作品投稿掲示板 - B-REVIEW

takoyo2


投稿作品数: 3
総コメント数: 103
今月は7作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
京都市立北●中学校三年中退 職業遍歴は100以上 無職、無学、無能、3つが無いから "みっともない"。何の約にも立たない 棒きれのような男です

takoyo2の記録 ON_B-REVIEW・・・・

精力的初コメント送信者

作品への初コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

精力的レッサー(月毎)

月毎コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数
✖1 ✖1 ✖1

優良B-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

活動的投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

  バカ者よ ♪バカぁ者よぉ アタマを鍛えておけ あさましい心がぁ~ 金づちのような頭に からくも 支えられる 日がいつかは来る その日のために アタマを鍛えておけ バカ者よ (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

1 時間前

谷川チンタ郎か......。 お上手な詩を書くよね。いわゆる"お坊ちゃん詩"で わたしのような歴戦の人間通、世間通、世界つうには まったく響かない、市販の絵葉書のような詩だけど。 谷川のような詩がこの国の詩を徹底的に糞だめのような ところへぶち込んでしまったと思ってます。 谷川以来、日本の詩はなくなっと同じです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

1 時間前

「白々しい」という言葉があるように 闇がなければこの世はどれほど退屈で白白しかったか しかし、「ぬまたばの~」の世界はますます失われつつある というふうなことを、これを読んで感じました。 まあこの作品のような大人の感慨はなかなか渋いものであって なかなかに受け入れられるものではないでしょうね。 (闇の中の光ほど欺瞞に満ちたものはない)

1 時間前

   バカの解放 バカは孤立していた バカが集団で群れることはなかった バカには壁があった バカの発言は事前に 知性的な出版社や 知性的なテレビ局や 知性的な新聞社が検閲して へっ! とばかりにゴミ箱に捨てていた あるいはシュレッダーにかけられて 粉塵のように処理された だから バカは孤独であった バカは膝を抱えて この2000年間沈黙していた そもそもこの社会に バカの意見など必要なかった バカはしょせんバカだから バカなことしかいわない バカの壁があるから社会は 平和だった が、 しかし が、 しかしであった SNSの登場はバカを解放した これまで蓋をされていた 大量のバカの意見が 陽の目を見ることになった とうぜん バカは群れる バカの大将のもとに 大量のバカが吸引され それが yutuberというバカの親玉を 生み出した 産業革命と同じ歴史的転換だが 中味はただの バカ革命だ バカの意見など聞きたくないのに 市民権をえて キ●ガイ、バカ、間抜け、阿呆 異常者、狂人たちが SNSで大手を振って歩き出した オーマイガッド! オーマイガッド! 神様お願いだあ 歴史を巻き戻してよ バカなんか見たくないよ 解放なんかしてほしく なかった え? お前もわたしが解放した バカの一人だって? オーマイガッド! (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

3 時間前

気の合うお仲間がおられることはいいことだと思います。 わたしはそういう言論空間を批判しているのではないので これからも皆さんと談話をお愉しみください。 わたしのほうは皆さんのお邪魔をするつもりはないので 当分、個人的に忙しいこともありコメントはひかえます。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

そうです。 かなり悲嘆にくれています。 でも視点をどこに置くかで変わってきますね。 一個人の生活をみれば物価上昇や税負担の増加などで 庶民の家計は苦しくなってますけど、それほど不安に は思えない日常がつづいているのでしょうね。 お読み下さりありがとうございます。 同じく動画を投稿している者としていつも御作 拝見しております。お互いがんばりましょう。 (大人用おむつの中で)

2024-07-03

仲間をかばいたい気持ちはわかるけど、いちおう二人とも 運営の中核にいて、選評を担当しているのだから、 あまりにひどいデタラメな批評しちゃだめだよ。 田中恭平くん、あんたがいってることは口からでまかせです。 きみや黒髪くんには良心ってものがあるの? 黒髪くんの文章をちゃんと読んでないし、読めてない。 こんなコメントを書くなんて不真面目にも度がすぎる。 おまえ、真面目に生きてるのかっ!? まあ、二人とも 不真面目で 権威主義で 長いものにまかれろだ。しかも、 力のある者におもねって、命令もされないのにみずから弱い人間を 虐めることを平気でするタイプだ。 そういうどうしょうもない二人が、ちょっと本当のことを批判されて、 反省するどころか己をかばい、仲間どうしでいい加減に馴れ合って 話をうやむやにしてどうするの? 前の運営では、 室町礼が澤あずさと批評文を巡って言い争っていた時、黒髪は内容が何も わからないくせに間に入ってきて室町に対し「あんたが間違っている。 反省しなさい」と意味不明の叫びをぶつけていた。 室町は異質で運営からも疎んじられていた。澤は逆だ。そういう存在に対して 無意識に場の空気を読んで強い立場の者におもねる。 排斥されているものを(強者に媚びて)排斥する。 それが仏教やイエスの言葉を語る者のすることであるはずがない。 なぜこの二人がそういう人間になってしまったのか。 理由は簡単だ。 この二人はおそらく社会に出る前に学校や家でもイジメに あっていたのだ。強烈な虐待やイジメに。 そういう人間の多くは心理的な転換をはかるためにのちに必ず無意識にイジメを 行ってしまうことがある。 一方で物凄く格調高いモラリズムを口にするのもそういう人間の特徴だ。 異端者であり嫌われ者のわたしtakoyo2などは黒髪くんや田中恭平くんに とっては心理的な意識逆転の格好の餌なのかもしれない。 まあ、なにやってもいいけど、田中恭平、おまえもっと真面目に生きろ。 仏教がどうの、一茶がどうの、片端から有名人の名前を持ち出してくる その胡散臭さ。じぶんで気づいているのかどうか知らないが、 精神的な病いなんか、いまどき何の弁明にもならない。みな狂ってるんだ。 甘えるな! (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

長文は読めないはずなのにこれはすっと読めた● 「●」のせいなのか? もしこれが普通の句読点とか だったら●いつものように退屈になっていたのか? いや●そうじゃない●多分●文体のせいだ● この方の文体はふつうじゃない●身体性や生活履歴が まるで言葉に変身したかのようにリアルな存在感をもつ● それはまさに才能と環境がつくりだした文体だろう● そして不思議なのは●一見ふつうの文体に見えることだ● その特異さは●長時間の鑑賞をわたしには許さないが● それでも才能がここにあるとしかいいようがない● しかし●才能とは僥倖なのか不幸なのか? 際どいところで問いかけてくる。 (A DAY IN THE LIFE。―だれよりも美しい花であったプイグに捧ぐ)

2024-07-03

2024/05 作品と選評を読ませて頂いたのですが、 面白いね。 田中恭平、黒髪両氏の選評が面白いというよりは、この両者に 選評を委ねているところが面白いと思った。 ここに投稿されている詩、わたしにはほとんど意味不明だから このお二人に どこが面白いのか教えて貰いたいと願って、平伏して素直に読ま せていただいたのですが、まったく何もいってない。笑 ふつうに感想を言ってるだけ。そこから得るものが何もないという この爽やかさというか、何もなさ。くそ暑い夏にはいいかもしれない。 これがもしアラガイs氏の解説だったりしたら、そのアホらしさに ぐったりして、寝込んでしまったかもしれない。 いや、いいね。何もないってことは。際立っている。 爽やかだ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-03

詩を書く人に多い ことばで自由になる極意を皆伝した人の ひとりだ。 本人がトイレにいるのかクラブで踊っているのか 場末の路地裏で女を漁っているのか定かではない としても。 (ストレスドデザーツ(菓子めいたタイめしか))

2024-07-03

>詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるのが建設的だと、..... "建設的"の意味が曖昧だから正確な反応はできなのだけど、まず、 "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんて読み方している 人がほんとうにここにいるの?笑 本人がそう思っているだけじゃないのかな。それに、"詩の一行一行をしつこく しつこく掴んで問い詰める"なんて読み方が、詩の読み方としてふさわしいとはとても 思えない。 ぼくらがぼくらの尊敬する偉大な詩人や詩友から教わったのは  詩は太いラインで読め ということです。わたしが思うに、これには次の意味があります。 そこに現れている細かい字句にいちいち目を奪われる前に、まず 行間にあるものを含めた全体から受ける俯瞰的な印象を大切にすること。 それはつまり 読み手一人ひとりが、詩学としての知識にはうとくとも自分自身の感性を 信じるということです。 そしてだれであれ、天才であれ詩的な表現行為をすることの初心者であれ その人が「ダメ」と思ったらそこでもうその詩に対する評価をやめてなんら 差し支えありません。 熊倉ミハイさんのいうような行為は、太いラインで読んだうえで、 感動した作品についてもっと知りたいと思った方がやればいいことです。 いちいち詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるようなことをしていれば、 ここに投稿される作品一週間分でも一年かかります。笑 黒髪くんの投稿文はわたしからいわせると、一見してすぐにピンと来るものがある わけです。行間も含めて太いラインでさっと俯瞰すると、 これはカルト的に自意識が異様に拡大した状態であって、はっきりいっちゃうと 普通じゃないんです。なにが普通でなにが異常かというのはむつかしい問題ですが わたしたちが居酒屋や喫茶店で会話するさいの「ふつう」とか「異常」とかいう 概念と同じだと思ってください。つまり、黒髪くんは自分では正常だと思っているかも しれないけど、ronaさんが仰ったように文章が支離滅裂なんです。論理もでたらめです。 これはここだから通用する文章であって、広い世間では相手にされません。 ふつうの人は太いラインで読んですぐにそのことに気づくはずです。 そのような文章にコメントしたのはわたしが悪いと言えば悪い。まともな返答が返ってくる はずがないのがわかっていてコメントしている。 多くの初心の人にわかってほしいからあえて批判したのですが。 この文章をもし熊倉ミハイさんがいうように "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんてことしたら頭が痛く なるでしょうね。多分、熊倉さんご本人もちゃんとそうはやってない。言葉の端々だけをみて あげつらっているだけじゃないかと思っています。しつこく問い詰めるにも、 黒髪くんがいっているデタラメな宗教用語まで調べてちゃんと問い詰めてごらん? それがほんとうに"言葉の一行一行をしつこく問い詰める"ということです。たいへんな 時間がかかりますよ? たんに、言葉だけを拾って揚げ足取りをするだけじゃ話になりません。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

