作品投稿掲示板 - B-REVIEW

田邊容


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「うつわにしづか」きれいな言葉だと思いました。タイトルのフォント(MS明朝)だと特に。 いいなと思ったのは「嬰児の苔」「ヌメていた」など。 嬰児の苔、は始めえいじのこけ、と読みました。嬰、という字は櫻の旁でもあり新生児のイメージともあいまって桃色の無垢な印象があり、深い緑色の苔の古びた印象との落差が心地よかったです。 しかしいざ感想を書こうとしたとき、えいじ、では私の貧弱な端末では変換できず、みどりご、で探すと出てきました。そこで、作者の無意識では嬰児のみどり、という言葉につらなって苔、というみどりのものが引き出されてきたのかな、などと想像しました。 なんにせよ、離れているようで実は近いとも言えるような語の組み合わせが面白かったです。 ヌメていた、はよくわかりませんが周辺の語句との落差によりかえって作者にとってこうでなければならなかったのだろうという必然性を感じます。 この詩を読む前、個人的に気持ちが昂ぶっていたのが、読んでいく過程で不思議と鎮まっていきました。 思うに、この詩のもつ主に形態面での不均衡さや心電図の波形のようなとげとげしさ、他方で内容面での伝えてこなさ、伝えようとしていなさが、ちょうど防音室のトゲトゲのように無言でわたしの昂ぶりを吸い取ってくれたのでしょう。作者も書くことで安らぎを得ているのだろうか、などと思いました。 一点だけ、「儚せる」という語句があり、読み方を決めきれませんでした。 どういう読み方を想定されていたのでしょうか。 ・ボウせる、モウせる ・想定していない(字面のみの効果を期待した) ・うせる、きえうせる ・上記以外 字の扱いを知るのが好きなので、よろしければ教えていただけると嬉しいです。 乱文を失礼しました。 (おもえば、わたし。うつわにしづか)

2024-10-17

ここ一週間ほどのコメントを、まとめて返させていただきます。 返信ができておらず申し訳ありません。 率直に申しますと、理由は以下のとおりです。 ①内容にかかわることに作者が言及し、読者の楽しみを侵したくないと考えること ②直近でいただいているコメントが作品の出来を云々するものとはまた違って、内容の考察に近いものであったため、①の理由から作者が出る幕ではないと考えたこと ③元々コメントに時間がかかる質であること 主に上記の理由から返信が難しくありました。誤解を招いていましたら申し訳ありません。改めて申し上げるのですが、考察の類は、すべてありがたく拝見しています。個人的には、どこまで行って下さってもいいです(笑)。不快に思ったコメントはありませんでした。 読者としてこの場に参加できたらと思うほどみなさま盛り上げてくださっており、拙作がその場であることが光栄です。 atsuchan69様、 「悪役」を買って出て下さったことは、特にありがたかったです。 私自身、畏れ多くも学生の時分にゼミにて「ドラキュラ」の講読をしていたとき、性的なメタファーについてしどろもどろになりながら必死に説明をしたことがあります。担当教員は発表後よくやったというようなねぎらいの言葉(フォロー?)をくれました。避けては通れぬものに違いありません。 しかし、ここまで書いてきて思うのは、今作の文体が、「悪役」になることからなんとか逃れようとする私のあがきではなかったかということでした。 (もちろん、書かない、言わないのもひとつの重みある選択だと思います。そういうのは顔と顔を突き合わせて話すのが安心であったりもする) 創作において「悪役」を表面化するのも、心の力がいるのだろうなと、鍛えねばと、思わされております。 おまるたろう様、atsuchan69様が言及されている中上健次との関係で言えば、影響を明確に受けて(しまって)います。 ですので、今作を楽しんで下さった方で、まだ中上健次を未読の方がおられましたらぜひご一読をおすすめしたく思います。拙作の稚拙さが浮き彫りになることは避けられないとは思いますが、私自身が作品を相対化して先へ向かう意味でも、お読み下さった方の新たな物語の体験の可能性を開く意味でも、ひとつ明確な影響元の言明をしておきます。 スパムーチョ様、拙作にがっぷり四つであたって下さっているのがわかり、本当に喜んでおりますし光栄です。重ね重ねありがとうございますと申し上げるばかりです。内容の考察について私から何かを言うことは今のところしないでおきたいので、そこについて言えることはあまりないのですが、思考の航跡を公開してくださっていることを本当にありがたく思っております。嬉しく拝見しておりました。 コメントを下さったお一人お一人に改めて感謝をするとともに、推薦文として拙作を読解し、論じて下さった澤あづさ様にも心からの感謝を捧げたいと思います。ここまでたくさんのフィードバックを頂けたのは初めてですし、違いなく澤様の推薦文が契機になったと思っています。 現状では感謝の繰り返しに終始してしまうので、足りていないとは思いつついったん私のコメントは終わりにします。ありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-31

フィードバックをいただけることを嬉しく思います。 読み難さについて、こうして感想をいただくたび自分の未熟さを実感します。一方で、いざ書き始めるとこういう書き方でないとドライブしていけないところもあり、難しいです。 明晰な筋を語る勝負をすべきようにも思います。結局、どこかに忍耐が必要なのかもしれません。悩み中です。この悩みは悪いものではない気がしております。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-22

場面の捉えかたがかなり映像的だと思いました。マンガ的というのか。コマ割りまで見えそうです。新都社で連載されていたら読んでみたいです。 セリフではない平の文章は、要素がすべて並列に説明されており読みづらかったです。 絵はお書きにならないのですか? 世界観をうまく読者に呑み込ませることができたら、面白いと思いました。 (インソムニア)

2024-07-21

不当な差別の→不当な差別を受けてきた/いる です。失礼しました。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

死んだという「わたしの友だち」と、歴史的に不当な差別の「黒人たち」を重ねている内容に読めました。 語り手のリアリティとしては「わたしの友だち」のほうへ体重がかかっているはずだとまずは読むのですが、その場合「黒人たち」の扱いが本当に難しいと思う。さらっと触れて語れるような話題でもないし、まして当事者でなければ真に体重の乗った語りが不可能だと思う(作者が当事者でないと勝手に仮定してしまっていますが)。当事者以外がどれだけまじめぶって語ったところで軽々しくなることは避けられないので、むしろ >私は黒人たちの歴史を知らない。 というある意味で素直な語りは、強いて好意的に受け取るならば、誠実であると言えなくもない。 ただその場合、なぜ知ろうとしないのか、という話にもなってくる(どれだけ歴史的事実を調べても、「知る」ことは不可能である、という事実があるにせよ)。 つまるところ、この作品においては「わたしの友だち」との描写により多くの紙幅を割くべきだったのではないか、と愚考します。 現状、「彼の死の核心」に辿り着けないと嘆き、「傍観者」であると独白する語り手は、他者の死を自分のもとに引き寄せ、単に「題材」に回収してしまっているように思えました。「わたしの友だち」に関する情報がもっと盛り込まれていれば、違った印象を受けることになったかもしれません。あるいはこれでも目いっぱいだったのかもしれませんが、作品としては、もう少し説明があればいいなと。 しかしそれでも、作者の想像力は、優しさの行使に不可欠なものを含んでいると思いました。 ここまで書いていて、いろいろと自分にも跳ね返ってくるのを感じております。 失礼な事を申し上げていたらすみません。何か資する所があれば幸いです。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

聖書との対応について、改めて考えています。書き込むことには発見への期待が含まれているわけで、盛り込んだことはその時点では最善だったのですが、いまそれをもっと考える余地がある、と感じています。既にある強大な物語を援用することとそのやり方について。 言及して下さるおかげで、色んなことに気づけております。 >淡々とクローズアップして繋げてゆく 「淡々と」という印象を与えられていることがわかり嬉しいです。間違いなく過去作からの変化ですので。 月並みですが、既存の言葉ではわかってもらえないものをこそ、書けたらよいと思っています。 書けていないことが山のようにあると思います。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-18

感じたことを惜しみなく開示して下さりありがたいです。 言われてみればやはり私も、詩、は告白として書かれることが多いという感覚をたしかに持っています。 しかし仮に、告白であると感じさせるような詩であっても、語る時点で選別、作為、仮構性が立ち上がることは避けられないでしょう。ならば仮構の上で、つまり文字でしかできない在り方で真実であるにはどうすればよいかと(矛盾するようですが)思っていた気がします。 どうしてもガワの話をしてしまいます。でも本当に、ジャンルの話も畢竟そこまで重要ではないのかも。 そもそも物語、たしかに。しっくりきました。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-18

作者の力の及ばないところで働く大きな読者の力があることを実感しています。自分も読者としてこの力を持っていたんだなと。 コメントくださりありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-13

火垂るの墓もたしか兄妹でしたね。宮沢賢治もそうでしたね。思い出しました。あめゆじゅとてちて、とか。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-13

