとうございます。 >その推薦者、澤様の >実体験からイントロされて、これは席に座れないと思ったのです。 別所でほかのかたからも類似のご意見を伺い、いよいよ悟りましたが、そのイントロやあのアウトロは失敗ですね。本稿の目的は、被推薦作品の修辞がどれほど高度か明らめることであるのに、論調が論旨から乖離しすぎて語弊が深甚です。悟ったからには(ほかの瑕疵も多くどのみち必要なので)ブログで書き直します。 こうしてご指摘に恵まれるため、転んでもただでは起きずにすむのが、ネット詩の最高にすばらしいところです。 >それで、自分は音楽的に、リズムに重きを置いて書いてきましたが >その「浄土」の語が出ましたとき、非常に痛恨したわけです。 >ああ、耳ばかりで、眼を磨いていなかった、と。 わたしは逆に楽才が皆無なので詩を断筆しました。つまり詩才は楽才にほかならないと確信しています、現にミューズも辯才天も楽神じゃありませんか。 それにしてもあの「白いブランコ」にはやられましたね。全容が見えたときの快楽といったらなかった、こんな高度な修辞にはめったにお目にかかれません。しかもまったく難解でなく、白パン赤リボンの赤信号から発見がテトリスのように連鎖────まあほんと推薦文は、こういう与太話のほうが無難なのかも。 >その、自分がなんでそのジメジメとした体質の近代小説なり詩を >愛読するのかといいますと、(後略) これはさらなる与太話ですがわたしは、もし文学極道が存続していたら、いよいよ現代詩から脱却して近代詩へ回帰する方向へ向かったんじゃないか、それをぜひ見たかったとか、最近よく考えるのです。ぜひともに明治を偏好しましょう。芥川『歯車』は想定外でしたので読んでみます。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-15

レス専について親密なご擁護ありがとうございます。まさにレス専とは「読者」です、これについては言いたいことが山ほどあるのですが、まあ。詩人の楽園で非詩人の無粋は、ひとまず遠慮しておきましょう。ではお話の続きは別記事にて。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-15

どうにもつくづく思いますね。詩は詩人にしか読まれていないと名高く、わたしのようないわゆるレス専は稀少ですが、そのレス専の意見を尊重なさる田中さんのようなかたは、さらに稀少だろうと。経験則から。 たとえばわたしはメビウスリングというサイトでレス専をしていたころ、詩を書けないやつの評は賛否いずれも信用しないと豪語するめっぽう魅力的な書き手に感化され、その人に自分の絶賛を信用させたくて詩作をはじめました。当時その界隈の魅力的な書き手は、多かれ少なかれみんなそんな調子でしたよ。 わたしにはもう詩を書く理由がありませんので、初心に帰った次第ですが、そうした奇特な経緯を持つ元詩人読解家として、田中さんにぜひ進言したいことがあります。詩はコミュニケーションの手段ではありません、人と対峙したいなら人そのものに対峙するべきで、詩評にかまけるのは的はずれです。詩人にとっての詩評は、ご自分の詩作を培う糧であるべきです、田中さんは才能のある詩人ですから当然その例に洩れません。拙文が田中さんの詩作に好影響を及ぼすことができたら、元詩人読解家として、これほど幸せなことはありません。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-14

ご質問ありがとうございます、テクスト至上主義者です。 「これだけの作品を提出された作者には、もっと期待してしまう気持ち」というのは、たとえば、前作を高評価したので今作は厳しく当たろうとか、この人は先月の大賞を獲ったのだから今月はもういいだろとかの、妥当とはいいがたい低評価につながるたぐいでしょうか。 そういうのもおそらく間違いではないのでしょうが、あくまで選者の発想であって、一評者のすることではないと思っています。すなわちわたしにその感情は(ついでにいえば銓衡の才能も)基本ありません。 * 「300点バンバン持ってきてほしいか」というのは、『trace』のような、一見(←ここ重要)読者の力量を試すかような(←ここも重要)挑戦的な作品の、隆盛を望むかということでしょうか。それについてはきっぱり「狙ってできることじゃないから全員やめておけ」と返答いたします。 美しすぎる詩に酔うも酔わないも、読者の問題ですから、作者には干渉できません(干渉できるとしたらそれは洗脳です)。作者様が『trace』をどういう目的で執筆なさったか、知る由もありませんが、さあ読者を騙してやろうと意気込んで書かれたとは到底思えませんし。 作者の意図など関係なく、魅力的な詩は勝手にこうなるのです。詩人にはぜひ、よけいなことを考えず、ただひたすら魅力を追求していただきたいですね。 * それとは別の、ぜひ追求する価値があると思う挑戦性は、奇しくも同月分の別の推薦文で紹介しました。 ・拙文『蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例』 https://www.breview.org/keijiban/?id=11050 下記も、わたしが思うには(作者様がたにそんな意図はさらさらなかったと思いますが)めざましく挑戦的な作品です。 ※どちらもコメ欄に好評を得た拙評がありますので、よかったらご参照ください。 ・紅月さん『セパレータ』 https://www.breview.org/keijiban/?id=101 ・ゼンメツさん(無題) https://www.breview.org/keijiban/?id=2010 しかしこういうのの隆盛を望むかと問われると、「わたし個人は自分の読解対象としてそういうのを求めています」としか返答できません。わたしがそれを読解できるとも、そもそも読むとも限らず、責任を取れませんし、ハイリスクローリターンを推奨する覚悟もありませんので。 ここでいうリスクは、読者の理解を得られない可能性ではありません(そんなことを悩む腑抜けの話など、田中さんには不要だと思います)。その姿勢が作品の質に寄与しない、高い蓋然性を危惧しています。 その危惧の仔細は、例文なしには説明できません。無関係な人の作品を悪例としてここに挙げるのは、さすがにルールに抵触するでしょう。ご興味かつ批判に加担するお覚悟があれば(わたしはもちろん批判を恐れませんので)別所で紹介いたします。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-14

そうですあの北園克衛です。推薦図書の詩集を通読し、北園の「黄いろい」という修辞への拘泥が目に留まった関係で、無駄なほどの予備知識が山積しました。たしか本番では(ログがないのでうろ覚えですが)結局、まったく別の観点から論じたので、まさに無駄な収集に終わったのが、本稿でいよいよ日の目をみた次第です。このような蓄積は、いわば年甲斐、若人の天才性の好対照と自負できる域を目指したいものです。 拙評に過分の評価と激励をありがとうございます。ビーレビの推薦文は個人的にとにかく、投票期間が短いのが難点です。つまりテクスト至上主義者のくせに「5票さしあげないのは作者様に失礼」という無駄な配慮に呪縛されております。この拘泥にはビーレビの顕彰システムに関する私見もからむので、脱却が難しそうですが、ぼちぼち考えてまいります。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-14

作者様のお褒めに与り光栄です、わたしの信条は「批評は寿司と同じでネタ七割」です。投票期限最終日まで頭が冷えなかったため推敲が間に合わず、瑕疵が多いのが無念ですが、本稿は高作の真価を掘り当てたと自負しております。さっきスマホで読み返したところ、レイアウトの悪さと文章の雑さにげんなりする程度には頭も冷えてきました。折を見て筆削し、視認性の高い正書版を作成して、ブログに収録するつもりです。 ところで本稿のクライマックスである「スミレ色」読解に用いた、色名と可視光に関する雑学のほとんどは、メビウスリングで蛾兆さん主宰の『単調な空間』(北園克衛)読書会に出席した際、予備知識として収集したものです。わたしはテクスト至上主義者ですが、批評対象から知己の作者様を切り離すのは、青い光の下でリンゴを青く見るのと同じように不可能な実践ですね。わたしが蛾兆さんから学んだワンダーが、本稿に活きておれば重畳です。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-13

コメントありがとうございます。拙コメ欄にはパジャマでお越しいただいて問題ありません。2時間もの対峙のすえ「やばい」以外の評言を失う領域にいよいよ到達していただけたとのこと、光栄の至りです。20分で書きなぐったことをますます反省しました。 まさにご指摘の、この詩のやばさが多くのレッサーに看過された事実にこそ、そのやばさの本質があると思いますね。痴漢というとんでもなくセンシティヴな語が、どストレートに書かれているにもかかわらず、多くのレッサーがその明白なキーワードを読み飛ばし、わーすてきな詩だなーと感心してしまうなんて奇天烈な事態が、そんじょそこらのコメ欄で起こるとは思えません。この詩が常軌を逸して美しいから、読者が正気を失うのです。もはや幻覚剤ですよ。詩は酒に近いから、極上のはガマの油にも近づくのですよ。 わたしだって初見はすっかり騙された。わーすてきな詩だなーとしか思わず悠長に読み進めてたら「最後に痴漢された日」っては、はァ痴漢????? あわてて戻って熟読したらすてきな初聯、たしかにいかにもPTSDだった。この驚きをわたしや田中さんに与えた時点で早くも、この詩は100点満点中300点ですよ。────なんつうか、きみと痴漢のスペクトラムとかほざくより、こういう与太話を書いたほうがよかったのかもね。 * 念のためお断りしますと、わたしはテクスト至上主義者で、作品評に際し作者の意図を一顧だにしません。したがって本稿は「書き手の切実さ」を一切考慮していませんが、「詩は多義的である、という先入観によって/大切なものを見落としてしまう可能性」は強く強く強く意識しています。 多義的であることとと多角的であることは、わたしの評言では異なる概念でして、ぶっちゃけ多義性のほうには関心がありません。その詩にどれほどの読解可能性があろうと、自分がそのときひとりで読める筋はつねに唯一無二と腹を括り、論点とともに観点をひとつに絞ることを旨としています。 あえてひとつの観点にしか立脚しない読解には、死角もあれば盲点もあります。ご覧のとおり本稿にも、紅茶猫さんにご指摘いただくまで見えなかった死角がありました。このゆえにわたしは合評、できれば討論を切望します。田中さんには別の被推薦作品のコメ欄でも、大いに助けられました、重ねて感謝申し上げます。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-13

私見がご参考に足りたのならなによりです。ネット詩の未来という大局について、わたしは物申せる立場にありませんが、どんな形であれビーレビに長く存続してほしいと切望している旨を。この機会にお伝えしておきます。長くネット詩評を趣味として、批評対象の投稿先が消えるという事態を幾多と経験しました。なん度経験しても、あの虚脱感には慣れません。 別の記事で申しました通り、いまビーレビがいかにあるべきかという理念は、サイトオーナーである三浦さんにしか示しようのないことです。サイトの改革によって多くのユーザーを手放す覚悟がいかに重いか、拙評の暴力性ごときも覚悟しきれずにいるわたしにも、想像にかたくはありません。 わたしは利用価値しか考えられない無責任なユーザーで、かつ、あなたの論敵に類する人間ですが、本稿の評言を再利用すれば、敵も味方もスペクトラムです。思うほど対立も、矛盾もしていないはずです。賛同できないと思いながらも応援したいと思っています。以上、マジレス失礼。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-13

心よりお悔やみ申し上げます。置換とブルーライトの読解、どちらもいかにもわたしが勝手に思っている類さんらしい詩想で感服しました。類さんに詩が必要になったとき、またお会いできますように。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-13

メタフィクションなのか被メタフィクション(てわれながらなんだろ)なのか、構造がよくわかりませんが、神(救急相談窓口あるいは作者)を創造して苦しみ(ムササビ抗議女)から逃げる語り手というアイディアを興味深く拝見しました。河に碇を下ろした偽ノアの方舟、地に増えて出口を塞ぐ偽ネフィリムたち(ムササビ抗議女)というあたりが特に好きです。 (駅にムササビが)

2023-05-12

●被験報告 >怒り狂った街灯が >自分の周りにノイズを振り撒いている >それからというもの >見せ合ってきたのに >鏡が自分の正体を隠し始める >蛾(自我)のいない誘蛾灯は後悔の涙を流す このへんの主体性のなさをキータームとみなして拝見しました。ちなみに冒頭は先日たまたま読んだ中也『サーカス』に通ずる印象があり、興味深く読まれました。 後半の列挙は「波打ち際から海をひっくり返してみれば/浅瀬に足跡が残っていた」のような非常に奥深く感じられるものと、「腕に書かれる落書きは全て/愚痴だった」のような(アームカット以外なにも思いつかないので)幅も厚みもなく感じられるものとが、両極端という印象です。前回の12よりヒントが多くて入りやすいように感じましたが、それが作品の質に寄与しているかはわかりません。上記引用の図抜けた6行だけでも、詩として充分に成立するように思います。 (実験13)

2023-05-12

有益な物議のご提供ありがとうございます。もちろん便乗いたします。 >ご自身の批評によって被推薦作品が好評になるのは良いとするけれども批判されるのはNGだと。配慮する心情はわかるんですけど、批評による影響(というか、批評って対象作品を波及させる目的って自明の理だと思う)まで言及されるのは覚悟が無い批評だと思います。 そうですね、それは理念でなく、場に対する神経質な配慮にすぎません。推薦文を「被推薦作品が好きで書いても、その著者を迷惑をかけてしまう」ような代物に成り下げてしまったら、だれも推薦文を書けなくなるに違いないと杞憂しているだけです。その杞憂を、自分が文責から逃れるための口実にしているふしはわれながら否めず、覚悟がないとのご批判はごもっとも。ただ、 >そのポリシー(批評文が批判されるのはいい、けれども被推薦作品を批判するのは的外れだと主張されてること)は以前からお見受けして、なんか違和感があるんですね。 これはどうでしょうね。推薦文のコメ欄に被推薦作品の陰口を書き込む行為って、わたしからみると、自宅の庭でBBQしてるとこに街宣車が乗り込んできて肉食反対の演説を始めたくらいの違和感があります。つまり的はずれというより、場違いだと思うのです、被推薦作品への批判は被推薦作品のコメ欄で完結してほしい。よそまで出張ってネガキャン展開など、もはや政治的な思想活動としか思えず不快です。 不快なら無視すりゃいいだろとのご指摘はたしかにごもっともですが、「自宅の庭でBBQしてるとこに街宣車が乗り込んできて肉食反対の演説を始めた」のを無視するって妥当なの? ────ここまで書いて考えがまとまりましたが、つまりわたしは縄張り意識が強すぎるのですね。拙作コメ欄を私物と思っているからこういう発想になる、これは再考の余地が十二分にありそうです。 コメント返しについては、奇しくもけさTwitterでつぶやきましたので、抜萃しておきます。 ──────── 実際のところ読解は、ひとりで完遂するのが困難です。せめて合評、できれば討論がないと、誤解を修正できないし持論もかたまりません。憚りの多い投稿サイトにあって、討論の機会ほどありがたいものはありません。 https://twitter.com/adzwsa/status/1656788059046973441 ──────── (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-12

おおそれは楽しみです。投票期限を過ぎてしまったのは残念ですが、まあ、たとえばわたしは本稿を、投票期限に間に合わせるため最終日に20分で書きなぐって大失敗しましたからね。この実例を鑑みれば、批評の旬は投票期限を過ぎてからともいえましょう。首を長くしてお待ちしております。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-12

