ユーザー交流スペース2024/7月度 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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ユーザー交流スペース2024/7月度    

こんばんはみなさん天2(略)です。先月度のスレッドは大変盛況(?)でしたので今月も続けてみようと思います。思い思いの雑談にふけってほしいという気持ちです。ラジオ風に言うならどしどしお便りください。だけどぷりーずなかよく。そして楽しく。


ユーザー交流スペース2024/7月度  ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 236
P V 数 : 7043.4
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 27

作成日時 2024-07-01
コメント日時 2024-07-07
#ビーレビ杯不参加
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性33
前衛性31
可読性138
エンタメ55
技巧00
音韻11
構成22
総合ポイント2720
 平均値  中央値 
叙情性10
前衛性11
可読性4.33
 エンタメ1.70
技巧00
音韻0.30
構成0.70
総合912
閲覧指数:7043.4
2024/11/21 22時18分11秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。

    作品に書かれた推薦文

ユーザー交流スペース2024/7月度  コメントセクション

コメント数(236)
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
作品へ
(2024-07-01)

みなさんの詩を読むと、みなさんうまいなあとか、頭がいいなあとか、感受性が豊かだなあとか、うらやましくなります。私は全然詳しくないし、なんにもわかっていないんだなと日々反省しております。 そんなわけで(?)、みなさん、詩を作られるときに気をつけていることとか、こうするようにしているとか、最近はこんな作り方をしているとか、そのようなことを教えていただけたら勉強になるなあと思います。ぜひこの場で交流できればと思います。 ちなみに私は…推敲するようにしています(当たり前ですね…すいません)…

4
よんじゅう
よんじゅう
作品へ
(2024-07-01)

コーリャくんぼく雨降りの時期でインキンになりそうだよ。どうしよう?

4
rona
rona
作品へ
(2024-07-01)

幸先のよいスタートで何より(*^^*)

4
rona
rona
作品へ
(2024-07-01)

↑はシノハラさんのコメント読んで書いたものです。まさかイ◯◯ンが乗っかってくるとは…^^;

4
よんじゅう
よんじゅう
作品へ
(2024-07-01)

ごめん!インキンでごめん! シノハラさんにもごめんね! ぼく詩の作り方もしらねーし。 でもなんか書きたい日もたまにある それがたまたま詩になってくれたらとっても嬉しい。

5
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
よんじゅうさんへ
(2024-07-01)

よんじゅう様 そうですよね、書きたい日がありますよね。その衝動って大事だと思います。私も詩の作り方よくわかんないです(⌒∇⌒)

2
rona
rona
よんじゅうさんへ
(2024-07-01)

いえいえ、イ◯◯ン全然OKですよ。 イ◯◯ンが幸先いいと言ってるみたいな流れに見えてはなんなので念の為です^_^

4
羽田恭
シノハラマサユキさんへ
(2024-07-01)

善い言葉のみを語れ 釈迦 基本これだけでも良い気はしますね。詩を書く際に気を付ける事は。

5
テイムラー隆一
テイムラー隆一
シノハラマサユキさんへ
(2024-07-01)

たまに不安になったら朗読とかしてるくらいかな、僕が詩を書くときにやっているのは(※初心者なのであまりあてにはしないこと)

3
Molloy
Molloy
作品へ
(2024-07-01)

みなさん、詩を書く時間帯とかどうですか?わたしも詩作初心者ですが、朝起き掛けに書くと、一晩眠らせた言葉の上澄みをうまくすくいあげられたときなんかには「あ、もしかしてこれ、詩になってるかもしれない」となる瞬間が多い気がします。

4
rona
rona
シノハラマサユキさんへ
(2024-07-01)

私は、そうだなぁ…最近心がけていることは、自分が惹かれる作品をきちんと読み込むことかな。それが自分の作品にどう活かせるかは未知数だけど。

3
熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
シノハラマサユキさんへ
(2024-07-01)

6月の終わりごろに投稿されていた「模倣」という詩のコメント欄でも書きましたが、私は模倣が基本ですね。 模倣にも色々あって、たとえば自分の好きな詩(またはエッセイでも、小説でも歌の歌詞でも)に使われている言葉に似せて書いて(盗作とはいかない程度に)、どんなイメージの流れを持って書かれたのかを肌に感じてみる、創作と分析の両方ができてオススメです。 慣れてきたら、同じ雰囲気のする詩から交互に行を借りてブレンドしてみたり、逆に思想が対立してた詩人の詩をブレンドしたり、第三者として、3の倍数の行に自分が何も見ずに書いた言葉を置いてみたり。 めちゃくちゃになる時はありますが、それは推敲の時に整える。軸なり展開なりを。自分だけじゃ絶対辿り着けない表現に出会えます。 でも大抵、そういう詩はあまり評価されず、模倣に慣れた後に独りで書いた詩がやっぱり良いものになる傾向にあります。補助輪を取った感覚で、何を見ずともツボが分かってくる。そういう感じです。

3
A・O・I
作品へ
(2024-07-01)

自分の思うように、あるいは進むように詩作して満足できるまで捏ねますけど。んだからいき詰まったりあれこれ悩むぐらいならやめる。自然体でなきゃ嘘になるので。

5
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

なんかさ。名前ばかりおもしろい人が沢山出てきて書いてるものは名前ほど全然おもしろくないのねっ とした。月に三作品OKだから、そりゃ思いつきで投稿したくなる気持ちわかる。わかるけどさ、それならば、だよ。べつにヘルスケアしてこころ掴まなくてもいいから尻尾くらい掴まされる作品挙げろよ。 鯒'虎は時間が限られてる。期待外されるのは大谷だけで充分。現在詩人会に於いて枯れるばかり。 もう~下手な洒落書かすなよ。

2
takoyo2
takoyo2
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-02)

偉そうなことをいうがお前さんの詩は品がない。 だれがみても吉増●造の物真似だ。短い行をあっち飛ばしたり こっちに落としたり、それでやっと現代詩風になっている。 それを現代詩がわからないバ●が褒める。 まだ文学極道に投稿していたころのほうがはるかにマシだった。 狎れてくるといかにも現代風の詩風をモノマネして 現代詩フォーラムあたりの半素人から受けるて気分をよくしている。 だからますます真似る。その結果、目も当てられない。 あ、またちらし寿詩かと思うと読む気にもならない。現代詩は記念絵葉書 みたいにきれいに桜や城や山や海が映ってれば詩になるものじゃない。 まず思想のかけらも哲学のかけらもないことが一目瞭然。 偉そうなこと書くまえにおまえさんの下劣な詩をなんとかしてからにしては いかがでしょうか。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

あ? 上品なtakoyo2さん、わたし名義のコメントありがとう。いまから仕事ですので、今日はメジャーリーグの放送もないので帰ってからゆっくりお仕置きしてやるよ。この蛸よ烏賊野郎。

0
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-07-02)

面白い面白くないは本当難しいよ。昔は、なにが良くてなにが悪いか、という尺度で文化に携わる人は議論したと思う。 文化に携わる人間として品質の問題を考えたら、良質か悪質かを考える必要が本当はある。 メルモさんに、低評価を受けた作品、自分でもそこまで面白いかは疑問だけど、他の人から面白かったと評価頂いてる。僕はその人の作品、正直いうと、メルモさんの作品より好きなので、その人の評価を優先して考えます。 だけどこのサイトで、入選するような作品は、全然書けないね。一度ブンガチャカ交響曲で載ったのは嬉しかった。色んなところに投稿してるから、どれが入選するかなんて分からないし、正直そこまで他人に責任を負ってない身だから、これで賞取ろうみたいな狙いがなく、マイペースにやってます。 あさひてらすの方では、時々載ってます。今月は鏡文志のネームで、2作。 ずっと載ってたり、少し受けてたりするのが急に載らなかったり受けなくなったりすると、グレるとか不貞腐れるということはないよ。ただ、焦るというか、後ろめたくなるというか、少し恥ずかしくなるんだよね。だって、ほんの少しモテてたことが自己肯定感に繋がってたわけだから、そのことに気づかされるな。 ココア共和国が、3回ぐらい連続で投稿で落選してる。POETに投稿した違う詩を投稿すればよかったと思う時もある。POETは、同じアマチュアからコメントがくるぐらいで、審査員の人が賞くれるわけでもないから、あまりこれはウケると思う詩は投稿しないようにしようかな。どれがウケるどれがいい詩かなんて確信がある時は、ほんの少ししかないけれど。基本詩は嘔吐だから。吐き出すことが大事なんだよな。 あさひてらす 6月掲載詩  記事URL https://webzine.asahipress.com/posts/8123

4
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

ああああ二日間続けてびしょぬれに濡れて、痛い肩と腰を気づかいながらシャワーで雨と汗を流す。なんでしょうか、世の中にはこんなときにも豪華客船のラウンジに酔い、それでも貯蓄は増えるばかりの人間が何人いることやら。 まったく、ついてない。何が憑いてないのか。渋沢栄一が付いてこない。神々が憑いてないのです。 ああ紫綬褒章受章者の吉増〇造先生ですか。残念ながら彼の著作は批評本含めて3~4冊くらいしか持ってないですね。しかも読み通してはいないし。なので似てるとか言われたらそれはホントホント嬉しいのですが、真似ることなどできないのですよ。実力が違い過ぎる。谷川俊太郎先生と同じです。Mrs.オバマが実は男だとか、そんな似非情報を平気で書き込むあなたtakoyoさんから、やれ下劣だ。下品だ。馬鹿につける薬だ。真似る蛸の擬態だ。とかおっしゃられてもですね、それこそ蛸が烏賊の足を挫くようなものですね。 そんなことよりもあなた、takoyoとかtakoyo2とか一人で怪人二十面相のお遊びですか?小学生相手の謎かけじゃあるまいし。それとも阿呆な誰かが本当に成りすましやってるの?まさかね。 いい加減に統一したらどうですかね。大昔から今現在まで、名前は散々変えてきてもう飽きたでしょうにねへ、ねへ、へのへの字も??

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

なんだよ。まためんどくせーな。万太郎さん。自分で自信があるならそれでいいじゃないか。冗談でもなきゃ嘘ついてまで他人の作品に批評は書かないよ。いいものいいと批評するしちょっとダメなものはそれなりに理由も付ける。俺の詩も評価してないんだろ?好きも人それぞれ。それでいいじゃないか。あんまし気にすんなよ。どのみち時間が証明してくれるさ。

1
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

詩作ですか。書けないときは何を書いてもダメですね。何もしないか瞑想に耽るか、詩から離れます。そんなときは散文でも書いて文章のお遊びをすればいい。そのうち閃いた言葉が降りてくる。その時ですね。

4
A・O・I
作品へ
(2024-07-02)

詩を書く人間がそこにいて、書かざるを得ない人生があって、と考えていくと、とーぜん、一括りに詩といってもおなじなわけがない。まずこれ基本

5
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-02)

あらかじめ詩を書く人間がそこにいるわけないでしょうね。 ほとんどの人は短文を書いているだけだ。 それが書かざるを得ない短文であってもそれが詩かどうかは このわたし(味読する人)が決める。 書いている人間があらかじめこれは詩だと思って 書いているのならよほどのバカだ。 だって「詩」がなんであるか知らないでしょうからね。 わたし自身がわたしが書くものを「詩」だと思って 書いたことなど一度もない。 周りへの説明上、仕方なく「詩」ということにして 語っているし「詩人」がいるように語っているが 今現在、この国に詩人など一人もいないし、詩を 書けてる人間など一人もいない。 あまり詩の領野を穢すものじゃない。人間が穢れているから とうぜん詩を口にする自称詩人たちのせいで詩が穢れる。 それだけのことじゃないかな。

3
A・O・I
作品へ
(2024-07-02)

詩っていうか私の場合は文字っすね。まあでも詩だと思って書いている。ですかね正確には。小説も書いてるんでその区別はつけてる。そういう意味です、んだからなんだかわかんねえ曖昧なもんは出せねえ。そういうことです。

3
トビラ
作品へ
(2024-07-02)

詩は言葉で作られる作品だと思っています。

3
A・O・I
作品へ
(2024-07-02)

私の思う詩は、言葉(=伝えるためのツール)にのらないことできないものが溢れたり漏れたりした、必然、出て来ちまうものだと思ってるがね。それが作品になるかどうかは自分の中での追求で言い分でしかないし、結果は読み手が決めるもんだろうな。まあそれもひとつじゃないから。結局、何を信じ何を求めるのか、結果なのか追求なのか。まあ、それぞれでしかないしょ。というのが今の私の考えですが。

3
rona
rona
作品へ
(2024-07-02)

私は自分を詩人だとは思わないし、これからも思わないだろうな。書いているものが詩であるかどうかもどうでもいい。たまたま、というか、見た目が詩というジャンルに分類されるんだろう程度に思っている。書いたものが自分の生活や人生に何らかのメリットをもたらしていると感じているから書いているだけ、かな。

3
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

takoyo2氏は間抜けだ。そして偏屈だ。ダンスをしてもまともにはタッグを組めない相手だ。自分が詩に対して拘りを持っているのかを晒している。管のつまった便器である。

0
rona
rona
作品へ
(2024-07-02)

私は拘りを持ってる人間の方が好きだな。それを他人に押し付けさえしなければね。問題は「拘り」じゃなく「押し付け」の方だと思うな。

4
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
羽田恭さんへ
(2024-07-02)

「善い言葉のみを語れ」いい言葉ですね。心がけてみます。ありがとうございます(⌒∇⌒)

0
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-02)

朗読。なるほど。それはやっぱりお気に入りの詩なんでしょうか。それとも小説とか、もっと広くお読みになるのかもしれませんね。ありがとうございます(^O^)

0
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
Molloyさんへ
(2024-07-02)

時間帯ですか…平日だと仕事が終わって飯食って寝る前とか…夕方以降ですねえ。とはいえ、毎日必ず書いているわけではないので、毎日のルーティンのようにできたらなあと思っています(^O^)

1
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
ronaさんへ
(2024-07-02)

「きちんと」「読み込む」こと、とても大事ですね。すべての詩にたいしてそういう姿勢でありたいなあと思います。。ありがとうございます(^O^)

1
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-02)

「模倣」ですか、なるほど…。文体というか、よく使う表現というか、詩人の作風ってありますよね。私もやってみようと思います。ありがとうございます(^O^)

1
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
A・O・Iさんへ
(2024-07-02)

「いき詰まったりあれこれ悩むぐらいならやめる」って、すご~くわかります。そうやって断片でおわってしまったものがたくさんあります。そっちのほうが多いかもしれません。勇気が出ます、ありがとうございます(^O^)

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

↑あ、これはこれは、そのとおりでございますです。拘りを「押し」つける」。 あの方、といえばtakoyoかNo2さんのことですが、わたしなども嘘詭弁偽情報をいままで散文押し、つけられたのでございます。で、ヤバくなるとクルックルウと反転して行方を眩ましてしまうのです。これは持って生まれた性分だな。といまでは可哀想を認めてお付き合いさせていただいております。 警句否敬具

2
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-02)

「こころ掴まなくてもいいから尻尾くらい掴まされる作品挙げろよ」そうですね、これくらい自分に厳しくというか、言葉への愛があるというか、叱咤激励がありがたいです。いい作品書こうと思います。ありがとうございます(⌒∇⌒)

0
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
万太郎さんへ
(2024-07-02)

「基本詩は嘔吐だから。吐き出すことが大事なんだよな。」なるほどなあと思います。いいなあと思う詩はひとそれぞれですもんね…。とにかくたくさん作っていこうと思います。ありがとうございます(^O^)

1
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
takoyo2さんへ
(2024-07-02)

「それが詩かどうかはこのわたし(味読する人)が決める」そうだと思います。正しくとらえていなかったらごめんなさいなんですが、ほかの人に読んでもらってナンボだと思っています。そしてたとえお叱りを受けたりしてもそれは努力して向上すればよいので…。「詩」だなと決めてもらえるようなものを書けるようがんばります。ありがとうございます(^O^)

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

!このスレ、シノハラマサユキさんアイデアだったのね。日頃から鬱憤が溜まってて、ずいぶんと居酒屋してしまったな。勘弁してくださいね。Bレビ文化放送#パーソナリティがんばってください。

1
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
トビラさんへ
(2024-07-02)

「詩は言葉で作られる作品」そうですね。言葉って難しいですよね…。言葉の前になんだかもやっとした心があるじゃないですか、それを言葉にしたときに、それがほんとうにその心を正しく表しているのかというのはよく悩むところではあります。ありがとうございます(^O^)

0
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
作品へ
(2024-07-02)

みなさんありがとうございます!すべてのコメントにお返事ができなくて申し訳ありません。すべて読ませていただきました。な~んとなく中学くらいからそれらしいものを書いてきていますが、あくまでパーソナルなものでしかなく、ここ1年くらいで恥を承知で投稿している次第です… これからもよりよいものを投稿できるよう、とにかくもがいてあがいて書いていくしかないかなといったところです。ありがとうございました!! ではこのへんでどなたか別の話題をよろしくお願いします(^O^)

2
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
作品へ
(2024-07-02)

追伸 よんじゅうさんがインキンにならないようこころよりお祈り申し上げます(^O^)

1
テイムラー隆一
テイムラー隆一
シノハラマサユキさんへ
(2024-07-02)

あっ、正確には自分が書いてる作品ね。もともと朗読は好きだし、お気に入りの詩も声に出すことはあるけれど。 ①書く ②この表現でいいのか悩む ③声に出して読んでみる ④しっくりきたらOK、こなかったら書き換え ⑤投稿した後でAOIさんかメルキさんがこうしたらいいよという批評をくれる ⑥さあ次の作品だ

2
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-02)

では、別の話題を……。 僕は詩を書くときにコーヒーを必需品とするけれど、皆は詩を書くときや読むときのお供って何かある? ※あと、上のコメで「メルキさん」と書いてしまったけれど、正しくは「メルモさん」です。すみませんでした!

2
シノハラマサユキ
シノハラマサユキ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-02)

なるほどね…自分の作品を声に出して読むということは、そういえばしたことありませんね(黙読はしますけれども)。声に出してみてしっくりくるかどうかは確かに大事ですね。ありがとうございます(^O^) ちなみに私はコーヒーも好きですが…ビールですかね、ノンアルですけれどもね(´;ω;`)

1
rona
rona
作品へ
(2024-07-03)

私はメルモさんの鬱憤居酒屋居座りトーク面白くて結構好きなんですよねーじゃんじゃんトークして下さいw 詩を書く時にお供はないけど飲み物は紅茶派です!

2
Molloy
Molloy
Molloyさんへ
(2024-07-03)

詩を書くときのお供は、いつだって胸いっぱいの羞恥心に決まってるではないですか!

