作品投稿掲示板 - B-REVIEW

takoyo2


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京都市立北●中学校三年中退 職業遍歴は100以上 無職、無学、無能、3つが無いから "みっともない"。何の約にも立たない 棒きれのような男です

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それにしても作家、詩人、リベラルというのは 暴力に鈍感だな。 安倍元首相がテロで殺されたとき島田雅彦という作家が 「バンザイ」と叫んだそうだが、人間性が欠損している ことを自ら公に示してみせた。 トランプが暗殺未遂から生還したときもニューヨークの 知的特権階級のあいだで「なぜ、失敗したのだ、許せない」と いうツィートがハッシュタグ付きでX上に出回ったそうだ。 そのくせこの人たちはいつも新聞に暴力反対、差別反対、 民主主義をと書いている。暴力に対するこのリベラル、作家、 詩人たちの鈍感さは、かれらの本質かもしれない。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

ディスコードにアクセスできなくされているので 常識的なことをいいますが、 投稿者が特定の人物のコメントを嫌がり、コメントしないで もらいたいと懇請しているにもかかわらずコメントを続けるのは 相手に対する暴力行為だと思わないのですか? わたしは否定的なコメントをした相手が嫌がってるなと思ったら 次からは自主的にコメントしません。理由は投稿がわたしのメインであって コメントがメインじゃないからです。 全員にコメントできなくとも 投稿だけになってもそれがメインだから何の問題もありません。 アラガイsがここで綺麗事を述べて4つのイイネがついている。 しかしそのアラガイは恒常的に暴力行為をここで行なって、相手を 傷つけている。だから二人共、言葉の上だけの美徳に酔っていると 思われたのです。大事なのはリアルな生活でしょ。そこをまずちゃん としなければ。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

これは、絵としては個人的に好みです。 詩として絵になっている。 詩は小説じゃないのだから細かく説明する 必要などない。これでいいのです。 (さみしくないの向こう側)

2024-07-20

アラガイsも、やめてくれという懇願を無視して わたしの投稿に対するヘイトコメントをつづけている。 田中恭平氏も荒らすだけが目的のコメントを 容認している。 お二人ともここに見られるきれいなコメントと実際やっている ことがまったく違うようにわたしには感じられるのですが そういうことに人間として矛盾を感じなくてすむというのは 詩人としていいことなのか、凄いことなのか、教えてほしいね。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

ダメだなあ。ほんとにダメだ。 こういう問題へのアプローチはこういう方向からしては いけないんです。たぶん、以来された随筆だからなんとか それらしく書こうと意識しすぎたのでしょうけど、 こんな問題をこんなふうに書いてはいけないんです。たぶんあなたは これっぽっちも不幸ではないし、何の問題も抱えてはいない。 もうしそうならこんな書き方はしない。そういうことが手にとるように わかる文章です。もっと自分に正直になるために意識して自分を 殺す必要がある。あなたは正直になろうとしてどんどんわけのわからない インテリぶった修辞の世界に迷い込んでいる。これじゃだめだ。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-19

お読み下さりありがとうございます。 場違いな場所に場違いなものを投稿しているという 気持ちがあるのですが......それが昔から詩人の宿命の ようなものですからやっぱりたまに気がつけば投稿して いこうかと思っています。 (しーっ、静かに)

2024-07-18

訂正 ラストの行 収拾がつななくなるほどの汚物が ↓ 収拾がつかなくなるほどの汚物が (しーっ、静かに)

2024-07-17

わたしには。 必然だろうが偶然だろうが、 正直、どうであれ、どうぞご自由に ですね。 (必然的な同性愛)

2024-07-17

うん、だから「きみ」ってだれ? みなさん安易に「きみ」「キミ」って書くけど いったいだれなの? いや、真剣に考えて欲しいな。 だれかが「キミ」と書く。あなたも「きみ」と書く。 このあいだに差異はないようにみえる。 どうか「きみ」ってだれか教えてほしい。 (「うつくしい」)

2024-07-17

「キミ」ってだれ? (存在は偉大なんだ〜編集〜)

2024-07-17

文体が稚拙。文章も下手。 作者の得て勝手な思い込みを読む気になるだけの文章を まずは書いてほしい。 (リボルバー)

2024-07-17

じぶんを凡人というのは、おれは神だというのと同じだ。 (凡人ですから、ね)

2024-07-16

追記 『急性精神発達症』なんてだれが、どこでいってるの? もうさあ、こんなことやめなさいよ。ちょっと批判的なことを言った だけで余裕をなくしてトタン屋根の上の猫みたいに毛を逆立てて ありもしない、いいもしないことばを持ち出してくる。 少しは冷静になってくださいよ。大人になりましょう。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

ちょっと否定てきな見解を述べるとどうしてこうも 悪態だの、罵倒家だとのいわれるのかな。笑 わたしやatsuchan69さんみたいに皮肉や嫌がらせ受けても いい刺激だとばかりにニヤニヤ笑ってられる大人になって ほしいな。いつになったらきみは精神的に成長できるのか? 幼児性から脱却できるのか、それが心配だよ。でも、あれだ、 正直なコメントはしなきゃいいのでしょ? はいはい、二度と コメントしませんから。それでお互いに了解しましよう。 簡単な話です。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

よかったね、褒めてくれる人がいて。 わたしもうれしいよ。人はみな違う。そのことを わかってほしいね。あなたとわたしは違うんだよ。 またronaさんとわたしもまったく違う。それが人間。 いちいち批判されたからといって悪態を吐いているだの と悪態つくのは幼稚すぎる。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

>論理を装って悪態を吐いているだけだ。 この読みが「誤読」ではなく「正読」だとあなたが思っているのなら そもそもこの詩の内容自体が無意味になるのでは? しかし冷静に相手の意見を意見として聴いてみるのも悪くないと 思うのだけどね。わたしはあなたより詩は下手どころか初心者レベルだが 文章を読むことにかけては年季を積んでいる。ここに現代詩をちゃんと 評価できる人間なんか一人もいないことくらいわかっている。 たまには歳寄りの意見を聴く度量をみせてはいかがですか。わたしは これまで黙っているだけで、それほど阿呆でもないし、ヒステリー? なんかこいているヒマもないですよ。思想性や世界認識がかけらも 見いだせない詩なんか、もはや今の時代には無用だと思うだけです。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

確かに内容にはうなづけるものがあります。 わたしは個人的にはコンビニは大嫌いで 電気ガス料金の支払い以外では行ったこと無い。 渡辺玄英なんかの詩の文体には新しさを感じますが なにもコンビニがそんなにとも思わないですね。 (コンビニ)

2024-07-15

1.誤読も読みのひとつとして赦されてもいいだろうとわたしはおもっているが、 誤読がなぜ許されるのでしょう? 自由な解釈や読みは「誤読」じゃないですよね? 誤読ってのはどこまでも誤読です。それがなぜ許されるのか理由が聞きたいのです。 あのね、誤読ってのは正読のための過程であるといえばいいのですよ。 正読なんて誰にも出来ないけど誤読の積み重ねで正読に近づくんでしょう? それを頭から誤読でいいなんていってるから、何をいってるのかなと思ったのです。 途中でわたしの何が分裂してるのかな? あなたにヒントを与えてあとは考えて ほしいから次に移っただけですが、わかりませんか。 2。「いつも雰囲気だけ」? その根拠は提示しなくてもいいのだろうか。 この詩、誰が読んでもアメリカの作家・詩人たちの文体や心的境地の物真似であることは 明らか。あなたが彼らの本を読んで、「ああ、こういうのいいなあ」「こんな風に書きたいな」 という子どものような純なファン心理がそのまま文章に反映したものにすぎない。自分では そのままそっくり米国作家になりきってしまっていて、おれの心そのものだと幻想している のでしょうけど、読者は岡目八目で冷静ですから。これは「誤読」じゃなくわたしの感想です。 3.《ちっとは自己愛の館から足を踏み出して、痛くとも眩しくともいいから、外をちゃんと 見てはどうか。自分でなにかサイトを主催してるんでしょ? これじゃあまりにひどい》とは 話にもならない。 憧れる作家の文体や心的境地に憑依して、物真似の如き文章を書くことが悪いかどうかを いってるのではないのです。そういう少年のような純粋無垢な時代はだれにでもある。しかし、 わたしたちはもう大人だ。日本は日本ではなく世界の中に漂う舟のように存在しているとき 大人が、いつまでもそういうところに佇んだままでいいのかと疑問を投げていってます。 貴方がた「帆」の方々には進歩というものがまたくない。いつまでも、 薄い穴蔵のようなところにしがみついて、人より少しは上手に書ける程度の 才にしがみついて自己満足にふけっている。そこから一歩でも前に歩けないのか どうか、そういうことを問うているのです。多分ご理解いただけないでしょうが あなたがたが主催しているところへ投稿をされている若い方々のことを考えると 失敬かとは思いましたが、やはり一言いわざるをえないと思いました。 失礼いたしました。   (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

われわれはなにかを誤解すること、 おもいちがうことによって、 世界というものの真に近づくのである どこから引っ張ってきて加工した言葉か知らないけど 読んでみた限りでは、 あなたがこの言葉の意味を理解して書いているとは とても思えない。 イギリスの夏は遠い もちろん「イギリスの夏」なんか一ミリも知らない のでしょうけど、知らなくても詩ならある感性の もとで書ける。だけど、これはちょっとひどい。 全体がイギリスの夏を知らなければ書けない構造に なっているのじゃないかな? でも書いてしまっている。 雰囲気だけで。そういえばこの作者の書くものは いつも雰囲気だけだ。それじゃあまりに空疎だ。 ラストの連などそういう意味で低劣だ。 ちっとは自己愛の館から足を踏み出して、痛くとも 眩しくともいいから、外をちゃんと見てはどうか。 自分でなにかサイトを主催してるんでしょ? これじゃあまりにひどい。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

これはお世辞でも何でもないのですがわたしにもし atsuchan69さんほどの知力と胆力と世に対する洞察力があれば、 まったく違った生き方をしていたでしょうね。 文学も哲学も思想も放棄していました。暴力団の組なんかに 入って鉄砲玉にでもなってさっさと死んでたかもしれません。 生き方を今更悔いるなど最低かもしれませんが、 それほどに今の日本と日本人とくにリベラルを騙る作家や思想家 批評家、詩人たちの醜さに大の字になって口あんぐり呆れ返ってます。 わたしはテレビを見ないのですが、最近、いや昨日かな、 耳を貫通する銃撃を受け、紙一重で奇跡的に死を逃れたトランプ元 大統領を、サンデーモーニングがまるで「やらせ」のように報道した と聞いて呆れ返りました。「選挙にプラスになる」と膳場とかいう高学歴女が いったそうですが、トランプ暗殺事件は一般人が巻き込まれて亡くなっている。 それを「選挙のためにプラスになる」なんてよくいえると思います。 今どきのリベラルなんて人間じゃない。化け物です。安倍元首相が 暗殺されたとき島田雅彦が「バンザイ」と叫んだのですが、理念の ために人が殺されることを歓ぶことがファシズムであることを日本人 は知らないのか? このサンモニというテレビ番組に出てくる糞の ようなリベラルを騙る連中は、門の前に「プーチンの不条理」などと デマを貼り付ける日本現代詩人会の詩人連中と同じ化け物です。 わたしはこういった連中のリベラルなど爪の先ほども信用しない。むしろ 日本を戦争に追い込む巨大寡占資本やその下僕の岸田に協力しているだけ です。この投稿板でも、わたしが日本の思想家を非難すると馬鹿が 湧いてきてわけのわからない反論にもならない反論をしかかけてきましたが、 こいつらは堂々と正面から議論すらできない。 日本の知識人たちがもしatsuchan69さんのいうような力が動いて それに飼いならされているとすらなら(まあ、わたしは前からそうだろうと 想像していましたが) いまの日本の文学の世界にまともなのはネット上のわれわれ以外にだれもいない ことになる。いや、ほんと。わたしのような異端、アウトロー、はぐれ者の根無し草の 発言を許しているここだけが日本の文学の最後の砦です。 どうか運営のみんさん、わたしをここから締め出さないように。わたしは日本文学界の 宝ですよ。笑 atsuchan69さんも万太郎さんもronaさんも、それ以外の方々もそうです。 ささやかですけど、ここでの言説は大事だと思います。だれも見てなくとも大事です。 三浦果実や中田満帆は問題外としても。笑 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

こんにちわ。 わたしが京都の孤児擁護施設にいたのはもう半世紀も前のことです。 北野神社のわきに宥清寺という本門佛立宗の総本山があり、そこが 所有するお寺を信徒の園長が借り受けて自費で運営していました。 (結局は市や府からの援助を少し受けていましたが、園長は九州の方で もと警察官らしい実直な人でした。お寺の住まいもほとんどを子どもの ために明け渡し、本人は一番奥の物置のような狭い3畳間に奥さんと 暮らしていました。私費を全部、擁護施設に注ぎ込んでいました。 亡くなるまえに紫綬褒章を貰っています。わたしのほんとうの父親です。) 園長は最初は戦災孤児を引き取っていましたがその後、わたしのような 親から捨てられた子どもも引き取るようになりました。 その施設は二十年ほど前に京都の山奥に引っ越して、跡地は今では墓地に なっています。ウソかほんとうかわたしのいた寺は日蓮聖人が いっとき住んでいたことがある草庵の跡地だそうです。笑 atsuchan69さんのいうようなことがあるとしても、最近は京都に まったく縁がなく、また当時の園長も職員さんも仲間もほとんどが 亡くなったりして疎遠になっています。わたしがいた頃にそういうものが あればわかるはずなのですが、皆目見当がつきません。 ただ、例のオウム真理教の麻原なんかも実は怪しげな団体からリクルート されているのですね。子供の頃からそういう資質のある子を日本中を探して 歩く連中がいるらしく、見つけ出して教祖に仕立て上げるようなことが あるとは聴いています。わたしは三面記事的な都市伝説であってほしいと 願っていますが。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

>だから机上での話(概念)みたいなのってどうしても退屈で、「それ何かの役に立つの?」って感覚なんですよね。 いやあ、ここ、まったく同感です。わたしも「だから、何なの? それで?」となってしまいますね。 たとえばある詩なり散文を解釈するとして幾らでも複雑難解に解釈はできるわけですけど、聖書の逸話を あてはめてみたり、精神分析的な解釈をあてはめてみたり、如何様にも読解の自由はあるんですけど、 でも、あまりにアクロバティックに学問的になると、わたしたちの文学は大学の授業の続きじゃない ですよと言いたくなる。生活という地に足がついての上に咲く花ですよといいたくなるんです。でも、 なぜか難解で学問的な解釈が高尚であると思い込む人がいる。それが文学の精髄じゃないと思うんですけど、 文学がわからない人に限ってそういうものがなにか頭のいい文学だと勘違いして崇めたりする。でも それだけじゃますます文学の生命がやせ細るだけなんですけどね。わかってくれる方が少ない。 >レンタカーでベンツまで乗ってたからディーラーは楽勝でした うらやましいですね。わたしはバイクならかなりやれますが車の運転はまるでダメです。 ダム現場で40tダンプに乗った話しましたが当時、普通免許すら持ってなかったのです。笑 これは免許の落とし穴で、40tダンプは大型免許を持っていても乗れません。大型特殊 自動車免許といってブルドーザーや掘削機(ユンボ)など動く建設機械用の免許が必要です。 ところがどういうわけか巨大ダンプもこの中に入ってしまって、わたしはブルドーザーやユンボを 運転するつもりが無理にダム用ダンプを運転させられたのです。普通免許もないのに。とんでもない話です。 例の崖の話ですが、翌日からはギリギリまで後退せず、五十センチほど離れたところでダンプし、 崖上にこぼれた砕石はブルドーザーで押して谷底に落としました。多分、これまでもそうしていた はずで、相棒の男は文句をいいませんでした。要するに最初のは肝試しとイジメをかねていたの でしょうね。それからあとも色々、恐怖のいじめにあいましたが。笑 >彼女は大学からサーフィンに転向してしまって車で通学してたからよく湘南まで一緒に行ってサーフィン見てました。 サーフィンに関する話なら山ほど面白い話があるんですけどね。笑 湘南にもずいぶん通いましたから湘南の海のことならかなり知っています。今ではずいぶん変わって砂浜も 削られて往年の面影はありませんが、波だけは変わってほしくないな。海流の関係で灰色になるあの 海の色は独特のものがあります。大洋から時間をかけてやってくるうねりだからパワーが全然違うのです。 大阪では和歌山の磯ノ浦くらいしかサーフィンできる場所はないのですが、湘南の海のパワーとは 雲泥の差です。ただ、ほんとうのサーファーは酒もタバコもやりません。海に入った時体力がもたない からです。もちろんわたしもいつのまにか酒、タバコをやらないようになりました。 サーフィンにかかわる連中の話、いつか三文小説にして投稿してみたいのですが、思いのあるものほど 書くのがむつかしいです。あ、余談ですが村上春樹もサーフィン愛好者ですね。老齢になった今でも やってるみたいです。村上の小説読まないので小説に書いてるかもしれませんが。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

