厭離穢土欣求浄土 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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厭離穢土欣求浄土    

夢は大概現実になる 今まで生きたことから帰納し 文化や歴史から演繹するとそう思える Blue sky, over the rainbow 誰もが愛したいし愛されたい 空の中から愛が生まれた いい人も悪い人も 結果を見てきた結果のことだ 好きな人の名前を呼びたい 願える 叶う叶わざるに関らず だから願う 心の底から願う とても深く 深海に光が届いたかのように 地獄の底にも光が届く 全ての地獄が消滅するのだ 輝かしい世の中がすべてとなり すべてのものに争う理由は一つもない 持っていた力を 発揮したかっただけだった 皆力持ちだったので 大規模な戦争になった その被害が進んで 世界は滅びかけた 大洋を航行している母クジラは潮を吹いてから 殺され食べられた子クジラの悲鳴を思い出した そして夢の中で滅びの予兆を聞いた 不吉な音に動物たちの魂は凍り付いてしまった 迷いに迷い秩序が乱れた だが世の習いはそうではない 必ずどこかに助けが届く 大切なものすべては救い出されるだろう 人類史を書き上げてきた私たち 死んでしまったらもう続けられないから 生きるという大仕事を行うことで 全ての無知無明とあらがうことになり より力の強い善業が悪業を蹴散らした 生者は全ての死に報いるために生きるんだ 我々が生きねば誰が報いられるのだ もう苦しみは滅んだから怖がるな 犯人タナトスを追い詰めて 物語は大団円を迎えたのだ 今まで頑張ったぶんだけ 結果が残り生きることが楽になってきている 生命は初めから幸福を約束されていた 宇宙は生命を生んだことを喜んでいた 宇宙に意識があるのなら それは父母と同じものだろう 沢山の過ちの後に 救世主が現れ 世界を救った みんな大人に育ててもらっただろう 救われた分だけお返しをしよう してもらって嬉しかったことが 忘れられないから同じことをしよう 救いの輪を投げかけよう 一つになってより良い力が あまりにも偉大だその顔は みんながみんなを大切だと気づき 誰もみんな通じ合っている やっとみんなで心が通じた 幸運も不幸も分け合って 一人ではやるせない 例えば悪口にひるむことは きっぱり拒絶すれば恐れるに足りない みんなそれぞれの場所にいる エベレストに登頂した人類は 最高峰よりご来光を眺められる 偉大さの中でみな過ごしてきた みんな期待していい いいことが起こり続けるんだ 仲のいい友達の顔も見たい 永遠の幸福に包まれるときが もうそこまでやって来ている 裂け目に橋を架け どこまでも渡って行こう 私たちは渡り鳥だ 住みやすい自分の巣の中で休らえばいい ほら目を閉じて 目を覚ましたときあなたは奇跡を目にするのだ メシアはあなた自身だ 自覚すれば生きる理由なんていくらでもある 高貴なる光背の輝きよ みんな確かに生きているよ 心の発する溢れんばかりの光に あなたは包まれていく 永遠に幸福よあれ 今がすごい あなた自身は一番すごい すごい夜とすごい朝を 何度も何度も繰り返す 新しい時を迎えて 空に光 地に潤い 良い匂いと静かな鳥の声 ここが私の浄土である 精一杯やったから 欲まみれの穢土が浄化された 本当に本当に良かった なんていう苦しみのバッドエンドを 酷い苦しみを 私は自らに与え続けてきたことか 報われた涙の泉の中で のんびり沐浴をしよう 急ぎに急ぐ 強迫観念の中から出て 時間を健やかに感じられる やっと私自身に辿り着いた 子供の頃は何でも覚えて行く 大人になったら夢がかなう みんなずっと仲良しだったのに 欲のせいで奪い合い傷つけあう 瞳を閉じて耳を澄ましてごらん 美しい静寂の中に鐘の音が聞こえる みんな偉大な夢の作り手だ 夢が欲しくて戦い合った ののしり合う夢 みんなの夢がおかしくなった 不平等で差別され 誰もいいことなんて起こらないと思った 欲の中で悪い夢にふけり 永遠に憎み苦しめ合うのがやるべきことだと強制されてきた 自決を迫られ 殺し合う想像をした 一体誰にそんな資格があろうか 人間失格人類敗北 苦しい夢に心が歪んだ それでも頑張ることを忘れなかった お母さんのおなかの中で みんなの優しさを一身に集め 祝福されていた時のこと 思い出そう やればなんだってできるんだ 希望の言葉を語り合おう ここが浄土 我々の浄土 外に生きていける場所はない だから清浄なる香りに包まれる 綺麗な空気を呼吸している


厭離穢土欣求浄土 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 62
P V 数 : 1676.0
お気に入り数: 1
投票数   : 4
ポイント数 : 11

作成日時 2024-07-01
コメント日時 2024-07-03
#現代詩
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性22
前衛性00
可読性55
エンタメ33
技巧00
音韻00
構成11
総合ポイント1111
 平均値  中央値 
叙情性22
前衛性00
可読性55
 エンタメ33
技巧00
音韻00
構成11
総合1111
閲覧指数:1676.0
2024/11/21 21時29分31秒現在
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    作品に書かれた推薦文

厭離穢土欣求浄土 コメントセクション

コメント数(62)
湯煙
作品へ
(2024-07-01)

全体的に素直に綴られた作品と思いました。 少々長いかなとも思いますが、苦にはなりません。 >綺麗な空気を呼吸している  最後の締めの一文から下に空白が広がっているのも不思議な印象で、清浄なる無の空間であるように思いました。

1
湯煙
作品へ
(2024-07-01)

すみません。 先程のこちらからのコメントですが。 最後の一文からの長い空白としましたが、 こちらの表示による間違いですかね。 失礼しました。

1
黒髪
湯煙さんへ
(2024-07-01)

人間は、自分自身が一番可愛いと思うものであり、全ての他人もそうなのだと思うと、 自分と他人の心についての考えが進みます。素直に綴ることは、自分と他人と、 外的環境についての洞察がなければ、上手くできないと思います。私の愛と、 みんなの愛は、相互関係にあります。愛自体は、所有できるものではなく、ただその本性を 理解することで、実践が進むものであり、決してむなしいものではありません。 私は全てに思いを込めて、最上の道を歩きたいと思っています。人間の本性によって、 自分勝手なことはできないことになっています。あとは、意志の力を強く持って、 全ての望みをたぐって、そう、もう誤魔化すことは何もありません。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-01)