3
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-03)

2024/05 作品と選評を読ませて頂いたのですが、 面白いね。 田中恭平、黒髪両氏の選評が面白いというよりは、この両者に 選評を委ねているところが面白いと思った。 ここに投稿されている詩、わたしにはほとんど意味不明だから このお二人に どこが面白いのか教えて貰いたいと願って、平伏して素直に読ま せていただいたのですが、まったく何もいってない。笑 ふつうに感想を言ってるだけ。そこから得るものが何もないという この爽やかさというか、何もなさ。くそ暑い夏にはいいかもしれない。 これがもしアラガイs氏の解説だったりしたら、そのアホらしさに ぐったりして、寝込んでしまったかもしれない。 いや、いいね。何もないってことは。際立っている。 爽やかだ。

1
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-07-03)

僕が詩をSNS上で書いたり、雑誌に投稿してるのってやっぱり貧乏が一番大きい。 だってお金あれば、周りからもっと可愛がられたと思うし、漫画家でも、歌手にだって才能があるから、なれたと思ってる。 詩人て紙とペンだけ。SNSならPCがあれば無料。その低コストが魅力だもの。 だからコーヒーをおともにすらしない。僕が詩を書くときのお供は持ち前のパンクなハングリー精神だな。頭の中にある日頃の鬱憤や日々感じる疑問を短文にまとめて爆発させるのさ。ウォーって。空に向かってアスファルト蹴り上げ、噴き上げる思いをホースいっぱいに放出するのです。

3
テイムラー隆一
テイムラー隆一
Molloyさんへ
(2024-07-03)

……いい。いいぞ! これすっごく素敵な表現じゃないか! なんでこれを僕は思い付けなかったのか……! ※ちなみにronaさんと同じように紅茶のときもある。

3
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-03)

そういえば、ここのコメ欄や自分の作品のコメ欄とかで谷川俊太郎のことが出たけれども、意外だったのは、あまり嫌われてないっていう感じがするというか……。 文学極道ではどんな話題でも名前は出ていなかったし、ここでもあまり谷川俊太郎が引き合いに出されることは見たことが最近までなかったけれど……。 僕の中の印象で一番谷川俊太郎を嫌ってそうだったメルモさんが、ここのコメ欄で吉増剛造と同じような偉大な存在として並べてるし。自分の作品のコメ欄でも彼に好意的(実際に会ったみたい)な人がいたし……。 一方で、現代詩に批判的な人は確実に俊太郎さんのことを好んでなさそうだし、高畑耕治という詩人に至ってはもう谷川俊太郎を悪人扱いしてるというレベルに達してる。 実際のところ、谷川俊太郎はどう評価されてるんだろう……? 僕の中では国語の資料集に乗るくらいの偉人という感じだけれど。

3
葉月二兎
葉月二兎
作品へ
(2024-07-03)

詩を描くとき・・・と限定することはないですが基本はミルクティーが好み。 350ccの大きいカップにティーパック2つ(濃く出る系の)入れて、 水を沸騰させてから一呼吸おいて2/3くらい。そこから蓋して5分。 時間が経ったらお砂糖(スティックシュガー)2つ入れて溶かして、 1/3の牛乳入れて飲む感じ。とはいえ、分量とか時間はなんとなーく。 ここ数年はタバコを吸える喫茶店も少なくなってきてしまったので、 紫煙を燻らせながら黒いコーヒー飲みつつ小難しい本を読む。 なーんてこともなかなかできないから、今は家(の台所の片隅で換気扇回しながら) 周囲が寝静まってから、ちょい甘めのミルクティーを飲んでタバコを吸ってます。 ・・・って描くと、タバコが一番必要そうな感じがしてきた。 ミルクティーかお酒か(夏なら)しっかり冷やしてゴクゴクっと飲める麦茶。 コンディションと気分によっては、ほうじ茶も好き。 コーヒーは職場でガンガン飲めるし飲んでいるので、プライベートでは飲まないなー。 詩は、なんとなーく書けるときに書きます(疲れるけど)。 谷川俊太郎さんは・・・どうなんだろうね? 作風的に反動があったんだろうから、評価が分かれているのだと思うけど、 その辺よく知らないので、なんとも。 個人的には思ったよりも気骨でエロいジジイ(褒め言葉)だった思い出があります。 自分は割と好きだけどなー。

2
葉月二兎
葉月二兎
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(2024-07-03)

あとこの頃はイワシが脂のって美味しい季節なので、 本読みながら茶を啜りながら煙吐き出しながらゆったりとイワシ煮る! っていうのを、深夜の台所でしています。 科学的には20分煮るならもっと頑張って40分煮るとコラーゲンまで溶け出して 骨まで食べれるくらいに煮える(それ以上煮てもあんま意味ない)っぽいので、 目安としてそのくらいクツクツ煮ています(梅干しかお酢か入れて煮るとなお良し)。 ↓論文です。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience1995/34/1/34_106/_pdf/-char/ja SDGs(便利な言葉だ)ではないけど、うちの家訓は 「食べ物は余すところなく食え! 米の一粒も農家の方がしっかり作ってんだから無断にすんな!」 なので、 野菜の捨てるところも取っておいて、週末にお酒飲みながらコトコト煮出してブロード作るのが まったりした深夜の過ごし方になっています(ベジブロス、っていうらしいですが)。 まー、マイペースでいいんじゃん、って感じです。

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rona
rona
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(2024-07-04)

私は紅茶はストレート、ホットならダージリン、アイスティーならアールグレイが好きかな。 谷川俊太郎さん好きだな。実は今まで読んだ詩の中で一番好きな詩は谷川俊太郎さんの『愛』という作品。『クレーの絵本』という詩画集(と言うのかな?)の最初に置かれた詩です。 それから田村隆一さんは詩を書き始めた頃に衝撃を受けて、無謀にもああいう詩を書けるようになりたいと思った。笑(結果、書けるようにはならなかった。笑)

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

いいねえ、あの世で生まれ変わった文学極道続編だ。 詩人、谷川俊太郎。takoyo2氏もよく馬鹿にしてたな。吉本隆明オンリーにして詩の素晴らしさがなんもわかってない。   ティムラー隆一さん、鉄腕アトムの作詞家ですよ。谷川俊太郎氏は。日本を代表する作曲家の武満徹もリスペクトして多くの曲を提供している。その作風からボピュリズム的な扱いを受けることもあるが、初期の作品なんか読んでごらんなさい。否定的な見方ができるわけがない。谷川俊太郎。戦後の日本詩界を牽引した偉大な詩人には違いないのです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

谷川俊太郎先生とは旧Twitterで勝手に返詩させてもらいましたね。どれぐらい続いただろうか。三カ月以上かな。ほとんど毎日リツィートで詩のらしきもので短く返させていただきました。友人の方の図柄で短く詩を書き込んでらした。(どちらが先なのかはわからない。たぶん谷川俊太郎先生の詩にイラストを添えたのでしょうね。なので詩の元が実際本人だったのか。これも不明です)  ですがね。しばらくリツィートさせていただいてわかりましたね。やはり出てくる言葉のパラフレーズにキレ味があって、ああ、まだ勝てないなあ、と実感しましたね。もうかなりご高齢のおじいちゃんですよ。それなのに言葉がイキイキとしてるのです。まだX に残ってるかな。ご覧になってみてください。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-04)

谷川チンタ郎か......。 お上手な詩を書くよね。いわゆる"お坊ちゃん詩"で わたしのような歴戦の人間通、世間通、世界つうには まったく響かない、市販の絵葉書のような詩だけど。 谷川のような詩がこの国の詩を徹底的に糞だめのような ところへぶち込んでしまったと思ってます。 谷川以来、日本の詩はなくなっと同じです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

↑あなんた↑takoyo12さん、岡本太郎のいう綺麗に書くな!馬鹿たれ!をなんか勘違いしてないすかね。太郎さんは綺麗にみえるものをそのまま綺麗に書くな!とおっしゃてるように聞こえてきますよ。天国から。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
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(2024-07-04)

岡本太郎は元を辿ればバタイユに行き着くし、そのバタイユの作品を見れば「綺麗に書くな」ががだいたいメルモさんの言ってるとおりの意味になるとは思う。多分。きっと。めいびー。 というか、あの辺のフランス前衛芸術の思想は僕にはわからん!すごいのはわかるけれど! ……ついでにアルトーの詩もまたいつか読むか。

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-04)

ごきげんよう文極警察です。 (谷川俊太郎、いま国語の資料集にしか載ってないのですね。おばちゃんが乙女のころは、中一国語の教科書が谷川からはじまってましたけど) >文学極道ではどんな話題でも名前は出ていなかったし、ここでもあまり谷川俊太郎が引き合いに出されることは見たことが最近までなかったけれど……。 文極の掲示板で「谷川俊太郎」を検索してみたところ、もちろん評判は上々でした。出てくる話題のほとんどが、アラガイさんのような具体的な賛辞、あるいは熱心な引用です。わずかですが「初期はよかったけど最近は……」といった半批判もありました。 ただ、創設者ダーザイン氏は谷川を忌み嫌っていたそうです。理由はよくわからないというか、わたしの理解の及ぶ領域ではありませんが、作者が気に入らないので作品を読む必要はないと思っていた様子です。 では文極より「谷川俊太郎を引用している作品」をお送りします。 (敬称略、年月日順、○は随想) ○鳥『詩に関する私の原初の記憶について』 http://bungoku.jp/ebbs/20130611_111_6919p ●ヌヌ対『治癒/息ル』 http://bungoku.jp/ebbs/20161107_601_9248p ●霜田明『残寒の詩』 http://bungoku.jp/ebbs/20180409_393_10371p ●完備『dotakyan』 http://bungoku.jp/ebbs/20181201_934_10927p ○湯煙『記憶を作る』 http://bungoku.jp/ebbs/20200911_882_12106p …………あれ、湯煙さんと鳥さんて同一人物なんだ。 ↓文極警察ブログ https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-category-11.html

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rona
rona
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(2024-07-04)

谷川さんは詩人としてより子供の頃に好きだったスヌーピーの4コマ漫画の翻訳者のイメージが先だったな。あれ好きだったなー

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

そうですね。綺麗にみるか醜いとみるのかはあなたの心次第。ものごとの本質を捉えろとおっしゃっておられるのではないか。 芸術は美しいだけのものとは限らない。ただそうおっしゃっているだけのように感じます。

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rona
rona
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(2024-07-04)

誰かが言った言葉の解釈なんて受けとる側の自由じゃないの?これが正解なんてあるのかしらね?特にアートなんかは。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

なので押しつけられるアカデミックなやり方を嫌って才人は去るのです。猿とも云える。しかしミイラ取りがミイラになってはね。takoyo12氏なんかいつもそう。土俵を過ぎても押し徹そうとするのよね。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-07-04)

高校の教科書を見たら、田村隆一はいました。載っていた詩は「帰途」です。 ……全集の第一巻を見たときに「この詩、初めて出会ったのに見たことある……」という気がしたわけか……見たことあったよ……全然初めてじゃなかったよ……。 まあ、ダーザインが谷川俊太郎を嫌いなのは、なんとなく見当はついてたけれど。言動から察するに、権威というものを嫌ってるような人だったし。とりわけ詩の世界に半世紀以上も君臨してる最高クラスの権威に対しては読まず嫌いにもなるんじゃなかろうか。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-04)

谷川俊太郎氏も文壇という権威を嫌うお方で、その両方を否定するとは、これもまたミイラ取りがミイラになってしまったとしか言えない。どちらにせよ決めつけは良くないですね。選評する批評と同じくです。

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rona
rona
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(2024-07-04)

まぁ押し付けも答え合わせも全くクリエイティブじゃないからねw

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-04)

高校国語に田村隆一とは驚きですね。おばちゃんが乙女のころの高校国語に、漢詩以外の詩などあったろうか。大学入試の設問もずいぶん様変わりしたんだろうなあ。 ダーザイン氏の偏好について、上記以上のことには理解が及んでいませんので、詮索しないでおきますね。上記でわたしが紹介したかったのは、谷川が文極で創設者(いわば権威)の偏好など関係なく評価されていた事実、そして谷川の詩から生まれた文極の詩です。どなたかのなにかしらの参考になれば重畳です。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-04)

谷川さんの詩を、お金持ちの坊ちゃんの詩だと言いたくなる気持ち、少し理解出来ます。 谷川さんの、下世話な内容も含むユーモアたっぷりの詩とか、言葉遊びの豊かさ面白さは、凄く好感が持てるし、好きなんです。 一方で、芸能界や、芸術界と言ったエリートの世界は、やはり富裕層がモノを言う面があります。 堺正章氏や、ユーミンと言ったお坊ちゃん、お嬢さんが都会的な品を持ってする華麗な表現。 反対に、米国で言えばチャールズブコウスキーのような詩人や、歌手で言えば岡林信康氏、長渕剛や、中島みゆきと言った人達は、そう言った典型的なエリートとは違った家が貧乏だったり、幼少期から虐待を受けていたり、そう言った環境の中で育って、人間の残酷さ、嫌味ったらしさ、泥臭さ、芸術に華麗さを見たい人が、反発心を覚えるような表現によってどちらかと言うと貧民層の共感を誘い、成り上がってきた人たちだと思います。 ぼくの同級生で、親から月10万円貰っていた子がいたのですが、やはり遊ぶ金を持ってる人は、モテるんですよ。だって、貸したゲームソフトを未だに返さないような男なんです。それがバンドやったり、バンド内で名乗っている名前が「うんこ」とかって言うどう捉えていいか分からないような感じなんですけど、ちょっとだけ、悔しいけど、ロッキングオンでやってるコンテスト入選したりとかしてるみたいで。 鉄道模型親に買ってもらったりするお坊ちゃんとか、本当は凄く根性悪くて、人を見下してるようなところあるんだけど、やっぱりモテるんですよ。 詩って紙とペンさえあれば、牢獄でもかけるモノだから、筆圧の強さとか、言葉に強いモノを持ってる人に惹かれるんですけど、学術的な、文学こうあるべしみたいな教養豊かな世界で言葉に携わってきた人の言葉の持つ、品の良さ、繊細さに対し、未だに少し萎縮してしまうところがあって。 僕は詩も歌も音楽も、上手い人しか出来ない書けないモノだと教えられてきたし、そう半分信じてきました。やってみたら意外と出来た。それで褒められると、僕も長渕や、ブコウスキー路線で、受け皿を見つけられるんじゃないか? と希望を感じ始めたんです。 育ちの違いで、詩や表現に対し、感じ方の違いはあると思いますね。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-04)

下世話って書いてた。抜け目がない人じゃないんだ。ぼくは。笑っちゃった。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-05)

谷川ちんた郎のような世間知らずのバカは詩だけ書いていてれば 世の中に害を及ぼすこともないのだけどね。 下手に政治社会に口出しするとろくでもない反社的なことをやらかし、 しかも当人はそれがなにか善行のように思い込んでいるという、 この糞ジジイ、頭を一発こつんとやってやらなきゃ目が覚めないか と思うことが多々ある。 戦後のだれきった干しクラゲのような国民が求めたから出てきた タイプなのだから悪いのはそういう干しクラゲのような日本人であって 谷川のせいじゃないのだけど、 ああいうバカを見ていると、いちいち腹が立つ。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-05)

俺ちょっと、takoyo2さんわかるところあるなぁ。 俺堀江貴文って全然尊敬出来ないんですけど、保守系の団体も含めてガキがたかるんですよ。 あれ成金の坊ちゃんがモテるっていう典型じゃないですか。 ベトナム戦争反戦歌お坊ちゃん目線で色々書いてましたね。戦争は良くないとか。

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rona
rona
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(2024-07-05)

ある詩人さんがnoteで書いてた文章が良かったので要約して貼っておきます。(自戒を込めて) ネガティブな感情や人への評価や批判の類いのことから自らを解放して、やるべきこと、大切な人やものを一生懸命大切にすることに集中す自分になることーーー こういう言葉が出る人間になりたいしそういう人生を送りたいわ。

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妻咲邦香
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(2024-07-05)

何が詩か?ってそういう定義的な議論が一番くだらないって思ってるんだけど同時に可愛くもある。偉そうなこと言ってても所詮は籠の中の小動物、外に出られた試しがない。 私の場合は詩かどうか以前の小さな爆弾を作って自分でニヤニヤすることが出来たら放ってみる。どう見ても詩じゃないものを詩って言い張ると気持ちがいい。えっこれが?って反応を見るのがね。詩を書くことの面白さってそこだな。どっかでルールや通念を破ってないと収まりがつかないんですよね。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-05)

ネガティブな感情や人への評価や批判の類いのことから自らを解放して、 やるべきこと、大切な人やものを一生懸命大切にすることに集中す自分になることーーー ronaさんを尊敬しておりますが、.....畏れながらいわせて頂きますと、これまで ですね、あのう、一生をついやして上のような言葉と戦ってきた者でして..... これからも全力でそうしていくでしょうね。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
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(2024-07-05)

takoyo2気味は一生闘っても答えを見出せないよ。 僧侶に復帰すればいいじゃないか。欲深いのもお坊さんだ。 ただで喰って生きれるなら私も親鸞和尚にすがりたい。そしておま●この中に仕舞いたい。

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rona
rona
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(2024-07-05)

なんでお二人はそんなに仲がいいんですか!w

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-05)

あ、それね、ドラマ『ビーチボーイズ』で 広末涼子がいうセリフでしょ!

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作品へ
(2024-07-05)

温泉気持ちよかったわ

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入間しゅか
入間しゅか
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(2024-07-05)

なんも言うことないけど やっぱり何も言うこと無かったわ

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-05)

詳しいですねwww ちなみに私は稲森派ですw

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rona
rona
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(2024-07-05)

温泉いいなー

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ronaさんへ
(2024-07-05)

うん

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澤あづさ
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-06)

https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=13098 以下、上記スレでいただいた返信への返信です。 >!そうだ。どちらかといえばアポフェニー精神病理学の分野ですね。ポスモ?ポストモダン。現代思想ですか。ローティだな。 なんというおしゃれな返し。わたしなら絶対デリダを繰り出すであろう文脈だがローティ、ローティね、かしこさが5あがった。 分裂の発祥はガタリですが、以前ガタリの名を見ただけで発狂する者に粘着され迷惑したので、今回「ポスモ」にしたのでした。しかしアラガイさんからもろもろ学びましたので、以後再び「ガタリ」に戻すつもりです。ありがとうございました。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
澤あづささんへ
(2024-07-06)

ハーイ!ポストモダン。いや、流れからしたらやはりデリダでしょうね。 最近TVで見ていたので、たまたま名前が上がっただけです。キスしたい。ご丁寧にありがとう。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-06)

澤はもう手がつけられないほど荒んでいるからいわないが アラガイsくんは精神病理学などという御大層なものを口にするのなら あんたがおれに粘着するそのパラノイア性妄想のみなもと を探ってみろよ。 おれはおまえの粘着が嫌で現代詩フォーラムを退会し投稿も全抹消 した。するとここまで追いかけてきていちいちわたしにイイネ付けた 人にまでからんでいる。その病態を澤大先生に分析してもらってはどうか。 いかさまガタリでも詐欺師デリダでも妄想ラカンでも何でも利用していいから。笑 いかさま精神分析学でいえば、きみのような同性愛への内的抑圧はないし興味もないからね、 さっさと離れくれないかな。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-07)

考えることが苦手な人は、心地よさに流れてしまう。思想し続ける人は、その甘さにいつか気づくものです。 ヒトラーの中には、ある種の病理と同時に、心地よさに流れる健康性がある。それが今の時代に生きる人々に感じることです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
takoyo2さんへ
(2024-07-07)

あら?ここはあんたが後から出て来ただけじゃないの。しかも空とも海のものともわからない変な名前で。 現フォ消した?勿体ないな。でも消すなのは昔からお得意でしょ? 自分のことが嫌になってしまったのね。もういいお歳なんだから粘着とか無頓着とか外れる天気予報のように言わないで、楽しみましょうよ。う、   ふん。

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湯煙
澤あづささんへ
(2024-07-07)

谷川俊太郎さんを引用した作品は他にもあったようですね。知りませんでした。 <湯煙>   これは、ケムリさんが代表から降り、次の新たな代表の方、光冨さんだったかと思いますが。その引き継ぎの空白期間に半ば冗談、半ば気分転換のような第2ステージへといった気持ちだったか。そうしたところでしたね。 <鳥>  これは、山口泉のエッセイ『星屑のオペラ』のなかの一章に付けられたタイトルからでした。    谷川俊太郎 を引用した作品を投稿するにあたり、気にはなりましたね。こちら(文極サイト)はアンチとしての気分が押し出されているなと。ですからおそらくよい印象は持たれないかとも。作品に対して浅井さんなどの方々から、批評という形でコメント欄にて指摘ダメ出しを初めて頂き、刺激されましたし、良かったと思いましたね。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
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(2024-07-07)