>人生経験豊かな方の話って興味深いし、話が尽きないでしょうから。 そうですね、あまり人に言えない恥ずかしいエピソードだけは山のようにあります。 ダム造成現場で働いた時は小松の40トンダンプに乗ってました。 もちろん公道は走れません。タイヤだけでもわたしの身長以上あります。座席は冷 暖房完備で大人二人が横になれる幅がありました。そのとき色々怖い思いをしました。 特殊車両の免許をもっていてもそれまで化け物のようなダンプに乗ったことがない。 感覚がわからないから一度走っただけで仮設橋の手すりがぶっとびました。幸い、ク ビになりませんでしたが巨大ユンボに乗っている相棒の男が野生的なやつで、わたし を死なせに来ました。殺すつもりがなかったはずがない、死に至る新人イジメですね。 砕石を谷に落とすためにダンプをバックさせるのですが、断崖絶壁のぎりぎりのとこ ろはほぼ直角になっているのです。その角のところへ後輪タイヤの中心がくる必要が あると言い張る。そこにくるまで、オーラーイオーライとやる。そうでないと崖の内 側に砕石が落ちるというのです。こちらは恐怖で汗が吹き出し、もういいだろ! と 怒鳴るけど重機の男は、それではちゃんとダンプできないと怒鳴り返してくる。全部 谷底に落とすにはそこまで下がらないとダメだという。運転しなれない巨大ダンプを 数センチ、数センチとバックしていきましたが、少しでも間違えば谷底です。喉がか らからになりました。最後には慣れてきましたが、そういう経験もしてますね。その 男とは帰るまでの三ケ月間、一言も口を聞きませんでした。昼飯食うのに車で五十分 以上走らせないと食堂に出ない毎日でしたが、車中でもいっさい口を利かなかった。 怖がらせて命からがら逃げ出すのを待っていたとしか思えなかったからです。その現 場は、なんというか、神経の図太い荒くれた連中ばかりの現場でした。ヘンに生っ白 い本好きの男が来て明らかに皆から不審がられてました。追い出せという暗黙の了解 があったみたいですが、最後までかじりついてましたね。笑 かと思えば駒沢大学管財部へ派遣職員として、すましてもぐりこんでいたりしました しね。 大学での仕事と、そこでの人との出会いはわたしにとっては貴重な経験でした。 それから新宿歌舞伎町を当時根拠にしていた広域指定暴力団東声会相談役の男と、 つるんで歩いたこともあります。 この男の「取り立て」に付き合ったんですが、最初に行ったのはどこかの団地でした。 ブザーを押しても出てこないのでトントンとやるとドアが開く。灯りがついてない。借 り主の中年男は電気代 も払えないという。すると相談役の男は一万円貸してやってさっさと帰った。どうして 貸すのかと尋ねると、仕事できなくなったらカネ返してもらえないだろという。合理的 だ。あとでその債務者は東声会でパソコンを使う事務やらされてましたが、一見親切な んですね。ほんとうのヤクザの正規構成員というのは酒に酔ってはダメ、女に狂うのも ダメです、つまり酒、恋愛ご法度。薬物ももちろんダメ。みんな僧侶のように真面目な 生活送ってました。そうでないと、いざ何かあったとき対処できないからだそうです。 その相談役の男も週一回、かならず事務所に詰めて24時間、電話番をやってました。 相談役が電話番なんかやるのかとわたしなどヤクザの世界を知らないから大笑いしたも のです。 文学修行のために知り合いに頼んでその男と懇意になり一ヶ月ほど一緒に歩いたのです が、このときの見聞は以後、とても参考になってます。 原付きで東京大阪を二往復したあと、大型バイクに夢中になって日本中の高速を走り回 ったこともありますがかなり無茶な速度で走ったのに事故に一度も遭わなかった。なぜ 大怪我をしなかったのか、これも不思議なことのひとつです。その他、色々あるのです が....サーフィンやってたときの体験などは、わたしの人生でもっとも濃密な時間でした。 サーフィンというのはこれもやっぱり命がけのところがあって、何度も死にかけて....死 んだやつも何人かいて....よくまあこれまで長生きできたものだと、ときどきぞっとする ことがあります。 これらの体験はいずれ小説にして投稿したいと思ってます。笑 わたしがronaさんに共鳴するところがあるのはそういう身体性の部分かもしれません。 頭でっかちの机上派ではなくて、身体を張ってきたところから出てくることば。そう いうものがあるのかもしれませんね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-13

お読みくださりありがとうございます。 (居場所がないのでベランダで寝る)

2024-07-13

むつかしいことばをネットで調べてみたり いろいろ探ったり深読みしようとしたのですが 結構、複雑で濃密、手に負えませんでしたが なんか思い切り自在に書いているなという迫力 というか意気込みは伝わってきました。 (Yの葬列)

2024-07-13

おはようございます。 お読み下さりありがとうございます。 (居場所がないのでベランダで寝る)

2024-07-13

こんにちわ。 704はただの部屋番号ですが思わせぶりでした。 反省します。詩の初歩もわかっていないのかと忸怩たる思いです。 難しいことを考えずに考えさせずにふつうのことをふつうに書く。 そのことを一から学びます。 お読み下さりありがとうございます。 (居場所がないのでベランダで寝る)

2024-07-12

う~ん、そうですね........、まるで対人関係がないみたいに、 「歯に衣着せない」で喋るところがありますね、わたしには。 でもこれは、顔が見える相手に対しているよりも、本当は 怖ろしいことで、ときどきその恐ろしさにゾッとする ことがあります。相手がどんな方かわからないのですから、 どんな些細な言葉で傷つくかわからない。 対話とか対談とか議論というのは内容よりも対面している 双方のニュアンスのほうが大事なことが多いのですが、 書き言葉での批判はどうも角が立つものです。 わたしは大阪にある文学学校のはなしを前に投稿しましたが 実のところは、女性には人気があって結構、もててました。笑 投稿に書いた特定の女の子以外には結構モテた。 男性陣とはつかず離れずでした。ただAさんという詩人は別として。 (余談ですがこのAさんと現フォ管理人の片野氏とは野村喜和男を介し ての知人だったことをあとで知りました。) つまりわたしは書き言葉ではまったくわたしの良さというか 面白さがまったく出ない男なんです。しゃべれば、結構、 歯に衣を着せない発言でも心情を読み取ってくれて、人気者 になれるんですけどね。笑 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-12

部屋の中にいれば騒音も聞こえないし不自由も ないのですが、昔から淀んだ空気が嫌でいで、べ ランダでも眠れるかなと試してみました。 やはり風をともなう生の外気は格別で、しかも いつも目の上に星空がある。知らないうちに未明 までぐっすり寝てしまいました。意味もなくそれだけの ことを書いただけですので感想に困る方も多いはずです。 わたしはだいたい難しいことは書けないし書いてないのですが、 過分のお褒めにあずかり、とても嬉しいです。 お読み下さりありがとうございます。 (居場所がないのでベランダで寝る)

2024-07-12

一粒の麦もし死なずば......というあれかな? そういえばそうだと小さな気づきがなくもないけど だからなにという感じもなくもないかな。 (あぢさゐ伐らる)

2024-07-12

横浜百景ということですが.......わたしも横浜に少しの期間 住んでいました。寿町というスラムドヤ街です。木賃宿に泊 まって日雇い人夫をしていました。この町は山本周五郎の名作 『季節のない街』のモデルになったところで、小説を片手に 散策してみると、まさに小説通りの町並みになっていました。 ここでの生活は地獄の炎に焼かれるような日々でした。早朝、 センターに日雇い人夫を求めにくるのは韓国朝鮮人などの在日 の親方たちが半分以上で、この親方たちは日本人に恨みがある のかあるいは憎んでいるのか炎天下で造成地の穴をほってくた くたになっても、仕事の終わりになにかと因縁をつけて日当を くれないことが多かった。 わたしはブルドーザーやユンボ、それから32トンの巨大ダ ンプなどにも乗れますし操縦もできましたが、そういう山奥の ダムをつくる飯場に入っても一ヶ月後に給料をくれないことがあっ た。重機が傷ついた弁償せいといってね。岩を削るのだから爪に傷が つくのは当たり前なのにね。そういう飯場の親方は、たいていが韓国 朝鮮の在日の人たちで、わたしたち日雇いはかれらを恨んだものです。 わたしの韓国朝鮮人嫌いはそこから生まれたもののような気がします。 その後、わたしは運よく不労所得者になって、再度横浜方面に住むよう になったときはチサンホテルの一室を借り切ってサーフィン三昧の日々 を暮らすのですが....横浜ほど光と影の強い街をわたしはあまり知りませ ん。華やかにみえてひとつ裏に回ると、げっそり痩せ細った無惨な小路 がありますし、人もそれにふさわしい人たちがいる。例は山程いえます が、割愛するとして、そういう横浜のさまざまな顔が「百景」といいな がらあまり見えてこなかったのはまあ、しょうがないとは思いますが、 それにしてもなつかしい横浜のお話を読ませていただきました。 (横浜百景)

2024-07-12

わたしも最近、気がついたのですが、これは都知事選で 田母神という候補が演説で語っていたのですが、 だれにもプライドというものがある。だから私は 人のプライドというものを傷つけないように語ることが 一番大事なことだと思っていると、そう語っていて、 聴いたわたしは凍りついたようにほぞを噛みました。わたしは、 そういうことをあまり考えたことがなかった。 黒髪さんにもプライドがあるだろうし、他のだれにも あるだろう(わたしにはほとんどないけど)、それを あまり考慮しないでコメントしていたかもしれない。 それで多くの人を傷つけていた可能性がある。 むつかしいですね言葉は。そして意識の在り方も むつかしい。わたしは幾ら歳くってもまだまだ小僧です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-12

こんにちわ。 だれかさんが推薦批評のようなものを投稿されていたので どんな詩なのかと読んでみました。文体からすれば、 これは(わたしの感覚では)詩ではなく小説の分類に入るものです。 幾ら長くても古井由吉や小川国夫のように、幾らでも切り取れる詩が あふれていますが、 他のコメント者の方々のような明晰な頭脳と鋭い感性がないからよほ どの文体でないと頭に入ってこない。結局最後まで頭に入らずじまいでした。 前の投稿の詩はそれなりに読ませるものがありましたのに、今回はちょっと わたしの無能に残念な気がしました。 (葉舟)

2024-07-11

わかってないな。否定するにせよ肯定するにせよ、 罵倒するにせよ、批判するにせよ、読まなければできないでしょ。 そういう意味で読むに値しないものはないといったのです。 読めないほどひどい幼稚なものや冗長なものも含めて、 読むに値しないものなどないといったんです。今更、谷川シュン太郎を 肯定せよといったのじゃないのです。それにあなた、わたしへの返事に 主よ......なんたらかんたらと呪文となえるのやめてくれないかなあ。 相手は仏教徒かもしれないしイスラム教徒かもしれないしヒンズー教徒 かもしれないのに、一方的に主よなんたらと呪文唱えるということは あんた、相手を侮辱していることになるのですよ? 不特定多数への返事ならいいけど、特定の相手への返事でそんなことを 一方的にいったらイスラムの人なら怒り出しますよ? その程度の相手への思いやりや最低限の常識もなく、キリスト教や仏教 の呪文を振り回すのはやめたほうがいいと思うなあ。 多分精神的な混乱があるのだろうからこれくらいにしておくけど あんた、ちっとも反省とか内省とかいっさいやってないじゃないの? (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-11

いや、申し訳ないです。他の方だったら尋ねなかった かも知れないですけど、黒髪さんは頭もいいし、心も きれいな方だから、ことばの選び方がちょっと気 になっただけです。すみませんでした。 本とか投稿、わたしは下らないものがあったらたんに わたしが"読めない"だけで、読むに値いしないとなまで断言した こと一度もないもので。というのは書き物の価値の全否定というのは その人の存在や命を否定することになりかねない。 黒髪さんの博愛精神にてらしてそういう怖い物の言い方は、どうかな と思ったのです。ふつうに判断しているだけなのはわかりましたが。 でも、黒髪さんは外へ外へ綺麗なことばを発していくだけではなく 内側にもそのことばで照らすべきじゃないでしょうか。 外へ出るそのことばが内側に向けられている気配がないので、 真っ暗な気がしてならないのです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-11

う~んとですね、 世の中に読むに値しないものなんてあるのでしょうか? たとえば村上春樹。わたしは「読もうとしても読めない」 だけで読むに値しないとは思わない。できれば読みたい。 リチャード ブローティガンの専属翻訳者で異能の人、藤本和子 の文体の模倣であることはわかっているのだけど、 それを明らかにして解体するには、頭がおかしくなるのを覚悟 して村上を読む必要がある。でも、無理だ。死んでも読めない。 まして谷川俊太郎の詩は、とりあえず上手ですよ。うまく かいている。わたしなど谷川の上手さに比べれば蟻ん子どころかノミだ。 誰かの詩を「読むに値しない」なんていう評の仕方は...... なにか怖い。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-11

追記 ダンスというと大げさですが、例えば、 んー、個人的な願望としては後ろにある角柱の中ほど 迄よじ登りそこにしがみついて朗読するとかね。 あるいは50メートル全力疾走して急停止し、 はぁはぁしながら詩を読むとかね、そういう身体的 パフォーマンスが発声というものを、押し殺された 現代社会の声から解き放してくれるような気がするんです。 例の、抑圧されたままの自称詩人たちの朗読の声と違って。 万太郎さんの声も帽子を飛ばした瞬間、違った声にな ってましたよ。そういうのが個人的には好きですね。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

わたしは詩人たちが茶店や講堂を借りてやる 朗読というものをあまり好まないのですが、 どういうわけか万太郎さんの自然体の発話には 好感を覚える。今回は少し力が入ったのか、 朗読調のところと自然発話体がまだらに混じって 出てきたように感じましたが、しかし、 ラスト、帽子を飛ばすところ。ここでついに身体 表現も入ってきて 万太郎野外劇場にダンスへの兆候が垣間見られた。 いつか自然発話体の発声がついにダンスのほうへ 展開するのかどうか楽しみにしています。笑 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

デジタルネイティブだってうんこもすればマスもかく。 あまり変わらないんじゃないかな。 ただ、この世代の得なところはネットでエロ動画やエロ写真 を無料で閲覧できるところだ。むかしは おじさんなんかビニ本にかなりカネを使った。 しかし今や、中国サイトにゆくと新作のエロビデオは 全部無料で見られる。おじさんもいい歳をして利用してるよ。 ただあれだな、おじさんたちの子どものころは世田谷あたり にはまだ小川があってザリガニも貝もいた。肥たごもあって 蚊も多かったけど、おじさんの家の裏にはイチジクやザクロの 樹まであった。ビワの樹なんかからはビワをとって食べたりした。 そういう生の自然を知らないというのはちょっと気の毒だ。 (デジタルネイティブ)

2024-07-10

わたしも村上春樹の小説を初めて手にして読もうとしたところ 数行読んで吐き気がして驚いた。あれ、いったい何だったのだろう。 その後、いろいろ他の作品を無理に読もうとしたが無理だった。 あと、実生活における人柄がクズすぎる。 歌人の枡野浩一が目を背けるように批判していましたが、ある文芸 批評家に散々お世話になったのに、その方が亡くなってから、 あの人から生原稿を盗まれたのだなんだのと、本人が天国にいってしまって 弁解できなくなってからひどい誹謗中傷をしていた。 こいつ、人間性が完全に壊れていると思った。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-10

鏡像論的表現だから鏡が出てくる???  鏡というのなら詩そのものがだれの詩であれ鏡像そのものでしょう。 ラカンとかいう妄想狂がそういってなかったけ。 その詩(鏡)にわざわざとってつけたように鏡出すのなら 蛇足にならないのかな。てか、そういう解釈はあまりに幼稚で 吹き出してしまう。笑 atsuchan69さんもまさかそんな話を書いてはいないでしょう。 わかりもしないのに鏡像うんぬんを持ち出した誰かさんいたわって のコメントだと思うけど それより文章が爺臭くむさくるしい。笑 色もくすんでみえる。 具象から抽象表現に移るとか、 不在者として異世界から働きかけるなんて屁のようなことはどうでもいいから もっとぱっと現代風に明るく苦悩なり孤独なりを書いてほしいな。 夏バテかな? あなただけでなくみなさん、どんどん爺臭くむさ苦しくなってる。 ワット数の足りない裸電球の下で孫のおむすびをむすんでいるばあさんみたいだ。笑 (名もなき夏の島にて)

2024-07-10

ところどころ気になる表現があった。   死にたいって気持ちは朝四時の都会の青空に似てる 死にたいほどではなくてもこの時間帯の都会にひとり佇むと 孤独でむなしいものです。   きみの横顔がひとつの線となって   微睡んでいくのをみたときに、 ひとつの線となって微睡んでいくのを...という表現は美的で、なか なかに出てくるものじゃない。 都会の憂鬱を思い出させる。 (帆)

2024-07-10

おはようございます。 ようやく体調がすこし戻りましたのでご返事など書いてみよう かとおもいました。 『さゆり』の映画化の話ですが、 あれを映画化するのはむつかしいと思っていました。 まして外人があれを映像化したら富士山芸者天ぷら花見と いったゲテモノ日本趣味であふれた奇怪なものになる可能性がある。 事実そのような気色の漂う映画だったようです。 『さゆり』という小説は実はおカネ、つまりマネーですね、 マネー=お金の純粋さについて書いてます。 ホリエモンがかつてカネほど穢れのない無垢なものはないといった ことがありますが、お金というもののそういう性質を描いている、 それが『さゆり』という小説です。 もっともお金というシステム自体にそういう性質があるはずもありま せんから、実質はお金をそのようなものにしてしまった花街の世界 を描いたといったほうが正確かもしれませんが。 わたしはそう読みました。そこら辺はやはり書いたのが財閥家の息子 (ニューヨーク証券取引所の創設者ベンジャミン・セイシャスの 曽孫にあたる)だから自然にそれが出てしまったのだと思います。 そこを映画化できていないというこでは 『さゆり』ファンとしてはちょっと困った出来事でした。 そこで、 えーと、文体はただの文体であって、思考、思想ではない......のか ということをちょっと考えてみたのですが、文体には、 本人には誤魔化しようのない思想、思考、感性、性格が出てしまう ような気が.......個人的にはするのですよね。 思想、思考といっても誰々は●●という考えを抱いている というような具体的な指摘はできないんですけど。 口でいろいろ綺麗事の思想哲学を語ることは出来ます。では、 そのことばがほんとうにその人の思考、思想、哲学であるかというと わたしには疑わしいのです。 それよりは文体にその人が出ると考えています。 ではわたしがいう「文体」とは何かというと、 ことばの配置です。空間的な配置につきると思います。 ある言葉を空間に配置してひとつの文章をつくるにはまずことばの 選択があります。 ある文章の冒頭にどんなことばが来るか。末尾にどんな単語がくるか。 そのことばがどこに、どのように置かれるか。 それは物質名詞なのか概念なのか感嘆詞なのか。主語なのか、三人称 なのかetc.... そのように、作者があることばを選択─配置するとき、そのことば への意思(こころの動き)が文体をかたちづくる。と考えてます。 この、言語の配置ということなんですが.....、あることばが作者に選択されて文章 上に置かれたとします。そのとき、 ことばはその前後に配置された語句によって転換される。 寺山修司の短歌なんかがいい例ですが上句と下句には何の関連性もないこと が多い。だけど上句が下句の本来の意味やイメージを別のものに転換して (あるいは相互に転換しあって)全体を物語に変えてしまう。 転換の結果が順接であれ逆接であれ、前後に存在する文章がなければそうはなら ないから文体とは─転換も含めての、選択と配置であるといえる。ただしその配置は ただの配置ではなく寺山の短歌に見れられるような転換をともなう。 この選択と配置それにともなう転換が決定されるとき、作者の感性や思想哲学が 関与してくる。わたしはそれを自動的に、瞬時に総合的に読み取ります。 ただ、ことばを選択─配置するときには必ずリズムもともないます。 このリズムですが。韻律といってもいいし音数律といってもアクセントと いってもいいんですけど、 要はこれも選択と配置の延長線上に属するものだと思っています。 それから行間というか間ですね。この空間性も同じく配置の延長線上にある。 つまり、 言葉はただ置かれる。 わたしは空間におけることばの配置を読み取るだけです。 内容なんか読まない。いや、最後には読むかもしれませんが、それは 文学体験としてはかなり低次元の話ということになります。 では文学にとって大きな要素である「比ゆ」を無視するのかといわれる かも知れませんが、 比ゆってのは●●のようだ、とかいうアレですね。隠喩といったり 直喩といったりします。 詩作においてはこの比ゆというものが重要視されているようですが、 わたしはあまり重要には思ってません。かなりあざとい所業じゃないで しょうか。だってすでにして選択と配置そして韻律と間(ま)の 空間性、これらが目に見えない遠大なる比ゆなのですから。 そこへわざわざ目に見える比ゆ、まるで謎解きのような、けばけばしいものを もってくる必要があるでしょうか。カラスの勝手ですけど。 しょせんは頭でっかちなインテリがそこのけとばかり首を突っ込んできたから 「比ゆ」などというものが目立つことになったのだと思っています。 まあわたしなんかふつうに直喩は使ってますけど。 話は変わりますが、一見言語配置の空間性ともみまがう ちらし寿司のようにあちこち行句を飛ばすアクロバティックな人がい ますけど、そういうものも含めてわたしは、あまり重要視しません。 たんに目が疲れるからやめてほしいだけです。              ※ 村上春樹の小説や谷川シュン太郎の詩について、なぜダメか、なぜ一部に 絶大な支持者がいるかについては思うところがあるのですがそれを語るには あまりにも語ることが多すぎるし、整理する能力にも欠けている。 ただ、戦後の飽食平和にどっぷり使って偏差値教育ばかりやっていた日本の ダメな人間がダメな人間を必要としたということはいえると思うんです。 直感でわかっているのだけどこれを展開するのはむつかしい。 今更ながら学歴のなさ、頭の悪さを嘆いています。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-10

