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スパムーチョ


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嘘の公園

2024-10-17

結局、今回は澤さんの推薦文に引き寄せられてこの詩の余韻からでたくなくなってしまう。素晴らしいReviewでございます。 私は作品のコメントの方でいろいろいつものスパム感想もらしたましたが、おおよそ澤さんの余韻に対する洞察力に帰属するような気がいたしますし、ヨネさんの紙飛行機に対しての観察力にはかなわんな。といったころです。 例えばヨネさんの紙飛行機に対して澤さんは爺さんによって飛ばされたのだという風におっしゃっていたと思います。 「真に束縛され搾取されてきたのは男性だが、名目上の男性優位を死守するために、女性が大きな犠牲を払ってきたのも事実だ。」 まさにこの文章にやられた気がします。笑 私はヨネさんの紙飛行機はとがっている感じがしますね。とテキトーに書きましたが、深堀りしてゆけば澤さんのたどり着くところなのだろうと確信します。 紙飛行機の種類について考えるとき。 澤さんの解釈も含めヨネさんの紙飛行機は「抵抗」とも言えるかもしれません。 一番最初に登場した紙飛行機は、A・O・I様がコメントで言及していたように、窮屈な街における紙飛行機。それは「逃避」かもしれませんね。 最後の爺さんの紙飛行機は別れというより「旅立ち」ととらえることが私には余韻を味わうヒントになっているようです。 「逃避」「抵抗」「旅立ち」 これらを違うものだけど似ている紙飛行機って言いたかったんだと付しておきます。ね。笑 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-16

推薦文から来ました。 詩を読んだあとにコンビニエンスストア(以下cvs)に行きました。夜のコンビニは店員のやる気も仕事ぶりも程よく落ち着いている。cvsスタッフには老齢期の方がよく働いているなぁとかくいう私も壮年期を迎え、目尻には折り紙の折り目に負けぬしわが出来るようになった。 なぜかcvsのスタッフの制服から出ているワイシャツの襟が気になった。 レジ待ちの間に店員の首元からでている白い襟だけをみているとなんだかカモメの両翼や紙飛行機の翼に見えてきた。(ははぁ、確かに飛びたがっているのかもしれぬ。) 普通のこんな話を人が聞いても興味のでない話であるが、この詩を読んだあなたなら少し引っかかる話ではないだろうか?この詩は紙飛行機の意味を考えることも重要だが、紙飛行機を自分のなかで飛ばして楽しむ詩であると思う 紙飛行機を何に例えて、考えたり、味わったりするか。それがこの詩の宝箱を開く鍵なのは間違いないとは思います。   「人であることをやめたくなったら紙飛行機になれる。」 この詩の言葉がいいですよね。 多分英語でいえばsomewhere els ここではない、どこか。全世界の人が時々、そんな衝動にかられるもの。この詩を読んだあとにだとそれを紙飛行機と呼んでも差し支えなさそうです。 ただ自分が読んでいて注意しなければならないなと感じたのは、生きている時も、死ぬ寸前でも人は紙飛行機になれるとも言えるということは、紙飛行機に具体的な意味を装備させるとうまく飛行機の機能が働かなくなってくる。重たくしすぎないほうが良い。抽象的、あいまいと言えばいいのか上手に飛行機を楽しむには力任せでもなくて、風が来た時にぽいっと投げてやることぐらいなのでしょうね。 そういう力加減、生きている時も死ぬ時にも飛ぶ紙飛行機をとらえて出来ている詩に思えてきて 「え、これすごいんじゃね!?すげー。」って感じでこの詩を楽しんでおります。 (紙、ふぶき。)

