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Triumviratus ; A・O・I ; et Deux
A・O・I 『成れの果ての』〝その続き〟を https://www.breview.org/keijiban/?id=12442 「しかし見開いた目」に白む紫煙をくゆらす、 「ごく自然に」 そう。 「ふと」、ゆらり、「―火・煙・灰の感覚」に 生活に疲れた指をタバコで遊ばし、 「〝その続き〟」 を、 「適量笑うから」 「しかし」 「見開いた目」 そして少し冷えて 「また手のなる方へ」 「この程度と位置に喘いだ 現実に幻覚を身体を」 “重なる” と、いったんここで灰皿にそれを落とそう。 ここまでにどれほどの重なりを連ねていたか。 それを吸い終わるまで(つまり、あなたがここまで読み終わる前)に、 「」がいくつあったのか(時間があれば数えてほしい)。 ここまでの詩句で質量を持つものは2つしかない。 「灰」、そして「鉄」 その他はすべて抽象的な言葉で構成されている。 ーー「身体(目、手、笑う顔)」、それを除いて。 (ただし、この時点では「誰」のものか分からない)。 そのため、「鉄」が文字通りここまでの詩句の重心となり、 (同じ4行目の)「手のなる」ハンドクラップの軽さと対比する形で 一気に詩句を読み進めさせる。 ” 激しい日差しを抱き 続く悲鳴を掲げて まぶたの車窓から向こう側へ 見下ろしたまつ毛や 運命の今頃はさりげなく 海沿いの光景など 腐敗した光と闇が沈む 青い目眩は 夏降る ” それは第一節よりも短く、カットバックされた行の連なりをリズム良く、 そして「日差」「悲鳴」「車窓」「今頃」「光景」といった漢字を 第二節の(見た目として)中盤に配することによってバランスを保ち、 「まぶた」「まつ毛」「さりげなく」というひらがなを緩衝として、 最後の二行 「腐敗」「光」「闇」「目眩」「夏降る」 に結実させ、第三節に向かっていく。 「運命」「海沿」はその(見た目上の)和音として作用する。 「腐敗」「光」「闇」「目眩」「夏」 こう抜き出すと、重めの言葉(それも漢字で)が重なっているようにも見えるが、 それでもなぜ飛躍的な印象を受けるのか。答えを言うと 言葉の表象が⇩↑⇩↑↑というリズムで示されているからだ。 (さらに最後の↑↑は「目眩」「夏」という 視覚的に明るい開放的なイメージで締められている。 「光」はその布石だ。 もっと言うと「降る」は最後に振りかけるちょっとスパイスである)。 ここで二本目の灰を落とそう。 (INT-erval) いろんな夢(イマージュ)に飽きて、ぼくは煙をあげて遊ぶ。 ーーーアンリ・ミショー 三本目のタバコを手に取る。 すると、ここで「3」という偶然の一致に気づく。 「空気」「負け犬」「肺腑」 この「空」を「満たす」解は何か? 「仲間外れ」なのは、どれか? この問いに対して、ここまでと同じく 微分(differentiation)を用いて考えてみよう。 苦痛に 彩られた 冷笑の 湖面に 湿った 遠く 集う 街が (変わる) 歩道橋 (単調な連続音) 高架下 (走る電車音) ※ここで詩句としてミュートになっている「電車の音」を、 (走る電車音) として左の項へ分類した。 機嫌 ひとつ キラメキ うなじ 鱗片 狂っている 柔らかな 鎖 変わらない 今や 恥ずかしい 雪 物語 これでようやく「3」節目を「3」つに分けて終わった。 いったん整理しよう。 Q. 「空気」「負け犬」「肺腑」のうち この中で「空」を「満たす」解は何か? (つまり「空」を満たさぬものが「仲間はずれ」ってことだ) 『肺腑』 『空気』 『負け犬』 苦痛に 彩られた 冷笑の 湖面に 湿った 遠く 集う 街が (変わる) 歩道橋 (単調な連続音) 高架下 (走る電車音) 機嫌 ひとつ キラメキ うなじ 鱗片 狂っている 柔らかな 鎖 変わらない 今や 恥ずかしい 雪 物語 『感覚』 / / 『形象』 「時空」 ここまで時間をかけて、最初の問いの中に答えがあったと気づく。 A. 空(気) で、これに当てはまらない(解を満たさない)のが「ト書き」だ。 残りの、右(感覚)と左(形象)に分類したやつね。 (と、いう読みは無粋ではあるが、) A・O・I さんの作品が、パッと見とっつきにくいと感じられるのは、 この3項「感覚」「時間;空間(時空)」「形象」が上手く混じりから。 