あ、すみません。『さゆり』という小説アーサー・ゴー ルデンが日本語で書いてはおりません。日本人の独白の ような設定ですが翻訳者がいました。小川高義さんです。 これはモデルになった藝妓さんがニューヨークに住んでいて その方から巨額の訴訟を起こされたのです。そこで当初、日本人が 書いた設定になっていたのがちょっと変わったようです。 もっともゴールデンは財閥の息子ですから多少の賠償金で ゆるぐわけもないのでしょうが。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-09

おはようございます。 「好き嫌い」という情動については実のところわたしにも よくわからないんです。冷徹な審美眼をもつあの田中宏輔 さんですら「嫌い」という感情で谷川俊太郎を評価したこ とはわたしには少なからず驚きでした。 (ほんとうは谷川を嫌いといったのではなく「あざとい」 手法が嫌いなのでしょうけど、ひとまず置いくとして) そこで、なぜおれは谷川シュン太郎を嫌うのか?あらためて  じぶんの心の中を覗いてみるきっかけになりました。 嫌いな作家の書くものは全部嫌いなのかと問われれば、確た る理由もなく確かに嫌いですね。 谷川俊太郎だけでなく村上春樹など名前を聴くだけでもじん麻 しんが出るほどです。 わたしの想像ですが多分、谷川の詩が好きな人は村上の小説 も好きなんじゃないでしょうか。  嫌いという根拠が明確にあれば、どういうシチュエー  ションにおいても判別出来る確固たるものがあるのだろう、 ということですが、わたしの場合は文体ですかね。文体ですぐに わかります。 そもそもわたしが日本の小説や翻訳本を近年読めなくなったのは 文体がすべすべつるつるの無国籍的な翻訳調になったからです。 そのためにあれほど大好きだった海外の探偵小説やスパイ本までも 読めなくなりました。翻訳文がすべてワンパタで、次のセリフまで 予告できてしまう─のです。 内容がいかほどよくても、思想がいかほどすばらしくても、文 体に個性がなければ どういうわけかいっさい受け付けない体質になってしまった。 もうこの二十年ほどまったく本が読めなくなりました。 たとえば難波にある総合書店ジュンク堂にいって一階の数千冊の 本を片端からめくる。数行をみた瞬間、どの程度のものかわかる ので、数百冊の本を次から次に開いては本棚に戻す。 わたしが読める本がない。二階にもゆく。探偵小説スパイ小説など 文庫本の棚が並んでいる。女性には申し訳ないけど女性翻訳者の 手掛けるハヤカワや新潮などの翻訳本はすべて同じ調子で翻訳され ているから読めない。どれほど人気の新刊でも読めない。 この二十年でジュンク堂に何度も通って買った本は、つまり文体が 個性的であった小説はただの一冊でした。内容で買ったのではなく さっと開いたときの文体の特異さ、ゴッホやモディリアーニのよう な、なにか違う筆致! それが小説を買う決め手です。その本の タイトルは『さゆり』でした。これ、米国人が日本語で書いてい たのを知らなかったのですが、中味も抜群に面白かったの久しぶりに 読書に熱中できました。多分、 わたしが読める文体だったので面白味も倍加したのでしょうね。 そういう文体キチガイのわたしからすると谷川も村上もどんなシィチ ュエーションであっても、どこでみても あ、これは嫌いだということになると思います。 どの文体もこちらに虚無を感じさせるほどにつるつるの無国籍な、 な~んにもない文体なのです。 これって何なのかというと.......たぶん今の飽食平和日本人が陥った 闇なんじゃないかと思っています。 ここまでいうともう気づかれていると思いますが、わたしは、現在の 日本の作家、詩人たちの書くものは全部嫌いです。 谷川や村上は今の日本人、飽食平和の虚無に陥った日本人が つくった作家、詩人だとおもいます。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-09

アラガイsの田中さんに対するコメントが なぜ下品かというと、 田中さんのハードルのなかでも一番低いところを こえようとするその心根の卑しさにある。 猫でもまたいでいきそうな、地べたに置かれたハードルを こえてうれしいのか。   "おまえぇー、大むかしぃー、文極でぇー、   こんなこといってたくせにぃー" って、(笑 )おまえガキか? 田中さんの頭をこえろとはいわない。 一生かかってもおまえには無理だ。でも、 せめて腰のあたりのハードルをこえようとしてはどうだ。 大きな挑戦になるからおまえが死ぬまで無理だろうけど。 おまえや類とかいう子どもが、 相手のコメントの一番どうでもいい部分、本題とかけ離れた、 ハードルの一番低いところをさしてギャーギャーわめくのは 頭が悪いし、自信もないからだが、おまえの詩が下品なのもそこに 因がある。詩人にとくゆうな或る異常な部分への虫のような指向性があって それを感性だけで受け止めている。思想も倫理も世界観もなにもかもありゃ しない。あっても人の受け売りだけだ。それでどうやって人さまの批評が できる? 詩は全部人の物真似だとはいえ、詩人にとくゆうの異常性が 誘蛾灯のようにある種のポエジーをもたらし、●●がそれを評価している。 アラガイsよ、おまえは糞を好む虫のように可愛い部分もあるとはいえ、 光のもとにさらせばしょせんは、ただの●●者だ。 今後はレベルの低い批判なんかできるだけ抑えて、腰は無理だろうから せめて田中さんの膝あたりのハードルをこえるよう努力してみることだ。 それとおれの投稿に、その薄汚い下品な言葉を小便のようにかけるのは ほんとうにやめてくれ。他の閲覧者の邪魔だ。この通りだ。二度とお断りだ。 おれへの批判は、この談話室?だけにしてくれ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-09

ひょうってこんなに獰猛で凄い生き物だったのか! (ひょう)

2024-07-09

一連は一行しかないのですけど、 詩を批評し慣れた人ならこの一連をみて 読むのやめるかもしれない。 それほどダサいしありきたり。 五、六連のいかにもらしい世界観の表明の仕方は やはりありきたりでダサい。 ラストもありきたりでダサい。 ごめんなさい。文句ばかりで。でも表題の「アキ」 は人を惹きつけるものがある。それだけに 残念だ。もっと自分の今の感性や概念を 否定していったほうがいい詩が書けるような気がする。 ここの人はほとんどが詩、読めませんからね。 褒められてもよろこんだら、どこにも通用 しない詩を書く人間になりかねません。 (アキ)

2024-07-09

これもそうですが、みんさん どうして全部語ろうとするのかな? それじゃ詩としての一番大切なものが 全部パーになる。 愛とか神とか最高度の価値とか 書いてしまえばもう標語のように ぶら下がっているだけなのに (愛する方法)

2024-07-09

もう少し短いほうがインパクトがあったのに わたし個人的には少し冗長に感じられた。 (あの子は一人でバニラクッキーを焼く)

2024-07-09

1大昔の文極のはじめの頃(20年前)、 2みんなが田中広輔さんへのコメントに気を使った? 3そんなことはなかったとおもうが、 4バ●がそう妄想するのは自由だとしても 5根拠も資料もない妄想を持ち出して 6田中さんにからむのを見ると 7あたまがお●●●としか思えないのだが。笑 8こんなキ●●●を抱えているビーレビも大変だ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

●1文極のはじめの頃、っていつの頃のこと? 大昔の話だぞ? ●2「その作品を指して言うべきでしょう。」と大見得を切って言うなら   アラガイsこそ田中さんの「どの発言をさしていってるのか」具体的に資料ださなきゃ。 わたしはそんなもの見たことがない。また妄想でも浮かんだのかな? ●3 「どう読まれるか?」 と 公の掲示板に「う書かれるか」とでは次元がまったく違う。   いっしょにしちゃ可哀想だ。 ●4 いずれにせよまたアラガイsの粘着の始まりだ。そういうの、いい加減やめられないの? (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

それにしても、ここまでひどいとは思わなかった。 これじゃお茶、お花、料理をやっている方々のほうが よほど文学や詩がわかっている。 類くんもテイムラー隆一くんも もっと大人の意見を謙虚に聴く姿勢をもってほしいな。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

類くん、類くん、 もっと肩の力抜きたまへよ。 あまりにも些末なことで喧嘩ふっかけ 杉だよ。笑 きみたちの優秀なレベルはよ~~くわかったから 知らない閲覧者のみなさんが引くような ことを書かないほうがいいような気がするけどね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

テイムラー隆一くん、笑 「あんなの」ですけど、あのさあ、交響曲だって指揮者が違えば まったく違ったものになる。 まして翻訳なんてのは訳者の感性や文体次第で全然違う文学になるのだよ。 わたしは悪口いわれても平気だけど詩を書く者が小学生のようなことを いっちゃいけません。あと類くんも、もう相手にしないけどあまりここで 二人で恥を書くものじゃありません。笑 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

>ヘッセの詩を誰が訳そうとも、それがヘッセの言葉であるという何も変わりはないと思うんだけれども……。 >なんか海外の詩あるいは詩人を例に挙げようとすると、訳者がどうのこうのと言われてうやむやにされるのっ >て、どうかと思うんだ。 申し訳ないけど、類くんと同じくきみも上記のようなこと、ここ以外であまり 口にしないほうがいいよ。 いや、ここでもあまりこういうことはいわない方がいい。中学生の集まりかと 思われるよ。まあ、べつに中学生の集まりでもいいけどね。笑 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

>作者は例えるならパン屋であって、作品がパンなんだよね。 >同じパン屋でもぶどうパンが嫌いだからと言って、 >何でもいいがカレーパンとかあんパンが嫌いになるわけではないから、 だからぁ わたしは同じことを言ってないかい?笑 「ぶどうパン」は比喩だよ? つまりきみのいう「パン屋」と 同じ比喩であり同じ意味なんだけど、どう違うの? きみ風にいえばいいのかな? それならきみ風にいえば パンが作者でありぶどうが作品であるということになる。こんな こと間違えるのはきみくらいなものだよ? 頭を冷やしてはどうかな? 論理にもなににもなってない。 笑わせられたのはこちらだが。 それときみのコメントは底が浅すぎてつまらないんだよ。 もう少し、頭を働かせてものいって下さい。みんなみてるんだから。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

類さん、 ありましたよ。 あんぱんしか売ってないパン屋さん。笑 https://www.ecute.jp/tokyo/shop/378 カレーぱんじゃないけどね、 八ヶ岳アウトレットにカレーパン専門店あるみたいです。 たぶんインドあたりにはあるかもしれない。 あの、何度もいうけど 人の意見は「太いラインで読みましょう」。 わたしの意見の眼目は「好き嫌い」という感情は合理的理性的なものじゃ ないから論理的な議論の対象にならないかもというものです。 その例ととして「ぶどうパン」を出したのであって、そんな ことの是非なんか問題じゃないのです。 類さんがわたしに反論するならば「好き嫌い」という心的現象 についてお願いしたいですね。 それなら幾らでもご意見をお聞かせ願いたい。とても興味が あります。ぶどうパン云々についての議論をするのならもう 結構ですよ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

そうですか。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

精神分析学のようなものを多用した詩の批評、 やるのは個々の自由だから否定はしないけど...... まず「精神」という翻訳語が間違っている。 「心的現象」といってもらいたい。 これまで「精神分析学」と呼ばれてきたものは 「心的現象」を頭でっかちな連中が得て勝手な主観で 憶測していただけだと、考えられる。 「精神」を分析しているのではない。 一ミリだって彼らに「精神」は分析できていなかった。 無理もない。精神は既存の心的現象学の対象にはできないからだ。 つまりどういうことかというと、詩のような高度な 精神的な営みを心理学(心的現象論)のようなもので扱うと 薄すぎたなく穢れるということです。 今どきの出鱈目なポスト・モダン思想も同じです。 (あ、今思い出したけど「ソーカル事件」なんてものもあったね) あのような事件でポストモダン思想がかんたんにマンガ化されて しまうのは 実は「精神」というものが(現代日本の文芸批評家もそうだけど) 哀れにも頭でっかちには、 片鱗も理解できないことからくる悲喜劇だったわけだ。 わたしがいいたいのは詩のような極度に精神的な営みにおいては、 ポスモだろうが心理学だろうが、係わってもらいたくないという ことです。(とはいえ「ポスモ批評」をやるのは御本人たちの自由だけど) それは詩の領野を汚すから大変見苦しい。 「精神」の分析学などまだ始まってすらいないのです。    騎士の足下に 水がひかって    小川は ガラスよりも 透きとおっている          ─アレクサンドル・プーシキン─ こういった詩句がもつ精神性を無理にポスモやろうとすれば如何様 にもポスモ的な批評はできるかもしれない。 でもそれは、あまりにも下世話だ。 ゴキブリがテーブルの上のごちそうに這い回るようなものだ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

好きとか嫌いとかいう情動には合理的理性的なものは あまりないように思えるから議論の対象になるのかどうか は置くとして、まあ、そのようなものだから、ふつうは 嫌いといえばその全部が嫌いになるし(ぶどうパン嫌い だけどぶどうだけ食べるひともいるだろうけど) わたしが谷川シュン太郎が嫌いなのはあの顔だね。 若いときの阿呆丸出しの顔も嫌いだけど、歳食ってからの 変態みたいな気色悪い顔にはぞっとする。 だけどあの忘れ物の詩とか手先でうまく書くものだけど、反省って ものがあの爺さんにはあるのかな? (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

わたしも料理が好きですのでこの作品に 惹かれるものがありました。 (恋愛)

2024-07-07

わたしが運営から守ってもらえないのはわかっているが それにしても運営が荒らしのお墨付きを与えてどうするのか? わたし個人だけならいいが わたしにイイネした人たちにまで嫌がらせをしているから アラガイsを忌避しているのだけどね。 数少ないイイネをして下さった投稿者の皆さんを 大事にしたいのだよ。 投稿当事者が嫌がっているのに運営が荒らしを認めちゃいけないよ。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

きみの異常な執着には十分迷惑がかかっている。 わたしへの粘着コメントは一切拒否する。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

きみの粘着なつきまといを嫌がっているのに なぜ執着するのかな? わたしなら一度でも 迷惑ですといわれたら絶対にその方の邪魔はしないが。 きみも男らしくしてはどうか?  (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

みなさん、長文をお読み下さり ありがとうございます。 ひとつだけ。現在は北朝鮮や韓国 の方々への恨みというか反発心は まったくありません。 むしろ北朝鮮の方々については、 尊敬しているくらいです。 韓国の知人、友人もいます。 それから、事実をそのまま書いた つもりですが、ややデフォルメして おりまして当時の大阪文学学校在籍 者の70%くらいはいかにも詩人ら しい、気弱でひかえめで心やさしい 方々ばかりでした。 現在校長をしている細見さんも、と ても面倒見のいい方で、わたしも ずいぶんお世話になりました。 大阪文学学校、決して悪いところで はありません。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

おまえほんとに粘着やめろよ。おれをデスるのは いくらやってもいいけど、万太郎さんやぺえ太さんは たんにおれの投稿にイイネしてくれただけ。 迷惑をかけないでほしい。 おまえの同性愛的な情動が歪められて、パラノイア妄想を発症して いることは手に取るようにわかる。おまえさあ、精神的な病状が 出ているのだから、澤あたりに分析してもらって 少しおとなしくしてもらいたいね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

澤はもう手がつけられないほど荒んでいるからいわないが アラガイsくんは精神病理学などという御大層なものを口にするのなら あんたがおれに粘着するそのパラノイア性妄想のみなもと を探ってみろよ。 おれはおまえの粘着が嫌で現代詩フォーラムを退会し投稿も全抹消 した。するとここまで追いかけてきていちいちわたしにイイネ付けた 人にまでからんでいる。その病態を澤大先生に分析してもらってはどうか。 いかさまガタリでも詐欺師デリダでも妄想ラカンでも何でも利用していいから。笑 いかさま精神分析学でいえば、きみのような同性愛への内的抑圧はないし興味もないからね、 さっさと離れくれないかな。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-06

メルモsアラガイと澤のポスモ?漫談最高だね。 めざしをおかずに貧しい夕餉をとっていたから 鼻から吹き出してしまった。もっとやってほしいね。 いいコンビだと思う。 (リボルバー)

2024-07-06

アラガイsさんのコメント読みましたが..... 作者ではなくわたし個人への反発があるだけで 作品についてはなにもわかってない。 相手にしないほうがいいです。 わたしをデスるために人さまの作品や作者を デスっている。あなただけでなくぺえ太さんにも。 さて、 化粧は、いいかげんに塗った口紅だけだからい いのです。 真っ白なワイシャツも舞台仕掛けとして完璧です。 おそらく江戸時代でも、鎌倉時代でも 圧政の吹きすさぶ村では必ずこういう語り部が 生まれて、このように簡素な化粧と舞台仕掛けで 語っていた様がほうふつとしてきます。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

あ、それね、ドラマ『ビーチボーイズ』で 広末涼子がいうセリフでしょ! (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

分からず屋が多いんですよ、自称詩人には。 被害意識も加害意識も関係ないのにそういう二項対立を 持ち出してくる者もいる。 ここは詩だけでなく状況論もオーケ、散文もオーケーなのだから 「超過死亡」のことを持ち出したのは先鋭的でいいですよ。 これはたいへんな問題ですが自称詩人ってのは政治や状況にまったく 無知、むとんちゃくですから。 それとこの文は初投稿からの延長線上にあるから、投稿された作品 全体から評価すべきだし。 わたしはこの感性でどんどん押してゆけばいいと思います。 (非行)

2024-07-05

詩は 魔法のひとつ コバルトとローズの雨をうけて 鮮やかに あじさいがひらいている と こう書いたら あなたは魔法を信じますか (交錯する夏の香り)

2024-07-05

ネガティブな感情や人への評価や批判の類いのことから自らを解放して、 やるべきこと、大切な人やものを一生懸命大切にすることに集中す自分になることーーー ronaさんを尊敬しておりますが、.....畏れながらいわせて頂きますと、これまで ですね、あのう、一生をついやして上のような言葉と戦ってきた者でして..... これからも全力でそうしていくでしょうね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

