薬を飲んでから - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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薬を飲んでから    

去年の5月から 朝食後に統合失調症の薬 夕食後に鬱病の薬を飲み始めた 薬を飲み始めてから 創作意欲が減退した気がする それはいいことなのか 詩が書けなくても実際何も困らない 仕事はあるし趣味もあるし 女はいるし何も困らない 詩はお金にならない 君は何のために書いている? 書かされている、なんて そんなわけないだろう? 取り憑かれたように書かされているなんてものは 自惚れ以外の何ものでもないと思うんだ 何が楽しいの? 詩よりも楽しいこと沢山あるじゃない 例えば何?そんなこと言わなくても 本当は分かっているよね 醒めてしまったのかな それはきっと僕が下手くそだからだな いや、才能があっても きっといつか醒めてしまっただろう 薬を飲むのをやめてしまおうか そうすればまた以前の様に 詩の世界にどっぷりと浸かったのかもしれない 薬のおかげで幻聴が少なくなったから 薬は手放せない大切なモノだけど なぁ僕はつまらない人間になってしまった 元々がつまらない人間だったっけな 面白い人間 面白い詩には人が集まる 世の理だ つまらない人間 つまらない詩に人が集まるわけがない 寂しいけれど真実だ 面白いって、何なんだろうね


薬を飲んでから ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 28
P V 数 : 2125.8
お気に入り数: 1
投票数   : 2
ポイント数 : 0

作成日時 2024-05-06
コメント日時 2024-06-04
#現代詩
項目全期間(2024/11/23現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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技巧00
音韻00
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叙情性00
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 エンタメ00
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構成00
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閲覧指数:2125.8
2024/11/23 18時32分05秒現在
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    作品に書かれた推薦文

薬を飲んでから コメントセクション

コメント数(28)
万太郎
万太郎
作品へ
(2024-05-06)

私は人が集まるような魅力的な人と接したことがないのです。 それは医療保護入院という名目で強制入院から障害者としての生活を義務付けられたからです。 私が思う魅力的な人。こんな人には人が集まると思う人は、手塚治虫先生や赤塚不二夫先生のような、優しく人の話にじっくり耳を傾ける包容力のある人です。 思わず先生と言いたくなるような、そんな人が人が集まる魅力的な人だと思います。 魅力は感じても人は集まらず、いつか離れていく人もいます。 それは、エゴが強い人の持つ女性的な魅力だと思うので、あまり感心しませんね。

1
黒髪
作品へ
(2024-05-06)

魅力というのは、人の気持ちがわかるということです。そのためには、ある人の行動を 観察して、何を考えているのだろうと、考えなければいけません。そしたら、気持ちが通じ合う。 その人も私もなんて魅力的、まだまだ時間は長い。そして自由である。本当に悪い人なんて、 いません。つまらないから、悪いことをしなければならないというような気持ちになった だけなのです。詩は、文法と語彙とイマジネーションと音さえわかれば書けるのです。 言いたいことがないのに詩を書くことはしない方がいいですが。

0
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-05-06)

世の中のあらゆる事物は「そこそこ」なので、なんにせよ、その経験が楽しめるのであれば、ある程度はそれを欲求しますよね。楽しめるというのは、スカッとする気分が好き、とか、甘いものが好き、とか、セックスが好きとか、なんでもいいですが。作品にあるように、「面白い」とか「どっぷりと浸か」るとか、も、同様です。ここまでは一般論で、詩というと、上記とはまったく異なるものである可能性もあるので、いかなる楽しみを求めずに、ただ詩作は価値あるものだという信念のもとに、はじめからそのような詩を書きたいと望むこともありえないわけではないでしょう。わたしはそういう詩のほうが「面白い」と感じます。

0
田代ひなの
田代ひなの
作品へ
(2024-05-09)

何だか色々考えさせられる詩ですね。 薬を飲めば、幻聴や精神不安定な状態から開放される、でもそのかわり詩作で役に立つ感受性等が失われていく。どちらが自分に必要なのかを天秤にかけながら生きていくことを強いられる主人公の苦しみ、憂いがじわじわと伝わってきます。