【さてここからが本題】 黒髪さん、 わたしの言ってることをちゃんと理解してもらえないようですね。 あなた個人を非難しているわけじゃないのです。 仏教やキリスト教のようなものに踏み込んだ人たちが、 最初に必ず間違うモラル(人間のこころ)の取り扱い方が間違って いるといってます。 だからこれを読んだ方にちょっとばかり立ち止まって考えてみて ほしいからコメントしたのです。 ましてや、 "異質なものを理解するな"、なんてどこにも書いてませんよ? 黒髪さんの発言は異質とかじゃなくて、 まるで自分がイエスやブッダになったかのように錯覚して、人の上 から語り始めることばだから、異質というよりも それは仏教として間違っているといったのです。   エベレストに登頂した人類は   最高峰よりご来光を眺められる と書いている。 これは人心や精神の価値に高低がありエベレストがあると考えて、 人の意識の価値に高低をつけるものになります。 この段階ならまだいいけど、それがいつのまにか人間の存在価値にも 高低があると考える人が出てくる。 唐突に思われるかもしれませんがイスラエルによるガザの妊婦や幼児、 病人を狙った大量殺戮の背後にある宗教思想はなんだと思います? あなたが前にもいった 「大切なものを守るのに理由があるでしょうか?」 という聖書のことば。それを持ち出した選民思想によって今のガザ 大量殺戮ホロコーストは支えられているのです。 かといって人の下から見上げて語れとはいいません。 わたしたちは虫じゃなく人間だからです。ブッダでもイエスでもない。 同じ地平から世界を見ている存在です。 自分の目線をね、上にしたり下にするんじゃなくて、 黒髪くん、自分の、あなたの!自分の目をちゃんと取り戻しなさい。 話はそれからです。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

黒髪さんがいくらオレは正しい!、不浄で悪質で間違っているのは takoyo2の方だ! と大声で叫んでも、あなたはわたしには勝てない。 なぜなら 文面から察するに黒髪さんは今、浄土にいるか、浄土に行こうとしている人だ。 浄土真宗がいう浄土とはあくまで比喩であって 黒髪さんがここで書いているような精神の境地、一種の極楽三昧境のような こころの在り方をさしている。 (わたしにいわせればバカバカしいばかりの錯覚や妄想でしかないのですが) ところがわたしはといえば、 その浄土から戻ってきた人間だからです。黒髪さんが否定している欣求浄土 から厭離穢土に戻ってきた人間なんです。 浄土真宗のいう仏法の真骨頂、"二相回向"のうちの"還相回向"が親鸞思想の 最終形態なんですが、 わたしがまさか親鸞と同じになったとまではいいません。 しかし、少なくともわたしは親鸞さんと同じく欣求浄土を捨て、厭離穢土に 生きることを誓った人間です。 そのわたしに黒髪さん、あなたは逆立ちしても勝てない。周回遅れでわたしの はるか遠くを走っているだけです。 じゃあ。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

あらかじめ詩を書く人間がそこにいるわけないでしょうね。 ほとんどの人は短文を書いているだけだ。 それが書かざるを得ない短文であってもそれが詩かどうかは このわたし(味読する人)が決める。 書いている人間があらかじめこれは詩だと思って 書いているのならよほどのバカだ。 だって「詩」がなんであるか知らないでしょうからね。 わたし自身がわたしが書くものを「詩」だと思って 書いたことなど一度もない。 周りへの説明上、仕方なく「詩」ということにして 語っているし「詩人」がいるように語っているが 今現在、この国に詩人など一人もいないし、詩を 書けてる人間など一人もいない。 あまり詩の領野を穢すものじゃない。人間が穢れているから とうぜん詩を口にする自称詩人たちのせいで詩が穢れる。 それだけのことじゃないかな。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

一生懸命なのはわかりますが綺麗事を書いているだけ。 そういう綺麗事を書く根拠が見えてこない。 いや、わたしにはわかるのだけど、それをいうと目もあて られないからいわない。ただ、これだけはいっておくけど、 文学というのは綺麗事を書くのが文学じゃなくてね、逆に そういう綺麗事をなぜ書くのか、もちろん(「うわー、凄いこと 考えてるのね、きっと立派な人なんだわ」)と思われたいという 下世話な動機がある人もいるだろうけど、 文学てのはそういう綺麗事(理想や思想や哲学)を語るのではなく、 それをなぜ語るのかという本人の生活の匂いがするところがみえてこないと、 そんなものただの綺麗事を書いただけで、文学じゃないんです。 わかる? 文学というのは綺麗事じゃないんです。 こういうものを褒める人がいるから書くのでしょうけど、それはもう 文学でも思想でもない、なにかもの凄く薄い、人間性が摩耗した なにかひどくろうわいな空間だと思いますね。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

偉そうなことをいうがお前さんの詩は品がない。 だれがみても吉増●造の物真似だ。短い行をあっち飛ばしたり こっちに落としたり、それでやっと現代詩風になっている。 それを現代詩がわからないバ●が褒める。 まだ文学極道に投稿していたころのほうがはるかにマシだった。 狎れてくるといかにも現代風の詩風をモノマネして 現代詩フォーラムあたりの半素人から受けるて気分をよくしている。 だからますます真似る。その結果、目も当てられない。 あ、またちらし寿詩かと思うと読む気にもならない。現代詩は記念絵葉書 みたいにきれいに桜や城や山や海が映ってれば詩になるものじゃない。 まず思想のかけらも哲学のかけらもないことが一目瞭然。 偉そうなこと書くまえにおまえさんの下劣な詩をなんとかしてからにしては いかがでしょうか。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

しかし、いくら反感であってもメルモsアラガイsくん よりは遥かにましだ。反論できる言葉になっているから。 メルモsアラガイsくんの場合はもううわごとのようなもので、 知識も出鱈目だし論理も出鱈目だから手のつけようがない。 さか たけおくんなら内容を知的に批判できるはずだから 反発があるのならちゃんと内容を批判してほしいね。 正確な事実をもとに。(西側プロバガンダの押し付けは ごめんだよ) (ウクライナの真実)

2024-06-30

あいかわらず意味不明なことをいってるね。 偏差値教育を受けると、ここまで論理的な思考ができなくなるのかな? 頭悪そうなことをいうからきみが何をいってるかわたしが説明してやら なければいけないみたいだ。 1.まず、きみ(さか、なにがし君)は"コソコソやること"を無意味だとしている。 2.では何が"コソコソ"かというと、 3. ネットの片隅での投稿行為(批評、詩、散文....etc))であるらしい。 4.そういう表現行為は「影響力」も「説得」もない「どうにもならない」行為と断じている。 5.つまり「ネットの片隅」とはこのビーレビを指していることになる。 ここまで砕いてあげれば幾ら頭の悪いさか、なにがし君にもわかるだろ? つまり 6.ご本人がその「だれも見向きもしない、影響力も説得する術もない」SNSで 7."こそこそ"とコメントしているのだが 8,さか、なにがし君が「自分の欲求を発散したいだけなら、今のままでもいいと思」 うけど、 9.ビーレビをデスり、投稿者をデスり、自分までデスって...... 10. はて、さか、なにがし君、なんできみはここにウクライナの詩を翻訳投稿してるの? 11.それこそきみが「ネットの片隅」をバカにするなら、 きみのその「AIでも翻訳できる」翻訳を、きみが馬鹿にするこのビーレビに投稿しないで 12.努力して第二の岡部芳彦にでもなったらどうだい? 13.「自分の欲求を発散したいだけなら、今のままでもいいと思います。」けどね。 以上、前回にも言っただろう?  そのまま君にブーメランするわけのわからない言葉だって。頭悪すぎるんだよ。 こういう反感だけの陰湿なコメントはいらないんだよ。やるならもっと論理的に内容に即して 批判すればいい。それなら反感であろうとも大歓迎だ。内容を批判できないから、 SNSをデスり、ビーレビをデスり、自分までデスってどうする?かか大笑。 片腹痛いよ。 (ウクライナの真実)

2024-06-30

おそらく後世の詩人たちによって今の時代は 詩がもっとも穢された時代として厳しい嫌悪の 対象になるだろう。その時代に生まれて今の時代の 詩人たちの愚かさを 未来の目が覚めた詩人たちとともにコケに出来ない のが寂しい。ほんとうにどうしょうもない。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

アラガイくん、きみの頭の悪いコメントにストーカーされて 現代詩フォーラム退会したが、今度はここまで追いかけてこられては いかにおれでも、うんざりだ。ここも退会するしかないだろうね。 おめでとうアラガイくん、おれを追い出した功労者だ。はは。 表彰してもらいなさい。もう追いかけるなよ。頭の悪いコメントは 糞投げられるより具合悪いんで。さか、なにがし君もね。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

あー、それと、さか君「今のままでは、数多いネット記事の 範疇を超えていない。」とのことですが 日本現代詩人会のイカれた情況認識とそれを未だに訂正させようと もしない日本の詩人たちのアホさ加減をわたしのように非難している ネット記事があれば紹介して頂きたいね。 わたしの知る限りネットをくまなく探してもわたしだけだが。 さか君、デマはいけませんよ。一生懸命知性あるふりをしたいようだが 知性のかけらもない、デマ野郎でないのなら、わたしと同じような批判を している「数多くのネット記事」少なくとも10コばかり紹介してよ。 さかくん。頼みますよ。デマでないのなら。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

えーと、今昼飯に牛丼食ってるんだけど、んーと知性をまったく 感じさせない反感にちょっと驚いている。牛片が鼻から吹き出しそう。 あなたが語った主観的な反感は全部そのままあなたにお返しするとして、 それはともかく、相当に頭が遅延しているんじゃないだろうか? 思考力ってものを持っているのかな? 反感が先立って憎悪のあまり 目がかすんでるんじゃないのかい? 数多いネット記事の内容が大事なんじゃなだろ? 百人いれば百人、 記事を読んだ理解力が違う。きみやメルモsアラガイsくんのように 頭が遅延していると朝日やNHKのデマニュースから一歩も出られない。 そのような人間がどのような記事を読もうと同じだと思うけどね。 はい、さようなら。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

あなたさまの返信は読んでないのだけど(いや、申し訳ない) 忙しいのだから、ちょっと邪魔しないでもらえないかなあ とついうっかり言う所でした。そういうこといっちゃいけないの だろうけど、これ真面目な国際問題の話でぼんやりした詩の批評 といっしょにしてほしくないんですよ。最低でもちゃんと歴史でも 勉強していただいきたいね。あの、あなたにはこれで返事しません からね、今後は。申し訳ないけど、現代詩フォーラムに帰って下さい。 うるさくても勉強になれば大歓迎だけど無知を大声でふりまわされては たまったものじゃない。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