お読みくださりありがとうございます。 推薦文のパワーとありがたみを痛感しているところです。 丁寧に受けとめて下さっているのがわかり、感謝です。 わかりにくさは志向してしまうところでもあり、自分で自分を満足させる書き方を他に持ちませんでした。 また、わかりにくさは悪く言うなら書き手の臆病と自信のなさの表れです。読者が悪いことはありえません。読ませる、という評はありがたい限りです。 さらけだすことと隠すことをそれぞれ上手くやりたいです。 感情に沿って丁寧に読みすすんで下さっているのがわかります、感謝です。 読者の光が跳ね返る、うつくしい喩えですね。 そうあれかしと思いましたし、そうあったのならやはり読者の力に依ったのだと思います。 コメント冒頭の返詩もありがとうございます。その文化を通ってきていないのですが、これがそうかと納得できるほどすんなり咀嚼できました。 楽しんでいただけて何よりでした。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-13

小説寄りに同じく一票ですね。 仰るように好みの問題はあるのかもしれません。 書き手としてはもっと書かねばならないなあと思っております。 コメントすべて拝読しております。 色んな読みを開示してくださっています。ありがたいことです。 第一感で読みにくいと思ったものに取り組んでくださる営為、尊いものだと思います。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-13

こんにちは、 小説と散文詩の違いについて考えていました。 当面の答えとして、対話あるいは劇を成立させていれば小説、内省的語りが揺らぐことなく一貫すれば詩に近づく、というくらいでしょうか。 もっと考えなければと思います。 また、構造の部分でもっとスマートにできたのではないかといま思っています。それが可読性にも繋がり得たのではないかと。 小川国夫、存じませんでしたが面白そうです。かなり興味を惹かれております。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-13

>家族。人。どちらもいいものです。 軽い一言のようで本当は重いような、いややっぱり軽いような、不思議な気持になりました。 !がありました。何に驚いたのかまだよくわかりません。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-09

読むのが愉しかったとのお言葉、いただけてありがたく思います。 空間の狭さ、という表現が興味深いです。描写するのはこの世のことなので空間と狭さひろさの尺度が付随するのも当たり前といえば当たり前なのですが、あまり意識していなかったことに気づきました。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-09

励ましのお言葉、ありがたいです。 やはり構造や筋を逃さず追う形で読まれるところは、むしろこちらが勉強になります。 修辞にばかり興味がある期間が長かったのですが、ようやく筋や一貫性といった部分を意識するようになりました。そのことでかえって修辞が活きていることはあるかもしれません。 楽しみでなりません。誤読歓迎です。別様の可能性、作品のポテンシャルとして捉えます(そも真なる読解なるものがあるとも思っていません)。 とはいえ私の技量不足により読者を不要な混迷に導いてしまうことも当然考えられます。その場合は申し訳ない限りです。 今のところ改訂はしないつもりです、万が一不本意を感じるようなことがあれば次作にてリベンジすると思われます。 結局のところただただ自作がどう読まれたかの一端を知るのが楽しみなのです。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-08

リアリティのなさ、薄っぺらさはこれまで自覚してきたことでしたので、そう感じていただけたとわかりひとつ安堵しています。 コメントありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-08

ふたたびコメントありがとうございます。 小説とも詩とも、どちらとも読めてしまうものを読み手に委ねわたすことについて、もっと考えてもよかったのかなとまたコメントをいただいて感じました。つまり散文詩、散文体とその意義について。 詩としての強さ、あるいは仮に小説ですと言って開陳するための強さ、必然性をじわじわ考えていきたいです。 この詩(と言ってしまいますが)の各要素がのつながりが活きているかどうか疑問符がつくのも、そこを考えると糸口が掴めそうな気がしています。 前作に比しての所見、とても有難いです。 ありがとうございます。 (葉舟)

2024-07-01

たのしくお読みいただけたことがわかり、ありがたい限りです。一年ぶりとなってしまいました。 前作と流れが似ているのは、仰る通りです。 本当に語るべきテーマは人間そんなにたくさん持っていない、同じテーマを何回書いてもいい、という言説をどこかで目にし、確かめたくなっていました。 説明しても言い訳のように聴こえますね。 いや実際言い訳なのです。 最後の一文、言及いただけて嬉しいです。カッコいいでしょ?と自分でも言いたくなります、目の前で話させていただいていたならそう返していてもおかしくない。 しかしそう言えてしまうのが、決定的に自分に、自作に足りないところがある証左でもあると思うのです。 しかし愉しんで頂けたことがわかるのが一種の救いです。 コメントくださりありがとうございます。 (葉舟)

2024-06-30

お読みくださりありがとうございます。 すみません、応募の受付期間外であることを知らず、確認不足でした。 ご助言ありがたく頂戴します。 虚と実(の越境)、という示唆をいただいて考えました。 「目眩の様な感覚」、読字におけるずれの快楽のようなものは、自分なりに追求してきたつもりでいました。ご助言をうけて改めて気づいたのですが、私はどうもそれを修辞のレベルでばかり追求していたようです。 虚実というのも考えてみれは色んなレベルでの虚実があり、それぞれの混ざり方がある。考えることは多そうです。 近頃行き詰まり気味で、気づけてよかったことが多々ありました。 コメントくださりありがとうございます。 (葉舟)

2024-06-30

私事で恐縮ですが、友人と出かけると、細かい気遣いや意見の折衝で疲れて帰ることもしばしばです。しかし「あの時のお前めっちゃ面白かったで」と、私自身覚えていないようなことを覚えていてくれるのも友人です。楽しい昔話がそこでは語られる。 嘘には色々ありますが、ここでの嘘は自分に吐く嘘のように思えます。 こんなに自分は楽しい時間を過ごした、と。時が経つに連れて、本当に楽しかったことと楽しもうとしただけのことの境目がわからなくなる。いや、境目など最初からなかった。だから、一人で行くと(いつしか)嘘になってしまう。というように読みました。ここでいう嘘とは、あやふやさとでも言い換えられそうです。 「仲間」と出発した時点で、見られる自分、つまり一面的に見られた、客観的事実としての自分が担保される。他者像を互いに反復しあうことは、それこそ嘘であるのかもしれませんが、少なくともあやふやさという意味での嘘は排除できる。 穿った解釈かもしれませんが、この詩の焦点のあて方がよいと思いました。 終わりに、このコメントをひとり書いている最中にも、他者の視線から得られる快楽を享受していたことを告白して〆たいと思います。とても刺さった作品でした。 (魚釣り)

2023-08-25

お返事遅れてすみません。 トレイラーを見る限りかなり惹かれました。 観たい映画リストに加えました。 ありがとうございます! (花鉢)

2023-08-21

お褒めの言葉としてありがたくお受けします。 しかし事実、お金を貰えたことはありませんので、何とも言い難いです。 わかりやすさとわかりにくさに関して、励ましを頂きました。基本的に同意です。 そもそも、読者としての我々はどこまでサービスを欲しがっているだろうか……などと考えてしまいます。もちろん欲しいサービスもあるのですが、流動食を求めているわけではないのは明らかです。 「エイリアン」、「鳥」、どちらも観たことがありません。ちょっと興味が湧いてきました。 こちらこそ、駄文を失礼しました。 コメントありがとうございました。 (花鉢)

2023-08-14

文体に対して注意を向けておられます。私もそういう癖がありますので、興味深く拝読しました。 個人的に自由間接話法が好きなのでよく使ってしまいます。 一般にいわゆる現代詩は「自由」「なんでもあり」というイメージの付きまとう形態であると思います。だからこそ、書き手は自分で規則を作りあげるのだと、昔どこかで目にしました。うろ覚えですが、納得しています。 > この小説の特徴のもうひとつは と書いて下さっていますが、今作は語ることに意識的だったので、語りの芸としての「小説」として解釈できる素地があると判断されていれば嬉しいです。 今回目指した規則は、「誰かを語る誰かを語る」ということになるでしょうか。個人的には目指せたこと自体が進歩でした。 反面、時制や場面の提示については、もっと技術があれば情念を減衰させぬままさらに判りやすく書けるのだろうと思います。今の私には両立は不可能でした。精進します。 残念ながら浄瑠璃にほとんど知識がなく、感覚的なところでの理解ができないのですが、通俗的というキーワードを頂いて考えます。 結局は何か純粋なものを描き出したいのですよね。その過程で、聖俗のコントラストを避けては通れない。それがやっと腑に落ちたので、 > 通俗的な感性や感情の発露 を読み取っていただけるような書き方ができたのかもしれません。 つらつらと書き連ねてしまいました。見当外れのお返事になっていたらご容赦下さい。 コメントありがとうございました。 (花鉢)

2023-08-14

どうかお気になさらず。 批評は言わずもがなですが、対して違った読解を提示して下さっているのもありがたいです。 読ませて頂いています、ありがとうございます。 (花鉢)