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羽田恭
作品へ
(2024-05-09)

ちょっと即興で返詩を。 「君は何のために書いている?」 ブレージングだ 「何が楽しいの?」 バーストブレージングだ 「醒めてしまったのかな」 鼻から口へ息を繰り返す 「きっといつか醒めてしまっただろう」 壱秒間に一回程度の速い呼吸を繰り返す 「元々がつまらない人間だったっけな」 口をすぼめ 呼吸を繰り返す 「面白い人間」「つまらない人間」 普通の人間になるのです ミカエル・リャブコ 「面白いって、何なんだろうね」 呼吸をしよう まずはそこからだ 詩を書けなくとも 書かなくとも誰も何も困らなくとも 先人たちに習い 善い言葉を遺す

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rona
rona
作品へ
(2024-05-11)

類さん、こんにちは。 詩に限らず何かに関して自問自答を繰り返している事柄って、多分自分に重要な事柄なんだろうと思います。答えは個々に違っていて自分だけの正解探しみたいなもの、かな、と。 この詩から読み取れるのは話者は寂しいんでしょうね。何気なく書かれている『寂しいけど』に現れている気がしました。(私は人が集まらなくても寂しくないので笑) そういう意味でこの詩は面白いと感じました。『面白い』も人それぞれ違いますね。

0
万太郎さんへ
(2024-05-18)

コメントありがとうございます。 一緒にいて楽しい人が魅力的な人だと思います。思いやりのある人ですよね。思わず、アニキと言いたくなるような人と出逢ったことがありません。才能のある人と出逢ったことはありますが。幻想的な出逢いがしたいものです。その為にも人脈を作る必要があるのかもしれませんが、どうも狭いコミュニティの中で生きている僕がいます。仕事と家庭の行き来ばかりで、刺激的な交流が殆どありません。

1
黒髪さんへ
(2024-05-18)

コメントありがとうございます。 観察力を身につけたいですね。人間関係の中で上手くいくこともあれば、失敗することもあります。観察力が不足しているが故に、失敗することもあります。でも失敗を糧に人間関係の微妙な距離感を見直しています。人間関係において確実なことは何ひとつとしてありませんが、距離感を見直すことは思いやりであり、お互いに安心感をもたらす重要なプロセスです。詩は、多くの要素から成り立っています。文法、語彙、イマジネーション、音は勿論のこと、霊感も必要です。怪しい話になってしまいましたが、僕は僕の詩で霊感を示しているつもりです。今回投稿した愚痴じみた文は作品ではなく、ただの本音ですけどね。単に歳だからもう醒めてしまったのかもしれません。若いと言うには微妙な年齢に達したからか、皆さんの詩を醒めた目で読んでいます。心打たれることがあまり無いのです。皆無と言ってもいいくらいに。でもそれは詩が悪いのではありません。僕が鬱病だから、感性が鈍くなっている可能性があります。

1
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-05-19)

例えば、ドタバタ迫力のある騒がしいだけの娯楽映画を面白がる人もいれば、眠たくなるような中身の濃い作品に惹かれる人もいる。人それぞれ面白さの基準には差があるので一概には言い切れません。 自分は昭和生まれでけっこう我慢強くて石の上にも三年、とかいうあの忍耐力を称える諺をたたき込まれてきた世代なので、ずいぶん無理もしてきたなって思っています。人見知りもしますが、話し好きで見た目は弱々しくは見えないでしょう。むしろ自分の殻に閉じこもるのが好きな質なので、あの人は何を考えてるのかわからない。よく言われたものです。そんなわたしがやれ肩が痛いとか腰がわるい、況してや鬱病ではないのか?と他人に言ってもほとんど信じてはもらえないのです。それは、つまり少々では弱音を吐きたくない。というあのトラウマのような諺に取り憑かれているからでしょう。つい無理をしてしまう。なかなか信じてはもらえないので親しい友人にも本心は秘匿されてしまうことになる。正直どのように受けとめてもらうるのか、それを考えると怖いからですね。 ~のように考えてみれば、わたしが投稿詩というサイトに関わってこられたのはやはり本音で語れる。という側面があるからでしょうね。もちろん作品では嘘も作りますが、コメントや批評では嘘も吐けない。それは互いに顔も素性も知らない相手で、空間に遮られているという安心感もあるからでしょう。そのことはまた知らない自分を引き出してくれる場でもある。自由な空間です。素晴らしいことですよ。言葉で表現するってそんな良さがある。といま書いていてはじめて気づいたかのように気恥ずかしくなりました。笑。よくもわるくも言葉を通じて素の自分が出せる。いくら装うことになっても、です。その様に詩を書く行為とは、つまり掛け替えもなくやはり素晴らしいことなのです。