その「三色」の筆使いそのものがA・O・I さんの作品たらしめている。 「A」「O」「I」 という、どの作品もこの「3」本の詩で出来ている。 と、見れば、あとは読み易いのではないかな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー って、書いて、 は〜ぁっと、息を吐く。 疲れた。 「雪」「降る」ならば暖かく。 「夏」「降る」ならば冷たく。 お疲れ様。 「ところで、」 「何?」 「A・O・I」って、母音のうち3つだよね」 「そうだよ」 「蒼い(AOI)」 「じゃあ、残りのU・Eは?」 < 〈変化・現象〉その、のどかな差異 > その不意打つ言葉に軽はずみに、 僕は四本目のタバコを手に取って 炙り、 『赤い』って言う(e・u) 「発赤と刺した」「色彩の密度と距離」 ”とは「与えられた中で、愛シテル」” < 〈変化・現象〉その、のどかな差異 > 〝その続き〟を
Triumviratus ; A・O・I ; et Deux ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1736.2
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-22
コメント日時 2024-06-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
批評というのは因数分解だと思っていますので、 個人的な願望としては微分ではなく因数分解してほしかったです。 とはいえ、実は難解な詩は(内容や思想が難解という意味ではなく、 「"このわたし"の言葉」で書かれたものは) なかなか因数分解しにくい。 だれかの詩を、その感じを把握した!と思っても、実はちゃんと 捕らえているわけではなく、ゆえに、たいていは、 微分や積分してしまう。つまり、もうひとつの詩を書いてしまう。 ほんとうに対象作品をレントゲンをかけるように見通したときは じつは因数分解できる。 だれにでもわかる言葉で深く深くその作品を平易に語ることが できると思っています。ゆえに、これ、詩としては優秀なのかもですが (心の中では捕らえていらっしゃるとしても、表現としては) 批評や感想としては、まったく違うものであると思いました。 なかなか批評とか感想というのはむつかしい。 失礼しました。
1曲芸 大きく裂けた口のある白い顔で笑い 煌びやかな衣を纏った記号が宙を行き交う 吊るされた語彙は真夜中の死体のように重く 暗い羅列が濁点だらけの股間にあった 大好きなキミの瞳を輝かせたいから、 道化役にも危ないビデオの男優にもなった 或る時はナンプラーの匂いのする被り物を着て 感情をもたない天使みたいに夢をバラ撒く 判る? 本当のボクはここだよ、 でもボクという弁当の蓋をキミが開けたとき、 ご飯と梅干しだけだったら、悲しいよね だから綺麗なことばを天井に散りばめて、 高台のブランコに乗って今しも空中で弧をえがく あ、疲れた舌が胸の飾りとともに落下した
1A・O・I さんの作品は テセウスの船、 テセウスのパラドックスの発展形だと思っていて、個人的には これを解く行為と言うものは其れこそ AIの方が向いているのではないかと思う どちらかと言うと将棋とかチェスみたいな譜面を理解する感覚に近い 今回の作品に対してのA・O・I さんの コメントは気になるところではある
1対象作品読んでなかったけどめっちゃ良いですね。私も何か書かせて貰いたいと思って少し下書き進めたけど半分くらいで迷子に。。(もうちょっと頑張ってみます) この批評作品を読み解く(消化する)には更に時間がかかりそうな気がします。笑
1知的に興奮しました。 A・O・Iさんの作品を読むということは、詩句のひとつひとつに、対応する言葉を探っていくしかないのでしょう。 換言すれば、その評者の、言語判定の信ぴょう性だけが問われる。 言葉にはイメージの側面もありますが、記号としての側面もあるし、科学的な側面もある、知覚的な側面もある。もちろん詩句の機能としての側面もある。 A・O・I作品に耐性がない人はけっこういると思います。 それはつまり、多くの人が「イメージ」だけで詩を読んでいるからだということがいえると思います。 イメージの世界から脱出する方法が、つまり上記で挙げている数々の微分(differentiation)の手法なのでしょう。 言葉の複雑さ、多義性を紐解いていくという。
