作品投稿掲示板 - B-REVIEW

田中修子


投稿作品数: 11
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詩集「うみのほね」発売中/日本現代詩人会 投稿第六期「火ぶくれのハクチョウ」特選 同会新人/ OUTSIDER id.07〜 ◆08発売中「マツリテ」

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か行、さ行、それから「ほ(あるいは、は行)」の字をどれくらいぶち込むかという詩に読めました。 私にはちょっと内容まではつかめませんでした。 (電撃)

2021-06-17

これがどれほどの実感を込められて書かれた詩か分かりませんが、痛々しい詩だなあと思いました。 ほんとに切ってたらどうしよう、っていう。なんとなくコメントがはばかられるのがわかります。 詩としての欠点は恋愛によって自傷する主体、というのは、ネット詩上ではありがちであるということでしょうか。 自傷の表現を省いてでも恋愛の痛みを感じさせるような、そんな詩であればいいのかなあとちょっと思いました。 (滲んだ血~stereotype2085さんとの共作~)

2021-06-07

この詩は帆場さんの詩の中で、金子みすゞなどの影響を受けた作品かと。 内容は可愛らしいしよく分かるのだけれど、リズムがよくないかな、と思いました。 口ずさみにくい。 >日陰に隠れていた >雪の子が見つかって >陽の下に散らされて とかのほうがリズムが良い気がする。もっと工夫できるんじゃないかな。 それから、 >きらきらきらきら のところがとてももったいないなあと。 ここは造語にしてもいいくらいの、この詩の盛り上がり場(?)だと思うので。 でも春らしい雰囲気が出ている、可愛らしい作品ですよね。 私も短いものを書きたいな。 (雪の子)

2021-03-03

こんばんは。 この作品が出されたほう、ぱーっと読んだのですが、なんだかあんまり頭に入ってこなくて、でも人気なのでなんでだろうなぁ~とずっと考えを温めていました。 そしたら既に帆場さんと沙一さんが物語の展開性あるいは出てきた言葉をもっと活用してはどうかといったことについて書かれていたのであら~と思っているところです。私もだいたい同じようなところにたどりついたので。(そして私の、「夜、そして」にも物語の展開性が欠けていたと思う) それから、大学でコピーライターの先生に言われたのですが、「原稿用紙などにまず書いて、自分が書ける言葉だけを使ってはどうか」という提案を受けたことを思い出しました。当時はなぜかとても反発したんですが、最近になって「なるほどなあ」と思います。最近はなるべく自分が使える漢字だけ使って、どうしても使いたい漢字でパッと出ないときは、辞書を引いてその漢字を使えるようにします。 だいぶうまくなって、書けるようになって、書けます! というのをやりたくなると、段々と小難しい、単語を使いたくなる。うまく見えるけど、うまく見えるだけだと思う。 ゲンダイシはちょっとわからないけれど、詩には「口ずさめる」要素があるから「自分がとっさに書ける単語だけで書く」のが大事。 あるいは小説含むいい文体全般というのは案外と平易なもので、小難しい単語を多用しない、というのがあるようです。めちゃくちゃに漢字に特化した作品を書いてみたい、という意図があれば別だと思いますが。 原稿用紙に書いてもパッと出てくる、というような言葉で書かないと、書いている人の身の丈にあわない作品になってしまう。そうすると作者その人からかけ離れた作品になってしまって不自然な感じがする。 というような印象を抱きました。ご参考までに。 (祖父の痕跡)

2021-01-29

「いつかそこへゆくあたしのの名を刻み」このうち、の、がダブってますね。私もよくやります。 私はこういう詩が好きです。 必ず老いていくこと。女性は、おそらくは男性よりもファッション、その他の選択肢がどんどん少なくなっていくこと。深く読むとジェンダー論にも通じていく気がする。 でも、完全なる諦めはないんですよね、ふてくされて腐っているという感じがなくて。 簡潔な文体からどこか明るさというか、芯の強さみたいなものを感じます。 生きながら自分やその他の思い出に花を供えるという行為が、決して生きてきた思い出を否定していないということ。 「ここに墓をたてよう」の「ここ」はどこなんだろう。作者の心の中にあるのかな。そこには美しい花が添えられている。 宇宙に溶けて個ではなくなるということが、決して恐怖だけではなく、孤独からの解放のようにも感じる。以前、何か、たしか少女漫画家のジェンダー論で読んだのですが、男性はある程度の社会的地位などを確保すれば、男性の仲間の群れの中に入ることができる。でも、女性は子育てしていようと、働いていようと、男性に媚びようと、フェミニストになろうと、「女性の仲間の群れ」というものがなく、それぞれがひとりぼっちの存在なのだと。 女であることはとてつもなく孤独で、死んでやっと個を捨て何かに混ざることができるのかもしれない。そのような途轍もない孤独に耐えうる性(生)を与えられるからこそ、どこかしなやかでしたたかなのかもしれない。 いろんなことにとりとめなく思いを馳せることのできる良い詩でした。ありがとうございます。 (墓・改)

2021-01-27

苦しい詩だなぁ。私の中にある孤独を揺さぶるような。 でも、何も揺らさない詩よりずっといい。 ひとつ気になったのが 「その気配が嗅ぎにくるのは 柑橘の爽やかな匂いでなく 乾いているのにじっとりしている 私のぽつねんとした、ひとりぼっち、だ そして母の孤独の匂いだ」 ここが説明的すぎるかもしれない。この連を省いたほうが、作者そして作者の母の孤独がより伝わってくるような気がする。 なぜなら、「全てのいない存在が さわさわとあつまる 鼻を鳴らして嗅ぎに来る気配がまとわりつく」 という不安げな描写、かつ、全体的に孤独さが浮かび上がっているので。 -- くたびれた月が中天に来るころ 台所で蜜柑を食べる あかりは豆電球で薄暗い 床に伸びる影はゆらゆら揺れて ポツ、と輪から外れた子供のようだ いまはベッドに眠っている母の 車椅子にすわる ひと房口にする 柑橘の香りが立ち上り そして 全てのいない存在が さわさわとあつまる 鼻を鳴らして嗅ぎに来る気配がまとわりつく 今夜も蜜柑を食べる 母の車椅子に座って -- このようにしたほうが、シンプルで入り込みやすい気がする。 私も書き込みすぎる傾向にあるので、自戒をこめて。 (真夜中の蜜柑)

2021-01-27

stereotype2085さま コメントを下さり、ありがとうございます。 stereotype2085さまのコメントの、「夜眠れない女性の夢想」の部分を拝読し、私は、詩の深い沼に、突き落とされたような気がしました。 というのも、この作品は、不眠の女性(あるいは、不眠の私)が書かせたものではないからです。どちらかというと眠りすぎる時期の感覚を書きました。何回か読み直しましたが、そういった時期に書いたものなので、私としては、不眠の女性を想起させる言葉はいれていないはずなので。 といっても、もちろん、詩の読みは自由だから、stereotype2085さまの読みも「誤読」ではない。 この作品は、三人の方にコメントを頂き、そのうち二人の方に、私の思ってもいなかった読みを頂きました。 すなわち、小林素顔さまの「非常に母性と母体の肉体性を感じさせる詩だと思いました。」と、stereotype2085さまのコメントの、「夜眠れない女性の夢想」です。 作者本人の感覚としては、 ryinxさんの、その時、確かに現実にあられて、現実の行動をとっているのに、 「僕は日頃接しているだれとも切り離されていました。」 という、非常に感覚的な部分を書きたかった、というのと、自分が飲み込まれていく圧倒的な眠り、体内から溢れ出す夜のイメージに、読者を飲み込んでしまいたかった、というのがあります。 読者を飲み込むことに失敗したのは、小林素顔さまの「大きな存在感を詩の中で表現できればよかったのではないか。」stereotype2085さまの「この詩はもっと大きな広がり、例えば自分だけでなく家族や環境や過去、未来へと縦横に飛躍して描けただろう。」という二つのコメントから、狭く終わってしまっている、ということが分かりました。 そこが課題の作品です。 考えてみれば、私がしたかったのは何より「読者を飲み込むこと」だったから、主体が母性的であることやや不眠症である、という、私の思ってもいなかった要素は、色々自由に読者に読んでもらえた要素として喜んでいいのかもしれないですね。 いつかは分かりませんが、推敲して、読者の方を夜に引きずり込むことのできる作品に仕上げたいと思います。 コメント・批評を下さり、助かりました。 ありがとうございました。 (夜、そして)

2021-01-26

相変わらず、文字が無造作に置かれているんだけど、それはつねにいいんだよなーと。すごいなあと。 yasu.naさんへの返信を拝読して、呟きのように書かれたものだと知りました。 もっと時間を書けて書かれたものであれば、 「もっと、僕の苦悩という閉じた世界から外界にむかって開くか、あるいは僕の苦悩の世界へ引きずり込むようなものが書けるでしょう」 と文句を言えるのだけれど、短時間でこれだけ書けるんだなあー……すごい感性だなあ、と。 というわけで、 「もっと、僕の苦悩という閉じた世界から外界にむかって開くか、あるいは僕の苦悩の世界へ引きずり込むようなものが書けるでしょう」 というのを読みたいなあと。 どちらかというと引きずりこむ書き手かな。 私が一番好きなのは、【memo】ですが、 「路地裏に眠る綺麗な骨はもうあの頃の事ですから」 この一行、意味が分からない、けれども、道を歩きながら綺麗な骨が見えたらどうしようと現実でも瞬くときがある。 色々な人の詩を読んで、コメントして、繋がれば開かれるかもしれないし、そこでもどうしても繋がれなければ引きずり込む書き手になるかもしれない、どちらにしてもすごく魅力的な書き手さんだと思います。 (、。水)

2021-01-23

お久しぶりです。 私は鷹枕可さんの作品では、これは実際はどういうことを指しているのかとか、自分なりに読解するとか、そういう現実に縛られずに、ただ世界観に浸ります。異界で遊んでいるような気分になります。SF小説にのめりこんでいるときの感覚ですね。 でも、ずーっと以前から拝見しているので、たしかに意外とその時々の世相に対して批評が含まれていることもあるから、きっとこれもかな、とか。すごいなあって思います。 (実像の閾、形而下の輪転)

2021-01-23

小林素顔さま ありがとうございます。 「非常に母性と母体の肉体性を感じさせる詩だと思いました。」ということで、私は、私の意図しなかった読み解き方があるのだ、と、興味深く、思いました。 もちろん、詩の、読み解きかたは、自由で、読む人によって、無限の可能性が、あります。 なので、作者が、「実はこう書きたかったんだ」と言うのは、ずるというか、国語の授業じゃ、ないんだからと、思います。 ただ、ryinxさんへの、コメントの返信に書いた通り、実は私の表現したかった、ものは、 「きちんと生活を送りながらも、ふとぼーっとしているとき、自分の中から星を含んだ夜があふれて、現実を侵食していくような感覚に襲われることが、おおいです。」 という感覚。その、白昼夢のような、空想の世界に入り込んでいるような「感覚」を書いて、できたら読む人を、夜の中に、引きずり込んでしまいたかったので。 私としては、母性とも、母体の肉体性も関係なく、この作品を、書いたのでした。 私の書きかたのどこかで(たとえば、子、が登場しているところで)、母性や母性の肉体性を感じさせてしまうことを、してしまったのだろうか? と、思って、どうしたら、私のあらわしたかったものを、もう少し正確に伝えられるのだろう、というのが、この作品の推敲の課題、のような気がします。 また、これは、批評とは、関係ないですが、ryinxさまは、この作品から、母性、というものは感じられず、個人的な感覚を呼び起こされることになった。 素顔さまは、母性を感じられた。 この差異は、どこから、くるのだろう、という興味も、私のなかに、あらたに、くわわりました。 興味深いコメント、また、今後の課題をいただき、ありがとう、ございました。 (夜、そして)

2021-01-23

上の返信は、ryinxさんへ、差し上げた、ものでした。ミスを、失礼いたしました。 (夜、そして)

2021-01-23

こんにちは、ご返信、ありがとうございます。 ツイキャスで、お話ししてしまって、ずるいのですが、でも、その前からお気に入りに入れていてくださったとのことで、感謝します。 ツイキャスで申し上げたのですが、私は、自我の細やかな部分、というより、このところ自分の中にある、不思議な感覚を表してみたくて、これを書きました。 きちんと生活を送りながらも、ふとぼーっとしているとき、自分の中から星を含んだ夜があふれて、現実を侵食していくような感覚に襲われることが、おおいです。 これは、何かしらの自分の感情の比喩ではなくて、感覚、こころにみえる情景とかに、近いです。 白昼夢とか、空想の世界に入り込んでいる、に、近いかもしれませんね。 ですので、ryinxさんのコメントに、とても納得することが、できました。 つまり、ryinxさんの、その時、確かに現実にあられて、現実の行動をとっているのに、 「僕は日頃接しているだれとも切り離されていました。」 という、非常に感覚的な部分と、共振したのだと、思います。だから、お気に入りに入れてくださったのかなと、思います。 ところで、この詩は、ryinxさんだけでなく、お読みになった色んなかたに伺いたいのですが、「閉じている」でしょうか。 できたら、表現として開いていて、かつ、あの自分の中から星を含んだ夜があふれて、現実を侵食していくような感覚のなかへ、読者の皆様を突き落とすような詩に、したかったのですが、それは、叶ったのだろうか。 たぶん、それだけ、力づくで引きずり込むものをかけたのであれば、もっと反響があっただろうから、引きずり込むことは、できなかったんだろうな。どうやれば、できるのかな。 これが、この詩を推敲していく、作者の課題に、なりそうです。 ryinxさん。ryinxさんがご覧になられて、かつ、感じられたことを教えてくださり、ありがとうございました。 少しだけ、なにかと、誰かの過去の、一瞬の感覚であろうと、そこに、つながれているかもしれない感覚に、なりました。 (夜、そして)

2021-01-23

なんだかとても狂気を感じる作品でした。作者のこれまでの作風からも考えて、宗教的な何かを擬人化しているんだろうけれど。 天の父上はそこまでこの子にさせて何をしたいんだろう…。 (えーん、えーん)

2021-01-22

私も聖書の逸話が作り直される作品は好きなので、とても面白く拝読しました。 途中まで笑いながら。でも、最後真顔になりました。デリ嬢マリアちゃん(マグダラのマリアの生まれ変わりでしょうか)のこの言葉。 『「触るな」とか、そんなのないと思うんですよ、私。愛って触りあうことじゃないですか。「私はあなたを傷つけるかもしれないけど、私はあなたに触りたいの。あなたが私を傷つけるかもしれないけど、私はそれでいいの」って、それが恋愛じゃないすか。』 聖書だったりイエス・キリストの物語だったりはどうしても「イエス・キリストがすごかったんだぞ物語」として語られることが多いわけですが、私はある時期からイエス・キリストは機能不全家族出身の精神疾患手前のメサイア・コンプレックスの持ち主で、まあちょっとした超能力を持っていたのかな~と思うようになりました。ちなみに母・マリアへの愛情をこじらせたマザコンで、だから母を連想させるマリアという名前のつらそうな女性を見つけては救おうとするから、彼の周りにはマリアが十数人いるんじゃないの? とか。身もふたもない読み解き方ですけど。で、そのマリアたちのなかでも、特に娼婦で人の心の闇を見てきたこともあろうマグダラのマリアちゃんとか、堅苦しくない、普通の恋愛を彼に教えたかったんではないかとね。で、その言葉を&さんの作品のマリアちゃんが、変な人をいつの間にか真剣に愛してしまった一人の娼婦として呟いているのが、なんだかものすごくじ~んときました。 笑えたしじ~んときました。面白い作品をありがとうございます。 (ノリ・メ・タンゲレ)

2021-01-21

ひとつ、つけたしさせてください。 肉体の臓物より、重要なのは、感情の臓物です。 他人の、自分の、感情の、血肉や脂肪や内臓や糞便です。それらをひとつ乗り越えたからダイアモンドと美しい骨を目指されているのかもしれないけど、これからまた、山ほどそういうものを目にすると思う。目にしないのならば、それも幸福ですが、詩を書いていくのならば、そこに直面しなければならない日が来る。不純物が分からなければ、不純物は取り除けないから。 そのとき書かれる詩を楽しみにしています。 (剥奪)

2020-09-22

張り詰めた何かが伝わってくる、とても美しい作品だな、と思いました。 「この雷らいという美しい光はいったい誰を殺すのだろう」 すごく好きです。 (鳥は十字架に似ている)

2020-09-22

帆場さんの詩にしては、なんとなくいつもの何かがなくて、なんでだろうとずーっと頭の片隅で考えていた。 たぶん、いらない言葉と矛盾がある、と気付いた。 「わたしは悲しみを拾います だれの悲しみだろう なぜ悲しいのだろう 取り留めなくおもいます」 「わたし」という言葉は、この詩には最低限しかいらないのではないかと。なぜならば、全体を通してみて、「わたし」をわざわざ書かなくても、作中主体が拾ったり思ったりすることが明らかだし、唐突に「悲しみを拾います」とはじまったほうが、ずっと興味を惹かれる。おもいます、もいらないかもしれない。それなら、取り留めもなく、くらいのほうが余韻が残るかも。 それから、この人が結局なにをしたのか、なんとなく曖昧でわかりづらい。 ・わたしはそいつらを料理しようかと ・レシピを考えてみますが ・食べることだけはしません ■わたしは悲しみを料理しようかとレシピを考えてみるが、食べることだけはしない。ということになる。 流れから見ると、おそらく、一通り料理した「悲しみ」を落とし主に返し、悲しみもこれだけ人生の喜びになるかもしれませんね、と静かに寄り添って去っていくのだろうが、それなら、 ■わたしはそいつらを料理します、レシピもうんと考えます、けれど、食べることだけはしません という流れの方が自然かと。 もし誤読していたらすみません。したり、のリフレインや、悲しみを拾って落とし主に返して去っていく姿や、それに時計の音(時間薬ということなのかな)が重なるという帆場さんならではの視点は、とても素敵です。 (いつものこと)