2024-10-14

紙飛行機とはなんだろうという話をする前に無駄な雑学でも披露しようと思います。 ヨネさんのいるタバコ屋という業界はとても面白く、タバコ屋を開くにあたっては許可が必要です。一度許可が通りさえすれば、お店は潰れにくいのです。 なぜならタバコ屋の側にはタバコ屋を作ってはならない法があったりして、ライバルと競わなくて済みます。売れなかった在庫などは返品が効くので在庫を抱えなくて済みます。それは自分の儲けは少ないが損をしないシステムになっています。 さていわゆるタバコが活躍する顕著なシーンは戦争における最前線の兵士たちにとってでしょう。 喫煙は短期間ではあるが精神的安定や多幸感を生み出す脳内物質をもたらします。戦争の極限的緊張にさらされる人にとってはタバコの煙をくゆらせることは救いでしょう。 ですが国家にとってはありがたい部分とありがたくない部分もあります。まず将来的な健康被害です。それは戦争による武器を使った死亡者数よりタバコ由来の健康死亡数が時には上回ったりします。 またタバコ一箱の税率が非常に高いために敵国の財源を潤わせるため、兵士に配るタバコ屋の金で戦闘機とかミサイルめっちゃ買えちゃうこともあります。 近年においても、タバコ屋つまり「JT」は戦争支援企業だとウクライナに避難されることもあるのでした。 もちろんどんな企業というのも、したたかでなくては生きていけないのであります。それを証拠に我が国の財相に「JTは現状、国内外の制裁措置を順守している。」と言わせるくらいの実力(納税とコンプライアンス)があるのです。 気合の入った一流のビジネスマンが集まらないと存続できないなかなかに面白い業界ですよね。  (紙、ふぶき。)

2024-10-14

この作品の紙飛行機の立ち位置や意味が場面によって、本質的には変わらせないように、けれど、変な言い方だけど、場面ごとの紙飛行機は非なるものだけど似てるものという風に印象を受けました。 ヨネさんの紙飛行機はずいぶん尖っている雰囲気を感じますね。 それから澤さんの余韻を読んだおかげで 下の文章が味がでてきました。 「紙、ふぶいた    紙飛行機が うかんでいた」 ヨネさんも爺さんも老齢期でしょうから 多分ですけど、そんなに相手のことをだんだん思い出せなくなった来る頃に差し掛かっているかもしれません。 ふたりの人生のなかでお互いにいいこともあれば、許さないこともあったでしょうが お互いにそういうことは、けっこうくしゃくしゃにしてやって、半分忘れてやったことがあるんじゃないでしょうか。それは我が身にも覚えのあることですし、みんなそうなんじゃないかしら。 紙飛行機をくしゃくしゃにする。 そうして、その紙飛行機だった紙を開くと 紙飛行機の折ったときについた深い折り目目の線とくしゃくしゃの細かい線がたくさん入っていて、紙も手も顔もそれは老齢期のしわの入った皮膚に似たものに見えてきます。ヨネさんの顔や手がすこしみえてくるようですね。笑 たくさんのしわが入った折り紙はちぎれやすく、紙ふぶきになりやすい。 爺さんの顔も半分忘れてるかもしれないが 紙飛行機という共通した気持ちでつながっています。しかし、その気持ちも半分忘れてる。紙ふぶきになってゆく。 「紙ふぶき。」じゃなくて、「紙、ふぶき。」っていいですよね。 私にはこの言葉は「紙飛行機」と言おうとした人物がいい直したセリフのようにも読めました。「紙、(いや、あれは飛行機じゃなくて)ふぶき。」 という躊躇も感じさせます。 それは紙飛行機と紙ふぶきになる爺さまを思い起こします。 紙ふぶきに、なるとは記憶が曖昧になることでもあり、どこかへ落ち葉のように降り積もることを意味しているようです。今まで木になっていた葉が枯れて、ひらひらと落ちてゆく それをまどろむ。と呼ぶならば 人を眠らせない記憶にたいして優しくお眠りよと声をかけているようにも見えてきましたね。 面白い作品のご紹介ありがとうございます。 (鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例)

2024-10-14

atsuchan69様の作者様への配慮や「岬」の解説にある作品への理解ある言葉が、健全な創作活動を支えるに間違いないのでしょうね。   ただ、冗談ぽく本音を言えば。まだたったの60コメントじゃないか。作者が対応できなくなるくらいもっとコメントが増えたら本意や不本意関わらず作者はコメントに降臨することは珍しくなるかなと思います。笑。 理想はこの作品を読んでコメント欄で悪戦苦闘する事、ときおり五里霧中に陥り、試行錯誤しつづけて、ようやっと誰かが読解につながる。 そして、最終的にatsuchan69様の配慮に感覚を結びつつ読者や作者にとっての最適解に繋がれば良いと考えます。 それは自己投影させていただける作品においては奇跡ですし、奇跡のためにはトライ&エラーする仲間が多ければ多いほど良い思うのですよ。←エラーの言い訳。笑 (葉舟)