1「 いろんな夢(イマージュ)に飽きて、ぼくは煙をあげて遊ぶ。 」 この引用と冒頭から登場のタバコは実際たまげましたね。わたしはイマージュとひたすら戯れたい、読解に筋を通さないと気がすまないという悪癖女ですが、その限界を見せつけられたあげく、上のおまるたろうさんにまで訓誡された気分です。もちろん反省はしないのですけど。 * で、この批評を拝見したことにより、たったいま開眼した読解の断片ですが。この批評対象は「貧血で血の気が失せ、血の通わない人形のようになり、自分が自分の人形劇で踊らされている」ようにみえますね。 「ト書きで始まり 心に映るようすなのだ」などの詩句から、なにを言っても芝居がかり本音が形にならないといった心情が窺える。「溶血作用」「錆色」「発赤」などの詩句が、貧血の諸症状を思わせる。その情景の核心が「鉄」にある。 「 ここまでの詩句で質量を持つものは2つしかない。 「灰」、そして「鉄」 (中略) そのため、「鉄」が文字通りここまでの詩句の重心となり、 (同じ4行目の)「手のなる」ハンドクラップの軽さと対比する形で 一気に詩句を読み進めさせる。 」 この「鉄」、赤血球とスティールブルーの掛詞(?)。これをもって批評対象の全詩句に、自分なりには悪癖の筋を通せるような気がしてきました。人様の批評最高。
1コメントありがとうございます。 因数分解or微分。前者も分かりますが、自分の好みとしては後者なのです。 >もうひとつの詩を書いてしまう。 まさにそれができるので。
0コメント(作品)ありがとうございました。 最終行「あ、」というのが流石上手いです。
0コメントありがとうございました。 実際、ChatGPTに頼もうかと思ってみたことは事実です(笑) (頼みはしなかったけど)。 >将棋とかチェスみたいな譜面 そうですね。ただ、囲碁の方が近いかも。 どのように、どう置いていく、というのが(この作品には)見れたと思うので。
1コメントありがとうございます。 「すげーいいやん!」と思って、実際に書こうとしたら、 すごく時間かかりました(笑)。それほどの強度を持つ「作品」ですね。 ご自身のペースでお書きいただくのがよいかと。楽しみにしております。
1最後までは無理っぽいので対象作品に返詩として、(置かせて下さい) すでに見えてしまった未来、自嘲する自分に白けて、燃えていたものは灰だけになったと、臆病さゆえ冷え切った場所を知る、また、自分ではない誰かに導かれるまま、 諦めに喘ぎながら幻覚を見るように、内に抱いた熱は悲鳴をあげるほどに、走る列車の中から外を見ている、その光と闇に目眩する、それは内なる夏が降らせる冷えた青さで、 諦めと、焦燥と、 居心地すら勝ち取れない空っぽの胸は湿っていて、笑いは冷えて、 窓の外の景色の中にキラメキが見え隠れして、剥がれ落ちていく、やわらかく繋ぎ止められていることに変わりはなく、美しかった過去はここにはない、 何もない部屋でせめて嘘がほしい、
1>幸せな今が欲しいから花弁を心臓の表情で握り返した 葬りたかった手指の症状がまた願っています ここがどうしてもつかめなかった。涙 ここすごくいい所だと思うのに。。
1コメントありがとうございました。 >詩句のひとつひとつに、対応する言葉を探っていく やろうとすれば最後までできそうでしたが、「詩の批評」を書いたの久々でしたので、 後半すごく息切れしています。もう一回書き直してリベンジしたいです。 >言葉の複雑さ、多義性を紐解いていく takoyo2さんへのコメントに書きましたが、 因数分解:微分=突き詰める:顕にする あえて言葉で表すとすれば、こういうことなのかな、と。 その上で、自分は作品が作品を生み出していく、というのがベストだと思うので、 後者の側なのでしょうね。 もちろん前者の突き詰める「コア」を追っても、作品はできていくと思うのですが。 「好み」の問題でしょうかね。多様性、(よく聞く)SDGsって、 他人の感覚をその感覚として受け入れることだと思うので。 (反面、それはつまり「生理的に嫌」という言葉さえ、 受け入れることを意味しますが。相手はそうでないとしても)。
2一言でいうと「否定の/が無い世界」っていうのが、SDGsという理念を突き詰めた所にある世界ですね。 あとは、それをどう見るか。 (盛大に脱線してますが)。 ただ、自分としては現実的なところとしてそーゆー理念は悪く無いんじゃない?って感じです。