抒情詩とかだと三好達治さん(こっちはあまり読めてない)と長田弘さん(こっちはある程度は読んだ)がいるけれど……。 不思議なことに文極は抒情詩を好んでなさそうだったし、ここでも過去のフォーラムを見ると抒情詩の話をしただけで室町札という人があれこれと言ってきたり……。(ついでに大学の文学部みたいなのはやめろとか言ってたが、文学部の学生の僕からすると何ゆえにそこまでアカデミックなものを嫌うのかがわからない。大学に行けなかったのかしら) まあ、抒情詩という形式そのものが前衛性を出しにくいのが原因かもしれないけれど。

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A・O・I
作品へ
(2024-07-07)

詩誌も投稿サイトもその場の特徴みたいなものあるのは知っているとおもうんですけど……ついでにネット詩誌(投稿サイト)だったら「MY DEAR」は、抒情詩系(抒情詩、叙景詩、から抒情系の抽象まで)を守備範囲にしてるみたいです

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
A・O・Iさんへ
(2024-07-07)

あっ、一応は抒情詩系あるのね。ちょっと見てきたけれど、使いやすそうなサイトだ……。 教えていただき、本当にありがとうございます! ※文極跡地を探査してると、使いにくさで発狂しそうになることが何度もある

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澤あづさ
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-07)

…………その最強メンタル、すさんだおばちゃんにも会得できたらいいのに…………

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澤あづさ
湯煙さんへ
(2024-07-07)

ご返信ありがとうございます。おりしも「湯煙さんってケムリ論かいてる最中には打ちにくい筆名だなー」と思ってたところで、よい情報を得られて重畳です。2016年の文極は、大改革期にビーレビの揺籃期も重なってカオスでしたね。 高作『記憶を作る』は逸品です。ぜひビーレビでも読まれてほしいです。 ※再掲:http://bungoku.jp/ebbs/20200911_882_12106p 浅井康浩さんの評、個人的には苦手(※詩は好き)なのですが、湯煙さんのお作のなかでは輝いてみえました。引用の活きている作品は本当に好ましい。 谷川俊太郎の件にはわたしも驚きました。ダーザイン氏とその追従者の声が大きすぎて見誤っていたけれど、文極ではアンチダーザインのほうがむしろ主流だったようですね。実に文極らしい実態です。

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澤あづさ
作品へ
(2024-07-07)

この機に乗じて、鳥さんのお作に対する田中宏輔さんの名評を貼っていきます。わたしが文極でもっとも度肝を抜かれ、感服した評のひとつです。 ●鳥さん『犬』 http://bungoku.jp/ebbs/20131111_978_7133p ●田中宏輔さんの評 http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=384;uniqid=20131111_978_7133p#20131122_152_7133r 「俳句や短歌を見飽きた手法と呼ぶひとがいるかもしれない。しかし、ぼくはそういうタイプの書き手ではありません。この(橋と雨の)2文字に限定された厳しさに、作品が引き締められているのを感じます。たしかにこの手法は、いままでにありましたが、ぼくには才能が感じられます。まあ、才能を感じる感じないは、読み手側の問題でもあると思います。イマージュが喚起されるかどうか、それは、読み手の知識と経験に大いに依存するものですからね。ぼくはたいへん刺激されました。」 詩にせよ評にせよ、作品で示すしかない。わかる人にはわかるように作るだけだ。

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ぺえ太
ぺえ太
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-07)

ブルースやジャズのルーツでもあるワークソングは、鉄道建設などの労働を強いられていた黒人奴隷たちが仲間同士で士気を高めたりまた疲れを癒やしたりするために、重なり合う工具の打音やかけ声、そこから生まれるバイブスでそれらにリズムをつけ歌を作ってしまったものですが、これと同じように詩も人間の内から自然と発生するものなのかなと思ったりします私。魂とバイブスの出会いのようなものが詩を書く上でも必要になってくるのかなって。だけどそれは、おそらく労働する上で、人との関わり合いの中で、自分の足で渡り歩いた世の中から得られるものであって、「大学の文学部みたいなのはやめろ」っていうのは、机上にそんなもんはないって事なんじゃないかな。んー。違うか

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
ぺえ太さんへ
(2024-07-07)

ぺえ太さん、わかってらっしゃる。そのとおりだと思う。でもね、世の中には明晰な頭脳で詩を楽しみたいっていう人たちもいて、まあ、人それぞれだよね。ダメだとかイイねは自分の考えだから仕方ない。しかしそのことを神の目線で押し付けちゃいけない。

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作品へ
(2024-07-07)

お洒落なカフェなう

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rona
rona
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(2024-07-07)

>世の中には明晰な頭脳で詩を楽しみたいっていう人たちもいて その言い方だとまるで非対象者が明晰な頭脳を持っていないように受け取れますが、果たして『明晰な頭脳』とは?

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-07-07)

谷川俊太郎は、嫌いです。 詩があざといからです。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
ぺえ太さんへ
(2024-07-07)

詩の原泉はそれでいいとは思ってるし、そうなんだろうとも確信してる。僕だって僕の心から迸り出た想いとかそういったもので詩を書いてるから。 ただ違和感を感じるのは、「大学の文学部云々」という言動にはどことなく反理性的なものがあるように思えるからというか……。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
田中宏輔さんへ
(2024-07-07)

あざとい、か……。 俊太郎さんの作品って、読者をいともあっさりと共感させるような部分とかあるけれど、そのことなんだろうか。

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澤あづさ
田中宏輔さんへ
(2024-07-07)

ご本人の詩作を存じているとすさまじい説得力ですね。わたしも谷川の詩より田中さんの詩のほうが好きですが、「あざとい」という評言が苦手な点で、テイムラーさんにも共感できているかもしれない。てかテイムラーさんもメンタル強いなうらやましい。 自作をだれかに嫌われるということは、べつのだれかに好かれる可能性があるということ。わたしはメンタル最弱ですが、万事それで納得できるような気が最近しています。

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田中宏輔さんへ
(2024-07-07)

谷川俊太郎の詩は商業的ですよね。あざとさはそこから来ているのではないかしらん。僕は実験的な田中さんの詩も好きで、谷川俊太郎の商業的な詩も好きだけど、ダブルスタンダードではないと思う。どっちも詩だからね。

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rona
rona
作品へ
(2024-07-08)

私はそもそも◯◯の書いた詩と括らないけどね。誰が書いた詩でも響いたり刺さったりする詩があればその詩が好きなだけ。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

言いたいことは分かるし共感するが、〇〇という主語を抜きにして詩を語っても、話の流れが成立しないんじゃないかな。みんな、主語として言っているのであって、深い意味は無いと思うけどね。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

主語って作者? 話の流れって何の話?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>主語って作者? 作者 >話の流れって何の話? 作者の話だけど?

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

作者を主語にしないと詩は語れないの? 話の流れに乗らなきゃダメなの?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

誰の詩か分かるために主語を付けているだけだよ。 今、谷川俊太郎の話をしているんだよね。 >私はそもそも◯◯の書いた詩と括らないけどね。 ↑話の流れに乗っかってるよね?

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rona
rona
作品へ
(2024-07-08)

あぁ、谷川作品⇔商業的って前提の話って事?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

前提にしてはないね。 それは僕個人の捉え方。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

じゃあ◯◯に谷川と入れたら良かったって話?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

俺が言いたいのは、主語として作者名を付けているのであって、別に括っているわけではないよ、という話。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

類さんは私のコメントが誰宛だと思っているの?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>私はそもそも◯◯の書いた詩と括らないけどね。 これはまるで誰かに宛てたような書きぶりだよね? 俺も田中さんの詩、谷川俊太郎の詩と括るように先述したので、俺にも当てはまる書きぶりだよね?

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rona
rona
作品へ
(2024-07-08)

いや、類さんのコメントからは括ってないと感じたけどね。私がちょっと違和感を感じたのは「誰々の詩だから嫌い」という括りであって、類さんは誰々の詩も好き、誰々の詩も好きって言ってるわけで、まぁ括っているかは微妙なラインかもしれないけど前者とは違うニュアンスを感じる。 そういった流れの中で私は◯◯(誰々)という括りでは考えず一遍一遍の詩で好きを判断する、という意見を表明したわけで意味は通じるだろうし話の流れには乗っていると思うけど。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

誤解のないように付け加えると「◯◯誰々の詩は嫌い」という意見を批判しているわけじゃないよ。例えば私は谷川詩集を一冊しか持っていないし特別なファンでもないけど、その詩集の中にスペシャルに好きになった作品があったからこう感じましたって話。ビーレビでもこの人の作品苦手と思っていてもその人が書いた一編の詩がスペシャル好きななったこともあるからね。「誰々の作品が嫌い」って明確な嫌いがちょっと不思議ではある感じかなー

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>ちょっと違和感を感じたのは「誰々の詩だから嫌い」という括り 誰々の詩と括らずに一つ一つの詩で好き嫌いを判断するという話であれば、宛先が「作品へ」となっているのも相俟って、この話の流れに乗った全員(自分も含めて)に対する指摘に見えた。 誰々の詩だから嫌いというのは視野が狭いと思うが、誰も先入観をもって嫌っているわけではないからronaさんの指摘には違和感を覚えてしまう。 俺も一つ一つの作品で好きを判断するし、みんなそうじゃないかな。 田中さんに対する指摘だったのかな? 田中さんは谷川俊太郎の詩があざといから嫌いなのであって、誰々の詩だから嫌いとは言っていないような。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

俺もそういう感じで誰々の詩と括らずに、一つ一つの詩が好きだよ。一つの詩が好きだからと言って、その作者の書いたもの全てが好きになるわけじゃないし逆も然りで、全てが嫌いになることはないね。それはみんな同じだと思うよ。

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-08)

好きとか嫌いとかいう情動には合理的理性的なものは あまりないように思えるから議論の対象になるのかどうか は置くとして、まあ、そのようなものだから、ふつうは 嫌いといえばその全部が嫌いになるし(ぶどうパン嫌い だけどぶどうだけ食べるひともいるだろうけど) わたしが谷川シュン太郎が嫌いなのはあの顔だね。 若いときの阿呆丸出しの顔も嫌いだけど、歳食ってからの 変態みたいな気色悪い顔にはぞっとする。 だけどあの忘れ物の詩とか手先でうまく書くものだけど、反省って ものがあの爺さんにはあるのかな?

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takoyo2さんへ
(2024-07-08)

>嫌いといえばその全部が嫌いになるし(ぶどうパン嫌い >だけどぶどうだけ食べるひともいるだろうけど) 例えが適切ではないように思う。作者は例えるならパン屋であって、作品がパンなんだよね。 同じパン屋でもぶどうパンが嫌いだからと言って、何でもいいがカレーパンとかあんパンが嫌いになるわけではないから、 >嫌いといえばその全部が嫌いになる は違うと思うなぁ。全品がぶどうパンのパン屋なんて無いからね。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-08)

精神分析学のようなものを多用した詩の批評、 やるのは個々の自由だから否定はしないけど...... まず「精神」という翻訳語が間違っている。 「心的現象」といってもらいたい。 これまで「精神分析学」と呼ばれてきたものは 「心的現象」を頭でっかちな連中が得て勝手な主観で 憶測していただけだと、考えられる。 「精神」を分析しているのではない。 一ミリだって彼らに「精神」は分析できていなかった。 無理もない。精神は既存の心的現象学の対象にはできないからだ。 つまりどういうことかというと、詩のような高度な 精神的な営みを心理学(心的現象論)のようなもので扱うと 薄すぎたなく穢れるということです。 今どきの出鱈目なポスト・モダン思想も同じです。 (あ、今思い出したけど「ソーカル事件」なんてものもあったね) あのような事件でポストモダン思想がかんたんにマンガ化されて しまうのは 実は「精神」というものが(現代日本の文芸批評家もそうだけど) 哀れにも頭でっかちには、 片鱗も理解できないことからくる悲喜劇だったわけだ。 わたしがいいたいのは詩のような極度に精神的な営みにおいては、 ポスモだろうが心理学だろうが、係わってもらいたくないという ことです。(とはいえ「ポスモ批評」をやるのは御本人たちの自由だけど) それは詩の領野を汚すから大変見苦しい。 「精神」の分析学などまだ始まってすらいないのです。    騎士の足下に 水がひかって    小川は ガラスよりも 透きとおっている          ─アレクサンドル・プーシキン─ こういった詩句がもつ精神性を無理にポスモやろうとすれば如何様 にもポスモ的な批評はできるかもしれない。 でもそれは、あまりにも下世話だ。 ゴキブリがテーブルの上のごちそうに這い回るようなものだ。

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takoyo2
takoyo2
類さんへ
(2024-07-08)

そうですか。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
ronaさんへ
(2024-07-08)

ronaさん、明晰な頭脳ので詩を読み解く、或いは詩という文芸を勤しむ。その対語のような存在が例えば私自身で、これはどちらかと言えば、という曖昧さを含めた極論として解釈してください。 下の方で谷川俊太郎詩の(あざとさ)について少し話題になっている様子ですが、あざとさ、田中宏輔さんのコメントからですが、詩についての(あざとさ)とは、俗に言う(受け狙い)を指す意味で、これには詩的に、あまりにも詩的に見え透いた表現だ。という意味も含まれていると思われます。 例えばM1グランプリの会場で、いままさに漫才コンビが客席に笑いの渦を起こしました。傍らで審査する人たちも同じく笑いますが、それは至って冷静な笑いです。  何故こんな話しを例えに持ち出すのか、といえばこの三者、といっても漫才コンビとそれを見ている客席の人たちに審査する人たちです。そこには共通する認識が働いている。ということです。それは(あざとさ)というお互いに受け狙いを承知の上での共通認識ですね。漫才コンビは受けるを意識して意図的なお笑いを作り上げる。それを見つめる客席も審査員も受ける笑いを待って聞いている。この(あざとさ)とはエンタテインメントに於いて互いの共通認識とも言えるのでしょう。では、では詩はどうでしょうか? もちろんはじめからあざとさを狙って書く人は少ないでしょう。中にはいるかも知れません。読み手の我々はどうでしょうか。何を求めて読むのか、といえばそれは刺激であり感動でもあり、読み解くための自らの向上目的という勉強でもあるのです。 話しが逸れましたが、詩に於いてその(あざとさ)とはやはりそれを受け止める読み手があってこそ成り立つもので、対象となる読み手がいなければ(あざとさ)も必要はなくなるのです。 そう捉えれば私たち。詩を投稿して人目に晒して評価を受ける者たち。果たして(あざとさ)を一切含ませずに私は書いている。と言いきれる人は何人いるのでしょうか。逆に言えばそのあざとさが含まれてもいなければ、わざわざ投稿して人目に晒す意味もないのです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
田中宏輔さんへ
(2024-07-08)

田中さん、べつに好き嫌いは当然あっていいのだけれど詩が「あざとい」ので、~ではお聞きしたい。「あざとさ」のない詩を書かれている詩人はどなたでしょうか??教えてほしい。 海外の翻訳された詩は駄目ですよ。半分は訳者の言葉が混じりますからね。

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takoyo2
takoyo2
類さんへ
(2024-07-08)

類さん、 ありましたよ。 あんぱんしか売ってないパン屋さん。笑 https://www.ecute.jp/tokyo/shop/378 カレーぱんじゃないけどね、 八ヶ岳アウトレットにカレーパン専門店あるみたいです。 たぶんインドあたりにはあるかもしれない。 あの、何度もいうけど 人の意見は「太いラインで読みましょう」。 わたしの意見の眼目は「好き嫌い」という感情は合理的理性的なものじゃ ないから論理的な議論の対象にならないかもというものです。 その例ととして「ぶどうパン」を出したのであって、そんな ことの是非なんか問題じゃないのです。 類さんがわたしに反論するならば「好き嫌い」という心的現象 についてお願いしたいですね。 それなら幾らでもご意見をお聞かせ願いたい。とても興味が あります。ぶどうパン云々についての議論をするのならもう 結構ですよ。

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takoyo2さんへ
(2024-07-08)

笑わせるなよ(笑) 俺も例として「パン屋」を出したのであって、そんなことの是非なんか問題じゃないですよ。 こちらこそ言わせていただきますが、人の意見は太いラインで読みましょうね。 好き嫌いは仕方ないですよ。それしか言えません。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-07-08)

まあ……メンタルが強いというよりは、Pixivでやってた(というか、今でもやってるけれど)ときの経験が生きてるというか……。 千以上も怪文書を書いてたら当然のことながら厳しい言葉にもぶつかるし、自分の作品とはまったく関係ない諍いにも巻き込まれる。 そうでなくても、数万以上の作品の中には自分の心を傷つけるものもある。それが僕個人への攻撃ではなくともね。 あと、天才やとんでもない実力者だっている。Pixivは投稿上限が無限であるからこそ、作品数も膨大になる。そんな激戦で自然と磨きあげられた人とかがとんでもないものを書くことがあるんだ。 (だから、ほとんどの詩の投稿サイトが設けてる投稿上限にはたまに疑問が湧く。母数が多ければ多いほど、良い作品という名の分子も増えると僕は考えてる。作品で示したくても、その作品が投稿できないと……ね) ……まあ、そういった人に出会えば悔しさとかも湧くし、挫けそうにもなる。明らかに二次創作じゃなくて一次創作を書いてデビューするべき人もごろごろいるのもPixivの特色というか。 そんなわけで、メンタルが強いというわけじゃないんだ。ただ、もうこれくらいでは怯まないぞという精神が強くなってるだけで。さすがに傷つくときは傷つく。

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rona
rona
作品へ
(2024-07-08)

>誰も先入観をもって嫌っているわけではないからronaさんの指摘には違和感を覚えてしまう。 まずあなたはこの話に乗っている他の人の気持ちや考えをあなたの尺度で想像して代弁すべきではないです。「誰も」とか「みんな」とかね。私の発言に対する解釈はそれぞれがされるでしょうし、そこに異論があれはそれぞれが発言すればよいことです。 >誰々の詩だから嫌いというのは視野が狭いと思うが、誰も先入観をもって嫌っているわけではないからronaさんの指摘には違和感を覚えてしまう。 皆さん先入観ではないと思っていますよ。それは当然作品を読んでの話でしょう。 私はもしあざとい詩が嫌いなら逆に個人の名前を出す必要なないと思いますけどね。そこはあなたとの解釈の違いでしょうね。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>皆さん先入観ではないと思っていますよ。それは当然作品を読んでの話でしょう。 そう、当然の話をしたまでで、他者の気持ちを想像して言っているわけではないんですよね。誰もとかみんなとかね。 >私はもしあざとい詩が嫌いなら逆に個人の名前を出す必要なないと思いますけどね。そこはあなたとの解釈の違いでしょうね。 知りませんよ、そんなこと。 >誰々の詩と括らずに一つ一つの詩で好き嫌いを判断するという話であれば、宛先が「作品へ」となっているのも相俟って、この話の流れに乗った全員(自分も含めて)に対する指摘に見えた。 から、ronaさんに尋ねたのであって、それ以上に深い意味は無いんですよね。

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rona
rona
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-08)

お返事ありがとうございます。 『明晰な頭脳』に関しては了解しました。ただ他の言葉に置きかえられる気がしますがそれぞれですからね。 『あざとさ』に関しては全く同意です。(明晰なご意見だと感じます)私の意見を付け加えるとしたら、どの作品にも含まれる「あざとさ」を「あざとい」と感じるかどうかは読み手次第だと思います。蛇足になりますが個人的に私が「あざとさ」を感じるのは文極作品に全般かな。自身の作品も含めてね。笑 ああいった場に飲まれて認められたいという心理が書かせていたから。そういった邪な心理を大分抜け出せたのは最近です。だから過去の作品は全部葬りたいのですが、あそこは消してくれそうにありませんね。笑

