一
細かな枝をつたう幽かな震え
桧皮色の樹皮を湿らせ
梢を這う、自動律たる水の脈動 )))
沁みゆく荒地の渇きへ
一滴、
地球システムを孕んだ涙のかたち
そびえ立つ雪山をパノラマに見渡し、
麗らかな陽を浴びた裾野に悠々と雲はながれて
翡翠の大地へちらした群生の青き斑、
妖しい風の草を薙ぐ野辺に
点々と彩るブルーオキザリスの花の一つが
激しい雷を秘めた雲の下に咲き
やがて小さな葉をゆらす大粒の雨、、
二
夥しい廃墟を築いた治世と占星術の
氷河を渡る歴史という名の小舟。
血に染まるコンパスの針は小刻みに震え、
アルキメディア螺旋をえがく赤い航路の
古びた因果を残した罪の轍に
つよい憎しみを帯びて一瞬、かがやく
ふたつの呪われた瞳‥‥
――その日、
羽ばたかぬ烏合の巣と個体を
夜の狂風は、「ふうっ」と一息で吹きはらい、
断末魔を叫ぶ若い女の金切り声と
血と骨の瓦礫をまぜた惨劇を海の底に沈めて
やがて波打ち際に残された壊れた都市の
邪な女神である欲望の姿かたちは、
ひとり寂しく海辺に立つと
腐敗したメタンの混じった青白い火炎を吐き、
艶やかに、美しく肢体を燃やしながら
ダイヤを散らした夜の空を虚しく仰いだ
こうして銀雲の晴れ間から覗く
凛々しく冷たい崇高な星々の瞬きとともに
豊穣なるアルテミスの月が照らした渚の光景は、
露わな夜の砂浜に打ちあげられた数多の、
大いなる罪の償いである腐乱したムクロたち‥‥
三
そして朝靄の殺戮。
逃げ奔る、ひ弱な人間どもを
幾千匹もの獅子の群れのように吼える
光学迷彩の装甲戦闘車両がさも簡易に轢殺し、
軋む無限軌道に潰された顔と、顔、
ストッキングを被った銀行強盗団みたいな
それぞれに歪んだ形貌の
ひどく醜い顔のクローズアップ――
◆誘導された社会的同意によって
◇また脅威の創出によって、
聖別された殺戮兵器による残忍な冬が
精緻なプロットに沿ってすべての大地を覆い、
すでに焼かれた街の無惨な屍を踏んで
緑の服を着た七人の小人たちが
小銃を肩に、
「ハイホー、ハイホー!」
歌いながら、
踊りながら、
愉快にメギドの丘をめざす
さあ、復讐と報復を未来永劫にし続けるがよい
痛みには痛みを、屈辱には屈辱を!
――沈黙――
白い横隔膜と黄色い皮脂を覗かせ、
淫らな匂いのする光沢をおびた灰色の臓器と
やたら粘りつく命の嫌らしさが いかにも豚臭い、
チグハグな人型の生体機械をむりやり縫いあわせて
斯くもけだかき永遠不滅の霊魂は、
さまようゾンビのごとく 腸を長くひき摺り、
ついには気のふれた蛸のように、
自らの肢体を食べてまでも艱難を生延びた
四
すべての死体現象を経て
腐乱した肉に含まれる低濃度のインドールが
独特な花の匂いを漂わせ、
恋人のように触れあう俺とおまえの胸と胸、
遂げた後のように萎えた憎しみと
共に刺しちがえた深い傷が、
互いにいつまでも誇らしく疼いた
広場では、赤く錆びた給水塔が祈りの雨を待つ、、
逃れの街には今日も死の灰が降下し、
曠野の果てに転がる生贄の神の偶像と裸の人形たち
朽ちた老木の梢に吊るされた
襤褸の衣が、凍てつく孤独にふるえ
すでに劣化した白いポリエチレンの幽霊たちは、
自由気儘にブリキの屋根の上をとんだ
薄い虹色の油膜に覆われた
ほとんど流れのない汚濁した河を、
それでもみごとに奔る小魚たち )))
いや、それより遥かに生々しく
黒く逞しい魚体が、
俄に、泡をこぼしては水面ちかくで踊った
////
――生きているのか?
