3分の1がない世界で - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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3分の1がない世界で    

3分の1は存在しない 目盛りで測られるおれには 無限は存在しないと気づかされる どこまで行っても3が続くなんて 宇宙にも端があるというのに 物質だって素粒子より小さくならないのに 自分を測りたがるように教えられ、いつしか おれは自ら無限を捨てたと思わされている 測られる世界には無限を入れておく隙間はないね 無償の愛だっていつか使い果たしてしまう 目の前に3分の1はあるというのに 実際に掴もうとすれば割り切れたものしか手に入らない 例えば、善と悪、とかそんなものばかりで 善と悪とバカでは割り切れない いっそ3進法にすればおれときみは割り切れない どこかで混じりあっている、世界と 個別のものなどないのに手に入れようとすると目が眩んでしまう ハロー、ワールド 日の昇る処の天子から日の没する処のおれに書を致して欲しい 独立宣言を送ってきて欲しいんだよ 世界がおれから飛び立っていく おれはそれを見送って、ようやく愛についての機械式思考を手に入れる 無償の愛とはつまり情熱だからさ、情熱は生きているからさ つまり、死ぬよね だから、生と死とか、そんなものばかりで また、おれはおれを測ろうとしている 分かる、より、分からない、ことの方を大切にしていたはずなのに また、おれは分けている、そして無限を失くしている きらきらと光る粒子が空気を泳いでいる 視覚は記憶を測ろうとする 眠るきみに毛布をかけて、寝室を出る そのとき、おれは無限を知る 善と悪と毛布を割らずに済む 生と死と忘却を割らずに済む 毎晩の無限 循環するおやすみ


3分の1がない世界で ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 24
P V 数 : 1391.9
お気に入り数: 1
投票数   : 3
ポイント数 : 0

作成日時 2024-06-22
コメント日時 2024-06-28
#現代詩
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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技巧00
音韻00
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叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:1391.9
2024/11/21 22時09分49秒現在
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    作品に書かれた推薦文

3分の1がない世界で コメントセクション

コメント数(24)
takoyo2
takoyo2
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(2024-06-22)

「個別のものなどないのに」というフレーズが気になったのですが.....。 ありますよ。 人間の体積です。つまり空間ですね。あるいは位置といってもいい。 たとえばこの主張の語り手とそっくりな人間がいるとします。 細胞の数から脳の構造から身長体重視力すべて同じ。 それでも二人は別々の自己意識をもつのは物理的な理由です。 かれらが自らを包む皮膚の体積、それが占める空間の位置が違うからです。 つまり人間の自意識の根源はこれ。この体積、つまり空間を占拠する 限定的な位置情報の違いによって自意識が生じている。 こんなことを言ってる人はだれもいないけど、わたしだけですが でも事実です。 わたしと誰か他人を分ける根源にあるのは空間を専有する体積の 位置が違うそのことにある。観念なんか関係ないんです。 おれは分けている、そして無限をなくしているからおれがあるんです。 で、なぜこんなことを書いたかと言うと、この哲学的な考察を 土台とした詩の書き手が無意識になにを求めているかを指し示したかった からですが......純粋に思想用語でいえばそれはファシズムです。 多分、本人は気づいていないでしょうがファシズムを求めている。 でもこれはこの詩の書き手だけでなく、 たとえば武田地球とかいう方の詩だって、なにか青空のように 爽やかでやさしい詩だとおもわれて人気ありますけど、あれも ファシズムです。日本が今戦争に向かっていますがその流れに ぴったりはまっている詩です。そしてあの詩のファンもファシズム 願望なんです。要するに今の日本のネット詩の多くは気づかずに ファシズムを求めて身悶えしている。 なんとなればファシズムは眠りのように末期社会の人々にとって 快楽だからです。無限の快楽だからじゃないでしょうかね。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-06-22)