厳粛な気持ちで正座して聴きました。 わたしは詩の朗読を否定していましたが なるほどこれならわかる。これなら何度聴いてもいい。 語り手の化粧もいいし、田舎の茫々とした背景もいい。 この動画がなかったらこの詩をさっと読んで すましていたかもしれない。 ラストのおっぱいもいいですね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-05

谷川ちんた郎のような世間知らずのバカは詩だけ書いていてれば 世の中に害を及ぼすこともないのだけどね。 下手に政治社会に口出しするとろくでもない反社的なことをやらかし、 しかも当人はそれがなにか善行のように思い込んでいるという、 この糞ジジイ、頭を一発こつんとやってやらなきゃ目が覚めないか と思うことが多々ある。 戦後のだれきった干しクラゲのような国民が求めたから出てきた タイプなのだから悪いのはそういう干しクラゲのような日本人であって 谷川のせいじゃないのだけど、 ああいうバカを見ていると、いちいち腹が立つ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

狂犬に噛まれたようなものです。 あれはだれが見ても、無理筋の注意で、ひどい。 わたしの投稿をイイネしたことが原因です。 今後はそういう人物を相手にしないことです。 (窓)

2024-07-05

乳が大きいので空がみえないのです この一行には詩情がある。ちょっと吹き出したけど。 (習作)

2024-07-05

あなたの詩はどれもそうだけど、 どうしてそう、お婆ちゃんみたいにくすんだ、 詩ばかり書くの? ワット数の足りない裸電球の下で 孫のためにおにぎり握る婆ちゃんのイメージ嫌い じゃないんだけど、まだ若いんでしょ? まだ80、90じゃないですよね? こんな、地味をさらに脱色したような詩がなぜ生まれるか。 あまりにも詩をこねくりまわし、あーでもない、 こーでもない、どうすれば人よりううまい詩になるか そんなことばかり考えているからそうなるように思える。 もっと邪心を捨てて気持ちよく書くことから 始めたほうがいいような気がします。 (窓)

2024-07-05

あ、すみません、ろんぶんを書くやつは バカだと思っていますので。 失礼しますた。 (3分の1がない世界で -REMIX- )

2024-07-05

今みたいな時代に一番必要とされる願いや祈りを 歌っている。とても好感がもてるし、 それはもちろんそれでいいのですが...... 一ミリだって異論はないのですが..... こういう歌、じつはガザでホロコースト (民族浄化)やってるイスラエスの若い子 だって歌っている。ホロコーストを肯定 しながらでも平気で平和や愛って歌える。 ここが人間の不思議なところで、こいつを なんとかしないと、大きな暴力はなくならない。 現代詩はこの詩の次にどこへ一歩を踏み出すのか そこが大事になる時代が次に来るように 思えます。 . (求めるもの)

2024-07-05

高潔というべきか 貴族的というべきか 盲目的というべきか (僕らの行進曲)

2024-07-04

詩を読んでいて、ああ、いいなあ詩っていいなあ と感じられる瞬間てのはその書き手が 詩によって自由自在になっているなと感じられるとき。 こちらまでその自由がもらえる。ともに自由になれる。 最近の投稿にもそういうのいろいろあるけど 中からひとつ挙げるとすれば 「ストレスドデザーツ(菓子めいたタイめしか) 」のような作品。 巧い下手は関係ない。 そういう詩になってくれればいいと思う。 (リボルバー)

2024-07-04

atsuchan69さん、勉強になりました。 ご返信の内容は深いし 広い視野に立っている。 おそらく多くの若い読者の賛同を得る雄大な叙情詩に なっているでしょう。 ただ 100以上の職業を転々としてきたわたしからみると 今どきの詩人の反戦詩なんかみて、そのあまりのチョロさに あ然とするんですよね。 100どころの職業じゃなく当然、新宿歌舞伎町を縄張りにしていた 暴力団東声会の、あまたある相談役のおかしな兄ちゃんとも行動をともに したことがあります。 命をかける戦いとか、パワーというものの"本当"をだれも知らないでしょうけど この相談役の兄ちゃんと仲良くなって某組事務所に借金の取り立てに行ったことが あります。一歩はいるともうシャブ打って目が異様にキラキラ光っているのが 飛び出してきていきなり中国製とおぼしき偽造トカレフをその兄ちゃんの首に つきつけてきた。中国製のトカレフは寒冷地で手袋をはめて撃てるように銃床が ほそくぐらぐらするだけでなく、安全装置がない。いつ間違って弾が飛び出すか わからない。 その兄ちゃんは、もと証券会社の営業マンで背中に入れ墨しょってるけど 度胸はない。ぶるぶる震えてしまって声も出ない。 わたしといえば蛇に睨まれたカエルみたいに一歩も動けない。逃げようとしても 脚がすくんで動かない。相手がシャブ中だからいつ撃ってもおかしくないし。 わたしも東声会の兄ちゃんも小便をもらしそうになった。 そこへ代貸みたいなのがやってきて、丁寧に挨拶して事務所に通してくれた。 どこかの組と抗争の真っ最中らしく、恐怖心を消滅するためにシャブ打ってる んだという。東声会は関西の山口組と兄弟関係だからシャブはご法度だった。 わたしは「力」とか「恐怖」というものを知らない人は不幸だと思う。 ほんとうに動けなくなるし、相手のいうことは何でも聴こうとしてしまう。 逆のこともあって、わたしがカネを借りた相手の男が、期日以前にわたしの 家に土足であがり込んできた。おまえの評判悪いからすぐにカネ返せという。 近所では獰猛な男で通っていた。わたしは友人二人を家に迎えてちょうど 世間ばなしをしていたところで非常にバツが悪かったから表通りでお話うかがい ますといって表に出て、いきなりその男の無礼な態度に対して一撃を加えた。 つまり殴ってしまった。二、三発殴ると男は予想に反して血まみれになって 路上に倒れてしまった。こんな弱い相手だとは思わなかったのでむしろわたしが あわてた。そこで家に運んで治療してやった。 それ以来、その獰猛で売っている男はわたしを見るとどこであれどんな場合であれ わたしがびっくりするほど卑屈になってへりくだって挨拶をするようになった。 「力」つまり暴力の相手に及ぼす影響力というのは今の詩人が考えるほど 甘いものじゃない。戦争 とひとことに言ったところで、暴力のなんであるかすら 知らない。もちろん、谷川俊太郎なんか暴力どころか飢えも知らないし、本当の 恐怖も、孤独も知らない。そういうお坊ちゃんたちが、身体性について知らないお坊ちゃんが サロン詩を書いている。それはもうしょうがない。そういう風に生まれたのだから。 しかし、日本以外の世界のほとんどではそういう暴力が普遍的に行われている。 しかしだね、概念や観念だけでそんなものは理解できないんだよ。無理なんです。 だからその「無理」ということだけでも知るべきなのに、平気でガザがどうのパレスチナが どうのなってやっている。表層から一歩も中に進めないのは自分たちが何も知らない ことを知らないからだ。日本人として育った自分が何も知ることがなく育ったことを 知っていれば、何も知らなくても表層から一枚裏側に踏み込める。 しかし傲慢だよね、日本の詩人は。概念だけで書けると思っている。概念だけで 詩手帖なんかでパレスチナがどうのとやっている。こいつら整列させて銃をつきつけた だけで小便もらして命ごいするのは目に見えている。かれらは傲慢で自分を知る機会を つくろうとしない。これでどうやって詩が書けるの? 海外の詩が読めるの? と、わたしは思うんだけどね。 (炭素循環)

2024-07-04

「戦い」や「破壊」に対する心理的抵抗が欠落し、 戦争行為が既定事項として描かれているのが エヴァンゲリオンであるとすれば、今どきの詩もまた 逃れの街 曠野の果て 襤褸の衣 凍てつく孤独 といった本来、身体性を帯びていたはずの言葉も その実体を失くして アニメのいちシーンのように材料的に置かれている。 わたしはアニメを一切見ないがアニメを見る人には それなりの情動を与えるのだろうか。 (炭素循環)

2024-07-04

よくわからないんですね。 3分の1があるとか、ないとか。ただ、書き手が 「〈表記〉の問題でしかなく」と言ってるのは 言語学の専門家であるわたしとしてはよくわかる。 『言語的思考へ- 脱構築と現象学』(竹田 青嗣)あたりを 読んだのかな? でもわたしのおすすめは『だいたいで、いいじゃない』 (吉本 隆明 大塚 英志 )だな。 園数率の計算だけじゃなく なんであれ3.14までで 十分という話。わたしも「だいたい」派の人間だから、 ゼッケンさんのこだわりがさっぱりわからなかった。 だいたいでいいんじゃないの? (3分の1がない世界で -REMIX- )

2024-07-04

  バカ者よ ♪バカぁ者よぉ アタマを鍛えておけ あさましい心がぁ~ 金づちのような頭に からくも 支えられる 日がいつかは来る その日のために アタマを鍛えておけ バカ者よ (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-04

谷川チンタ郎か......。 お上手な詩を書くよね。いわゆる"お坊ちゃん詩"で わたしのような歴戦の人間通、世間通、世界つうには まったく響かない、市販の絵葉書のような詩だけど。 谷川のような詩がこの国の詩を徹底的に糞だめのような ところへぶち込んでしまったと思ってます。 谷川以来、日本の詩はなくなっと同じです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

「白々しい」という言葉があるように 闇がなければこの世はどれほど退屈で白白しかったか しかし、「ぬまたばの~」の世界はますます失われつつある というふうなことを、これを読んで感じました。 まあこの作品のような大人の感慨はなかなか渋いものであって なかなかに受け入れられるものではないでしょうね。 (闇の中の光ほど欺瞞に満ちたものはない)

2024-07-04

   バカの解放 バカは孤立していた バカが集団で群れることはなかった バカには壁があった バカの発言は事前に 知性的な出版社や 知性的なテレビ局や 知性的な新聞社が検閲して へっ! とばかりにゴミ箱に捨てていた あるいはシュレッダーにかけられて 粉塵のように処理された だから バカは孤独であった バカは膝を抱えて この2000年間沈黙していた そもそもこの社会に バカの意見など必要なかった バカはしょせんバカだから バカなことしかいわない バカの壁があるから社会は 平和だった が、 しかし が、 しかしであった SNSの登場はバカを解放した これまで蓋をされていた 大量のバカの意見が 陽の目を見ることになった とうぜん バカは群れる バカの大将のもとに 大量のバカが吸引され それが yutuberというバカの親玉を 生み出した 産業革命と同じ歴史的転換だが 中味はただの バカ革命だ バカの意見など聞きたくないのに 市民権をえて キ●ガイ、バカ、間抜け、阿呆 異常者、狂人たちが SNSで大手を振って歩き出した オーマイガッド! オーマイガッド! 神様お願いだあ 歴史を巻き戻してよ バカなんか見たくないよ 解放なんかしてほしく なかった え? お前もわたしが解放した バカの一人だって? オーマイガッド! (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-04

気の合うお仲間がおられることはいいことだと思います。 わたしはそういう言論空間を批判しているのではないので これからも皆さんと談話をお愉しみください。 わたしのほうは皆さんのお邪魔をするつもりはないので 当分、個人的に忙しいこともありコメントはひかえます。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

そうです。 かなり悲嘆にくれています。 でも視点をどこに置くかで変わってきますね。 一個人の生活をみれば物価上昇や税負担の増加などで 庶民の家計は苦しくなってますけど、それほど不安に は思えない日常がつづいているのでしょうね。 お読み下さりありがとうございます。 同じく動画を投稿している者としていつも御作 拝見しております。お互いがんばりましょう。 (大人用おむつの中で)

2024-07-03

仲間をかばいたい気持ちはわかるけど、いちおう二人とも 運営の中核にいて、選評を担当しているのだから、 あまりにひどいデタラメな批評しちゃだめだよ。 田中恭平くん、あんたがいってることは口からでまかせです。 きみや黒髪くんには良心ってものがあるの? 黒髪くんの文章をちゃんと読んでないし、読めてない。 こんなコメントを書くなんて不真面目にも度がすぎる。 おまえ、真面目に生きてるのかっ!? まあ、二人とも 不真面目で 権威主義で 長いものにまかれろだ。しかも、 力のある者におもねって、命令もされないのにみずから弱い人間を 虐めることを平気でするタイプだ。 そういうどうしょうもない二人が、ちょっと本当のことを批判されて、 反省するどころか己をかばい、仲間どうしでいい加減に馴れ合って 話をうやむやにしてどうするの? 前の運営では、 室町礼が澤あずさと批評文を巡って言い争っていた時、黒髪は内容が何も わからないくせに間に入ってきて室町に対し「あんたが間違っている。 反省しなさい」と意味不明の叫びをぶつけていた。 室町は異質で運営からも疎んじられていた。澤は逆だ。そういう存在に対して 無意識に場の空気を読んで強い立場の者におもねる。 排斥されているものを(強者に媚びて)排斥する。 それが仏教やイエスの言葉を語る者のすることであるはずがない。 なぜこの二人がそういう人間になってしまったのか。 理由は簡単だ。 この二人はおそらく社会に出る前に学校や家でもイジメに あっていたのだ。強烈な虐待やイジメに。 そういう人間の多くは心理的な転換をはかるためにのちに必ず無意識にイジメを 行ってしまうことがある。 一方で物凄く格調高いモラリズムを口にするのもそういう人間の特徴だ。 異端者であり嫌われ者のわたしtakoyo2などは黒髪くんや田中恭平くんに とっては心理的な意識逆転の格好の餌なのかもしれない。 まあ、なにやってもいいけど、田中恭平、おまえもっと真面目に生きろ。 仏教がどうの、一茶がどうの、片端から有名人の名前を持ち出してくる その胡散臭さ。じぶんで気づいているのかどうか知らないが、 精神的な病いなんか、いまどき何の弁明にもならない。みな狂ってるんだ。 甘えるな! (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

長文は読めないはずなのにこれはすっと読めた● 「●」のせいなのか? もしこれが普通の句読点とか だったら●いつものように退屈になっていたのか? いや●そうじゃない●多分●文体のせいだ● この方の文体はふつうじゃない●身体性や生活履歴が まるで言葉に変身したかのようにリアルな存在感をもつ● それはまさに才能と環境がつくりだした文体だろう● そして不思議なのは●一見ふつうの文体に見えることだ● その特異さは●長時間の鑑賞をわたしには許さないが● それでも才能がここにあるとしかいいようがない● しかし●才能とは僥倖なのか不幸なのか? 際どいところで問いかけてくる。 (A DAY IN THE LIFE。―だれよりも美しい花であったプイグに捧ぐ)

2024-07-03

2024/05 作品と選評を読ませて頂いたのですが、 面白いね。 田中恭平、黒髪両氏の選評が面白いというよりは、この両者に 選評を委ねているところが面白いと思った。 ここに投稿されている詩、わたしにはほとんど意味不明だから このお二人に どこが面白いのか教えて貰いたいと願って、平伏して素直に読ま せていただいたのですが、まったく何もいってない。笑 ふつうに感想を言ってるだけ。そこから得るものが何もないという この爽やかさというか、何もなさ。くそ暑い夏にはいいかもしれない。 これがもしアラガイs氏の解説だったりしたら、そのアホらしさに ぐったりして、寝込んでしまったかもしれない。 いや、いいね。何もないってことは。際立っている。 爽やかだ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-03

詩を書く人に多い ことばで自由になる極意を皆伝した人の ひとりだ。 本人がトイレにいるのかクラブで踊っているのか 場末の路地裏で女を漁っているのか定かではない としても。 (ストレスドデザーツ(菓子めいたタイめしか))

2024-07-03

>詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるのが建設的だと、..... "建設的"の意味が曖昧だから正確な反応はできなのだけど、まず、 "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんて読み方している 人がほんとうにここにいるの?笑 本人がそう思っているだけじゃないのかな。それに、"詩の一行一行をしつこく しつこく掴んで問い詰める"なんて読み方が、詩の読み方としてふさわしいとはとても 思えない。 ぼくらがぼくらの尊敬する偉大な詩人や詩友から教わったのは  詩は太いラインで読め ということです。わたしが思うに、これには次の意味があります。 そこに現れている細かい字句にいちいち目を奪われる前に、まず 行間にあるものを含めた全体から受ける俯瞰的な印象を大切にすること。 それはつまり 読み手一人ひとりが、詩学としての知識にはうとくとも自分自身の感性を 信じるということです。 そしてだれであれ、天才であれ詩的な表現行為をすることの初心者であれ その人が「ダメ」と思ったらそこでもうその詩に対する評価をやめてなんら 差し支えありません。 熊倉ミハイさんのいうような行為は、太いラインで読んだうえで、 感動した作品についてもっと知りたいと思った方がやればいいことです。 いちいち詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるようなことをしていれば、 ここに投稿される作品一週間分でも一年かかります。笑 黒髪くんの投稿文はわたしからいわせると、一見してすぐにピンと来るものがある わけです。行間も含めて太いラインでさっと俯瞰すると、 これはカルト的に自意識が異様に拡大した状態であって、はっきりいっちゃうと 普通じゃないんです。なにが普通でなにが異常かというのはむつかしい問題ですが わたしたちが居酒屋や喫茶店で会話するさいの「ふつう」とか「異常」とかいう 概念と同じだと思ってください。つまり、黒髪くんは自分では正常だと思っているかも しれないけど、ronaさんが仰ったように文章が支離滅裂なんです。論理もでたらめです。 これはここだから通用する文章であって、広い世間では相手にされません。 ふつうの人は太いラインで読んですぐにそのことに気づくはずです。 そのような文章にコメントしたのはわたしが悪いと言えば悪い。まともな返答が返ってくる はずがないのがわかっていてコメントしている。 多くの初心の人にわかってほしいからあえて批判したのですが。 この文章をもし熊倉ミハイさんがいうように "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんてことしたら頭が痛く なるでしょうね。多分、熊倉さんご本人もちゃんとそうはやってない。言葉の端々だけをみて あげつらっているだけじゃないかと思っています。しつこく問い詰めるにも、 黒髪くんがいっているデタラメな宗教用語まで調べてちゃんと問い詰めてごらん? それがほんとうに"言葉の一行一行をしつこく問い詰める"ということです。たいへんな 時間がかかりますよ? たんに、言葉だけを拾って揚げ足取りをするだけじゃ話になりません。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

【さてここからが本題】 黒髪さん、 わたしの言ってることをちゃんと理解してもらえないようですね。 あなた個人を非難しているわけじゃないのです。 仏教やキリスト教のようなものに踏み込んだ人たちが、 最初に必ず間違うモラル(人間のこころ)の取り扱い方が間違って いるといってます。 だからこれを読んだ方にちょっとばかり立ち止まって考えてみて ほしいからコメントしたのです。 ましてや、 "異質なものを理解するな"、なんてどこにも書いてませんよ? 黒髪さんの発言は異質とかじゃなくて、 まるで自分がイエスやブッダになったかのように錯覚して、人の上 から語り始めることばだから、異質というよりも それは仏教として間違っているといったのです。   エベレストに登頂した人類は   最高峰よりご来光を眺められる と書いている。 これは人心や精神の価値に高低がありエベレストがあると考えて、 人の意識の価値に高低をつけるものになります。 この段階ならまだいいけど、それがいつのまにか人間の存在価値にも 高低があると考える人が出てくる。 唐突に思われるかもしれませんがイスラエルによるガザの妊婦や幼児、 病人を狙った大量殺戮の背後にある宗教思想はなんだと思います? あなたが前にもいった 「大切なものを守るのに理由があるでしょうか?」 という聖書のことば。それを持ち出した選民思想によって今のガザ 大量殺戮ホロコーストは支えられているのです。 かといって人の下から見上げて語れとはいいません。 わたしたちは虫じゃなく人間だからです。ブッダでもイエスでもない。 同じ地平から世界を見ている存在です。 自分の目線をね、上にしたり下にするんじゃなくて、 黒髪くん、自分の、あなたの!自分の目をちゃんと取り戻しなさい。 話はそれからです。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