2020-09-22

過度なほどに高度な知識そうして語彙が繰り広げられ、息を飲むような絢爛そして滅びが目まぐるしく展開し、パパの中のパパは新たな一歩を踏み出す…ようでありながら…。 日曜日のパパを賛美したくなる詩です。きっと、帰宅した母娘はソファの上で猫のように寝そべっているお父さんを発見することでしょう。 なんだかこう、読み込むたびに、じわじわくる笑いのような、哀切のような、笑いのようながありました。チョコとポテトチップスを食べてる感じで、なんだかサイトのトップにこの作品が来るとついクリックしてしまう。 作者さんもこういう休日を送ったことがあるのかなあ、など…。 知識とちょっぴりエッチとユーモアと、上質な娯楽作品でした。ありがとうございました。 (パパの日曜日)

2020-09-19

わあ、お褒めの言葉、ありがとうございます。とっても、うれしい、です。 四人、というのがなんなんだろーって、自分で、思っていたんですけど、コメントいただいて考え直したら、よにんじゃなくて、しにんで、じぶんのなかの死人を、殺して、清らかな塩に、してあげたのかもしれません。 そういえば、さいきん、ワックスのかかってないレモンが安く売ってて、おおきい蜂蜜を買って、はちみつレモンを作って、それをを飲みながら、書いたので、だから、蜂蜜なのかな? と、思いました。 いろいろありますけど、空想力だけは、とおくまで、駆けぬけていきたいですね。 (獅子の町)

2020-09-19

いかいかさんへ。 きちんとした、ご指摘、ありがとうございました。 消えているようなので、さきに、返信させていただきます。 なんとなく選んだカタカナでした。 日本語で書いたほうがいいな、と、実感しました。 それから、どうしてもカタカナをおかなければ、いけないところは、(スパンコールは、スパンコールみたいで、でも、スパングルとも、言うようです)ことばの響きを、意識しなきゃと思いました。 淡い水色をベースにピンクの薔薇柄の薄いカーテンが → 淡い水色を地に、薄くれないの薔薇柄の薄いカーテンが 淡い瞼の、うすうい、虹色のスパンコールの → 淡い瞼の、うすうい、光を反射する虹色の、スパングルの の、ほうが、きれいかな。 あ、淡い、が、短い作品の中に、かぶっている。 言葉を、選びぬかなければ、なりませんね。 アドバイスいただいて、ありがとう、ございました。 いっこいっこ、ことばを、大事にしていきます。 (獅子の町)

2020-09-19

そんなに簡単に死ねてたまるかーい!! ぺしい!! ってやりたくなるような作品でしたが、何しろタイトルが「摘出手術をしよう! 」と元気いっぱいなので、笑ってしまいました。 これが、「摘出手術」とか簡潔だったら、(...大丈夫かな?)と心配になると思うのですが。 詩なのかよくわからないけど、なんだかおもしろかったです。 (摘出手術をしよう!)

2020-09-12

コメントくださり、ありがとう、ございます。 包帯から、遊離がはじまっている。自分で書いてて、気づきませんでした。 一緒にこの世界で、ふわふわしてくださって、とても、うれしいです。 御作も拝見して、すごくすてきで、コメントしたくなりましたが、過去の作品で、コメントできないみたいです。いつか、必ず、新しい作品に、コメントしにいきます。 (獅子の町)

2020-09-12

コメントくださり、ありがとう、ございます。 あまり、むつかしいことばで、語られなくてよくて、ただただ、きれいで、さみしくて、そこにずうっといたくなる世界を、作りたかったです。 だから、コメントが、とても嬉しかったです。 (獅子の町)

2020-09-12

なんだか、なんだろう。私は色んなことを麻痺させるためにお酒を飲みすぎて、もう飲めない体なのですが、それは、この神様が宿ったお酒を飲んだことがないからだな、と、この詩を読んで、いま唐突に理解しました。 きっと、この神様が宿ったお酒は、心を悪くすることのないんだろうなって。 この詩にはお酒の神様が宿ってるなって。 橙子さんは、加藤登紀子の「時には昔の話を」という曲をご存じですか? なんだか、あの曲が流れてきました。味のしないお酒を飲みながら、ああ、あんな時代に、あんなふうに熱を持って生きていきたい、とあこがれていた変な二十代だったのです。 しみじみする、じんわりしみこむほろりとした詩でした。飲めないんですけど、なんだかほろ酔い気分です。ごちそうさまでした。 (Alleluja)

2020-09-12

おそらく、一番最初の作品から読み込めばとてつもなく面白く読める作者なのかもしれない。ひとつひとつのことばに意味を持たせるタイプの作者のようだから。まず、私にはその時間がない、ということ 。そうしてそのうえでさらっと読んで思ったのが、とてつもなくかたくなで、若い、ということ。 それは初読の「なんだかつまらない」とすれすれになってしまう危うい要素で、この作品においては「なんだかつまらない」に寄ってしまった気がする。 たとえば、『輪郭』においてはその若さと表現の硬質さが魅力として生き、本人のそして昔私も通り越してきた成長痛を思い起こしたり、はるか昔に両親に連れられて見学しに行った機織りの音が蘇ってきたりと、とても惹きつけられる「なんだか素敵」になっていた。 この作品は、なんだかときめかない。 かたくな、というのは、若さゆえに本人が譲れない部分と、表現が硬質である、という二点があると思う。若さについては「そんなこと言われても仕方がない」と過去の私が文句を自分に言ってくるし、この作者のいまの年齢のこの作品から、年齢を重ねて変化していくものを読者として追いかけていくのが楽しみだし、という点で、愛くるしい要素である。 では、表現が硬質である、というのはどういうことか。単純に漢字が多いというような視覚的に硬質と感じる要素と、もっと感覚的な部分で硬質と感じ取るところがあって、いったいどういうことなのかとても知りたくなった。 そこで、作者本人に詩作するうえで心がけていることを尋ねると、極限までそぎ落として骨にしていく、という答えがあったので、作者はぎりぎりまで自分の何かをあらわしたもの、血肉や脂肪や内臓や糞便をそぎ落とし、きれいな骨になったものをそれらを読者に差し出されたのだろう。 しかし、私はむしろ、人の、そして人の感情の血肉や脂肪や内臓や糞便を見たい人間だ。少なくとも、その部分に視点を置き表現してからでないと、きれいな骨を差し出しても、その美しさ脆さ生きてきた歴史みたいなものが見えてこないんじゃないか。(と、えらそうなことを書きつつ、私も私のそういう部分を表現してきたかというとちょっとわからない。理想論的である) あともう一つ、この詩において知りたいこと。 その「愛」とはなんなのか、親子か恋人かもっと別との何かか、執着か愛着か。 その「恐怖」とはなんなのか、たとえば自らが誰かを害するかもしれない己に対する恐怖か、それとも誰かに害されるかもしれない他者に対する恐怖か、人間対人間ではなく暗い山の中でもう二度と出口に辿り着けないかもしれないとぞっとする何かか。 作者だけがいろんなものをえがいて勝手に目覚めてしまって、読んでいる私もその感情や追いかけたいのに置いてけぼりにされてしまったようなさみしさを感じる作品だった。 作者本人の詩に対する愛やエネルギーやほかの作品で「なんだか素敵」なものがたくさんあることから、ながなが批評を書かせていただいた。最後まで読んでくれて、ありがとうね。 (剥奪)

2020-09-11

これまで、作者によるいろんな詩を拝見してきましたが、これはいいなあ、って思いました。 あとから力づくで置いたようなルビもないし、文語と口語が混ざっているわけでもない。 ただ素直に、疑問そして祈りの言葉が置かれている。 これからも、こんな風に、素直に素直に書いていってほしいな。このほうがたくさんの人に届くだろうから。ってちょっと偉そうにコメントさせていただきます。 (にじいろ、もぐもぐ)

2020-08-17

正直言って、何が書かれているかわからないな、と思いましたが、なぜだかそれが魅力的でした。 詩にする前のメモ、ということで、イメージの断片が置かれているような感じだったのかも。 最後までバーッと読んで、 「路地裏に眠る綺麗な骨はもうあの頃の事ですから」 が、なんだかすごく印象に残りました。この作者が路地裏に眠る骨であった頃があったのか、そうしてそれを「自分が綺麗だった」と認識しているのか、いまは血肉が付きつつあるのか…いろんなことを想像して、とてもいい読書の時間を頂きました。ありがとうございます。 (memo)

2020-08-17

おかえりなさい。トビラさんの作品は、散文より、こういう作風のほうが、やっぱりすきだな、私は。 小さいけれど、丁寧に丁寧に作られた、小さなきらめく星みたいで。やさしい言葉の底に潜む何かがあるようで、目を凝らしたくなる。 (きこり)

2020-07-04

お久しぶりです。 やっぱり、この世界観は、ただただひたすら好きだなぁと。 上質なSF短編小説を読んだ気になるんです。いつか全作品のデータを頂きたい、こっそりプリントアウトして、どこかの世界に行きたいような気分のときにじっくりじっくり読んでいくから。 (机上晩餐)

2020-07-04

綺麗です。なんだか、泣きたくなってしまう詩だなあ。 (桜の雨)

2020-04-09

トビラちゃん、お久しぶりっ、修羅の修子だよー、ハイタッチ。なんつて。 なんだろ、詩を読む楽しみって、ずーっとその人の足跡をたどって来て、そのひとの現実世界の変遷もなんとなくみえてきて、そうしてその人の作品や心が進化していくのをみる、っていうこともあるんだなって思いました。トビラさんの詩は、「湖歩行」あたりから「ぞっ」としてきて。それで、どんどんトビラ色というか、そういうのが出てきて、すごいなぁって。 詩の技術とかって、私にはよくわからなくて、音韻のよさみたいなのはやっぱろ素敵だけど、ほかはよくわからない。この言葉ひとつにどんな意味があるかとか、そういうのも普段何も考えずに読んでる。めちゃくちゃ、読みこむときもあるけど、普段はやっぱりサラーっと目を惹くのを読んじゃう。 それで、トビラさんの作品は、なんだか強いひかりを放つようになってきた。すてきだな。 花冠、渡せましたか。渡していきたいな、ずうっと。 (サヴァンな)

2020-04-09

鷹枕可さんとトビラさんの一部のコメントに、取り急ぎお返事いたします。遅くなりました。 他箇所のコメント、エイクピアさんへのお返事、すこしお時間ください。 私にとっては長いお付き合いのあるおふたりの意見がかぶっていたのと、そして、私もそのコメントによって考えるものがあり、それがやっと今日まとまって、さきにお返事しなければならないと感じたからです。 鷹枕可さんの >「語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」 >と言う詩句に附きまして、 >正直に申しますなら、虚を突かれた様に、私は怒りを覚えてしまったのでございます。つまり、図星だったのでしょう。私に限りますならば。 > >然し、身を擲ち、真摯に戦争を悲しみ、そを克服せんとする方々がいらっしゃるのも事実でございます。 >少なくとも、此のネット媒体と言う仮想空間に於ける安全圏からではなく、 >現実に行動を起こし、何某かを守らんとする、 >時の趨勢、その嵐にも屈する事無く立ち向かい続けておられる方々の意志を「ビラであり、プラカードでしかない」と断罪をなされる権利は、 >私達の誰一人とて持ち得ないのではないでしょうか。 トビラさんの >僕も、「あなたには水のはる国がない 小さな生とそして死を見落とし続けて 朗らかなあなたには 語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない」という連にはグサッとくるものがありましたね。図星だから。ただ、よく考えてみて、そうじゃないなとも思いました。少なくとも自分の中は空っぽじゃなくて、蓋をしているだけ。蓋の上は空間が広がっていても、蓋の下には何かいろんなものが渦巻いている。そういう意味では、本当に中身が空っぽの人っているのかなとも思いました。空っぽのように思える人はたくさんいるとしても。 ですね。 この作品は選挙中に書いたものでして、私の成育歴もあって、特にここは書かざるをえない衝動があったのだといま思います。私は、反・反戦詩によって平和詩を書けないかと願う、アホな人間です。 それから、お伝えしたいのが、詩の世界というのはいわゆる平和活動とかかわりが深い方も多いです。 実際に、ほんとうに、平和を思って活動されている方がいらっしゃり、そういった方と触れ合えて、かえって安心してポンと出てきた言葉であることもお伝えしたいです。 私は、戦争反対者二人による、虐待あるいは子どものabuse(乱用)経験者です。私もかつては家庭の方針で、プラカードを持ちビラを配っていたのです。左翼活動のかなり内部まで入れさせられました。「全共闘世代夢の子症候群」という、異常に認知の歪んだ状態を心理治療でいまも治し続けています。ほとんど治りましたが。 両親とも反戦運動にのめりこみ、私を振り向きませんでした。 母は、あるいは、本当に戦争によるPTSDを負ったのかもしれない。経済的な苦労もしたと聞いています。戦争さえなければ、彼女が私をabuseするようなことはなかったのかもしれない。そんな思いを抱いて、彼女は反戦活動にのめりこんだあるいは、利用されたのかもしれない。 母は、晩年は、左翼活動から身を引いていました。 では父はというと、両親によって経済的な苦労から全く免れ、甘やかされて育ったただのわがまま坊やです。 私は、幼いころから、両親の反戦活動をほめさせられる役でした。私が、両親を褒めて、反戦活動をするのはすごいねすごいねと言わなければ、あの人たちは満足しなかった。母は心理治療を受け続けたので、いつか、反戦活動家に幼児期に満たされなかった自己承認欲求を利用され、壮絶に子育てを失敗したことに気づいたのでしょう。私には父は未だ空っぽに見える。 そうして、この家族・私のこころの危機といったものにまったく無関心だった、母の葬式のときに「あなたは完璧に幸福な家庭で育ったわのよ!」と言い放った、この地域の反戦活動家というものを、私は心底軽蔑しています。 私が幼児期を過ごさざるを得なかった地域・時期の、そういった人々が極度に異常なだけだったのかもしれないし、あるいはそれはいまはもう改善されているのかもしれない。 ただ、私のように両親を反戦活動家にもった子どもたちの嘆きは、なぜかいまだ聞こえてくるのです。 この文章を違和感としてとらえてくださったお二人は、きっと、自分の内部を見つめられることでしょう。 そしてもしおふたりがプラカードを持ちビラを配られるとき、それは本当に平和を思われてのことでしょう。それは素晴らしいことだと心から思います。 私もまた、政治利用というったものと切り離されて、本当に平和に貢献できる小さなことがあるのであれば、いつかする機会もあるかもしれません。 なぜこの言葉を置いたのか、おふたりのご指摘によって考え、置いた理由を言語化して、やっと自分が分かりました。ありがとうございます。 だらだらレスしていきますことをお許しください。 (蠅)

2019-08-11

鷹枕可さん、こんにちは。 もうすぐ私の作品へいただいたコメントへのレスがまとまりそうなので、すこし、お待ちください。 そうして、鷹枕可さんのこの作品へコメントさせていただきます。 私はあちらのサイトのころから鷹枕可さんの作品が大好きでした。 こちらのサイトで拝見できましてとても嬉しかった。 また、一番最新の作品を拝見し、「あ~またいつもの作風も残っている」と嬉しかったのですが、でも、この作品も私にとっては嬉しいものでした。 いつもの作品は、なんといえばいいんでしょうね。 「鷹枕可の世界観が炸裂している作品」というポイント項目があったら、私はぶっちぎりで100点入れてしまうと思う(迷惑)。世界観、SF観の人というか……。 いくら、世界が閉じているかもしれないとか、可読性が低いかもしれなくとも、私は、いつもの作品もとても好きです。 漢字の組み合わせをみてはニヒヒと笑ってしまう。 というか、案外、鷹枕可さんの作品は、鷹枕可さん独特の語彙で綴られたファンタジー社会を描いているようでありながら、きちんと現実社会への批判とリンクしているときもある。 ここまで精緻に作りこまれた世界は、日本というよりはむしろ、外国の、一流アーティストによるコミックを思いだす。アメリカのバットマンシリーズなんか、一コマ一コマ書き込みに描きこむようなアーティストにしか任されないけど、ああいう感じです。 で、そうやってシリーズを追ってきて、この、ふんわりとした優しい詩ですよ。びっくりしました。 初夏の、四つ葉がときたま混ざっているシロツメクサみたいな。 見落とされがちな、ポエム、と揶揄されがちなもの。でも、私、こういう優しくて読みやすくて淡い恋情が漂ってくるような、愛らしい小品がとっても好きなんです。あと、いままでの作風からこの作風になったから、何!? 何があったの!? と画面の前で、いい意味で、しばらく混乱していました。 いままでの世界が、ある種殺伐とした、基本的には閉じ切っていて、その世界へ迷い込むのが好きな人間、要するに閉じた世界を持ったもの同士しか行き来できない都市を描いていた人が、突如、ポストカードに鉛筆に水彩の柔らかい小さな絵を描きだして、みんなに送り出した、という感じ。 いったい何があったんだろうと思いました。でも、優しい気持ちになりました。 またいつか、いつもの鷹枕可の世界が炸裂している作品にもコメントさせてください。ありがとうございます。 (あなたへ)

2019-08-01

鷹枕可さんへ わ~、こちらでまた再会できて、コメントまでいただけて、とってもとっても嬉しいです! レス、拝見しました。モンスタークレーマーだとは思いませんよ。とてもとても、考えさせられています。 私のこの考えがきちんとまとまるまで、すこし、お時間ください。この感覚だと、お返事を書くのに、三日から一週間くらいかかるかなと、そう思います。 ぜったいにお返事するので、すこしお待ちください。その間にも、鷹枕可さんの作品、こちらで拝見してコメントさせてくださいね。 再会に感謝します。 (蠅)