2023-08-14

年々、方言のある作品に魅力を感じるようになってきて、自分でも使うべきだと思うようになりました。特徴のある方言ネイティブに対して、浅薄にも憧れがあります。高知や、広島、北海道なども。 まだ文体は借り物です。何度も同じ言葉に下線を引くような淀んだ筆致は、以前なら選べませんでした。結果、起伏が生まれていたとのこと、効果的であったと確認ができてよかったです。 感想を下さり、ありがとうございました。 (花鉢)

2023-08-12

最近あついですね。わたしのところはとても蒸します。いまは日本中どこもでしょうか。 今までは、上手く言えませんが、読み手を巻き込もう、吸い寄せようとする文体でしか書けず、年を重ねるにつれ変化してくる気持ちとの乖離がありました。今回、しっくりくる文体を使えたので情動の伝導率がかえって高いまま書けたように思います。提示だけを続ける、行動で示す文体というのか。 暑い日が続きます、ご自愛下さい。 コメントくださり、ありがとうございました。 (花鉢)

2023-08-12

お読み下さりありがとうございます。 着目していただいた冒頭、推敲時に、全体の統一感という点から見ると少し浮いているかなと懸念をしていました。最終的には全体のバランスを考えて、許容範囲内だろうと思い削らなかったのですが、読み込んでいただけたので残しておいてよかったです。鋭い読みだと思いました。 読む人によって幾通りも意味が現れてくるような作品を作りたいと思っています。技量が足りていない自覚はあります。精進いたします。 コメントありがとうございました。 (花鉢)

2023-07-14

黒い丸=誰かが吐き出したものへと、目が吸われ、落ちていく、というイメージがとてもなまなましく、読んでいて気持ちよかったです。 黒い丸は、宇宙におけるブラックホールのイメージにつながっているようですし、それが「幾万の動き続ける手と足と口」のひしめきの隙間にひとつ、あるいはもっと落ちているということ。 存在を訴えること=社会的に立ち止まることになる、という図式とその葛藤が端的に語られているように読めました。 全体に無駄が削ぎ落とされた、誠実な構成だと思いました。 無理に欠点を挙げようとするなら、大勢の他者に、無力な一人の自分が対比される視点がいくぶん硬直的かなと感じます。もっと遠くの視点まで導いてもらえたなら、さらに新鮮な体験になったろうと愚考します。 (梅田駅連絡橋)

2023-07-11

かつて言及されていたのを拝見し、ドナルドバーセルミの「死父」、買って読みました。延々と続く会話が刺激的でした。 (詩の日めくり 二〇二一年一月一日─三十一日)

2023-07-11

好きになってもらえてよかったです。 読まれて、何らかの記憶や感情を呼び起こせたなら書いた意義があろうというものです。 わたしはきっと視界の全てにビルが立っているところではとても寂しくなると思うんですね。こんなに人がいるのに誰とも知り合いではないと。 でもその寂しさは、仰っている"誰かと人生をシェアしているとでもいうような"感覚と本質的には同根のものかもしれないと思いました。 初め感想を頂いたとき、そんなふうに読むのか、自分はそうは思わない、と思っていたのです。つまり、関係を想うことを書いていたのではなく、関係を区切り、捨てることを書いていたつもりだったのです。 しかしそのことを踏まえて自作を再読すると、なるほどそうとしか読めないのです。 そもそもここに投稿することが、関係への欲望以外の何ものでもないですよね。 感想(と解釈しています)を頂けて、とてもよかったです。 ありがとうございました。 (花鉢)

2023-07-11

お読みいただけていたら幸いです。 (花鉢)

2023-07-11

今作は、言及して下さっている通り、文体の密度を上げて書けたこと、そして一貫性を持つようにして書けたことが自分の中での達成でした。 これまで文の凝縮について指摘してもらうことが幾度もあったので、ひとつの回答として提示できたように思います。 感想を頂戴して、とても喜んでおります。 しかし、その上で改善の余地について指摘をもらえること、これがやはりじわじわと嬉しいです。 ご指摘は、言われてみればまさしくな部分でした。 場面の描写や状況の提示は、感情の起伏でも筆の乗りでもなく技術だと思いますので、課題にします。指摘いただけて、意識の俎上に載せることができました。 ありがとうございました。 (花鉢)

2023-07-10

こんにちは。 お読み下さりありがとうございます。 土地のイメージが喚起できたようでよかったです。実際、この作品で唯一実体験の部分です。 テーマというのか、思い巡らせたことをフィードバックして下さって、ありがとうございます。どこまで書けていたのかなと知りたいのです。参考になります。 思い出を払拭する、あるいはそれが原動力になっている、というのはきっとその通りです。しかしいわゆる実体験を元にして書いた訳ではありません。書くことでいったい何を払拭しようとするのか。 楽しみな自省への示唆を頂きました。 コメント、ありがとうございました。 (花鉢)

2023-07-08

こんにちは。 率直なご意見、ありがたく思います。 全体として意味を汲み取ることができなかった、というのがまさに課題であると感じます。 一行一行が筆者の血を用いた絵の具だとして、血を流したことだけで満足してしまっていた、絵を描く覚悟が足りていなかったといま恥さえ覚えています。 恥を覚えられることを嬉しく思います。 美しいという箇所を列挙していただき、少しの光明とともにまた詩作ができそうです。 コメントありがとうございました。 (連頭越しの式)

2023-05-06

フレーズを楽しんでくださったのでしょうか、嬉しく思います。 叙情は込めたつもりですが、しかし読み取ってもらえなければないようなものです。 コメントをしていただき、自分でもなにか確かめられた気がしています。 ありがとうございました。 (連頭越しの式)

2023-05-06

イメージを浮かばせることができたのならひとまずそこはうまく書けたのかもしれません。参考にさせていただきます。 コメントありがとうございました。 (ごっこ)

2023-02-25

わたしも子供のころを思い出すことが度々あります。でも良し悪しですね。 コメントありがとうございます。 (ごっこ)

2023-02-25

たしかにそれはおもしろいです。おじさんが自分の父親だとわかったら、もっとおもしろいかもなんて思いました。 コメントありがとうございます。 (ごっこ)

2023-02-25

ためになったと言っていただけたのがよかったです。なにかが目に見えないものならば、暗いところはむしろ近くに感じられるのかもしれません。挙げられている曲を知らなかったのですが、世界が少し広がりました。 コメントありがとうございます。 (ごっこ)

2023-02-25

意味の不在というのは不勉強にてよくわからなかったのですが、ごっこ遊びにただ終わりがない、ではなく"明確な"終わりがない、というのがより微妙な世界を捉えているようで興味深く拝読しました。 コメントありがとうございます。 (ごっこ)

2023-02-25

部分部分が何か作者が言おうとすることの深いところに繋がっているのではないかと感じられたのですが、全体としてイメージがいくらかぼんやりとしている印象を受けました。 「わたしをあかさとして/見るふりをして」だったり、「わたしの上唇と下唇の/あいだから/かすかに/生命のいた匂いがして」などの言葉選びが好みでした。 (落陽)

2023-02-17

>みな これがあたたかい椿だ この箇所が印象に残りました(切り取り方が作者の想定通りかわかりませんが)。 『椿』の旁からして、春と読んでしまってもいいのか。気持ちのいい空目でした。 >ガンバコに夢奔らせ、 いきなり出てきた言葉が謎で、調べました。子供の遊びのことで合っているでしょうか。時々子供のころを思い出して懐かしさに不意に襲われる感覚と、作品全体のぶつ切り/飛躍の感覚が重なっていてここは好きでした。 意図、であったりレース場、であったり服飾関係のイメージが背後にちらつく一部の言葉選びも面白かったです。 ただ全体的には、強い言葉が渋滞している印象で、書かれるときには快楽でも読まれるときにはそうではない箇所が多い気がしました。 (as)

2022-04-02

面白く感じた箇所を挙げて下さりありがとうございます。 いいと思ったことが伝わりうることを確認できて安堵しました。 コメントを興味深く読ませていただきました。挙げて下さった以外の箇所との違いもわかった気がします。その他の箇所はおそらくイメージが散らかりすぎているのですね。脱線の快楽のためにはまず路線が敷かれていなければならない、と。 空目する気持ちよさ、広くいうなら認識を裏切られる気持ちよさを作りたかったように思います。裏切るにしても出発点と着地点をきちんと作らなければ面白さは味わえないのだ、ということが腑に落ちました。 頂いたコメントが考えるきっかけになり、とても有益でした。ありがとうございました。 (わた)

2022-04-01

何かしら資するところがあったなら幸いです。全体の構成に関してはジョイスのユリシーズが念頭にありました。今思うと使いこなせているとは言えないですね。 コメント下さりありがとうございます。 (星の星.)

2022-03-31

しろねこ賞の時の投稿を記憶してくださっていたとのこと、ありがたい限りです。 タイトルは"."も含めて、自分の中では執着のある部分だったので言及していただけて喜びました。 私が創作物に期待するのは、色んな感情でごちゃごちゃになって、でも何かが確かめられる、そんな感覚です。書く側としてどれだけできているのかわかりませんが。 心が震えたと感想をいただけるのがとにかく嬉しいです。 ありがとうございました。 (星の星.)