2024-07-27

atsuchan69様の感想を読んでいて、 私の解釈の危険性に気づくことができました。それは、私の解釈では単純な和解を兄妹に期待してしまい、願望を映してしまうだけになりがちという点。 土は冷たい、いつでも土は、手のひらほど温かくはない、精液が一条注がれただけで、胎に自分が生まれたとはどうしてもわからない。なぜ血ではなかったのか、泪ではいけなかったか。 こんな叫びをあげるやつ(主人公)がそんなに簡単な心変わりはしないだろうという確信があり、言葉もなくこの慟哭の前で私の読解は立ち尽くすことしかできないのです。なので、atsuchan69様の読解を私は面白く読んでいますので続けていただきたいなと思う1人です。笑 【土は冷たい、いつでも土は、手のひらほど温かくはない、】 【ほんの少しで手が解ける、行った先の側溝の上でかなはあの時も半べそをかいた】 何気ない表現だけど、なんて味わい深くする表現なのだろうなとあらためて読み返しています。 土は冷たい⇔手のひらほど温かくない。 土に寝っ転がる兄は自分の手を見返して言ってるわけではない気がします。 特殊な倒置法とも読めますが 省略法で手のひらの主語は母でもあり、【ほんの少しで手が解ける】妹を思い返しているという読み方ができますし、 母も妹もどちらも思い巡らしているとも解釈ができますね。 そんな風に読んだあとに、  【そこらじゅうで枝葉が擦れた。風がまわった】という表現はただの時間経過や情景描写と解釈するのは何故かもったいない気がします。表現すべてに意味があるのだとしたら私はフランス映画のポネットという作品を思い出しました。4歳の女の子ポネットはお母さんを事故で亡くしてからというもののキリスト教のあり方や宗教や生死に4歳なりに考えて行動する映画です。ラストシーンでカメラはポネットを映しており、見守るように空に昇ってゆき、だんだんポネットの姿見えなくなるというカットシーンがあります。 それをカメラはポネットを見守る母の目線であり、ポネットに一安心した母が天に昇るという解釈をした面白い方に私は影響されていているようです。 【そこらじゅうで枝葉が擦れた。風がまわった】 ですからこの部分は読んでいて何か存在せぬものが、そこらにいる感じがしませんか?笑 (葉舟)

2024-07-26

「グルメ」は好き嫌いが激しく、分かってもないのに分かったふりをするイタい輩という意味でお察しくださいね。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

詩人の青木由弥子さんとお話することがあってこんな風に言われてたことを思い出しました。 誰かの詩に感想や批評を書いたりしてると、何故か詩が書けなくなる。 それは今、考えると詩を書くことと詩に感想を書いたりすることはベクトルが違うからなかなかに自分の胃の中にいれるのはなんとかできるけど、消化するのに時間かかるんだろうなって思います。 なんか真面目に話す彼女をよそにわたしはベロベロに酔っ払っていたので、CDの読み込みでいうなら、機械から音が鳴り出す前のキュルキュル音がしている状態、ゲームで言うなら「NOW LOADING」なんだろうなとそのときは考えておりました。笑 読むや書くの原動力は私には怒りでしたね。今はエネルギーの転換を行い、「風まかせ」です。笑 わたしのようなグルメな人間は特定の作品しかコメントできないので、運営となって全体をみる目を持てる方々を尊敬します。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