2019-07-28

帆場蔵人さん 丁寧な、コメントそれ自体がエッセイという形になっているものを拝読し、とても嬉しいです。 私はあらゆる人の人生の成立に興味を覚える性質です。できれば違う人生であればあるほど、いい。 自分とは違う、そうして好きなタイプの詩を書く人の人生を知るということは、たとえば美しいと思う恐竜の化石の成り立ちを知る喜びに似たものがあると思うのです。 帆場さんにとっての故郷を知ってしんみりしました。 詩の双方向性、というものを感じさせられます。 たった数か月前まで私は、詩に、こんなふうに双方向のものがあることを知りませんでした。 正しい読み、正しい解釈があると思っていましたが、そうではないということ。 詩は魅力的ですね。どうりでやめられないはずです。 ひとつの作品から、ひとつのエッセイが、またひとつの詩が、想いが生まれていく。 ひとりひとりが沈黙しながら沈み込んでいる湖のなかから、水面に向かってその人の呼吸があがっていくような、そんな感じがします。 ぱちんとはじけて、小さなさざなみが起こり、文字が紡がれていくのです。 そうですか、不思議な雑貨屋さんですか。いいな、面白いな。 いまふと、女王や孤児やビフテキを食べる青年などの小さなミニチュア像が値段もはられずに並んでいて、古い詩歌やウィリアム・ゴールディング「蠅の王」の本が並ぶ薄暗い雑貨屋。よくよく見れば壁には不思議な政治的な言葉も書いてある。ここはなんのお店なんだろう、と少し不安になる、でも何かそれぞれの品物に懐かしいものを覚えて手に取ってしまう、そんな情景が浮かびました。 過去の詩もありがとう。ああ、とても素敵な詩です。この詩はもっと評価されていいのに、あるいはこの詩の「感じ」と私の「感じ」がたまたま一致してんだろうか。 うまく伝えられるか自信がないのですが、頑張って書いてみます。 >理解は出来ず感じることしか出来ない >砂粒ほどの些細な重みが >僕に付着して堆積していく > >払いのけることもなく >あるがままに >なすがままに > >ふりつもり、ふりつもり >やがてあなたが苦しみの吐息を忘れて >天にすべてを返す時まで >わたしは待っている これらが、私の書いた最後の、 >その時初めて体に舞い降りる >あたたかな天衣、 >の と不思議と何かつながっているような気がしました。天衣は、てんい、とひらがなにしようか少し迷ったのだけど、天意ともひらめくひとはひらめくようにおいた言葉です。 帆場さんの詩では、ふりつもるものが、「僕に付着し体積したもの」がいつか天に帰っていく。けれども私の詩では、最期になにかが天からおりて、体に衣としてふわりと掛けられる(羽衣のイメージと天意のイメージを重ねたかった)。 私の詩で最期、作中主体に舞い降りて覆ってくれる衣は、あるいは、帆場さんの詩で主体が最後に天に返したものなのかもしれないと、なんだかそんなふうに思いました。私は帆場さんのこの詩を以前目にしたことはないのだけど、一年と無意識の領域をかけて連作になっている。 奇妙に嬉しい気持ちになりました。 とてもすてきなレスをありがとうございます! (蠅)

2019-07-28

藤 一紀さん この作品は、ともかく自分が何を書いたのかわからない、なんかぼんやり言葉を置いていたらできていた、あえていえば自由詩なんだろうという。もしかしたら、ある意味では、ふざけた作品でもあるかもしれない……。 >言葉を継ぎつつも、既にある理解に足る意味の連なりや結びやすいイメージを拒否するかのように差異を与えて、その破れ目に詩を見いだそうとしているような印象をもちました。 どういうふうな「感じ」を与えるのか、それが知りたくて投稿したようなものですから、「印象」を教えてくださってとてもありがたいです。 >詩を見いだす内的運動の痕跡としての言葉 私は本当に無知なので、詩における内的運動? というのがよくわからず、ググりました。あとで辞書をひけたらいいな。 「内的運動制御は網様体脊髄路を主として伸展反射や姿勢反射に関与します。https://rinsyo-gakko.jp/2016/09/13/noukekkann03/」ということで、心の動きとして反射的に編んだ言葉の痕跡がこの文字列で詩になっている、ということなのかな、と。 反射的に編んだ言葉が詩になっているのなら、これ以上嬉しいことはありません。 コメントありがとうございます。 (蠅)

2019-07-28

タカンタさん お返事ありがとうございます。 私の作風は固定されず、常に揺らいでいます。なぜならば、勉強したり、このようにやりとりをさせていただきながら、私のこころといったものあるいは頭脳といったものが、刺激を受けて日々進化しているからでしょう。また、ある程度評価をいただいて、ひとつの作品において手法というものができても、私はそれに固定されません。なぜならばそんなものができたら、書いていてつまらないからです。 ですので私の作品は、いつまでたっても判然としないものなのであろうと思います。でも、頂いたコメントで、象徴詩というものを読んでみようと思いました。ありがとうございます。 さて、ここから先は、ネット上のつまらない口論にもなりがちなものなのですが、そうならないように、たとえばここのコメント欄において延々不毛なレスが続かないように、注意して書いてみようと思います。 私はカフカは全作読んだと思います。昔ですね。今少し調べたら、やはり、読んだことがあるあらすじでした。でも、どちらかといえば、オーウエルの「1984」のほうが印象深いのです。こちらはなんとなく全体的なストーリーを思いだせます。 つまり私はカフカの「審判」よりオーウェルの「1984」に何かを「感じた」ということになります。私にとって、「何かを感じさせるもの」のほうが価値が高い。 では、私がタカンタさんに「あなたは芸術の価値をわかっていない」と言っていいのか? もちろん、そんなことはできません。私にわかるのは、「タカンタさんと私では芸術の価値観が大きく異なるのだろう」ということのみです。 そのひとの芸術観を否定することは、そのひとの人生の積み重ねを否定することであると私は思います。そうして否定したいとも私は感じません。多様性というものがあるからこその人間ですし、価値観の相違という孤独というそのものが文学のテーマにもなる。私のように芸術論に浅薄なものが軽々しく発する言葉は、破壊しかもたらさず、つまらないことであると思うからです。 美術館に火を放つように、皮膚を切り裂くように、破壊は簡単ですが、建設や再生は難しい。このところ、つくづく感じるところです。 では、「互いの芸術観の違いをどう埋めていくか」を建設的にやろうとするところで思うのが、タカンタさんは明らかに私のない才能をお持ちです。私は現実との生活の折り合いの中で、過去の名作をひたすら読み、筆写し、自分なりに何かを書いていくということで殆どいっぱいいっぱいで、文学史や詩史を言葉にしてまとめあげるという能力がありませんが、タカンタさんにはその力がおありになる。 このサイトは批評文も歓迎されている。つまりこのサイトで、タカンタさんなりの文学史・詩史などをよい文体で発表され、そこから学ぶことが、タカンタさんにとっても、私にとっても、そしてこのサイトにとっても、ひいては現代詩界すべてにおいて、最も利益となるのではないかと、私は思います。 丁寧で熱心なレスを下さって、感謝しております。ありがとうございました。 (蠅)

2019-07-28

こんばんは。こちらにもいらっしゃったんですね! 羽衣さんの作品大好きです。 うまく言えないんだけど、羽衣さんの作品には私が大好きなある絵の空気感が漂ってるんです。 ジョルジョ・デ・キリコ「通りの神秘と憂愁」 https://www.artpedia.jp/2015/01/16/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7-%E3%83%87-%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3-%E9%80%9A%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A7%98%E3%81%A8%E6%86%82%E6%84%81/ 短いのに、その奥の風景、登場人物の背景、はっと立ち止まって空想を膨らませたくなる魅力。 すごいなあ、と思います。 (かげ)

2019-07-24

タカンタさん こんばんは。コメントありがとうございます。 あ、いえいえ、私は不快だとは感じません。 これは、あえてジャンル分けするならば自由詩ですね。たぶん象徴詩ではありません。 自由詩の自由は、自由だから自由なんじゃないかな―と思うのです。 タカンタさんにとって、どんな作品が「判然とした詩」なのか好奇心をおぼえました。よろしかったらご紹介くださいね。 (蠅)

2019-07-24

stereotype2085さん こんばんは。コメントありがとうございます。 そうですか、力作に感じていただけましたか! 実はこれ、他サイトの白い画面に向かってぼーっと30分くらい向かっていたら書けていたんです。 で、なんだかよくわからないものができたなー、これはなんなのかなーと思ってこちらに投稿しました。 るるりらさんへの返信の通り、書いてみてから考えると、ああ、これは父(私はキリスト教の影響を強く受けているため、父=神という思考回路になりやすい)への反抗が根本にあったのかもしれないな、なんて思いますけど。 八連以降ですが、実は自分の作品をもじっちゃっているといういたずらをしていました。 https://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348&from=listdoc.php%3Fstart%3D120%26cat%3D1 (現代詩フォーラムという詩サイトの「赤真珠」という作品に飛びます) 終盤は、救いが欲しかったのでこうなった気がします。 破壊と再生というテーマが私の書くものにはよく見られます。きっとそういう人生を歩んできたのかな。 ともかく、何かを感じていただけて本当にうれしいです! (蠅)

2019-07-24

るるりらさんへのお返事の最初の方 私はまだ、「書いた日を、その人なりに読んでいただく」ということに慣れていないので、返信に、いたらぬところがあったらご容赦ください&つっこんでください。→書いた日ではなく、書いた詩 でした。 ほかにもところどころ重複があったり、分かりづらいところがあったりするなあ。申し訳ありません汗汗 (蠅)

2019-07-24

素直で好きな作品です。 男の人が青春時代を懐かしむ、昔の彼女のことを思って切なくなる、なんか、ものすご~く可愛い、あまずっぱい、夕暮れみたいな作品だなあと、思ってしまいました。 (屑籠に放り投げた手紙)

2019-07-24

すこしずつレスさせていただきます。 るるりらさん こんにちは。おお、るるりらさんに読んでいただける日がくるとは……。 私はまだ、「書いた日を、その人なりに読んでいただく」ということに慣れていないので、返信に、いたらぬところがあったらご容赦ください&つっこんでください。 とても、素敵な感想を頂けたと思いました。 survofさんのレスへも書いた通り、この作品は、 >子どもが、なんとなく最初にぱっと書きたいなにかがフワリと浮かんで、白い画面に向かって色をのせていくという感覚が強いです。あるいは、好きな写真や絵をカラーコピーして好きなところを切り取って、満足のゆくまで糊をつけてペタペタはっつけていく感じ みたいに、書きました。だから、何が書きあげたのか、よくわからないんです。 一休さんの時代の女性像のこと、興味深く拝見しました。そんな女性像だったんですねえ。ある意味、そのくらいの女性のほうが、飢饉やらお産の大変さやら、生きたり死んだりすることに対してはもちろんいろいろあっただろうけど、生きる上での典型の形があって、楽だったのかな、と思う気がします。 いまの時代の女性像は、とてもとてもたくさんある。「自立する女性像」は、とてもいいことなんだけれど、河合隼雄さんなんか私は結構好きで読むんですけど、「自立自立は自立依存」「母の自立は孤立でしょ」なんてこともある。でも、あたりをみていると、孤立しないで自立しているお母さんもいっぱいいるようだ。 あ、でも、何が書かせたかわからないと書きながら、実は、これは父のことを思いながら書きました。だから、作中での抗議する対象は父で、子どもは私だったんです。(でも、作者がこう考えていたからと言って、読者がそう読まなければいけないわけでは、もちろんない) るるりらさんの感想で、この作品のなかの抗議対象が母である、という読み方もあるんだな、と気付きました。 そうすると、自分が書いた、「絵」のような作品が、全く別の見方ができて、興味深い……。 なんだろう、父なるものへの抵抗を思うとき、この作品は、黒と金(聖書のイメージカラー)に自然の色が拮抗しているような連想をしたのだけど、母なるものへの抵抗と思ったとき、ふと、全体がなんだか切ないような色になりました。 自然の中で育たなければいけないための強さを纏わなければならなかった、自然のコスモスの淡い色に、 「金の夕焼けや 翡翠に 海の音を しずかに感じ」ました。 自分の読み方だと、聖書に向かって自然が立ち向かっていた絵のようなもの、狂気と破壊が、るるりらさんの読みを通して再度読んでみると、花園に、金の夕焼けや翡翠や海の音が聞こえてきて、それから、レモンの香りがして、全体に調和がもたらされたような、そんな感じがしました。そして、そうですね、言葉にすると嘘っぽくなってしまう、「愛」「思いやり」のようなものが立ち上ってくる。大切な、小さなものを見落とすまいという思まで。 とてもすてきな感想を、ありがとうございます。 余談ですが、詩の読み方、というのはとてもとても、面白いですね。特に、この作品が、あんまりなにも考えないで書いたからかもしれないのですが。 survofさんの評を頂いた時、私は確かに、survofさんの目で自分の作品を読みました。神経症的で、リアルと夢のような感覚が混ざっている世界です。コテさんの評からは、作中主体が何かを待っている世界を。 そしてるるりらさんの評を頂いて、私はまず自分自身が父と思って書いたことを思いだして娘の私が父に反抗する金と黒と自然の争う世界を思い浮かべ、つぎにるるりらさんの評をいただいて読んだとき、「愛」や「思いやり」が存在する自然界とレモンの香りがしてくる豊かな世界を思い浮かべたのです。 詩を書く、詩を読む、誰かの読み方を通して自分の詩を再度発見する、なんて面白いことでしょう。 ありがとうございました。 (蠅)

2019-07-24

ぎゃーコテさんー!! いや、天淵さん、またお会いできてうれしいです。 ふふ、あいかわらず素敵なコメントありがとうございます。 そうか、私は待っているのかもしれないなと、そう思わされました。 (蠅)

2019-07-19

私の作品に素晴らしい、素晴らしい評をありがとうございました。本当に感動しました。詩は双方向ですね。 「帰宅遊泳」を拝見して、あの評を書ける人がこの作品は甘いだろう、というのが本音でした。 もっと透き通った文章をかける人だと。 こちらの作品を拝見して、あ、こっちが本質なんじゃないかな、となんとなく思いました。 とんがったギャクのような、あるいはほんとの狂気のような。笑いと狂気ってスレスレだと思うんだけども、面白い文章になってる。 そしてふじりゅうさんへの返信で、本人のキャラっぽい何かと作品がつながって、再度読み直すときには含み笑いをしたのでした。 (小さくも大きくもない、只の恋のうた)

2019-07-19

梅酒のにおいがしました。蒸し暑い夏の景色がありありと見えました。そして、怪談ではヒヤリとしました。 くーっ、夏だぜ! 最高だな。 あ~面白かった。 ただ、私、帆場さんの、かっこいい系の作品が結構好きなんですよね。 大地のオード? 台所が廃墟? キャベツを掻っ切る? (うろ覚えでごめんなさい) ああいうのもまた拝読したいな~と思いました。 (夏の記し(三編))

2019-07-19

こんにちは。御作遡って拝見しました。「12月京都」が一番好きです。 いやあ、さすが。思考が全然追えません。好きだわあ。 本当に狂気だったら、あっちの作品も拝見してると、こういう一連の流れの作品にならないと思うんですよね。ですからわざとずらしてるのかな、と妄想すると、この人の脳内どうなってんのかな? とうひひひひ……と笑いを漏らしてしまいます。でも、あっちの作品のほうが全体的にピリリとしているような。 「天淵さんのかっとび文体」という項目があったら百ポイント入れたいですが、ないので、とりあえず前衛性にいれました。 (令和とは?)

2019-07-19

survofさん とてもうれしい、うれしいコメントをありがとうございます。 私はいま、書き物をうまく書こうというのを完全に手放しています。 私にとって言葉は絵の具のようなもので、子どもが、なんとなく最初にぱっと書きたいなにかがフワリと浮かんで、白い画面に向かって色をのせていくという感覚が強いです。あるいは、好きな写真や絵をカラーコピーして好きなところを切り取って、満足のゆくまで糊をつけてペタペタはっつけていく感じもあるかもしれません。 それで、できあがったものを見てわーい! となるものの、あとからみて自分で「なんじゃこりゃ?」となったりすることもこのところ強くって、どう見えますかっ? どう見えますかっ? というふうにいろんなひとに聞きたくて、投稿しているような気がします。 それで、survofさんに頂いた感想が、私にとって完全に満足のゆくものでした。とても幸せな気分です。 自分の書いた抽象画を、もう一度誰かが、私自身にも分かるように細やかに、細やかに絵に起こしていただいたような。 残酷なものと美しいものがさらっと同居しているという絵画に幼いころから惹かれてきました。 西洋絵画が多かったかもしれません。ドガの踊り子やクリムト、ミレーのオフィーリア。 それから残酷な戦争写真というのも思想教育上たくさん目にしてきて、ある時から私はそれを「残酷でやめなければならないもの」というよりはむしろ「これがそもそも人間のひとつの本性なのではないか」と淡々と受け止めるようになりました。子どもにそれを見せて平和と嬉々としている両親の内側にあるどうしようもないるサディズム、というものを感じ取ったのかもしれません。それでも実家は夕暮れ色の煉瓦とハナミズキ、雨に煙る紫陽花がお隣にはみ出しているという平安で美しい、小さな城のような家でした。 >「耽美」と表現するにはあまりに突き放された、ちょうど酷い交通事故現場の淡白な証拠写真のような、そしてその写真の背景に映る青空や雪山が非常に美しくて見惚れてしまうといったような バラバラになった私の内側にある衝動がばらけてはじけそうになるのを言語で結びつける、ということを幼いころからしてきて、自由詩というものに出会い、また自分を解き放ってものを書いてはつないでいます。私にとってこの作品にこの評を頂けたことが、ひび割れた食器(私の感覚)に金や銀の継ぎをあてて(survofさんの感覚)よりいっそういびつな完成に近づく、という感じがしました。 老婆のからだのどこかにある、明るい色の檸檬の刺青。てのひらなんかにあるとよいかもしれません。 ありがとうございます。 (蠅)