2022-03-30

>日常的なありようでは語れない言葉で語れなさを語る 形容していただいて納得するような気持ちになりました。読まれて人の内でそうなるものが書けたらいいなと。 日常レベルの言語ルールの息苦しさから逃れる手段に、私たちはまた言葉を選んでしまっている。 人に使われるとき言葉は傷つくのでしょうが、その傷つけ方をいいようにやれたらと思います。 ロシア、ウクライナの状況についての要素がこのスタイルで意識的に書き込めていたとしたら、めっちゃ格好よかったでしょう。でも私の中でそれらの状況は今だ意識して書くほどに内面化されておらず、残念ながらそこまで意図していたわけではありませんでした。 そこが繋がったのはひとえに藤さんの読みの力だと思います。 色々と考える機会になりました。こちらこそありがとうございました。 (星の星.)

2022-03-30

自分の書き物が知らないところで声に出して読まれたという事実。嬉しいです。 ありがとうございます。 (星の星.)

2022-03-28

好ましい箇所を挙げてくださりありがとうございます。 >それ以外は好印象です。 と言ってくださっているということは、音だけ同じ別の漢字をあてた箇所は琴線に触れなかった、もしくは良くない、ということですね。 このような操作は、ともすれば独りよがりになりかねないとわかってはいるつもりですが、イメージが膨らむのが気持ちよくやってしまったんですよね。その分きちんとまとめるには注意が必要で、今回はその努力を怠ってしまったように思います。 非常に参考になりました。 コメントをありがとうございました。 (わた)

2022-03-26

根底に形にしたいことが高い温度をもってあるんだろうと思えました。 > 触れられるもののことを、影というのだって。 > (今思い返せば、そのときぼくは靴を履いていなかった。) この箇所がとても好きです。言葉の意味を越えて感じるものがありました。 > きみが目の下に叩いた星々 ここも好きです。全体的に、美化を恐れない語り口で語られ、記憶が過剰に綺麗に再構成・再演されているような印象を本作から受けたのですが、この箇所だけ生々しさが隠せずに滲んでいる気がして。 文体における飛躍や切断は読んでいて気持ちがよかったです。 内容についてはなんとも言えません。やっぱり、もう少し抑制が欲しいでしょうか。それでむしろ強まるものもあるはずだと思います。もちろん、心が向かうところを最優先にするべきなのは言うまでもないですが。 作者にとってはとにかく熱量を注ぎ込めるかどうかが大事だったのだろうし、それは充分成功だと思います。 (閃光)

2022-03-26

 わた 詩人に偽証されたうつくしいももどかしさも ずっと北国の凍土の下に蹄もつ獣の臼歯からやましい明日の夕食の献立に引き裂かれてはぬるむ さむいさむいひとりからしたたる肉汁のわけ わかるとしてもわかってやりたくはない だって月が出てるでしょう 日が周るでしょあんたが発かれた日も 諂い語の教条を捨てただけで 律法者みたいな顔して 誰がひみつを画してるの? 聞いたのに、答えがないのが答えでした。 塑像してごらんひとつひとつの機械を おまえひとつの詞も嘆られないぜ ずっとおくでどくどくいってる 胸郭も新月も敵でもいい ふるい箇条は忘れてもいい ぜらちんしつの後悔とかが 庭先にうちあげられ腹を晒される水槽とおなじに 意味を吝んだのだ。ゆめられない鍵笑うって自傷だ はんだんちゅうしなぞしてやらねえぞ 散大した熱がこの世に永続する わたしははじまりですと はぎれの裾に別けられる区などないように それもも恥じて幸せあったように わかっているよ誇張法でしか喋れないんだろう 蹄鉄も鐙もはるかとおく夢に埋めもどして あとには嫌いとだけいう余熱のかたわれ さよならわたしのわた 嘘つきのぶんの膨らみをいっしょになぞった 生物の進化が停まった夜の広告から 春占いにひとつまみ溶けていた 貨物列車のひかり 雨が上がるとあなたの頚筋を虹が抉っていた 知らない町の眺めかたを たぶん ずっと知らないままがいい (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-20

 星の星. みていろ 空の色は かわらないのにもう次の日になった ――0時に くらやみのなかで われらはいつも欲望をまちがう 海のない町に住む 電車は夜半までごとごとうたう 渇いたのどは色水でなくとも潤うのに 星のような自販機に ひきよせられてみたりする またあなたでなくとも ――1時42分に 夜眠ると あなたがいて 星霜のうちの たったひとつのことだけ唇に 載せようとする それはもう言訳みたいには響かない 眠る そのからだの 深みに触れてひとつ星が逃げていくいつだったか夢を 捏造したとき いつもどこか悲しい予感が 玄関が開けっ放しなのが 外で みえない山向こうの空の下で起こることが後になって知らされる気がした ――5時17分に 恥ずかしいことがいくつあるだろう 煙突掃除夫のあたまのうえ.まだきらめいている朝の星 はなれたところにも いろんなものを残してきた 故里ではつきまとうように 波のおとが つくづくあれは薄紗を被ったろうか はだしで けもののようだったのに すべて幻想だ もう呟きもしないでいたらいい もうこれ以上 ! ! みていたのは 幻想だったのに 知らない町にいても 痛かったことなんて忘れても 厚くなった皮に 瞳のうらがわに 品のない冗談に 逆光のように残っているよ 残っている ――7時半に 言葉が曙光ほど明らかに伝わることもあれば、あなたには絡まりきったテレビの裏のようにめんどうくさいこともある。どちらにしてもひどすぎる。わたしらは万能鍵を押し戴いたのではなかったか。いや、機能していないのはきっと、鍵を回す指のほうだな。あなたは、わたしは、どう斗ってもいいのに。 ――10時に あらゆる場所を旅したね 頁を繰って あらゆる人になって あらゆる人に恋して あらゆる人を殺して あらゆる人として死んだ 形も文字も液晶もくそくらえ そのどこにもない時間が 事実が血になって躰のうちを滴る おまえといっしょにいた 生まれ変わってひとつになろうと口約束をした 契約にならない唇でおした判 約束を 人だけがしている ――真昼に 少しずつ生活は生活になる 自分をさいごは土に埋めることを 思ってるの? まだ朱い夏にあって このまとわりつくような静けさは? 昨日に託す、 おとといに託す しわのよった制服に黄色かった通学鞄に忘れることのできない幼い過ちに .託す.託す.託す 一億年まえの ひょっこりとした昼下りの出遭いに 遠いと思っていたどこでもない土地は 象をとろうとしてる 掻き混ぜてできた島みたいに 保険や年金の封筒と 毛虫のように更新される社会網に なんの準備をしているんだろう内側で なにかがとろけ それは 音もたてない ――14時33分に 砂浜のつめたい砂に独り臀を降ろして、いままで褒めてもらった譬喩をひとつまたひとつと海に棄てていく。その終わりになにが訪れるかを予感をいなんで。恥しさ貴さ卑しさ崇さぜんぶ引潮。 ――17時に 結婚式からかえるとき ひどくひとりがこたえた 話していれば気づかないとはおれもばかだよ 書店で買い込んだ本と漫画は 空虚などではなかったろうな? うちひしがれている として 何にだ? 新郎はむかしと変わらない 笑顔だった あれができるか? ひとのために、じぶんのために 救いの断片に思えたものは 木目町の路地で歌うギターひき 最後のひとりと別れてからの約百歩 大型書店の効きすぎた暖房なんかさ そして滓のように脳裏に残った 両手の組み方 ひかりの列車が からだをなじんだ町へと返す ひとえきひとえき近づくごとに 決意が鈍っていくのをおれは知ってる 雪に降られた路上駐車の去ったあとみたいに そのおおきさを測っている ――20時に いつからかしずかな 海へと下りてきてしまったね あやうくまぶしい季節がおわり 太陽も月も(海星もね) ひとしく来たるし ひとしく遷るとわかる ねえ 闇は 思っていたよりすこしあかるく ねがうよりもすこしだけくらいのだな これからさきの だいたい無限回くらいのながれ星を かくしたり ぬりつぶさなかったりする ――21時に 液化した思いあがりを海に流して バイバイ と 言おう ひとつかみの卑しさを今晩の あなたの枕の下へしのばせる いろいろなものがはずかしめなので きっと消えかけで気づいた虹に希望をだぶらせた. 打ち寄せる波.波..波にゆ.られて喪われたあなたの躰が帰って来る 妙につややかで りんごあめ いちごあめ ぶどうあめのしろじろと 長い便にゆられてわたしも忘れてしまった 何が裏通りの稚さで起こったか 攪乱されてる 秘密めいてる 昨日に昨日を重ねすぎてる かがやく冷蔵庫のなか. ときはとまってみえただけ ――22時50分に 冷たいのだ、鷺よ。脚を撫でさすり暖めてくれないか。 たかが一晩のこと。 そうとも。 しかしその一晩すらも差し上げたくないのです。 花が好きか? とても。 家族の絆は分かちがたいか? ええ。 おまえの生は祝がれてあったか? はい、そしてこれからも。 いや。 わたしは時を献げました。まだ献げねばならないのですか。 おまえのものは何一つない。 心は。 それは私の側からしか見えない。 明日をわたしの枕元に置いておいていただけませんか。朝に。 言葉はまったく傲慢きわまる。 わたしは言葉のほんの細い隙間を透って、透くとおくへ行きたかったのです。 行けばいい。できるなら。 さようなら。 明日。 明日に。 ――時計は見ずに 夜の果てるところを探しに いきたいといったのは口実だったね だってもうそのころには 待てば来るのがわかっていたから。 動かない星すら知らないで 厩に着けばなんて 国道の信号をいくつもくぐった。 夜の種類は 爪のかたちみたいに 電灯のない夜 それとも明るい夜 屋根のある夜と 風の夜 靴の中の爪先まで冷えきる夜と、 親しい涼しさの夜 ひとりの夜と 三人の夜がある なんでおまえを幸せにしないといけないの いつか示し合わせた朧に いま優しげにあらがって 答えまで歩いて取ってきて. 簡単そうに せせら笑ってみせて (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-11