前回のコメントがパッション溢れまくりだったので、書き直します。 【頭で理解する『わかる』ではなく、情で理解する『わかる』】   岡潔   人は嘘をつくときは、自分にとって都合の悪いことを秘密にすることが普通であると思う。 主人公ににとって妹はとても都合の悪い存在として登場する。 ただ、彼は妹が嘘だという言葉をうそぶくことは彼自身が嘘をつくことに気づいているのだろうか。 まるで「妹なんて俺にはいないんだよ。」そんな悪態を私には感じることができた。 それは母の死が引き金となり、言葉への不信と強い悲しみから思考が歪んでしまったようにみえる。いつか言葉への不信は経験則に従って行動するようになり、他人からの言葉に耳を傾けなくなってくるだろう。 彼の土への狂信的な信仰をどこで培ったものかは書かれていないがその思想は母の死が関係しているのは間違いない。 そこにはふたつの思想が根幹にある。 ひとつは「身体は土で出来ていて、嘘はない。※」そしてもひとつは「ずぅっと一緒やで。」という母が守れなかった約束を嘘と断定し、妹を嘘とよぶ。 (これを視点を変え、自身の身体を土に置き換えようとする思想は、母とずぅっと一緒にいようとする、死を受け入れられないことのあらわれ。 もしくは虚実を生み出す言葉をもう喋らぬ母、身体が土になった母を神聖視していると読むことできるかもしれないがここでは判断しない。) なんにせよ、酒が人を酔わせるより強く、感情が悲しみが彼を酔わせ、思想が人を象るように土への思想が過度に彼を狂わせているようだ。 もちろん普通に母への愛憎や哀惜の暴走とも読める一方、肉や骨、百姓にとっては害虫でしかない芋虫と呼ばれるそれは兄の前では「妹は成長する虚」でありつづけるでしょう。 (※身土不二(しんどふに)という仏教の教えの影響があるかは不明。「身(からだ )」と「土(生まれ育った土地や環境)」 は切り離せないという意味。その土着の仏教の思想をキリスト教によって破壊、吸収された歪みが兄を歪ませているとも考える事も出来ますが、想像を拡散させないため私はあくまでも母の死が彼を変えたとしてよみすすめています。) 先へ進むと、彼が「目に見えるものが身体になって地をめぐる」という部分からは、彼にとって心身をリラックスさせる表現が本文から読み取れる。それを大胆に言い換えるならば、地をめぐることは、「土に埋もれる母に近づく」というようにもみえる。それは悲しみの快楽に心身を委ねている状態のように見えてくるようだ。 人間は悲しい事があったとき、あえて悲しさに心身を包ませるときもあるものだ。感情は人を酔わせる。 「鳥が沈黙の歌を歌う。知っている歌だ。」 失った母が主人公に聞かせてくれた歌を思い出させるものとわたしは解釈する。 葉舟というタイトルと、笹をちぎった、妹は側溝で泣いていた。先へ先へいった。 これを笹舟を追いかける妹と私は読んだ。 さらに詩に想いを馳せるとする。 兄は誰から笹舟を習ったのだろうか。 妹が兄を忘れて笹舟をおいかける姿や花火にはしゃぐ妹をよそに彼は「誰とも花火を見られなかった、おまえがいたために。」と恨めしさを隠さない。 ただし、それは主人公がかつて母に言われた言葉や過去の自分が母にした行動と読むことに誤読と断定できるものはないだろう。 