2019-07-18

この作品から漂ってくるもの、「おおらか」「ふくいくとしている」なあ、って。 ふくいく、という言葉の響きだけが好きで、どういう意味か知らなかったけれど、いい香りがするさま、だそうですね。ふくいく、なんとなく、はひふへほの、ふふふ、という笑いごえを思いだす。福が行くぞ! みたいな。かおりであれば、ぬくもりのある匂い。お日様に干したおふとんの匂い。 自分の作った絵本で自分の子どもに読み聞かせをする、そんな穏やかな声が聞こえてきそうな作品でした。 ごちそうさまでした。 (めるふぇん)

2019-07-17

トビラさん、おはようございます。 私がトビラさんの詩で一番ぎゅっときたのは、流氷を磨いて流す、のやつとこちらに投稿された「湖歩行」です。「湖歩行」はゾッとした。あんなに短いのに。あの二篇は名作ですね。 この詩は、巧い、んだと思う。 綺麗だし、レトリック・リフレインなどの技術も豊富なんじゃないかな。 それから最終連、トビラさんのおっしゃる「未来詩」私の思う「祈り」も込められていると思った。 辰砂、私がまっさきに思いだしたのは宝石の国という漫画の登場人物(漫画読むんですよー私)、検索して見つかったのが賢者の石、それからるるりらさんの調べられていた鉱物。 賢者の石、であれば、「どうしたって数えなきゃならない命があって」とか、「人は脳細胞をデジタライズしていって」行き過ぎた文明への警鐘とか。終連の緋百合(ひめゆりの花言葉は誇り、それからひめゆりから私が連想するのはひめゆりの塔、沖縄戦で消えざるを得なかった命と、ですね)と辰砂の生み出す朱色。 詩中の朱、それから、ひこばえの緑。 対比する色が効いてるのと、現代社会への警鐘とそれでも咲く花、希望と祈りと。 ただ、あんまり「ぎゅっ」とこなかったなー、私には。技巧が先走ってしまって、作者の衝動みたいなのがあんまり伝わってこないなあ、と。 とはいえ、私もそうなんだけど、詩や小説、つまり文字による作品というのの多くは練習作。というかそれは、美術や音楽など、芸術とされるものはみんな同じですよね。読んで、模写して、技巧がピタッとその人の指に張り付いて、技巧なんてものを感じさせないで技巧になっていて、しかも自分の中の衝動がだれかに伝わる作品、というのは、数年に一回書ければ上等なんだろうなあ。 たゆまずに書かれ続けている姿勢を見習わなければ。いつもありがとうございます。 (星辰)

2019-07-14

トビラさん ビーレビは馴れ合いの場所だよ!? なのに痛いところついてくるじゃねーか、さすが某所同期。めそめそ(なかば冗談笑 レイ・ブラッドベリの新作が読みたいです涙目 そういう意味では、レイ・ブラッドベリの超劣化版のあらすじという駄作ですね……ふっ。ただポイントをみると、いちばん伝えたかった叙情にポイントが入っているので一応成功かなあ。前衛性は自分でも求めてなかったので。 これもまたじつは散文の「あらすじ」でしたね。遠いめ。 ブラッドベリ亡き今自分で書くしかないので、いずれきちんと書き直します……。 (森)

2019-05-14

帆場さん コメントありがとうございます。 いやあ〜こちらは「なんとなく作品でいいかな」と思っていたものの、投稿してしばらくしたら、本当に書きたかったものの「あらすじ」にしかなってないことに気付きました。本気で書けばあと10倍くらいの長さの、レイ・ブラッドベリの劣化版くらいの作品になるかもです。(書けたら、いつか読んでください笑) でも、あらすじにはきちんとなってたようで、ホッとしました。それから、一番読まれたかった単語はきちんと効いていたようでホッとしました。 ちゃんと書きますね〜ありがとうございました! (森)

2019-05-14

taishi ohiraさん 私はいま男性詩人からのメンタルハラスメントを受けptsd症状が悪化しています。 以前のようにセクハラコメントを連発されたら笑って受け流せる状態ではありません。 私はあなたのことを不快に思います。しかし一応覚えて頂いていたことと音楽の才能に敬意を払います。コメントありがとうございました。 (森)

2019-05-14

同期発見! なんていうか、トビラさんの初期作からほぼ全作を知っている(であろう)身からしたら、どんどん表現力が研ぎ澄まされて、もしかしたら自身の祈りも、つまりいま何か奇跡が起きているのだろうか、というような作者への好奇心もわいて。 黒く焼けた底、星の夜、奇跡がおこる。 いかいかさんからも多分好評価なはず(妄想)。 めちゃくちゃ気の抜けた作品を投稿していたので、トビラさんの進化具合をみて、ハッと気持ちが引き締まりました。く、悔しい。その自分への探究心半分くれ、自分に厳しすぎ真面目すぎるだろう(酷評?)。 いや、私も精進しますわ〜。 ご馳走さまでした。 (湖歩行)

2019-05-14

同期発見! なんていうか、トビラさんの初期作からほぼ全作を知っている(であろう)身からしたら、どんどん表現力も、もしかしたら自身の祈りも、つまりいま何かとつ (湖歩行)

2019-05-14

やっぱりそうだ、と確信したような気がするのです。イシムラさんがなぜ旧仮名遣いにこだわれるのか。(あ、別の方とのとのやりとりもこっそり拝見しました。) やっぱりイシムラさんの言葉の多くはホラーとかタブーに触れていると感じる。 それで、旧仮名遣いになると、私には、あ、なんとなくロマンチックというワンクッションになるんだけど。 氷河期、黒い羽根の神さま、新しい世界、新しい命、そしてまた血塗られていく十字路。 やっぱり、怖いな~と思いました。 (雪の十字路)

2019-03-24

生と死をあつかった詩はたくさんあるけど、読んでいて気力を奪われる、というものが多いです。 (と、人のことは言えるけど、きっと私の詩もそうなんだろうなあ) るるりらさんの作品は、奪われることがないんですよね。 与えてくれる。 それはなぜなんだろうと、るるりらさんの多くの作品を読みながらいつもおもうのです。 (グリコのおまけ)

2019-03-24

fiorinaさん おはようございます。 詩に細かくポイントをつけるのは、その人の心を切り刻んで、切り刻まれたそれぞれに点数をつけていくような、痛々しい気持ちがするものですから、ポイント入れなくてごめんなさい。 綺麗でゾッとする、と感じました。 あんまり素敵すぎて感想があんまり出てきません。 fiorinaさんのことばは、私のうんと深層にあって、見ないふりをしていた景色を掘り起こして見せてくださる、と思います。 いったいどのような心境になったら、ここまで内部をえぐれえるんだろうと。 こういう詩に、古さも新しさもなくて、良さだけがあると思うんです。 (夜の庭)

2019-03-24

あ、イシムラさん発見。こんばんは。 「詩と散文詩と小説の違いが分からない」のですが、ショート・ストーリー風でなんかいいなあ、と思いました。これだけ短い中で情景や登場人物の背景を思い浮かべることが出来るのは、情報が圧縮されているからだろうか、とか。詩は情報を究極まで圧縮して、小説はわりと全体的にさらさらしているのかな、なんて考えさせられました。 イシムラさんの作品は、ロマンチックに見えて意外とホラーな要素がありますよね。 削りたての鉛筆のにおいが香ってくるようです。 小さいころ、いろいろ不思議なことがありました。このようなことが私にもあったのかなと、ふと、懐かしいように思います。 (室内)

2019-03-06

fiorinaさんの詩はやはり、白地に黒文字で読みたいなあ、と思いました。 なんだろう。選び抜かれた言葉が光っている気がする。(すごく感覚的ですみません) 最近知ったんですが、詩にも流行の語彙だとか、書き方があるみたいですね。 でも、fiorinaさんの言葉は、選び抜かれたいいものが、とても綺麗に配置されている感じがして、 なにかに左右されなくて、みているとすーっと落ち着きます。 「とおいむかしわたしも歩いた 霧の道 そのすべてはいつか燦々と光につつまれる 、と 」 なんとなく、私もこの霧の道を歩いたことがある気がする。 (まなざし)

2018-11-12

fiorinaさんがいらっしゃるときに出席したいでーす(こそっ (【弓庭夜話】第一回のおさそい)

2018-08-23

百均さんは、もっと、書ける人だと思ってます。 価値観の押し付けかもしれないし、単純に、1ファンとして勝手に期待しちゃってるのもあります。 真剣に、一文字一文字、血反吐を吐くようなものも書ける人だと私は思う。 こんな風に軽く、口当たりがいいというか、いかにもネット詩らしいネット詩(私にとっては、知性化のすすんでいる詩)を書いて、場に馴染んでいる。それも才能です。 でも、百均さんは、本質は違うんじゃないか、と思いました。 百均さんにとってのスター。私も、本当にあの方の詩は恐ろしいほど素晴らしいと思います。 奇をてらわないで、自分の内面のものを綺麗な血だまりみたいに吐き出しているというか。すごいですよね。 もちろんこのネット詩のスタイルも、評価されている方もいらっしゃるし、私にはあまりよくわからないのまけど、これも百均さんのスタイルなんだと思う。 けれど、滑稽でも下手でも暗くてもビーレビで評価されなくても、血だまりのような内面を描いたものを読みたいな、って思います。 百均さんのポテンシャルってすごいです。 ビーレビの運営の中で、いちばんのびる人だと思う。 もっと、作品読ませてくださいね。 (ANEMONE)

2018-06-16

ある種の諦観、のようなものと、それゆえの激しさのようなものを感じました。 (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-05-02

やりとりが非常に興味深いので横から失礼します。 原口昇平さん 「なるほど現実社会とほとんど関係がないこの詩は漢詩ではないのだな」と受け取っていらっしゃるのですが、おそらく「現実感=現実社会」を敢えて切る「隠逸」という手法があると酔翁さん自身が書いていらっしゃいますので、これは「隠逸」によって書かれた漢詩なんだと思います。 酔翁さんのレスにある ②ですので今回の作品では現実感を敢えて切ってあります(いわゆる隠逸です) かと。 (求仙)

2018-05-02

わー、すごくかっこいいです!! なんというんだろう。椎名誠のSF、漫画なら弐瓶勉の昔の作品というところか。 いい意味で、意味があるんだかないんだか分からないカランドリア・ミクソリディアということばの魅力的な響き。 地球上の地名かと思えば、それぞれ化学・音楽の分野の単語という素敵なこと。 「青いカランドリア」なんてなんとなく、なぜかスペインかどこかの地名かと風景が浮かんできて、けれど単語を調べたら、機械の中に国があってそこでふしぎな人々が生活している様子が目に浮かんできました。「透明なミクソリディアの野」は宙に浮いた野原の風景でしたが、こちらも単語を調べたら音楽とともに一気に男たちが駆け抜けてゆくシーンに変換されました。 パッと拝読しただけで、貧しく荒廃した近未来的の閉鎖的な土地で、力強く異形の人々が生々しく生活するというな映画を観たようです。 吉岡実って知らなかったんですけれど、「視覚的な詩人」なんですねえ。椎名誠のSFも弐瓶勉の漫画作品もありありと生活が描かれていてすてきなんです。 すごくすごく面白かったです。 私はこういうの書けないなぁ。すごいなぁ、かっこいいなぁ、読めてよかったなぁ、の喜びの嵐です。 (夢見る宝石)

2018-04-24

「長く愛されてきてる。」でした。ほかに誤字脱字ないかしら。ごめんなさ~い!! (語り得ぬこと ※)

2018-04-14

こんばんは。 こんなこと書くと運営さんに怒られてしまうかもしれませんが、fiorinaさんの作品をビーレビで拝見するととてもほっとします。 15歳のころはじめてインターネットにふれてから、たくさんの詩のサイトを見てきました。 私は詩は抒情詩からはいりまして、熱意を抱いた大学生という年上の人たちが、「既存の詩や文学にとらわれない作品を」とわあわあやっていて、ものすごく感動していくつか投稿したんですけれども、私にはあまり合わなかったし、いま思えば大学生というモラトリアムの時期を過ぎたたくさんの人たちが、詩から去ってゆかれ、詩のサイトもまた閉鎖されました。 そして、けっきょく、いま思えば、そういったサイトでは、「またぜひ読みたい」という作品に出会うことがありませんでした。 そう、一つだけ覚えています。 「生命のアルペジオ 鼓動の〇〇リズム」 〇〇内は忘れてしまいました。 この二行を、心臓のかたちに作られた作品でした。 (どなたか作者あるいは全文を覚えていらっしゃる方がいらしたら、教えてください) 彼ら彼女らの言葉は、けっきょく、そうですね、ペプシの奇をてらった季節ものの味だったのかもしれないな、なんて思います。 「そうそう、あの梅シソ味、なんかキョーレツな味だったよね」 という記憶なのかもしれません。 ビーレビはいつまで残るでしょうか。記憶のかなたに去ってしまうサイトになるでしょうか。頑張ってほしいな。 さてさて長くなりました。 fiorinaさんの作品は丁寧な御馳走です。 「語り得ぬことが 涙ぐんだり笑ったり語り合ってる」 すごいな、と思いました。 作品も、そして自註もとても、うまく書けないけれど、すごいな。 あえて炭酸飲料にたとえたら、ウィルキンソンの瓶のジンジャーエール味、という感じかな。辛いほうです。 瓶もきれい、味もおいしい、長く愛されてきる。 fiorinaさんご自身は、ウィルキンソンの炭酸でも、時代によってあまり瓶という形にとらわれず、あら、面白そうだから、今度はペットボトルになっていろんなところに出かけてみようかしら? なんて方なのかなと、ふっと思いました。 批評をこえて長くなってしまいました。笑って下さい! (語り得ぬこと ※)

2018-04-14

花緒さま、まりもさん、返信が遅れました! 特にまりもさん、長文をありがとうございます。 はい、友人のひぐすりの絵は、「半神」が絡みつくようなものでした。 そうして、絵とセットにならなければ完成しないことから「半身」でもあります。 私は、「ポッと言葉が出てきちゃった(大学時代の恩師のことば)」で詩を書くので 基本的にあんまり自分の詩の評価に執着しないというか、とても大切にはするんだけれど、よくわかっていないところもあり……。 (他の方のケンケンガクガクのやり取りをみていると、ものすごいナ~……と思う) ただ、なんだろう、この詩ばかりは、「絵につけるぞ!」という明確な意志と しかし、まぁ、なんというか「ちょっと漢字遣いがポエムっぽいなぁ」という危なっかしさもあり それと、「絵とセットで完璧になるが、けれど詩、単体としても成立させたい」という挑戦もあり 批評をドキドキして待っていました。 花で飾られて外部に押し出されるということ、部外者として扱われるということ。それを自覚する、外部の視点を持つということ ほんとうに、このように解釈してほしくて書いたので、やったァ~! という気分であります。 友人にこのまりもさんの解釈をコピペして送ったら「不思議な気分~」とすごく喜んでおりました。 どうもありがとうございますです。ペコリ。 (半身たち)

2018-03-13

笑ってしまいました! ふふー、こういう時期がfiorinaさんにも(きっと、みんな!)あったヨネ、と。 「あのね、私もこういうの書いたことあるの……」 「あっ、私も私も!」 月明かり星明かりの入り込む小さな部屋の、ランプの下で、かつての少女たちが、文芸部の同窓会をしているようです。 なんだか、懐かしくて、嬉しいなあ。 (私に※)

2018-02-28

村上龍の影響を感じましたが、どうでしょうか? きっとすごいエネルギーを抱えていらっしゃる方だと思います。書き続けてください。楽しみです。 (自己紹介、私が言葉を書く理由。)

2018-02-28

なんだかとても素敵な世界観でした。 ものすごくしっかりまとまっているし、不思議なユーモアがあって、何回でも読み直したくなっちゃう。 私は詩は一年ほど前に書き始めたばかりで、詩とはいったいなんなんだろ? みたいなことを考えることがふとありますが、そうそう、詩ってこういうふうに日常にまぎれてるんだよナア、という。 平成の日常な混ざっている詩、というのを、だれか返詩で書いてくださらないかな〜(他力本願)。 (思い出す詩のことなど)

2018-02-28

ありがとうございます。いますこしバタバタしていますので、とりいそぎお礼を! ゆっくり返信させていただきますね。 (半身たち)

2018-02-28

この作品を拝読し、とても、不思議な感覚がしました。 「私へ」という、fiorinaさんがfiorinaさんに書かれたような題名の、1997年の作品でありながら、2017年の冬の田中修子という私の中にいた私へ、語りかけてくださったような感覚がしたからです。 くっきりと、森の風景が見えました。 私には、言葉少なだからこそ、見える、懐かしくてたまらないような風景でした。 誰かの中にある、底のもの、を拾って文字におこすことが、すぐれたものをかく人のすることである気がします。 それから、また、三か月ほど前でしょうか、なんとなくスマートフォンにメモして、あんまりにもう自分の中で書き尽くしたものだったので放置していた私の詩をふっと思い出したのです。そこには、fiorinaさんがこの詩で書かれた「森」に通じるかもしれない風景を、私もまた書いていました。 狼~首長竜らよ、までです。 fiorinaさんの中にある風景と、私の中にある風景に、トンネルや橋のようなものができて、すっと渡っていくような、そんな気分に勝手になりました。 返詩、ではないのですが……私もどーもすこし似たような風景を見ていた気がします、わーい!!(?) というお手紙のようなものでしょうか。 いつも、すてきな作品をありがとうございます。 「あなたという夜の母」 どすぐろいものが わたしをのみこんだ ひかりをくれ、と泣きながら あなたのため、と云いながら 可哀想であげた わたしを はは、というものに、すべてを そのころ わたしはまだほんとうに 笑っていた 光っていた あったかだった たたきこわされてこなごなになり 粉を練られて練りあがった土人形 その、腹の底 もうどすぐろい どうせなら わたしは冬の夜になりたい 狼の遠吠える 森の夜 枝にふりつもる 青い雪 月明り 星明り 乱反射して仄明るく 鏡の沼の底に泳ぐ 首長竜らよ ほろびはない 再生している それは、あなた わたしのうちにうずくまる ひんやりとした しずかな はは (私に※)