清き一票ありがとうございます。春のあけぼのようよう白くなりゆく山際すこし明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたるのももちろん、おそらく非スペクトル色の purple であって、可視光の violet ではないでしょうね。 あこがれの読詩人がドーキンスと赤毛のアンですので、物量作戦は好みの戦術ですが、今作は時間が足りず推敲が間に合わず、回収しきれなかったネタが災いしている部分も多かろうと思います。とはいえ自信作です、なにはなくとも間違いなく最高の作品を選びました。ご参考に足りれば幸甚です。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-11

コメントありがとうございます。ご提案の「痴漢→置換」で鑑賞を試みたものの、もとよりぶっ刺さってた痴漢の件がきょうさらに深くめりこんだためか、ブルーライトとともに正直よくわかりません。詳述希望。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-11

誠意が伝わり幸甚です。改めて、重要なご指摘をありがとうございました。わたしは批評が批判されない環境を不健全と考えており、また拙評の向上を強く望んでおります。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-11

ご指摘ありがとうございます、身の引き締まる思いです。そのご感想は本稿が誘発したもので、被推薦作品とは無関係と思われますので、ひとえに本稿の落ち度へのご批判と受け止めます旨をご諒承ください。 ちなみにわたしはシス女性で、フェミニストではありませんが、ミソジニストでは断じてありません。痴漢が重大な犯罪であることも、痴漢被害のPTSDが深刻であることも理解しています。被推薦作品『trace』にも、その深刻なPTSDの片鱗(離人感や逃避など)が窺える旨を、文中に明言したつもりでしたが、説明不足がすぎました。 >(痴漢が)美しい出来事の一部のように昇華されることもあるのだなと誤解を生む毒を正しく認識しなければならないと個人的には思います。 その誤解への警鐘は、被推薦作品の作中には含まれていると思います。わたしの認識が甘かったので、本稿では伝達することができませんでした。力が及ばなかったことを自覚し、次作の糧にいたします。 本稿で用いた「やばい」という嘆賞には、読者の誤解を恐れない豪胆な筆致への感嘆も含めていますが、批評が誤解を恐れないのではただの論外。刺激的な話題に言及するなら、あたう限り誠実に説明するべきでしたし、説明できないなら「やばい」の一言で話を終えるべきでした。 (完備『trace』嘆賞一例)

2023-05-11

ご自分に非も落ち度もないことで、ご自分を責めてしまわれるのは、田中さんの数少ない欠点のひとつですね。とはいえすがすがしい気分です、ありがとうございます。 仮想敵認定ですが、いすきさんのは無害です。詩が好きでもないのに詩を書いている人(そんなのざらにいるし天才もいる)は、仮想敵を作らないと書く動機を保持できません。ひとえに本人の問題ですが、解決する必要も、問題視する意欲すらもなくて上等というわけです。仮想敵にその責任を転嫁し、実害を及ぼさない限りはね。 三浦さん(いちおう完了形)のように、承認欲求がどうこうの詭弁強弁対人論法を弄して、仮想敵に実害を及ぼすのは、実際に迷惑だからやめてほしい。ゆえに「議事と無関係ではない」と述べました、話が迂遠にすぎて意味不明だったかもしれません。 * ところでけさは鳴海幸子さんが、先日の田中さんなみに莫大なコメントをなさっていました。精力的なレッサーは投稿サイトの天之瓊矛、わたしから見ても無条件で好ましい。「わたしから見ても」というのは、以前三浦さんがそのようなことを述べてたということですが。 すなわち田中さんには、可能な限り長くビーレビに残留してほしい。ちなみにわたしは10日近辺に4月分の推薦文を2本投げる予定で、そのあと5月分のコメントをするつもりです。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-06

わたしは地元の高島屋ふつーにTシャツで行きますよ。店内Tシャツだらけですよ。文極も投稿してみると、まさに地元の高島屋でしたね。ロム専時代は(当時は田中宏輔さんの一強時代だったので)天外天の万詩神殿くらいに思ってたけど。 当然いすきさんの態度はそういう問題じゃないでしょ。つまりわたしはかれの仮想敵だってこと。理由がなにであるにせよ、ひとえにかれの問題で、わたしに責任はありません。以上、自問自答なので、あえて返信を通知しない。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-05

いすきさん、つまらん横槍に早々とご返答ありがとうございます。 >澤さんからしたら私って本来は論外のポエマーなんじゃないでしょうか。 わたしは論外だと思った人には声をかけません。だって論外って「話にならない」ってことでしょ。 なにをどう誤解されてそのご返答なのか正直わかりかねますが、つまるところ、あなたにとってわたしが論外だから話にならないのでしょうね。わたしは人様に期待しませんのでもちろん諦めます。どうぞご健筆を。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-05

上で言及したいすきさんも、吸収さんのように「文学的素養と関係ない文学」などの噴飯物を希求している人もそうですが、自分の課題に対峙せず他人に期待ばかりしている人たちが、わたしには不思議でならないんですよ。 他人に期待したいならせめて、サイトを作り人を集めるくらいのことはしないと、なんら説得力がない。この一点においてわたしは、三浦さんの議事を絶対的に支持します。わたしが主張するのは「サイトポリシーはサイトオーナーの一存で、責任を分散させずに決定するべき」ということだけで、そのポリシーの是非も当否も問うつもりがありません。上でも述べましたが、なんであれサイトポリシーに賛同できないユーザーは、ぜひサイトを去るべきだとしか思わないので。 でも三浦さんは、そこまで割り切れていないようですね。 >ビーレビ6年の歴史を一度総括して、今一度、ビーレビの理念を打ち立てるべきだ >「ビーレビとは」という存在意義を思想を示すべき時にあるのではないでしょうか。 サイトオーナーがサイトポリシーを打ち立てるのに、ユーザーの顔色を窺う必要も、意義もないと思います。多くのユーザーはサイトに利用価値があるから利用しているだけで、三浦さんの煽動により結集したわけではないのだから、そんな話にたたき台もなしでは乗りようがないでしょう。 ひとまず三浦さんのやりたいことを、やりたい通りにやってみるしかないだろうと、わたしは思いますが。三浦さんがそれをなさらず他人にばかり期待なさり、その期待に沿わない他人の悪口にばかりかまけてらした(いちおう完了形にしておきます)のは、いったいなぜなのでしょうね。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-05

議事と無関係ではないと思うので、興味本位でいすきさんに伺いますが、 >私は詩がうまくなりたいけどそうなれず苦しんでいます。 ①ではあなたは、詩の上達のために努力しているのですか? 具体的にはなにをしているのですか? ②そもそもあなたにとって「うまい詩」とはどんな詩なのでしょう。こんな詩を書けるようになりたいとあなたが憧れる作品の実物(ウェブで無料で読めるものに限る)を、ぜひ紹介していただきたいです。 この2点をつぶさに検討しないと、その苦しみとやらは解決に向かわないと思うのですね。まあ、解決する必要も、そもそも問題視する意欲も、あなたにはないのかもしれませんけど。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-05

>これ(ビーレビが場でなく道である話)はどこから出てきた話ですか? 結論からいうとわたしの誤解でしたが、引用元は元運営yasu.naさんの、ご退任時のご言及です。 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2545 >そして「サイト」と呼ばれてはいるが、ビーレビの本質は単に「場」であるに留まらず、同時に「道」と呼んだ方がよいものである。ビーレビに人が集まる、こう述べるだけではまったく不十分であり、ビーレビには人が来て、居て、交叉し、通過し、思い出し、戻ってきたり、また去る、「道」であると思う。 >私は運営の一員として比較的に短い期間ではあったが、僅かながらできることはやった、そしてポジティブな意味と態度をもって運営を去らなければならない、そうしないとビーレビという「道」は停滞して「場」になってしまう、というふうに考えている。 元運営の一個人がご退任に際して述べられた私見を「ビーレビの理念」と呼ぶのは、いくらなんでも無理がありますね。どなたにもまったく失礼しました。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-03

4月のビーレビは田中さんの天之瓊矛で新天地が開闢したと思いますよ、本当に。活動休止は残念ですが、ネット詩の特にレッサーなどは、よほど余力のあるときにしかできないことですからしかたないですね。 ビーレビには「場」でなく「道」でありたいという理念があるそうです。いずれまたどこかへの途上で、田中さんがここを通られることもあるでしょう。すれ違う機会を楽しみにしております。 * 拙ブログをご高覧いただけていたとのこと、心よりうれしく思います。拙ブログは文極で、諸事情からわりかし有名だったみたいですね。 いまもむかしもわたしがしたいのは批評であって銓衡ではありません。才能もないがそれ以上に関心がありません。だからbungokureview(その名の通り文極をレビューする企画だった)には参加しましたが、B-REVIEWの運営参加(当時は選者就任が前提だった)は断りました。それは天才詩人さんが当時抱いてらした銓衡への意欲に対して、わたしに示すことのできる最大の敬意であったと、いまも思っています。 ところで澤あづさ賞ですが、現行制度上でもわたしの意識のうえでも、わたしの投稿する推薦文がそれに該当しています(以前の一時期は賞レースでも、公式の審査員特別賞が出ていたはずです)。ビーレビにほかの澤あづさ賞はありえません。 * 以下、蛾兆さんのコメントを拝見して考え直したので、私見を附記します。 上のコメントで「この記事の企画について、わたしは(相談役を置くというのは愚見なので例外として)おおむね好ましく思っています」と書きましたが、誤りでした。愚見は「相談役」だけではない、「投票結果を考慮」も同様です。選者を三浦さん一人に絞るにもかかわらず、銓衡の基準すなわち責任を他者に分散するのは不誠実で、信用に値しません。 ここでいう「信用」は、制度自体の客観的な信用です。三浦さんに能力を期待するか否かは、個人の主観的な判断にすぎず、議論の余地がありません。三浦さんの目利きを信用できないなら、ビーレビ杯に参加しなければよいだけのこと。それは選者がほかのどなたであろうが同じです。 もちろん運営にとってはそんな屁理窟より、実際の需要を実際に供給することのほうがはるかに重要でしょう。三浦さんの目利きに需要がない(この企画がビーレビ杯を衰退させる)と判断されたら、運営がこの企画を却下するでしょう。ここにも参加者が議論する余地はない、つまり議論でもって説得すべき事柄ではないと、わたしは考えます。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

田中さんのどこに反省なさる必要があるのかわかりません。自分は批判したいが自分が批判されるのはいやだといった腑抜けどもと異なり、田中さんはご自分の批評への横槍も含む反論に、過剰なまでに誠実に応えてらっしゃるじゃないですか。それは文極に期待できなかったのでビーレビにぜひ期待したい美徳のひとつだと、わたしは思っていますけどね。 * ところで、 >ビーレビューが文学極道の反省からスタートしているのならば >それはある種のスターシステムというものを採用し、芸術としての詩を標ぼうする >これさえも、反省して、要は、個人個人の思いを各々詩に託す、読む わたしは7年前、ビーレビの前身のbungokureviewという活動に参加していたので、ビーレビの運営にも誘われたのですけど、上記引用のご発言とほとんど同じ考えで断りました。つまりビーレビの大賞は、創設者の絶対の意嚮でした。三浦さんが天才詩人さんをまだ覚えているのなら、この制度だけは消さないだろうと思いますよ。 >私も文学極道な人間だったので、反省しなければならないのだけれど >空手に精通している方の詩があってもそれはいいと思うし >病気に日々戦っている方の詩があってもいい >それが普段、例えば魚屋さんで働いている方の詩があってもいいし >専業主婦でも >勿論、芸術な詩を標ぼうし文学の徒である方の詩があってもいい >散文のテキストを標ぼうしつつ、俳句の投稿があったり >ロックンローラーの歌詞が投稿されてもいいわけでした。 >それがクリエイティブなライティングであれば。 このご提唱のユートピアは理論上、多彩なレッサーを呼び込みレスを隆盛させれば実現できるはずなんですよ。創設当初のビーレビの目的もそこにあったはずだと記憶していますが、それは賞レースとは別の理念です。 ちなみにこの記事の企画について、わたしは(相談役を置くというのは愚見なので例外として)おおむね好ましく思っています。スターシステムの管理をサイトオーナー本人が一人で担うということは、ビーレビの今後の衰勢に関する形式的な全責任を、オーナーが一人で負うということですよね、「三浦果実が気に入らない者は出ていけ」と看板に書くようなものですからね。皮肉でなく、まったく誠実な態度だと思いますよ。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-29

>最後に痴漢された日から >思い返す、今日まで ここがぶっ刺さって、まともに読めた気になれないが、傑作であることだけは確信しました。 (trace)

2023-04-29

こんなのを「サルトルに半殺しにされたらしいジュネ」と比べたら、ジュネにもサルトルにも失礼だが。まさにこういう事態にね、いちいち挫けているようで、できる批評などないわけですね。わたしの上記コメントの実例をご提示いただきありがとうございました。ご健筆をお祈り申し上げます。 (タイトルが最高ですので。大林 満)

2023-04-29

これは二重三重の意味でクリティカルヒットだな。天才と天然の判別が困難ですけど、内容はフィクションという前提で評価します。念のため「わたしは痴漢を許さない」と宣言もしておきます。 批評が批評対象をぶっ殺すなど日常茶飯事。殴ってもないのに相手が勝手に自滅することもままありますね、サルトルに半殺しにされたらしいジュネみたいにね。そうした高度な狭義における暴力までも避けていて、できる批評などありません。特にこの推薦文の場合、対象の作品が、まったく高度でない広義においても定義されうる程度────つまり路上の不審者と同程度には、客観的にフルコンタクトな暴力(自虐?)ですし。 まあ当然わたし自身も含め、物書きなど露出狂に等しい。この語り手のように、自分の不審をみずから通報するくらいの自戒を養いたいものです。バーリ・トゥード(なんでもあり)にすらルールはあるわけですからね。申し遅れましたが、二段おめでとうございます。 ※※※ わたしはテクスト至上主義者で、作品評に際しては作者様がたの意図を一顧だにしません。このコメントがひとえにわたしひとりの私見であり、ほかのどなたにも一切の責任のないことを、念のために申し添えます。 (タイトルが最高ですので。大林 満)

2023-04-28

コメ欄の重厚な批評と打って変わって、推薦文は批評裏話とは心憎いですね。あんな濃い批評をコメ欄に出してしまわれて、推薦文をどうなさるおつもりなのかと杞憂していた(すなわち推薦文投稿は当然の前提である)ので、なんだか虚をつかれました。考えたら推薦文の最重要は、なにをおいても広告なのですよね。 文中でのご言及ありがとうございます。あのコメ欄ではわたしも、新天地が開闢した気分になりました。田中恭平さんのおかげで、予定のなかった拙劣技術論を開陳する機会に恵まれ、こうして藤さんの鑑賞裏話を拝見して、自分の無自覚な読解傾向を、いよいよ自覚したところです。 >最初は「んー?」という感じでした。というのは、この作品の語り手(作中主体)は、何か内容のあることを語っているふうには感じなかったから。 逆にわたしは初見一発目から、一切の不可解なく詩境に没入したあげく、父の自殺の現場を思い出すなどの聯想過多で泣いたのですよね。いまよくよく考えると、なぜ突然没入できたのかわからない。 >「真夜中の公園では」と「ブランコは白い」が結ばれて語られることの因果的関連が見出せなかったんですね。 この初行の飛躍が大胆すぎて、読者がしょっぱなからつまづく蓋然性が高い、というのが、あえて挙げるならこの詩の構造的な弱点なんだろうと、いまさら思いました。逆に言えばその弱点を忌避している限り、つまり読者の無理解を恐れている限りはですね、よい文章は書けないのだろうと、改めてつくづく思いましたね。 (シブくてニクい)