不思議なことにそのように詩に情緒をめぐらすことでわたしにはやっとタイトルのテーマが浮かび上がるようではある。 にいよう。 最終段落の兄を呼ぶ声は様々な想像ができますが、私には弱さの象徴である妹が家に帰って父を呼んでくるだろう。と考えていた兄に対して妹が予想を裏切りずっと兄を探して近くまできた声。勇気を見せた声。妹が兄に大人を見せた瞬間と読むことにします。 【土にならないものに目をくれてはならない、行って、行って、知らないと言え、そうして行った先の、沈みかかる納屋、黙りつづける農具の傍では。いつか器に積もった砂埃にゆびで指し描く合図をおれは、おまえが人差し指で描くのは日射しの、どんなときも秘密ではない。】 多くの人々を混乱させた言葉だとおもう。 もちろん言葉を不信する彼だからこそ、こういうものの言い方になるのは仕方ないとわたしはえる。 まさに【言葉は虚実をつくる】 それは、言葉は土にならないとでも言っているようにもおもえる。土にならないものに目にくれるな。これは妹に言っているのか。もはや読者に呼びかけているのか分からない。ただ、彼を言葉で理解しようとしたり、知ろうとすればするほどここで拒絶させられるのが面白い。 (最終章をストレートに理解できる方はどんな方法でもいいので解説おねがいします。いや、ほんとにお願いいたします。マジで。) 情では理解できる(気がしている。)頭で理解してないと不安なのも現代人の癖だから仕方ない。 ただこういう経験則でいきてる分からず屋の主人公にそれでも追いかけてくれる妹には弱いと思う気がする。態度を変えているのがその証拠だ。 そして、かつて母が使っていたであろう農具や器はいつか妹が受け継ぐ未来をわたしはこの最終段落から想像します。 誰かの読解の足しになればとおもい、兄の言葉をならべかえて文章にしてみる。それはつまり、言葉に不信を持つ主人公はレベルの高い修辞なんぞ使わずに、言葉にあえてせず、相手に伝えるようなナゾナゾに似た言葉で伝えるんじゃないかなと思いました。 【そうして行った先のおまえが人差し指で描くのは日射しの沈みかかる納屋、いつか器に積もった砂埃にゆびで指し描く合図をおれは黙りつづける農具の傍ではどんなときも秘密ではない。】 妹が追いかけてきてくれたというのも 母が死んでから孤独だった主人公には特別なことだったとおもいます。 強情な人が態度をあらためるときはどんなときだろうかということです。 わたしはこんなふうに思います。 何かいいことがあったとき。 反省して、自分が悪かったと認めるとき。 相手との和解があったとき。 これから突飛なことをここにかきます。 誤読かもしれませんが、悪くないので残しておきます。 鳥が三度鳴いた。背を地につけ息を鎮めると、そこらじゅうで枝葉が擦れた。風がまわった 鳥の声を想像します。 沈黙の歌を、わたしは母の歌と解釈しました。 では、鳥(母)の声とは? もしこれを読むあなたが鳥となって妹を恨む息子にかける声があるならどんな声をかけるでしょうか。わたしはこんな風に声をかけると思います。 ひとつ、ずうっと一緒やで。 ふたつ、妹を大事にしてね。 みっつ、大変な思いをさせてごめんなさい。 おしまい。 まさに名前通りのスパムのような感想でございましたが、賛同や反発関わらず誰かの読解の喜びに貢献できたらいいなと思います。 (葉舟)