法然、親鸞というより、(とくに後半は)法華経っぽいイメージがあります。ナラティブ要素多めな。黒髪さんの才能はじつはそっちの方...? 個人的に、今後の展開も含めて、すごくたのしみな作品です。

1
黒髪
おまるたろうさんへ
(2024-07-01)

こんばんは。法華経は、読んだことがないんですよ。一を聞いて十を知る、というのは、 演繹推論に長けているということだと思っています。概念操作がうまいこと。 例えば、色即是空と言った場合、どれだけこの言葉から多くの事を言い表せるか、 とうことが大事だし、その言い表せるということは、色即是空の意味を理解している 程度そのものが、表れるのだと思っています。演繹推論については、グレゴリー・ベイトソン 『精神の生態学』に、分かりやすく書いてあります(まだ読んでいる途中ですが)。 実践することができれば、仏教ってすごく豊かな教えなんだ、正に真理だな、と心に 思うことになると思います。概念操作の魔法で、世界はいくらでも豊かな姿を見せる。 人について、自分についても同じです。倫理的であるということは、概念を正しく 使うということの思考実践にもなるので、詩行が、非常に報われてくるところでも あると思います。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-01)

こんばんは。「精神の生態学」、あれが岩波文庫にはいった時は、ほんとにおったまげました。仏教の無常と、ベイドソンの思想は、核心のところで似てる気がしてます。あと、ベイドソンは厳しい言葉の人でもあると思います。たしかに、たしかに。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-01)

あっ、ベイドソン→ベイトソンですね...

0
秋乃 夕陽
秋乃 夕陽
作品へ
(2024-07-01)

この詩を読むと光が差し込む。 体の隅々がなんだかほんわか温かくなる。 私は思わず拍手喝采を贈りたくなりました。 力強く、読む者の瀬長を押してくれる素晴らしい詩だと思いました。

1
takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-02)

一生懸命なのはわかりますが綺麗事を書いているだけ。 そういう綺麗事を書く根拠が見えてこない。 いや、わたしにはわかるのだけど、それをいうと目もあて られないからいわない。ただ、これだけはいっておくけど、 文学というのは綺麗事を書くのが文学じゃなくてね、逆に そういう綺麗事をなぜ書くのか、もちろん(「うわー、凄いこと 考えてるのね、きっと立派な人なんだわ」)と思われたいという 下世話な動機がある人もいるだろうけど、 文学てのはそういう綺麗事(理想や思想や哲学)を語るのではなく、 それをなぜ語るのかという本人の生活の匂いがするところがみえてこないと、 そんなものただの綺麗事を書いただけで、文学じゃないんです。 わかる? 文学というのは綺麗事じゃないんです。 こういうものを褒める人がいるから書くのでしょうけど、それはもう 文学でも思想でもない、なにかもの凄く薄い、人間性が摩耗した なにかひどくろうわいな空間だと思いますね。

2
黒髪
秋乃 夕陽さんへ
(2024-07-02)

そんな風に、読んでいただけて、とても嬉しいです。自分の苦痛を逆転して、 詩に人が何らかの意味を見出してくれて、僕もより意味を確かめることができるということ、 そんなふうに、詩人としての自分を、もっと喜ばせていきたいです。詩には、優しさ、 従って強さが必要であり、我々は認識の力を増すことで、どんな良さも生み出していけるでしょう。

1
黒髪
作品へ
(2024-07-02)

綺麗事を書く根拠がないというのは、この詩が綺麗事ではないからです。生活のにおいを 文学にするのは、生活をより良くするためでしょうか。それとも、その方が信じやすい からでしょうか。確かに、宮崎駿などは、アニメを書くとき、食事風景で、もっと椅子をひかないと、 食べれないから、その描き方ではダメだ、と言いますね。現実を描くには、守るべき方法がある。 しかし、それは生活を描くということの際に言われることで、もっとありえない「カリオストロの城」 のカーチェイスを描いたりもします。人間性ってなんでしょうね。わたしの詩には人間性が ありませんか。人を悪く言う人は、正直で人間性があるんだ。ホントですか。 ジョンレノンの「イマジン」とかも、生活感ないですよね。万葉集とかも、 生活感を描くのを主眼としていない。むしろ、ロマンチックこそが本分である、 というような気がします。僕は、犬を散歩に連れて行って、一生懸命うんこをしてくれたので、 やったね、って、一人と一匹で、仲良く暮らしていましたよ。うんこをすることが喜びである、 と認めます。それはその場合の喜びと言うことで、クソもミソもいっしょにすることに、 意味があるとは思いません。 中学生であっても、文化祭で劇を作れるのです。それを、励ます先生方、そんな基本も、 ありますね。秘技があるわけではなく、一生懸命やることは、本当に大事ですよ。 その方向が正しくないといけないですが、あなたは、しっかりとした思考の上で、 しっかりとした批判を行っていますか。感情を駄々洩れにさせて、人を非難する そのやり方を、いい加減にどうかしたらどうでしょうか。異質なものへの感覚を、 悪いものだと考えるのは、いい加減にやめて下さい。異質なものを認めることで、 人同士が尊重すべきことがあるというのを、何故分からないのか。おそらく、 そうしたことをまだ考えたことがないからでしょう。反省をお薦めします。 現実の上に立ったロマンを、なぜ否定するのか。そのような生き方がいいと、 誰から教えられたんですか。 このように踏み込んだことを書かせていただきましたが、意味のないことではないと思っています。

0
黒髪
作品へ
(2024-07-02)

上の文は、takoyo2さんへです。

0
rona
rona
作品へ
(2024-07-02)

>異質なものへの感覚を、 >悪いものだと考えるのは、いい加減にやめて下さい。異質なものを認めることで、 >人同士が尊重すべきことがあるというのを、何故分からないのか。おそらく、 >そうしたことをまだ考えたことがないからでしょう。反省をお薦めします。 これブーメランになっていませんか? 異質なものを認める、尊重するというお考えならtakoy2さんのご意見も認めないと筋が通りませんよ。 そんな浅さ、言い換えると表層的な綺麗事を作品から感じてしまうのでしょうね。

1
田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-07-02)

やればなんだってできるんだ そうだと思います。

1
黒髪
ronaさんへ
(2024-07-02)

