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ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。
ブロスの下着 だれかおれを連れ去って欲しい たとえそのだれかが きみであっても それはとても素敵なことで 長い孤立からきっと 救ってくれる おれの人生に勝ちめなんかないのは知ってるとも まちがってることが多く ただしいものはあまりなくとも 語りかけてみたい すべてを 女を知らないやつがこんなものを書いてるんだ 嗤いたければそうするがいいさ 平日のマーケットで 金色の星を浴み ブラームスを聴きながら ブロスの下着を撰びたい そしてアパートに帰って シュトラウスのドン・キホーテをかけながら かの女がくそをしたあとの、 便所の水のながれをずっと聴いてたい ずっと聴いてたいんだ それはきっと 美しいにちがいない 場所 きょうはヴィム・ヴェンダースの写真集をみて過ごそう Places, strange and quiet 静かで見も知らない場所を求めながら、さ きみはかつていったね ぼくのことがきらいだと あのとき十二歳だったぼくらも三十二となった ふるえる稜線をたどって厭きなかったあのころ ぼくはすでに知ってたんだ 自身が望まれてその場所にいるのでないことを ありがとう、さようなら そうしてさらにありがとう、さようなら ぼくの知らないとこできみは大人になった きみの知らないとこでぼくはできそこないの人間になった ありがとう、 そしてさようなら
ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1168.3
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-21
コメント日時 2017-03-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
中田満帆という詩人に関しては、ネット上にアップされた作品とSNSや詩の投稿サイトでの発言くらいしか情報がない。しかし、その限られた情報の中でも彼が優れた詩人であり、人を惹きつける文章を書く才能の持ち主だということは分かる。 初めて彼の作品やネット上での発言を目にした時、私は「花のノートルダム」と、その作者であるジュネを連想した。表面的には乱暴で猥雑な言葉が散りばめられた彼の詩の裏側には、途方もない美しさと寂しさが星のように明滅している。リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」をかけながら、「彼女」の排泄後の水音を聴きたいという語り手。この設定で切ない「美」を表現するなど、誰にでもできることではない。しかし、彼はそれが可能なのだ。自分はできそこないだ、自分には何もない、自分は人生の敗残者だと嘆く人間は世の中に星の数ほどいる。彼らの存在も、その嘆きも、残酷なことではあるが真新しいものではない。だからこそ、その存在と嘆きを人々の心へ届かせることができる中田さんの詩は本物なのだ。 彼の中では、たくさんの「手に入れられなかったもの」や「手が届かないもの」、そして「失われてしまったもの」への憧れや絶望や後悔が常に渦巻いているように思える。しかし、この詩を読んで私はあらためて中田さんの文才を羨ましく思うのだ。彼は私が手に入れられず、今も未練がましく追い求めるものを間違いなくその手の中に握りしめているのである。
0中田満帆様 投稿有難う御座います。 もう、何も言えません。私はファンなので、本来であれば、コメントを書くことを差し控えなければなりませんが、中田さんへのシャイとして、運営スタッフを外されるペナルティ覚悟で、トップへ挙げさせていただきまーす。