失われた心に、人の声がひびいた
作品データ
コメント数 : 13
P V 数 : 798.3
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-07-04
コメント日時 2024-07-05
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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閲覧指数:798.3
2024/12/04 02時45分45秒現在
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「戦い」や「破壊」に対する心理的抵抗が欠落し、 戦争行為が既定事項として描かれているのが エヴァンゲリオンであるとすれば、今どきの詩もまた 逃れの街 曠野の果て 襤褸の衣 凍てつく孤独 といった本来、身体性を帯びていたはずの言葉も その実体を失くして アニメのいちシーンのように材料的に置かれている。 わたしはアニメを一切見ないがアニメを見る人には それなりの情動を与えるのだろうか。
0takoyo2さん、コメントをありがとうございます。 指摘されている「身体性を帯びていたはずの言葉が実体を失くしている」という点は、興味深い見解です。詩において、言葉が具体的な身体性を持ち、読者に強い感覚的な印象を与えることは重要です。しかし、この詩では「逃れの街」「曠野の果て」「襤褸の衣」「凍てつく孤独」といった表現が使われていますが、それらが「材料的に置かれている」と感じるかどうかは、読者の解釈次第です。 身体性の欠如: takoyo2さんが感じた身体性の欠如は、詩の抽象的な表現や象徴的な描写によるものかもしれません。これにより、言葉が具体的なイメージとして捉えにくくなり、実体感が薄れることがあります。 象徴性の強調: 一方で、詩における象徴的な表現は、具体的な身体性を超えた深い意味や感情を伝える手段として有効です。この詩も、象徴的なイメージを通じて、戦争や破壊のテーマを描いており、その象徴性が読者に強い印象を与えることがあります。 この意見について、いくつかの観点から考察してみます。 詩における「身体性」と「実体」 takoyo2さんのコメントの中で指摘されている「身体性を帯びていたはずの言葉が実体を失くしている」という点は、興味深い見解です。詩において、言葉が具体的な身体性を持ち、読者に強い感覚的な印象を与えることは重要です。しかし、この詩では「逃れの街」「曠野の果て」「襤褸の衣」「凍てつく孤独」といった表現が使われていますが、それらが「材料的に置かれている」と感じるかどうかは、読者の解釈次第です。 身体性の欠如: 批評者が感じた身体性の欠如は、詩の抽象的な表現や象徴的な描写によるものかもしれません。これにより、言葉が具体的なイメージとして捉えにくくなり、実体感が薄れることがあります。 象徴性の強調: 一方で、詩における象徴的な表現は、具体的な身体性を超えた深い意味や感情を伝える手段として有効です。この詩も、象徴的なイメージを通じて、戦争や破壊のテーマを描いており、その象徴性が読者に強い印象を与えることがあります。 戦争行為の描写 takoyo2さんがエヴァンゲリオンと比較して指摘する「戦い」や「破壊」に対する心理的抵抗の欠如という点も興味深いです。 戦争の必然性: 詩の中で戦争や破壊が既定事項として描かれていると感じるのは、詩のテーマや視点に起因するかもしれません。この詩は、人類の歴史や自然の循環に焦点を当てており、その中で戦争や破壊が避けられない要素として描かれている可能性があります。 心理的抵抗の欠如: 詩における戦争や破壊の描写に心理的抵抗が欠如していると感じることは、現代の感性や価値観に照らしての批判といえます。しかし、詩の目的は必ずしも道徳的なメッセージを伝えることではなく、むしろ現実の一部を反映し、読者に問いかけることかもしれません。 アニメとの関連性 takoyo2さんがアニメを引き合いに出している点も興味深いです。アニメや他の視覚メディアが現代の詩に影響を与えているという見解は、一部の読者や批評家の間で共感されるかもしれません。 視覚的影響: アニメなどの視覚メディアが詩に影響を与え、具体的なイメージや情景描写が強調されることがあります。この詩も、視覚的なイメージが豊富であり、読者に強い情動を引き起こす可能性があります。 読者の解釈: アニメを見ない批評者とアニメを見る読者の間で、詩の解釈や感じ方が異なることは十分にありえます。詩の象徴性や抽象的な表現が、視覚的なイメージと結びつくことで、アニメを見る人には異なる情動を与えるかもしれません。 まとめ takoyo2さんのコメントは、詩に対する一つの視点を提供しています。