2018-01-12

いえいえ、私もまだまだ「削っていく勇気」もないし「読んでもらいたい」より「書かねばならぬ」ところが多い人間ですよ~。 恩師からの受け売りの言葉も多数です。人のあら、人のいいところは良く見えるんだなぁ~と。 詩なり童話なりまたほかの言葉の分野で、私がプロかセミプロになったら「追いつきたい」とおっしゃってください。 たぶん、私自身の作品に対しての言葉かけでもあったのだと思います。書き続けましょうね!! (らふか)

2017-12-23

な~んか、素敵です!! すごいなぁ。 いちいちライトレスなのですが……や~。 (光景)

2017-12-19

一連目、すごくよかったです。ほかの連もすごくいいところがあるのに、個人的には、 「世界に、 ちっぽけな世界に リトル・グッバイ」 とか 「屋根がきしむようなリズムで 隣で誰かがセックスしている」 があるだけで読み飛ばしていました。 なんとなく、全体的にはすごくすごく目を惹いて胸にくるものがあるのに、もう誰かが一万回ぐらいありふれた顔で安っぽく切なそうな顔をして書いている、「リトル・グッドバイ」のような単語があるだけで台無しにしてしまう、もったいないさというか。 私は単語の好き嫌いが激しくて、嫌いな単語があるだけで読み飛ばす傾向があるからかな。 でも、「自分の手で編み出さねばみたいな強迫観念でもって以降は綴りました」、という、やりとりの中でのこの作品がつくられた過程というものに納得するものがありました、作る人の何かを守るために、とても必要ですよね。 一字も捨てたくない作品、というのが、どんなに駄作といわれても、私にもあります。 私自身も、「書かねばならぬ」ところが、作品をダメにするところもあるので、えらそーに指摘しながら、自分の作品を振り返っております。 読み込んだら、ほんとうに、素敵なところはとても素敵でした。こんなに書ける方なんだぁ~、という感じでした。 「書かねばならぬ」という強迫観念があるところ、エゴで書いているといって自分を否定する卑屈さを持つ人が、「読んでもらいたい」へ移行して、削っていく勇気を持つとき、何かがいい音を立てて壊れて新しいものが作り出されていくような気がします。あるいは、詩をはなれて、別のジャンルにも挑戦してみるとか。 ちょっと昔の自分をみるようで、ダラダラとよくわからない感想みたいなものを書いてしまいました。 (らふか)

2017-12-19

fiorinaさんの作品は、読む御馳走ですね~。 軽やかなんだけどすごく上品な、季節の味のシャーベット、という感じがします。 もうちょっと食べたいな、って思うよな。 「楢山節考」読もう!! と思いました。 ( 楢山節考※)

2017-12-19

ちょうど自分自身が、海にまつわる思い出話を書いていたところで、とても印象的な作品でした。 るるりらさんの作品は、私の知っている支配する母性愛、というものをなぜか勝手に私が感じてしまって、なんだかひたひたと怖いものを感じることがあります。 (すごく素敵でお上手だな、と思いつつ、やわらかくも絶対に一歩も自分の正しさを譲られないであろう怖さ、を、感じることがなぜかままある。なぜだかはわからないのですが……) この作品に出てくる海は、とても、おそろしく強い、母でした。 真夏の海岸に咲く桜。 全体的に、すごくお上手で、単純な私はこのようなものを書けない、すごい、という気持ち。 それなのにどこかに、ある種の、狂気めいたものを感じて恐ろしい、それでも好きにならずにはいられない、気になる。 なんだかとてもすごいと思います。 拙い感想で申し訳ありません。 (砂の中の海)

2017-12-07

なんだか、本当に、不思議な感じがする、とてもきれいな詩のようで、底の方が見えない沼? みずうみ? のような感覚もあって。 澄んだ不気味さ? 不気味という感じでもなく。 こういう、感想の書けないもの、というのはとても独自性の高いものだと思います。 前の作品にあった、 「放尿」と「アンズ」のように 「吊るされた鶏」と「風にさらされる」、現実では眼がとめられずに伏せられるものと、ロマンチックな詩に登場する言葉の対比が、とても、とても好きです。 ファンです。楽しみにしています。 (東風)

2017-12-07

『言葉とはうぶ毛のようなものだ。その国の言葉を持たずにそこで生きるとは、全身のうぶ毛を抜かれた赤裸の皮膚を晒して生きるようなものだ。』 冒頭のこれだけでなんだか、ゾーっとするほど何かを、語りつくされた気がします。 かっこいいなぁ。 それからは、fiorinaさん独自の潔さ、そうして心の奥の方にこっそり隠れている度胸と落ち着きが見える丁寧な旅行記で、素敵で。 最後にはふっと、以前の作品とあわせて、「9/11のあとならば、甘い考えにはふけれなかったのだろうな。9/11とはいったいなんなんだろう」と、うんと静かに問題提起をされたようで。 その手の話題には、普段耳を塞いで拒否している私の心にもチェロの音のように静かに滑り込んでくるような、そんな感じがしました。 ( 出口まで39キロ~南仏紀行)

2017-12-07

「明恵 夢を生きる」河合隼雄さん 持ってます グフッ。 (精神分析の先生がミョウケイさん、と呼んで印象に残っていました) 類型的でなく自分の生き方と照らし合わせて解析する、すごいですよね。自分の夢はよく分からないなぁ……。 本を持っていることだけをなぜかちょっと自慢したかったので返信させていただきました、この呟きへの返信はお気になさらず~!! (ゆうゆうとしろながすクジラ                )

2017-12-07

おはようございます。微妙な長さのこの作品、目にとめていただいてうれしいです。 静かな視界さんは前半のほうがお好きなんですね。前半が詩で後半が物語りかぁ~!! 後半に向け一気にスピードがあがっていったり、崩壊していくのは私のこういう系の文章のクセのようです。 いや~いろんな視点で感想がいただけて嬉しいな~。 行頭一文字についてですが、これは私が掌編にも満たないけれど、一応小説として書いたものなのでどうしても必要なんですね。 詩なら空けないんですけれど。 詩とも読め小説とも読める変な作品ですねぇ。どうしよう~。 コメント嬉しかったです、ありがとうございます~!! (「三途川」 上)

2017-12-07

ださい、という率直で斬新なコメントをありがとうございます!! 批評というのは底に「この作品のここは好き」という愛があってするものです。 (私は批評は書けないので感想ばっかりです) ですので『「わたし」が母親のお腹のなかにいるときから意識があったところと、海で老婆に会うシーンは印象的だったのに直喩がへたくそでださかったからもったいない』、というふうにとらえさせていただきますね。 コメントありがとうございました~!! (「三途川」 上)

2017-12-07

もたらした~ だった・・・・・・すみません~汗汗 (古代そして意識の地層は)

2017-12-07

誰の無意識の底にも潜んでいる昔の恐ろしくかなしい儀式、を詩に起こしたような。 まれびと(僧侶? 外国人? 口にできない身分の人? あるいは神仏のかたちをした流木?)はどこからきてどこへゆくのだろう。 恵みをもたらしたのか災いをもたらしたのか、あるいは災いを起こし鎮める儀式をしたあとに恵みをもたたしたのか。 なんだかとてもなつかしい感じがしました。 私の中の無数のおくわたちが喜んでいる、ような気さえする、という妄想がムクムクわくのでした。 すごいなァ!! (古代そして意識の地層は)

2017-12-07

なんだか、とても、とてもすごいと思いました! うまく書けないんですけれども。 放尿という、普通にあって普通に書かないものを目にとめられるのが。 小さい時の記憶と、現在のありようと、最後の「あんずの花」が甘いパンチがきいて、ほぉ~!! っとなりました。 (長いつき指)

2017-11-24

あっこれ好きです!! なんとなく、藍色のどろっとした水の中に白い兎が沈んでいくのが見えるようです。 (よる)

2017-11-24

わ~、やっぱり、いいですねぇ~。 そういえば、クジラの出てくる夢を、昔見たのをふっと思い出しました。 海で兵士たちが戦っていて、澄んだ海の中にいたるところにお刺身のような肉がポトポト落ちていました。 肺が綺麗に切りひらかれている兵士が、致命傷だろうに、巨大なクジラの中に寝て、私に話しかけてくるのでした。 (あぶない夢だな~~~) 白島さんの詩を精神分析家にかけたらどうなるんだろう?? と妄想~。 「魂にメスはいらない」谷川俊太郎,河合隼雄 河合隼雄さんは、もう亡くなっているけれど。 (ゆうゆうとしろながすクジラ                )

2017-11-20

不思議な、不思議な感じのする文章ですね~!! でも、とっても、綺麗だなぁ。 ゆめ、まぼろしをみているよう。 (頬)

2017-11-19

感想ですが、作品自体は、私は、あまりよくわかりませんでした。 (とことん好き嫌いで見るだけなので、批評に向いていない~すみません) でも、「多くの方にも議論に参加していただきたい」ということで。 まりもさんのこの詩を書かれた動機『「他者の死」を哀悼する、事実として述べて、その際の作者の裡に起きる情動と同様の強度を持った感情を、他者の裡にも喚起する、それを言葉の力で行おうとする、という欲動と、「死後の世界」を体験してみたい、というような作者の好奇心、読者の好奇心を満たしたい、という欲動、その両者を、現実を描いた、というシチュエーションで結びつける、という行為が、成功しているのか、どうか。』とすれば、私には、成功していないかな、と思います。 ただそれがなんでなのかちょっと分からない。 あ、もしかしたら、「海」は母を感じさせられるので、「父の死」と私の中ではまったく結びつかないのかもしれない。と、ふっと。 海の描写が多ければ多いほど、なんとなく、母について書いたものだろう、と思ってしまう。 母の死であったら、自分の中に入ってきたかもしれません。 父を連想させるのなら、太陽が落ちたとか天空が真っ暗になったとか、そちらの方が納得いくような気が、私はします。 でもこれって、ちょっと(かなり?)歪んだ読み方ですね。 なんとなく、参考になれば! (海)

2017-11-19

白島真さん わー、たくさん、ご指摘をありがとうございます。 特に、改稿のところ、お時間をいただきましたよね。ありがたい~!! どれもああそうだ!! と思えるところ、ばかりで。 あっ、言い訳ですが、一か所、ぐずぐずのところですが、おっそろしい膝かっくんレベルの書き落としがありました。 ここを書き落としたの私なんてことしてくれたの!? 推理小説ならば犯人と凶器が判明するところだよ!? と。読み直して床に一瞬突っ伏してました!! 「そうでした、わたしの片方の乳房を切り落とそうとしたのでした。ずいぶん昔に血にまみれて錆になっているような色で、グズグズになっておりました。」 のところですが、 「そうでした、わたしの片方の乳房を、鎌で、切り落とそうとしたのでした。その鎌は、ずいぶん昔に血にまみれて錆になっているような色で、グズグズになっておりました。」 です。鎌の描写なんでした。 …… オフ会に行ってきまして、話しながら整理したのですが、私はのほほんと詩を書きながら、やはり小説も書きたいと思いました。 そうして、小説は、もう、散文詩的小説でイコ~!! と。ありがとうございます!! 現在の私は、「おくわ団子」あたりにチラリと見えます。でも、あれは「おくわ団子を美味しく食べてみるシチュエーションで書いてみた」の二次創作であって、自分のアイディアでは書いてないなぁ。一次創作で、また書いていこうとものすごく思いました。 (「三途川」 下)

2017-11-19

fiorinaさん ありがとうございます。 そうですね、長生きして、書き続けなければいけませんね。 キャンキャンしていますが、苦笑いしてお付き合いいただければ、嬉しいです。 (今度はカーテンがきます~!!) (「三途川」 下)

2017-11-19

まりもさん 伊東静雄さんを教えていただいてありがとうございます。読みたいなぁ。 そうですねぇ、きっと、その方にとっては、生活詩への退行は、生きることへの前進であったでしょう。と、勝手に想像します。 苦しい状況が「名作」を書かせたのであれば、刺激のない穏やかな生活や対人関係を選び取った伊東さんは、「いま眠れる方を選ぶ~」なんて、わらっていらっしゃったかもしれません。それはそれで、なんとなく、ほのぼのします。 こんなものを書いた人間ですが、さっきべつのところでポエポエ~としたのも書きました。書いている本人は、けっこう、のほほんとしていい気分です。笑 このお話しは、光の繭ですらなく、生きることの中で吐いた、血反吐のようなものでなかったかと、思います。グロテスクな血を吐けば、だれか、気づいてくれると思っていたのではないでしょうか。 ここに投稿させていただいたのは、なんでかなぁ。それでも愛しい鬼っ子だからかもしれないです。 だからこそ、批評やコメントをよせてくださった方が、光をあててくださったのは、不思議で、よろこばしいです。 (「三途川」 下)

2017-11-19

まりもさん あーそうです! この作品を書いて、「さーてどう分量を増やして投稿しよう、最低30枚にはしなきゃいけないんだよな~」と頭を抱えていたときに岩井志麻子さんがデビューされて、「やっぱ時代の底に流れる物語りは決まってるのよ! でも私には文才がないのよ!」と、もううらやましいやらねたましいやら自分にはやっぱ才能ねぇわ~、なんてなったり、あのころはとっても大変なんでした。笑 まりもさんとはそのころの読書傾向が似ているのかもしれません。なつかしいです、南総里見もラヴクラフトも。 そうしてまたご指摘いただいて思い出したんですが、私は中学校がキリスト教系でした。いろいろなことが重なって私自身が原罪であって、かつ、救いもいらない、というような心理状況に陥り、fiorinaさんへの返信にありますように強烈な精神分析を受けて、もうしっちゃかめっちゃかで血を吐くようにして書いたので(どんな高校生だ)、思想的・深層心理的なものは無意識に詰まってるんでしょう。 うーん、あの頃の生きづらさをまた与えるかわりにこのころの文才を戻してあげる、と言われても即座に断るので、もうこれ以上のものは書けない気がしてきました(ボヤき~)。 ありがとうございます~。 (「三途川」 下)

2017-11-11

fiorinaさん このころの私はちょっとなにを考えて生きていたんだろう、という感じで……まだ小説作法も意識していなかったし、勘で書いたとしか思えないのに、読み返してみると「このころの私めっちゃ文章うまい~!!」「もう無理」「いや、また勉強しよう」とへこんだりあがったりしてこころがせわしないこのごろです~。笑 fiorinaさんの、安定して丁寧な作品のほうが、とてもすごいと思うんです。 fiorinaさんの、「深い闇のそこからやってきた」でふっと思い出したのですが、この少し前に精神分析を受けていて、とくに、見た夢を分析家の方に話しては、「ユングによってはその夢に出てきたものは」とか「キリスト教によっては三回繰り返すということは」というふうに深層心理を読み解いていただいていました。ラッキョウの皮をむいても向いても出てくるのは涙だけですねん、なんて聞きながら。 このころの私のほうが、「いったい『三途川』が出てくるということは深層心理にどう影響を与えるんだろう」という風に、登場人物や、読み手の心の動きとか、心の底でさえ、10代の頭で極限まで考え抜いていたのかもしれません。 「星星を繋いで夜空に星座が浮かぶように」なんてほんとうに、きれいな評をいただけて、もうほんとうにうれしいです。ありがとうございます。 (「三途川」 下)

2017-11-11

Migikataさん えへへ、「天才と狂気は紙一重」「ニ十歳過ぎたらただの凡人」ということで、私がわずかに一瞬なんかの才能があったかもしれないころの作品でありまして……。ともかく、「面白く読んだ」というコメントをいただけただけで、とても嬉しいです。 最近またものを書きたい欲が出てきたので、少しでもこのころに戻れるように頑張りたいなぁ。 変な環境に生きていたので、何らかの現実は投影されているかと思います。 ただ、実家でそういうことはありませんでして、実在する12歳上の兄は、まーったく関係ないことを兄の名誉のためにはっきり書いておきます。ごめん、兄! そうそう、無残で綺麗、というものをやってみたくてこれを書いたのです。ありがとうございます。 (「三途川」 下)

2017-11-11

花緒さま 投稿先がない、でも自分としては可愛い、という鬼っ子でして、こちらに投稿させていただきました。優れているかはわかりませんが、人の目に触れる場所をご提供いただいて、とっても嬉しく思ってます。ありがとうございます~。 (「三途川」 下)

2017-11-11

私は古典的な作品が好きなのでこういう作品は理解できなくていい、と思って素通りをしていたのですが、るるりらさんのコメントを拝見し、 「なるほど、たしかに美術館の壁一面にバーン! とこのモールス信号が打ってあって、かたすみにもとの詩が書いてあったら素敵だろうな~」 と思いました。 かもめみたいに見えてきれいです。 でも、作者にるるりらさんの読みよったような意図がないのであって、レスだけの意図なら、残念ながらこういう詩ってネットの世界ではよく出てくる、ものすごくありがちな表現かと。 (それは、わりとこちらのサイトにいろんなかたが「現代詩に挑む」というような意図で投稿される作を拝見して思うことでもある)。 15年くらい前かな? 私が中学生で、ネットの投稿詩サイトがあふれるほどあってふらふら見ていた時から、こういうものがあったような強烈な既視感がします。若い人に多い詩風で、若い人のウケがいい気がするけれど、はたしてあのころの投稿サイト、投稿サイトでもてはやされたものを書く人が、どれだけ残っているんだろう、と。 「言語の本質」に迫られたいのであれば、誰が読んでも感動できるものを平均的に提供できるようになってから、こういう実験的な作品をもっともっと突き詰めて作られてもいいんじゃないんでしょうか。ピカソだって素が天才的に上手だから、あれだけ崩しても評価されるわけですし。 私は常日頃書くものがいつも平均以下ですから、ぜんぜん実験できない。 少なくとも、「書いた詩をネットのモールス信号変換サイトで変換してみました」じゃ甘すぎる気がします。 survofさんのおっしゃるように「自分で言語を作ってしまう」とか、毎回毎回、そらで覚えたモールス信号でしか人ともやりとりをしないような作者のキャラクターとしても強烈さがあると、面白いかも。 論稿を書かれているということで、きっと整った文章も書かれる方なのでしょう。そういった文章も拝見したいような気がします。 (かもめ)