2023-04-27

初聯と終聯、寄生虫妄想の蟻走感と自傷を思わせますね。寒気のするような詩境です。こういう感想は述べるのが本当にためらわれますが、強烈な分裂気質で、統合不全を象るような峻烈な両義性で、圧倒されます。蟻の行列がなす生命線(分裂の象徴)、横死からあふれる完璧な闇(統合の象徴)、闇を切り裂き分裂させる光明としての自傷。類想がなければ、そしてわたしの読解が妥当なのであれば、完全な天才だと思う。 中盤の精度はどうだろ。類さんの詩という先入見がないと、没入するのは難しいかもしれない。たとえば2聯の「秋風は全て終わった 闇が流れてきた」は、冬季うつの到来とともに芭蕉の「物言へば唇寒し秋の風」を思わせる、類さんといえば寓意の異化という先入見があるからそう思う。同じく「頭蓋骨の周りに張り巡らされた/牛の神経」には、イソップ寓話の「自分を膨らませる蟾蜍」(岩波文庫の邦題)が重なる、類さんの分裂気質と言えばシャボン玉という先入見があるからそう思う。そういうのが客観的な評価の根拠になりえるのか、わたしには銓衡の才能も意欲もないのでわかりません。 個人的主観的には、作家論を踏まえてぜひ批評したいと思わせる作品です。読めてよかった。 (実験12)

2023-04-19

いわゆるlunaticと、いわゆる蛙化現象が、嫦娥(月の蟾蜍)のイメージで紐づけられている印象。寓喩の異化とでもいうのですかね、前半は選語に含みがありすぎて、鑑賞の説明が困難です。後半は打って変わって映像的ですが、これまた脳内映像が複雑すぎて説明が困難です。 太陽を舐め溶かし、自分が食ったその太陽を惜しんで涙を流す(蛙化現象)。その涙の痕跡が(外気から太陽熱が失われたため)凍りついて(腑に落ちた太陽の発露として)光る。その光が失われた太陽へ宙返りして新たな太陽を生む(夜が明ける)。その太陽を蛙の伸びた舌が巻き取り舐め溶かして涙を(以下無限ループ) この情景を「雪の結晶が開いたり閉じたりする/心が開いたり閉じたりする」と呼ぶセンスに痺れたのですが、説明になっているでしょうか。 * 以上、本当は推薦文を書きたかったのですが、評言が整わず見送りましたので、最終日の雑な投票コメで失礼します。類さんの技術を妥当に説明しかつその心境を美しいまま伝達する技術は、今後の重要な課題になりそうです。ここでまたお作を拝見できますよう、身勝手ながら祈ります。 (Until next time)

2023-03-10

瑕疵も大きいがうまいですね。彼岸や賽の河原の含蓄を万華鏡に託し、洞窟の比喩を匂わせるセンス(私見)も、その聯想の重層的な描写もおみごとです。個人的には、話材が万華鏡とその聯想に絞られていたら、なおよかったと思います。題名の繭は(初見一発の個人的な印象にすぎませんが)死に筋にしか見えないので。 材が過剰で紐づけも甘く一見散漫なのは大きな瑕疵ですが、散漫に見えるにもかかわらず描写が臨場感を失っていないことに、逆に非常な才能を感じました。 (繭に成る。それが、だ)

2023-03-10

む、なんかよくある誤解が生じそうな気がするので再レスしますね。「読解も比喩もどっかに飛んでいってしまうもの」というのが「読解などどうでもよくなるほど魅力のある作品」という意味であるなら、それはすでに書けてると思いますよ。 そこまで魅力があるからこそ、読解したいという意欲が湧くのです。ここほんとよく誤解されるのですけどね。魅力を感じない詩をわざわざ読解する人なんていないんじゃないかな、少なくともわたしにはできない。生理的に不可能です。 (情景)

2023-03-07

よい。すごくよい。比喩も凝縮もきいてて啓蟄の候にもぴったり、わたしの読解が過剰なのかもしれないけど。ひとまず啓蟄いっとくついでに一票おいてきます。 (情景)

2023-03-06

まあそれをしたくないからこの構成なのでしょうけど、二番目の後半を最初に持ってきたほうが、訴求性は上がるんじゃないでしょうか。訴求したい相手がわたしでなければ、なんの意味もない指摘ですけど。 (DISPECT.EP)

2023-02-24

>今夜は鰆の塩焼きと烏賊烏賊のマヨネーズ焼きだ。 atsuchan69さんのご躍進に大いに期待します。 * 加えて、 >印象操作をしてくる。ボクは平気だが、これがボク以外の人だったら、かなり凹むと思う。 このご発言その他のご対応に感服しました。わたしなど悪質な煽動で地獄を見て、現在も実際に発狂中ですので、atsuchan69さんの煽り耐性をぜひ見習いたいものです。 フォーラムでは花緒さんの煽りがおもしろすぎて言及を失念しましたけど、atsuchan69さんのなりすまし被害はたしかにお気の毒です。わたしなら気持ち悪くて発狂するに違いないし、システム管理へのご不満には共感します(てか花緒さんの煽りの趣旨もそこだったはずでは)。ただそれを雇われ店長ほどの権限もない運営に言ってなにになるのかと思ったのと、係争の話が正直、がたがた抜かすまえに弁護士に相談してみろとしか思えなかったのがあって、もろもろ失礼しました。わたしにatsuchan69さんへの敵意がないことを、念のために宣言します。 (パンクⅡ ─認識即行動─)

2023-02-24

>澤あづさ 2023年2月12日 19:54 >わたしに粘着してきた罵倒家の言い分に、わたしは一分の理も認められません。「批評対象を絶賛するのは恋愛感情であって批評ではない」やら「批評にシクロフスキーやガタリの名を出すのは許されない(ただし自分は吉本隆明の名を頻用する)」やら、空いた口もふさがらないような強弁で侮辱の限りを尽くされ、「こんな批評を書いてしまう悪い人格」についての的はずれな説教を、洗脳じみたやり口で延々と繰り返され、心底疲弊しました。わたしがそのやり口をモラハラと呼ぶと、人格否定に当たるから言明しろなど、恥知らずもきわみの要求(この恥を解せない人は社会人ではありますまい)をされ、わたしの職業とその倫理に関する事実無根の妄言を流布され、はなはだ迷惑を蒙りもしました。 https://www.breview.org/forum_blog/archives/2730 ※いま誤字に気づいた。恥ずかしいけど修正なしでコピペします。 上の発言のどこにストーカーという語が出てくるんでしょうか。ほかのどこで澤あづさが「証拠もなしにだれかがストーカーしているという妄想をネットにふりま」いたんでしょう、別の澤さんとの人違いですかね? あるいは蛾兆さんの作品の批評対象か、室町礼氏の発言と混同してらっしゃるのでは? ストーカー規制法の対象は、恋愛感情をともなう男女の関係だけですよね。室町礼氏のわたしへの粘着を恋愛感情と思い込むほど、わたしは馬鹿ではないですよ、「批評対象への絶賛は恋愛感情であって批評ではない」とかありえないです。煽りはもう少しお勉強してからにしましょうね。批判の根拠を出すどころか、引用の出典明記すらできないようでは、わたしのような物好きかにしか相手にしてもらえませんよ。捨て垢さんにはいらん説教だけどね。 ●ご覧でしたら、沙一さんへ。 この記事へのコメントはこれきりにします、決してサイトを荒らしませんのでご安心ください。このような火の粉がかかると承知で厳罰を断行なさった沙一さんを、わたしは尊敬しています。 (沙一氏の早期退陣を求めます)

2023-02-16

冒頭、 >私たちは「詩を書く読む」楽しみを目的にはしていなかったということ。私たちは詩をツールとして、主目的が別にあるというのである。これはパンドラの箱を開けている。みなさん、目覚めてください。私たちは詩を道具としてゲームを楽しんでいる。 そして末尾、 >先日、現代詩手帖の歴代選者の一覧を見た。あああ、この人たちが詩を殺したんだってわかった。そうだなんだよ?詩はエセインテリアたちによってパズルゲームにされたんだ。私たちは人間味あるソシャゲバトルフィールドでもって詩を再生させるのだ。 釣りにしか見えません。そして釣り餌の散文詩として、構成は悪くないように思いました(ゆえに釣られてコメントしております)。批評としてはマナー違反というか、卑劣なうえに腰抜けだし、例示ができていない時点で論評に値しませんけど。 内容は、ネタが寒すぎて笑えません。現代詩手帖の歴代選者がパズルゲーマーなんて噴飯物を、根拠も出さず平然と放言してしまえるセンスで成功するのは、詐欺や洗脳やモラハラや陰謀論だけだと思います。なにをなさりたいのかわかりかねますが、いつか大いなる鳥類小笠原へ雄飛なさいますことをお祈り申し上げます。 * ところで最果タヒの現フォデビューは2004年なのでしたっけ? わたしの持っている情報と辻褄が合わないように思うのですが、アカウントがもうないので確認できません。どなたか精確な情報をお持ちのかたがいらしたら、ぜひ教えてください。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-27

推薦文に推薦文を書けるということを、この記事で初めて知りました。 * おりしもいま分裂気質としか形容しようもないような詩を批評している最中でして、高作を拝見し安堵を覚えました。わたしはガタリに心酔していますが、いちおう心理学部卒なので、この語の使用には本当に腰が引けるのです。この機会に新境地へ踏み出したく思います。 批評対象の推薦文も、その批評対象の詩も、わたしにはメタ詩のたぐいにしか見えませんが、メタ詩も分裂には違いないですね。さっそく新境地を垣間見た気分です。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-17

ご高覧ありがとうございます、過分の讃辞ですが光栄の至りです。本作が成功したのであれば、理由は「批評対象がよいので当然」としか考えようがありません。評者にここまで語らせてくれる上質のメタ詩は、そうはありませんからね。 論評は寿司と同じでネタ七割と考えています。作品評なら残り三割の腕も引用に尽きると思います。この作品を選んだ時点で、本作の成功はほぼ確定していました。ゼンメツさんを見出した評者は幸運ですね、その幸運に見合う評者でありたいとつくづく思います。 * 「詩は様式がすべて」には語弊が多いようですね、説明の機会をいただけてありがたく思います。様式でなく「スタイル」あるいは「美学」と言えば伝わりがよくなるでしょうか。 自由詩には決まった作法がありませんので、書き手が作品を作法から独創しなければなりません。その作法が様式(スタイル)、様式の根拠となる思想や美意識が美学と、ここでは便宜上お考えください。 たとえば下記は、鷹枕可さんの過去作です。 ●鷹枕可『弛緩する淡湖』(文学極道2016年2月月間優良作品) http://bungoku.jp/ebbs/20160211_639_8621p ※PC(あるいはタブレット横)とスマホで見映えの違いを見比べることをおすすめします。PCではぜひ画面を縮小して、フォルムの全容をご確認ください。 このような作品を評価する際、わたしはなにをおいてもフォルム、そしてこのフォルムを生み出した書き手の美学に注目します。作品への評価を「意味がわからない」という理由で渋りたくないので、読解は度外視します。批評の最も重要な役割である目利きには、判断の早さも重要ですから、「この詩はフォルムがすばらしく、詩文もフォルムにふさわしい、したがって読解するまでもなく傑作である。」と即断します。 「詩は様式がすべて」とはそのような評価の姿勢であり、自分の読解を過信しないための自戒でもあります。特にわたしはテクスト至上主義者で、読解に当たり作者の意図を顧みませんので、当然その読解は自身の認知の限界を超えません。この陥穽を埋めるためにも、書き手の美学の傾聴が欠かせません。わたしをこの持論に至らしめた田中宏輔さんの全行引用詩の作法など、伺った際には震撼したものでした。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-17

急にハネムーン期よろしくどうなさったんです。そっちがそう来るなら、こっちもうっかり口すべらせますけど、ハート泥棒メッタメタ詩はもういい。同担大歓迎。次も読んでください。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-15

く、くそ、なんだこのチート主人公感。言ってる内容のほとんどはわたしがとっくに言い尽くし、半分以上はやり終えたことですらあるのに、訴求力が段違いすぎる。こんなとこでも文極史上最も非凡な創造大将!(当社比) ●ここ最重要● てかゼンメツさんもしかして、caseさん主宰HHMをご存じなのかな、 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=268990 これをご存じなら話が早いのですが、ビーレビはこういう潮流に最適のサイトだと思います。ぜひ会場ビーレビ主宰ゼンメツさんで、なにかイベントを興しましょう。創造大賞ならびにレッサー賞の超新星国語教育が推薦特化サイトで催すお返詩大会ってもう最高じゃないですか。さっそく回線の寿命をどうにかなさってください。 * 予定の推し活を憚ったのは、わたしの口が滑りまくること確実だからです。前回の記事に書いたでしょう「ゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。」あとは国語力でお察しください。 右肩さんのその作品自体は、制作中のブログ記事で扱いゼンメツさんとの比較もするので、よかったら当該記事をご覧くださいよ。これはヒヒョーでなくきっっっぱり「批評」で、かつ「ビーレビにアカのある文極トップクラス8名詰め合わせ」です。泥棒さん(ビーレビに1作だけある)は記事の趣旨に合わないと思い抜きましたけど、ゼンメツさんがそこまでハートストーレンなら入れるかもしれません。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-12

右肩さんを推すためまた返信いたすと申しましたが、よくよく見たら問題のレス欄、作品でなくレス欄がですね、ビーレビで扱えるような代物でなかったので中止します。ごめんなさい。ちなみにその作品はメタ詩ではありません、この詩と同種の技術だが大きく違う点を紹介したかったのでした。ゼンメツさんの回線の長寿を切に切に切に祈ります。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。とてもありがたいご感想です。読者各位がそれぞれの胸に棲む好きな詩人を再読なさる機会になれたら、本作にとってそれ以上の栄誉はありません。喜びのあまり、盛大に口が滑りそうですので、これにて失礼いたします。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

お気遣いありがとうございます。わたしの要望が通るのでしたら、ぜひ無効でお願いいたしたく思いますj。フォーラムの議論に、推薦文5票は影響力が大きすぎるという意見がありました。それ以上の影響力が振るわれた先例になりたくありません。あえて通常投票をしないことで「推薦文にすべて出し切った」と意思表明したいとも思います。重ねてお手数をおかけし申し訳ありませんが、集計のほどよろしくお願いいたします。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます、泥酔お返詩の快楽にご注目いただきうれしく思います。タヌキさんの泥酔、ぜひ拝見したいですね。わたしタヌキさんの詩もお返詩も好きなので、それはもうまた拝見したいです。 お返詩のたぐいは作者様不在の場のほうが望ましいし、鑑賞対象が草野理恵子氏ほどの著名人なら、同志を得るのも容易なのじゃないでしょうか。書籍の作品ですと全文転載できない、つまり読者に鑑賞対象を閲覧させられないのが、難しいところですけどね。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

やはりだめですか、だめなような気はしたのですが、場の空気を読めずお手数をおかけし申し訳ありません。「言及しさえすれば6票差し上げることは可能」という考えもこの機会に捨てます。作者様にも記事を汚したことをお詫び申し上げます。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