気持ちはよくわかるんですけど、誰かさんがいっていたように うんうんで終わるような文体ですね。 こういうの表現するの悪くないけど、問題は文体ですね。 いや、これ作者さんにいってるのではなく自分にいってます。 わたしも作者さんと同じこと思っていてでも書けない、 勉強になります。 (小鬼)

2024-06-29

気楽な話をしたいならそれを誰もとめるわけないし、 堅い話?をしたいなら(当人はそれが気楽で面白いのだろうから) 難解な話でもなんでもすればいいのじゃないかな。 気楽にいこうが いくまいが対話す当人それぞれの自由でしょうね。 おれ個人はだれがスパゲティのかわりにアンチョビ使おうが そんなことここでやることかと思うけど それも勝手だからねえ。まあ、黒髪さんには失礼したよ。 黒髪さん、お話に付き合ってくれてありがとう。元気でね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-28

模倣は大事ですよね。模倣とは、伝統であり 人間の歴史の引き継ぎであり 創作の源泉であるといえますね。 キム・シ・ジュンという結構有名な在日の 老詩人がいますがこの方の授業は模倣です。 外国の詩人の詩を10篇ばかり刷ってきて 結構有名な詩人である聴講生たちに配り、次の 講習までに模倣作品を書かせる。 「模倣しなきゃ詩なんかすぐに書けなくなる。 わたしなんか数編書いたらも何もない。模倣が すべてです」こういつも仰ってました。 (模倣)

2024-06-28

おやおや、わたしは「ならず者」から「悪人」を経て今度は 「善人」に昇格ですか? ところで、黒髪さん、 あなたは仏教者としていったい誰を救いたいのですか? もちろん、救うということは救われるということでもあるとしても、 一人の修行者として誰を救おうとしているのです? まさか、この飽食平和かつ安心安全な国で今だけカネだけ自分だけと、 世界情勢ひとつ顧みないで暮らしているお気楽な人々のだれかをですか? しかしブッダは何もインド人だけをみて教えを説いたのではない。 世界を見ていたいのです。 世界の人々をすべて掬い取りたいと考えていたのだとすれば、 仏教者は昔と違って世界中に厄災をばまらく経済構造とその構造が 生みだす数々のジェノサイドに怒りを覚えるべきはずなんですがね。 ベトナム戦争のときは多くの僧侶が米大使館の前で焼身自殺をしました。 いまはそんな僧侶は一人もいない。逆にもと軍人がイスラエル使館の前で ガザのジェノサイドに対して抗議の焼身自殺をしましたよ。 日本のテレビは報じませんが。 https://www.bbc.com/japanese/articles/c72g2x9dqnzo 米はこのジェノサイドをイラクやアフガンと同じように容認しており それに同調しているのが日本政府と日本の主要メディアです。 つまりわたしたち日本人は、またしてもジェノサイドの協力者なんです。 そのことに恥じなくても、仏教者なら、少しは罪悪感を感じてはどうです? ブッダ黒髪に良心があるのなら。   >あなたの世界観は分かりました。では、あなたはあなたで、   >私は私で生きて行くこと、そうするしかないですね。 そういう話じゃない。仏教者だ、ブッダだとほら吹くなら避けては通れない 道なんだよ。この問題におれはおれ、知らねえよというのなら、今後二度と ブッダの化身みたいな偉そうなことをいうのはやめなさい。 人を「ならず者」と認定したり「悪人」と断定したり「善人」と認証したり いったいきみのどこにそんな資格があるの? 世界に目をやったこともない仏教者がいるのかな? そんな仏教者なんか この日本だけじゃないのかな。 まずは黒髪くん、一から世界を人間を生活を勉強しなおしなさい。 きみの滑稽な仏教与太話が通用するのはここだけだからね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

わからないで当然ですよ。あなたが仏教者でもなければ 善人でもないからです。良心などかけらもないからです。 もし少しでも自分をみつめることができるなら、この 飽食平和の日本でこれまで安全安心に生活できて、きたこと、 一方で日本以外の世界中で欧米による大量殺戮、国家転覆、 暗殺、クーデータなどによって、アフリカ、南米、東アジア、 東欧、中東などで、 これまで数百万の数千万の人間が殺されていったかに思いをはせる はずです。彼らを殺したのは欧米の資本家です。そしてその連中 に基地を貸し、連中の殺戮戦争を金銭的に支援することで 日本人は飽食平和と、安全安心な社会を手に入れた。 仏教者として、もしきみが この非対称な世界に生きていることに内省的になれば、必然的に生じて いる日本の原罪に少しでも目をこらすことがあるなら、わたしたち日本人が人殺し であるという自覚が生まれるはずです。 きみもぼくも人殺しなのだが、きみは意味不明だという。それはきみが ツラの皮もなにもかも分厚いし、じつは鈍感な人間だからだよ。 そもそもブッダの生まれ変わりみたいなことをぶつぶつ言ってる時点で マンガなのだから、きみに何も期待などしてない、 わからなきゃわからないでいいよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪くん、 しかし、きみは人を殺してるじゃないか。 まさかきみは人を殺していないとでも??? 潔白だとでも? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

あのねえ、ん~と、人の言う事を少しは真面目に 聴いてはどうかな、黒髪さんは。 きみの長文の返事、全部、きみの生活や身体の匂いがしない。 具体性を欠いた大雑把な言葉でしかないことに気づかないのかな? きみは生活というものを持っているの? 漠然とした仏教概念を語っているばかりだけど、きみは ポルノサイトをみてマスなんか書いたことあるのかい? マスって言ってわからなければセンズリといえばわかるかな? 黒髪さんはね、まずはポルノサイトみてセンズリでもかくことだ。 いや、本気の真面目でいってます。 ブッダなんか語るの百年はやい。どうせもてないだろうからうどん屋の バイトの子でもいいから追っかけてね、一発やって大人になってからだな。 パンツから精液の臭うような濃い自分が語れるようになれば 相手にしてあげるよ。うん。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪さんはね、どうして自分がブッダとかイエスとかを 気取りたがると、なぜ「悪人」や「ならず者」を無理に作り出さなくては ならないか、その心理の機微を静かに見つめることです。 わたしは仏教だけでなく心的現象論もずっとやってきましたから わかるんですが、あなたはビョーキといえばビョーキです。 聖なる存在であることを確かめるために、悪者を探し出そうとする。 もちろん、このブッダへの傾倒とその言説の振り回しはじつは 自分に自信がもてないからです。だから人間はにっちもさっちもいかなく なるとそういうところ(宗教)へ逃げ込む。しかしこういう人の難儀なところは かならずモラルを盾にして「悪人」や「ならず者」を探し出して だれかをそれに祭り上げるところです。これってのは学級でのイジメの 構造と、構造としては似ているかもしれない。 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」という怖いことばを よく点検もせずに平気で吐き出す。 黒髪さん、あのね、人のことを「ならず者」だの「悪人」だのと決めつける前に あなたご自身の心の闇に、しずかに降りていかれることです。 まあ、これまでの経緯から、言っても無駄だとは承知で、忠告しています。 あなたのような方はだれかの意見を取り入れることは、ご自身で仰る ように敗北なんです。だからいっさい拒否する。しかし拒否しても 論理的に正しいことはあなたにその後も、圧力を与える。 それが嫌だから、遮断─キャンセルカルチャーがいつも姿をみせる。 しょうもないですよね、お互い。 言っても無駄だろうけど、もう一度、いいます。わたしはあなたより 歳食ってますし、だれも考えられないような体験を山ほどしてきました。 年寄りのいうことは聴くものですよ。そうでなければあなたがたには 過去も未来もないことになります。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪さま、黒髪さま ブッダの化身、イエス・キリストの生き神さまである 黒髪大権現さま、どうかお怒りをお鎮め下さい。 いつのまにかわたしは「ならず者」から「悪人」に格上げされて おられますが、いえいや、仰せのとおり、ごもっともです。 平伏してご宣託をたまわる次第でございますが.....。 しかし黒髪ブッダさま、親鸞はそんなこといってませんよ?    >1000人殺してみろ、と親鸞師が言われた通り、    >悪は悪として存在し、      ↑ ちゃんと『歎異抄』読まれましたか? 親鸞は唯円に「わたしの言うことは何でも聴けるか? ウソじゃないな。 二言はないな、それなら、今から千人ばかり殺してみよ」 とこういったのです。 それに対して唯円は「わたしのような凡夫にとても 千人殺すような器量はございません」と答えるのです。 ブッダ黒髪さま、この対話の意味、わかってます? 『歎異抄』のどこを 読んだのです? 唯円のその返答を待って親鸞はこう答えるのです。 「これでわかっただろう? 千人殺せといわれても人は契機が なければ殺せないし、逆に 一人だって殺したくないと思っていても人を殺すものだ。それは その人が 悪人だからではなく、人が人を殺すときには契機(=業、宿命) というものがあるからなんだ」 とまあこう説明するんですね。 黒髪ブッダ様、この親鸞の教えの意味するのは、悪人なんかいない ということです。 人が悪に染まるのはその人間の意志というより、契機、宿命、業(ごう) が関与しているのだよ、だから良い人でも人を何人も殺すことがあるし、 どんな無慈悲な人でも契機がなければ 人を殺すことはないと、そういってるのです。 万人を救済するという仏教思想からすればあたりまえの話ですよね。 ブッダ黒髪さま。何度もいいますがわたしはお寺に育って、 50年間、大阪の南御堂で仏教青年会に参加し竹中知秀という東本願寺派 の精神的支柱とでもいう僧侶の下 何十人もの僧侶たちと歎異抄については周期的に争論してきたのです。 もちろん未だに未熟とはいえ、黒髪ブッダさまの出鱈目なウソはすぐにわかります。 千人殺せと唯円にいった親鸞の逸話のどこをどうほじくれば「悪人はいる」 なんてことになるんです? 頭だいじょうぶですか? あのですね、わたしのようなほんとうの仏教の専門家に向かってそういうデマ を語るからわたしはご注意申し上げたんです。   >悪は悪として存在し、毒を好んではならない、と親鸞師が   >言った通りです、 もうむちゃくちゃですね、ブッダ黒髪さま。 親鸞が語った説話の前後をかってに切り取って出鱈目な話を広めないで下さい。 もうだれも信じないでしょうけど、 大納言黒髪さま、親鸞がいったのはこういうことなんです。 「悪人正機は正しい。だからといってみずから悪を好むものがあろうか。 意志によって悪を選択するのではなく、あくまでも宿命、宿業、契機 によって悪人になるものだからそんなことは無意味だ」 これが親鸞がいったことです。すべては仏様の御心であるといってるのに まさかブッダの生まれ変わりの大納言さまが得て勝手な出鱈目の解釈を、 親鸞をちゃんと読んだこともないのに広めないでくださいな。笑 無知無能の平民であり、ブッダの化身黒髪さまから悪人に昇格された やつがれより伏してお願い申し上げる次第です。 まあ、本心をいうと、これまでのやりとりを振り返って意識の錯綜した支離滅裂な 御仁であることはわかってきましたので、そういう障がいのある不憫な方を責めるのは 罪だと思い始めてきたましたから、もういいませんがね。 どうかお薬を飲んで安らかにお休み下さい。ブッダ黒髪さま。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

