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水のおぼえ
その名前を呼びはしなかった 梢を、人々を、空を、 ふくんでいてほしかったから けれど遠くなって、しまって 新しく取り戻すために 名付けなくてはならない 透明が水になって流れていく 光を細かく砕きながら 思い出してしまったことのように ように 青いことが そこにいないことのしるべになる 美しく思ってしまうから どうしようもなく 一人、 なぜ風ではいけなかったか 風のようで 風であってはいけなかった ない、という場所があってほしかった あってほしかったことを けれど求めはしなかった 名前を、答えを 呼びはしなかった 世界があってほしかったから 思うこともせず ただ移っていった 澄んで、また映じていった 渢(ふう)、水の、透明の、音 いないということの、ふるえて、 あるということになっていく みなも、何度もそう呼んで きっと答えではない音(ひかり)たちが 死にながら、生まれていく 渢(みなも)、ここでどこまでもいこう、と 身をひたしていって 確かに刻んでいる、零れることで
水のおぼえ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1033.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-09
コメント日時 2017-07-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
過去の作品から見させてもらいました。 淡い水彩画のようなイメージが伝わりました。 線をわざとぼやけさせた感覚です。 こういう詩集を沢山読みました。 自分はすでに変態ですので脂ギッシュで極太の線で描かれたキュビズムな詩があればいいな。と思ったりもします。 名前の読み方、もしくは愛称とか教えてもらえたら近づきやすくなるかもしれませんね。
05or6さん コメントありがとうございます。 淡い水彩画のようなイメージ、わざと線をぼやけさせた感覚、ということですが、納得です。 この詩の出発点はそういう言葉の意味が曖昧な状態であり、そこから新しく名付けていこう、というのがここで私がやりたかった試みです。 (分かりづらいとは思うのですが、水彩画のなかにも危機はあるのではないでしょうか) こういう詩集をたくさん読まれた、ということですが、そういう過去に書かれた詩集との関係というものはこれから私が考えるべき課題かもしれませんね。 名前の読み方はご自分が自然だと感じる読み方でかまいません。私は「ゆみけい」だと思っていますが笑 愛称もお好きに考えてくださってかまいません笑
0流れの美しい作品ですね。一連目に特に惹かれました。 気になったのは、〈ように〉の重ねや、〈~こと〉の重ね。リズムを作るためでしょうか?あまり、うまく機能していないように感じます、ちょっと引っかかる部分でした。〈いけなかった〉とか、〈あってほしかった〉という部分の重ねは、引っかかる感じではないのですが・・・5or6さんの「淡い水彩画」というイメージ、私も同感です。不透明水彩ではなく、淡彩、透明水彩を、何度も重ねて、ムードやニュアンスを出していく手法。 ない、もの、ない、場所が、あってほしい、という憧憬・・・ポエジーの上澄みの、一番澄んだところを取り出したような、その柔らかな質感に惹かれますが、ゼリーを頂いたような読後感というのか、清涼感や甘さが残って、香りも残って、でも、歯ごたえとか、ガツンとした具があってもいいかな、という、物足りなさが残る、といえばいいのか・・・ 〈いないということの、ふるえて、 あるということになっていく〉 句読点の使い方、行替えの仕方で作りだす呼吸やリズムに持ち味があるように思います。 きらめく水面を見つめながら、ポエジーが沸き起こって、そのつかみがたいぼんやりした質感を、そのままに紙に移し取ろうとした印象を受けました。 その時の、非日常の時間に連れ出されるような感覚、その揺蕩いに身を任せる感覚には共感するのですが、そのムードに身を任せすぎていないか・・・そんな漠然とした感じ、物足りなさ、あっさりした印象、が残りました。
0まりもさん コメントありがとうございます。 「こと」に関しては修辞上のミスとでもいうべきでしょうか、意図せぬぎこちなさのようなものが出てしまったように思います。反対に、「ように」に関してはリズムの躓きをあえて作り出すことによって、「ように」という言葉に重みを作り出したかった、というのが私の狙いです。言葉の言葉の関係を表す言葉である「ように」の、ものをものに例える、というモダリティ(?)を前景化させたかったのです。というのは、このような精神性がこの詩のテーマである「何かに名を付けてしまうということ」に関わってくると思うからです。 この詩に関して透明、ゼリーのようだという言葉をいただきましたが、全くその通りだと思います。いまの私の問題意識は、私のタッチとしてのこのような透明さを、いかに切実なものとして書くか、というものです。この詩においても、「透明なもの、ただ美しく感じてしまうということに新たに名を付けてしまう」というテーマを持っています。しかし、まりもさんが物足りなさ、漠然とした感を感じたというなら、戦略性が足りなかったということかもしれません。