あっ作者様ごきげんよう。回線生きてらしたんですね、それは本当に本当になによりでした。再訪なさると存じてたらもう少しまともな内容を検討したのですが、結果として作者様の顔色窺わずにすみ(※これはわたしの悪癖であり、ゼンメツさんのせいでは断じてありません)幸いだったと思うことにします。それにしてもゼンメツさんは、本当に本当に癒やし系ですねえ。 文極推し活ありがとうございます!!  諸事情でいま、寝ても覚めても文極づけですので、文極URL大歓迎いたします!! ▼泥棒『鳥は鳥、君は君、だから君は絶対に飛べない。』 http://bungoku.jp/ebbs/20160531_106_8855p ↑わたしの印象に最も強く残ってるハート泥棒メッタメタ詩はこれですね。コメ欄かなりのレア物ですので、優良ですけどあえて投稿欄を推しておきます。2006・2016・2019年創造大将がそれぞれ、2015年創造大将をどういう着眼から評したか、文極おたく以外だれも価値を解さない逸品ですよ。 泥棒さんの最盛期はやはり2015年なのでしょうね。以降メタメタしくなりすぎて評価がた落ちましたけど、わたしはメタ詩に造詣が深いのでもちろん推せます。ただハート泥棒メッタメタ詩は「この詩はメタフィクションだ。」の一言だけでは売り込み不可能なので、ヒヒョー家には難敵ですわ。 * 最後のお話に乗じて、もいっこぜひとも推し活したい文極投稿欄(ちな右肩さんの)がありますので、また改めて返信いたします。どうかそれまで、癒やし系ゼンメツさんの回線が延命しますように! (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

※ご閲覧のかたがたへ※ わたしは心理学の専門家ではありません。文末の註記に載せた記事内に書いた通り、ただの心理学部卒です。学部卒に臨床心理士・公認心理師の受験資格はありません。わたしは専攻が臨床ではなかったので、院試の受験資格すらありませんでした。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。まあつまり泥酔です、文末の註記を除き、ここに好き以外のことはなにも書いてありません。説明する気がまったくない(それが不要であることを、実際の経験から熟知している)ので、客観的にはかなりの難文であろうと思いますが、好意的に読んでいただけて幸いです。 以前苦行のごとく詩を修煉し、どうあがいても自分の筆致が自分の要求水準に達しないことを悟り、詩はもう断筆したのですが、こういうのを書いてみますと、これがわたしにとっての詩作なのかもしれないと思いますね。適した形が人とは違うだけで、わたしにも書ける詩があるのかもしれないと。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。読めるかたのご感想ってスリリングです。 >作者と作品の紐付けに附きましては、「いいとこどり」で宜しいのではと考えて居ります。 わたしテクスト至上主義者なのに、現に本作も作者など一顧だにしてないのに都合よく、作者様(と、作者様もたぶん好きだってだけでこの詩とはぜんぜん関係ない別のある人)好きいいいとかふざけんな、と自分でも思いましたが。前作のエセインテリごっこでためこんだ、言いたいこと言えない鬱憤を、今回は全力で発散しました。書いてておっっっそろしく快楽でした。認知と正確性にはまったく自信がありませんが、心あるかたを刺戟できれば幸いです。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-09

すごいもやばいも、もとは否定的な意味で用いられていたのが、肯定的な評価に転じた形容詞ですね。これらの転義には、ドーパミンなしに生きられずより強い刺戟を求めずにいられない人間の本能が、露骨に反映しているのだろうなあと、高作から深々と感得しました。 *** それで思い出したので書きますが以前、嵐の櫻井翔と相葉雅紀が同時に結婚発表した際、両名の結婚報告の違いに、妙な感銘を受けたものでした。 ①「この度、私櫻井翔は結婚致しましたことをご報告申し上げます。」 ②「この度、相葉雅紀は結婚させて頂くことになりました。」 (日テレNEWS https://news.ntv.co.jp/category/culture/946766) ②の「させいた」をわたしは長年、過度の謙譲で慇懃無礼と思っていましたが、令和の多勢は相葉雅紀の敬語に、きっとなんの疑問も持たないのでしょう。この現象を「敬意逓減」というそうです。聞くだに報酬系の所業です。 櫻井翔はそこまで露骨に本能的な表現に耐えられなかったようですが、考えたら「ご報告申し上げます」も相当いかれてるし五十歩百歩です。もちろんわたしも、たとえば故エリザベス二世陛下崩御のおり「女王の平安をお祈り申し上げます」とツイートした記憶があるので、人様の表現をどうこう言える立場にはありません。 (すごいやばい)

2023-01-09

推薦文だしてから、コメントもすれば6票差し上げられること気づいた。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-09

ご返信ありがとうございます。証拠はありませんが投稿作品から、類さんが鴉氏ご本人であることは明白と思われましたので、自分の目利きを信じて併記しました。鴉氏についてなんの情報も得ておらず、かつ別件で「ビーレビにアカウントのある文極トップクラスの書き手」を収集していました(この件で高作『Water』を扱うといま決めました)ので、この情報提供は本当に僥倖でした。 選考結果の食い違いは、お察しの通りおでん氏のほうです。2016年だけで次点4作、『虫籠』も2017年の再投稿で次点に選出されています。また鴉氏にもおでん氏にも2020年の投稿があり、結果として両者の入選作は、鴉氏がすべて優良でおでん氏がすべて次点という、きわめて象徴的なものに仕上がっています。わたしは文極の「次点」をあまり信用していませんが、この結果に関しては(失礼かもしれませんが)文極の目利きに感服しました。ケムリ氏から始まった創造大賞が鴉氏で終わったことを、わたしはとても感慨深く、きわめて好ましく思っています。 (虫籠)

2023-01-06

申し訳ありません、お話伺えないでしょうか。おりしもいま諸事情で、文学極道年間各賞全15回の一覧を作っているところです。類さんは2019年創造大賞の鴉氏と同一人物で間違いないのでしょうか? わたしの存じている2016年の名義とは筆致が大きく異なりますし、上記の類さんのお話と実際の選考結果が若干食い違うので、ぜひ確認したいのです。 文学極道の賞歴は黒歴史と思う人が多勢のようです。ツイッターで創造大賞受賞者をなん名かフォローしていますが、どなたもプロフに文極のブの字も載せてらっしゃいません。類さんも、名義を変えられたということは、過去と訣別なさりたいのかもしれません。確認が取れれば制作中の一覧に別名義を併記します、この情報は拡散する予定ですので、拡散を望まないというご意嚮なら、ご返答はなさらないでください。 (虫籠)

2023-01-06

通知を忘れました。上記は藤さんへの返信です。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2023-01-04

ご高覧ありがとうございます。藤さんも蛾兆さんも、わたしの憧れの評者です。拙評がお二方のご参考に足りた栄誉を胸に精進いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2023-01-04

この作品、6年半前に文学極道で拝見しました。印象に残った詩は6年たっても脳裡に刻まれているものですね。 懐かしくなり、文極の跡地を掘ってみたところ、当時「怜悧だが地味で物足りない」といったことをレスしたようです。当時率直に述べたその感想は、この詩が6年半もわたしの脳裡に刻まれていた事実を鑑みれば、撤回せざるをえないでしょう。1票おいてまいります。 (虫籠)

2023-01-04

承知しました。例のスレをツイッターにさらした時点でアク禁は覚悟のうえですので、わたしへのカードはいま発行してくださってかまいません。今後、室町礼氏が貴サイトで、わたし以外のかたを不当に恫喝しないよう切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

おいかじっちゃん。あなたゼンメツさんのコメ欄で、作品の感想も述べずわたしの陰口ぶっ叩いてくれてたけど、上の粘着予告をどう思うんだ? この状況でかわいそうなびびりのわたしが、ほかの人へのコメントなどできるわけねーだろ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10398 でもエセインテリアのご指摘ありがとう。そうだったわたしエセインテリ嫌いなんだったって、おかげさまで思い出したわ。異化はぎっちり反エセインテリきめたつもりなので精読してほしいけど、両義性はたしかにエセインテリなので反省する。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

https://www.breview.org/forum_blog/archives/2541 このスレをツイッターで晒しちゃったのは、正直かわいそうなことしたと思う。まさかこんな展開になるとは思わなかったからな、あなたわたしが思ってたほど人望ないのね。まあその論理も品性もないむき出しの悪意と揺るぎない自信に、こっそり憧れてる人も多いと思うよ。ここまでアレな発言にうっかり同調したら自分もアレと思われるって、みなさん怖気づいてるだけよ。元気だして? 迷惑を宣言した相手に粘着するこの恥知らずな態度、どう考えてもマナー違反だけど、宣言通り処罰は望まない。わたしなんかのせいであなたを手放すはめになったら、運営が大弱りだろうからな。あなたでなく運営のためです、念のため。 その嗜虐癖が一生治らないことは知ってるし、ウェブでわたしひとりに粘着していじめ抜くぶんにはかまわないよ。あなたがわたしへの逆恨みで、わたしを褒めてくださった人にまで粘着するようになったら、さすがに運営も動かざるを得なくなるだろうから、そこだけは気をつけてね? (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

くろかみさんへの反論ではなかったのですが、まぎらわしくてごめんなさい。謙虚なかたを拝見すると、自分の暴力が恥ずかしくなります。一進一退で克己を目指すしかなさそうです。 独りよがりは有害ですが、独りよがりでない自己表現というのが、いったい可能なのでしょうか。表現は根本的に暴力だと思っております。最終的には、抱えるしかないのでしょうね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

再コメありがとうございます。投稿サイトのコメ欄はいろんな側面から刺戟的であるに越したことはないとわたしも思います。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

ご高覧ありがとうございます、ご参考に足りましたら幸甚です。特にご指摘のケーキのところの連想、わたしが「列挙」と呼んでいる技術は、わたしが思うにはゼンメツさんの最たる美点ですので、ご注目いただけたことをありがたく思います。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2010 列挙の見所はこちらのほうが深甚なので、ぜひご参照ください。コメ欄に拙評もございます。 >だがそこまでです。精神でもって再構築されねばならない。夢を見て、見た夢をもっともっと僕に話して(見せて)くれ。次作「詩」期待しています。 この読解は技術論ですので、たしかに「この詩」を語るうえでは避けられない事柄を恣意的に避けています。そこまで言及していたら技術論が成立しませんので、技術以上のことはトビラさんのご感想のように、ほかのかたに語っていただきたいというのが筆者の本音です。贅沢を真っ正直に申せば「お返詩」がほしい、ビーレビでは解禁されているはずなので。 断言します。みなさまがお持ちの詩才と、この読解を成す能力は両立しません。 だからわたしは読解に専心します。詩を書かない者は詩を語れないという圧力への抵抗も兼ねて。 * 以下、くろかみさんのご発言に便乗し、ご閲覧のみなさまに向けて室町礼さんに言及します。 >この読解によって、確かに不遇を応援している。その目的に対する誠実さこそが澤さんの固有である。 誠実か否かはさておきお察しの通り、批評には目的があります。作中に明記した通り、あくまで評者の自己表現であって、作品ないし作者への奉仕ではありません。ましてや訴求対象でない読者様のお気持ちなど、知ったことでありません。 その意嚮を無視して室町礼さんよろしく「おれさまの読みたいものを書かないから、おまえは未熟で傲慢」などと強弁されても、拒否するしかありません。拒否も表現のひとつで、自由です。 >理論という澤さんのコンプレックスに着目することは一つの論点だが、上手くできるものだろうか。 批評に理論を用いることが権威付けであるとか劣等感であるとか、わたしには理解も受容もできません。それは邪推に基づく人格攻撃、いわれのない暴力です。室町礼さんに限らず、みなさまにこの場ではご遠慮いただきたいところです。 罵倒ごっこは馴れ合いです。罵倒を甘受しなければならないという思い込みは、暴力のエスカレーションを助長する愚行です。病的な遊びは文学極道とともに終わるべき、B-REVIEWはその先へ進むべきと考えます。わたしにぶつけたい憤懣をお持ちのかたは、ぜひ詩なり推薦文なりにしたためてくださいませ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

>正直な感想を述べる機会や場だけは守ってもらわないと、 だったらあなたが手本として、わたしの正直な感想を受け容れてみせたら? 以降、ハラスメントと対人論法・論調批判には返信しません。甚だしい中傷や流言には、気が向いたら「おめでとうございます」とだけ返信します。ごきげんよう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

三浦さんお久しぶりです。もちろんご精読いただけてると思ってましたが、急にどうなさったんです。わたしが文極での屈辱を思い出して泣いてるとか、ゆえにサイトを爆破されるとか心配になったの? (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

いやいやいやいや文極のお話を詳しく伺わないことには帰れないので、ぜひ入金をなんとかなさってください。今月無理だったとしても、ご再訪を執念深くお待ちします。 それにしてもゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。とにかく入金後のご再訪をお待ちします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

長々モラハラお疲れさまでした室町さん。わたしいちおう心理学部卒ですので、あなたの所業がどういうことだか存じてますよ。ごきげんよう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

詩人ってほんと偉大ですよ、ご本人は血が詩でできてるからご存知ないのだろうけど、トビラさんのコメントで完全に毒気が抜けました。ありがとうございますありがとうございます。おかげでやっと、やっとこなんのための推薦文であったか思い出しました。つまり批評対象が読まれてほしい、投稿日の自分のツイートにもそう書いてあった。それだけでよかったんだわたしだって最初は。 ちなみにこの推薦文、最初はこれの倍くらい褒め言葉が入ってたんですよ。これでも熱量を半分まで削り落としたのです、推し活のより格ゲーとかのが近いと思うのですけど。読解は発見のたびやばいほどの快楽に脳を支配されるので、こんだけ発見の多い詩に興奮するのはどうしようもない、興奮できなければ読解はできないって知られてほしい。つまりやっぱり、頭をよく見せかけるために熱量を削るといった無駄な努力は、もうしないことにします。 それにしても推薦文の利点には、現行ログで批評対象にコメントできる期間が増えることもあるのですね。こうしてトビラさんが感想を書き込んでくださったので気づきました。詩人の詩の感想を拝見できるのは、本当にありがたいことです。自分の読解に憑かれるとほかの可能性は見えなくなるし、詩人の感性はわたしには、しばしば天外天の産物ですので。たとえば、 >でもこれは、重たい潮風で、周りがいつもしょっぱい、つまり人からの風当たりが辛いとも読める。 >その恋はきっと語り手にとってプーさんが大事に取っておいた蜂蜜くらい甘い思い出で、死にたくなるくらい辛い時に読み返す日記のようなものなんだと思う。 こんなのぜんぜん気づかなかったしなーーーーーー そうですね、その思い出が甘いことは間違いないと思うし、語り手はそれにすがっているからこそ生きていられるのかも知れません。この詩はそうやって多角的に読めるのが最大の魅力ですので、わたしが気づかなかったことを教えていただけると助かります。 >単純に、辛いって悶え苦しんで叫んでる方が好み この視点もこの詩を批評するうえで欠かせないものですので、教えていただけてありがたく思います。この語り手がなぜ、悶え苦しんで叫ばないのか、本音を隠して匂わせることにどんな意義があるのか説明するのは、おそろしく難しいのです。その難題から逃げているのは、この批評の大きな欠点ですね。いつかは語り尽くせるようがんばります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