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

>知りませんよ、そんなこと。 だからあなたが想像して代弁すべきじゃないですね。ってこと。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

代弁じゃないですよ。 何度も繰り返しますが、 >誰々の詩と括らずに一つ一つの詩で好き嫌いを判断するという話であれば、宛先が「作品へ」となっているのも相俟って、この話の流れに乗った全員(自分も含めて)に対する指摘に見えた。 から、ronaさんに尋ねたのであって、それ以上に深い意味は無いです。 これは俺個人の質問ですよ。他の人の感じ方についてはどうでもいいです。 その質問に対して、 >ちょっと違和感を感じたのは「誰々の詩だから嫌い」という括り というronaさんの補足があったから合点がいきました、ってだけです。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

>他の人の感じ方についてはどうでもいいです。 だったら「皆」「誰も」と他人の意見をあなたの主観で話すのはやめてね。話がもの凄くややこしくなる。主語は「僕は」「私は」の話にして下さい。私からはそれだけ。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>皆さん先入観ではないと思っていますよ。それは当然作品を読んでの話でしょう。 ronaさんも「皆さん」と使われているではありませんか。でもそれを代弁とは思いませんし、他者の意見をronaさんの主観で話されているとは思いません。先ほど述べたように、当然の話をしたまでで、他者の気持ちを想像して言っているわけではないんですよね。誰もとかみんなとかね。ronaさんが「皆さん」と使われたように。 一応、念の為にお聞きしたいのですが、なぜ「皆さん」という不特定多数の大きい主語を使われたのですか? 決して、一人称で自分の意見を言えないからではないと想像します。さらに説得力を持たせるために使われたわけではないことも承知しております。 ただ、そう思うからそう言っただけに過ぎませんよね。それと同じことです。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-08)

ヘッセの詩を誰が訳そうとも、それがヘッセの言葉であるという何も変わりはないと思うんだけれども……。 なんか海外の詩あるいは詩人を例に挙げようとすると、訳者がどうのこうのと言われてうやむやにされるのって、どうかと思うんだ。

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takoyo2
takoyo2
類さんへ
(2024-07-08)

>作者は例えるならパン屋であって、作品がパンなんだよね。 >同じパン屋でもぶどうパンが嫌いだからと言って、 >何でもいいがカレーパンとかあんパンが嫌いになるわけではないから、 だからぁ わたしは同じことを言ってないかい?笑 「ぶどうパン」は比喩だよ? つまりきみのいう「パン屋」と 同じ比喩であり同じ意味なんだけど、どう違うの? きみ風にいえばいいのかな? それならきみ風にいえば パンが作者でありぶどうが作品であるということになる。こんな こと間違えるのはきみくらいなものだよ? 頭を冷やしてはどうかな? 論理にもなににもなってない。 笑わせられたのはこちらだが。 それときみのコメントは底が浅すぎてつまらないんだよ。 もう少し、頭を働かせてものいって下さい。みんなみてるんだから。

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takoyo2
takoyo2
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

>ヘッセの詩を誰が訳そうとも、それがヘッセの言葉であるという何も変わりはないと思うんだけれども……。 >なんか海外の詩あるいは詩人を例に挙げようとすると、訳者がどうのこうのと言われてうやむやにされるのっ >て、どうかと思うんだ。 申し訳ないけど、類くんと同じくきみも上記のようなこと、ここ以外であまり 口にしないほうがいいよ。 いや、ここでもあまりこういうことはいわない方がいい。中学生の集まりかと 思われるよ。まあ、べつに中学生の集まりでもいいけどね。笑

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takoyo2さんへ
(2024-07-08)

>ぶどうパン云々についての議論をするのならもう >結構ですよ。 あれ?

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-08)

まあ、それはそれとして、翻訳できない何かがそれぞれの言語にあるのも事実だから、そこで訳者の言葉が混ざるという余地が生まれるのだろうけれど。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-08)

あと、類さんとronaさんもそろそろコーヒーでも飲んで落ち着きなさい。 ……ということを別の場所で言ったら「お前のようなサロン根性が気にくわない」と言われたことあるけれどね。

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takoyo2さんへ
(2024-07-08)

悔しいからってあの手この手と反論を持ってきて可愛らしいじゃないですか。 >パンが作者でありぶどうが作品であるということになる。 だから何なんですかw それこそ俺が言っていることと同じじゃないですか。そうだね、俺風に言えばそういう事になるよ。 ぶどうが作品なら、チョコもあるし、バターももあるし、イチゴジャムだってある。 でもね、takoyo2さんが言っていたのは、 >嫌いといえばその全部が嫌いになるし(ぶどうパン嫌い >だけどぶどうだけ食べるひともいるだろうけど) という白黒思考の発露なのね。そこを指摘しただけだが? もっと人の意見は太いラインで読みましょうよ。お願いしますね(笑)

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
類さんへ
(2024-07-08)

だから類さんも落ち着きなさいって。あんなのに返信したって延々と時間を食うだけになっちゃうし。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-08)

そうだ、話題を変えよう。 好きなおにぎりの具材とか、そういうのにしよう。それも立派な詩の題材になるかもだし。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-07-08)

ちなみに僕はシーチキンが好きだ。それで詩を書ける自信があるくらいには。

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-07-08)

谷川俊太郎の詩でよいものもあるが 初期のもので、あざとさのないものである。 ぼくは自分自身を満足させる作品をつくっているだけで どう読まれるかなんて気にして書いたことがないので そこを計算してつくっているようなあざとい詩は好きじゃないというだけの話。 どういうふうにつくっているのかわかるんだよね。 あざとい詩って。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

違いわからないのかな? rona >【皆さん】先入観ではないと思っていますよ。 =「私は」(主語)「皆さん先入観ではないと思っていますよ」 類氏 >言いたいことは分かるし共感するが、〇〇という主語を抜きにして詩を語っても、話の流れが成立しないんじゃないかな。【みんな】、主語として言っているのであって、深い意味は無いと思うけどね。 じゃあ聞くけど、 あなたの意見に【みんな】を含む根拠は?

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rona
rona
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

>あと、類さんとronaさんもそろそろコーヒーでも飲んで落ち着きなさい。 私は落ち着いてますよ。昼間は仕事の合間に返信してるししつこいからイラッとしてるけどw 類氏が納得されずに返信してくるから誠意として返してるけど無視していいのかしら?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

>=「私は」(主語)「皆さん先入観ではないと思っていますよ」 それが通るなら、自分の、 >【みんな】、主語として言っているのであって、深い意味は無いと思うけどね。 だって、「俺は」(主語)「みんな、主語として言っているのであって、深い意味は無いと思うけどね。」 も通ると思うよ? 後、根拠を挙げるとすれば、全員、田中さんの詩ひいては谷川俊太郎の詩、と述べているけど、別に括っているつもりではなく、深い意味もなく、話の流れとして誰々のという主語を付けていると「思う」のであって、 ronaさんの、 「私はそもそも◯◯の書いた詩と括らないけどね。」 という発言からまるで、「私=ronaさん」以外の人は〇〇の書いた詩と括っているように窺えるのですが、その根拠はどこにあるの? というのが俺の最初の疑問だったわけ。

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takoyo2
takoyo2
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

テイムラー隆一くん、笑 「あんなの」ですけど、あのさあ、交響曲だって指揮者が違えば まったく違ったものになる。 まして翻訳なんてのは訳者の感性や文体次第で全然違う文学になるのだよ。 わたしは悪口いわれても平気だけど詩を書く者が小学生のようなことを いっちゃいけません。あと類くんも、もう相手にしないけどあまりここで 二人で恥を書くものじゃありません。笑

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

わからないならもう少し突っ込みましょうか。 >俺も一つ一つの作品で好きを判断するし、【みんな】そうじゃないかな。 >【田中さんは】谷川俊太郎の詩があざといから嫌いなのであって、誰々の詩だから嫌いとは【言っていないような。】 私が言っているのはこういう曖昧な【みんな】や【誰か】が意味があるのかって話。

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ronaさんへ
(2024-07-08)

論点のすり替えじゃないかね。

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takoyo2
takoyo2
類さんへ
(2024-07-08)

類くん、類くん、 もっと肩の力抜きたまへよ。 あまりにも些末なことで喧嘩ふっかけ 杉だよ。笑 きみたちの優秀なレベルはよ~~くわかったから 知らない閲覧者のみなさんが引くような ことを書かないほうがいいような気がするけどね。

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rona
rona
類さんへ
(2024-07-08)

主語は主語でもあなたが使っているのと私が使っている意味合いが違うでしょう? 私はあなたも言う当たり前(谷川作品を読んでいるのは【皆さん】前提で、というごく当たり前の説明をあなたにしただけ)あなたのは自分の意見に他人の意見を想像して挿入している類のもの。それが分からないならこれ以上は説明不可能。以降返信しません。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-08)

それにしても、ここまでひどいとは思わなかった。 これじゃお茶、お花、料理をやっている方々のほうが よほど文学や詩がわかっている。 類くんもテイムラー隆一くんも もっと大人の意見を謙虚に聴く姿勢をもってほしいな。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
ronaさんへ
(2024-07-08)

ところでronaさんって好きなおにぎりの具材とかってある?

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ronaさんへ
(2024-07-08)

そうですか。 ありがとうございました。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
類さんへ
(2024-07-08)

あと類さんとかもあるなら教えてほしいな、好きなおにぎりの具材とか。

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rona
rona
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

なごみ、ありがとね^^; いや、おにぎりを深く追求したらシンプルに「塩」じゃないか、と。笑 昔、急に具合が悪くなって(貧血かなんか)横になって晩ご飯が食べられなかった時に、元カレが塩でおにぎり作ってくれたんだよね。多分あれが一番美味しかった(しみじみ)笑

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
ronaさんへ
(2024-07-08)

すごく美味しそうに聞こえる……! 確かにシンプルさがいいよね。塩むすび。 僕もたまに食べたくなるし。

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テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

好きなおにぎりの具材かぁ。 福岡出身なのもあって、明太子だね。 >ちなみに僕はシーチキンが好きだ。 シーチキンもいいね。 おにぎりと言うと、運動会を思い出すなぁ。 思い切り走った後に食べるおにぎりは最高だったな。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
類さんへ
(2024-07-08)

わかる!運動会のお弁当はどことなく不思議と美味しさを感じるというか……。

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テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

うんうん

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
田中宏輔さんへ
(2024-07-08)

田中さん、今頃になってあなたの矛盾した発言をまた眼にすることになる。 ~どう読まれるか、なんて気にして書いたこともないので~ あなた文極のはじめの頃、ご自身の作品に対しての不評は受け付けなかったですよね。スタッフにも泣きついてどうにかしてくれとか、やりとりがくり返されると、やれストーカーだ。出禁に欲しい。とか、言ってませんでしたか? どう読まれるか、なんて気にして書いたこともないので~ これは可笑しいですよね。気にしてもいない人が不評を眼にすると感情的になり受け付けられなくなる。評価を気にしている証拠じゃないですか。たいへん矛盾した発言だ。 普通に考えれば可笑しいですよね。     まあ、でも良しとしますよ。追及はしません。その矛盾があなたの内包された個性でもある。「あざとさ」なんて内心承知の上で投稿しているのです。その「あざとさ」も創作のうえでは発動力にもなる。谷川俊太郎。いいと思える作品もあるのでしょう? 1つの作品だけを取り上げてだからあの方は嫌いだ。というのは理由にはならない。その作品を指して言うべきでしょう。そう思いますよ。わたしは。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-08)

●1文極のはじめの頃、っていつの頃のこと? 大昔の話だぞ? ●2「その作品を指して言うべきでしょう。」と大見得を切って言うなら   アラガイsこそ田中さんの「どの発言をさしていってるのか」具体的に資料ださなきゃ。 わたしはそんなもの見たことがない。また妄想でも浮かんだのかな? ●3 「どう読まれるか?」 と 公の掲示板に「う書かれるか」とでは次元がまったく違う。   いっしょにしちゃ可哀想だ。 ●4 いずれにせよまたアラガイsの粘着の始まりだ。そういうの、いい加減やめられないの?

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
takoyo2さんへ
(2024-07-08)

おいタコ爺。おまえも散々けしかけて出禁の脅しを被った一人なんだから、身に覚えが無いよ。とは言わせねーぞ。この八野郎。兎に角田中宏輔氏へのコメントにはみんなが気を使った。惚けるんじゃないよ ったく。覚えてるだろーに。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-08)

1大昔の文極のはじめの頃(20年前)、 2みんなが田中広輔さんへのコメントに気を使った? 3そんなことはなかったとおもうが、 4バ●がそう妄想するのは自由だとしても 5根拠も資料もない妄想を持ち出して 6田中さんにからむのを見ると 7あたまがお●●●としか思えないのだが。笑 8こんなキ●●●を抱えているビーレビも大変だ。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-08)

そういえばメルモさんや。話は急に変わるが、好きなおにぎりの具材とかってある? いや、ronaさんや類さんには聞いたけれど、メルモさんには聞き忘れてたからね。

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-07-08)

あと、あづささん。何のとは言わないけれど、資料を頼む。文極の情報をきちんと収集できるのはあづささんだけだし。 ついでに好きなおにぎりの具材とかも教えて。

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澤あづさ
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

おりしもきょう自ブログのコメ欄に好きなおにぎりの具について書きましたが、通知の返信がどこにあるのかもはやわかりませんよこのカオスは。そのうえわたしは10日までに推薦文を仕上げねばならず多忙です。とりあえず所見のみ。 アラガイさんの田中宏輔さんへの意見そのものには、大きな誤解があると思いますし、わたし自身は賛成しません。いっぽう単なる客観的事実として、田中さんの文極でのふるまいに関するアラガイさんの指摘は、おおむね事実に即しています。田中さんは詩壇にも名の通った詩人なので、文極では調子こいたやからにからまれやすかった。それら粘着への反応が過剰になることや、粘着に過敏になるあまり粘着でない人を誤解することがままあった。つまり過去に問題行動があったのは事実ですが、ケムリさんやいかいかさんのような罵倒家とは違いますから安心してください。またアラガイさんは田中さんの敵ではありません、むしろ愛読者ですからこれも安心してください。 ソースはあるので11日以降なら出せますけど、出す必要あるのですかね、田中さんご本人がアラガイさんを糺弾しているわけでもないのに? うちのマストはおかかと刻んだベビーチーズの焼きおにぎりです!

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テイムラー隆一
テイムラー隆一
澤あづささんへ
(2024-07-08)

まあ、確かに必要ないかもしれないけれど、資料や根拠を見せてほしいという第三者がいるかもしれないからね。できれば、いないものとして扱いたいんだけどさ。メルモさんへの助け船というわけじゃないけど、ソースがあれば他の人がこれを見るときに当時の文極についても知ることができるだろうし。 ベビーチーズの焼きおにぎりか……いいね。食欲がそそられる……。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
テイムラー隆一さんへ
(2024-07-08)

僕はパン、それもちょっと味の付いた葡萄パンなんて大好きなんだけど、日本人ならば米を食え!と米食をすすめる人もいる。反発を覚えたりもしてたのだが、これも最近は頷ける。やはり何日もお米から遠ざかると何か力が入らない。気のせい?気のせいかも知れない。でもやはり恋しくはなりますね。よく玄米とかを混ぜて炊いてます。  おむすびは絶対に海苔巻き派。中身は昆布から梅干しおかかとスタンダードなんでも。おむすび味噌汁。+卵焼き。日本人のソウルフードには間違いないです。 澤さんのコメントにもあるが、田中宏輔さんが最初に来られて、まあ、わたしもほぼ同時期なのだが、文極に衝撃が奔ったのは事実で、しばらくして彼に少し耐性が欠けているのも浮き彫りになるわけですが、あの頃は確かに辛辣で酷いコメントもあった。はじめの頃は彼の詩も多くから否定されてましたからね。ずいぶん悩んでるとの書き込みもしていた。だが文極も終わる何年か前の頃にはすっかり耐性も備わっていて、あの頃のやりとりは楽しかった。 まあ今回の件も?というだけで、べつにわたし個人への受け答えでもないので気にはならない。もう昔のことです。   それにしてもすっとぼけるタコ爺めの、takoyo2氏の冗談には刺身が食べたくなってくる。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-09)

アラガイsの田中さんに対するコメントが なぜ下品かというと、 田中さんのハードルのなかでも一番低いところを こえようとするその心根の卑しさにある。 猫でもまたいでいきそうな、地べたに置かれたハードルを こえてうれしいのか。   "おまえぇー、大むかしぃー、文極でぇー、   こんなこといってたくせにぃー" って、(笑 )おまえガキか? 田中さんの頭をこえろとはいわない。 一生かかってもおまえには無理だ。でも、 せめて腰のあたりのハードルをこえようとしてはどうだ。 大きな挑戦になるからおまえが死ぬまで無理だろうけど。 おまえや類とかいう子どもが、 相手のコメントの一番どうでもいい部分、本題とかけ離れた、 ハードルの一番低いところをさしてギャーギャーわめくのは 頭が悪いし、自信もないからだが、おまえの詩が下品なのもそこに 因がある。詩人にとくゆうな或る異常な部分への虫のような指向性があって それを感性だけで受け止めている。思想も倫理も世界観もなにもかもありゃ しない。あっても人の受け売りだけだ。それでどうやって人さまの批評が できる? 詩は全部人の物真似だとはいえ、詩人にとくゆうの異常性が 誘蛾灯のようにある種のポエジーをもたらし、●●がそれを評価している。 アラガイsよ、おまえは糞を好む虫のように可愛い部分もあるとはいえ、 光のもとにさらせばしょせんは、ただの●●者だ。 今後はレベルの低い批判なんかできるだけ抑えて、腰は無理だろうから せめて田中さんの膝あたりのハードルをこえるよう努力してみることだ。 それとおれの投稿に、その薄汚い下品な言葉を小便のようにかけるのは ほんとうにやめてくれ。他の閲覧者の邪魔だ。この通りだ。二度とお断りだ。 おれへの批判は、この談話室?だけにしてくれ。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-09)

おはようございます。 >嫌いといえばその全部が嫌いになるし(ぶどうパン嫌い >だけどぶどうだけ食べるひともいるだろうけど) これ気になって一日考えたんですね。 私が苦手と思っていた方の作品でスペシャル好きな作品があったというのはビーレビの話がなんですが、匿名投稿で出されていて(この方はよく匿名投稿されるんですが殆ど同じ作風だから誰だかわかるんですが)、これまでの作風とは全く違っていて誰か分からなかったんです。だから先入観なく読めた事もあって写真でいう所の奇跡の一枚、奇跡の一作だったかも知れません。 谷川さんの作品に関しては私は詩集一冊で判断しているので、その中で特に谷川さんの作品を嫌う理由がなかったので(嫌いの中の好きな一作ではないので)当てはまらないと思いますが、「嫌い」という強い感情や認識が前提にあるならtakoyo2さんのご意見に頷けるものがあると感じています。 でもどうだろう…例えば谷川さんが匿名投稿でビーレビに投稿したとしてtakoyo2さんは絶対に嫌いと感じるだろうか?takoyo2さんの嗅覚なら嫌いと判断されるかも知れません。 つまり何を言いたいかといえば、嫌いという根拠が明確にあれば、どういうシチュエーションにおいても判別出来る確固たるものがあるのだろう、とそんなふうに思いました。 まだまだ考察が浅いですが、私はまだ本当に詩を読んでいないのだろうと、一つの気づきを頂きました。

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-09)

