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夜行
夜。 きみはビールをつぎまくり、飲みまくった。 たんまり、満足すると、僕の手を取り 暑苦しい街の空気に 走り去った。 僕はきみの故郷を知らない。 きみの家族も、他の知り合いと話している姿さえ見たことない。 陽が暮れると、きみと出会い、陽が昇る前に、きみと別れた。 一枚の写真をきみは見せたことがあった。 「俺が、まだ、死んでいなかった頃の姿」 小さな子どもが居丈高な銅像のそばにいた。 銅像はスーツ姿の紳士で、 Antrogu ser vsagineと題される本を膝に置いていた。 この言葉をたよりに、ずいぶん探した。 図書館に忍び込み、色々な辞書の頁を繰った。 フランス語やイタリア語、ポルトガル語の索引を試した。 何もなかった。 ようやく無地の表紙の、百頁ほどの辞書があった。 端書きには、軍人がつくった不便な人工言語とあった。 antrogu…(1)炎(2)麦(3)感情 ser…(1)から(2)の(3)よって vsag…(1)城(2)大きな建物 何種類かの解読をしてみた。 感情の城(慣用句)、納屋(麦の大きな建物)、燃える城(炎の城)...... 「燃える城」あるとき、僕は唐突に言ってみた。 きみは煙を吐いて、煙草をもみ消した。 「知らない間に、どこかで戦乱でも起こったのか」 「戦乱は絶えず起こる。まるで感情の城に閉じ込められたように」 「僕らに感情も糞もない」 きみがきっぱりと言ったのを覚えている。 水溜りが、街灯の光をちらつかせた。 「夜は、そう悪くないと思わないか」 きみのその声は並木の枝葉に響いた。 「僕は昼を知らないから、比べようがない」 「もっともだ」 想い出した。 きみはこんな言葉を溢したことがあった。 「十年前にある若い女を殺したんだ」 「恋人か」僕は訊いた。 きみは首を振った。 それっきり女の話はなかった。 きみはその女と寝たことがあったのかもしれない。 だから、夜は悪くないと言っている。 僕らは池のほとりのベンチに傾れ込んだ。 「体は厄介だ。心だけになればいいのに」 動悸が、細々と耳で鳴った。 「そうだね」 汗が、小止みなく池面に落ちた。 空気と水分が、惜しかった。 木々が揺れ、葉脈に止まっていた雫が、一斉に僕らを被った。 きみは笑った。 「やっぱり、夜はいいな」 風は止んだ。池の水面は巨大な沈黙をささえていた。 「でも、活気がないよ」 「ないほうがいいんだ。詩を書けばわかる」 「きみは書くの?」 「言葉はいつも、頭の中で回っている。書きとどめたのは一度だけ」 「いつ?」 きみは答えなかった。女の話が、また脳裏を漂った。 翌日、いつもの席にきみはいなかった。 その次の日も、次の次も、いなかった。 一緒に歩いた道が、僕をあてどもなくさまよわせた。 一週間後、僕はペンと紙を持ち、ベンチに腰かけ きみに関して、知るかぎりのことを書いてみた。 すべては紙の半面にも満たなかった。 過去は詩のように断片的で、か弱かった。 僕はペンを置いて、その紙を折り紙がわりに遊んだ。 数分後、不格好な帆船ができていた。 水面に置くと、風になびいて ゆっくりと、亡霊のように 池の中心に迫っていった。
夜行 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 707.5
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-19
コメント日時 2024-06-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
お上手ですね。綺麗だし重みのあるコミュニケーションがそれでいて幻想的です。詩が頼りない存在に描かれて命のようです。
1詩についての詩とよみました。酒に頼るとあらわれるきみは僕の手を取り記憶といった経験を私情として謎らえてくれる。すべては風の向くまま、深窓の中心に迫るようでも在りました。なんてね☆ 巧いっすね、良いもん読んだ、ごちそーさまでした!
1ありがとうございます。 私が詩を書いている理由は、詳しくは言いませんが、どこか邪念な気がします。だから、詩に対する疑念、私の気持ちが、この詩にこもっているのでしょう。
1ありがとうございます。 まだまだ深層までは、到達できていないと自分では思っています。そこはこれから、たくさん考え、書き、彫琢していく所存です。
1うーん、かっこいいです。文体(と言っていいのでしょうか)もクリスプで会話のところは第三の新人といった趣きを感じました。最後の池の中心に亡霊のように流れていくところも良かったです。
1「ザ.フェデラリスト.ペーパーズ」1787~1788 この政治論評をハミルトンと共同で書き終えたJ.マディソン(第四代アメリカ合衆国大統領)はスコッチに酔いながら湖畔を眺めていた。部屋には暖炉が灯る静かな秋の夜だった。振り返るのは(o’ Say can you see,by tha dawn's early light )この1814年当時の英米戦争。イギリス海軍に捕縛されていた詩人(弁護士)の「フランシス.スコット.キー」が朝焼けの中で見たはためく星条旗を。あの激しい砲撃にもかかわらず尚も味方の砦は死守されていたことを。彼はこの感動を後に詩に掲げるのだ。 「The Starーspangled Banner」 机に置かれた二冊の書籍。マディソンはいまでは何もなかったかのような心持ちで眺めていたのだ。……という想像をしてみました。 すみません。
1おしなべて最近の投稿者さんたちの文章には 詩がないんだなあ、これが。それが非常に残念だ。 論理と、(いい意味でもなく悪い意味でもない)我が先走って 精神性が置き去りにされている。 精神性は文体に宿るのであって論理に宿るのではない。 まして(いい意味でもなく悪い意味でもない)我に宿るでもない。 ゆえにこの文章で"詩"は置き去りにされている。 投稿者さまはコメントでこれを詩と語っているが、ありえない。 ありえないと思いますね。
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