0わたしは中田満帆さんの筆致が大好きで、B-REVIEWのフォーラムに三浦さんがアップなさった短篇『光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ』は、特に好きな作品です。 ▼『光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ』 http://breview.main.jp/index/wp-content/uploads/wpforo/default_attachments/1485695414.pdf ※この作品は合評対象にならないのでしょうか? 大好きなので華々しく絶賛したいのですが。 上の「小説としては問題がありすぎるほど詩的な(筆致が圧倒的に魅力的な)小説」と比べると、やはりこの詩は「わたしが期待している中田さんの魅力が活きていない」と言わざるを得ません。もちろん魅力的な詩句はたくさんあり、『ブロスの下着』の冒頭三行も【かの女がくそをしたあとの、/便所の水のながれをずっと聴いてたい】もすばらしい詩句ですが、その魅力が、説明的な心理描写に埋没してしまっていると思います。 文字通り「小さくまとまりすぎ」なのではないでしょうか。このような抒情は、心理描写を主として簡潔にまとめると、ただの愚痴に見えてしまうおそれもあると思います。もっと思いっきり、でたらめなくらい大胆に飛躍して、情景を描写していただきたいです。 中田さんは「作法など一向に気にならない、欠点が見えなくなるくらい魅力的な筆致」を持つ、稀有な書き手だと思っています。強烈に期待しているので、身勝手な酷評を述べました。失礼でないことを祈ります。
0ブロスの下着(改稿案#01) だれかおれを連れ去って欲しい たとえそのだれかが きみであっても いいよ 紳士売り場ではブラームがかかってて そいつを聴きながら おれはブロスのパンツを撰ぶ 手触りのいいそいつを だれもない平日のマーケットで あんたはだれ?──知らない女がいう あんたは救いを求めてるのっていう おれはなにも答えられずに ポケットからサーディンの罐を手渡した これこそがおれにとっての救い まちがいは多く ただしさはあまりに少ないけれど 勝ちめのないのを知りながら それでも連れ去って欲しい たぶんそのだれかが きみであったら いいのに やがてブロスを撰び終えておれはマーケットを去った さっきの知らない女がアボガド・ワッパーを喰いながら ずっとバス・ターミナルに立ってた 雨が降ってて なにもかもいやらしくて おれは話しかけてみた 「きのう死んだ映画監督がかつていってたんだ、 花を摘むのは少年であり、 虫を殺すのは少女であるってね」 喰いかけのワッパーをおれに渡して 女は笑いかけた 早くアパートに帰って シュトラウスのドン・キホーテをかけながら かの女がくそをしたあとの、 便所の水のながれをずっと聴いてたい ずっと聴いてたいんだ それはきっと 愛おしく 美しいにちがいない 澤あづささんへ。一介の作家志望としては6年もまえの作品を絶賛されてもあまり感じるところがないですよ。最新作がいちばんなんです。それにあなたが仰るほどに「小説としては問題がありすぎるほど詩的」とか「でたらめなくらい大胆に飛躍」していたとはおもってませんね。素直にじぶんの好きな世界を書いただけといまでもおもってます。自身を含む、零れ落ちたひとびと、青年らしい悪あがき、そして犯罪。いま書いてる「れもんの若い木々(元のデータがないので一から書いてる)」はSFなので例外ですが、まあ、そんなもんです。かいかぶっちゃいけませんよ。ほかの女性(ブンゴクで知り合って六年交流がある)から「こんな汚いものを好んで読むひとがいるのか?」とまでいわれましたし、そんなもんです。わたしの詩がいいというひともいるし、絵がいちばんなひともいる、写真がいいひともいる、音楽は… …まだいない。というわけです。
0下地を堅固に、何層にも塗り固めたカンバスに、極めて自然な筆致で、スケッチ風に、その時の情感を描きとった・・・という印象を与える作品だと思いました。 「下地」というのは、固有名詞が醸し出す抒情、ムード。自然な筆致で、というのは・・・悪い意味ではないのですが、大衆性、ポピュラリティー。 アメリカ人(あるいはアメリカ文化圏に育った人)が演歌を英語で書いて、それを巧みな日本語の使い手が日本語に翻訳した、という印象を受ける・・・のですが・・・その理由を、まだ、上手く説明できません。批評、と呼ぶにはかなり不十分ですが、感想、として受け止めていただければと思います。
