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梅雨晴れ
からっぽになった朝 そっとからだをゆする にぶい鈴のように音が鳴る ゆっくりとからだを裏返して 風に身をさらしていく 内側のやわらかいところ つぶだってあわだって 陽の光を集めてはずんで ころがりだしていく みどりの草の上 手放す 弾ける 割れる 広がる 鈴の音がさざめいて 透きとおりながら空にのぼっていく しずくたちは葉のふちに 連なってふるえながら 落ちていく すいこまれていく 大地の闇 おなかの暗く深いところ 私の内側を さらさらと流れ落ちていくものがある とどまることを知らぬ流れに 足首をひたし流れに分け入り すくいあげるうまれたての ふるえるひかり 陽ざしに溶けているものを ふいごのように深々と吸いこむ 燃え盛る透明な炎 やがて訪れる からっぽの静けさ くらやみは 決して焼失ではない
梅雨晴れ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1045.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-07-02
コメント日時 2018-07-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
道理に適っていて、とても良い詩ですね。 こういう詩が大好きです。 自然の流れ、日常の些細な出来事をつぶさに観察していないと書けない詩だと思います。 その流れを一貫して詩を完成させることは本当は最も難しいことだと思うんですね。 言葉を自由に使うパンキッシュな詩もいいですが、こんな詩も現代詩には残っていてほしいと思う今日この頃です。
0はっきり書かれているわけではないですが「温度」を感じました。 雫にたいする豊かな想像力、感性は、するどい観察力と洞察力のたまものでしょう。 「くらやみ」という陽光と対照的なものが、けっして焼失を意味しないという思想も鮮烈でした。 やわらかく心にしみこんでくる、心地よい作品。 短めですが、洗練されて味わい深かったです。
0陽ざしに溶けているものについて、色々なイメージがわきました。全体の言葉選びが自然でとても心地よかったです。
0皆様へのご返信で失礼します。 割合に年配の方々から、抽象的過ぎて良くわからないという評を多く頂いた詩だったので、恐らくは若い皆さんから、具体的なイメージや丁寧な描写があるというような感想を頂いて、少し驚きがあり、また、嬉しさもありました。 いわゆる「現代詩」として若い人たちに理解されている作品と、同人誌や詩誌に大量に流通している日常詩というような作品との差異というのか、断絶の深さをも、考えさせられました。
0とほい空でぴすとるが鳴る。 と読んだあと もっと遠い空でぴすとるが鳴るのを感じた。 梅雨が明ける 鋳鉄の重い弾倉が回り 次弾は銃筒の根元へ運ばれているだろう 焼けるものが 遥か彼方から 焼けるものが遥か彼方の詩人の胸の中に そして僕の中に。 晴れやかに晴れ尽くすと 言葉の転倒したスペースに せいせいと風が吹く 咽喉のない空間を去来する声です 記憶にない懐かしさ もう いいから みんな もういいから と 書かれなかった詩が火災と洪水のあとで更地になっている
0書かれなかった詩が火災と洪水のあとで更地になっている・・・返詩ありがとうございます。 朔太郎へのオマージュから始まり・・・まさしく殺人事件が日本各地で起きていますね。祈る他ないのですが・・・文明を享受しすぎたが故の、温暖化が跳ね返ってきているような気がしてなりません。
0抽象的でよくわからないのが詩の面白いところだと個人的には思います。言葉同士のつながりに因果関係がなくていいのが詩という作品の自由なところ すべて言葉同士の因果関係は自ら取得しなければならない。梅雨晴れの静けさはその一瞬の沈黙に広がる世界を感じるのですが 特に今年は梅雨が晴れた後に残していった暗闇をまざまざと見せつられる結果になり正直戸惑っています。 詩論になっていなですね。すみません。
0きれいな視点で読めるのは、皆さんが感じられている通りで本当に素敵でした。 読み込んでいくと、大事になるのは「抽象的」という考え方と、身体と自然の重ね方についてだと思いました。 きれいな視点以外でも読めるように、具体的な景色が見えていてもあえて語らずに意図的に抽象的に書いていると感じました。「梅雨晴れ」と直接述べているからこそ、読んでいて外の景色を思い浮かべようと仕組まれているのに、あえて語らない。 身体感覚に導かれて、そこが深い部分だと思いました。 ただ、 「私の内側を さらさらと流れ落ちていくものがある」 など、読み手を研ぎ澄まさせる感覚が些か謀られている気がしました。 「大地」と「おなか」などもそうなのですが、重ね合わせる素材がわりと普通で、そこからの最終連の言葉へは取り残される読み手がいると感じました。 きれいな視点で読めるだけだったら、美しい詩で完成していたと思うのですが、身体感覚が梅雨晴れに対しては右へ左へ散りばめられているので、言葉の質として自然と身体とが対比になっていたらもっと引き込まれるかもと思いました。
0蔀 県さん、こずAさん、かるべまさひろ さん コメントありがとうございます。 意識的に、ガイア的な視点で書きたい・・・という意図が先に立っている部分もあるかもしれません。 実感している部分と、観念的に(大地のお腹の中、鍾乳洞の中、自身の身体の中、消化器官、肌の内側、といった感覚を追体験する、というような)とらえたものを、感覚に戻そうとしている、というような・・・その意味では、実感したことを、体感の次元に落とし込んで、それをさらに、観念に結び付けようとしている・・・という操作を行っているかもしれません。 葉の上を転がり落ちていく露玉に意識を集中しつつ、内面を考えてみたら・・・ということ、でしょうか。
0まりもさん、御作にコメントさせて頂きます。 表面から内面へ、細胞のところまで深く入り込んで、その変化を丁寧に美しく表現されていて。 美しいだけでなく、情熱を言葉にふくませながら、にじませる。言葉に身体があって、体重があるように感じられて。 最後にすっと切られる、いい意味の鋭さが残りました。
0夏生さん 体全体で自然を感じたい、というのか・・・自然に溶け込んでしまいたい(自分を忘れてしまいたい)という感覚が、常にあります。止め方は難しいですね・・・高田敏子さんという詩人が、初心者向けの言葉の中で、どこで終るか、終えるか、そこが大事だという話をしていました。
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