なるほど、限定しなかったのがむしろ想起の余地を生んだのですね。 やはり読み手の想像力で補われてはじめて詩が完成するというのは、本当のように思います。 説明をねだってしまったようで、でもおかげで詩が読み手の中でどのように響いていくか、より鮮明に意識できた気がします。とても参考になり、助かりました。 伝える労を割いて下さり、ありがとうございました。 (クラウドナイン)

2021-09-22

子供時代の垣根のなさが恋しくなることはありますよね。でも垣根がなかったぶん、人を随分傷つけて加害者になったとも思います。その逆も。 おそらく分断とは実際には分断ではなく、傷つく可能性が経験的にわかるせいで距離をとるようになる、ただの習性なんだと思います。ありがたいときもあるし、嘆きたくなるときもありますね。 (クラウドナイン)

2021-09-22

追伸です。 コメントを頂いておきながら心苦しいのですが、できれば、どう秀逸と思われたのかをお聞きしたいです。参考にしたいのです。(お暇がなければスルーで結構です) (クラウドナイン)

2021-09-22

やはりやんちゃな子は目立ちますから、記憶には残りますよね。 よほど私立でも行かない限り、ある程度普遍的な記憶と言ってよいのかもしれません。 最後の一節に関して、率直に申し上げるとまささんが仰っておられたような、苦々しいような(と私は受け取りました)表情をしている、というふうには想定していませんでした。 しかし、同じ文章を読むうえで生じる差じたいが面白みなのかもなとも思います。そう感じておれるほうがいいなぁと。 私の中で、無条件に前提されていたことが誰かの中では前提でもなんでもない、という当たり前のことを思い出せました。 まささんのその表情、気になります。このような場では確かめることは叶いませんが。 コメントを下さり、ありがとうございました。 (クラウドナイン)

2021-09-22

心にヒットしたとのこと、伝えて下さってありがとうございます。個人的なことを普遍的に切り取れればいいと思っていました。 最後の顔、私の中ではいちおうあるのですが、少し描写が少なかったのか。でも、印象は強くできたようでよかったです。 いすきさんのほうにも、私からは見えない人生がある。興味深くその端っこを読みました。 人生ってこんな感じだよな、は安堵とともに感じたいです、いまは。 (クラウドナイン)

2021-09-20

正常なんてないと言いながら正常でしょうとも確認する。ちりばめられた性的なたとえ。書かなくてはならないという求めの中で書かれた言葉という気がする。 わかりにくい部分こそありますが、うまい詩を目指したものでもないのでしょう。多分。とにかく、勢いが好きです。 (血液型きいてくるやつころす)

2021-09-10

いい、です。 ことばを凝縮するってこういうことなんだ、と思いました。 ただ、最後ニ連に関して違和感がありました。言われるべきことに対して言葉が少なすぎるような。 ひとつひとつの連は整然として美しく、磨きあげられているように感じました。ですが、意味内容が隠されすぎているというか、それぞれのイメージをうまくひとつの像に結べませんでした。あるいは私の、想像力の欠如のせいかもしれないのですが。 参考にしたいと思える筆致でした。読ませていただきありがとうございました。 (スローアマリリス)

2021-06-28

個人的にはこの筆致は大好きです。伝わる可能性を全く意図しない言葉は空虚だとは思いますが、その投げやりさはこの作品からは感じられない。 でろり-出ろり-理路 とか、 手の毛 とか、 むす-蟲 とか、 飛躍のリズムが野性的で、読んでいて楽しかったです。 苔/むすのガクンとしたリズムからもう一段階速度が上がって、最後はきれいに走り抜ける。 もし作者さんが目の前におられたら、想定されていた読みと、自分が脳内で読んだ読みを照らし合わせてみたいなあなんて思いました。「魚」とか。 猿猴がen-corpseとかだったら面白いです。そんな英語ないか。なくてもいいですよね。面白いなら。 ただ、文体にこだわっているからこそ、背後の物語/意味に妥協があってはつまらないと思います。 今作においては、ある程度まとまってはいるけれども、まだもっと深みが出せる余地があったんではないかとも思いました。 (玉抜かれてcorpse)

2021-04-17

白昼夢や浮遊感といった言葉で体験を語って下さっていて、そんなふうにのめりこんでもらえたというのは、そしてそれを知れるというのは本当に嬉しいとしかいいようがありません。ただ、杜さんご自身の想像力にたすけていただいて像を結んだところもあったのだと思います。 知らないときには知らないでいられたことへの、なんやかやについてです。 技術的にはいま、度々ご指摘を頂く冗長さがどうよくてどう悪いのか、どれほど必然的に必要なのかを考えているところです。間違いなく自分でも好きな要素なのでじっくり考えようと思います。 推薦文も読ませて頂きました。好きなところを挙げて下さり歓喜しました。コメントと合わせて、ありがとうございました。 (ひらいて、とがって)

2021-04-09

お読み下さりありがとうございます。 沙一さんのたとえ自体がとても優しい眼差しだなあと思います。そのイメージを念頭に読み返してみました。 何かを擬人化することって、対象を自分と同じ人間であると考えることで、私はそれを優しい行為にカテゴライズしたいです。 エヴァ、暗喩の暴力だと思います。劇場版はまだ見ていなくて、TV放送版の印象なのですが。劇場版やはり見るべきでしょうかね。 「笑う練習」、たしかに! (紅海/海紅)

2021-03-22

タイトルをひらがなにひらくことにかけているつもりはなかったのですが、文体が好みとのことで素朴に嬉しいです。 文章の凝縮について。ひらがなが単純にかさばるのも原因のひとつかもしれませんが、それは選択したことなので、それよりも意識できていなかった流れだとか、構成を吟味するべきなんだなと思わされました。贅肉の削ぎ落とし。 実は以前にも別の文章に別の方から同様の指摘をいただいたことがあって、そのときは結局理解できていなかったんだと思います。 胸がふるえた、という感想をもらえてちょっと胸がふるえました。 (ひらいて、とがって)

2021-03-21

本文が左右対称に見えて美しい。純粋な形状としては違うけど、本文中にちゃんと右と左が出てくるからそう見えるのでしょう。対になる語で中心部を何重かに挟み込んでいる。 味噌汁や渦、kelpとcapeなどのイメージを介して、日常と古生代がだぶってみえる。その異界を発生させている渦の中心にいるのは「矢嶋さん」。 一見したところただ適当に書かれた、とぼけた雰囲気の作品かと思った。読んでみると計算された面白さにやられた。まるでただの石ころだと思っていたものがアンモナイトの化石だとわかったときのように、楽しい体験だった。 (渦巻くよ、矢嶋さん)

2021-03-20

タイトルがよかった。虚飾がないように思えた。 自分でこのタイトルを言いながら全くやめる気配なくぴんぴんしている姿が目に浮かんで、ちょっと面白い。そういうシーンではないのかもしれないけど。 本文では「今日のiPhoneの選曲はなんだか可笑しいの。」が、もっとも広がりがあることばになっていると思った。後のことばは、言っていること以上のことは言えていないか、以下ではないか。 日常の一瞬を立ち上げたいという志向が伝わってきた。でも、まだ先があると思うのです。 (タバコの吸いすぎで死亡 享年31歳)