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おまるたろうさんへ
(2024-05-21)

コメントありがとうございます。 使命感で詩を書いたことはないですね。それが僕の薄さなのかもしれません。言葉との格闘に血のにじむような思いをしたことが僕にあったか、それはあったのかもしれません。僕は聾唖者で、言葉を憶えるのに人一倍苦労してきたからであり、それは僕の誇りです。特に助詞の使い方で苦心しました。耳が聞こえていたら、僕はどんな詩を書いていたのだろうと思うことがよくあります。音を奏でるような詩を書いたのだろうと……。詩を生む一つの媒体になりたいと願うのに、残念なことにこの媒体は、重要な役割を担う聴覚という部位が決定的に欠けているのです。まぁ、能力値の満ち欠けは人それぞれ違いますから、僕は僕なりに書いていけばいいのだろうと思いますがね。詩において音が最も重要な要素というわけではなく、あくまでも総合的なもの……もちろん不利であることに間違いはありません。しかし、なぜ僕は詩という苦手な分野に手を伸ばし、しかも発表までしてしまうのでしょうか……今更になって疑問を感じてしまいました。それはきっと、心ですよ。心の問題です。心があるから、詩を書いてしまうのでしょう。おそらく。夜勤明けのせいか、とりとめのない返信になってしまいましたが、ご容赦ください。

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田代ひなのさんへ
(2024-05-21)

コメントありがとうございます。 まさに仰る通りです。正常か異常かを天秤にかけながら調整するしかありません。僕は正常を選びました。これ以上、自分の人生が破壊されていくのに耐えられなかったからです。薬を飲むことは自分の人生の中でも大きな決断を要しました。なぜなら狂気を手放すことは、創造力を失うことと同義であると自分自身、信じ込んでいたからです。秘密の祈りのように。しかし、今では平穏な日々を送ることが最優先事項であり、創作活動は二番目になりました。情熱は枯れかけていますが、それでも火種を絶やさぬように息を吹きかけている日々です。

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羽田恭さんへ
(2024-05-22)

返詩ありがとうございます。 呼吸するように詩を書きたいものですね。それが出来れば詩人だろうと思います。善い言葉があるのなら、悪い言葉もあるのでしょうか。それはどこにあるのでしょうか。ビアス著の『悪魔の辞典』にあるのでしょう。僕は風圧のある言葉を吐きたいと思います。火の付いた言葉を吸い込み、吐き出すのです。我流の限界を感じるこの頃ですが、善悪を超えた所に、どんな言葉が棲んでいるのでしょうね。きっと人智の及ばない領域なのでしょうが、そこにも詩人がいるような気がします。

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ronaさんへ
(2024-05-22)

ronaさん、おはようございます。 確かに僕は極度の寂しがり屋です。そのくせに一人の時間が好きな人種です。自問自答に正解は無いのかもしれませんが、自分が安心できる答えはあるのでしょう。答えというよりも解釈と言う方が正しいのかもしれません。下を見て安心するか、上を見て安心するか、横を見て安心するかで解釈が分かれそうです。今回書いたこの投稿作品(作品ではないですが)は内省的なもので、凶作ぶりに落ち込んでいる自信喪失の発露以外の何ものでもないのですが、面白いと感じていただけて何よりです。