通知を忘れました。上のコメは室町礼さんへの返信です。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

「これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなー」というのは、たしかにまぬけなぼやきですね。見回せばわたしの投稿以降、推薦文自体が1本も投稿されていないのだから、被害者はゼンメツさんに限りません。そもそもわたしが来るまでゼンメツさんには推薦文が1本もついていなかったのだから、わたしの杞憂とゼンメツさんは関係ありません。せっかくあの匿名のかたからも暗にご指摘いただいたのに、克己はやはり困難です。 * 讃辞が過剰で信憑性を欠くというご指摘もごもっともです。これは長年の手癖でして、投票期間切れ間近の突貫作業だったため、修正しきれませんでした。力不足を熱量で押し切る、いかにも自信のない卑屈な話術を、なんとしても卒業したいと思っています。 もっとも本作は「詩壇で評価されていない不遇な作風の、書き手への訴求を目指す(まったく無謀な)技術論」ですので、怜悧や謙虚を気取るのは制作目的に合いません。わたしにとっては反現代詩手帖のアジビラのようなものですが、ゼンメツさんをそんな暴挙に巻き込むわけにはいきませんので、半端なところに落ち着かざるをえないという事情もありました。 ご不興の「国語教育的な特長について、説明は不要であろう」も、本作が根本的にアジビラであるがゆえの煽りです。悪手と承知で打った手で、事実悪手でした。いい加減冷めてきた。 * ついでに、国語教育的には言うまでもないことですが、鷹枕可さんは、上記のわたしの暴挙とは一切なんの関係もありません。 さらについでに、わたしはおめでたい人妻で、ゼンメツさんに(当然あの匿名のかたにも)恋愛感情などありえません。まったくもって国語教育的には言うまでもないことで、こんな言明を余儀なくされるのが、情けなくなりますけれども。 >失礼ながら、そういうことを語る態度、口ぶりには賛成できません。 そのお言葉そっくりそのままお返しいたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

※ひとりごと※ https://www.breview.org/keijiban/?id=10373 この騒ぎで拙文、いよいよトップページの「話題の作品」にまで載ったけど、いったいその原因をなんだとゼンメツさんは思ってらっしゃるんだろう。血が詩でできてるようなコメントさんざんぶっ放しておいて。 わたしはこの作品で批判されてる推薦文を、武田地球さんのほうの拙文だと思ってたな。もちろん作者様の意図はわたしの知ったことじゃなく、自分で勝手に納得した。滑稽なのは批評対象でなく推薦文だと、はっきりご指摘いただけたので、全文すっかり腑に落ちた。今後にも自分なりには活かせると思う。 ※ひとりごと2※ いま記事制作のため文学極道の某ログを読んでるけど、レス欄がまあ魍魎跋扈にしか見えない。こうはなるまいと努め続け、創造大賞まで獲っただけあり、いまだ初心は揺るがない。すなわち拙文は、わたしの嫌いな批評とは違うと確信している。それを人様にどう罵られたってどうでもいいんだよ。お互い様だし。 これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなーとか、考えてもしかたない。批評は根本的に暴力だ、腹をくくって抱えることにする。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-16

締めたあとに申し訳ありませんが、 >わたし個人としてはゼンメツさまの詩はまだ精神的に少し幼いと感じているからわたしには批評の対象にすらならならないけど >他の人にとっては超絶現代詩という方もいらっしゃる。それはそれでいいと思うのです。 (以上、室町礼さんのコメントより) ここは第三者に誤解されたくないので述べます。わたしはゼンメツさんの『飛べない』を超絶現代詩とは一言も評しておりませんし、一切考えておりません。むしろ近代短歌的な着眼を極めた、すなわちいわゆる現代詩的な思想とは無縁のものと感じております。そんな粗雑な、バカのマウント取りを絵に描いたような印象論の類型論には、百害あって一利もありませんので、わざわざ言及はしませんでしたが。室町礼さんがわたしの批評を昭和と評されたことに対し、わたしが「それは残念なので明治を目指す」と宣言したのも、この印象が理由です。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10356 さらに念のため付言しますが、上記推薦文についている「現代詩」のタグは、B-REVIEWのシステムに勝手に振られたもので、わたしの意志ではありません。わたしは現代詩という空疎な名称を、ほとんど信用しておりませんので、あのタグは迷惑と感じていました。もし運営のかたがこの発言をご覧でしたら、この機会にぜひ廃止をご検討いただきたく存じます。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-15

※ひとりごと※ もう詩人の批評なんて撞着語法はやめちまって、みんな詩で語り合えばいいのに。ゼンメツさんといいあの人といい、コメントまでぜんぶ詩じゃん、これはわたしが非詩人だからわかることだ。とにかく、読解は根本的に暴力で、特に非詩人のは迷惑でもあって、わたしはこれまで幾多の絶賛を幾多の作者様に拒まれてきた。しかし読解を食らわす代わりに5票差し上げるとなれば、作者様も断るとは言わないのでは? 今回の推薦文にそういう卑屈な打算があったことも、打算があったから安心して悪手を打てたのも事実だ。認める。評者が作者様の顔色を窺っておって、批評ができるわけもない。そりゃそうだろうさ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-14

なにはともあれこの大混乱のさなか、ゼンメツさんの詩論を伺えたのは僥倖でした。なにせきわめて重要な批評対象です。わたしも半年ほど前、4年ぶりにウェブに出戻ってきたんですが、出戻って真っ先にしたことのひとつが、前途有望な青年にゼンメツさんの模倣を勧めることでしたからね。ぶっちゃけこの作風の参考書を作りたい、どう考えても場違いの野望です。ゼンメツさんのご健筆を切に切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-14

投票しようと思ったら不参加作品だった by マウント取りの論者。 ちな後半の話は興味ないので読んでないし、添付の曲も聴いてない。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-13

再コメありがとうございます。「結局は当事者同志で互いを称賛しあうという残念な結果」について、部分的には共感します。批評が批評されない環境が不健全であることは間違いないので。 一方「作品の称賛者と称賛された作品の投稿者が互いに相手を称賛しあって拍手などという光景は、あたりまえ」とのご意見には賛成できません。実際わたしは幾多の絶賛を、幾多の作者様から拒まれ罵られました。わたしの読解が根本的に暴力である以上、いたしかたないことです。わたしにとって作者様のご歓迎は、疑いなく僥倖です。 さてご指摘の異化その他ですが、わたし自身もシクロフスキーの例示や文学極道の一部レッサーの言論をさんざん懐疑したからいまに至ったのでして、それをどなたがどう懐疑なさるのも自由です。悪手を承知で打った手ですが、書くべきことは作品に書きました。「作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。」これ以上述べることはありません。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-13

作者様ごきげんよう、こちらこそありがとうございます。ゼンメツさんはわたしにとってきわめて重要な批評対象ですので、新作を拝見できたのは本当に僥倖でした。作者様の心証など評者の知ったことでないとはいえ、わたしの讃辞がゼンメツさんの励みになれば、もちろんそれに越したことはありません。 ゼンメツさんのお作に託けて言いたいことは山ほどありますが、たとえば今回読解に頻用した異化です。例の文学極道、B-REVIEW創始の発端となった投稿サイトでは、多くの参加者が異化を、脱臼との区別もつかないような奇矯と誤解していたように思います。先進性を追求するあまり、なんのために異化するのかという本質を失念したような修辞に、わたしはうんざりしていました。今回の読解はその鬱憤晴らしです、作中に「筆者の自己表現」と明記しました通り。 わたしの批評は、自作を愛する作者、特にこれほど高精度の修辞を駆使する書き手には、しばしば酷評より受け容れがたい暴力になるでしょう。ですから作者様の尊厳だけは、徹底して尊重します、すなわち敬服し絶賛いたします。ゼンメツさんの長いご健筆を切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-11

過分の讃辞をありがとうございます。テクスト至上やら読者の復権やら申しましても、やはり投稿サイトでは、作者様の歓迎を得られると安心しますね。お気遣いに感謝します。 最初はお作の暗示の技術を、ご参考いただいたゼンメツさんの好対照として紹介するつもりでしたが、自論の内容が野暮で耐えがたかったため中止し、思い切って「お返詩」の形を採りました。詩才がなく思ったようには書けませんでしたが、仮にうまく書けたとしても当然、地球さんの筆致には匹敵しません。わたしに模倣できる程度の作品は、わたしの論評には値しません。以上のことは念のために付言いたしました。 よい詩に出会えて幸せでした。地球さんの以後作を楽しみにしております。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご笑覧ありがとうございます。ゼンメツさんのほうのコメ欄で申しました通り、わたしはアンチ先進性偏重の徒であるわけですが、またも匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご参照ありがとうございます。わたしには詩人の批評というのが撞着語法にしか見えませんで、詩人なら詩には詩で返せやと思うのですね、ゼンメツさんほどの超新星国語教育に対し奉っても例外はありません。こんなとこで詩才を無駄撃ちしてる場合じゃねーだろ。ゼンメツさんの以後作を楽しみにしております。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご高覧ありがとうございます。この読解はこの作風を目指す書き手に向けて書きましたので、すぐれた書き手の参考になれば、これにまさる喜びはありません。書き手にこれをご参考いただければ、わたし好みの詩が増えるはずだからです。完全な私利私欲の活動です。以後も地球さんのご参考に足るものを目指し精進いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

ご笑覧ありがとうございます。本作は熱烈なアンチ先進性偏重ですが、匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

ご高覧ありがとうございます。鷹枕可さんのツイートを見て書いた推薦文ですので、ご本人からのご言及は励みになります。推薦文にコメントなどつくまいと思っていたのが、コメントどころかポイントに票まで頂戴してしまい恐縮しておりますが、今後ビーレビがおもしろくなればわたしもうれしい。 回答1) ゼウスとデウスの語源が同じであるのは間違いないと思いますが、キリスト教といえばローマとばかり考えておりました。そして家父長制のクソさはアブラハム三宗教に限ったことではなく、世界の全男性優位社会にほぼ普遍と感じております。 ちなみに念のため付言しますと、わたしが家父長制などの男根崇拝を警戒するのは、女権拡張運動とは関係ありません。わたしと同じ難病を持つ実父が、それを苦にして保険金目当てに自殺したからです。日本に男の甲斐性とかいうふざけたジェンダーロールがなかったら、父は死なずにすんだのだと思いますと、どうもね。 回答2) まず「嘘つきで狡い人間が最も尊ばれる」という仮説の有意性を検討しませんと、この話は先に進まないように思います。つまらん回答で申し訳ありません。 回答3) 「この自身」の指示内容を理解しかねますが、自身の解釈の正しさに拘泥すること自体が不健康であるように思います。んー。これは返答に困りますね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

平素よりお世話になっております。全員キュレーター制新ルールのお話です。上記でのわたしの私見は、stereoさんにすっかりご理解いただけましたし、なかたつさんのご意見は「わたしの主訴の最も重要な核心」に等しく、るるりらさんのご意見には「わたしが指摘しなかった新ルールの問題点」も含まれています。これで渡辺さんにも、わたしの主訴が伝わったと思います。 先述の通り、わたしは新運営を批判しに来たのではありません。上記はあくまで「新ルール下での選評投稿には、労力に見合う報いがないので、わたしは今後の選評を投稿しない」という意向とその理由の報告です。新運営が制度を再考する際の参考になれば幸いというだけの内容です。 それで話を終えるのは、あまりにつまらない所業ですので、以下を付記します。 ──── 渡辺さんのご存じのとおり、わたしは文学極道で擬似選考をやっているような人間ですから、渡辺さんの理想にも賛成できる部分はあります。場が文学極道(それも選考への影響を狙うもの)であれば、もちろん選評には「資格」と「覚悟」が入り用でしょう。 しかしあなたがたが運営なさっているのは「全員キュレーター制」です。無条件で募った選者に対して、能力を期待するのは矛盾しています。「入試に数学がない大学の必修に線形代数がある」くらいおかしなことです。 選者に能力や根性を期待したいのなら、偽りある看板を下ろして「能力と根性のある選者」を集め、運営が選考を独占すればよい。旧運営も以前はそれでやっていたのだから、もとに戻せばよいと思いますが、そのことは検討なさったのでしょうか。お茶を濁さずはっきり言えば、あなた(※stereoさんとかるべさんはフル・キュレーションをなさっているので話が別)は「本来ご自分がすべき仕事を、無償で他人に代行させている」のだから、それに無理な注文をつければ、敬遠する者が出るのは当然でしょう。 おっしゃる通り、B-REVIEWの選評は、ほとんど読まれてなどいません。「読まない人に読ませること」は、良心ある手段の範疇では不可能、ハッパをかけられても無理なものは無理です。村上春樹にも尾田栄一郎にも事実できていないことを、なぜ「自分がやってみせもしないで」他人に期待なさるのでしょう。 ▼引用開始------------------------------- ⒈完全可視化された選考のなかで上位を狙えるこの制度は作者の励みにもなるだろうし、制度が機能するための制限は設けたほうが励みになっている作者を守ることにもつながる。 -------------------------------引用終了▲ 上記で言われている「作者」は、「選者」と「大賞候補の作者(詩人)」のどちらなのでしょう。「詩人の励み」と「選者の利害」は一致しません、そこを混同されたままでは話が先に進みません。「向上心ある詩人を守るために、フル・キュレーター(本人でない一般参加者)が苦労しろ」とおっしゃりたいのなら、「そんなことは本人か運営がやれ。他人に代行させたいのなら、相応の見返りを用意しろ」としか言いようがありませんから。 ※渡辺さんがその見返りを用意しようとなさっているのは理解していますが、「大賞に選ばれた作品の選評も他の選評とは別枠にして表彰する」のが選者を鼓舞できるとは思えません。「大賞投票の結果と批評の巧拙には関係がない」からです。 ▼引用開始------------------------------- ⒉「選者と筆者に恥をかかせる」という懸念が意見の根幹にあるようだが、一度二度落ちたからと極度に落ち込むのでなく次はもっとうまくやろうと繋げてほしい。過度に保護することはその機会を奪うことにもなりかねない。また個人的感覚として落選したからといって「恥をかいた」とまで到るとは思わないし、投票を行っている時点で「恥をかいた」と思ってしまうような状態を作ってしまうことは避けられない。 -------------------------------引用終了▲ 「詩人と選者の混同」が最も顕著な部分ですが、わたし(選者)が忌避しているのは「自分のせいで『自分の大賞候補の作者様』に『恥をかかせてしまう』こと」です。作者様のほうがどうお考えになるかは、選者には関係ありません。「自分のせいで自分が落選する」のと「自分のせいで人様が降格する」のとでは、こともその重さもまったく異なります。 ▼引用開始------------------------------- ⒊自作品の上位入賞を得よう/自推薦作品を上位入賞させようという向上心を詩人にも持ち、それを成す為に行動してほしい。それも表現行為の一つである。 -------------------------------引用終了▲ このように「詩人と選者の混同」をしながら、運営が参加者になにを期待するのも運営の自由です。同様に、無理な要求を拒否して去るのも参加者の自由です。「読まない人にも読める選評など書けないから書かないという選択」も、まがうかたなき表現でしょう。批評も作品であり、作者にも読者を選ぶ権利があるのですから。 stereoさんがわたしの意見にご理解をくださるのは、おそらくstereoさんがフル・キュレーションどころか「全作にコメント」までなさって、それに要する労力がいかほどかご存じだからでしょう。同様の苦労を強いられるフル・キュレーターに「見返りも与えられていないのに、そのうえ恥までかかせたら、逃げられるに違いない」という危機感は、運営者というか接客業として、まっとうな感性だと思います。 渡辺さんもぜひフル・キュレーションと「全作にコメント」をなさり、批評の手本を見せてください。テキトーな一言コメントではなく「読まない人にも読ませられる批評」を書いてみせてください。自分にできないことを他人に期待し、その期待に添わない他人を無能と見なすのは横暴です。 ──── これで終わってはあまりに底意地が悪いので、さらに付記します。渡辺さんのおっしゃる「対案」に近いものです。 ●大賞投票の候補作数が多すぎると問題が起こる。 上記はstereoさんも渡辺さんも指摘なさっていることです。このことには、「候補作が30作もあったら、投票者も全作をまじめになど読めまい」といった推測から、わたしも同意します。運営が定めた適正な数に、運営が定めた適正な基準で、大賞投票の候補数を制限することに、問題はないと思います。 そこで問題になるのが、「諸事情で大賞投票進出がかなわなかった大賞候補」の扱いですが、 ●どんな理由であれ、フル・キュレーターに推挙された大賞候補を「優良に降格」させることには問題がある。 この一点に関しては、stereoさんも渡辺さんも同意なさっており、stereoさんは❶「反対者が多ければ撤廃したい」、渡辺さんは❷「準大賞に至らなかった大賞候補のために、優良以上準大賞以下の新しい等級を設置したい」とお考えなのですね。 わたしは準大賞の提案者ですので、「フル・キュレーターに推挙された大賞候補には、無条件で準大賞が授与されるべき」と思います。理由は「フル・キュレーションの労力に見合うフル・キュレーターへの報いが、それしかないと思しいから」です。 大賞投票へ進んだ作品に順位をつける(これはstereoさんが指摘なさる通り「大賞投票というゲームの内容として容認される範囲」だとわたしは思います)のなら、大賞投票へ進まなかった作品を「大賞投票の最下位より下位の準大賞」につければよいのではないでしょうか。なぜ❷の「優良以上準大賞以下の新等級」が必要になるのか、よく理解できませんでした。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-05