世界のあちこちで暴力が溢れてかえっています。暴力は不滅である。このテーゼは論証もできないが確かではないでしょうか。暴力はエネルギーの保存の法則みたいなもので「物体から物体へ移動したり形態が変わったりするときその総量は変化しないという法則」、つまり時代の変化に応じて形を変えていくだけで暴力の(その総和は変わらず)エネルギーの連鎖は止むことがない。 日本は平和ボケの国だとよく揶揄されるが、とんでもない話と思いますね。どこが平和なの?と。外国人は渋谷の公衆トイレツアーを組んでその清潔さに驚嘆するが、世界地図のどこかのごとく穢れが表面に顕れ出ないだけで。 日本の最初の憲法である「十七条憲法」には、意思決定における最高の価値基準が「集団内部の調和」であると明示的に説かれている。「一に曰く、和を以て貴しとなす」と。いちおう、元は中国の律令制からとられたと伝播されているが、徹底的ニヒリストかつ合理主義者である漢民族が、こんなこと言うとは、到底信じられない。 十七条憲法はまるで「お経」ではないか。お経で国家を運営していたとしたら、不思議な話ですけど。本当に、ちゃんとまとまってたらしい。まったく驚くべきことだ。 社会を統制する最高主体たる「国家」なき領分、あるいは機能不全、曖昧な領分では「宗教」がはびこる。これは現代の世界での出来事、イスラム国やらタリバンやらガザやらの例を見ても明らかですが、どいつもこいつも血なま臭い。まるでランボーみたいだ。それとくらべると、日本という精神の特殊さは、際立っている。絶対的に、血なま臭くない… 平和を至上命題とする人々、戦争表象を自身から極力排除する人々も、なんらかの「まつりごと」や「主張」を行う際には、目をこらしてよく見ると「敵」を言外に想定しており、実際にその言動の行間には憎しみが満ち満ちているとしても。あくまでにこやかなんですね。

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むたんちゃん
むたんちゃん
作品へ
(2024-06-22)

こんばんは! ふと無限も限界があるように感じました。だけど何か思うことや目から見える測りや欲は無限は感じない気がします。 無限は循環するっていうところに惹かれます★

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ゼッケン
ゼッケン
takoyo2さんへ
(2024-06-23)

>詩の書き手が無意識になにを求めているかを指し示したかった >本人は気づいていないでしょうがファシズムを求めている。 言われてみればそのとおりですね。きっと私はポピュリストの爽やかな言説を無批判に受け入れて、耳の痛いことを言う確立した自己のある人々を弾圧する側の人間なんでしょう。目を覚ましていただいたことに感謝します。って、なります? 本人は否定するけれど、それは本人が自覚していないだけで、本人の無意識はそれを望んでいます、という形式は本人の反論を許さないし、もし反論すればするほどそう見えてしまうという、モラハラおやじが被害者を陰湿な底なし沼に追い込む手口じゃん。これを使う人間の言っている内容が正しいとしても、私はその人を信頼できません。それに言ってる内容も正しくない。故意に歪曲しているし。takoyo2さんが認識についての全体論を政治体制の全体主義と取り違えるような浅薄な読み方をする人ではないことは作品とかコメントから分かる。なのに、なぜ、あえてそれをやったかというと、唐突に私ともこの作品とも関連の無い武田地球さんの名前を出してますが、私を踏み台にして武田さんとそのファンを貶めようという意図でしょう、これ。もうビーレビにいない有名人とその支持者を攻撃するのにちょうど手頃な無名の投稿者を利用する。私が憤慨したところで自身はダメージ受けないところまで計算してるでしょ。前職はどっかの陣営の選挙参謀だったのでしょうか。

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takoyo2
takoyo2
ゼッケンさんへ
(2024-06-23)