0おはようございます。 このうえもなく 澄んだ水を こころや体に しみわたらせたかのような読後感覚でした。 渢(ふう)、と 渢(みなも)、というように 同じ語にふたつのルビをふっておられるのは この【渢】が この詩を つらぬいていることを感じさせる表現だなあと思います。 青という色は、精神と心が融合するかのような色だと わたしは なんかの拍子で思うようになっている読者なのですが、この詩文の青にも 精神と心が触れ合うって生まれる しずかな ふるえを感じました。 風のようで 風であってはいけない とか ない、という場所があってほしいとかの箇所には 禅問答のような印象を持ちました。ないことであることの自由。ありながら空に身を置くというようなことを想わせていただきました。
0流れるようで、やわらかくて、いいですねぇ。
0「水に流す」っていう事の意味を僕はあんまり知らないんですが、ここでは、名前みたいな物を水に流してしまう感じがしました。…っていうかそういう事しか言えなくて、僕は弓巠さんの作品が基本的に好きだし、これは客観的に正しい解釈ができたかどうかというのは差し置いて、僕はこの作品に納得を覚えてしまった。 >透明が水になって流れていく >光を細かく砕きながら >思い出してしまったことのように >ように ここなんか絶品ですね。この作品を読んで僕が強く思うのは「水」という思想、あるいは水そのものの性質っていうのか、あまり呼び方を僕は知らないのですが、そういうのひっくるめて水というモチーフの持つポテンシャルみたいな物の高さを思い知らされました。水っていうのは何にでもなれるし、流すことができる。なかったことにできてしまう。それは透明という目で見えない何かすらも身に包み込んでしまえる優しさと、光すらも砕いてしまう暴力的な何か。 川の上を流れる水に同じ水が流れることはない。だからみなもに向かって何回も名前を呼ぶけれども、同じ水は流れてこない。しかし、それでも私たちは、流れてくる川の水を、水と呼ぶことしかできない。水A、水Bと呼ぶことができない。と同時に、目で見ることのできない水なるもの。それが川の上に溢れて流れていること。それは風みたいな物。そういう透明なものに水や風と名前を付けてしまう事。 渢 この漢字は、だから水と風なんですね。世界のどこにでもある水と風を掛け合わせたこの漢字 >きっと答えではない音(ひかり)たちが >死にながら、生まれていく >渢(みなも)、ここでどこまでもいこう、と >身をひたしていって >確かに刻んでいる、零れることで このラストに対して僕は他の言葉を持たないですね。素晴らしいです。僕がどれだけレスを書いた所で、本作に流れている思想や表現や「渢」には敵わない。
0るるりらさん コメントありがとうございます。 お楽しみ、共感いただけたようで幸いです。まず、読後感覚について、言葉や論理や空想を体感させる、というのが一つの詩の効果であると思っているのでそのように感じていただけて嬉しいです。 渢、という字もやはりこの詩において軸になるもので最初の問題提起はここに落とし込まれていくものとして設定されています。 青、というものについて精神と心が融合する、というのは納得するところがありますね。私は青、というものの不在感に興味を持っております、例えば、青空の青も、海の青も掬い取れないということとか、ですかね。そういう不在のなかで、精神と心が触れ合っていくという考えもできるかもしれません。 禅問答的という解釈ですが、言われてみるとそのような気がします。答えのない問い、というのが共通しているのですかね。あるいは、問い自体がある種の破綻を含んでいる、と言いましょうか。空と実在については、一貫してこの詩の主題にあると考えています。他の方へのコメントにも書いていますが、名付けることで、あることと、ないことを融和させていく感覚、とでも言いましょうか。
0田中修子さん コメントありがとうございます。 お褒めいただけて嬉しいです。感覚的なところから楽しんでいただけることは幸いですね。
0hyakkinnさん コメントありがとうございます。 この詩が持っている思想を丁寧に読み解いて共感してくださり、大変ありがたいです。 hyakkinnさんも言及してくださったように、名前をつけてしまう、ということがこの詩では重要になってきます。かつて、透明でしかなく、名付けないことであらゆるものを含んでいてくれたもの、そういうものに対して、取り戻すために、おそらく正解でない名前をつけてしまう。その残酷さと、けれど進まざるを得ないということ。このような主題を、いかに実在させるかというのがこの詩で目指したものでもあります。私個人としては、成功したつもりでいたのですが、現在の問題意識としてはいかに内的な思想のようなものをより伝えていくか、というものがあり、まだまだ難しいなと思っています。 水の流れ、というと人は川、という言葉を与えてしまいますが、一度そういう言葉を取り払ってみると、あるいはそういう単純に言い表す言葉が信頼できなくなった時に、何ができるか、ということを考えていました。水A、水Bの件は本当に言い得て妙だと思いました。 風のようで、風ではない、ないのに、あるのだ、という実感、私はこの詩の中にあるものにその感覚を一番見出せた気がしたのです。渢、と名付けること、hyakkinnさんの言葉を借りると、「流してしま」って新たに名前を付すること。それは言葉を外された対象に対して、再び言葉を与えてくことでもあります。それはある種の残酷さとか、間違いを含んでいるかもしれない。その点で私は「名付けてしまう」と言いました。(だからhyakkinnさんも「しまう」という言葉を使ってくれたのは、何かが伝わったようで嬉しかったですね) ラストもご評価いただけてありがたいです。作者として少し自分の作品を説明しすぎたような感がありますが、私の言葉から漏れ出ていくところも読んでいただければと思っています。
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