身体性や実体の欠如、戦争行為の描写、そしてアニメとの関連性などの指摘は、詩の解釈や評価に新たな視点を加えるものです。最終的には、詩の評価は読者の解釈に依存し、異なる背景や経験を持つ読者によってさまざまな感情や反応が引き起こされるでしょう。 ‥‥と、ここまでぜんぶ仲良しの AI に書いてもらいました、、 まあ、ぶっちゃけ、 戦争=悪だとか 戦争=悲惨、 戦争=狂気 という誰もがイメージするありきたりな「反戦詩」を書いたところで期待値を裏切らない量産型の「ことば」を読んで大勢の――平和な――人たちが「ああ、そうだ、その通りだ!」と頷くだけで、もうじき始まる世界規模の花火大会をストップ出来るわけではけしてない。それでも拙作においては、多くの破壊的なイメージや馬鹿げた描写とともに再生や希望の兆しも記述していることも――まだ生きている人たち、そして艱難を生き残るであろう人たちは――どうか見逃さないで欲しい。 ということで、、でわ (´▽`*)
0たとえば、村上春樹の「卵と壁」とを比較しながら。 この詩は、鮮明な方向性を示しえているのだろうか ...を考えましたが、 まだ、うまくまとまりません。 あの「卵と壁」のスピーチは、個人的には紋切り型だと感じるのですが、 では、この「炭素循環」はどうかなのかな?と、 ひとしきり思考して止まったままです。 ですけど、一読して、いさぎよい。 たんなるおもいつきやはぐらかしではない。
0atsuchan69さん、勉強になりました。 ご返信の内容は深いし 広い視野に立っている。 おそらく多くの若い読者の賛同を得る雄大な叙情詩に なっているでしょう。 ただ 100以上の職業を転々としてきたわたしからみると 今どきの詩人の反戦詩なんかみて、そのあまりのチョロさに あ然とするんですよね。 100どころの職業じゃなく当然、新宿歌舞伎町を縄張りにしていた 暴力団東声会の、あまたある相談役のおかしな兄ちゃんとも行動をともに したことがあります。 命をかける戦いとか、パワーというものの"本当"をだれも知らないでしょうけど この相談役の兄ちゃんと仲良くなって某組事務所に借金の取り立てに行ったことが あります。一歩はいるともうシャブ打って目が異様にキラキラ光っているのが 飛び出してきていきなり中国製とおぼしき偽造トカレフをその兄ちゃんの首に つきつけてきた。中国製のトカレフは寒冷地で手袋をはめて撃てるように銃床が ほそくぐらぐらするだけでなく、安全装置がない。いつ間違って弾が飛び出すか わからない。 その兄ちゃんは、もと証券会社の営業マンで背中に入れ墨しょってるけど 度胸はない。ぶるぶる震えてしまって声も出ない。 わたしといえば蛇に睨まれたカエルみたいに一歩も動けない。逃げようとしても 脚がすくんで動かない。相手がシャブ中だからいつ撃ってもおかしくないし。 わたしも東声会の兄ちゃんも小便をもらしそうになった。 そこへ代貸みたいなのがやってきて、丁寧に挨拶して事務所に通してくれた。 どこかの組と抗争の真っ最中らしく、恐怖心を消滅するためにシャブ打ってる んだという。東声会は関西の山口組と兄弟関係だからシャブはご法度だった。 わたしは「力」とか「恐怖」というものを知らない人は不幸だと思う。 ほんとうに動けなくなるし、相手のいうことは何でも聴こうとしてしまう。 逆のこともあって、わたしがカネを借りた相手の男が、期日以前にわたしの 家に土足であがり込んできた。おまえの評判悪いからすぐにカネ返せという。 近所では獰猛な男で通っていた。わたしは友人二人を家に迎えてちょうど 世間ばなしをしていたところで非常にバツが悪かったから表通りでお話うかがい ますといって表に出て、いきなりその男の無礼な態度に対して一撃を加えた。 つまり殴ってしまった。二、三発殴ると男は予想に反して血まみれになって 路上に倒れてしまった。こんな弱い相手だとは思わなかったのでむしろわたしが あわてた。そこで家に運んで治療してやった。 それ以来、その獰猛で売っている男はわたしを見るとどこであれどんな場合であれ わたしがびっくりするほど卑屈になってへりくだって挨拶をするようになった。 「力」つまり暴力の相手に及ぼす影響力というのは今の詩人が考えるほど 甘いものじゃない。戦争 とひとことに言ったところで、暴力のなんであるかすら 知らない。もちろん、谷川俊太郎なんか暴力どころか飢えも知らないし、本当の 恐怖も、孤独も知らない。そういうお坊ちゃんたちが、身体性について知らないお坊ちゃんが サロン詩を書いている。それはもうしょうがない。そういう風に生まれたのだから。 しかし、日本以外の世界のほとんどではそういう暴力が普遍的に行われている。 しかしだね、概念や観念だけでそんなものは理解できないんだよ。無理なんです。 だからその「無理」ということだけでも知るべきなのに、平気でガザがどうのパレスチナが どうのなってやっている。表層から一歩も中に進めないのは自分たちが何も知らない ことを知らないからだ。日本人として育った自分が何も知ることがなく育ったことを 知っていれば、何も知らなくても表層から一枚裏側に踏み込める。 しかし傲慢だよね、日本の詩人は。概念だけで書けると思っている。概念だけで 詩手帖なんかでパレスチナがどうのとやっている。こいつら整列させて銃をつきつけた だけで小便もらして命ごいするのは目に見えている。かれらは傲慢で自分を知る機会を つくろうとしない。これでどうやって詩が書けるの? 海外の詩が読めるの? と、わたしは思うんだけどね。