黒髪さんがいくらオレは正しい!、不浄で悪質で間違っているのは takoyo2の方だ! と大声で叫んでも、あなたはわたしには勝てない。 なぜなら 文面から察するに黒髪さんは今、浄土にいるか、浄土に行こうとしている人だ。 浄土真宗がいう浄土とはあくまで比喩であって 黒髪さんがここで書いているような精神の境地、一種の極楽三昧境のような こころの在り方をさしている。 (わたしにいわせればバカバカしいばかりの錯覚や妄想でしかないのですが) ところがわたしはといえば、 その浄土から戻ってきた人間だからです。黒髪さんが否定している欣求浄土 から厭離穢土に戻ってきた人間なんです。 浄土真宗のいう仏法の真骨頂、"二相回向"のうちの"還相回向"が親鸞思想の 最終形態なんですが、 わたしがまさか親鸞と同じになったとまではいいません。 しかし、少なくともわたしは親鸞さんと同じく欣求浄土を捨て、厭離穢土に 生きることを誓った人間です。 そのわたしに黒髪さん、あなたは逆立ちしても勝てない。周回遅れでわたしの はるか遠くを走っているだけです。 じゃあ。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-03

あらかじめ詩を書く人間がそこにいるわけないでしょうね。 ほとんどの人は短文を書いているだけだ。 それが書かざるを得ない短文であってもそれが詩かどうかは このわたし(味読する人)が決める。 書いている人間があらかじめこれは詩だと思って 書いているのならよほどのバカだ。 だって「詩」がなんであるか知らないでしょうからね。 わたし自身がわたしが書くものを「詩」だと思って 書いたことなど一度もない。 周りへの説明上、仕方なく「詩」ということにして 語っているし「詩人」がいるように語っているが 今現在、この国に詩人など一人もいないし、詩を 書けてる人間など一人もいない。 あまり詩の領野を穢すものじゃない。人間が穢れているから とうぜん詩を口にする自称詩人たちのせいで詩が穢れる。 それだけのことじゃないかな。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

一生懸命なのはわかりますが綺麗事を書いているだけ。 そういう綺麗事を書く根拠が見えてこない。 いや、わたしにはわかるのだけど、それをいうと目もあて られないからいわない。ただ、これだけはいっておくけど、 文学というのは綺麗事を書くのが文学じゃなくてね、逆に そういう綺麗事をなぜ書くのか、もちろん(「うわー、凄いこと 考えてるのね、きっと立派な人なんだわ」)と思われたいという 下世話な動機がある人もいるだろうけど、 文学てのはそういう綺麗事(理想や思想や哲学)を語るのではなく、 それをなぜ語るのかという本人の生活の匂いがするところがみえてこないと、 そんなものただの綺麗事を書いただけで、文学じゃないんです。 わかる? 文学というのは綺麗事じゃないんです。 こういうものを褒める人がいるから書くのでしょうけど、それはもう 文学でも思想でもない、なにかもの凄く薄い、人間性が摩耗した なにかひどくろうわいな空間だと思いますね。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

偉そうなことをいうがお前さんの詩は品がない。 だれがみても吉増●造の物真似だ。短い行をあっち飛ばしたり こっちに落としたり、それでやっと現代詩風になっている。 それを現代詩がわからないバ●が褒める。 まだ文学極道に投稿していたころのほうがはるかにマシだった。 狎れてくるといかにも現代風の詩風をモノマネして 現代詩フォーラムあたりの半素人から受けるて気分をよくしている。 だからますます真似る。その結果、目も当てられない。 あ、またちらし寿詩かと思うと読む気にもならない。現代詩は記念絵葉書 みたいにきれいに桜や城や山や海が映ってれば詩になるものじゃない。 まず思想のかけらも哲学のかけらもないことが一目瞭然。 偉そうなこと書くまえにおまえさんの下劣な詩をなんとかしてからにしては いかがでしょうか。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

しかし、いくら反感であってもメルモsアラガイsくん よりは遥かにましだ。反論できる言葉になっているから。 メルモsアラガイsくんの場合はもううわごとのようなもので、 知識も出鱈目だし論理も出鱈目だから手のつけようがない。 さか たけおくんなら内容を知的に批判できるはずだから 反発があるのならちゃんと内容を批判してほしいね。 正確な事実をもとに。(西側プロバガンダの押し付けは ごめんだよ) (ウクライナの真実)

2024-06-30

あいかわらず意味不明なことをいってるね。 偏差値教育を受けると、ここまで論理的な思考ができなくなるのかな? 頭悪そうなことをいうからきみが何をいってるかわたしが説明してやら なければいけないみたいだ。 1.まず、きみ(さか、なにがし君)は"コソコソやること"を無意味だとしている。 2.では何が"コソコソ"かというと、 3. ネットの片隅での投稿行為(批評、詩、散文....etc))であるらしい。 4.そういう表現行為は「影響力」も「説得」もない「どうにもならない」行為と断じている。 5.つまり「ネットの片隅」とはこのビーレビを指していることになる。 ここまで砕いてあげれば幾ら頭の悪いさか、なにがし君にもわかるだろ? つまり 6.ご本人がその「だれも見向きもしない、影響力も説得する術もない」SNSで 7."こそこそ"とコメントしているのだが 8,さか、なにがし君が「自分の欲求を発散したいだけなら、今のままでもいいと思」 うけど、 9.ビーレビをデスり、投稿者をデスり、自分までデスって...... 10. はて、さか、なにがし君、なんできみはここにウクライナの詩を翻訳投稿してるの? 11.それこそきみが「ネットの片隅」をバカにするなら、 きみのその「AIでも翻訳できる」翻訳を、きみが馬鹿にするこのビーレビに投稿しないで 12.努力して第二の岡部芳彦にでもなったらどうだい? 13.「自分の欲求を発散したいだけなら、今のままでもいいと思います。」けどね。 以上、前回にも言っただろう?  そのまま君にブーメランするわけのわからない言葉だって。頭悪すぎるんだよ。 こういう反感だけの陰湿なコメントはいらないんだよ。やるならもっと論理的に内容に即して 批判すればいい。それなら反感であろうとも大歓迎だ。内容を批判できないから、 SNSをデスり、ビーレビをデスり、自分までデスってどうする?かか大笑。 片腹痛いよ。 (ウクライナの真実)

2024-06-30

おそらく後世の詩人たちによって今の時代は 詩がもっとも穢された時代として厳しい嫌悪の 対象になるだろう。その時代に生まれて今の時代の 詩人たちの愚かさを 未来の目が覚めた詩人たちとともにコケに出来ない のが寂しい。ほんとうにどうしょうもない。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

アラガイくん、きみの頭の悪いコメントにストーカーされて 現代詩フォーラム退会したが、今度はここまで追いかけてこられては いかにおれでも、うんざりだ。ここも退会するしかないだろうね。 おめでとうアラガイくん、おれを追い出した功労者だ。はは。 表彰してもらいなさい。もう追いかけるなよ。頭の悪いコメントは 糞投げられるより具合悪いんで。さか、なにがし君もね。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

あー、それと、さか君「今のままでは、数多いネット記事の 範疇を超えていない。」とのことですが 日本現代詩人会のイカれた情況認識とそれを未だに訂正させようと もしない日本の詩人たちのアホさ加減をわたしのように非難している ネット記事があれば紹介して頂きたいね。 わたしの知る限りネットをくまなく探してもわたしだけだが。 さか君、デマはいけませんよ。一生懸命知性あるふりをしたいようだが 知性のかけらもない、デマ野郎でないのなら、わたしと同じような批判を している「数多くのネット記事」少なくとも10コばかり紹介してよ。 さかくん。頼みますよ。デマでないのなら。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

えーと、今昼飯に牛丼食ってるんだけど、んーと知性をまったく 感じさせない反感にちょっと驚いている。牛片が鼻から吹き出しそう。 あなたが語った主観的な反感は全部そのままあなたにお返しするとして、 それはともかく、相当に頭が遅延しているんじゃないだろうか? 思考力ってものを持っているのかな? 反感が先立って憎悪のあまり 目がかすんでるんじゃないのかい? 数多いネット記事の内容が大事なんじゃなだろ? 百人いれば百人、 記事を読んだ理解力が違う。きみやメルモsアラガイsくんのように 頭が遅延していると朝日やNHKのデマニュースから一歩も出られない。 そのような人間がどのような記事を読もうと同じだと思うけどね。 はい、さようなら。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

あなたさまの返信は読んでないのだけど(いや、申し訳ない) 忙しいのだから、ちょっと邪魔しないでもらえないかなあ とついうっかり言う所でした。そういうこといっちゃいけないの だろうけど、これ真面目な国際問題の話でぼんやりした詩の批評 といっしょにしてほしくないんですよ。最低でもちゃんと歴史でも 勉強していただいきたいね。あの、あなたにはこれで返事しません からね、今後は。申し訳ないけど、現代詩フォーラムに帰って下さい。 うるさくても勉強になれば大歓迎だけど無知を大声でふりまわされては たまったものじゃない。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

気持ちはよくわかるんですけど、誰かさんがいっていたように うんうんで終わるような文体ですね。 こういうの表現するの悪くないけど、問題は文体ですね。 いや、これ作者さんにいってるのではなく自分にいってます。 わたしも作者さんと同じこと思っていてでも書けない、 勉強になります。 (小鬼)

2024-06-29

気楽な話をしたいならそれを誰もとめるわけないし、 堅い話?をしたいなら(当人はそれが気楽で面白いのだろうから) 難解な話でもなんでもすればいいのじゃないかな。 気楽にいこうが いくまいが対話す当人それぞれの自由でしょうね。 おれ個人はだれがスパゲティのかわりにアンチョビ使おうが そんなことここでやることかと思うけど それも勝手だからねえ。まあ、黒髪さんには失礼したよ。 黒髪さん、お話に付き合ってくれてありがとう。元気でね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-28

模倣は大事ですよね。模倣とは、伝統であり 人間の歴史の引き継ぎであり 創作の源泉であるといえますね。 キム・シ・ジュンという結構有名な在日の 老詩人がいますがこの方の授業は模倣です。 外国の詩人の詩を10篇ばかり刷ってきて 結構有名な詩人である聴講生たちに配り、次の 講習までに模倣作品を書かせる。 「模倣しなきゃ詩なんかすぐに書けなくなる。 わたしなんか数編書いたらも何もない。模倣が すべてです」こういつも仰ってました。 (模倣)

2024-06-28

おやおや、わたしは「ならず者」から「悪人」を経て今度は 「善人」に昇格ですか? ところで、黒髪さん、 あなたは仏教者としていったい誰を救いたいのですか? もちろん、救うということは救われるということでもあるとしても、 一人の修行者として誰を救おうとしているのです? まさか、この飽食平和かつ安心安全な国で今だけカネだけ自分だけと、 世界情勢ひとつ顧みないで暮らしているお気楽な人々のだれかをですか? しかしブッダは何もインド人だけをみて教えを説いたのではない。 世界を見ていたいのです。 世界の人々をすべて掬い取りたいと考えていたのだとすれば、 仏教者は昔と違って世界中に厄災をばまらく経済構造とその構造が 生みだす数々のジェノサイドに怒りを覚えるべきはずなんですがね。 ベトナム戦争のときは多くの僧侶が米大使館の前で焼身自殺をしました。 いまはそんな僧侶は一人もいない。逆にもと軍人がイスラエル使館の前で ガザのジェノサイドに対して抗議の焼身自殺をしましたよ。 日本のテレビは報じませんが。 https://www.bbc.com/japanese/articles/c72g2x9dqnzo 米はこのジェノサイドをイラクやアフガンと同じように容認しており それに同調しているのが日本政府と日本の主要メディアです。 つまりわたしたち日本人は、またしてもジェノサイドの協力者なんです。 そのことに恥じなくても、仏教者なら、少しは罪悪感を感じてはどうです? ブッダ黒髪に良心があるのなら。   >あなたの世界観は分かりました。では、あなたはあなたで、   >私は私で生きて行くこと、そうするしかないですね。 そういう話じゃない。仏教者だ、ブッダだとほら吹くなら避けては通れない 道なんだよ。この問題におれはおれ、知らねえよというのなら、今後二度と ブッダの化身みたいな偉そうなことをいうのはやめなさい。 人を「ならず者」と認定したり「悪人」と断定したり「善人」と認証したり いったいきみのどこにそんな資格があるの? 世界に目をやったこともない仏教者がいるのかな? そんな仏教者なんか この日本だけじゃないのかな。 まずは黒髪くん、一から世界を人間を生活を勉強しなおしなさい。 きみの滑稽な仏教与太話が通用するのはここだけだからね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

わからないで当然ですよ。あなたが仏教者でもなければ 善人でもないからです。良心などかけらもないからです。 もし少しでも自分をみつめることができるなら、この 飽食平和の日本でこれまで安全安心に生活できて、きたこと、 一方で日本以外の世界中で欧米による大量殺戮、国家転覆、 暗殺、クーデータなどによって、アフリカ、南米、東アジア、 東欧、中東などで、 これまで数百万の数千万の人間が殺されていったかに思いをはせる はずです。彼らを殺したのは欧米の資本家です。そしてその連中 に基地を貸し、連中の殺戮戦争を金銭的に支援することで 日本人は飽食平和と、安全安心な社会を手に入れた。 仏教者として、もしきみが この非対称な世界に生きていることに内省的になれば、必然的に生じて いる日本の原罪に少しでも目をこらすことがあるなら、わたしたち日本人が人殺し であるという自覚が生まれるはずです。 きみもぼくも人殺しなのだが、きみは意味不明だという。それはきみが ツラの皮もなにもかも分厚いし、じつは鈍感な人間だからだよ。 そもそもブッダの生まれ変わりみたいなことをぶつぶつ言ってる時点で マンガなのだから、きみに何も期待などしてない、 わからなきゃわからないでいいよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪くん、 しかし、きみは人を殺してるじゃないか。 まさかきみは人を殺していないとでも??? 潔白だとでも? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

あのねえ、ん~と、人の言う事を少しは真面目に 聴いてはどうかな、黒髪さんは。 きみの長文の返事、全部、きみの生活や身体の匂いがしない。 具体性を欠いた大雑把な言葉でしかないことに気づかないのかな? きみは生活というものを持っているの? 漠然とした仏教概念を語っているばかりだけど、きみは ポルノサイトをみてマスなんか書いたことあるのかい? マスって言ってわからなければセンズリといえばわかるかな? 黒髪さんはね、まずはポルノサイトみてセンズリでもかくことだ。 いや、本気の真面目でいってます。 ブッダなんか語るの百年はやい。どうせもてないだろうからうどん屋の バイトの子でもいいから追っかけてね、一発やって大人になってからだな。 パンツから精液の臭うような濃い自分が語れるようになれば 相手にしてあげるよ。うん。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪さんはね、どうして自分がブッダとかイエスとかを 気取りたがると、なぜ「悪人」や「ならず者」を無理に作り出さなくては ならないか、その心理の機微を静かに見つめることです。 わたしは仏教だけでなく心的現象論もずっとやってきましたから わかるんですが、あなたはビョーキといえばビョーキです。 聖なる存在であることを確かめるために、悪者を探し出そうとする。 もちろん、このブッダへの傾倒とその言説の振り回しはじつは 自分に自信がもてないからです。だから人間はにっちもさっちもいかなく なるとそういうところ(宗教)へ逃げ込む。しかしこういう人の難儀なところは かならずモラルを盾にして「悪人」や「ならず者」を探し出して だれかをそれに祭り上げるところです。これってのは学級でのイジメの 構造と、構造としては似ているかもしれない。 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」という怖いことばを よく点検もせずに平気で吐き出す。 黒髪さん、あのね、人のことを「ならず者」だの「悪人」だのと決めつける前に あなたご自身の心の闇に、しずかに降りていかれることです。 まあ、これまでの経緯から、言っても無駄だとは承知で、忠告しています。 あなたのような方はだれかの意見を取り入れることは、ご自身で仰る ように敗北なんです。だからいっさい拒否する。しかし拒否しても 論理的に正しいことはあなたにその後も、圧力を与える。 それが嫌だから、遮断─キャンセルカルチャーがいつも姿をみせる。 しょうもないですよね、お互い。 言っても無駄だろうけど、もう一度、いいます。わたしはあなたより 歳食ってますし、だれも考えられないような体験を山ほどしてきました。 年寄りのいうことは聴くものですよ。そうでなければあなたがたには 過去も未来もないことになります。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

黒髪さま、黒髪さま ブッダの化身、イエス・キリストの生き神さまである 黒髪大権現さま、どうかお怒りをお鎮め下さい。 いつのまにかわたしは「ならず者」から「悪人」に格上げされて おられますが、いえいや、仰せのとおり、ごもっともです。 平伏してご宣託をたまわる次第でございますが.....。 しかし黒髪ブッダさま、親鸞はそんなこといってませんよ?    >1000人殺してみろ、と親鸞師が言われた通り、    >悪は悪として存在し、      ↑ ちゃんと『歎異抄』読まれましたか? 親鸞は唯円に「わたしの言うことは何でも聴けるか? ウソじゃないな。 二言はないな、それなら、今から千人ばかり殺してみよ」 とこういったのです。 それに対して唯円は「わたしのような凡夫にとても 千人殺すような器量はございません」と答えるのです。 ブッダ黒髪さま、この対話の意味、わかってます? 『歎異抄』のどこを 読んだのです? 唯円のその返答を待って親鸞はこう答えるのです。 「これでわかっただろう? 千人殺せといわれても人は契機が なければ殺せないし、逆に 一人だって殺したくないと思っていても人を殺すものだ。それは その人が 悪人だからではなく、人が人を殺すときには契機(=業、宿命) というものがあるからなんだ」 とまあこう説明するんですね。 黒髪ブッダ様、この親鸞の教えの意味するのは、悪人なんかいない ということです。 人が悪に染まるのはその人間の意志というより、契機、宿命、業(ごう) が関与しているのだよ、だから良い人でも人を何人も殺すことがあるし、 どんな無慈悲な人でも契機がなければ 人を殺すことはないと、そういってるのです。 万人を救済するという仏教思想からすればあたりまえの話ですよね。 ブッダ黒髪さま。何度もいいますがわたしはお寺に育って、 50年間、大阪の南御堂で仏教青年会に参加し竹中知秀という東本願寺派 の精神的支柱とでもいう僧侶の下 何十人もの僧侶たちと歎異抄については周期的に争論してきたのです。 もちろん未だに未熟とはいえ、黒髪ブッダさまの出鱈目なウソはすぐにわかります。 千人殺せと唯円にいった親鸞の逸話のどこをどうほじくれば「悪人はいる」 なんてことになるんです? 頭だいじょうぶですか? あのですね、わたしのようなほんとうの仏教の専門家に向かってそういうデマ を語るからわたしはご注意申し上げたんです。   >悪は悪として存在し、毒を好んではならない、と親鸞師が   >言った通りです、 もうむちゃくちゃですね、ブッダ黒髪さま。 親鸞が語った説話の前後をかってに切り取って出鱈目な話を広めないで下さい。 もうだれも信じないでしょうけど、 大納言黒髪さま、親鸞がいったのはこういうことなんです。 「悪人正機は正しい。だからといってみずから悪を好むものがあろうか。 意志によって悪を選択するのではなく、あくまでも宿命、宿業、契機 によって悪人になるものだからそんなことは無意味だ」 これが親鸞がいったことです。すべては仏様の御心であるといってるのに まさかブッダの生まれ変わりの大納言さまが得て勝手な出鱈目の解釈を、 親鸞をちゃんと読んだこともないのに広めないでくださいな。笑 無知無能の平民であり、ブッダの化身黒髪さまから悪人に昇格された やつがれより伏してお願い申し上げる次第です。 まあ、本心をいうと、これまでのやりとりを振り返って意識の錯綜した支離滅裂な 御仁であることはわかってきましたので、そういう障がいのある不憫な方を責めるのは 罪だと思い始めてきたましたから、もういいませんがね。 どうかお薬を飲んで安らかにお休み下さい。ブッダ黒髪さま。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

