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魚釣り
魚釣り ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1576.3
お気に入り数: 3
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-21
コメント日時 2023-09-26
項目 | 全期間(2025/03/11現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 今、昼食を終えたところなのですけれど、この短さで大切なことを適切拾ってゆく その腹を満たしたあとにね、ちょっと何か読みたいなってところで 非常に、よく品なんだと思った。思いました、ですね。 それで、ああ、魚釣りってある種、男性性のナルシスに訴えるところがあるんだ とか、仲間が煩わしいのか、と思いつつ 最終連 誰かに見てもらわなければ嘘になる これが非常に興味深いです。 その、釣りをした、仲間にみて貰ったじゃおわらない その、誰かは過分にこの作品を読んだ読者を含んでいると思うんですね。 ようは、俺、釣り上げたよ!で詩にしたからこの事実を見てくれ! なるほど、なるほど、そうすると 釣り とは非常に業の深いものであって 何か、魚と対峙するのは、その業と向き合うことなのかもな、と。深読みし過ぎですが それを引き出すのも、作品が想像の余地を残すからですね。
1いや、非常に興味深いコメントありがとうございます。 とっても業の深い遊びだと思います。 開高健さんが「征服すれども支配せず」と釣りのことを書かれていましたが、そのようなことを言いながらもご本人、「釣り」という行為の傲慢さにはかなり自覚的だった模様。 そもそも釣る必要などないのです。 そしてもって釣られた魚の痛み方。 釣らなければよかったなあなどと思います。 でも釣りたいのです。 釣れたことを見てほしい知って欲しいというよりは 魚が針にかかる→釣り上げる までの矢印の部分で凄まじく脳内麻薬が分泌されますよと、その気持ちよさを書くことで思い出している感じでしょうか。
1先のコメントで 「よく品」⇒「よい品」へ訂正させて下さい。 これは良い品です。 その、傲慢さが、詩になると、あまり感じられないのは詩の利点といえるでしょうね。 非常に、読んでいて脳内分泌か、スカッとするものがありますね。 やはりそれはエッセイや随筆でなくて、短詩としての力かな、と思いました。 ありがとうございました。
1前々作品で、気楽にまだ書くなとか、偉そうなコメントを書いていましたが、謝罪します。ごめんなさいw いや、本作を読みましてね、短文ではあるけれども骨太さが読み伝わってきたんですよね。 >求めているのはあの白さ >竿をひったくられるあの刹那 >釣り上げるまでのあの時間 >誰かに見てもらわなければ嘘になる 一行一行が強くある。 最終行が私には解せなくて、幾度か読み返しました。 「誰かに見てもらわなければ嘘になる」の嘘になるってどのような気もちなんだろうってこと、快楽ってことかなとか、そう読んだんです。ほんとにいっちゃいそうなセックスってそういう感じあるじゃないですか。で、セックスってやっぱ、他人がみつめてくれるからってありますもん。快楽。
1コメントありがとうございます。 確かにパチンコを知らない人に大当たりした瞬間の気持ちよさを訴えてもどうにもならんよなあと思ったりもしますね。 釣りそのものというよりも何というか、鬱屈した所からまやかしでも勘違いでもほんのひと時解放される瞬間のあの感じを出したかったのですよね。 精進します。
0勿体ないコメントありがとうございます。 まだ気楽に書かない方がよいというのは書いていただいてからずっと気にかかっています。 経験や感情を練り上げて言葉として出すというその、練り上げるべき私の体を鍛えなばならないなあなどと。 >求めているのはあの白さ >竿をひったくられるあの刹那 >釣り上げるまでのあの時間 の3行は結構気合を入れて書いたのでお褒めいただき嬉しいです。 それと、性交には他者の視点を伴うからこそ得られる快楽があるということに激しく同意します笑。 役柄としてSなはずなのにいつの間にかやらされていると感じるあの感じや、Mなのにさせていると感じるあの支配感。行為そのものが社会的に全く受け入れられがたいものであるのにそれが永遠に続けばと願うあの刹那。まさしく他者の視点がなくとも自分自身そしてパートナーに他者を見出しつつ見出される快楽かなと。 性交は釣りとは少し違うかもしれませんが、1人で釣りをしていてもそうした他者の視線から得られる快楽は発生しうるかもしれません。しかし、それをこの場に書き連ねる私のエゴもまたということで煩悩はぐるぐると回るのですね。
0存在は他者に知られることで存在足らしめられるような人の心の在り方、人は孤立した存在ではいられないのかもしれません。そんな人の弱さや根源的な本質を想像しました。釣り、孤独の友であるようでいて、生きる喜びの手ごたえでもあるんだろうな、と思います。
1コメントありがとうございます。 やはり想定は誰かといるというのが人なのでしょうね。 なのにそれが嫌になって逃避するだけど人からは離れられないというのが面白いですよね。
1私事で恐縮ですが、友人と出かけると、細かい気遣いや意見の折衝で疲れて帰ることもしばしばです。しかし「あの時のお前めっちゃ面白かったで」と、私自身覚えていないようなことを覚えていてくれるのも友人です。楽しい昔話がそこでは語られる。 嘘には色々ありますが、ここでの嘘は自分に吐く嘘のように思えます。 こんなに自分は楽しい時間を過ごした、と。時が経つに連れて、本当に楽しかったことと楽しもうとしただけのことの境目がわからなくなる。いや、境目など最初からなかった。だから、一人で行くと(いつしか)嘘になってしまう。というように読みました。ここでいう嘘とは、あやふやさとでも言い換えられそうです。 「仲間」と出発した時点で、見られる自分、つまり一面的に見られた、客観的事実としての自分が担保される。他者像を互いに反復しあうことは、それこそ嘘であるのかもしれませんが、少なくともあやふやさという意味での嘘は排除できる。 穿った解釈かもしれませんが、この詩の焦点のあて方がよいと思いました。 終わりに、このコメントをひとり書いている最中にも、他者の視線から得られる快楽を享受していたことを告白して〆たいと思います。とても刺さった作品でした。
1コメントを読ませていただいて、確かに誰かといると時間や空間が重層的になるなあと思い至りました。 こうした経験をすることができるということはとても幸せなことですね。
1ラスト4行の描写がいいなと思いました。文末に体言を連続させることで流れが出てるのかなと思いました。
1コメントいただきありがとうございます。 私自身は文法上の区分けを気にしたことはあまりないですが、そういうこともあるのかも知れませんね。
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