この方は一歩一歩険しい山を登るように 着実に新しい詩の場所を探してそこへ踏み出しているように 見えます。 (bloods)

2024-06-27

黒髪さま、おはようございます。 やつがれでございます。「ならず者」のtakoyo2でございます。 いえ、ブッダの化身、黒髪さまのお言葉に逆らうために問い合わせを させて頂いたわけではございません。 「ならず者」という主観もそれはそれでまっとうなご意見でございまして、 「このラーメン美味い!」という方に対して「いや、それは不味いんだ」なんて 阿呆な反論をするつもり毛頭ございません。 ブッダの生まれ変わり、いや、現代のブッダそのものであり、五光がさす黒髪さまの 珠玉のお言葉はこの平民、takoyo2の愚昧な脳天にも突き刺さっております。 決して、決して謗法(ほうぼう)の戒めを犯すつもりはございません。 ただですね、えー、あのう、ブッダが体現されたとしか思えない凄い黒髪さまなんですが、 あのう、平民であるtakoyo2ごときが畏れ多いのですが、あのう、あのですね、 まだ、わたしの質問にお答え頂いていないような気が.....するのですが。 つまり、あの、運営が主観的に「ならず者」とみなした投稿者は規約を超越して 運営が自由自在にコメントの後半の一番いい部分を無断で削除することもオーケー ということで、そう了解させていただいてもいいのでしょうか? これですね。 ↓ 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」 つまり大切なものを守るためには規約は関係ない。ならず者なんかの コメントは自由に編集していいのだ、そういうことでうけたまわって よろしいのでございますでしょうか。 いえ、いえ、無学無知無能の平民であるやつがれが、まさか、このことで ブッダの化身である黒髪さまに反旗をひるがえすつもりはございません。 イスラエルもそうですよね。大切なものを守るためにはガザの妊婦、老人、 病人、幼児を皆殺しにしておりますが、あれも「大切なものを守るのに 理由がいりますか」と世界に向かってブッダの化身さまからよくよく言い聞かせ ていただきたいものです。 ただですね、えーと、そうするとここの規約はいったい何のためにあるかという ことですが、これはあれですね、運営の主観に沿った投稿者のためにあるのであって 少しでも運営を不快にする者は、規約の外に置かれるとそう解釈するしかないので ございますね。 ただ、ブッダはこういってますね。 法というのは(この場合は公的な投稿サイトの規約)自由にその権限を行使 できないように権力者を縛るためにあることをわたしたちは知るべきだ。            (大無量寿経第二十四巻五十七章) あのう、わたしが仏教にあまりにも無知な黒髪さんに具体的な著書を 示して、黒髪ブッダの間違いをお教えしたのが悪かったのでしょうかね。 親鸞の著書も読まないでデタラメを書いておられたことを指摘したのですが、 それでわたしにとっては大事なコメントを告知もなく削除されたのでしょうか。 まさかブッダの化身とは知らず、ほんとうに失礼しました。 アダムの逸話を語られるのだからイエスの化身かも知れませんが、 こんなことなら恐れ多くも反論するんじゃなかった。 無知無能のやつがれ、心から震えつつ黒髪教祖に平伏して謝罪する 次第です。あれ? 質問するつもりが謝罪になってしまいました。 さすがブッダの化身、イエスの生まれ変わり黒髪さまでございます。 あなかしこ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

こんにちわ。 ああ、と思いました。冒頭の説明は無心で書いたので 無能なわたしには逆に下手な細工がなく、読者にはすっと読めたの かもしれません。文学的にも鋭いご指摘ですね。 勉強になります。 (童話)

2024-06-27

コメントを頂いていたことをにづかず、 返信が遅くなってしましました。申し訳ありません。 早朝、スケボーをしにある坂道の頂上に立つとフェンスにいつも 鳩が集まってくるんです。顔と顔が触れ合うくらいに。 その目がじっとこちらを見ているとき なにか感じます。まるで言葉を交わしたかのように......。 鳥語、そして蔦語、まさにそれという感じで感想を いただき新しい世界をみたような気がしており 非常にうれしいです。コメントありがとうございました。 (童話)

2024-06-27

舌を垂らして 負け犬のように目を赤くした野良犬たちが 白犬ワールドに惹き寄せられて集まってくる。 地べたにちんぽこを引きづって。ああーああー またトリオの仲間に入ってしまった。 反省だ。 (りはびりか虚勢かmy sweet revolution)

2024-06-26

だれかがわたしの羊飼いさんに対するコメントに イイネしているけど、誤解しないで頂きたい。 わたしは羊飼いさんの詩に対する考え方に同意したのじゃないですよ? 御本人がそう考えるのならそれは本人の自由だから素晴らしい といったのです。どうぞそれで頑張ってくださいといったまでのことです。 わたしの詩に対する、あるいは言葉に対する考え方とはまるっきり違うけど それはそれぞれ個人の自由ですから。 そもそも言葉が生活とは別の「ただの言葉」なら戦争も起きないし離婚も起きない でしょう。すべては言葉が人々を動かしている。「ただの言葉」なんてないのです。 言葉は生活だし、生活は言葉です。わたしの考えでは羊飼いさんのコメントは 支離滅裂で論理も破綻しています。でも、それは御本人の自由です。そう思うのならどうぞ、 頑張って下さいという以外に何ができます? 論じるに足りる相手でないのはその論理の 破綻ぶりからすぐにわかりました。 イイネなんかいりません。ばかばかしいだけですよもう、ここで語ることが。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

若い恋人たちの全世界共通の普遍的な悩みなのでしょうかね。  夢想は 霧の中に去り  すべての言葉は 忘れられ  薔薇色の光に 包まれた  空の藍色が よみがえる  激しい嵐は 過ぎ去り  通り雨も 降り止んだ  偉大なるもの 涙なきものを.....!  望み 信じて 待て    (アレクサンドロ・ブローグ『詩学と生涯』より)       (19歳の恋)

2024-06-26

>詩とは、生きるための目的でも、手段でもありません。ただの、言葉です。 なるほど、なるほど、詩についてのあなたの考え方はわかりました。 素晴らしい考えだと思います。これからも頑張って下さい。でわ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

こういうふうに外部に目をこらして語ることが 意図しなくとも迂遠に自分を語っているという詩の語り口は リラックスできるし、我のつよいばかりのオレがわたしが調の 詩よりはるかに程度がいいと思っています。 かつてはふつうだったはずなのに最近少なくなった。 この作品の場合、精度を上げるために余計な言葉や副詞を削るというか もっともっと自分を出すのを抑えることでもっと なにか見えないものが見えてくるような気がしました。 (トンボ)

2024-06-26

で.....この詩の書き手は柳腰のセクスィーな女性と●ったんだろうか。 それが気になりました。 (追憶の詩)

2024-06-26

ゼッケンさん、 鋭い指摘を頂き、その言葉を噛み締めております。 >人間を何か家畜のようにしか思えない人なんだろうなと思いました。 という厳しいご指摘ですが、当たっています。残念ですが当たっています。 人間として恥ずかしいです。でも、 褒められて怒る人はそういないと思うんですがね。しかし、 もっと厳しくいうと、家畜を人間としか思えないんですわたしは。 ひどい奴でしょう。ほんとうに心から内省しております。 ご自身の意見を堂々と論ずる投稿形式のはなしですが、そのつもりだった んですが、そうは見えなかった見たいで、わたしの技量不足と不徳の致す ところでしょう。心からお詫び申し上げまして、今後は二度とあなたさまに コメントしないよう厳しく愚かな自分に言い聞かせることにいたします。 どうもすみませんでした。今後もこれにめげず、ご活躍下さい。 まあ、自分ではふつうにコメントしたつもりでも、嫌われますからねわたしは、 あまりにも本心でまごころこめていいますから。 心置きなく素晴らしい投稿生活をお楽しみ下さい。 (3分の1がない世界で)

2024-06-26

黒髪さま、 まるでブッダが乗り移ったかのような珠玉の言葉をたまわり、 不善不徳のやつがれ、心から平伏して反省することしきりでございます。 いえいえ、決してtakoyoのパスワード再発行が何度やっても送信されず その後のtakoyoも妨害にあってログインできなかったゆえ仕方なくという 弁解はいたしません。そもそもtakyoを変える必要などなかったわけでして、 という抗弁もいたしません。すべてはブッダの化身、黒髪さまの仰せのとおり です。ましてや、人間が不誠実だから規約を超越して勝手にコメントを 削除できるのだという御説に反論などするつもりもございません。 さすがブッダの生まれ変わり、公平性や規約の重視など超越されておられる。    我々の始祖であるアダムは言いました。    「大切なものを守るのに、理由がいりますか」と。 はい、はい、理由などいりません。大切なものを守るためにはガザに500t の爆弾を雨あられとふらせて女性や子どもを虐殺することも、はい、どうぞ、 何も文句のつけようのない素晴らしい珠玉のお言葉です。 心から、ブッダの生まれ変わり黒髪さまのお言葉に賛同する次第です。 どうか無知無能のこのやつがれをお許し下さり、奴隷のごとくこのサイトに 黙って使えますので、これからの反省の姿を黙って見て下さるよう ブッダのように公正な黒髪さまにお願い申し上げる次第でございます。 あなかしこ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