2024-07-18

先日、こちらのサイトの「葉舟」という作品に感想をあてたのですが、なかなかにむつかしく、難しいなら黙っていればいいものの、何故か動かされる作品でした。魅力的だったのですね。 ちょうどわたしの突飛な感想を投稿する前に、こちらのレイモンド・チャンドラーの猫を読みました。なんというタイムリーな作品なんだろうと勝手に運命を感じたものです。変な言い方ですがわたしには後ろ髪を引かれつつ、後押しをしてもらったような気がいたしました。 一枚岩のように感想が共通すること 気まぐれな猫のようにありつづけることはつきつめれば孤独になる どちらもおもうことが多すぎて わたしはそれらのことに対して 「いいかげん」に接することしかできない だろうなぁと思っております。笑 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-17

感想をいつもわたしの前に立って 勇気をしめしてくれる姉(ネェ)に捧ぐ。 人は嘘をつくときにすることといえば、だいたいは自分にとって都合の悪いことを秘密にしたがるだろう。彼にとって妹はとても都合の悪い存在でなかっただろうか。 彼の土への狂信的な信仰は母の死によって生み出されたものであり、その信仰を占めているもの嘘のない土と、その存在をうとまわれる妹によって構成されている。わたしは宗教的な知識はないのでこの時点で妹を罪と呼ぶべきかどうかは私には分からない。 ただ肉や骨、百姓にとっては害虫でしかない芋虫と呼ばれたそれは、当たり前だが本当は妹という存在であり、兄の前では「虚(秘密)」でありつづける、これも当たり前だが彼は母の死を上手く消化出来ていない。 そんな彼が身体を土にすることは、彼にとって心身をリラックスさせる、鎮静することができる表現が本文から読み取れる。それを大胆に言い換えるならば、悲しみの快楽に心身を委ねている状態のように見えてこないだろうか。人間は悲しい事があったとき、あえて悲しさに包まれるときもあるものだ。 もちろん私の専門は心理学でもなんでもない、彼の行動を逃避と呼ぶほど私は人間が出来ていない。ただ文面からあんちゃん、つらそうだなとここで斟酌することしか浮かばない。 ゆえに鳥が沈黙の歌を歌う。知っている歌だ。とは、それは失った母が聞かせてくれた歌を思い出させるものとわたしは解釈する。 葉舟というタイトルと、笹をちぎった、妹は側溝で泣いていた。先へ先へいった。 笹舟を追いかける妹と私は読んだ。 兄はかつての自分を思い出させることはなかっただろうか。そして兄は誰から笹舟を習ったのだろうか。祭りに離れ離れになる同じ苗から生まれた木の子のふたり。母の亡き身体は土に還ってゆくにつれ妹の身体はだんだんと大きくなるだろう。兄の後ろをついてきたそれは、兄をおいてゆくほど、それは嘘が誤魔化しきれないように。 「にいよお。 黒く艶めく土で指を汚す、抉る、膚との境は少しも溶けてゆかない。 土にならないものに目をくれてはならない、行って、行って、知らないと言え、そうして行った先の、沈みかかる納屋、黙りつづける農具の傍では。いつか器に積もった砂埃にゆびで指し描く合図をおれは、おまえが人差し指で描くのは日射しの、どんなときも秘密ではない。」 最終段落は読者の光が跳ね返ってくると私はかつてのこの作品へのコメントに寄せた。 最初読んだときはさっぱりわからなかった。 でも、読んでるとすごい興奮を覚えた。なぜだ? なんで興奮したのか、ずっと考えていた。納得できる答えが欲しかった。 今はだんだんと浮かび上がるものがある。 妹の兄を呼ぶ声によって、 悲しみの沼に浸かれなくなった兄。 強情に知らないってまるで自分が認めたくなかった嘘(秘密)から逃げているようだ。けれど、いった先の納屋にある農具の傍では。もう兄は逃げられないのです。きっと母の使っていた農具でしょう。母の前で妹を知らないと言えるでしょうか。 強情な態度からどんなときも秘密ではない。嘘ではない。つまり存在を認める。妹への態度を軟化する兄をわたしはそこにみます。自分が妹の存在を妹としてあつかわず、芋虫よばわりして「自分の妹という存在」を隠していた、嘘をついていたことを認める。すごく変な言い方ですが、あやまっている姿と書けばいいのでしょうかね。 一緒に想像してほしいのだが、強情な人が態度をあらためるときはどんなときだろうか。 私はこんなふうに思う。 何かいいことがあったとき。 反省して、自分が悪かったと認めるとき。 相手との和解があったとき。 これから突飛なことをここにかきます。 鳥が三度鳴いた。背を地につけ息を鎮めると、そこらじゅうで枝葉が擦れた。風がまわった 鳥の声を想像します。 沈黙の歌を、わたしは母の歌と解釈しました。 では、鳥(母)の声とは? もしこれを読むあなたが鳥となって妹を恨む息子にかける声があるならどんな声をかけるでしょうか。わたしはこんな風に声をかけると思います。 ひとつ、ずうっと一緒やで。 ふたつ、妹を大事にしてね。 みっつ、大変な思いをさせてごめんなさい。 以上、わたしの解釈になります。 作者様に不愉快な、望まぬ解釈であったとしたら申し訳なくおもいますが。 どうだ、ちょっとはやるでしょ。笑 とてもよみがいのある作品でした。ありがとうございました。 (葉舟)

2024-07-15

おぉ!今さっき、わたしも最初と最後やっとつなながりが見いだせたとこです。 最終段落の「秘密」というクセ強、作者のこだわりをバッチバチに感じる単語ですが、最初の段落と最後を、並べるとやはり発見がありますね!ありがとうございます! そして器(焼物)と農具(鉄+木)も土から生まれたものって考え方はなにかしら読み解くヒントになりそうですね。面白いですね! 実は埃を払うという合図に近いものでわたしは読みすすめています。 もちろんそれは器、農具が 母親のものとして解釈した結果 肉や骨、芋虫呼ばわりした妹が成長を続け、 いずれ器や農具を受け継ぐ妹という姿を 将来の日差し(南中関係あるかも?)のなかに兄は納屋にて見出している。 私の悪い癖で、どんな詩もなんとか希望が持てるお話にしたがるのですよ。 ちょっと無理があるかもだけど 今のところの私の中で私のために満足できる到達点はそこらへんかなぁ。 といった感じででまとめている途中ですw終わったら載せますね。 そちらも進展があったら是非またここに書いてくださいね。 (葉舟)