2021-03-20

とても純粋に、読んでいて楽しめました。 ピカチュウとイーブイのシートを敷いて、サイダーに泡を吹かせたら、サメの浮き輪をふくらませて、沖に出ようよ。 特にこの一文は音もよくて、リズムもいいなと思いました。 全体として固有名詞を思いついたように持ってきたり、手首を切るだとかのいささか手垢のついたイメージが膨らんだりずれたりせずにそのままぽんと出てきたりと、「軽い」印象を受けました。その「軽さ」がポップネスとしてグルーヴを生んでいる一方で、結局のところ「西瓜頭が流星にはなれない」という事態に重力が発生せず、ただの冗長な独り言に終わってしまいそうな印象もあります。 どれだけ種を飛ばしても、流星になれない。 この比喩はやられました。西瓜の種と流星を重ねるのは個人的にすごくパーフェクトな距離感のように思えました。 あとは、前後しますが「思索の海」という形骸化した比喩をビーチパラソルという語から無理やり海本来のイメージに接続していく箇所も楽しいですし、「愚かで、おろろ〜ん。」など、どこかとぼけていて思わず口が緩みそうです。 宮沢賢治がいきなり出てきて腕相撲と結び付けられるのは本当にわかりませんでした。もしかすると流星あたりのイメージと繋がっているんでしょうか。語り手のテンションが高いことは伝わってきました。 結局よくわからなかったのですが、うふふ楽しいねって言えればそれでいいような気もしています。読ませていただきありがとうございました。 (西瓜頭は流星になれない)

2021-02-21

なかたつさん、コメントありがとうございます。 ここまでの量をもって書いて下さって(おそらくがっぷりと時間をつかって下さって)感謝に堪えません。いただいたコメントに見合うものが本当に書けていたかと自問せずにはいられませんが、前向きにいこうと思います。 転調、ずれという言葉で、自分の無意識下にあった一面が大きく現れてきたように感じています。どこかずれていると感じること、そしてずれていくこと。そのことにどう意味を与えるのか。それが潜んでいたテーマだったかもしれません。 いただいたコメントを読んでいて、独白/対話と、象徴が持つそれぞれの効果がより明確になってきたように思います。そして、それらの連携・配置をもっと考えなくてはいけないな、と。 独白、とした部分に関して、好きと言っていただける箇所があってよかったです。強い感情を持つとき、人って言葉がつっかえたり、絡まって出てくるものだと思うのですが、そういう言葉って時として普通に順序よく綴った言葉よりも高い伝導率で、感情を伝えることがあると思うし、そういう偶発的な発露の瞬間が好きなんです。いわゆる普通の言葉が持つ伝わりやすさ/伝わりにくさを超えた言葉を用いることへの欲望があります。 他者との差異を見つける眼差しを自分へ向けている、そしてそれが自傷行為のようでもある、というのは私にとって鋭い指摘でした。つまりここで語り手が「差異を見つける」という行為の内に、対象を蔑むという色が含まれている。それが跳ね返ってきているということですね。 「できるかとはもう聞かないでくれ」がなかたつさんに与えた「実はできないのだろうなあ」という印象について考えています。「少なくとも僕にはできません」とも仰っておられますね。少し作品の外側の話になってしまいますが、以前友人と話していて「やっぱり殺意が足りないんじゃないか」なんて言葉が出たことがありました。もちろん一般的な意味あいではなく、必死さとかそういうどちらかというとポジティブな意味を共有していたように思います。もちろん作中での語り手が使った意味と即ちイコールではありません。なかたつさんがそういう印象を受けられたというのが、なにかとても興味深く感じています。このテキストはそういう風に読みうるんだ、そういうものを自分は書いたんだ、という発見。また、読み手の何が影響したのだろうか、という想像。この行為自体も広義の差別(≒差異を見つける行為)なのかもしれません。 最後に、やっぱりタイトルに関して、これからずっとできる?できる?と訊かれ続けるのは嫌だな、と思いました。自分で書いておいてなんなのですが。 重ねて、コメントを下さりありがとうございました。 (できる?できる?できる?あなたに?)

2021-02-17

福まるさん ちょっとタイトルは押しつけがましかったかもしれません。 読後に、自然と気持ちが動いてしまうものであればいいと思います。そのことをもう一度考えたいです。どうしたらいいのか。 読んで下さりありがとうございました。 (できる?できる?できる?あなたに?)

2021-02-13

白川ロイヨさん、コメントありがとうございます。 印象に残った部分を挙げて下さいました。やはり力のある文は、ものごとに対する態度、まなざしとイコールのように思えます。少しでも強く世界を見られていたらよいのですが、近ごろは精神的な視力が衰えているように思えてなりません。なんとか戦っていきたいと思っております。 空行、ひいては文章全体の形態については適切な形状を選べていないことがまだ多い気がします。改めて意識を向けたいです。 とても参考になりました。ありがとうございました。 (ラジオ体操第一)

2021-01-02

羽田恭さん、コメントありがとうございます。 印象に残った点を挙げてくださり、なおかつ返詩まで。 どの箇所がうまく響いていたのかを、率直にかんじることができました。 リズムに関しては、外れるほうに魅力を感じる性分なのですが、そもそもどこから外れるのか、というとおそらく下さった返詩にも用いられている七五調なのでしょう。 格を感じさせるような破格、というのが理想かもしれません。 再考のきっかけを頂きました。 重ねて、ありがとうございました。 (ラジオ体操第一)

2021-01-02

湯煙さん、コメントありがとうございます。 そうした作品、周りに観察の目が向いていないのが要因でしょうか。少なくとも自分はそういった状態だったように思います。 ご指摘下さった箇所に関しては、当初流れとして必要だと思っていたのですが、今改めて見てみると野暮かもしれません。 説明的な印象を与えかねないというのは、書こうとしたときの内面の凝縮不足であると思います。削ぎ落とす覚悟を持たねばならない、と思わされました。 いくつかの語句は惹きつけるようとのこと、皮一枚繋がった心持ちです。 いただいたコメントを契機に、見通しのよい視点から振り返ることができた気がします。とても助かりました。 重ねて、コメントありがとうございました。 (ラジオ体操第一)

2020-12-30

作者には、書きたいことがないのではないか、と思った。少なくとも今は。なんだか、「これもまあ詩だよな」「これもまあいけるか」という言葉をかき集めたような印象を受けてしまいました。感情や必然性でなく手先先行というか。私自身がそういう弱さに捕まることがあるので、そう見えただけかもしれません。見当外れだったら申し訳ありません。自己を変容しようとする格闘の産物であることは、間違いないと思います。 (汚水の苔脅し)

2020-12-13

扱われている内容に重厚感があっていいなぁと思いました。また、宇宙・闇の黒色と地球・空の青色の対比がきれいで好きです。 ただ、一部の仏教用語(乱暴なまとめ方ですが)に関しては、使うのが難しい言葉だと思います。よほど親しんでいなくては、腰の入ったパンチをこの言葉で打つのは難しく思われます。私の読解の未熟、また好みもあるでしょうが、あまり効果的な配置とは感じられませんでした。 「闇のなか見送った命」の部分を、もっと詳らかに読ませて欲しく思いました。ほんとうは黙することこそが美徳なのかもしれないですが。 (古い小道)

2020-12-13

タイトルの漢字もきれいなチョイスだと思いましたし、「世界でもっとも消費されている生き物」、「この中指の先っちょに~」等、パワフルかつ繊細な語、「※たくさんの注釈をかかえた罵倒」とその連みたいに平静なまなざしなど、一発一発のパンチが重くて好みでした。 「プライドとフライドポテト~」は、(女性としての語り手の意識の)プライドと男性性のすき間に(消費されるばかりでその実態を永遠に確認され得ない未確認生物=UMAとしての)女性の意識における「かなしみ」と取りました。 総じて、ここは浮いているのではと思った箇所が実はぼんやり繋がっていたりと、興味深い読文体験をすることができました。 ただ、いくらか断片的なようにも思いました。もう少し流れるように文字自体を追う快があれば、読者がもっと楽に読めたような気もします。 (朦朧と檸檬)

2020-10-09

てんま鱗子さん、コメントをありがとうございます。 内容に引き込まれて下さったのでしょうか。特に語りかけの温度感みたいな部分に着目して下さったと理解しました。 葛藤とかためらいとか、せめぎあう感情がきれいだなと思うのはわたしもそうです。 そういうものを書きつづけられたら、と思う次第です。 ありがとうございました。 (なあ、なあ。ほんでさ。)

2020-09-25

楽子さん、読んで下さってありがとうございます。 ストレートに好きと言って頂けるのはなんとありがたいことかと思います。 鈴虫の鳴き声っていいですよね。最近聴いてないのですが。 感情を引っ張りだされるようとのこと、嬉しいです。そう感じていただけたことが、最上のような気がしています。 ある意味成功だったと思わせていただけました。 ありがとうございました。 (なあ、なあ。ほんでさ。)