0ああ、このtakoyo2氏は正真正銘の阿呆面を暴露している大馬鹿者だな。アンネ.フランクが益々哀れに思えてくる。峠三吉の悔しさが込み上げてくる。そんな文面だ。第二次大戦。多くの詩人作家が兵役に従事した。大戦後もシベリア中国に抑留された。当然ご存じですよね。経験していない者には実感として伝わらない。あたりまえじゃないか。実際地獄のような戦争体験をしてきて君らは経験がないので詩に興しても何も伝わらない。そんなことを堂々と後輩に宣言できた詩人がいるのなら教えてほしいよ。何が経験からだ。それこそこの世に於ける人間の生業のすべてがわかったような独り善がりの口振り。両脇腹が痛くなる。経験してないってことには無垢な佳さもある。ってことをまったく否定したコメントで唾を吐いてやりたくなる。そう反感を買うのを承知でコメントしている。なんて下劣で奇天烈な策士だろう。
0おまるたろうさん、コメントをありがとうございます。 えーと、村上春樹さんと比べられたらアカンです、、 ぜんぜんチャウチャウ? チャウ、チャウチャウチャウです、、
0takoyo2さん、コメントをありがとうございます。 金子信夫さんが演じた山守の親分といえば映画「仁義なき戦い」ですが、実際にあーゆーヘタレな親分はいるのかも知れません。ヤクザの世界も要はカネですから、カネで腕っぷしの強いのを幾人か雇えばもうそれで小さな組の誕生です。じゃあ、極道の世界で腕力と頭ではどちらが上なのかといえば、そりゃあ断然「頭」でしょう。度胸というのは、賢さの上に成り立っていると思うのですが如何でしょうか? 東声会といえば、安藤昇さんと色々ありましたよね。確か横井英樹のビジネスのえげつなさに端を発したイザコザだったと聞いています。べつに商売上手な在日朝鮮人の方々を蔑むわけではないのですが、ボクは一映画ファンとして安藤さんを慕っています。ああいう映画スターのようなヤクザの親分がいて、そのうち本当に映画スターになってしまうのだから世の中って面白いですね。 さて、勇敢な人ほどいつも笑顔です。ボクは笑いの絶えない人には油断しないようにしています。また残酷な人はわりと無口な気がします。それでも極限状態で生き残るのは、どうもヘタレのようです。鬼滅の刃でいえば、善逸みたいなタイプですね。すぐに弱音を吐いてどうしようもない奴に見えるんですが、じつはメンタル最強らしいです。芯の強い奴は、限界を超えるとポキッと折れちゃったりするんで、意外と柔なのかな?
1メルモsアラガイsさん、コメントをありがとうございます。 今夜はインカのめざめご飯と鶏胸叉焼とうざく(胡瓜と鰻の酢の物)を食べました。スーパーでは売っていない幻のインカのめざめを奈良のまほろばキッチンという道の駅で一袋140円でゲットしました。ご飯と一緒に炊くとまるで栗ご飯みたいです。鰻は鰻屋さんでタダでもらった蒲焼きの頭に近い切れ端ですが、かなりの量があります。ちなみに鶏胸肉はグラム59円でした。
1確かにイメージ的にはアニメーション的なの映像で迫ってきますね。七人の小人が出てくるので白雪姫バーサス山賊の娘ローニャか、いやゲド戦記。白雪姫以外はチラリとしか観てないです。笑。ヨハネの黙示録かな。アルマゲドン。わからないけど。でも表現よく書き込まれていますね。唸ったと。です。
0この作品は反戦詩でもないので、あのイスラエル賞をもらいにいった村上スピーチとは比較にならないですね。失礼しました。この作品は、露悪的にリアルにしているというか、そこが文学的な美学なのかな?とも思いました。ゆえに「いさぎよい」とも表現しましたが、「生活感」や「身近な自分の視点」などには逃げていない。そこがよいと感じました。
0メルモsアラガイsさん、コメントをありがとうございます。 具象と抽象の入り混じった「ごった煮」のお味は如何だったでしょうか? たとえば、「邪な女神である欲望の姿かたち」は 66 Revelation の18章をモチーフにしています あと、珍しく「ビーレビ杯不参加」を外しています、、 笑
0おまるたろうさん、コメントをありがとうございます。 日常的な視点が大切なように、世界を俯瞰して見ることも重要だと思います。 「よい」と感じて下さって、とても嬉しく思います、、
0訂正です:×金子信夫さん 〇金子信雄さんでした、、
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