2024-07-13

こんばんは。 山の共同墓地(竹藪の墓地=竹藪は根が凄まじく土を掘るのが得意としている人間達でないと難しい。)に母親が埋められていて納屋があって農具をもっているにも関わらず、百姓と何ら繋がりもなく実は主人公はGoogle社員です。と考えるよりは「百姓に何らかの縁」はもっていると考えることは何ら不思議な選択ではなかったと思いますよ。笑 推薦文のおかげで非常に面白い作品に出会うことができ、楽しい時間を過ごさせていただいています。 澤様の旧約聖書からの読解の視点がとても私にはかなり響くものがありました。今もってしても、このクセ強めの最終段落には読み方によっては「殺人」を否定出来ません。 それは感情を読むばかりしているわたしも何が原因が分かりませんが文章から「殺意」を嗅ぎとった感覚的な事実です。 今は同じ最終段落で悩む方々の話を聞いているうちに別の角度からの視点でこの作品という山を登っております。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-13

釈迦に説法かもしれませんが、 澤あづさ様への作者様のコメントがあったように真なる読解なんてあるのだろうかということにわたしも賛同しているのです。 最初に下地があったから我々は感動したのではないのですからね。 もっと恐れずに好き勝手楽しんでいいじゃありませんか。もちろん感想で作者様に唸らせたい、悲しませたくない、踊らせたい、酔わせたい、そんな気持ちもよくわかります笑 遠藤周作をご紹介し、お調べいただいたことに感謝いたします。 鳥に関してはこんな風に思っています。 まず最終段落で、主人公は何かの合図(サイン)を待っています。 派手に言い換えると神を信じないくせに、神を信じてる人々と同じように何らかの「兆し」を信じている。それを合図と言い換えることが出来るかもしれませんね。 それをふまえてもとに戻しますと 鳥が沈黙で歌を歌った(聞こえぬ声がある。) ↓ 鳥が三度鳴いた(時間経過の意味だけでなく合図の意味もあるかも!?) ↓ 合図を待っている主人公 とつなげられるんじゃないかなと思った次第です。 (葉舟)

2024-07-13

追記。 何度も読み直している仲だから、 思ったことをわたしも伝えておきます。 沈黙の鳥の声って変な言い方ですよね。直感では遠藤周作の「沈黙」が考えるヒントになるかもしれません。よかったらwikiってみてください。 そして、それか、鳥が三度鳴くへと続くことに想像を巡らせるのも楽しいかもしれませんね。 ではでは (葉舟)

2024-07-13

そうなのです。 わたしも読んでいるときに、A.O.I様と同じく「器」に何か感じるものがありました。 私達が共通して、答えとして納得する、理解することを助けるものとして、感じたものは、それは多分「神聖さ」なのじゃないかなと思いました。 わたしはその「器」に何故神聖さを感じたかといえば、納屋にしまわれている生前母が使っていた器と農具だからだと感じました。 もちろん農具も古い時代では器と同じく、祭礼器具として使われていたのですから、なにか神聖さを感じてもおかしくないかもしれませんよね笑。 そして、ありがとうございます。 何に対しての感謝といえば A.O.I様とこうしておしゃべりしながら 詩について書いていたらひらめきました。 最終文は、かっこいいのですが、なにか文が抜けているように感じていたのです。文章に空白があるような感じといえばいいのてしょうかね。 その空白をうめる必要なイメージがやっと頭にうかんだのです。エウレカです笑。 (葉舟)

2024-07-13

A.O.I様の言葉に影響されて 消化しきれない部分がひとつ ストンと落ちたようです。 わたしもこの詩に漂流仲間として書き流してみます。 突然出てきた器は誰のものか。 使われずに埃が積もるということ。 使われていない農具は何故そこにあるのか そういうことを考えたとき、言葉には出ていないが納屋にあるもの。このふたつに共通する登場人物は「母」以外にいるのだろうかと考えます。 (葉舟)