2017-11-11

運営さま 私自身が高校生頃に書いた作品ですので、冒頭の注意書きの他、あえて年齢指定などはしませんでした。 こちらのサイトにふさわしくないとご判断されましたら、遠慮なく削除くださいませ。 (「三途川」 下)

2017-11-05

批評というより、自戒も込めて、なのですが。 全体的に、なんとなく、説明文のように読めてしまいます。 キャラクターの容姿の説明も、あまりないのですが、小説の場合には、あったほうがいい気がします。 たとえば、「真里亞」という象徴的な名前ならば、「イエス・キリストを抱くマリアの肖像のようと言われる真里亞」とか、逆に「マリア像とはまったく逆の印象のすると笑われる真里亞」とか。無神論者の佐倉も、なんとなく酷薄そう、あるいはだらしのなさそうな容姿がちょっと浮かぶような一言があるといいかな、とか。「いつもシワクチャでかすかに匂うシャツを着ている佐倉」とかでしょうか。 (「」内は、全部私の妄想ですので、もちろん、硝子さんのキャラ設定で) それから私は、学生のころ、小説を書くときには「~のように」を多く入れるように、と教わりました。 「真里亞の心は傷んだ」というのなら、たとえば、私なら、「思い切り走って転んだっきり消毒もされず、数年治らないままじゅくじゅくと黄色く膿んでしまったように、真里亞の心は痛んだ」とかでしょうか。 また、「佐倉は家庭に恵まれていなかった。アルコール中毒で暴力を振るう父とその奴隷のような母に育てられた」っていうのは二重の説明で、アルコール中毒の父とその奴隷のような母に育てられたなら家庭に恵まれていないのはあたりまえなので、「家庭に恵まれていない」を削りなさい、と、大学の先生ならおっしゃった気がします。削れば削るほど、読者の想像の入り込む余地があるそうです。 三人称と一人称も混ざってしまっています。 「私なんのために働いてんだろうね。なんのために大学入ったんだろう。なんのために生まれて来たんだろう。」のところは一人称、ほかは三人称だな、とか。 「(私なんのために働いてんだろうね。なんのために大学入ったんだろう。なんのために生まれて来たんだろう。)」 と、独白であることを示す()がいるかと。 人のあらはよく見えてしまう、ということで、必死に大学の先生に教わった小説作法と、このところ読み直している「小説の書き方」系のものを思い出しながら書いております。 私も短編小説らしきものをいくつか投稿していますので、よろしければツッコミお待ちしております~。 (MARIA1 短編)

2017-10-29

fiorinaさんの整った文章が、私は、とても好きです。 崩れた文章しか書けない人、たとえば私ですけれど、しっかり書ける人が、うんとすごいと思います。 (まりもさんも訂正なさっているけれども)小論文の模範解答は、おそらくもっと無味乾燥なんじゃないかな、と。 それからまた、 fiorinaさんの文章の魅力は、みなさんの批評への返答にもあらわれているような気がします。 書簡集を読んでいる気分になるのです。 美しい風景の中では、喧嘩も美しくなる、というのは、こういうことなのかもしれませんねぇ~。 私は飽きっぽくって嫌味っぽくていかんなぁ~。 (また、テーブルに置く照明を買いました!) ( <歴史遺産>)

2017-10-04

Migikataさん、まりもさん、白島真さん。 まず最初に、「書きすぎ!」「立ち上がりが遅い!」というご指摘をありがとうございました^^; お三方共通のご指摘であり、あらためて読み返してほんとにそうだな~と思ったので、まとめてお礼を申し上げます。 大学の先生にも、よく、「自分の思いや風景を書きすぎるより、削って読者の想像が入る余地を残すこと」と指導していただいていたことを思い出しました。 では個別に~。 Migikataさん 「文章力が追い付いていない」アイタタ~です。このところ、本で気に入った表現を筆写する、という作業をサボっていたからかも。再開せねばです。 あと、もともとガッと風景が見えて書き出して、あとから嫌らしくネチネチネチネチ修正していくタイプなので、5年後くらいには追いつくことができるかもしれません……。 全体としては楽しんでいただいたようでよかったです。コメントありがとうございました! まりもさん 引用していただいた部分に誤字がある~ひぃ~(布団をかぶる)。 そうですね、渋谷のスクランブル交差点です。最初は「渋谷のスクランブル交差点」とそのまんま書こうとしていました笑 思い浮かべていただいたということは、うまく表現できたのかな。わーい。 私の文章の塊の作り方として、私自身が風景に入って起こっていく出来事をどんどん書いていってそのままアップしてしまう、という傾向にあるんですが、読み手の方には、入っていく過程というのはなんだか面倒だなぁ~ってことと、ともかく大学の先生の「田中さんは書きすぎです」を、思い出しました。コメントありがとうございました! 白島真さん 白島ラヂオを拝聴しながらビーレビ見ていました~。 あの詩を拝見した時、おくわ団子とそれにまつわる物語がグワーッ! って見えたんですよ! それで書かねば~書かねば~となりました。久々に生きていた感じです。アイディアをありがとうございます~。 前半部分をザクッと削るの、正解なんだと思います。 私自身は日常→変貌→クライマックス部分に向かって旅をして、単に旅をしている過程を書いているだけなので削除も推敲もせず(ちょっとはしましょう)違和感がないんですが、旅の過程が地味で下手なのか、また読み手からすると日常→変貌の書き方にそこまで違和感があるんだよ、と教えていただいた感じがします。 「海」2篇もさくっと変貌していきますね、そういえば。なんというか、いちおう小説の書き方で散文詩を書くことを忘れてはならぬ、と思いました。 鵜飼い! 鵜匠! ごめんなさい! ひー! イメージ先行で調べてなかった! 紙の本にするときに(いつ?)全体的に書き直したいナァ。 SF映画は、「アイランド」か「ブレードランナー」かな? 両方とも大好きな作品です。特に「ブレードランナー」でしたら、幼稚園児か小学生の分際で感動した思い出があるなぁ~。 (「おくわ団子」)

2017-10-04

『「純粋って 残酷よね」 甲高い声が窓ガラスにぶつかって』 『尖った葉はきらきらと光の乱反射 不意に幾度もあなたに斬りつけた』 『海いくつ隔てて やさしさばかりが打ち寄せてくる』 すごく、すきです。自分の中にあった感覚や風景を、掘り返されたような。 (望郷)

2017-10-04

え~いつもの感じの白島さんの詩がいい!(でも、「いつもの白島さんの詩」とはなんだろう) と思いつつ、白島さんの低音絶叫朗読で再生したらどんな愉快なことになるんだろうか! という想像もまた止まりません。 (きっとカジュアル)

2017-10-04

「おくわ団子」  友人が、たのしい地獄、と名付けた都会を歩いている。この街はいつも電気と人の祭りで、夜中になろうとするのに、夜があかるい。  ここではみな、男も女も見分けがつかない。年寄りも若いのも、うじゃうじゃいて、みんな同じだ。  この群れの中では私ははみだしものだと思いたいけれど、はみだしものすらうじゃうじゃに混ざって、やはり、私もなんでもない。  誰かをいじわるに思う私すら、いったい誰だろう。部屋に大量に湧き出て、無表情でつまみあげて塩をかけた巨大ななめくじたちのように、都会という排水溝の中にまざりあって溶けている。  電車ですぐ来られる距離にかかわらず、私は普段ここまで外出することがない。近所のスーパーに買い物にゆき、運動不足の解消のため近所のスポーツジムでときたま泳ぐ、精神の安定のために近所のカウンセリングに行く、人をならしてたのしい地獄の病。  それで時たま祭りに参加したくなる。昔ながらのハレの祭りではない、ケの日常でもないのなら、名づければ毎日催される、どんより曇の毎日誰もが無理やりはしゃぐ祭り、排水溝の中でぐちゃぐちゃにまざりあってゆく都会のあかるい夜よ。  外国人が巨大な電気と人のぐちゃぐちゃに入乱れる交差点をを動画におさめ、私はそれを見る。すらりとしたいまどきの人形のような女の子が歩いてゆく。体のどこかにピアスを付けた男が歩いてゆく。こないだ来たときとも変わらずに毎日催される、けばけばしい、どんより曇祭り。  私も緑の電車にしゃがみこんで、そっと参加している。  隣にいた男がごそりとリュックから紙を取り出して読み出すと、いきなり、その声で曇が割れた。  都会の薄明るい空がごっそりと、田舎の夜のように暗くなる。電光掲示板に、巨大な狐の面が浮かぶ。白に赤、ニヤリと笑う。 「 おくわ伝説 とり残された桜並木の土手を歩く はなびらが路上を染めるころ 時折、うすい血のにおいがする おくわ団子のたれが濃すぎたせいだろか ・・・・・・ 」 ほがらかな人柄を思わせる、しかしなにかがのりうつったように腹からひびく声を聞いて、私の耳にとどろいた。  男のとなりには幼子のような男の妻が立っていて、男の腕に手をかけほほ笑んでいる。  私は猛烈に腹が空いた。  腹が空いてめまいがして倒れそうになった。  瞬きして気づくと、そこは、祭りだった。  老若男女すべてが、とつぜん、浴衣を着こなし下駄をはいていた。ヘンテコな今様の浴衣をきている若い娘も、ピアスが映えるような黒い浴衣を着ている若い男もいれば、正当で、あれぞ日本じゃ、とほれぼれするような着こなしをしている人々も多い。片手に缶ビールや電球ソーダ。もう片手に焼きそばやたこ焼き、それから、団子を持っている人々も多い。  その団子は、いっけんみたらし団子のようだったが、みたらし団子と違ってタレは茶色ではなく、ぞっとするような、血のように澄んだ赤なのだった。  私だけは取り残されたように、近所のスーパーで適当に買いそろえたままの服を着ていた。  あれが、「おくわ団子」だ、と私は分かった。そうして、知らぬはずの「おくわ」のついての知識が、脳の階層の中からふっと発見されたアンモナイトの化石のように、つやつやと思い出されてくるのであった。  「おくわ」とは、ある町の発展のために人柱にされてきた娘であった。そうして「おくわ」は、実はすべての人柱の、もととなる者だった。  人柱の風習がはじまって終わるまで、人柱とされた娘には、たとえば「すず」とか「おりょう」とか、そういう名前の娘ももちろんあった。しかし、日本で最初に人柱となった娘の名が、「おくわ」であった。そうして、いままでに何十人か何千人か知らぬけれども、人柱となってきた「すず」とか「おりょう」たちも、実は、すべて「おくわ」の生まれ変わりなのである。同時代、同時刻に人柱にされた「すず」も「おりょう」も、不気味なほどに同じ容姿をしているのだが、それに気づいたものはない。中には、双子が人柱となるときがあり、手をつないで息絶えるとき、ふたりの「おくわ」ははじめて、ひとりゆく孤独を知らないこともあった。  私は、本当の名前を思い出した。  私は、「おくわ」である。  いくつの村、いくつの町のために、どれだけ人柱となってきたろうか。どれだけ荒ぶる川に投げられ、土に埋もれてきただろうか。テレビで恐ろしい氾濫を起こすあの川の底に、いまはくさむらとなったあの廃村の空き地にも、輝く都会の地の底に、私は存在していた。  私が幼いころから両親に疎まれてきた理由が分かった。何人か男と付き合ったが、誰も私の空虚を埋められた男はいなかった。私は数多の自らの死の上に立ち、飽きて、そして、死を乞うていた。  巨大な交差点は、トウトウと黒く鳴る川になり、浮き灯籠が赤に橙に輝きながら流れ、夜だというのに鵜も、鵜飼いもいるようである。  渋谷の駅前の百貨店は「露店ストア」と名が変わっていた。  さて、最後の腹ごしらえをしよう。私はうきうきと「露店ストア」に入っていく。  威勢のいい男たち女たちが、リンゴ飴や広島焼、ビッグ・ポテトフライやケバブ、射的ゲームなどに声をあげて客寄せをしている。私はこれから人柱になるので、手を差し出せば多くのたべものが手に入り、子どものようにはしゃぎながらゲームをやった。  最後に〆で食べたのは、もちろん「おくわ団子」であった。  もともと「おくわ団子」とは、川に入った「おくわ」の死体を食べて肥えただろう鮎(鮎が取れない時期は、白身魚で代用する)をすりつぶしてつくね芋や卵白と合わせてはんぺんのようにし、水あめにベニバナをといたタレをかけたものである。すこし塩辛く、タレはべとりとして甘い。  もう、腹はいっぱいである。  「あなたのその帯をいただけませんか」  となりの若い女の子が現代風の帯にしている淡いチュールをそのように頼むと、女の子は素直に帯をほどいてくれ、浴衣の前がはだけたが、それよりもこれから行われる儀式の一部に自分の帯が使われることを誇りにしているようであった。  さきほどまで巨大な交差点であった、いまは浮き灯籠が赤に橙に黒く流れる川の前に立ち、私は足をチュールの帯でくくった。  私の両隣には、私とまったく同じ顔をした女たちが、同じようにずらりと並び、人柱になる準備をしていた。数百人はいる。彼女たちは私であって、すべての「おくわ」であった。  足をくくりながら私たちは懐かしくおしゃべりをする。  「ねぇ、これだけ私たちが人柱になって、この街は、この国は、またどのように発展するかしら。ぜんたい、私たちのおかげよねぇ」 「私たちがこれだけ集うことも珍しいわね。はじめての出来事かしら。いいえ、日本書紀に出てくるあのころ、いちどあったような記憶もあるわね」 「あなたよく覚えていてね。私はもう覚えてないわ。でも嬉しいわ、私たち、これまでだいたいひとりぽっちだったのにね」 「滅びるんじゃないかしら」  もう、誰が私で、私が誰なのか、どの「おくわ」がそういったのか分からない。  「滅びのための人柱ではないかしら」  「じゃ、お先に」  私は立って川に飛び込んだ。  暗く流れる川の底、私の口や鼻から漏れてあがってゆく銀色の泡。底から見上げる浮き灯籠の輝き、ひらめく魚たち。つぎつぎにしずかに「おくわ」たちが川の底に落ちてくる。  息苦しさに目をつむる。  これから素晴らしい発展をとげるこの街、そのすばらしき礎。 --- 「おくわ団子」があまりに頭を離れないので書いてしまいました! (書きあがりナウ。誤字脱字ないかこわいナウ) もちろん作中のおくわ団子は私の創作です。 そもそもは白島さんの詩で思いついちゃったものでありますからしてどうしようかな~と。 とりあえずこちらに投稿ポチン。 (「おくわ」伝説)

2017-09-29

田高さん、すっごく失礼しました。 でも高田の方が平凡な感じがしていいかもしれません(言い訳?)。 あと、私から、ハァモニィベルさんにもお詫びがあります。 私は田高さんとある場でお会いして別系統の作品を購入したことがあり、そっちはやはり非常に感動したから購入に至ったのでした。全体的に安いものを販売している場所のなか、プロの単行本と同じ価格設定でしたが、購入せずにはいられませんでした。 その後やりとりをしていて、ほかの作品でも「読者」が感動するものを書ける人であるという先入観? があって、ともかくこの作品に対する私の感想文は、トコトン「田高さんのこのときの気持ちになって考えてみましょう。田高さんのの気持ちになって、叫びに答えてみましょう」という感じ、おそらくこの一作のみ知っている方より相当な思い入れを書いてしまったので、田高さんとのなれ合いになってしまっていますね。 ってわけで、田高さんも、他の作品を投稿なさるといいのかな、と。そうしたらハァモニィベルさんもまた、面白いかもしれません。 花緒さんへ こんにちは。 私は学芸員さんというのは、全般的な知識があって自分としては好きではないものでも展示し評価することをする職業の方かと思っていましが、このサイトの、花緒さんは、どうも私の思っていたと学芸員さんとは違うようである、ということを理解いたしました。 ところで「でわ」というのは、私がよくやるうちまつがいでありましょうか? ただ、もちろん、無料で労力を払ってサイトを存続させており、無料で利用させていただけていること、とても感謝しております。 (ときどき人に話すこと)

2017-09-05

ぎゃあああ!! なんか、私は、よくわかりやすいものが好きだと思っていたんですが、これはよくわかんないはずなのに、なぜかよくわかって、ガー!! ってきます。 (塩の柱)

2017-09-05

竜野さん こんばんは! これってひとりひとりのこだわりというか感じ方があるというふうに思うようになってきまして、あんまり考えこんでも仕方がないのかなーって思ってきたところです。 poemの語源がギリシャ語の「作られたもの」の意であるなら、詩もポエムも作られたものであるからして、みな作られたものである。(ん?) やなせたかしさんはたしか「詩とは現実生活の圧力の中で結晶される言葉の宝石」と書かれていた気がする。 そういう意味ではこのこの言葉の連なりは私にとってすごく現実生活の圧力でできたものなので、詩なんじゃないかなーって思ったり思わなかったり。 よくわかりませんねぇ。 面白いなー。 竜野さんの意見をうかがえて嬉しかったです! もし他の方も、ご自分の詩/ポエム論などあれば拝見したいです~。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-09-03

私は、文章を読むときに漢字とひらがなとカタカナがいい感じに使われているかと、あと好きな単語が入っているかだけでうっとりしながら読む人間なんですが、これはうっとりしながら拝読しました。 青という漢字そのものが好きなので、とてもいいなーと。 (つくづく感想文ですな!) (青の断章)

2017-09-03

高田さんやほかの方の文の引用をした「」が私のこのパソコンからは表示されず、読みづらくなっているかも。申し訳ないです。 (ときどき人に話すこと)