きみのふだんの投稿詩よりも良い詩になっているよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

こんにちわ。 仰るようなことを語る詩人の方は多いですね。 わたしはいわゆる宗派的な宗教は信じていませんが自然という 意味での神は存在しているかもしれないと思っています。 それとは別に思想としての仏教思想、そくに親鸞の仏教思想は 多くの「ふつうの人」を救ったような気がしており、非常に愛着を もっていまも、ときおり親鸞から学んでいます。 ところで、 現代詩フォーラムでわたしの詩をひそかに持ち上げてくれた方がいたことを 書きましたが、今思い出してみるとその詩、泣きながら書いたんです。 アフガン戦争なんてだれも関心もたないでしょうし、わたしもそうでした。 ましてあの戦争で多くの子どもたちが孤児になり、腕を失くしたり極寒の中で 飢えてさまよっていたことなど想像は出来てもだれも想像しようとなんかしな いでしょう。 日々の仕事や恋愛、家事にわたしも含めてみんな忙しいからあたりまえです。 米軍とアフガン新政権の戦争終結祝賀パーティはアフガンのそういう犠牲者を 捨象して、めでたいめでたいとばかりに開かれ、日本のテレビ局も呼ばれて 撮影に行ったのです。ところが、これは本当に起きたことなんですが、 飲めや歌えやでジャンジャカやっているその会場の様子を飢えたアフガンの子が雪の積もる 窓を手で拭いて額を押し付けて泣きたくなるような驚愕の表情で見つめていたんですね。 そこのところをうっかりテレビカメラが撮ってしまった。そしてその映像をお茶の間 でわたしは見てしまって、愕然としたんです。もう、なんともいえない表情でした。 そしてこれはもう絶対に書かないといけない。そう思ってひとつの詩をこしらえました。 泣きながら書いている最中にも涙があふれてきて、ああ、これはダメだ、冷静さを 失って客観性もなにもない自己満足の詩になっている。これはきっとダメだとわかって いても突き動かされるようにとりあえず書いたわけです。 女の子がずばり言ったように、だれかに生きる希望を与えられたらいいなという思いで 書いた詩だったんです。 その詩がね、その意図のもとに書いた詩が詩の目利きにぼろくそにいわれながらも ほんとうにそのように受け取られてだれかの胸に届いた。このときの腰を抜かすような 驚きってありませんでした。 神さまがなにかイタズラをしたのかと思いましたね、たしかに。 詩はこういう意図で書かれるだけでなくだれかを楽しませることも、考えさせることも、 思想的にちゃぶ台返しもできる。わたしのように泣きながら書く詩もある。 まるで世界のように広いし、いわゆる頭でっかちな詩の批評家によって規定されれたり 評価されたりするものでもない。とそのとき、不思議に自由になったような気がしました。 詩の批評は、詩そのものであり非常に大事な営みですがそれはわたしがいつもいうように「生活」 の側からの照射がなければまったく何の意味もないものだと思っています。 それがないとほんとうの意味で詩の批評ができないのじゃないか。 突然、個人の名前を出してなにですが、 ダーザインさんが突然消えたのは残念ですがわたしの妄想のなかでは彼がなにか ほんとうのことに突き当たったのじゃないか、そう思えて仕方がないのです。 みなさん、詩の可能性、それはそんな狭い小さなものじゃない、 それを胸に刻んでお互い書いていきましょう。だれもあなたを阻むことなどできない。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

はっきりいって技術関連の運営はあるミスをしたのではないかと 思っている。新しくなったビーレビの乗っ取り騒ぎのさいに運営の 技術関連者たちはある人への批判的な投稿を意図的に削除した。 そのとき、全面的なサイトの不具合が生じた。 それを他人に転嫁していないのなら、どうしてtakoyoの某氏への批判コメントが 同時に削除されたのか? 同時にあの全面的なサイト不具合が生じたのか。 説明が成り立たない。全運営のせいにして終わったかのようだが、 黒髪さんとtakoyoの長文コメントの後半が一方的に削除されたのをみて、 わたしは今、技術関連の人たちのイタズラを疑っている。 こういうこと平気でやらかすサイトがどこにある? 黒髪くんよ。 説明願えませんか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

またtakoyoは一方的にビーレビのツィッターサイトも見れなく されていた。さらにはビーレビのツィキャスも閲覧できなくされていた。 こういった差別というか排除を平然と行う技術関連の人たちがいることを きみや天才詩人2は承知しているのかな? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

黒髪さん そこまでいうのなら一つだけ質問に答えて下さい。 いつものように得手勝手にへらへら逃げるのじゃなく 正直にまっとうに答えるのならば大歓迎ですが ブッダを持ち出したり唯我独尊でケムに まくような不誠実な対応しかしないのなら答えなくて結構です。 質問。 takoyoと黒髪さんの長いコメントの応酬がありましたね。 黒髪さんの投稿『ブツ』についてのコメントの応酬です。 今見るとそのコメントの応酬の後半を運営が一方的に削除している。 削除するのは勝手ですが、なぜ相手方のtakoyoに知らせて確認を とらないで無断で削除したのでしょうか? それがきみのいう誠実な運営なのでしょうか? たしか天才詩人2はここを退会する方々が作品を消すことについて 動画で一番してはいけないことだみたいなことをいっていた。 それなら一番してはいけないことをする前に、相手方に理由を説明して 消すことを伝えるべきでは? 中味のない綺麗事を並べるのは自由です。きみにはそういう傾向があり、 それがまた何も考えないで一方的に綺麗事を並べる。そういうのはまずいよ。 君にとってあまりにもtakoyoの批判の後半部分を黙って削除したのだれなのか。 多分天才詩人2さんは知らないでしょう。技術関連の人たちの仕業だろうと 思うが、しかしそういうのが頻発するようなことでは善意のサイトといえるかな? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

すみません。下書きが二重になりそのまま投稿して してしまいました。下半分のみをお読み下さい。 失礼しました。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

ronaさん、了解いたしました。 なるほど仰るとおりです。反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんも常連だった。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓からみてし まう話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、窓から場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 イタイなあと思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では心の中にひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないとどこかで思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上もし てからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるから生きていこうという気になれた。 勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、おれの詩、下手で クズだとしても、一人の女性の命を救ったのかもしれないぞ!とうれしくなった。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで書いてきたのです。 ronaさん、了解いたしました。 反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんもいた。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓から覗いて おいしいものが山ほどあることに驚愕する話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では内心ひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないと思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上も 経ってからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるからわたしは生きていこうという気になれた。 あの詩から勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、まったく知らない ところで知らないひとから評価されていることの不思議に愕然としたのです。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 ウソではなくほんとうにそういうことがありうる。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで下手でも詩を書いてきたのです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

えーとね、わたしはここ、多くの人が客席で閲覧している舞台だと 考えているんです。だから本心を語るにしても表現行為であると考えて これでもかなり工夫しているつもりです。 天才詩人2氏を中国の皇帝にみなして万歳三唱したコメント、まさかあれ、 そのまま真に受ける人はいないでしょう。 このサイトをやっと手に入れた人が池の金魚に餌をやるように 気が向いたときに交流欄を与えてやる。そして椅子に座ってにやにや 経緯を見ている。二人の宦官、黒髪氏と田中氏がことあらば帝王の 手足となって池の鯉たちの諍いに介入する。帝王は顔を出さない。 あるいは帝王の臣下は顔を出さない。 文学極道全盛時代になぜあれだけ先鋭的な詩人が集まったか、 わかる人いるかな? なぜ文学極道があれだけ栄えたか? 時代のせいじゃないんです。 ダーザインという人、詩の技量は置くとして、詩を見分ける感性は抜群だった。 天才的であった。 そしてその人がこういう交流の場や感想コメントの欄に誰よりも早く、積極的に 顔を出し 魅力的な感想や批評を書いていた。だから凄い詩人が集まったんです。 一度、見識のある常連詩人がみな無視したり罵倒した詩があった。 それをダーザイン氏ひとりが擁護して素晴らしいと絶賛したことがあった。 それを聞いて、読み直してみると、まったく「あ!」だった。 なるほど凄い繊細な感性が一見あたりまえにみえる、軽い、さっと流したような 詩の細部に光っていた! そしてその人の詩はすぐに評価を得た。残念ながら数週間ほどで消えてしまった が今でもその若い詩人のハンドルは伝説になっている。 鯉の諍いを御簾の奥からニヤニヤ見ていたら文学極道なんかちっとも興隆しなかった。 だからほら、ダーザインが消えたらすぐに消沈したでしょ。 あとをついだ連中は御簾の奥にひそんで特権的に、にやにや見ていたのです。 ダーザインは自らが一匹の鯉の仲間になって率先してコメントをし 泥にまみれていた。 そういうことが出来なければどんだ時代であれサイトが興隆しますか? 「憎悪のみで発言されている言葉はそれを目にする関係のない他者にとっても気分を害するものでしかない」というが、 この「憎悪のみ」というのはあくまでも主観でしかない。わたしのコメントにもイイネがつき、 あなたのコメントにもイイネがついたがどちらも一つか二つだ。 もしあなたの主観が大勢を占める根拠になるのなら今後、だれもがティムラー隆一くんのように意気消沈して、どこもまで卑屈に萎えるのが もっとも素晴らしい交流の態度ということになる。そんなインポテンツな場が、そんな静かでも何もない場が面白いだろうか? あるいは澤のような大学の文学授業の延長のようなものをありがたがる風潮。 ダーザインの短いことばで確信をつく、本当ほんものの批評と比べてご覧? 無知で詩が書けないやつに限って澤のような目くらましのことばをありがたがる。 あ、そうだ。こういうと憎悪ということばが返る。 いったいだれがだれに憎悪をもっているのです? わたしは澤のサイトなどまったく興味がないが多くの人々が訪れるサイトに一個人を憎悪罵倒する記事を ずっと載せつづけ、閲覧者のひとりからそれを注意されてもそのコメントを抹消して憎悪罵倒を続けているという。 こんなもの狂気でしょ? ふつうの神経で出来ますか? それを憎悪というのです。 当人にはまったくの迷惑以外の何者でもないでしょ。 ある発言にはそれにまつわる歴史も情況もある。 いつまでも憎悪を垂れ流しているのはだれか、 理性のあるひとにはわかるはずです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

>けんかするのも、大概にいたします。 うん。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

申し訳なかったと思っています。 要するに褒めればよかったんだろうけど..... 天国の門をくぐろうとして地獄の門をくぐって しまう自分がいる。これからは気をつけます。 誌を投稿される方々がしあせになれるように。 (3分の1がない世界で)

2024-06-25

本心で語る人がいなかったね、結局、ひとりも。 少なくともわたしは本心で語ったし、 若い人の意識や存在の在り方に危惧を覚えて必死で 注意したつもりです。 本心というものは傍から見るとことばが過激に 映るものなんです。 そういう意味ではわたしは表現が未熟だった。そのことで 場を氷りつかせた。 黒髪氏以外の皆様に謝罪します。 ところで黒髪! オマエのようなバカがしゃしゃり 出てくるんじゃない! だれかが瑕疵をさらすのを待っては まるでてめえが仏陀にでもなったつもりで鼻の穴を 伸ばして講釈を垂れにくるなんて 仏教の精神からすればどれほど恥ずかしいともわからんのか? このバカ、少しはてめえの歪んだ顔を鏡に映してみろ。 おまえはビョウキが治った、もう正常だと宣言していたが、 精神病理学者の北杜夫の本でも読め。 精神病から治った患者てのは治って初めて自分が 正常でないことに気づくんだ。 これが仏教者の態度でもあるんだ。解脱して初めて自分が無知無能 人さまに講釈を垂れるような人間でないことに気づく。 普遍的な仏教者の態度だ。 北杜夫『夜と霧の隅で』の主人公は精神の病から解放された とたん自殺する。おまえにこんなことの意味がわかるか? 蛾兆がいったように意味不明のデタラメな批評ばかりしている 自分がどれほど阿呆かわかっているのか、おまえ。 どれほど人から嘲笑されているか、わかっているのか? こちらが恥ずかしくなるから仏陀を気取るのやめろ。 そして本心でおれに怒ればいい。それが仏教者の態度だ。 あほう。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