そのお考えは間違っています。異質と言うのは、自らの知らないもの、ということです。 takoyo2さんのご指摘は、分かり切ったことをこねくり回して仰っているだけです。 ご自分の力で、ご自分のわかるべきことを、するしかないのであり、醜い大人に なれと言われてはうなずけなかった私は、変わりませんので。自分と違う価値の全てが 正しいのではなく、悪いものは悪いのであって、私は、悪いものを賞賛することは ありません。あなたが認められないものについて、何故それを認められないのか、ということは、 好き嫌い、論理性、意地、等々あるのではないかと思うのですが、あなたが私の詩を 高く評価しないという御意見であるということは、わかりました。考え方の問題として、 非対称性=悪という理論が世界で横行していますが、私はそれは非常に愚かであると 考えるところです。

0
黒髪
田中宏輔さんへ
(2024-07-02)

ありがとうございます。本当に、物事を前向きに進めていく力こそ、大切ですね。 自分にある能力の使い方というものを、学ばなければならないですね。

0
rona
rona
黒髪さんへ
(2024-07-02)

>自分と違う価値の全てが >正しいのではなく、悪いものは悪いのであって、私は、悪いものを賞賛することは >ありません。 >非対称性=悪という理論が世界で横行していますが、私はそれは非常に愚かであると >考えるところです。 これもご自身の発言内で非常に矛盾されているように思いますが。

1
黒髪
ronaさんへ
(2024-07-02)

あまり矛盾にとらわれない性格ですが、大したことではないかと。意味が通らないならば、 疑問にお答えしますので、またどうぞ。

0
rona
rona
黒髪さんへ
(2024-07-02)

じゃあ上の質問に答えて。矛盾にとらわれないってのはナシで。

1
黒髪
作品へ
(2024-07-02)

「上の」質問、というのは、どれか分からないので、もう一度言っていただけますか。

0
rona
rona
作品へ
(2024-07-02)

>自分と違う価値の全てが >正しいのではなく、悪いものは悪いのであって、私は、悪いものを賞賛することは >ありません。 >非対称性=悪という理論が世界で横行していますが、私はそれは非常に愚かであると >考えるところです。 これもご自身の発言内で非常に矛盾されているように思いますが。 それから黒髪さんの文章(日本語)めっちゃわかりにくいから簡潔に分かりやすくぷりーず。

1
福まる
福まる
作品へ
(2024-07-02)

私は綺麗な人間ではありませんが将来地球外の存在と交流を深めたいなと想像しています

1
黒髪
ronaさんへ
(2024-07-02)

「矛盾を非とはみません」、これでお答えになっているでしょうか。 文章については、かなり錯綜した論理を扱っているので、なるべく分かりやすくしても、 こうなってしまいます。ですので、ある程度の難しさは、何とか理解しようと努力されることを、 お願いします。私は、悪意が非常に嫌いなので、難しさを誤魔化すことができないのですよ。

0
黒髪
福まるさんへ
(2024-07-02)

綺麗な人間でなくとも、綺麗になりたいと思えば、綺麗になれます。 福まるさんの、煩悩まみれの目、素敵です。地球外存在と心が繋がっている、 我々は、そこまで達成できるかもしれませんね。

0
rona
rona
作品へ
(2024-07-02)

黒髪さんの文章の分かりづらさは論理云々じゃなく文法の問題だから!笑 まぁわかりました。教祖誕生!って感じですね。まぁネットの片隅の狭い狭い世界だからいいんじゃないかとw 実社会に出たらあなたのtakoyo2氏への発言や考え方は通用しないと思いますけどね。まぁ頑張って下さい。

1
熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
作品へ
(2024-07-02)

綺麗事やロマンって、表現するのに物凄く難しい領域だと思います。takoyoさんの指摘にある「凄く薄い」という言い分も分かるのですが、当然薄くなってしまうもの、相当な技量がないと冷められてしまう綱渡りのジャンルだと私は思います。 アンダーグラウンドの詩が書けるのは、地上でロマンを求める人が走っているからこそです。ただ、takoyoさんなどの意見を別角度から見るならば、「書くのなら現代に合った、進化した綺麗事で張り合ってこい」という態度にも見えます。詩の世界の陰陽のバランスに対しての不満というべきでしょうか。うーん、まあ、そのすべてを俯瞰できる人は居ないと思うのですがね。 そういう「綺麗事」への批判について、私はやはり詩の一行一行をしつこく掴んで問い詰めるのが建設的だと、ずっと思っているのですがどうなのでしょう。 批判にはつながらないですが、この詩でのたとえ話って、なんでこのモチーフなんだろう? と立ち止まらせる部分はありますよね。 母クジラと子クジラの話とか。エベレストとか。まあ、たとえ話にちょこっと出ては消えていく、思想のためにモチーフ・言葉が勿体なく消費されている感じはあったりしますが……。 あとは、 「欲まみれの穢土が浄化された 本当に本当に良かった なんていう苦しみのバッドエンドを 酷い苦しみを 私は自らに与え続けてきたことか 報われた涙の泉の中で のんびり沐浴をしよう」 この部分、「なんていう」が直前の行に掛かっていると誤読して、「あれ!? 転調した!」とビックリしたのですが、「なんという」とか、「今まで」とか付けると正確でしょうかね。 直前の「浄化された」、「本当に本当に」がフリになって、それを「バッドエンド」だと裏切るこのキレが偶然にも発生していて、黒髪さんがこれを武器にし出したらと思うとゾッとしますね。 ただ、おそらく黒髪さんはそういうのが現在の詩作の目的ではないのでしょう。 作者への直接的な批判は、これまでの作品・背景を知らない新規ユーザーを怖がらせてしまうとも思うので、もしやるのならこれまでの偏見を殺して一つ一つの詩を細かく見て欲しいです。「わざわざ言葉を引用していかなくても分かるだろ」というのは傲りかもしれません。批評力というのをこのサイトから、賢人たちから吸収したいので、やるなら徹底的にお願いしたいものです。

2
rona
rona
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-02)

>そういう「綺麗事」への批判について、私はやはり詩の一行一行をしつこく掴んで問い詰めるのが建設的だと、ずっと思っているのですがどうなのでしょう。 綺麗事批判をした一人として書いときますね。まぁ作者本人にその批判に向き合う気があるかどうかです。takoyo2さんへのレスポンス読んだらとこをどう見たってないでしょう?挙げ句反省促されたりして(笑)バカバカしくて付き合いきれないでしょう。