2017-09-02

こんにちは! 感想を言いに来ました! 聖書ふうにいうと、 「はっきり言っておく。この文章の恐ろしさが分からないものは、幸いである」というところでしょうか。 (怒られそう~) 淡々と高校の学年主任が 「ここで社会に役立つ機械を生産したと思っている」 と言ったはずだ でゾゾゾゾ、というか、恐ろしかった自分の成育史を思い出してヒャアアア、といいますか。 それ以来私は 世の中の仕組みとそのなかで喜んで踊る人たちに苦笑しながら かといって代案があるわけでもなく ただぽつねんと立ち竦んでいる 背中越しに仕組みが見えて 「ああこいつらも同類か」となってしまう これはこれで疲れる 類を見ない、笑顔である頭のイイそして行動しているがゆえの孤独だなぁ、と思うわけです。 まぁ、これは私自身の成育史と思想史とでもいうところと、 高田さんの成育史と思想的なことろがすこしかぶっている(Twitterで見ていればよくわかる) から異様に私が拾ってしまう、というところもあるわけですけれども。 高田さんが欲されている批評というか、感想は、非常に高度な政治的内容を含むものかと。その内容は、人類としての社会を構築していく在り方すら問われているんでしょう。壊れた理想論であるとはいえ。 この作品は、詩の形式をとった散文詩になりそこねたモノ、というよりも、非常に難解な思想本を読み解き、理屈に埋もれるだけでなく自身も誰よりも最先端の暗部を見つめて活動し、逆に淡々として書かざるを得なくなった、いっけん平凡であるが作者の人生が投影された解体すれば解体するほどに孤独が出てくるものすごい化け物のようなもの、というわけで、ですからどうしようもなく生きていく君の世界の経験が、文体で、個性で、テーマだというこちらのサイトに投稿されたわけですが、ここでもああこいつらも同類かと思ってしょんぼりされたのかなァ、とか。 おそらく、おおくの読者は、ああいう世界のなかで陥る孤独というものを知らないわけですし、ふつうは知らないものだそうです。 ですから「思春期の誰もが通る普遍的な悩み」として読み取るしかできない方もいるのかな、と思いました。自分の持っている知識だけからしか、作品に対しての評が出ないのならば、私は普遍的な文学の解体の仕方に対しては非常に低能ですが、心理的な孤立は異様によくわかるわけですから、「文学としてうまいなぁ」というよりは「おっこのいっけんふつうの人の、心理状態素敵にグチャグチャそう」というふうに異様に反応します。 そうだ、おい読者の君 何か案があれば教えておくれよ 少し参考にしたいから、さというのは、 「思春期の誰もが通る悩みからガチであっちやそっちの知識を読み漁り活動をしてみたものの、あっちでもそっちでもなんだあいつらも対して高校の教師や同級生と変わんねぇじゃないかと分かって立ち竦むしかない、俺どうしたらいいんだよ」みたいな病気寸前の叫び、に聞こえました。私には。 しかし、私にはお答えできません。というか私も誰かに答えてほしいです。笑 私も長らく叫んできましたが、普通の人はその孤独を知らないから答えられない。また、ほんとうに没頭して信じて動いている人に叫んでも、なぜかあの人たちの耳は命をかけてすら泣き叫んでも、とても上手に素通りするようにできるようです。 ここからは完全に妄想ですが、「立ち竦んでいる人」だけを集めて政治グループを作って第一党にでもなって思うがままに世の中を動かしてでもみれば、非常に愉快かもしれませんね。 そしてなーんだ〇〇の国家じゃん、としょんぼりするのもまた、目に見えていたりして。 (ときどき人に話すこと)

2017-09-02

何と申しますか、とてもエロティックですてきですー! 「おくわ団子のたれ」 すごいですね。ぞっとしました。 私はおくわも、おくわ団子のことのことも、はじめてこの詩で知ったのですが、 二回目に拝読したときに、みたらし団子のようなおくわ団子のたれが真っ赤な血そのもので染まって、 夏祭りでみんな美味しそうに血塗れの団子(=おくわの魂であり肉)を食べている、 そうして胃でおくわ団子が溶けたころ、自身にもなぜか贄にされた記憶がかすかに思い浮かび、 快活な恋人たちが、快活に笑いながら川に入って自ら意味もなく贄になってゆく、 という死の伝染のような情景が浮かんできました。 想像過多なんでしょうけれども、想像過多にさせる文章って見事で素晴らしいですね。 おくわという響きがもうたまりませんでした。 (「おくわ」伝説)

2017-09-02

小笠潔さん 丁寧に感想をいただきありがたいです! いちおうこれは恋愛詩なんですけれども、その当時、「お前(当時の彼)がほざいてる恋愛なんて所詮お互いの優位性さがしだろ、ああ?」みたいなやけっぱちな気持ちで、入る言葉を探せずに「-」にしてしまったんです。 「地に埋まる骨」はきっと私のことで、当時のかなり本気で死にかけていた私が絞り出した私の状況みたいなものなんですが、「最後一行、<地に埋まる骨>で「どんっ」と鈍い音が響いて、現実に引き戻されました。容易に甘さや酸味だけでは済まない、生の真っ只中にいる人間のにおいが放たれていると感じました。」私よりずっと上手に私の気持ちを書かれていて、小笠さんはすごいなぁと思ってしまいました。 つくづく批評が書けず、批評に対しての幼稚な感想文でなんだか申し訳ない・・・・・・。有難うございました。 花緒さま ご回答ありがとうございます。 参考文献のurlにさっと目を通しましたが、1. そもそもの始まり では ポエムと詩は違うものであると書かれていますが、2. ポエム蔑視の終わりに、 しかしながら、そもそも、ポエムと詩とを区別する風潮、文脈そのものが、ポエム/詩という二項対立に基づいており、しかもポエムにはそもそも詩という意味が含まれていたことを考えると、ポエムの方がむしろ詩というものを規定していると考えられ、その結果詩の優位性が崩されて、ネット空間におけるポエムと詩との区別はつかなくなる、とも考えられる。 と書かれており、立ち上がりよりも結に近いほうが論文の「言いたいこと」は示されるので、「ポエムと詩の区別はついていない」というのがこの論者の意見かと。 さらにこの記事自体が「考えられ」を多用し非常にあいまいであるので、参考文献として示されるのはちょっと弱いような気がしました。 書き込みの 「構造 #SFo5/nok URL >はかいし それについては時系列完全に逆だろと思う。 ポエム蔑視から詩蔑視に拡大したわけじゃなくて 詩蔑視があったからポエムとして(詩人側が)切り離したんじゃね。 」 という方がもしかしたら花緒さまの理論に近いかもしれませんね。 花緒さまにとっての詩が「構築されたリ重層性の伴うものである」であり、私のこの詩?は「構築されたリ重層性が伴っていないように見えて案外そうでもない」と批評していただいたことは理解できました。 私は構築したり抑制するものを意識的に書くことはできないので、私の書いてあるものは文章ではあるが、一体何なんだろうとやっぱり謎が深まるばかりであります・・・・・・。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-28

私の書き方が悪く、お伝えできなかったのかもしれませんので再度書き直させていただきますね。すみません。 私は、小笠さんのこの作品が、とても好きです。 誰かの作品を好きだ、こんな風に書きたい、という気持ちが、すごく伝わってきて、なんだか愛おしいのです。 また、よい作品・よい作家に触れ、いいところを真似して書くのは、とてもいいことですし、若いころへたに自分の独創性を打ち出していくよりは、上達が早く、のちのち才能の長持ちがします。 独創性など、年を取って、他の人を考え方をだんだんうけつけなくなり、頑固になってしまえばいやでもついてきちゃうものだと思っております。 いいものをたくさん読み、たくさん好きになって、たくさん書いてほしい、と願ってます。 (私が鈴虫だったころ)

2017-08-19

生真面目に、小笠さんが、ご自分の好きな詩人のように書いてみたいと思って書かれた詩なんじゃないかな、と。 憧れてやまない初々しさが、私はとても大切なもののように思います。 (私が鈴虫だったころ)

2017-08-17

「アカウントに鍵をかけるときのような静かな音」すごいですねぇ~!! 実際に耳にする音ではないはずなのに、何かこう、心がシャッと閉じる音が聞こえてくるような。 ゲンダイノワカモノ(と言われるのが私は昔は非常に嫌だったんですが)、しかし、ゲンダイノワカモノにしかできない斬新な表現のような気がします。 (黙すること)

2017-08-17

非常に長くなりました。みなさまへの返信をさせてただきます。 なかたつさま ああああ!! 冒頭のわたしだけがひらがななのは、誤字です。お見苦しくて申し訳ありません。 当時、私のなかでこの詩の「-」には、「愛」「殺」「許(あるいは赦)」の三文字が入りました。でも、他の人の恋愛の形ではどんなものが入るんだろう、という遊びもあったかもしれません。 「-し合うことができるかもしれないのに」は、「あんたアルバイトか家事くらいできるでしょー!(してくれれば付き合うのに……)」というズルズルな思いが出ているのかと。笑 彼はネットに発表する絵だけ描いていて私にあれこれ言う自分を誇りにしている、まさに「がらす界の王子様」であり、私は体を引きずるようにして限界まで働きまくって神経症やら何やらを発症していて、現実に生きてるが死んでしまうそうだった「地面に埋まりってお骨になっちゃいそうだよもー」という感じだったのかもしれませんねぇ。あはは……。 花緒さま えーっと、質問させていただきます。ポエムとは詩とは別なんでしょうか? 「ポエム」とはいわゆる「あなたの頭のなかってポエムだね~」みたいな感じなのか。 純粋にポエム=詩? 「詩」っぽいけどぎりぎり「詩」っぽくない?? むむ?? ふっと疑問に思ってしまいまして。 すみません、あまり自分で詩を書いているという自覚がないまま、どうも自分が書いているのは詩らしい、というノリで遊びに来てしまっているので、いろいろ尋ね歩いてしまう感じです。もし、お返事いただけたら喜びます。 ハァモニィベルさま 二回のコメントありがとうございます! まず、忘れないうちに二回目のコメントのお返事から。 「パチン!」を入れたのはそこの部分だけあきらかに文章として破綻していたからなのですが、もしそこも直す必要がなかったなら、私は全文をそのまま載せていました。 「普通はあまり思い出したくない過去を、成長した本人がそのまま無修正では提出しないものだ」と、私は考えられないからで、たぶんそこは私の病気と治療の関係があるからなんです。 私の普通って、症状的に普通の人とはズレちゃうんですね。 文学的というより心理療法的な話になってしまいますので、興味がありましたら≪≫内をお読みください。 ≪私の病のひとつにあるフラッシュバックという症状は、当時の状況と似た気温であるとか湿度であるとか、あるいは匂いをかぐだけで、嫌な過去が侵入してきます。 同じ症状を持つ友人とは、「体ごと昔に持っていかれる」と話します。 「当時泣くことも怒ることもできなかった外傷体験を安全な場で反復し語り、そのとき感じては生きていけなかった悲しみや怒りという感情を取り戻していくことでフラッシュバックの症状がやわらぐ」そうして理想形では「外傷体験をした自分が回復し、自分の体験を語り続け、同じ症状に苦しんでいるひとの回復をサバイバーとして手助けすること」と、PTSD患者である側面の私としての愛読書J・L・ハーマン「心的外傷と回復」にありますので、私はおそらくはふつうの人なら消し去りたかったり忘れたかったりする自分の過去を普通の人より大事にするとともに、その過去に書いた文章を過剰に大切に思わざるをえないのです。 ただ、安全でない社交の場でこのようなことを発言すると、トラウマがトラウマを呼ぶといって、「こういう目に遭ったからには泣き寝入りするタイプの人間だろう」とつけいってくるタイプの人がいることも確かで、そのことをご心配くださったのとしたら、ありがたく思います。気を付けています。≫ 一回目にいただいたコメントですが、ジュースにつきましては、えーと、 「働かなくて家事もしないなんてオマエはほんと甘ったりぃな!」とか思ってたのかもしれませんね。笑 そうしてそろそろ体を壊して働けなくなりつつある自分がアイスクリームだったのかなぁ。 さて、私の書くものは本当に「狂者の自己治癒のためのもの」であります。 「すでにかなりのもの」なんてお褒めいただくと照れを超えて恥ずかしいです。 きっとここにいらして詩あるいは文学を書こうとして勉強なさっている方には、永遠に追いつけないでしょう。 また、いちばん苦しかった10代20代を乗り越えてプクプクとした30代にはいった私には、この痛ましい感性ももうありません。 書くことだけは好きなので、じみ~に書き続けていこうと思います。 ハァモニィベルさんの絵のたとえ、とっても面白かったです! なるほどな~と思いました。そういう絵が浮かんできました。 竜野欠伸さん こんばんは~! なんというか、ハァモニィベルさんとともに、すごくしっかりした解釈をいただいてしまって嬉しいような恥ずかしいような。ほんとうにあんまりなにも考えていなかったはず。 当時の私としては、「-」には「愛」「殺」「許(あるいは赦)」が入りまして、どれもシャッフルしてどこにでも当てはまるので、えい、「-」にしてしまえ~というような投げやりさでした。 ただもちろん、ヒトサマが恋愛詩としてこれをよむときに、「-」には何が入るんだろう、おしえてほしいな、というような想像も働かせておりましたから、楽しさを見出してくださると本当にうれしいです。 「-」を使うという適当さというかあいまいさというかは、いまの私には頭が固くてちょっと出来なさそうですが、愉快なことに下でkaz.さんが返詩という形で書いてくださってますね。面白い! fiorinaさん こんばんは~! そうです、ほんとうに、ぐるぐるしていた時期でした。 心の中には、砂漠の中を全力で走っていたらこけてしまって、傷だらけで脱水症状を起こしてやっと起き上がるとどこからきてどこへゆくのか分からなくなっている、という風景が広がっていました。 閉塞感があるというのは、このときの私にfiorinaさんがほんとうに寄り添ってくださっているのだな、と思います。 いまの私が書くものは、もしかしたら、「生きることを決めた」ことが「ぶっ飛んでいく快感」なのかなぁ。 あれらのことは、病だったのか、治療だったのか。 病になることではじめて治療される、ということがありますので、病であり治療だったのかもしれません。 もし私が病を得ず、治療にもつながらないで、そのまま「健康体」で生きてきてしまったら、それはそれで、きっと、オソロシイ人になっていただろうな、とふっと思いました。 kaz.さん わーお、と思いました。スッと書かれたんでしょうね、すごいです。 この「-」の中には「バニラ-ス」ということで「アイ」しか入らないのだろうかとか、案外別の単語が入るんだろうかとか、いろいろ想像してしまいました。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-17

なかたつさま、花緒さま、ハァモニィベルさま、竜野欠伸さま、コメントをありがとうございます。 まず最初にこの詩? の詩的未熟さの言い訳とか、これを書いたときの私の状況について、申し上げます。 これは、たしか10年ほど前にさっと書いてプリントアウトしていたものを、投稿させていただきました。 「パチン!」というところだけ、いまの私がつけたしたものです。 当時、私はまだ詩を書こうと思っていません。なので、対句ですとか、そういうことも意識しておりませんでした。たぶん、浮かんだ風景とか、好きな単語とか、そういうのを書いたような記憶がうっすらとあります。詩として、あるいは文章としての完成度が低いならば、それは当時の私の幼さからのものです。 当時の私の状況ですが、私は、土下座するまでお説教をやめない、ニートの男性と付き合っていました。働かず家事もしない、綺麗な絵だけ描いている人でした。「男以上に働く女であれ」という母の教えに従ってすべてをこなして帰れば毎日お説教が待っていまして、過労からアルコール依存症になり、もともとそういう傾向であったのが決定的にほぼすべての神経症を発症しまして、やっとのことでたどり着けた治療機関で複雑性PTSDと診断され、薬漬けになっておりました。(いまはめきめきと元気です。) それでもなかなか別れられないという、一般的にモラルハラスメントとか共依存という状況だったのですが、その時の私がふたりの関係を書いた詩である、と思って読み直していただけると、なんとなく面白いかもしれません。 「がらすの国の王子様=君」は相手への過度の理想化・「地に埋まる骨=私」はすでに死んでしまっているような私として、心理を学びつつあるいまの私としては、おう、症状丸出しの複雑性PTSD詩だわぁ~と勝手に名付けております。 すみません、眠くなってきました。個別の返信は、また明日にさせていただきますね。おやすみなさい~。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-15

私は、自分の成育歴から、反戦のシンボルとして原爆のヒサンさを訴えるような詩には、それだけで反感を持ってしまうどうも悪い傾向があります。 当時被害を受けた方の手記とか文学は、特に反感などなく、読めるんですけれども。 けれど、竜野さんのこの詩は、なんだかとてもいい、と思いました。 注釈がなくてもきれいですし、注釈を読んでから読んでもなるほどなァ、と思うし。 あんまりに直接的な表現より、こういった、きれいさのうちにかなしみがあるような詩って、やさしいな、と思うんです。 (白夜の終わり)

2017-08-15

繰る井さん さきほどは、コメントをありがとうございました。 こちらの詩は、とっても、痛々しい、繊細な感性を感じました。 文章というのは、書けば書くほどなんとかなっていくものですけれど、感性というのはその人のうまれもっているもので、繰る井さんの感性は、なかなか普通では得られないものだろうなぁ、と。 詩を書き始めた可愛らしいたどたどしさ、のようなものもありますけれど(いやいや私だってきっと永遠にたどたどしいんですけれども)、きっと、これからもずうっと書き続ければ、グンと伸びていく方なんじゃないか、というタノシミを持ったのです。 (夜明けの晩に)

2017-08-06

竜野欠伸さん あ、そっかあ、そうですね、『「握手」、「手遊び」、「いたずら」』たしかに! このころとってもすさんだ恋愛をしおりましたので、「愛」か「殺」かくらいしか入らせねぇぜウフフ、なんて思っていたんですけれども、そういった視点で見るとなかなかかわいらしくもありますし、自分で書いておいてばーっとあかるいイメージが広がったような感じがします。ありがとうございます! いろんな見方をいただけるので、こういったコメントのやりとりはとっても楽しいですねぇ。 繰る井 莎鬼さん はじめまして! 女性かな? やはり女性の方が、女性の書いたそのときの気持ちみたいなものは、伝わるのかもしれません(違ったらゴメンナサイ~)。 これを書いたのは、たしか、すさんだ、片思いのような、お互いを殺しあうような恋愛をしていたときだと思います。 あの頃の私を抱きしめようとしてくれて、ありがとう、そうしてこの気持ちが分かってしまうご自分のことも、ご自分で抱きしめてあげてくださいまし。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-06

