別枠表示
頬
私はときおり 鉄格子の中に囚われている 恋人の あるような気がする 恋人は名を奪われ 闇の底に 傷ついた身を横たえている 何日かに一度 私は面 会に行く 鉄格子のこちらで黙って涙をながすと そ の涙が僕の誇りだとかれが言うのだ その涙が僕の 名だと かつて私は 正しいことのために闘ったことも 大切 なものを犠牲にしたこともない 追いつめられ試され たことも それなのに鉄格子のなかで今にも 細い命 を消されそうな 恋人のあるようなきがする まだ一度も 流したことのないその涙が 美しい頬を 持ちたいと願わせる
頬 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 924.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-11-19
コメント日時 2017-11-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
不思議な、不思議な感じのする文章ですね~!! でも、とっても、綺麗だなぁ。 ゆめ、まぼろしをみているよう。
0何かを犠牲にして闘うとか、その結果として誇り以外のすべてを失って鉄格子に入るとか、 そういう激しい生に憧れるけれども、実際にそれを実践する勇気も機会も必然性もない。 せめてそういう恋人がいて、その人を想って涙するような生を願っても、「あるような気がする」程度の夢想。 生の手ごたえみたいなものに渇しながら、やはりあまりガツガツできない現代人的な欲望がクールに表現されているように思いました。
0鉄格子の中に囚われている 恋人とは何を表しているのでしょう。 私には、それは作者自身の心の化身、あるいは魂の化身のように思えます。 まだ一度も流したことのないその涙、それは心の奥底で憧れている、触れると途端に壊れてしまいそうなほど繊細な、何かとても美しいもの、そのような印象を受けました。
0〈その涙が僕の 名だと〉 この一節にドキリとさせられました。 ほんとうの名、を取り戻すことができたら、自由になる。 普遍的な、誰もが抱くであろう真の望み・・・。 『雪の女王』の最終章を思い出しました。 悪魔が作りだした、批判点ばかりを増幅させる鏡の欠片・・・その欠片が人の目に入ると、美しいものが醜く歪んで見え、些細な欠点が全てを覆いつくすほどに巨大化して見える、そんな鏡、自分が利口になったと人を錯覚させる鏡の欠片・・・が眼に入ってしまった少年カイは、雪の女王の口づけによって「人間らしさ」を奪われ、心臓を凍りつかせたまま、雪の女王の雪の広間の中にある「理性の鏡」と呼ばれる、何善という氷の欠片に覆われた湖で、ひとり、氷の欠片を組み合わせる「遊び」に興じている。雪の女王に、もし「永遠」を表す言葉、その形に欠片を並べることができたら、「おまえを自由な身にしてあげよう。それに、おまえに全世界と、新しいスケート靴を一足、贈ってあげるよ」と言われているのに、目に入っている悪魔の鏡の欠片のために、どうしても「永遠」という形を見つけ出すことができずにいる。 そこに、カイを助けに来た少女ゲルダが訪れ、カイをだきしめて「熱い涙」をこぼすと、その涙がカイの心臓まで沁み込んで氷を溶かしていく。ゲルダが歌う賛美歌に思わず泣きだしたカイは、自分の目から溢れる涙によって、目に入った悪魔の鏡の欠片を押し出し、カイもゲルダに抱きついて・・・気づくと、氷の欠片たちが2人の嬉しさにつられて踊り出し、いつのまにか「永遠」の形に並んでいて・・・晴れて二人は自由の身となって、雪の女王の城を去る。 〈ゲルダは、カイのほおにキスをしました。すると、ほおは、花咲くように生き生きしてきました。ゲルダは目にキスしました。するとそれは、ゲルダの目のように輝きました。手と足にキスしました。するとカイは元気できびきびしてきました。こうなればもう、雪の女王が帰ってきたってかまいません。カイの自由の保証書が、きらきら輝く氷のかけらで、ちゃんと書かれているのですから〉(『雪の女王』大塚勇三訳 福音館書店) ユング風に言えば、ゲルダはアニマで、カイはアニムス、なのでしょう。ゲルダは感性、カイは理性とも読むことができる。知性を習得する際に身につけねばならない、批判精神・・・時には、長所としてみなされるべき部分まで、突出している、という理由で短所と見なしたり、自身の批評家精神を誇示するかのように荒探しに興じたりする、そんな歪んだ批判精神、も含めて・・・カイが身に着けた知識は、感性との再会を阻害するものであったに相違ない。そして、感性の熱い思いによって、知識や批判精神にがんじがらめにされた「理性」は救済され、幸福な魂の全一感を得る・・・私は『雪の女王』の最終連を、そのような物語として読んでいるのですが(そんなアンデルセンの想いが現れた部分、として、という意味です)フィオリーナさんの今回の投稿作品に、同様の香りを感じました。 評というよりは、別の作品の引用ばかりになってしまいましたが・・・。
0何善→何千、です!
0*田中修子さん、ありがとうございます~ 例によってわかり易すぎると思っていたんですが、少しは不思議なら良かった! *二条千河さん、ありがとうございます。 >何かを犠牲にして闘うとか、その結果として誇り以外のすべてを失って鉄格子に入るとか、 上記のようなところに「生の手応え」を求めているということは、作中の「私」はもちろん、多くの人にもないのではないでしょうか? 明快に切り込んでいただいて快感を覚えましたが、深読みの印象も受けました。 要約できないところに何かが描けていればと願うところですが、難しいですね‥。 *m.tasakiさん、ありがとうございます。 ごく若い頃、獄中からの通信、という手記が雑誌に掲載されていました。 戒厳令下の国から、どうやって届くのかわからない文章でしたが、その憂いを帯びた筆致を心待ちに読んだ覚えがあります。 言葉(文字)がこの世界にどのように存在するのか、初めて知ったという経験でした。拙作にその痕跡があればと思います。 *まりもさん、ありがとうございます。 『雪の女王』は原作も映画も知りませんでしたので、まりもさんのコメントを繰り返し読ませていただいてます。 愛する人が涙を流すということの神秘に、アンデルセンも見入ったのでしょうね。原作をじっくり読みたいです。 >ゲルダは感性、カイは理性とも読むことができる。 ゲルダとカイを隔てるものがあり(批判精神旺盛な若い日があり)、けれども必ずや「救済され、幸福な魂の全一感を得る」ときには、批判精神もまた最良の形で発揮されるでしょうね。歳を重ねるのがいよいよ楽しみになります。
0fiorinaさま 「その涙が 美しい頬を持ちたいと願わせる」 ここがとても好きです。 涙が意思を持って流れているようで、愛しさを感じます。
0*くつずり ゆうさま、ありがとうございます。 >涙が意思を持って流れているようで、愛しさを感じます。 涙はときにはこころの山ひだや木の根を通って流れ、目から零れるときには随分たくさんのことを知っているのでしょうね。 縦書きの文字のようだ、と思うこともあります。
0