2
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

自分と違う価値の全てが正しいものではなくて~それを言うならば、(自分と違う価値の全てが悪いものではなくて、正しいものは正しいのであって、悪いものを賞賛することはできない)。でしょう。でなければあなた黒髪さんの価値認識ははじめから正しいものだとご自身で決めつける論理が展開されることになる。だから突っ込まれるのです。そもそも何が悪いのか正しいのかの判断は知能を進化させた人間の理性による判断がそう言わしめるもので、これも時代とともに変化するということを前提に論じられなければ穴の中を巡るばかりです。愛は普遍なるもの、なんて言えばそれは言葉が本質を指す仮装として形而されているだけで、何が悪い愛なのか正しい愛なのか、わたしは未だに懐疑的である。

1
黒髪
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-02)

深くない、というtakoyo2さんのご批判は、言葉としては有意味ですが、その判断としては、どうでしょうね。 「アンダーグラウンドの詩」という界隈があるのは、寡聞にして聞きません。 クジラとエベレストは、「大きい」「偉大だ」ということから、モチーフを取りました。 コメント、ありがとうございます。

1
黒髪
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-02)

「自分と違う価値観の全てが悪いものではない」これは、当たり前すぎて言及に値する必要もないです。「自分と違う価値観の全てが正しいものではない」この言及で、行き過ぎたことをいさめているのです。自分の価値認識は正しいかな~と、迷う意識は当然誰にでもあります。また、この詩の コメント欄での突っ込みとおっしゃられていることの全ては、私には間違っていると思われます。 また、傷つけあう愛が悪い愛であり、称え合う愛が良い愛であると思っています。 愛について、正しいかどうかという判断は、また、何につけても正しいかどうかという判断は、 難しいことこの上ないのです。コメントをありがとうございます。 付け加えて言っておきたいのですが、「対称性」ということを言いだすと、人間が人間ではなくなる 危険性があります。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

! あ、そうか、takoyoの膨れ上がったあたまを押さえつける目的だったのか。 しかしね、黒髪さん、傷つけあう愛が悪い愛/称え合う愛が良い愛。? これも一般的相対論として常識的にみれば至極あたりまえの言い方のことで、 あなた、黒髪さんは(傷つけあう愛)でも良い愛を知ろうしないから言えることで、傷つけあいながらも愛しあってる二人の関係性。例えば、長年連れ添う夫婦のような関係をどう捉えているのか。これは悪い愛の結晶の賜物ですか?

1
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-07-02)

特に愛などという非常に裾野の広い概念。悪いとか良いとか、そう単純には推し量れないものなのではないでしょうか。

1
黒髪
メルモsアラガイsさんへ
(2024-07-02)

そうですね。愛と言うものは、他とは違って、特殊なところがあります。 長年連れ添う夫婦というものは、確かに愛があります、傷つけ合おうとも。 でも、相手を思ったら、傷つけるのではなく、愛してあげるのが、一番心からの願いでしょう。 そう、僕は間違っていました。悪い愛とは、傷つけあう愛ではなく、浮気をする愛、 不倫をする愛です。これは間違いない。

0
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-02)

インド思想 対 批評のポピュリズムモデル という胸が熱くなる光景。 このコメ欄にこそ、黒髪さんの真面目がある というと言い過ぎでしょうか。

1
黒髪
おまるたろうさんへ
(2024-07-02)

熱を帯びてくるというのは、悪いことではないと思います。 各人が振り返って、自由な思考を巡らせ、だんだん障害が取れてくるでしょう。 このコメント欄でやって来て、みんな面白いものが大好きなんだと確信しました。 もう、制限とかなんとか、心から取り払って、詩を書き、詩を語ることが、どれだけ 意味深いか、B-REVIEWで、証明していきましょう。悪人なんて一人もいない、 行けるところまで行きつくしかない、我々は、みんなそうして生きて来たでしょう。 制限や限度を設ける必要はないのです。我々は、法を破りません。一切皆空を省みれば、 いかに自由に自分たちの行を行っていけるか、という物語の中にいるでしょう。 もはや争いの苦しみが起きるフェーズは過ぎました。みんなわかっているのです。 一人も取りこぼさず、行けるところまで行ってみましょう。悲観的になる必要のある人は、 もう一人も出してはいけません。皆の衆は、嫁さん婿さんもらいたいと思いながらも、詩行に明け暮れているので、 こんな平和な村で、いがみ合ってもしょうがないでしょう。オリンピック選手と同じくらいの いい舞台だと思いますよ。

1
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2024-07-03)

黒髪さんがいくらオレは正しい!、不浄で悪質で間違っているのは takoyo2の方だ! と大声で叫んでも、あなたはわたしには勝てない。 なぜなら 文面から察するに黒髪さんは今、浄土にいるか、浄土に行こうとしている人だ。 浄土真宗がいう浄土とはあくまで比喩であって 黒髪さんがここで書いているような精神の境地、一種の極楽三昧境のような こころの在り方をさしている。 (わたしにいわせればバカバカしいばかりの錯覚や妄想でしかないのですが) ところがわたしはといえば、 その浄土から戻ってきた人間だからです。黒髪さんが否定している欣求浄土 から厭離穢土に戻ってきた人間なんです。 浄土真宗のいう仏法の真骨頂、"二相回向"のうちの"還相回向"が親鸞思想の 最終形態なんですが、 わたしがまさか親鸞と同じになったとまではいいません。 しかし、少なくともわたしは親鸞さんと同じく欣求浄土を捨て、厭離穢土に 生きることを誓った人間です。 そのわたしに黒髪さん、あなたは逆立ちしても勝てない。周回遅れでわたしの はるか遠くを走っているだけです。 じゃあ。

1
takoyo2
takoyo2
黒髪さんへ
(2024-07-03)

【さてここからが本題】 黒髪さん、 わたしの言ってることをちゃんと理解してもらえないようですね。 あなた個人を非難しているわけじゃないのです。 仏教やキリスト教のようなものに踏み込んだ人たちが、 最初に必ず間違うモラル(人間のこころ)の取り扱い方が間違って いるといってます。 だからこれを読んだ方にちょっとばかり立ち止まって考えてみて ほしいからコメントしたのです。 ましてや、 "異質なものを理解するな"、なんてどこにも書いてませんよ? 黒髪さんの発言は異質とかじゃなくて、 まるで自分がイエスやブッダになったかのように錯覚して、人の上 から語り始めることばだから、異質というよりも それは仏教として間違っているといったのです。   エベレストに登頂した人類は   最高峰よりご来光を眺められる と書いている。 これは人心や精神の価値に高低がありエベレストがあると考えて、 人の意識の価値に高低をつけるものになります。 この段階ならまだいいけど、それがいつのまにか人間の存在価値にも 高低があると考える人が出てくる。 唐突に思われるかもしれませんがイスラエルによるガザの妊婦や幼児、 病人を狙った大量殺戮の背後にある宗教思想はなんだと思います? あなたが前にもいった 「大切なものを守るのに理由があるでしょうか?」 という聖書のことば。それを持ち出した選民思想によって今のガザ 大量殺戮ホロコーストは支えられているのです。 かといって人の下から見上げて語れとはいいません。 わたしたちは虫じゃなく人間だからです。ブッダでもイエスでもない。 同じ地平から世界を見ている存在です。 自分の目線をね、上にしたり下にするんじゃなくて、 黒髪くん、自分の、あなたの!自分の目をちゃんと取り戻しなさい。 話はそれからです。