この方は一歩一歩険しい山を登るように 着実に新しい詩の場所を探してそこへ踏み出しているように 見えます。 (bloods)

2024-06-27

黒髪さま、おはようございます。 やつがれでございます。「ならず者」のtakoyo2でございます。 いえ、ブッダの化身、黒髪さまのお言葉に逆らうために問い合わせを させて頂いたわけではございません。 「ならず者」という主観もそれはそれでまっとうなご意見でございまして、 「このラーメン美味い!」という方に対して「いや、それは不味いんだ」なんて 阿呆な反論をするつもり毛頭ございません。 ブッダの生まれ変わり、いや、現代のブッダそのものであり、五光がさす黒髪さまの 珠玉のお言葉はこの平民、takoyo2の愚昧な脳天にも突き刺さっております。 決して、決して謗法(ほうぼう)の戒めを犯すつもりはございません。 ただですね、えー、あのう、ブッダが体現されたとしか思えない凄い黒髪さまなんですが、 あのう、平民であるtakoyo2ごときが畏れ多いのですが、あのう、あのですね、 まだ、わたしの質問にお答え頂いていないような気が.....するのですが。 つまり、あの、運営が主観的に「ならず者」とみなした投稿者は規約を超越して 運営が自由自在にコメントの後半の一番いい部分を無断で削除することもオーケー ということで、そう了解させていただいてもいいのでしょうか? これですね。 ↓ 「大切なものを守るのに、理由がいりますか」 つまり大切なものを守るためには規約は関係ない。ならず者なんかの コメントは自由に編集していいのだ、そういうことでうけたまわって よろしいのでございますでしょうか。 いえ、いえ、無学無知無能の平民であるやつがれが、まさか、このことで ブッダの化身である黒髪さまに反旗をひるがえすつもりはございません。 イスラエルもそうですよね。大切なものを守るためにはガザの妊婦、老人、 病人、幼児を皆殺しにしておりますが、あれも「大切なものを守るのに 理由がいりますか」と世界に向かってブッダの化身さまからよくよく言い聞かせ ていただきたいものです。 ただですね、えーと、そうするとここの規約はいったい何のためにあるかという ことですが、これはあれですね、運営の主観に沿った投稿者のためにあるのであって 少しでも運営を不快にする者は、規約の外に置かれるとそう解釈するしかないので ございますね。 ただ、ブッダはこういってますね。 法というのは(この場合は公的な投稿サイトの規約)自由にその権限を行使 できないように権力者を縛るためにあることをわたしたちは知るべきだ。            (大無量寿経第二十四巻五十七章) あのう、わたしが仏教にあまりにも無知な黒髪さんに具体的な著書を 示して、黒髪ブッダの間違いをお教えしたのが悪かったのでしょうかね。 親鸞の著書も読まないでデタラメを書いておられたことを指摘したのですが、 それでわたしにとっては大事なコメントを告知もなく削除されたのでしょうか。 まさかブッダの化身とは知らず、ほんとうに失礼しました。 アダムの逸話を語られるのだからイエスの化身かも知れませんが、 こんなことなら恐れ多くも反論するんじゃなかった。 無知無能のやつがれ、心から震えつつ黒髪教祖に平伏して謝罪する 次第です。あれ? 質問するつもりが謝罪になってしまいました。 さすがブッダの化身、イエスの生まれ変わり黒髪さまでございます。 あなかしこ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-27

こんにちわ。 ああ、と思いました。冒頭の説明は無心で書いたので 無能なわたしには逆に下手な細工がなく、読者にはすっと読めたの かもしれません。文学的にも鋭いご指摘ですね。 勉強になります。 (童話)

2024-06-27

コメントを頂いていたことをにづかず、 返信が遅くなってしましました。申し訳ありません。 早朝、スケボーをしにある坂道の頂上に立つとフェンスにいつも 鳩が集まってくるんです。顔と顔が触れ合うくらいに。 その目がじっとこちらを見ているとき なにか感じます。まるで言葉を交わしたかのように......。 鳥語、そして蔦語、まさにそれという感じで感想を いただき新しい世界をみたような気がしており 非常にうれしいです。コメントありがとうございました。 (童話)

2024-06-27

舌を垂らして 負け犬のように目を赤くした野良犬たちが 白犬ワールドに惹き寄せられて集まってくる。 地べたにちんぽこを引きづって。ああーああー またトリオの仲間に入ってしまった。 反省だ。 (りはびりか虚勢かmy sweet revolution)

2024-06-26

だれかがわたしの羊飼いさんに対するコメントに イイネしているけど、誤解しないで頂きたい。 わたしは羊飼いさんの詩に対する考え方に同意したのじゃないですよ? 御本人がそう考えるのならそれは本人の自由だから素晴らしい といったのです。どうぞそれで頑張ってくださいといったまでのことです。 わたしの詩に対する、あるいは言葉に対する考え方とはまるっきり違うけど それはそれぞれ個人の自由ですから。 そもそも言葉が生活とは別の「ただの言葉」なら戦争も起きないし離婚も起きない でしょう。すべては言葉が人々を動かしている。「ただの言葉」なんてないのです。 言葉は生活だし、生活は言葉です。わたしの考えでは羊飼いさんのコメントは 支離滅裂で論理も破綻しています。でも、それは御本人の自由です。そう思うのならどうぞ、 頑張って下さいという以外に何ができます? 論じるに足りる相手でないのはその論理の 破綻ぶりからすぐにわかりました。 イイネなんかいりません。ばかばかしいだけですよもう、ここで語ることが。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

若い恋人たちの全世界共通の普遍的な悩みなのでしょうかね。  夢想は 霧の中に去り  すべての言葉は 忘れられ  薔薇色の光に 包まれた  空の藍色が よみがえる  激しい嵐は 過ぎ去り  通り雨も 降り止んだ  偉大なるもの 涙なきものを.....!  望み 信じて 待て    (アレクサンドロ・ブローグ『詩学と生涯』より)       (19歳の恋)

2024-06-26

>詩とは、生きるための目的でも、手段でもありません。ただの、言葉です。 なるほど、なるほど、詩についてのあなたの考え方はわかりました。 素晴らしい考えだと思います。これからも頑張って下さい。でわ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

こういうふうに外部に目をこらして語ることが 意図しなくとも迂遠に自分を語っているという詩の語り口は リラックスできるし、我のつよいばかりのオレがわたしが調の 詩よりはるかに程度がいいと思っています。 かつてはふつうだったはずなのに最近少なくなった。 この作品の場合、精度を上げるために余計な言葉や副詞を削るというか もっともっと自分を出すのを抑えることでもっと なにか見えないものが見えてくるような気がしました。 (トンボ)

2024-06-26

で.....この詩の書き手は柳腰のセクスィーな女性と●ったんだろうか。 それが気になりました。 (追憶の詩)

2024-06-26

ゼッケンさん、 鋭い指摘を頂き、その言葉を噛み締めております。 >人間を何か家畜のようにしか思えない人なんだろうなと思いました。 という厳しいご指摘ですが、当たっています。残念ですが当たっています。 人間として恥ずかしいです。でも、 褒められて怒る人はそういないと思うんですがね。しかし、 もっと厳しくいうと、家畜を人間としか思えないんですわたしは。 ひどい奴でしょう。ほんとうに心から内省しております。 ご自身の意見を堂々と論ずる投稿形式のはなしですが、そのつもりだった んですが、そうは見えなかった見たいで、わたしの技量不足と不徳の致す ところでしょう。心からお詫び申し上げまして、今後は二度とあなたさまに コメントしないよう厳しく愚かな自分に言い聞かせることにいたします。 どうもすみませんでした。今後もこれにめげず、ご活躍下さい。 まあ、自分ではふつうにコメントしたつもりでも、嫌われますからねわたしは、 あまりにも本心でまごころこめていいますから。 心置きなく素晴らしい投稿生活をお楽しみ下さい。 (3分の1がない世界で)

2024-06-26

黒髪さま、 まるでブッダが乗り移ったかのような珠玉の言葉をたまわり、 不善不徳のやつがれ、心から平伏して反省することしきりでございます。 いえいえ、決してtakoyoのパスワード再発行が何度やっても送信されず その後のtakoyoも妨害にあってログインできなかったゆえ仕方なくという 弁解はいたしません。そもそもtakyoを変える必要などなかったわけでして、 という抗弁もいたしません。すべてはブッダの化身、黒髪さまの仰せのとおり です。ましてや、人間が不誠実だから規約を超越して勝手にコメントを 削除できるのだという御説に反論などするつもりもございません。 さすがブッダの生まれ変わり、公平性や規約の重視など超越されておられる。    我々の始祖であるアダムは言いました。    「大切なものを守るのに、理由がいりますか」と。 はい、はい、理由などいりません。大切なものを守るためにはガザに500t の爆弾を雨あられとふらせて女性や子どもを虐殺することも、はい、どうぞ、 何も文句のつけようのない素晴らしい珠玉のお言葉です。 心から、ブッダの生まれ変わり黒髪さまのお言葉に賛同する次第です。 どうか無知無能のこのやつがれをお許し下さり、奴隷のごとくこのサイトに 黙って使えますので、これからの反省の姿を黙って見て下さるよう ブッダのように公正な黒髪さまにお願い申し上げる次第でございます。 あなかしこ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

きみのふだんの投稿詩よりも良い詩になっているよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

こんにちわ。 仰るようなことを語る詩人の方は多いですね。 わたしはいわゆる宗派的な宗教は信じていませんが自然という 意味での神は存在しているかもしれないと思っています。 それとは別に思想としての仏教思想、そくに親鸞の仏教思想は 多くの「ふつうの人」を救ったような気がしており、非常に愛着を もっていまも、ときおり親鸞から学んでいます。 ところで、 現代詩フォーラムでわたしの詩をひそかに持ち上げてくれた方がいたことを 書きましたが、今思い出してみるとその詩、泣きながら書いたんです。 アフガン戦争なんてだれも関心もたないでしょうし、わたしもそうでした。 ましてあの戦争で多くの子どもたちが孤児になり、腕を失くしたり極寒の中で 飢えてさまよっていたことなど想像は出来てもだれも想像しようとなんかしな いでしょう。 日々の仕事や恋愛、家事にわたしも含めてみんな忙しいからあたりまえです。 米軍とアフガン新政権の戦争終結祝賀パーティはアフガンのそういう犠牲者を 捨象して、めでたいめでたいとばかりに開かれ、日本のテレビ局も呼ばれて 撮影に行ったのです。ところが、これは本当に起きたことなんですが、 飲めや歌えやでジャンジャカやっているその会場の様子を飢えたアフガンの子が雪の積もる 窓を手で拭いて額を押し付けて泣きたくなるような驚愕の表情で見つめていたんですね。 そこのところをうっかりテレビカメラが撮ってしまった。そしてその映像をお茶の間 でわたしは見てしまって、愕然としたんです。もう、なんともいえない表情でした。 そしてこれはもう絶対に書かないといけない。そう思ってひとつの詩をこしらえました。 泣きながら書いている最中にも涙があふれてきて、ああ、これはダメだ、冷静さを 失って客観性もなにもない自己満足の詩になっている。これはきっとダメだとわかって いても突き動かされるようにとりあえず書いたわけです。 女の子がずばり言ったように、だれかに生きる希望を与えられたらいいなという思いで 書いた詩だったんです。 その詩がね、その意図のもとに書いた詩が詩の目利きにぼろくそにいわれながらも ほんとうにそのように受け取られてだれかの胸に届いた。このときの腰を抜かすような 驚きってありませんでした。 神さまがなにかイタズラをしたのかと思いましたね、たしかに。 詩はこういう意図で書かれるだけでなくだれかを楽しませることも、考えさせることも、 思想的にちゃぶ台返しもできる。わたしのように泣きながら書く詩もある。 まるで世界のように広いし、いわゆる頭でっかちな詩の批評家によって規定されれたり 評価されたりするものでもない。とそのとき、不思議に自由になったような気がしました。 詩の批評は、詩そのものであり非常に大事な営みですがそれはわたしがいつもいうように「生活」 の側からの照射がなければまったく何の意味もないものだと思っています。 それがないとほんとうの意味で詩の批評ができないのじゃないか。 突然、個人の名前を出してなにですが、 ダーザインさんが突然消えたのは残念ですがわたしの妄想のなかでは彼がなにか ほんとうのことに突き当たったのじゃないか、そう思えて仕方がないのです。 みなさん、詩の可能性、それはそんな狭い小さなものじゃない、 それを胸に刻んでお互い書いていきましょう。だれもあなたを阻むことなどできない。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-26

はっきりいって技術関連の運営はあるミスをしたのではないかと 思っている。新しくなったビーレビの乗っ取り騒ぎのさいに運営の 技術関連者たちはある人への批判的な投稿を意図的に削除した。 そのとき、全面的なサイトの不具合が生じた。 それを他人に転嫁していないのなら、どうしてtakoyoの某氏への批判コメントが 同時に削除されたのか? 同時にあの全面的なサイト不具合が生じたのか。 説明が成り立たない。全運営のせいにして終わったかのようだが、 黒髪さんとtakoyoの長文コメントの後半が一方的に削除されたのをみて、 わたしは今、技術関連の人たちのイタズラを疑っている。 こういうこと平気でやらかすサイトがどこにある? 黒髪くんよ。 説明願えませんか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

またtakoyoは一方的にビーレビのツィッターサイトも見れなく されていた。さらにはビーレビのツィキャスも閲覧できなくされていた。 こういった差別というか排除を平然と行う技術関連の人たちがいることを きみや天才詩人2は承知しているのかな? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

黒髪さん そこまでいうのなら一つだけ質問に答えて下さい。 いつものように得手勝手にへらへら逃げるのじゃなく 正直にまっとうに答えるのならば大歓迎ですが ブッダを持ち出したり唯我独尊でケムに まくような不誠実な対応しかしないのなら答えなくて結構です。 質問。 takoyoと黒髪さんの長いコメントの応酬がありましたね。 黒髪さんの投稿『ブツ』についてのコメントの応酬です。 今見るとそのコメントの応酬の後半を運営が一方的に削除している。 削除するのは勝手ですが、なぜ相手方のtakoyoに知らせて確認を とらないで無断で削除したのでしょうか? それがきみのいう誠実な運営なのでしょうか? たしか天才詩人2はここを退会する方々が作品を消すことについて 動画で一番してはいけないことだみたいなことをいっていた。 それなら一番してはいけないことをする前に、相手方に理由を説明して 消すことを伝えるべきでは? 中味のない綺麗事を並べるのは自由です。きみにはそういう傾向があり、 それがまた何も考えないで一方的に綺麗事を並べる。そういうのはまずいよ。 君にとってあまりにもtakoyoの批判の後半部分を黙って削除したのだれなのか。 多分天才詩人2さんは知らないでしょう。技術関連の人たちの仕業だろうと 思うが、しかしそういうのが頻発するようなことでは善意のサイトといえるかな? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

すみません。下書きが二重になりそのまま投稿して してしまいました。下半分のみをお読み下さい。 失礼しました。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

ronaさん、了解いたしました。 なるほど仰るとおりです。反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんも常連だった。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓からみてし まう話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、窓から場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 イタイなあと思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では心の中にひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないとどこかで思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上もし てからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるから生きていこうという気になれた。 勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、おれの詩、下手で クズだとしても、一人の女性の命を救ったのかもしれないぞ!とうれしくなった。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで書いてきたのです。 ronaさん、了解いたしました。 反省して出直すつもりです。 ダーザインさんの思い出話になるんですが、 詩というのは、いかな目利きのダーザインさんでも及ばない 遠く遥かな、まったく目利きの世界を超えた秘密の気圏がある。 それはだれにも見えない人倫を超えた空域です。 しかし、そこが詩の面白いところです。 わたしが生まれて初めて「現代詩フォーラム」に投稿したときの話ですが ダーザインさんはすでに常連だった。蛾兆さんもいた。 わたしは例によってH氏候補になった知人から口も聞いてもらえなく なるほど稚拙な詩を相変わらず書いており、その一つを初めて現代詩フォーラム に投稿したのです。 アフガニスタンの少年が戦争で両親を失くし、飢えてさまよっている うちに戦争集結を祝う米とアフガン新政権のパーティ会場を窓から覗いて おいしいものが山ほどあることに驚愕する話です。 その会場に日本のテレビ局が来ていて、偶然、場内の果物や肉野菜 が山のように盛り付けられた様子を見て驚愕している少年の顔を映してしまう。 それだけの話ですが、 ダーザインさんが感想を寄せて下さって、 「イタイ、イタイ。中学生が書いたかと思ったら中年過ぎの男だと聞いて、 思った。ひどすぎる....」そういうことを書かれた。 要するにやっぱりダメな詩だったかと自分でがっくり納得したわけです。 イイネがひとつも付かなかったしね。 ダーザインさんはわたしを非常に軽蔑しているようだった。 でも自分では内心ひそかに期するところがあった。この詩はそんなに悪く ないと思っていた。 わたし個人にとって奇跡のような出来事が起きたのはそれから一ヶ月以上も 経ってからです。 「現代詩フォーラム」には《スレッド型会議室》というのがあって、そこに 「あなたがこの詩があるから生きていけると思った詩はなんですか」 というスレッドが立った。 みなさん有名な詩を次々にあげていく。 何気にそのスレッドを見ていると、驚いたことにある女の子がわたしの 詩をあげていた。 「●●さんのあの詩があるからわたしは生きていこうという気になれた。 あの詩から勇気をいただいた」 というふうなことを書いている。全然知らない子だった。いや、歳はわからないけど 若い人だという気がした。 どれほど驚き、うれしかったか。こんなことは有り得ないと何度も読み返した ものでした。でもそう書いてある。 それならなぜイイネくれなかったの?と言いたかったけど、まったく知らない ところで知らないひとから評価されていることの不思議に愕然としたのです。 ここで詩を投稿されている若い人たちに言いたいのはそこです。 詩って玄人の評価なんかどうでもいいとはいわないけど、 必ず誰かが読んでいる。そしてひょっとしたらあなたのその下手っぴーな詩が だれかに希望を与え、命を救っているかもしれない。 ウソではなくほんとうにそういうことがありうる。 わたしが現代詩フォーラムの点数制のあのシステムを嫌って退会したのは そういう理由からですが、 詩は不思議ですよ、ほんとうに生命をもっている。 それを信じているからわたしはこれまで下手でも詩を書いてきたのです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