ところで、 舐達麻。 どうしてここまで必死で真似しようとするのか。 入れ墨までして、リングもして頭も黒人のように刈って どこからどこまでも、ファッションとしては微塵も違わない ように気が行き届いているが、一言、口からことばを発すれば 日本の小作人のせがれであることがバレバレという .......目を覆いたくなる恥ずかしさ。 ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。 ダサイと思うかもしれないがやっぱり思想哲学は大事だよ。 マルクスの、資本についての考察を。資本のどろのような凝縮のなかで 黒人霊歌の発展型であるラップがどうして生まれたかの考察。 そうすればこのどん百姓たちの下劣な物まね以下の 恥ずかしい歌も、ある独自性を獲得できるかもしれない というのに。あー恥ずかしい。日本人やめたくなる。 (子宮)

2024-06-24

顔をそむけたくなるほど卑屈だね。 「すみません」て何がすみませんなの?。 「冷静さを失っていた」って何について冷静さを失っていたの?。 「気を付けるようにします」て何を気をつけるの? 澤とあなたの二人の会話だから外野は関係ないというかも知れない。 しかし、それならメールでやりとりすればいい。 ここは公開の場だから会員登録者や一般閲覧者が見ていることを忘れてはならない。 これだけ卑屈な返答を見ると、いや~な、気持ちになる。 澤氏がいった   春樹ほど日本語のうまい存命作家なんてめったにいないし、   詩人なら散文詩の手本として、ぜひ見習うべきだと思いますよ。 こんなことを批判的に受け取るのではなく何の抵抗もなく受け入れているのかい? もし詩人が散文詩の手本(そんなバカなことあるかい!笑)として村上の あのシワのないつるつるの、無国籍で精神性がずるむけた気持ちの悪い文体を手本 として真似したら、どれほど気持ち悪いかと思うがね。 それはともかく、見ている人がいるのだから、あまりにも隷属的なみっともない姿 さらさないでほしいな。 少なくともここはビーレビの発展した場じゃないのかい。澤のような俯瞰的な視点で 自分や周囲、世界を見ることができない、憎悪に凝り固まった困った人間に端から端 まで卑屈にうなづいている。 そんなに自己がないのならもう詩などやめてしまえよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-23

いかにも詩歌らしい詩歌で好きですね。 岸田糞メガネも東大三回堕ちても入学して政界に入り 脱糞おもらしバイデン老人の愛玩具になって 日本のクズ政界のチャンピオンになったことを この詩から思い起こしました。 なんかリズムにのって踊りたい気分です。 (いんちきチャンピオン)

2024-06-23

うーん、ちょっと考えたのだけど、今の詩壇の人たちも 含めて今の詩人たちの詩というのは「ファシズム」というより 「奴隷の詩形」といったほうがよかったかな。 うん、「奴隷の詩形」ですね、ファシズムなんてそんなかっこ いいものじゃない。 失礼しました。 (3分の1がない世界で)

2024-06-23

早朝からとてもたのしい娯楽談話をお聞きさせていただきありがとうございます。  >モラハラおやじが被害者を陰湿な底なし沼に追い込む手口じゃん。 こんな程度の発言で「陰湿な底なし沼に追い込まれる」ような人がいるとすれば、 それはゼッケンさん、あなたくらいのものですよ。 反論が許されないとすればそれは出版形式の読み物の類であって、ここでは幾らでも 反論も質問もできますからねえ。仰るとおり、これに反論するにはまずどうして そんな断定的な結論になるのか、聞かせてくれという質問が先行するので、その点では 確かに罠を仕掛けているとう言うか、相手の質問を待つというカタチになっています。 でも質問があれば答える。そのお答えのなかで、ゼッケンさんの反論を導くということを 実は望んでいたのですが、その過程もなくいきなりモラハラ親父といわれても、........ 逆になんでそんなにあわててるの? 余裕ないの?とお聞きしたいくらいでした。  >私を踏み台にして武田さんとそのファンを貶めようという意図でしょう、 少しほっとしました。質問じゃなく断定かもしれないけど質問という ことでお答えしますと、 武田さんとそのファンの方々大好きですよ。ほんと。わたしが「天才」と思っている るるりらさんなんかもファンですし今も尊敬していますしね。わたしがいいたいこと はそんな個人的な感情じゃなくあるいは仲間内の関係性を考慮したのでもなく(わた しは愚鈍ですがこと文学に関するコメントではわたしごとは一切排除しているつもりです) 今の日本の詩壇全体、詩人全体、ネット投稿界の詩の投稿者全体が世界認識が拙劣かつ 皆無なゆえに いともたやすくリベラルを装ったファシズムに溺れていることを語りたかっただけです。 まあ、たしかにこの詩をきっかけにそんな想念が湧いてきたことは申し訳ないけど..... あまりにも問題意識が皆無な今の自称詩人(これは詩壇がとくにそうですが)に 呆れ果てていたのも原因かもしれません。 ただ、あの、何度もいいますが、わたし、若い人の邪魔をするつもりはないんです。 (いや、年寄りは若い人の邪魔をしたほうがいいのかもしれませんけど) でも、なんなのでしょうね、武田地球的な詩があふれており、それがなにか素晴らしい やさしさであると思い込む人たち、noteいつも見てるんですけどそんなのばかりで それがどれほど怖ろしいことか、詩人が! ほかならぬ詩人が! 気がつかないどころか 一生懸命推進している。これ、わたしにいわせると犯罪ですよ。 そういう思いが、全体への溶解を願うような詩を読んでふと湧き上がってきたのです。 決してゼッケンさんやこの詩自体に文句があるわけではありません。 でも、詩人は現実も見て欲しいですね。ほんとうにそれでいいのか。 戦争反対と多くの詩人は叫ぶけど、やってること言ってることは世界認識が 拙劣なゆえに正反対のことをやっている。 それがとほうもなく怖ろしいんだけなんです、わたしは。このオヤジは。 (3分の1がない世界で)

2024-06-23

三馬鹿トリオが集まっちゃったなあ。w コメントなんか書かなければよかった。がっくりだ。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-23

おしなべて最近の投稿者さんたちの文章には 詩がないんだなあ、これが。それが非常に残念だ。 論理と、(いい意味でもなく悪い意味でもない)我が先走って 精神性が置き去りにされている。 精神性は文体に宿るのであって論理に宿るのではない。 まして(いい意味でもなく悪い意味でもない)我に宿るでもない。 ゆえにこの文章で"詩"は置き去りにされている。 投稿者さまはコメントでこれを詩と語っているが、ありえない。 ありえないと思いますね。 (夜行)

2024-06-23

ロボットて何だ?  という問いをつづける語り手が面白かった。 まさに今、わたしたちにつきつけられている問いかも しれない。 で、その問いに答えましょう。ロボットって何だ? 人間です。と言いたいところですが、 手塚治虫がいったこの答えは、じつは間違ってます。 手塚治虫は「ロボットだって人間だ!」と叫びました。 そうじゃなく「人間だってロボットだ!」が正解かと。 失礼しました。 (アシモフによろしく!)

2024-06-23

「個別のものなどないのに」というフレーズが気になったのですが.....。 ありますよ。 人間の体積です。つまり空間ですね。あるいは位置といってもいい。 たとえばこの主張の語り手とそっくりな人間がいるとします。 細胞の数から脳の構造から身長体重視力すべて同じ。 それでも二人は別々の自己意識をもつのは物理的な理由です。 かれらが自らを包む皮膚の体積、それが占める空間の位置が違うからです。 つまり人間の自意識の根源はこれ。この体積、つまり空間を占拠する 限定的な位置情報の違いによって自意識が生じている。 こんなことを言ってる人はだれもいないけど、わたしだけですが でも事実です。 わたしと誰か他人を分ける根源にあるのは空間を専有する体積の 位置が違うそのことにある。観念なんか関係ないんです。 おれは分けている、そして無限をなくしているからおれがあるんです。 で、なぜこんなことを書いたかと言うと、この哲学的な考察を 土台とした詩の書き手が無意識になにを求めているかを指し示したかった からですが......純粋に思想用語でいえばそれはファシズムです。 多分、本人は気づいていないでしょうがファシズムを求めている。 でもこれはこの詩の書き手だけでなく、 たとえば武田地球とかいう方の詩だって、なにか青空のように 爽やかでやさしい詩だとおもわれて人気ありますけど、あれも ファシズムです。日本が今戦争に向かっていますがその流れに ぴったりはまっている詩です。そしてあの詩のファンもファシズム 願望なんです。要するに今の日本のネット詩の多くは気づかずに ファシズムを求めて身悶えしている。 なんとなればファシズムは眠りのように末期社会の人々にとって 快楽だからです。無限の快楽だからじゃないでしょうかね。 (3分の1がない世界で)

2024-06-22

いいすねえ。こういうときも人生にはあるでしょうね。 辛いでしょうけど、 のちにいい思い出になるんじゃないでしょうか。 (机の上)

2024-06-22

訂正。 まさに都会というざらざらに荒れた都会に立つ一本の木。 ↓ まさに都会というざらざらに荒れた砂漠に立つ一本の木。 失礼しました。 (童話)

2024-06-22

ご感想ありがとうございます。 この木を撮ったのはある映画の一シーンを思いだした こともあります。  ─森の中にある大木など少しもいいと思わない。   わたしは砂漠に立つ一本の木を愛する─   (中国ドラマ『男たちの勲章』のセリフから) まさに都会というざらざらに荒れた都会に立つ一本の木。 そんな感じがしましてね。詩もほめていただき、うれしいです。 (童話)

2024-06-22

お読みくださりありがとうございます。 まったく奇妙な蔦でして、きっと木になりたかったのだろうと 思いました。 (童話)

2024-06-22

ぺえ太さん、こんにちわ。 指折り数えてみると 詩を投稿して褒められた記憶がない! そこのところ、 褒めてもらってとてもうれしいです。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