2020-09-25

笑いました。というのが、一番適当かつ誠実なレスポンスのような気がしています。 ネットスラングでいうなら 「大分むぎ焼酎 二階堂」。 草 です。 個人的には楽しませて頂いたのでここで終わってもよかったのですが、ただ、実験的な作品であるという作者さんの言葉がせっかくあるので、その点を考えてみました。 実験である以上、最上の結果は「新しい事実の発見」であるかと思います。次善の結果として「新しい事実がこの手段では得られなかったという発見」があると思います。 どちらかと言えば、この詩の功績は後者に留まるのではないでしょうか。 「インターネットの露悪を、詩の異化構造の中に直接組み込んだらどうなるのか」という実験自体は、それほど珍しい試みではないように思われます。 そして、私の個人的な知識の範囲では、この詩の構造(=実験)は、過去にも何度もあったように思うのです。新しい事実は発見されていないように思います。 もしかすると、「露悪」という点に新しさを認めてもよいのかもしれませんが。 ネット文化そのものを対象に取る詩自体はネット詩がある以上絶対に昔からあったと思うので、詳しい方に歴史を踏まえてお訊きしてみたいですね。そういう記事も探せばあるのでしょうか。 この詩の「実験成果」を誠実に批評するならその辺りの知識が必要になってくる気がします。 (INTERNET)

2020-09-22

言葉選び、モチーフ選び、場面選びの嗅覚が鋭い方だと思います。ただ最後の三行は少しよくあるイメージに流れ過ぎたのではないでしょうか。外側を探るのか内側を探るのか、またそれが作者自身のものか作品内人物のものかは別にして、探せばまだ何かあったのではという気持ちになりました。 (ベランダ)

2020-09-21

作者の他の作品を読ませて頂くに、色んなスタンスを試しておられるのかなという気がします。 内容に関しては、私の読解力がないのか、作者の方と感覚が違い過ぎるのか、それとも説明が不足しているのかわかりませんが、初めのうちは読めば読むほどよくわからなくなりました。「命を慈しむわけでもないというポーズをしながら結局は心を寄せてしまう心優しいオレ」みたいなとても陳腐な視点に読めたからです。 が、時間をかけるうちに、そうではない読み方ができるような気もしてきました。 最初はポーズに見えていた「命の盛りではあるけれど べつに、とくべつ命を慈しむわけでもないのだ」が、心底真実であるという可能性に思い至ったとたんに、そこがこの詩の核としてすごく力を帯びてくるように思いました。周辺の、カブトムシを思いやるような自然な物言いと相まって、この世で自然体であることの冷淡さが押し寄せてくるようでした。少なくともそう読むことができそうだと思いました。 どういう意識のもと書いておられたのか気になりますが、野暮ですかね。あまりにも筆致が平板なため、読み飛ばしてしまいかけました。 「自分の息が荒いことに気づいた」、「空は高くそっけなかった」は今もよくわかっていません。意図された飛躍か、ありがちな文で雑に纏められてしまった結果か。 私の感覚からすると説明が少なく、読みにくかったですが、他の方の印象も聞いてみたいです。コメントがつけばよいのですが。 長々とまとまりのない文章ですみません。このコメントを少しでも何かしらの参考にして頂ければ幸いです。 (炎天とカブトムシ)

2020-08-17

帆場 蔵人さん コメントくださりありがとうございます。 上のコメントでも正直に申し上げているのですが、書き始めの段階で読み手を意識してはいません。全てを計算して、意識的に何か一つの答えが読み取れるように書けるほどに賢い人間だったらよかったです。ただ、強い感情だったり無意識に通底している私の中の深いところの何かをできるだけ一貫しようとはしていますし、推敲の時点で少なくとも自分には一つのテーマを念頭に読めるように書きました。 その態度が文章だけでも確かに伝わったこと、読み取って下さったことが嬉しいですし、安心できました。 私自身も、時間を置いて読むとどうなるのか、今は楽しみに思えております。 重ねて、コメントありがとうございました。 (頭の炭でだけ)

2020-08-07

藤 一紀さん コメントくださってありがとうございます。 否定的な批評を頂くこともあり(それも勿論有難いことです)、要らぬ迷いが生じていたのですが、私自身、この作品をなぜ良いと思ったのか思い出すことができました。どれだけありがたいコメントかわかりません。 私は、書き始めるときに読み手を意識して書く書き手ではありません。 この態度がどれほどの人に否定的に取られるかはわかりませんが、私にとっての自然な言葉の発露は、そうなのです。だから、その言葉をそんな風に受け取って下さったことがわかって、本当に嬉しいです。 コメントを書いて、伝えて下さりありがとうございます。 (頭の炭でだけ)

2020-08-07

七五調のリズムと素朴な雰囲気にほっとしました。 最初の五行と最後の二行がすごく優しくて好きです。 「いとしおしく」は誤字でしょうか。 「もともと一つだったかのような」からの二行はいきなり傲慢さを見せられたようで違和感がありました。私がまだ若いだけかもしれません。 (あなた2)

2020-07-04

読ませていただきました。 作者にだけでなく、読者にも面白く読ませる腹が決まればもっと重みやエンタメ性がでてくるのかなと思います。作者がそうしたいかどうかはわからないのですが。 静かなリズムは好ましいです。 (罪)

2020-07-03

藤 一紀さん、コメントありがとうございます。とても参考になるのでありがたいです。 良いと思ってもらえてよかったです。 それぞれの連で、文体を具体的なものから抽象的なものへと3段階に意識して変えてみたのですが、やはり言及いただいている箇所を含む2連目が一番よさそうでしょうか。 藤さんは想像で読み込んで下さいましたが、その文脈的な部分もこちらから提示するのが書き手の親切であり、技術なのかもしれないと思わされました。非常に大きな気づきでした。 重ねて、ありがとうございました。 (Ī)

2020-06-10

<じっと黙っていても彼の中では <過程だけが猛烈な速さで通過するのだろう とか、 <はるか遠くからやってきた/誰のものでもない <責任に答えようとしていた とか、好きです。 全体を通して、何だか不思議な感じ。話が見えるような、見えないような。重たいような、軽いような。一読では私の目にはぼやけている箇所も多いのだけど、読めば読んだだけ情景が広がってくる気がします。 海の生き物であったこと。そこにどんな思いがあったのか。説明は少ないのだけど、読んでいて楽しかったです。 (速さについて)

2020-05-21

「確かめようは無く、これは別に確かめたいとは思わない」に重みを感じます。淡々とした筆致は技巧とは縁がなくとも好ましく読めました。 ただ、「酷くどうでも良いのだ」から最後までは、まだ何か書きようがあったのではないかと思います。私の技量ではどう書けばいいかというところまではわかりませんが。 「人の話」は面白いな、と思いながら読んでいました。 (無礼者)

2020-04-25

一読して、これが歌詞であるような印象を受けました。 この詩単体に対しては、あまり心を動かされませんでした。純粋に詩として見た場合、主題、構成など工夫の余地はあると思います。 ただ、個人的には「新しい記憶」という表現は目新しく面白かったです。 「歌詞っぽい」構成ではなくなったときにどうなるのか、気になります。 もしくは、このサイトは動画の添付も許容されてます。ご存じかとは思いますが、ご参考まで。 (そらに還るまで)

2020-04-23

ナイスポエムとのお言葉、ありがたく頂戴します。 「ポエム」って揶揄として使われうるし、そう言われる詩は大抵実際に魅力的ではない。でも「ポエム」的でありつつ、そのことに自覚的なまま「いい」に帰着できるのかを確かめたかったのです。Um Fantasmaさんがナイスポエムと言ってくださったことで少しだけそれが確かめられたかなと思います。 喋りかけるような雰囲気というのは、あまり自覚していなかったですが、確かにそうかもしれません。別角度から言語化されると、認識の解像度があがるのがわかります。 ありがたいコメントでした。ありがとうございました。 (線が夏が返送が不信が)

2020-04-23

 南雲さん、コメントありがとうございます。  今回は自分のポップさ、通俗性みたいなものと一度向き合ってみたのです。  やはり少し陳腐だったでしょうか。もっと目を向けるべき、取り逃がしたモチーフがあったかもしれません。ご指摘、感謝です。  味わい深かった部分として、幾つか挙げてくださってますね。いいと思うものをいいと思ってもらえるのは率直に嬉しいです。  また、最後に入れてくださった読みですが、興味深く読ませて頂きました。書かれた詩があって、それに対する読みが返ってくる。高度なコミュニケーションだなと思わされます。(思っているだけかもしれませんが)  読んで下さり、ありがとうございました。 (線が夏が返送が不信が)

2020-04-21

鳥と文鎮の比喩がものすごくいいと思います。あとは、あんまり面白くなかったです。恐らく正直に書かれているのだろうし、その真摯さは伝わってくる。でも、面白くはない。率直に書くことと技巧を凝らすことは相反しているかもしれませんが、それができたとき詩に込められたあらゆる誠実な感情は一つ上の段階に至るのではないでしょうか、読まれるものとして。最初に挙げた箇所は、情感と技術の融合がうまくいっているところだと思います。 (生きもの)