1美しい読みを読ませていただいた感じです。 ありがとうございます。 この作品、感覚的には分かるんだけど、言葉として「それがなんなのか」いうのが難しい。 でも、それが面白いんだと思います。 >幸せな今が欲しいから花弁を心臓の表情で握り返した 葬りたかった手指の症状がまた願っています この作品は、「やけにひろく〜」で始まる節まで、 過去:現在=9:1or 8:2くらいで、推移していますが、 この行で初めて「願っています」という現在進行形が出てくるんです。 >「唐突に終わるものと決まっている」 というの語句もあるけど、これは過去完了だと思うので。 「願っています」という語句で、一瞬血が通う。 それが前に書かれている「心臓」に繋がっている。「握る」(手)という「心臓」に相似な形象もそうですね。 (さらに心臓の「弁」からの美しい連想で「花弁」となる)。 その「赤」の対比として 「しろいへや(血の反転)」「嘘(感覚の反転。なぜならこの作品においては、感覚こそが正)」 「葬(花の反転。つまり「散」)」「症状(―火・煙・灰の、腐敗した光で)」がある。 その間で中間(Neutral)なのが「幸せ」という言葉。 (あとでもう一回出てきます)。 こう、この作品の地層を暴いて行くのも一興。 ただ、自分はそれだと物足りないんでしょうね。
1コメントありがとうございました。 疲れたので、これで寝ます。。 >「鉄」、赤血球とスティールブルー これは悔しいです。そこまで血が巡っていなかった。 錆びついているのがわかったので、ここから磨かないと。
1ありがとうございます。(流石!) >「願っています」という語句で、一瞬血が通う。 ここ本当にそんな感じなんですよね。美しいものが露わになる瞬間のような。その描き方が見事。(読み解けなかったけどここが一番好き。) これだけの熱量持っている書き手を見るのは十数年振りで、いくらでも湧き出てくるような熱量は昔の某氏(名前は出さない。笑)にすごく似ている気がする。タイトルがA・O・I氏の名前だったり(タイトルめっちゃカッコいい!)名前に言及しているのも個人的にすごく納得です。
1お陰様で最後まで読めました。多謝。 素敵な作品でした。 (上のは即興なのでちゃんとした返詩、描きたいなぁ。書けたらなぁ。)
1どうも、【『成れの果ての』〝その続き〟を】の作者、AOIです。この批評文かっこよいな、とただただ感嘆するしかないのですが、自分は皆さんと違い学も詩歴も短く完璧独学なので、文極経験者の皆様方にこうしてコメント頂きまして、ありがたいことだなと今しみじみしております。そしてこの批評文にコメントいただいた方々も熱心に読んでいただき嬉しく思います。たのしんでいただけたなら至極幸いです。自分の作品は イメージとしてのシルエットを作り上げるためにオブジェクトとしてのことばを連ねているわけではない ので二兎さんの行うような一文のバラシ(「感覚」「時間;空間(時空)」「形象」)を組み立て、馴染むように成立するように、自然と行っていたのだなと納得できました。 >この作品、感覚的には分かるんだけど、言葉として「それがなんなのか」いうのが難しい。 でも、それが面白いんだと思います。 というお言葉で、自分はいつも言葉にならないことを詩でしかあらわせないものとして書いているつもりでいるので。そういっていただけると作者として(・∀・)かなりニヤニヤしました。やはりただすべてのひとがその感覚を持っているわけではないですし、詩とはそれぞれの特性で読まれるものですから、こういうものを面白いと思っていただける、皆様方と出会えた偶然にまたまた感謝したい(実際3月にだしたときに誰もコメントこなかったのでいじけて、この書き方は一回やめてたので) 兎角ありがとうございます!みなさんがイキイキと読解しているの楽しく見ていました、とても勉強になるし、単純にそういった読解があるのか、見解がみられるのだなと、実におもしろかったです。ありがとうございました!
2単純に質問なのですが テセウスのパラドックスの発展形 とはどういうことでしょうか?? 物体(この場合は〝私がいいたいこと〟だろうか)から、私自身が詩として置き換えていったときに、それはまったくちがうものになるということでしょうか?? それとも物体は〝完成し投稿された詩〟のことであり、それが〝読み手を通すとまったく違うものになる〟という意味でしょうか? 気になる!