おはようございます。 「好き嫌い」という情動については実のところわたしにも よくわからないんです。冷徹な審美眼をもつあの田中宏輔 さんですら「嫌い」という感情で谷川俊太郎を評価したこ とはわたしには少なからず驚きでした。 (ほんとうは谷川を嫌いといったのではなく「あざとい」 手法が嫌いなのでしょうけど、ひとまず置いくとして) そこで、なぜおれは谷川シュン太郎を嫌うのか?あらためて  じぶんの心の中を覗いてみるきっかけになりました。 嫌いな作家の書くものは全部嫌いなのかと問われれば、確た る理由もなく確かに嫌いですね。 谷川俊太郎だけでなく村上春樹など名前を聴くだけでもじん麻 しんが出るほどです。 わたしの想像ですが多分、谷川の詩が好きな人は村上の小説 も好きなんじゃないでしょうか。  嫌いという根拠が明確にあれば、どういうシチュエー  ションにおいても判別出来る確固たるものがあるのだろう、 ということですが、わたしの場合は文体ですかね。文体ですぐに わかります。 そもそもわたしが日本の小説や翻訳本を近年読めなくなったのは 文体がすべすべつるつるの無国籍的な翻訳調になったからです。 そのためにあれほど大好きだった海外の探偵小説やスパイ本までも 読めなくなりました。翻訳文がすべてワンパタで、次のセリフまで 予告できてしまう─のです。 内容がいかほどよくても、思想がいかほどすばらしくても、文 体に個性がなければ どういうわけかいっさい受け付けない体質になってしまった。 もうこの二十年ほどまったく本が読めなくなりました。 たとえば難波にある総合書店ジュンク堂にいって一階の数千冊の 本を片端からめくる。数行をみた瞬間、どの程度のものかわかる ので、数百冊の本を次から次に開いては本棚に戻す。 わたしが読める本がない。二階にもゆく。探偵小説スパイ小説など 文庫本の棚が並んでいる。女性には申し訳ないけど女性翻訳者の 手掛けるハヤカワや新潮などの翻訳本はすべて同じ調子で翻訳され ているから読めない。どれほど人気の新刊でも読めない。 この二十年でジュンク堂に何度も通って買った本は、つまり文体が 個性的であった小説はただの一冊でした。内容で買ったのではなく さっと開いたときの文体の特異さ、ゴッホやモディリアーニのよう な、なにか違う筆致! それが小説を買う決め手です。その本の タイトルは『さゆり』でした。これ、米国人が日本語で書いてい たのを知らなかったのですが、中味も抜群に面白かったの久しぶりに 読書に熱中できました。多分、 わたしが読める文体だったので面白味も倍加したのでしょうね。 そういう文体キチガイのわたしからすると谷川も村上もどんなシィチ ュエーションであっても、どこでみても あ、これは嫌いだということになると思います。 どの文体もこちらに虚無を感じさせるほどにつるつるの無国籍な、 な~んにもない文体なのです。 これって何なのかというと.......たぶん今の飽食平和日本人が陥った 闇なんじゃないかと思っています。 ここまでいうともう気づかれていると思いますが、わたしは、現在の 日本の作家、詩人たちの書くものは全部嫌いです。 谷川や村上は今の日本人、飽食平和の虚無に陥った日本人が つくった作家、詩人だとおもいます。

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-09)

あ、すみません。『さゆり』という小説アーサー・ゴー ルデンが日本語で書いてはおりません。日本人の独白の ような設定ですが翻訳者がいました。小川高義さんです。 これはモデルになった藝妓さんがニューヨークに住んでいて その方から巨額の訴訟を起こされたのです。そこで当初、日本人が 書いた設定になっていたのがちょっと変わったようです。 もっともゴールデンは財閥の息子ですから多少の賠償金で ゆるぐわけもないのでしょうが。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-09)

レスポンスありがとうございます。 文体でしたか。私は思考、思想的なものを読み解かれての事かと思いました。(まずは文体ということなのかな?) 谷川俊太郎と村上春樹、なるほど…私は村上春樹が苦手なのですが(初めての読んだ春樹が『ノルウェイの森』で気持ちが死にかけました。笑 内容もそうですが文体がやはり私にはマイナスオーラなんですよね)、谷川さんはそんなに苦手感はないような…でも仰ることはわかります。 『さゆり』は映画化されて話題になったのが記憶にあります。関心はあったのですが、忙しさで観忘れていました。原作(翻訳)、どんな文体なんだろう…経緯も興味深いですね。機会をみて読んでみます。

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-10)

おはようございます。 ようやく体調がすこし戻りましたのでご返事など書いてみよう かとおもいました。 『さゆり』の映画化の話ですが、 あれを映画化するのはむつかしいと思っていました。 まして外人があれを映像化したら富士山芸者天ぷら花見と いったゲテモノ日本趣味であふれた奇怪なものになる可能性がある。 事実そのような気色の漂う映画だったようです。 『さゆり』という小説は実はおカネ、つまりマネーですね、 マネー=お金の純粋さについて書いてます。 ホリエモンがかつてカネほど穢れのない無垢なものはないといった ことがありますが、お金というもののそういう性質を描いている、 それが『さゆり』という小説です。 もっともお金というシステム自体にそういう性質があるはずもありま せんから、実質はお金をそのようなものにしてしまった花街の世界 を描いたといったほうが正確かもしれませんが。 わたしはそう読みました。そこら辺はやはり書いたのが財閥家の息子 (ニューヨーク証券取引所の創設者ベンジャミン・セイシャスの 曽孫にあたる)だから自然にそれが出てしまったのだと思います。 そこを映画化できていないというこでは 『さゆり』ファンとしてはちょっと困った出来事でした。 そこで、 えーと、文体はただの文体であって、思考、思想ではない......のか ということをちょっと考えてみたのですが、文体には、 本人には誤魔化しようのない思想、思考、感性、性格が出てしまう ような気が.......個人的にはするのですよね。 思想、思考といっても誰々は●●という考えを抱いている というような具体的な指摘はできないんですけど。 口でいろいろ綺麗事の思想哲学を語ることは出来ます。では、 そのことばがほんとうにその人の思考、思想、哲学であるかというと わたしには疑わしいのです。 それよりは文体にその人が出ると考えています。 ではわたしがいう「文体」とは何かというと、 ことばの配置です。空間的な配置につきると思います。 ある言葉を空間に配置してひとつの文章をつくるにはまずことばの 選択があります。 ある文章の冒頭にどんなことばが来るか。末尾にどんな単語がくるか。 そのことばがどこに、どのように置かれるか。 それは物質名詞なのか概念なのか感嘆詞なのか。主語なのか、三人称 なのかetc.... そのように、作者があることばを選択─配置するとき、そのことば への意思(こころの動き)が文体をかたちづくる。と考えてます。 この、言語の配置ということなんですが.....、あることばが作者に選択されて文章 上に置かれたとします。そのとき、 ことばはその前後に配置された語句によって転換される。 寺山修司の短歌なんかがいい例ですが上句と下句には何の関連性もないこと が多い。だけど上句が下句の本来の意味やイメージを別のものに転換して (あるいは相互に転換しあって)全体を物語に変えてしまう。 転換の結果が順接であれ逆接であれ、前後に存在する文章がなければそうはなら ないから文体とは─転換も含めての、選択と配置であるといえる。ただしその配置は ただの配置ではなく寺山の短歌に見れられるような転換をともなう。 この選択と配置それにともなう転換が決定されるとき、作者の感性や思想哲学が 関与してくる。わたしはそれを自動的に、瞬時に総合的に読み取ります。 ただ、ことばを選択─配置するときには必ずリズムもともないます。 このリズムですが。韻律といってもいいし音数律といってもアクセントと いってもいいんですけど、 要はこれも選択と配置の延長線上に属するものだと思っています。 それから行間というか間ですね。この空間性も同じく配置の延長線上にある。 つまり、 言葉はただ置かれる。 わたしは空間におけることばの配置を読み取るだけです。 内容なんか読まない。いや、最後には読むかもしれませんが、それは 文学体験としてはかなり低次元の話ということになります。 では文学にとって大きな要素である「比ゆ」を無視するのかといわれる かも知れませんが、 比ゆってのは●●のようだ、とかいうアレですね。隠喩といったり 直喩といったりします。 詩作においてはこの比ゆというものが重要視されているようですが、 わたしはあまり重要には思ってません。かなりあざとい所業じゃないで しょうか。だってすでにして選択と配置そして韻律と間(ま)の 空間性、これらが目に見えない遠大なる比ゆなのですから。 そこへわざわざ目に見える比ゆ、まるで謎解きのような、けばけばしいものを もってくる必要があるでしょうか。カラスの勝手ですけど。 しょせんは頭でっかちなインテリがそこのけとばかり首を突っ込んできたから 「比ゆ」などというものが目立つことになったのだと思っています。 まあわたしなんかふつうに直喩は使ってますけど。 話は変わりますが、一見言語配置の空間性ともみまがう ちらし寿司のようにあちこち行句を飛ばすアクロバティックな人がい ますけど、そういうものも含めてわたしは、あまり重要視しません。 たんに目が疲れるからやめてほしいだけです。              ※ 村上春樹の小説や谷川シュン太郎の詩について、なぜダメか、なぜ一部に 絶大な支持者がいるかについては思うところがあるのですがそれを語るには あまりにも語ることが多すぎるし、整理する能力にも欠けている。 ただ、戦後の飽食平和にどっぷり使って偏差値教育ばかりやっていた日本の ダメな人間がダメな人間を必要としたということはいえると思うんです。 直感でわかっているのだけどこれを展開するのはむつかしい。 今更ながら学歴のなさ、頭の悪さを嘆いています。

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-07-10)

村上春樹は、ぼくもダメなんだな。翻訳はカーヴァーのものなんか読めるけれど、彼自身の作品は、ノルウェイの森を開けたところを読んで気持ち悪くなったので、ほかの作品は読んでないのだが、文体が合わなかった。

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妻咲邦香
作品へ
(2024-07-10)

嫌いなものを嫌いと言えないこんなビーレビじゃポイズンなのかもしれないけど私は谷川俊太郎好きだなあ。なんでだろ。嫌われるのを前提にしてそういう人らを笑い飛ばしてるようなとこがね、舐めくさってるというか、舐めくさってる人ってなんか好きなんですよね。

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-07-10)

そうそう、アラガイさん。ぼくは作品をつくっているあいだは、読者はぼくひとりですので、ぼくの基準からして、自分の書くものがどのくらいの水準のものかはわかりますが、それゆえ読者のことは考えないのですが、書いた作品が他の読者にどう評価されるのかについてはわかりませんから投稿しているのです。つくる過程では、読者はぼくひとりで、判定者もぼくひとりです。言ってる意味がわかりましたか? 

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-10)

わたしも村上春樹の小説を初めて手にして読もうとしたところ 数行読んで吐き気がして驚いた。あれ、いったい何だったのだろう。 その後、いろいろ他の作品を無理に読もうとしたが無理だった。 あと、実生活における人柄がクズすぎる。 歌人の枡野浩一が目を背けるように批判していましたが、ある文芸 批評家に散々お世話になったのに、その方が亡くなってから、 あの人から生原稿を盗まれたのだなんだのと、本人が天国にいってしまって 弁解できなくなってからひどい誹謗中傷をしていた。 こいつ、人間性が完全に壊れていると思った。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-10)

丁寧なお返事ありがとうございます。(暑いのでご自愛下さいね。) ゆっくりお返事かかせて頂きたいと思いますが、他の方も書いてるので春樹について一言…私はすごくナルシズムを感じて気持ちが悪かったです。登場人物にしても、それを描いてる文体にも。余りdisるの好きじゃないですが率直な感想として^^;

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-10)

ナルシズム…メンヘラ的ナルシズムという感じかな^^;

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-10)

本題ですが、 >口でいろいろ綺麗事の思想哲学を語ることは出来ます。では、 >そのことばがほんとうにその人の思考、思想、哲学であるかというと >わたしには疑わしいのです。 >それよりは文体にその人が出ると考えています。 あぁ、なるほどなぁ、と頷きました。何となくは感じていた事ですが、 >ではわたしがいう「文体」とは何かというと、 >ことばの配置です。 ここからのくだり、私はそんなふうに読めてなかったので、目から鱗ですごく学ばせて頂きました。色んな角度、色んな抽斗を持って読めるようになるともっと面白くなるんだろうと思いました。貴重なお話をありがとうございました。

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黒髪
作品へ
(2024-07-10)

村上春樹は結構好きです。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』とか読んだのですが、 世界構築が、他の作家より、頭抜けてすごい。文体も悪くないです。村上春樹の傷つきは、一体 どこに端を発しているのかよくわからないのですが、自分の周りの壁というものがあって、とても傷つき 易い人です。暴力の問題を扱っているので、恐らく世界の不条理を捉えようとされています。 谷川俊太郎は、入院中に角川文庫の谷川俊太郎詩集を読んだのですが、大したことないな、 という感じ。特に読むに値するとは思えませんでした。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-11)

う~んとですね、 世の中に読むに値しないものなんてあるのでしょうか? たとえば村上春樹。わたしは「読もうとしても読めない」 だけで読むに値しないとは思わない。できれば読みたい。 リチャード ブローティガンの専属翻訳者で異能の人、藤本和子 の文体の模倣であることはわかっているのだけど、 それを明らかにして解体するには、頭がおかしくなるのを覚悟 して村上を読む必要がある。でも、無理だ。死んでも読めない。 まして谷川俊太郎の詩は、とりあえず上手ですよ。うまく かいている。わたしなど谷川の上手さに比べれば蟻ん子どころかノミだ。 誰かの詩を「読むに値しない」なんていう評の仕方は...... なにか怖い。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-07-11)

つまらないものだったから読むのを止める、とか、読んでがっかり、とか、内容に腹が立った、 とかあると思うんですけど、そういった場合は、読むに値するけど楽しめない自分が 悪いんだ、ということでしょうか。言いがかりじゃないですか。普通に判断している だけですよ。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-11)

いや、申し訳ないです。他の方だったら尋ねなかった かも知れないですけど、黒髪さんは頭もいいし、心も きれいな方だから、ことばの選び方がちょっと気 になっただけです。すみませんでした。 本とか投稿、わたしは下らないものがあったらたんに わたしが"読めない"だけで、読むに値いしないとなまで断言した こと一度もないもので。というのは書き物の価値の全否定というのは その人の存在や命を否定することになりかねない。 黒髪さんの博愛精神にてらしてそういう怖い物の言い方は、どうかな と思ったのです。ふつうに判断しているだけなのはわかりましたが。 でも、黒髪さんは外へ外へ綺麗なことばを発していくだけではなく 内側にもそのことばで照らすべきじゃないでしょうか。 外へ出るそのことばが内側に向けられている気配がないので、 真っ暗な気がしてならないのです。

2
atsuchan69
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(2024-07-11)

 ここでちょこっと「おにぎり考」を‥‥ おそらく寿司のルーツは「おにぎり」だと思う と、書いてはみたものの ボクは「寿司」について語れるほど本格的な寿司を食べていない 江戸前寿司屋のカウンターに座った回数は おそらく100に満たない場数ではあるが、 あえて大口を叩かせて頂ければ、 やはり寿司のルーツは「おにぎり」だと思う いちおう、数多の資料を漁れば、 寿司の起源は、東南アジアの「熟鮨」だとされている 米の飯を魚とともに食べる料理というよりも、 海や川で獲れた魚を腐らないように 発酵させた米の飯で保存させた食べ物だった しかし所謂「握り寿司」が現在の形に近づいたのは 江戸時代後期であり、 この「握り寿司」を起点として考えれば 「熟鮨」だの「鮒ずし」だのは まったくの別物として考えた方が良いのではないか たとえ最古の寿司屋とされる 奈良県吉野町にある「つるべすし弥助」に行っても 今はもう、歌舞伎「義経千本桜」三段目に登場するすし屋が 当時販売していた筈の「つるべすし」は作っていない 「つるべすし」というのは、鮎の熟れずしで おそらく現代の大阪寿司(箱寿司)のようなものだったのかも知れない さて、江戸時代中期に流行っていたのが まぎれもなくこの大阪寿司で、 残念ながら江戸前の「握り寿司」の考案者は不明である ところで「めはりずし」というものがある 「すし」というが、見てくれは飯を高菜で包んだまったくの「おにぎり」だ 和歌山県の郷土料理ではあるが、 妄想系のボクが思うのには、 江戸へ出入りしていた主として木材問屋の紀州商人が この「めはりずし」を保存が効くように酢飯で握って 遥々と紀州から花のお江戸へ持ち込んでいた可能性がある‥‥ ――その握り飯みてえの、ひとつオイラにも恵んでくれねえかい ――なんだいこりゃあ、とんでもなく美味えじゃないか ――高菜っていうのかい、この塩っぺぇ葉っぱ ――どれ、葉っぱのかわりに〆鯖を載っけて喰ってみようかい ――おったまげた 、こりゃあ屋台で商売したら当たるぜ!  てな具合で、忽ち江戸中に握り寿司の屋台が広まった‥‥ というのは、 あくまでボクの仮説である 良い子は真面目に信じてはいけない 笑 (´▽`*)

3
atsuchan69
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(2024-07-11)

文中、脱字アリ→×「たとえ最古の寿司屋とされる」〇「たとえば最古の寿司屋とされる」

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-07-11)

こちらこそ、存在や命の否定につながるような言い方を、もう少し気を付けるようにします。 人の気持ちを想像することって、とても難しいんですね。谷川俊太郎は権威だからあえて そういう言葉を使ってもいいかなと思ったのですが、色んな人の気持ちを汲むことは、 本当に難しい。私は、なるべく良い人間になり、良い貢献が出来るようになりたいと 思うのですが、自分の知らない範囲の世界に対する謙虚さのほうを大切にしたい、 ですね。でも、谷川俊太郎が、過大評価されること、よくないなあという気持ちは、 変わりません。本当に素晴らしいものは、若者の情熱であって、谷川俊太郎さんが、 情熱を傾けて創作してきて、まだ続けておられるのなら、それを否定することはありません。 もう少し谷川俊太郎と向き合い続けてみます。ある人が、何をしたいと思っているのか、 ということを気を付けないと、一般的に人のするべきこと、つまり人を救うことあるいはせめて 理解することが、できなくなるので、生命の善性に疑いを持たない私は、生きる限りは そうした方向で向き合い続けるしかないのですよね。私のエラソウな所が目に付くならば、 御提言を無下に却下することはしない方が当然かと思います。本能を、学習と智慧の力で 補完しないと、人間は永遠に争い続けることになってしまいます。今私の得た学びは、 自らの発見、気づきを、適切な形で提示しなければならない、つまり、何でも思いついた ことを並べたてずに、時を置いて熟成させた方がいいということです。忘れてしまうなら、 忘れてしまう程度のことであり、大事な事は忘れません。自らの胸に手を当ててみて、 本当に言いたいことだけを言えるようになるのでしょう、そのように自分に望みます。 あなたの望みが、叶いますように。主よ、人の望みの喜びよ。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-11)

わかってないな。否定するにせよ肯定するにせよ、 罵倒するにせよ、批判するにせよ、読まなければできないでしょ。 そういう意味で読むに値しないものはないといったのです。 読めないほどひどい幼稚なものや冗長なものも含めて、 読むに値しないものなどないといったんです。今更、谷川シュン太郎を 肯定せよといったのじゃないのです。それにあなた、わたしへの返事に 主よ......なんたらかんたらと呪文となえるのやめてくれないかなあ。 相手は仏教徒かもしれないしイスラム教徒かもしれないしヒンズー教徒 かもしれないのに、一方的に主よなんたらと呪文唱えるということは あんた、相手を侮辱していることになるのですよ? 不特定多数への返事ならいいけど、特定の相手への返事でそんなことを 一方的にいったらイスラムの人なら怒り出しますよ? その程度の相手への思いやりや最低限の常識もなく、キリスト教や仏教 の呪文を振り回すのはやめたほうがいいと思うなあ。 多分精神的な混乱があるのだろうからこれくらいにしておくけど あんた、ちっとも反省とか内省とかいっさいやってないじゃないの?