早朝からとてもたのしい娯楽談話をお聞きさせていただきありがとうございます。  >モラハラおやじが被害者を陰湿な底なし沼に追い込む手口じゃん。 こんな程度の発言で「陰湿な底なし沼に追い込まれる」ような人がいるとすれば、 それはゼッケンさん、あなたくらいのものですよ。 反論が許されないとすればそれは出版形式の読み物の類であって、ここでは幾らでも 反論も質問もできますからねえ。仰るとおり、これに反論するにはまずどうして そんな断定的な結論になるのか、聞かせてくれという質問が先行するので、その点では 確かに罠を仕掛けているとう言うか、相手の質問を待つというカタチになっています。 でも質問があれば答える。そのお答えのなかで、ゼッケンさんの反論を導くということを 実は望んでいたのですが、その過程もなくいきなりモラハラ親父といわれても、........ 逆になんでそんなにあわててるの? 余裕ないの?とお聞きしたいくらいでした。  >私を踏み台にして武田さんとそのファンを貶めようという意図でしょう、 少しほっとしました。質問じゃなく断定かもしれないけど質問という ことでお答えしますと、 武田さんとそのファンの方々大好きですよ。ほんと。わたしが「天才」と思っている るるりらさんなんかもファンですし今も尊敬していますしね。わたしがいいたいこと はそんな個人的な感情じゃなくあるいは仲間内の関係性を考慮したのでもなく(わた しは愚鈍ですがこと文学に関するコメントではわたしごとは一切排除しているつもりです) 今の日本の詩壇全体、詩人全体、ネット投稿界の詩の投稿者全体が世界認識が拙劣かつ 皆無なゆえに いともたやすくリベラルを装ったファシズムに溺れていることを語りたかっただけです。 まあ、たしかにこの詩をきっかけにそんな想念が湧いてきたことは申し訳ないけど..... あまりにも問題意識が皆無な今の自称詩人(これは詩壇がとくにそうですが)に 呆れ果てていたのも原因かもしれません。 ただ、あの、何度もいいますが、わたし、若い人の邪魔をするつもりはないんです。 (いや、年寄りは若い人の邪魔をしたほうがいいのかもしれませんけど) でも、なんなのでしょうね、武田地球的な詩があふれており、それがなにか素晴らしい やさしさであると思い込む人たち、noteいつも見てるんですけどそんなのばかりで それがどれほど怖ろしいことか、詩人が! ほかならぬ詩人が! 気がつかないどころか 一生懸命推進している。これ、わたしにいわせると犯罪ですよ。 そういう思いが、全体への溶解を願うような詩を読んでふと湧き上がってきたのです。 決してゼッケンさんやこの詩自体に文句があるわけではありません。 でも、詩人は現実も見て欲しいですね。ほんとうにそれでいいのか。 戦争反対と多くの詩人は叫ぶけど、やってること言ってることは世界認識が 拙劣なゆえに正反対のことをやっている。 それがとほうもなく怖ろしいんだけなんです、わたしは。このオヤジは。

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吸収
吸収
作品へ
(2024-06-23)

分数って偉大だなって思いました 割り切れない?ぢゃあさ分数にしとけやみたいな 面倒だから全部買えやみたいな 輩のノリを想像しました トンボみたいにデカいサングラスをかけて口にはぶっとい葉巻咥えた浅黒いマッチョなおぢさん想像した、 分数怖いな 幽☆遊☆白書 天沼 月人

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澤あづさ
作品へ
(2024-06-23)

話がきみとぼくに終始し自己完結するような展開が、むかしセカイ系と揶揄されていたと思いますが、そのきみぼくセカイ系を破壊せしめる第三者が神/父=世間です。セカイならぬ世間にあって、人は個別の名を要する。きみと呼んでもだれのことだかわからず、だれにも振り返ってもらえませんからね。そうした世智に反して詩歌、あるいは愛というやつは、どこのだれだかわからないため客観的には非実在も同然である「きみ」を、ひたすら主観的に呼び続けるのだ。 つまり、作中の「きみ」は、父親である語り手のまだ小さなお子さんなんじゃないかと思いました。お子さんがかわいすぎて父性が迷走しまくったあげく、よく眠れそうでなによりです。

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takoyo2
takoyo2
ゼッケンさんへ
(2024-06-23)

うーん、ちょっと考えたのだけど、今の詩壇の人たちも 含めて今の詩人たちの詩というのは「ファシズム」というより 「奴隷の詩形」といったほうがよかったかな。 うん、「奴隷の詩形」ですね、ファシズムなんてそんなかっこ いいものじゃない。 失礼しました。

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おまるたろう
おまるたろう
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(2024-06-23)

もうこれさ、まるっきりDV構文(殴ったあとは必ず優しくなるやつ)だよね... 昔の学校の教師にもこういう人いたよね...