えーとね、わたしはここ、多くの人が客席で閲覧している舞台だと 考えているんです。だから本心を語るにしても表現行為であると考えて これでもかなり工夫しているつもりです。 天才詩人2氏を中国の皇帝にみなして万歳三唱したコメント、まさかあれ、 そのまま真に受ける人はいないでしょう。 このサイトをやっと手に入れた人が池の金魚に餌をやるように 気が向いたときに交流欄を与えてやる。そして椅子に座ってにやにや 経緯を見ている。二人の宦官、黒髪氏と田中氏がことあらば帝王の 手足となって池の鯉たちの諍いに介入する。帝王は顔を出さない。 あるいは帝王の臣下は顔を出さない。 文学極道全盛時代になぜあれだけ先鋭的な詩人が集まったか、 わかる人いるかな? なぜ文学極道があれだけ栄えたか? 時代のせいじゃないんです。 ダーザインという人、詩の技量は置くとして、詩を見分ける感性は抜群だった。 天才的であった。 そしてその人がこういう交流の場や感想コメントの欄に誰よりも早く、積極的に 顔を出し 魅力的な感想や批評を書いていた。だから凄い詩人が集まったんです。 一度、見識のある常連詩人がみな無視したり罵倒した詩があった。 それをダーザイン氏ひとりが擁護して素晴らしいと絶賛したことがあった。 それを聞いて、読み直してみると、まったく「あ!」だった。 なるほど凄い繊細な感性が一見あたりまえにみえる、軽い、さっと流したような 詩の細部に光っていた! そしてその人の詩はすぐに評価を得た。残念ながら数週間ほどで消えてしまった が今でもその若い詩人のハンドルは伝説になっている。 鯉の諍いを御簾の奥からニヤニヤ見ていたら文学極道なんかちっとも興隆しなかった。 だからほら、ダーザインが消えたらすぐに消沈したでしょ。 あとをついだ連中は御簾の奥にひそんで特権的に、にやにや見ていたのです。 ダーザインは自らが一匹の鯉の仲間になって率先してコメントをし 泥にまみれていた。 そういうことが出来なければどんだ時代であれサイトが興隆しますか? 「憎悪のみで発言されている言葉はそれを目にする関係のない他者にとっても気分を害するものでしかない」というが、 この「憎悪のみ」というのはあくまでも主観でしかない。わたしのコメントにもイイネがつき、 あなたのコメントにもイイネがついたがどちらも一つか二つだ。 もしあなたの主観が大勢を占める根拠になるのなら今後、だれもがティムラー隆一くんのように意気消沈して、どこもまで卑屈に萎えるのが もっとも素晴らしい交流の態度ということになる。そんなインポテンツな場が、そんな静かでも何もない場が面白いだろうか? あるいは澤のような大学の文学授業の延長のようなものをありがたがる風潮。 ダーザインの短いことばで確信をつく、本当ほんものの批評と比べてご覧? 無知で詩が書けないやつに限って澤のような目くらましのことばをありがたがる。 あ、そうだ。こういうと憎悪ということばが返る。 いったいだれがだれに憎悪をもっているのです? わたしは澤のサイトなどまったく興味がないが多くの人々が訪れるサイトに一個人を憎悪罵倒する記事を ずっと載せつづけ、閲覧者のひとりからそれを注意されてもそのコメントを抹消して憎悪罵倒を続けているという。 こんなもの狂気でしょ? ふつうの神経で出来ますか? それを憎悪というのです。 当人にはまったくの迷惑以外の何者でもないでしょ。 ある発言にはそれにまつわる歴史も情況もある。 いつまでも憎悪を垂れ流しているのはだれか、 理性のあるひとにはわかるはずです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

>けんかするのも、大概にいたします。 うん。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

申し訳なかったと思っています。 要するに褒めればよかったんだろうけど..... 天国の門をくぐろうとして地獄の門をくぐって しまう自分がいる。これからは気をつけます。 誌を投稿される方々がしあせになれるように。 (3分の1がない世界で)

2024-06-25

本心で語る人がいなかったね、結局、ひとりも。 少なくともわたしは本心で語ったし、 若い人の意識や存在の在り方に危惧を覚えて必死で 注意したつもりです。 本心というものは傍から見るとことばが過激に 映るものなんです。 そういう意味ではわたしは表現が未熟だった。そのことで 場を氷りつかせた。 黒髪氏以外の皆様に謝罪します。 ところで黒髪! オマエのようなバカがしゃしゃり 出てくるんじゃない! だれかが瑕疵をさらすのを待っては まるでてめえが仏陀にでもなったつもりで鼻の穴を 伸ばして講釈を垂れにくるなんて 仏教の精神からすればどれほど恥ずかしいともわからんのか? このバカ、少しはてめえの歪んだ顔を鏡に映してみろ。 おまえはビョウキが治った、もう正常だと宣言していたが、 精神病理学者の北杜夫の本でも読め。 精神病から治った患者てのは治って初めて自分が 正常でないことに気づくんだ。 これが仏教者の態度でもあるんだ。解脱して初めて自分が無知無能 人さまに講釈を垂れるような人間でないことに気づく。 普遍的な仏教者の態度だ。 北杜夫『夜と霧の隅で』の主人公は精神の病から解放された とたん自殺する。おまえにこんなことの意味がわかるか? 蛾兆がいったように意味不明のデタラメな批評ばかりしている 自分がどれほど阿呆かわかっているのか、おまえ。 どれほど人から嘲笑されているか、わかっているのか? こちらが恥ずかしくなるから仏陀を気取るのやめろ。 そして本心でおれに怒ればいい。それが仏教者の態度だ。 あほう。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-25

ところで、 舐達麻。 どうしてここまで必死で真似しようとするのか。 入れ墨までして、リングもして頭も黒人のように刈って どこからどこまでも、ファッションとしては微塵も違わない ように気が行き届いているが、一言、口からことばを発すれば 日本の小作人のせがれであることがバレバレという .......目を覆いたくなる恥ずかしさ。 ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。 ダサイと思うかもしれないがやっぱり思想哲学は大事だよ。 マルクスの、資本についての考察を。資本のどろのような凝縮のなかで 黒人霊歌の発展型であるラップがどうして生まれたかの考察。 そうすればこのどん百姓たちの下劣な物まね以下の 恥ずかしい歌も、ある独自性を獲得できるかもしれない というのに。あー恥ずかしい。日本人やめたくなる。 (子宮)

2024-06-24

顔をそむけたくなるほど卑屈だね。 「すみません」て何がすみませんなの?。 「冷静さを失っていた」って何について冷静さを失っていたの?。 「気を付けるようにします」て何を気をつけるの? 澤とあなたの二人の会話だから外野は関係ないというかも知れない。 しかし、それならメールでやりとりすればいい。 ここは公開の場だから会員登録者や一般閲覧者が見ていることを忘れてはならない。 これだけ卑屈な返答を見ると、いや~な、気持ちになる。 澤氏がいった   春樹ほど日本語のうまい存命作家なんてめったにいないし、   詩人なら散文詩の手本として、ぜひ見習うべきだと思いますよ。 こんなことを批判的に受け取るのではなく何の抵抗もなく受け入れているのかい? もし詩人が散文詩の手本(そんなバカなことあるかい!笑)として村上の あのシワのないつるつるの、無国籍で精神性がずるむけた気持ちの悪い文体を手本 として真似したら、どれほど気持ち悪いかと思うがね。 それはともかく、見ている人がいるのだから、あまりにも隷属的なみっともない姿 さらさないでほしいな。 少なくともここはビーレビの発展した場じゃないのかい。澤のような俯瞰的な視点で 自分や周囲、世界を見ることができない、憎悪に凝り固まった困った人間に端から端 まで卑屈にうなづいている。 そんなに自己がないのならもう詩などやめてしまえよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-23

いかにも詩歌らしい詩歌で好きですね。 岸田糞メガネも東大三回堕ちても入学して政界に入り 脱糞おもらしバイデン老人の愛玩具になって 日本のクズ政界のチャンピオンになったことを この詩から思い起こしました。 なんかリズムにのって踊りたい気分です。 (いんちきチャンピオン)

2024-06-23

うーん、ちょっと考えたのだけど、今の詩壇の人たちも 含めて今の詩人たちの詩というのは「ファシズム」というより 「奴隷の詩形」といったほうがよかったかな。 うん、「奴隷の詩形」ですね、ファシズムなんてそんなかっこ いいものじゃない。 失礼しました。 (3分の1がない世界で)

2024-06-23

早朝からとてもたのしい娯楽談話をお聞きさせていただきありがとうございます。  >モラハラおやじが被害者を陰湿な底なし沼に追い込む手口じゃん。 こんな程度の発言で「陰湿な底なし沼に追い込まれる」ような人がいるとすれば、 それはゼッケンさん、あなたくらいのものですよ。 反論が許されないとすればそれは出版形式の読み物の類であって、ここでは幾らでも 反論も質問もできますからねえ。仰るとおり、これに反論するにはまずどうして そんな断定的な結論になるのか、聞かせてくれという質問が先行するので、その点では 確かに罠を仕掛けているとう言うか、相手の質問を待つというカタチになっています。 でも質問があれば答える。そのお答えのなかで、ゼッケンさんの反論を導くということを 実は望んでいたのですが、その過程もなくいきなりモラハラ親父といわれても、........ 逆になんでそんなにあわててるの? 余裕ないの?とお聞きしたいくらいでした。  >私を踏み台にして武田さんとそのファンを貶めようという意図でしょう、 少しほっとしました。質問じゃなく断定かもしれないけど質問という ことでお答えしますと、 武田さんとそのファンの方々大好きですよ。ほんと。わたしが「天才」と思っている るるりらさんなんかもファンですし今も尊敬していますしね。わたしがいいたいこと はそんな個人的な感情じゃなくあるいは仲間内の関係性を考慮したのでもなく(わた しは愚鈍ですがこと文学に関するコメントではわたしごとは一切排除しているつもりです) 今の日本の詩壇全体、詩人全体、ネット投稿界の詩の投稿者全体が世界認識が拙劣かつ 皆無なゆえに いともたやすくリベラルを装ったファシズムに溺れていることを語りたかっただけです。 まあ、たしかにこの詩をきっかけにそんな想念が湧いてきたことは申し訳ないけど..... あまりにも問題意識が皆無な今の自称詩人(これは詩壇がとくにそうですが)に 呆れ果てていたのも原因かもしれません。 ただ、あの、何度もいいますが、わたし、若い人の邪魔をするつもりはないんです。 (いや、年寄りは若い人の邪魔をしたほうがいいのかもしれませんけど) でも、なんなのでしょうね、武田地球的な詩があふれており、それがなにか素晴らしい やさしさであると思い込む人たち、noteいつも見てるんですけどそんなのばかりで それがどれほど怖ろしいことか、詩人が! ほかならぬ詩人が! 気がつかないどころか 一生懸命推進している。これ、わたしにいわせると犯罪ですよ。 そういう思いが、全体への溶解を願うような詩を読んでふと湧き上がってきたのです。 決してゼッケンさんやこの詩自体に文句があるわけではありません。 でも、詩人は現実も見て欲しいですね。ほんとうにそれでいいのか。 戦争反対と多くの詩人は叫ぶけど、やってること言ってることは世界認識が 拙劣なゆえに正反対のことをやっている。 それがとほうもなく怖ろしいんだけなんです、わたしは。このオヤジは。 (3分の1がない世界で)

2024-06-23

三馬鹿トリオが集まっちゃったなあ。w コメントなんか書かなければよかった。がっくりだ。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-23

おしなべて最近の投稿者さんたちの文章には 詩がないんだなあ、これが。それが非常に残念だ。 論理と、(いい意味でもなく悪い意味でもない)我が先走って 精神性が置き去りにされている。 精神性は文体に宿るのであって論理に宿るのではない。 まして(いい意味でもなく悪い意味でもない)我に宿るでもない。 ゆえにこの文章で"詩"は置き去りにされている。 投稿者さまはコメントでこれを詩と語っているが、ありえない。 ありえないと思いますね。 (夜行)

2024-06-23

ロボットて何だ?  という問いをつづける語り手が面白かった。 まさに今、わたしたちにつきつけられている問いかも しれない。 で、その問いに答えましょう。ロボットって何だ? 人間です。と言いたいところですが、 手塚治虫がいったこの答えは、じつは間違ってます。 手塚治虫は「ロボットだって人間だ!」と叫びました。 そうじゃなく「人間だってロボットだ!」が正解かと。 失礼しました。 (アシモフによろしく!)

2024-06-23

「個別のものなどないのに」というフレーズが気になったのですが.....。 ありますよ。 人間の体積です。つまり空間ですね。あるいは位置といってもいい。 たとえばこの主張の語り手とそっくりな人間がいるとします。 細胞の数から脳の構造から身長体重視力すべて同じ。 それでも二人は別々の自己意識をもつのは物理的な理由です。 かれらが自らを包む皮膚の体積、それが占める空間の位置が違うからです。 つまり人間の自意識の根源はこれ。この体積、つまり空間を占拠する 限定的な位置情報の違いによって自意識が生じている。 こんなことを言ってる人はだれもいないけど、わたしだけですが でも事実です。 わたしと誰か他人を分ける根源にあるのは空間を専有する体積の 位置が違うそのことにある。観念なんか関係ないんです。 おれは分けている、そして無限をなくしているからおれがあるんです。 で、なぜこんなことを書いたかと言うと、この哲学的な考察を 土台とした詩の書き手が無意識になにを求めているかを指し示したかった からですが......純粋に思想用語でいえばそれはファシズムです。 多分、本人は気づいていないでしょうがファシズムを求めている。 でもこれはこの詩の書き手だけでなく、 たとえば武田地球とかいう方の詩だって、なにか青空のように 爽やかでやさしい詩だとおもわれて人気ありますけど、あれも ファシズムです。日本が今戦争に向かっていますがその流れに ぴったりはまっている詩です。そしてあの詩のファンもファシズム 願望なんです。要するに今の日本のネット詩の多くは気づかずに ファシズムを求めて身悶えしている。 なんとなればファシズムは眠りのように末期社会の人々にとって 快楽だからです。無限の快楽だからじゃないでしょうかね。 (3分の1がない世界で)

2024-06-22

いいすねえ。こういうときも人生にはあるでしょうね。 辛いでしょうけど、 のちにいい思い出になるんじゃないでしょうか。 (机の上)

2024-06-22

訂正。 まさに都会というざらざらに荒れた都会に立つ一本の木。 ↓ まさに都会というざらざらに荒れた砂漠に立つ一本の木。 失礼しました。 (童話)

2024-06-22

ご感想ありがとうございます。 この木を撮ったのはある映画の一シーンを思いだした こともあります。  ─森の中にある大木など少しもいいと思わない。   わたしは砂漠に立つ一本の木を愛する─   (中国ドラマ『男たちの勲章』のセリフから) まさに都会というざらざらに荒れた都会に立つ一本の木。 そんな感じがしましてね。詩もほめていただき、うれしいです。 (童話)

2024-06-22

お読みくださりありがとうございます。 まったく奇妙な蔦でして、きっと木になりたかったのだろうと 思いました。 (童話)

2024-06-22

ぺえ太さん、こんにちわ。 指折り数えてみると 詩を投稿して褒められた記憶がない! そこのところ、 褒めてもらってとてもうれしいです。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

いつ見てもいい味を出されているので「スゲエなあ」と 感心して遠巻きに見ておりました。かといって貴方様の詩を理解できたわけ じゃなく感想書けるほどの能力もないので黙って感心するしかなかったのですが、 いつも通り過ぎていると思われてもナニだから、 バカがちょっと感じたことを書いてみようかなと思います。 バカの思いつきなので不快になられるかも知れませんが思ったことを書きます。 わたしのような年寄リから見ると(年寄りの時代の詩の感覚から見ると) 作者さんは多分、純文学風の小説のようなものを書いておられたように 見受けました。違うかもしれませんが。 そのような純文学風の、練に練った文節というか行文が、まるで生け花の ように、異なった束ごとに活けられている。そんなふうな感じです。 つまり、失礼ながら全体が純文学風の短い小説といってもいいかなと。 そういう感性というか"ナニ"が完成の域に達している。あとは内容を読むだけと いうことになりますが......味もあるし情感もあるのに、なにか退屈だと、 そういう風に思われるものがある。 上手すぎるのかな、うーん、よくわからない。わからなきゃいうなと 自分でも反省するのですが、うーん、なんかこうぶっ壊してもいいんじゃ ないかな。わかりやすいほうへ。 そんな感想を持ちました。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-22

イーロン・マスクとはX上で五、六回、会話交わしてます。 こちらからメッセージを送るような失礼なことはしませんが 互いにフォローし合ってますので向こうからメッセージが来ます。 今回、カネがからむ話になったので、わたしはそういうの嫌い だから、今後はあまりでしゃばらず支援応援していきたい と思っています。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

ひらがなって面白いですねえ。 読むほうは漢字を求めて空をさまよう。 読みきれてないのに感想書くなといわれるかも しれませんが、「いしのひっかけ」って タイトルにひかれて読みました。わからないけど。 (いしのひっかけ)

2024-06-22

最近、みなさん難しい詩を書くんですね。 これもわたしには難解でした。たんに頭がわるい だけなのかもしれませんが。 でもきな粉、丁度今、お茶飲みながらその、 きな粉をねった甘い団子のようなもの食べていたので え?と思って読んでしまいました。 わからないけど尊重ということは大事ですよね。 失礼しました。 (尊重)

2024-06-22

批評というのは因数分解だと思っていますので、 個人的な願望としては微分ではなく因数分解してほしかったです。 とはいえ、実は難解な詩は(内容や思想が難解という意味ではなく、 「"このわたし"の言葉」で書かれたものは) なかなか因数分解しにくい。 だれかの詩を、その感じを把握した!と思っても、実はちゃんと 捕らえているわけではなく、ゆえに、たいていは、 微分や積分してしまう。つまり、もうひとつの詩を書いてしまう。 ほんとうに対象作品をレントゲンをかけるように見通したときは じつは因数分解できる。 だれにでもわかる言葉で深く深くその作品を平易に語ることが できると思っています。ゆえに、これ、詩としては優秀なのかもですが (心の中では捕らえていらっしゃるとしても、表現としては) 批評や感想としては、まったく違うものであると思いました。 なかなか批評とか感想というのはむつかしい。 失礼しました。 (Triumviratus ; A・O・I ; et Deux)

