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『私たちもこのロスト・ハイウェイの先を急ぐ』におけるCeremony氏の「よい旅」
イ、ヴ、オ、ン、ヌ 炎の、舌先で なんども、宛処なく 転がされる、消印 イ、ヴ、オ、ン、ヌ 名前を、酩酊の体に、 翻訳する、 本の、隙間から、 燃やされて、 … 返歌的に詩を書こうかなとも思ったけどやめました(某氏のまねっこ) いきなりだけれど僕はCeremonyさんが推薦した対象作をかいつまんで、こう読んだ。 ***** 「 作中話者は(おそらく)老年介護施設で働いている。 そこの被介護者たちは《ベランダに迷い込んできたようなアゲハチョウに向かって/「おじいさん」だとか/「今日は」/「りっちゃん」/「しゅう」/「またね」/などと呼びかける》日常を送っている 例えば認知症。その病気に罹るまではいわゆる「普通」に暮らしていた人たちが、「普通」に暮らせなくなる。それは人間性の損失と言われることもあるが、彼らを見ながら《無くならないのだ/人は無くならない/無くなることで人は無くならない》と宣言する。死ぬ時だけが、失われる時であると、話者はいう。 それを《受け容れる/闘いつづけることを受け容れる》 話者は《私は若い》というがいずれ被介護者のようになることを、そこにたどり着いてしまうことを認識している。だが臆することなく《ロスト・ハイウェイ》「失われた(高速道)路」を「未来は見えないし希望があるかわからないが」生きていく、と決意した 」 ****** まあ、いわゆる普通の読解である。 Ceremonyさんのこの「推薦文」としてタグけられた文章は、上記の作品における決意や意味性には一切触れていない。 推薦対象作は難解な詩ではない。とても分かりやすく開かれ、叙述性の高い、情報伝達に力点を置いた文体である(加えて情報伝達以上のものを達成している良い作品であると思う)。 だから、「読めない」はずはない。 Ceremonyさんが言いたかったのは、こういうことじゃないか 「批評とか評論とか、そんなややこしい事はやめて、その作品のどこに詩を感じたか、どこに心を動かされたか、素直に詩に書いてみようぜ」 そうして、素直にご自身がこの作品で受けた感動を、自分の身体から表れる言葉に翻訳しなおしたのだ。 ところで僕は詩が好きだ。それは詩の構造や言語の歴史やその他諸々、考えさせられることが多いからだ。 でも、それが一番ではない その言葉が持つ美しさや、言葉によって表現される「世界」に触れるのが好きなのだ Ceremonyさんのこの文章は、そんなことを思い出させてくれた。 《紀行文》と名付けたのも、なんとも氏らしい諧謔だ。 旅行は「みる・体験する・移動する」を重視した行動だ。 ここに集うたくさんの詩を書く人々の詩を旅したい。そしてそこで得た感興を旅行記としてしたためたい 僕は氏のこの姿勢に強く賛同する。難しく考えることなどないのだ。(僕は難しく考えるのが好きなので考えるけど) どうか、よい旅を。
『私たちもこのロスト・ハイウェイの先を急ぐ』におけるCeremony氏の「よい旅」 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1072.6
お気に入り数: 2
投票数 : 2
作成日時 2023-08-16
コメント日時 2023-08-21
※昨朝の消えたコメントの再投稿※ ええー(・3・)お返詩読みたかったなー。 (・3・)仰天するほど批評対象に似てないとはいえ、ちょう好みの出だしなのになー。 なんだよこのくそサイト(ほめてる)合意のない批評行為としての返詩は、およそどこでも蛇蝎のごとく忌み嫌われるというのに。ネット詩史上最高にわたし好みだ。滅亡の日までこの調子でいてくれ。 ●批評対象の批評対象の読解について >僕はCeremonyさんが推薦した対象作をかいつまんで、こう読んだ。 >作中話者は(おそらく)老年介護施設で働いている。 >話者は《私は若い》というがいずれ被介護者のようになることを、そこにたどり着いてしまうことを認識している。 >推薦対象作は難解な詩ではない。とても分かりやすく開かれ、叙述性の高い、情報伝達に力点を置いた文体である(加えて情報伝達以上のものを達成している良い作品であると思う)。 いやいやいやいやそんな読解が並大抵のわけねーだろ。高校国語の範疇はるかに超えてるし常人には無理ですよ。現にわたしは介護施設や認知症など想像にも及ばなかった。正直、この推薦文に刺戟されるまで、意味を取れすらしなかった。批評対象のほうに脳天かちわられてたせいもある。 で、いま、やっと読解の切り口を見つけたので、記念に書いときますね。 * >すべての輝きが大いに極まるところで >そう、生がふと溢れきってしまう https://www.breview.org/keijiban/?id=11384 個人的にはこの2行に全内容を集約できるように思いました。