どういいかともう一回きちんと考えてみたんですけれども、少女というか、青春を送る人々への優しい視線を感じます。 涙の滴のあとに希望の水滴、夜空を超えたかなしみのあとに向こう岸に吹いていた風、最後には悲しみの向こうのあとに優しい匂い、ト。 辛いこともあるけれどきっと喜びも待ってるよ、っていう詩みたいに思います、なんていうと安直かもしれませんけど、難しいものや苦しみの真っただ中にある人の叫びのような詩が多いこちらのサイトのなかで、なんというか、休憩所みたいですっごくホッとします。 (そして私が最初にしたコメントに誤字を発見してもだえ苦しんでいる) (真夏にある悲しみの向こう)

2017-08-06

竜野欠伸さま、素敵なコメントをありがとうございました。 これはかなり昔に書いたもので、何を思って書いたのか自分でも忘れてしまったのですが、そっかぁ、颯爽・甘美・お茶目かぁ! と、とっても褒めていただいた気分になりました。 「-」の中に「愛」「恋」「殺」などいろいろ入るぅウフフ、などと思っていた気がします。 竜野さまの詩もゆっくり拝見してコメントいれさせていただきます~。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-05

花緒さま 申し訳ありませんっ!! 叫んでいてルールを失念しておりました。 運営の方だけでなく、このサイトを利用されている皆々様も、いままで修正を受け付けられなかった方も、もしいらっしゃいましたら、本当に、申し訳ありません。私のミスです。 竜野欠伸さま、冷や汗のおさまる明日ごろ返信させていただきます~。お待ちくださいませ~。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-05

はああああ! 誤字を発見いたしました。(叫んでいる) 取り急ぎ~「がらすの国も王子様」→「がらすの国の王子様」ですっ。 訂正していただけますと助かります、申し訳ありません。 (こんなに-し合っている私と君は)

2017-08-04

おぅ! なつかしいですね~。 曲を知っている人にとっては、自然に彼女の歌声が重なる作品ですから、面白く読めるんでしょうね。 「知っている人」「知らない人」でぜんぜん読み方が違うっていうの、実感しました。 (Cocco/少女、の祈り)

2017-08-04

もっとたくさん読んでみたいです! 溝口さんがどうやって死んでしまうのか、とっても気になります。 (溝口ノート(一))

2017-08-04

「心臓でだけ見る 秋の空」すっごくいいですね。 心臓で見る、かぁ、う~ん。高鳴っているのか止まりそうなのか。 なかなか出てこない表現ですよね、素敵だなぁ。 (羽の胎児)

2017-08-04

小説の書き方としては、「悲しかった」「嬉しかった」という表現はNGなんだそうです。 「白くなるまで唇を噛んでいた」とか「跳ねるように歩いて行った」とか言い換えなければいけない。そのように書くのが、ものを書くということだと。(あ、でも私は詩の勉強はほとんどまったくしていませんので、詩の表現としてはOKなのかもしれません)。 ただ、こういう直截な表現私は好きです。 「善いか悪いか」なんて、もう、すっごく苦しいですねぇ。 なんか、青春のうめきって感じがする詩だなぁと思いました。 (不在)

2017-08-04

fiorinaさんの文章は、文章が、美味しい豊かな風景のようです。 私は、都心に近いところに住んでいて、とても便利で、わりとおしゃれで、かなりなんでもありますけれど、北の友人が遊びに来た時に「楽しい地獄」と言っていて、そんなところです。 とても、合理的にできた都市で、息がしづらいです。 家の中は少しずつ素敵なものをそろえつつあるんですが、外に出ると、目に入るすべてが憎たらしくて憎たらしくて、たまりません。 「世界中が美しい街や村になって、(朝の、そして人生の)目覚めから眠りの時まで、目にとびこんでくる歓びを誰もが知っていて、風景の美やそこに暮らす人々が最大の防衛である、とばかり無防備に楽観する世界であって欲しい。」 理想的であるな、と思ってしまうと同時に、こんな理想なら、叶ったらいいなぁ。 私はいくつかの理想主義を学ばされまして、どれも滅んでいく道しか見えずに悲観的になりましたが、風景至上というのかな、これが実現した場合には、既存の理想主義よりわかりづらく、遠回りでのんびりしているかもしれませんが、ずっと、豊かになっていく道だなぁ、と思うのです。 ふっと、ジャン・ジオノの「木を植える男」を思い出しました。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-03

なんだかとってみいいですね~。 優しい気持ちになります。 (真夏にある悲しみの向こう)

2017-08-01

流れるようで、やわらかくて、いいですねぇ。 (水のおぼえ)

2017-07-27

花緒さん コメントありがとうございます~ 私の詩は思い浮かんだものをふっと書くだけというものなんです。 ですからなんというか、あまり考えていないんですけれども、だからこそ読んでくださる方がいろいろ投影できるのなら、不幸中の幸いです。 こういう、死が文中にあるものを書くときは、けれど、シメにはぜったいに生きるもんという、「現代を生き抜く兵士たちが、いまという戦場で、胸に抱いて元気になるものがいいなぁ」というのは意識していたりいなかったり。あれれ? こちらは評も難しいものが多いですね~! なんだかお恥ずかしいです。 他の方へはライトレスばかりになりまして申し訳ないです。 (小さな夜の羽虫は遺書)

2017-07-27

まりもさん コメントありがとうございます~ 私はほんとうに、理論づくというより感覚(漢字・ひらがな・カタカナのバランスや、好きな単語と光景を入れて、まあまあ声に出して読みやすかったらいいか!)で書いているので、なんというか、みなさんのコメントがもったいなくって。 コメントくださった箇所についても、あんまりなにも考えていません。どうなんだろう。 「これを読んで、あのことを思い出した・重ねた」みたいなのがあったようで、嬉しかったです。 (小さな夜の羽虫は遺書)

2017-07-26

とってもしっかりした文章で、小論文て感じで、すてきです。 (死者の眼は優しさを帯びない―黒田喜夫の初期作品について)

2017-07-26

ちょっとけなしている感じで書いちゃいますが、けなしていないです! とっても不思議な感じで、 スマホから読むとすらすら入ってきてすごいなぁ! って思ったんですが、大きめのパソコンからみたら内容が薄いように思って、でもまたスマホから読むとすらすらしていい感じです。紙にプリントアウトしたらどうなんだろう。 画面によってだいぶ印象が変わるお話で、これはなんなんだろうと。 個人的に、どの機械で書かれたのか興味あります。スマホ? パソコン? おもしろいな~ (縁)

2017-07-26

うおお、コメントをいただいていたー! わーい嬉しい、そして遅くなりまして大変失礼しました。 宣井 龍人さん、こちらこそ、お世話になっております。 あちらでよくポイントをいただいていて、嬉しくもなんでだろう? と思っていたのですけれど、 さきほど宣井さんの夢のお話を読ませていただきコメントさせていただきまして、 おおお夢仲間であったかぁ! 同志! と思ってから、ふとこの作品に戻ってきたらコメントをいただいていて、 テンションがあがっています~笑。 こちら、ほんとに、コメントのレベル高いですよね! 私は書くのも読むのも好きですけれど、基本的に「なんとなくすき」ではじまっておわるので、 あんまり深く読み込まないので、オドオドしております。 みなさんすごいな~、ト……。 ブラッドベリ素敵ですよね~、そのお言葉をいただけてとっても嬉しいです。ウフフ。 まりもさん、はじめまして! これはですね~、ほとんど実際の夢を書いてしまったんです、ズルです、サボりです笑 それだけ、なんとも詩的な夢だったということでひとつお許しください。 最後のセリフと、主人公が溶けていくところだけ、創作ですね。 ただ、そうですね、あの薄いけれど、割ってはならない感じのガラス窓はどんなだろう、あ、あの顕微鏡の上で割ってはならないようにおそるおそる扱っていたプレパラートでできたようなガラス窓であったか、という風に、細かいところは作っております。 そうか~夢、いらないですね、タイトルにも入っていますし。 これは、十夜溜まったら紙におこしたいので(いつになるやら)、あたらしいのがかけたときと、紙にしたときは削ります。 ありがとうございました! (夢夜、四 獣の影と永遠の放課後の廊下)

2017-07-23

なんだか、とっても面白かったのです。 疲れてしまって香りがしない畳や一汁一菜ともいうべき食事。 だが、前を向いていた、希望に満ち溢れていた。 未来はこの手で作るのだ、街行く誰もがそう思っていた。 私の中には、すごく、すごく、この時代へのあこがれがあるんですけれど、 そういった時代の中にまだ残ってた、へんなおばけ? みたいなのが、 もう、とっても不思議で、ちょっと怖くてわくわくして、とってもよかったです。 (四番目の息)

2017-07-23

白島さん~ おこんばんは~ 「三日とろろ美味しゅうございました」だけくっきりと覚えていて、 今回書くために読みなおしたんですが、やっぱよかったですねぇ。 私は小学校高学年から高校一年のころまで、人の遺書だとか、 ヘッセの「車輪の下」とかシュトラウスの「春の調べ」とか、そんなのばかり片っ端から読んでいた時期がありました。 いま思い返すと、一番どうしようもなかったころだと思います。 そのころ読んだ中でも、円谷幸吉のこの遺書はなんだか惹かれるものがありました。 そうして、気持ちがうんと追い詰められると、円谷幸吉風に、よく、遺書を書いていました。 遺書を書くと、けっきょく、 「もっと~したかったです」というようなことが書けて、泣けてきたんですね。 ~したかった、というのは、たしかとても、ありふれたことでした。 泣き終わると、 「~したかって書くくらいなら、したらいいじゃん。死ぬより」 と落ち着いて、ふいっとばからしくなってゴミ箱に捨てていました。 私は、円谷幸吉とは違って、いろいろあって、その遺書が母の目にとまって、 学校を転校することを許されます。 ここらへんが、いまだに、私が強迫観念のように、ものを書き続ける理由であるなと思います。 書くことが生きることであり、生きることは書くことであり、ほんとうに命綱でありました。 できれば、こう、生きながら生きている人であって、 みっともなくとも、へたでもものを書いて、 パタパタとびはねていたいものです。 ありがとうございました! --- HAneda kyouさん、はじめまして~ おお、ホルスタインですか。 今頃、私のお肉になり栄養になってくれているかもしれませんねぇ。 あっ最近牛肉食べてない。ダメだ。 じっと腹肉をみる。 円谷幸吉の遺書は、ぎりぎりだった私の心の栄養となって私を生かしてくれているので、ふしぎですねぇ、 人の死に際の文章が、人の死を引きとめるということは。 そんなふうなものを、生きて、書きたいなぁ。 ありがとうございました! (小さな夜の羽虫は遺書)

2017-07-23

なんかかっこいいんだよなあ〜! 扉をあけたら空が立っている、すごい! 言葉が言葉を呼んでいるかんじがします。 (扉)

2017-07-20

花緒さん はじめまして、こんばんは、遊びにきました~。 そうです、夢です!笑 最後、「目が覚めた」不要なところを削るのが詩ならば、それでその方が興味がなくならないなら、削ったほうがいいんだろうな~と。でも、「な~んだ夢だったんだ~のホッとした感」もたぶん最後の一行で出ているのかな、と思いました。 そうして実際に精神・夢分析にかかっていたときに印象に残った夢なので、夢好きの方には好かれる散文詩? なのかな、と! セリフと、それ以降の文章を気に入っていただけて、なんだかうれしいです。知識のツメが甘いんだなぁ、と気付きましたが、こういう書き方はなんとなくレイ・ブラッドベリな感じで、自分でも嫌いではないのです。 獣が「宗教ではなく、宗教を含む、より根源的な人間の歴史や伝統」という解釈は、なるほどなぁ! と思いました。そういうものに飲み込まれ、同化するのなら、主人公も幸せだと思います。分析の先生よりしっかりした解釈なのです。 ありがとうございます! (夢夜、四 獣の影と永遠の放課後の廊下)

2017-07-14

白島さん こんばんは~。ありがとうございます! よろしくお願いします! わーおしっかりした感想を! 緊張しますねぇ。 そっか、目が覚めた、いらないですか。たしかにタイトルにもありますしなぁ。「うみのほね」も夢の話だけど、夢オチだとばらしてないしなぁ。 で、魔女狩りとかは、たしかに、時代がバラバラ! 黄色い衣はユダでしたので、最初にいれとくべきでしたが、もう少しユダのことを知りませんとね。 魔女・乙女ですが、 【魔女のイメージ】キリスト教が弾圧することになる、キリスト教以前の女神・自然信仰をしていた人々。のちに異端の神を信仰する人々として魔女と呼ばれ火刑などに処され殺されていく過程を描いた研究書(「魔女たちの世紀」シリーズ)を読んでの想起。 【乙女のイメージ】小学生ころに「魔女裁判でどんな人々がどんな理由で裁かれていったか」という本を読みまして、そこで「非処女なら即死刑、処女でも、ほくろがあるだけで吸血鬼(魔女・悪魔の同類)に噛まれて汚染されたと判断され、水に長時間沈められて自然死したら無罪、気絶して水を飲まず生き延びたら有罪であらためて火刑」というどーしょーもないのからの想起。 魔女は大人になってから読んだ文献によってですけど、乙女のイメージの出典がはげしく不明なことに気づきました。読書読書~。 それで、全体の雰囲気とか、「さいごにだれかが言った~」とかは、実はこのお話はほとんど「中学生の頃夢で見た景色や雰囲気ををそのまま書きおこしてみたので、ひとつひとつに意味があるかは私もよくわかんない~」という情けないものです。へへ。台詞と、獣に飲み込まれてみた風景だけ作りものです。 当時プロテスタント系の学校に通っていて、先生はほとんど全員クリスチャンという学校でいろいろ愉快な状況があったので、こんな夢をみたのかと思います。 夢ですので変なところがあって、牧師(プロテスタント)と神父(カソリック)がごちゃごちゃになっていますね。 この夢を精神分析の先生に話したら、興味深そうにしていたのを思い出します。精神分析の先生なんて、興味深そうにするのがお仕事っていうところもありますけども。 書いているうちに気づいていることもあって、「食べられたら、私も骨も残さずに闇に同化してしまって、次の犠牲者をいっしょになって追いかけることになるだろう」と主人公が思うところがあるので、膨らんできた胸が痛む主人公は獣になって、こういった迷いを引きずって迷い込んできた次の犠牲者を追いかけることになるんだろうな、と。 けれども、ときには追いかけっこのようにドキドキしながら廊下をかけめぐる獣=主人公と、うんと薄い窓ではあるが絶対に廊下にはやってこない神父とは絶対的な違いがあって、それはいったいなんなんだろうな~。 精神分析の先生がいちばん興味深そうにしていたのは、主人公・獣・神父という三人の登場人物と、窓を三回みた、という「三」のつながりでした。キリスト教における三位一体をあらわしているのかな、とかつぶやかれていた気がします。最終的に、「精神分析なんて、分析しても分析しても涙が出てくるだけ、って河合隼雄さんなんかは言うてはりましたで」なんておしえてくださいましたけども。 感想に対する感想なのか自分に対する分析なのかよくわからない返信になってしまって申し訳ない~! ともかく、もし紙の本にするときはもっと詰めていく必要を感じました。ありがとうございます! (夢夜、四 獣の影と永遠の放課後の廊下)

2017-07-14

「夜に口笛を吹くと 蛇がやってくる らしい」 「口をすぼめて やめた 朝が来るから」 うーん、可愛らしい! 絵本になりそうな作品だと、思いました。 ちいさな女の子が蛇を呼びました。「夜になるとやってくるらしいの、ホントかな?」 女の子は、口をすぼめてやめたのでした。「もう、朝だなァ」 なーんて、挿絵付きで。うーん、可愛いですね。 (口笛)

2017-07-13

こちらの詩論、こう、肉厚! うまみがギュッと詰まってる! ですね! 漢字とひらがなとカタカナのバランスがすばらしくよくって、ぱっと見「上手い人の文章」で、やっぱりお上手ですねぇ。 内容がまた、噛めば噛むほど味が出る、って感じで、文庫本一冊くらい読みたくなっちゃう感じです。 白島さんの詩も、鋭くっていまにも壊れちゃうんじゃない? というよな危うさがありつつ、構成がすっごくしっかりされていて言葉の一つ一つがあるべきとことにおかれているように考え抜かれてるので、安心してカミカミしながら読める不安感、というものがあります。詩論にも、出るものなんですねぇ。 「詩の場合、全体の一部のみが降りたってきて、言葉のイメージが新たなイメージを呼び込み、連鎖していくようにして一篇をものする場合が多い。」 これ、面白くって、私が一時目指していたエンターテイメント系小説では、どうしても描きたいもりあがる風景を最初に文字で起こし、その風景を差し込みながらストーリーを展開させていく、という、ハリウッド式と大学では習ったやりかたがありますけれど、「描きたい風景」ではなく「書きたい言葉」で、そこから連鎖し展開していくのは、これは白島式なのだなぁ、と。 ちょっと真似してみようかな、したことのないやりかたで書いていくのも、練習になりますね。 (詩論 ルドンの眼)

2017-07-13

はじめまして~だいたい現代詩フォーラムに投稿しているものですが、 白島さんに「活気があるでー」と伺ってふらっとこちらにやってきました。 (自己紹介はここでいいのかなぁ) この文章ってこちらの趣旨にあっているだろうか! 散文詩だろうか! どきどき。 ここまで書いて夢オチってありえないわ~って感じかもしれませんが、夢夜シリーズと名付けてますので、お許しください。 みなさまの詩や文章も、私はあんまり難しい感想は書けなくて、 「なんか素敵ですね!」とかそんな感じですが、ちまっと仲間入りさせていただければ嬉しいです~。 ではではおやすみなさい~。 (夢夜、四 獣の影と永遠の放課後の廊下)

2017-07-13

明日

2021-01-21

雨に

2021-05-01