2ん?簡単に考えを書くとAIOさんが脳内である作品を生み出して それを詩的言語や音が合うものを 作品のガワ?皮を剥がして張り替えていく行為というか 元の意味そのものの作品と、それを更に音や見た目にこだわった作業を経て完成したモノは AOIさんの中では可逆的だろうし 工程とも呼べるんだけど それを俺らが解釈する場合はつまり 加工済みの公開されている作品から 元々の脳内から発露された状態の 情念みたいなものに辿り着かないと 解釈と言うか解けないので 同一性の更に発展した形からからの シールド破壊と言うか つまりアナグラムというか 人間にはどうしても偏り言うか傾向みたいのが生まれるので つまりAIというかなるべく情報を蓄える事が出来てその傾向を割り出せるアルゴリズムを見つけることができる様なコンピュータ的なものの方がAOIさんの作品を理解できるのではと考えたのです テセウスのパラドックスを持ち出したのはつまり置き換えの部分についでですね、いや俺よりもミカエル先輩とか澤さんとかの方がご専門なので上手く俺の言わんとする事が言語化できるかもしれないですね
1AIは前衛的な詩に好意的だが解釈には慎重である旨を、二兎さんの詩のコメ欄で、atsuchan69さんが検証してらっしゃいますね。 https://www.breview.org/keijiban/?id=12881 どうやら読解の視座は、情報が少なく偏っていないと得られない。ゆえに二兎さんのようにスタイルを尊重し、散種(≒差延)的に臨まないと、誠実な品にならない(誠実とはもちろん、作者でなく作品に対して)。ちなみにわたしの信条上、読詩は作者への詮索ではありません。一読者の自己一表現の一完結です。ご指名ありがとう。
2あまりやったことないんであれですけど。まずAIに前衛的な詩をただ読ませると、たいてい同じこと言うはずです……。なのでもっとこまいところをきちんと指定しないとまったく使えない子ですね。まともな解釈が引き出せるかどうかは、指示する側がどの方向で読解させるか、導けるかどうか兎角根気が必要だと思います。 テセウスのパラドックスの件お答え下さりありがとうございます。以前かなり吸収さんに自由な読みをしていただいて、大分詩とは自由なものなのだなと自分では教えられてきたので、その吸収さんの口からそういった作者の意味みたいな言葉が聞こえてきたのは、ちょっとびっくりでした。ン-どう読んでくれてもよいのだけど、書き手としていうなら、出した時点で作品としてあるものだけが真実だと思ってて、だから制作過程で見えなくなったり切り捨てられたりしたことを、探されても何の意味もないと言うかそれって読みとして楽しいですか?と聞きたくなる。自分はこれが完成品だと意気込んで出しているわけですよ、なので、そこに見えるものがすべてです。私がなにを考えて書いたかなんてどうでもいいです(作者がいうな、そうかもしれないけど)、読み手は作者のことなど考えず、詩ときちんと向き合ってほしいと願っています。兎角以前のような読みが好きですね。
2まぁ返信の必要はないのかもしれないのですが実は以前のAOIさんへの読みは基本的には同じ手法です ビーレビ内外で集めたAOIさんのあらゆる情報、作品以外のたどれるもの全てを読み込んでその思考回路、傾向を予想したものでした つまりそれはどこまで行っても確率と言う事です その精度はどれだけの情報を蓄積出来るかによります つまり俺の中でAOIさんの作品に対するかいしゃくの精度が低いと感じているので最近は評を入れていません、個人的には超感覚みたいなものの発言はしたかもしれませんがそれでもそれはトータルで見ると不確かで全球ホームランを狙う振りになるので打率はやはり低くなると感じます、実はと言うか俺は解くと言う行為にある程度自信があるので AOIさんの作品の場合、そのアベレージを維持できないとかんがえているのです。 うーんちょっと二兎さんのスペースをお借りして個人的な事を喋り過ぎた感もあります、失礼しました。
2まず、このような素晴らしい作品を読ませていただき、ありがとうございました。 一つの作品を読む(読み込んでいく)ことで、自分自身得られることも多いです。 ひっさびさに批評して、改めてそう思いました。 批評というか、感想でもコメントでも、何か作品に対して言っていただけるのって、 嬉しいことだと思います。 なので、A・O・Iさんも、これ読んだ皆様も気になった作品があったら、 どんどんコメントつけていただければ、ますますいい感じになると思うのです。 (とはいえ、自分は割とシビアになっちゃっているので、あんまりコメントつけないけど) 作品楽しみにしております。