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メルモsアラガイsさんへ
(2024-05-23)

コメントありがとうございます。 耳が聞こえない分、人の三倍努力しろと親に叩き込まれて育った平成生まれの僕です。随分と無理をして生きてきたと自負しています。とは言え、日本です。日本は安全な国です。安全圏の中で頑張って生きてきただけで、命に関わるようなことでもなかったですね。全ては神の思し召しということで、耳が聞こえないことも、生涯の節々に立ち現れた不条理な出来事も、何もかも受け入れて何が出来るかを模索してきたような気がします。口から生まれた男、と呼ばれる僕ですが、口先だけではないことを証明してやろうと意気込んで漫画を描いていますが、どうも全く成功しません。笑。漫画は娯楽作品と呼ばれていますが、僕は芸術的な、それこそ眠くなるような中身の濃い神秘的な作品が描きてぇなと思うのです。叶うことのない夢として終わってしまいそうですがね。本音で語れる場を持つことは人生を豊かにしますね。本音で語れる、というか、嘘をつく必要がないのですよね。まぁ僕は嘘が大嫌いですが、建前の重要性は理解しているつもりです。人間関係の潤滑剤の役割を担う大切な処世術ですよね。情けでもあると思います。僕もね、脊髄反射で褒め讃えたいですよ。親切心など抜きに手放しで褒め讃えたくなる詩の投稿を期待して、未だにこの場にいるわけです。それは単なる暇潰しとは違います。全てが晴れ渡るような新鮮な詩に飢えているのです、僕は。

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rona
rona
類さんへ
(2024-05-23)

類さん、コメントレスありがとうございます。 補足的に付け加えると、昔、わりと影響を受けた人から「詩には本人も意図しないものが書き込まれている」みたいな事を聞いたのがずっと頭の片隅にあって、最近は特に自分が書いた詩に対して、それを探すような自己分析をしています。そういった視点でみるようになってから自身の作品に良作や駄作といった判定をする価値基準もなくなりました。勿論、そういった基準で見ることもあるのだけど、それは他人様に読んで頂くためのモノであってソコに一番の価値を見出さないというか。詩を書くことを長く自問自答してきたけど私にはとっての落ち着きどころ、面白さはそこだったようです。 類さんはきっともっと高い場所を目指しているのでしょうね。そういった試行錯誤をずっとされてきた印象があります。面白さって本当に何でしょうね?そういう一つの問を投げかけられた作品でもありました。その点でも面白い作品でした。

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羽田恭
類さんへ
(2024-05-23)

ちょっと返詩について解説を。 実はミカエル・リャブコ氏が創設したロシアの格闘技のシステマから色々持ってきています。 システマの大きな柱のひとつにリラックスがあり、そのリラックスを実現するために呼吸する事(ブレージング)を重視しています。 緊急事態などで動揺した場合、素早く呼吸するバーストブレージングをしたりします。 ちなみに芸人のみなみかわさんが痛みを耐えるパフォーマンスをするときにやる呼吸がこのバーストブレージングになります。 「普通の人間になるのです」とはミカエル氏が言った言葉ですが、普段から煩悩・妄想にふけってしまうのが人間であり異常な姿なのでしょう。 ならば普通の人間になるために有効なのが善い言葉とはいえないでしょうか? 悪い言葉はその反対に異常な人間になる事を触媒する言葉と定義可能かと。 善い言葉のみを語れ 釈迦

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ronaさんへ
(2024-05-25)

