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屑籠に放り投げた手紙
好きだとか嫌いだとかもうとっくの昔に屑籠に丸めて捨てたけど 仕事帰りの夏空がまだ明るいことに少しは心が安らぐんだ。 列車の中吊り広告は、僕らとまるで違う場所にいるようで みんなを決して心変わりはさせられなかった。 僕は車窓の向こうに流れていく古びた建物を そっけなく、愛想なく、つれなく でも湖の底にある光を見つめるように眺めていた。 ありがとうとか さようならとか もう何もいらないとしたら 誠実さなんて何一ついらないとしたら 噛みしめた唇の赤みでさえ うつむいた顔に差した陰りでさえ 最初からいらないものだったとしたら 僕は列車の走る線路を逆行して 君に会いに行きたい。 時間も場所もさかのぼり、逆行して 君に会いに行きたい。 古切手を貼った手紙は赤茶けて、もう届ける相手もいないけれど 受け取ってくれるとしたら、それは多分あの頃の君だろう いや、きっとあの頃の君以外にいないだろう。 僕は泣くことも少なくなって随分経つ。 だけど 風に乗って、空へと飛んだプロペラ飛行機は それがねじったゴムを動力にする、ただの玩具だったとしても それはたしかに、間違いなく あの頃流した僕の涙の名残。 僕は夕闇に覆われはじめた帰り道を駆けだして 忘れていた、忘れようとしていた ノートの端に走り書きされた 君からのメッセージをもう一度取り戻そうとして 好きだとか嫌いだとかを丸めて捨てた 屑籠に丸めて投げ捨てたそいつを拾い上げた。 そこにまだ僕の感情、言葉のカケラが残っていると信じて。 まだ少しは残っていると信じて。 泣きじゃくる子供みたいに くしゃくしゃになったそいつを広げてみれば そこには「今も君はあの頃のように笑っていますか?」と ところどころ乱れた文字で書いてあったよ。 ところどころ幼さの残る文字で そう書いてあったよ。 僕は目を閉じると今でも逆行出来る あの時、あの頃、あの時代に。 君が僕の面影をすべて忘れてしまったとしても 僕は大丈夫。きっと君のいた青い空の向こうへ逆行出来る。 そうして 湖の底にある光のほとりで 僕は涙を流して、悲しくとも、生きていける。
屑籠に放り投げた手紙 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2104.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 10
作成日時 2019-06-11
コメント日時 2019-07-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 8 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 10 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.7 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.3 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0.3 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3.3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
stereotypeさんの詩は、もう飽きがくるほど言われているが歌詞を想起します。悪い意味でなく、平易な言葉で読み手の間口が広いと感じます。本作は少し感傷的なところを読み手がどう受け取るか、ですが、 >それがねじったゴムを動力にする、た>だの玩具だったとしても などの詩句が個人的にツボでした。逆行して過去のある時点での体験、を何度も思い返し、そのとき得たものが今も確かに自分のなかにあり、周囲がどれだけ変化しても、悲しみがあったとしても生きていける、というのはある種の王道的なパターンですが気持ちのいいリズムある文章にはあっているように感じました。 なんか褒めてるのか貶してるのか、と怒られそうですが気持ちよく読ませていただきました。(きみ、と僕、というのが感傷的な空気を増して感じたので僕と皆んな?この辺りは難しいですね)
0帆場さん、コメントありがとうございます! もうイヤになっちゃいますよねえ。笑えるくらいに。この詩は実際ある二つの曲を聴きながら書いたので、より一層そういう印象になったのかもしれません。歌詞的という印象。間口が広いというのは単純にいいことだと思います。俺は(私は)文学してるぜ!ともし仮に誰かが息巻いたとしても、詩にも文芸にもまるで興味がない人に届かなかったら意味がないですからね。現代詩というジャンルが生きるか死ぬかはそこにもあると思うんですよ。ひとえに一般ピープル(これは揶揄ではなく)に直撃出来るかどうかという。いつもターゲットのご機嫌うかがいばかりしても手に入れられないとは思いますが、同時にターゲットを引き寄せる、何らかの仕掛けを凝らすのも必要だと個人的には思います。あとこれは想い出話になりますが、五年くらい前? ある現代詩の授賞式で文芸してる女の子に「ボカロの歌詞って面白いですよ。面白い」とボカロを知りたての僕は言ったんですね。あの頃よりは過剰ではなく、バランスが取れてきたと思いますが、大衆性を意識するというものは、当時から僕の中には常にあった、胸に秘めて意識していたということでしょう。 さて最後に感傷的な感がややあるというご指摘。そうなんですよ。感傷的、と俗に表現される心理的な状態にこの詩を書いた時はあったんですね。ただこの種の感情を「いや、これは感傷的でチープだ」とか言って退けていたら、きっと前へ進めないか、淀んでしまうと思うんですよ。詩作品もしくは感情が。ですから今後詩誌などに挑戦していく僕としては、この種の感情を未消化にせず、消化したのは良いことだったと思います。それと、王道的でも素敵なことは素敵じゃないですか? そんなことも思うステレオさんでした。 追記・貶してる? そんな印象はしませんでしたよ。大丈夫です。改めてありがとうございました。
0くずかごへクシャクシャに丸めて捨てた手紙を開けば、若々しいかつての自分が蘇る。 あえてイージーな言葉を使っていますが、それはもちろん、優しい言葉を使わないと表現出来ない世界があったのだろうと感じました。全体的に若く、どことなく劣等感や寂しさを感じる主人公像を想起させながらも、たぶんお人好しで優しい人なのだろうなと感じさせるのは確実に狙ったものです。そんな雰囲気を、そのまま持ってきているのは純粋に上手いと感じました。
0素直で好きな作品です。 男の人が青春時代を懐かしむ、昔の彼女のことを思って切なくなる、なんか、ものすご~く可愛い、あまずっぱい、夕暮れみたいな作品だなあと、思ってしまいました。
0何か見逃してしまった好詩の様な気がします。好ゲームと言う時の好(こう)ですね。好きとか嫌いとか捨てたと言っても、捨てきれぬ思い、そんな外枠がびんびん伝わって来たと思います。饒舌体とも言えるかもしれませんが、そんな側面は内包されて気にならなくなっていました。
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