1
ぺえ太
ぺえ太
作品へ
(2024-07-03)

>うんこをすることが喜びである 脳内で一ヶ月こねくり回したポエムを投稿する時と、一時間悶絶しながらうんこを出す時に浮かべる恍惚の表情は似てますね。忌まわしきものをやっつけてスッキリ! 私の一部であるうんこを体外に排出するという活動は芸術の創造的活動に通じるものがあるとフロイトも言ってます。うんこは芸術ですね。 そして、この作品はファンサですかね。美容院で茶髪を勧められても黒髪に固執し続けるアイドルのビジネスです。文学云々じゃなく、投げ銭みたいなノリですしねここの投票機能も。演劇的に楽しめばいいんでしょうか

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トビラ
作品へ
(2024-07-03)

苦しみの中で愛を選べるなら、それはやっぱり愛だと思いますね。

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takoyo2
takoyo2
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-03)

>詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるのが建設的だと、..... "建設的"の意味が曖昧だから正確な反応はできなのだけど、まず、 "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんて読み方している 人がほんとうにここにいるの?笑 本人がそう思っているだけじゃないのかな。それに、"詩の一行一行をしつこく しつこく掴んで問い詰める"なんて読み方が、詩の読み方としてふさわしいとはとても 思えない。 ぼくらがぼくらの尊敬する偉大な詩人や詩友から教わったのは  詩は太いラインで読め ということです。わたしが思うに、これには次の意味があります。 そこに現れている細かい字句にいちいち目を奪われる前に、まず 行間にあるものを含めた全体から受ける俯瞰的な印象を大切にすること。 それはつまり 読み手一人ひとりが、詩学としての知識にはうとくとも自分自身の感性を 信じるということです。 そしてだれであれ、天才であれ詩的な表現行為をすることの初心者であれ その人が「ダメ」と思ったらそこでもうその詩に対する評価をやめてなんら 差し支えありません。 熊倉ミハイさんのいうような行為は、太いラインで読んだうえで、 感動した作品についてもっと知りたいと思った方がやればいいことです。 いちいち詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰めるようなことをしていれば、 ここに投稿される作品一週間分でも一年かかります。笑 黒髪くんの投稿文はわたしからいわせると、一見してすぐにピンと来るものがある わけです。行間も含めて太いラインでさっと俯瞰すると、 これはカルト的に自意識が異様に拡大した状態であって、はっきりいっちゃうと 普通じゃないんです。なにが普通でなにが異常かというのはむつかしい問題ですが わたしたちが居酒屋や喫茶店で会話するさいの「ふつう」とか「異常」とかいう 概念と同じだと思ってください。つまり、黒髪くんは自分では正常だと思っているかも しれないけど、ronaさんが仰ったように文章が支離滅裂なんです。論理もでたらめです。 これはここだから通用する文章であって、広い世間では相手にされません。 ふつうの人は太いラインで読んですぐにそのことに気づくはずです。 そのような文章にコメントしたのはわたしが悪いと言えば悪い。まともな返答が返ってくる はずがないのがわかっていてコメントしている。 多くの初心の人にわかってほしいからあえて批判したのですが。 この文章をもし熊倉ミハイさんがいうように "詩の一行一行をしつこくしつこく掴んで問い詰める"なんてことしたら頭が痛く なるでしょうね。多分、熊倉さんご本人もちゃんとそうはやってない。言葉の端々だけをみて あげつらっているだけじゃないかと思っています。しつこく問い詰めるにも、 黒髪くんがいっているデタラメな宗教用語まで調べてちゃんと問い詰めてごらん? それがほんとうに"言葉の一行一行をしつこく問い詰める"ということです。たいへんな 時間がかかりますよ? たんに、言葉だけを拾って揚げ足取りをするだけじゃ話になりません。

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黒髪
takoyo2さんへ
(2024-07-03)

目の事を心配していただいて、誠にありがとうございます。親鸞師の思想を受け継いでいる あなたは、仏国土を作るという使命を帯びているのでしょうか。仏さまのおっしゃった、 全ての生きとし生けるものは幸いであれ、という基本を忘れなければ、仏教を間違うことは、 ないでしょう。いずれにせよ、あなたのように純情な人はあまりいないので、 お話をして楽しいんですよね。ただ、たまに嘘をおっしゃるような気がしまして。 盛りすぎというか。まあ、僕の間違いかもしれませんが。

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黒髪
ぺえ太さんへ
(2024-07-03)

アイドルの使命胸に刻んでおります笑。うんこができただけでも、生きてきた喜びが凝縮 されています。気軽に楽しめるB-REVIEW、美しい話をみんながしたいですよね。

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黒髪
トビラさんへ
(2024-07-03)

「人間が何のために生まれてきたと思うか!愛もしたことなか、恋もしたことなか。」 水俣病の被害者の親の言葉です。魂の燃焼こそ、人間がやるべきこと。 「かの尊き師は言った──声に驚かない獅子のように…鋼にとらえられない風のように…水に汚されない蓮のように ただ…犀の角のごとく ただ独り歩め だが──もしも汝がお互いの魂を重ねるに足る同伴者を見付けたならば あらゆる危機に打ち克ち こころから喜び 彼と共に歩め。」(『スッタニパータ』) 片恋だけど、 迷惑をかけないように、行けるところまで行くしかないと思っています。 恋をコントロールできる人間が、どこにいるのかと。でも、愛を考えれば、 身勝手な押し付けは、僕はしないです。

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atsuchan69
作品へ
(2024-07-03)