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-07-11)

読むに値しないものはない、というのもうなずけます。 精神がぎすぎすしていて余裕がないためか、私は割と辛口を言うのですが、 人に対しては言わないように気を付けます。人に同意を聞くこともおかしなものですからね。 宗教的な文句を言ったのは、非常識だったですね。 すみません。気を付けます。

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takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-12)

わたしも最近、気がついたのですが、これは都知事選で 田母神という候補が演説で語っていたのですが、 だれにもプライドというものがある。だから私は 人のプライドというものを傷つけないように語ることが 一番大事なことだと思っていると、そう語っていて、 聴いたわたしは凍りついたようにほぞを噛みました。わたしは、 そういうことをあまり考えたことがなかった。 黒髪さんにもプライドがあるだろうし、他のだれにも あるだろう(わたしにはほとんどないけど)、それを あまり考慮しないでコメントしていたかもしれない。 それで多くの人を傷つけていた可能性がある。 むつかしいですね言葉は。そして意識の在り方も むつかしい。わたしは幾ら歳くってもまだまだ小僧です。

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rona
rona
作品へ
(2024-07-12)

私はtakoyo2さんの「歯に衣着せぬ」物言いが好きですけどね。 対話はある意味交渉だから交渉を成立させるなら(内心は別でも)相手をリスペクトするのはセオリーだと思います。仰っるように誰にだってプライドがありますからへし折っしまうと難しくなる。だけどそれって政治的ではないかな~と。 昔、政治家(市長→衆議院議員→政務官)の市長時代に三セクで関わったんですけどエグかったですよ。お腹の中と口は別物。笑 私はtakoyo2さんの正直さや率直さって内心憧れているし、お腹の中が見えるからこそ信用も出来るようにおもうんですけどね。(せっかくの志しに水を差すようでしたらごめんなさい!) 

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-12)

う~ん、そうですね........、まるで対人関係がないみたいに、 「歯に衣着せない」で喋るところがありますね、わたしには。 でもこれは、顔が見える相手に対しているよりも、本当は 怖ろしいことで、ときどきその恐ろしさにゾッとする ことがあります。相手がどんな方かわからないのですから、 どんな些細な言葉で傷つくかわからない。 対話とか対談とか議論というのは内容よりも対面している 双方のニュアンスのほうが大事なことが多いのですが、 書き言葉での批判はどうも角が立つものです。 わたしは大阪にある文学学校のはなしを前に投稿しましたが 実のところは、女性には人気があって結構、もててました。笑 投稿に書いた特定の女の子以外には結構モテた。 男性陣とはつかず離れずでした。ただAさんという詩人は別として。 (余談ですがこのAさんと現フォ管理人の片野氏とは野村喜和男を介し ての知人だったことをあとで知りました。) つまりわたしは書き言葉ではまったくわたしの良さというか 面白さがまったく出ない男なんです。しゃべれば、結構、 歯に衣を着せない発言でも心情を読み取ってくれて、人気者 になれるんですけどね。笑

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-12)

>つまりわたしは書き言葉ではまったくわたしの良さというか >面白さがまったく出ない男なんです。しゃべれば、結構、 >歯に衣を着せない発言でも心情を読み取ってくれて、人気者 >になれるんですけどね。笑 私はtakoyo2さんの書き言葉、面白く拝見してますけどね。確かに誤解はされやすいかも。笑 でも辛口だったり毒舌だったりって、結局は相手側の読解力だったり心の成熟度で受け取り方はそれぞれだと思うのです。どんなに丁寧に説明しても伝わらない相手には伝わらないし。takoyo2さんは純粋な方なんだと思います。だから損得勘定なしに物言いがストレートになる。 リアルでもきっと面白い方だと思いますよ。人生経験豊かな方の話って興味深いし、話が尽きないでしょうから。(ちょっと褒め過ぎましたかね?まぁ自由闊達な方が作為的になってしまうと面白くなくなってしまうので。笑)

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atsuchan69
作品へ
(2024-07-12)

これはひとりごと…。「聖書信仰にあるまじき不倫の‥‥」っていうキリスト教=禁欲というイメージはごく当たり前にあるものだと思うのだけど、実際は、某不倫女優が入信している教団が今もたぶん一夫多妻の宗派だし、戸別訪問の電動活動をやってるむにゃむにゃ教会も内部では性的フリーの教義があって幹部は慎んで人妻の信者を昇天させてる。また某国の軍事衛星が撮った写真には総本山‥‥って書いちゃマズイけど‥‥とある神聖な場所の屋上でバックで愛し合う男同士の姿が写っていたりと、みんなやるべきことは案外ちゃんとやっていて、むしろ一般人のほうがフツーの性活をしているのかもだ。

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atsuchan69
作品へ
(2024-07-12)

あと中上さん…。あの人はマジでスゲーと思う。実生活の話も知っているけど、ここではヤバすぎて書けない、、

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takoyo2
takoyo2
ronaさんへ
(2024-07-13)

>人生経験豊かな方の話って興味深いし、話が尽きないでしょうから。 そうですね、あまり人に言えない恥ずかしいエピソードだけは山のようにあります。 ダム造成現場で働いた時は小松の40トンダンプに乗ってました。 もちろん公道は走れません。タイヤだけでもわたしの身長以上あります。座席は冷 暖房完備で大人二人が横になれる幅がありました。そのとき色々怖い思いをしました。 特殊車両の免許をもっていてもそれまで化け物のようなダンプに乗ったことがない。 感覚がわからないから一度走っただけで仮設橋の手すりがぶっとびました。幸い、ク ビになりませんでしたが巨大ユンボに乗っている相棒の男が野生的なやつで、わたし を死なせに来ました。殺すつもりがなかったはずがない、死に至る新人イジメですね。 砕石を谷に落とすためにダンプをバックさせるのですが、断崖絶壁のぎりぎりのとこ ろはほぼ直角になっているのです。その角のところへ後輪タイヤの中心がくる必要が あると言い張る。そこにくるまで、オーラーイオーライとやる。そうでないと崖の内 側に砕石が落ちるというのです。こちらは恐怖で汗が吹き出し、もういいだろ! と 怒鳴るけど重機の男は、それではちゃんとダンプできないと怒鳴り返してくる。全部 谷底に落とすにはそこまで下がらないとダメだという。運転しなれない巨大ダンプを 数センチ、数センチとバックしていきましたが、少しでも間違えば谷底です。喉がか らからになりました。最後には慣れてきましたが、そういう経験もしてますね。その 男とは帰るまでの三ケ月間、一言も口を聞きませんでした。昼飯食うのに車で五十分 以上走らせないと食堂に出ない毎日でしたが、車中でもいっさい口を利かなかった。 怖がらせて命からがら逃げ出すのを待っていたとしか思えなかったからです。その現 場は、なんというか、神経の図太い荒くれた連中ばかりの現場でした。ヘンに生っ白 い本好きの男が来て明らかに皆から不審がられてました。追い出せという暗黙の了解 があったみたいですが、最後までかじりついてましたね。笑 かと思えば駒沢大学管財部へ派遣職員として、すましてもぐりこんでいたりしました しね。 大学での仕事と、そこでの人との出会いはわたしにとっては貴重な経験でした。 それから新宿歌舞伎町を当時根拠にしていた広域指定暴力団東声会相談役の男と、 つるんで歩いたこともあります。 この男の「取り立て」に付き合ったんですが、最初に行ったのはどこかの団地でした。 ブザーを押しても出てこないのでトントンとやるとドアが開く。灯りがついてない。借 り主の中年男は電気代 も払えないという。すると相談役の男は一万円貸してやってさっさと帰った。どうして 貸すのかと尋ねると、仕事できなくなったらカネ返してもらえないだろという。合理的 だ。あとでその債務者は東声会でパソコンを使う事務やらされてましたが、一見親切な んですね。ほんとうのヤクザの正規構成員というのは酒に酔ってはダメ、女に狂うのも ダメです、つまり酒、恋愛ご法度。薬物ももちろんダメ。みんな僧侶のように真面目な 生活送ってました。そうでないと、いざ何かあったとき対処できないからだそうです。 その相談役の男も週一回、かならず事務所に詰めて24時間、電話番をやってました。 相談役が電話番なんかやるのかとわたしなどヤクザの世界を知らないから大笑いしたも のです。 文学修行のために知り合いに頼んでその男と懇意になり一ヶ月ほど一緒に歩いたのです が、このときの見聞は以後、とても参考になってます。 原付きで東京大阪を二往復したあと、大型バイクに夢中になって日本中の高速を走り回 ったこともありますがかなり無茶な速度で走ったのに事故に一度も遭わなかった。なぜ 大怪我をしなかったのか、これも不思議なことのひとつです。その他、色々あるのです が....サーフィンやってたときの体験などは、わたしの人生でもっとも濃密な時間でした。 サーフィンというのはこれもやっぱり命がけのところがあって、何度も死にかけて....死 んだやつも何人かいて....よくまあこれまで長生きできたものだと、ときどきぞっとする ことがあります。 これらの体験はいずれ小説にして投稿したいと思ってます。笑 わたしがronaさんに共鳴するところがあるのはそういう身体性の部分かもしれません。 頭でっかちの机上派ではなくて、身体を張ってきたところから出てくることば。そう いうものがあるのかもしれませんね。

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-13)

身体性…なるほど!そうかも知れません。 お話お聞きすると増々共通点あるんですよね。私は10代からスポーツ競技をしていたから学校よりスポーツ中心で(学校の部活じゃなくスポーツクラブに通っていたから)、20代は競技生活中心だったから仕事は正社員は出来ず殆どバイトでした。長く続いたのは車関係が多かったです。レンタカーとかディーラー。レンタカーはフロント業務が主でしたが、レンタカーって個人のレンタルって1割に満たないんです。殆どが損保代車なので顧客までの配車がメインでバイトの男の子たちとペアで配車引き取りに出ていました。当時の普通免許で4トントラックまで運転していました。結構際どい道幅の顧客に届けることもあって通れるのか?ここ、なんてことも良くありました。難しいのは幌とかアルミでルームミラーが効かない車でした。私も相当運転には自信もあって走り屋やってるような男子からも◯◯さんマジ運転上手いと称賛されていましたが(笑)大型の運転手さんたちはマジ神業。崖の話、聞いてるだけで冷や汗で絶対無理。笑。レンタカーでベンツまで乗ってたからディーラーは楽勝でしたがやはり人様の車だから気は使いました。道普段クラウンでこんな狭い通っているの??なんて顧客もいましたから。 それから男だけのガテン系職場エグそうだな~笑 私も女性だけの職場って嫌いだから何となくわかります。車関係は男性が多い職場だったから続いたのかも。レンタカーで男女3:2、ディーラーだと10:1くらいの割合だから女性はかなり優遇されてました。飲み会でも「◯◯さん、まぁ飲んで飲んで」とお酌をされる側でした。笑 スポーツって共通点もあるんですよね。中1から同じジュニアクラブで一緒だった子が中高大学と学校は別でしたがとにかく学校の友だちより仲が良くて土日はずっと一緒でした。彼女は大学からサーフィンに転向してしまって車で通学してたからよく湘南まで一緒に行ってサーフィン見てました。と言っても彼女は流行を追うのが好きななんちゃってサーファーでしたけどね。笑 関内の洒落たパブでバイトしたりで時代を謳歌するタイプ、いつの間にか山下町や本牧辺りのBarに詳しくなっててよくあの辺りで遊びました。takoyo2さんも横浜に居たこともあったとかでその辺りも少し共通かな。 あぁそれから時代が時代だったから地上げ屋みたいな不動産屋でバイトもしました。一度社員がみんな三島の方に行くからとアウディで同行させて貰ったことがあって、そこは新興宗教の教団みたいな所で神様という呼ばれる人がいるんですよ。いらっしゃる皆さんが一種独特で、それで土地絡みで自殺者が出で何やら揉めているというか、多分土地巻き上げちゃうんでしょうけど、私はバイトだから詳しくはわからず、帰りに高級そうな鰻店に寄って鰻をご馳走になりました。笑 先生と呼ばれるブローカーが「ああいう宗教に縋る人は心か体のどちらかが弱いんだな」とぽつりとつぶやいたのを今でも覚えてます。 と、まぁtakoyo2さんには敵いませんが私も中々バラエティーに富んだ人生を歩んでいまして上の話は1/5程度です。だから机上での話(概念)みたいなのってどうしても退屈で、「それ何かの役に立つの?」って感覚なんですよね。実践で役立つ(戦力的な)経験や知識が欲しいんです。だからtakoyo2さんの生のストレートな語りに魅力を感じるんだと思います^_^ 長いな。笑

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takoyo2
takoyo2
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(2024-07-14)

>だから机上での話(概念)みたいなのってどうしても退屈で、「それ何かの役に立つの?」って感覚なんですよね。 いやあ、ここ、まったく同感です。わたしも「だから、何なの? それで?」となってしまいますね。 たとえばある詩なり散文を解釈するとして幾らでも複雑難解に解釈はできるわけですけど、聖書の逸話を あてはめてみたり、精神分析的な解釈をあてはめてみたり、如何様にも読解の自由はあるんですけど、 でも、あまりにアクロバティックに学問的になると、わたしたちの文学は大学の授業の続きじゃない ですよと言いたくなる。生活という地に足がついての上に咲く花ですよといいたくなるんです。でも、 なぜか難解で学問的な解釈が高尚であると思い込む人がいる。それが文学の精髄じゃないと思うんですけど、 文学がわからない人に限ってそういうものがなにか頭のいい文学だと勘違いして崇めたりする。でも それだけじゃますます文学の生命がやせ細るだけなんですけどね。わかってくれる方が少ない。 >レンタカーでベンツまで乗ってたからディーラーは楽勝でした うらやましいですね。わたしはバイクならかなりやれますが車の運転はまるでダメです。 ダム現場で40tダンプに乗った話しましたが当時、普通免許すら持ってなかったのです。笑 これは免許の落とし穴で、40tダンプは大型免許を持っていても乗れません。大型特殊 自動車免許といってブルドーザーや掘削機(ユンボ)など動く建設機械用の免許が必要です。 ところがどういうわけか巨大ダンプもこの中に入ってしまって、わたしはブルドーザーやユンボを 運転するつもりが無理にダム用ダンプを運転させられたのです。普通免許もないのに。とんでもない話です。 例の崖の話ですが、翌日からはギリギリまで後退せず、五十センチほど離れたところでダンプし、 崖上にこぼれた砕石はブルドーザーで押して谷底に落としました。多分、これまでもそうしていた はずで、相棒の男は文句をいいませんでした。要するに最初のは肝試しとイジメをかねていたの でしょうね。それからあとも色々、恐怖のいじめにあいましたが。笑 >彼女は大学からサーフィンに転向してしまって車で通学してたからよく湘南まで一緒に行ってサーフィン見てました。 サーフィンに関する話なら山ほど面白い話があるんですけどね。笑 湘南にもずいぶん通いましたから湘南の海のことならかなり知っています。今ではずいぶん変わって砂浜も 削られて往年の面影はありませんが、波だけは変わってほしくないな。海流の関係で灰色になるあの 海の色は独特のものがあります。大洋から時間をかけてやってくるうねりだからパワーが全然違うのです。 大阪では和歌山の磯ノ浦くらいしかサーフィンできる場所はないのですが、湘南の海のパワーとは 雲泥の差です。ただ、ほんとうのサーファーは酒もタバコもやりません。海に入った時体力がもたない からです。もちろんわたしもいつのまにか酒、タバコをやらないようになりました。 サーフィンにかかわる連中の話、いつか三文小説にして投稿してみたいのですが、思いのあるものほど 書くのがむつかしいです。あ、余談ですが村上春樹もサーフィン愛好者ですね。老齢になった今でも やってるみたいです。村上の小説読まないので小説に書いてるかもしれませんが。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-14)

自分は、村上春樹さんや、谷川俊太郎さんなど、環境に恵まれて育った成功者の作品より、ブコウスキーのような環境に恵まれずに育った成功者の作品に惹かれるし、モデルにしたいと思ってます。 自分は音楽が好きなのですが、米国で憧れのアーティスト、ブライアンウイルソンのような人は、音楽一家に育ち、機材を買うお金もあったし、芸術を生み出す環境に生まれつき恵まれていたと思うのです。 細野晴臣や、手塚治虫のような人もそうですね。 知識を集めたり、直にものを見て見聞を広げるのに、裕福であるかどうかはとても重要だと思います。 しかし、そう言った知識集めや文化的に豊かでない世界で育った人達に、とても強いハングリーアートがあることも確かです。 石川啄木の詠んだ 「私の詩は悲しい玩具です」 「友が皆、我より偉く見ゆる日よ 花を買ひきて妻と親しむ」 「働いても働いても我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」 こう言った一連の作品はとても響きますね。 中原中也も好きです。 ひもじかったり、貴族的生活を送れなくても、文化に携わり優秀な作品を残すことはきっと、出来る。 赤塚不二夫先生が、トキワ壮の仲間と、毎日キャベツを塩で茹でて食べながら夢を語り合った話も好きです。 水木しげるが、食べるものがなくて、毎日夫婦でバナナを食べながら鬼太郎を描いていた話もいい。 いまは昔のような貧乏は存在しないと思われていますが、ものはあっても同じ志を持った仲間と出会えないため、苦心しています。上京して、トキワ荘仲間のようなものを作るのが一応の夢目標です。 精神障害者の事業所働きという独特の世界にいると、参考にした方がいいモデルが山下清(知的障害)とか、米津玄師(自閉症)とか、そっちの方面のように思われている気もしますが、山下さんのように知的活動に偏りがあったり、米津さんのように、自閉の気があったり、自分はそうでもないと思うと、本来はやっぱりエイブルアートではなく、ハングリーアートの世界にいるべき存在だったのかなあと思ってしまうのです。 そう考えるとやっぱりブルーハーツなんか近いかも知れないです。 谷川さんの文章は上手いです。これは、takoyo2さんに同感です。どうしてああいう発想が出てくるのかわからないというくらい発想が豊かだし、アイデアも豊富。 村上春樹の訳した海外文学は結構読みました。本人の書いたエッセイもよく読みました。肝心の小説は、分からなかった。分からなかったというのは、分析してみると、作品の持っている軽み、シュール。それらが僕の好きなロックの世界の人たち、村上さんが影響を受けてきた人たちと比べて、生身の女の体温であるとか、実感としての快楽や苦痛の描写がえらい小綺麗に終わっていて、そこに私は、翻訳された軽音楽のような胡散臭さを感じたのです。 貧乏人が成り上がるための手法として、マドンナのように性的な仄めかしをして売りにいく。これは私にとっては表現者としてのリアルなのです。 その生臭みみたいなものを、作品に感じられた時色気を感じるし。 そこの下品を否定して、上品を着飾ると胡散臭く感じてしまいますね。 ちなみに好きなおにぎりの具材は、そぼろ肉とネギ味噌。ご飯と油のコンビネーション。そこに味噌、ネギと加わるとパワフルで含まれるエナジーも抜群です。

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atsuchan69
作品へ
(2024-07-14)

おはようございます 話の流れから逸れてしまい申し訳ないのですが、京都に財界からの寄付で運営されている特殊な(マスコミからも取り上げられたことのない)孤児のための施設があるらしいことを、もうずっと昔、自称その施設出身の女の子から聞いたことがあります。もしや経験豊富であられる takoyo2 さんなら知っているかもと思い、訊いてみることにしました。特殊な才能を持った子供は、かなり早い時期に──これはとても乱暴な言い方ではありますが──網に掛かって(笑)、彼ら支配者層の側に迎えられる例を少なからず知っています。たとえば某企業の CEO がまさにそれで、世界的に有名な財団からの支援を受けてハーバード大で学び、帰国後金融関係の企業に入社した後、数年もすると謎のワープをしてアパレル関係の企業を任されています。子供の頃、大きくしたチンコをクラスのみんなに見せて喜んでいた変態野郎が、いつの間にか庶民の手の届かない、見上げるような高い場所に‥‥マジでいたりするんです。おそらく京都にある某施設からも芸能界や任侠の世界、もしくは政治・経済の分野で著名な人物を輩出していると思うのですが、その辺りいかがでしょう?