コメントありがとうございます。 「詩には本人も意図しないものが書き込まれている」言葉とは不思議なものですね。行間に美しいものが漂っているか、または醜く恐ろしいものが滲み出ているか、自分が気づきたくなかったものが意図せずに暴露してしまうようなことがあります。でもそれだって結局は、鏡のように自分の姿を内省的に発見しているに過ぎない可能性もあります。ただ、「寂しいけれど真実だ」というフレーズの中にronaさんが筆者の寂しさを見抜いたのは流石の洞察力だったと思います。臭いものには蓋をする、という言葉にあるように、美しい言葉でもって装飾した詩ほど怪しい臭いを放つものはありません。ただ、露悪趣味があるわけでもないですし、汚い言葉で作られた蓋を、開けたがる人なんて皆無に等しいでしょうね。詩は僕にとっては身代わりとなってくれるものなのです。僕の綺麗な部分も醜い部分も、作品として排泄することで、自分から切り離すことができるというか、テクスト主義に身を委ねることで、作品を自分の身代わりとして捧げているような気がします。卑怯でしょうか。ここは、詩を書くにせよ読むにせよ、ちょうどいい場所で、ちょうどいい作品に、ちょうどいい言葉を寄せる、ちょうどいい人達が、ちょうどいい気持ちで、ちょうどいい関係を築き上げる、のに、ちょうどいい場所で、お金にもならないのですが、よくよく考えてみると、それだけに純粋なコミュニケーションが取れる素晴らしさがありますね。キャバクラやホストとは違って、打算抜きに楽しめる素晴らしさがあります。昔、僕は誰にも見せずに一人で秘密の詩を書いてきました。しかし、今は誰かに見せるために詩を書いています。動機が不純になったというか、やはり反応が欲しくて寂しさから詩を書いています。どんな反応でも僕は嬉しいのです。詩の中では誤解されることがあっても、誤解すらも一つの反応として愛しいものなのです。ついつい返信が長くなってしまいました。僕は寂しいので、書きすぎてしまうのです。ご容赦ください。

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天才詩人2
天才詩人2
作品へ
(2024-05-25)

なんかマジメな人柄がよくでてますね これをキャラ詩と名付けよう 迷ったり たまに訊いてみたりして 生きていくほかないですよね 生の声があるとみんな何か考えさせられる

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羽田恭さんへ
(2024-05-27)

コメントありがとうございます。 システマについて、なるほど。参考になります。万が一緊急事態が発生した時にはバースト・ブリージングを使おうと思います。病気の影響で巨大化した被害妄想に飲み込まれそうなときや、脳のチャンネルが狂って怪異現象に立ち会ったときや、不意に訪れる絶望感に心が掻き毟られるときなどに、バースト・ブリージングは使えそうですね。普通、深呼吸を行う所だろうと思いますが、小刻みの呼吸を加速させるバースト・ブリージングも選択肢の一つとしてマスターしたいものです。不可能な絵空事ばかりに心を奪われている夢想家から普通の人間に近づいていくためにも、目の前の現実の中で生きていくためにも、自分の内的世界を蚕食する異常な状態と争い続ける必要があります。処方箋薬と理性と、バースト・ブリージングという新しい能力で、自分の心を守り続けたいと思います。最後に、僕の好きな言葉の一つを以下に載せます。 善にも強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である。(引用元 ニーチェ 『人間的な、あまりに人間的な』)

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天才詩人2さんへ
(2024-05-27)

コメントありがとうございます。 真面目と人に言われたことは初めてですが、とても嬉しいです。詩人なら、もっと柔軟に生きるべきで、そうなりたいと願っています。最近は具合が悪いので……ますますそうなりたいと願うばかりです。面白さって何でしょうね? 面白いとは、文字通り、目の前が明るくなった状態のことを指すのですが、いかんせん目の前が真っ暗になることが多い僕です。しかし、明けない夜は無いと言うように、暗闇の中で息を潜めながら、自分の手で太陽を創造したいと思います。

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羽田恭
類さんへ
(2024-05-27)

予想以上に過酷な日常を送っているようですね。 システマについてはシステマ東京代表の北川貴英氏の動画や書籍がおすすめです。 参考までに呼吸法とシステマで重視されている四原則の動画を張ってきます。 https://www.youtube.com/watch?v=haYjDs4SKbE https://www.youtube.com/watch?v=Q-ajHRpP_3o&t=127s 良い物を残していきましょう。