2020-04-21

ちゃんと書きたい内容があって、それがちゃんと万人に判る形で提示されている親切さがある。この作品では自分含め多くの書き手が気を配れないことが、自然にできておられるように思う。 前作からすこしスタイルを変えられたようだが、このスタイルのほうが読みやすく、情緒もかえって深く残るような気がします。 この作者がこれからも、毀誉方便に振り回されることなく作品を作り続けてくれることを願います。 (君に会いたい それだけなんだ)

2020-04-21

少女屋さん 読んで下さりありがとうございました。 コメントを読ませていただいて、気に入って下さったであろうことが心底わかりました。 挙げていただいた箇所はどれも、もしこの作品が自作でなかったら私自身挙げるであろう箇所です。気に入っております。 漢字とひらがなの使い方による印象は、私自身拘りたいと常々感じるところです。少女屋さんには刺さったようで嬉しい限りです。 うつくしいことばとの評、ありがたいです。このようなコメントを頂けて、光栄に思います。このコメントを抜粋して、ポップにして、本屋に置いて欲しいくらいです。 とはいえ自作の粗もわかるので、書き続けてもっといいものが書けたらと思います。 ありがとうございました。 (うつしみ うつせみ)

2020-01-28

ミリウェイズさん 言及されるとしたらやはりそこですか。参考にさせていただきます。 コメントを下さり、ありがとうございました。 (うつしみ うつせみ)

2020-01-28

読み手の感性の問題もあると思いますが、純粋さが裏目に出ているというか、あまり魅力的に感じません。どこかで見聞きしたようなフレーズが多いように思えます。 ただ一箇所感銘を受けたところがありまして、 <昼前の 薄い琥珀のような 澄んだ空気 というのは驚きました。私としても長年、あれをどう言い表したらいいのだろうと頭の片隅にあったのです。この部分に関しては、純粋な感性の勝利だと思いました。 (昔の君を)

2020-01-26

纏まっていないとのこと、コメントありがとうございました。 自分でもわかるほどの妥協がありました。 良いものが書けたときに、また投稿します。 ありがとうございました。 (読まずに食べて)

2019-12-13

survofさん まずは、とても丁寧なご指摘を下さりありがとうございます。今の作品に足りない部分はすべてアドバイスを頂いたのではないかと思うほど参考になります。 ご指摘を頂いて、視覚的な読みやすさが確かに欠けているのに気付けました。このような散文の形態で、この密度で提示するとき、ひらがなによる可読性の低下がより許容されにくくなることに気付けました。 普段は散文調はあまり用いないので、その意識のまま書いてしまったこと、またひらがなに開いてはいるものの効果的でないものが多くあること、が今回の失敗の一側面でした。 文の関連性の薄さ、に関しても本当にその通りだと思います。書いて下さっている一つ一つのことが納得できますし、自分がそれをこの作品でできていないことが理解できます。 >まずは、読者を引き込んで少なくとも字面だけは一気に読ませてしまうだけの仕掛け その結果として、内容からの作用、というのは目指す形としてわかりやすく頭に入ってきました。 今回の作品では、読者に読ませようとする意識が圧倒的に足りていなかったと痛感しました。 なんとか次、すべてにおいてクオリティを上げたものを書きたいと思います。ありがとうございました。 (縦糸、の発音)

2019-10-21

左部右人さん お読みくださり、ありがとうございます。 改行をしていないことについて、挑戦的との評をいただけたことが唯一と言っていい救いかもしれません。 いつの間にか、悪い意味で独りよがりな書き方に終始してしまっていたようです。 情動を煽れるものを産み出すために、イメージや切実さをどう落とし込むかということ、またどうすれば効果的に落とし込んだことになるのかということ。今私が考えなくてはならない部分だと思います。 私にとっては充分に有益な感想でした。ありがとうございました。 (縦糸、の発音)

2019-10-21

お読みくださり、ありがとうございました。悪くもなく、良くもない。振り返るにつれ、おっしゃる通りだと思わされています。個人的な切実さ、みたいなものがうまく書き込めなかったように思います。それが「他の誰かがすでに書けているもの」という南雲さんが言われる印象に繋がったのかもしれません。 次の作品をより良く書きたいと思えます。ありがとうございました。 (縦糸、の発音)

2019-10-19

語りのリズムを自分の中に持っておられる方だと感じました。 表面的な批評にはなってしまいますが、~もくものすであった、という一種の幻惑が、ともすれば流れすぎてしまうリズムにいいアクセントをもたらしていると思いました。 また、)( これなど面白い解釈ができそうで、刺激を受けました。 ただ、登場するモチーフが少し漠然としすぎている気がします。男の子、女の子、光、など。作者さんにはもっと言いたい細かいことがあるのだけど、それを含んだより大きい範囲をもつ言葉で言っている、みたいな。もう少しそれぞれのモチーフから作者個人のイメージの世界に入っていけたらもっと面白いと思いました。 (蜘蛛の巣)

2019-10-16

語と語の距離感だったり、指示対象と語の比喩の感覚がすごく鋭敏だと思いました。 藍染め液~ 希釈する~ の二行は特に、わたしが言おうとして思いつけなかった言葉を、跳躍して拾ってこられたんだな、と感じる。 わたしがいちばん好きなのはそこでした。いいのを読ましてもらいました。ありがとうございます。 (Note:)

2019-09-29

力が抜けていて好きです。一文一文が同じくらいの長さで、リズムよく放り込まれる。断片的だけど、話も見えてきて想像したくなる。 なにより、用意された画像がよかったです。このサイトの仕組みを活かした魅力的な作品だと思いました。 (携帯海月)

2019-08-24

藤 一紀さん 何度か読んでくださっていたとのこと、そして何よりコメントをくださりありがとうございます。 言葉の使い方について、言及をいただけてうれしいです。 本を読んでいても、きれいなリズム・字面の文章と、そうではない文章があるような気がします。きれいな文章はよくぼんやり目が上滑りしますし、そのせいで意味が把握できなかったとしても、文字を追うことそれ自体の快が発生しています。それはすごいことだと思います。 私自身もそういう文を書ければ、と思っている次第です。 その感覚を、とてもしっくりくる表現でおっしゃっていて驚きました。いいコメントをいただいたなぁと感じております。 ありがとうございました。 (呼吸癖)

2019-08-17

るるりらさん 「蕣」の一字を調べられたとのこと、私のほうがなるほどと思って読ませていただきました。咲いている時間が短い花、に使われる字なのですね。「朝顔」ではしっくりこないと思い、恥ずかしながら初めて使ったのです。勉強になりました。詳しいことは調べておりませんが、瞬間の「瞬」の字のつくりが舜ですね。そのあたりの繋がりもふと面白く思いました。 選挙カーなど、あまりセンチではない言葉を自分の言葉としてどう扱うか、というところも課題だったように思います。 ていねいに読み込んでくださっているように感じます。それに耐えうるものを書きたく思います。 「ルピナスさん」、お薦めくださりありがとうございます。図書館に行って読んできました。正直に申し上げて少し好みから外れていたのですが、それでも優しい作品だと思いましたし、絵本を薦めてもらい読むということがすでに替えがたい経験でした。重ねてありがとうございます。 私からも、あすなろ出版から出ている、小川未明の「月夜とめがね」(画:高橋和枝)をお薦めさせていただきます。ご存じの可能性も高いと知りつつ。 簡単ではない読書体験とおっしゃっておられ、私としてはすごい賛辞を戴いた気になります。 コメントありがとうございました。 私も何かを見るときに何かを思い附けられるような、そんな精神でありたいと思います。 (呼吸癖)

2019-08-17

個人的にこういった読んでいてリズムがいい作品が好きなのでコメントさせていただきます。 まず、解釈をさせるにはちょっと作品として説明不足なのではと感じました。(もちろん、私の読解力不足かもしれません)なので表面的な印象の批評になることをご容赦ください。 どぷりと泳いだ目がみゆる の一節、好きです。イメージが飛躍していて想像力を掻き立てられました。 あなたの口紅黒もった 黒もつ?という動詞のように読めました。意味はわからないが、そのわからなさが魅力になる部分だと思います。 残りの部分は、あまりイメージとして新鮮な印象を喚起されませんでした。わらった、の五連続(と読み取りました。実は六個目、七個目が隠されているとかだったら痺れます)も、あまり活き活きした表現には思えませんでした。印象の強い表現が選ばれてはいるけれども、その組み合わせにあまり意外性がない。 全体として、基本的に7拍、5拍のリズムが念頭に置かれていると思いますが、これはかなり強い設定というか、リズムとしては王道だと思います。なので、このリズムを大事にして作る場合、詩の他の部分でもうひと工夫が欲しいと思ってしまいます。 強力なイメージの化学反応とか、逆にものすごくまとまった雰囲気とか。 解釈以外に終始してしまい恐縮ですが、なにか一部分でも資するところがあれば幸いです。 (歪熟れ面)

2019-07-30