2024-06-22

イーロン・マスクのメッセージは以下のものだった。 Actually the reason why you where instructed to send me a private message is because you have been randomly selected among few of my lucky fan in gaining a membership into the Tesla family which comes with a grant offer pay of $15,000 every month for a year and also a new model Tesla car attached to that as a full member of the Tesla family so let me know if you are interested okay. 実際、あなたが私にプライベートメッセージを送るよう指示された理由は、あなたが 私の幸運なファンの中からランダムに選ばれ、テスラファミリーの会員になったからです。 テスラファミリーの正式会員になると、1年間毎月15,000ドルの助成金が支給され、 それに新型テスラ車が付属します。興味があればお知らせください。 おいおい、新型テスラ一台と一年間、毎月15000ドルくれるというのですよ! 毎月日本円で230万以上! もちろん、あらゆるつてを頼って真偽を確かめたですがホンモノです。 これ、今現在、イーロン・マスクが大々的に宣伝してやっていることなんです。 もちろん、断りました。 貧乏人じゃなかったら、よろしくお願いしますといってそのおカネを貰うのですが わたしは貧乏が身についているから断りました。カネ貰うって面倒くさいから。 ところがイーロンますくは返事を返して、あなたはそれをもう断ることはできないという。 それでも「いい加減にしてください」といって断りました。 ちょっとありえない話ですが、ほんとうの話です。 (大人用おむつの中で)

2024-06-21

── 脳裏をよぎったのは津波が引いた後に現れた街の残骸の映像だった。 ああ、こういう書き方はわかりやすいなあと思いました。それまでのは なんちうか、よくある現代詩批評の型式に思えて、どれほど素晴らしい発見や 洞察があってもその型式で語られるとひとつも頭に入ってこないような気が しました。でもわたしはronaさんの詩の一連目、ひらがなのうねりに魅せられて ronaさんの詩が好きなんもので身の程知らずにこんな難解な型式のものを読んでしまいました。 わたしには対象作品、字があちこちにとんで読みにくいだけでしたが....つまり 読むのを放棄しましたが、しかし、ここまでしっかりと読む方がいらっしゃる のに正座して身がひきしまる思いがしました。 この批評というか感想文はronaさんの詩と同じく気に入ってます。 (『Le’ 花 an's 沈 : -水  : replay』 を読む。)

2024-06-21

運営代表、天才詩人2様の、寛大なるご配慮で不肖投稿者のため わざわざ交流スペースを設けて下さったことに心から御礼申し上げる とともに、一同を代表して深く深く五体投地、拝礼、合掌つかまつる 次第です。 御大さまの気の向いたときには、あるいは、ご機嫌うるわしきときには 再びこのようなご配慮を不肖、投稿者どもに賜れますよう、深くお願い申し上げまして やつがれはこの場から退場させていただきます。 おありがとうざいました。運営代表様の大らかなご配慮に感謝感謝、ビーレビ、 万歳、万歳、万歳。代表閣下のビーレビ天下が続きますよに。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

なんというか今の時代とそこに生きるというか死ぬひとの"萎え"を 表現する詩の投稿が多いのだけどこれもそういう萎えを感じる。 生命力の衰退というのが今の詩を書く方々がどうしても滲み出さざるを えないものなのかな。でも「八つ墓村」のような雰囲気はあって 読んで無駄だっとは思えない詩だった。 (精霊の声)

2024-06-21

えーっと、このコーナーを投稿者のために設けて 下さった天才詩人2さまに、まずは感謝です。 投稿作品からは仲々伺えぬ投稿者さまの人となりが、へ~ぇ と、よくわかるような気がして勉強になります。 さてと、そこで万太郎さまへのご返事をさせて頂きますと わたしは、あのー「大衆」の定義ということはしたくないし、 あえて定義するとすれば、吉本隆明の共同幻想論を使って 余人にはなかなか理解できないことを語ることになり、そん なものわたしだけがわたしだけのためにわきまえておればいいことで 他人にはどーーーでもいいことでしょうから、嫌われた くないのでやりません。 ただ、あのう、定義しなおす、というか言葉を疑うということは 偉そうなことをいうようですがとてもいいことだと思います。 とくに詩人にとっては。 最近の詩人のみなさんの投稿作品を拝見していると言葉ってものを 疑っていない。既存の言葉、とくに概念語つまり観念語ですね、 〈幸福〉とか〈死〉とか〈大衆〉とか〈知性〉とかそういう言葉を まったく疑わずに使っている。 中にはほんとうに〈幸福〉というものがあると思ってそれを探して いる方もいる。あるいは反発大きいかも知れませんが〈愛〉とかも。 いや、ありますよ〈幸福〉。しかし幸福を幸福と感じることが 出来るのは〈不幸〉があるからです。幸福が最初から最後まで続いて いたら幸福なんて感じることが出来ません。空気や水と同じになる。 永続的な幸福なんてものがあるとすればそれは感じることが出来ない ものであると......そういう風に理解しています。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

おはようございます。私事で申し訳ないですが、 いやーーーーぁあああ、まいった。 ツィッターX、イーロン・マスクにフォローされた! ずっとフォローしてたけど、youtubeの言論弾圧がひどいから 動画機能の強化と展開をお願いしたばかりだった。 本物であることは間違いないけど商売も入ってるのかな。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

いやあ、こんにちわ。 万太郎さんの主張を読んでみて思ったのは 「大衆は愚かである」じゃなくて、本心としては 「愚かな奴は大衆である」 といってるように読めるのです。.....というのは、 鼻くそをほじくり出す女性や 体育館で唾を吐く男性など 勿論、だれでもあまり見たくないと思うんですけど、 けれども、そういう人が即=大衆じゃないですよね。 テイムラー隆一さんみたいに「プロ/大衆」という分け方をした場合、 プロにも鼻くそをほじくり出す女性はいるし、体育館で唾を吐く男性は 同じくらい、いると思うんです。 そうすっと、万太郎さんは実は、 不快なやつはみな「大衆」だといってるのと同じことになります。 そういう風に見えるんです。 いや、そもそも「大衆」なんてそんなもの具体的にはどこにも存在して いないわけで、 人々の頭の中にしか住むところのない観念でしかないのですから、 万太郎さんの考え方が間違っているとかいってるわけじゃなく 非難する気は毛頭ないのです。 どのように「大衆」を観念しようが自由なのは当然です。 ただ、論理の進行の過程で結果と原因が逆立していることに注視したい。 お年寄りと精神障害者と、田舎者....こういう人たちが辛気臭いという 発言なんですが これも観念にすぎないものですから、何をもってお年寄りと いおうが精神障害者といおうが田舎者といおうが個人の自由裁量だと思っています。 でもこれも 前段の話と同じで、そういう人たちが辛気臭いのではなく あなたにとって辛気臭いものが 田舎者やお年寄りや精神障がい者なのでしょう。 ここ、大事だと思うんですよ。 なぜ万太郎さんの中で論理の前後が反転するのか? 結果と原因が 逆立するのか? 仰るとおり    裸の王様を、裸だと言うのは正直な表現者としての誠実だと思う。 それに異議はありません。でも、 万太郎さんのは「裸だから王様だ」という奇妙な論理に陥っている ように見えます。 こういった 倒錯した心的現象の原因みたいなものはわかるような気がしないでも ないのですが、 そこはいちいち指摘しないでも万太郎さんがご自分でもう気がついて 下さることを願うしかないといっておきます。 どうもです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

日本はうすいうすい蜉蝣(かげろう)のように うすい生命意識をもつ民だということを思いだしました。 (フロート)

2024-06-20

おはようございまぁ~す。キリッツ? (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

ずばり言わせてもらうね。差別野郎扱いされるかもしれないけど、 やっぱり映画はある程度文明が進んでいないと技術的な面では、途上国の 映画の多くは、とてもじゃないけど見ていられない。いくら意図しょう とする内容や思想がよくても、画面の構成とか組み立てが稚拙だと一分も我慢 できないな。個人的好みとしては映画の"文法"が最重要。だから、自分にとっていい映画か ダメな映画かは最初の数分でわかる。 冒頭どのようなアングルからどのような画面を映し、それがどのように次の 画面に切り替わるか。そこに役者をどのような物語の中の面として登場させるか、そして その役者の演技の程度は。 その流れを観ただけで、期待できるか出来ないかわかる。最悪なのはなにか暗闇の 森をはあはあ息をきって走る登場人物を映し、次に「一週間前」とかいうタイトルがでてくる やつ。これはその瞬間に切る。あるいはいきなりディスコの踊りの場面とか出すバカ監督。 これもアウト。総じて才能のないいい加減な監督の映画ドラマは最初の一、二分ですぐにわかる。 そういう意味で今一番映画の取り方(文法)が斬新で進んでいるのは英国。ちゃんとした英国 ドラマはほぼ間違いない。次が韓国。その次が中国。米国は今、文明自体が衰退して いるから、まずろくなのがない。日本も同じ。インドも面白いけど、やはり深いところで 後進性が出てくる。こういところは中国も韓国もバラ売りのやつはみな同じだけど。 あとドイツや北欧のも遅れている。 日本の映画ドラマはもうなんというか、殺されてもみたくない。ほんと。糞を通り越して なんだろうな、無だね。うん。無だ。 ね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

最近といっても戦前まで中国の田舎って、農家の子でも女の子は みな纏足がふつうでその纏足の女性が成人したときの歩き方って、 ほんとうにセクシーなんだよね。そういうことは差別だし人権無視 だってことはわかっているけど、映画ではそういうシーンが出てく るのでひとまず置いて、話題にせざるを得ないのだけど、纏足って、 ああ、女性をより優雅にみせるためにやらかした男側の一方的な押し 付け、中国の一種の習俗であり文化なんだってことがよくわかる。 中国ドラマ『白鹿原』は「見るアジア」月額900円で数千本のアジア ドラマ映画見放題でみることのできる。 絶倫寿司男atsuchan69大詩人の卵.....焼き先生はどうして白ブタ映画 しかみないの?わたしは自慢じゃないが西洋映画も日本映画も この十五年、見たことないよ。今のトレンドはやっぱり中韓映画だ。 中韓の娯楽ドラマだ。中韓ドラマほど面白いものはない。 中国ドラマの『白鹿原』なんか見たら、もう腰抜かすよ。 わたしたちが知っている西側世界一辺倒の世界認識が 偏狭であったことを思い知る。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

跡地というのは いつ見ても爽やかだ。 かつて何もなかったみたいに さっぱりして。 (跡地)

2024-06-19

読みましたけど読めなかった。 これも、わたしには非常にむつかしかった。 (アスチルベの水辺)

2024-06-19

読みました。う~ん、 ちょっとむつかしかった。 (なまえ)

2024-06-19

おはようございます。 上の奥歯が腫れて頭のズイまでガンガンする痛みに耐えかね、 丸一日何もできず沈々黙々でした。これは天罰じゃないか、 テイムラー隆一さんに付けたコメントが少し尖っていた ことの天罰じゃないかと反省をしております。 治療して今朝はもう元気です。 あのう、これだけはいっておきたいのですが、 この歳をして若い人たちの邪魔をするつもりはありません。 テイムラー隆一さんのご発言をテコに日頃、考えていた思いを ついうっかり、調子に乗って広げてしまいましたが、 テイムラー隆一さんの詩作の方法、姿勢を (言うまでもなく自由ですから)批判するつもりは まったくなかったのです。 書き方がしつこく尖端的になったことを強く反省しております。 名前を出すとアレかも知れませんが田中広輔さんのように 「詩はゲームだ」といって抽象的観念的な世界に没頭すること もありだし、韓国の詩人を読むことで何かをもらい、詩を紡ぐことも 当然あたりまえにありなことは言うまでもありません。 わたしが言いたかったことは「批評」ということなんです。 わたしらは(二十五年も前、現代詩がひっそりとだけどかなり 高揚していた時代)の話なんですが、 しきりに「詩と批評」ということを口にしていました。 詩と批評は一体であって、2つで一つ、分けられないものだと。 では「批評」とは何かというと「生活」だという風にわたしは 考えていました。 詩が二階にあるとすれば生活は一階にある、下手すれば地下室に あるかもしれませんが、二階にある詩はたえず一階や地下室から の視線によって洗われなければならない。それによってはじめて 詩は立体的なというか両手両足をそろえた完成品になるのだという そういう考えでした。 まあ、それだけのことなんですけどね。 つまり、えーと、批評を取り戻せってことですが、それはつまり 生活を取り戻せってことなんです。 生活がないってことは、ほんとうに"生活がない"ってことじゃなくて 自分がどこにもないってことじゃないかと思うんです。 どんぐりの背比べみたいに標準的な教育を受け標準的な環境に育ち、 NHK朝の連ドラみたいな倫理や価値観によって育った、周り一面 みんな同じ顔をした人たち。 だからリルケや尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林という生活のある詩人 たちに自分を重ね、そこからインスピレーションを貰うのかもしれま せんが.....それは昔わたしたちが声に出していた「詩と批評」では ないわけです。それは他人の生活だ。 というのがわたしのコメントの趣旨でした。 こういうことを考えさせてくださった、考えるきっかけを下さったテイ ムラー隆一さんには感謝しております。 それからイイネを下さった方々に、なんというか非常にうれしいし、 歯の痛みが不思議にすっと消えてしまいました。ほんと。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

すべての陰謀論です。 それが現実になるまでは。 (夜の鍵音)

2024-06-18

こんにちわ。今、朝で、雨が降ってますが、早朝のスケボーを日課にするわたしにはただジメジメするだけでちょっとうっとうしいなという目覚めです。 それで、えーと、貴方様のコメントに興味を引かれたのですが、どうもその、 わたしには、あなたが仰っていることがまったく一ミリもといっては大げさですがその、ほとんどが理解不能なんです。 >僕に詩を書かせたのは尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムといった詩人である。 >日本の現代詩が何を問題にしているのか、たまにわからなくなってしまう。ダーザインもケムリもいかいかも日本の詩(紙、電子問わず)にはあれこれと言っていたのに、海外の詩には一言も言及していなかったし、海外の詩から何も吸収しようとしなかった。 >「尹東柱やジャムやヘッセ、リルケからも学びましょうよ」と僕は思ってしまう。 こういうご主張、そういうことをわたしは、その、どういうわけかちっともそう思わないんですよ。というかこれを読むとあなたがなぜ詩を書くのかも不思議でしょうがなくなるのです、うん、これをみていると。 わたしが詩を書いた動機は(小説は子どもの頃から書いていたけど)三十代のはじめに昼サウナから自転車で帰るときにみた木々の新鮮な緑でした。それまでまったく詩作に興味も関心もなかったのに突然それを短い行分けの文で表現してみたくなった。 H氏賞候補にもなったある同年代の知人に書いたものをもっていくと、予期に反して、なんともがっかりした顔をされた。とうぶんのあいだ口もきいてくれなかった。そういう素朴な詩は彼には論外のようだった。 しかしその彼も詩を書く動機はわたしと同じで自分の宿命から来る現実であり、現実の生活だった。彼の宿命とは半島の民族の血が半分入っていることと、女性より男性を好むこと、(いわゆる「ゲイ」じゃなく自分が女性と感じているわけです。)でも、それを隠して女性と結婚し、二人の間に子どもを得た。そのことからくる何ともいえない苦しみ、そこから詩が生まれていた。 机上の詩人や作家の思想がかれの詩を書く動機でも、思想の課題でもなんでもなかった。生活が彼の詩を書かせた。日本の現代詩が何を問題にしているか? そんなことはかれにとって中心的な課題ではなかった。詩は学問じゃないのですから。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を問題にしているか? それもまったくわたしや彼にとっては詩の制作とは何の関係もなかった。大学で卒論を書くのじゃないのですから。イカイカ氏がいっていたようにそれぞの生きる人の「生活」が詩を書かせるのです。 わたしが多くの詩人と交流をもった経験からいうと全員が〈生活〉を詩制作のプラットホームにしていた。 どうもテイムラー隆一さんは大学の卒論と詩を混同しているのじゃないかな?  あるいは(失礼ながら)詩の制作というものがよく理解できていないのじゃないでしょうか。尹東柱やジャムやヘッセ、リルケが何を書こうとそれわたしたちの生活、そこから生まれる詩とは関係ないと思うんですよ。わたしたちがどれほど感動しようとわたしたちが生きている場から生まれる詩とは関係ないような気がします。(彼らから詩の手法や思想を取り入れることはあっても.......。) しかしイカイカ氏が嘲笑っていたように今の自称詩人たちには「生活」がない。だから尹東柱や李箱や許炯萬や申庚林やフランシス・ジャムなどの"机上の経験"が、詩を書く動機にならざるを得ない。 しかし こんな虚しいことってあるでしょうか? とてつもなく滑稽で虚しくて、でも、厳粛といえば厳粛な閉じられた世界が今の自称詩人の皆さんの観念世界を生成している。 まずはこの喜劇、この悲劇、この虚しくも滑稽ないまの詩壇、詩世界を見つめることが必要な気がしてならないんですがね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

一連目で日本のひらがなというのはなんでこんなにまるいのか ということを一番考えたというか、いや、目で追いなが らひらがなのまるさに快楽をおぼえていたというべきか もしれない。だから一行目は内容よりも  はれたひはは、はひひれることがはほほのようで としか頭に入ってこなかった。これがまた面白かった。 (風花想)

2024-06-18

蟹ってのは確かに不思議な食べ物だ (蟹と自己言及性)

2024-06-18

つよくてやさしい言葉、いえません。 能力ありませんね、わたしには。 (今日、夕に)

2024-06-18

清少納言とか紫式部が浮かんできました。 (足臭う)

2024-06-18

これを作曲作詩したとすればたいしたものだ。 (憂愁)

2024-06-18

わたしは音楽のほうはからきしダメなんですが 人間の普遍的なリズムはこのランランランに あるような気がしてきました。 (梅雨も楽しい)

2024-06-18

づっとある水準を落とさないで持続する姿勢がすごい。 (フィラデルフィアの夜に 50)

2024-06-18

 鳴らない鈴は、また、鳴らせない鈴でもある。  閉塞した今の社会を考えた。 (鳴らない鈴)

2024-06-18

うーーーん、若い肉体だねえ。元気がうらやましい。 (夜の鍵音)

2024-06-18

資本主義は今こそ分析して語られるべき。 (コモンズの夕陽)

2024-06-18

マシュマロとシュークリームとあんぱん! この3つをもってきたことに内心のやさしさを感じました。 しかいこの「女史」とは.....まさか、あの (君って)

2024-06-17

おい、おまるたろう、調子に乗るなよ。 詩も批評も書けないやつが、最後は偏執妄想狂の澤しか すがるところがないのか。笑 卑しいやつだ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17