仏教ですかあ、、 身内の葬式で呼んだお坊さんはベンツに乗っていました お寺へ行くと、 なんとなく「反社」の匂う檀家さんから贈られたと思われる いかにも(高価そう)な美術品が無造作に並べ置かれていて、 さらに「××××さまより〇〇千万円寄贈」とかの垂れ幕がたくさんありました、、 あと、戒名に【院】を付けてもらうには最低100万円~なんですよね それと、葬式へ行くと「仏」の出自がだいたい判るシステムが凄いと思う 日本の奥の院は、ボクが思うにたぶん高●山です 延々曲がりくねった坂道を登ると、 山の上になんとも広い街がつくられています (と言っても、お寺ばかりの街ですが) この街で暮らすお坊さんは酒を呑むことは出来ません しかし街を歩くと、とある店に「般若湯あります」の張り紙が‥‥ またぜんぶは言えませんが、 お坊さんだって人間です、エッチだって必要です なのでお坊さん専用のむにゃむにゃがあって 必要に応じて軍資金を用意してくれるむにゃむにゃもあり‥‥ (もうずっとむかしの話ですが) 若いお坊さんたちはこのお金で下界へ降りて 煩悩を祓い、ふたたび修行に励みます ボクはこの仕組みの方が、小児愛‥‥ 「稚児灌頂」なんかよりも はるかにマトモな煩悩の処理の仕方だと思います そう、故ジャニー喜多川さんは、 某宗ロサンゼルス米国別院の住職の息子です 仏教界に繋がるエライ人といえば、 ボクはまず第一に安岡正篤さんの名前が浮かびます なぜか経済界のトップは奥の院に従いますよね 新興宗教の背後には旧財閥の影が見えるんですが、 旧財閥の背後には奥の院が見えます あ、あまり喋り過ぎるとヤバイんで、、でわ

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黒髪
atsuchan69さんへ
(2024-07-03)

お坊さんも、落ちるところまで落ちたかと思わざるを得ないこともありますね。 信長が比叡山の焼き討ちをした心も、うなずけます。 精神的に、高いものを持ち、良い伝統の中で欲と戦うという行為をしなければ、 お坊さんもだんだん堕落します。庶民と持ちつ持たれつなので、社会的に、 僧団のリーダーがしっかりとして、仏国土建設を行わないと、何の弟子ぞとなってしまいます。

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トビラ
作品へ
(2024-07-03)

今回の黒髪さんの作品とコメントを読んでいると、応援したくなる気持ちと、疑問を呈したくなる気持ちが出てくるんですよね、自分は。 作品に書かれていることは、いいなと思うし、理想や愛を生きてほしいと思います。 ただ、コメントでのやり取りを読んでいると、行動が伴っていないようにも思えて、素直にそれでいいとは思えない。 やっぱり、宗教に取り憑かれたようになる人はいる。 黒髪さんにそうなってほしくはないのですが、現状はそういう危うさも感じる。 まあ自分の経験上、大体の場合、誰かを批判したくなった時に、間違っているのは相手ではなく自分なので、黒髪さんに対するモヤリも、黒髪さんに問題があるというより、僕個人に何かがあるのかもしれませんが。 でもやっぱり、自分の本音言えば、今の黒髪さんには、危うさを感じてしまう。 危うさを感じてしまいますね。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-07-03)

こんにちは。厭離穢土欣求浄土。 かの徳川家康が、戦として真宗者たちをコントロールしようとしたときに、幟に書いていた言葉ですね。お前らどうせ、この世は地獄なんだろ、戦って死んで浄土に向かえ、ってとこでしょうね。 パッと、タイトルでそう入ってきても、おまるたろうさんが仰るように、内容的に 法然とか親鸞、蓮如の大切にしていた、一向宗の大切にしていた浄土観とは 全く関係が無さそうです。 大体に於いて、宗教というか、仏教というのは、人をパッと捉える受信装置みたいな側面があり 「これは・・・」と思って読んでみたのですけれど、きっとこの作品で書かれていることは 仏教が書かせたということはありつつ、仏教とは何の関係もない。 現代に生きつつ、どこか希望というファンタジーに耽溺している部分では ちょっと気分を変えて書いてみた、きっと中原中也なんかのオーソドックスなPoemに近い。 仏教も、えてして、浄土真宗も関係が無いんです。きっと。 仏教的なものがあったとして、それは黒髪さんという作者にそもそも備わっていた パーソナリティであって、仏教が先じゃないんですね。僕が思うに。 黒髪さんというパーソナリティ、どこまでも優しく、真面目にありたいという 黒髪さんのエゴ、というか性根に惹かれて ビーレビューの多くの方は鑑賞されているんじゃないかな、と思えますね。 だから、僕も真宗ですけれど、その内容を読んで、深い真宗理解に至っていない そう捉えても、捉えられても別段全然良い、ということになる。 黒髪さんの今後の課題になるのかな、と思いつつ 黒髪さんはもっと包括的な仏教に接していると思うんで。 しかし、そういう意味でタイトル負けしているのかな、と思いました。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-07-03)

追伸しますが、だからといって、私が深い真宗理解に至っているわけでもなく。 最近、ネット上で目にしますが、私は一凡夫なので。

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黒髪
トビラさんへ
(2024-07-03)

御心配を頂き、大変に申し訳ない気持ちです。私は、精神病で心身ともに疲弊して、 人生も生きられず、死を待つのみかと、何十年も過ごしてきました。その中で、詩を書くこと だけはやめなかったのです。すごくこだわりました。詩への愛を失ったことはありません。 精神病が直ると同時に、道を探し出すことができました。これからこの道を歩んでいく のですが、明るい気持ちで前向きになり、人に責任を負わせずに、理想的な愛らしい道を 歩んでいきたいと思っています。私のゆく道においても、全ての生命が可愛いものだ という理解を、縁に従って、思うようになりました。

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黒髪
田中恭平 newさんへ
(2024-07-03)

こんにちは。問題はただ一つ、さとりということですね。毎日動画などで勉強している のですが、私が行ってきたことと、仏の教えに基づけば、これから道を歩んでいくのだ、 そう決意することこそ、さとりの証だと思っています。初心を言えば、精神病が治る ことがさとりだと念じてやってまいりました。身を持ってさとりを得たということで、 今はいいのだと思っています。 それから、僕はいわゆるオタクであり、漫画のセリフを真似したりして、昔の真面目な仏教者 というのとは、少し違う、オタクであって、オタクの喜びを、手放しませんし、手放す 必要もないと思っています。こうした生き方こそ、僕が幼少時からずっとやってきた、 いわゆる学び(まねび)ということだと思っています。この詩は、尊敬するエミリー・ディキンソン に捧げたいと思っています。私が幸せにならないと、お釈迦様は深く悲しまれるだろうし、 仏弟子として、オタク第一なんて、誇ってみたい笑。よく読み込んでいただけたようで、ありがとうございます。