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ゼッケン
ゼッケン
おまるたろうさんへ
(2024-06-25)

>「一に曰く、和を以て貴しとなす」 一に曰く、けんかしない。二に曰く、ルール(仏法)を守る。三に曰く、先生(天皇)の言うことを聞く。完全に学級崩壊してます。ゼッケンです。おまるさん、こんにちは。万葉集の最初の歌も天皇が地元の娘をナンパする歌でラブアンドピースです。ベトナム戦争で同世代の若者が徴兵されて殺されるわ、帰ってきてもおかしくなってるわ、そんなんいややという叫びがラブアンドピースなんで、日本最初の歌集が連絡先教えてよ、おれ、天皇だからの歌から始まるのも裏を返せばこの頃の日本もそうとうに仁義なき戦いに明け暮れてたんでしょう。いまもいじめに差別に組織内での権謀術数。で、隋が中国を統一したもんだから、内部抗争してる場合じゃないと慌てて、上記の和を以て貴しとなす、と。ほっとくと勝手に隋と手を結ぶ勢力出てくるからね。次いで例の国書を小野妹子に持たせて、うちら、おたくと対等にやらせてもらいますさかい、と相手を呆れさせる。こっちもさすがに国の格の違いは分かってるんだけど、あえて、同等にふるまう。誰かがこっそりよしみを結ぼうとしたって隋が相手にしないように。こんな感じじゃないですかね、きっと。日本人は根がヤクザでヒッピー。血なまぐさくないのはナチュラルボーンマキャベリスト民族だからです。

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ゼッケン
ゼッケン
takoyo2さんへ
(2024-06-25)

>わたしがいいたいことはそんな個人的な感情じゃなくあるいは仲間内の関係性を考慮したのでもなく >今の日本の詩壇全体、詩人全体、ネット投稿界の詩の投稿者全体が世界認識が拙劣かつ皆無なゆえにいともたやすくリベラルを装ったファシズムに溺れていることを語りたかった だったら、こんな誰も見てないところでぐちぐち言ってないで、批評をビーレビに投稿しなさい。「B-REVIEWはクリエイティブライターたちによるオンラインギャラリーです。現代詩、小説、批評、エッセイ、短歌など、広く創作文を展示します」と冒頭に掲げてある。いくつになろうがご自身のやり方を変える勇気があるところを見せて欲しい。光あるうちに光の中を歩め。

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ゼッケン
ゼッケン
吸収さんへ
(2024-06-25)

>幽☆遊☆白書 天沼 月人 おれ、まだ死にたくないよ。やべー、できる大人に使い捨ての駒にされてるゼッケンです。吸収さん、こんにちは。もうね、この評価は明らかに作品に対してじゃないわけですよ。「トンボみたいにデカいサングラスをかけて口にはぶっとい葉巻咥えた浅黒いマッチョなおぢさん」って、分数が? いくら画像はイメージですって言ったって、逆によく思いついたな、とは思うけど、テキトーじゃん。もう完全に早く言いたい~、評価を早く言いたい~ってなってるもん。笑ったけど。

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ゼッケン
ゼッケン
むたんちゃんさんへ
(2024-06-25)

>無限は循環するっていうところに惹かれます★ おおう、世界の中心で感涙にむせぶ。ゼッケンです。むたんちゃんさん、こんにちは。ほら、みなさん、この人がビーレビの良心、むたんちゃんさんですよ。書かれている作品同様、いい人です。もう、みんなが作品そっちのけでネタ化してくる中、作品に感想くれてる。ありがとうございますぅぅ(鼻水)。

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ゼッケン
ゼッケン
澤あづささんへ
(2024-06-25)

あら、澤さん、こんにちは。座布団とお茶どうぞ。なにもないとこですけど。ゼッケンです。 >お子さんがかわいすぎて父性が迷走しまくったあげく、よく眠れそうでなによりです。 非常に簡潔にまとまっている。そりゃそうだ。ビーレビのエニグマ解読器、澤さんだもん。私の素朴な心情をうたっただけの作品は澤さんには物足りないはずなんだけど、それでもコメントもらえたんだから、まあ、今回のコメント欄も怪我の功名というか万事塞翁が馬というか。澤さんによる詩の読解となぜそう読めるかを丁寧に説明した解説は、ファインマンが経路積分の手法を発明して量子のふるまいを古典力学と対応させて記述できるようにしたのと同じように、詩の中での言語のふるまいに意味空間での座標を与えるという驚嘆の軌跡を描き出してます。詩の読み方を別の次元に押し上げて、それによって詩の書き方も共進化させるんだろうな、と思っています。なかなか言う機会ないんで、こんな場所ですけど。では。