映画みたいにクライマックスで人生終えてしまいたい衝動、結婚式の当日にウェディングドレスで自殺する花嫁のような心境だが、この語り手にとってのクライマックスが、そういう劇場型とはまったく無縁というところにおもしろみを感じます。 冒頭の「闘いつづけることを受け容れる」は、自分の人生にクライマックスはもう来ないという諦念のようにみえますが、そう言いつつも次のクライマックスが「山積みになったレシート」とかでわりと簡単に来ているもよう。来るたびここで人生終えたい衝動に駆られ、生き延びるたび次のクライマックスがわりと簡単に来る、そのように「闘いつづけ」ている。この主意(というのはわたしの読解の核心という意味で、作者のお気持ちなど知ったことでない)が、平坦で冗長な筆致とよく合っています。文章の密度が低く「すべての輝きが大いに極まるところ」が客観的な輝きを放っていないのは残念ですけど。 よくできた芸術的な詩ですね。わたしは抑揚も凝縮も展開もない平坦な詩が苦手なので、この推薦文に刺戟されるまで意味を取れすらしなかったが、それはわたしの問題であって作者の責任ではない。 ●批評対象への評価について …………や…………なんだろ、この違和感…………。 批評対象のアレな部分を、見なかったことにしてさしあげて八方丸く収まりましょうって、全力で説得されてる感満載なんだが……そのアレな部分にしびれてるわたしの性格が悪すぎるんだろうか…………。 >素直にご自身がこの作品で受けた感動を、自分の身体から表れる言葉に翻訳しなおしたのだ。 >難しく考えることなどないのだ。(僕は難しく考えるのが好きなので考えるけど) もちろんこの主張には(それがネット詩で蛇蝎のごとく忌み嫌われていることを重々承知のうえで)全面的に賛同します。 (・3・)お返詩読みたかったなー。
3あづささん、返信遅くなりまして申し訳ありません。 過分な評価をいただき、感謝申し上げます 僕も、ちょっとは成長したのか、な…? ●批評対象の批評対象の読解について、について 『私たちもこのロスト・ハイウェイの先を急ぐ』の読解の一助となりましたこと、とても嬉しく思います。 《「闘いつづけることを受け容れる」》に関しての視点、とても興味深く拝読しました。 《「闘いつづけることを受け容れる」》。この繰り返される文言の強さは、自分に向かいながらも、他者にも向かっているところにもあると思います。成長した次のステージへの属意識的な。 これは作品の冒頭にあるような映画から得た感興だけでなく、日々の暮らしの中で(老人介護施設のスタッフとして)被介護者が亡くなった際、その家族が見せる《「またあなたと会いたい」/(…)/似ている人に出会うということは/(…)/似姿を夢見ることだ/(…)/こうやって祈りの手の形をして/懐かしさを形づくる》といった行動から喚起されているようにも感じます。 (《祈りの手の形》とか使い尽くされている陳腐な表現かもしれませんが、僕はこの関係性の中での設置を、とても美しく思いました) 生きることに意味をなんとかみ出そうとする青年が、映画と自分の日常を照らし合わせ、手の届かない概念を思弁的に必死に捉えようとする。その行為にはある種の「懐かしみ」が生じ、一定の読者の支持を受けるでしょう。(ここの読者、とかです) この作品に対してあづささんは「抑揚も凝縮も展開もない平坦な詩」とおっしゃいます。確かに、詩を詩とならしめる「何か」に対して僕も、そこは弱点のようにも感じます。ただ、この作品に込められたことをレイアウトする手法として、この助長さと散漫さは必要なことだったようにも思うのです。 手に触れようとすれば希薄な、でも一生つきまとってくる「幸せ」だとか「愛」だとか。それらを徐々に獲得し、自己の中で濃縮していく、そんな「過程」を生きたわたくしの一連の思考として、隠すことなくあるがままに描いたということで、僕はこの作品を評価します。 ●批評対象への評価について、について うん。僕も大人になりました笑 お返詩に関しては……ごめんなさい
2その、さいきん「トポス」に関して調べるというか学習しまして その語源としては古代ギリシャの「場所」であって、その詩学を踏もうと読み込んでも さっぱりわからない。 まあ、その、つまりトポスが場所を指す、としてですね、推薦文の推薦文というのは これは、そとの、そとの、場所であるといえると思うのですね。 元、があって推薦文の推薦文、そこに更に推薦コメントを寄せる僕の「場所」は 一体どこなのだろう?と思うわけですね。 そして、推薦文ですか、「紀行文を書く」に目を据えて、推してらっしゃる。 ああ、いいなぁ、と思ったわけです。 そのインターネット空間なのだけれど、僕はジャック・ケルアック大好きでね ここ何処? っていう感覚、えらい痺れるわけです。だから、ノッていきましょうといいますね。 もうそれは古いスタイルだといわれてもね、 アカデミックにできないので客観的に 愚 なのですけれど、楽しみたい。FUN。
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