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takoyo2
takoyo2
田中恭平 newさんへ
(2024-07-03)

仲間をかばいたい気持ちはわかるけど、いちおう二人とも 運営の中核にいて、選評を担当しているのだから、 あまりにひどいデタラメな批評しちゃだめだよ。 田中恭平くん、あんたがいってることは口からでまかせです。 きみや黒髪くんには良心ってものがあるの? 黒髪くんの文章をちゃんと読んでないし、読めてない。 こんなコメントを書くなんて不真面目にも度がすぎる。 おまえ、真面目に生きてるのかっ!? まあ、二人とも 不真面目で 権威主義で 長いものにまかれろだ。しかも、 力のある者におもねって、命令もされないのにみずから弱い人間を 虐めることを平気でするタイプだ。 そういうどうしょうもない二人が、ちょっと本当のことを批判されて、 反省するどころか己をかばい、仲間どうしでいい加減に馴れ合って 話をうやむやにしてどうするの? 前の運営では、 室町礼が澤あずさと批評文を巡って言い争っていた時、黒髪は内容が何も わからないくせに間に入ってきて室町に対し「あんたが間違っている。 反省しなさい」と意味不明の叫びをぶつけていた。 室町は異質で運営からも疎んじられていた。澤は逆だ。そういう存在に対して 無意識に場の空気を読んで強い立場の者におもねる。 排斥されているものを(強者に媚びて)排斥する。 それが仏教やイエスの言葉を語る者のすることであるはずがない。 なぜこの二人がそういう人間になってしまったのか。 理由は簡単だ。 この二人はおそらく社会に出る前に学校や家でもイジメに あっていたのだ。強烈な虐待やイジメに。 そういう人間の多くは心理的な転換をはかるためにのちに必ず無意識にイジメを 行ってしまうことがある。 一方で物凄く格調高いモラリズムを口にするのもそういう人間の特徴だ。 異端者であり嫌われ者のわたしtakoyo2などは黒髪くんや田中恭平くんに とっては心理的な意識逆転の格好の餌なのかもしれない。 まあ、なにやってもいいけど、田中恭平、おまえもっと真面目に生きろ。 仏教がどうの、一茶がどうの、片端から有名人の名前を持ち出してくる その胡散臭さ。じぶんで気づいているのかどうか知らないが、 精神的な病いなんか、いまどき何の弁明にもならない。みな狂ってるんだ。 甘えるな!

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熊倉ミハイ
熊倉ミハイ
takoyo2さんへ
(2024-07-03)

もうこれ限りに留めておこうと思いますが、すみません、言い方が良くない部分がありました。一行一行、一つ一つの言葉を味わう姿勢のことを言いたかったです。ビーレビューには、たとえばメルモさんとかはその点で丁寧な考察をしてくださっていると、私は思います。憧れのうちの一人ですね。そういう読みができるよう精進します。 あとは、そういうことは感動した作品についてだけやれば良いというのも分かります。時間がかかることだとは私も思うので。ただ、takoyoさんの(このコメント欄に限る)文量を見るに、時間がある方だと思ってそう発言していました。ただ、takoyoさんが話の通じない虚しさを感じるのなら、確かにどうしようもできないです。 あとは、「詩を太く見る」という話について。私にも俯瞰的な印象はあります。ただ、ここがtakoyoさんと真逆で、私は自分の直感を疑うところから始めるタイプです。結局直感が正しかったこともありますし、後々違ったと感じることも多々あります。 まあ、ここは価値観の違いですね。 最後に、「建設的」というのは、たとえばビーレビュー交流スペース(6月度)でもそうでしたが、同じような言い合いを続けているようにしか見えなく、takoyoさんと黒髪さんの関係がずっと一辺倒なのが気にかかるという意味でした。どちらも譲らない、上のコメントのような人間性の指摘までバチバチやって、これのおかげで優れた詩作につながるのなら良いのですが、どうなのでしょう? と思っていた次第です。 すみません、たまには首を突っ込んでみたくなっただけでした。今後も様子を伺っております。

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takoyo2
takoyo2
熊倉ミハイさんへ
(2024-07-03)

気の合うお仲間がおられることはいいことだと思います。 わたしはそういう言論空間を批判しているのではないので これからも皆さんと談話をお愉しみください。 わたしのほうは皆さんのお邪魔をするつもりはないので 当分、個人的に忙しいこともありコメントはひかえます。

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トビラ
黒髪さんへ
(2024-07-03)

黒髪さんが黒髪さんの人生で得た経験や気づきを否定したいわけではないので、黒髪さんは黒髪さんの人生で得た経験や気づきを大切にされてください。 黒髪さんが健やかでいられることを願っています。

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田中恭平 new
田中恭平 new
takoyo2さんへ
(2024-07-03)

こんばんは。takoyoさん。喝を入れて頂きありがとうございます。 正直なところを申しますと、この作品に関しては、私は一日、自分の中で、もやもやしていたんですね。 ここ数年で、私は歎異抄を読み、教行信証を読み、わからなかった部分は、浄土真宗系の僧侶にお伺いを立てることも致しました。 自分によらないで、真宗教義について、聴いて、理解を深めていった形です。 その上で、この作品を読みますと、真宗は、関係ないじゃないか。 浄土は、彼方にある。 これは絶対に、譲れないと判じた自分がいたのです。 しかし、個人的に黒髪さんのパーソナリティというのも知っております上で 遠回しに、まあ言ってしまえば、私は私の、この詩の評価は「takoyo評」に拠る。 そこまで、書きませんでしたけれど、この作品は真宗理解については、その戸口にさえ 立って居ない、と、今、私は断言しなおさせていただきたく思います。 つまり、私の中で、この作品は「タイトル倒れ」である、と。 しかし、そう言いましても黒髪さんの仏教理解は、主として釈迦の金口であると 日々、接していて、知っておりましたものですから、その姿勢や、この作品世界全体を 非難する法もなく、ただ、日本のソフィスティケーションされた真宗ののりを学べ、と 遠回しに発言したのであります。 黒髪さんに宛てるのであれば、この作品は、念仏者を苦しくさせる。または 黙殺されるかのどちらかだと言いたい。少し声を荒げて言えばそういうことになります。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-03)

