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青の断章
青に浮かべる心、青に浸す心。皮一枚のわずかな距離でもあれば、青を想える。眼はいつまでもその姿を見ることができない。 青い青と青くない青。空と海の間を渡る光、白い水平線。色を届ける光。絵の具の青に、絵の具の青を。どれだけ混ぜ合わせても青くならない青。どんな青よりも青い青。限りなく青い青。きみの青とぼくの青を混ぜたら、どれほど青くなれるだろうか。光をさまよう白い青が目を眩ませる。 青い夜空を裏返して夜の青空。海から色を借りた、空、泳ぐ魚。夜を裏返した青、青を裏返した夜、空、泳ぐ魚、眠る。夜の空にうつる青の空、泳ぐ魚、青く、眠る。青の空が夜の空から離れて、眠る、新月、泳ぐ魚、青く、眠る、海に色を返す。夜の青空を裏返して青い夜空。 月が示す航路、空への道、遮る雲、雷を呼び、鋭く、光の道を地上に。ルナの休航、ジュピターの運航、女と男は別々の道を行く。光の道、雲と地上とを繋げるが、己を残さずに、ただ光る、光るばかり。雲の上、光は月を照らして、夜にぼやけた航路を描く、空からの道。 青の旋律が響き渡る、夜、繋がる、音。いつまでか青く、どこまでか青く、繋がる、夜、青の旋律によって、蛙、水に帰る。さいごの合唱、緑の旋律、交わる、青の旋律、水を渡り、色が繋がる、音。青の旋律はいつまでか響き渡る、夜、朝に帰る。水は、青の旋律を残して、緑の旋律を待つ。 青にはなれない青。見られることのない青。音になればいいと寄り添う光。光もまた、見せるだけの色。その姿を見ることができない。
青の断章 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 898.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-30
コメント日時 2017-09-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
《テクストの引力》というものを考える上で参考になる作品でした。 通常の物語性で引っ張るという意味でのリーダビリティとは違い、それでも、言葉の連携によってなぜだか、不思議と、読者が最後まで読まされてしまう、というような、《不思議なリーダビリティ》というのは、存在するものだと思いますが、そうした面白さ=リーダビリティを本作品が追求していると仮定して、読んだ場合、 (わたしが勝手に仮定した)その効果に、ひどく反しているように思える箇所・部分があります。 逆に言うと、それ以外の全体は、ひじょうに巧く成功しています。 冒頭から、ずっと青を軸に、言葉的に面白く読ませる展開がつづきますが、ある処までは面白く感じられるが、もうこれ以上は、脳が受けつけないという、生理的限界に達する箇所が、 >夜の空にうつる青の空、泳ぐ魚、青く、眠る。 ここからは、ちょっと、もういいや、という感じになります(変化に失敗しています)。 その直前までは面白さを持続しているのに、不思議です。ここから >夜にぼやけた航路を描く、空からの道。 までは、ものすごく苦痛です。 それ以降は、また面白くなります。 以上は、一読者としての、わたしの感性・感覚による、ひとつの意見にすぎません。
0〈皮一枚のわずかな距離でもあれば、青を想える〉とか〈きみの青とぼくの青を混ぜたら、どれほど青くなれるだろうか〉と言ったフレーズを、際立たせたい、という思いが残りました。あえてここを( )に入れる、とか・・・このままだと、青を綴る言葉の中に、埋没してしまうような感覚がありました。 ハァモニィベルさんと、同じところで、私も引っかかりました・・・同じ理由、であるかどうか、までは分かりませんが・・・。 前半部分は、海の青、空の青にも染まずただよう、という、あまりにも有名な一首がありますが、いわばその本歌取り、のようにも読める部分。後半は、魚、そして飛翔のイメージが重なり、親和的な世界、夢想世界への飛翔部分のように読めるのですが・・・ここが、前半と同じ「語り口」であることと、内容的な飛躍との間に、齟齬が生じているのではなかろうか・・・読者が置いてきぼり感を覚えてしまう、のではなかろうか。そんな印象を持ちました。 〈音になればいいと寄り添う光。光もまた、見せるだけの色。その姿を見ることができない。〉このあたりの思念が生まれて来る理由というのか・・・その情景の中に、踏み込んでみたい、そんな想いに駆られます。
0ハァモニィベルさん 変調というか、いきなり寓話的になるから、それが飛躍しすぎだったのでしょうか。 成功・失敗というのも基準がよくわかりませんが、一感想として受け止めます。 まりもさん 上記にあるとおり、飛躍が読者を置いてけぼりにしたんだと思います。多分、世界との関係における距離の違いが一気に変わってしまったからでしょう。 内容に合わせて、語り口を変えるべきなのではないか、とそう受け止めましたが、多分その方法はとらないような気もします。この作品において、語り手は一として、様々な青の世界を語るものとして在ればいい、と多分書いたんだと思います。 最終行のことは、当たり前の日常の捉えなおしなんだと思います。光は「波」説があり、音もまた「波」でありながらも、光そのものは媒介がないと知覚することができないという。
0中間部分の読みにくさに関してですが、私の場合、特に情緒的な文章を読むとき大抵頭のなかで音読しながら読むことが多いんです(というか、そうしないと読めないんです。もちろん実際の音読とは微妙に違うのですが.......)。で、そのせいもあるのだと思います、シンプルに途中で息切れしてしまって読むのがしんどくなってしまうというのがあるかもしれません。かといって分量的には一気に読んでしまいたい誘惑にかられるので、そこで感覚の齟齬が生じるという感じです。 あとは視覚的イメージの話になりますが、一つ一つの言葉に対してイメージを膨らめせていくと、頭の中が自分のなかにある青のイメージでどんどん埋め尽くされてしまいパンクしてしまうといえばいいんでしょうか、、「青の断章」どころではなくなり「青の氾濫」となってしまう感覚を覚えました。 とても個人的な感覚なのですが、少しでも参考にしていただければと思ってコメントしました。 最初と最後の1行は個人的にはとても味わい深く読ませて頂きました。「青にはなれない青。見られることのない青。」はそこに人生を重ねることもできるかもしれません。どこかとても切ないですし、「眼はいつまでもその姿を見ることができない。」という自己言及のパラドックス的フレーズもとても好きです。ロラン・バルトの「エッフェル塔」というエッセイを思い出しました。
0私は、文章を読むときに漢字とひらがなとカタカナがいい感じに使われているかと、あと好きな単語が入っているかだけでうっとりしながら読む人間なんですが、これはうっとりしながら拝読しました。 青という漢字そのものが好きなので、とてもいいなーと。 (つくづく感想文ですな!)
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