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atsuchan69
takoyo2さんへ
(2024-07-14)

 ↑ あ、「takoyo2」氏への返信ってするの忘れた、、 それとボクからの質問に答える義務なんかまったくありませんし、 メンドーだったらスルーして頂いてもゼンゼン構いません (((o(*゚▽゚*)o)))  

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rona
rona
takoyo2さんへ
(2024-07-14)

>「だから、何なの? それで?」となってしまいますね。 哲学や宗教が基盤にあってもいいと思うんです。ただ、説明だけに終わっていると映画や本ののレビューに過ぎないと感じてしまうんですよね。その人の人生や生活にいかに深く結びついているのか、その片鱗も感じられないと「それで?」ってなります。そういった解説、レビューを崇めてしまっている人たちには「う〜〜ん」しかないのですが…少し宗教団体に触れたのですが、その辺りがちょっと似てるかな~と。何か崇高なものという認知があるのでしょうね。 >翌日からはギリギリまで後退せず、五十センチほど離れたところでダンプし、 >崖上にこぼれた砕石はブルドーザーで押して谷底に落としました。多分、これまでもそうしていたはずで、 だと思いますよ^^; 50センチだってギリじゃないですか!私なら1メーター離してくれないなら絶対出来ない。ダンプした時の積載の重みだってあるじゃないですか!崖に真っ逆さまな気がしてならない^^; 免許は不勉強でした^^; 実は小型重機の免許を前々から取りたかったのですが、この夏やっと時間が取れそうで実現しそうです。改めて調べたら重機の種類、大きさ、免許、資格、と、それぞれ色々複雑で勉強になりました。 湘南万歳〜てくらい湘南好きです。私はサーフィンはしないから波のことはわかりませんが、茅ヶ崎、逗子、葉山、鎌倉、あの辺りの雰囲気が大好きです。和歌山の海は行ったことないけど良いだろうな~ 私は茨城やいわきの海をちょこっと知ってますがサーフィンするには湘南よりいいんじゃないかって思います。サーフィンの小説、楽しみにさせて頂きます^_^

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takoyo2
takoyo2
atsuchan69さんへ
(2024-07-14)

こんにちわ。 わたしが京都の孤児擁護施設にいたのはもう半世紀も前のことです。 北野神社のわきに宥清寺という本門佛立宗の総本山があり、そこが 所有するお寺を信徒の園長が借り受けて自費で運営していました。 (結局は市や府からの援助を少し受けていましたが、園長は九州の方で もと警察官らしい実直な人でした。お寺の住まいもほとんどを子どもの ために明け渡し、本人は一番奥の物置のような狭い3畳間に奥さんと 暮らしていました。私費を全部、擁護施設に注ぎ込んでいました。 亡くなるまえに紫綬褒章を貰っています。わたしのほんとうの父親です。) 園長は最初は戦災孤児を引き取っていましたがその後、わたしのような 親から捨てられた子どもも引き取るようになりました。 その施設は二十年ほど前に京都の山奥に引っ越して、跡地は今では墓地に なっています。ウソかほんとうかわたしのいた寺は日蓮聖人が いっとき住んでいたことがある草庵の跡地だそうです。笑 atsuchan69さんのいうようなことがあるとしても、最近は京都に まったく縁がなく、また当時の園長も職員さんも仲間もほとんどが 亡くなったりして疎遠になっています。わたしがいた頃にそういうものが あればわかるはずなのですが、皆目見当がつきません。 ただ、例のオウム真理教の麻原なんかも実は怪しげな団体からリクルート されているのですね。子供の頃からそういう資質のある子を日本中を探して 歩く連中がいるらしく、見つけ出して教祖に仕立て上げるようなことが あるとは聴いています。わたしは三面記事的な都市伝説であってほしいと 願っていますが。

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atsuchan69
takoyo2さんへ
(2024-07-14)

返信ありがとうございます じつはボクの背中にも、特殊児童の貼り紙があった時期があり、小学生の頃でしたが、教師の推薦で著名な文化人の家へ通ったりしていました。今でこそ自分のなかの怪しい部分を隠して生きていますが、少年期には鑑別所にも入っていますし、その後も結果として法的に裁かれなかったとはいえ、犯した【罪】は救命具を着けても海に沈むほど‥‥重々しくこの胸にあります。もちろん自慢ではなく、フツーの人ではないことの恥をさらしているのですが、この歳になって自分の大きくなったチンコを見せびらかしたり振り回したりしない、ごくフツーの暮らしに十分満足しています。ぶっちゃけ、文学者のほとんどはロックフェラー財団やその他財界人の支援を受けて活動しています。かつて美しい日本の文学の背後には、「人類皆兄弟」の笹川さんもおられました。笹川さんはともかくとして、そーゆー【土】に育つ文学は、美しくも毒草です。詩壇においても然り。しかし彼らを非難したところで、また彼らが「タヒ」んだとて、カネをばら蒔けばどんな歌でも歌う痩せて頭の良い小鳥たちが次々とやって来るのです。「わたしたちはロシア・プーチン大統領に起因する不条理に反対し、ウクライナの人々の安全と平和を強く望んでいます」というあの声明も、そりゃあプーチンさんが詩壇の【土】を耕していたら、きっとその反対を叫んでいたでしょう。 身近には深夜もスーパーで働き、真冬の酷寒や真夏の炎天下で警備をし、長時間休むことなくトラックやタクシーの運転をしている高齢の人たちがいる。高等教育を受けた筈の若者も、同じ職場で働く派遣社員が古代ローマの奴隷たちよりも安い賃金で雇われていることに疑問を持たないのだろうか? 所得に占める税金と社会保険料の割合はすでに国民負担率が50%近くになっており、米ドルが崩壊しないのは、日本が大量のドルを買い支えているからだ。さらに馬鹿な政府が高額なミサイルや戦闘機を買っている。しかしプーチンを批判する国家の巨大資本がウクライナに(日本のカネで)兵器を供給し、その裏ではロシアの油田にも投資して利益を得ている。権威ある詩壇はそんなことは微塵も話さない。騙されてはいけない、ボクたちは戦争を操る巨大資本のブリキの兵隊でも操り人形でもない。ああ、ご覧のとおり、うわべ詩人の声はか弱い。そしてボクたちの想いは、ある意味、鞘だ。今しも、ひとたび抜けば神々をも斬首することばの刃が、人様を傷つけぬよう着せ鞘に大切に包まれている。だからどれほど腹が煮えくり返っても、その時が来るまで腰の物は抜かずにおこう。大切な人と、すべての愛すべき‥‥涙のカタチの、拭えないことばが、冒涜され、踏み潰され、理不尽に絶たれるときまでは、俯き、震える拳を握って、じっと堪えよう。 と、そういう心境の今日この頃です、、

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takoyo2
takoyo2
atsuchan69さんへ
(2024-07-14)

これはお世辞でも何でもないのですがわたしにもし atsuchan69さんほどの知力と胆力と世に対する洞察力があれば、 まったく違った生き方をしていたでしょうね。 文学も哲学も思想も放棄していました。暴力団の組なんかに 入って鉄砲玉にでもなってさっさと死んでたかもしれません。 生き方を今更悔いるなど最低かもしれませんが、 それほどに今の日本と日本人とくにリベラルを騙る作家や思想家 批評家、詩人たちの醜さに大の字になって口あんぐり呆れ返ってます。 わたしはテレビを見ないのですが、最近、いや昨日かな、 耳を貫通する銃撃を受け、紙一重で奇跡的に死を逃れたトランプ元 大統領を、サンデーモーニングがまるで「やらせ」のように報道した と聞いて呆れ返りました。「選挙にプラスになる」と膳場とかいう高学歴女が いったそうですが、トランプ暗殺事件は一般人が巻き込まれて亡くなっている。 それを「選挙のためにプラスになる」なんてよくいえると思います。 今どきのリベラルなんて人間じゃない。化け物です。安倍元首相が 暗殺されたとき島田雅彦が「バンザイ」と叫んだのですが、理念の ために人が殺されることを歓ぶことがファシズムであることを日本人 は知らないのか? このサンモニというテレビ番組に出てくる糞の ようなリベラルを騙る連中は、門の前に「プーチンの不条理」などと デマを貼り付ける日本現代詩人会の詩人連中と同じ化け物です。 わたしはこういった連中のリベラルなど爪の先ほども信用しない。むしろ 日本を戦争に追い込む巨大寡占資本やその下僕の岸田に協力しているだけ です。この投稿板でも、わたしが日本の思想家を非難すると馬鹿が 湧いてきてわけのわからない反論にもならない反論をしかかけてきましたが、 こいつらは堂々と正面から議論すらできない。 日本の知識人たちがもしatsuchan69さんのいうような力が動いて それに飼いならされているとすらなら(まあ、わたしは前からそうだろうと 想像していましたが) いまの日本の文学の世界にまともなのはネット上のわれわれ以外にだれもいない ことになる。いや、ほんと。わたしのような異端、アウトロー、はぐれ者の根無し草の 発言を許しているここだけが日本の文学の最後の砦です。 どうか運営のみんさん、わたしをここから締め出さないように。わたしは日本文学界の 宝ですよ。笑 atsuchan69さんも万太郎さんもronaさんも、それ以外の方々もそうです。 ささやかですけど、ここでの言説は大事だと思います。だれも見てなくとも大事です。 三浦果実や中田満帆は問題外としても。笑

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atsuchan69
takoyo2さんへ
(2024-07-14)

‥‥311のときの、「災害廃棄物の広域処理」がまさにそれで、被災地の復興を妨げたくないのは当然でありながら、そうかといって放射性物質で汚染され、安全性を確認できない【がれき】については、全国規模の受入れをとても歓迎することは出来なかったし、「食べて応援」についても多くの外食産業が該当するエリアの「健康に対しては、ただちに影響を及ぼすものではない」米や農産物を優先的に利用する旨で合意していたことは知ってはいたものの、個人的に「食べて応援」を拒否することは出来ても声高々に「該当するエリアの食産物は危険だ」とはとても言えなかった。実際、そうした「ただちに影響を及ぼすものではないレベルの食品」への暗黙の了承は数年も待たずして尚いっそう広まってゆき、タイのサイアム・パラゴンのフードマーケットでは原子力発電所の事故のあった行政区画内(県)で収穫された桃が素晴らしく高い値段で売られていたし、ボクも外出時に腹が減れば「食べて応援」に参加する企業の飲食店を幾度となく利用した。特に、某飲食店の広告キャラクターには、ボクの大好きな女優さん(某宗教団体信者)が起用されている。これは2重の意味で「アンチ・自分の想い」になるのだが、食べて応援や巨大宗教団体へのアレルギーを、こんなにも愛くるしい容姿の女優さん一人に被せるわけにはいかない。むしろ彼女のためにも自分の想いを捨てようとさえ思った。そして何を食べようが、何を黙認しようが、そのことがボクにとって「ただちに影響を及ぼすものではなかった」ことも、けして嘘やデタラメではない。 やがてロシア・ウクライナ戦争が始まった。もちろん、【わたしたちはロシア・プーチン大統領に起因する不条理に反対し、ウクライナの人々の安全と平和を強く望んでいます】という権威ある詩壇が公式に発表した――紛争当事国のどちらか一方に酷く偏った――巨大宗教団体の教主様のごときイカレタ声明は、文学を愛する者のひとりとして断固として頷くことは出来ない。しかしながら、ジミンの側にひっついた信じてはいけない宗教団体に美女軍団がいるように、かくも恥ずべき詩壇にはボクが敬愛する詩人が大勢いることも事実なのだ。そして戦後日本に在日外国人の似非右翼が台頭した事実を記せば、彼らは本物の思想家でも真面目に天皇を支持する者でもなく、大音量で【正論】をまき散らし、恫喝し、旧い思想を固持しつづける「伝統的な日本人」がさも恥だと感じるように仕向けた具体例‥‥つまり、反面教師的な騒がしい街宣行為を派手に行なうことが真の目的だった。さらに疑えば、身近な場所にも‥‥ぶっちゃけ、ネット詩の世界でも、同種の匂いを感じないわけでもない。たとえば、‥‥かつて文学極道においては、少なからず【正論】の側の人たち‥‥「すでに詩集を発表している有名な詩人、あるいはネット詩の世界でのベテラン」が、ストーカー紛いの書き込みをしていたというウソみたいな本当の話をボクは耳にしている。たかが詩の投稿サイトだ、カネで雇った老獪な輩を使えばひとつやふたつ簡単に潰せるだろう。しかもすでに憲法改正に同意し、戦争参加への道を開こうとするダークサイドの側へ‥‥ボクたちの無垢な想いとともに、──大勢の詩人──が人質に取られている。 声にならない声でかまわない、大音量でなくて良い、きっと正論じゃないほうが良い。この想いを、大切な人を庇うことによって人質に取られている──詩を書く──ボクたちに出来ることは、‥‥涙のカタチの、‥‥拭えないことばを、‥‥世界の片隅に散らばる干乾びた心へ、‥‥今日もたどたどしく、‥‥しとしとと喜雨のごとく降らせつづけることくらい‥‥しか‥‥できない‥‥のだろうか? 

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万太郎
万太郎
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(2024-07-14)

身体性の話はとても興味深いです。 都会的におしゃれでシュガーコーティングしたものされたものの中に、実感としての生活臭がない。すると、そう言った表現作品に触れて一種の心地よさのような感覚を覚える。しかし実感としての生活が頭の中にあるとどうしても、中までは入る気になれないのです。 私が少年ジャンプを読まなくなったのは、ボボボーボボーボボと言う漫画の連載が始まった頃です。全体に内容の、下に偏ったものに引いたのもありますが、これと70年代に人気を博した「まことちゃん」と比べ、同じ程度かと言うと、私は違うと思う。 「まことちゃん」の中には、実感としての幼児虐待、実感としての生活から生まれる笑い、時に恐怖も含め、それがあった。 比して、ボボボーボボーボボという漫画を読むと、私にはそれがないように思えたのです。かつてそのようなことは熱弁しなくてもある時代の作品を巡る良質を共有する人たちと語り合えば、分かり合えた時代があった。 最後に読んだ割と良質を感じた漫画に「ワンピース」がありましたが、話が進むにつれ、空島と言った架空の島が出てきて、細部に細かいファンタジーが散りばめられて大きな物語をなしているのですが、私はどこかでその児童的な話の飛躍に、ついていく頭を手放してしまいました。正しくは現実の頭の方をとったというべきかも知れません。 大きな物語を書くべきだという時代がありました。物語は飛躍があればあるほど楽しく、いいものだと。 今日本ではおかしなことが沢山起きています。例えばコロナがその一つです。 あの小さなマスクで、ものすごい怖いウイルスから身を守れるのだと、それを国民全員で必死になって間に受けて守り、それに違和感を唱える表現者が極端に少ないことに私は驚きました。 実感として庶民感覚で目と地肌で感じる違和感を、肌感覚が売りのロッカーやそれを支持する批評家が唱えない。 私は日本人というのは本当に、正常な肌感覚を無くしてしまったと思ったものです。 ほんの少し、今までノーマークのミュージシャンが声を上げていました。 長渕剛です。 長渕剛は、私の中で矢沢永吉や中島みゆきと言った系譜に位置する地肌系アーティストです。都会的な憧れを感じさせる洗練はないのだけど、地に足のついた表現をする、そう言う系譜に位置する人でした。 彼らの歌内容を聞いて思うのですが、一聴してこういう言い方をするとどう思われるかわかりませんが、大したことは歌ってないのです。生活から生まれる肌感覚から生まれる言葉。それは有り触れていて、特別飛躍した論理があるわけではない。 時代が肉体性を放棄して、論理的逸脱を図ろうとしている時に、コロナ騒動を巡る違和感を通じて、私の政治的感情移入度は地肌系アーティストたちの、大したことは言ってなさに寄るようになった気がします。

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万太郎
万太郎
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(2024-07-14)

矢沢永吉や、長渕剛。 外国だとピカソやゴッホといった人達、本物の芸術家は思いっきりぶつかって、痛い! この感覚だと思うのです。 壁一杯に体当たりで体ごとぶつかっていく感じ。 その猪突猛進の怖さと強さ。それが矢沢にもあるし、長渕にもある。 特攻兵のような、無垢で見返りを求めない美しさ、その美しい切れ味。 上質の赤ワインいっぱいに広がる血の味。 僕は好きなんです。 その痛みの感覚。その肌感覚を無くしてしまうと、イマジネーションオンリーになってしまう。 イマジネーションに傾斜しすぎてしまうと、誇大妄想的になってしまうと思うのです。 それで最近の詩人の方では、入間しゅかさんいいと思った。 僕の考える思いっきりぶつかっていく感じと、痛みの感覚。毎回トライアル精神がありますよね。 実験精神があるんじゃないかな? 新しいことをやってやろうと。 それでココアでも受賞し続けてるし、実績を上げてるのでいいと思います。

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-07-15)

なるほど参考になります でもボクには上質の赤ワインもですが 血の味もあまりよくわかりません 赤玉スイートワインと、 アンネの日の後の鉄錆の味は知っています 「猪突猛進の怖さと強さ」については、 出産後、子供を人に見られて食べちゃう母ウサギとか 檻の中で母親と【成功】を繰り返す子ザルとかを見たことがあります それから隣町の養豚場から逃げ出した巨大な豚も怖かったです もしよかったら、ボクの作品は 万太郎さんにぜひ批評して貰いたいです たとえば、こんなんはどうでしょう?          ↓ https://atsuchan6902.up.seesaa.net/image/E68190E3828BE381B9E3818DE6AE8BE785A7-fd74a.pdf 改善点などを教えて頂けたら幸いです、、

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-07-15)

atsuchan69様 一読して感じたのは、電気グルーヴの石野卓球氏の詩です。 あるいは少し遠いところだと、スチャダラパー。 鋭い批評精神と執拗な韻踏み。神経質に偏りがちになるところを、しっかり緩さもあり、全体に汗の匂いがします。 こういうのをただの駄洒落だと取る人もいるでしょう。ここには実感としての私が先の内容で語った痛みがある。この痛みが作品の中に、人間の中にあるか否かで私は人を信用する度合いが違います。 takoyo2さんの言う、今時のリベラルなんて人間じゃないという発言。これは私は分かるんです。 かつては支持していた信頼していたパーソナリティーの中に、その好ましくないリベラルがあったことに気付かされたのが、私にとってコロナ禍でした。 誰にでもあるでしょう。私の中にもあるのかも知れない。ある種洗脳された世界にいたのだと今は思います。それはともかく。 内容はふざけた内容でありながら、赤塚不二夫先生や、スネークマンショーや、もっと古くはオッペケペー節、日本の伝統文化の中でアンダーグラウンドを走る、風刺的なものを受け継いでいると思います。 この作品の中に流れている汗の匂いや、痛みといったものをしっかり感じられるか。それを感じられるのが感性だと私は思う。直すところというのが面白いですね。それは直すというより共作のようなものに私のイメージではなる気がしますが。そうだなあ。 いいところを言うと、やっぱりきちんとふざけてるよね。それが出来てない表現作品は多い。 赤塚不二夫先生が言ったのは 「もっと真面目にふざけなさい」 これなんです。これを言うと、ハ? と言われてしまうことがある。真面目にふざけることができる人間は血の通った人間なんですよ。それが出来ない人間は本来人間じゃないんです。きちんと練られた上でのひねくれなので、これの上をいくひねくれで返したいのですが、それは出来るかどうか? マイっチングマチコ先生な私でした。 笑えない作品は多いけど、これは笑える。小綺麗にまとまってないからいいと思います。