いつ見てもいい味を出されているので「スゲエなあ」と 感心して遠巻きに見ておりました。かといって貴方様の詩を理解できたわけ じゃなく感想書けるほどの能力もないので黙って感心するしかなかったのですが、 いつも通り過ぎていると思われてもナニだから、 バカがちょっと感じたことを書いてみようかなと思います。 バカの思いつきなので不快になられるかも知れませんが思ったことを書きます。 わたしのような年寄リから見ると(年寄りの時代の詩の感覚から見ると) 作者さんは多分、純文学風の小説のようなものを書いておられたように 見受けました。違うかもしれませんが。 そのような純文学風の、練に練った文節というか行文が、まるで生け花の ように、異なった束ごとに活けられている。そんなふうな感じです。 つまり、失礼ながら全体が純文学風の短い小説といってもいいかなと。 そういう感性というか"ナニ"が完成の域に達している。あとは内容を読むだけと いうことになりますが......味もあるし情感もあるのに、なにか退屈だと、 そういう風に思われるものがある。 上手すぎるのかな、うーん、よくわからない。わからなきゃいうなと 自分でも反省するのですが、うーん、なんかこうぶっ壊してもいいんじゃ ないかな。わかりやすいほうへ。 そんな感想を持ちました。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-22

イーロン・マスクとはX上で五、六回、会話交わしてます。 こちらからメッセージを送るような失礼なことはしませんが 互いにフォローし合ってますので向こうからメッセージが来ます。 今回、カネがからむ話になったので、わたしはそういうの嫌い だから、今後はあまりでしゃばらず支援応援していきたい と思っています。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

最近、みなさん難しい詩を書くんですね。 これもわたしには難解でした。たんに頭がわるい だけなのかもしれませんが。 でもきな粉、丁度今、お茶飲みながらその、 きな粉をねった甘い団子のようなもの食べていたので え?と思って読んでしまいました。 わからないけど尊重ということは大事ですよね。 失礼しました。 (尊重)

2024-06-22

批評というのは因数分解だと思っていますので、 個人的な願望としては微分ではなく因数分解してほしかったです。 とはいえ、実は難解な詩は(内容や思想が難解という意味ではなく、 「"このわたし"の言葉」で書かれたものは) なかなか因数分解しにくい。 だれかの詩を、その感じを把握した!と思っても、実はちゃんと 捕らえているわけではなく、ゆえに、たいていは、 微分や積分してしまう。つまり、もうひとつの詩を書いてしまう。 ほんとうに対象作品をレントゲンをかけるように見通したときは じつは因数分解できる。 だれにでもわかる言葉で深く深くその作品を平易に語ることが できると思っています。ゆえに、これ、詩としては優秀なのかもですが (心の中では捕らえていらっしゃるとしても、表現としては) 批評や感想としては、まったく違うものであると思いました。 なかなか批評とか感想というのはむつかしい。 失礼しました。 (Triumviratus ; A・O・I ; et Deux)

2024-06-22

イーロン・マスクのメッセージは以下のものだった。 Actually the reason why you where instructed to send me a private message is because you have been randomly selected among few of my lucky fan in gaining a membership into the Tesla family which comes with a grant offer pay of $15,000 every month for a year and also a new model Tesla car attached to that as a full member of the Tesla family so let me know if you are interested okay. 実際、あなたが私にプライベートメッセージを送るよう指示された理由は、あなたが 私の幸運なファンの中からランダムに選ばれ、テスラファミリーの会員になったからです。 テスラファミリーの正式会員になると、1年間毎月15,000ドルの助成金が支給され、 それに新型テスラ車が付属します。興味があればお知らせください。 おいおい、新型テスラ一台と一年間、毎月15000ドルくれるというのですよ! 毎月日本円で230万以上! もちろん、あらゆるつてを頼って真偽を確かめたですがホンモノです。 これ、今現在、イーロン・マスクが大々的に宣伝してやっていることなんです。 もちろん、断りました。 貧乏人じゃなかったら、よろしくお願いしますといってそのおカネを貰うのですが わたしは貧乏が身についているから断りました。カネ貰うって面倒くさいから。 ところがイーロンますくは返事を返して、あなたはそれをもう断ることはできないという。 それでも「いい加減にしてください」といって断りました。 ちょっとありえない話ですが、ほんとうの話です。 (大人用おむつの中で)

2024-06-21

── 脳裏をよぎったのは津波が引いた後に現れた街の残骸の映像だった。 ああ、こういう書き方はわかりやすいなあと思いました。それまでのは なんちうか、よくある現代詩批評の型式に思えて、どれほど素晴らしい発見や 洞察があってもその型式で語られるとひとつも頭に入ってこないような気が しました。でもわたしはronaさんの詩の一連目、ひらがなのうねりに魅せられて ronaさんの詩が好きなんもので身の程知らずにこんな難解な型式のものを読んでしまいました。 わたしには対象作品、字があちこちにとんで読みにくいだけでしたが....つまり 読むのを放棄しましたが、しかし、ここまでしっかりと読む方がいらっしゃる のに正座して身がひきしまる思いがしました。 この批評というか感想文はronaさんの詩と同じく気に入ってます。 (『Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay』 を読む。)

2024-06-21

運営代表、天才詩人2様の、寛大なるご配慮で不肖投稿者のため わざわざ交流スペースを設けて下さったことに心から御礼申し上げる とともに、一同を代表して深く深く五体投地、拝礼、合掌つかまつる 次第です。 御大さまの気の向いたときには、あるいは、ご機嫌うるわしきときには 再びこのようなご配慮を不肖、投稿者どもに賜れますよう、深くお願い申し上げまして やつがれはこの場から退場させていただきます。 おありがとうざいました。運営代表様の大らかなご配慮に感謝感謝、ビーレビ、 万歳、万歳、万歳。代表閣下のビーレビ天下が続きますよに。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

なんというか今の時代とそこに生きるというか死ぬひとの"萎え"を 表現する詩の投稿が多いのだけどこれもそういう萎えを感じる。 生命力の衰退というのが今の詩を書く方々がどうしても滲み出さざるを えないものなのかな。でも「八つ墓村」のような雰囲気はあって 読んで無駄だっとは思えない詩だった。 (精霊の声)

2024-06-21

えーっと、このコーナーを投稿者のために設けて 下さった天才詩人2さまに、まずは感謝です。 投稿作品からは仲々伺えぬ投稿者さまの人となりが、へ~ぇ と、よくわかるような気がして勉強になります。 さてと、そこで万太郎さまへのご返事をさせて頂きますと わたしは、あのー「大衆」の定義ということはしたくないし、 あえて定義するとすれば、吉本隆明の共同幻想論を使って 余人にはなかなか理解できないことを語ることになり、そん なものわたしだけがわたしだけのためにわきまえておればいいことで 他人にはどーーーでもいいことでしょうから、嫌われた くないのでやりません。 ただ、あのう、定義しなおす、というか言葉を疑うということは 偉そうなことをいうようですがとてもいいことだと思います。 とくに詩人にとっては。 最近の詩人のみなさんの投稿作品を拝見していると言葉ってものを 疑っていない。既存の言葉、とくに概念語つまり観念語ですね、 〈幸福〉とか〈死〉とか〈大衆〉とか〈知性〉とかそういう言葉を まったく疑わずに使っている。 中にはほんとうに〈幸福〉というものがあると思ってそれを探して いる方もいる。あるいは反発大きいかも知れませんが〈愛〉とかも。 いや、ありますよ〈幸福〉。しかし幸福を幸福と感じることが 出来るのは〈不幸〉があるからです。幸福が最初から最後まで続いて いたら幸福なんて感じることが出来ません。空気や水と同じになる。 永続的な幸福なんてものがあるとすればそれは感じることが出来ない ものであると......そういう風に理解しています。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

おはようございます。私事で申し訳ないですが、 いやーーーーぁあああ、まいった。 ツィッターX、イーロン・マスクにフォローされた! ずっとフォローしてたけど、youtubeの言論弾圧がひどいから 動画機能の強化と展開をお願いしたばかりだった。 本物であることは間違いないけど商売も入ってるのかな。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

いやあ、こんにちわ。 万太郎さんの主張を読んでみて思ったのは 「大衆は愚かである」じゃなくて、本心としては 「愚かな奴は大衆である」 といってるように読めるのです。.....というのは、 鼻くそをほじくり出す女性や 体育館で唾を吐く男性など 勿論、だれでもあまり見たくないと思うんですけど、 けれども、そういう人が即=大衆じゃないですよね。 テイムラー隆一さんみたいに「プロ/大衆」という分け方をした場合、 プロにも鼻くそをほじくり出す女性はいるし、体育館で唾を吐く男性は 同じくらい、いると思うんです。 そうすっと、万太郎さんは実は、 不快なやつはみな「大衆」だといってるのと同じことになります。 そういう風に見えるんです。 いや、そもそも「大衆」なんてそんなもの具体的にはどこにも存在して いないわけで、 人々の頭の中にしか住むところのない観念でしかないのですから、 万太郎さんの考え方が間違っているとかいってるわけじゃなく 非難する気は毛頭ないのです。 どのように「大衆」を観念しようが自由なのは当然です。 ただ、論理の進行の過程で結果と原因が逆立していることに注視したい。 お年寄りと精神障害者と、田舎者....こういう人たちが辛気臭いという 発言なんですが これも観念にすぎないものですから、何をもってお年寄りと いおうが精神障害者といおうが田舎者といおうが個人の自由裁量だと思っています。 でもこれも 前段の話と同じで、そういう人たちが辛気臭いのではなく あなたにとって辛気臭いものが 田舎者やお年寄りや精神障がい者なのでしょう。 ここ、大事だと思うんですよ。 なぜ万太郎さんの中で論理の前後が反転するのか? 結果と原因が 逆立するのか? 仰るとおり    裸の王様を、裸だと言うのは正直な表現者としての誠実だと思う。 それに異議はありません。でも、 万太郎さんのは「裸だから王様だ」という奇妙な論理に陥っている ように見えます。 こういった 倒錯した心的現象の原因みたいなものはわかるような気がしないでも ないのですが、 そこはいちいち指摘しないでも万太郎さんがご自分でもう気がついて 下さることを願うしかないといっておきます。 どうもです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

日本はうすいうすい蜉蝣(かげろう)のように うすい生命意識をもつ民だということを思いだしました。 (フロート)