0みなさん、コメント、どうもありがとうございます。 もとこさんへ わたしは元来ワナビーでなんにでもなりたがった男です。改造人間→戸隠流忍者→映画監督→絵描き→漫画家→バンドマン→小説家、そしていつのまにやら詩人と区分されるようになりました。 わたし自身が望んだわけでなにしろ、友人や愛や信頼やまともさといったものの「不在」によって作品が──水準は別として書けています。この詩はわたしの師匠である森忠明が「デパートでバッハの交響曲を聞くという行為と、聴きながらパンツを買うという行為は決して分離できるものではない。バッハの美しさとパンツを買う行為に優劣というものはない。日常と藝術をわけて考えている時点でだめだ」とかつていわれたのがきっかけで書きました。 三浦さんへ 酒を呑むなら、神戸市中央区琴ノ緒町5丁目3−5 グリーンシャポービルB1の「ローハイド」がおすすめです。ナカタミツホというバーテン見習いがいます。かれは減量を始めました。 花緒さんへ 学習障碍やいろいろなことで、わたしは言語の発達が遅く、つらく、恥ずかしいおもいをすることが多かった。「なにをいってるのかわからない」という無理解を生きてきたので、どうしても書く側の生理として「相手に確実に伝わるもの」という意識が働いしてしまいます。だからこそかえって浅くみられてしまうという弱点もあるのですが、わたしにとって大切な弱点なのです。
0まりもさん その問題についてはわたしも答えがだせていません。翻訳文学を好んでいますし、日本文学というと戦中戦後にいってしまう。いかに「おれの日本」というものを発見するか、これがむつかしい。民俗学を紐解くべきかも知れません。
0二度目のコメントで申し訳ないけれども、中田満帆ファンの男子を代表して、一言。 中田満帆作品とは、仄暗い系男子にとって、「男の弱さをスタイリッシュにした魅力」なのだ。先日も、twitter上で、「中田満帆はなぜ世に出ないのでしょうか」という趣旨のリプをもらったけれども、仄暗い系世代(私の独断ですが、今の25~35才ぐらいの草食系などと揶揄される人々)のカルトヒーローになるべき人物、それが中田満帆なのではないだろうか。 そこで、今回の新作について。既にリリースされている詩集本2冊の作品と比較すると、先に述べた 「男の弱さをスタイリッシュにする」文体は進化している。私の印象では、詩集本2冊のなかで展開された作品は、一言で云えば「ボロボロ過ぎて鳥肌がたつぐらい痛いし哀しい」ものなのだ。それは、詩集本のいくつかの作品に「女性」は登場するけれども、その女性との距離が遠いのだ。少なくとも、今作のような、便所の水のながれる音が聴こえるほどの距離では登場していない。その女性の描き方に私は、より洗練性のある作品を目指す中田満帆氏の意思がみえた。 なぜ、女性との距離が短くなるとスタイリッシュな表現になるのか? それは、あなた、草食系男子ならわかる話です。
0どうやらここは詩についての掲示板らしい。だから教えてくれ、いったいエシャロットは神戸のどこで買えるんだ? まぁ、いい。おれの室のガスは停まってるし、7000円の滞納もある。喰うものもないのにバーテンの仕事はある。 《それはきっと外国語文学のスタイルを消費したり写真集をめくったりすることだけでは決して癒やされない、根深いなにかである。そしてそれはたとえ作者に女ができ、性的快楽に浸る日々が訪れたときも消えることはないだろうと俺は断言できる》、それはおれだって知ってるよ。おそらくあと数冊(詩も小説)もまとめてしまえたら、もうパロールってやめちまうんじゃないかな。「喪失」と「憧れ」の産物がいつまでもつづくとはおもえないしな。抽象画でもやるか、バルーン・タイムを吸うかだ。
0>女を知らないやつがこんなものを書いてるんだ >嗤いたければそうするがいいさ >平日のマーケットで >金色の星を浴み >ブラームスを聴きながら >ブロスの下着を撰びたい > >そしてアパートに帰って >シュトラウスのドン・キホーテをかけながら >かの女がくそをしたあとの、 >便所の水のながれをずっと聴いてたい >ずっと聴いてたいんだ >それはきっと >美しいにちがいない すっと染み渡ってくるなぁという感想しかないし、それでいいのかなぁと思いました。僕は、今は女の子の事についてあんまり知らないし、知らなくてもいいかなぁという感じだから(欲はあるけど)多分上に引用した所はぼくにはこんなに短くしゅっつと言い表せないだろうなぁと思いました。僕は美しい物っていう感覚はないけど、汚いと思う心はある感じがしていて、それが結局の所排便の音だったりするんだろうけど、でもそういう物の方が汚い事がはっきりしているから美しく感じたりする。自分のおならの音や糞の香りは肌になじむように、見ず知らずな他人の糞の匂いがダメなみたいに、彼女の排便した後の水の流れの音は、もしかしたら綺麗かもしれないですね。クラッシックの音楽みたいに? 僕の場合は合唱が好きだからブラームスは高嶋みどりになるのかな
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