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完備
完備
作品へ
(2024-06-25)

数学を全く理解していないことだけが伝わる作品。

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takoyo2
takoyo2
ゼッケンさんへ
(2024-06-25)

申し訳なかったと思っています。 要するに褒めればよかったんだろうけど..... 天国の門をくぐろうとして地獄の門をくぐって しまう自分がいる。これからは気をつけます。 誌を投稿される方々がしあせになれるように。

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ぺえ太
ぺえ太
作品へ
(2024-06-25)

山岸凉子の漫画『日出処の天子』のラストには、インフィニティプールのように心が壊れてガバガバになる聖徳太子が描かれていましたが、無限を得るとはこのような精神崩壊を指しているのかなと思いました。 ただ、 >そのとき、おれは無限を知る 境界線を突破したプールではなくキャパを知ったプールなんですここでは。 なので、曖昧さ耐性のない白黒思考が毛布を割らずに掛けることによってはじめて自分を壊すみたいな、字の通り「割り切れない愛」を描いたほのぼのストーリーに読めましたこの作品は。 最後まで「完全」を通すとそれこそ悲劇の独立宣言になりそうですかね。 私は正直、たこよにさんのコメント文だけでもあれは読む価値あると思いました。そもそも褒められに来てる奴って、言葉を額目通りにしか受け取れないただのぼんくらじゃないですか。そんなんで詩人やってけると思ってるお花畑だから、いつまでも自分の神ラップがどん百性たちの下劣な物まねだという現実に気づけないラッパーと同じなんです。たこよにのよこやりですいません

1
ゼッケン
ゼッケン
完備さんへ
(2024-06-25)

完備さん、こんにちは。ゼッケンです。完備さんの一刀両断コメントもなんだか久しぶりにもらえて、ああ、なんて切ない切り口とか言いながら悶絶。私はご指摘のとおり、数学をまったく理解していない、それだけではなく、国語も不自由だし、歴史は受け売りの知ったかを振り回して恥の限りをかいてるし、私にはもう何も残っていない。それでも。。。先生、バスケがしたいです。

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ゼッケン
ゼッケン
takoyo2さんへ
(2024-06-26)

>要するに褒めればよかったんだろうけど..... 寒気がします。人間を何か家畜のようにしか思えない人なんだろうなと思いました。ムチでしつけるか、エサでてなづけるか、そういう発想しかないんだろう。 >天国の門をくぐろうとして地獄の門をくぐってしまう自分がいる。 そりゃそうでしょうよ。takoyo2さんが周囲を地獄に変えちゃうんだから。悲劇の主演ぶってるけど自作自演だから、それ。上の方でも私、コメントしているけど、繰り返します。takoyo2さんが「なに」を言うかは問題じゃないんです。内容ではなく、それを「なぜ」言うか、「いつ」「どこ」でそれを言うかという形式の問題なんです。形式の問題の解決として、言いたいことがあるんだったら作品(批評でも論評でも)として投稿することでtakoyo2さんが作者として明示される形で責任を引き受けることを提案します。共感性の低いtakoyo2さんに対話形式は難しいでしょう。その代わり、驚くほど理知的なのですから、まずはご自身の意見を堂々と論ずる投稿形式の方が周りを幸せにすると思いますよ。

1
ゼッケン
ゼッケン
ぺえ太さんへ
(2024-06-26)

>字の通り「割り切れない愛」を描いたほのぼのストーリーに読めました 永劫回帰。ゼッケンです。ぺえ太さん、こんにちは。幸せなニーチェもあっていいかな、と思ったんですが、書いてみて分かった。私みたいな取り柄のないおじさんが無限回「ほのぼの」したところでなんら感動を生まないというね。ゼロは無限に足してもゼロでした、ありがとうございました。永劫回帰のすごみはニーチェその人にしか纏えないということが身に沁みました。 >私は正直、たこよにさんのコメント文だけでもあれは読む価値あると思いました。 ええ。takoyo2さんはまじめに批評すればたいへんな実力者です。それをまちがった目的のためにまちがった方法で使ってると言ってるんだけど、でも、まあ、それは多くの人から長いこと忠告されててここまできてるわけだから。 >そもそも褒められに来てる奴って、言葉を額目通りにしか受け取れないただのぼんくらじゃないですか。 知らんがな。 >たこよにのよこやりですいません 注意。野生動物にエサはあげないでください。