2024-06-20

おはようございまぁ~す。キリッツ? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

ずばり言わせてもらうね。差別野郎扱いされるかもしれないけど、 やっぱり映画はある程度文明が進んでいないと技術的な面では、途上国の 映画の多くは、とてもじゃないけど見ていられない。いくら意図しょう とする内容や思想がよくても、画面の構成とか組み立てが稚拙だと一分も我慢 できないな。個人的好みとしては映画の"文法"が最重要。だから、自分にとっていい映画か ダメな映画かは最初の数分でわかる。 冒頭どのようなアングルからどのような画面を映し、それがどのように次の 画面に切り替わるか。そこに役者をどのような物語の中の面として登場させるか、そして その役者の演技の程度は。 その流れを観ただけで、期待できるか出来ないかわかる。最悪なのはなにか暗闇の 森をはあはあ息をきって走る登場人物を映し、次に「一週間前」とかいうタイトルがでてくる やつ。これはその瞬間に切る。あるいはいきなりディスコの踊りの場面とか出すバカ監督。 これもアウト。総じて才能のないいい加減な監督の映画ドラマは最初の一、二分ですぐにわかる。 そういう意味で今一番映画の取り方(文法)が斬新で進んでいるのは英国。ちゃんとした英国 ドラマはほぼ間違いない。次が韓国。その次が中国。米国は今、文明自体が衰退して いるから、まずろくなのがない。日本も同じ。インドも面白いけど、やはり深いところで 後進性が出てくる。こういところは中国も韓国もバラ売りのやつはみな同じだけど。 あとドイツや北欧のも遅れている。 日本の映画ドラマはもうなんというか、殺されてもみたくない。ほんと。糞を通り越して なんだろうな、無だね。うん。無だ。 ね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

最近といっても戦前まで中国の田舎って、農家の子でも女の子は みな纏足がふつうでその纏足の女性が成人したときの歩き方って、 ほんとうにセクシーなんだよね。そういうことは差別だし人権無視 だってことはわかっているけど、映画ではそういうシーンが出てく るのでひとまず置いて、話題にせざるを得ないのだけど、纏足って、 ああ、女性をより優雅にみせるためにやらかした男側の一方的な押し 付け、中国の一種の習俗であり文化なんだってことがよくわかる。 中国ドラマ『白鹿原』は「見るアジア」月額900円で数千本のアジア ドラマ映画見放題でみることのできる。 絶倫寿司男atsuchan69大詩人の卵.....焼き先生はどうして白ブタ映画 しかみないの?わたしは自慢じゃないが西洋映画も日本映画も この十五年、見たことないよ。今のトレンドはやっぱり中韓映画だ。 中韓の娯楽ドラマだ。中韓ドラマほど面白いものはない。 中国ドラマの『白鹿原』なんか見たら、もう腰抜かすよ。 わたしたちが知っている西側世界一辺倒の世界認識が 偏狭であったことを思い知る。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

跡地というのは いつ見ても爽やかだ。 かつて何もなかったみたいに さっぱりして。 (跡地)

2024-06-19

読みました。う~ん、 ちょっとむつかしかった。 (なまえ)

2024-06-19

おはようございます。 上の奥歯が腫れて頭のズイまでガンガンする痛みに耐えかね、 丸一日何もできず沈々黙々でした。これは天罰じゃないか、 テイムラー隆一さんに付けたコメントが少し尖っていた ことの天罰じゃないかと反省をしております。 治療して今朝はもう元気です。 あのう、これだけはいっておきたいのですが、 この歳をして若い人たちの邪魔をするつもりはありません。 テイムラー隆一さんのご発言をテコに日頃、考えていた思いを ついうっかり、調子に乗って広げてしまいましたが、 テイムラー隆一さんの詩作の方法、姿勢を (言うまでもなく自由ですから)批判するつもりは まったくなかったのです。 書き方がしつこく尖端的になったことを強く反省しております。 名前を出すとアレかも知れませんが田中広輔さんのように 「詩はゲームだ」といって抽象的観念的な世界に没頭すること もありだし、韓国の詩人を読むことで何かをもらい、詩を紡ぐことも 当然あたりまえにありなことは言うまでもありません。 わたしが言いたかったことは「批評」ということなんです。 わたしらは(二十五年も前、現代詩がひっそりとだけどかなり 高揚していた時代)の話なんですが、 しきりに「詩と批評」ということを口にしていました。 詩と批評は一体であって、2つで一つ、分けられないものだと。 では「批評」とは何かというと「生活」だという風にわたしは 考えていました。 詩が二階にあるとすれば生活は一階にある、下手すれば地下室に あるかもしれませんが、二階にある詩はたえず一階や地下室から の視線によって洗われなければならない。それによってはじめて 詩は立体的なというか両手両足をそろえた完成品になるのだという そういう考えでした。 まあ、それだけのことなんですけどね。 つまり、えーと、批評を取り戻せってことですが、それはつまり 生活を取り戻せってことなんです。 生活がないってことは、ほんとうに"生活がない"ってことじゃなくて 自分がどこにもないってことじゃないかと思うんです。 どんぐりの背比べみたいに標準的な教育を受け標準的な環境に育ち、 NHK朝の連ドラみたいな倫理や価値観によって育った、周り一面 みんな同じ顔をした人たち。 だからリルケや尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林という生活のある詩人 たちに自分を重ね、そこからインスピレーションを貰うのかもしれま せんが.....それは昔わたしたちが声に出していた「詩と批評」では ないわけです。それは他人の生活だ。 というのがわたしのコメントの趣旨でした。 こういうことを考えさせてくださった、考えるきっかけを下さったテイ ムラー隆一さんには感謝しております。 それからイイネを下さった方々に、なんというか非常にうれしいし、 歯の痛みが不思議にすっと消えてしまいました。ほんと。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

すべての陰謀論です。 それが現実になるまでは。 (夜の鍵音)

2024-06-18

こんにちわ。今、朝で、雨が降ってますが、早朝のスケボーを日課にするわたしにはただジメジメするだけでちょっとうっとうしいなという目覚めです。 それで、えーと、貴方様のコメントに興味を引かれたのですが、どうもその、 わたしには、あなたが仰っていることがまったく一ミリもといっては大げさですがその、ほとんどが理解不能なんです。 >僕に詩を書かせたのは尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムといった詩人である。 >日本の現代詩が何を問題にしているのか、たまにわからなくなってしまう。ダーザインもケムリもいかいかも日本の詩(紙、電子問わず)にはあれこれと言っていたのに、海外の詩には一言も言及していなかったし、海外の詩から何も吸収しようとしなかった。 >「尹東柱やジャムやヘッセ、リルケからも学びましょうよ」と僕は思ってしまう。 こういうご主張、そういうことをわたしは、その、どういうわけかちっともそう思わないんですよ。というかこれを読むとあなたがなぜ詩を書くのかも不思議でしょうがなくなるのです、うん、これをみていると。 わたしが詩を書いた動機は(小説は子どもの頃から書いていたけど)三十代のはじめに昼サウナから自転車で帰るときにみた木々の新鮮な緑でした。それまでまったく詩作に興味も関心もなかったのに突然それを短い行分けの文で表現してみたくなった。 H氏賞候補にもなったある同年代の知人に書いたものをもっていくと、予期に反して、なんともがっかりした顔をされた。とうぶんのあいだ口もきいてくれなかった。そういう素朴な詩は彼には論外のようだった。 しかしその彼も詩を書く動機はわたしと同じで自分の宿命から来る現実であり、現実の生活だった。彼の宿命とは半島の民族の血が半分入っていることと、女性より男性を好むこと、(いわゆる「ゲイ」じゃなく自分が女性と感じているわけです。)でも、それを隠して女性と結婚し、二人の間に子どもを得た。そのことからくる何ともいえない苦しみ、そこから詩が生まれていた。 机上の詩人や作家の思想がかれの詩を書く動機でも、思想の課題でもなんでもなかった。生活が彼の詩を書かせた。日本の現代詩が何を問題にしているか? そんなことはかれにとって中心的な課題ではなかった。詩は学問じゃないのですから。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を問題にしているか? それもまったくわたしや彼にとっては詩の制作とは何の関係もなかった。大学で卒論を書くのじゃないのですから。イカイカ氏がいっていたようにそれぞの生きる人の「生活」が詩を書かせるのです。 わたしが多くの詩人と交流をもった経験からいうと全員が〈生活〉を詩制作のプラットホームにしていた。 どうもテイムラー隆一さんは大学の卒論と詩を混同しているのじゃないかな?  あるいは(失礼ながら)詩の制作というものがよく理解できていないのじゃないでしょうか。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を書こうとそれわたしたちの生活、そこから生まれる詩とは関係ないと思うんですよ。わたしたちがどれほど感動しようとわたしたちが生きている場から生まれる詩とは関係ないような気がします。(彼らから詩の手法や思想を取り入れることはあっても.......。) しかしイカイカ氏が嘲笑っていたように今の自称詩人たちには「生活」がない。だから尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムなどの"机上の経験"が、詩を書く動機にならざるを得ない。 しかし こんな虚しいことってあるでしょうか? とてつもなく滑稽で虚しくて、でも、厳粛といえば厳粛な閉じられた世界が今の自称詩人の皆さんの観念世界を生成している。 まずはこの喜劇、この悲劇、この虚しくも滑稽ないまの詩壇、詩世界を見つめることが必要な気がしてならないんですがね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

蟹ってのは確かに不思議な食べ物だ (蟹と自己言及性)

2024-06-18

つよくてやさしい言葉、いえません。 能力ありませんね、わたしには。 (今日、夕に)

2024-06-18

清少納言とか紫式部が浮かんできました。 (足臭う)

2024-06-18

これを作曲作詩したとすればたいしたものだ。 (憂愁)

2024-06-18

わたしは音楽のほうはからきしダメなんですが 人間の普遍的なリズムはこのランランランに あるような気がしてきました。 (梅雨も楽しい)

2024-06-18

づっとある水準を落とさないで持続する姿勢がすごい。 (フィラデルフィアの夜に 50)

2024-06-18

 鳴らない鈴は、また、鳴らせない鈴でもある。  閉塞した今の社会を考えた。 (鳴らない鈴)

2024-06-18

うーーーん、若い肉体だねえ。元気がうらやましい。 (夜の鍵音)

2024-06-18

資本主義は今こそ分析して語られるべき。 (コモンズの夕陽)

2024-06-18

マシュマロとシュークリームとあんぱん! この3つをもってきたことに内心のやさしさを感じました。 しかいこの「女史」とは.....まさか、あの (君って)

2024-06-17

おい、おまるたろう、調子に乗るなよ。 詩も批評も書けないやつが、最後は偏執妄想狂の澤しか すがるところがないのか。笑 卑しいやつだ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17