平素よりお世話になっております。ツイッターで述べていた選評の新ルールに関する私見を、こちらに提出するよう促されましたので、話をまとめて報告します。 ツイッターで述べていたのは、「新ルール下で選評を投稿しても、労力に見合う報いがないので、わたしは投稿しない」というものでした。それはB-REVIEWにとって大きな損失ではないと考えますし、自分の意見を採用されたいとは思っていません。 ただ「新ルールが理由で選考投稿を敬遠する人」がほかにも出た場合、運営はどうなさるおつもりなのだろう、B-REVIEWの選考をどうなさりたいのだろうと、不思議には思っています。 ──── 意見陳述に先立ち、旧運営陣に「準大賞」の設立を提案したのがわたしである事実を、新運営陣にご了承いただきたく存じます。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html#comment348 記事にある2017年11月大賞投票の候補4作に、わたしは優劣をつけられませんでした。そのため、「甲乙つけがたい候補作から1作を選ぶ理由は『趣味』しかないだろう、詩書きである投票者のほとんどは『自分に似た作風』を選ぶだろう、大賞投票が大規模になればなるほど大賞受賞作が『B-REVIEWで最もよくある作風』に偏るだろうと考えました。(喜ばしいことに、この推測はまったくの的外れでした。) わたしが準大賞の設立を旧運営に提案したのは、推測された「偏向」を防ぐためです。旧運営が公表していた選考経過から、特定の作風を偏重しないよう腐心していたことが窺えたので、多様な選者の多様な推挙を、選考にそのまま反映させるべきと考えました。 畢竟わたしは当時から「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」と考えていました。この考えはいまなお強固なものになっています。わたしが参加した7月・8月大賞投票の結果から、B-REVIEWの多様性が(旧運営の腐心した通りに)維持されていると確信されたからです。 ──── 全員キュレーター制は、旧運営が腐心していた「多様性の維持」のための究極的な手段であり、その目的は「選者の数を増やして評価基準の幅を広げることにより、選考の偏りをなくすこと」にあると考えていました。そのゆえわたしはこの制度に熱烈な関心を寄せ、8月に投稿した7月分選評のコメント欄でも、熱烈な賛意を表明しました。 新運営によるフル・キュレーションの新ルールは、わたしが熱烈に賛同した全員キュレーター制の意義を、ほぼ完全に否定するものです。下記にその新ルールをに引用します。 ▼引用開始------------------------------- ①フル・キュレーションで候補にあげられた作品のうち、11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格(10作品までが大賞候補) ②大賞候補のうち6位以下は優良へ降格(2~5位までが準大賞。同率があった場合は準大賞ボーダーを繰り上げる) ③2位~5位はアーカイブ内で順位を表示 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2368 -------------------------------引用終了▲ ①②は「10作以上の選評投稿・5作以上の大賞候補を歓迎しない」という宣言に等しく、選評の投稿を牽制するものです。自分の大賞候補に栄誉を贈りたい選者は、選評投稿数が10作(降格を恐れるなら5作)を超えた時点で、投稿を断念するでしょう。 ②③は、選者に能力を期待し重圧をかけるものです。生まじめな選者は、「好きな作品より投票者うけしそうな作品を選ばなければならない」やら、「推挙作が多くの投稿者に支持されるよう活動(選挙運動をしたり誇大広告を打ったり)しなければならない」やら、不本意な煩悶を強いられることになるでしょう。自分の推挙作が降格になってしまったら、「自分のせいで推挙作著作者に恥をかかせた」という罪悪感に苦しめられもするでしょう。 以上の推測から、わたしは新ルールが「❶熱意ある生まじめな愛読者を選考から排斥し、❷B-REVIEWの大賞受賞作を特定の作風に偏向させる」と考えました。もっとも❷は、後述の8月大賞投票結果を見る限り、効果が出ていません。 ──── 8月大賞投票BOXの投票結果は、決勝投票への流用によって改竄されてしまいました(この不備については言及しません)が、わたしの記憶では、「決勝前の8月大賞投票」の結果は下記の通りでした。 総投票数:29票 同率1位[5票]2作 同率3位[4票]2作 同率5位[3票]3作 同率8位[1票]2作 このように票が割れたのは、候補作が粒ぞろいだからだ、B-REVIEWという場が多様性に富んでいるからだ、いずれも喜ばしいことだとわたしは考えますが、新ルールはその多様性を歓迎しません。このような結果を根拠として、9作中たったの2作の作者と選者に恥をかかせるのが新ルールです。 投票BOXのコメントには「自作に投票した」と告白している人もいました。一票の差がここまで明瞭な投票で、自薦をしない作者が明白な不利を被っています。そんな条件下での5票と4票に有意差があるとは(計算していませんが)思えません。 決勝投票も長い接戦のすえ、たったの1票差で大賞が決まりました。B-REVIEWが多様性を維持している証拠だと思います。もとよりわたしが持っていた「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」という考えは、なお強固になりました。 ──── 8月大賞の投票経過を、運営陣はどうお考えなのでしょう。「票がここまで割れるのはよくない、得票が特定の一作に集中するよう、場の思想が統制されるべきだ」とお考えになるでしょうか? わたしはそうは思いません。この私見がご参考になれば幸いです。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-04

こうださんへ。ご存じなかったのならまったく失礼なお話でした。わたしの読解をご存じということはHHM(現フォのヒヒョーマツリ)をご存じなんだろうという思い込みで述べたことなので、どうかお気になさらないでくださいね。わたしが阿ト理恵さんを初めて拝見したのも現フォのHHM2でしたので、ゴル系のかたはHHMをご存じと思い込んでいるふしがあります。反省します。 ブラック企業のことは本当にお気の毒でした。そういう体育会系の悪ノリのような上司は、まだ日本にごまんといるのでしょうが、自分たちのしていることの正体に早く気づいてもらいたいものです。文学極道(※ツイキャスを除く)がそれを彷彿とさせる場である事実や、B-REVIEWの旧運営がその悪癖からの脱却を目指してここを設立した経緯は、わたしもよく存じています。 もはやB-REVIEWは(投稿作のレベルも選者を苦しめるほど高いし)文学極道のカウンターに収まるサイトではありませんが、創設当時の理想──相手に対し礼儀を尽くすこと──は、今後もぜひ継承されてほしいと願っています。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-19

こうだたけみさん、こちらこそ解体させてくださりありがとうございます。いやもはや申し訳ありません。偏愛経験則のゆえ、「散乱/産卵」と見ると、本気であの系統以外なにひとつ読解できません。 ※ちなみに最初に見た「散乱/産卵」は、よもやこうださんもご存じかもしれませんが、葉月二兎さんの「papilibiotempusolare-loremipsumanniversarium」です。その後4作か5作の「散乱/産卵」を見ましたが、こうださんのお作が最も「わたしの理想の散乱/産卵」を描出していました。 ビーレビの全員キュレーター制は、「わたしに選べない作品はほかの人に選ばれる」という他力本願により、自分の趣味に思い切り走れるのが魅力と思っていますが、8月はハイレベルすぎ入選作絞り込みが困難すぎました。9月もさらなる困難が容易に予想されます。迷いの多いわたしには負担が大きすぎるので、逃げ出したくはありますが、今後も好きな詩が評価されてほしい事態が生じたら、好き好んで苦労して選評を書く所存です。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-19

藤さんご言及ありがとうございます。今回選評が間に合わなかったご事情は察してあまりあります。ほんっっっと入選候補から入選8作を決定する作業が一番きつい。候補が9作でもきついところに、今回32作も来たのですから、もうだめだ人類滅ぶ。(by 右肩さん『探せ。』) 最終的にひらき直り趣味ただひとつで選んだため、優良以上が思想惹起力のある読解向きの作品で埋まったのが、結果的に藤さんの選出をなん本か代行できていたのなら僥倖です。ぜひ大賞投票は、人類滅ぶ大洪水のよしみで、わたしのメロメロな右肩さんに清き一票&わたしのより的確な読解を……。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfI9i1h2kwavb1hKQy6NH5sbVCCzfTAo5jF0RbIhPppCaG26Q/viewform それにしても藤さんも右肩さんの詩がお好きだとは、なんというメロリーナ。田中宏輔さんの詩と同様、右肩さんの詩の批評(見果てぬ夢)も、ぜひ藤さんとご一緒したいです。もちろん一さん「 [] 」やこうだたけみさん「雨中遊泳」の読解もご一緒したいです。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-16

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ▼引用開始------------------------------- 「論理は世界に充満している。世界の限界は論理の限界でもある。思考できないものを思考することはできない。かくして思考できないものは語ることもできない。」 「主体は世界に属さない。それは世界の限界である。」 「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」 (ヴィトゲンシュタイン/坂井秀寿訳『論理哲学論考』) -------------------------------引用終了▲ 読書の秋の長雨にうってつけの「読解への警鐘」。とわたしには感受されました。作品の核心は上記引用の独我論に近いように思われましたが、思いっきり平たく言えば「語弊の問題」にも集約できるかと思います。 初連の【魚みたいな子供たち】の【見開かれた目】という比喩は、 ①子どもたちが大勢で(群れを成して)活発に動いている。 ②その子どもたちが一様に死んだ魚のような目をしている。 ①(肯定的)と②(否定的)のどちらとも読解できる、両価的な表現です。②に語弊があるので、世間一般では控えられる発言でしょう。 そのゆえ語り手は、その発言を黙秘します。その沈思黙考の様子が、2連で【視界に言葉が散乱する/散乱した言葉たちが産卵する】と描写されます。 軽率には発言できない、だからと言って自制することもできない「解釈」が脳裏をよぎるさまが、視界を泳ぐ魚に喩えられ、初連の【子どもたち】に直結します。いま語り手の目に映っている子どもたちの姿が、語り手の恣意的な「読解」に過ぎないこと、語り手が世界の真相を見ていないことが示唆されます。 自分は世界に追いつかない。自分と世界とのあいだには、埋めることのできない距離がある。そのような感慨が、湿気で曇った快速電車の窓、涙で曇った視界といった情景に託され、3連で詠われます。そうして詩は、終連の抒情に至ります。 ▼引用開始------------------------------- 特異な季節であなたとわたし ひとつの接点をふいにする 雨の日は遊泳禁止です そうねまだうまくは泳げないから -------------------------------引用終了▲ ここで唐突に登場する【あなた】は、想定し得るほかの人物が詩中に登場しないため、2連で孵化した【魚たち】すなわち【言葉】と読まれます。したがって最終二行は、語り手が「自分自身の言葉」と対話しているように見えます。 たとえば、「詩人」と「まだ完成していない詩」が、対話しているように読まれます。 「沈んだ気分のままでの、詩作/読解は禁止です。」 「そうね。沈んだままでは言葉が浮かばれないから。」 そのように。 「あなた」は「彼方」です。自分と感覚を共有できない他者は、自分から遠く隔たっています。自分自身の発言すら、ひとたび発されれば、自分の意思では操縦できない他者になります。詩やその読解という、表現を凝縮するぶん語弊が生じやすく、自己に没入するぶん視野を狭めやすい文芸の、どれほど危険で過酷なことか。 * それにしても、「発言しがたく自制もしがたい考え」のようなことを「散乱/産卵」と表現する(とわたしが読解した)詩をネットで見たのは、これで4度目か5度目くらいです。 その4作か5作のなかで、この詩はその題を最も理想的な形(初見一発目から目を惹き、再読すればなおおもしろい、そして難解でない)にできていると思います。優良です。 (雨中遊泳)

2018-09-15

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの感想すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 その日その庭でその蝉が死んだのも、その蝉がその庭で死んだその日に語り手がアイスの当たりを引いたのも、その貴重な当たり棒を語り手が一匹の蝉に捧げる気になったのも、一般的に言えば「偶然」でしょうが、仏教には偶然という概念がありません。その日その蝉がその庭でその当たり棒に弔われ得た、奇跡的なほど低い蓋然性にも、業なり縁なりがあると説かれています。 【アタリ】という戒名の「当たり/辺り」という、いかんとも言いがたく両価的に感じられてならない掛詞に、衆縁所生の無窮を見た気がして、ひとりで勝手に興奮しました。この仏教的にあり得ない興奮を、合理的に説明する自信はありません。その蝉の衆縁=わたし自身の人生も含む全世界が、語り手の行為によって「当たり」と命名されたような気に、ひとりで勝手になったのでした。われながら罰当たりなほどおめでたい。 (戒名)

2018-09-15

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの感想すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ネット廃人のリアルにネットが侵食してくるのはよく見かけますが、端末機器の説明が詩的な比喩に侵食され「端末とともに現実が壊れていく感」が醸成されるのは、初めて見たような気がします。なんという「ネット詩廃人」。と勝手に思いました。 詩的な感性の家電大好き男子という、およそ完璧な非モテ系の、端末・経済・詩的表現・キーボード打ち込みが、まこと淡々と破綻していくさま。MacBookの詩的な説明だけでも突っ込みどころは満載で、Xperia以降はツッコミを入れるのも面倒なほど、現実の多側面が盛大に破壊されています。こんなの笑うしかありません。 わたしは文学極道版(http://bungoku.jp/ebbs/20180815_465_10678p)のほうが好きですが、こちらはこちらで「素で淡々と壊れていく感じ」が強く出ていて、とてもよいと思います。 (じゃんぱら)