「おれの仏教」の板はまじで荒れる一方のゴールデンコンテンツになってしまう可能性はあり、ちょっとこのままだと交流版すらも霞む「黒髪御殿」が建ってしまうかもですね。わたしは見てて、かぎりなく愉しいですけどね。 ほんとはディープな話をしたい人なんですけど、上のような理由であえて抑えて書きこんでたりします。「観無量寿経」の岩波ワイド版、あれなんど読んだかわからんくらい読みましたし、親鸞もその正体は詩の天才です。 黒髪さんはけっして、「鏡子の家」に出てくる夏雄みたいな感じで、病を癒すために仏教を見出しているのではないと思いますね。上の何人かの御方は、へんな誤解をしているように見えます。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-03)

ちなみに、田中恭平 newのことではないです。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-07-03)

田中恭平 newさんですね、失礼しました。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-07-03)

ちょっともう眠るんですけれど書き納めということで。 その、哲学者で「中村元」さんという方がいらっしゃるのですね。 その方が行った仕事のひとつとして、原始仏教を日本語に訳した、ということがある。 私の中で彼の行った仕事というのは、釈迦第一、ということですね。当然ですが。 しかし念仏者になると、釈迦も称えた仏として阿弥陀仏がおり、帰依対象にする。 ここですれ違ってしまうのですが、切迫した悪人意識のある帰依者は 阿弥陀仏より信心を獲得することが先決であって、釈迦云々ではないんです。 阿弥陀仏の誓願で重要なのは、十八番、十九番、二十番なのですが 釈迦の一生、現世での活動としたのは十九番で、しかしこれは方便の誓願であって 一番重要な、十八番の本願の働きとは違うんですね。 ですから、確かに親鸞の、師の系譜を辿ってゆくと、釈迦に辿りつくのですが 何より、阿弥陀仏の方が重要なのです。阿弥陀仏が太陽だとすれば、釈迦は小惑星?くらいの 比較でいいと思います。 悪い言い方をすれば、真宗では釈迦はずっと阿弥陀の方便を証する為に一生を終えられた。 とする。 そこの所が、いきなり昭和の置き土産とばかりに、釈迦にフォーカスした 原始宗教の訳文が登場したことにより 一方では、日本のソフィスティケーションされた仏教というのは視野から外れるという事態が 今後起こってくると思うんですね。もう起こっているかもしれませんが。 いや、起こっている。 そこのところ二つがしっくりくるようになるまでは、なんだろ、僕はそう声を荒げられない といいますか。 新刊の仏教書を読んでは、一喜一憂するといった最近。。。眠い。眠ります。おやすみなさい。

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黒髪
田中恭平 newさんへ
(2024-07-03)

「心の浄土」という言い方もされるようです。この世にあっても、さとりや平和が得られる、この世で 平和でいられることは重要で、この世にあってもあの世にあっても浄土でいいんじゃないでしょうか。 あの世とこの世を全く分かつ必要はないと思いますし、実際お盆などにはあの世から戻ってこられ ますよね。その場合、あの世の浄土にいらっしゃる方々が、この世もそんなに悪い所じゃない、 と考えておられる、という考えは、当たっていないでしょうかね。念仏者を苦しくさせるでしょうか。 議論を求めない心は、信心の絶対性を言っていていいでしょうか。信心とは、亡くなった方を しのび、でもあの世にいらっしゃるご先祖様との間にあって、仏様になられた方々が、 私たちを極楽浄土で待っているという信仰ではないでしょうか。代々の伝えが残る、 というのは、この世で浄土のようなところ(本質的に)があり、それゆえ理想的極楽浄土 に至ったご先祖様が、おまえら、この世を良くして行ってくれ、私たちは、おまえたちを 救うため、まず先に仏になった、と仰っているように思います。代々の仏壇を拝むということは、 そうした意味があるのではないでしょうか。南無阿弥陀仏という神々しいお経によって、 阿弥陀仏が助けて下さる。私自身の持った信条として、あまり絶対他力を重視しないということが あります。生きて行くうえで、死ぬ直前に南無阿弥陀仏と唱える、それこそが絶対他力が 必要とされるときであると思います。自力で助かろうとすることは、死んじゃったけど、 死なないように、全力であらがったよ、と考えた少女のこと、つまり、有田直央『日本サンタクロース株式会社』という本の中の、「フロムエウロパ」という漫画に描いてあることが、僕には大切なのです。 死に負けるな、ということは、実際に死に直面した時、苦しいのか苦しくないのか、体験していない ので分かりませんが、死を耐えきった方々に、絶対他力を理解していないからお前は救われない、 ということを、果たして言えるものでしょうかね。 たとえ絶対他力がどうであれ、中村元『往生要集を読む』に書いてあったとおり、善業は悪業より、 凄まじく力が強いので、生きている内に、何か一つでも良いことをした人は、必ず 極楽浄土に行ける、と書いてありました。大きな船に乗っていくことになります。 「別世界に浄土の建立を説くのではなく、この世界をそのまま浄土に変現するという考え方がある。すなわち、心浄なれば土も浄とする『維摩経』の趣旨によれば、この世界にありながらこの世界がそのまま清浄の土でありうる。たとえば、『法華経』に、この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ずと説くものである(娑婆即寂光)。この考え方に立つのが、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界である。」(Wikipediaの「浄土」より。)

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黒髪
おまるたろうさんへ
(2024-07-03)

こんばんは。この世を守っていくには、捨て身の覚悟で、物事と対せねばいけません。 いつ犯罪に巻き込まれるか、いつ病に侵されるか。それらを安全にする世の方々の 働きの力のありがたさは、私などは、伏して感謝せねばなりません。私は、詩人としてしか 生きられないので、そう思っています。ありがたい。とても、ありがたい。この世を運営する 全ての人に、等しく感謝を送りたいです。

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黒髪
田中恭平 newさんへ
(2024-07-03)

少し追加します。 永山則夫という、死刑で死んだ人がいますね。彼は、獄中で、哲学、文学を必死で学び、 「無知の涙」という本を書かれました。また、獄中で一般女性と結婚もしました。 四人連続射殺を行ったそうです。世論で、こんなに更生しているんだから、といった 声もおこり、無期懲役ではどうだ、という風にも言われましたが、見せしめのためもあってか、 死刑判決を受けます。 では、日本の法律も認める超極悪人永山則夫は、宗教だけは信じない、と言っていましたが、 今頃は助からず地獄にいるんでしょうか。 永山則夫は、人を愛しました。離婚になったとはいっても、結婚もしました。 寺山修司は、「女性と一緒にいたいような夜もあるだろうに……」などと言って、 同情をしました。 泉下の永山則夫へ。あなたの無念は、必ず死刑制度を廃止して、 裁判をまともにして、晴らして見せましょう。 そう私は考えるのです。

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