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takoyo2
takoyo2
ゼッケンさんへ
(2024-06-26)

ゼッケンさん、 鋭い指摘を頂き、その言葉を噛み締めております。 >人間を何か家畜のようにしか思えない人なんだろうなと思いました。 という厳しいご指摘ですが、当たっています。残念ですが当たっています。 人間として恥ずかしいです。でも、 褒められて怒る人はそういないと思うんですがね。しかし、 もっと厳しくいうと、家畜を人間としか思えないんですわたしは。 ひどい奴でしょう。ほんとうに心から内省しております。 ご自身の意見を堂々と論ずる投稿形式のはなしですが、そのつもりだった んですが、そうは見えなかった見たいで、わたしの技量不足と不徳の致す ところでしょう。心からお詫び申し上げまして、今後は二度とあなたさまに コメントしないよう厳しく愚かな自分に言い聞かせることにいたします。 どうもすみませんでした。今後もこれにめげず、ご活躍下さい。 まあ、自分ではふつうにコメントしたつもりでも、嫌われますからねわたしは、 あまりにも本心でまごころこめていいますから。 心置きなく素晴らしい投稿生活をお楽しみ下さい。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-06-26)

「わたしはあなたの批判はするけれどもあなたの批判もわたしは受け入れる」 という超基本的な態度が欠けてるよね。 (前に自分も鷲なんとか?とかいう人に粘着されたけど、その人もこのタコおじさんと同じ態度) それってようするに、この人自身が「イデオロギー」(=思い込み?)なんだよね。そういう態度でいられても困るよな。

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-06-28)

詩が置いてけぼりにされている光景はやはり悲しくなるんですが、私だけでしょうか。(まあ私も今月はA・O・Iさんのとこで吹っ掛けまがいなものをしましたが……) 割り切れるとは、分かるということ。分かってしまえば、それは無限ではない。善と悪、どちらか自分に分かるものしか手に入れられない。色々展開されていますが、やはり最後は止揚されている感じがします。 いつかは死ぬということ。自分は無限を手に入れられない。そんな中、いつ終わってしまうか分からない平穏(=眠るきみ)を見る。でも、布団をかけると平穏は紡がれていく。その布団をかける情熱。それが無限につながる。無限とは信仰ですね。 ただ、少し思ったのは、ゼッケンさんは善悪や生死といった言葉をこう使う人だったっけ、ということでしょうか。まだ詳しく過去作を読み返せてはいないですが、「例えば、善と悪」という展開に再考の余地があると思ったりします。 ここも凝ってしまうと分かりにくい詩になる恐れもありますが、「二項対立」というのは考えを巡らせやすいモチーフだと思うので、読み手に追いつかれてしまっている感じがします。詩に引き込ませる力が緩んでいる感覚です。 もっと遊んでみたりもできるかもしれません。終わり方がシャープなので、それのメリハリもつけるために。

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ゼッケン
ゼッケン
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-06)

>詩が置いてけぼりにされている光景はやはり悲しくなるんですが、私だけでしょうか。 すまんかった、私の作品。ゼッケンです。ミハイさん、こんにちは。この作品には不憫な思いをさせてしまいました。作品と作者は別人格というのが私の主義ですが、今回はさすがに作品の力不足のせいにはできない。私が出過ぎた。もっかい、謝っとこう、ごめん、作品。 >ゼッケンさんは善悪や生死といった言葉をこう使う人だったっけ たしかに! 私の考えの浅さが如実に露見してしまいました。単純なものが組み合わされて複雑になるのではなく、最初から複雑な世界の中に生まれながら、その中から単純さを見出す我々の認知こそ奇蹟であるという逆説を信奉していたはずが、善悪や生死はその極致、安直に扱っていいものではなかった、結局それはただのポーズだったと、受け売りだったと、信念なんかじゃなかったと、今回はやっぱり反省です。私という意識は反省のためにある。

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