ロースト・ビーフを取り分けたきみは、赤ワインを煮詰めたソースをかけて、血液みたい、と言ったのだけれど、ぼくはほんとうに血液に見えて、むしろ血管に流れているのは煮詰まった赤ワインなのだった、と思いだしたように言うと、バースデイ・パーティーに参加していた周りの大人たちは、冷たい目を浴びせた。
ロースト・ビーフを噛むときに、うまくにおいが取り切れていないと、たとえば月桂樹の葉っぱとかローズマリーとか云々の、そこら辺に生えたものじゃない、植物も一緒にオーブンのなかへ放る、などしていないと、どうしても広がるのは牛のいる、嚙みちぎる乾いた土地のなか。
ぼくの腕の薄皮を、一枚ぺりりと剥ぐと、またあたらしい皮膚の、みずみずしく液がにじむようすを、観察することができる、実際、理科室の棚を開けるときには、振動がビーカー、ガラス棒、ペトリ皿、伝わるのを防がないといけなくて、それはパーティー会場の、メイドがひくリネンカートに、回収された、乾燥したポテトサラダ、変色したパイン、オレンジ、萎れたブドウ、が詰まったビニール袋の中身を、ごろんごろんと転がしていく、振動は食物に伝わって、波打って、絵の具パレットの上にあるかのような景色。
きみは、ぼくにハッピー・バースディと言った、ひとつ、数字を増やしただけで、ぼく自身何も変わったようには、思わない。
けれども、叔父さんや叔母さんや、あちらのテーブルにいた白髭のご婦人、赤髪の紳士――、初対面の人たちも、口をあわせてハッピー・バースディと言った、なにも知らないくせに。
母は、父は、そんな人たちとぺちゃぺちゃ喋って、あらひさしぶりねマユミちゃん、とか、ゴルフで何ヤード飛ばした、だとか。
そうしてきみは、あらためてぼくに、ハッピー・バースディと言った。
もっと長いものを読みたいです。
1読んでいただき、ありがとうございます。 確かに、この長さでは消化不良なところがあったな、と思っています。長篇詩には、いつか挑戦してみたいですね。
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