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現在詩
生まれるということはみずからなのか受け身なのか 母の会陰を裂きながら おまえが取り出されて ひとがひとり増える おまえを取り出すのは他人であり その他人がすぐに身体を清めてくれる そして安心安全な場所におかれる 大仕事を果たした母もまた 他人に身体を清めてもらい 安心安全な場所で休む これらのことが普通にできる社会に生きていること 連続した生きものとしての連動と公助 互いを助け合える環境と精神 それができていればその社会は豊かであり、幸せである この公助は戦場でも可能ではあるが 銃弾が当たれば死ぬ 爆弾が爆発すれば死ぬ 傷つき誰にも手助けされずに死ぬ そのような社会は貧しく、やがて滅びる 周りに獣たちの蔓延る場所であれば おまえは食い殺され 母は食い殺され 守ろうとするものが食い殺される そのような社会は厳しく、生き残ったものが正解となる 安心安全な場所で眠るおまえは つぎに母から乳をもらう(飲みかたは知っている) 吸いついて体内に栄養をもらい身体を大きくする 眠り、食い、育つ ただそれだけを繰り返す 安心安全な場所で それができていればその社会は豊かであり、幸せである 貧困が極まれば母から乳は出ず 代替えとなる人工ミルクも手に入らず おまえは飢え死にする そのような社会は貧しく、やがて滅びる 自ら移動できないおまえは誰かによって運ばれる 運ばれた先がどんな環境だろうと文句は言えない そこはどんな場所だ? 獣に襲われるか? 銃弾が飛び交うか? 意味もない人殺しはいるか? 社会は貧しいか? 厳しいか? 豊かか? 大きくなったおまえは成長を止め 新たな子を作るための行動をする 女を口説き 男を選び 飯に誘い 飯を食い 誘惑し 吟味し 交尾する そして最初に戻る
現在詩 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1063.0
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-06-09
コメント日時 2023-06-13
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
しっかり語ってからの最終連のレイアウトがうまく効いているな、と感じました。
1はじめまして。 人間の生の円環が淡々と描かれていますね。 ただ、読み手に訴えかけるものが若干弱い感じがします。 何かもうひとひねり加えた方がいいような気がしました。
1もじゃおさんへ コメントありがとう。 m.tasakiさんへ コメントありがとう。 ひとひねりかあ、これは直球勝負のつもりなので、難しいなあ。
0>生まれるということはみずからなのか受け身なのか 「生まれる」という語は、英語では受け身(be born)としか解釈されませんが、日本語の文法では自発と区別のつかない場合がありますね。 たとえば親がわが子に思う「生まれてくれてありがとう」、この「生まれる」は受け身です。対して同じく親が思う「自分はこの子に会うために生まれてきた」、この「生まれる」はどうでしょう。これを受け身と呼ぶのは、肌感覚ではかなりの違和感があるように思います。 自信のない多くの親は、わが子がみずから親を選んで生まれてきたなどとは思わないでしょう。反抗期のわが子に「生んでくれなんて頼んでない」などと言われたら、きっととてもつらい思いをするでしょう。そんなとき「自分はこの子に会うために、みずから生まれてきた」という思いを噛みしめるのかもしれません。わが子もいつか愛する人に出会い、愛しいわが子を儲けたときに、この思いを共有してくれるはずだと祈るかもしれません。 考えてみると「(子が母から)生まれる」ことと「(父がわが子を女に)生まれる」ことは似ています。父親は出産の主体になりえないので、わが子の誕生に客体としてしか関与できません。この詩が「おまえ」をまったくの他人事として語る客観性には、父親のそのような客体性が反映しているように思われました。 * 以上の印象を踏まえて思うにこの詩は、視座(語りの立場)を欠いているために、せっかくのよい着眼を活かしきれていません。正体不明の語り手が「おまえ」の人生を全知し一方的に語る、神の視点の二人称文体、それもこの淡々では、語り手の「おまえ」に対する思い入れのほどを図りようがありません。語り手の上から目線に正当性を感じられないので、説得力を欠いてみえる次第です。 語り手を父親「おまえ」を息子と断定できるような表現があれば、行間をはるかに読みやすくなり、深みが増すと思います。あえてそれを設定しないことによって生じる利益が、わたしには思いつきませんでした。ご参考に足れば幸いです。
1澤あづささんへ コメントありがとう。 「生まれる」という語が受け身なのか自発なのかということについて。 これは吉野弘「I was born」をどう捉えるのかから思いついた発想なのですが、子を産める母対それを見るしかない父という対象から言っていることではありません。 生き物が世に生まれようとすること自体が、生まれようとする主体が目指してやっていることなのではないか? という発想から書いています。これは人に限ったことではありません。ほとんどの子が他の生物の餌となる生き物は食われても食われても大丈夫なほど大量の卵を産んでこの世に生き残ろうとする(厳しい世界)。そうじゃない生き物は最小限の子だけ産めば連続した生き物として存在することができる(豊かな世界=医療の発達と行き届いた栄養価のある先進国ではどこも産む子の数は減る)。 視座を神としてもよいのですが、書き手としては言葉に視座を置いているイメージです。言葉が人の現在を語っている。
0yamabitoさんへ コメントありがとう。 個人的には楽天家なんですけどね。
0クヮン・アイ・ユウさんへ コメントありがとう。 おお!「能動的な生には未来詩的なるもの」という素敵な言葉をありがとう。
1生まれてきた、そのことの不思議さと、守られている環境、また危険な環境では全く違った人生になってしまうということが書かれていると思うので自分の生まれた環境について色々と考えていました。 生まれることの奇跡、また苦悩、周りの人達の想いなど沢山の感情が交錯していて良い詩だと感じました。
1きょこち(久遠恭子)さんへ コメントありがとう。
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