2018-09-09

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 前半の叙述は「ちりから生まれちりに返る」人間の原罪を思わせ、題名 [] と後半の叙述はそれに対するエポケー(括弧入れ、宙吊り、判断保留)を思わせます。【光はどこからきたのだろうとちり(から生まれちりに返る人間)が問うている】、そのようなわかりもしない問いの知りもしない答えを、安易に出してしまわないということ。エポケーは原罪「善悪の知識」(独善的な判断)に抵抗する思想だと、わたしは考えています。 前半冒頭の【海が戻ってくる】は、進化論に基づけば「退化」、創造論に基づけば「大洪水(神の裁き)による滅亡」と解釈できます。後半はモーセのエジプト脱出のようなイメージによって、その滅びからの「出口」が示唆され、人の定義がその根拠である「言語」が見直されます。アダムが神から担った任務である「命名」(それは言語の根幹)を、アダムの末裔が再考します。 不吉な兆しから始まり「死」を匂わせて終わる詩であり、読もうと思えば皮肉にも読めますが、受ける印象は少しも暗澹としていません。前半の軽妙な言葉遊びといい、後半の含みの多い自然な描写といい、とても印象的に感覚的で、うっとうしい思想をまったく感じさせません。そこがわたしの思う、この詩の最も偉大なところです。 * ところで友人の鈴木海渡くんとこの詩の話をしていて、「あづさならこの詩をなんて題名にする?」と尋ねられ、「アダムスファミリー」と答えたら、映画好きのカイトに盛大に困惑されました。ですので、そのようにも思った根拠を、聖書から引用し陳列しておきます。 ▼引用開始-------------------------------  初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。(新共同訳聖書 創世記1:1-2) 「見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。 」(同6:17) ▼引用開始-------------------------------  モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。(上掲 出エジプト記14:21-22) ▼引用開始-------------------------------  主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(上掲 創世記2:7)  主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人 [※アダム] のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。(同2:19) 「お前 [※アダム=人] は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(同3:19) ▼引用開始------------------------------- 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(上掲 ヨハネによる福音書1:1-4) -------------------------------引用終了▲ アダムの原罪のゆえ「ちりから生まれちりに返る」と定義された人間の宿世を、アダムの末裔が「誇り/歩起(進歩)」と名づけ直す。アダムが神から担わされて遂行した「命名」を、アダムの末裔が再考しエポケー(括弧入れ)する。いつか死ぬ必ず滅びるとわかっているのに、生きたい栄えたいと思う光(命)を、神の裁きのごとき独善の「言=一義」に閉じ込め、多義と多様の可能性を奪うことをやめる────などとこの詩について述べて、カイトの理解を得られるとは、われながら到底思えない。 およそよい詩というのは「詩でしか書けないから詩で書かれている(ようにしか読者には見えない)」ので、読解も「論理的には説明しがたい代物」になります。それをわざわざ言語化するのは、はっきり言って昏愚な所業。まさに「光(命)を言に閉じ込め、多義と多様の可能性を奪う行為」です。 この詩にはそういうことが書かれていると、わたしは感受しましたので、最終的にこの詩の題名は「 [] 」(括弧入れ=エポケー)以外あり得ないと思いました。カイトの適切な質問に感謝。 ([])

2018-09-09

ひとまず、乳首を触ると出るオキシトシンという幸せホルモンには、子宮を収縮させる効果がありますので、女性が妊娠中に乳首を愛撫されたり自慰したりするのはよろしくありません。同じ理由で妊娠中に中出しされるのもよろしくありません、精液に子宮を収縮させる成分が含まれているからです。 ダイエットコーラの自販機は、語り手の女体の比喩。 【コーラのボタン】は、後藤に摘まれなかった乳首の象徴。 【炭酸の微細な泡のように舞い上がり/私を夏の底から昇天させる】 のはオキシトシンないし中出し精液、その比喩が 「自販機から出てこなかった(買えなかった)コーラ」。 比喩として【明日の私】を妊娠中である【今日の私】が 仮に、コーラで昇天した場合、 胎児である【明日の私】に危険が及び 【もうだめだ。人類滅ぶ。】 【今日の私】が人類滅びもせず生存しているのは 【昨日の私】が昇天しなかった証拠なので 【コーラを買ったなんてこと、絶対にありません。】 *** メロメロ病が治ったらまた来ます。 (探せ。)

2018-08-19

わたしはるるりらさんの詩が大好きです。評もまったくるるりらさんで大好きです。推挙作をコメント欄と併読して幸せになりました。 しかし選手対作品にURLが付記されていないと、読者を得られないうえに運営の皆様のアーカイブ管理にも支障をきたすと思いますので、以下わたしに付記させてください。 ▼徐々でいいからさん「隔てて」2018-07-05 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1973 わたしも非常に惹かれてうっかり長々書いた作品なので、るるりらさんに選ばれたことを(自分の手柄でもないのに)幸せに思います。わたしがうっかり長々書いた選評ぜんぶ一網打尽にするような、わたしが説明できなかったことぜんぶ表現するような評でした。負けるってすばらしい。 ▼鷹枕可さん「血と黒」2018-07-27 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2050 すでに作者によって解題が成されている作品に言及するのは勇気のいることですが、るるりらさんの評もわたしは充分に納得できました。それにしても【陰穿孔、薔薇為る私を私為る薔薇を鳴る】ってものすごい詩句だと思います。 ▼渡辺八畳@祝儀敷さん「サバンナの光と液」2018-07-14 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2001 わたしは理詰めなので、この作品は「ライオンもカバも夜行性だ」というツッコミどころに引っかかり、それ以上のことを考えられなくなってしまいます。人様の評を見て、ようやくツッコミどころ以外を読むことができました。 ▼蛾兆ボルカさん「ビサイド 」2018-07-07 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1979 【テレビで批評家の人が 美とはBeに通じていて とても魅力的だと言っていたからです。】なんという作品に対し適切な評文だろう。 (るるりらの七月選)

2018-08-17

▼大賞候補「ちょうりょく」評より 【最初はたびたび出てくる「?」にひっかかって、──中略──(あ、耳を傾けているな、私)と気づいた。】 ひっ批評というより「ウヒョー」ですNEーーーーー!! 巻き込みワクテカお待ちしておりました藤さん。選評書くため全作読みはしたが、当然まともに読めてない作品が多勢なので、藤さんの選評と併読しました。わたしのヒヒョーも上記ほどウヒョーな域に達したいものです…………。 ▼蛾兆ボルカさん「ビサイド」評より 【詩作について技術云々というと、どうも顔をしかめる方がいて、技術アレルギーというのがあるのかしらんと辟易してしまうのですが、 ──中略── 構造と技術とは結びついていると思うんです。 】 わたしは当該作品の【「とにかくそうなんだ」感】を「気づき」の所産としか思わなかったので、それを技術や構造と捉える藤さんのアプローチが「意表」です。この作は偶然の産物ではなく、必然の結果なのですね。もちろん構造は技術の産物だと思いますが、それは職人芸のような言語化できない直感ですから、つまりたしかに必然です。 ▼二条千河さん「命名」評より 【わたしも様々な側面をもつ存在に対してひとつの名を与えることに抵抗を覚えた時期がありますが、その名によってこそ呼ぶことができる。】 この批評が最も意表を突かれ、正直言うと度肝を抜かれました。わたしはまさに【その名によってこそ呼ぶことができる】ことを根拠に、賛同できないという理由で(とても気にはなったのだけれど)この作品を外してしまったから。 わたしのような偏狭な人間が権力を持たなくてよかったと心の底から思います。藤さんを巻き込んだ甲斐がありました。巻き込まれてくださってありがとうございます! (七月分選評)

2018-08-16

拙文にまでご言及いただき恐悦至極です! 栄誉です! 至福の極みです! うっかり長々書いたからには、もちろんあわよくば読まれたい。だから早めに出したのだ、読まれたくないのに書いてる人間などいるんだろうか。うっかり長々書いた甲斐がありました! 全員キュレーター制万歳!! 気を取り直しまして、こうださんの選に(貴音さんの選にもありましたが)タイジュさん「パイナップルに関する6つの話」が入っていて幸せになりました。4連の置きかたがすさまじく気になり、入れるか入れないか最後まで迷った挙句、「わたしにはこの詩の魅力を説明できない」という理由で外してしまった作品のひとつだからです。そんな理由など、こうださんのお作にわたしがつけた理由と同じく「おもしろい」の一言でよかったんですね。悔い改めます。 百均さんはわたしも対象外と思って選評を書きましたが、すっかり新運営にも了解されて、最高にすてきな勘違いでしたね。ゼンメツさんが書いてらした通り、本来全員キュレーター制が発足した時点で選考対象になるべき書き手だったのだから。全員キュレーター制万歳。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

●入確朗報③ 徐々でいいからさん「隔てて」が無事、るるりらさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2139 わたしの優良以上4作が準大賞コンプリート。自分の手柄でもないのになんという至福。わたしはもちろん承認欲求の怪物。自分の手柄でないにもかかわらず、こんなにも多幸感であふれかえることが可能。 ●三浦⌘∂admin∂⌘果実さんへ いやいやいやいや拙文へのご贔屓は恐悦至極ですがそれは、よもや、選評書かれたにもかかわらず、ご自分の大賞候補に投票なさらなかったということですかね……。 もしそうならそれは、率直に、賛成できません、好きだからほかの作品蹴飛ばして推したはずの大賞候補に投票しないってそれは。それは。わたしなど投票箱のコメントでまで脳髄しびれて使い物にならない旨を懺悔してきたと言うのに。好きなら好きの義務として、是が非でもご自分の大賞候補に投票なさってください。全員キュレーター制万歳。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-16

●社町 迅さんへ ご返信ありがとうございます。徹頭徹尾メロりっぱなしで恐縮です。わたしのヒヒョーはまさにわたしの表現であり、私欲の都合を押し通すため作者様をガン無視する凶悪な代物ですので、作者様からメロり許諾をいただけるのは畏れ多いことです。筆がまれに見るどまんなかすぎた。どまんなかすぎたんだ。それで誤読しといて詩に「あなたが美しすぎるのが悪い」って文句つけるほどアホなことほかにないですね。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-14

●入確朗報① 湯煙さん「口縄にて」が無事、まりもさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2139 ●入確朗報② ゼンメツさん(無題)が無事、カオティクルConverge!!貴音さんさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2141 「わたしが推しさえすれば、わたしの好きな詩が必ず準大賞確実。」 「好きな詩を推すため落とさねばならんほかの優良=大賞候補(なんという悲劇)は、ほかのかたに選ばれるので、コメントさえしとけば心配いらん。」 ここまでわたしの私欲にとって完璧な選考制度を、わたしはほかに知らん。全員キュレーター制万歳。 *** それにしてもビーレビの一覧性の低さが、投稿してみるとよくわかります。@breview_autoなしには新作チェックも困難だし、ビーレビでの訴求はツイッターが要になりそうですね。 今回の原稿はTwitter Cardの抜粋を意識して書いたが、計算が甘かった模様。次回はどうにか「@breview_autoに優良以上4作の最低でも作者名が載るように」はからいたいが、それやるとアーカイブ記述が煩雑になるのですかね、運営の皆様に本当に感服します。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

●藤一紀さんへ ご共感ありがとうございます。わたしが今回これを書いたのは、ここが全員キュレーター制でありそこに藤さんがいらしたからですが、藤さんの7月選評の投稿はいつでしょうか? 次コメに詳述しますが、選考は恋(無限ストレス&カタルシス)との戦いであり、全員キュレーター制はその痛手を最小限にする最高の制度であるが、キュレーターが3名とかでは話にならないという原理的な問題を抱えています。では選評ご投稿を楽しみにしております。 ●こうだたけみさんへ ご記憶ありがとうございます。わたしも当然こうださんのお名前を一方的に存じており、わたしごときがこのかたに畏れられる理由がわからないものの恐悦至極です。①「うっかり長々述べたい系」と②「うっかり長々述べるまでもない(ビーレビ名物ライトレス)系」には、もちろん同等の栄誉が与えられるべきであるのに、この選評が②に優良以上を与えないという①至上主義に陥っているのは、「うっかり長々書いたからあわよくば読まれたい」という過剰な自意識の所業です。なにもかもビーレビ名物ライトレッサーの躍進を大前提とする他力本願です。しかしこうださんの作品は②すら超越しており、わたしの駄文が作品の価値を下げると確信されたのでああなりました。わたしは本気で言っているのです。 ●survofさんへ 再度のご返信をありがとうございます。ヒヒョー家は基本「自己表現のため人様の作品の枝葉を食い物にする害虫」ですから、あんまりな曲解にはぜひ堂々と反論なさってくださいね。わたしにも今回にもこの場にも限らず、いつでもどこでも。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

●ゼンメツさんへ ご返信ありがとうございます。拙文がそこまでエモかったとは、うっかり年増で申し訳ありません。ここまで国語力の高い書き手が、高校現国教科書に載り女子高生に解体されることを望むのは、まったく自明と思います。わたしも国語教育の未来のため、日本にはゼンメツさんの大賞が必要なのではないかと、ハゲるほど悩みました。この選評は「当然ほかのかたがゼンメツさんを大賞に推挙なさるであろう」という他力本願の所産なのです。どなたか! 国語教育の未来に大賞候補を! ●5or6さんへ ご歓迎ありがとうございます。身体上の諸事情で長いことたそがれておりましたが、ビーレビの閉鎖危機を聞きつけ急ごしらえで蘇生しました。8月選評を書くまでは死ねない予定です。今後もよろしくお願いいたします。 ●survofさんへ ご返答ありがとうございます。詩書きはたいていなにかしらをこじらせているので、相手を傷つけまいと憂慮していると、批評など一字も書けないわけですが、survofさんには杞憂だったことを執念深く記憶しました。選考には不要な情報とはいえ、安全であるすぐれた書き手のお名前を把握しておくに越したことはありません。survofさんもぜひご記憶ください。読者はおのれの復権のため、作者の死(by バルト)を希求する生き物です。作者にどんな思想があろうが関係なく、自分の読みたいようにしか読まないのですよ。その読者も読解書けば作者に相違ないのですがね。つまりわたしは死にたくないので、今後の評に語弊がありましたら、ご遠慮なく苦情をお申し付けください。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

