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スパムーチョ


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「グルメ」は好き嫌いが激しく、分かってもないのに分かったふりをするイタい輩という意味でお察しくださいね。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

詩人の青木由弥子さんとお話することがあってこんな風に言われてたことを思い出しました。 誰かの詩に感想や批評を書いたりしてると、何故か詩が書けなくなる。 それは今、考えると詩を書くことと詩に感想を書いたりすることはベクトルが違うからなかなかに自分の胃の中にいれるのはなんとかできるけど、消化するのに時間かかるんだろうなって思います。 なんか真面目に話す彼女をよそにわたしはベロベロに酔っ払っていたので、CDの読み込みでいうなら、機械から音が鳴り出す前のキュルキュル音がしている状態、ゲームで言うなら「NOW LOADING」なんだろうなとそのときは考えておりました。笑 読むや書くの原動力は私には怒りでしたね。今はエネルギーの転換を行い、「風まかせ」です。笑 わたしのようなグルメな人間は特定の作品しかコメントできないので、運営となって全体をみる目を持てる方々を尊敬します。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

先日、こちらのサイトの「葉舟」という作品に感想をあてたのですが、なかなかにむつかしく、難しいなら黙っていればいいものの、何故か動かされる作品でした。魅力的だったのですね。 ちょうどわたしの突飛な感想を投稿する前に、こちらのレイモンド・チャンドラーの猫を読みました。なんというタイムリーな作品なんだろうと勝手に運命を感じたものです。変な言い方ですがわたしには後ろ髪を引かれつつ、後押しをしてもらったような気がいたしました。 一枚岩のように感想が共通すること 気まぐれな猫のようにありつづけることはつきつめれば孤独になる どちらもおもうことが多すぎて わたしはそれらのことに対して 「いいかげん」に接することしかできない だろうなぁと思っております。笑 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-17

こんばんは。 山の共同墓地(竹藪の墓地=竹藪は根が凄まじく土を掘るのが得意としている人間達でないと難しい。)に母親が埋められていて納屋があって農具をもっているにも関わらず、百姓と何ら繋がりもなく実は主人公はGoogle社員です。と考えるよりは「百姓に何らかの縁」はもっていると考えることは何ら不思議な選択ではなかったと思いますよ。笑 推薦文のおかげで非常に面白い作品に出会うことができ、楽しい時間を過ごさせていただいています。 澤様の旧約聖書からの読解の視点がとても私にはかなり響くものがありました。今もってしても、このクセ強めの最終段落には読み方によっては「殺人」を否定出来ません。 それは感情を読むばかりしているわたしも何が原因が分かりませんが文章から「殺意」を嗅ぎとった感覚的な事実です。 今は同じ最終段落で悩む方々の話を聞いているうちに別の角度からの視点でこの作品という山を登っております。 (匿名投稿『葉舟』読解一例)

2024-07-13

不思議な詩だなと思いました。 文章はとても読みやすいと感じます。 しかし、タイトルと文章をパズルのピースのように合わせようとすると、できそうなのにできない。 何をどうしてもあわなくてだんだんイラっとしてしまう。 このタイトルからも匂いたつ「いらだち」は何なのかなといまもって謎ですが、書きながら考えております。 店長やオーナーはどちらかといえば「一人称」を統べる側の存在なのかもなぁと私と同じ考えを持つ仲間はたくさんいるでしょう。 そこから先にわたしはこの詩に蛸のような姿を見ました。 それは僕や私といった多頭の「一人称」の触手をたどってゆくと店長やオーナーである「頭」を持つ蛸にたどりつく。という風なものです。 それはぼくやおれ(触手)の行動が認知されたときの現実は、意思決定権をもつオーナーや店長(頭)にとっては限りなく過去に近いものだという表現にもみてとれそうです。 それが作品では 「実はすでに…」という切り出しで時制を表現されていると思うと、え、すごいじゃん。なんかこの詩すっごくね!?誰かに宣伝したいのですが、共感を得ない感想の1つかもしれません。 さらに孤独死も辞さずに感想を続けると 意思を持った多頭の私たちが鏡の中の鏡に映る人物のようにラインダンスを行う姿を眺めることができます。 腕を上げれば、鏡の中の鏡にいる自分達がいっせいに腕を上げるといったように とっくみあいの全員自分の喧嘩がおこなわれています。 最後のシーンはまるで集団焼心自殺のようにも考えさせられるようでした。 オーナーと店長を逃がした後にリセットのためにみんなで死ぬ。 そうして傷つくのはいつも「一人称」を得たぼくやおれたちだけ。 それがタイトルから匂ういらだちかしらとも考えることはできそうな気も致します。 大変面白い詩でございました。 (おまえじゃねぇ、と一人称は言った)

2024-07-02