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-07-15)

ありがとうございます マジで感謝します、、

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-15)

>貧乏人が成り上がるための手法として、マドンナのように性的な仄めかしをして売りにいく。これは私にとっては表現者としてのリアルなのです。 デビュー当時のマドンナ、すごく好きでした。成り上がって行こうとする人の中にある勢いやギラギラした魅力に惹かれたんだと思う。同時期にいたホイットニー・ヒューストンはそうでもなかったな。歌唱力はずば抜けて高いんだろうけどツルンとしていて引っかかるものがなかった。確かホイットニーは恵まれた環境にいた人だったと思う。マドンナは今も第一線にいてホイットニーの最後は決して良くはなかった。人生ってわからないよね。

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-07-15)

ronaさんへ 個性が強くて周りに馴染めない人間特有の、公が救ってくれるという公に救いを求めにいく感じが、米国のハングリーなアーティストにはありますよね。 特定の個人に期待しても、助けてくれるわけではない。自分が目立って、不特定多数の人がいる世界にいけば気に留めてくれる人がいるかも知れない。初期のマドンナにはそう言う切実があったと思います。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-15)

切実さ、そうだね。 野心だけではないその切実さが私は好きだな。 私は長くネット詩を見てきて詩人でそういった雰囲気を持っているのは中田満帆さんだと感じる。作風においても実際の行動力においても。

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-15)

孤独に生きていると、なにに悩むかというとアイデンティティに悩むんだと思うのです。 それは実際に不幸だとか、怖い目にあったとかそういうことでは説明しきれないものです。 それは共感しますね。中田さんもそういう方なのかも知れません。ブコウスキーの翻訳をしているのを初見で興味深く読みました。 群れに迎合して生きてきた人たちは、そのアイデンティティに悩むという経験をあまりしてないのでわからないのかも知れない。私の兄は、群れに迎合出来なかった時、本人にする意思があまりなかったように感じたのです。 私はそういうタイプではなかった。気づいたら最初から置き去りにされていたような感覚です。 創作の世界で生きる人がアイデンティティに悩みがちだというのは、なにか秘密があるように思えてなりません。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-15)

>群れに迎合して生きてきた人たちは、そのアイデンティティに悩むという経験をあまりしてないのでわからないのかも知れない。 小さな群れの中で認められる事でアイデンティティが満たされる感じなのかな?アイデンティティに関しては人の事はよくわからないな。ただ自分の事で言えば、ごく普通の家庭で育ったけど幼稚園入園の時と小学校入学の時に父親の転勤があったから誰一人知らない子供の中で群れに入るのが非常に難くて、それ以降群れるのが苦手だった。だから別の場所で自分のアイデンティティを求めたのかも知れない。 >創作の世界で生きる人がアイデンティティに悩みがちだというのは、なにか秘密があるように思えてなりません。 私の場合はスポーツ競技の中で証明したいと思っていて、その世界で認められることもそうだけど、それ以上に自分が何処までやれる人間なのか試したかった。スポーツの世界って評価が明確だけど創作の世界だと中々難しいよね。どの辺りに目標を置くか、かな。たった一人でも評価してくれたら満足な人もいるだろうし、何かの賞を取って満足する人もいるだろうし、一冊詩集を出して満足する人もいるだろうし、万太郎さんみたいに人気者になりたい、モテたいって人もいるだろうから。笑

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-15)

モテたいのは、女性と一緒にいると落ち着くという面が多分にありまして。 一人によると、裏切られるんじゃないか? とか嫉妬心が湧くのが不安で。 それで、女性に困らない生活を送りたいという。 たった一人を愛すと言う狭い愛は、相手に信頼が置けるまで傍において考えたいのです。 どうしても、私の両親を鏡にしてしまうと、その狭い愛が家庭内において自分たちを脆弱なコミュニケーションに追い込んだように思えてならないのです。 私の両親は、外で繋がりを増やそうとか、友達を沢山作ろう、人と縁を広げようと言う意欲が昔から極端に弱い二人でした。 結果、長男は幼い頃から精神を病み、友達も多く作れず、学校も不登校。 次男は公認会計士になって、妻子を持ち、海外を飛び回るような生活を送ってきましたが、自分の息子も含め、人見知り的な性格は、両親譲りです。 家族内でさえ、私は長男と不仲なまま、充分な会話の取れない家族です。 私自身も、演芸を通じてなら、色んな人を巻き込んで楽しくやれる気がどこかでしているのですが、素の自分は、両親譲りの人見知りを脱しきれないままで今に至ります。 自分一人で孤独な物語を背負って生きているような感覚がどこかにあるのです。 同窓会のような気分で、友達同士で、過去を振り返ると言うような共同体のない世界で今日まで生きてしまった。 私のこれまでの人生は、読んできた本や、見てきた作品の中にあって、実際の現実における物語性は、友人が少ない世界で、ひとり孤独に生きてきたと言うような、酷く脆弱なものだったと言う気がします。 それは今後長く生きれたら、変えたいとは思いますね。それでモテたい。はっちゃけたい。それはあります。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-16)

>一人によると、裏切られるんじゃないか? とか嫉妬心が湧くのが不安で。 >それで、女性に困らない生活を送りたいという。 >たった一人を愛すと言う狭い愛は、相手に信頼が置けるまで傍において考えたいのです。 そこまで考え抜いてるとは^^; 私は恋愛に対して一度もそんなふうに考えたこともなくて、考えたこともない自分にある意味衝撃を受けました。笑 恋は「するもの」ではなく「落ちるもの」、と誰かが言ったのを覚えてますが、それは真実だと実感するし、愛することもまた制御出来るものではないと思うのです…でももしかしたら万太郎さんのように理性的に自分の恋愛を俯瞰するというか(上手く表現出来ませんが)、そういう恋愛もあるなのだろうと、新しい視点を頂いた感じです。そして、自分がいかに考えナシだったか…ちょっと考えを改めたいと思いました^^; >私のこれまでの人生は、読んできた本や、見てきた作品の中にあって、実際の現実における物語性は、友人が少ない世界で、ひとり孤独に生きてきたと言うような、酷く脆弱なものだったと言う気がします。 これはひたすら自分自身を見つめてきた時間なのでしょうね。ともすると歪な観念の世界を作ってしまってもおかしくないのに、万太郎さんの思考ってとても現実的に感じるんです。それはご家族の関係においても(自分を含めて)人間をよく観察されているからなのか、聡明さを感じます。行動すれば出会いが増えるし、そこでまた様々な事を体験して、また新たに色んな事が深まって行くと思います。 人見知りに関しては、私もでした。一人っ子だったし、幼少期にやっと出来た友だちと引き離されて新しい環境に放り込まれる経験も重なってかなり人見知りでしたが、好きな道に進めば気の合う仲間が出来るし、少しづつ少しづつ変わって行くんじゃないかな。必要に応じて変わらざるを得なくなるものだとも思います。苦手でもスキルが身について行くというか、経験が自信に繋がって行くと思います。 万太郎さんの未来に幸あれ!と、親戚のおばちゃん(いや、お姉さんにしておこう)のような気持ちになりました…

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-16)

ありがとうございます。 私の場合、恋愛をする際も、先ず相手への責任を考えます。 すると働いた方がいいとなる。 これは普通のことかと思ったのですが、違うことを痛感しました。 多くの人々は、一緒にいることが楽しい。それで責任は、そう言う行為に及ぶ際にといったところだと思います。 私の場合、付き合うとか付き合わないとか、それを決める際にもう責任が頭に入っている。 それが相手によく理解されないのです。 馴れ合いのような関係で戯れているのが少し苦手なのでしょうね。 まず計画的な関係性と言った、プランチックな関係を相手と付き合う際考えがちです。 それは機械的なものではなく、むしろヒューマンな情に支えられたものなのですが、それが充分には理解されません。 仕事にしてもそうなのですが、冷凍庫に閉じ込められて怖い思いをした私に対し、会社も私をフォローする名目の障害者の事業所も、閉じ込めた相手を問題視するのではなく、それで騒いだ私を問題視して集団の前で晒し者にしたのです。 それに対する訴えを全員で無視した周囲の問題を、半ば私が一人で尻拭いするように、取る必要のない責任をとって辞めたのです。 コロナワクチンの問題もそうですが、打って死んだらどうする? と言うような問題に対し、この国の人は誰ひとり責任について重く考えようとしてないように思うのです。 この話は壮大な政治的な話になりますが、厚生省は、当初と違い、コロナワクチンの副反応による死を公に認め始めております。 それに対する責任は誰に? と言うことに関し、会社は国に求めるでしょう。事業所も国に求めると思う。しかし、国からお金を貰い、下の人間に守らせた自分たちの責任については一切考えが及んでいない。 その責任感のなさが耐えられないのです。 そう言う面で私は人間関係全体に、人ほど無邪気になれずどうしても 「生きるための戦略」 と言うようなプランチックなものになりがちです。その冷静さは相手に十二分には理解されないですね。 そう言うふうに冷静に物事を考えてしまうからこそ、恋愛全体に関し俯瞰すると、結局は性欲の問題だと、そう言うところに落ち着くところがある。すると、恋愛に関して計画的プランチックな考えを持つし、恋人同士でラブラブのような表面的な体裁を保ちながら、もっとクールなものになるでしょう。 音楽評論家で渋谷陽一さんと言う人がいるのですが、あの人も恋愛に関し、割と無邪気より冷静な考えを持った人だと思います。色んなことを冷静プランちっくに考えてる人だと思うんです。それだけにコロナワクチンをめぐる発言内容に関してはがっかりしました。天才だと思ってたけど、意外と秀才だったんだな、と。 観察力は鋭いと思います。それだけに目を瞑ってしまいがちなところはどうしてもあるんです。そこの誤解かも知れません。目を瞑ると言うことも自分なりに、そうした方が円滑な関係を保つためにいいだろうという情に支えられた冷静な判断によるものだと思ってます。 話はうまいと言われるし、その計画的な視点が一般社会において馴染みづらいものを私は持っていることも自覚しつつあります。先の先を常に見てる。結局そうすると逆にうまくいかないですね。 なんとも言えないんです。うまく行かせるための計画性というよりは、責任ありきの情に支えられた計画性でしたから、このままコロナワクチンで国民の多くが亡くなり、それに対する責任を誰も果たさない見込みが出来てしまうと、そこに対する居直りが働く見込みがあります。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-16)

恋愛に関して、責任感から慎重になるというのは正しいと思うよ。他者に対する責任ってワクチンについても同様だよね。 では、国は国民に対して責任を持っているか? 人は他者に対して責任を持っているか? どちらも大変疑わしいよね。 前者に関しては利益という欲望が勝っていると感じるし、後者に関しては責任以前に無関心であるのではないかと思う。そういう組み合わせで起きていることではないかしら? 過去の薬害問題、ワクチンや薬の副反応や副作用の知識があれば治験もそこそこにカップラーメンみたいに出てきたワクチンに慎重になって当然だと思うけど、不安商法に引っかかるみたいに我先にとワクチンを求めた人が多かったよね。 私は恋人と別れて間もなかったから元彼にその話をしたのだけど陰謀論と思われたみたいだった。そして薬害が出たとしても国がちゃんと対応すると言い切る彼の思考に愕然としました。 人は自分が信じたいものを信じるし、それを変えることは出来ない。ただ自分は国や医療を盲目的に信用するのではなく自分の身を守りたいと考えるだけ、かな。 >先の先を常に見てる。結局そうすると逆にうまくいかないですね。 ここをもう少し煮詰めてみては? 私は先の先を見つめた時に絶望しか見えないけど、ではその中で自分がすべきことは?と考えると、自分が正しいと思うことをやり続けること、やり抜くことだと腹を括っているけどね。問われるのは、その強さが自分にあるかどうかでしかない。

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-16)

人間は誰しも他人に理解されない孤独な内側の世界を持っています。 人生を生きると言うことはその内側の世界と、自分が理解出来ない外の世界との接点を探す旅ではないかと私は思うのです。 そうすると、責任と言うものがいつ生まれるかというと。 赤ん坊から、ハイハイをして、親や周囲からものを与えられる時に、代わりに『守って欲しいもの』と言う取り決めから行動の自主性が生まれて、自分を律しながら主体性を発揮して人間は行動するようになっていくと思います。 率先して自分を律する。それが外側からのご褒美や、守られる代償としてから始まったことを思えば、人間はどこまでもわがままな存在だと言うことになるでしょうか。 米国に甘い飴を与えられる前の日本は、人間はわがままのままでは生きられないのだ。早く子供は大人になってもらわなければ困るのだと言う教育を積極的にする国だったと思うのです。 しかし、今の日本はどうでしょう? 積極的に自分を律し責任を持って、行動にあたることを本願とする日本人は大いに減り、責任はあくまで仕方なく預かるものだという本音が透けて見えるリーダーばかり。それを仕方なく仰いでいるのが仕方なく言うことを聞く国民という昔の言葉で言えば『嘆かわしさ』です。 「責任を与えられることが嬉しい」 何故そう思えないのか? とても残念です。 「責任を与えられる地位に登ることの代償として」 責任を与えられるのが嬉しいのではなく、責任を与えられること自体が嬉しい。何故そう思えるリーダーは現れないのか? とても残念です。 それは、もうこの国に情がなくなったということの現れだと思います。 「自分が挨拶してあげないと、相手が寂しがるんじゃないかな?」 そういう想像力がない。そこまで考えると、自分を律することによって、挨拶が出来る人間になりますよね。挨拶はしたいからしたいものではなく、自分が愛されているから、しなければ相手が可哀想だ。そういう情や縁が消えてしまったのだと思うのです。 人間関係を考える時に無邪気というのはある気がします。確かに無邪気でイチャイチャしている関係は傍目には楽しそうですが、いざとなれば相手への責任を考えているかが、冷静に付き合っている同士とどちらに表れているかで、分かる気がする。 私の目下の夢目標は自分の人生という物語を全うすることです。それは綴りながらも、その一本線を生きるということであり、それは目には見えづらい道理のようなものによって支えられているものです。 弱いものをいじめるのは良くない。 そう言った可視化しづらい道理に沿って、歩んできた自分の物語を最後まで全うすることですね。 先のことはまた後のことです。その欲を張っていたという一応の見栄建前が芸能界での成功というところですね。欲を張っていない目標を持って生きなかったというのが恥ずかしいことですから。叶う叶わないは二の次三の次です。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-16)

まぁ自分が出来ることを確実にやって行くしかないからね。 機会があればこれ読んでみるのもいいかも知れない。(すでに読んでいたら失礼) https://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E3%82%86%E3%81%8F%E3%81%88-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBN-%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4622037874/ref=mp_s_a_1_3?adgrpid=66144704150&dib=eyJ2IjoiMSJ9.n9Yox2iYNtKhzcXcL4-_iw.pZFzt3cgH-1zHzIgjLnprui3VUK-ZtsdqDQKH3mvqRI&dib_tag=se&hvadid=678993483747&hvdev=m&hvlocphy=9168147&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=4163422941799496096&hvtargid=kwd-411067885814&hydadcr=23547_13687334&keywords=%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC+%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3&linkCode=plm&qid=1721114737&sr=8-3

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-16)

それからやっぱり創作の方で表現出来るってすごい能力だと思うんだよね。切実さも欲もモチベーションになるならどちらもOKだと思う。(但し大切なものは見失わずに) 私はこの分野はさっぱりだから頑張ってほしいな~次回作も楽しみにしています^_^

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-16)

91年ですか。今から30年近く前にはもう今の時代で起きているようなことを指摘している人がいたんですね。読んでみたいと興味深く紹介文を読んで思いました。ありがとうございます。 91年といえば、私は小学生にもまだ行っていない頃で、その頃から感じていた世の中への違和感が今も地続きで起きている問題なんだよなあ。 私は、実在しない幽霊のような人間が沢山いるという妄想を抱いておりました。顔形はあるけれど、実際は存在しないというような。つまり存在を感じ取れないというコミュニケーションにおける何某かの壁のようなものだったと思いますが。 私の一家は、核家族で、当時から閉鎖的な世界でドメスティックと争いに明け暮れておりました。父は米映画が好きで、日本的なものはあまり受け付けない育ちでした。母も日本的なものに、ある種古臭さを感じる育ちだと思います。 和であるとか、みんなで仲良く過ごすといった調和意識。そう言ったものを、面倒くさいと思っていたところはあるでしょうね。

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-07-16)

ありがとうございます。万太郎ワールド万ちゃん節をどうぞご贔屓に! 来月は、スネークマンショー系で行ってみようかなあなどと考えています。 数年前に若いこだまというコントのパロディーをやったことがありまして。ではでは。

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-07-16)

>父は米映画が好きで、日本的なものはあまり受け付けない育ちでした。母も日本的なものに、ある種古臭さを感じる育ちだと思います。 私はアメリカの映画やドラマも好きだけど日本の戦前、戦時中のもの好きなんだよね。向田邦子の世界みたいなの。ドラマ化されていて毎年お正月に放映されるの楽しみにしてたな~何ていうか心洗われる感じ^_^ 万ちゃん節、楽しみにしておりま〜す!ではまたね。

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黒髪
作品へ
(2024-07-17)

皆さんは、詩の勉強はどうやってしていますか。私は、最近では岩波文庫のタゴール詩集を読んで、 非常に啓発を受けています。ほかにも、英語の原著でソローの「WALDEN」などを読んでみたいと 思って買ってあります。あとは、万葉集とかですかね……古語の知識は、詩には必携だと思います。 和歌とかの古語って、言葉を見ているだけで楽しいです。あはれ、をかしとか、身に付けたい 情緒がまだまだあります。

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-07-19)

病院に入院してたり、その前に、政治的なことで世の中の闇を知ってしまい、色んなことへの興味関心が途絶えてしまって、読まなくなってた時期があった。 今はグループホームにいるけど、このグループホームにいる人の世の中への関心の薄さと、読書量の少なさ。これが一般なんだなぁと。 大衆っていうものに少し夢があった頃もあったけど幻想だった気がする。 今考えてるのは、マイクタイソンみたいに過酷な世界で育った人間が紡ぐ文学で、成る可く語彙の少ない世界で、美しい言葉を紡げたらなあと。 それは監獄の中で美しい言葉を紡ぐようなイメージなのですが、戦後薄められ歪められた言葉を与えられた部分を直さないと、難しいのかも知れない。 それでもそこにリアリズムを見つけようとするのは、私が戦後の洗脳から抜け出せず、まだ少し愛着が抜けないことの証かも知れませんね。 ブコウスキーが好きです。つまり労働であり実生活が大事で、詩の勉強なんかクソ喰らえというような。俺様文学者。マークトウェインのハックルベリーフィンが使いそうな魅力的な言い間違い。それによって自由度の高い作品を描こうというバカボン的発想です。

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白犬
作品へ
(2024-07-21)

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白犬
白犬さんへ
(2024-07-21)

↑ごめん、ろむろうと思って、みすですん!

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