2024-07-12

根っから百性のくせして 土に嘘はなく、妹は嘘と呼ぶ その口ぶりは船乗りのように乱暴者だ。 かなしいかな妹が錨になって 奴は丘に取り残されている。 百性育ちで得た悟性は もはや埃をかぶることを望んでいるかのようだ。 今は錨をあげる合図を見ることは叶わぬが いつかその時を待っているのかもしれない。 澤 あづさ氏の推薦文よりこちらの作品を読みました。 序盤、中盤は主人公の考え方は分かりやすいのに、最後の章の読解には難しさを感じます。 あえてのとてもわかりにくさを感じる。 もちろん、そんな単純に誰かに分かってもらえる感情や考えじゃないんだよ。という主人公の声にも聞こえてきますし、作者の品位の高いの修辞と言われたら、理解できないわたしという読者がいけないのかもしれぬと思わせるほど読ませる作品でございました。そう、とても読ませるものがありました。 父親の命令に従い、主人公のあとをついてくる妹という存在が花火の章のところでは兄より前に妹が先に行ってしまう、兄の方が妹を目で追うばかりで、おいていかれてしまったという弱さを見せたとき。嘘の存在として扱っていた妹が現実味を帯び、主人公の立場のゆらぎと彼の行場のないやるせなさを感じさせます。 そのゆらぎは兄にとって妹は母を失ったことを憎む矛先としての逃亡先だったが、妹はいつか兄をおいていく、旅立ちを感じさせるものがありました。 最終章にはこの家族に投影した読者の光が最終章で跳ね返ってくるように設定されているようにも思えます。 私にとっては母の墓前でさえ祈らなかった主人公が「納屋と農具の前での静かな祈り」とも取れるものを感じました。埃をかぶるというのは兄の考え方や哲学は変わらぬままでいるかもしれないという暗示にも思えます。それは言葉や自分以上の存在(存在)を信じる器は持てねど、いつか妹と言葉を交わさない不器用な対話をそこに見つめているような気がいたしました。 大変面白い作品でした。 (葉舟)

2024-07-12

不思議な詩だなと思いました。 文章はとても読みやすいと感じます。 しかし、タイトルと文章をパズルのピースのように合わせようとすると、できそうなのにできない。 何をどうしてもあわなくてだんだんイラっとしてしまう。 このタイトルからも匂いたつ「いらだち」は何なのかなといまもって謎ですが、書きながら考えております。 店長やオーナーはどちらかといえば「一人称」を統べる側の存在なのかもなぁと私と同じ考えを持つ仲間はたくさんいるでしょう。 そこから先にわたしはこの詩に蛸のような姿を見ました。 それは僕や私といった多頭の「一人称」の触手をたどってゆくと店長やオーナーである「頭」を持つ蛸にたどりつく。という風なものです。 それはぼくやおれ(触手)の行動が認知されたときの現実は、意思決定権をもつオーナーや店長(頭)にとっては限りなく過去に近いものだという表現にもみてとれそうです。 それが作品では 「実はすでに…」という切り出しで時制を表現されていると思うと、え、すごいじゃん。なんかこの詩すっごくね!?誰かに宣伝したいのですが、共感を得ない感想の1つかもしれません。 さらに孤独死も辞さずに感想を続けると 意思を持った多頭の私たちが鏡の中の鏡に映る人物のようにラインダンスを行う姿を眺めることができます。 腕を上げれば、鏡の中の鏡にいる自分達がいっせいに腕を上げるといったように とっくみあいの全員自分の喧嘩がおこなわれています。 最後のシーンはまるで集団焼心自殺のようにも考えさせられるようでした。 オーナーと店長を逃がした後にリセットのためにみんなで死ぬ。 そうして傷つくのはいつも「一人称」を得たぼくやおれたちだけ。 それがタイトルから匂ういらだちかしらとも考えることはできそうな気も致します。 大変面白い詩でございました。 (おまえじゃねぇ、と一人称は言った)

2024-07-02