2いろんな読み方があっていいと思います。 吸収さんは吸収さんの読み方がおありのようですので、 とにかく楽しく読めれば、それが良いと思うのです。
1こちらこそありがとうございました。 すごく楽しかったです。A・O・Iさんの作品にまた一つ近づけた気がしますし、多くの学びを得ることが出来ました。 A・O・Iさんのコメントから一つ言わせて頂くと、私は文極経験者ですが(同じに括られるとちょっと違うと思うので書いときます)、たいした学(知識)は持ち合わせてないし、誇れるような詩歴ではないです。そして知識があれば良い詩が書けるとは思ってないです。必要なのは知識を活かせる知性じゃないかと思います。知性なき知識なんて検索すれば何でも引き出してくれるインターネットに簡単に負けちゃいますから。笑 私が何かを学んでいるとしたら色んな方から学べたのだと思います。それは学ぶ柔軟性を持ち合わせていたからだと思います。詩歴とか賞とか意味あるのかしら?才能がある人は最初からそれなりのクオリティで書けるのです。賞に関しては特に文極の賞は平川氏の個人的な感情に左右されておりケムリ氏が居た頃から問題になっていて平川独裁の後期は非常に怪しいものだったとヘビーユーザーなら知っている事です。表層的なものに盲目的にならず詩人の目をもってこれからもご活躍下さいね。
2読みは自由なので吸収さんがそれで楽しけりゃそれでいいとは思いますが。正直そういった読み方をされて喜ぶ人はいないですし、私自身もまあドン引きしましたけど。なんでソレ言っちゃったかなと思って、正直すぎるでしょ吸収さん、無駄に好印象じゃんw まあどこまでみられてたんだか、結構恐怖ですが。こっちは純粋にどういう読みしたらこうなるんだろうって真剣に考えてたんだけどな。まあ謎が1つ解けただけですね、はい。
3色んな読み方(読解方法)があることは理解していましたが、何を目的に読んでいるか、というのも人それぞれなのでしょうね。作者を知りたい、作者に寄り添いたいといった動機もあるでしょうね。でもその距離の取り方って問われるような気がします。 wikiに載っているような作家なら出身地(北国なのか南国なのか)とか生い立ち、家族構成、学歴、職歴、既婚未婚、子供がいるかいないか、等という情報ってなんとなく作品読解に役立つ気がする。 だけどSNSの断片からってどの程度役に立つか少し疑問符です。まぁ多少役立つにせよ、情報量としても少なくて返って作品を曇らせそうな気がします。一例をあげるとA・O・Iさんの6月の頭に投稿された作品に寄せられたコメント。作者の動向を追ってかなり歪曲だと感じられるもので(あくまでも私がそう感じたって話ね)、作品外の思い込みから作品を読んでしまうというやつ。その方向から作品や作者を知ろうとするのを極めると、アナザーホラー(ビーレビ投稿作品名拝借)な気がする。笑 私は作者より自分の中にあるものを作品の中に探したいにタイプだから自分が作品をどう読んだかの方が重要。だからこれも極端な話だけど作者名はいらないくらい、そうやって読んだ方が作品の中の他者を感じることが出来るんだよね。そうやって始めて作者が浮かび上がってくるというか。 私自身も私という人間の余計な雑音やイメージを入れないでまっさらな状態で作品を読んでほしいから投稿時は作者名を出さないで投稿しています。まぁ本当に人それぞれですね。 皆さんご自分の読解について触れられているから私も少しだけ。自分の読解について改めて考えると、私の読解は全てが『勘』だと思う。自分の内部から引き出せる物(主に実体験、その中には少々の知識も含む)からイメージを膨らませるという非常にアバウトファジーな方法かな。*勘とは経験の蓄積である:名城大学 飯島澄男終身教授 そんなこんなで、A・O・Iさん、 対象作品をそんな読解方法で私なりに翻訳、そして私という人間だったらこういう感覚を持ち、こういう書き方になるな、という書き換えなのか返詩なのかカテゴライズがわからないけどオマージュ作品として投稿させて頂いて構わないでしょうか?