すてきな詩は読者をメロメロにし、アホにする劇薬なんですよ。特にこの詩は、しょっぱなの電柱の立派な男性性がめっぽうしびれるため、読解がよりアホになると思しいので、ひとまずどうにか悪い頭を冷やす必要がありますね。 つまり語り手は、欅並木の下のベンチかなにかに座って、おそらく居眠りをしていたのでしょう。電柱は原則として、目覚めた語り手の視界に入った光景の一部であって、立派な朝勃ちの比喩とかでは、原則としてはないはずです。 そして【立ってから座っていた自分を振り返る】。姿の見えない熊蝉の声、すでに立っているかつて座っていた自分。そのような痕跡のようなものが、居眠りの夢うつつで僕が欲情(リビドー)し、射精の大洪水で虐殺(デストルドー)した対象の【人類】である。 人類には自分が含まれている。「姿の見えない他者」にも自分自身が含まれている、過去の自分はもちろん現在の自分も、「自分には見えない顔」には違いないから。だめだ読解がアホだ! *** メロメロ病が治ったらまた来ます。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 これがこの作品のオチであり、核心は「コンバースよりラベンダー」と思われます。 【例のコンバースは彼女と会うために買っただとか、ベツにそういうもんじゃない、】 つまり、そのコンバースの靴紐を巻き付けられ、コンバースと「結ばれた」ラベンダーのほうは【そういうもん】であると。 彼女との終わった恋を象徴する枯れたラベンダーについて、語り手は黙秘しています。 【てかコンバース(の靴紐を巻き付けた枯れたラベンダー)の事はもういいだろ、ほんと、】 とコンバースの話でごまかして、ラベンダーのことを隠蔽しています。もう思い出したくないのでしょう。語り手は彼女との恋を、ラベンダーごと枯らしてしまいました。枯れたあとでその恋が【来年フツーに生えて】など来ないことを知りました。 それを【なにも悲しくはない】やら、彼女との恋が【長く続くことを考えると、知らない臓器に違和感を覚える】やらほざくスキゾ気取りの語り手には、失恋の悲しみを表現する能力がありません。悲しむことができないから【結局むしゃくしゃ】するしかなく、自分のように雑魚なコンバースに八つ当たりし、その靴紐を思い出のラベンダーに巻きつけ「彼女と結ばれたかった自分」を思い知ったりして、 【そこまでしてやっとバカらしくなった。やっとだ。】 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 なんかもう、語り手には申し訳ない感想ですが、ほほえましいですね。 *** 密度の高い文章です。平たく言えば「戻ってくると思ってた彼女が、戻ってこないから俺はいまこんなんなってる。」というだけの哀愁が、どれも非常な説得力のあの手この手で語られています。一言一句に豊富な含意と強靭な必然性があり、コンバースのように雑魚な語り手の心境を、これでもかというほど深めています。わたしはスキゾでもスキゾを気取りたくもないので笑ってしまいましたが、共感し感動しより豊かな読解を成す人もいるだろうと思います。 初見一発目からおもしろく、再読すればさらにおもしろく、しかも難解でなく、およそ欠点がありません。あえて瑕疵を挙げるとしたら、場面転換が雑すぎることですが、その雑さ(割愛)にも意義を持たせてしまえています。高校現国の教科書に載っても支障ないような文章力です。きっと多くのかたから高く評価されることでしょう。 (無題)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 説明の決定的に足りない、解釈の余地の大きい文章です。小説ならダメだと思いますし、小説ではやる意義が薄いとも思いますね。つまり詩でやる甲斐のある表現だと。 奇妙な題名には「蛇の道は蛇」やら「結界」やら「口を噤む」やら、感受できる含意が豊富です。作品もどんなふうにも読めるのでしょう。わたしは下記のように、ごく平凡にこの詩を感受しました。 *** 念仏寺の門前にいつも鎮座していた猫が、語り手に写真を撮られた日に姿を消してしまった。写真はひどくぶれてしまったか、撮る前に逃げられてしまったか、少なくともしっかりとは撮れなかったようです。撮れなかったから語り手は、猫をいまも探すのでしょう。 半眼の仏のような、だが仏の偶像でも象徴でもなかった猫。語り手は【無私】の奉仕として猫の写真を撮ろうとしたようですが、猫は像にされることを拒み、語り手には通れない道をこじ開けて去りました。この部分に最も大きな解釈の余地があります。 写真に撮られてしまったら、もう会いに来てもらえないと思って、すねて逃げたのかも知れません。写真さえあれば会えなくてもかまわないような相手だと、思われたくなかったのかもしれません。 *** 鮮明な描写です。心理描写がほとんどありませんが、語り手が猫に注ぐ熱視線のほどや、猫が語り手に特別になついている様子がよくわかります。特に二段が印象的。 【広がる青の清澄。はるか遠く、黄金の風の瞳が開き。】 うららかな晩秋の昼下がりの日差し、カメラを構えた語り手の熱視線、周囲の音が耳に入らないような緊張感と高揚感、日差しに照らされ風にまで見つめられている猫の美。そうした抒情が凝縮された美文です。この作品はこのような、小説では書いても読み飛ばされるから書く甲斐の薄い美文のかたまりです。 (口縄にて)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ わたしが思うこの作品の魅力を、どうにか人様に伝えたいのですが、後述の理由ですこぶる困難です。ひとまずデリダの「署名」や、『涼宮ハルヒの憂鬱』の未来人の「時間平面」が思い起こされる、というところから説明を試みます。 思っきり恣意的に平たく言うと、時間やら歴史やら「自己」やら言うのは、パラパラまんがのように「連続して見えるが一瞬一瞬で独立しており不連続である」。たとえばわたしが地点aから地点bまで移動する姿を、50枚の連続写真で表現したアニメーションがあるとします。その50枚の写真に映ったそれぞれ異なるわたしの姿の「どれが本当のわたしか」なんて問いには、意味がまったくありません。そのように「本当の自分」とか「自分を偽る」とか「自分探し」とかいう概念は無意味で、きょうの自分があしたも変わらず継続する保証はどこにもなく、自分なるものの真相は自分にもわかりません。という感じ。 その「同一でない無数の自分」の同一性(連続性)を便宜上保証するものの一例が「署名」です。作中ではそうした概念が、下記のように表現されています(というのはわたしがそう思ったということで、作者様とは関係ありません)。 【僕を隔てて/僕が言ったのは/自分の名前なんてオチじゃ/噛ませた甲斐も意味もない】 ●読解(というのは読者の表現であり、作者様とは関係ありません) 【河を隔てて/時を隔てて/僕のようなものが一枚噛ませてある】 冒頭三行の表現から想起される情景は「三途河」、生死の境です。おそらくこの語り手は、人生観がいっぺんで(おそらく望まなかった方向に)一変し、自分が自分でなくなったようにしか思えなくなるような、なにかしら衝撃的な経験をしたのでしょう。 【生きていて/を/隔てて/堪えるんだ/を/隔てて/宛がった僕と僕/ガーゼが足りない僕の僕】 ここが特に印象的。【生きていて】の持つふたつの意味(現在と願望)と、【僕】の持つふたつの訓(「ぼく」と「しもべ」)が非常によく効いています。いま心が空っぽでなにも考えられない、もう以前のままではいられないのになにもできないと言った抒情が、「(いまの)僕に(過去の)僕の宛てがう」という、迂遠だから印象的な情景に集約されています。 「変わらなければならない、だが変われない」、平たく言えばそうなるかもしれませんが、平たく言って片付けることができないほど重い感慨だから、こういう叙述になっているのでしょう。説明も心理描写も削ぎ落とした「起伏」しかない思考の波。あたかも脳波です。それしか表せないほどの虚脱が強く感じられます。 ●結論 名状しがたいものは説明できません。器用に説明できるならそれは「名状しがたいもの」ではありません。しからばそれは抒情詩ではありません、とわたしは思っています。この評文が説明になっていないのはそれが理由です。 (隔てて)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ この詩にはまいりましたね。こんな好みどまんなかの、脳みそしびれて使い物にならないほど魅力的な筆致には、めったにお目にかかりません。下記は「わたしがこの詩の核心と思う部分の読解」ですが、ただでも悪い頭がこんなにしびれちまって、果たしてまともに読めているのかどうか。 ●読解(というのは読者の表現であり、作者様とは関係ありません) スラッシュの多用で連ねられた、断片的で自虐的な回想。語り手は「かつて堕胎を経験した未婚の女性」と思われます。流産と解釈することもできますが、ここではより重苦しい堕胎を読解前提に想定します。 失ったわが子や愚かだった恋にまつわる、語りたくないもう思い出したくもない抒情が、迂遠な比喩の行間に、すさまじい密度で凝縮されています。 冒頭の【空き地に敷き詰められた詰草】は、もとが梱包の詰め物だったので詰草と名付けられました。 出だしの情景はその詰草のイメージから、「世間知らずの箱入り娘」や「開封された贈り物」などの濃密な含意を伴って、「からの子宮」を示唆します。 それは「母になれなかったかつての語り手自身」への呪詛です。【阿呆が集いて歌を鳴く】そのように愚かだった恋の果てに、語り手はわが子を失いました。その感慨がここでは【止まらぬ寂】と呼ばれ、終盤では【孤独】と呼ばれます。 【薄暗き/林の高い木の枝へ/ふたり絡まり伸びようか/螺旋を二人でつくろうか】 これは愚かだった恋の高ぶった性交と、その果ての妊娠(遺伝子の二重螺旋)の比喩。イェイツの『デアドラ』を思わせる、悲恋と死の匂いをどっぷり孕んだ、不吉な高揚です。 【血を以て私たち他人となりましょう】 こちらは決別と堕胎の比喩。語り手は堕胎をもって、駄目な男ともわが子とも【他人】になったようです。 このようにこの詩の詩句は、含みがきわめて多く、文字通り重いです。語りたくないことを語る言葉だから、切り詰められ凝縮されています。 【嘘つきが最後に味わうものは孤独/誕生日に必ず味わう程度には私の好物】 この【誕生日】は、表面的に読んでも意味は通りますが、真意は「失ったわが子の命日」でしょう。生むことのできなかったわが子へのやるかたない思いを、語り手はこんな皮肉でしか表現できません。かの女の本音は言葉にも、涙にすらもなりません。 【蛙、雨を乞いて鳴いている】 涙も涸れ果てたような疲弊の重苦しい抒情が、すさまじい密度で凝縮された結句です。人も蛙も恋を謳歌する夏の夜の孤独、涸れ果てた涙が飽和したような湿気、わが子が上げることのできなかった産声。漏らせない語り手の本音。悲しんでいないふりを装う【嘘つき】。人に言えないような話は、このようにしか歌えないということ。 ●感想 特に冒頭がかっこよすぎるのですよね。初見一発目から「箱入り娘をこんな洒脱に皮肉る比喩を、わたしは初めて見た。」って間違った感動に打たれたせいで、再読三回目くらいまではどこ読んでも「わたしもこんな渋い女性になりたいなー」って最悪に的はずれな感想しか湧いて出ず。自分の悪い頭との厳しい戦いでしたが幸せでした。好みどまんなかの詩は、読者をメロメロにし決定的にアホにする劇薬です、が最高に幸せです。 わたしがメロメロのアホだからまともに読めないだけで、難解でも奇天烈でもありません。読めば読むほど「この詩はこのようにしか書かれ得なかった」という必然性の感じられる、説得力のある作品です。メロメロ病が治るまで読解どころでないことも、なん度も再読を楽しめるのだから美点と言えましょう。傑作です。 (女性像/断片)

2018-08-11

ご返信ありがとうございます。私生活の事情で責任ある立場には就けないのですが、技術に限った一時的なお手伝い程度はできると思います。phpどころかJSも書けないので、プログラムは組めませんが。。。 この返信を書く前にサイト内要所のソースとレスポンシブを確認したところ、アーカイブのtableに関するclass設定が、無駄としか言いようもないほど複雑になっており、かつ不適切になっています。なぜこうなっているのか不思議でしかたないので、内部(入力の現場)を見せていただきたい気持ちになりました。入力がどうなされているのかわからないまま、外部CSSがどうこう言っても無益だからです。 9月まで私生活が多忙なのですが、システムのことは現運営からしかお話を伺えないので、お手伝いするなら可能な限り早い時期から内部を見せていただきたいと思います。よろしくご検討くださいませ。 (今月のおしらせ(おもにキュレーションに関して)※必読)

2018-08-10

渡辺さんお疲れ様です。すでにツイッターで質問させていただき、ご回答をいただいた選評投稿の形式について、考えが変わり結論を出しましたので、改めてその件を報告させてください。 まず先日の話を詳述します。選評には字数制限が設けられていませんが、あまりに長大な投稿は、掲示板の(特にスマホでの)一覧性や操作性をはなはだ悪くし、迷惑になるとわたしは危惧しています。たとえばいまわたしが執筆に挑戦している7月選評は、大賞候補作の選評だけで1600字を超えます(※ちなみにこのコメントの字数が約1600字です)ので、8作分の選評をまとめれば一万字を超える可能性があります。そんなものがこの掲示板に全文表示されていたら、多くの読者がページ自体の閲覧を放棄することでしょう。 率直に言って、B-REVIEWの掲示板のサイト構築は、わたしの知るウェブの常識に基づくと拙いものです。スマホでは、長文を折りたためず抜粋表示への変更もできず、スクロールが煩雑でスレッドを見逃しやすく、viewport設定がないため横画面での表示が非常に読みにくい。一覧性(ページ内の全容の把握しやすさ)はPCですら芳しくありません。ただでも悪いその一覧性を、長大な記事の投稿が、致命的なものにすると危惧しています。 *** それで先日わたしが考えた「自分の選評投稿を迷惑にしないための対策」が、先日質問させていただいた下記三種でした。 ①選評を分割して投稿する。(選出結果はすべての記事に記載する) ②投稿記事には選出結果と総評等のみを書き、個別作品の選評は、折りたたみの可能なコメント欄に記載する。 ③投稿記事には選出結果と総評等のみを書き、個別作品の選評は外部に用意して、投稿記事内のURLで誘導する。 ①には「多数の投稿が他者の投稿を下げ続ける」という致命的な欠陥があり、「一万字を超えるような長大な記事は、分割したところで結局長大」という根本的な問題もあり、問題をより深刻化させるでしょう。 ③は、書く側としては慣れた環境で好きな形式を使えるので楽ですし、B-REVIEWにもリンクジュースの利益があると思いますが、その外部記事が絶対に消去されないという保証がないため、信用の面で問題があると考えます。 それで②が最も適切な手段であろうと、先日の時点では考えていました。 *** しかし、既存の選評を参照(新運営の尽力によりアーカイブが整備されたので、この参照が可能になりました)すると、どなたの選評も実に簡潔です。キュレーター各位が「すでに当該作品のコメント欄で評価の前提を説明し終えている」ので、それと重複する内容を選評に記載する必要がないのだろうと思います。 選出にも批評にも根拠は必要で、わたしの場合は読解を根拠にすることが多いので、どうしても話が長くなります。その長大な読解は、選評より選出作品そのもののコメント欄に書くほうが、閲覧される蓋然性も上がり、よほど望ましいのではないかと考えはじめました。 8月上旬の投稿が盛んな時期に、7月の作品を選評のためのコメントで上げ続けるのは、現場の投稿意欲を削ぐかもしれないと不安を感じていましたが、現運営の三浦さんから「前月分の投稿作品には、トップページに上げずにコメントすることが可能」とご案内をいただきました。今回はこの手段を試行する所存です。 *** 以上、「わたしの問題は解決したので、わたししか書かない蓋然性の高い長大な選評について、特別のご配慮をいただく必要はない」ということを報告しました。サイト構築に関する私見は、新運営が改造に着手なさる際に、ご検討いただければと思います。 また先述③の外部キュレーションに関しては、先述の通りの利便や利益があることから、選評とは別に催される意義があると感じています。このこともなにかの機会に、新運営にご検討いただければ幸いです。 (今月のおしらせ(おもにキュレーションに関して)※必読)

2018-08-09