血の翼が西方で黒煙をおこしている。
ラジオから流れる最後のニュースを聴いて、
僕はコバルトブルーの列車に駆け込んだ。
自由な想いと真っさらなチケットを手にしていたのに、
残ったのは、朱に汚れる指先と、
時を刻むごとにすり減る魂。
傷んだ足をさすり、二人きりの写真を眺めると、
車窓に流れいくのはかすみゆくノスタルジー。
心を掠めるのは三人の女性。
母と、白い教会のあの娘と、そして君。
実家が店を畳むと、
幸せへの片道切符だけを手にして、
心を閉ざし、ひたすら学んだ母。
僕はそれ以上のことを知らないし、
知ることもないだろう。
教会のあの娘は、
僕の流れない涙を、
固まった血を溶かしてくれた。
彼女がくれた想い出は、
僕にとっての黄金律。
そして君。
最後の置き手紙で、
僕の今を、身体を切り刻んでくれた。
僕が列車に飛び乗ったのは、
君の言葉のお陰だ。
何よりも心に焼きつくのは、
君が僕へ宛てた「一生涯の感謝」。
三人の女性の血が、
今日も僕をカタチ作っていく。
もし魂がすべて剥がれ落ちようとも、
君が、僕の目に映る場所から消えた日に、
詩人の始まりが青い空に訪れる。
モノクロの風が吹き抜けて、君を連れ去っていく。
君を羅針盤にして、
身体は舞い上がり僕は夢を見る。
少年のように。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1768.9
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2022-02-26
コメント日時 2022-03-01
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 22時56分51秒現在
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J POPの歌詞みたいだなって思いました
0snさん、コメントありがとうございます。jpopの歌詞みたい。いい感想ですね。僕もこの詩では足りなかったと思う部分が多々あり、それを間接的に指摘するコメントだと思います。
0ウクライナにインスパイアされるのはいかにも詩人らしいし、詩人であることの自負と対峙されていてスバラシイと思いました。 ウクライナは18歳から60歳までの男性に『逃げずにとりあえずもどってこいや。武器渡すから』といっています。あと女性もおばあちゃんまで火炎瓶つくって闘ってます。それも政府の呼びかけです。最後に国家の一節には『国家のためには全員が武器をとって戦おう』というものがあります。 あまりにもリアルすぎるのはわたしみたいなのがいるからぼやかしたれ!という風に思われたかどうかは知りません。あとここの『雰囲気』としてあんまり政治的国際的なことに直言するようなのはタブーみたいなのがあるのかどうかも知りません。 ただ『J-POP』のようだ。というのは間接的意見でもなんでもなく、ど直球160キロとしてボールごと噛み締めていただきたく思います。
0州末州さん、コメントありがとうございます。まずこの詩、確かに冒頭の一節はウクライナの一件を指しているものです。ですがその後コバルトブルーの列車に駆け込んで以降は非常に個人的な瞑想の世界に入っています。ですから州末州さんが想像したような、ウクライナで起こった出来事へは直接的にも、間接的にも言及したものではまったくありません。もしそのような誤読を生んだのならば、僕の書き手としてのミスリードでしょう。しかしそもそもの問題として僕は正直、戦争や社会的事件を間借りして、詩を書き連ねたりするのが好きではありません。ですから州末州さんがもし何らかの意味でこの詩に、社会的、政治的問題を軽くJPOP的に扱っているという印象を持ったのなら、繰り返しますがそれは誤読であり、僕のミスリードとなります。州末州さんはJPOP的なるものを激しく嫌悪しているご様子ですがその感情は恐らく、この詩が政治的な意味合いを持つ詩だ、との誤解から生まれたものだと存じます。この詩はそういうものではないのです。とてもパーソナルで内面的で、静かな世界なのです。
0詩人って体験なんだなあと思いながら読みました。どんな世界にいようとも体験しながら生きている。人間とはかなり違う。肉体を使って触れずにはいられない。一見アコギな商売に見えるが、詩人だけは間違いではないと言ってるような気がしてちょっと嬉しかった。詩人になってみたくなりました。 反応に困るコメントかもしれません。申し訳ない。
0妻咲さん、コメントありがとうございます。詩人とは体験。この詩は特にそのことをはっきりと明示しているかとも思います。三浦果実氏の「無題」において僕は「文才とは小手先の技術ではなく、経験と体験そして誠実さなのだ」との趣旨のコメントを寄せましたが、これは限りなく正答に近いと思っています。もちろん実際に起こった出来事、体験したことを書き連ねるだけでは鑑賞に堪えうるクオリティにはならないのですが。翻ってこの詩ですが、それこそ僕は鑑賞出来るクオリティにするために、書くべき場所、書かなければいけないことについて大分省いてしまいました。そのことを大きく悔いている一面もあるので、推敲版、完成版をどこかで発表するつもりでいます。何よりもこの「詩人の終わり」というタイトル、センテンスは僕にとってとても大切なものであるので。
1ねねむさん、コメントありがとうございます。この詩はご指摘の通り、今もってなお僕を突き動かしている三人の女性について書かれています。母、教会の娘(実質的な意味では初恋の人でもあります)そして君(その初恋の人を超えるべく、僕の人生を激変させるべく現れた人)。母についての描写は、詩のセンテンスとしてもよく出来ているし、過不足は限りなくないと思っていますが、君と教会の娘についてはもっと書き込んで良かったと思っています。これも再公表の場があればと思っています。 色彩豊か。いつも優しいコメントありがとうです。作中では詩人の始まり、なのにタイトルは詩人の終わり。これは今までの体質の僕が去り、新しい体質の僕が立ち現れることの示唆でもあります。初めは「詩人の終わりが青い空に訪れる」だったんですよ。だけどそれだと文脈上どうしてもおかしいので、よく検証、推敲したところ、今の自分に合致しない、しきれていない表現だと気付いたのでこの形にしました。
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