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えーん、えーん
えーん、えーん、 えーん、えーん。 パパ、パパ、たすけてパパ パパからのおくりものが、ぼくをいじめるの。 パパの作った土ねんど出できた、大きなはこにわ。 ぼく、いっしょけんめい、手入れしたよ。 土ねんどたちが仲良くなれるように。 土ねんどたちがおやつを食べれるように。 そしてねそして、 ぼくも土ねんどたちといっしょに、大きくなるんだ。 そしたらね、パパ。 きっといつか、はこにわはぼくがもらったものより、すごーくすごーく、大きくなってね。 土ねんどは、やきものになって、それできらきらに磨かれるの。 ぼく、たのしみなんだ。 だからねだから、 ちょっとくらいのわがまま、へっちゃらだよ。 ちょっとくらいのいたずらだって、いっしょにあそぶんだ。 だってパパがくれた、だいじな土ねんどだから。 土ねんどがやきものになって、きらきらになるのは、まだまだかもしれないけど、 それでも少しずつやけていくのがわかるから。 わがままも、いたずらも、けんかも、ぼくが見守ってあげるんだ。 それなのに、酷いんだよ、パパ。 土ねんどを手入れして、ふーって一休みしたら、土ねんどが怒るんだ。 怒るのは、ぼくじゃないよ。土ねんどがけんかを始めるの。 それでね、泣きながらぼくが一休みしたことを責めるんだ。 だからねだから、 ため息を付かないように、大きく背のびをしたんだ。 ぽきって、音がしたよ。 そしたらまた土ねんどたちがけんかを始めて、また泣くんだ。 「どうして背伸びなんかしたの!」 って。 それでもまだこの土ねんどは、きらきらできてないから、我慢したよ。 だけどね、パパ くしゃみをしても、にきびをつぶしても、ハナがたれても、土ねんどたちがけんかを始めるの。 えーん、えーん。 えーん、えーん。 パパがぼくにくれた命。 土ねんどたちは、それを知ってるのに。 ぼくは、ちょくりつふどーで、いないとダメだって。 パパ、パパ、パパ。 おこっちゃだめかなぁ、だめだよなぁ。 だって、土ねんどが悲しむのは悲しいよ。 でも、ずるいなぁ、ずるいなぁ、ずるいなぁ。 ぼくが生きてるって、ぼくも命だって、上辺だけ。 ぼくが生きると、土ねんどは不幸になる。 さいごには、ぼくの中に還るのに。 ぼくはたくさんの命をそうやって保存して、 パパのいっとう好きな、土ねんどたちのために、ラッピングまでしてたのに。 えーん、えーん。 えーん、えーん。 パパ、ぼく、楽園なんかになれないよ。 パパ、ぼく、天国なんかになれないよ。 パパ、ぼく―――人の生活を壊して生きてるよ。 ぼくは生きてるだけなのに、サタンおじさんが陰口を言われてる。おじさんは何もしてないのに。 ぼくは生きてるだけで迷惑なんだ。 ぼくは亡骸を食べるしか能がないんだ。 ぼくは生きてるだけで、人を苦しめるんだ。 ぐすん、ぐすん。 ぐすん、ぐすん。 パパ、パパ、パパ。全てのパパ。 それでも生きてて良いですか。 僕が死んでしまえば、きっとみんな、幸せなんだろうに。 パパ、パパ、パパ。―――ああ、父上。 僕は生きます。人間を不幸にしても。 僕は生きます。人間を不安にしても。 そうすれば、僕のお腹の宇宙の中で、 貴方と人間が、始めて対面することができるのでしょう? ―――ね、天の父上。
えーん、えーん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1625.6
お気に入り数: 3
投票数 : 2
ポイント数 : 2
作成日時 2021-01-21
コメント日時 2021-02-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんだかとても狂気を感じる作品でした。作者のこれまでの作風からも考えて、宗教的な何かを擬人化しているんだろうけれど。 天の父上はそこまでこの子にさせて何をしたいんだろう…。
0おねーさんコメントありがとうございます! 自分本位で考えると、今も昔も人類の周りって敵だらけで悲劇だらけだけど…。ただ「僕」から見たら、普通に生きて活動してるだけだよねって話です。
0あまり詳しくないので恐縮ですが、グノーシスに関する詩ではないかと思いました。 土は被造物としての世界を示しており、土人形は人間を示しているのだと思いますが、その創造者として「僕」と「パパ(天の父上)」の二人が出てきております。創造者が二人おり、一人が悪者とされ泣いているということから「僕」は偽の創造神であるヤルダバオート、パパは至高神ないしその鏡像であるバルベーローではないかと思いました。(サタンおじさんというのも、確か正統なキリスト教では悪魔とされていますが、グノーシスでは人類を精神世界へと誘導する善の存在だったような……この辺あまりわかっていません) ただ、不完全な神としての「僕」が人類の業を背負わされている点には原罪を背負わされたイエスを想起してしまい、そこにねじれを感じました(たぶんまだ僕の知らない神学の話が色々あるのだと思います)。 学部生時代にかなりバタイユに傾倒していたので、ついグノーシス的な読み方をしてしまいました。頭の体操というか、色々妄想できて面白かったです。ありがとうございました。
0すごいと思います、あんまり立派な事はいえないけど粘土から人生の つながりがよかったとおもいます
0コメントありがとうございます! グノーシス主義は齧っただけですが、「偽預言者」ではなく「偽の神」というのが印象的だった覚えがあります。 キリスト教以外は、比較対象としてしか知らないのですが、&さんの考えはとても面白いですね! ちょっとしらべて書いてみようかな。
0コメントありがとうございます! 自分勝手、と非難することは簡単だけど、実はもっと「自分勝手」と感じてる存在はいるんじゃないかな、っていう話です。
0はじめまして。 こちらでのコメントも初めてです。 どうなるんだろうと読ませていって、最後はそうなるのか!と驚きがありました。 生きること自体が罪になる、という考え方は確かに私にもあります。
0遅くなって申し訳ありません。 「生きる」って色々な「生きる」がありますよね。人間も自然も生き物ですから。
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