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生き延びるために十九から音楽を食べている
燃え尽きてゆく家々は茜色に震え、凛々しく立ち上がったスカーレットそのものになりたいと祈った。それはとても、憎悪に満ちていたような、そうではなくて、古生代のシーラカンスの臆病さだったのかもしれない。 祈りの水底に着地すると身体に羽が生えてきてね、飛び込む宙の先には高原があってゲラダヒヒたちに囲われていた。雷雲の風に揺れている向日葵が種子を放って、雨が降り出すまで、雷の音。 身体中が敏感に恐怖する。体形も体長も自閉の美学を優先に生きたい、生きようね、生きようって、なりゆきで変貌すると、扁平な体型になってしまった。アンコウのような丸い形の悲しみそのままに。ただ前へ。陸地に落ちてしまった僕は手を伸ばし続ける。 8つのひれを持つ シーラカンス 浮き袋には空気ではなく 幸せが満たされている きみはどう? 永遠に続く 退屈な音楽を 聴き続ける 乳飲み子のように 満たされて ※8月投稿作品枠大賞受賞希望作品
生き延びるために十九から音楽を食べている ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1883.4
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-21
コメント日時 2023-08-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
早朝からコメントいただけて有難いです。後ほど、しっかり読ませていただきます。一つだけ真にありますのは上手くなりたいという気持ちです。その上達への具体的なアドバイスをコメントの中で多大にいただけましたこと、感謝します。ありがとうございました。
1こんにちは。 世界を恐れていた若い頃の想いを描いた詩のように感じました。 自分を取り巻く世界への恐れから、深海に棲むシーラカンスのように潜んだまま外に出ない。 世間の規範や価値観に押し潰されて、扁平アンコウのようになってしまった。 そんな苦しい想いが巧みな表現で描かれていると思います。 個人的な感覚なのですが、人生は進化の過程のように感じることがあります。 種分化による適応と、不適応による絶滅。 心の中でそんな絶滅と新生を繰り返して、 その果てに至るのが、シーラカンスやオウムガイのようなものなのか、霊長類や顕花植物のようなものなのか、それは人それぞれ。 そんなふうに想うときがあります。 ところで、タイトルが「生き延びるために十九から音楽を食べている 」というものでしたので、音楽に救われたことを描いた詩なのかなと思ったのですが、 「永遠に続く 退屈な音楽を 聴き続ける」 みたいな、ややネガティブな感じで書かれていたのが少し意外でした。 でも、秀逸な作品だと思います。
1ええと、賞とゲー術とはまったくの別モンで、【賞】というのは権威ある筋からのお墨付きなワケです。 だから、ゲー術(パンク)過ぎてもイケナイし、逆にショボくてありきたりでもイケナイ。あくまでも権威ある筋の顔を立てないとイケナイ。 お金をもらっていないの(笑)で厳しく書きますが、悪くはない。しかしこの程度で賞をあげてしまうと権威ある筋の顔が立たない。 よーするに、作品の出来不出来より「ツッコミどころ」があってはイケナイ。 この作品は前半部分の過密な描写と後半部分のバランスが悪い。 お金をもらっていないの(笑)であえて言うが、構造的に【尻つぼみ】だ。 これではボクは賞へは押せない。 1,000万円くれたら考えるが、、 笑
0コメントありがとうございます。詩を書くということは難しいと、改めて、考え込んでおります。7年前に書いた自分の作品、改めて読み直しました。薄っぺらでありました。その薄っぺらな言葉たちが、ほら、お前が書きたい現代詩はこれだ、ほら、こんなんで出しておけと。言葉を適当に扱う人間はそうなるよなと、自虐してしまいます。そう考え込めば込むほどに、これまでの適当にやり過ごしてきた、ような、そのような、ありし日々か、ぼんやりした日々か判りませんが、そういう事は本来、もう黙っていなければならないものだったか、とも思うわけです。いえ、m.tasakiさんが挙げていただきました通り、音楽に救われましたと、そう返事が出来る人間には成れなかった。歪んでしまっても生き延びれたらそれでいいと、人間性を適当にやってきました。詩が書けても、詩の神様には見破り捨てられてしまったようで、 コメントありがとうございました。
0atsuchan69という呼び名、いいですよね。僕はパンクロック好きなんですよね。そんなところで踊っていられる、踊らせれるような立ち位置に到達したかったんです。おそらく、情が厚い方なのでしょうね。こんな私に声をかけてくださって。MAD BOYは詩を書けるんでしょうか。MAD BOYは詩なんて絶対に書かない。書けない。貴方の作品を読む程にわかります。羨ましい。けれども、殺してやりたい。その憎悪は絶対に貴方には見破れませんけれども。ありがとうございます。
0コメントをありがとうございます。 「どこがどう巧みであったか言わないと上手くなりたい方のためにならない。」 仰る通りですね。 ご指摘ありがとうございました。
0※このような詩が月間大賞になってしまってはたまったものではありませんw と、感じました。 この詩は、詩というより扉を開こうとする力の類です。 開かれた扉が観光名所になるのであれば、私はお土産屋さんをこさえてポストカードを販売したいのです。 しかし、この詩が大賞を取ってしまっては詩を書く人は詩人である前に革命家であれと言われているような。ものかも知れなくなってしまうのでドキドキしてしまいます。