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rona
rona
類さんへ
(2024-05-27)

類さん、返信ありがとうございます。 >詩の中では誤解されることがあっても、誤解すらも一つの反応として愛しいものなのです。 私にはない観点で、何と言うか、今までそういった鷹揚に感じられる反応をされる方の不思議がひとつ紐解けた気がします。それも一つの寛容さとしてちょっと羨ましいです。 そして書き過ぎなんて事はないですよ。寂しい寂しくないは関係なく、他者と対話するってたくさんの言葉を費やしていく事だろうし『テクスト主義』であろうと作品の中に潜む自身と読み手としての他者との人間と人間の交流の場であると思うので…有意義な交流をさせて頂いていると感じます。丁寧なレスポンスに感謝です^^

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羽田恭さんへ
(2024-05-27)

コメントありがとうございます。 絶望の渦の中に巻き込まれています。そこから逃れる術がありません。しかし、システマもそうですが、渦の中から逃げられずとも耐え忍ぶ術なら身に付けられると思います。参考動画を紹介していただいてありがとうございます。先の見えない日々ですが、少し光が射してきたような心持ちです。それは、羽田恭さんの木漏れ日のような優しさからです。愚痴ばかり吐いてはいられませんね。お陰様で元気が出ました。

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いずみ
いずみ
作品へ
(2024-05-28)

あなたの詩にも終わりがあるように感じられて命がそこにあるようにかんじられて美しいと感じました。あなたが書くことで詩は人となり命となるのですね。 私はゴミ箱を漁ったりドアを後ろ手で閉めたり寝る時に玄関を開けておくのが好きです。何故ならその延長に妄想の先に私の好きな世界があるからです。自分の世界が損なわれることは虚構なのだと読んで思いました。 あととても面白かったです!

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ronaさんへ
(2024-05-29)

コメントありがとうございます。 全ての反応が心の支えとなっています。肯定的な意見も否定的な意見も、反芻するように頂いています。僕は承認欲求の化け物なので、誰でもいいからコメントが欲しいのです。しかし、烏合の衆はよくないと思っています。誰とも馴れ合う気が無いのです。それは排他的な精神からではなく、来る者拒まず去るもの追わずの精神からです。僕の作品がひとつの「場所」になることを願っています。誰でも自由に行き来できるひとつの「場所」になって、そこで建設的な交流が生まれることは、筆者にとって喜ばしいことです。

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いずみさんへ
(2024-05-29)

コメントありがとうございます。 終わった、と言うより、止まった、と言う方が自分の感覚として正しいです。僕の中の何かが止まってしまったのです。停滞期ですかね。また何かを皮切りに動き出してくれることを祈るばかりです。無闇やたらに手を動かしても、自動筆記的になるばかりで、理想と感性が噛み合ってくれません。手と感性は地続きの関係にあっても、理想とは平行線を辿るばかりです。いずみさんも、何かしらの業を抱えた方のようですね。僕は僕を構成する業で、自分の世界を樹立させることができればいいと思います。いずみさんの世界にも遊びに行ってみたいですね。

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エイクピア
作品へ
(2024-06-01)

最後の行の問いが印象的で、本当に面白いって何なんだろうと思いました。あるいは楽しいって何なんだろうと考えてもいいのかもしれません。詩にもあるとおり確かに詩が書けなくても何も困らないわけですが、詩の意義を考えると難しい考え方だと思いました。詩の社会的意義を考えるとさらにその感が強いです。

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エイクピアさんへ
(2024-06-04)

コメントありがとうございます。 詩の意義、ですか。とても考えさせられますね。本音で語れることに意義があると思います。詩に限らずの話ですがね。詩は人の心を癒す力があると思います。それだって詩に限らずの話ですが。難しいですね。ただ僕は、詩作を通して感性と知性を養っています。詩を書かなかった自分の姿を想像することができません。僕は一匹の蛾のように、詩の孕む淡い光を求めて佇んでいる存在です。

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