3オマージュ投稿楽しみにしています(*^^*)(仕事中なので取り急ぎ返信)
3ありがとうございます! 6月は2作品投稿済みなので7月に〜*
26月の頭に投稿された作品=生け簀ですよね。まああの生け簀のコメントはそう読むと面白いという考えがあってのことですから。どの読みをすれば一番楽しめるかみたいなところを突いていると思いましたね。なのでなんら問題はないです。他の方のコメもなかなか面白くて、其々の読みで詩の中身が変わる、そういうの書きたいとおもって詩作してるので凄く嬉しかったんですよね。んーどんな読みで何を思ってもいいけどね。私は読んでいただけることがまず嬉しいのです。 たださ、これは創作するものとして、どんなジャンルでも当たり前の考え方なのだけど、読み手と書き手の距離は保ちたいし、当然作者と作品を混同しないでほしいものだなと思ってる。意外とわかってらっしゃらない方が多くて、びっくりしますよね。 まあでも実際詩作を自分の投影だったり、共感されるために書かれてしまうと、その方達から見ればそれが当然なわけだから、自分が言いたいこと書いたことに対して読み手も汲み取るように読むだろうという先入観みたいな物があるとおもうのね。なので難しいですよね。 どんな思いで書いても欲しても構わないけど。ぶっちゃけ世に出した以上覚悟しろ! とーぜん、生半可な気持ちで出すな。でしかないのだが。まあいろんな人いますから(・・; 自分はたぶんこの場は詩を書くにしても読むにしても学びだとおもってる。まずこの作品は何が書かれているのか、作者は何をみせたいのか。大事にされているのか。一読してざっと考えることにしている。 あくまで自分はそう思うでしかないのですが。なぜこう書いてるんだろうなと。作者に問う形、べつに指南指摘したいわけじゃないです。単純に興味で、意地悪しているわけじゃない。自分はこう書かないなと、なぜだろうなと、全部裏返して自戒や肥やしにしているだけですから。それがたのしいのでコメントしている。 正直共感共有欲しい方から見ればこんなのクソコメでしかないです。 この場だからできることだと思っていますし。上手い人からはそんな事出来ないので、だってもちょもちょ考えなくても呑まれてしまうでしょ。濁流だからね、単純にすごい!とかおもろい!の一言で終わりたいと思うのは純粋に楽しめるから、でしょうけど。それでも必死に感じ取ったことを言葉にしていくことが大事なんだよね。詩は言葉に出来ないことを書かされるものだと思っているので、詩作するのと何ら変わりがないととおもってます。私はそうだ、ってだけですけどね。
2批評意識の高い詩と言うよりは、完全にA・O・I氏の詩を分析している詩であろうかと思いました。これは他の人のコメントまで読まないと、適切なコメントができないのではないかと思った次第です。しかし1つの詩で二つの詩を楽しめる構想はいいと思いました。
1完全なんてことは可能だと思っているの?
1色んな人がいるからね~楽しみ方は人それぞれだから楽しみ方が合致する相手がいると面白くなるんだと思う。なんか異国で言葉が通じる人が見つかった、みたいな。笑 A・O・Iさんからは、作品やコメントから学ぶ所も本当に多くて、学べる人がいるというのもやはり稀有なことだと思います。 あと、作品書くのめちゃくちゃ楽しかった!自分では絶対に書かないであろう心象風景と言うか、そういうのが作品を通して書けることに驚きでした。
2私は詩作をより楽しみつつ美味くなりたいだけですから。好む人が食べたら美味い、それでいい。その楽しみ方もうまさも好みも人それぞれだというのに、うんざりしますが。まあ皆おおらかにいろんなひといるなあと許容できればいい。これっすね、この場に対して思うことはそれぐらいで、喧嘩する気もねえしわかって欲しいともおもってない。どうぞご自由に。私はそんなかんじです。 >あと、作品書くのめちゃくちゃ楽しかった! そういった他者の詩をとおして楽しめるといいですよね。オマージュ投稿楽しみにしています(^^)
2コメントありがとうございました。 >他の人のコメントまで読まないと、適切なコメントができないのではないかと思った次第です いろんな方々のいろんな読みをみれることそのものが良いのだと思います。 批評とも言えるし詩とも言える、くらいの作品・・・というか、 「詩」とか「批評」とかあんまり意識していないです。 書かれたものは全て作品であるくらいに思っているので、 エイクピアさんのように思っていただいたのでしたら、よかったです。
0>A・O・Iさんへ >ronaさんへ 作品が作品を作るという循環の1基点となれたなら、とても嬉しいです。 自分もオマージュ投稿楽しみにしております。 (気楽にいきましょー)。
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