1こんばんは。 非常に多面的な、えてして複雑──猥雑になりかねないところを、ギリギリの筆致で抑えているように感じました。 ああ、みうらさんは大人で(当たり前か)こんな現代詩書けるところへはっとしましたね。 その、滋味といいますか、渋みですね。 そのキーワードになるところは拾えると思うんです、シーラカンスからミスターチルドレン とか。 しかし筆者は、そういうカルチャーへ触れつつも、高密度にそれを解析、再構築して やってのけた。 読後感としてはヘヴィですよね。それが良いのか、悪いのか。 スカッとするキラーフレーズが欲しいのか・・・。 やっぱりセンスとして飛んでおり、それを追うのに必死なじぶんがおります。
1●評価(結論) 着眼がよく深い余韻のある魅力的な詩ですが、散文が洗練されていないために魅力が活きていません。散文を基礎からやり直す(手本は現代詩より小説がおすすめ)か、行わけ詩に振り切るかすれば、よりよい詩が書けると思います。詩才は充分に感じます、難点は文章それ自体です。 ●読解(評価の前提) 題名と散文部分の匂わせを総合的に嗅ぎ取ると、「語り手は19歳で死んだも同然で、まだ人に戻れていない」というようなことが感得されます。初聯1段では帰るべき場所が焼き払われ、語り手の罪悪感(スカーレット)が示唆される。2段では母胎に回帰し、再び人へ至るための進化の過程をたどる。2聯で陸地に産み落とされるが、人の姿に至っていない。印象は文字通りの「人非人」。 3-4聯の行わけ部分は、語り手の「祈りの水底」(初連2段冒頭)の抒情。人非人の語り手が封印している本心のようなものが、人格の表層へ浮上することなく心の奥底に沈んだまま、「永遠に続く/退屈な音楽」に涵養されています。この感想は詩形から直感的に得られたもので、合理的な根拠はありません。 「退屈な音楽」は、かつて聴いた子守唄か、心音か、いずれにせよ語り手の人格の核心にある「もう変わりようのないもの」。その音楽が「永遠に続く」という修辞は、この本心のようなものが、ずっと沈んだままもう浮上しないのであろうこと、すなわちすでに失われていることを予感させます。 ●特に好きなところ 後半の行分け詩は全文大変よい。特に3聯は簡浄素朴でよく響きます。 >浮き袋には空気ではなく >幸せが満たされている 本物のシーラカンスの浮き袋につまっているのは脂肪(蓄積されたエネルギー)ですが、ここでは「幸せ」と呼ばれています。「幸せ」が重いから「祈りの水底」から浮上できないという、どシンプルな描写に虚を衝かれました。幸せは活力だが、幸せだからどこにも行きたくない(活力なのに活かせない)という撞着も、「幸せ」の重みを深めています(へんな日本語だけど)。 ●よくないところ 前述の通り、散文が洗練されておらず読みにくいです。前半の描写が散漫であり、伏線として機能しているようにはみえず、選語の必然性を感じられないのが特に残念です。密度や精度は低くなさそうですが、読みにくすぎて行間まで読む気になれませんでした。 訴求の要の冒頭がこれでは、せっかくのすばらしい後半まで読み通してもらえないかもしれません。以降はぜひ冒頭に注力してください。構成は上手です、難点はとにかく文章それ自体です。 ──────── 以上「向上のためのアドバイス」でした。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11520 どうかクソバイスになりませんように。
1私も深海のマンボウを思った時があり、音楽の記述も音楽という人間の喜怒哀楽の作品化したエッセンスを愛して踊っていても、踊らせられているのも事実で、真に有意義に生きる、リアルに生きる、という意味では退屈な音楽を聴いていることにもなる、という疑問を持っているので、音楽中毒的な人の吐露かなぁ、と素朴に読ませていただきました。難しい批評はできませんが、深い意味を嗅ぎ取って書いているみたいな方が居て、私はそんなに読解力が無くて、驚いています。でも味わいがありました。
1おはようございます! 詩人、、、どこか透明なものにおもえる日も、あったりしますね
0コメントありがとうございます。24時間の長さは長く思う時もあれば短くもあり、私たちはいつもその悠久の河にあって、砂つぶでしかないのかも、しれないですね
0いつかのおもいでをいつかもう一回と繰り返す私ですが、散文がもっと綺麗に書ける日がくること、期待してくださると嬉しく思います。
0歌そのものになれたなら、どこからどこまでが陸地で、ここから海が始まるのかと、そのような場所にお互い立てるのかも、しれませんね
0生きたいから嘘をついて 吐く言葉は赤かった 「深海魚に似ているね」 そう言った友人は 今も海の深い底で泡を吐いている 音楽に救われなかったとしてもそれは 赤い浮き輪のように 波間にゆらめいている 僕の手は
0返詩、ありがとうございます! ちょうど、昨夜、アップしました返詩についての記事がありますので、トビラさんだけでなく、みなさん是非お読みください! https://note.com/breviewofficial/n/n581b900ca1b8
0▷永遠に続く 退屈な音楽を 聴き続ける 乳飲み子のように 満たされて パンクしてるって感じました。
0生き延びるため、と言うとそうせざるを得ない事情を想定するんですが、 本文にはそれがあまりなくて、 きみはどう? と大事な基準を他人にゆだねてしまっているように見えるんですよね。 他人ではなく自分のなかにある幸せはなにか、幸せでないならば代わりになにがあるか、 それらがなぜ存在するのか。 質のいい音楽には構成があって技術があって物語がある。 賞をとるために、選者とよばれる人たちの傾向と対策を練ることに、 意味を見出せなくなってからが本番な気がします。
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